は じ め に 本 論 は 既 発 表 の ﹃ 宋 会 要 ﹄ 道 釈 部 の 訓 注 の 続 編 で あ る 。 前 二 回 は い ず れ も 賜 号 に 関 す る 記 録 で あ っ た が 、 今 回 は ﹁ 僧 道 官 ﹂ に 関 わ る も の で 、 内 容 は 宋 代 の 僧 官 と 道 官 に 関 す る 詔 の 記 録 で あ る 。 こ の 分 野 に ほ と ん ど 知 識 を 持 た な い 私 達 か ら す れ ば 、 今 後 の 解 明 を 俟 た ね ば な ら な い 部 分 が 少 な く な い が 、 理 解 に 資 す る た め 宋 代 の 僧 官 制 度 に つ い て 知 り う る か ぎ り を 概 観 し て お き た い 。 は じ め に 参 考 に し え た 先 行 研 究 を 列 挙 す る と 、 以 下 の と お り と な る 。 高 雄 義 堅 ﹃ 宋 代 仏 教 史 の 研 究 ﹄ ︵ 百 華 苑 、 一 九 七 五 ︶ 第 二 章 ﹁ 宋 代 の 僧 官 制 度 ﹂ 本 文 中 で は 、 高 雄 ・ 前 掲 書 と 略 す 。 明 復 ﹃ 中 国 僧 官 制 度 研 究 ﹄ ︵ 台 湾 ・ 明 文 書 局 、 一 九 八 一 ︶ 本 文 中 で は 、 明 ・ 前 掲 書 と 略 す 。 謝 重 光 ・ 白 文 固 ﹃ 中 国 僧 官 制 度 史 ﹄ ︵ 青 海 人 民 出 版 社 、 一 九 九 〇 ︶ 第 六 章 ﹁ 宋 代 的 僧 官 制 度 ﹂ ︵ 連 名 で の 著 作 で あ る が 、 そ の 後 記 に は 宋 代 以 降 の 部 分 に つ い て 白 文 固 の 撰 述 で あ る と 記 さ れ て い る た め 、 本 文 中 で は 白 ・ 前 掲 書 と 略 す ︶ 游 彪 ﹁ 論 宋 代 中 央 和 地 方 僧 官 体 系 及 其 特 徴 ﹂ ︵ ﹃ 河 北 大 学 学 報 ﹄ 一 九 九 四 年 第 四 期 ︶ 本 文 中 で は 、 游 ・ 前 掲 論 文 と 略 す 。 劉 長 東 ﹃ 宋 代 仏 教 政 策 論 稿 ﹄ ︵ 四 川 出 版 集 団 巴 蜀 書 社 、 二 〇 〇 五 ︶ 第 四 章 ﹁ 宋 代 的 僧 官 制 度 ﹂ 。 本 文 中 で は 、 劉 ・ 前 掲 論 文 と 略 す 。 九 七 駒 澤 大 學 佛 學 部 論 集 第 三 十 九 號 成 二 十 年 十 月
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﹃ 宋 会 要 ﹄ 道 釈 部 訓 注 ︵ 三 ︶ ︵ 永 井 ︶ 九 八 こ れ ら の 先 行 研 究 の 成 果 に 依 拠 し つ つ 、 宋 代 の 僧 官 制 度 に つ い て み る と 、 宋 代 の 僧 官 制 度 は 大 き く 中 央 僧 官 と 地 方 僧 官 の 二 種 に 分 け ら れ る ら し い 。 中 央 僧 官 に つ い て 高 雄 ・ 前 掲 書 は 、 北 宋 代 に お け る 東 京 開 封 の 中 央 僧 官 の 職 位 に は 、 左 右 街 の 僧 録 、 副 僧 録 、 講 経 首 座 、 講 論 首 座 、 鑒 義 が 合 わ せ て 一 〇 員 が 設 置 さ れ て い た と 指 摘 し て い る ︵ 同 書 、 五 一 頁 ︶ 。 一 方 、 白 ・ 前 掲 書 は 、 左 右 街 の 僧 正 、 僧 録 、 副 僧 録 、 首 座 、 鑒 義 の 一 〇 員 及 び 名 誉 職 的 な ﹁ 都 僧 録 ﹂ が あ っ た こ と を 指 摘 し て い る ︵ 本 稿 ︹ 51 ︺ を 参 照 ︶ 。 