渋沢栄一の「論語算盤説」と日本的な資本主義精神
著者 王 家?
会議概要(会議名, 開催地, 会期, 主催 者等)
会議名: 日文研フォーラム, 開催地: 国際交流基金 京都支部, 会期: 1995年3月14日, 主催者: 国際日 本文化研究センター
ページ 1‑38
発行年 1995‑05‑20
その他の言語のタイ トル
The analects and the abacus : Shbusawa Ei'ich and the development of capitalism in Japan
シリーズ 日文研フォーラム ; 72
URL http://doi.org/10.15055/00005720
第72回 日 文 研 フ ォ ー ラ ム
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渋沢栄一の 「論語算盤説」と 日本的な資本主義精神
TheAnalectsandtheAbacus:ShbusawaEi'ichand
theDevelopmentofCapitalisminJapan
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王 家 騅
ProfWangJiahua
国 際 日本 文 化 研 究 セ ン タ ー
日文研フォーラムは︑国際日本文化研究センターの創設にあたり︑
一九八七年に開設された事業の一つであります︒その主な目的は海外
の日本研究者と日本の研究者との交流を促進することにあります︒
研究という人間の営みは︑フォーマルな活動のみで成り立っている
わけではなく︑たまたま顔を出した会や︑お茶を飲みながらの議論や
情報交換などが貴重な契機になることがしばしばあります︒このフォー
ラムはそのような契機を生み出すことを願い︑様々な研究者が自由な
テーマで話が出来るように︑文字どおりインフォーマルな﹁広場﹂を
提供しようとするものです︒
このフォーラムの報告書の公刊を機として︑皆様の日文研フォーラ
ムへのご理解が深まりますことを祈念いたしております︒
国際日本文化研究センター
所長梅原猛
● テ ー マ ●
滅"の 「論語ノ、欟 と日 な資'目 神
● 発 表 者 ●
王 家 騨
WangJia‑hua
発 表 者 紹 介
王 家 騨
WangJia‑hua 南 開 大 学 教 授
1941年 1968年 1978〜1992年
1992年 〜 現在 1994年6月 〜1995年5月
中国天津市生まれ 南開大学歴 史学部卒
南開大学歴史研究所 日本史研究室 助手、専任講師、助教授
南開大学 日本史研究室教授
国際 日本文化研究セ ンター客員教授
著 書:
『日本 明治 維新 』(共著 商 務 印書館)、1984
『日本 歴史 人物 伝 』(共著 黒竜 江人 民 出版社)、1984
『日中儒学 の比 較 』(東京 六 興 出版)、1988
『儒 家 思想 と日本 文化 』(浙江 人 民 出版社)、1990
『儒 家思 想 と日本 の近 代化 』(浙 江人民 出版社)、1995 賞:
天 津市 人文 社会 科学 著作 賞
渋沢栄一(一八四〇〜一九三一)は︑﹁日本近代資本主義の最高指導者﹂とほめ
たたえられた︒何故に人々が渋沢栄一を以上の表現で呼んだのであるか︒それは︑
渋沢栄一が︑実業面では︑日本の近代的な産業や近代的な経済制度の育成.建設
のために︑指導的な役割を果したばかりでなく︑精神の面では︑﹁論語算盤説﹂
(﹁道徳経済合一説﹂︑﹁義利両全説﹂)を提唱して︑日本的な資本主義精神を育てあ
げたからであろう︒私の報告は︑﹁論語算盤説﹂の提出の歴史的背景やその内容及
び社会機能などの検討を通じて︑近代的に再解釈された儒学倫理が近代資本主義
の成立と発展の推進力となったことを説明してみようとするものである︒
(一)︑なぜ﹁論語算盤説﹂をとりあげるか
始めに︑私は渋沢栄一の﹁論語算盤説﹂というものを取りあげて論じてみよう
という気になったのはなぜか︑その理由︑また取りあげる私の態度︑そういうも
のをあらかじめ説明しておきたいと思う︒
