現代日本における政治的政策決定者の利益代表性
その他のタイトル Special interest oriented representation in terms of career variables of political
decision‑makers in post‑war Japan
著者 中道 実
雑誌名 関西大学社会学部紀要
巻 8
号 1
ページ 33‑73
発行年 1977‑01‑31
URL http://hdl.handle.net/10112/00023132
中 道 実
問 題 の 所 在 一 権 力 構 造 分 析 の 三 つ の 理 論 的 立 場
「社会を支配する者はいるのか」「誰が社会を支配しているのか」は現代の経験的政治社会学 の中心的な問題関心をなしている。これは系譜的にはプラトンやアリストテレスにまで遡上るこ とのできる長い歴史をもった課題であり,学説史上多くの学者や文筆家たちがこれに関する多く の思索的な解答や豊富な一般的常識的論議を提供してきた。しかしそれらは注意深く検討すれば 豊宮な権力と支配についての知識を我々にもたらしはしたが,深さという点において不完全であ り不充分であることは否めなかった。しかしながら,19世紀以来,このテーマに関する体系的な研 究が進められ,今日では相互に相手を論難し,それぞれ現代社会への経験的適合性を主張する三 つの有力な理論的立場が確立され多くの支持者を獲得するに至っている。先ず賓本主義社会を構 造的に規定する資本主義的生産様式を重視し,それが不可避的に帰結する資本と労働の分化,従 ってそれらを経験的に代表する資本家と労働者の基本的な分化を認識し,両者の根本的な階級的 利害の対立と前者の後者に対する経済的優勢を主張するマルクス主義がある。我々の現在の論議 にとってのマルクス主義の意義は,その社会モデルが生産力,生産関係,法律的・政治的制度,
社会的意識形態の四つの要素から構築され,要素間の関係が独立一従属変数の関数関係として捉 えられているところにある。即ちそれは究極的な変動因(独立変数)を物質的生産力と見,これ の発展段階に生産関係の在り方が対応すると考えることによって,この両者の総体である社会の 経済的下部構造が,この上に立つ法律的・政治的制度や社会意識形態の上部構造を決定し制約す ると説明するのであるD。 マルクス主義にとって生産関係,すなわち物質的・経済的関係こそ最 も基本的な社会関係なのであり,それ以外の場での関係は生産関係を貫く原理によって支配され る派生的・ 副次的なものに他ならなかった。そして,この仮説的命題はマルクス主義の階級論に 投影され,その理論的性格を強く規定している。階級決定の本質をなす生産関係上の地位の違い は現象面での富の分配の不平等,それに伴なう生活様式の差異,更には生活機会の差別状態を結 果するだけでなく,政治的地位を決定すると考えられたのである。生産手段を所有し,生産関係 に君臨することによって経済的に支配する階級は同時に,政治的,社会的に支配する階級でもあ った。今ここで全体社会レベルでの支配権力を保持する階級を想定し,それを支配階級と呼ぶと 1) K・マルクス著, 向坂逸郎訳『経済学批判』'(マルクス・エンゲルス選集第7巻所収)新潮社,昭和48
年, 54 55頁。
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すれば,それは現実には「国家の権力を利用し掌握する」階級として現われる。換言すれば,あ る階級の代表者ないし代弁者がその階級の権力を背景とすることによって国家の権力を獲得する 時,我々はその階級を支配階級と呼ぶことができる2)。 とすれば,マルクス主義にあっては産業 における生産手段の所有者としての資本家階級は支配階級に他ならないことになる。そして,事 実,マルクス主義によって,資本主義社会の国家は資本家の労働者に対する権力の制度的形態と され,政府は資本家の階級利害を推進し保守する彼らの執行委員会と解されているのである。そ の背景には資本主義の本質的特徴が最も豊かに顕現され,経済的関係が経済以外の人間関係を支 配した自由主義的資本主義段階という時代制約が反映していたことは明らかである。 しかし,
「科学技術革命に基づく技術の飛躍的進歩と技術体系の高度化」および「それに対応する組織・
機構の巨大化と官僚制化」を帰着現象とする産業化過程の下に登場してきた現代社会も依然とし て資本主義社会である限り,その中核には資本主義的経済構造が据えられているのであり,社会 内に具現される社会構成員間の社会関係は資本主義的生産様式が結果する経済関係によって根源 的に支配され,没透され,その在り方を規定されるということになる。マルクス主義者たちにと って,近代市民社会から現代の高度産業化社会への移行は資本主義的生産様式の発展過程,具体 的には産業資本段階から独占資本段階への推移として理解され,そこにもなお資本家的所有にい ろどられる資本・賃労働の支配・ 収奪の関係を基軸とした階級状況が現出されているものと捉え られるのである。現代の国家は資本家階級が自己の生産諸条件を維持するために,他の諸階級を 抑圧し支配する道具として組織し統制する政治権力機構に他ならないとされた。