ま た 南 宋 で は 額 外 守 闕 鑒 義 が 設 置 さ れ た 。 ︵ ︹ 54 ︺ を 参 照 ︶ こ れ ら の 僧 官 は 左 右 街 僧 録 司 に 所 属 し て い た 。 僧 録 司 は 北 宋 で は 功 徳 使 、 鴻 臚 寺 に 、 南 宋 で は 礼 部 に 隷 属 し た 。 ま た 、 西 京 洛 陽 に も 僧 録 司 が あ り 、 左 右 街 に そ れ ぞ れ 僧 録 、 首 座 、 副 首 座 が 設 置 さ れ た 。 地 方 僧 官 と し て は 、 州 に は 僧 正 司 に 僧 正 、 副 僧 正 、 僧 判 な ど が 任 命 さ れ 、 仏 教 の 盛 隆 な 一 部 の 州 に は 都 僧 正 が 設 け ら れ た 。 ま た 、 五 台 山 と 天 台 山 に も 特 別 に 僧 正 が 任 命 さ れ て い た 。 こ れ ら 僧 官 の 職 務 に つ い て は 、 高 雄 は ﹃ 慶 元 条 法 事 類 ﹄ 等 に よ っ て 次 の 六 点 を 挙 げ て い る 。 試 経 撥 度 、 受 戒 、 紫 衣 師 号 、 住 持 選 挙 と 寺 格 の 変 更 、 沙 門 の 遊 行 、 勅 額 下 付 ︵ 高 雄 ・ 前 掲 書 、 五 一 頁 ︶ で あ る 。 こ れ ら の 職 務 は 中 央 僧 官 の 場 合 も 、 地 方 僧 官 の 場 合 も 同 様 で あ っ た 。 以 上 、 宋 代 の 僧 官 制 度 に つ い て 概 略 を 述 べ た が 、 詳 細 に つ い て は 明 ら か で は な い 点 も 多 く 、 今 後 の 課 題 と し た い 。 な お そ れ ぞ れ の 解 説 に 際 し て は 、 前 掲 の 先 行 論 文 や 、 日 中 民 族 科 学 研 究 所 編 ﹃ 中 国 歴 代 職 官 辞 典 ﹄ ︵ 国 書 刊 行 会 、 一 九 八 〇 ︶ 趙 徳 義 、 汪 興 明 主 編 ﹃ 中 国 歴 代 官 称 辞 典 ﹄ ︵ 団 結 出 版 社 、 一 九 九 九 ︶ な ど を 利 用 し た が 、 そ れ ら に つ い て も 一 一 注 記 は し な か っ た 。 ︿ 大 澤 ﹀ ︹ 46 ︺ ︿ 原 文 ﹀ 景 徳 二 年 御 便 殿 、 引 対 諸 寺 院 主 。 首 詢 行 業 優 長 者 。 次 補 左 右 街 僧 官 。 先 是 道 官 、 上 令 功 徳 使 選 定 遷 補 。 所 置 或 非 其 人 、 多 致 謗 議 。 故 帝 親 閲 試 焉 。 ︿ 訓 読 ﹀ 景 徳 二 年 、 便 殿 に 御 し 諸 寺 院 の 主 を 引 対 し て 、 首は じ め に 行 業 の 優 長 な る 者 を 詢は か り 、 次 い で 左 右 街 の 僧 官 に 補 す 。 是 よ り 先 、 道 官 は 、 上 、 功 徳 使 を し て 選 定 遷 補 し 、 所 置 せ し む る に 、 或 い は 其 の 人 に 非 ざ れ ば 多 く 謗 議 を 致 す 。 故 に 帝 親 し く 閲 試 す 。
