中国法史講義ノート(VII)
著者 森田 成満
雑誌名 星薬科大学一般教育論集
号 36
ページ 63‑85
発行年 2018‑12‑10
URL http://id.nii.ac.jp/1240/00000835/
中国法史講義ノート(Ⅶ)
(1)Notes for the Lecture on the Chinese Legal Tradition (Ⅶ)
森田成満
(星薬科大学 名誉教授)
註
(1) 中国法史講義ノート(Ⅰ)、(Ⅱ)、(Ⅲ)、(Ⅳ)、(Ⅴ)、(Ⅵ)は、星薬論集二九輯、
三〇輯、三一輯、三二輯、三三輯、三四輯に収載。
第八章 商取引の秩序
第一節 商品の流通(1)
一 商人と市場
商人(客商、牙行、鋪戸・行商人) 本章は動産である商品の取引(売買)
法と民間に於ける商取引秩序を見ることを通して商取引の秩序を解明すること を目的とします。取引される主な商品は農産物と手工業品です。大規模な工場 生産は存在しません。生産者から消費者に至る商品流通の多少は時代や地域に よって異なります。例えば清代に於いてはその中期以降特に江南地域では人口 の増加と共に商品経済の大きな進展が見られます。
商品流通を巡る官の許可等について原理原則は中央で立法するけれども実務 の処理は省や州県に多く委ねられています。中央が留保している部分が多い治 安の維持とは異なります。
商人に着眼して流通を見ると商品は典型的には客商から牙行{県城に置かれ る商取引の仲買人(牙人、経紀とも言う)あるいはその組織を指します}を介
して鋪戸(「坐賈」)あるいは店を持たない行商人へと三種の商人の手を経ます。
客商は商品を生産地から消費地に運ぶ遠隔地商業を司ります。牙行秩序の大枠 は省が作るのであって牙行の数は広東省や広西省のように定額のないところも あるけれども多くは省毎に決まっています。牙行を掌握することを通して官は 流通する商品やその数量を管理できるし確実な税の徴収を可能にできます。牙 行をなそうとする者は互結を揃えて州県に出願します。州県は審査の上上請し て布政使から免許状(「牙帖」)を出します。免許資格として殷実な良民で営業 できる資産を持つことが求められます。免許を付与されるのは一牙行に一人で す。それを通して地方によって額数を決めている趣旨を守ります。牙行に来た 客商の住所、氏名、物価の数目等の営業の情況を毎月官に報告させます。毎年 牙税を納めます。任意に廃業できないしその地位を売却することもできません。
牙行には取引の仲立ちをするに過ぎない者と代理する者あるいは自らの計算で 売買するいわば問屋があります。そこには契約の当事者になるかどうかの違い があります。近時は売買、取り立て、運送、保管をする者もいます。支払いを 保証し店舗には商品の品質を保証します。自らの計算で売買するときを除いて 牙銭と言う手数料を取ります。官は牙行が取引の値を増減することを禁止して います。また、時に牙銭の制限をすることもあります。
時にその設立や運営について官の許可を得ていない私牙行と呼ぶ牙行もあり ました。戸律私充牙行埠頭条は官の許可を受けていない牙行を処罰する規定で す。
通例、全国規模で活動する客商は地方の卸売市場の風俗等に関する情報を十 分に掌握してはいないし取引当事者が得ている情報は必ずしも等しくありませ ん。それらを牙行が補って取引に伴う種々のリスクを抑えます。市場の方も客 商と鋪戸等の間で価格を決める必要があります。また、牙行は信用を保証した り金融を供与することもあります。
小取引には牙行の仲介はありません。ただ、大きい取引との境界は必しもはっ きりしません。
海運は通例独立した営業であってそれを仲介する牙行があります。船牙、船 戸と呼びます。
清末になると牙行の役割は低下して行きます。
鋪戸は通例、品目ごとの店になっています。
市場の仕組み 市場とは定期的に商品を集積して取引(「貿易」、「交易」)す る場所です。そこでは対等な取引主体が売買契約をなし随時目的に沿って結び 付きます。商品流通の空間的な仕組みを図形的に説く学説があります。スキナー 氏は市場は商品の流れに沿い城市(県城)、町(市鎮)、郷村地域の三層をなし て存在しているとします。それぞれ中心市場圏(central market area)、中間市 場圏(intermediate market area)、標準市場圏(standard market area、平均的には 十八の村を含み、八千人の人がいるといいます)と呼んでいます。中心市場圏 の中心市場町に上級の紳士や大商人が住んでいます。牙行はこのような都市に あって商品を中心市場圏から中間市場圏に卸す働きをします。中間市場圏に住 む行商人はいくつかの村落を含み定期に市を開く生活空間である標準市場圏に 商品を提供します。紳士もここに住んでいます。標準市場圏にある標準市場町 には茶館等の施設が置かれ社交や情報交換の場ともなります。農民の日常の生 活範囲は村落ではなくて標準市場圏によって規定されています。市場圏の広さ は交通手段の発達の程度と関係しています。標準市場町で開かれる定期市で生 産物が売買されます(2)。そして中心市場圏はさらに海外市場や首都北京に繋 がる数個の大地域(macro region)に統合されます(3)。
岸本美緒氏は市場構造のモデルの一つとして「連鎖型」モデルを考えます。
動脈が枝分かれして毛細血管へつながっていくような構造です。それは開放体 制であり諸地域間に支配服従の関係があります。地域で循環して完結するので はありません。明清時代の市場構造はこのモデルを使うとうまく説明できると されます(4)。
ただ、地域や商品の種類を細かく分けて見れば上述のモデルとは異なる流通 の仕組みがあり得ます。例えば、山本進氏は四川に於ける棉布の流通を取り上 げて生産者と店舗との直接取引による地域経済が成立しているとされます(5)。 このように流通のあり方はその規模によっても異なるし地域による違いもあっ て緻密な分析は容易ではありません(6)。
二 同業者団体{行幇、会館(公所)}