マルクス主義者が20世紀における資本主義社会の本質的特徴を資本主義的生産様式の発展過程 のうちに捉えるのに対して,そこでの諸事実を基本的には官僚制的組織原理の貫徹の結果とみる 人々がいる。
その理論的定礎者であるM・ウェーバーはマルクス主義者が資本主義を一定の生産様式ないし はそれによって規定される経済構造の特性において概念構成するのに対し,このものをその中に 支配的である特定の精神形態,即ち,いわゆる資本主義の精神にかかわらしめて概念構成する3)0 ウェーバーにとって「合法的な利潤を使命として組織的にかつ合理的に追求するという精神的態 度」こそ資本主義体系に固有な要索なのであり,人々の間に共通にみられる生産倫理としてのひ たすら利潤の獲得に志向させる意識態度と最大限利潤に志向する目的合理的な経済活動という価 値,即ち経済的合理主淡を基底とし,それが根源的に支配する社会,それが資本主義社会なので あった。従って,ウェーバーによる資本主義の本質的特徴としての精神的態度の基調は利潤の獲 得を客馘的目的として提示し, その目的実現のために一切の行為を合理化する目的合理性であ り, 形式合理性であるということができる。 このような合理的資本主義が最も典型的に体現さ れ,従って形式的・目的合理性を最大の特徴とする構造は官僚制である。それは現存資源の最も
2)高田保馬著『階級及第三史観」改造社,大正14年, 175 6頁。 3)小原敬士著『近代資本主義の範疇J青木杏店,昭和43年, 91頁。
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合理的な組織化という点においても大羅の質的に高度な業務を精密にまた能率よく処理するとい う点においても,他のいかなる組織形態にも勝っているからである4)。 ウェーバーにとって官僚 制こそは歴史的な合理化の顕現なのであった。それ故,マルクス主義者が自由競争の段階から賓 本の蓄積と集中による資本主義経済の独占段階への移行として把握した近代社会から現代社会へ の歴史的過程は,ウェーバーにあっては経済のみならず政治・宗教・教育その他の社会領域全般 にわたっての組織技術的意味での官僚制化現象として捉えられたのである。歴史過程としての官 僚制化は社会全般にわたって作動しつつある組織の必然的な合理化の過程であり,現代化の宿命 なのであった。ところで.このような組織化;機構化の過程はウェーバーの眼には所有権力が次 第に組織それ自体に纂奪されていく事態として映っていた。官僚制の発展は組織の規模を拡大し その内部での専門分化した役割を調整し統合しつつ組織目的の実現に向かって.それを管理・運 営する高度な専門家としての行政幹部を必要とする。それ以前まで経済的従って社会的地位の優 越せる一部特権層によって引き受けられてきた行政的機能の遂行は,社会的・経済的地位にかか わりなく業絞と技術上の資格にのみ基づいて全ゆる社会層から補充された専従専門家による有給 的専門行政の機能遂行におきかえられたのである。人々の社会関係は未分化で多面的な人格的な ものから機能的な分化もしくは高度な分業化従って合意と規則にしばられた役割の没個性化に基 づく非情緒的で一面的な非人格的なものとなり.支配権は規則に基づいて行使され.従前の支配 形態にしばしばみられていた所有と権力の合体による恣意的で専横的な支配は排除された。それ と共に富裕者や名望家が行政的諸義務の引き受けに対する代償として認められていた利権や役得 の取得という経済的特権や.社会的威信や名営の独占といった社会的特権も所有から分離された のである。即ち,ウェーバーにとって現代化の宿命である合理的組織化こそ.所有からの政治的 権力や社会的威信の分離を帰結したのであり,社会構造を支配関係を軸としてみていく彼が「伝 統主義から合理主義」へと概括的に表現した近・現代社会の合理化過程のもつ創造的な証しこそ それに他ならなかったのである。その意味で,ウェーバーはR・A・ニスペットが評言するよう に,正に組織革命論者であった5)。 ウェーバーはマルクスが階級の生産物とみたところの政治権 力を分析的に独立して扱う。ウェーバーはこれを強調する際に国家官僚制の巨大な発展と本来自 らの専門的知識や技術・能力を駆使して支配者の決定した政策を忠実に実行する執行者たるべき 統治機関が政策決定や政策形成の権限と機能を掌中化していく過程を経験的事実として認識して いた。彼は統治機構を支配する官僚制的組織原理に基づいて制度的権力を保持し物的手段や組織 内の情報の集中・集梢と自らの専門的技能を体現した専門的政治家集団が政策立案・決定機能を 簗奪することによって支配階級から独立独行化していく過程を時代状況の反映としてみつめてい たのである。これは現代社会における生産規模の拡大や民主的支配の複雑化の故に政治権力の担 当者としての専門的政治家集団の存在を不可欠としながらも,彼らを経済的に優勢な階級であり
