ローター ・フィ リップス
『ファジーロジックと法律学』
〔 翻 訳〕 藤 原 正 則
(1)以下 で翻訳,紹介す るの は, ローター ・フィ リップス教授 (Prof.Dr.
LotharPhilipps)の,二つ の論考 *で あ り, いずれ も法律学 に とって は基本 的かつ 日常的な営為である,事実の法規定へのあてはめ(「包摂(Subsumtion)」 を扱 った ものである。前者のテーマは,法概念への事実の包摂,後者 は,複数 の請求原因への事実の包摂の過程であ る。二つの論考 は,いずれ も法律学徒 の 作業過程が表面 にあ らわれて くる形,つま り論証,根拠づ けの論理構造で はな く,通常 はこれが明 らかにされ ることな く論証の行間か ら断片的に読み とる他 はない結論 (判決)の発見の論理構造を明 らかに している点で意義深 い。 とり わけ翻訳者 に とって興味深か ったのは,後者で扱われている問題,一つの訴 え を認容す る際の請求原因にあた ると思われ る事実を判例が列挙す ることの意味 づけ,解 明であ った。 しば しば,判例 は様 々な事実をあげ, しか もその内の ど れ が 判 決 に と って 決 定 的 で あ った か を 示 す こ とな く
「
〜 の 事 実 に よ れ*
フィリップス教授は既に何度か来 日されているが,1994年
10月中央大学でファジー ロジックと法律学をテーマとしたセ ミナーを開かれた。本稿で紹介する論考の内(2) はセ ミナーで使用 (なお,(2)は,Institutionen und Einzelneim Zeitalter derlnformationstechnik,hrsg.von M.‑T.Tinnefeld,L Philipps,K.Weis,Mtinchen1994,S.219ff.で公刊された),(3)は使用されなかったようで ある。それ故,他の一連の論考と併せて,いずれ中央大学の津野柳一教授を中心と するグループにより本格的な翻訳,検討がなされるであろう。本翻訳は,津野教授 の御好意とフィリップス教授の承諾の下に,本誌に掲載 した。両氏にこの場を借 り て深謝 したい。なお,(3)は未発表,修正途上の論文 (フィリップス先生は,当初持 参された原稿に何箇所か手を加えられた)である点を特にお断りしておく。
〔 1 2 5 〕
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ば,原告の請求 は失当 と思われ る」 とか或いは 「〜の主張 は理 由がない。よっ て請求 は認容云 々」などと判示す ることがある。判例研究 に際 しては, このよ うな事実を分析 して,判決の射程を探 り,又,そ こか ら法規定 より下位 に位す る準則を抽 出 しよ うと試 み られ るのが通例である。場合 によっては,判決の理 由付 けが不十分であると批判 され ることもある。しか し,フィ リップス教授 は, その一つ一つを とりあげれば請求原因の充足 に不十分で も,相互 に補強 しあ っ て全体 としては請求原因を構成す る (法規への包摂が可能 とな る) とい う発見 的推論 の過程 の合理性 を, フ ァジー ロジ ックを駆使 して明快 に基礎づ けて い
る。そ こか ら又,法律学の研究者の課題 は, このよ うな包摂の過程か ら得 られ た結果を,包摂の前提 となる概念をず らす ことによ り修正 してい くことである 点 も 「論理的」 に明 らかになる。 以上 は訳者の とりあえず フィ リップス教授の 論考か ら啓発 された ことであるが, フィ リップス教授 は, こういったファジー ロジックの成果 をさ らに法解釈学,法論理学の伝統の中で も確かな位置づけを 与 えている。少 な くとも,そ う言 った意味で教授の論考 は紹介 に値す ると考え た。他 に私の知 る限 りで フィ リップス教授の業績の 日本語訳 と して,関西大学 での シンポジウムの一環 として収録 された 「不 明確 な法概念 とファジ‑論理 一 交通事故後 の待機時間(刑法142条2項)の決定のための試論 ‑(Unbestimmte RechtsbegriffeundFuzzyLogic
,
BinVersuchzurBestimmungder WartezeitmachVerkehrsunfallen)」 (関西大学法学研究所 『ノモス』No.41993年12月,通訳 ・翻訳,山中敬一関西大学教授),及 び, 「ニ ューラル ・ ネ ッ トワ‑ クの法律学へ の応用」 (法 コンNo.10,124貢,1992年),「法的推論 における類推 とニ ューラル ・ネ ッ トの応用」 (北法43巻 3号451頁,平 4)(翻 訳,藤原)があ る。以上 も併せて参照 いただければ幸 いである。
( 2)
法律家のための フ ァジー ロジック (EinbiβchenFuzzyLogikftirJu‑risten)
1.不明確 な概念
100年 前 ドイ ツの刑 法 学 者 か つ法 理 論 家 の ア ドル フ ・メル ケ ル (Adolf
ローター ・フィリップス 『ファジーロックと法律学』 127
Merkel) は,「法律学では, どの分野で も大変な数の流動的概念が使われてお り‑ 〔しか も〕 こういった諸概念の適用領域間は超えることので きない垣根で 仕切 られてお らず,各 々の概念 は隣接 した領域で も適用 され る
1 )」
