ミケランジェロ・ビオ ン ド 『この上な く高貴な絵画について』
における 「 イメージ作 り 」 ( maki ngo fi mages )の諸問題
足 達 薫
1:ミケランジェロ ・ビオン ド 『この上な く高貴な絵画について』の問題
この論文の 目的は、 これまでの 16世紀イタリア美術史研究では無視されてきた といっても過言で はない小さなテキス ト、 ミケランジェロ ・ビオン ド(MichelangeloBiondo,1500‑1570)Fこの上 な く高貴な絵画について』(初版 1549年、ヴェネツィア)への新たな注 目の喚起である。具体的には、
このテキス トの内容および特徴的な性格を考察 しなが ら、 とりわけ、第25‑34章で語 られる一種の 図像学的解説を分析 し、 この著作の意義を考 えるための手掛か りを提示 したい。
ミケランジェロ・ビオン ドは、次節でもっとくわ しく述べるように、医者 として生活を営みなが ら、
医学、哲学、女性論な どさまざまな主題について著作を量産 した人物であ り、16世紀イタリアの 「多 作家 (poligrafb)」の典型的な 1人に数え上げ られる 1。絵を含む造形美術一般に深 く関係 した とい う 記録は残されてお らず、また当時の著名な美術家たちに作品を注文 した り、その制作に関与 した とい
うような情報 も一切残されていない 。
2004年5月現在 まで、 ビオン ド Fこの上な く高貴な絵画について』の近代語訳は、アルベル ト・
イル クによる ドイツ語訳 (1873年) しか存在 しない2。 他方、パオラ ・バ ロツキは、716世紀美術 関連文献集成』の中に ビオン ドの著作の一部を抜粋 して収めてお り、「これまでほ とん ど無視されて きた文献であ り、 しば しば理解 しがたいもの と見なされてきた」 と付言 して、再評価の可能性を示唆
した3。
=この上な く高貴な絵画について』に対する研究者たちの評価はたいへん厳 しいもの となっている。
たとえば、美術史家ユ リウス ・フォン ・シュロツサーは、 ビオン ドの この著作に対 して、次のような ほ とん ど罵倒 といってもよいほ どの批判を浴びせている。 シュロツサーによれば、 この著作は、「無 様かつ退屈な代物だ‑‑‑ほ とん どの部分は剰窃である くせに、厚顔無恥にも自分 自身で自分はたい
1ビオ ン ドの伝記的情報に関 しては、稿を改めて詳 しく論 じることに したい。なお、基礎的な情事削こついては、
後述す るパオ ラ ・バ ロ ツキ編 716世紀美術関連文献集二の解説、 さ らに 〒イ タ リア人伝記辞典=I(Dizionario biograβcodegliitaliani)のHBiondo,Michelangelo''の項 目を参照のこと。
2MichelAn geloBiondo(Venedig1549),VoaderHochedlenMalerei,Ubersetzt,nitEinleitungundNoten versehnYonAlbertllg,Wilhelm Braum lleIIWien,1873.