第一の理由としてあげたいのは︑﹁論語算盤説﹂の研究によって︑儒学と近代化
との関係についての国際的論争に参加したいのである︒
いま儒学と言うと︑人々の中でなんだか古ぼけた時代遅れのイメージが強いよ
うである︒儒学が多くの学者によって前近代的あるいは反近代的なものと規定さ
れた︒例えば︑ドイッの宗教社会学者マックス・ヴェーバi(一八六四〜一九二
〇)が︑その名著﹃プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神﹄と﹃儒教と
道教﹄の中で提出している理論は︑通説になっている︒マックス・ヴェーバーの
説によると︑ヨーロッパのプロテスタンティズムの経済倫理は実に西洋近代資本
主義の生誕に大きく貢献したが︑これに対して儒学は現実に消極的に順応するこ
とを主張するので︑結局儒教文化圏では近代資本主義は自発的に生まれなかった
のである︒しかし︑一九六〇年代以来︑日本経済が大変な高度成長を遂げて︑つ
づいてアジアの﹁四小竜﹂(台湾・香港・シンガポール・韓国)が躍進した︒二十
一世紀は太平洋の世紀となり︑世界経済の発展の重心がまもなく東に移るだろう
という予測もある︒歴史的に見れば︑日本とアジアの﹁四小竜﹂はいずれも﹁儒
教文化圏﹂に属しているので︑その発展の秘密および儒学との関係を探求するの
は︑当然中国や東アジア諸国︑乃至西洋学界の人文社会科学研究の焦点の一つと
なっている︒勿論学者の見解はさまざまであるが︑大体二つの派に分けられる︒
一つはこうである︒日本とアジアの﹁四小竜﹂の経済発展と儒学倫理には︑因果
関係があるだろうというもので︑これらの国や地域を﹁新儒教国家﹂︑﹁儒教資本
一2一
主義﹂と呼んで︑﹁儒教ルネサンス説﹂を唱える学者もいる︒この説に対して︑も
う一つの説は経済発展を文化論で説明するのは正確ではないというのである︒つ
まり儒学倫理とこれらの国や地域の経済発展は︑相関関係があるかもしれないが︑
因果関係は一切ないと︒近代化というのは多方面にわたる過程であり︑文化や精
神構造だけで説明しようというのは︑的外れも甚だしい︒儒学の伝統のいくつか
の側面は︑経済発展に対しいくつかの条件を提供したかもしれないが︑しかし︑
それで言い尽せるわけではない︑と言う︒ところが︑私から見れば︑両方とも仮
説の段階にとどまり︑その理論︑とくに実証の説明はまだ不充分ではないかと思
う︒私の渋沢研究はつぎのことを具体的に立証したいのである︒つまり渋沢栄一
の﹁論語算盤説﹂は︑その内容でも︑その社会機能でも︑マックス・ヴェーバー
の言う所の︑いわゆる﹁資本主義の精神﹂と較べて見ると︑類似点があり︑日本
の近代資本主義の形成と発達に大きく貢献したと︑それによって近代的に再解釈
された儒学倫理はかならずしも近代化の発展に相容れないとは言えないというこ
とである︒
第二の理由としてあげたいのは︑渋沢栄一の﹁論語算盤説﹂の研究を通じて︑
マックス・ヴェーバーの理論についての︑いままでの研究の盲点を突きたいので
ある︒マックス・ヴェーバーの言うところの﹁資本主義の精神﹂の役割は主に二
つの側面がある︒一つは︑資本主義精神の成立が近代資本主義の秩序の生誕に先
立って︑近代資本主義の発生の原動力であったことである︒もう一つは︑資本主
義精神が倫理的に近代資本主義の秩序の正常的な発達を確保したことである︒と
ころが︑いままでのマックス・ヴェーバーの理論についての研究は︑ほとんど前
の側面の役割に目を奪われたが︑後の側面の役割がまったく無視されてしまっ
た︒私の渋沢研究はこの盲点に目を配りたいと思う︒
(二)日本の近代資本主義の特徴
ところで︑歴史的に渋沢栄一の﹁論語算盤説﹂を位置づけるには︑日本の近代
資本主義の特徴を説明して︑﹁論語算盤説﹂の提出の歴史背景を明らかにしておか
なければならない︒日本の近代資本主義の成立・発展は︑欧米の先進諸国と異なっ
て︑もろもろの特徴がある︒ここでは瑣末なものははぶくこととし︑主要なもの
のみをあげることとする︒
第一︑日本の近代資本主義の成立は︑日本社会の内部の歴史発展の自然的な結
果ではなくて︑欧米列強に圧倒される運命を避けるために︑余儀なく近代資本主
