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ジエ・エス・ミルとアルフレッド・マーシャル(二)-香川大学学術情報リポジトリ

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行 雄

大 泉

アルブレッド。マーシャル︵心外四二−完二囚︶

偉人に撃を起したる我々は、再び偉人に筆を欄く︵著者はスミスに始りマーシャルに結ぶが故に斯く云ひしな り⋮⋮⋮評者註︶。富に琴し英国経済単著なる語を鋏き意味に解するならば、アルフレツド。マーシャルは英国経 済蓼者中最も偉大なる人である。蓋し、アダム。スミスは砕格蘭人であり、デゲイ.ツド買カードーは衛太人だか らである。人はつれヰltlなるまゝに、英蘭土人、蘇格土人、狗太人の比校をして打ち興ずるが、斯かる比蚊は殆

んど益無き尊である。ネルソンは木造艦隊を指挿しなければならなかったが、現代の将帥は甲餓艦隊を統禦しな

けれぼならぬ㌣ネルソンは鵬登の臍航艇、〓盤の航重機、劇暁の水笛艇さへ持たなかった。近代の大砲に比すれ

ぽ、彼の大砲は基気鋳砲に過ぎなかつた。彼の問題は、今日の将帥が取扱ふものよりも造かに革純であつた。我

等はネルソンが今日の問題を如何に取扱ふかは知らない。知らずして偽、我等はネルソンを目して蓋世の海勝た

ジエ○エス●ミか†こ′かフレ肋/ド●マーシャル

ジエ●エス●ミルヾJアルフレツド・マーシャル ︵二︶

︵一大一︶ 五九

(2)

第四谷 第二醗

︵一六こ︶ 六〇 りとの確信を有って居る。アダム。スミスは恰もネルソンの如く、マーシャルは現代の倍大なる握滑の如し。去乍 此の比較はマーシャルにとつて精々不足である。言はゞマーシャルは、自ら運輸する賠そのもの∼幾分を設計L たものだからである。彼を熟知する人々は力況して富ふ、若し現代経臍蓼が複雑なる械闘に比較し得るならば、 それを設計した老はマーシャルである。少くとも彼は、造かに軍純な型の機関から畿達せしめた老である。叉著 し近世経済麺が、何よりも兜づ、デリケートな方法手段の糾合せから成る諭珂組織なりとすれば、その方法手段 中の最も償倍あるものはマーシャルの仕事場で作り出されたものであると。彼は偉大なる造兵の作り手であり而 も汲も偉大なるもの1一人であつたのである。而も筒、、ネルソンは依然ネルソンたり、アダム具ミスは今侍ア ダム・ス、・、スであつて、我が偉大なる軒輿着ヒユームの友人であり同輩であり、叉英国歴史家中の大建物エドマ ンド・ギボンの同輩且つ知友なのである。スミスはマーシャルと興り、その時代の偉人に互して生活し活動した。 二者は幾多の鮎で差異訂示して居るがヤ然し侍¶鮎に於て共通性を有つ。それは二者共に天才であり、各自の経 験と教養とは、二者をして其の時代の簸大経済畢者たらしめんために計丑的に行はれたるが如く見ゆること之で ある○ 現代の経済革者は才能の人でなけれぼならぬっ彼は数箪を知らねぼならぬ。マトシヤルは膠れたる敬啓着であ っ駕彼は歴史を知らねぼならぬ。マーシャルは膠れたる歴史家であつた。人類全史を通じて、島噸園を提供せ る鮎で比類稀れなるへ!ゲルの歴史哲畢に彼は魚ふ夙が大であつた。彼は叉猫逸歴史塾派の喝塾の探き貢献に負

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ふ朗大であつ挺。彼がブリストルで、﹁開富の∴要素としての水﹂なる題下に講演した時にも、その豊富恵る歴史

家たるの面目を示して居る。叉、彼が其の著﹁産柴貿易論﹂の初め数行を啓く時、′川見すれぼ単なる思ひ付きの様

な形で、之まで何びとも鮭稗史の確乎たる把捉なきこと真一昆表して居る。経済螢者は哲革を知らねばならない。

之によつて思想の鳥噸租を把へ、劇科挙が他の科挙に如何旦関連するやを知牒得るからである。マーシャルは、

叫八六八年覇逸に行って居る故に、恐らくカントを原文で讃むことを習得したであらう︵、誰一人、最も深くし∴ て、最も神秘的なる人生問題に直面させられずしてカントを試み待ない。カントは、近代の敢大恩想家︵且つ最 も難解なる︶の唯一者だからである。マーシャルは云って居る﹁余の鰯導老女るカント、余が之まで敬愛せる唯一