3PalolaBarocchi(acuradi),Scrittid'artedelCinauecento,IV Pittura,2vol.,Einaudi,Torino,1978 (1971),vol」,pp.767‑80;γol.2,pp.1062£
そう独創的であるな どと吹聴 している」 4。
シュロツサーに限 らず、ビオン ドの著作の評価はとにか く、一般的にきわめて低い。美術史家ルイ
‑ジ ・グラッシは、その研究書 『美術批評および理論の歴史』か らビオン ドの名を除外 している5。
美術史家セルジョ ・ロッシたちの研究 グループによれば、 ビオン ドは、「美術家にとっての教科書を 書 こうと高望み したが・‑‑その著作は、独創的なものを示す こともなければ、古代以来のさまざま な著作家か らの剰窃によってのみ成立 している」6。あるいは、現代の多 くの美術史事典の類か らも、
彼の名前は抜け落ちている7。
テキス トの価値を、事実関係に関する資料 としての意義や、同時代および後世の美術や美術論に与 えた影響か ら推 し量るなら、研究者たちの批判は正鵠を射ている。実際、次節で検討するように、 こ のテキス トの構成は とてもずさんである。前半3分の 1程度の部分は先行する絵画論一一 とくに レ オン ・バ ッテイスタ ・アルベルティ 『絵画論』‑ か らのほぼまるごとの引き写 しである。それに続 く3分の 1程度の部分では、あてにな りそ うもない不確実なソースに基づ くイタリアの美術家たちと その作品の紹介が、いったいどのような根拠で選ばれたのか分からないような行き当た りばったりの 順番および記述量によって遂行される。作家についての評価の言葉は悪い意味で単純すぎ、理論的な 背景はほ とん ど兄いだせない。 ビオン ドによる賞賛の言葉は、総 じて、「この作家はとにか く優れて いる」 という放言にすぎない。
実の ところ、多少な りとも15‑ 16世紀イタリア美術史に親 しんできた読者な ら、 ここまでのビ オン ドの記述か ら得 られる新知見はほとん どないに等 しい。せいぜい、い くつかの作品の来歴を確か めることができる程度の利点 しかない。あるいは、アルベルティ 『絵画論』が16世紀を通 じて流布 し続ける過程の一側面を、ビオン ドの 「剰窃」に見出す ことができる程度ではなかろうか。アルベル ティのテキス トは、 1435年 (ラテン語版)および1436年 (トスカナ語版)に完成 して以来、写本 を通 じて読まれ続け、ビオン ドが アこの上な く高貴な絵画について』を現す数年前、ル ドヴィコ ・ド メニキによる トスカナ語訳がヴェネツィアで印刷出版されている8。 ビオン ドも、その流れの中でア ルベルティのテキス トにアクセス したのだろう。(なお、私が文体を検討 したところ、 ビオン ドのイ タリア語の文章は、ラテン語写本やアルベルティ自身の トスカナ語訳ではな く、 ドメニキの訳により 近づいているように思われる。稿を改めてより詳細な報告を行いたい)
1JuliusSchlosserMagnino,Laletteraturaartistica.ManualedelleFontidellastoriadell'artemoderna, TraduzionediFilippoRossi,TerzaedizioneitalianaaggiornatadaOttoKurz,LaNuovaItalia,Kunstferlag A
n tonSchroll&Co"Firenze,1995,pp.243f.
:'Luigi Grassi,TeoT・iciestoT・iadeltacriticad'arte.Primaparte,Dall'AntichitdatuttoilCinquecentocondue saggiintroduttiui,MultigraficaEditore,Roma,1985 (1970).
6SergioRossi,Edith Gabrielli,AlessandraRodolfo,Pensierid'artisti.Teoria,uitaelauoroneimaestT・idel Rinascimentoitaliano,CampanottoEditore,Udine,1994,p.169.
7Cf.JaneTurner(ed.),EncyclopediaoFItalianReTWissance&MaTmeristArt,2vol.,GroveEncyclopediaof EuropeanAd,MacmillanReferenceLimited,London,2000.
