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戦争遺跡 のアーカイブと歴史教育お ける活用

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秋 田入学 教育 文 化学 郡 教 育 実 践 研 究 紀 要 30 2008

戦争遺跡 のアーカイブと歴史教育お ける活用 一秋田県を事例 と して一

外地 智 * 秋 田大学教育文化学部

今 日,戦後60年 を越 え る年 月を経 て,「ヒ ト」 か ら 「モノ」 へ,確実 に戦争 の記憶 や記 録,痕跡 が移行 してい く中,体験者 の持つ リア リテ ィーに迫 る理解 ・共感 可能 な学習 を ど のよ うに展開 してい くのか は歴史教育 の重要 な課題 とな ってい る.本研究で は,戦争遺跡 に注 目 し, まず現在 の全国 における戦争遺跡 につ いて,特 に文化庁 を中心 と した 「近代追 跡調査」 による取 り組 みを整理す るともに, その類型 的分析 を試 みた. また,秋 田県 を事 例 に,同様 の類型的分析 を試 みた. さ らに, そ うした戦争遺跡 のその学校教育 における学 習材 としての活用 について,秋 田県を事例 に取 り上 げ,特 に土崎空襲 を題材 に した小 ・中 ・ 高校 のそれぞれの実践,すなわち,文化祭 において戦後60年 (土崎空襲60年) を機 に全面 的 に取 り上 げた秋 田中央高校,沖縄への修学旅行 と関連 させ,沖縄 と土崎 との比較研究 を 取 り入 れた下浜 中学校,総合 的な学習 の時間」 で体系的 に取 り組んで いる土崎南小学校

と港北小学校 について検討 した.

キー ワー ド :戦争遺跡,近代遺跡調査,歴史教育,戦争学習,土崎空襲

1. 本研究 の目的

親や祖父母 な どの身近 な人 たちか らの 「戦争」 の 語 り伝え,すなわち 「語 り」 による歴史 (オー ラル ヒス トリー) の伝達 は,地域 や家庭 のいわば市井 に おける歴史教育 と して戦争学習 の重要 な一翼 を担 っ て きた. しか し,今 日,戦後60年 を越 え る年月 を経 て,直接 の戦争体験 を もっ世代が年 ごとに減少 して い くにつれ, そ う した身近 な人 たちか らの 「戦争」

の語 り伝えは日々失われつつある.戦争の 「語 り部」

の減少 の中,今後 の学校教育, とりわ け歴史教育 の 果 たす役 割 はます ます重要 で あ る.「ヒ ト」 か ら モノ」 へ,確実 に戦争 の記憶 や記録,痕跡が移行 してい く中,体験者の持つ リア リティーに迫 る理解 ・ 共感可能 な学習 を どのよ うに展開 してい くのか, こ れか らの歴史教育 の大切 な課題である.

20081月28日受理

千TheWarRelatedSiteslnHIStOryEducatlOn‑ACase ofAkltaPret.

*SatoshlT。NOTKE,FacultyofEducatlOnandHurnan Studies,AkltaUniversity、Aklta

3077‑2008

本研究 で は, こうした現状 を踏 まえて,特 に学習 材 と しての戦争遺跡 に注 目 してみたい.後 に詳述 す るが,戦争遺跡 とは,主 に近現代 の戦争 に関わる遺 跡, 遺構 の事 で あ る1. 本研究 で は, 現在 の全国 に お ける戟争遺跡 につ いて,特 に文化庁 を中心 とした

近代遺跡調査2」 による取 り組みを整理す るともに, その学校教育 にお ける学習材 と しての活用 について 秋 田県 を事例 に取 り上 げ,特 に土崎空襲 を題材 に し た小 ・中 ・高校 のそれぞれの実践 について検討 して い きたい,

2.全国 にお ける取 り組み (1)戦争遺跡の保存 と戦跡考古学

①戦争遺跡 とは

戦争遺跡 (戦跡, W ar‑RelatedSites)とは, 級 に取 り上 げる 「戦争遺跡保存全国 ネ ッ トワーク」 に よれば,近代 日本 の侵略戦争 とその遂行過程 で, 戦闘や事件 の加害 ・被害 ・反戦抵抗 に関わ って国内 外 で形成 され, かつ現在 に残 された構造物 ・遺構 や 跡地 の ことヨ」 とされて い る. 具体 的 には, 以下 に

ll

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挙 げるよ うな もので,非埋没 ・埋没資料 を問わず次 8種類 に分類 されている.

陸軍省 ・海軍省などの中央官衝 ・官庁,大本営, 師団司令部,連隊本部なとの地方官街 ・官庁,陸 軍病院,陸軍学校,研究所なと

軍事 的な要塞 (墜塁 ・砲台),高射砲陣地,陸海

壕 (飛行場 の格納庫),戦車壕,試射場,監視哨 (空襲 に備えての敵機 の監視台),爆弾 ・毒 ガスの 埋納地 など

陸軍造兵廠,航空機製作工場 なとの軍需工場,荏 済統制を受 けた工場,地下軍需工場,鉱 山跡など 沖縄諸島 ・硫黄島なとの戦闘が行われた地域,秦

州開拓村など

⑥埋葬関係

陸海軍墓地,捕虜基地,忠魂碑 (戦死者の記念碑) など

⑧その他 航空機 の墜落跡,奉安殿 (天皇の 「御真影」を示 る社),戦争 に関わ る学校,学童疎開所,二宮金

・戦争遺跡保存全国ネ ッ トワーク編 『日本の戦争遺跡』 (平 凡社 新書,2004年),2423頁,十菱駿武 ・菊池実編 『しらへ る戦争遺 跡 の事典』 (柏書房,2002年),1517頁, 十菱駿武 ・菊池実編 F続 しらべ る戦争遺跡の事典』 (柏書房,2003年),1718頁参照,

