人 文 論 叢 (三重 大 学) 第
2 3
号2 0 0 6
『人 類
の薄 明』
にお け る詩 人
の肖像画
‑ コ コ シュ カ、 レ ー ムブル
ッ
ク、 シャガ ー ル、 シ ー レな ど 一松 尾 早 苗
表現主義の詩 人カ ー ル ・ オッテ ンは2 0 世 紀 初 頭の
ヨ
ーロ
ッパ
の芸 術 潮 流につ
い て 「そ れ ま で分 離して いた諸 芸 術が融 合す る という驚 異 的な現 象が生じ た。つ
ま り、 詩 人は画 家と共 同 制 作し、 音 楽 家は詩 人の書いた詩に曲を付け、マ
ルク、コ コ
シュ カ、 カンディ
ン スキ ー 、 ク レ ーな ど は文 学 作 品 も 書いた。
ヨ
ーロ
ッパ
各地で芸 術 家た ち は 互い の能 力と価 値を認め、 創 作 面で 協 力し合う集 団になっ た」1) と語っ た。こ の オッ テ ン の言 葉 を裏 付け る よ うに、 1 9 1 9 年1 1 月 末に編 纂さ れ た表 現 主 義の代 表 的な詞 葦 集 『人 類の薄 明』 には、 同 時 代の画家によっ て描か れ た詩 人の肖 像 画が何 枚 も収め ら れて い た。 そ れに
つ
い て、 編 纂 者クル ト・ ピントゥ
スは 「できる か ぎり ( 詞 華 集に収め ら れ た すべ
て の詩 人) 2 3 名の肖 像 画を、 し か もでき る かぎり詩と同時 期に表 現 主 義の画 家に よっ て描か れ た肖像 画を掲 載し たいと考え た。 出版 社は( 発 行 を) 急い で いた が、 そ れでも我々
の世 代の情 熱 的な画 家ル ー ト ヴィ
ヒ ・マ
イ トナ ー の ほか、コ コ
シ ュカ、 レ ‑ ム ブル ッ ク、 シャ
ガ ー ル、 シ ーレ によ って措か れ た肖 像 画とラ スカ ー = シ ュ ー ラ ‑ の自 画 像の合 計1 4 枚を収め ること ができた
」2) と述
べ
て い た。 そ の後、 そ の詞 華 集の 1 9 5 9 年に発 行さ れ たペ ーパ
ーバ
ッ ク版には、 ( 初 版に収 録さ れて いた 0 ・ T h ・ W ・ シ ュタ イ ン の 「テ ‑ オ ドア ・ ドイ プラ ‑」 に代わ って) レ ー
ムブル ッ クの 「テ ‑ オ ドア ・ ドイ プラ ‑」、
コ コ
シ ュ カの 「ゲ オルク ・ トラ ‑ クル」、 ア ‑ ドルフ ・ デ ・
ヘ
ル の 「クル ト・ ‑ イニ ッ ケ」、マ
ッ クス ・ オッ ペ ン‑ イマ
‑ の 「ア ル フ レ ー ト・ リ ヒ テ ン シュ タ イン」、 シャ
ガ ー ル の 「イ ‑ ヴァ
‑ ンと ク レ ー ル の ゴ ル夫 妻」、 ク レ ム の自 画 像が 追 加さ れ、 合 計1 9 枚の肖 像 画が収 録さ れ た。し か し な が ら、 ピント
ゥ
スは その詞 華集の歴 史 を語っ た際に、 それ らの画 家と詩 人の交 流、 各 肖 像 画の成 立 的背 景には ほ と ん ど言及し な か った。 し か し、 ド イツ表 現 主 義は文 学、 美 術、音 楽、 映 画な ど が相互に関 係し、 作 用し合 った総 合 芸 術 的な特 徴をもって いた。 そ れ ゆ えに、
『人 類の薄 明』 が表 現 主 義の代 表 的 文 学 作 品と して現 在に有す る価 値と意 義を考る 上で、 詩 人 と画 家の交 流や協 力 関係、 文 学と美 術の相互作 用 を 検 証す ること ば不 可 欠の よ うに思わ れ る。
こう し た観 点か ら、 本 稿で は、 以 前に考 察し た画家ル ー ト ヴ
ィ
ヒ ・マ
イ トナ ー 3) 以 外の画 家 と詩人の関 係を次の よ う な順で考 察してみ たい:
I‑ I. オスカ ー ・コ コ
シ ュ カ とア ル ベ ルト・エ
ー レ ン シ ュ タ イン (1 7 3)、 I ‑ 2. オスカ ー ・コ コ