8LapitturadiLeonBattistaAlbertitradottapeT・M.LodouicoDomenichi.ConGratia&PriuilegiO.InVinegla AppressoGabrielGiolitodeFerrari.MDXl.VII.日本語版は以下のとお り。レオン・/lッテイスタ・アルベルティア絵 画論二三輪福松訳、中央公論美術出版、平成四年。
しか し、それ らのずさんな記述の後に、 ビオ ン ドは、15、16世紀イタリア美術の愛好家を情然 とさ せ るよ うな、 とても奇妙な記述を もって この著作全体を締め くくっている。それは、『この上な く高 貴な絵画』の事実上の第3部をなす部分、「絵画の題材」(1emateriedellapittura)、言い換えれば、
ビオン ドが画家たちに推奨する絵画の主題についての記述である。そこでは、直前までの (いかにも とってつけたような)理論書的体裁 さえがまった く失われる。 しか し、そのかわ りに、ビオ ン ドは俄然、
生き生き した鏡舌体に変貌 し、 自分が好 ましい と考える絵の主題を嬉 々として語 り始める。絵画論的
イ メ ‑ ジ メ イ カ ー
な うわべの体裁を失 うことによって、 この著作は、16世紀イ タ リアに生きた 1人のイメージ作 りの 姿を鮮明に示す重要な ドキュメン トへ と変貌する9。
ビオ ン ドは、画家たちに向けて、 10個の絵の主題を語 っている。彼 によれば、それ らは、優れた 絵画を描 くための、 もっとも正 しい主題である。後に見るように、いったい どのように描かれえたの か、かな り疑問視せざるを得ない主題 も散見できる。 しか し、中にはきわめて斬新なイメージを提示 することに成功 したかもしれない例 も見受け られる。
先に引いたシュロツサーは、あのように罵 りなが らも、この ビオ ン ドの絵画主題の記述の価値につ いて、正 しく見抜いていた。 シュロツサーは次のように述べている。 「マニエ リスム芸術 との類縁性 を示 してお り、 ビオン ドが有 していた神聖寓意図やその他の謎めいた紋章学への情熱によって際立 っ ている」 loo
ビオ ン ドのテキス トは、単なる美術史上の資料 として、あるいはきわめて貧相な理論的著作 として
イ メ ‑ シ メ イ カ ‑
理解 されるべ きではない。 このテキス トは、16世紀の1人のイメージ作 りの姿を伝える新鮮な ドキ ュメン トとして、改めて読み直される価値を持 っている。そ して、その奇妙な 「絵画の題材」の記述
メインス トリ‑ム
は、16世紀における 「主 流 」の美術論 ・美術文献の類か ら抜け落ちて しまったかもしれない何かを、
私たちに教えて くれる可能性を秘めている。
以上のよ うな問題意識に基づき、本論文では、 10個の 「絵画の題材」を軸 として ビオ ン ドの L=こ の上な く高貴な絵画』を考察 し、その諸問題を考えていきたい。次の章では、テキス ト全体の構成お よび内容を検討する。続いて、第 25章〜 34章 「絵画の題材」の分析を行い、その興味深い特質を
9「イメー ジ作 り」(makingofimages)とい う概念をここで用いたのは、次の積極的理由に基づいているC近代 以前の 「表象文化」をめ ぐって、かつての ミシェル ・フー コー式の大鑑で論理を刈 り込んでい くような図式的 ・ 観念的歴史研究の陥芽を埋め合わせ るかのように して、近年、よ り実証的かつ魅惑的な研究が精力的に発表 され てきている。それ らの研究者たちは、観念的思い込みや、時代錯誤的な論理の飛躍をできるだけ避け、そのかわ り異体的な歴史的資料による裏づけおよび資格資料の精微な分析に基づいて、 これまで必ず しも深 く追求されて きたとは言いがたい近代以前の 「表象文化」‑ た とえば記憶術が挙げ られよ う‑ を考察 している。 この動 き のひ とつの中心は、 リーナ ・ボルゾ一二 (LinaBolzoni)であ り、 もうひ とつの極が、メア リ・カラザ‑ス (Mary Carruthers)であろう。両者の興味深い研究については稿を改めて論 じたい と思 うが、本論文の タイ トルおよび 本文であえて 「イメー ジ作 り」 とい う言葉を用いたのは、中世の知 られざる視覚文化の側面を具体的かつ精密に 分析す ることで近接領域に衝撃を与 えたカラザ‑スの著作、?思想の工作 :400年か ら1200年 までの隈想、修 辞学、そ してイメー ジ作 り二が、本論文を ま とめよ うと思 い立 った直接的契機 だか らであ り、それに対す る私 な りのささやかなオマー ジュである。 カラザ‑スの著作は次の通 りDMaryCarruthers,TheCraftof‑Thought. Meditation,Rhetoric,andtheMakingof‑Imeges,400‑1200,CambridgeUniversityPress,Cambridge,New York,Melbourne,Madrid,2000.
1OSchlosserMagnlnO,Laletteratura."cit.,p.244.