﹃ 宋 会 要 ﹄ 道 釈 部 訓 注 ︵ 三 ︶ ︵ 永 井 ︶ 九 九 ︿ 解 説 ﹀ 景 徳 二 年 ︵ 一 〇 〇 五 ︶ 、 皇 帝 ︵ 真 宗 ・ 趙 恒 ︶ は 便 殿 に 諸 寺 院 の 住 持 を 召 し い れ て 、 は じ め に 行 い の 優 れ た 者 を 協 議 し た う え で 左 右 街 の 僧 官 に 補 し た 。 こ れ よ り 以 前 、 道 官 は 、 皇 帝 が 功 徳 使 に 選 定 さ せ 、 所 置 さ せ た が 、 ま ま 適 任 で な い 人 物 が 選 抜 さ れ た た め 、 し ば し ば 問 題 が 生 じ た 。 そ の た め 帝 は 自 ら 閲 試 す る こ と に な っ た の で あ る 。 こ の こ と に つ い て は 、 ﹃ 仏 祖 統 紀 ﹄ 巻 四 四 、 景 徳 二 年 三 月 の 条 で も 、 上 は 諸 寺 の 住 持 は 是 よ り 先 き の 僧 職 は 遷 補 し 或 は 其 の 才 に 非 る こ と を 以 て 、 是 に 至 り て 召 し て 便 殿 に 見 え 、 行 業 を 閲 試 す 。 ︵ 大 正 蔵 四 九 ︱ 四 〇 二 c ︶ と し て 、 ﹃ 宋 会 要 ﹄ と 同 趣 旨 の 内 容 を 記 録 し て い る 。 な お ﹃ 宋 会 要 ﹄ の 本 項 の 記 事 や 、 次 に 掲 げ る ﹃ 続 資 治 通 鑑 長 編 ﹄ 巻 二 二 八 の 記 事 か ら 、 功 徳 使 は 開 封 府 尹 の 支 配 下 に あ り 、 僧 録 司 を 監 督 す る も の で あ っ た が 、 真 宗 の 時 代 以 降 功 徳 使 の 役 割 は 相 当 に 弱 ま っ て い っ た よ う に 見 受 け ら れ る 。 開 封 府 推 官 の 陳 忱 言 わ く 、 入 内 供 奉 官 曹 貽 孫 と 同 に 僧 衆 を 開 宝 寺 に 集 め 、 僧 志 満 、 福 聖 院 の 主 と 為 す べ き こ と を 定 奪 し 、 以 て 聞 す 。 詔 す 、 ﹁ 開 封 、 牒 を 給 し 差 せ 。 自 今 、 寺 院 に 闕 有 り て 当 に 補 を 宣 す べ き 者 は 、 補 を 宣 し 及 び 差 官 の 定 奪 を 罷 め 、 止 だ 開 封 府 を し て 僧 録 司 を 指 揮 し て 定 奪 せ し む 。 此 れ に 準 じ 牒 を 給 せ 。 ﹂ 開 封 府 尹 、 旧 と 功 徳 使 を 領 し 、 而 も 左 右 街 に 僧 録 司 有 り 。 寺 僧 の 差 補 に 至 り て は 、 合 に 府 県 の 僧 司 に 帰 す べ き も 、 而 し て 相 い 奏 稟 を 承 け て 宣 を 降 す 。 上 、 細 務 を 澄 省 せ ん と 欲 し 、 諸 此 く の 如 き 類 、 悉 く 有 司 に 帰 せ し む 。 ︵ 中 華 書 局 本 、 第 一 六 冊 、 五 五 四 四 頁 ︶ ち な み に 高 雄 も 、 ﹃ 大 宋 僧 史 略 ﹄ 巻 中 ﹁ 管 属 僧 尼 ﹂ の 条 の 今 、 大 宋 に 至 り て 、 僧 道 は 並 び に 功 徳 使 に 隷 す 。 出 家 、 乞 食 、 経 業 の 策 試 は 則 ち 功 徳 使 に 関 わ り 、 祠 部 の 出 牒 は 二 曹 に 係 わ る 。 ︵ 大 正 蔵 五 四 ︱ 二 四 六 a ︶ に よ っ て 宋 代 の 功 徳 使 は 唐 代 の そ れ に 比 べ て 地 位 も 実 力 も か な り 低 い も の で あ っ た と し て い る ︵ 高 雄 ・ 前 掲 書 、 三 七 頁 ︶ 。 ︿ 籾 山 ﹀ ︹ 47 ︺ ︿ 原 文 ﹀ 大 中 祥 符 二 年 十 一 月 詔 、 諸 州 僧 道 依 資 転 至 僧 道 正 者 、 毎 年 承 天 節 前 、 具 所 管 僧 道 及 寺 観 分 析 、 為 僧 道 正 已 来 年 月 歳 数 、 名 行 、 有 無 過 犯 、 開 坐 以 聞 。 ︿ 訓 読 ﹀ 大 中 祥 符 二 年 十 一 月 詔 す 、 諸 州 の 僧 道 の 資 に 依 り て 、 僧 道 正