と書 き記 している。 これは当時では,非常 に大胆な発言であった。 しか し,メルケルの 発言 は,単 に暗示 的な示唆にす ぎない。数十年後 の1960年代半 ばに至 って は じめて, ロフティ・A・ツァデー (Lofty・A・Zadeh)が,メルケルの頭 に 浮かんだ ことを,単 なるイメー ジと してで はな く正確 に表現す るに至 った。ツァデーはアメ リカ合衆国在住のイラン人で, ファジーロジックの創設者であ る。そ して, このファジーロジックが近年のテクノロジーに非常な成果を もた
らした 2)0
我 々に周知の軽,中,重 とい う過失の段階づけの三分類を とりあげてみよ う。
この三つの概念を次のように図示す ることは,誰で も思いっ く。 しか しこの図 で は, 〔三つの〕概念相互間ははっきりと仕切 られている (本図で は,軽過矢 の概念が充足 されている)0
他方,ファジーロジックの特徴 は,相互 に部分的にその領域が クロスす る台 形或いは三角形の図形を用いることであろ う。 こういった図が示すのは,或 る 集合の要素の他の集合の要素への完全又は皆無の帰属だけでな く,要素の一部
1)M.Grtinhut
,
Begriffsbildung und Rechtsanwendung im Strafrecht,
Ttibingen1926,S.16.から引用した。2)ファジーロジックに関する文献は近年爆発的に増大し,その鳥観は不可能である。
下記の拙稿に幾っかをあげておいたが,これに以下の文献も付加する。
B.Kosko,fuzzylogisch‑EineneueArtdesDenkens,dt.Hamburg 1993; D. MacNellund P. Freiberger
,
Fuzzy Logic‑dieunscharfe LogikerobertdieTechnik,dt.Mtinchen1994.ファジーロジックの法律学‑の応用については,L.Philipps,Unbestimmte RechtsbegriffeundFuzzy Logic,in derFestschriftftirArthurKauf‑ mann,hrsg.von Fr.Haft,W.Hassemer,U.Neumann,W.Schild, U. Schroth,Heidelberg 1993,S. 265‑280;L. Philipps,Kompen‑
satorischeVerkntipfungeninderRechtsanwendung‑einFal
lf
tirFuzzy LogLIC,in derFestschriftftirGtintherJ
ahr,hrsg.von M.Martinek, J.Schmidt,E. Wadle,Ttibingen 1993,S.169‑180;J. Heithecker, FuzzyLogicundder"Tierhalter'',inKI,1993,S.7110.を参照。128
商 学 討 究 第
45巻 第
4号
軽 中 量
図 1.過失の段階づけ
だけが, しか も隣接す る集合の一部 とな っていることもあるとい う事態であ る。本図では,ある行為が 「軽過失」の集合 に0.6,「中過失」の集合 に0.4
帰
属 していることとなろう。充
1.6.400軽 中 重
図2.過失の段階 ‑ファジー
こういったファジーな物事のイメージの し方 は,決 して特異ではない。我々 は日常生活では「この行為 は大体 は軽過失だが,中過失の要素 も幾 らかはある」
などとごく自然に口に している。
2.不明確な概念の結合関係
さて今少 し過失の問題をとりあげてみよう。 伝統的には過失は,行為者 には 違法な結果が予見可能かつ回避可能であり,又予見 し回避すべきであった, と 定義 されている。 集合論ではこの 「かつ」は,二つの集合のクロス した部分 に あたる。 つまり双方の集合の要素を含んだ集合である。過失が惹起 した違法な 結果は回避可能で しか も予見可能でなければな らない。それでは,ある要素が 複数の集合に多少 とも含まれているという事態は,ファジーロジックではどう 扱われているのか。
ローター ・フィリップス 『ファジーロックと法律学』 129
或 る行為が違法な結果を惹起す ることは容易に予見 され得 るが,回避 は非常 に困難 という場合を考えてみよう。 この行為の予見可能性の集合への帰属度 は 高いが,回避可能性の集合への帰属度 は低 い。続 いて反対のケース も考え ると, 違法な結果発生の予見は困難だが容易に回避可能だった場合である。 ここでは 問題の行為の予見可能性の集合への帰属度 は低いが,回避可能性の集合への帰 属度 は高い, とい うことになる。
ファジーロジックの基本的な考え方によると,〔複数の概念が〕「かつ」で結合 しているときは, 〔その中の〕最小値っま り最頃の帰属度 〔を示 した概念〕が 全体の値を決定す ることになる。即ち,上記の二例では,第一例では予見可能 性が ほとんどな く,第二例では結果回避可能性が ほとんどないが故に,いずれ も (全 く有責性に欠 けるという訳ではないが)軽過失の存在が認め られること となろう。 鎖の強さは,鎖の輪の最 も弱い部分の強さなのである。
以上で述べたことは,見易い道理である。 しか し,法律学で も同 じことが言 えるのか。恐 らく。恐 らくそうだが,別だとも言える。 というのは,又違 った 見方 も可能だか らである。最初の例では確かに結果回避 は困難だ ったか もしれ ない。しか しそれを補 っているのが,容易 に予見可能だ った とい う事情である。
だか ら結果回避に向けて特別な努力を傾注する契機 は存在 したのである。 後者 の例では,結果の予見は困難だったか もしれないが,回避 は容易だったのだか ら,注意深 く安全措置を構ずることは
(
