教育費用分析の展開過程(1) : 教育経済学研究の一 齣(その2)
その他のタイトル Educational Cost Accounting and Higher Education (I)
著者 澤村 栄治
雑誌名 關西大學經済論集
巻 6
号 6
ページ 477‑507
発行年 1956‑10‑01
URL http://hdl.handle.net/10112/15685
477
あ ろ
う ︒
教 育 費 用 分 析
アメリカにおいても︑
ー ー 教 育 糎 院 学 研 究 の
齢
︵ そ の 二
︶ ー
│
たとえば非常に小さい大学が一般に高い単位原価
(u ni t c os t )
で運営されたり︑また大学の
大きさがカルキュラムの上での差等をうんでいるとほ限らず︑時には教授たちが助鈴授の仕事までも担当し︑ある いは少数のクラスが大きい教室に入っていることもあり︑また教授法が学生の時間を浪費せしめていることもし
︑ ︑
︑ ︑
﹁これらはわれわれの大学における非経済的な運営の例にすぎない﹂︑︵傍点筆者︶とハンゲィトはの ばしばである︒
(1)
べているが︑この現象必ずしもアメリカのみに限られるものではないであろう︒恐らくは大学という教育企業が今
日の経済的社会的機構の動きに左右され乍ら︑
教育費用分析の展開過程︵澤村︶
しかも自らがこれから遊離していることを自党していないためでも
もとアメリカにおける近代的大学の攘頭はアメリカ資本主義の︑従って産業の急速な発展に伴つてであったが︑
この産業主義は技術の進歩を要求し︑科学の伸展と知識の獲得とのために︑大学教育に未曽有の浪費的な財政運営
( 2 )
をゆるしたのである︒ところが一方産業的企業にあっては﹁価格制度の緊張ならびに収入と支出との競争という必
澤
の展開過程〗
村
榮
治
478
財務報告書の様式について各大学に勧告を行ったが︑
一九一七年には大学事務職員協会の委員会において
J.C・クリステンスンが収支分類の健全な組織を提案し︑
いでロックフェラア財団設立のニューヨーク一般教育委員会
(T he Ge ne ra l E du ca ti on Bo ar d o f N ew Yo rk )
が大学に
援助を与えようとしてその財務状況の確実な報告を大学に要求したところ︑各大学の財務報告に同じく一律性のか の大学会計が種々で一律性を欠いていたため︑
(T he Ca rn eg ie Re po rt f o
1910)
算 ﹂
( co s t ・a c c ou n t in g )
という技術を発見し︑ますます合理的な経済組織を形成して行ったのである︒
で
教育費用分析の展開過程︵溝村︶
( 3 )
然性の下にあって﹂利潤追求の立前から価格支配とか経営及び運営の合理化のため﹁単位原価﹂を用いて﹁原価計
さればアメリ
カ経済社会の繁栄期の浪費時代には︑数多い寄附者たちが大学の要求に応じてくれたのであるが︑経済状況が落着
き︑税が高く︑富の増加が緩慢になって来た今日では︑産業人たちは一般に手控えとなり︑その経済観念は極めて
( 4 )
現実的となって来た︒このような変貌した社会的経済的境位にありながら︑大学は︑モォトもいう如く︑
状況に即応するのがおそく︑改良を案出してからそれを導入するのに長い年月がかかり︑況んやその普及にいたっ
( 5 )
ては更に長い期間を必要とする﹂有様であるのと︑大学の伝統的なセンティメンタリズムとのために︑大学の経済
的側面すらもとうてい今日の経済的社会的境位に適応することが出来ないでいるのである︒
歴史的にみてもかかる非経営的頭脳と伝統的センティメンタリズムとを大学管理の中枢部に保つていた大学に
対し︑その教育会計の理論と実際とについて反省を促したのは︑大学乃至大学人自らではなくして実にカァネギィ
財団であったことは︑まさにこの間の消息を物語るものといえるであろう︒
力ァネギィ財団が大学教授たちのために年金制度を設けた際︑応募する大学の財政状況を報告させたところ︑そ
﹁ 一
九 一
0
年度カァネギィ報告﹂
これが大学会計改善への第一歩であった︒これに剌戟されて
つ
﹁ 新
し い
ム79
続 ︑
ここに一九二二年同委員会は
T・アァネットの
( 6 )
ビ
n e t t , C o l l e g e an d U n i v e r s i t y F i n an c e )
を出版︑大学財政管理についての種々なる問題︑ ﹁単科及び綜合大学財政﹂
たとえば予算手続とか資
産管理まで取あっかい︑爾来大学の事務管理のバイプルとなったほどにこの方面に啓蒙的な業績をのこしたのであ
る︒にも拘らずこれが実際に大学会計の中に取入れられて考慮されるに至るまでにはなお十年を要したことはラッ
( 7 )
セルの指摘するが如くなのである︒
かくして一九三
0年頃にいたり︑ ようやく他の方面からも大学会計の一律性を要望する声が高まり︑
衆国教育省
( Un i t ed S t a t e s O f f i c e o f E d u ca t i on )
では教育統計を作製するに当つて大学教育財政に関して印刷された
諸デェタの中に欠陥のあるのを痛感したこと︑ またアメリカ大学協会
(A
器o c
i a t i o n o f Am er ic an C o l l e g e s )
の委員会
での教育費
( c o s t o f
education)~.