②戦争遺跡の保存 と 「戦跡考古学」

こうした戦争遺跡 に関す る調査 と保存 は,戦争体 験 ・戦争遺跡 の掘 り起 こし運動や戦争展 の展開によ り始 まり,1970年代か らは生徒,教師による調査活 動や一般市民,民間団体の組織化が,広島や長崎, 東京,沖縄 などを中心 に進 め られて きた.そ して, 1997年 には松代大本営の保存 をすすめる会,文化財 保存全国協議会,歴史教育者協議会 などが中心 とな ,戦争遺跡保存全国 ネ ッ トワーク」 (村上有慶, 十菱駿武両代表)が結成 され,全国の戦跡保存やそ の活用 に関 して,毎年 シンポジウムが開催 されてい る. さらに, こうした団体の組織化が契機 とな り, 現在 は全国で多 くの市民団体が結成 され,各活動を 展開 している4.

また, こうした戦争遺跡 を中心的対象 とす る 「 跡考古学」が,1984年 には当真嗣‑氏 (元沖縄県立 博物館長) によ り提唱 されている.当真氏 は,1983

(昭和58)年度版 の実教 出版 「日本史」教科書 の近 現代史の記述 において,執筆者が 『沖縄県史』 に収 録 されている県民の戦争体験談 を取 り上 げたのに対

14

して,検定 において文部省が これを史料 として認 め なか った ことについて,「沖縄戦 の戦争遺跡 や戦争 遺留品 とい う過去の物的資料 (中略)を認識の手段 として沖縄戦の実相 にふれてい くとい うこと,その ことも考古学研究者 の作業分野 として取 り組んで も いいのではないか と考える5」 として,戦跡考古学」

を提唱 している.1987年 には 『考古学 ジャーナル』

278号 において 「現代史 と考古学」 の特集が組 まれ, さらに,1993年 には菊地実氏 (群馬県埋蔵文化財調 査事業団主任専門員) によ り群馬県で 「戦跡考古学 研究会」が発足 している.

(2)文化庁 による戦争遺跡調査 と指定 ・登録文化財

①文化庁 による戦争遺跡調査

原爆 ドーム (広島市)の世界遺産登録 に先立 ち, 1995年 には 「特別史跡名勝天然記念物及 び史跡名勝 天然記念物指定基準」が一部改正 (文部省告示第24 早) された.幕末か ら明治初年 まで とされて きた史 跡指定の対象が,第二次世界大戦終結時 までに拡大 し,政治,経済,文化,社会 などあ らゆる分野 にお ける重要 な遺跡が史跡指定の対象 となったのである.

こうした文化財指定基準改正 を受 け,文化庁文化財 部記念物課 は 「近代遺跡の調査等 に関す る検討会」

を設 けて (委員 は10名,下表参照),近代遺跡調査 実施要項」 を定めた.

近代遺跡の調査等に関する検討会」委員

…委員長 鳥 海 靖 1中央大学教授 近代史 員 ㌢中 風 秀 雄 お茶の水大学助教授 ㌻近代史

′ Lfa 水 慶 一 国立科学博物館 科学史

鈴 木 東京大学助教授 近代史

鈴 木 博 之 1東京大学教授 建築史

≠高 村 直 助 フェ リス女学院大学教授 ;近代史 中 岡 哲 郎 大阪経済大学教授 科学史

(文化庁文化財吾陥己念物課,2002年),156頁 よ り作成. 「所属」

は掲載時の通 り

この要項 によれば,「1.対象 とす る時期」 は 「 末 ・開国頃か ら第二次世界大戦終結頃 まで とす る6

とされ,「2.対象 とす る遺跡 の分野 区分」 は,以下

秋田大学教育文化学部教育実践研究紀要

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の11区分 とされた.戦争遺跡 に関す るものは,基本 的に 「⑨政治 (立法,行政,司法,外交,軍事,政 治運動等)」 として区分 されている7.

遺跡 の分野 区分

そ して, この要項 に基づ き,1996年度か ら3年間, 同庁よ り各都道府県教育委員会が委託 を受 けて,近 代遺跡の所在地や保存状況の調査が行われ,1998 には約6,000件 が報告 された.2002年 に公表 された J近代遺跡 (戦跡) の所在調査一 覧」 で は,43都道 両県か ら544件 (幕末 ・明治維新期 の24件 を含 む) の戦争遺跡が報告 されている. この544件 は, さ ら に 「近代遺跡の調査等 に関す る検討会」 により審議 され,全 国116件 がAラ ンク8 (我 が国の近代史 を 理解す る上で欠 くことので きない遺跡) として報告 された.同検討会 は, さ らに詳細調査対象 として50 件を リス トア ップ している9(「資料1文化庁選定 による詳細調査戦争遺跡一覧 と類型化」参照,なお 資料 は全て論文末 に掲載).実際の調査 は2003年 か ら着手 され,現在 まさに進め られている最中で,戟 争遺跡 に関 しては,今年度内での報告書刊行 を目指 している10(鉱山」部門だけが2002年 に刊行済).