浮き彫 りにしていきたい。最後に、資料 として、それ らの10章分の翻訳を示す ことにする。
2:ビオン ド 『この上な く高貴な絵画について』のテキス トおよび内容
ミケランジェロ ・ビオン ドは、 1500年にヴェネツィアで生まれた。おそ らく10代後半にナポ リ に移 り住み、当時のア リス トテ レス主義哲学の中のアヴェロエス派の旗頭、アゴステイ‑ノ ・ニフォ (AgostinoNifb,1473‑1538/1549)‑ 「霊魂の不滅性」をめ ぐるピエ トロ・ボンポナッツイ (Pietro Pomponazzi,1462‑1525)との間の論争が有名であ り、美術史の立場か らは、その著作 『美 と愛に ついて2書』 (Depulchro,Deamore,1531)の著者 としても興味深い‑ の門下生 となる。 その間、
とくにガレノスの研究を行いながら、医者 として生活するようになる。 しか し、生活 自体は貧困に苛 まれたようであり、ナポ リでは結局の ところ哲学者 としても医者 としても大成することな く、逃げる ようにして故郷ヴェネツィアに戻った。その後、ローマ とヴェネツィアを往復 しながら、様々な分野
‑ 医学、薬学、幼児の生態について、観相学、占星術、造船術 と航海術、記憶術、女性論‑ に関 する論文や対話編を精力的に著 していった。
もっとも、た くさんの著作を著 した とはいえ、彼の著作の 「全集」の類が現在に至 るまで一度 も 編纂されなか った事実か らは、いずれの著作 も、世間で広 く読まれるほ ど評判 とはな らなかったこ とが伺える。 その中でも比較的広い範囲で読 まれた作品 としては、ア リス トテ レス とガ レノス、そ してかつての師ニフォの著作を下敷 きに して書かれた乳幼児の生態についての論文 『乳児 と幼児の 愛情』 (1539)11や、アゴステイ‑ノ ・ニフォとソクラテス、 自分 自身や無名の騎士たちを対話者 として用いた、女性の生活や健康、身体についての対話編 4部作 『苦痛、陣痛、罪、世界の 3狂気』
(1541‑1545)がある 12。
そ して、そのような 「多作」の一冊が、私たちが注 目する 『この上な く高貴な絵画について』であ る。 この著作はヴェネツィアに滞在 していた1548年頃に原稿が書かれ、 1549年に同地で出版され た。 その後、少な くとも19世紀 まで、一度 も再版されることな く、各地の蔵書蔵や図書館に眠って いたようである13。 先にも述べたように、ビオン ドの 「全集」「著作集」の編集が、現在知 られる限 り、
一度も行われたため しがない とい う事実は、西洋文化の中で、ビオン ドがいかに冷遇されてきたかを
1IMICHAELAⅣGELVSBLONDVSPHISICVSdeA伊 ctibusInfantiuTn&puerorum.Ab.Hypp.Gal.Aui.Raf. Haliab.atqueAeginetaemonumentisdepromata.1539.
12MichelangeloBiondo,Angoscia,Doglia,Pena,LetT・efurzedelTnOndo,inGiuseppeZonta(acuradi), 升attatidelCinquecentosulladoTma,Gius.Laterza&Figli,Bari,1913,pp.71‑220.
13本論文では、初版本のファクシミリによった。DeltanobilissimapittuT・a,etdeltasuaarte,delmodo,&delta dottrina,diconseguirla,ageuolmenteetpresto,operadiMichelAngelobiondo.NonmatPLuChiaramente scrittadahuomoditempinostri,imperoche,quis'insegnaadipingeT・e,&sitT・attadituttelesuediHicultdi uarijsquicci&inquantimodi,&sopradichesidissegna&penge.GiontiuiSOTWanChoT・atuttiPittorifamosi diquesteetate,conlelorogloriosepLtture&doue,conbellissiTnaPettionediDecaquadT・idelAVTTORE.
MDXLIX.InVinegiaConprluilegiodecenale.AllainsegnadiAppolline,GreggInternationalPublishers, Westmead,Farnborough ,Hants,1972.