関する各大学間の比較するに足る価値あるデェクを得ることの困難に困惑したこ
と︑あるいは単科及び綜合大学事務職員の各種協会での大学会計の標準化論議など︑
促進させたのであった︒
Co mm it te e on t S an da rd R e p o rt s o r . f I n s t i t u t i o n s o f Hi gh er Ed u c at i o n)
-'!(<I~±:-‘
これらが大学会計の標準化を
カ大学協会︑教会教育委員会審議会︑各種大学事務職員協会及びアメリカ大学幹事協会などの代表者たちをそのメ
更に会計の技術面に関してはアメリカ会計士研究所用語委員会
(T er
m 甘
o lo g y Co mm it te e o f t h Ae m.
大学会計について各方面より検討を加えて研究を数ケ年にわたり継
一九三五年に決定的な最終報告を発表して大学会計処理上画期的な功績を残したのであるが︑
業績は主として財務報告の問題にのみ限定せられており︑会計技術
( a c
8 u n
t i n g
̲ t e c h n i q u e s )
の問題には殆んどふれ
教育費用分析の展開過餌i
︵澤 村︶
窮i c
a n I n s t i t u t o f e A c c ou n t an t s )
ム バ ァ に 加 え ︑
の 協
力 を
え ︑
かくて一九三
0年 ︑
合衆国教育省では
しかし乍らその 同問題に関心をもちつつあったアメリ ﹁大学教育機関標準報告全国委員会﹂ けていることが明白となり︑
( N a t i o n a l
アメリカ合
︵ さ
e ¥ r o t
480
政﹂に関する研究が盛んとなり︑ られていなかったのは︑
( 8 )
ッ セ
ル に
倣 い
︑
その当時の段階︑従って同委員の性格上止むをえなかったところでもあろうが︑
﹁同報告は教育会計の特質やその作用について理論的な討議を行い︑
類を取扱っている﹂ことは十分に認め乍らも︑
ててはいない﹂ことの不完全さを︑ 従つて ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ ﹂かなくてはならないことを︵傍点筆者︶︑ 指摘出来るであろう︒ しかもラ
また最後の章で会計費目の分
﹁大学が実施すべき完全なモデルとなるような会計制度を打建 ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ ﹁大学の財務報告の特質はその会計制度の性質を決定するところまで行
な お
ともあれ同委員会の勧告は多大の反響をよび︑教育会計の実際面における画期的な躍進とみとめられ︑テクサス
州の如きはその管轄する公立学校に委員会通りの財務報告を作製するよう悠憑したほどである︒かくして一九四
0年代の始めには︑ この傾向は一般の大学にも浸透し︑普及するかにおもわれたのであるが︑第二次大戦はそれを妨
げ︑とりわけ戦後のインフレェション︑学生数の極度の膨張その他による犬学教育財政の逼迫に当面して狼狽した
大学当局は︑教育会計の一律的手続の改良問題などに注意を払う暇なく︑遂に﹁大学教育機関における財務会計の
実際と手続とを完全に標準化することは︑四
0年代半ばごろでは︑・なおのぞましいことながらも︑遠いはるかな目
( 9 )
標となった﹂観がある︒
び大学の財務報告が脚光を浴び︑それ以来ニューヨークにロックフェラア及びカァネギィ両財団援助下に生れた﹁
大学教育財政委員会﹂ しかし乍ら一九五
0年を越えて︑また
H・シェラア
(H ar ve y Sh er er )
等の提唱により︑再
(C om mi tt ee on Fi na nc in g H ig he r E du ca ti on )
の 迂
出 勁
な ど
に 佃
な 迪
さ れ
︑
(acc ou nt in g te ch ni qu es )
の 曲
回 瞬
0
にまで展開して立^ているのである︒
かくの如く︑大学教育財政の研究分野は︑戦前において一律的な財務報告形式と挫用項目の分類との問題にまで
教育費用分析の展開過程︵澤村︶最近頓に﹁大学教育財
いまでは問題は従来のように単なる財務報告の問題よりも更に進んで会計技術
四
481
戦後に至つて急速に原価分析
( co s t a na l y si s )
や会計技術の問題の方向に来たことは︑大学教育財政学.