人の人﹂と。放て叉、経済笹者は、汎ゆる大運動、殊にその時代の政治的、産業的運動に接濁して行かねぼ・なら

ぬ。マーシャルは﹁労働者の指導者﹂と親交あり、協同組合運動に興味を看ち、アメリカの保護政党制虔も之を研

究した。彼はミルと同じく公共心に富み、労働者階級の叫帽祉のために熱烈に貢献した。この事は彼が劇八七三年

かムブリツヂ大挙のリフォーム。クラブで朗読した﹁労働者階級の滞米﹂と題する崇高なる妄が嘗謹して居る。

ピグー教授日く﹁マーシャルは嘗って自分ぬ向つて云ったことがある。自分は若かった頃、工場で行はれる放べ

ての機械作柴の大綱を愈得せんと決心し駕その後工場を訪問した時には、自分は数分間労働者を凝硯することに

よつて各革働者の選って居る貨銀を推定することが出来た。そして、此の推定が、著しく雷らなかった時は、必

すそこに或る特別の事情が存在した﹂と。彼が興味を覚えたのは、濁り努働者に就てのみではなかつ駕王立労

ジエ●エス●ミル†こ′かブレッド○マーシャル ︵一六三︶ 六︼

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第四金 策二沸

︵一六凹︶ 六こ 働黍良禽の任務が彼に興味洗く感ぜられた理由の一つは、これが彼を労働者の雇主と按偶せしめるからであつた のだ︵− 最後に偉大なる経臍革宥は自己の思想の正確なる表現をなし得なけれぼならぬ。文筆の人としてマーシャルは ミル及びスミスと並び稲せられる。尤も彼の文鰭が不朽嬰額であると云ふは事茸である。青年にとつて彼の著作 は、恰も鮫の如く、し\つかり掴んでると思ってる人々の措から逃げて行く。唯、彼の論議に裁て、鳩車石批判分 析をなし、彼の富尭を解諭せんとする人−我等は之以上に車扱せる経済層入間苔のなきことを個人的経験より 確言し得るー、その人のみが、彼の推理の水も漏らさぬぼかりに組立てられ、その思想を汲も完全に表現すべ き言葉を撰揺する彼のカの如何に鷲欺に佑するかを塗見するのである。マーシャルは諦観の人としては人気ある 方ではなかつた。この鮎では同時代の、ケルゲイン卿に相通ふ。蓋し二堅畢生比、各種の試験をパスするに役立 ● っ様なものを彼の講義から求めることが殆んど出奔なかったからである。彼はエドワード○ケヤードが倫理串及 び哲塾の教授を、各大挙に供給した決れにも俊つて、経済蓼の教授を各大串に供給する役目をしたのであつた。 彼の名響こそは世界的である。十九世紀及び二十世紀の経済箪々徒にとつて、彼は最大の教師であつた。我等は 彼の成し途げたものは之を知るが、彼が向後成就せらるべきものとして他の人々に残して行ける庵のに就ては単 に推量し得るに過ぎぬ。然れども、今日に於て狗、我等は、アダム・スミス以後、彼を以て ー リカード一に放て は論あるであらうから別とトて1陸離畢界の故大方人となすに躊躇しない虻彼はアダム●スミスの単なる機承

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者以上に出るものと見らるべく、ある鮎では彼はスミスと同地位に立つものなのである。

