盈ペリフェリア・文化学研究所特別講演(二〇〇八年八月九日・札幌大学六一〇二教室にて)
巽 語 と の 出 会 い ‑ ︽グロー
バリゼー
ション︾'可能性の過剰、無力さの過剰、ポエジー
ク ロ ー ド 。 ム シ ャ ー ル
(詩人・パリ
第八大 学 名
誉教授) C l au
de M ouchard
通訳・翻訳高橋純(小樽商科大学)
私は韓国から参‑ました、そしてまた韓国へ戻‑ます。今回の韓国滞在は八週間にわたるもので、韓国の詩、あ
るいは韓国の詩人との出会いを目的としていますoこの間ソウルで、あるいは韓国を旅して'黄芝雨(Hwang不lli・U)'遭鼎権(Ch
o
Chong・Kwan)、会意順(KimHye・soon)といった詩人たちと数多‑の長い会話を交わすこと*り一ができました。そし
て今日ここには韓国の詩人高銀(KoUn)から書増剛道への挨拶を託されてきました。私は(残念ながら自分で読むことはできないのですが)彼ら二人の会話から生まれた本を見たことがあるのです。
異語との出会い‑︽グロ
ー
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私は韓国語は話せません!しかし、街中や地下鉄やバスの中で人が話すのを聞いてその抑揚やリズムに馴染ん
でいます。私はいわば部外者として外側から韓国の詩に関わっていますが、時にはご‑近‑に接することもあるの
です。私は韓国の詩を、日本の詩と同じように、翻訳で読みます。また、友人とともに訳しながら読むこともあり
ます。そんなときには一種特別な受け入れ態勢が整うのです⁝。そこには、人生の様々な出来事や衝撃に混じりこ
んだ自由な感覚が生まれるのです。
翻訳で読むということは仕方のないことですが、しかしまた現在のこの時代にあっては必要不可欠なことでさえ
あるのです。翻訳を読む読者がいなかったら、そもそも翻訳など何の役にも立ちません。
翻訳すること'翻訳で読むことは、本物の詩人にとっては非常に重要な意味を持つことでした。ジエラール・ド・
ネルヴァルが、あるいはバウル・ツエランがなした翻訳の仕事を考えてもいいでしょう。詩人は時間と空間を越え*3て読むということをやめはしないのです。マンデリシユタ
ー ム が
すぼらしい﹃ダンテ論﹄を書いたとき、彼は初めイタリア語を知‑ませんでしたが、それを勉強しながら﹃神曲﹄を読み込んで書き上げたのです‑。また、書増剛
道のことを思うならば、彼がヨーロッパを旅しているとき(また私の家の庭の水撒きホースをじっと見つめている
とき)、そこには日本語になったプルーストが分身のように寄り添っているのです。
ですから、例えば韓国の詩や日本の詩(これはわずかしかフランス語になっていません)の翻訳を進めると同時
に、翻訳を通じて読むことも進める必要があるのです。かつてヨーロッパにおける聖書の場合がそうでした、様々
の土着の言語でも読めるようになっていった結果、それぞれの多様な文学が生まれたのですから。
今日の詩のあるものは、異なる言語の間での翻訳の空間で'あるいは互いに相手の声を間‑ことを通して書かれ虫4ています。詩は眠り込むことなく、聞き耳をそばだてるのです。ジョン・アシェベリーがエリザベス・ビショップ
について言ったように、詩は、夜の間に押し当てられた耳に等しいものなのです。詩は、言葉を語ることとそれを
聞き取る営みの中で形作られるのであり'そこにおいては言語の多様性が画1化に抗い、言葉がもはや互いに相手
について無知であることはな‑、世界の︽間
(en
tre)︾の中で互いに触れ合い、応答しあうのです。書増剛道の詩は日本の内側の時空のみならず外の時空に生きています。彼の詩は空間の隔たりを横切‑ます、隔
たりをな‑すのではな‑貫通するのです。その詩自体が、新たな親しみを帯びて'突き抜けてきた世界を反映し、
聞き取ったものを映し出しています。その詩句がい‑層にも積み上げられて'あるときはそれをめくるように'あ
るときは折‑重なるようにして'︽光の葉︾となって増殖してゆ‑のです。それらの詩句は、通‑すが‑に聞いた声、
様々な世界を通過したときに耳にし、口にし、目にした言葉の痕跡からなっていることもあります。私が吉増刷道
を読むのは、︽間︾の詩人としてなのです。彼は'私たちの生きている現在のざわめきのなかにひそむ、多様で腸
着することのない︽間︾というものの新しい感覚を教えられるのです。
ここで、若い作家の小野正嗣から示唆を受けたことを指摘しておきましょう。吉増刷造の詩には'ヨーロッパの
読者を戸惑わせると同時に引きつけもする、目に見える要素と読むことのできる要素が混在しているのですが、そ
こには時として韓国語あるいは韓国のエクリチュールの影響を聞き取る、あるいは見て取ることができる、という
ことなのです。
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世界を取‑巻‑こうした︽間︾の中で新しい詩が書かれ訳されるわけですが'この︽間︾の流動性を、新しいコ
ミュニケーション手段が増大させているのは事実です。しかしまたその反面で、こうした手段そのものが詩の読者