資料 1に示 したよ うに,異体的内容 については,

①政治 ・行政関係」では,松代大本営予定地地下 壕」 (長野県長野市) や 「旧海軍兵学校関係遺跡」

(広島県江田島町) など5,②軍事 ・防衛関係」

では,大津島回天特別攻撃基地」 (山口県徳山市) や 「陸軍知覧飛行場関係遺跡」 (鹿児島県知覧町) など39,③生産関係」では,「旧陸軍砲兵工廠関 係遺跡」 (東京都文京区)や 「大阪砲兵工廠」 (大阪 府大阪市中央区) など6件で,②軍事 ・防衛関係」

8割近 くを占めている. 中には,小笠原村 にお ける戦争関係遺跡」 (東京都小笠原村) や 「舞鶴鎮 守府及 び舞鶴要塞関係遺跡群」 (京都府舞鶴市) の ように複合遺跡群 も含 まれている. また,都道府県

30 2008

別では東京都が8件で最 も多 く,続 いて神奈川県, 広島県,山口県が ともに4件,北海道,大阪府,良 崎県が3件である. 中には,東京湾防衛砲台群」

のよ うに千葉県か ら神奈川県 にわたるもの,西南 戦争関係遺跡」 のよ うに熊本県,大分県,宮崎県 に わたるもの も含 まれている. こうした文化庁 による 詳細調査であるが,戦争遺跡 に関わ る民間団体や戦 史研究者か らは,重要 な史跡 に も関わ らず抜 け落 ち ているとの指摘 も多 く11,課題が残 されている.

②現在 (20078月現在)の指定 ・登録文化財 国や県,各市区町村 による文化財 としての指定 ・ 登録12は,1990年の 「沖縄陸軍病院南風原壕群20号」

(沖縄県南風原町) の町指定 を皮切 りに,20078 月現在で,国指定文化財10 (7.6%),県指定文化 7 (5.3%)件,市 区町村指定文化財63 (47.7%) 件,国登録文化財48 (36.4%)件,市区町村登録文 化 財4 (3%)件 の合 計132件 が指 定 され て い る13

(資料2 全国の指定 ・登録戦争遺跡一覧資料3 各都道府県別指定 ・登録戦争遺跡数」参照).各 指定 ・登録文化財 で は,現在132件 の指定 の内,市 区町村指定文化財が63件で最 も多 く,全体の半数近 くを占めている.都道府県別では,北海道が23件 と 最 も多 く,その内訳 は国指定2件,県指定5件,市 区町村指定14件,国登録2件である.全23件 の内17 件が屯田兵 に関わる遺跡で,7割以上を占めている.

次 は千葉県の17件で, その内訳 は県指定 1件,市区 町村指定14件,国登録2件である.全17件の内12 が南房総市の 「大房岬要塞群」で7割を占めてお り, 全て 「②軍事 ・防衛 関係」 の遺跡であ る14.3番 目 は鹿児島県の13件で,その内訳 は市町村指定2件, 国登録11件である.全13件の内7件が瀬戸内町に代 表 される小学校の 「奉安殿」で6割を占めている.

4番 目は沖縄県の8件 で,全て市 町村指定文化財で ある.国や県の指定で はな く,全て市町村指定文化 財であることに特徴がある.前述 した1990年 に全国 で初 めて町指定を受 けた 「沖縄陸軍病院南風原壕群 20号」 (沖縄県南風原町) も含 まれている.

さらに, こうした指定 ・登録文化財 を前述 した8 つの類型で整理 した ものが 「資料4 全国の指定 ・ 登録戦争遺跡類型化」 と 「資料5 全国の指定 ・登 録戦争遺跡類型別数」 である.類型別 に見 ると,全 132件 の内, や は り 「②軍事 ・防衛 関係」 が49 (37.1%)で最 も多 く,次が 「①政治 ・行政関係」

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「⑧ その他」 が同数 で22 (16.7%),次 が 「⑤ 居住 関係」 で18 (13.6%)で あ る.最 も多か った 「② 軍事 ・防衛 関係」 の都道府県別で は,千葉県 の15件, 北海道 の8件,鹿児 島県 の5件 の順 で多 く, 中で も 千葉県で は前述 した南房総市 の 「大房岬要塞群」が, 北 海道 で は陸軍 や屯 田兵 関連 遺 跡 が, 鹿 児 島 で は

「陸軍知 覧飛 行場 関連 遺跡」 が多 くを 占めて い る.

続 く 「①政治 ・行政 関係」 の22件 は,全 国で平均 的 に見 られ るが, 「⑧ そ の他」 の22件 で は鹿児 島県 が 8件 で突 出 してお り, その内訳 は前述 した通 り瀬戸 内町 に代表 され る小学校 の 「奉安殿」 が多 くを 占め て い る.4番 目の 「⑤居住 関係」 の18件 で は,北海 道 の9件 が半数 を 占めてお り,前述 した屯 田兵 関係 の遺跡 が多 い.