4) M・ウェ.ーバー著,世良晃志郎訳『支配の社会学I」創文社,昭和43年, 91頁。
5) R• A・ニスベット著,中久郎監訳『社会学的発想の系譜I」アカデミア出版会,昭和50年, 187頁。 5 ‑
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従って政治的権力の領有者である人々の認容の下でその利害を代弁する位置におく,いわば支配 の分業化として支配構造を捉えるマルクス主義者たちと対照的である。
現代社会における支配構造の性格を,ウェーバーの理論的枠組に立脚して官僚制的組織原理の 貫徹による大規模組織・機構によって与えられていることを主張する今日の政治・社会学者たち は最早権力の基礎を生産手段の所有だけに限定しない。例えばそれの代表的論者であるR・ダー レンドルフは現代を組織時代と認織することによって階級形成の標識を官僚制的組織内の支配的 地位への参加あるいはそれからの排除に求めている。彼によれば支配は生産手段から分析的に独 立した社会関係の一形態であり,それ故,所有は支配の一形態であってもそれ自体決して支配の 唯一の形態ではないのである。そして,彼はこのような支配関係によって定義される階級概念に よってはじめて後期資本主義社会の変化した諸事実を説明することのでる理論形成が可能になる と主張したのである6)。現代社会を構造的に規定する社会各領域全般にわたっての官僚制化を事 実認識する時,このような官僚制組織のうちに支配者集団の存立基盤を求めるダーレンドルフの 見解は,社会のうちに多くの競争的・闘争的また共存的な支配者集団の実在を容認することにつ ながる。「産業の支配者ならびに被支配者は最早それに対応して政治的階級の支配者ならびに被 支配者となるとは限らない7>」 のである。ここに経済的権力と政治的権力との直接的関係は否定 され,国家を資本家階級の執行代行機関とみなすマルクス主義的単一支配階級概念の有効性に疑 いが持たれることになった。
今や「支配階級は誰か」ではなく「支配階級は存在するのか」を問うことが中心問題となった のである。この問題関心に則して現代の権力構造論の中で主要な理論的立場を確立してきたもの に政治的多元論がある。この立場は「かっての支配階級の権カヒエラルヒーから多くの拒否権集 団への権力の分散」を現代特有の権力状況とみるリースマンの見解8)によって代表されるよう に,社会に単一の支配階級の欠如を論定し, 「無定形の権力構造」を認識することによって権力 の拡散ないし競合を強調している。多元論者の眼には明らかに社会の各領域を構成する自発的組 織の拡大発展とその内部での官僚制的組織原理の貫徹による権力や物的手段の集中..集積を背最 とする組織指揮中枢層(多元論者およびエリート論者の語法でいえばエリート屈)の出現が,現 代社会の権力状況における多極化と流動化を顕現していると映っているのである。高度産業化と それに対応する組織・機構の巨大化と官僚制化に起因する複合的な分化された形態の社会では,
いかなる単一の権力集団も国家を統制することはできないと多元論者はいう。国家的諸問題の統 御は社会生活の各領域で発達しそのことによって政治的影唇力を拡大した,即ち利害関係集団化 した大規模自発的組織とそれを代表する諸エリートの間で分有される傾向があると解されている
6) R・ダーレンドルフ著,富永健一訳『産業社会における階級および階級闘争』ダイヤモンド社,昭和45 年, 189192頁。
7)同上, 381頁。
8) W. Kornhauser, "Power Elite or Veto groups?" in G. W. Domhoff and H.B. Ballard (eds.), C. Wright Mills and the Power Elite, 1968, pp.3840.
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からである。彼らにとって政治はゲームであり,それはそれぞれの利益を追求する多様な利害関 係集団やエリートによって演じられるものとして映った。従って「政府は集団圧力の焦点であ り,その課題は集団要求の最上の共通要因を反映する政策を産出することにある9)」 と論定され たのである。権力の源泉の多様化を主張する多元論者の論拠は,大規模化によって政治的影唇力 を強化した自発的組織の利害関係集団化と,それに結集しそれを媒介とした大多数の国民の社会 的レベルヘの進出が,それまで体制外的な立場にあった人々に体制内的地位を与えることによっ て,彼らと彼らの組織の利益を代表する多元的エリートの政治的政策決定への影響力行使を現出 し,政治における価値と利益の多元化を結果しているという点にある。多元論者のエリート観念 によれば少くとも異なった社会領域にはそれぞれの領域内での集団間の系列化と集団間の組織化 によって達成された全国的規模での中央集中権力を体現する領域エリートがそれぞれ存在するこ とになる。