「特にこのケースでは」)期待可能だった と言える。 こういった考え方 も,又納得のい くものである。以上のように考えると,結果の高い予見可能性又は高い結果回避可能性 とい う過失の二つの要素の内の一つで充分 〔過失の認定は可能〕であるようにも見 える。 しか し,それはほとんど可能 とい うことであり, もう一つの要素 もやは り存在 していな くてはな らない。結果は予見可能で も回避可能ではないときは 過失 にはな らない し,回避可能で も結果発生を予見す る契機がなければ,同様
に過失 とはな らない。
この二番 目の思考図式 も法律学 〔の世界〕では誰にもなれ親 しまれて きた。
ファジーロジックはこのような思考図式の為に,「補償のかつ」 という特別な
130
商 学 討 究 第
45巻 第
4号
結合形式を開発 した。 この 「補償 のかつ」 とい う結合関係 は,「又 は」 と 「か つ」との中間形態であ り,「又 は」 とも関係 している。つま り構成要素の一方 が非常 に強力な ら他方の弱い構成要素 〔の不足〕を補 うことがで きる。但 し, それは 〔全面的にではな く〕ある一定程度 までにす ぎないのであ り,他方の構 成要素 もやはり存在 していな くてはな らない。その意味で 「かつ」 とも補償の かっは関係す る。 もちろん,具体的な適用場面で この結合が 「かつ」に近 いの か,或いはむ しろ 「又 は」に近いのかは, とりあえず不明である。それは,具 体例を手掛か りに専門家の判断に従 って,例えば先例 となる判例によって決定 す る他 はない。 こういった作業を経 た後 は,新 しく現れたケース も範例の準則 に従 って解決を与え ることができる。
冒頭 に掲げた,高度の予見可能性 と低い回避可能性及びその反対 という単純 な組み合わせでは,過失の認定 に際 し 「かつ」を最小値 と定 めるな ら解答が得 られ るが (前述の通 り,軽過失 となる)
,
「かつ」を補償のかつであると考える と 〔す ぐには〕答 は出て こない。補償のかっでは, どの程度補償の諸条件が満 足 されているかを決定す る為 には,補償可能性の程度の確定 と,具体的ケース の正確なデータが必要 とされ る。だか ら,補償のかっの処理 は,最小値のかっ の処理 よ りず っと面倒である。この二つの結合のタイプの対立で問題 とな っているの は,〔実 は〕様 々なネー ミングで くりかえ しあ らわれている法律学の古 くか らの争 いの変型である。刑 法 〔の分野〕か らわか り易いネー ミングを探す とすれば,「全体思考対分離思 考」である。分離思考では個 々の法概念 はバ ラバ ラに判断されるか ら,その内 の一つの充足度が低 くて も, これを見す ごす ことはで きない。全体思考では一 つの概念の充足度の低 さは,他の概念が強 く充足 され ることで補われ る。(既
3)ファジーロジックでは,「かつ」と 「又は」の組み合わせが色々と考えられてきた。
しかし,その組み合わせも,或る集合への完全又は皆無の帰属度を表現する1と0 という (古典的)値を用いるだけなら,それはボーア代数の値の配分にすぎない点 では同じである。だから,ここで私が用いたのは,最小値の 「かつ」と 「補償のか つ」である。というのも,どう転んでも法律学にとってはこの二つが,基本的でし かも全 く違った可能性を提示していると,私には思えるからである。
ローター ・フィリップス 『ファジーロックと法律学』 131
に見てきた通 り)分離思考の長所 は,簡明かつ確実な判断が下せる点である。
しか し,他方全体思考はより肌 目細かな問題の取扱いと妥当性 とを約束する。
(全体思考の支持者の何人かがひきおこさずにはおかない不合理感は, もはや 存在の根拠がない。 ということをファジーロジックは明 らかに したのである)。
過失をどの方法で決定す るのが正 しいかを論ず るのは,本稿 の課題ではな い。私が示 したいのは, ファジーロジックに取 り組む こと自体が当然に法律家 の誰で もが親 しんだ課題につなが ってい くこと, しか もファジーロジックはそ の問題解決の可能性を提供 しているとい う事実なのである。法律家に とって ファジーロジックは,「自然論理学」なのである。
3.はっきりしない前提に基づ く確定的な判断
法律学では避け得ない,はっきりしない諸前提に基づいた、最終的に求め ら れている確定的な判断がどのように して下 されるのか。損害賠償額が幾 らかは 一銭一厘 まで正確 に,つまり何マルクと定め られな くてはな らない し,禁固刑 も何年何月 と定め られる必要がある。罰金刑の罰金額 も (やはり何マルクとい う具合に)同様である。一体 どのように して これが可能 となるのか。
以上の問いに答える為には,少 々説明が必要である。ファジーロジックは, 言語上の変数 と数字上の変数 とい う二種類の変数を区別す る。言語上 の変数 は,ファジーロジックが考え出 し, しか もよ く用いるものだが, もちろん数字 上の変数 もファジーロジックには必要である。
例えば,「過失の段階」 というのは言語上の変数であり,その値 は自然言語 か ら引き出される。過失の値は伝統的に 「軽」「中」「重」 とされている。
「刑量」 も同様 に言語上の変数である。その値 は,「微」「中」「重」 とで も 言えようか。
但 し,同 じ言語上の変数で も以上二つの変数の間には,重大な差異がある。
つまり 「刑量」 とい う変数 は最終的には数値につなが り, しか も,例えばその 値を 「6」と定めることのできる,「何カ月の自由刑期間」 とい う数量的変数 で表現できる。 〔他方〕「過失の段階」 という変数 は,数値 とは結びっかない。
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商 学 討 究 第 45巻 第 4 号