シ ュカ と ゲ オルク・ トラ ‑ クル (6 7)、 I ‑3. オスカ ー ・
コ コ
シ ュカ と ヴア
ルク ‑ ・ ‑ ー ゼンクレ ー ヴァ
‑ (3 1 9)、 Ⅱ‑1. ヴィ
ルヘ
ル ム ・ レ ー ム ブル ッ ク とテ ‑ オ ドア ・ ド イ プラ ‑ (4 9)、 Ⅱ一2. ヴィ
ルヘ
ル ム ・ レ ‑ ムブルッ ク とル ー ト ヴィ
ヒ ・ ル ビ ー ナ ー (3 0 3)、 Ⅲ . ア ー ドル フ ・ デ ・ヘ
ルと クル ト・ ‑ イニ ッ ケ (7 7)、 I V .マ
ックス ・ オ ッ ペ ンハ イマ
ー とア ル フ レ ー ト ・ リヒ テ ン シ ュタ イ ン (8 9)、 V .マ
ルク ・ シャ
ガー ルとゴ ル夫 妻 (1 5 7)、 ⅤⅠ. E ・ M ・
エ
ンゲル ト と ゲ オルク ・ ‑ イム (1 7 7) 、 Ⅴ Ⅱ.エ
ー ゴン ・ シ ー レと カ ー ル ・ オッ テ ン (2 4 3) (な お、 括 弧 内の数 字は、 該 当す る肖 像 画が収め ら れ た ペ ー
パ
ーバ
ック版 『人 類の薄 明』の頁を示す)。‑ 6 5 ‑
人 文 論 叢 (三重 大 学) 第
2 3
号2 0 0 6
Ⅰ. オス カ ー ・
コ コ
シ ュ カと表 現 主 義『人 類の薄 明』 には、
コ コ
シ ュカが描いた詩 人の肖 像 画が3 枚 収め ら れて いる。 それ らの肖 像 画の成立的 背 景を知る た めに、 おもに 1 9 1 0 年 噴か ら1 9 2 0 年 頃まで のコ コ
シ ュ カ と表 現 主 義の関 係 を 年 代 を 辿っ て見てお き たい。
ウ
ィ
ー ン で美 術を学ん だコ コ
シュ カ は、 1 9 0 8年5 月 ‑6 月に開催さ れ た第1 回 「クン ス トシャ
ウ展」 への出 品によっ て美 術 界にデ ビュ ー し た。 その際、 彼は建 築 家ア ‑ ドル フ ・ロ
ー ス の知 遇 を 得、 彼の仲 介でカ ー ル ・ クラウスやベ ー タ ー ・ ア ル テ ン ベ ルク な ど ウィ
ー ン の作 家とも親 しくなっ た。コ コ
シ ュカ がベ ルリンへ 行 く 前の 1 9 0 9 年にロ
ー ス の肖 像 画を描き、 ク ラ ウス の『万里の長 城』 に 8 枚の石 版 画 を 制 作し たこと は、 そう し た当 時の交 流に基づ い て いた。
1 9 1 0 年3 月、
コ コ
シ ュ カ は 『シ ュ トゥ
ル ム』 誌の発 行 者で表 現 主 義 美 術の擁 護 者であっ たヘ
ルヴア
ル ト・ ヴァ
ルデン に招か れて、 1 9 1 1 年2月まで ベ ルリン で暮ら し、 『シ ュ トゥ
ル ム』 誌の肖 像 画 欄 「 今 週の顔」 を担 当し た。 実 際、 『シ ュ トゥ
ル ム』 誌 ・ 第1 巻 (1 9 1 0 年) には、コ コ
シ ュ カの描いた肖 像 画が合 計2 9 枚 掲 載さ れ た。つ
まり、 H ・ ヴァ
ルデン、 E ・ ラ スカ ー = シ ュー ラ ‑ 、 リヒ
ャ
ル ト・ デ ー メ ル、パ
ウル ・ シェ ‑ アバ
ー ルト、ヘ
ルマ
ン ・ エ ッ スイ
ヒ、 R ・ブ リュ
ー ム ナ ‑ 、 ア ‑ ドル フ ・ クノ ー ブラウ ホ、 ネル ・ ヴ
ァ
ルデンな どの肖 像 画がそ の 一 年 間の ベ ルリン滞 在 中に描か れ た。 こう し た事 情か ら、 「『シ ュ ト
ゥ
ル ム』 誌は偉 大な肖 像 画 家コ コ
シ ュカの世 界 的 名 声の揺 藍になっ た」 4) と言わ れ た。 その ベ ルリン滞 在 中には、 6月に
パ
ウル ・ カッ シ ー ラ画 廊で開か れ た個 展が成功し、 それによっ て同 画 廊の契 約 画 家にもな った。 さ らに、 戯 曲 『殺 人 者 ・ 女た ちの希 望』 が 『シ ュ トゥ