それらのエリートは相互に対抗エリートとして競争し闘争し共存しあいながら均衡状 態にある権力の拡散状況を実現しているとされるのである。しかし多元論者はそれらのエリート の全てが国家的政策決定過程に等しく重要な役割を演ずると必ずしも主張しているようには思わ れない。政治的・社会的問題に関して特定のいくつかのエリートが他のエリートよりも大なる影 響力を行使することを認めるからである。彼らにとっての主要論点はそれらの優位エリートが統 ーも持続的な連合もしないという点にあるのであり,従って多様な利害関係集団やエリート間の 影響力階梯がそのまま単一支配集団の実在を結果しないという点にあるのである10)。基本的に特 定の社会領域を代表しその領域にかかわる問題の専門家としてエリートを概念構成する彼らにと って特定問題の政策決定に関する特定エリートの優位的なかかわり合いという仮定は多元的論議 の基本前提となるものである。しかし,上にあげた多元論者の,いわば譲歩ともみられるべき現 実認識は,エリート論の先駆者といわれるV・パレート以来,全体の部分として,社会を領諸域 に分ち,それぞれの領域の「トップに位置する人々」一人々が持っている価値の銀点からであ るにせよ,心理学的ないし道徳的属性の観点からであるにせよ,あるいは制度的地位と役割の錮 点からであるにせよ-—ーをエリートと定義する「領域論」的エリート論に基本的な思考方法に不 可避的な解決すべき問題を提示している。本来,並列的,水平的な諸領域発想は部分としての諸 領域の,全体としての社会構造に対する関連に関心を払うことを不可避とし,そのためにそれら の諸領域がどのように組み合わさっているかの相互関連を説明する必要に迫られるからである。
この問題関心に則して,現代社会に相対的に自律した自発的組織ないし領域を前提としそれらを 源泉とすることによる権力の分散を説いた多元論者とは対照的に,諸領域のエリートの凝集性や 諸領域の政策決定に及ぼす影唇力階梯からみた累積性を強調することによって,経験的に権力集 中論を展開したのはエリーティストと総称される人々であった。この立場は系譜的にはV・パレ ート, G・モスカ, R・ミヘルス等の古典的エリート論者にまで遡ることができるが,現代にお
g) G. Parry, Political Elites, 1970, p. 66. 10) ibid., pp. 668.
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ける巨大な機構ないし組織の登場を背暴とする現代社会の複雑化した支配構造を分析するにあた って,エリートの権力支配に真正面から取り組み,その著作がアカデミックな論争と一般的な関 心を誘発し一部に強力な支持者を獲得しているのはC・W・ ミルズである。彼は現代社会に異なっ た領域の社会生活を区分するという点で領域論に立つが, しかし彼の分析対象とした現代アメリ カの全国的規模の権力の所在地は特に巨大な管理機構としての形を整え,決定権の中央集権化を 達成している経済・政治・軍事の三領域にあり,その他の制度領域がこれら三つの領域に従属し ていることを強調する。しかも,彼は「経済・軍事・政治構造の結合がはてしなく進行」し,「こ の三領域のいずれか一つでなされる決定,もしくは決定の回避は他の領域に影響を及ぼすが故に 各領域の頂点は相互に連絡調整した上でなければ決定を下せない」現実認識の下に,詳細な事実 の引証を援用して,これら権力の三角形が「現在の権力構造にとって最も重要な相互に密接に連 関しあった支配層の源泉をなしている11>」実態を明らかにし, それを説明する分析用具として
「パワー・エリート」概念を提示する必要を主張するのである。つまり, ミルズは現代における 権力支配の基礎を社会諸領域の組織ないし機構のうちに捉え,アメリカ社会では経済・政治・軍 事の三領域のそれが権力の源泉をなすところから,それらの指揮中枢を掌握するエリート層を先 ず抽出し,次いでそれらの必然的従って経験的複合化による凝集され統一・統合された支配グル ープとしての国家的パワー・エリートの実在を立証する思考方法を採用しているのである。この 場合,パワー・エリートの複合性は三つのエリート間の客観的利害の一致,エリート間の経歴の 類似と生活様式の近接によって結果される私的な相互理解の深さや心理状態の類似性,およびそ れらと制度間の指揮中枢役割の相互交換可能性の増大とによる制度間人的交流の頻繁化等によっ て保持され促進されるものと考えられている。こうしてミルズは多元論的な「領域」エリート発 想を出発点とするにもかかわらず,権力の拡散ないし競合を強調する多元論に対立し,権力の集 中化と累積を主張する点ではマルクス主義者と一致するのである。しかし,彼は「支配階級」と は経済的階級が政治的に支配するという特殊現代的な権力構造の中での政治の自律性や軍部それ 自体の位置に関しては何も説明しない単純な考え方であるとして,その概念を拒否する。彼にと って, 政府はマルクス主義者が主張するように,単純に支配階級の委員会ではなく「それは諸 委員会の網の目であり会社富豪以外の他のヒエラルヒー出身の人々もこれらの委員会に列してい る」のであって, しかも彼らの間には往々にして何らかの緊張関係が存し,特殊関係にいろどら れた相対的自律性が確保されていると解されたからである12)。そこに,我々は社会構造を単一 権カヒ゜ラミッドとして描き,単一支配集団の存在を確認しながらなお彼の論議を方向づけている
