印度學佛敎學硏究第68巻第2号 令和2年3月 (11) ― 1096 ―
『マハーバーラタ』におけるダルマ神について
―ユディシュティラに対する試練―
伊 藤 頼 人
1.はじめに
古代インドの諸文献において使用されている単語「ダルマ(dharma)」は,MBh において,「正義」「法」「美徳」「義務」,それらに関連する「良い(価値のある) 行為」などの意味を内包すると考えられている1). その「観念としてのダルマ」とは別に,MBhには,「観念としてのダルマ」が 具現化した,実体と意思を持つダルマ神(Dharma)が登場する.ダルマ神はMBh の主軸となる物語において,中心的な役割を果たすパーンダヴァ五王子の長男ユ ディシュティラの父としての役割を演じている. 本稿は,MBhに登場するダルマ神が,ユディシュティラに対して課す3度の試 練に着目し,この話を通して作者が示そうとした価値観,即ち「観念としてのダ ルマ」についての考察を試みる.また,ダルマ神に関する包括的な研究はこれま で十分に行われておらず2),ダルマ神について明らかにする一助とする. 2.ダルマ神の系譜
MBhの中で,ダルマ神に関する系譜がいくつかの箇所で見られる.1.60.30で は[ヴィシュヴァカルマンが]ブラフマー神の右胸を分離して,[そこから]ダ ルマ神は誕生したと述べられる.1.60.12–14, 1.70.8, 12.200.22ではダクシャの50人 の娘のうち10人がダルマ神の妻になると述べられる.7.172.51, 12.330.40, 58, 12.335.1ではナーラーヤナがダルマ神の息子と述べられる.12.200.23では,ヴァ ス神群,ルドラ神群などがダルマ神の息子と述べられる.12.321.33–35では,プ ルシャ,プラクリティから世界が始まる文脈の中で,ブラフマー神をはじめとす る21のプラジャーパティが挙げられ,その中にダルマ神も含まれる. 物語の本筋でダルマ神は,子を作れなくなったパーンドゥ王の代わりにクン ティー妃に子を授け,ユディシュティラの父になる.また,五王子らの叔父ヴィ(12) ― 1095 ― 『マハーバーラタ』におけるダルマ神について(伊 藤) ドゥラの起源でもある.パーンドゥは,自分たちがダルマ(正義)に結び付き, アダルマ(不正)に向かわないようにするため,これから生まれる自分の長男 (ユディシュティラ)の代理の父にダルマ神を指定する.以上のような例から,観 念としてのダルマとは別に,実体を持つダルマ神の存在が確認できる. 3
.ダルマ神がユディシュティラに課す
3度の試練
次に,ダルマ神がユディシュティラに課す3度の試練の概要を述べる.第1の 試練は,森を放浪中の五王子を1人のバラモンが訪ねるところから始まる.五王 子はバラモンの火鑽棒を奪った鹿(=変装したダルマ神)を捜す.五王子は捜索中 に疲れを癒すため,発見した湖に1人ずつ水を みに行くが,誰も戻らない.最 後にユディシュティラが湖に行くと,「水を飲む前に質問に答えよ」と声が聞こ える.弟たちはこの声を無視して水を飲んだために殺されていた.ユディシュ ティラは声の主ヤクシャ(=変装したダルマ神)の様々な問いに正しく答える. ヤクシャはユディシュティラの答えに満足し,「4人の弟のうち,ユディシュ ティラが願う1人が生き返る」と言う.ユディシュティラは,自身にとって最も 愛しいビーマ,最も頼れるアルジュナではなく,異母弟ナクラの復活を願う.ヤ クシャがその真意を尋ねると,ユディシュティラは,「2人の母(クンティーとマー ドリー)の息子が生き残るべきであり,自分は彼女たちに対して平等であるべき」 と述べる.ユディシュティラの答えに満足したヤクシャは,弟たち全員を生き返 らせ,ダルマ神としての正体を明かし,3つの恩恵を与えて去る(3.295–298). 第2の試練は物語の終盤,五王子と妻ドラウパディーと1匹の犬(=変装したダ ルマ神)が最後の聖地巡礼でヒマーラヤに登る際に行われる.ヒマーラヤを登る 最中,妻と弟は若い順に死に,ユディシュティラと犬だけが残る.そこへインド ラ神が天界行きの車でユディシュティラを迎えに来る.ユディシュティラは「自 分に対して忠実な犬を連れて行きたい」と訴えるが,インドラ神は認めない.そ こでユディシュティラは,自分が天界に行くことよりも犬を見捨てないことを選 ぶ.それを見届けた犬はダルマ神としての正体を現し,ユディシュティラを讃え る.ユディシュティラは神々とともに,生きたまま天界に行く(17.1–3). 第3の試練は第2の試練から直接話が続いている.ユディシュティラが天界に 着くと,かつての敵対者ドゥルヨーダナの繁栄した姿を見るが,妻,兄弟はいな い.ユディシュティラは,妻,兄弟との再会を望み,神の使いに付いて行く.彼 らが行き着いた先は酷い環境の地獄であり,ユディシュティラに引き返す考えが(13) ― 1094 ― 『マハーバーラタ』におけるダルマ神について(伊 藤) よぎる.そこで,妻,兄弟を名乗る苦しげな声が聞こえてくる.声は「ユディ シュティラがいる間は苦しみが和らぐ.少しの間でも留まって欲しい」と願う. 生前,正しく生きてきた妻,兄弟が地獄にいる理不尽について,ユディシュティ ラは神々とダルマ神を非難する.そして自らは妻,兄弟のために地獄に留まり, 使いだけを天界に帰らせる.使いはインドラ神にこの出来事を報告する.しばら く経ち,インドラ神,ダルマ神,その他の神々がユディシュティラのところに来 ると地獄の光景は消える.地獄の出来事は幻であり,ダルマ神の試練であったこ とが明かされ,その後ユディシュティラは天界で妻,兄弟と再会する(18.1–3). 4
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3度の試練に見られる傾向