商取引分野を中心にしながらそれ以外のところでも働くことがある組織とし て行幇とか会館と呼ぶ同業者団体があります。行幇はもともと特定の商品を扱 う同業者の団体であり、官が商業手工業者に対する差務の便宜と管理のために 作らせたものです。会館は本来は親睦を図り情報を交換するための同郷組織で あります。行幇とは異なり会館の設立に差務は関係しません。通例、商人の出 身地によって扱う商品が決まります。次第に両者は混同し名称、大小や働き等 種々あるけれども相互親善、扶助や営業利益の保全を目的とする同郷の商人の 団体となりました。これらは個別の目的のために随時集まって団体を作り規則 を定める伝統中国人民の行動様式が商業活動に現れたものです。商業活動の分 野は原則として同業者団体が関係して行われているのが特徴です。その設立手 続は発起人が集まり組織や規則を定めて資金を広く募るところから始まりま す。加入金を払い保証人を付けます。通常、会員の選挙によって選ぶ董事と呼 ぶ無給の支配人、毎年会員から選ぶ副董事、董事が任用する司事と呼ぶ書記の 役員がいます。収入には寄付金、賦金(会員の売り上げ貨物の純益に賦課する もの)、土地等の賃貸料、所有金銭の利息等があります。それらで必要な経費 をまかないます。同業者団体の会員が作った内部の規則を行規と言います。内 容は団体によって異なるけれども共通する部分が少なくありません。同業者団 体の多くは州県の許可を得て設立しています。
同業者団体が果たす働きは構成員相互の親睦と助け合いです。信用取引や度 量衡、危険負担、年末年始の取引等のような商取引を巡る事柄規制と保護をな します。そこでなされるのは仲間内の利己主義的、排外的孤立主義的傾向が強 いものです。自由な競争を制御し自己利益を守り構成員が助け合う協同組合に 類似します。
官との関係に着眼して同業者団体を見たときモース、清水盛光、根岸佶氏の 業績に沿って中国近代ギルド研究史を纏めた林原文子氏は、官の特許を得てい るギルドや専売のそれを除いて多くの官許のギルドは徴税、警察以外は官との 関わりのない自治的なものであるとされます(7)。同業者団体の設立には官の 許可が必要であるけれども、その後の活動について官は放任しているのであっ
て同業者団体が自治的に処理しています。
構成員との関係に着眼して見たとき商取引を巡り同業者団体が果たす規制の 有無強弱については二説あります。一は、団体による規制を大きく見るもので す。同業者団体が事業を独占している結果として当該事業を営業しようとする 者は事実上加入が強制されます。また、取引を巡る会員間の紛争は団体の仲裁 でまず解決するべきである等とします。二に、谷井陽子氏等は同業者団体によ る規制は実体的にも手続的にも少なく、取引は概して自由であったし紛争処理 の多くは同業者団体ではなく街隣がなしたとします。後説が競争を制限する規 範がないとするのか制限する規範はあるけれども実効性がないとするのかは はっきりしません。また、商取引ではない紛争や同じ同業者団体の構成員では ない者との間の紛争に着目しているようにも見えます(8)。次に述べるように 同業者団体が行政機関化したのはそれがそれなりに規制の役割を果たしていた から官が統治を委託したと思われます。
同業者団体が果たす働きを巡って特に留意しなければならないのは左程一般 的ではなかったにせよ関係地域に於ける統治業務を引き受けることがあったと いうことです。官が民間にある同業者団体の大きな組織力を利用する結果とし て官と民間が接近します。同業者団体が商取引を巡る統治業務を管掌すること があります。また、商業以外の分野をも管掌する団体となることがあります。
構成員以外の住民に対する管理まですることもあります(9)。例えば重慶では 八省会館が乾隆中期以降共同して商業以外も含む地方事務に参与したと言いま す。このような事象は他の都市にも見られます。さらには、同業者団体を官の 機関の一つと位置付けることがあります。そこでは官が民間秩序を取り込むの ではなく官に対する準則と人民間の準則の成立根拠が同じになる結果民間秩序 がなくなり官の支配に一本化します。民間秩序ではなく人民が作った官法が人 民を規制するのです。それは風俗を官法として取り込まず官と民間秩序が別の 次元として並存する農村の家族法や土地法の仕組みとは基本的に異なります。
註
(1)中国法史研究の中で最も研究業績が少ない分野が商取引法です。恐らくは官の成文
の法が乏しいからと思われます。多くは中華民国期になされた慣行調査報告をもとに 清代の慣行を推測するに止まっていました。ところが近年档案史料が利用できるよう になってようやく新たな研究が見られるようになります。本章の個別事実の多くは特 に『清国行政法』と四川省巴県の档案を使って纏めた張渝氏の論稿に基づいています
{張渝『清代中期重慶的商業規則与秩序 以巴県档案為中心的研究』(中国政法大学出 版社、二〇一〇年)}。
(2)スキナー、ウイリアム、今井誠一他訳『中国農村の市場・社会構造』(法律文化社、
一九七九年)。
(3)寺田浩明『中国法制史』(東京大学出版会、二〇一八年)一〇八頁。
(4)古田和子編著『中国の市場秩序――17世紀から20世紀前半を中心に』(慶応大 学出版会、二〇一三年)、同氏「中国における市場・仲介・情報」{「比較史のアジア
――所有・契約・市場・公正」(東大出版会、二〇〇四年)所収}。
(5)山本進『明清時代の商人と国家』(研文出版、二〇〇二年)第一章。
(6)極めて微細な取引は生産者が直接消費者に売ったと推察できます。
(7)林 原 文 子「 中 国 近 代 ギ ル ド 研 究 の 論 点 」( 関 西 外 国 語 大 学 研 究 論 集 八 四 巻、
二〇〇六年)。
(8)谷井陽子「清代中期の重慶商業界とその秩序」(東洋史研究七四巻の三号)。
(9)このようなことがどの程度一般的であったのかとかいつまでそれが続いたのか等を 含む細かい実態が解明されることを期待します。時代や地域によっても違いがあろう が制度とそれがどこまで実現していたかという点に関する将来の緻密な実証を待ちた いと思います。
第二節 商取引法
一 商取引法の国制上の位置
商取引法の目的と基本的仕組み 商取引を巡り官と人民の間で働くのが商取 引法です。商取引法は商取引秩序の維持を目的にします。商取引法の秩序は商 取引法とそれに沿う保護の制度から成り立っています。