(もちろん、ある面では正当であるにせよ)よ く示 している。
この不遇なテキス ト、『この上な く高貴な絵画について』を読み進めてい くことに しよう。 まずな によ りも書物の顔である扉ページを見よう。 それは、単に著作の題名 とい うよ りは、全体の内容の要 約 となっている。 ビオン ドはこのような書物のスタイルを好んだ らしく、た とえば前述の 『苦痛、陣 痛、罪、世界の3狂気』でも同様の体裁を整えていた。 ビオ ン ドは次のよ うに、『この上な く高貴な 絵画について」]の内容をまとめている。「ミケランジェロ ・ビオ ン ドによる、 この上な く高貴な絵画、
およびその手法、教説、そ して容易かつ素早 く仕上げる技法について。 これ らの事柄について、我々 の時代では、 これほどまで明確に記述されたことは一度 もない。それゆえ、 この著作は、絵を描 くこ と [dipengere]についての教 えを行い、様 々なスケ ッチ [squicci]をする難 しさについて、そ して それ らに基づいて どのように して線を引き [dissegna]、色を塗る [penge]べ きか とい うことを扱 う。
今の時代の著名な画家たちすべてもまた付け加えられていて、彼 らの栄光に満ちた絵 とその場所、さ らには、著者の この上な く美 しい10点の小さな作品 [pettione]を伴 う」 14。
扉ペー ジの次には、「すべての ヨー ロッパで最 も優れた画家たちに」捧げ られた献呈文が続いてい る。そ こでは、 ビオン ドが熱心な美術愛好家であ り、優れた作品を作 る美術家たちの腕前 とその才 能を常 日頃か らとても尊敬 していた とい う告 白、「天上か らあなた方のもとへ と降 りて くるそのよう な知恵」 (quellasapienzachescendeinuoidalcielo)によって画家はこの世界のすべての事物を再 覗 (rapresentate)することができるとい う賛美、そ して 「暗闇に包 まれた事物に光を照 らす物」 (la illiuminatricedellecoseocculte)としての絵画は、色 とい う強力な武器を持 って事物を照 らすがゆ
ノヽフコ‑・・・・耳.
えに、彫刻以上の美点を有 しているとい う優越論、そ して とりわけさまざまな水の状態を再現できる 絵画術がヴェネツィア共和国の風土にとって とても好ましい とい う賞賛が語 られている。
この献呈文でのビオン ドは美辞麗句を惜 しむことな く注ぎ込んで画家たちを賞賛 しているが、 とく に注 目されるのは、「天上か ら・・・・・・降 りて くる知恵」や、「光を照 らす物」 としての絵画 といった、
形而上学的な含みを持たせた言い方であろう。 先に見たように、確かにビオン ドは、アリス トテ レス
‑アヴェロエス主義の牙城であ りなが ら、プラ トン主義にも強 く感応 した異色の哲学者ニフォの薫陶 を受けて、 自己形成を遂げた。ニフォは、著作 『美 と愛について 2書』の中で、美の所在について、
あえてプラ トン主義を導入 しなが ら、次のように書いている。「神か らの恩恵 こそが美であ り、それ はすべての美 しい事物の中やあらゆる愛される事物の中に等 しい割合で存在するのではないので、私 たちはその恩恵の起源について、プラ トン主義者たちに従 って考える必要がある‑‑・・恩恵 とは、至 高の善か ら発せ られる光 [splendorem]であ り、その光は事物それ 自体の中に行 き渡 り、それ らの 中にあって、 目によって、耳によって、そ して知性によって知覚 される」 15。 さらに、その著作でニ フォは、ラフアエ ツロによる肖像画で有名なジョヴァンナ ・ダラゴーネの容姿の美 しさを、まるで絵
lJDeltanobilissimapitturar・・,cit.,frontesipizio.原文については、前註13を参照の こと。