「領域論」的限定をみることができる13>゜
11) C・W・ミルズ著,鵜飼信成・綿貫譲治訳『パワー・エリート』東京大学出版会,昭和43年, 5 9頁。 12)同上, 269頁, 466 7頁。
13)マルクス主義者とミルズの基本的な相違の一つは両者が生産手段の所有に基づく資本家を単一支配集団 としているのに対し,後者が三つのエリートに言及し, それらの間の連結・癒着を指摘することによって 単一支配集団の存在を確認する点にある。にもかかわらず, ミルズ自身の著作は,スウィージーやアプセ
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産業化の進展によって複雑に分化された現代社会の権力構造を規定する基本的要因を機能的 諸領域を構成する単位の拡大発展とそれらの管理統制機構化による決定権の中央集権化にみる 時,それらの領域の頂点に位置し,公的に規定された制度的権力を保持する管理エリートの存在 を無視することはできない。いく分の重複と過単純化のそしりを恐れず,既述してきた現代の権 力構造論に関する三つの理論的立場の差異を「複合的な分化された形態の社会」認識を根底に要 約しておきたい。先ず,管理エリートを経済的に支配する階級の「権力の働く腕」と理解し,資 本家階級は統治しないけれども事実上支配しているとの仮説を展開する今日のマルクス主義者た ちは経済的領域を社会構造の基本的な統合の中心におき他の諸領域をそれに従属するものとみな す前提に立っているということになるだろう。これに対して,権力が支配階級ないしパワー・エ リートモデルによって意味されるよりもはるかに多元的な管理エリートによって分散保持されて いると説く多元論者は,社会諸領域の相対的自律性を前提とし,従ってそれらを権力の源泉とす る領域限定的な専門的管理エリート間の均衡と抑制こそ民主主義社会存立の基本条件であると考 える。最後に血と財産に依拠した階級の管理エリートに対する統制を否定し,後者の前者からの 独立を主張するパワー・エリート論者は基本的に諸領域がある程度相対的に自律性を保持するこ とを前提としながらも,経験的に特定の諸領域が他の領域に比して支配秩序をなしていることを 認識し,それらの頂点の融合によって形成された自覚的な統合・統一エリート集団が国家権力構 造における支配中枢を占め,重要な政治的政策を下すとのテーゼを展開する。
現代社会の権力構造の把握に関する三つの相互に対立した理論的立場が提示されている現在,
科学的作業を志向する我々にとって大切なことは複雑に分化された社会で経済を社会秩序の第一 義的で究極的な要因とみたり,あるいは社会それ自体の多元性と相互依存性を重視するといった 基本的前提論や本質論に係わることではなく,権力構造の実態を現実に照らして分析することで ある。従って分析に際して現代の支配層を巨大生産組織を支配する独占資本家に先験的に固定さ せる必要もなければ,特定制度的秩序の頂点における連結・癒着を媒介にして形成され,常に自 己利益の観点からのみ政治的決定を下す単ーパワー・エリートの存在を前提とする必要もない。
ーカーが評するように,三領域エリートの存在を論証する章節において,経済的要因が究極的には決定的 であり,基本的に支配的であることを立証しているように思われる。即ち,彼は議会の地位を行政部門の 従属下にあると銀察すると共に,その行政部の指揮中枢が職業政治家ではなく,ポリティカル・アウトサ イダーたる大会社幹部に占拠され,彼らないし彼らの「使い走り」が政治幹部会を構成していること,ま た恒久的戦時経済下にあって資本の論理に支配された軍部と産業の連結・癒着の実態を把握しているから である。しかもこの場合,バーリとミーンズの実証的研究以来くり返し論議されてきた「所有と経営の分 離」に関するマルクス主義者とエリート論者の対立を.いわば折衷するような形で企業内部における専門 的執行機能遂行者と大富豪を別々に論じながらも,両者を会社富豪=経済領域の支配者として結合させて いるのであって,彼のパワー・エリート構図はその理論的枠組から離れて,経験的には権力の本質を階級 的に規定する支配階級論と近似したものになっていることは否定できない。
P.M. Sweezy. "Power Elite or Ruling Class?" in W. Domhoff and H.B. Ballard (eds.), op. cit., pp. 115132.