ル ム』 誌 (1 9 1 0 年7 月1 4 日号) に初めて挿 絵 入 りで掲 載さ れ た。1 9 1 1 年3 月、 ウ
ィ
ー ン に帰 り、 美 術工芸 学 校の助 手に就いた。 そ の間、 K ・ クラウスを 介 して詩 人の ア ル ベ ル ト・エ
ー レ ン シュ タ イ ンと知 り 合い、エ
ー レ ン シュ タ イン の小 説 『トゥ
プ チ ュ』 に 1 2 枚の挿 絵 を 描いた。 さ らに、 戯 曲 『燃え る茨の茂み』 を書き上 げること ができ た。1 9 1 2 年3 月、 ヴ
ァ
ルデンがベ ルリ ン に開 設し た 「 シ ュ トゥ
ル ム画 廊」 の第1 回 展で、コ コ
シ ュカの作 品が 「 青い騎 士」 グル ー プ、 未 来 派、 ピ カソ、 フラン ス立体 派の作 品と共に展示さ れ た。1 9 1 3 年、
コ コ
シ ュ カ は ヴァ
ルデンが組 織し た前 衛 絵 画 展 「 第1 回ド イツ秋 季サロ
ン展」 に 線 描 画を出 品し た。 ウィ
ー ン ではK ・ クラウスや A ・ロ
ー スと さ らに親 交を深め た。 そ して、『戯 曲と絵 画』 が クルト・ ヴ
ォ
ル フ社か ら出版さ れ た。1 9 1 4 年6 月、 ア ル
マ
・マ
ー ラ ー との愛の葛 藤 を 描いた 『嵐の花 嫁』5) をミ ュ ンヘ
ン の分 離 派 展に出 品し た。 そ して、 第一 次 世界 大 戦が勃 発す る と, ア ルマ
と別れ る た めに志 願 兵と して従 軍し た。1 9 1 5 年9 月、 ポ ー ラ ンドのガ リシ ア戦 線で重 傷を負い、 ウ
ィ
ー ン へ帰 って治 療す ることに な った。
1 9 1 6 年 秋、 怪 我の治 療が長 引き、 兵 役 免 除になっ た。 その間、 短 期 間ベ ルリン に滞 在して 数 多 くの肖 像 画を描いた が、 1 9 1 0 年に描いた人 物を再 度、 描 くこと が多かっ た。 そ れ らのう ち7 枚の肖 像 画が『シ ュ ト
ゥ
ル ム』 誌 ・ 第7 巻 (1 9 1 6/ 1 7 年) に掲 載さ れ た。 そ して、 戯 曲『殺 人 者 ・ 女た ちの希 望』が ‑
コ コ
シ ュ カの自 画 像 を扉 絵に して ‑ シ ュ トゥ
ル ム出 版 社か ら発 行さ れ た。松 尾 早 苗 『人 類
の
薄 明』 に お け る詩 人の
肖 像 画‑ コ コシ
ュカ、レ
‑ム
ブル
ック、シ ャ
ガ ール
、シ
ーレ
な ど‑1 9 1 7 年、 ス トック ホル ム に短 期 間、 滞 在し た あ と、 (
エ
ー レ ン シ ュ タ イン の助 言に従 って) ドレ スデン近 郊のヴァ
イ サ ー ヒ ル シュ のサナト リ ウム で治 療 を続け ることにな った。パ
ウル ・ カ ッ シ ー ラ画 廊と年 金 契 約 を結んで いたの で、 戦 争 終 結 後 も ( 医 師Fr ・ ノイベ ルガー の勧めに従 っ て) ドレ スデン に住むこと ができ た。 その療養 中に、 戯 曲 『オル フ
ォ
イスと オ イ リエディ
ケ ‑』 を書き 上 げ た。1 9 1 7 年6 月3 日、 『殺 人 者 ・ 女た ちの希 望』、 『
ヨ
ブ』、 『燃え る茨の茂み』 の三作がコ コ
シ ュ カ自身の演 出に よっ て ドレ スデン の ア ル ベ ル ト劇 場で非 公 開上演さ れ た。 そ の初 演は( 後 述す る よ うに) ‑ ‑ ゼンク レ ー ヴァ
の労を厭わぬ支 援によっ て実 現し た (な お、 『ヨ
ブ』、 『燃え る 茨の茂み』 は、 そ の 二年 後に べ ルリン の ド イツ劇 場でも上演さ れ た)。 さ らに 『プレ ン ナ ‑』 誌 ・ 追 加 特 集 号 (1 9 1 7 年 刊) にコ コ
シ ュカの絵が多 数、 掲 載さ れ た。1 9 1 7年1 0 月、 美 術 ・ 文 学 雑 誌 『ク ン スト ブラ ッ ト』 が 「
