(研究ノート)
伏見作事板の廻漕と軍役(二)
はじめに
一伏見作事板の関係史料
二伏見作事板の寸法と基準板
以上'本誌七十八号掲載
三歳米の年間の支出
四伏見作事板の年間の割付・伐採・廻漕間数
五金の量目
六基準板一枚当りの舟賃
七軍役としての伏見作事板の廻漕
八京畿大地震と伏見作事板
むすび
以上'本号所収
三蔵米の年間の支出 中川和明
蔵米支出の内訳の概略については'第二章の棚において'既に述べた。
本章では'蔵米の年間の支出について検討する。
まず'舟賃のために支出した蔵米について(第二章の棚に述べたよう
に'蔵米を金子に換金して'秋田氏に雇われた商人'あるいは小野寺氏・
本堂氏の奉行に'舟賃として渡した)'検討することから始める。
文禄四年には'杉板を割付けられたのは'秋田氏のみであり'秋田氏
分の杉板を廻漕するための舟賃が'蔵米によって賄われた(材帳①・蔵
状②)。また'慶長元年から同四年までは'小野寺・本堂・戸沢・六郷・
仁賀保・滝沢・内越・岩屋・津軽氏は'秋田山中において'杉板を秋田
氏から請取って'敦賀まで廻漕した(但し'津軽氏は'慶長元年以外は'
板を請取りに行っていない)。そして'秋田氏は'文禄四年と同様に'
慶長元年から同四年まで'杉板を廻漕した。しかし'慶長元年から同四
年までに杉板を廻漕するための舟賃が'蔵米にょって賄われたのは'秩
田氏分・小野寺氏分・本堂氏分の板だけであった(材帳②〜⑤・蔵状②(‑)〜④・慶長四年七月一五目付「本堂家奉行運賃請取状」・慶長四年八月(2)五目付「小野寺家奉行運賃請取状」)。
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なお、渡論文(二七頁)では'材帳⑤のみを用いて、慶長四年の本堂
氏分の舟賃は'蔵米によって賄われたのではないtとしている。しかし'
慶長四年七月一五日付「本堂家奉行運賃請取状」を見落しており'これ(3)は誤りである。
また'渡論文(二八頁)では、田中又三郎を'慶長四年の杉板の廻漕
人の中に入れている。塩論文①(四二頁)では'秋田氏負担分の用材を
廻漕した船問屋として'慶長四年のところに、田中又三郎を挙げている。
しかし'田中又三郎は本堂家の奉行であって'商人ではな‑'杉板の廻
漕を直接には行なってはいない。したがって'両論文とも再考を要す。
次に、仙取入の人件費について述べる。この人件費は'「伐採費」と「杉板を山元から舟着場まで引出すための費用」に分けられる。そして'
前者は'文禄四年には'秋田氏分の板のみに関する費用であり'慶長元
年から同四年までは'秋田氏分・隣郡之衆分の板すべてに関する費用で(4)ある。それに対して'後者は'文禄四年から慶長四年まで原則として秩
田氏分の板のみに関する費用である。なお'伐採のための鉄の購入費に
ついては'ここでは省略した。
蔵米の年間の支出について、以下具体的な数値を用いて検討する。普
ず'材帳①〜㊥の「以上何石」・「右合何石」という形式で記述されて
いる数値を'そのまま表にすると'表④の括弧外の数値ようになる(但
し'表④の括弧内の数値については'後に説明する)。また'材帳①〜
㊥の「以上何石」・「右合何石」という形式で記述されている数値は'
蔵状④〜④の数値と一致する。ところが'これらの数値には若干問題が
ある。これについて述べる前に'舟賃(金子)を請取り杉板を実際に廻漕
表④ 蔵 米 の 年 間 の 支 出
\㌔ \ \内訳 道具 の購入費 仙の 人 件 費取 入 舟 賃 の た め に 支 出 した 蔵 米秋 田 氏 分 本 堂 氏 分 と小 野 寺 氏 分 l 合 計 !