アルフレッド●マーシャルは、一八川二年∩官haヨに生れた。∩一aphaヨは嘗っては所謂隔音波左以て堅く結ばれ

て居った。マーシャルの父も亦、此の宗沃に心から打込んで居宅ケムブリツヂ大挙に螢ぶに及び、マーシャル

は之まで教へ込まれた鶏多の猫断論の信奉を拗発した。然し﹁宗教的﹂なる語を最も旗く且つ莫然と用ゆるならば

彼は常監不敬的な人であつた。彼は間もなく、他人を自分の考へ方に﹁改宗﹂せしめんとすることは止めたけれど

も、基替歌思想の下に生活することー即ち穿き天職の念を持つことば決して止めなかった。彼にとつて経済螢洩

るものは、単なる智的努力の世界ではなくて、之に依りて同胞に奉仕し得ペき手段なのであつた。ジエグォンス

と興り、彼は此の世に於て﹁力強き尊者﹂たらんとすることを決して公言しなかったけれぜも、その希望は彼の脳

裡より離れなかった。彼が初めて教育をうけた看cトaコ=ay−OrSuSch001では、﹁彼は数畢の天才であつ空と鵬教

師は談って居る。此の畢校からケムブリツヂに進み、こゝでは優等生の第二席を占めた。かくして∵八六五年に

はS:OhコWsCO=e笥の講師になつた。彼は叉短期間、︹1苦コ∩。lle笥の数単数師をしたが、間もなくケムブリツヂ

に踵へり、数畢俊等試験に準備中の畢生を指導した。常時披薩、物理畢の研究に没頭せんと欲したのであつたが

グロート○クラブなる討論禽に加入した研から、常時、思想家達の精紳修養となつて居た帥拳上の論議に興味を

汐エ●エス●ミル†こJかブレッド●マーシャル ︵一六五︶ 六三 l遽

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第四谷 第こ披

︵二ハ六︶ 六四

持つ人々に倉ひ、彼は哲革を読まんと決心した。そのために、暫く弼逸で過し、カントを研究したらしい。然れ

共、形而上箪の迷路に立って、心行くぼかりの満足を求め待なかった彼は、倫鞘単に立ち鐘へった。然るに間も

なく山友人が、若し彼にして経滑車の智識む若干有つならば、日常生活に於ける人間行動を取扱ふ科蓼即ち倫通

草の研究は、こ揮発金となるだらうと暗示したことによつて、彼はやがて人間行動の理論研究を中止したっ彼は

自ら経済革の領域に立入るを以て、軍なる寄り道と考へ、﹁純粋思索の社旗に叫日も卑く立ちかへること﹂を心待

ちした。﹁然れども、余は、経臍笹を究め行けぼ行く程、余が必嬰とする智誠に比較して、余が有する経済塾の智

識は愈々璃薄なる様に思はれた。而して今や、それのみに約五十年も専念した後に於て、余は蘭研究の雷初に於

けるよりも更に無智なることを白魔する﹂と彼は後年に庖って談って居る。︵叫九一七年︶。一八六八年に、彼は St・﹂。hコ︸sC。−茸eで将帥料率の講義をし二八七七年まで披いた、彼は休暇をアルプスで過し努ざ∼で、彼の最鴇

有名な猫眉的理論が考へ出されたのである。その間、叫八七五年に退座によつてアメリカに遊んだぐ彼低速く東

部まで凝七サツ.フランシスコへも行き、エール犬鷲ハーヴアード火車の経臍拳教授連にも合ったが、多く庭 嘗柴家と時を過ごLた。徽は記してる﹁フィラデルフィヤで、私は保護主義の領袖建と長い間話した。そして、

その人々が私に読むやうにと推賞してくれた二、三の書物生絹むと同時に、私は今こそ自分が其の人々の立場を

全く了解し得ると考へられる様になつた。自分は、現在も亦之までも、自分と同じことを晋作得た英国人は⋮人

もなれと侶する﹂と■Uケーンズ教授は我々に、マーシャルは此の訪間の結裁として﹁アメリカ今泉閣の来るべき繁

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発を期待し、その原因及び行くべき方向を知り得た﹂と明草したことを骨げて居る。

叫八七七年、マーシャルはNewコhaヨ∩。=e笥の一女教師と結婚したが、彼女の才能と不断の注意とには、彼は四 十七年の悶絶ヘザ其の負ふ桝を増して行った。結婚後直ちに、紋はブリストルに行き苧君rs茸∩〇lle笥の初代螢

長となつ、た。彼は経済螢の講義は悦んだが、事務の施政的方面は好まず、新設大審の校長に必要な、富豪の益捕

的同情を喚び起す様な手腕はマーシャルにはなかつた。⋮八八二重、LOWet什の力により、オックスフォードの BaH巨C。ニe笥講師に撰ぼれ、印度民政官候補生のために経臍輿論紬となつた。オックスフォードでは、マーシャ