﹃ 宋 会 要 ﹄ 道 釈 部 訓 注 ︵ 三 ︶ ︵ 永 井 ︶ 一 〇 〇 に 転 至 せ し 者 は 、 毎 年 の 承 天 節 の 前 に 、 所 管 の 僧 道 及 び 寺 観 の 分 析 を 具 え 、 僧 道 正 と 為 り て 已 来 の 年 月 歳 数 、 名 行 、 過 犯 の 有 無 を 開 坐 し 以 聞 す べ し 。 ︿ 解 説 ﹀ 大 中 祥 符 二 年 ︵ 一 〇 〇 九 ︶ 一 一 月 の 詔 。 諸 州 の 僧 正 又 は 道 正 に な っ た 僧 や 道 士 で 、 そ の 資 質 を 認 め ら れ て 昇 任 し よ う と す る 場 合 は 、 真 宗 の 誕 日 で あ る 承 天 節 ︵ 一 二 月 二 日 ︶ 以 前 に 、 管 理 さ れ る と こ ろ の 僧 道 官 や 寺 観 の 評 価 を 揃 え 、 僧 道 正 と な っ て か ら の 勤 続 年 月 、 世 間 の 評 判 、 犯 罪 の 有 無 を 書 き 、 上 奏 し な け れ ば な ら な か っ た 。 と こ ろ で 高 雄 ・ 前 掲 書 ︵ 五 二 頁 ︶ や 游 彪 の 成 果 に よ る と 、 僧 正 に は ﹁ 七 年 の 任 期 ﹂ が 定 め ら れ て お り 、 私 罪 を 犯 さ ず 職 務 を 全 う し た 者 に は 紫 衣 が 付 与 さ れ た と い う が 、 ﹃ 慶 元 条 法 事 類 ﹄ 巻 五 〇 の ﹁ 保 奏 僧 道 正 再 満 七 年 陳 乞 師 号 状 ﹂ に は 、 州 司 を し て 某 人 を 契 勘 せ し め 、 昨 某 年 月 日 に 於 て 管 内 僧 正 或 い は 道 正 を 幹 に 差 充 せ し む 。 某 年 月 日 に 至 り て 七 周 年 に 及 び 、 已 に 紫 衣 に 到 り 給 う こ と を 保 奏 す 。 某 年 月 日 よ り 、 某 年 月 日 に 至 る に 、 再 び 七 周 年 に 及 び 、 別 に 私 罪 無 け れ ば 、 今 來 、 條 に 依 り て 合ま 該さ に 師 号 を 陳 べ 乞 う べ し 。 ︵ 新 文 豊 本 、 四 七 七 頁 ︶ と 、 就 任 か ら 七 年 を 経 た ら 紫 衣 を 付 与 し 、 さ ら に 七 年 の 間 問 題 が な け れ ば 師 号 を 求 め る こ と が で き る と す る 。 つ ま り 七 年 と い う 期 間 は 任 期 で は な く 、 職 責 を 果 た し た 者 に 対 し 褒 賞 の 意 味 を 込 め た 紫 衣 を 与 え る た め に 設 け ら れ た 期 間 で あ る と 考 え ら れ る 。 僧 正 、 道 正 に 任 期 が 定 め ら れ て い た か ど う か と い う 点 を め ぐ っ て は 、 よ り 一 層 の 吟 味 が 必 要 だ が 、 い ず れ に せ よ 、 昇 任 が 認 め ら れ る た め に は 、 毎 年 承 天 節 前 に 僧 道 正 ら が 監 理 す る 僧 道 官 や 寺 観 に よ る 評 価 、 点 検 を 報 告 し な け れ ば な ら な か っ た の だ ろ う 。 ︿ 吉 田 ﹀ ︹ 48 ︺ ︿ 原 文 ﹀ 三 年 閏 二 月 、 命 知 制 誥 李 維 、 直 史 館 路 振 、 直 集 賢 院 祁 宿 于 中 書 、 出 経 論 題 考 試 、 左 右 街 僧 官 而 遷 序 焉 。 ︿ 訓 読 ﹀ 三 年 閏 の 二 月 に 、 知 制 誥 の 李 維 、 直 史 館 の 路 振 、 直 集 賢 院 の 祁 を し て 中 書 に 宿 ら し め 、 経 論 の 題 を 出 し て 考 試 し 、 左 右 街 の 僧 官 を し て 序 を 遷 せ し む 。 ︿ 解 説 ﹀ 本 項 は 、 大 中 祥 符 三 年 ︵ 一 〇 一 〇 ︶ の 閏 二 月 、 知 制 誥 李 維 、
﹃ 宋 会 要 ﹄ 道 釈 部 訓 注 ︵ 三 ︶ ︵ 永 井 ︶ 一 〇 一 で 、 宋 代 に 入 っ て も そ の ま ま 沿 用 さ れ 、 皇 帝 の 詔 の 起 草 を 司 っ て い る 。 こ れ は も と も と 中 書 舎 人 の 職 掌 で あ っ た が 、 後 に 他 の 役 職 に 代 行 さ れ る よ う に な り 、 ﹁ ∼ 官 知 制 誥 ﹂ と 称 す る に 至 っ た の で あ る 。 さ ら に 宋 代 で は 、 翰 林 学 士 で 知 制 誥 の 官 銜 を 持 つ も の は ﹁ 内 制 ﹂ と 称 さ れ 、 他 の 役 職 で 知 制 誥 の 官 銜 を 持 つ も の は ﹁ 外 制 ﹂ と さ れ る 。 李 維 は 、 ﹃ 新 安 志 ﹄ 卷 九 や ﹃ 四 庫 全 書 総 目 提 要 ﹄ 卷 八 四 、 史 部 四 〇 の ﹃ 邦 計 彙 編 ﹄ に あ る 項 目 説 明 な ど の 内 容 に よ れ ば 、 字 は 仲 方 、 洛 州 肥 郷 の 人 で 、 雍 熙 二 年 ︵ 九 八 五 ︶ に 進 士 と な り 、 中 書 に 入 っ て か ら 、 翰 林 学 士 、 工 部 尚 書 、 柳 州 観 察 使 な ど を 歴 任 し た と い う 。 集 賢 院 は 、 唐 代 に 始 ま る 文 学 三 館 ︵ 弘 文 館 、 史 館 、 集 賢 院 ︶ の 一 つ で 、 中 書 省 に 隷 属 し 、 文 書 、 布 告 な ど の 作 成 や 経 藉 の 校 正 な ど を 司 る 部 署 で あ る 。 宋 代 は 唐 代 の 制 度 を そ の ま ま 沿 用 し 、 そ の 長 に 、 大 学 士 ︵ 一 人 ︶ が 置 か れ 、 宰 相 を こ れ に 充 て る と い う 。 そ し て 、 そ の 下 に 学 士 、 直 学 士 、 修 撰 な ど の 役 職 が 設 置 さ れ て い る 。 路 振 は 、 字 は 子 発 、 永 州 祁 陽 の 人 で 、 唐 の 宰 相 を 務 め た 路 巌 の 四 世 の 孫 で あ る 。 ﹃ 宋 史 ﹄ 卷 四 四 一 、 列 伝 二 〇 〇 に そ の 伝 記 が あ る 。 さ ら に 史 館 は 集 賢 院 と 同 様 に 唐 代 に 始 ま る 文 学 三 館 の 一 つ に 数 え ら れ る 官 署 で あ る 。 そ こ に も 学 士 、 直 学 士 が 置 か れ て 直 史 館 路 振 、 直 集 賢 院 祁 な ど の 三 人 を 中 書 省 に 寝 泊 ま り を さ せ 、 そ こ で 左 右 街 僧 官 の 昇 進 の 順 序 を 決 め る 試 験 問 題 を 作 製 し て 試 験 を 行 わ せ た 記 録 で あ る 。 本 項 と ほ ぼ 同 じ 内 容 を 有 す る 記 述 は 、 ﹃ 続 資 治 通 鑑 長 編 ﹄ 卷 七 三 に も 見 え る 。 