文 禄
4 2 4
石 lI7 7 0
石( 8 8 7 7 2. 2. 7 7 0 0 3 3
石)
石( 1 1 6 6 6 6 6. 6. 7 7 0 0 3) 3
石慶 長 元
5 6 l 1 1 8 0 2 3 8 7. 7 1 2 2 4. 2 5 4 8 4 7. 9 5
( 2 3 8 7. 6 9 ) ( 1 2 2 4. 2 5) ( 4 8 4 7. 9 4)
慶 長
2 5 6 8 7 2. 9 1 9 7 8. 51 1 0 0 4. 7 2 3 9 1 1. 7 3
( 1 9 7 8. 51 ) ( 1 0 0 4. 7 2 ) ( 3 9 1 1. 7 3)
慶 長
3 5 6 1 2 2 2. 0 6 2 1 3 3. 8 5 3 3 81. 5 51
( 2 1 0 3. 7 8) ( 3 3 81. 8 4)
慶 長
4 5 0 1 2 6 0 1 7 4 6. 81 8 3 0 5 6. 81 8
材帳④ には、仙取入 の人件費は
、8 7 3
石 としてあ る。 しか し、材帳④ に よれ ば、秋 田氏は、机取
入1 2 4 7
人 を、7 0
日働 かせた。 そ して、1
日1
人当 り、米を 1升支給 した。 よって、人件費は
、1 2 4 7×7 0×1
升‑8 7 2. 9
石 とな る。 そのため表④ では、8 7 3
石 とせず に、8 72. 9
石 と した。材帳㊥には、慶長
4
年 の仙取入 の人件費 が、1 2 7 0
石 としてい る。 しか し、1 2 0 0×1 0 5 ×
1升
‑1 2 6 0
石 であ るか ら、表④ には、1 2 6 0
石 とした。‑5 9‑
した商人に'番号を付けることにする。
文禄四年の板は'材帳①によれば'道川兵次郎・塩屋甚石衛門・古川
京右衛門の三人が廻漕した。これらの商人をそれぞれ順に商人①・商人
④・商人④とする。
慶長元年の商人については'材帳④に出て‑る順に'次のようにする。
あふ屋宗介
←
商人④三国之治兵衛
← 商
人㊥さかの屋又右衛門←商人⑥
とね作四郎中村新介‑1商人⑦
中村新介
ひゝ六
大野次兵衛
阿たか宗介
‑里屋伝左衛門
さかや兵衛
こせき平右衛門
高嶋屋久次 ‑←商人㊥
←商人④
←商人⑲
‑‑tv商人⑪
l商人⑲
‑‑‑小商人⑯
←商人⑭
←商人⑯
次に'慶長二二二・四年の商人に'番号を付ける。例えば'慶長二年の
請状⑭は'本稿の第一章の櫛で述べたように'前川五右衛門が杉板を請
取ったことを示す請取状である。そこで'前川五右衛門を商人㊥とする。
このように慶長二・三・四年の商人は'請状の番号をとって'商人何香
とする。すると'慶長二年の商人は'商人⑭〜㊥であり'慶長三年の商
人は'商人⑲〜㊧であり'慶長四年の商人は'商人㊨〜㊥である。なお' 商人㊨は石井彦五郎であり'この石井彦五郎が本堂氏分の板を廻漕した
商人であることは'第二章の棚のところで既に述べた。
また'材帳①〜⑤には'商人一人一人に渡した舟賃(金子)や小野寺
氏・本堂氏の奉行に渡した舟賃(金子)が記されており'その金子が蔵
米をどれだけ換金して得たものであるのかtということについても詳し
‑記してある。そこで'舟賃(金子)のために換金した蔵米の詳細を表
にすれば'表⑤Ia〜表⑤‑2のようになる(但し'表⑤‑a〜表⑤‑
2
には'商人あるいは小野寺氏・本堂氏の廻漕した板の間数も書き加えてある)。
ここで'先に示した材帳①〜⑤の「以上何石」・「右合何石」という
形式で記述された数値の問題に戻ることにする。蓑④の括弧内の数値は'
表㊥‑a〜表㊥‑eの数値を用いている。表④の括弧内の数値と'表④
の括弧外の数値を比較すれば'慶長三年のところが大き‑異なっているこ
とが分かる。そこで'いずれが正しいのかtということが問題となる。
これについては'次の二点から考えられる。
①表④の問題の部分の'括弧外の数値を計算すれば'五六+一二二二・〇六±二三三・八五=三四二・九一となる。この三四二・九
一は'表④の三三八一・五五一と異なる。したがって'括弧外の数
値の方は不自然であり'括弧内の数値の方が正しいと考えられる。
④括弧外の数値より'括弧内の数値の方が'その数値の内訳が詳細に
史料中に記載されているから'括弧内の数値の方が'正確なもので
ある可能性は高い。
右の①・④の二点より'表④の数値は'括弧内の数値の方が'括弧外の
6 0
表(
9‑a
文禄4
年 の舟賃 (蔵 米 )舟 賃 板 の 間 数
商 人 (∋
38 4
石4 0 0
間 商 人 Lil272.703 2 53
商 人 ④
2 16 14 7
・表⑤ ‑ a〜表⑤ ‑ eの合計 の欄 には 、括弧 内 の数値 と、括 弧 外 の
数値 の
2
種類 の数値 があ る (但 し、表⑤一a
は例 外的 )。 そ して 、括弧 内の数値 は、 「商人 の ところの合 計 の数 値 」 であ る。 それ に
対 して、括弧 外 の数値は 、 「商 人 の ところの合 計 の数値 +小野 寺
氏 ・本堂 氏 の ところの数値 」 であ る (表 ⑤
‑a
の合計 の欄 に、括弧 外 の数値 が記述 され てい ない のは 、文 禄
4
年 に杉板 を廻漕 したのが、秋 田氏 のみだか らであ る)。
表
㊥‑C
慶長2
年の舟賃 (蔵 米)舟 賃 板 の 間 数
商 人 @
31 0. 58
石5 5
問商 人 @
2 4 0 4 2
問半商 人 @
2 2 6. 36 4 0
商 人 ㊧
11 8. 5 8 21
商 人 ㊥
2 82 5 0
商 人 (痩
3 4 9. 6 3 61
間半商 人 ㊨
2 82 5 0
商 人 ㊧
1 6 9. 3 6 3 0
本 堂 氏
1 86 6 6
小野寺氏81 8. 72 1 4 2
合 計
2 9 83. 23 5 61
(1 97 8. 5
1)(3 5 0)
・商人の番号が、必ず しも⑯〜㊨ の順
に並んでいないのは、表(9
‑ C
の商人の順序が、材帳④に記述 されてい
る順序だからである。
・表(9‑d、表
⑨ ‑ e
の場合 も、上 と同様の方法で、作製 されている。
表⑨ ‑b 慶長元年 の舟賃 (蔵米 )
舟 賃 板 の 間 数
商 人 ④
2 22
石1 8
問 .4尺 .9
寸 .商 人 桓)
1 33. 9 1 2 .