ルは拳闊やあり、成功であつたが、一八八五年両月になつて、経済単教授としてケムブリツヂに立ちかへり、一

九〇八年蜜で在職した。山九〇八年から山九二四年に他界するまで、彼はケムブリツヂに住んで居た。

マーシャルは二個の記念碑を作って居る一。叫つは二八九〇年に﹁英幽離臍拳骨建設の提案﹂を教表したことで、

その結英はR。ya−Ec。コ。ヨicS。∩茸の設立となつた。その二は、γ九〇三年に、ケ仏ブリウヂの経済学々位試験が

猫宜し、政治科挙の諸分科が作られることになつた溺である。之には主としてマーシャルが興って力あつた。ケ

ーンズは云ってゐる﹁形式の上では、マーシャルはケムブリツヂ革流離臍拳の麺試着であつた﹂叉﹁マーシャルが

今日の英幽経臍拳の父であることは、その著作によつてよりも、寧ろその門弟によつて劃盾着るしとと。

﹁若し余が、幾人かの脊年率徒をして、来るべき時代の経済問題を把鹿せLめる様に助力したとすれば、それこ そ、余が之まで自ら残し得た何れのものにも立ち優つて肝婁なものである﹂。之.マーシャルが其の生誕八十年に 汐エ○エス●ミかミアレフレル/ド●マージャか ︵︼大セ︶ 六五

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〓六八︶ 空ハ

第四谷 第二兢

際し、ROya−E︵。コ○ヨ首SOCietyより献ぜられたる軌群に答へて書いたものである。之は定に尤もな寄であらう。向 時にマーシャルは、更に二偶の永遠的慣倦ある記念砕を痩した.。第一は彼が政府要員脅に提出したる諸解答で奉 る0 イ、山人八六年、﹁通貨と物偵との問題に封する解答﹂。之はROya−nOヨ⋮訂s叫。コ。コtheロepressi。コ。f↓radeによ って流布せしめられた。 ロ、この翌年GO−daコdSニくerCOヨヨ訂sすに封して詮方を拉供し雲その印刷され軋ものは、六段牛に渡甘、彼の 皮剥訊問報骨は八十三東に及んでゐる︶ カラム ハ、山八九五年、ROya−nOmヨ姿Uコ○コ叶he茸edP00rに謹接を提出した。その調査報督は、凶十三段に渡って 居る。 ニ、仙八九九年、lコd訂コnurreコCynOヨヨitteeに謹左を提出す。調査記織墜二十四段に渡る。 ホ、同年、彼は﹁国税及び地方税の分類と辟着に閲する覚書﹂を提出した。 へ、山九〇八年には、﹁国際貿易の財政々策に関する覚書﹂を提出も 第二に彼の主たる著作は、天人と協働して物したる﹁産兼好臍蓼﹂、﹁経済笹原理﹂︵一八九〇年︶、﹁産業経済蓼 綱要﹂︵一八九二年︶、﹁産業貿易論ヒ九一九年︶、﹁貨幣、信用及び商業﹂︵叫九二三年︶である。 マーシャルは、少くとも四十年以前に到達した幾多の見解をぼ、何故、晩年近くなるまでせに公表するを見合

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せたかは二つの疑問である。この疑問しに興味ある議書はケーンズの周到なる論議に就て見られよ。 三 ダスターフ・カツセル日く﹁古典放経済寧は、マーシャルの述作によつて、其の故高完成の域に達し、最も新ら しき諸思想を綜合して居る﹂と。この叙述を数街するに先立ち、又マーシャルの経済単に判する特殊なる買献を 研穿するに鬼瓦ち、比較的山般的性質を有する二、三の鮎にして注目に値するものがある。 第∵に、何びと1雄も、マーシャルの適作を閲読するに常り、其の智識の贋汎なるに鷲欲せざるはない。我等 が彼の著書の仙つを取り其の索引を見るならば、そこには数百人の氏名衣を頚施する。之等氏名の各々は二番の 書物を代表するものであり、時には数巻を表はすものなることを我等は知ってゐる。我等は叉政府報骨寧、雑誌 及百科全書に表はれたる論文の数限りなく参照せられて居ることを知り、かくして、マーシャルは英図鑑臍単著 申の最大額蓼であり、筍くも彼の論題に何等か関連を有つものは放べて之を読破したといふ感じを、我等の脳裡 に愈々弛めるのである。此の、恰も手袋の如く手軽に身につけてる繚識が、多年研究の結果をば、一聯の賓句の 中将放めしめたものなのセある。二他の簡単なる馨句がーー鹿等は此の如きものを数打も引用し得るが圭我等 の云はんと欲する朗を詮く役目をするであらう。﹁通俗の膝史は工場柑代以前の民稟の困窮を軽班tて居る﹂。﹁共 闘に於ける諸費明の主たる特質は、其の天才的なる鮎にはなしっ﹂彼は詞書による智識と等しく、叉商工業の嘗際 ジ土●エス●ミ少子こ′ルフレツド●マーシャル ︵↓六九︶・六七