商取引法の法源の仕組み 商取引を巡る法源として律例、行規、告示、風俗
(「旧例」)及び情理があります。律例、行規、告示は成文です。その条項の多 くは具体的な内容です。風俗は不文を原則とします。情理は不文です。
律例は情理を実定化したものです。
行規は制定過程や規範を適用する人的範囲がはっきりしています(1)。その 内容には同業者団体の成立過程を反映して郷情の連絡に関する準則と商取引に 関する準則があります。それが構成員の間では行為規範になるし構成員以外の 者に対しては抗弁の材料になったと思われます。官に申請して許可を得たもの と許可を得ていない私規があります。許可をしたとき官は同業者団体が作った 行規を制度として取り込んで官法としています。官との関係に於いてはそれが 規範となります。徴税と裁判に関するものが特に重要です。
行規は時に官法として告示されて構成員以外の当該地域の住民にも適用され ます。例えば、十九世紀の重慶では州県官が行規を告示して律例を補充してい ます。
風俗は適用の地域が限定されているのでその内容は地方によって異なり得ま す。商取引に関する風俗が旧例と言い得る位の民間秩序として評価されるとき、
官は不都合がない限り官法としてその風俗を取り込みます。それが統一し安定 した商取引秩序を求める官にとっても商取引の安全を求める商人にとっても有 益でした。この点は商取引の法秩序が風俗を取り込むことのない家族法や土地 所有権法秩序と大きく違う留意するべき特徴です。商人の意思を尊重する点に 於いて、官が認める枠内ではあるけれども商取引法は法令に依拠しそれがない ときは商慣習法による現代の法の仕組みと類似します(2)。慣習調査に言う慣 習は旧例に当たると思われます。そして旧例とまでは言えない風俗は情理を知 る手がかりになります。
情理はすべての分野に存在するのに対して他の法源はそれが関係する限られ た分野に存在します。情理と他の法源の内容は理念としては重なります。商取 引法はあくまで商人の営業行為に関する情理を基礎とする体系であって、そこ で言う情理はすべて商人であることを前提にします。特別法と一般法という形 で立体的にとらえる発想はありません。商法、商慣習法にないところは民法が 規制する現代商法とは法源の仕組みの基礎が違います。ただ、一般人の法理と 商人に対する法理は事実上多く重なります。そして商取引法は利益を求めて行 動する対等者間の取引である故、現代の民法や商法と類似するところが少なく ありません。
聴訟手続に於ける準則について法源の形式による優劣を明確に示す史料を検 索できません。そもそも律例は聴訟に於いては判断の根拠を明示することを求 めていません。どの法源を適用したかを常には示しません。それをはっきりさ せないところに特徴があります。もっとも商事事案は民事的事案と比べると根 拠を明示することもなくはありません。行規や旧例が比較的よく引照されてい ます。法源としての注目度は成文の方が高かったのかも知れません。明示しな いとき成文法や風俗を適用したかあるいは情理を適用していることになりま す。情理を適用しているとすると成文法等は情理の内容を知る手掛かりとなっ ていることになります。断獄手続に於ける比照の仕組みに似ています。
商取引法の性格 第一に、商取引法は税制度と関係するのであって裁判規範 であると共に行為規範としても重要です。第二に、商取引法や同業者団体の仕 組みは基本的に都市の商人の法です。土地法が郷村の農地や山を主な解明の対 象とする農民を巡る法であるのとは対照的です。
二 商取引法の内容
適正な商取引市場秩序を作る法理(3) 商取引法は適正な商取引市場秩序を 作る法理と商取引契約の法理から出来ています。それぞれ現代の経済法と商法 に相当します。前者は巨視的で政策的な色合いが濃いものです。その第一は、
商取引主体に着眼して規制のない自由な取引がもたらす過剰な競争を防ぐ法理 です。現代の商取引は競争秩序の中でなされるのを理想とします。留意しなけ ればならないのは清代には商人が一定の取引分野で独占したり結合することそ のものを禁止する考え方が出て来ません。主体に着眼して集中を規制すること を軸の一つにする現代の経済法とは対照的であるということです。相当数の商 人による市場支配を容認し経営を安定させ利益を保証することは官にとっても 利益でした。そのため一に、取引に参加することを排除するときと参加は認め るけれども厳しく規制することがあります。時に開業を制限して商取引主体の 数を限定して独占を認めます。官は特許制度を設け牙行、典鋪(当鋪)や銭鋪
(銭荘)のような主要な商取引主体の営業を制限します(4)。企業を結合させて 営業を当該行の構成員に限ることもあります。独占して外から侵害する非加入 者を排斥します。特定の店に特権的に契約できる地位を認めることがあります。
また、同業者団体が機能しているところではそれが規制することを認めます。
例えば、店舗の設置場所に関して茶、油、理髪行等に「上七下八」と呼ぶ場所 の制限があることがあります。二に、複数の商取引主体が通じ合って商取引を 制限するカルテルを認めます。契約希望者のすべてが一つの主体をなして契約 を締結しておいて彼らの間で契約内容を分ち合うこともあります。過度の競争 を防ぐためにこれらは違法な独占とか不当な取引の制限にはなりません。そも そも金融資本家としては清末になると例えば浙江財閥のような大きい集団が現 れます。ところが、商業資本家は兄弟均分を貫く農民とは異なり資産を蓄積し 維持するためにそれなりの工夫をこらすけれども、彼らは危険を冒してまで限 りなく資本を増殖させて蓄積しようとはしません。それ故そこに巨大な独占は 発生しなかったと言います。