この違いは,「刑量」が法効果の側の概念であり,「過失の段階」は反対に要 件の側の概念であることによる。 どう両者が異なっているかを理解す るのは, 容易である。法効果の具体化である判決 は原則 として執行 に移 されねばな ら ず,その為に判決は計測可能で数値化可能な内容を持つ必要がある。判決の対 象たる法的紛争 自体にはいっ も計測,数値化不可能な要素が多い (もちろん, 幾 らかは計測可能なもの,例えば必ず計測可能な損害額などもあるが)0
さて再び,どうした らはっきりしない前提か ら確定的判断が下ろせ るのか と い う問題 に立ち戻 ろう。 通常数量化 され得ない概念で表現されている要件の側 か ら,通常は数量的特定が要求 される法効果の側への移行が,どういった手続 きによって可能 となるのか。 この移行を可能 とするものこそが,法規範の 〔要 件,効果 という〕二側面の言語上の変数 とその値である。
要件の側の「小」「中」「大」(他の言語上の変数 としては,例えば,「軽」「微」
‑「重大」「重」「高」等)に相当する三分類の値を法効果 も同様に持 っている という,単純な例を考えてみよう。 この例では,左側 (の要件)の並びを右側
(の効果)に移行 させれば,各 々に相当す る概念がそのまま充足されることに なるのはす ぐわか る。例えば文字通 りの軽過失 は文字通 り軽処罰につながる。 中過失を伴 うことがはっきりしていて も軽過失 はそれだけでは軽処罰 にとどま
るが,明確な非難が加われば中程度の刑罰につながる。
もちろん過失の様な概念 は,例えば 「予見可能性」「回避可能性」その他多 くの構成要素か ら成 り立 ってお り,又,過失以外にも法効果 にとって重要な, 例えば 「損害額」のような概念 もあるか ら,以上の手続の細部 はもっと複雑で ある。それで もこういった 〔法効果にとって重要な〕概念は総て,上述 したよ うな形で互いに結びあわされていることは間違いない。だか ら最終的にはこう いった手続を経て,多かれ少なかれ法効果の側の諸概念を充たす,つまり法効 果を表す台形に書 き加えることができる, とい う結果が導 き出される。
さて これで,数字上の変数 とその値,例えば自由刑の期間,を表す グラフィッ クができあが った4)。だが正 しいのはどの値だろうか。
ローター ・フィ リップス 『フ ァジー ロ ックと法律学』
133敬 中 重
1
640
006 12 18 24 30 36
図
3.ファジーではあるが数字で表現 されている刑量の段階4)
本文中の図 には,二点 ほど説明が必要であろうo第‑に, この図 は現実的ではない という反論が考え られ る。中程度の過失の場合,実務では法定刑量の真ん中ではな く,たいていず っと下の方の刑が課 される, とい うのがそれである。 この反論 は正 しい。 本稿では, 教育的理 由か ら正確 さは単純 さの犠牲 となっている。 但 しファジー ロジックは制御装置
(「モディファイア
‑(Modifier)」)も持ちあわせてお り,台形 や図形の形 はこれを使 って修正で きる。「 下方」制御装置を使えば,台形の上部, 結局重心を軽い刑の方向へず らす ことが可能であ り,又必要 とあればこの操作 は何 度 も練 りかえす ことがで きる。 ミュンヘ ンの我 々の小 「ファジー ・グループ」の研 究会では, この 「 非対称的」制御装置 は大 きな役割を果た している。
ツァデー と彼の学派が研究 していたのは,図形の幅を狭めた り広げた りして,隣接 領域か ら部分的に撤退又 は侵入す る,対称的制御装置だけだったようである。対称 的制御装置が意味す るのは,或 る概念の意味内容の明確化 と不明確化
(「 集中」 と
「 拡散
」)である。法律学の構成要件 にあてはめると,欠鉄の拡大又 は,反対 にあ る規定のその本来の適用範囲以外への適用にあたろう。
集中の制御装置は, 自然言語では 「 典型的な」 とか 「 特徴的な」 という言葉で表現 で きよ うし,拡散 の制御装置 は 「 多少 とも
」「なん とな く」など と表現で きる。ツァデーは,集中を好んで 「 非常 に
(very)」 とい う言葉で表現 した。 しか し, こ れは良い言葉ではない。「 非常 に」は文脈 に存在す る傾 向の強い非対称的制御装置 だか らである。例えば,「 非常 に小 さい」は下方傾向を,「 非常に大 きい」は上方傾 向を提示す る。 しか し
,「非常 に中位の大 きさの」は何 も示す ことはで きず,方向 性 は明 らかではない。制御装置の詳細 は本稿 に続 く
Kohler/Laeverenzの論文で 論 じられている。
第二 に,注意深い読者 は, このグラフィックでは図形の重心が極端な刑の上下, も ちろん法定刑量枠の限界 にくることは決 してない点を見逃 さないだろう。但 し,≡
つの過失 の段階の物差 しの一方 に 「 無過失」,他方 に 「 故意」を加えていないのだ
か ら, この結果 は当然である。 この図では,最軽過失は無過失に,最重過失 は故意
につなが るものとされている。同 じことは刑量にもあてはまる。最低の刑量の判決
が下 さるべ きは (この例では,刑法230 条の過失傷害を考え られよ),無罪す ら真剣
に問題 とすべ き場合であ り,最大の刑量がふ さわ しいのは,裁判官は本当にあけす
けに口にす るのだが,犯行の無価値性を処罰するには法定刑量では充分でない場合
なのである。
134
商 学 討 究 第
45巻 第
4号
今一度, 日常言語か らヒン トを もらうことに しよう。「この行為 は中過失の 要素 も幾 らかあるが,垂心は軽過失にある」 という例か らこの話 は始まった。