15AgostinoNifo,DePulchT・OPT・imus.DeAmoresecundus,inBarocchi(acuradi),ScrittiH,cit.,vol.7, tomo1,p.1664,日Quoniam verogratia,quaepulchritudoest,noninomnipulchroaequalisest,neeinomni amanteeadem,deorlglnegratiaedisserendum secundum Platonicos‑・itaqueproconstantisumitinrebus IPSISSummibonisplendorem diffusum esse,inhistamenpotissimum,quaeoculis,auribusmenteque perclpiuntur」''
を記述するかのように記 している。
『この上な く高貴な絵画について』の献呈文におけるビオン ドの絵画礼賛、および画家礼賛を過大 評価 して、哲学的、形而上学議論 と考えることはできない。 しか し少な くとも、 ビオン ドが絵画をめ ぐってそのような哲学的用語を惜 しみな く用いていたとい う事実は、これまで以上にもっと注 目され ていいだろう。なぜなら、周知の通 り、 16世紀後半のマニエ リスムの美術理論家たち‑ ロマ ッツ オとフェデ リコ ・ズッカ リを嘱矢 とする‑ は、プラ トン主義やアリス トテ レス主義、あるいはヘル メス主義などさまざまな哲学的、形而上学的、または神秘主義的な用語を応用 しながら美術理論を構 築 しようとした。 ビオン ドが 『この上な く高貴な絵画について』の冒頭で語った言葉は、多かれ少な かれ常套句的だ し、確固たる理論的背景の存在を暗示 してもいない。 しか し、逆に言えばそれだから こそ、 16世紀後半か ら高 まってい く美術の形而上学的理論化への機運の高まりが、 ビオン ドのよう な小作家にまで浸透 していったことを示唆 しているように思われる。
画家たちへの献呈文に続き、章立てを示す 目次をへて、第 1章に当たる序文では、古代以来の世界 各国の絵画の歴史が簡単に触れ られ、絵画がいかに古代以来、高貴な階級の人々から愛されてきたの かが説明されている。 この記述が、アルベルティ 『絵画論』 と大プリニウス 『博物誌』を下敷きに し ていることは誰の眼にとっても明白だろう。
この著作の基本的性格を把握するために とても重要 となるのは、続 く第2章 「著者の意図」(La intentionedelAuthore)である。 ここで ビオン ドは、著作の 目的 と意図について、次のように書い ている。
「‑‑私は、自然の諸事物は視覚の判断力 [iuditiodeluedere]の支配下に置かれるべきだと考え る。確かに、(誰かが言っているように)その視覚の判断力には、より豊富な ミネル ヴァを、言い換 えればよ り豊かな説明をすることもできるだろう。 しか し、私たちのこの有益で短い説明に従 うだけ で、絵画に要求される事を示す ことはできる。なぜなら、疑いの余地な く、このような技を取 り上げ ることは、そ してとくに示 しがたい事柄を取 り上げれば、あなた方の役に立つだろうと私は確信する か らである。なぜなら、残念なが らあなた方には、絵の見方 [contemplare]について描 くのはとて も難 しいか らである。あなた方 も知っての とお り、その目的のために、 これまで絵画について書いて きた人たちがほ とん どいないのだ。 しか し、私にはそれが出来ると信 じていただきたい。なぜなら私 は、秘密の、公然ではない諸著作の熱心な探求者だか らである。それゆえ、わが親愛なる読者諸君よ、
次のように考えてもらいたい。つ まり、この著作で私が書 くことは、完全な画家によるものでもない し、
数学者によるものでもない。そ うではな くて、絵画のよき吟味者 [bonesaminatoredellaPittura]
によるものだと解釈 してもらいたいのだ」 16。
ビオン ドに先行する美術論者たち‑ イタリアではアルベルティ、 レオナル ド・ダ ・ヴィンチ、 ピ エロ・デッラ・フランチェスカ、ボンポニオ ・ガウリコ、 ドイツではアルブレヒト・デューラーが真っ 先に思い浮かぶだろう‑ は、周知の通 り、美術理論を考える際に、いずれも数学ない し光学理論を とても重要視 していた17。
lGDellanobilissimapittura,cit.in(1),fol.2vl3r.