他方、第二に、商取引行為に着眼するものであって自由競争が不当に阻害さ れないようにする第一の法理とは逆の法理があります。一に、行き過ぎた市場 支配力が形成されることを排除し予防します。経済的強者がその地位を利用し 限度を越えて競争を実質的に制限することを認めません。それは公正を欠く取 引方法となります。一般の売買について戸律市司評物価条は牙行が商品の価値 を不当に評価した時の処罰を規定しています。戸律把持行市条は強者が市価を ほしいままにするような専横(「用強」、「倚勢」)を処罰します。米穀の売買に ついて買占め、売り惜しみ、価格を不当に高くすることを禁止します。道光年 間以降、現物の介在のない投機性や相場操縦性の強い買空売空が禁止されます。
牙行営業の取り締まりのために価銀の増減が禁止され、牙銭の制限等がなされ ます。銭債について期間を短縮する短票や予め控除する控折が禁止されます。
酒行に於ける製造方法や値段の制限等は禁止されます。二に、不当表示は公正 を欠く取引方法として禁止します。経営主体は商号(「招牌」)を持ち交渉のと きの名義にします。特に同業者は他人と同じ商号を使ってはいけません。もっ とも、地域が違えば問題はありません。公示のためにそれを広告したり商会が あればそこに登記したりします。商号の譲渡は第三者との関係が不安定になる ので通例しません。冒用者に対しては変えるように請求できます。
適正な市場秩序を作るための法理の第三は、経済的な便宜の実現を目的とす
る法制度です。それが整備されることにより商取引が時間的、空間的に拡大し ます。統一した貨幣制度はありません。度量衡には官の定制と私のものとがあ ります。戸律私造斛斗秤条は官が決めた斛斗秤尺に従わなかったり私造した者 に対する処罰を規定します。戸律器用布絹不如法条は民間で基準に沿わない器 械や織物を作った者に対する処罰を規定します。ただ、実際は統一していませ ん。
取引代金の支払方法には契約成立時に商品の引き渡しと同時に現金でなすと きのほか将来の支払いを約束する契約と支払いを第三者に振り替える契約があ ります。第三者への振替は送金や決済の便宜のためになされます。顔の見えな い関係に変えることが少なくありません。それ故、振替には支払いに対する債 務者の承諾が必要です。銭荘が出す銭票を使うこともあります。書面に債権者 の名を記載する記名式のものと無記名式のものがあります。他者に譲渡するこ と(割引)を認めるものがあります。現金の代用として所持人に責任を負うも のもあります。いわば小切手です。これらは金融の働きもします。細部は整っ ていないとしても信用取引が少なくなくそのための支払方法があったことは盛 んな商品流通がなされていたことを示しています。このような支払い方法がど のくらい離れた地域の間でなされたか等が解明されると面白いと思います。
商取引契約の法理 律例は適正な商取引市場秩序の整備に重点を置いていて 商取引契約をなす対等な両当事者間に働く契約法理に関する条項は多くありま せん。それは主に風俗と情理が規制します。契約法理には政策的な内容が少な いので成文にしなくても準則ははっきりしていたと思われます。対等者間の自 由な取引秩序を公平の観点から規制するという点で類似する現代商法とその準 則の基本は大差ありません。
商取引は職業性、営利性、計画性、継続性、大量、反復性、定型性を帯びま す。敏速でなければならないし安全な取引が保証されなければなりません。
商取引契約の主体は対等な独立した存在です(「両平交易」)。その第一は、
個人です。例えば、店舗を経営する個人です。第二は、団体、あるいは組合で す。家族員全員で経営する家が主体になることがあります。合夥(合股とも言 います)が主体となることもあります。合夥の経営形態には共同出資するもの
と雇用関係にあるものとがあります。前者には資本(「財股」、「銀股」)を出す 者(「股東」、「資東」、「財東」)と労力(「身股」、「力股」)を出す者がいます。
後者の経営者あるいは商業使用人は一切の行為を代表する経理人、特定の事項 のみなし得る夥友、代表権のない労務者の三種に分れます(5)。共同経営的な 合夥の損益は出資額に応じて分配します。帳簿あるいは合同契拠を根拠にしま す。出資したときの貨幣を標準とします。雇用関係にあるときの分配は出資者 間でなすときと商業使用人まで含むこともあります。例えば陝西邠県では六対 四に分配する(「東六夥四」)と言います。債権者へは無限の責任を負います。
連帯しないこともあります(「東不包東」)。退夥するときは分夥字を作ります。
債権者を含めて金銭関係を整理しないと離脱できません。合夥は現代の合名会 社に類似しています。それは血縁や地縁があるのが通例であって人的な結合の 性格の強い団体です。株式会社のような有限責任のものは存在しません。
代理商を置くことにより商取引の空間は広がります。代理商(「荘客」)は代 理(「代荘」)します。その行為が直接に本商人に効果を生じる普通の荘客があ ります。荘客が本商人の許可を得ずになした契約は無効であり荘客が直接に責 任を負います。代理商には自己の名義と責任で取引し独立して権利を享受し義 務を負う特別の荘客があります。また、代理商は金融の働きをなすこともあり ます。代理商から借金することにより資本なしで商業を営むこともできます。
通例、商取引契約は予約をして手付金(定銀)を払います。代金支払い時に それを清算します。
契約の効力として当事者は契約上の権利義務を実現しなければなりません。
売主が義務を履行しないとき買主は契約を解除できます。貨物の量や質に不足 があるいわば瑕疵担保責任が存在するとき、程度にもよるが買主は契約を解除 できます(陝西省長安、鳳翔等県)。また、債務者が契約上の義務を落ち度があっ て果たさないときは損害を償わなければなりません。代金の支払いをしないと きは損害の賠償を請求し契約を解除できます(福建省蒲城県)。履行を遅滞す るときは引渡時の市価によって賠償します(山東掖県)。留意しなければなら ないのは場合によっては落ち度の存在が証明されなくても契約責任を負うこと があるということです。第一に、立証の容易さや画一性を目的とするものがあ