最後 に, こう した文化財 の指定 ・登録別 と類型 の 相 関 を整理 した ものが 「資料6指定 ・登録 ごとの 戦争遺跡類型別数」 で あ る.国指定 で は10件 の うち 5件 が 「①政治 ・行政 関係」 で, 全 国で は 「陸軍第 7師団倍行 社」 (北 海道 旭川 市),「陸軍 第8師団借 行社」 (青森県 弘前市),「陸軍金沢低行社」 (石川県 金沢市) の借行社 関連遺跡 が 目立 っ. また, こう し た国指定文化財 の中 には,近現代 の戦争遺跡登録 の 火付 け役 とな った 「原爆 ドー ム」 (広 島県 広 島市) も含 まれ る. その他市 区町村指定 や国登録文化財 で は, や は り 「②軍事 ・防衛 関係」 が多 いが,特 に国 登録文化財 (48件) の内,1/4近 くを 占め る 「⑧ そ の他」 が 目立 ち, その内訳 は前述 した鹿 児島県瀬戸 内町 を中心 と した 「奉安殿」 であ る.

3. 秋 田県 にお ける戦争遺跡 とアーカイブ (1)秋 田県 の戦争遺跡

秋 田県下 の場 合, 戦争遺跡 ・資料 関係 の アーカイ ブに関 して は,全 県的 な組織 的取 り組 み はな されて お らず,文化財 と しての指定 ・登録 も全 くな されて いない状況 で あ る15. また全 県 を網 羅 す る体 系 的刊 行物 も発刊 されて いない.

そ こで,文化庁文化財部 の主導 によ り1990・1991

(平成2・3)年度 の2ヵ年 にわた り国庫補助 を受 け て な され た 「近代化遺 産」 の報告書 であ る 『秋 田県 文化財調 査報告 書第218 秋 田県 の近 代化遺 産 ‑ 日本近代化遺産総合調査報告書 ‑⊥6(1992年) と秋 田県教職員組合 の編集 による 『平和教育読 み物資料 17』 (21990年刊行,第31994年) や 『戦争 と教育18』(1981年), その他 で は 『戦争 の中 の教 師

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たちlq(1978年 ) や後述 す る土 崎空襲 関連文献,花 岡事件関連文献 な どを手 がか りに して,秋 田県下 の 戦争遺跡 を リス トア ップ してみ た. それ らを前 述 し 8つ の類型 で整理 した ものが 「資料7 秋 田県 の 戦争遺跡 類型化」 で あ る.秋 田市 で は 「歩兵第17 隊 関係跡 地 (3件)「土 崎空襲 関係遺跡 (13件)」

「旧東 北 パ ル プ (1件)「旧東北肥 料 (1件)」 の4

件 (目18件),男鹿市 で は 「船川事件 関係遺跡 (5 )朝 鮮人 強制労働跡地 (1件)「元船越小学校 御真影奉安 殿 (1件)」 の3件 (細 目7件),大館市 で は 「花 岡事件 関係遺跡 (15件)」 の1件 (細 目15 件),鹿 角市 で は 「尾去沢鉱 山捕虜収容所跡 (1件)」

の 1件, 仙北市 で は 「田沢湖姫観音 (1件)「生保 内発電 所 関係施 設 (4件)」 の2件 (細 目5件) の 11件 (細 目46件) で あ る.

(2)秋 田県 の戦争遺跡 の類型化

8つ の類 型 別 で 見 て み る と, 資料7の通 りで,

「⑤埋葬 関係」 が最 も多 く14 (30.4%), 次が 「③・

生 産関係」 で12 (26.1%),3番 目が 「④戦 闘地 ・ 戦場 関係 」 で11件 (23.9%)で あ る. 具体 的内容 と して は,最 も多 い 「⑤埋葬 関係」 で は,例 えば 「 崎空襲 関係遺 跡」 の各平和記 念碑 や慰霊 碑,「花 岡 事件 関係 遺跡」 の友好碑 や供養塔 な どの石碑 関係 が 目立 って い る.次 の 「③生産 関係」 で は,「花 岡事 件関係遺跡」 な どの鉱 山 に関連 す る強制労働関係 の 跡地 や 「生保 内発電所 関係施設」 が挙 げ られ る. そ して 「・④戦 闘地 ・戦場 関係」 で は, 「土 崎空襲 関係 遺跡」 の 「新 日本石油秋 田油槽所 内被爆倉庫」 の よ うな空襲 の痕跡 を残す跡地 や,花 岡事件 関係遺跡」

や 「船川 事件 関係遺跡」 の中国人 や朝鮮人 の強制労 働関係遺跡 が挙 げ られ る.先述 した よ うに全国的 に は 「②軍 事 ・防衛 関係」 が49 (37.1%)で最 も多 く,次 が 「① 政治 ・行政 関係「⑧ その他」 が同数 22 (16.7%), 次 が 「⑤ 居 住 関 係 」 で18

(13.6%)で あ ったが, 秋 田県 で は 「② 軍 事 ・防衛 関係「Cf)政治 ・行政 関係⑤居 住 関係」 は2件 の みである.すなわち,秋 田県下 の場合,砲台や師団 ・ 連 隊関連 施設 とい った 「②軍事 ・防衛関係」 や,倍 行社 や連 隊本部 な どの 「①政治 ・行政 関係」 のよ う

な当時 の遺構 を直接 的 に残 す戦争遺跡 で はな く,慰 霊碑 や記 念碑,銃後 を支 え た生 産関係 の よ うないわ ば間接 的戦争遺跡 が多 い ことが指摘 で きる.

