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流れ来たる人々の影を追って : スロヴァキアの筏 師と筏流し : その歴史とアイデンティティ

著者 戸谷 浩

雑誌名 明治学院大学国際学部付属研究所研究所年報 =

Annual report of the Institute for International Studies

号 12

ページ 71‑75

発行年 2009‑12

URL http://hdl.handle.net/10723/524

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流れ来たる人々の影を追って

―スロヴァキアの筏師と筏流し:その歴史とアイデンティティ

戸 谷 浩

今回の報告の主眼は、次の二点にあった。

一つは、現在ハンガリー・スロヴァキア間の国境の町となっているコマーロム(スロヴァキア名:

コマールノ)を観測定点として、そこに流れ下されてきた筏と筏師たちの歴史を、史料によって跡付 けようとする作業であった。コマーロムは、スロヴァキア北部に発したヴァーグ川(スロヴァキア 名:ヴァーフ川)がドナウ川に注ぎ込む地点に位置し、古来より木材交易の結節点として重要な城砦 都市であった。

もう一つの眼目は、史料に現れる筏師はトート tótok と称されることが多かったが、ハンガリー系 やドイツ系を主体としたコマーロムの住民から見た、この「他者」としてのトートとは如何なる人々 であったのかを考察することにあった。ネイションも確立し、筏師をトートと叙述する史料も溢れる 近代以降(例えば、19 世紀半ば以降)であれば、トートとはスロヴァキア人のことであると即答し、

当該の問題を一蹴することもできようが、本報告において考察の中心に置いたのは、アプローチの難 しい前近代におけるトートの姿であった。

以上二つの報告主題の内、前者の作業はより専門的な、地味な作業であり、その論証の過程をここ に逐一再現することは不要であろうと判断した。結果のみを示しておけば、コマーロムへの筏流しの 存在は、紀行文や地方条例、図像といった史料を通して 16 世紀後半に至るまでは遡及することが可 能であった。それより先は、いわゆる「トルコ人の侵入による混乱」という、ハンガリー史では常套 の「闇」の中に、ヴァーグ川の筏流しの起源も吸い込まれていってしまい、それを正確に確定するこ とは難しくなる。

曲がりなりにも結論を得た前者とは異なり、後者の作業については暫定的な試論以上のものを提示 することは叶わなかった。従って本小論では、試論を再度、公の議論の下に委ねるという意味も込め て、近代以前の時代における「他者」としてのトートの姿を、史料群の中から復元する手法について の拙論を再論することに集中したい。

様々な学問領域で取り上げられてきたナショナリズム研究、ネイション研究であるが、近年では、

それらを整理・俯瞰するような仕事が、例えば政治学、歴史学、社会学においても目立っている。そ して、そうした学問的な整理は、図らずも、共通の志向を有しており、いくつかの点をナショナリズ ム研究やネイション研究の言わば「共通認識」のようなものとして示すに至っている。

「共通認識」のまず第一点は、ナショナリズム論の整理の仕方である。つまり、ナショナリズム研 究の代表的な論者である B・アンダーソン、E・ホブズボーム、E・ゲルナーは「近代主義=構築主 義」の立場に配されるのに対して、AD・スミスは「歴史(原初)主義=本質主義」の代表とされ る整理の仕方がほぼ定着しつつある。但し、「共通認識」の第二点として、ネイションやナショナリ

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ズムに近似のものは近代以前においても観察されることを強調するスミスにあっても、ネイションと ナショナリズムが近代の産物であることを必ずしも否定している訳ではないことが付言される。従っ て、ナショナリズム研究における前近代への言及は、現状においては、そのほとんどがネイションの 起源を何に求めるか――重要なのは言語なのか、宗教なのか、それとも血縁なのか等々の議論――と いった、言わば「起源論」に収斂してしまう傾向がある。これが「共通認識」の三点目である。

ロシア現代史と比較政治論を専門とする塩川伸明が、「もっと古い歴史にさかのぼりつつ構築主義 的視角を生かすことも、理論的には可能なはずである」と言う時、そこには上記の「共通認識」の存 在が是認されていると共に、ナショナリズム研究・ネイション研究の現状への不満も同時に示されて いると見るべきであろう。前近代を構築主義的に見る手法――それが今、求められているものであろ う。

話をスロヴァキアの筏師に戻したい。ここで筆者が示そうとする手法は、例えば史料の中でトート に関連して叙述されている要素3つを1単位として結び付け、三幅対(トリアーデ)を形成し、それ をさらに繋げてゆくことによって、トートの実体を立体的に浮かび上がらせようとする再現手法であ る。例えば、1901年4月の『コマーロム新聞』には次のような記事が掲載されている。

トートたちがやって来た!