ります。金銭債務の返還を滞ったとき一般人を巡る戸律違禁取利条は過失の有 無にかかわらず処罰し遅延利息を取るとします。第二は、双務契約の対価性か らくるものであっていわば法定の無過失責任です。その一は、商品が質的ある いは量的に不足するときの担保責任です。二は、商品が滅失したときの危険負 担です。例えば、山東会館の規約によると倉庫内の貨物が焼失した時契約後五 日までは売主が負担しそれ以降は買主が負担します。遠い県との間の商取引の 多い江蘇省江都県では売主が負担します。また、騒乱によって貨物が滅失した 時は売主と買主が平等に危険を負担すると言います。因みに、戸律費用受寄財 産条に付せられる条例は典商(典鋪)と染商(染鋪)が失火、延焼や窃盗、強 盗に遭遇したときについて責任の有無、大小や双務契約の対価性に着眼して賠 償あるいは補償額を法定しています。この条例は責任があるときとないときを 包括しているのであって責任の有無に着眼して分析的に構成するのではなく典 商や染商が預かった物を消失したという結果の外形に着眼する総合的な規定と なっています。
金融は典買によることが通例です。無担保利子付きの金銭貸借はそれ程盛ん とは言えません。返済の保証が十分ではないからであると思います。ただ、律 にその存在を前提とする条項があるのであって利子付きの金貸しを蔑視してい る訳ではありません。金銭債務の利率は種々あります。法は三分で制限します。
金額が大きいほど利子は低くなります。商人同士は低くなります。利子は月や 年で計算します。複利のときもあります。
商取引契約は弁済によって消滅します。弁済期限は陰暦の端午、仲秋、十二 月末日等があります。掛売は多く期限を年末にします。
掛買のときは保証人を付けたり不動産で担保することがあります。保証は書 面を作ることも口頭によることもあります。信用を重んじ簡易を求めて契約の 方式には余りこだわりません。
商取引契約と郷村に於ける土地の売買手続には違いがあります。第一に、商 取引契約は簡易で迅速であることを重視しています。一に、商取引契約では多 くの関係者が立会人として集うことはありません。牙行が職業として流通の仲 介をします。二に、商取引契約の手続は取引の対象等によって同じではありま
せん。常に契拠を作成する訳ではありません。口頭によるときと契拠を作成す るとき、帳簿を作ることによってなすときがあります。書面を作るときは印章 が重視されます。商業帳簿には地方や取引の種類によって記入事項や目的が異 なる呼び名も違う種々のものがあります。それは紛争のときの証拠になりま す。借金や掛売、運送契約等は帳簿を慿拠とします。借用証や受取証、荷受証 は余り作らないと言います(6)。三に、郷村の土地売買は通例現金(実)売買 であるのに対して商取引は支払いが契約成立後になる信用取引が少なくありま せん。そのときに付けられる商取引の保証人は中人とは違い通例買主の知人で はありません。第二に、商取引は契約内容が不確定であったり不明確であるこ とを嫌います。実体面で土地売買には找価(たしまえ)を取ることを認めるこ とがあるけれども商取引にそのような例を検索できません。
因みに、迅速性を重視するとは言っても第三者との関係に於ける取引の安全 のための即時取得のような実体法理の存否ははっきりしません。
破産手続(「倒閉」)では債務超過の原因を調査し倒閉後の財産を調べてそれ を債権額に応じて債権者に分配します(「報股帰脹」、「候教」、「候叫」)。脹簿 に書いてある債務のみを返済します。債務者の財産を差し押さえて(「封」)売 却する等の手続は現代の破産手続のそれと大枠は類似します。ただ、破産の実 例を示す史料は余りありません。破産以外の方法で決着をつけることが多かっ たと思われます。
三 商取引の保護
自力救済は禁止されます。官法に沿って絶対確実に商取引を保護する制度は ありません。重案に於ける商取引の保護は断獄手続に付帯する民事的処理とし てなされ細案は聴訟手続によって保護されます。手続の開始後はどちらも官が 主導して処理します。適正な商取引市場秩序を巡る紛争は戸律市司評物価条や 把持行市条等のように重案になり得ます。商取引を巡る紛争は犯罪が絡んでい なければ細案です。後者の紛争類型の第一は、取引主体を巡ります。その一は、
同じ行幇に属する業者の間の争いです。営業範囲の地域割りや差務の割り当て に関する争い等があります。二は、合夥の共同経営者間のいわば内部紛争です。
利潤や損失の分配や清理を巡る争いです。第二は、商取引行為を巡るものです。
掛売を巡るものがあります。運送代金や盗売したとき、その他損害を与えたと き等があります。請求内容としては同業者や取引相手との契約を巡る損害賠償 を求める紛争が多くあります。
獄訟では前述した商取引法を適用します。稀に経済的弱者を保護し支払いを 猶予したりするような調整があり得ました。
註
(1)公議によって団体の構成員が皆で自分たちを規制するこのような規範を決めること は恐らく商取引の分野にのみ見られる特徴です。
公議の詳しい実態ははっきりしません。同業者団体の内部のあり方については行規 が皆で決めたことに拘束される公的性格を持つ前提として、構成員はそれなりに対等 であり自由に意思を表示して行動できたとする見方と仁井田陞氏の権威者が専制的に 支配しているとする二つの見方があります。同業者団体による個別的な差異が小さく ないと思われます。
(2)十九世紀末以降の台湾に於ける慣習の国家法化を分析した王泰升氏は国家による慣 習の取り込み方に日本統治下、国民党政権移転後、一九九〇年代以降の民主化の時代 のそれぞれの時代に現れる三つの類型があるとされます。その一は、それを国家の成 文法にするいわば慣習立法です。二は、司法や行政機関が法律に基づいて旧慣による としてそれを適用します。三は、事実たる慣習とするものです{王泰升著、松田恵美 子訳「台湾社会の慣習の国家法化について(上)、(下)(名城法学 六四巻三号、四号)。
松田恵美子「慣習と『近代』研究会についての一報告(同書六五巻一号、二号)」。
(3)官が権力そのものを安定させるために商取引の自由を制限する場合があります。官 僚の強権化を防止する目的から官吏による商取引を制約しています。生員や差役は牙 行を営むことはできません。官吏は管轄区域では典鋪や銭鋪を開設できません。税や 差役を確実に徴収する目的からする制約があります。塩等の専売はその例です。
(4)商取引に於いて特に重要な働きをする業種に運送業、牙行、典当、銭荘があります。