次に,3度の試練の話に見られる傾向について述べる.3つの試練には共通す る話の構造がある.まず,試練の仕掛け人(ダルマ神及び協力者)は仮の姿を見 せ,ユディシュティラに問題を抱えさせる.それに対し,ユディシュティラは答 えを出す.次に仕掛け人は,ユディシュティラの答えを翻すような介入をする が,ユディシュティラははじめの答えについて固い信念を保ち,決意は変わらな い.最後にダルマ神が正体を現し,ユディシュティラの選択,決心を正しいもの として讃え,恩恵を与える.3度の試練は,以上のような構造が共通している. また,3度の試練の話は連続性が想定されている.第2,第3の試練は,MBh 第17巻から第18巻にかけて直接繋がる位置関係にあるため,2つの話が連続する ものだと理解しやすい.第1の試練は第3巻に配置されているが,第2, 第3の試 練の中で第1の試練に言及されており,連続性が確認できる (17.3.18–19, 18.3.30–33). そして,3つの話には共通する価値観が見られる.第1の試練の問答の中で, 「慈悲深さ(ānṛśaṃsya)が最高のダルマである」とするやり取りがある(3.297.54– 55).第1, 第2の試練で,ユディシュティラは自らの利益や安楽(アルタ,カーマ) の た め で は な く,ānṛśaṃsyaの 語 を 用 い て, 選 択 し た 行 動 の 根 拠 を 述 べ る (3.297.71–74, 17.3.7).第3の試練ではこの語は使われないが,他者の苦痛を和らげ るために行動する点は共通する要素である.そのダルマに適った具体的行動の内 容が,2人の母に対して平等であること,忠実な者(bhakta)を見捨てないこと, 苦しんで自分を頼りにしている者を助けることとして示される. ユディシュティラは3度の試練において,はじめの選択を翻そうとする介入を 退け,自らの信念に基づいた道を選び,それが讃えられる点も一貫している.(14) ― 1093 ― 『マハーバーラタ』におけるダルマ神について(伊 藤) 5
.おわりに
以上,MBhにおいて,ダルマ神がユディシュティラに課す3度の試練の物語に ついて考察した.3つの試練の話には,共通する物語の構成と,連続性が確認で きた.そして,3つの話の示す価値観には,一定の共通項が見られる.即ち,ヒ ンドゥー教において,人生の3つの目的とされるダルマ,アルタ,カーマのう ち,ダルマを他の2つよりも重視することである.また,ダルマの中でも特に 「慈悲深さ(ānṛśaṃsya)」を「最高のダルマ」として強調することである.それが 具体的行動の内容をもって示されている. また,MBhの中には,「観念としてのダルマ」について,社会秩序,社会体制 の維持を想定し,ヴァルナごとの義務を果たす重要性を説く部分もあるが3), 3度の試練の話においては,そのような要素は薄い. MBhにおいてダルマ神が登場する箇所は,本稿で扱った部分以外にも存在し, 挿話の中の登場人物に対して試練を課すところもある4).それらの話において は,本発表で扱った部分の「慈悲深さ」とは異なる「重視すべき価値(ダルマ)」 が反映されている場合もある.今後それらについても検討し,今回の内容とも比 較,検討しつつ,別の機会に示したい.1)Fitzgerald(2004, 674–676)参照. 2)Fitzgerald(2009, 83)参照. 3)原(1968a; 1968b)参照. 4)5.104, 12.264, 13.2, 14.32, 14.93.
〈略号〉
MBh The Mahābhārata. Ed. V. S. Sukthankar and S. K. Belvalkar. 19 vols. Poona: Bhandarkar
Ori-ental Research Institute, 1933–1966. 〈参考文献〉
Brockington, John. 1998. The Sanskrit Epics. Leiden: Brill. Hopkins, E. Washburn. 1968. Epic
Mythology. Varanasi: Indological Book House. Fitzgerald, James L. 2004. Dharma and Its
Translation in the Mahābhārata. Jounal of Indian Philosophy 32: 671–685. ̶. 2009. The Thread of the God Dharma Woven into the Mahābhārata, In 14th World Sanskrit Conference,
Abstracts: 01–05 September 2009, Kyoto University, Kyoto, Japan, 83. Kyoto: Graduate School of
Let-ters, Kyoto University. Kapoor, Subodh. 2004. An Introduction to Epic Philosophy. vol. 3. New
Delhi: Cosmo Publications. Mani, Vettam. 1975. Purāṇic Encyclopaedia. Delhi: Motilal
Banarasidass. Olivelle, Patrick, ed. 2004. Dharma: Studies in Its Semantic, Cultural and Reli-gious History. Delhi: Motilal Banarasidass. 原実 1968a「KṢATRA-DHARMA―古代イ ンドの武士道―」(上)『東洋学報』51: 271–304. ̶ 1968b「KṢATRA-DHARMA ―古代インドの武士道―」(下)『東洋学報』51: 420–456.
〈キーワード〉 マハーバーラタ,ダルマ神,ユディシュティラ,試練