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︵一七〇︶ 六八 第四−巻 第三舵

に閥する智識の所有者であつた。アダム。スミス以後の粧臍単著にして、現賓の世界に封し、かくも贋大なる智識

を有し、エ場及び事務所の生活に閲す、る貰際的細目に、かくも拭き興味を抱いた著者は一人もなかつた。アダム.

スミスと同じく、彼の脳裡には事賛が棄濁されてあつた。

第二に、他人の才能を認め、その東蹟を賞翫することの速かなる.彼に優る者は未だ全く存在しない。彼の著

書は﹁堂々たる﹂とか﹁剖時代的﹂とかの賛辞を以てかざられてる。此のことが、彼のジエグォンス﹁純嘩経済塾﹂を

峻厳に紹諭したことを明かならしめて居る。蓋し、マーシャルの心裡には、該告がリカードー及びミルを其の正

常なる償借以下に取扱って居るせ思はれたからであるっ眈に明かにせる如く此の書の中で︵著者は第五馨でジエ ヴ,オンスを論じ居るなり⋮⋮謬潜誌︶、ジエグォンスは、経済箪の改革的鱒論を綴供せんと試み牽−−彼は之を前

人末梢の境地と考へたのであつたママーシヤルはその評論を結ぶに、次の如き難語の冨を以てして居る。﹁我々の

璽叫にある番は、その中より教塾を除き、樹液のみ留めしならんには良きものとなりしならん﹂と。ずつと俄に

空つで彼はこの評論について奉って居る﹁リカー.ドーは何等敷革的素養の助けを倍らすに、最も把捉し難き数攣

的推理の過経を通過して、自分の方向を進めた其の天才は、誠に彼をして我が英雄の一人たらしむるものであつ

た。されば、余のリカード一に封する年若き誠賛は、ジュグォンスの苔をよんだ時に湧き立ったのであつた﹂と。

彼は自ら熟達の士たりしが故に、他人の熟達を栴賛し冤彼はアダム・スミスに就て云つ冤﹁彼はこの書を十重

に成し途げてるが故に、後代の人々は、何等大なる附加をなさなかった。唯彼等は幾多の修正を加へ、料率的濃

(11)

系を輿へ牽にすぎぬ﹂と。 ヽt スマート円く﹁経歯車窟の申に蜂、少くともアダム・スミスまで測って知る桝の一個の了解が存在する。それは 経済蓼並に経済拳的論議では、産業界の通常用語は、其の産柴界で叫般に意味する通りに用ふべきであると云ふ 事である﹂叉鎮いて﹁幾多の鮎に於て、これは弊害となつたものであつた。﹂と。マーシャルはアダム。スミス及び ミルの偉大なる英国侍統に鹿つて居る。之−1彼が経済輿の国表的取扱の建設者ではあるが1其の国表の大多 数を附鋒一に追ひやってる甥由の十つである。﹁経臍箪の難問につき、之を激箪的推挽によつて、自己の脳裡に統制 する時、/始めて数畢を捨て、一般人に理解せられる育英で、その云はんとする朋を表現することが汲も良きこと を知を。﹂かくて我等は之豪知る、マーシャルの言葉の仝意義を把擬せんと欲するものは、何びと1雄.も、それを 再三再四反議しなければならぬ。人著し充分なる犠牲を彿ふことを欲せざる時は、彼が云はんとする桝を了解し 得ないものであることを。 マーシャルは、自著の標語として、或る合啓近富む律言を挟ぶのが常であつた。﹁経済串原珪﹂の標語は﹁自然 は飛躍せす﹂といふ。冨ふ心は、経済的進化は、その数限りなき行程に於て、漸次的且つ間断なきものであると いふに在る。﹁産業貿易諭﹂の標語は、﹁二則ち多、多則ちこといふ。蓋し彼自身その序文に云ってゐる﹁夫れ′ん\ の産業及び経臍制度の作出に、幾多の傾向が之まであらはれた⋮・・′他方に叉、大多数の重安なる傾向は何れも、 諸條件 − その傑件の下で之が作用するのである 一 によ.つて、甚だしく欒化せしめられるが故に、その徹底的 ジエ●エス●ミかぜ7ルブレッド●マークヤル ︵一七こ 六九