H・アプセーカー著,陸井三郎訳「パワー・エリート」 crライトミルズの世界」所収)青木書店.昭 和47年, 15 59頁。
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だからといって•,これら単一支配層の欠如を論定し,影響力,権力,政策決定,社会的報酬と資 源への多元的接近を前提とした諸エリート間の競合と対抗による権力構造の無定化論を主張する こともそれが実際の槻察の上に立つ論議でない限り,事実認識において大きな誤りを犯す危険性 を内包しているといえるであろう。経験的研究とデークの分析に基づく権力構造の実態把握を現 在の課題とする我々にとって,分析的にも必要であるし経験的に有意義である手段は,先ず一定 の社会の中に存在する多様なエリートの相対的自律性とそれらの間の競争と闘争の可能性を留保 しておくことである。そして,これらのエリートが社会の中でどの程度,どんな形で統合してい るか,あるいはそれらのエリートと他の社会構造の要索がどのように関連しているかーエリート は独占資本家の「執行的腕」にすぎないかーを経験的分析に委ねるのである。こうした手続を踏 むことによって我々は権力構造の形而上学に堕すことなく,従って事実認識の誤りを回避できる だろう。
I. 対象の選定と研究方法
現代社会における権力構造の頂点部分の解明という我々の研究関心からいえば,社会諸領域に おける全国的規模組織を背景とした諸エリート個々の研究をもって満足するのではなく,むしろ 全体としてのそれらのエリートの癒着の関係や構造の現実認識が我々の究明すぺき課題として提 起されることになるだろう。 しかし, 「いかなる人々ないし集団が社会の全ゆることを動かして いるのか」あるいは「そういう人々ないし集団が果して存在するのか」という表見上単純な問い が決して単一の解答をもたらしていないことを我々はみてきた。それは直接的には従来問題の核 心をつくような経験的研究が乏しかったことに起因するものであるが,その理由としてこの主題 究明に必要な資料蒐集の難かしさと研究アプローチの未確定があげられる。特に分析用具となる
「エリート」と「権力」概念に関して社会科学者の間にほとんど合意が得られていない事情がこ の領野における経験的研究の成果をあげにくくしているといえる。当然それは諸エリートの経験 的確認や発見される「諸エリートの複合性」の性格規定ならびにそれの事実認識等の方法に関し て多様な論議を誘発することになり.それらの検討吟味に努力を集中する.いわば事実の問題を 概念の問題に転化してしまう一般的実情の主因となっている。これらの点を考慮して,我々は一 気に全体像の巨視的把握を目指す方向ではなく特定の拠点的対象を選択し.それの研究を通じて 権力構造分析への視野を広げていく方向を採用することにした。諸エリートの複合性如何という 問題関心から遊離しない限り.この方法を採用することが経験的研究の確実な推進のためにより 有望だと判断したからであるm。
〔1〕政治的エリートの概念
我々は政治的領域におけるエリートを扱う。この場合.先ず我々は「エリート」を古典的エリ
14)中久郎「議員研究へのアプローチ」<rソシオロジ」 66)昭和51年, 1 2頁。
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ーティストに倣って,先ず非常に広義に「他の人々よりも大なる権力を保持する人々」と定義し ておこう。この方が深さに欠けはしても多様な問題提起に対応しうる柔軟性に富むからである。
次に我々は論争的な概念である「権力」を「集団の意思決定に影響すべき能力」として定義して おく。この定義はウェーバー以来の社会科学での伝統的な「他の人々の行為に影唇を及ぼすべき 能力」としての権力概念を排除するものではなく,他者に対する「権力」が集団の意思決定に彩 孵する手段となる場合も含められている。実際の政治分析においては両概念を区別しておく方が 有効であるという理由からにすぎない。最後に我々は,経済や文化の領域と区別された意味での
「政治」の特徴を政治学での一般的な考え方に即して「国家的な政策決定過程,換言すれば強制 や制裁を伴なった意思決定の過程」にある15)と理解する。こうして我々の研究対象である政治領 域におけるエリートは「国家的政策決定過程に対する影唇力の保持者,あるいは政策決定に際し て現実に国家を統制する人々」であると,より具体的に規定することが可能になる。
我々は現代社会において機能拡大と中央集権化された国家形態を観察している。独占資本段階 への突入を反映する生産と資本の集中・集秘がもたらした経済における自動調節機能の喪失と不 安定への悲惨な傾向を示す可能性の増大,高度産業化による複雑な社会的分化がもたらした様々 な特殊利害の対立錯綜と深刻な社会的・文化的問題の生起等が不断の公的調整の必要を促し,国 家の生産過程への参与や社会的諸領域への介入を帰結することによって,現代国家の機能拡大と それが要請する機構の巨大化を招来している。今日,一切の経済的・社会的・文化的問題がその 可能性において国家的政治的問題とならざるを得なくなっており. 「国家から自由な非干渉領域 が現実において無意味になっていく全体国家化」16)が実現されているかの感を与えている。「全て の面にわたって国家諸機関の仕事は膨大化しその諸機関がもつ権限はいままでになく強化され」