としての展開は勿論︑また戦後における大学教育財政の危機によって促進されたとみるのもさることながら︑その
ひとつの動因となっているのはおそらく戦時中のヴェテラン教育
( ve t e ra n s ed uc at io n)
の問題であろう︒戦時中陸軍
や海軍空軍よりヴェテラン教育を委託された各大学が︑政府よりの補助金の外に︑
理由もないのと︑制限された経費ですぐれた教育を短期間に行わなければならないため︑教育においても原価計算
を行うべきだと考え︑而も実際に行ってみた結果︑教育成果が顕著にあらわれたことにはじまり︑
( ed u c at i o na l c o s t ac co un ti ng )
か ︑
A l﹁ 単
位 原
価 技
術 ﹂
ける会計技術を大学教育財政の面に移入して教育原価︵邑
u ca t i on a l o r i ns t r uc t i on a l c o s t)
の分折に役立たせようと試
与 え
た ︑
みる動きとなったものである︒大学会計技術の最近における変遷にこの﹁単位原価技術﹂がひとつの大きな影響を
( 10 )
とは特にラッセルの強調するところではないけれども︑﹁提供されたサァヴィスの単位当り費用支出﹂
︵ 月
p en d i tu r e s per n i u t of 器r vi ce re nd er ed )の 中
l
で
袖 区
は ︑
五
原価が広汎に使用されている︒産業的企業では単位原価が価格支配に役立ち︑管理と運営との成果を評価するのに
用いられる︒このような産業における単位原価使用の重要さが会計技術に内容豊富な綿密さを加えて来た︒教育機
関において同様な緊要さを欠いていたことが大学事務の実際にあたつて原価計算の発達を比較的制限して来た理由
であることは間違いない︒しかし乍ら︑第二次世界大戦中公法第一六条及び三四六条にもとづくヴェテラン・サァ
ヴィスの大学への補償に関する連邦政府の諸政策が大学の財務会計に単位原価技術を導入する上に注目すべき影響
( 1 1 )
を与えた﹂と述べている︒また同様の点をウェルズも次の如くに指摘している︒すなわち﹁原価計算の見地からは 算 ﹂
教 育
費 用
分 析
の 展
開 過
程 ︵
澤 村
︶
進 ん だ の が ︑
﹁原価計算の技術が徹底的に研究されて来た産業では︑単位
( un i c o t s t t ec h n iq u e s) . . ¥ . I
か が
注
i
目 さ れ ︑ このため特に大学の経費を使う
︑
﹁教育の原価計
一般産業にお
482
教 育
費 用
分 析
の 展
開 過
程 ︵
澤 村
︶
いずれの大学も一般産業にはるかにおくれている︒このおくれは︑教育や研究を通じて織りなされた教育哲学に由
︵いうまでもなく︶かかることは費用という角度からは容易には測定されないし︑また教育責任時間で
はたやすくは評価されえないものである︒しかし乍ら第二次大戦中諸大学によって遂行された陸海軍の諸種の教育
プログラムよりえられた多くの詳細な記録や報告類から︑合理的な原価計算制が大学に強いられた︑ということは
価とがえられたのであり︑ 特記に値する︒このことから︑教育︒フログラムのよりよき理解と教育責任時間とクラス・ルゥム配置のよりよき評
( 1 2 )
これらの成果はなお発展をつづけ︑高度の費用理解と費用効率とを約束している﹂と︒
註
(1 ) Th ad
,L•
Hu ng at e, i F na nc e i n E du ca ti on al Ma na ge me nt f o C ol l e ge s n a d U n iv e r si t i es , 1
95
4,
p .
22
(2)R•
Ho fs ta dt er an d C . D . H ar dy , T he De ve l 0 p me nt n a d S co pe f oH ig he r E du ca ti on in th e U ni te d S t a t e s ,
19
52
,
p .
31
(3)T•
V eb l e n, Th e Hi gh er Le ar ni ng n i Am er ic a, 1
91
8,
p .
42
( 4
)
Ho fs ta dt er
̀
o p. c i t . , p .
1 0 5
( 5 ) H un ga te , o p . c i t . , p .
28
なお
︑ P . R. Mo rt , F ed er al Suppo rt o r f P ub li c E du ca ti on (T ea ch er s C o ll e g e, Co lu mb ia U ni v e rs i t y)
`
193 6
( 6 ) J oh n D . M i l l e t t , Fi na nc in g H ig he r E du ca ti on n i t he Un it ed St a t e s , 1 95 2, p p
1.
68
‑9 (7 ) Jo hn D. ‑R u s s e l l , Th e F in an ce f oHi gh er Ed uc at io n, R e . v is e d E d i ti o n 1
95
4,
p .