(12)

︵︼七二︶ 七C

弔四笹 井こ粥

研究のためには、多数の寄賓の分野に行き渡ることが必勢である﹂と。更に彼が−庶も公には用ひなかつたが、 も鵬つの標語があり、等しく彼の脳裡を離れぬものであつた。即ち、﹁人は汎ゆる串物の尺度なり﹂と。窮局に於 て経絡畢は人間研究である。ピグー教授略言ふ﹁されば、彼にとつて経済箪は、倫理塾の侍女であり、それ自餞 目的ではなく、更に高速なる目的への手段であつて、その完成によつて、人間生活を山啓良くならしめ得る手段 なのである。﹂エツヂウオースは日ふ﹁袋銀論に於けるマーシャルの成功は、主として彼が貸鉄労働者に封して抱 ける同情に因る。彼自身の比喩の山つを用ふるならば、彼の産業生満研究は﹃将棋を遊ぶ人が、その失ふ桂馬や 歩に欺息をもらさぬ様なやり方﹄ではなかつた。﹂﹁余は最琴宇五年間貸窮問題に努力した。而して之に関連なき 研究に鳩くした朋は極く極く倍少である﹂と被は︵一八九三年︶老年貧民佐相する王立委員脅の席上で、自ら誇擁 立て1るa 我々は今や、侍詳細にマーシャルが経済蓼研究方法上に労した大攣革について考察すべき時になつね。臍く声 って、我等はそれが二つあることを云払得る。第一に、彼は純理粧臍拳の領域内にて、﹁歴史蓼派﹂の敷設を正常 に理解した最初の人であつた。第二に、彼は、英音別次の異説とジュグォンス及び塊太利率況の絶とを調和する 低値理論に到達した。換言すれぼ、生産諭の研究から出畿して到達せる偵倍観念と、消費論の研究から出敬して 接待せる慣倍概念とを調和せる最一初の人であつた。 我等はマーシャルがヘーゲルを読むことによつて洗き影響をうけたことを明かにした。扮て、ヘーゲるはバリ

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オル大挙の校長が云へる如く﹁十九世紀の偉大なる歴史的研究方法の建設者で、すべての赦食草的研究は、今日

之に従ってるのであるぺ放べて此の種の研究の著しい特徴はその制度を、夫れ夫れの歴史の光明の下に認識せん

と不断の努力、即ち進化の信念に在りとせらる∼に至ったことはヘーゲルの力に侠つのである。此のm心想は順次

人間研究の仙部聞から他の部問へと應用せられ、その時代を支配したのであつた﹂

マーシャルは常に攣らす﹁畿達﹂又は﹁進化﹂の思想を利用する。彼は更に叫歩を進める。鷲沢英国経済単著は、

人間をば主として心嘩嬰的立場から眺めた。彼等は﹁経臍人﹂を論じ、之を以て、その時代に於けると同じく、あ

らゆる時代に不欒に存在するものと恨定した。マルクスは最も冷淡な粗摸さでベンザムに裁て云ふ﹁彼は近代の

店主、殊に共闘の店主をば常人と考へたのだ﹂と。﹁スミス畢沢﹂と自ら名附けた此の畢詮を攻撃した褐逸経済単著

の山大笹沢は、仙時代の政令状態の分析が、そのまゝ他の時代に常てはまるものではないことを主張した。コム

トの影響の下に、ミルは之を感得したが、眞に我等の親祭した如く彼は、十八世紀の英.図心理単による人間観と

十九世紀の進化拳詮による人間観とを調和せしむることに成功しなかった。然るに、マーシャルは、懲派共闘経

済畢者の見解に食まる1眞埋と、猫遊歴変革沢の人々の所詮が撤する眞理とを等しく公平に取扱った。彼の裡に

我等は踵刑法及び演繹法の功績が結合されて居るのを見る。扱が﹁鵬則ち参、多則ちこなるモットーを掲げたる

ことは、まL意味顛きではない。

第二に、放べての経済単の教科書の著者が自ら力説せざるを得ない如く、マーシャルは、鷲沢経臍単著の教詮

汐エ●エス●ミルクこ′かブレッド●マージャル ︵、一七三︶ 七一

(14)