17l, それと共に国家権力の比重が増大しその集中化が結果されている。自己の特殊利害の社会的 実現を企図する現代の集団や人々にとって,国民大衆に対する有効な統治と合理的管理を可能に する国家を手段として利用することが最大の関心事になったといっても過言ではない。巨額な財 政的援助や諸々の法的措置を始め,それに対抗する利害の慰撫,更には利害間に共通の期待感を 惹起する調整行為およびそれらの結果としての政策形成一執行機能を負う国家は特殊利害を有効 に正統性をもって実現していくための不可欠の要素としての位置を獲得しているからである。現 代社会における支配者の実在を問い,もし実在するとすればその解明を当面の課題とする我々が 特に政治的エリートに注目する理由は以上の点から明らかであろう。
政治エリートを「国家的政策決定過程に対する影孵力の保持者」と規定する我々の立場からす れば,今日,政治的・経済的・社会的決定に有力な発言力をもつ人々として資本家・株主あるいは 経営者.それらの対抗勢力としての大労働組合幹部.および社会・福祉運動諸団体の幹部,更に
15)飯坂良明著『現代政治学』日本放送出版協会,昭和49年, 43頁。
16)森博「国家権力構造」(綿貫譲治編『政治社会学』社会学講座第7巻,所収)東京大学出版会,昭和48 年, 123頁。
17)岡本・佐々木・小沼・木下共著『政治学一現代社会と政治ー」法律文化社,昭和50年, 93頁。
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は行政官僚制機構の首脳部を構成する高級官僚等が含められると想定できるかも知れない。しか し,これらの権力者達は少くとも制度的には直接公的政策を決定する位置にいない。確かに彼ら は自己の代表する領域や非代表領域に関連する政策決定に関して,唯一の立法機関としての議会 や執行機関の中心たる政府に対する支配力を保持しているかも知れないが,彼らの影響力が最終 的な政策決定場面に関与している制度的政策形成地位占有者を通じて行使されるという意味にお いて間接的な性格をもつものである。勿論,これらの人々の中にも最終的な政策決定に直接関与 し.同時に他の関与者たちに影響力を行使する直接的・間接的影響力を保持する人々がいるが,
それは彼らが政策形成を担当する位置を占めることによって可能になるものである。このような 権力の行使に関する直接性・間接性の区別18)は. 我々に政治エリートの質的区分を要求し,特 に,国家における制度的権力の座とそれを占める人々の重要性を換起させる。何故なら.R・ダ ーレンドルフも強調するように,いかなる決定がなされるにせよそれは彼らによってあるいは彼 らを通じてなされるのであり.また.いかなる変化が導入されあるいは阻止されようとも彼らが その直接の主体もしくは担い手となるという制度的規定が厳たる事実として存在しているからで ある19)。この銀点からすれば,全国的規模における権力構造の頂点分析を行なうにあたって.我 々が先ず考えるべきエリートは権力構造の最高の制度的地位を占める国会議員ならびに政府閣僚 ということになるだろう。そこで.我々は政治的エリートの経験的研究の拠点として,それの中 核であり, しかも国家的政策決定に直接関与しうる制度的権力を保持している国会議員.および 彼らの中から選任される閣僚を選定しようと思う。彼らに関する公表資料が他のエリートに比べ て比較的多いという事情も我々の対象選択の有効性にプラス材料を与えてくれるはずである。
このように.研究対象を特定化したところで.次に我々は我々の対象がもっている性格から.
分析視点を明確にする必要がある。およそ国会議員は彼らの依って立つ代議制度の現実から逃れ ることはできない。それは彼らが事実として彼らの選出にあたって重要な役割を果たす特定の人 々や利害の代表と化し.それらのために権力を行使することを期待されることによって,制度的 に規定された彼らの「国民代表」性,従って彼らだけで存在する自律的集団の形成を困難にする 傾向を内包するものである。それ故.彼らの権力の行使は常に制度的に規定された形式的な側面 と,それの実質を構成する利害を代弁した実効的な側面との識別から検討されねばならない。彼 らは制度的権力を保持することによって.明らかに自己に無害な問題や利益ある問題だけを公け にしうる権限を与えられており.政策衝突や自己にとって不利益な問題を公けにするのを妨げる 障壁を意識的に創ったり強化しうる権能を与えられている20)。それは彼らが自らに期待されてい る法律や憲法の規定通りの権力.即ち全国民の利害実現のためにあずかる潜在的権力を時として 18)この権力の区分はR.D.Putnam, T加 Comparati畑 Studyof Political Elites, 1976, pp. 67. に
依る。
19) R・ダーレンドルフ著,富永訳,前掲害, 414頁。
20)この権力の区分は主としてP.Bachrach and M.S. Baratz, "Two Faces of Power", The American Political Science Review, Vol. 56, 1962, pp. 947952. に依拠している。
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十分に行使しないという可能性に常にさらされていることを意味する。そして事実,我々は多く の機会に彼らがそれを体現していないと言われるのを知っている。形式的権力と実効的権力の区 分は,議員に関する有効な分析視角を我々に与える。即ち,法律や憲法に規定されている議員の 権力を限定枠とすることによって,彼らの実質的な政策の出所ならびに彼らの背後にある利害に 規定される彼らの実際的な権力行使の性格をより明確に捉えることが可能になるからである。我 々は国家的政策決定過程の最終段階に直接関与する制度的地位占有者である国会議員に焦点を据 えながら,彼らの政策決定に影響を及ぼす要因,主要には彼らによって代表される人々や利害を 識別することによって,我々の主題究明を図っていきたいと思う。