42
(8 ) i b i d . , p .
42
(9 ) i b i d . , p .
44
( 1 0 ) i b i d . , p p
4 0 .
ー4 (1 1) i b i d . , p .
138 念
i )
H ar r y ‑ L . W el l s , Hi gh er Ed uc at io n i s ? e r io u s B u s in e s s,
19 53 ,
p p.
138 1
9
来していた︒
六
483
一投産業や商業と犬学教育機関との経済学的差異の詳細についての分析は省略するが︑産業的企業では利潤を追
求し︑投資者にはその分前を支払わなければならないから︑当然にその会計制度は生産的操業からえられる利潤の
額をあくまでも追求する︒これに反して﹁大学の目的はその提供しようとする教育サァヴィスのため︑得られるす
( 6 )
べての収入を消費することであ﹂り︑欠損
(d瓜 i ci t
s )
もまた余剰
(s ur pl
u器
s )
も共に大学にとつては財政的には不健全
(e mb ar ra ss in g)
だといえる︒というのは︑﹁それらはともに︵サァヴィスを︶うけるに値する顧客よりも提供された
( 6 )
サァヴィスの方が少いことを意味している﹂からである︒少くともこれは授業料収入が大学財政に占める範囲内に
教育費用分祈の展開過程︵澤村︶
き歴史的背景を基盤とする先入観にも根ざしているといえよう︒
七
( 1 )
もとアメリカの大学は﹁新大陸の﹃精神的必要﹄に応じて創設され﹂︑新しい文化の創造と形成とに寄与しうる
( 2 )
ものとして教育は重要視され︑これへの投資は吝まれず︑更にインダストリアリズムの播頭に伴うアメリカ繁栄期
( 8 )
の技術的関心に促進されてカレッヂがユニヴァシティに膨張したことや︑また創設が宗教教団を背景としたり大寄
附者の援助をうけたりした関係上︑大学は財政的には極めて恵まれて発展したため︑`その財政及び会計的処置がい
わゆる大福帳式の成行管理
( dr i f ti n g ma na ge me nt )
をもつてして充分賄われることが出来たのであり︑
( 4 )
科及び綜合大学は消費機関
(s pe nd in g i ns t i tu t i on )
であって︑利潤追求の企業
(m on ey
‑m ak in g e nt e r pr i s e)
で は
な い
﹂
従つて﹁単
という考えは︑ーー血純粋に経済学的に見てもいうまでもなくそうに違いないのであるが︑̲ーーひとつには前述の如
484
教 育
費 用
分 析
の 展
開 過
程 ︵
澤 村
︶
﹁だから教育機関の目的は収入と支出との間のパランスということにただ
( 7 )
出来るだけ近接することである︒このような目的は商業的企業では到底考えられない﹂︒これらは利潤追求という
観点からみた大学と一般産業との比較の一例であるが︑ かといつて大学の財政管理は収支バランスを採りさえすれ
As se ts
+
Ex pe nd it ur es
= F un ds
+
L i a b i l i t i e s
+
In co me
( 8 )
という関係が成立さえすればよい︑と安易に考えられてよいであろうか︒
さて貸借対照表のごときは︑なる仕ど一般産業できわめて重要な書類
( d o
g
m en t s )
で あ
る が
︑
これに対し大学で
は単純な貸借対照表を見ただけで提供されたサァヴィスがどのようであるかは殆んど理解出来ない︒大学は利潤を
目 標 と せ ず ︑ ﹁サァヴィスの提供﹂を目的としているがため︑大学にとつては﹁貸借対照表よりも収入と支出とを
表示する営業報告書
(O苫r a t i n g s t a t e m e n t )
の方がはるかにもっと重要な意味をもつ書類である﹂かもしれない︒﹁と
いうのは︑収入と支出との出入を研究することによって提供されたサァヴィスについて何んらかの目安がえられる
( 9 )
かもしれない﹂からである︒この点についてやや極端ともみえる一例をかかげると︑フェン大学
(F en C o n l l e g e )
で
は一九五五年十一月十六日附の
Cl ev el an d Pl ai n Dealer,
Pr e謗 an d Ne ws
紙上のクリィヴランド諸会社提供に
よる広告面に﹁フェン大学一九五四ー五五年次報告﹂
(A nn ua R e l p o r t f o r
1954 55ー
Fe nn Co l l e g e )
を掲載しているが︑
その中で
G.B・アァネスト学長は︑
と同じょうに︑ ﹁今日︑単科または綜合大学の運営は大きな事業である︒そして大低の事業
大学ではまずその生産品︵学生︶の質と出来栄えとの改良を︑磨かれた技悟をもつ人員︵教授団︶︑ ばよい︑すなわち ︑
︑ ︑
︑ ︑
財政の原則であるとする所以でもある︒ おいては当然のことであって︑
八︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ イギリスの大学国庫補助金審議会が授業料収入の全額は学生に還元されるのが大学
485
教 育
費 用
分 析
の 展
開 過
程 ︵
澤 村
︶
生 産
技 術
︵ 教
育 過
程 ︶
︑
及び施設の改良と拡張︵教室と研究所︶等によって増進することが第一の関心事である︒毎
年︑大抵の商社は株主に前年度の営業報告書を提出する︒フェン大学では︑オハィオ州の法律に基づく非営利法人
であるからいわゆる株主はない︒しかし創立以来われわれのいろいろな教育的配当の分前をうけた大クリィヴラン
ドの市民たちはすべて大学に株をもつているものとおもわれる︒従って株主としてあなた方は︑
五年度の本学の営業報告書に関心をおもちであろうとおもいます﹂︑
(1
0)
いるのである︒
また同じく﹁営業報告書﹂が収入と支出との貸借対照を明示しても︑
九
とのべて営業報告書をあからさまに公開して
一般産業又は商社では純売上高と諸経費との
差額として利潤の確保されたことが︑従って純資産
(n et as se ts )
の増加が直ちに経営状況を吟味する重要な役目を
﹁社会的にみて望ましいサァヴィス﹂と誇張しなくとも︑大学が教育機関である限り大学 与えられるけれども︑大学では利潤額や資本蓄積とかではその大学の教育機関としての成績を判定する目安をすら 与えられない︒従ってラッセルは︑﹁教育機関の目的達成は︑それが資本を蓄積した度合によってではなく︑社会的 にみて望ましいサァヴィスのため流動資金
(c ur re nt fu nd s)
を消費した方法如何によって吟味されるという点は指
(1
1)
摘されてよい﹂という︒
教育の目的を達成するためその費用支出をどのように消費したかが、!ーとJ~」に教育経済学が考えられねばならな
い理由のひとつがある、ー—l大学の「営業報告書」から読みとられなければならないであろう。
この一九五四ー五
もともとアメリカ大学財政において会計処置の一律性がとなえられ改善が勧告されたのは︑費用支出項目の分類
によって大学行政目的のため意義のある目安をうるがためであった︒ところが費用支出項目の分類だけでは本来︑
﹁費用支出の単なる総額はそれらの意味が把握されるようになんらかの方法で関係させられない限り無意味なので
486
︶が考えられた︒これは﹁いろいろな目的に使われた費用支出の全額を︑
( p e r c e n t a g e a n a l y s i s o f e x p e p . d i t u r e s
( 1 3 )
セント配分の手段によって︑総合計額と関係させる﹂方法で︑ ﹁もし大学の費用支出が目的によって正確に分類さ
( 1 4 )
れたならば︑その各々に相当する︒ハァセントの決定は教育政策に重要な光明を投げかける﹂ものであろう︒すなわ
ち﹁他の要因が変らなければ︑教育の直接的生産目的に用いられた全費用支出のパァセントが増加し︑
て一般管理︵本部のみの会計︶や施設の運営と維持などといったような目的のための費用支出が減少する結果となり︑
( 1 5 )
行政管理上の効率のあがることが期待されてよい﹂からである︒この方法はアメリカの各大学は勿論︑アメリカ教
( 1 6 )
︵1 7
)
育省の教育統計にも採用され︑またイギリスの大学国庫補助金審議会でも用いられているところである︒⁝⁝別表
( I
)
︵I
)参 照
さてこの﹁費用支出の︒ハァセント分析﹂をおこなうにあたって注意しなければならない重要な点は︑
が大胆に行ったように︑ 一般産業会社と同様に︑ある営業期間︑すなわち︱つの会計年度の﹁営業報告書﹂
(O苫r a t ,
だけをもつてしては︑
うということである︒けだし一般産業会社では純売上高であらわれる利潤及びこれに応じての資本蓄積の度合は正
確な数字となってあらわれているため︑ ︵その効果はないといえないまでも︑︶少くともその利用価値は減少するであろ
たとえある営業期間のものひとつだけでも︑たとえば﹁収支決算書﹂の成
果計算によってでも︑その営業状況を知悉することがかなりに可能であるが︑教育機関としての大学では︑ある大
Ad mi ni st ra ti on
や
Pl an t op er at io n a nd ma in te na nc e
な ど
より高いからといって教育行政管理成績を云々することは出来ず︑ 学会計年度において
In st ru ct io n
の ︒
ハ ァ
セ ン
ト が
i n g ・ s t a t e m e n t )
教 育
費 用
分 析
の 展
開 過
程 ︵
澤 村
︶
( 1 2 )
あ る
﹂ ︒
これに応じ
フェン大学
いなむしろ教育機関としてはそれは当然のこと かくて意味のある関係を見出すために経費の分析が試みられ︑
゜ ヽァ
ノ
いわゆる﹁費用支出の︒ハァセント分析﹂
1 0
教 育 費