ひどく長かった冬の終わりが本当にやって来た。その最良の証拠が、我々にとって特別な

「家の燕」である、信心深く、大きな帽子を被ったトートの筏師たちが、ようやくまたヴァー グ川の河岸に姿を現したことである。彼らは、ヴァーグ川上流地域から高価な木材の積荷を下 し、コマーロムの木材交易の現場、河岸を活性化させ、躍動させている。積荷の第一陣は、ま だ聖金曜日の祝日であった〔4月〕5日に、善良なトートたちと共に我々の元に到着した。そ れ以降、今では、言わば商人の世界に新たな季節の幕開けを告げるべく、日毎に新たな木材の 積荷が大量に到着している。(中略)もちろんヴァーグ川流域は、間もなく、橋から上流の居 酒屋「コウノトリ」までずっと、材木が並べられることになるであろう。そして、こうして町 の出納課に再び活気ある生活が訪れ、河岸関税から得られる総額は多額に上ることになる。

(中略)天は、居酒屋「蚊」で、居酒屋「コウノトリ」で、そして居酒屋「小庵」で楽しい生 活があるようにと、また美味しいパーリンカがなみなみと注がれるようにと、そして臓物鍋の 下で火が陽気に燃え盛るようにと、ますます多くの大きな帽子を被った人々を、筏と共に我々 の元に導いて下さるのだ。……

この史料からは、例えば、(ヴァーグ川上流地域)―(筏)―(トー トたち)というトリアーデを得ることができる(図 1)。しかも、20 世 紀初頭のこの時期であれば、「トート」とはすなわち「スロヴァキア 人」のことであると半自動的に読み替えることが許される。つまり、上 流域出身のスロヴァキア人筏師たちのコマーロムでの活動が、自ずと浮 かび上がってくることになる。

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これに対して、19 世紀以前の史料には、筏流しや筏に関する記述はあっても、筏師自体に言及し ている史料はほとんど存在していないのが実状である。従って、彼らのアイデンティティは直接的な 表現を探ることによってではなく、迂遠的ではあるが、いくつかの要素を積み上げる形でしか辿るこ とはできないのである。例えば、次のような史料がある。169679日付けのコマーロム市の条 例の一節である。

このことは町に対して少なからぬ損害をもたらしているのだが、市民、軍に属する者、そし て貴族の中の多くの者たちが、上部より来たりてビールを売るトートたちの元に赴き、途上で ビールを購入している。このことが白日の下に晒され、公然と知られるようになったので、ま た、(ビールを先買いしている人々は――戸谷)検量手数料をも害しているので、ビールはま すます高値で販売されざるを得なくなっている。それゆえ、三身分共同体の誓約によって以下 のことが決定された。すなわち、本日以降、ビールであれ、パーリンカであれ、没収された物 品や筏の元に、何人も赴くことのなきように。……

この史料から、まず(「上部」地方)―(ビール)―(トートた ち)という諸要素が、強く結び付いている事実を知ることができる

(図 2)。トートがビールと結び付けられる存在であったことや、「上 部」地方とはトートたちの出身地(トートの国)であった可能性が高 いことは、上掲の引用部に続く部分に「ビールは当地のものであれ、

トートの国のものであれ、またその他の地のものであっても、上記の 限りである」との一文があることや、同年 822 日付けの条例に

「トートの国のビール1イッツェを3ペーンズ以上で販売する者には、

12フォリントの罰金を課すものとする」との規定があることからも理解できる。

また、次の171749日付けのコマーロムの条例は、筏とビールの関係をより明快に我々に告 げるものである。

4条 今後も、筏、船、ビール、蒸留酒、木材から、そのために置かれた検査官たちによ る執行を通じて、課金が徴収されねばならないことが決定された。木材は、商売のた めに木材を持ち込む人々のみならず、何人であっても、自家用に持ち込む人々も、全 ての船に課される課金を支払わねばならないことを知るべし。さもなければ、即刻、

罰せられる。

この条文は我々に、ビールは木材と同列に扱うべき商品であり、しかもそれが筏や船によって市内 に持ち込まれていた可能性を想起させる。つまり、ビールは、蒸留酒・木材と並んで、ヴァーグ川を 下ってくる産品であったと考えられるのである。また、ビールが水運によってもたらされる産品であ ったからこそ、16967 月の条例において、トートからのビールの先買いが禁止された場面での