この表現は, とりあえず比喰的である。 しか し,重なりあった概念 という比境 を文字通 りに受けとめることを,ファジーロジックは教えて くれた。同 じこと は,垂心の比境にもあてはまる。
平面の重心を見つけるのは,積分法の役 目である。 しか し,眼に見える形で この問題を解 くこともできる。まず,台形の一杯になった部分を厚紙に写 し, これを切 り抜 く。 しかる後に図形が重心を保っ点が見つか るまで,指先で厚紙 のバランスをとる。そこが,文字通 り 「バランスの とれた」解決である。
以上が,「ファジー化」 と 「非 ファジー化」〔のプロセス〕である。ファジー 化 と非 ファジー化 とい うのは元々制御工学上の概念だが,法の適用 〔過程〕に も応用可能である。「ファジー化」 とい うのは,はっきりしない概念で表現 さ れた法規程の何 々の ときはという構成要素 〔要件〕に事実関係をあてはめるこ とである。そ して,そ こか ら導かれたその ときは云々とい う構成要素の不明確 さを一義的な判決へ と凝縮 させるのが,「非 ファジー化」である。
以上の過程を実際に進めるには, コンピューター処理が必要であろう。 構成 要件要素の結合で も,法効果の平面の重心の決定で も同様である。 さらにコン
ピューターは,法概念を表す台形 (或いは,三角形) とその図形の充足度 とを 画面に表示 し,図形の重心を明 らかに して くれる。その結果,事案及びその解 決に自分が抱いたイメージとグラフィックを比較 し, もし両方が一致 しないと
きは, 自分の直感或いは自分が コンピューターに与えた値のいずれかを修正す るとい う作業 も可能 となるのである。
(3) はっき りしない包摂 の理論 ‑ファジーロジックか ら見 た包摂 の動揺 ‑ (Eine Theorie der unscharfen Subsumtion‑Die Subsumtions schwelleim LichtederFuzzyl」ogic)
1.1 法律事件 はしば しば,ある法規の構成要件に「かろうじて」或いは 「よう や く」又は 「危 うく」あてはまるという,限界事例である。 この ことは,古 く
ローター ・フィ リップス 『ファジー ロ ックと法律学』
135か らよく知 られている。 しか し,多数の限界事例が同時に発生 した場合の包摂 如何 というのは,新 しい問題である。 ようや く極 く最近 ファジーロジックが, こういった問題をとりあげて論 じている。以下の検討は, このファジーロジッ クの成果を法律学に持ち込 もうという試みである1。
最近数カ月,私は,何人かの同僚の大学教授及び実務家 と思考実験を してみ た。そこで私は,次の様な場面を想定 して下 さい,と話を切 り出 した。裁判官 が判決を下すべき事案があり,その事案には或る法効果を与えることも可能だ が,法効果は二様の視点か ら根拠づけられる。例えば,AはBに損害を与えた が,Bの 「一般人格権」の侵害が問題 とな り, しか も同時にBの 「登録 され稼 働中の営業権」の侵害にあたる事実 も多い, といったケースである。
このよ うに同時に営業権 と人格権 とい う二つの権利が侵害され るとい うの は,良 くある例である。例えば,新聞とその編集者,堕胎病院とその経営者へ の手 きび しい攻撃,ある経営者の企業が北アフリカに武器工場を建築 している
というデマを考え られよ。
1.BartXosko :fuzzylogisch‑EineneueArtdesDenkens,dt.Mtinchen 1993
は, ファジーロジックの技術で はな くその背景 となる思考図式への入門書で ある。読者が コスコ‑の同書での極端に個性的な考え方に強 くひかれ るか,或いは 反感を覚えるかばわか らないが,いずれにせよ一読 には値す る。他の文献は,以下 の拙稿 に掲げてある。
フ ァジーロジックの法適用への応用 について は
,L.Philipps,
,Unbestimmte Rechtsbegriffeund Fuzzy LoglC
,in derFestschriftftirArthurKauf‑ mann,hrsg.von280;L.Philipps,KompensatorischeVer
kntipfungen inderRechtsanwendung‑ein Fallf
iirFuzzy LoglC
,in derFestschrift riir GtintherJahr,hrsg.Yon M. Martinek,J.Schmidt,E.Wadl
e,
Ttibingen1993,S.169‑180;J.Heithecker,FuzzyLoglCundder"Tier‑halter'
'
,inXI,1993,S.7∴10;L.Philipps,Einbiβchen FuzzyLogicf
tirJuristen,in:institutionenundEinzelneim Zeitalterderlnforma‑tionstechnik
,
hrsg. Yon M.‑T. Tinnefeld,
L. Philipps,
K. Weis,
Mtinchen 1994,
S. 219ff.;
KI. K6hler und J. Laeverenz,
Moderne TechnologlenunddasHaftungsrisikodesArbeitnehmers.Ein Fuzzy‑Logic‑Expertensystem zurErmittlungdesHaftungsanteils.In:Insti‑ tutionen undEinzelneim Zeitalterderlnformationstechnik (S.0.)
,
S.225‑ⅩⅩⅩ.