運送業は水上運送を船戸がなし陸上運送は脚夫が行います。そのとき客商とそれらの 間に入るのが船牙や夫行です。号主(船主)が貨客(買主)に発単(送り状)を給付 します。時には装載行を通して給付します。買主は発単と荷物を耆舵に渡し耆舵は買 主に回単(受取り)を給付します。
当業について律例や行規に一本一利の金銭債権の遅延賠償に関する規定が存しま す。
銭荘(「銭店」、「銭舗」、「票号」)は銀銭の両替をしたり銭票や銀票のような信用証
券の発行をします。さらには預金、貸付、送金の業務をなすようになります。個々の 銭荘が発行した銭票等は牙行によって広く決済されました。牙行などの同業者団体が 銭荘を支えています。
染舗は免許制ではありません。
(5)経理人と夥友は許可なく同一営業所で同じ商業を営めません。他商の事務を取るこ とも出来ません。営業上の借金に経理人は責任を負います。また、経理人は夥友の不 正に対する監督責任があります。給料は通例月計算です。紅利は現存する残余金を標 準とします。労務者はいつでも解雇され得るけれども経理人や夥友の解雇は節分にし ます。夥友を解雇したら取引先にそれを通知しなければなりません。
商業学徒は人材の養成や店務を手助けすることを目的とする見習いです。種々の賎 役に使うことがあります。通例期間は三年でその間は給金は出ません。期限到来後す ぐに他店に入ることを許さないこともあるし任意のこともあります。契約書を立てる ときと立てないことがあります。保証金を入れるときや保証人を立てます。故なく辞 めるときは賠償しなければなりません。年限を過ぎて以後その店にいるかどうかは学 徒の任意であって店主は強制できません。
(6)例えば直隷臨楡県では貸借や貯金は来往帳簿、交換取引には収取帳簿を慿拠としま す。掛売りは売貨帳簿が有効となります。山東昌楽県の掛売りは売主が貨物を買う店 の帳簿への捺印を求めます。湖北宜昌県の商店の荷送りは送荷簿内の捺印を慿拠とし ています。会員間の取引は帳簿に商会の捺印を求めます。山東寿光県のように商会が 定めた様式の帳簿を商会からもらう地方もあります。
第三節 民間に於ける商取引秩序 一 民間に於ける商取引秩序の内容
民間の人民間の商取引秩序は同業者団体の行規や風俗、情理によって作られ ています。官は民間の商取引秩序を官法として取り込んでいるのであって、そ れ故民間秩序の内容は律例によって作られる秩序を除けばおおよそ前節に記し たものと等しいはずです。
二 商取引に対する民間に於ける保護
同じ行幇内の商人間の争いのときは行幇の首人が行規あるいは風俗を適用し て調処します。違反者には軽微な制裁を民間に於いて科し得ます。行幇内部の ときは罰金を取るのが通例です。時に重大な違反をなしたときには除名します。
同じ行幇に所属してはいない商人の間の紛争のときは別の同業商人が風俗ある いは理を論じて調処します。
ただ、民間の調解には働きに限界があります。両当事者の同意がないと紛争 が収まりません。同じ行幇に属さない者との間では同意を得ることが特に難し いと思います。
三 獄訟と民間に於ける紛争処理の共働
官は商事紛争を巡る訴を受理した後に紛争の解決を関係する行幇や会館の調 処に委ねることがあります。民間でなされる調処を経てこないと制度として聴 訟を受理してはならない訳ではないけれども、訴えの半分位は手続を進めてい ません。むしろ商取引を巡る紛争の解決を官は原則として民間の同業者団体に 委ねており通例はそれで落着したように思います。そのとき同業者団体は官の 下請けの働きをします。そこにはフィリップ・ホアン氏のいう第三領域(the
third realm)あるいはそれに類似する領域が存在します(1)。
さらに同業者団体が官の日常的な統治機関になったような場合、例えば清代 中期の重慶では外省出身者による牙行組織である八省客長に審理させその結論 を県に上申して裁可を得て落着させています。
註
(1) Philip C.C.Huang「Between Informal Mediation and Formal Adjudication―The Third Realm of Qing Civil Justice」( Modern China 19-3 1993)。
第九章 清末に於ける法制度改革(1)
註
(1) 事実については多くを島田正郎『清末における近代的法典の編纂』(創文社、
一九八〇年)に拠ります。
第一節 近代化のための法制度改革 一 洋務運動、変法運動から光緒新政へ
アヘン戦争以降西洋列強の侵攻を受けて清朝の律例体制は動揺します。自然 法思想を基礎に置く異質な西欧文明を種々の形で上から取り入れることに よって近代化しようとします。
同治年間に入ると曽国藩、李鴻章等の洋務運動論者は西欧の生産技術を導入 して国力を増強しようとします。張士洞は儒教文化を本体として政治体制は維 持しながら西洋の機械文明を利用する中体西用論を唱えます。日清戦争後その 限界を感じた康有為、梁啓超、譚嗣同等は明治維新に倣って祖宗の法を変える 変法自強運動を展開します。康有為は大同三世説を唱え西欧思想を儒教に付会 します。立憲君主制や議会の開設、近代法の教育による清朝の再建を目指しそ れによって列強と対等な地位を得ようとしたけれども戊戌の政変でその動きは 一時頓挫します。しかし、それは義和団の乱の後張士洞、劉坤一の上奏に始ま る西太后が主導する光緒新政という形で受け継がれます。その後朝廷が与する 立憲君主派と革命派に分れます。前者の立場から改革を担う機構を作って(1)
政治体制と法律制度の改革を目指しました。それによって清朝を建て直すこと はできなかったけれども中国近代化の出発点となりました。
二 立憲君主体制への摸索
近代的法学の受容 近代化のために直接的には多くを日本に倣っています。
隣国故何かと便宜であったというよりも明治憲法下の日本の制度は受容し易 かったのです。また、それを各分野に成文法典を作ることを通してなそうとし ています。それ故、改革の過程は法典編纂史を軸にします。
近代化を目指して近代的法学を取り入れます。司法官を育成するために修訂 法律館に直属する法律学堂を設置する一方、各省に仕学速成科を作りました