コ コ
シ ュ カ特 集 号」 を発 行し た。それ は
コ コ
シュ カの最 初の画 集と言え るものだっ た。 そ の特 集 号によっ て、コ コ
シ ュカの作 品に対す る世 間一 般の理解が深まっ た。 実 際、 そ の特集 号は数 週 間で売 り 切れ、 至 急、 第二版が 発 行さ れ た が、 そう し たこと は当 時の出版 界でき わ めて稀なこと だ った。
1 9 1 8 年、
パ
ウル ・ カッ シ ー ラ画 廊でコ コ
シ ュカの ( 絵 画3 0 点、 石 版 画1 1 点の) 個 展が開 か れ、 美 術 評 論 家パ
ウル ・ ヴェス トハイム の研 究 書 『オスカ ー ・コ コ
シ ュ カ』が出 版さ れ た。1 9 1 9 年、 ドレ スデン芸 術 大 学の教 授に就 任し た。
1 9 2 4 年、 ドレ スデン芸 術 大 学の教 授を辞して、 ドレ スデ ンを去 った。 そ れ以 後、
ヨ
ーロ
ッパ
各 地を制 作 旅 行す る生 活が始まっ た。以 上の履 歴か ら明ら か な よ うに、
コ コ
シ ュ カ は1 9 1 0 年の 『シ ュ トゥ
ル ム』 誌へ の参 加か ら1 9 1 9年の ドレ スデン芸 術 大 学 教 授の辞 任まで の約 十年 間、 表 現 主 義の運 動に身 を 置いた。 『人 類の薄 明』 に収め ら れ た彼の 3 枚の肖 像 画 もその間に制 作さ れ た。
コ コ
シ ュ カ は自 分の作 品に 無 造 作に 「O K」 と サ イ ンす るのが常だっ た が、 ま さに 2 0 世 紀の偉 大な肖 像 画 家と して固 有の描 写 法 を確立 し た。 実 際、 彼の肖 像 画に
つ
い ては、 数 多 くの批 評や逸 話が残っ て いる。 た と え ば、コ コ
シ ュ カ と親 交が あり、 1 9 1 6 年に自 分の肖 像 画を描い てもらっ た ヴァ
ルデン の 二度 目の妻ネルは、 肖像 画 家コ コ
シ ュ カにつ
い て 「ほ と ん ど魔 術のよ うに人 物 を 的 確に捉え る技 法、 措 く 人 物の性 格や特 徴を綿 密に表 現す る力は、 ま さに感 動 的だっ た。‑ あのカ ー ル ・ クラ ウ ス の肖 像 画は非 常に表 情 豊かに描か れ、 クラ ウ ス の個 性を余す ところ なく 描き出して いた」6 ' と 語 った。
さ らに、 ネルは、 有 名なア ‑ ドル フ ・
ロ
ー ス の肖像 画につ
い て も 「ロ
ー ス の感 受 性の鋭さ、 思 慮 深さ、 耳が遠いという身 体 的特 徴 も完 壁に描き出して いた。コ コ
シ ュ カ は措 く 人物の心の奥へ ‑ ま るで幻想 を 追いか け る よ うに 一 分け入る能 力 を もって いた よ う だ っ た」 と述
べ
た。 な お、 そのロ
ー ス の肖 像 画につ
い ては、 同時 代の詩人ベ ー タ ー ・ シ ュー アが次のよ う な逸 話 を 伝えて いた。 「『シ ュ ト
ゥ
ル ム』 誌に掲 載さ れ たコ コ
シ ュ カの多 くの肖 像 画のな かでもっとも 感 銘 深い のは、ロ
ー ス の肖 像 画であ る。 私は その複 製画を部 屋の壁に貼っ て いた。 あ る 日、 我が 家の家 政 婦が その肖 像 画 をじっと見つ
めて, (こ の男 性は耳が遠いよ うに見え ま す !) と言 っ た。 実 際、ロ
ー ス には難 聴の障害が あっ た。 その肖像 画は、 そ う し た特 徴 を も確 実に読み取ら せ る ほ ど巧みに描か れて いた」7) と。こ の ほかに 「オ ー ギュ スト・ フ
ォ
レ ル教 授」 の肖像 画 をめぐる逸 話 もよく 知ら れて いる。つ
まり、 教 授の家 族の依 頼 を 受け た
コ コ
シ ュ カ は仕事 中の教 授の姿を入 念に観 察し た後、 教 授 を‑ 6 7 ‑