17 アルブ レヒ ト・デュー ラー :‑r人体均衡論四書」注解二前川誠郎監修 ・下村耕史訳 ・注、中央公論美術出版、1995年。
他方、少な くとも本人の言葉を信 じるとすれば、 ビオン ドの立場は、「完全な画家」つまり実作者の 立場でも、「数学者」つまり15世紀的な美術論者のそれでもない。 ビオン ドは、「秘密の、公然では ない諸著作の熱心な探求者」 としてまず、自己の立場を規定 している。やや唾味な表現だが、要する に人文主義的素養を誇示 していると考えてよい。その上で彼は、自分の著者 としての性格を 「絵のよ き吟味者」 として位置づける。
つまりビオン ドは、いわば 「アマチュア」による絵画論を提示 しようとしていた。 この点で、後の ジュリオ ・マンチ一二 (GiulioMancini)によって確立される 「ディレッタン ト」の立場からの美術 批評を遠 く予言するものとして注 目することも、けっして不可能ではないだろう18。
実作者 としてでもな く、数学的理論を重視することもない、あ くまで絵を鑑賞 し受容するアマチュ アとして自己規定する 「絵のよき吟味者」 ビオン ドは、 したがって、絵の技術論を独 自の視点で展開 することも、身体比例や空間構成についての新 しい数学的説明を行 うことも、最初か ら放棄 している。
ならば、彼はいかなる論法によって、絵画 とい う技それ 自体を擁護するのだろうか。
ビオン ドは、先にも概観 した献呈文の中で、次のような注 目すべき論点を示 している。
「これまで私は、多 くの人が、まるで屈理屈を並べ立てるように、絵画 とは [異教の]神々の発明 品であると主張 し、あなた方が描 く事物の種類ばか りをあ りがたがって、あなた方 自身に対 してはな んの賞賛も与えられないなどと語るのを耳に してきたが、これにはまった く驚 くはかない。私は全て の事物の最初の作者が神であったことを否定するものではないにせよ、私は彼 らの説明の不味さを明 らかに しようと試みた。私は次のように言いたい。すなわち、あなた方は、神、言い換えれば自然を 扱 う職人の代理人 [ministri]として、存在 しない事物や、何千年 ものあいだまった く表現されてこ なかったような事物のイメージを、今 日でもそれ らが生きているかのように示す。 したがって、あな た方は、天 と地の中で見出される全ての事物を扱 う、神 と自然に次 ぐ、第三の真の職人である」 19。
ビオン ドにとって画家を 「この上な く高貴な」もの とする最大の根拠が、画家のミメ‑シス能力の 高さと幅広さであることを、この一節か ら明白に読み取ることが出来る。 ビオン ドは、第5章 「絵画 の尊厳について (Delladignitadellapittura)」で、別の言葉によって同様の考え方を説明 している。
ビオン ドはそ こでは、古代の諸文献 (特に、大プ リニウスによる 『博物誌』が多 く用いられている) か らの引用を通 じて、彫刻や文学に対する絵画のミメ‑シス的優位を強調 している。
「私は、私たちのこの議論が、博識な画家たちにとってとい うよ りも、無知な若者に とってますま す有益なもの となるだろうと思 うが、それでもなお、ああ、絵の友達たちよ、私はまずなによ りも、
あなた方をこのようにこの上な く高貴な技についての吟味に導 くために、まず何よりも先に、絵画 と はいかに高貴なものなのかを説明 しよう。絵画の中では、あらゆる仕事 と不断の研究が必要 となるが、
それはなぜならば、絵画はそれ 自体の中に、ほとん ど神聖な といっても過言ではない美徳を有 してい るか らであ り、さもなければ [神によって与えられた絵画 という技 と人間のあいだの]友情など語る
18 ジュリオ ・マ ンチ一二 と 「ディレッタン ト」については、次の卓抜な論考を参照せ よ。岡田温司 「ディレッ タン トの形成、試論‑ ジュリオ ・マ ンチ一二を手掛か りに‑ 」、美学会編 ;美学̲:174号、1993年 (秩)、
pp.12‑23.
19Dellanobilissimaputura・・・,cit,foliosenzanumerata.