す な わ ち 、 そ こ に は 、 ︵ 真 宗 大 中 祥 符 三 年 ︶ 閏 の 二 月 の 壬 子 に 、 左 右 街 の 僧 官 を 遷 せ し む 。 旧 例 は 、 僧 職 の 遷 補 は 、 止た だ 開 封 に 委 せ る に 濫 り に 選 す る 者 衆 し 。 是 に 至 り て 、 知 制 誥 李 維 等 を し て 中 書 に 宿 ら し め 、 経 題 を 出 し て 考 試 せ し め て 、 後 に 序 を 遷 せ し む 。 道 官 は 尋 い で 亦 た 此 の 例 を 用 ゆ 。 ︵ 下 略 ︶ ︵ 中 華 書 局 本 、 第 六 冊 、 一 六 五 七 頁 ︶ と あ る 。 こ れ に よ れ ば 、 序 列 を 確 定 す る た め に 行 わ れ た こ の 試 験 は 、 ま ず 左 右 街 の 僧 官 を 対 象 に し た の も の で あ る が 、 評 判 が よ か っ た の か 、 そ れ か ら 二 ヶ 月 後 に 、 道 官 に も 科 せ さ れ た と い う 。 し か も 、 こ の 記 述 に よ る 限 り 、 旧 例 と し て 、 僧 職 の 遷 補 の 際 に 、 開 封 府 の 裁 量 に 委 ね て い た が 、 不 適 格 者 の 登 用 が 多 か っ た こ と か ら し て 、 制 度 自 体 が 見 直 さ れ 、 右 の よ う に 僧 道 官 の 試 験 が 行 わ れ た と い う 。 本 項 だ け で は 十 分 に 明 ら か に し え な い こ の よ う な 僧 官 試 験 が お こ な わ れ た 原 因 は 、 お そ ら く は ﹃ 長 編 ﹄ の 述 べ る よ う な も の で あ っ た ろ う と 推 測 さ れ る 。 ま た 、 知 制 誥 と い う 役 職 に つ い て は 、 唐 代 に 始 ま っ た も の
﹃ 宋 会 要 ﹄ 道 釈 部 訓 注 ︵ 三 ︶ ︵ 永 井 ︶ 一 〇 二 い た よ う で あ る 。 な お 、 初 め て 配 属 さ れ て 、 職 歴 の 浅 い も の は 、 学 士 よ り ワ ン ラ ン ク 下 の 直 学 士 に 任 命 さ れ る と い う 。 祁 は 、 字 は 坦 之 、 州 膠 水 の 人 で 、 淳 化 三 年 ︵ 九 九 二 ︶ に 進 士 と な っ て か ら 度 支 員 外 郎 や 直 集 賢 院 を 歴 任 し た 。 天 禧 年 間 ︵ 一 〇 一 七 ︱ 一 〇 二 一) 、 知 州 に な っ た が 、 在 任 中 に 母 が な く な っ た た め に 、 官 職 を 辞 し て 、 六 年 も の 間 墓 守 を 続 け て い た 。 そ の 親 孝 行 ぶ り が 天 子 の 耳 に も 入 り 、 襃 賞 さ れ た と い う 。 ﹃ 宋 史 ﹄ 巻 四 五 六 、 列 伝 二 一 五 に そ の 伝 記 が あ る 。 ︿ 程 ﹀ ︹ 49 ︺ ︿ 原 文 ﹀ 八 年 七 月 詔 、 今 後 諸 州 軍 、 監 僧 道 正 、 有 闕 委 知 州 通 判 、 於 見 管 僧 道 内 、 従 上 選 択 。 若 是 上 名 人 、 不 任 勾 当 、 即 以 次 揀 選 。 有 名 行 経 業 、 及 無 過 犯 、 為 衆 所 推 、 堪 任 勾 当 者 、 申 転 運 司 、 体 量 詣 実 。 令 本 州 軍 、 差 補 勾 当 訖 奏 。 候 及 五 周 年 、 依 先 降 指 揮 施 行 。 ︿ 訓 読 ﹀ ︵ 大 中 祥 符 ︶ 八 年 ︵ 一 〇 一 五 ︶ 七 月 に 詔 す 、 今 後 、 諸 州 の 軍 は 、 僧 道 正 を 監 し 、 闕 有 ら ば 知 州 、 通 判 に 委 ね 、 見 に 管 す る 僧 道 の 内 に 於 い て 、 上 従 り 選 択 せ よ 。 若 し 是 れ 上 の 名 人 、 勾 当 に 任 え ざ れ ば 、 即 ち 次 を 以 て 揀 選 せ よ 。 名 行 、 経 業 、 及 び 過 犯 無 く し て 衆 の 為 に 推 さ る る 所 有 り て 、 勾 当 に 堪 任 す る 者 は 、 転 運 司 に 申 し て 、 体 量 詣 実 せ し む 。 本 州 の 軍 、 差 補 勾 当 し 訖 り て 奏 す 。 五 周 年 に 及 ぶ を 候 ち て 、 先 に 依 り 指 揮 を 降 し 施 行 す 。 ︿ 解 説 ﹀ 地 方 の 僧 官 の 任 命 を 知 州 や 通 判 が 行 う こ と を 述 べ る 。 そ れ ま で 功 徳 使 の 管 轄 下 に 置 か れ て い た と 推 察 さ れ る 僧 道 正 を 各 州 軍 の 監 督 下 に 置 く も の と し 、 欠 員 が あ っ た 場 合 は 、 州 官 で あ る 知 州 や 通 判 に 命 じ て 有 徳 の 人 物 の 順 に 任 命 し 、 も し 最 初 の 候 補 者 が 任 務 に 堪 え な い よ う で あ る な ら 、 次 の 人 を 選 ん で 補 任 す る 。 名 行 ︵ 行 い ︶ が よ く 、 経 学 ︵ 学 問 ︶ が す ぐ れ 、 過 ち が な く 、 人 々 の 推 挙 が あ っ て 、 任 務 に 堪 え ら れ る 人 物 で あ っ た な ら 、 転 運 司 に 伝 え て よ く よ く 判 断 さ せ 、 任 命 が す ん だ ら 報 告 せ よ と 述 べ る 。 本 文 に ﹁ 五 周 年 に 及 ぶ を 候 ち て 、 先 に 依 り 指 揮 を 降 し 施 行 す ﹂ と あ る か ら 、 こ の 詔 は 直 ち に 発 効 さ せ ず 、 五 年 の 経 過 を ま っ て 施 行 さ せ た ら し い 。 ち な み に 地 方 僧 官 の 任 命 に つ い て は 、 高 雄 ・ 前 掲 書 に お い て 言 及 さ れ る が 、 そ れ に よ れ ば 高 雄 は ﹃ 慶 元 条 法 事 類 ﹄ 道 釈 門 の 道 釈 令 に お け る 諸 州 の 僧 道 正 の 闕 く る あ ら ば 、 副 正 も て 逓 遷 せ よ 。 如 し 無 く 、 或 い は 遷 に 応 ぜ ざ れ ば 、 即 ち 次 を 以 て 選 ぶ べ し 。
﹃ 宋 会 要 ﹄ 道 釈 部 訓 注 ︵ 三 ︶ ︵ 永 井 ︶ 一 〇 三 行 業 に 私 罪 な く 、 衆 の 推 服 す る 所 の 者 有 れ ば 充 つ べ し 。 ︿ 並 び に 本 州 の 界 内 に て 受 業 す る 者 を 謂 う ﹀ 。 七 年 、 私 罪 な け れ ば 、 本 よ り 保 奏 に 属 す ︿ 已 に 師 号 有 る 者 は 奏 せ ざ れ ﹀ 。 ︵ 巻 五 〇 、 新 文 豊 本 、 四 七 六 頁 ︶ 諸 も ろ の 僧 道 の 正 副 、 及 び 寺 観 の 主 首 に て 寺 を 主 ど り 、 差 補 に 応 ず る 者 は 本 州 に て 帖 を 給 う 。 其 の 旧 の ご と く 宣 勅 を 降 す 者 に は 尚 書 礼 部 に 申 す べ し 。 ︵ 巻 五 〇 、 新 文 豊 本 、 四 七 六 頁 ︶ の 二 つ の 例 を 掲 げ て 、 前 者 は 大 中 祥 符 八 年 の 詔 勅 と 合 致 し 、 後 者 に よ っ て ﹁ 地 方 僧 官 の 任 命 辞 令 は 、 知 州 通 判 よ り 出 す の と 、 宣 勅 に よ る も の の 二 つ の 場 合 が あ り 、 勅 遷 補 任 の 場 合 は 、 後 に 尚 書 礼 部 に 移 管 さ れ た こ と が 分 る ﹂ ︵ 高 雄 ・ 前 掲 書 、 五 〇 頁 ︶ と 述 べ て い る 。 な お ﹁ 知 州 ﹂ の 職 に つ い て 、 清 の 黄 本 驥 ﹃ 歴 代 職 官 表 ﹄ ︵ 上 海 古 籍 出 版 社 、 一 九 八 四 年 ︶ は 次 の よ う に 言 う 。 知 州 。 州 の 長 官 は 本 と 刺 史 と 為 す 。 唐 代 の 後 期 、 藩 鎮 跋 扈 す れ ば 、 州 の 刺 史 、 多 く は 武 力 集 団 を 為 り 、 自 ら 委 派 ︵ 部 下 に 権 限 を 委 ね て 派 遣 す る こ と ︶ を 行 ず る に 、 害 と 為 る こ と 甚 だ 烈 し し 。 宋 の 太 祖 、 其 の 弊 を 矯 さ ん と し て 、 首 先 は 節 度 使 の 赴 任 を 遣 わ さ ず 、 而 も 其 の 駐 在 の 州 に 於 い て 亦 た 刺 史 を 補 わ ず 、 別 に 文 臣 を 派 す に 本 官 を 帯 せ し め 、 時 に 臨 ん で 此 の 州 の 事 を 代 理 せ し む 。 故 に 称 し て 知 州 事 と 為 す 。 以 後 、 一 刺 史 の 缺 出 す る 毎 に 、 或 い は 一 地 を 収 め 復 す 毎 に 、 即 ち 暫 く 一 知 州 を 派 す 。 日 、 久 し く し て 後 、 刺 史 は 逐 漸 に 消 滅 し 、 所 有 す べ て の 各 州 は 、 皆 な 只 だ 知 州 の み 有 り 。 ︵ 同 書 、 九 四 頁 ︶ 同 書 は 右 に 続 い て ﹃ 文 献 通 考 ﹄ を 引 用 し つ つ 、 宋 代 以 後 の 知 州 の 制 に つ い て 論 ず る が 、 今 は 略 す 。 ま た 通 判 に つ い て は 次 の よ う に 言 う 。 通 判 は 本 と 同 知 と 二 字 の 意 義 は 相 い 近 し 。 但 し 同 知 に は 尚 お 副 職 の 意 有 り 。 而 し て 宋 代 の 初 め 、 通 判 を 設 く る の 時 、 職 権 は 幾 ん ど 知 州 知 府 と 異 な る こ と な く 、 名 づ け て 佐 官 と 為 す も 、 実 際 は 是 れ 共 同 に 責 を 負 い 、 甚 だ し き に 至 り て は 還 っ て 是 れ 知 州 知 府 の 監 視 者 な り 。 ︵ 同 書 、 一 三 二 頁 ︶ 右 に 続 い て ﹃ 文 献 通 考 ﹄ が 引 用 さ れ て 、 通 判 の 制 に つ い て 論 じ ら れ て い る が 、 今 は 略 す 。 ま た 転 運 司 に つ い て ﹃ 中 国 歴 代 職 官 辞 典 ﹄ は 次 の よ う に 解 説 す る 。 唐 代 、 各 道 の 財 賦 を 京 師 に 搬 入 す る た め こ の 官 を お い た 。 そ の 後 、 宋 の 太 祖 の 時 、 ま た 各 道 に 転 運 使 を お き 、 は じ め は 軍 糧 の 管 理 に 当 ら し め た が 、 後 に は 辺 境 に お け る 盗 賊 の 取 締 り か ら 刑 訟 お よ び 金 穀 等 の 管 理 に ま で 及 ん だ 。