1.6
商 人 @)
商 人 (∋ノI
商 人 ④ 喜l
1 221. 1 47. 84. 81 45 1 4 ■ l i 8 5 2 . :: . . '6 : l
il商 人 (∋
1 84. 1 4 l 1 5 .1 .6 1
商 人 ④ I
221. 45 1 8 .4 .9
商 人 @
2 09. 1 8 1 7 .4 .9
商 人 ⑲
88. 3 6 7 .3 .2 .5
商 人⑪
2 5 2. l l 21
商 人 ⑫
2 22 1 8 .4 ,9
商 人 ⑲
3 32. 1 8 2 9 .
商 人 ⑭
2 21. 4 5 1 9 .3 ,2 .5
商 人 ⑯
1 53. l l 1 4 .3 .2 .5
本 堂 氏
2 74. 95 2 2 .
小野 寺氏9 4 9. 3 9 0 .
合 計
3611. 9 4 31 7 .4 .9 .5
‑ 6 1 ‑
法⑤
‑d
慶 長3
年 の舟賃 (歳米 )舟 賃 板 の 間 数
商 人 ㊨
9 0
石22.5
問商 人 ㊨
4 9. 909 12.5
商 人 ⑲
2 52 63
商 人 ㊨
9 0 22.5
商 人 ㊧ 9)
22.5
商 人 ㊨
1 80 45
商 人 ㊨ 獣)
22.5
商 人 ㊥
1 80 45
商 人 ㊨
5 9. 44 15
商 人 ⑲
1 8 0 45
商 人 ⑭
1 6 2 40
本 堂 氏
131. 03 66
小野寺 氏
54 9. 401 145
合 計
21 03. 7 8 566.5
表⑤‑e
慶長4
年 の舟賃 (蔵米)舟 賃 板 の 間 数 商 人 ㊨
1 53
石42. 5
間 商 人 ㊨1 0 8 3 0
商 人 ㊨1 53 4 2. 5
商 人 ⑲2 2 5 62. 5
商 人 ⑲7 2 2 0
商 人 ⑲ 1805 0
商 人 ㊧1 80 5 0
本 堂 氏1 1 7. 81 8 6 6
小野寺氏5 58 1 45
合 計
1 746. 81 8 5 0 8
(1 071 ) (2 9 7. 5)
数値より正しいと考えられる。
以上によって'蔵米の年間の支出について'一通り検討したことにな
る(本章の中心の表は'表④である)。
なお'従来の研究では'蔵米の年間の支出に関して'若干の問題を令
んでいる。以下'それらを列挙していく。
渡論文(二九貢)の三六二・三三は三六二・九四の誤りであり'
二三八七・〇八は二三八七・六九の誤り'一九七八・三lはl九七八・
五一の誤植(これだけは誤植)であり'二八八・八一八は一〇七一の
誤りである。
渡論文(三一頁)の一七七八・三一は一九七八・五一の誤り'二八
八・八一八は一〇七一の誤りである。
啓論文(二六〜二七頁)の八七二・七三は八七二・七〇三の誤り'
二二二三・八五は二一〇三・七八の誤り'一二二四八・五八は一〇四四「5)五・七六八の誤りである。
古論文(七一九頁)の一二七八・六は二一七八・〇六の誤りであり'
八七二・七二は八七二・七〇三の誤り'二三三丁八五は二一〇三・七
八の誤り'一六六六・七三は一六六六・七〇三の誤り'三四二・九四
は三三八1・八四の誤りである。
徹論文①(二二頁)は'古論文(七一九頁)と全‑同じところを誤っ
ている。
徹論文②(一四八〜一四九貢)の第九表の二一〇三・四二は二一〇三・
七八の誤り'三三八一・四八は三三八一・八四の誤りである。
6 2