用分析の展開過程(澤村)
487
表
I 全費用支出のパァセント配分Percentage of Total Current Educational and General Function Expenditures
I
All Insti‑ PubliclyI
Privatelytution Cont~olled I Controlled
Administration and general expense 12.5 9.3 16.0 Resident instruction 45.7 46.3 45.2
Libraries 3.3 3.0 3.6
Plant operation and maintenance 13.2 12.6 13.9 Related activities 7.0 7.6 6.3
'
,
Organized research 13.2 12.9 13.6
Extension 5.1 8.3 1. 4
Total
I
100.0I
100. o ‑I
100. o ‑‑I
(1)この表は1949 50年度における 1,851の大学教育機関を調査対象として作製せ られたものである。
(2)デエタは U.S. Office of Education, Federal Security Agency, Biennial Survey of Education in the United States, 1948 50による。
表][
イ ギ リ ス 大 学 の 費 用 支 出Administration Departmental Maintenance I Other Maintenance of Premises・Expenditure
Perce‑i・Perce‑
Total j Percent. Total
I
nt. : TotalI
nt. Total j Perce‑ nt.£ I £ £ £
. 1,620,
,
11, 741, 64 2, 066, 12 2, 592, 673 j . 769 915 737 1, 896, 114,685, 2, 321, . 2, 897, 1948ー491949‑50
15 121 9 1 176 67 026 11 635 13
I
138, 540 7. 3 1. 31 ¥79 69. 4 173798 9. 2
I
209;,81 11. oI
Oxford Univ. 89,578 6. 0 1,002,
779, 66. 7 133, 8. 91 215, 14. 4 584 .852
I
Ca111bridge Univ.
(1)この表は1948 9と1949 50の両大学年度におけるイギリス大学の費用支出
の総額ならびにそのバアセント配分表であり,下欄にケムプリッデ及びオック スフォード両大学のそれをも参考のため添附した。
(2)デエクは UniversityGrants Committee, Returns from Universities and University Colleges in receipt of Treasury Grant, Academic Year 1949
50, July 19~1 による。
‑488
し か
し 乍
ら ︑
(e du ca ti on al )
と﹁事務的﹂
教育費用分析の展開過程︵澤村︶(b us in es s)
とに大別してみると︑ でなければならないからである︒されば大学の﹁営業報告書﹂は︑﹁貸借対照表﹂も同様に︑﹁直接考慮されている
( 1 8 )
期間︵すなわち当該年度︶と同様前年の会計期間のものとの比較形式にされることが望ましい﹂わけなのである︒と
( 1 9 )
りわけ﹁教育が将来をつくるものであり﹂︑創造過程をその本質とする限り︑あるひとつの年度というが如きはその
一断面のみを問題とするにすぎず︑教育の連続性を把握する所以でなく︑更に把握することは不可能といわなくて
はならない︒かくて大学教育においての﹁費用支出の︒ハァセント分析﹂は︑ ﹁数ケ年にわたる︒ハァセントを比較す
( 2 0 )
れば︑教育プログラムの各種段階ヘカ瘤を入れたやりくり算段が明らかとなる﹂のであり︑アメリカ教育省が﹁ニ
ケ年報告﹂をつくり︑
ところがミレェも イギリス大学国庫補助金審議会が﹁五ケ年報告﹂を発表するのは当然のことであろう︒しか
しいうならばこれも︑ニケ年とか五ケ年とかにするのではなく︑少くとも大学の修業年限︑すなわち現在の新制に
おいては四ケ年を︑成果計算の期間単位とする方が︑教育過程の実状に適し︑且つ教育成果の測定と関係させるこ
とが可能となるのではなかろうか︒いずれにせよこのように﹁賀用支出の︒ハァセント分析﹂を扱うならば︑シュマ
ァレンバッハのいわゆる﹁全存続期間の計算﹂
(T ot al
, re
ch nu ng )
における﹁期間計算﹂
(P er io di sc he Re ch nu ng ) I d .