聴衆の喪失に拍車をかけているのも事実でしょう。こうした手段は言葉の無秩序な氾濫を引き起こし、その結果、
自らにふさわしい妥当適切なあ‑方を求める言語創造を埋没させてしまうか'聞き取れないようにしてしまいかね
ないのです。
韓国では、それな‑の読者を獲得できる詩の本はまだあるのだと聞きました。詩人の黄芝雨と旅行中に、私はフ
ランスではお目にかかれないような出来事に二㌧三度出会いました。韓国南西部のある寺院に程近い'郡びた美し
い離宮に黄芝雨を含む私たち一行が到着しました。そこの守衛がひと‑床に新聞を広げて読んでいました。そして
突然彼は'そこに現れたのが詩人黄芝雨であるとわかると、両手を差し出しながら、感極まって大きな声を上げた
のです。確かにその守衛は年配の人でした。先ほどちょっと触れた詩人の高銀は、今日では詩を聞いてもらおう、
多‑の人に聞いてもらおうと期待することはできないと話していました。彼は、いろんなところに詩に耳を傾ける
少数者の集団を作らねばならないというのです。いたるところに詩の︽ゲットー︾を作ろうというのです。︽ゲットー︾
という言葉は私にはショックでしたが、それは、ナチスによる極限的な暴力的状況を思い出させるからでした。し
かし同時に私は、ナチスが力でもってユダヤ人を迫害し閉じ込めたゲッ‑1の中でこそ詩的創造の高揚が起こった
ことも思い浮かべたのです。私はそのようにして生まれた詩のい‑つかにこだわ‑、私の著書﹃いかに私が叫ぼう*5とも'誰が‑﹄の中で取‑上げています。
この日本で、韓国こそは二〇世紀で最もひど‑痛めつけられた国の一つであることを皆さんに思い出させるには
及ばないでしょう。私が翻訳であまた読んで得た印象では、韓国文学は様々なかたちでこうむった絶えざる抑圧と
破壊の影を帯びています。それは、日本による占領から朝鮮戦争に渡る時代の影であ‑、アメリカに支援された軍
事独裁の時代の影であ‑、1九八〇年の光州事件のような流血の時代の影です。グローバリゼーションが二〇世紀
に進展したのは'帝国主義や全体主義、そして言うまでもな‑両世界大戦という暴力を通じてでした。歴史家によ
れば、第1次世界大戦のきっかけは二〇世紀初頭の日露の衝突でした。朝鮮戦争の時には、ドゴールなどの各国の
指導者たちは第三次世界大戦のはじまりを想像したのです。ともか‑一九五三年に朝鮮戦争が終結したときに、フ
ランスの新聞「ル・モンド」の特派員は、その荒廃を目の当たりにして、「韓国はまだ存在しているのか‑」と書
いたほどだったのです。
すでに申しましたように、現代韓国文学の多‑はこの社会がこうむった暴力の刻印を帯びています。そうしたと
きには文学は目撃証人とな‑ます。目撃証人となること自体はあ‑ふれたことなのですが、それはやがて思いがけ
ない問題や状況において爆発的な作用を起こします。私が読んだ韓国の詩の多‑は、この社会全体がこうむった暴
力とつながりがあ‑ます。しかしそれは、歴史が記録にとどめるような事実を詩が伝えているということに尽きる
ものではないのです。詩は読者に'世界のどんな時間や空間の中にいる読者にも'感じさせるのです、今このとき
に何が破壊されているかを、人間が今計り知れない無力感に飲み込まれようとしていることを。すなわちそれは、
二〇世紀の何百万人という人びとが、戦争で'収容所やキャンプで、原爆の下で味わった経験なのです。私は︽経
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験︾と言いました。適切な言葉ではないかもしれません。こうした状況下ではある場合には経験そのものが失われ
てしまうのです。あるいは、ベンヤミンが第一次世界大戦の状況を思って言ったように、経験そのものがもはや語
‑えないものと化してしまう'もはや物語として語‑伝えうるようなものではな‑なってしまうのです。あま‑に
強烈な暴力的な体験であるために、その暴力に打ちのめされた主体が消し飛んでしまい、自分に起こったことを思
い出すこともできないのです。「シベリアの強制収容所のある酷寒のコルィマでは、もはや自分の記憶すらないのだ」串6とヴルラーム∵ンヤラーモフは言っています。対するに詩は'詩が読まれ聞かれる固有の現在という時間の中で、
詩句の交錯や、よみがえるリズムの中に、作者さえもはや記憶していないことを呼び戻す力があるのです。私はこ
うしたケースについて何度か書いたことがあ‑ます。韓国の詩についてはまだな‑、現在それを試みているところ
です。
非常に多様な韓国の詩を通じて見られる大きなテーマは︽屈従︾と無力感というものです。
他からの支配を受け惟俸した社会に生きる個人や集団の無力感の表現は、韓国詩のいたるところに見られると
いってよいもので、大詩人金床咲⁚(KimS
u
IYong二九二l〜六八)にも見られます。朝鮮戦争の三年後の1九五七年の詩で、彼は戦争に苦しめられた二〇世紀の詩人たちの作品について語‑、「それでも木は芽吹‑」と言っ
ています。しかしそれは直ちに政治的抑圧を、「規制や命令」を連想させるためなのです。「この時代は、不当きわ
まる命令があふれかえる闇夜だ」と書いています。そして彼は同じ詩の終わ‑にこう言い添えているのです。