を参照。
136
商 学 討 究 第
45巻 第
4号
以上の例が限界事例だとしよう。一般人格権 〔の侵害〕だけが とりあげ られ れば,裁判官 は若干の蹟樽の後訴えを退けるし,又登録 され稼働中の営業権だ けの ときも同様だというケースを恩いうかべて欲 しい。但 し, ここでは,二つ の権利侵害が同時に問題 となっている。裁判官はどう判決するだろうか。或い はどういう判決を下す るのが正 しいのだろうか。
私の疑問に対する答えは,細部はともか くある点でははっきりした一致をみ
た 。
( 1)
裁判官 は,多分請求を認容す る, と答えた。( 2)
但 し,裁判官が言 うには,大体は要件が充足 される二つの判決理由が請 求認容の動機である点 は,判決 には書 きこまない。判決では,例えば一般 人格権の侵害の要件にあてはまるとされ,加えて補強的に登録 され稼働中 の営業権への侵害 もほとんど成立 していたろうと示唆するという形の 「表 現が与え ら」れ る。解答 は, この二つの核心をめ ぐってゆれ動 くのが普通であった。実務家がた いてい強調す るのは,たとえ正確な根拠づけができな くて も,判決 は正当だと いう点である (そう言いなが ら,実務家は意味深な微笑を うかべ る)。 反対に 研究者の主張の力点 は,研究者をあてにしなければな らないような ら,その判 決は不適切であるという点にあった (但 し,判決が正義に反 しているというい
きどお りは,耳にしなかった)0
しか も,裁判官を兼任 している大学教授の同僚の一人 は,率直に自分 は請求 を認容す るだろうと話 して くれた。彼が言 うには, この態度 は 「論理的」では ないが,妥当なのである。法 は時として論理か ら解放 され るべきである, とい うのが彼の意見である (もちろん,彼はこのことを判決に書 き込む ことはない であろ う)。
1.2 〔しか し〕法律家が,他の法律家が 「正確ではない」判決を下す と期 待 し, しか もその法律家の多 くが自分で も 「正確ではない」判決に与す ると普
白 しているというのは,不気味な現象である。
但 し, この正確ではないという感 じが理論的な疑念に基づいているとす るな
ローター ・フィリップス 『ファジーロックと法律学』 137
ら,恐 らくこの感情を取 り除 くことは可能である。実際私が不完全な請求原因 とい う思考実験を始 めたのは,論理学 と集合論の ことを考えていたか らであ る。
伝統的な集合論によると,あ る要素 はある集合に帰属 しているか否かであ り,第三の可能性はない。ある行為 は,一般人格権の侵害 にあたるか否か,で ある。 しか し四半世紀前か らファジーロジックが現われ,二,三年前か らは論 理学の非専門家の間で もファジーロジックが とりあげ られて激 しく論議 されて いる。
ファジーロジックでは,ある要素はある集合に多少の程度で帰属することが 可能である。時として完全又は皆無の帰属 もあるが,それは極例 ということに なる。だか らファジーロジックでは,ある事実がある概念に「ほんの少 しだけ」
或いは 「完全ではないにせよ,大部分」あてはまる, とい う見方をすることも 許 される。
法律家にとっては,以上の理を追体験す るのは難 しいことではない。法律家 は誰で も, 日常的な仕事や文献を通 じて,「こうも言える し,ああ も言え る」
とい う物事があるのを知 っている。 こういった物事 は,いわば 「半ばは」ある 法規の構成要件に包摂できるにす ぎない。
1.3 冒頭の例をファジーロジックで考えてみよ う。 損害賠償請求が認容 さ れるのは,一般人格権又は登録 され稼働中の営業権のいずれか,又は双方が侵 害 された場合である。つまり,請求原因間の関係 は,又 は,である。 この請求 原因の各々が,「クリスプ (crisp)」つま り完全又 は皆無の充足, とい う風 に ではな く,「ファジー (fuzzy)」一定程度 までは充足 されている, とい う見方 をす ると,又は 〔という関係〕はどのような意味を持っのか。
ファジーロジックで,又はという関係を表現す るのに,様 々な可能性がある。 但 し,それ等は,伝統的な集合の結合の拡大 された形態である点では一致 して いる。つまり,完全又は皆無に充足 された集合 という限界事例 (古典的な集合 論で も限界事例)だけを見れば,そ こでの結合の値の分配 は,ボーア代数の値 の分配 と変わ らないのである。
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さて,以上の拡大形態の内重要なのは,最大値の又はと,数量の又はである。
( 1)
最大値の又はでは,全体の集合への帰属度を決定す るのは,個 々の集合 への或 る要素の帰属度 の内の最大の ものである。以上の理 は, フルイを 使 った作業をイメージするとわか り易い。一山の砂をフルイ分 けるとしよ う。 フルイは数種類用意 されてお り,その内のいずれかのフルイを使 うこ とができる。フルイにかけて得 られる砂利の量は,当然のことなが ら最 も 目の大 きいフルイによって決定され,他のフルイをもう一度使 って もこの 最大値を超えることは不可能である2。( 2)
第二の考え方では,又はを決定す るのは,個々の集合‑の帰属度の総計 である。その定式 は,Ⅹ+Y‑ⅩYという確率計算による。 この思考過程 は, コイ ン投げを例にとるとよ くわか る。二枚のコイ ンを投 げて,(いず れかのコイ ンの) コイ ンの 「裏 〔図案のついた側〕」を出そ うとしてみよ う。 各々のコイ ンでチャンスは2分の1であり,二枚併せ るとチャンスは 4分の 3となる。起 こり得 る可能性を リス トにす ると, この理 は一 目瞭然 である。慕,真
義,義 (数) 義,裏
表,表 1/4
後者の見方だ と,又 はは帰属性を強化するが,前者ではそ うではない。
1.4 どち らの見方が,法適用に際 しては妥 当なのか。私見では, この問題 に一般的に答え ることはで きない と考え る。いずれの立場 も各 々の意義があ り,そのどち らを とるかは,法秩序の精神,時代精神,そ して もちろん問題の 性格にもよる。
この二つの見方の違いは,微妙 としか言えない視角のずれ ももた らすが,何 といって も大 きな役割を演ず るのは,法実証主義 と自然法(最近の言 い方では,
2.