よ
( 2 1 )
る成果計算と同様のことが考えられるであろう︒
﹁費用支出の︒ハァセント分析を数ケ年の比較形式に表示するにしても︑費用支出項目がきわめて特
( 2 2 )
異な異質的材料集団を基礎とするため︑同質的費用支出項目の年次的相関比例は容易ではあるが︑これと異質的費
用支出項目間の︒ハァセント比率との相関係数は簡単にはえられない欠点を伴う︒簡略にこれを考えるため盤用支出
( 2 3 )
ミレェによれば︑ を﹁教育的﹂
六0
︒ハァセントを占め︑前者の後者に対する比は約三対二となっている︒⁝⁝別表︵皿︶参照︒ 前者が概ね全額の約
489
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rg an iz ed re
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Or ga ni ze d a c t i v i t i e s r e l at e d t o n s i t r u c t i o n
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の︒ハァセント比率によってその大学の教育政策や教育プログラムの重点指向の概要を把握することが出来るであろ
(25)
ラッセルも﹁一般論としていうと︑出来るだけ大きな︒ハァセントが教育と研究との目的のため充当され︑出来
kノ
るだけ小さい︒ハァセントが管理と施設サァヴィスとへ充てられている場合が︑最も良好な配分が示されていると考
( 2 6 )
えられてよい﹂︑といつている︒
されば教育
( i n s
t r u c
t i o n
)
の︒ハァセントと管理
( a d m
i n i s
t r a t
i o n )
と施設の運営維持 との合
計のパァ
セントとは︑大学教育
費
用支出中において動揺的緊張関係を保つており︑ある意味では大学の教育 教育毀用分析の展開過程︵澤村︶
いる﹁費用支出の
︒ ハ ァ
セント分析﹂は︑
この区分までを明記しているのであって︑
に区分して︑
"
De pa rt me nt al n s i t r u c t i o n
" , "
Ex
te
ns
io
n"
,
一応これらの費用支出項目間
表Ill
I
Educational 11,237,075, 2751
I
I : 831,566,482'
1 , ,
068, 641,
7 5 7 1
(1) 1950年度に報告された1,350の 大 学 教育機関の費用支出とそのパァセ ノ
ト配分であるc
(2) デ エ タ ほ J.D.Millett, Financrng Higher Education in the United States, 1952, p.119よりえられたも のである。
Business Total
「教育的」と「事務的」
とによる費用支出
指摘するように︑費用支出を単に﹁教育的﹂と﹁事務的﹂とに
(24)
分つても︑両者はきわめて力学的な相関関係にあるため︑少く とも一応の教育成果の判定には役立つことはありえても︑正確
﹁教育的﹂の部分が全費用支出の中約六
0︒ハァセントを占
めているにしても︑それでは一体その裁用支出が大学の教育政
策や教育︒フログラムの実現のために特に強閥して消費されてい
るかどうかは表示されていないために︑ここに﹁教育的﹂を更 またそれぞれの︒ハァセント分析を行わなければならない︒従って普通行われて
て ︑ な成果計算のデェタをば与ええないのではなかろうか︒
従っ
59彩
4196
100形
490
大学間の比較に使用しようとする場合には︑ そこに種々の困難と直面するであるう︒
す な
わ ち
︑
価値あるものと認められるけれども︑ この︒ハァセント比率をもつて各
教 育
費 用
分 析
の 展
開 過
程 ︵
澤 村
︶
政策と教育プログラムとの実施成績如何がパァセント数字で何程か表示されうるやにおもわれ︑
教育経済学の着目すべきひとつの問題点が見出されうるといえよう︒
従つてここにも
すなわちここで教育経済学が分析しよう
とする重な点は︑教育プログラムと学生数と管理施設との間の緊張関係よりみた限界費用︵や平均費用︶の問題であ
( 2 7 )
る︒されば﹁管理と施設の運営維持との︒ハァセントはそれ以上更になんらかの削減が行われると犬学全体の成果を
( 2 8 )
著しく減少するという限界の最適数字
(o pt im um f ig u r e)
! , l
接近することは疑いない﹂︒たとえばアメリカ大学教育
﹁その三分の一から五分の二程度まで︑間接費︑学生福祉︑図書館︑施設の運営及
びその他の諸活動のため必要であろう︒これらの費用支出は学生数の減少に応じて自動的に減少することは出来な
( 2 9 )
い﹂が如きである︒従つてある条件の下におけるこの限界的固定的費用のため︑
学の方が財政的に恵まれている大学よりも︑教育に充当する費用支出の︒ハァセントが遥かに小さくなっているのが
( 3 0 )
典型的﹂だといわれうる現象が起りうるのであるが︑また一方︑財政的に恵まれている大学では﹁教育の︒ハァセン