弟四谷 奔こ坊

︵一.七凹︶ ▲セこ と、ジエヴオンス及び朋謂喚太利率次の人々の見解とを公平に取扱った最初の人であつた。マーシャルにとつて はジエグォンスは、サカードーの如く一方に偏して居り、リカードー以上に間柄であつた。﹁努力﹂と﹁慾望﹂とは 調和せねぼならぬとロにする るぐ英問畢派は、償砥が生産に費されたる努力に依存すると主張し、喚太利畢派は、慣値が買手によつて感ぜら れる慾望の度合に依存すると答へる。マーシャルの麓系の申で、.初めて、之等相統率する諸詮の眞埋を平等に取 扱ったのであつた。二者は展理の一両である。鋏が物を切る時、上の匁が切るのか、それとも下の双が切るのか と問ふのは鉦⋮意義である。 ケーンズ氏は、貸飽政論に封するマーシャルの偉大なる貢献を明記して居る。マーシャルが経臍輿を豊富なら しめた締着なる諸思想については、同じ杵威が明記してる朗を顧みるに如くものはない。我等は以下罫に之を指 摘するに止める・ト・・,。 1SubstitutiOコaニhe mar鼠コ︵℃rぎc首︼es︶BK−く√nP¶Xi.Par.∽︶ 2 ↓hee方ヨeコtOニiヨe Or afactOrぎecOコ○ヨ首aコa官s.︵EcOコ○ヨicsO〓udus叶﹁y、nPル<−NN001Nぃぃ︶ 3 β亡aSilReコt−aPPl訂d tO CaPita−こb.u豊︶−abOur︵ib●用0000−u︶busiコeSS︵ib、ulN−u、uuuI全−u003 レン一々アーザィ.レンー 地代と準地代とを償別することに就てエツヂウオースは冨ふ﹁この置別は憩らく、地代諭そのもの1 敬見と同じく霞要なことを許するであらう山と。

(15)

4 R甘蒜SeコtatiくeFi−ヨバEcOコ○∃icsO〓コdust卓PP・N8︸N︼心︶ 5 ︹○コSuヨerSReコt︵EcOコ○ヨicsOf︼コdust学監−N台−り︶ 6 苫。コe七︵EnOコ○ヨicsOfhdustry、N彗−り︶ 7 E︼astic茸Ofdeヨaコd︵EcOコ○ヨicOfhdustry、00e 8 Exte﹁コa−aコd︼コterhalEcOコ○ヨics︵[cO己ヨ首sb〓コd亡Stryこ8︶ ピグ1日く﹁準地代、代表的営業、外部的経洒、内部的経臍、給費者除剰、需要の伸縮性等の言葉に食まるゝ 概念を以て、彼は之まで知られて居たものとは別個のものを構成した。恰も、近代の樺銅串がステイーヴンソン のロケット︵ROCket︶と異なるが如くである。彼が卓越せる鮎は、慣借一般の分析忙あれ、貨鞄の分析にあれ、或 は国際貿易の分析にあれ、此の種の構成に存する。彼は熟練ある不撹の道具使用者なりしが故に、叉道具の製作 者として、英閉経臍蓼者中唯仙人、スミス及びリカードーの仲間入りをし、之と眉を並べて居るのである﹂と。 ︵路︶ ダエ■エス○ミルモア、ルブレッド●マーシャル ︵︼七玉︶ 七三

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第一章 ブッダの涅槃と葬儀 第二章 舎利八分伝説の検証 第三章 仏塔の原語 第四章 仏塔の起源 第五章 仏塔の構造と供養法 第六章 仏舎利塔以前の仏塔 第二部

︵漫 録㌧ 第十λ⁝櫓  麓伊九⁝號   二山ハご一

電気第一グループ 電気第二グループ 電気第三グループ 電気第四グループ 計装第一グループ 計装第二グループ 情報システムグループ ※3

②計画.

産業廃棄物の種類 建設汚泥 廃プラスチック類 排    出  

木くず 繊維くず 動植物性残さ 動物系固形不要物 動物のふん尿 動物の死体 政令13号物 建設混合廃棄物 廃蛍光ランプ類