ことも出来ないだろう。 なぜなら、絵画は、存在 しない事物をあたかも現存するかのように、言い換 えれば死者を生者のように表現するからである」 20。
画家の ミメ‑シス能力の高さを、キ リス トによる死者の復活の奇跡を想起させる比倫で賞賛するこ の言葉か らは、ビオン ドが、大プリニウスが 『博物誌』の中で報告 している多 くの愉快な例に見 られ るような古代ギ リシャ以来の伝統的なミメ‑シス擁護の常套句を超えて、画家 とい う存在をよ り高み へ と上げようとしていることが見て取れる。画家のミメ‑シス能力は、あたかもキ リス トが死者を生 き返 らせたかのようにして、ここにない存在を再生させる。 ビオン ドはそのような崇高なイメージを 画家に与えようと腐心 している。
神を最初の画家 と見な し、絵画を神聖なもの として とらえる寓意的ない し象徴的発想は、 15世紀 の絵画論を決定付けた レオ ン ・バ ッテ イスタ ・アルベルティの 『絵画論」]の中で典型的に示 されて いる (1435、 1436年)。アルベルティによれば、「自分の作品が崇拝されるのを見る画家は、 自分 自身をまるでもうひ とつの神だと見なされていることを感 じるだろう。 こうなると、絵画があらゆ る芸術の主人であることを、少な くとも、些細な装飾を手がけるだけではないとい うことを誰が疑 う だろうか」 2L。 先にも触れたように、アルベルティの 『絵画論』の俗語版は写本の形で流通 したが、
1547年、ル ドヴィコ ・ドメニキによる翻訳の印刷出版によって、より広 く読まれるようになった。
アン ドレ ・シャステルによれば、芸術家を第 2の神ない し低級な神 と見なす考え方は、 15世紀の 芸術論の基盤 となった22。 フィレンツェのプラ トン ・アカデミーを中心 とする新プラ トン主義思想の 浸透が、そ うした観念の流行に拍車をかけたと考えられる。たとえば、 レオナル ド・ダ ・ヴィンチも
またそうした観念を共有 した 1人に数えられている23。
20Dellanobilissimapittura‑.,°it.,Cap.5,fTol.6r.
21LapLtturadiLeonBattistaAlbertitradottaperM.LodouicoDomenichi.ConGratia&PriuileglO.In VinegiaAppressoGabrielGiolitodeFerrari.MDXl:VII.,librosecondo,fTolio18V‑19r.邦訳は、 レオン ・バ ッテ
イスタ ・アルベルティ ;絵画論』三輪福松訳、中央公論美術出版、平成四年、pp.32‑33.
22アン ドレ ・シャステル Fルネサ ンス精神の深層』桂芳樹訳、平凡社、1989年、pp.108‑136.幾何学者 として の世界創造の神の図像 と文献的源泉については次を参照せよ。FriedrichOhly,"Deusgeometra.Appuntiperla storiadiunarappresentazionediDio",inId"Geometriaememoria.LetteraeallegorianelMedioeuo,acura diLeaRitterSantini,SocietaeditriceilMulino,Bologna,1985,pp.189‑247;FriedlichOhly,̀̀DeusGeometra.
SkizzenzurGeschichteeinerVorstellungvonGott",in77.aditionalshistorischeKraft.Interdisziplinare ForschungenzurGeschichtedesfluherenMittelalters,UnterMitwirkungvonM.Balzer,K.H.Krugerund L YonPadberg,HerausgegebenYonNorbertRampundJoachim Wallasch,WalterDeGruyter,Berlin‑
NewYork,1982,pp.1‑42;JohannesZahlten,Creatiomundi.DarstellungendersechsSchopfungstageund naturwissenscha斤IichesWeltbildim Mittelalter,Klein‑Cotta,Stuttgart,1979,Abb.269,270,281,282,283, 284,286,287,288,289,290.
さ らに、いわゆ る T=教訓化 された聖書二 の挿絵 におけ る科学的図像について考察 した最近の研究 も見 よ。
KatherineH.Tachau,"God'sCompassandVanaCuriositas:ScientificStudyintheBibleMoralise",inThe ArtBulletin,VolumeLXX ,Number1,1998,pp.7‑33.
さらに、 この図像定式を考察 した日本語の研究は次のものがある。秋山聴 「「芸術家 としての神」か ら 「神 とし ての芸術家」へ :芸術家による自己イメージの形勢をめ ぐって」、7西洋美術研究∴ 第3、2000年、pp.75‑92;
KaoruADACHI,"L'anti‑platonismonelCinquecento.UnaprecisazioneiconografiCadellaDiogenedisegnata daParmigianino'',東北大学 美学 ・美術史研究室福 子美術史学三、第20号、1999年、pp.69‑108.