トが提供サァヴィスの成果を増大することのないようないろいろな方法で増加されることもありう ~j わけでも
かくの如くにして︒ハァセント分析は大学財政の一般的状況を指示するものとして一応教育測定と関係させて利用
アメリカ教育省などの統計調査のように︑
まず種々の目的
に対する比重の点において広汎な偏差が考えられうる︒たとえば︑私立と公立︑一般教養大学
( Li 百
r a l A r t s C o l le g e s)
と専門学部等における教育政策ならびに教育プログラムの特徴を強調する差異などによるが如き場合である︒また あ
る ︒
﹁財源が非常に制限されている大 財政委員会報告がいうように︑
一四
491
何程か正確な教育成果の測定に役立たしめうるとおもわれる︒ ラ ッ セ ル の ︑
一五
﹁かかる数字︵パァセント比率︶は興味 つてラッセルにも︑ それぞれの大学の大きさ︵
Sぽ︶によって偏差があるのはさきにのべた一例の如きであろう︒更に又大学の所在す
る位置
( l g
a ti o n )
による偏差もあり︑
が一であるか二以上であるか︑等によって差異が生じうる︒而もなおこれらにまして重要なことは︑大学財政の裕福
政をもつ大学は教育と研究とに消費する費用支出も大きく︑
る︑と考えるのは常識であり︑
におもわれ
L J
たとえばそれが都心部か都市周辺部か郊外かとか︑あるいは学園
(c am pu s)
けだし﹁良い教育は高くつく﹂という教育経済学の原則からみても︑
充分な教育が行われ︑ 教育成果のみるべきものがあ
(32)
たとえば﹁大学教育の質
( qu a l it y )
は学生一人当りの教育費で測定される﹂と一般
( 3 3 )
にいわれる所以なのである︒これらの点についてはラッセルもいろいろと分析を試みているが︑前述のような要因
の往か種々な大学活動の制約をうけて︑各大学間の財政的比較に︑従ってその教育測定に︑費用支出の︒ハァセント
分析を利用することは不適だと考えられる匠どの広汎な偏差が起りうるのであるが︑これは要するにパァセント分
析において財政判定と教育測定とに資する基準となるものが︑見出されるに困難なためであろうと考えられる︒従
﹁目的による理想的なパアセント配分のためなんらの絶対的基準を設けることは出来ないよう
(34)
この点への﹁注意の肝要﹂なることが指摘されているのである︒
しかし乍ら︑この﹁費用支出の︒ハァセント分析﹂が︑たとえ相対的な評価であっても︑費用支出配分の︒ハァセント
が暗示する教育成果の蓋然的測定に役立ちうる利点すらをもわれわれは無視することをえない︒けだしこの分析方
法は︑単一の大学内又は単一の学部内において行われる場合には︑右にのべた如き偏差を起しうる変数
( va r i ab l e s)
がある程度極小化するーー'或はそうすることも出来るー—_から、相対的蓋然性を遥かに逓減しうることによって、
教 育
費 用
分 析
の 展
開 過
程 ︵
澤 村
︶
度
(a de qu ac y)
・v
あるといえよう︒ 裕福な財
492
第 一
︑
( 一六3 5 )
あるものには違いないが︑︒ハァセント配分の重な使用は︑単一機関における動向に関してである﹂︑との指摘は適
切なものでなければならない︒いうまでもなくここにいう﹁単一の機関﹂とは簡単に単一の大学といういみではな
く︑教育費
( in s t it u t io n a l c os t
s )
計算単位となるひとつの機関をいうのでなければならない︒なぜならば単一の大学
であっても各種の学部を擁する綜合大学にあっては︑大学を一つの単位としてみた﹁費用支出の︒ハァセント分析﹂
は前に示した数種の大学間における比較の場合と同じょうな事情に当面せざるをえないだろうからである︒されば
( 3 6 )
こそ︑わたくしのいう﹁学部単位の独立採算制﹂が教育成果の測定評価のため有効な︑そして考慮されなければな
らない︑大学教育財政政策であるといつてよいであろう︒アメリカにおける世界的水準の大学といわれるハァヴァ
ード大学の前学長コナント
(J
B . .
Co na nt )
は﹁一九四九ー五
0年度ハァヴァード大学学長報告﹂の中で︑
﹁われわれの会計制度は本学の学部中心主義
(d を反映していることが思い出されるであろう。Rentrali~tion)
﹃すべての桶はそれ自身の底の上に立つている﹄︒いずれの学部長も自分の学部予算の均衡を保たせている︒われ
われはある学部の費用支出と当該学部に帰せられた収入
(r i p R e t s)
と釣合いを保たせるよう努力している︒
くの他の大学のように︑授業料を共同保管していないし︑ひとつの学部から他の学部へ金を流用しない︒分離し
た各学部の所得
(i nc om e)
は次の四つの範疇のひとつに該当すると考えられてよい︒
の学部が使用するよう指定された資本基金からの所得︑第三︑経常費として使われる年々の寄附︑第四︑短期間
のため設けられた補助金の費用支出︑ これら所得源の比率は各学部によって非常な差異がある︒従って全大学の
( 3 8 )
平均数字は無意味
(m ea ni ng le ss )