この こ とは, こう した戦争遺跡 を歴 史教育 の学 習

秋m大学教 育文化学部教 育実践研究紀要

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財 として活用す る場合,配慮が必要 となろ う.すな わち,慰霊碑や平和記念碑 などは基本的 に この戦禍 でな くな った方 を弔 うために建立 された ものである が,その主体が誰であ ったのか によ って戦争 を とら え る観点が大 き く違 って くるとい うことである.例 えば,土崎空襲 関連遺跡」 にお ける慰霊碑 の場合 は,米軍 による土崎空襲 で亡 くな った軍人 ・市民 の 方々であ り,必然的 に この戦争 の被害的側面が強調 される. しか し,逆 に 「花岡事件関連遺跡」の場合, この地 の慰霊碑 は事件 によ って亡 くな った中国人や 朝鮮人の方 々のための ものであ り,強制連行 とい っ た事実 か ら加害 的側面 が明確 にな るのであ る20.同 じ,慰霊碑や記念碑 であ って も, それが どんな事件 と関達 し,誰 のための ものなのかを考慮す る時, そ の性格が全 く違 って くる.実際の学習活動 において 揺, この ことを踏 まえて これ らの戦争遺跡 を活用す る必要があ る.

3) 市民運動 と してのアーカイブとフ ィール ドワー

さて, これ らの戦争遺跡 のアーカイブに関 しては, 前述 したよ うに全県的な組織的取 り組 み はなされて お らず,文化財 としての指定 ・登録 は全 くなされて いない状況 である. しか し,市民運動 として, 日中 不再戦友好砕建立実行委員会 (1965)が母体 とな っ 1971年 に発足 した 「日中不再戦友好碑 をま もる会」

(佐藤守理事長,奥山昭五代表,富樫康雄事務局長), そ して1975年 の土崎港被爆30周年 を記念 して組織 さ れた 「土 崎空襲被爆市民会議」 (高橋茂会長) の二 っの団体 の活動 は突 出 している. これ ら二 つの団体 か らは, 土 崎空 襲 関係 で は 『はまなす はみ た21』

(1981年),証言 ・土崎空襲22(1992年)『新 はまな す はみた23』(2002年)が,花岡事件関係 に関 して は F花岡事件五十周年記念誌24』(1995年) や 『花 岡事 件六十周年記念誌25』(2005年) などの体系的刊行物 も発刊 され,構成員 によるフィール ドワークも積極 的 に実施 されて い る.例 えば,土 崎空襲被爆市民 会議」 の高橋茂会長 は,市 内の多数 の小中高校 に要 請 され,「新 日本 石 油秋 田油 槽 所 内被 爆 倉庫 」 や

「同受難碑」 な どの フィール ドワー クを実施 してお り,筆者が秋 田大学 で担 当 している 「社会科教育内 容学」 や 「地理歴史科教育内容学」 において も度 々 案 内を して いただいて い る. また,「日中不再戟友 好碑 をま もる会」で も,今年 10月 までに岩手大学や

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山形県歴史教育者協議会 など175団体,5,140人 に対 して,花岡の地 で直接 フィール ドワークを展開 して いる26.

4. 土崎空襲 を事例 と した学習材 と しての活用 (1)土崎空襲 の概要

こうした秋 田県下 の戦争遺跡 の うち, とりわ け土 崎空襲関係 の戦跡 は,学校教育 の中で積極的 に活用 され,小 ・中 ・高 それぞれの現場 で多様 な実践がな されている.土崎空襲 は,1945814日午後10 半 ごろよ り翌 15日未明 にか けて約4時間 にわた り行 われた夜 間空襲 で,「日本 で最後 の空襲」 と呼 ばれ ている.攻撃 目標 は, 当時 日本で最大 の産油量 をあ げていた雄物川河 口に立地 された 日本石油製油所 で あ ったが,近隣 の民家 も多大 な被害 を受 けた.B29 を中心 と した爆撃機 約130機 によ り12,000発 を超 え る爆弾が35フィー ト (11m)間隔で投下 され ( 内での空襲 で は,最大投下数 とも言 われて い る), 目標 であ る日石 は壊滅 す るとともに,死者数 は非戦 闘員93名 (日石職員,市民,警察 な ど),兵士 の約 160人 (高射砲中隊員,機関銃隊員 な ど) の計250 ほどに も上 った27.

この土崎空襲 に関わ る戦争遺跡 は,当時のまま残 存 しているものは極 めて限 られてお り, 日石関係 の 建築物で は唯一残存 している新 日本帝国石油秋 田油 槽所 内の被爆倉庫や雲祥院の首 な し地蔵などである.

しか し,土崎空襲被 爆市民会議」 で は,地域 に残 されている供養塔や跡地 などを含 めた遺跡12箇所 を 整理 した 「ウォーキ ング ・マ ップ」 を作成 し,戦跡 の保存,普及活動 を展 開 している.

また, こうした土崎空襲 に関わ る戦争遺跡 は,近 隣の学校 の中での社会科や地理歴史科 の教科教育や,

総合 的 な学習 の時間」 の うち,地域学習 や戦争 ・ 平和学習 の中で積極的 に活用 されている.例えば, 文化祭 において戦後60年 (土崎空襲60年) を機 に全 面的 に取 り上 げた秋 田中央高校,沖縄への修学旅行 と関連 させ,沖縄 と土 崎 との比較研究 を取 り入れた 下浜 中学校,総合 的 な学習 の時間」 で体系的 に取 り組んでいる土崎南小学校 と港北小学校 などである.