(一九〇五年)。一九〇七年には京師法政学堂を行政官の養成を目指して設置し ます。
劉坤一、張士洞は新政の要員の育成を目指して日本への留学を奨励しました
(一九〇一年)。日本では特に法政大学と明治大学が留学生を積極的に受け入れ ます。学堂で教鞭をとると共に法典編纂の顧問にするために日本から岡田朝太
郎、松岡義正、志田鉀太郎と小河滋次郎を招きました。
立憲君主体制への摸索 一九〇五年に端方、戴鴻慈等の五大臣を欧米や日本 に派遣して立憲制度を視察させます。彼らは帰国して立憲改革を上奏します。
改革の第一は、官制の改革です。立憲体制を確立するには権限が不明確で能率 を欠いていた官制の改革が必要でした。永久不易の律例体制を根本から変える ときになって初めて官制改革が現実化しました(第一次官制改革)。一九〇七 年に司法の独立を目指して刑部を法部に改め大理寺を大理院とします。しかし、
激しい権力争いの中で官制改革は挫折します。法部に権限が留保されていて行 政と司法が完全には分化していません。行政と司法を分けた責任内閣は作られ ず軍機処が温存され不徹底な結果に終わります。
第二に、立体的に法体系を構成するために基本法を定立しようとします。実 施されずに終わるけれども一九〇八年に日露戦争に勝利した日本の明治憲法に 倣う欽定憲法大綱を作りました。その全体は君上大権と臣民の権利義務に関係 する二つの部分に分かれます。権力分立の発想が見られるし、法による裁判と か臣民の権利に触れていて立憲主義的な規定もあります。ただ、全体としては 皇帝権力を維持しようとしています。皇帝と議会、また行政と司法がそれなり に牽制しあう限りで皇帝権力を制約します。立法、行政、軍事、外交、司法の 統治をなす権限は皇帝にあり官制や用人、軍制、宣戦、皇室経費等に国会は介 入できません。議会は議案を審理し議決するけれども議会の開閉や解散、法律 案の提出や公布、施行は皇帝が行います。司法は皇帝の下で法律によって行い 行政的な処分である命令で法律を随時変更することはできません。それにより 司法の統一性が保持できます。行政は皇帝の下で命令に沿ってなし法律による 必要はありません。人民の権利としては議員になること、言論等の自由、不当 に逮捕されない、裁判を受けられることや住居の不可侵があります。義務とし て納税、兵役、法律遵守があります。もっとも、人民の権利も皇帝が与えた限 りの法律の範囲内で保証されるものでしかありません。権利が少なく義務が多 いのです。法律は皇帝を縛らないけれどもそれなりの法化社会を目指していま す。人民を権利義務の主体とします。しかし、権利といっても人民の主体的な ものではありません。ただ、儒法思想とは異なる人間観や国家観に基づいてそ
の保護を約束する権利の言葉がはっきり出てくるのは中国史上なかったことで あって画期的です。一方、議会の構成や内閣の存否のような統治組織の細部に ついては言及していません。また、信教、移転、通信、請願の自由についての 明文はありません(2)。
一九一一年の辛亥革命時にはイギリスの立憲君主制に倣った民主的な十九信 条が公布されます。主権は人民にあり皇帝は人民が認めた限りの権限を持ちま す。皇帝は軍を統率する権限と非常の大権を持ちます。皇帝の権限は資政院(議 会)が制定した憲法の規定によって制約されます。国会は二院制を採ります。
上院議員は特別の資格を持つ者から国民が選びます。主権は人民にあるといっ ても選挙権は資格に要件がありました。総理大臣は国会が選び大臣は総理が推 挙しどちらも皇帝が任命します。議院内閣制であり国会が弾劾したら総理は辞 職するか国会を解散します。憲法改正は国会が提案します。官制は法律により ます。予算や皇室経費は国会が決めます。裁判所は国会が決めます。軍は皇帝 が統率するが国内で使用するときは国会の議決が必要です。法律が命令に優位 します。命令は特別の条件のある緊急命令を除いて法律の執行とその委任を限 度とします。ただ、この十九信条には人民の権利義務に関する規定がありませ ん。結局、皇帝権力を大きく制約する十九信条によっても清朝権力を支えるこ とはできなかったのです。
第三に、広く諸分野に亘り個別的な立法がなされます。伝統的な律例体制の 枠を越えて近代化を模索する法律がいくつか施行されます。そのときそこでは 律例と抵触する範囲で律例は廃止されたことになります。施行にまで至らな かったものが少なくありません。しかし、それらも多くは民国になって役立つ ことになります。
一九〇五年に結社集会律が日本の治安警察法に倣って作られ政治あるいは公 事に関する結社や集会を地方官庁の許可制にします。一九〇八年には報律が出 来ます。新聞社の設立を地方官庁の許可制にして内容の事前検閲をします。
専門家を日本に派遣して民刑事区分の立法理由、裁判手続や監獄事情を調査 させます。訴訟手続の規制改革は一九〇二年に修訂法律大臣となった沈家本が 一九〇六年に刑事と民事を区別し弁護士制度の採用を記す刑事民事訴訟法草案
を上奏することに始まります。ただ、実情にそぐわないという意見が多かった のです。一九〇七年に京師について大理院審判編制法が出来ます。また、天津 府属試弁審判章程ができてそれなりに実施されます。さらに一九〇七年に民刑 混交主義をとる各級審判庁試弁章程が施行されて審判権が大理院に統一されま す。そして一九一〇年に十六章百六十四条からなる法院編制法が公布されま す。司法の独立、審級の整理、刑民事の区別、検察の確立等の内容を持ちま す。これに沿って全国に各級審判庁が作られます。また、個別法令の形で一部 実際に民国初年に修正して援用されることになる近代的な制度が出来ました。
一九一一年には一八九〇年に成立した日本の刑事訴訟法、民事訴訟法に倣って 刑事訴訟律草案、民事訴訟律草案を作り憲政編査館へ交付しました。大陸法系 の色合いが強く国家訴追主義を取ります。