フルイの比職は, 既 にファジーロジックの「 創設時」か ら使われている :
A.Zadeh,
FuzzySets,in:InformationandControl
, 8 (1965),338‑353.ローター ・フィリップス 『ファジーロックと法律学』 139
価値 に基づ いた法の見方) とい う法哲学上 の争 いにおいてである。
法実証主義の立場では,法秩序が (間違いな く充分 な理 由があ って)それを 認 めているが故 に,一定の要件の下で損害賠償請求が可能 となる。
つ まり,請求権 とは法秩序が認 めた行為の可能性 (文字通 りには 「訴権 (ア クチオ)」)である。不十分 な行為 の可能性の他 に,今一つそれ 自体や はり不十 分 な行為可能性が加 わ って も,その二つが併 さったか らといって決 して行為の 可能性が拡大 され る訳で はない。 この理 は, 目の大 きさの違 う二つの フルイを 持 ってい る場合 と全 く変わ りはない。
価値関係 的な見方で は,損害賠償の請求 は可能である。他人 に損害が加え ら れていることは間違 いない し,かついずれにせよ一定の要件の下では (注秩序 は形式 として もこれを承認 していただろ うし)損害の回復 は妥 当 とされ るか ら である。
そ こで問題の焦点 は,請求原因 に有 るとい うことになる。請求原因は,請求 権 を基礎づ ける不可欠の論拠だ と言えよ う。 同 じ方向性 を持 った論拠 紘,相互 にお互 いを強化す ることが可能であろ う。 弁護士や裁判官 は,それ一つを とり あげると不十分 な もので も,決 して請求権を支持す る論拠を示すのをあ きらめ た りは しない。そ うしておけば,全体 と して論証 は強化 され るか らである。 こ の事態は,複数の コイ ンやサイコロを投 げる場合 と変わ りない。
1.5 さて, このモデルを 冒頭のケースにあて はめてみよ う。 包摂 の限界が 帰属度値0.5か ら始 まるとして,ある事態が包摂の限界 よ り大分下 にあるな ら,
その帰属度値を0.4とで も測定 で きよ う. 仮 に このケースで同一方 向の請求原 因が二つあれば, そのケースの包摂可能性 を示す,数量で表現 された,「満足 させ られ た」帰属度 の値 は0.64とな り, これ はほ とん ど3分 の 2の帰属度 を 示す ことになる。
又,た とえ二番 目の請求原因が0.2で帰属度が ほ とん ど充 たされていな くて も,二つの請求原 因を併 せれ ば0.52で,わずかなが ら包摂 の限界 を超 え る。
さ らに請求原因が各 々0.3で比較的充足度が低 くて も同様である(計,0.51)0 さて,法律家 に請求権の充足度 を数字で示すよ う求め るのは, とりあえず不
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可能である。伝統的に法律家 はこういった作業に従事 して こなか った。しか し, 法律家にとって も妥当な解決発見の手段 という発見的見地か らは,数式を使 う のが有益な場合 もあろう。 その際,事態がはっきりしないときは,正確 に帰属 度を記録せず一定の幅を持たせてお くのが実際的なや り方であろ う。 例えば
「帰属度の値が0.2と余 りに弱 い場合,つま り 『とて も帰属 していると言えな い』 ときは,間違 いな く包摂 は不可能であろ う。 しか し,0.3か らは帰属度 は 総計0.5を超える。それ故‑」 といった具合に。
幾っかの例,例えば冒頭で示 したケースでは,結論に至 る為に帰属度を数字 で示す必要 はない。つまり,二つの請求原因の内少な くともその一つに事案を 包摂すべきかどうか迷 う位に,その事案が競合す る二つの要件の包摂の境界線 上にあるのな ら,二つの要件の合計 した包摂可能性 はほとんど 1に近いと考え てよい。 こういった事態で以前迷 ったことのある人 も, これか らは自信を持 っ てよい。合計すれば請求の基礎 はあり,訴えを認容するべ きなのである3。
ついでに言 ってお くと,私の関心のあるのは,ある特定の問題 に直面 した法 律家が実際に示す行動を解明 し正当化するモデルを作ることである。そ うすれ ば,法律家は良心の吋責を覚えなが らそれで も隠れてず っと以前か らや ってき たことを,やま しさを覚えず公然 とやってのけられるようになるだろう。
1.6 つまり,法律家,少な くとも実務家 は相克の下 にある。判決発見過程 では, こっそりと,法律家は請求権 とい うアイデアを必要 とされる論証の強化 の為 に利用 している。 ところが表面,つまり判決の理由づげでは,請求権 は請 求の限界ずけのモデルであると説明され るのである。
その理由は,簡単である。まず,訴えを退けようとす る場合,行為の可能性
3.
このモデルが どこで も適用可能か,ある事案類型でだけか,はた又反対 に一定の場
合 にだけ適用をひかえ るべ きか は,未解決 の問題である。同僚の民法学者 は, この
モデルの解法 は請求権同志が 「 類似 して」 いるとき, しか もその場合 にだけふ さわ
しい, とい う考えに傾いてい る。本件の一般人格権 と登録 され稼働中の営業権の例
が まさにそれである。少 な くともこの理 は現在生成中の ヨーロッパ共通私法の背景
の下では同様であろう. とい うの も隣接国,例えばフラ ンス法 は,不法行為の一般
条項を持 っているか らである。
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141の限界 というモデルによれば,その根拠づけが容易である。まず該当 しそ うな 請求原因は十分ではな く,次に問題 となる請求原因の充足にも程遠 い, とだけ 言 っておけばよいのだか ら。何等かの数量的処理はその際不要である (もちろ ん請求原因が充分 とはいえな くて も訴えを認容 したいときは,少々イカサマを や らな くてはな らない)。