これ らの学校 は,全 てその学習活動 の中 に土崎空襲 の戦争遺跡である新 日本帝国石油秋 田油槽所内の被 爆倉庫への フィール ドワーク実施 している学校 であ る. ここで は, こうした被爆倉庫 に焦点 をあて, そ れぞれの学習活動 に取 り上 げている以上4校 の実践

17

(6)

につ いて取 り上 げて,検討 してい きたい.

(2)秋 田市立土崎南小学校 における実践

まず,土崎南小学校 は 「総合的 な学習 の時間」 に おいてかな り多 くの時間をか け,土崎空襲 を取 り上 げて いる事例 であ る28.土 崎南小学校 は,所在 が被 爆地のす ぐ近隣にあり,当時は土崎高等女学校があっ た.被爆 日には第二救護所 と してた くさんの負傷者 が校庭 に運 ばれ,従軍看護婦 の手 ほどきを受 けてい た生徒 たちも救護 に当 った. しか し,医者 ・看護婦 ・ 医薬費不足 の中, この地 で亡 くな った方 も多 く,覗 在 は校庭 内に 「恒久平和 の碑」 が建立 (1988年) さ れている. こうした こともあ り,土 崎南小学校で は 土崎空襲 につ いて積極 的 に取 り上 げ,特 に 「総合的 な学習 の時間」 において 「平和 の大切 さを伝えてい くために」 とい う単元 を設定 し,取 り組んでいるの である.

平和 の大切 さを伝 えてい くために」 は全部 で35

時間で構成 され,「プ ロ ジェクト1 55年前 に何 が 起 きた ?〜土 崎空襲 につ いて知 る」(12時間),

「プ ロジェク ト2 土 崎空襲 を伝 え よ うPartl〜土 崎空襲 コーナー に展示 す る資料 を作 成 しよ う〜」

(16時間),「プ ロ ジェク ト3 土 崎空襲 を伝 え よ う Part2‑校 内 に土 崎空襲 コーナ ーをっ くろ う〜」

(16時間) の3部構成 にな って いる20. 内容 は,「プ ロ ジェク ト1」 は,基本 的 に調 べ学 習 であ り,「プ ロ ジェク ト2・3」 はそれを ま とめ表現 して い く構 成 にな って いる. とりわ け 「プ ロジェク ト1」(12

時間)での調べ学習では,視聴覚資料 と して ビデオ, 文献資料 と して新聞,臨地的調査 と して新 日本帝国 石油秋田油槽所内の被爆倉庫などへの フィール ドワー ク, そ してゲス トテ ィーチ ャーと して前述 の被爆市 民会議 の高橋茂氏,被爆体験者 であ る浅野喜代 さん

18

か らの体験談 の聞 き取 りと意図的 に多様 な資料 や調 査対象 を設定 し,多角的 に土崎空襲 を とらえ る工夫 がな されている.前述 したよ うに,土崎空襲 に関わ る戦争遺跡 は極 めて限 られてお り, 日石関係 の建築 物 で は唯一残存 している新 日本帝国石油秋 田油槽所 内の被爆倉庫や雲祥院の首 な し地蔵 な どである, こ うした限 られた痕跡 を多角的資料 や体験者 の語 り, そ して臨地的調査 などによ り, よ り臨場的 に事象 を とらえ る工夫 を しているのであ る.

(3)秋 田市立港北小学校 における実践

港北 小学校 は,「総合 的 な学習 の時間」 と社会科 の戦争学習を達関 して取 り上 げている事例であるが,

総合 的 な学習 の時間」 での取 り扱 いの場合,土 崎 空襲 に焦点化 して取 り上 げてい るので はな く,地域 への調べ学習 の‑ テーマと して取 り上 げている事例 である3°.

港北小学校 も所在が秋 田市土崎地区 にあ り,土崎 南小学校 ほどで はないが被爆地 の近隣である.港北 小学校 において は,「総合的 な学 習 の時間」(「かが や き」学習) と社会科 での戦争学習を関連付 けて土 崎空襲 を取 り上 げているが,特 に 「総合的な学習の 時間」 において は,大単元 「土 崎新発見」(46時間) の うち 「この土 崎か ら平和 を願 って」 (3時間) で 取 り上 げている.単元 の 目標 に 「土崎の歴史を知 っ た り, そ こで生活 している人 たちの思 いや願 いに直 接触 れ た りす ることで,ふ るさとのよさを知 り,節 たに見 っめなおそ うとす る」 とあ るよ うに,児童 た ちに生活 圏であ り学習圏である土崎を知 ろ うとい っ た学習 の一環 として土崎空襲が位置付 け られて いる のであ る.全35時間をか けて設定 している前述 の土 崎南小学校 とは対照的である. しか し,3時間 とい う限 られ た時間で はあるが,被爆倉庫 の見学 や空襲

秋 田大学教育文化学部教育実践研究紀要

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時の衣服,爆弾 の破片 な どの実物史料 の活用, ゲス トテ ィーチ ャー としてや は り高橋氏 を招 き体験談 を 語 って もらうなど して多様 な観点か ら土崎空襲 を と

らえる工夫 を している.