刑事法分野の改革として一九〇五年に一部の地方でしか実施されなかったけ れども民政部の個別立法として違警律ができます。違法行為に対する行政的な 法律であり上訴を認めていません。また、流徒刑の読み替えによる習芸所が作 られます。習芸所は形式や内容が同一ではありません。犯罪者だけではなく浮 浪者を収容するものもあります。一九〇七年には未決囚を収容する看守所と犯 罪者のみを収容する日本に倣った模範監獄が作られます。小河滋次郎が寄与し ています(3)。同じ一九〇七年に岡田朝太郎が協力して日本法に倣った大清刑 律草案が出来ます。刑事実体法のみを内容にするものであり犯罪類型を拡大す ると共に刑罰を簡略化し緩刑制度等を設けています。これに対して礼教に反す るとか刑が軽過ぎる、比付の廃止はよくない等の反対論が出ます。一九一〇年 に修正刑律草案ができて憲政編査館に交付されます。ただ、結局近代的な法典 としては骨抜きになっていました。
民商事法分野の改革は一九〇三年に商部を設置して袁世凱と伍廷芳に商律を 作らせることに始まります。それは一九〇四年に出来ます。その冒頭に限定的 過渡的に婦女も商人となり得るとした商人通則と不備の多い公司条例が置かれ ています。一九〇六年には破産律が出来ます。ただ、改めて修訂法律館に於い て日本に倣う商律を作り直すことになります。慣習の調査もします。一九〇九 年に志田鉀太郎が協力した大清商律草案が出来ます。一九一〇年に大清現行刑
律の民事関係条項を民事有効部分とします。一九一一年には松岡義正が協力し 大清民律草案を作り資政院に提出します。一八九六年の日本民法に倣っていま す。民国はこれを採用はしなかったけれども参考にして一九二五年に第二次民 律草案を作りました。
註
(1)修訂法律館を作り東西の法律に通じた沈家本、伍廷芳が大臣になり一九〇四年には 現行律例の改正と新たな法典の編纂へと動き出します。一九〇六年に考察政治館をつ くります。これは一九〇七年に憲政編査館と改称されます。同年の第一次官制改革に 於いて修訂法律館は法部の機関になり沈家本、兪廉三、英瑞を修訂法律大臣とします。
(2)章炳麟によれば立憲制はむしろ人民を抑圧すると言います。法化社会は権利の保証 は確実であるけれども義務の履行も厳格に要求するのであって権利義務の実現が不確 実である専制体制の方が事実上自由であると見ると思われます。
(3)太田出『中国近世の罪と罰――犯罪・警察・監獄の社会史』(名古屋大学出版会、
二〇一五年)参照。
第二節 律例の姑息的改廃
近代化が完成するまでのいわば応急措置として一方では修訂法律館は律例体 制の大枠の中で律例に記す刑事制度について部分的な改廃をしました。取り敢 えず刑罰の分野に局限して残酷な刑罰等をなくし適用を平等にします。
一九〇三年に発遣流徒刑を収所習芸に読み替えます。一九〇五年に凌遅処死、
縁坐、刺字等を廃止します。また、婦女の犯罪を軽く処罰する優遇を廃止します。
一九〇六年には拷問が禁止され笞杖の刑を罰金に読み替えます。秋審で減刑さ れる戯殺、誤殺のような名目的死刑が廃止されます。また、三法司会審と九卿 会を廃止し秋審は大理院の判断を法部が再考察することとします。一九〇七年 に枷号を廃止します。一九〇八年に旗人の法律上の優位(「八議」)を廃止しま す。もっともこれらは完全に実施されてはいないのであって例えば拷問は根絶 できません。そしてこれらの個別になされた改革は大清現行刑律としてまとめ られます(一九一〇年)。
結語
現代中国法の中に清代法に類似する制度や思考傾向があります。第一に、伝 統中国の時代から既にある価値観や思考傾向に沿って現代にも存する法制 度、思考傾向があります。一に、家族倫理を重んじています。高齢者に対する 刑の軽減があります。養子や親子の扶養関係を重視します。養子は実親との関 係を断絶します。二に、人は共生するべきであると考えています。民事紛争の 解決に於いて調整的な取り扱いをなす調停が重要視されます。社会主義和諧社 会は人民の目指す共生する伝統社会に似ています。三に、刑法に於いては社会 的な危害、体制への侵害性の有無、大小が犯罪性の評価の基軸になっています。
また、そこには、人を集団としてとらえる思考傾向があります。共犯を主犯と 従犯としてとらえ主従は果たした役割によって決めます。犯罪集団の犯罪のと き首謀者は行為に参加していなくても全体に責任を負います(1)。
第二は、主に社会主義の理念から来る制度であり伝統中国のあり方を直接受 け継ぐものではないけれども伝統中国のそれと事実上類似するものです。それ なりに似た働きをします。一は、国家の基礎である権力の性格のとらえ方を巡 ります。現代中国は国家権力の根拠を平等で均質な人民に置きます。権力を人 民に対立するものではないとします。権力は腐敗するという悲観的な見方に立 つ権力分立論をとりません。権力は民主的に集中するべきであるとして独立し た司法が存在しない点や中央集権的であり地方官衙も国家の機関である点で一 君万民の清朝の官制に似ています。二は、法の属性についてです。社会主義法 や伝統中国の官法はすべて国家あるいは官との関係に於ける公法です。現代中 国に於いて民事、商事法はすべて経済法であって私的自治の原則に立つ民法、
商法はないとする考え方が根強く存しました。また、訴訟手続が職権的です。
民事訴訟の立案に際して既に実質審理をします(2)。刑事訴訟では可能な限り 真相に近い事実を追及する実質的真実主義をとり確定力の考え方は存在しない し無罪の推定の制度もありません(3)。刑事手続の中で民事的処理もします(4)。 三に、法の基礎にいわば自然法を置く思考があるところが似ています(5)。国 家機関を共産党が指導するとしたり、法律に規定がないとき政策によるのは、
清代の獄訟に於いて情理による処理があることを思い起こさせます。
註
(1)中華人民共和国刑法二六条、九七条。
(2)中華人民共和国民事訴訟法一二三条。
(3)中華人民共和国刑法三六条。
(4)同上法三六条。
(5)類似していた制度で中華人民共和国成立後かなり経ってから廃止されたものもあり ます。同姓不婚はその例であって現在の中国法にはありません。
[付記]
中国法史講義ノート(Ⅰ)(星薬論集二九)三頁の第八章を商取引の秩序とし、第一 節 商品の秩序、第二節 商取引法、第三節 民間に於ける商取引秩序と改めます。第 九章第一節を近代化のための改革とし第二節を律例の姑息的改廃と改めます。