加えて,「訴権 (アクチオ)」という思想 は数百年間我々の法律学に枠をはめ てきてお り,今 日もその余韻 は我々の中に残 っている。今 日の我々よりず っと 訴権の思想が身近であった前世紀の変わ り目の法律家が,単 に理論的にではな く感情的にも最大値モデルの例 に立 っていたかをどうかを問題 とす るのは,余 計な疑問である。 この問い‑の答えが与え られることはあ り得ないであろう。 但 し,我々 〔大陸法系〕より法秩序がず っと強力に訴訟上の 〔請求の〕主張可 能性 という視点 に撃肘 されている英米法系の法律家 はどう考え るか,又反対 に,請求権 という思考図式 とはむ しろかけ離れているアジア諸国の法律家はど
うであろかを考えてみるのは,意味のないことではないか もしれない。
最後に,裁判官に課せ られた判決の強制 も,彼の思考図式を請求権による包 摂の強制へ とひっぼっているか もしれない。法的紛争 に直面す る裁判官は,必 ず例えば損害賠償の訴えを認容す るという形で,一定の法効果を与えなければ な らない。法効果の前提たる個 々の構成要件要素が充足されていると明言す る 以外に,裁判官には, どういう対応が考え得 るのだろう。 但 し, この推論は, 実は誤 りなのだ。
2.1 個 々の請求原因が各々充分に充足 されていない場合の包摂如何 とい う 問いかけ‑の答えにあまりに興奮 して しまって,私 は,冒頭の質問に関 しては 補充的だが,ず っと以前か ら私が とり組んでいた問題を,質問するのを忘れて
しまった。
冒頭で提起 したのは,構成要件 と構成要件が又はで結びっいている場合の問 題である。 しか し,各々の構成要件を構成す る諸要素 は,明示又は黙示的に, かっで結びっいている。それでは,個 々の構成要件要素‑の包摂が完全 とは言 えず限界領域にある場合, このかっ という結合関係 はどういった意味を持 って
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いるのだろうか。
この試問を定式化 してみると,次の様になる。裁判官が或 る法的紛争に直面 し, これをある法規の要件 に包摂可能か どうかを検討 したとす る。 〔法規の〕
二,三の構成要件要素に該当す る事実 は,それだけを とりあげれば,「きわど いところでなお」構成要件要素に包摂可能 と思われ る。総て限界線上にある多 数の包摂が同時に問題 となっているという事情 は,裁判官に法規の適用を うな がすのだろうか, しか もそれで良いのであろうか。
最初の思考実験の結果か ら考えると,私が話 し合 った多 くの人はこの事情が
〔法適用の〕判断に事実上影響を与えると答え, しか も彼等 はその凡帳面な性 格故に,法規を適用 しないと答えるであろう。
複数の構成要件要素が同時に,ある法規の構成要件に包摂 されるか否かが疑 わ しいと考え られれば (た とえ, きわど く包摂可能で も),裁判官 は法適用を ため らうに違いない, とい う答えが彼等か ら返 って きたであろう。 さらに恐 ら
く実務家はこれに加えて, この蹟糟 は根底においては正当であるが, しか し, この事情は判決に書かない ことが望ましい, と指摘するであろう。
それにもかかわ らず彼等 は, この席捲 は 「論理的には正 し」 くないとい うの である。 たとえ しぶ しぶ とで も或る構成要件要素への包摂を決定 した後では, 次の構成要件要素の判断にあたっては全 く自由に決断できる。さらに各々の構 成要件要素への包摂がやはり可能な ら,構成要件全部への包摂 も同様に可能 と
なる, と言 うのが彼等の見解である。
2.2 かつ とい う結合関係の理解の為にも, ファジーロジックは,先程の又 はと同様,それにふ さわ しいモデルを用意 している。 違 っているのは,そ こで は最大値の代わ りに最小値が,総計の代わ りに積が登場す る点である。
最小値の法則 も,同 じくフルイの例を使 って説明できる。一山の砂利を,ま ず一つの続いて今一つのフルイを使 って選 り分けるとする。さて今度 は,より 細かい目を持つフルイが流れ落ちる砂利の量を決定す ることは明 らかであ り, 他のフルイの目が これより大 きかろうと同 じ位の大 きさだろうと,事態 は変わ
らない。
ローター ・フィ リップス 『ファジー ロ ックと法律学』
143積のかっについては,やはりコイ ン投げを思い浮かべ られよ。二枚のコイン を投げて裏を出そうとすれば,各々のコイ ンでチャンスは2分の 1,双方併せ ると
y 2×
y2で4分の 1に しかな らない。2.3 やはりここで も,「確率論の」モデルに到達 した。総計 しての構成要件
‑の包摂可能性 は,個 々の構成要件要素の包摂の確率をバ ラバラにとりあげた ときよりず っと低い。 しか もこの結果が,法則に適 っている点 も注意 しておき たい (心理的なため らいは, この法則の反映にす ぎないのである)0
鎖 はその鎖の中の一番弱い環 と同 じ強さであるという有名な諺 は,構成要件 の構成要素の環にはあてはま らないのである。一番弱い構成要件要素 と同 じ位 弱い構成要件要素が もう一つあれば,鎖全体 はその一つ一つよりもっと弱 くな る。該当す る構成要件要素に各々の事実がかろうじて包摂でさて も,その事案 全体 は決 して法規程 に包摂で きないという場合 も存在する4。
私の刑法演習では,私は,他の先生があまり与えない助言を学生 に与えるこ とに している。
「皆 さんがある事案を法規の構成要件に包摂 しようとす ると,当該法規の構 成要件要素に包摂す るのが難 しい事実が一つや二つあるという事態に出会 うこ
とがよ くありますね。 こういった事実は,ある点では包摂可能だ し,他の点で はそ うではない(皆 さんは,その一つ一つを とりあげて検討す る必要がある)。 さて仮に皆さんがその事実を構成要件要素に包摂す ることに決め,その作業を くりかえ したが,又 もやある事実が該当す る構成要件要素にあてはまるかどう か相当疑わ しいとい う場面にで くわ したとす る。そのときは, この構成要件か
ら手を引いて しまいなさい。その事案‑の法規の適用をやめて しまうのです。
もちろん本当に例外的なケースでは,二番 目の‑一 ドルを飛びこえてよいとき もあるが,それで も三番 目の‑一 ドルが出て きた ら,その ときこそは引き返 し て しまいなさい。
4.