(4)秋 田市立下浜中学校 にお ける実践

浜 中学校 は, 沖縄 へ の修学 旅行 の事 前学 習 と

総合的な学習 の時間」 を連 関 させ, その事前学習 の調べ学習 の‑ テーマで土崎空襲 を取 り上 げている 事例であ る3. 下浜 中学校 は, ここで取 り上 げて い る他の実践校 とは違 い,空襲 のあ った秋 田市土崎地 区か らは約15kmも離 れてお り,学習対象 であ る土 崎空襲関連 の戦争遺跡が生徒 たちの生活圏 にあ るわ けではない. しか し,や はり 「総合的な学習の時間」

(S‑wAVE32」 と呼 ばれてい る,全70時間) におい て,沖縄‑の修学旅行 との関連 で土崎空襲 を取 り上 :ナてい る. この SIWAVE」 は,「1 命 の学 習, F生 き方』 の学習」(10時間),「2スキル学習」(10

時間),「3 課題追究 の時間」(50時間) の3つの大 単元 で構成 されてお り,課題追究 の時間で は1‑ 3 年生 においてそれぞれのテーマ設定がなされている.

それぞれのテーマは,1年生 は 「単元 ふ るさと 探索」 と 「単 元II 職業人 に学 ぶ」,2年生 は 「 田 ・沖縄比較 研究」,3年生 は 「単元 世界 の中 の 日本」 と 「単元 卒業研究 (個人研究)」 で あ り, 特 に土 崎空襲 を取 り上 げて い るの は2年生 の I秋 田 ・沖縄比較研究」 で あ る.下浜 中学校で は, 2005年度 よ り修学旅行先が沖縄県 にな り, その修学 旅行の事前学習 と関連 させて, このテーマが設定 さ れたので あ る, 生徒 たち は,「SWAVE」 の 3 課題追究 の時間」(50時間) をあて,秋 田 ・沖縄比 較研究」 の個人 ごとの研究 テーマを決 め,課題研究 を進 めて い る.2006年度 で は,沖縄 のお菓子 につ いて」 や 「沖縄 の方言」,沖縄 はなぜ 日本一長寿国 なのか」 などの全部 で19件 の多様 な比較研究 テーマ の うち,沖縄 の戦争 につ いて「ひめゆ り学徒 につ いて沖縄 の戦争沖縄 の地上戦〜 ひめゆ り学徒 」 の4つが戦争学習 に関わ るテーマであ った3J. 沖縄での戦争 を調べ学習 と して進 めるとともに, そ の比較研究 と しての秋 田の題材 と して土崎空襲 を取 り上 げたので あ る.土崎空襲 に関わ る単元 は,各 自 のテーマ とは別 に全員参加で,半 日を4時間分 と し て郊外学習 に当て,や は り高橋氏 と新 日本帝国石油 秋 田油槽所佐 々木和彦所長 の案 内によ り,被爆倉庫

30号 2008

などを見学 ・調査 している.

(5)秋 田県立秋 田中央高校 にお ける実践

秋 田中央高校 は,文化祭の企画展 において,生徒 会執行部 の生徒 を中心 と してプ ロジェク トワークと

して土崎空襲 を取 り上 げた事例 である3̀1.

秋 田中央高校 もその所在が土崎地区 にあ り,被爆 地 のす ぐ近隣 に立地 している.同校 の生徒会執行部 は, 例年, 人気 の ビデオ上 映会 を行 って きたが,

人 も来 ない し盛 り上 が らない」状況が続 いていた.

そ こで,4月の執行部会議 で 「今年 は何か違 うもの を」 と話 し合 い,2005年 の土崎空襲60周年 を迎 え る 年 の文化祭であ るとい うことで,土崎空襲 の ことを やれば地元 の人 も来 るので はないか と考 え企画 した のである.企画展 を実施す るため,生徒会執行部 の 25人 と一部新聞部員 は,文化祭 の実施 (624・25

日) まで に計10数回 に及ぶ 「勉強会」 を実施 してい る.特 に第1回 目 (523日) の 「勉強会」 で は, 校 内勉強会 と し,同校 の近江谷正幸教諭 (当時) に よ り土崎空襲 の基礎的学習 と被爆倉庫‑の フイ‑ル ドワークの事前学習 を実施 して いる.第2 (5 25日) には,被爆倉庫 な どへ の フィール ドワークと 不発弾等 の現物資料が残 されている国土交通省秋 田 港湾事務所 内資料室 の見学 を行 い,その後 は校内 に 戻 り,高橋氏 をゲス トテ‑チ ャー トした体験談 の聞 き取 りを実施 している.実際の文化祭で は,24日に 生徒会有志が 『はまなす はみた』 を群議 し,25日の 一般公開 口には,調査 内容 をま とめたパ ネルや被爆 市民会議か ら借 りた爆弾 の現物資料,犠牲者 の衣類 など多数 を展示 し, その内容 はホームペー ジ上で も 公開 している.執行部 の リー ダーであ った吉 田優香

(当時3年生,現在本学教科教育実践選修 に在学 中) さん は,その後,光招 (被爆地 で水 を求 めた被爆者

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らが集 まってその多 くが亡 くな った) を題材 に絵画 (73cm, 横91cm)を描 いて い る. 被爆市 民会議 の要望 を受 けて制作 した もので,土崎空襲60年犠牲 者追悼平和記念式典 で披露 された.

5.今後 の課題

以上,本研究 で は,現在 の全 国にお ける戦争遺跡 について,特 に文化庁を中心 と した 「近代遺跡調査」

による取 り組 みを整理す るともに, その学校教育 に お ける学習材 と しての活用 について秋 田県を事例 に 取 り上 げ,特 に土崎空襲 を題材 に した小 ・中 ・高校 のそれぞれの実践 に関 して検討 して きた. こうした 取 り組みの今後の課題 と して,以下2点 を挙 げたい.