〔2〕 対 象 の 選 定
本稿は現行憲法下での第23回衆議院議員総選挙(昭和22年4月)以降, 我々の研究開始時点
(昭和49年3月)までの11回にわたる各選挙を通じて選ばれた衆議院議員の全体のうち,特に自 民系党三役および自民系所属の閣僚,議長・副議長,常任委員長を分析対象にする21>。ここで自 民系議員とは昭和30年の「保守合同」に際して自由民主党に結集した政党および議員を総称して いる。およそ,政党は社会の部分的利益ないし目的を組織しその代表を議会に送りこむことによ って究極的には国家権力の掌握を目的とする政治組織である。戦後のわが国の政党は新憲法の公 布によってその地位と役割が著しく強化され,法的には「国権の最高機関」である国会を支配し,
国会の名において政治的権力を行使しうる,即ち公的決定過程における中枢的な位囮を占めてい る。ことに,議会で多数派を構成する与党の役割は重要である。我々が自民系政党の党三役を対 象に選んだ理由は,それが終戦直後の一時期を除いて常に与党の座を独占しつづけてきた政党で あり,戦後日本の政策決定に果した与党の役割という観点からそれの指揮中枢に位股する彼らを 無視できないからである。
戦後日本における与党の国家的意思決定過程に占める役割の重さは,行政・執行機関の中心に 立つ政府閣僚の全員が慣行的に与党所属議員の間から指名・任命される実情からもうかがわれ る。そのことはわが国の内閣権限が法律執行権は勿論, 外交権, 条約締結権, 予算作成・提出 権,衆議院の解散権等を含めた政治,経済,文化,教育,外交的諸問題領域に及ぶ広範囲かつ強 大なものである上に,立法の面でも法案提出権を有しているという事実によって倍加される。実 際,国家機能の拡大と高度化は立法にまつわる諸事情や,政策実施に伴なう諸問題を錯相させ複 雑化することによって,政策決定者にそれらに有効に対処しうる専門的知識や技能の習得を要求
21)本稿は中久郎京大助教授を代表者とする「パワー・エリート研究会」が,国権の最高機関である国会の 構成員として政治活動に参加する議員の「権カエリート」としての特性究明を考察主眼に進めている研究 成果の一部である。従って,本稿で利用する資料とデータの全ては当研究会で用意されたものである。当 研究会の研究成果は既に他の機会に主として衆議院議員の社会的構成とその変化に関する統計的な分析を 中心に中間報告されており,現在,なお参議院議員を含めての分析が進行中である。
『特集:日本の国会議員一衆議院議員の構成と変化』(「ソシオロジ』,66)昭和51年。
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しているが,時間的にも経済的にもそれの困難な議員の政治的能力の相対的欠如は否めず,必然 的に議会の地位と役割の実質的低下をきたし,逆に官僚制と結びついた行政権の優越をもたらし ている。ちなみに,法案の提出および成立件数に関する議会と政府の比重比較をみても後者の圧 倒的優位がうかがわれるのである(第1表)。「内閣のもつ権力行使を(議会は)部分的にチェッ クできても基本的には制約できない22)」との評言は,あながち誇張ではない。そして,このこと は執行機関の頂点に位置し,制度的に自らの決定が執行機関の業務に正統性を与える政府閣僚の 意義を物語っている。
第1表 国会における法案提出件数と成立件数
\ 発 案 者 政 府 衆 議 院 参 議 院
国会 期~ 提 出 成 立 提 出 成 立 提 出 成 立
回次・会 件 数 件 数 件 数 件 数 件 数 件 数
22回 105 (30) 150 138 78 35 28 6 24 150 (11) 172 141 71 16 13 7 26 150 (1) 182 154 75 20 27 3 28 127 175 145 68 15 34 5 31 144 185 171 69 12 14
34 150 (50) 155 124 48 , 4 2 38 150 (15) 211 150 60 8 35 2 40 150 166 140 66 7 25
43 150 (45) 185 158 53 7 34 2 46 150 (40) 176 158 63 13 18 1 48 150 (13) 139 125 64 10 24 4 51 150 (40) 156 136 60 11 18
55 136 (21) 152 131 43 6 13
58 150 (10) 115 95 54 7 15 2 61 150 fl?) 119 66 76 4 22
ムCl 計 2,438 2,029 948 180 324 34 提出総数に占める比率 65.7% 25.6% 8.7%
成立総数に占める比率 90.5% 8.0% 1.5%
提 出 法 案 成 立 率 83.2% 19.0% 10.5%
注 (1) 1955年以降の国会のうち会期100日以上の回次を抽出した。
(2) 会期欄の( )内は延長日数。
出典: 岡本宏•佐々木雄太・小沼 新・木下威著『政治学一現代社会と政治ー』法律文化社、
1975、参考資料ページより。
上のように事態は,与党の意思=内閣の意思=国家の意思を実質化しているといえるかもしれ ないが,そのことは憲法によって「国権の最高機関」「唯一の立法機関」と規定されている国会 を無意義化するものではない。国会での議決は政党が主張する特定利害を国民的利害の名におい て実現する不可欠の手続きなのであり,与党にとって自らの権力行使を正当化し,合理的・経済
22)岡本・佐々木・小沼・木下共著,前掲害, 102 3頁, 1756頁。
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