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義の途について促進されたものである︒勿論︑一八五九年(安政六年)の﹁開港﹂
の前に︑日本の国内市場における商品流通と貨幣流通は相当に発達したものであ
るから︑産業資本もある程度の発達は見られたわけである︒生産形態は全体とし
ては問屋制前貸ないし問屋制家内工業が優勢であったようであるが︑マニュファ
クチュア(工場制手工業)の発達も幕末には各種の工業分野(例えば︑織物業・
製糸業・酒造業・製糖業・鋳物業など)にわたって現われるようになっていた︒
しかし︑幕末の﹁開港﹂までは︑日本の産業資本の発達は︑まだ弱いもので︑自
然発生的に近代資本主義を産みだした程度には及ばなかったのである︒﹁開港﹂︑
とくに明治維新以降︑半植民地の危機から脱却するためには︑日本の唯一の活路
は︑欧米先進諸国の技術と制度を学んで︑上から近代資本主義の産業・経済を育
成しなければならなかった︒明治政府がかかげた﹁富国強兵﹂︑﹁殖産興業﹂︑﹁文
明開化﹂という三つのスローガンの中で︑﹁富国強兵﹂は核心と目的で︑﹁殖産興
業﹂(つまり上から近代資本主義の産業・経済制度を育成すること)は﹁富国強兵﹂
を実現する手段にすぎない︒近代資本主義の産業・経済を育成・発展させて︑国
家の富強を実現するのは︑当時の日本国民にとって︑民族の運命にかかわる至上
の課題であった︒この時代的・民族的課題は︑日本の近代資本主義の成立・発展
と日本民族の興亡との必然的なつながりを規定し︑日本の近代資本主義の育成・
発展を政府主導型に決定したのである︒
第二︑日本は産業資本の原始的蓄積がまだ不充分であったという条件のうえで︑
近代資本主義の産業・経済制度を移植してきたので︑欧米諸国のように︑資本の
原始的蓄積をしてから産業革命を実行することができなくて︑資本の原始的蓄積
と早期の産業革命を並行しなくてはならなかったのである︒資本の原始的蓄積を
できるだけすみやかに行うためには︑明治政府が主導者として上から強制的に秩
禄処分・公債発行・地租改正などを推し進めたほかに︑国内の民間資本の近代産
業資本への移転に利する社会的・文化的環境を造らなければならなかったのであ
る︒
第三︑近代資本主義の産業・経済制度を移植すると同時に︑その実際の担い手
である近代的な企業家を育てあげなければならなかったのである︒新しく発生し
た企業家のうちには︑三井や住友のように江戸時代以来の特権的な巨商でありな
がら︑よく新時代に処して近代産業の担い手に転化したものもあったが︑多くは
むしろ武士・農民あるいは商人から現われた︒これらのうち︑官界から野にくだっ
て企業の世界に投じたものもあったが︑それよりも維新の変革期に際してあらゆ
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る手段を講じて富を積み︑次第に近代的な企業家に成長したものが多かった︒と
くに士族の出身者は多かったのである︒明治期全体の企業経営者を調べて見ると︑
なんと士族出身者が全体の四十八パーセントをしあている︒そこで︑かれらの意
識転換が必要であった︒つまり︑近代的な企業家を育てあげると同時に︑かれら
の具わなければならない資本主義精神を養わなくてはならなかったのである︒
(三)︑﹁資本主義の精神﹂とは
﹁資本主義の精神﹂というのは︑いったい何であろうか︒江戸時代の日本には︑
噛資本主義の精神﹂のような思想・倫理があるかどうか︒次はこれらの問題を検討
していきたいと思う︒
非常に簡単化して言うと︑﹁資本主義の精神﹂というのは次のようなことである︒
資本主義が勃興してくる過程で︑その動きを人々の心の内側から推し進めていっ
た心理的起動力︑あるいは精神︑それを通常﹁資本主義の精神﹂と呼んでいる︒
いわゆる一資本主義の精神﹂は︑ただ営利つまり利潤の追求を認めるばかりか︑
ある意味では︑それを倫理的義務とさえ考えることである︒それは通常言われる
ような単純な貨幣欲とか貪欲といったものでは決してない︒また︑合理的経営体