まず第1点 目と して,早急 な複合的 ・総合的戦争 遺跡のアーカイブの必要性である.先述 したよ うに, 1996年 に文化庁 を中心 と して開始 された 「近代遺跡 調査」 は現在進行 中であ り, とりわ け50の戦争遺跡 を焦点化 して調査が進 め られている. しか し,戦争 遺跡 に関わ る民間団体や戦史研究者 か らは,重要 な 史跡 に も関わ らず抜 け落 ちているとの指摘 も多 く, よ り体系的網羅的な調査 とアーカイ ブが求 め られて いる. とりわ け秋 田県 の場合,被爆倉庫 のよ うな貴 重 な戦争遺跡が存在す るに も関わ らず,行政的保護 は全 くなされてお らず,市民団体である被爆市民会 議 や在所 である新 日本帝 国石油 の社員の善意 によ っ て, その保護 と公開が支え られているのが現状であ る.加 えて, こうした戦争遺跡 その ものの アーカイ ブのみな らず, その戦跡 に関わ る体験談や語 りも含 めたアーカイ ブも同時 に求 め られ ることを指摘 した い.戦争遺跡 は,実物,有形 であ るが故 に,物言 わ ぬ 「モノ」 と しての戦争 の リア リテ ィーを今 日に伝 えている特色がある. しか し, その戦争遺跡 に関わ る歴史 や様 々な事象, ス トー リーの語 り部がいるこ とで, さ らに臨場感 あふれ る息づ いた ものになるこ とも事実である.例えば,前述 した土崎空襲 の場合, 被爆倉庫や首 な し地蔵 な どの戦跡 は,高橋氏 の体験 談 や語 りが あることで, よ り実感 を持 った対象 と し て学習者 に受 け止 め られている.有形 の ものは指定 や登録 とい った手法で アーカイ ブされ ることが可能 であ るが, こうした無形 の体験談や語 りも含 めた複 合的 ・総合的戦争遺跡 アーカイ ブを早急 に進 める必 要 がある.

次 に,第2点 目と して学校教育 にお ける戦争遺跡 活用 の恒常化 の必要性 である.前述 したよ うに,例

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えば秋 田県下 の土 崎空襲 の場合,小学校 で は土崎南 小学校 と港北小学校がそれぞれ取 り組 み方 に違 いが あ るものの 「総合的な学習 の時間」 を中心 に調べ学 習 と して,中学校で は下浜中学校が沖縄 への修学旅 行 と関連付 けて沖縄 との比較研究 と して, そ して高 校で は秋 田中央高校が文化祭 の企画展 と して取 り上 げてお り,それぞれ多様 な取 り組 みで被爆倉庫 を中 心 とす る戦争遺跡 を活用 していた. それぞれ に多様 な観点 か ら戦争遺跡 を活用 してお り, その取 り組 み は高 く評価で きよ う. しか し,例えば小学校 での実 践 の場合,意欲的 に取 り上 げていた担 当教員が移動 して しま うと総合 自体 のテーマが全 く違 った もの と なって しまい,折角の蓄積があまり活用 されな くな っ ている事実 を伺 っている. また,秋 田中央高校 の場 合 も,2005(平成17)年 の戦後60年,土崎空襲60 の企画展 であ ったか らこそ新聞やテ レビなどに も取 り上 げ られ,注 目された実践 とな ったが, その時の みの単発 的取 り扱 いにな ってお り, その後 の 「総合 的な学 習の時間」 や歴史学習での発展的取 り組 みが あま り見 られていないのは残念 な ことである.折角 の実践 をその時だ けのイベ ン ト的単発的取 り扱 いに せず,教科や総合での連関を工夫 しなが ら,発展的, 批判的 に継承 し,取 り組みを恒常化す る必要がある.

今 日,戦争 を系統 的流 れの中で位置付 け,歴史学 習 として学ぶだけではな く,かつて肉親や地域の人々 の語 りが物語 っていた切実感,臨場感 も含 めた感性 的認識が必要 とされている. それ は,平和 や戦争 に 対す る観念的,一般 的な知識 の獲得 に終始す るので はな く,戦争 のよ り具体的諸相 に迫 る歴史教育が求 め られて いるとい うことであ る. そ うした意味で, 戦争遺跡 は注 目すべ き題材 であ り,教科 や 「総合的 な学習 の時間」,行事 な ど多様 な学校教育実践 の中 でよ り発展的 に多様 に活用 され得 る学習材である.

であるか らこそ, こうした戦争遺跡 に対す る,早急 で体系的 アーカイ ブが求 め られ る.

戦争遺跡保存全国 ネ ッ トワーク編 『戦争遺跡か ら 学ぶ』 (岩波書店,2003年),6貢参照.

「近 代 遺 跡 」 と して の調 査 は, 後 述 す るよ うに 1996(平成8)7月 よ り文化庁文化財部記念物 課が中心的 に関わ っている調査 であ る. これに先 駆 けて,1990・91(平成2・3)年 に同 じ文化財 部 の参事官 (建造物)が主導 し実施 された調査 は

近代化遺産」 と して調査 されて い る. この 「

秋 田大学教育文化学部教育実践研究紀要

参照

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