「筏の元に、何人も赴くことのなきように」との文言が、人々の行動に釘を刺す言葉となりえたので

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ある。

こうしてビールと筏の結び付きが確かめられた今、図 2 のトリアーデの存在を踏まえれば、(ビー ル)―(筏)―(トートたち)と、(ビール)―(筏)―(「上部」地方)といった二つのトリアーデ の存在を新たに主張することができよう(それぞれ図3、図4)。

さらに言えば、この三つのトリアーデは対応する辺を重ね合わせることによって、例えば立体的な 三角錐を形成することもできる(図 5)。そして、当然ながら三角錐は 4 面から構成されるので、自 ずと未知なる 4 番目のトリアーデの存在を我々は確認することになる。図 5 で言うならば、(「上 部」地方)―(筏)―(トートたち)のトリアーデがそれ

である。

この第四のトリアーデこそが、この節の最初に確認した 図 1 のトリアーデにほかならない。要素の一部が(ヴァー グ川上流地域)と(「上部」地方)で異なってはいるが、筏 が取り結んでいる「上部」地方とは、取りも直さずヴァー グ川上流地域のことであると解してもさしたる支障はない であろう。それよりも、図 1 のトリアーデは、近現代の史 料においては確認可能な存在であったが、先にも触れたよ うに、前近代の史料においては、その関係性の存在をなか

なか実証できずにいたものである。もちろん、ここにおいても直接的にその関係性の存在が示された 訳ではなく、史料上で確認された三つのトリアーデの存在から演繹される形で、その時点では未知で あった新たな関係性の存在が示唆された、その蓋然性が示されたというにすぎない。

それでも、新たに析出したトリアーデを机上の空論であるとか、操作的なものにすぎないと一方的 に排することもまた許されることではないであろう。史料的な裏づけを持たない(「上部」地方)―

(筏)―(トートたち)のトリアーデも、図5が示すように(ビール)という要素を介すれば、それ ぞれの要素が親密な関係性を有することはすでに立証されているのであり、仲介する要素も(ビー ル)以外にも、例えば(蒸留酒)であるとか、(大きな帽子)といった事物でも同様の機能を担いう るかもしれない。さらに、繰り返しになるが、同一のトリアーデは近現代期には確かに存在するので ある。問題は、近代という時代を跨いでこのトリアーデが存在してきたかという点にある。こうした

「状況証拠」を勘案するならば、前近代期における当該トリアーデの存在の可能性を検討することは、

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決して恣意的でも、根拠のない判断でもないであろう。

トリアーデの存在は無限に想定できる。それは同時に、各トリアーデが結び付き、無限に拡大しう ること、三角錐のみに止まらず、無数の多面体を構成する可能性があることをも意味する。しかしな がら、その無限の可能性こそが、トリアーデが、トートたちの真の姿や彼らが実際に生きた世界とい うものを、絶えず立体的あるいは多面的に再現し、組成する可能性をも保証してくれているのである。

言うまでもなく、絶え間ない拡大や組成の中で、普遍度の低いトリアーデは自然と淘汰されてゆく。

トリアーデの外延的な拡大や多面体の構成によって得られるものは、譬えて言えば、全面・細部に至 るまで描き込まれた一幅の絵画である。写真のように、中心の対象に焦点が合わされ、周囲がぼかさ れているというようなことはない。絵のあらゆる部分・細部に目を凝らし、焦点を合わせるのは、歴 史を見つめる我々の側の仕事なのである。

<参考文献>

B・アンダーソン(白石隆・白石さや訳)『定本 想像の共同体――ナショナリズムの起源と流行』書籍工房早山,2007

E・ゲルナー(加藤節監訳)『民族とナショナリズム』岩波書店,2000

塩川伸明『民族とネイション――ナショナリズムという難問』岩波書店,2008

A・D・スミス(巣山靖司ほか訳)『ネイションとエスニシティ――歴史社会学的考察』名古屋大学出版会,1999

E・ホブズボーム(浜林正夫ほか訳)『ナショナリズムの歴史と現在』大月書店,2001

吉野耕作『文化ナショナリズムの社会学――現代日本のアイデンティティの行方』名古屋大学出版会,1997

新倉貴仁「ナショナリズム研究における構築主義――ベネディクト・アンダーソンの知と死」『社会学評論』59(3),2008年12月,

583頁~599

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