研究活動報告 : 2000年度
雑誌名 東西南北
巻 2002
ページ 165‑184
発行年 2003‑03‑20
URL http://id.nii.ac.jp/1073/00003612/
AⅡアジア・地域研究系
BⅡ表象・文化研究系 鼎肌騨犯莚仙封蜘認測棚比口o二○○○年度
CⅡ教育・生活研究系教育研究へのコンピュータ利用研究会/企業行動分析研究会 スリランカ研究フォーラム/地域環境研究グループ/一九世紀末における東アジアと日本/南西アジア研究会 多国家︵分散・分断︶民族における内なる民族関係/現代中国研究会/アジア研究交流フォーラム 言語文化研究会/シンボル文化研究会/フェミニズム・ジェンダー研究会 表象研究会/宗教芸能研究会 民族と言語教育/﹁平和の文化﹂研究会 転妊可F一
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111執行一利︵立教大学講師︶ ﹁大規模農村開発と村落社会の変容﹂
北東部のポロンナルワ県に位置するY村は︑
水田と焼畑耕作を行なう小村であった︒そこ
に外国からの巨額の援助を受けた政府主導の
開発計画が進行し︑一九八七年には全村民が
新開地に土地を得て移転することとなった︒
執行氏はこのY村の変化を二○年近く追い続
けている︒
新開地には︑他県からの入植者が多数転入
してきた︒旧Y村出身者にとっては︑以前よ
りも広い水田を確保でき︑もっぱら水田の稲
作を主とした生活となり︑水牛や乳牛の飼育 スリランカ研究フォーラムでは︑引き続き
年二回の研究集会を中心に活動している︒二
○○○年度も︑日本人のみならず在日スリラ
ンカ人の研究者︑学生︑市民が集い︑研究発
表や討論︑交流を行なった︒
第九回フォーラムは七月八日に開催し︑開
発に伴う村社会の変容を取り上げた︒ ︑スリランカ研究フォーラム
2︲l土局桑史子︵都立短大教授︶ ﹁漁村の開発と社会変容﹂
高桑氏は︑南部ガーッラ県のG村での一五
年間の変化を報告し考察した︒G村では男性
がもっぱら船で漁業にかかわるのに対し︑女
性はココャシ繊維の仕事に従事してきた︒村
内婚が圧倒的に多く︑妻方居住の傾向が強い︒
政府の漁業振興策により︑動力船を使用する も激減した︒交通の便もよくなり︑村内婚の 率は六四%︵一九八一年︶から五○%︵一九 九四年︶に減少した︒この開発計画では︑稲 作を主体としたより大規模な自作農の育成を 目指していた︒水田の売却も分割相続も不可 とされていた︒しかし︑そうした計画は順調 というわけではなく︑水田では様々な貸借が 行なわれている︒小作では︑定額の金納およ び物納︑水田の質入れ︑刈り分け小作などが みられる︒しだいに︑経営規模の拡大を目指 す層と︑縮小する層への両極分化が進行して いるといえる︒
一○月一四日の第一○回フォーラムでは︑
竜谷大学の経済学部教授︑中村尚司氏に﹁日
本とスリランカの経済関係﹂についてお話し
いただいた︒
日本からスリランカヘのODAは︑一九五
四年のコロンボ・プランに始まる︒一九六五 ものが現れ︑村内に階層分化を生じさせてい る︒彼らは身内を船長として任せ︑自身は運 輸や商店経営など新しいビジネスに乗り出し ている︒漁業組合も結成されたが︑加入率が 低く︑あまり機能していない︒民族紛争もG 村に大きな変化をもたらしている︒かつて南 西モンスーン期には︑島の東部や東南部に移 動して操業していたが︑内戦激化により極め て困難な状況となっている︒八○年代後半以 降︑行方不明者が続出し︑南部のキリンダ港 を拠点とした操業に切り替えている︒一方コ コナツ繊維の需要減少により︑女性たちの仕 事は︑ナイロン・ロープ作りや縫製工場での 雇用へと転換した︒
I66
−
年からは技術協力に加えて︑有償資金協力と
して一八億円の第一次借款供与が行なわれた︒
贈与の無償資金協力は︑一九六九年の一億八
千万円が最初である︒こうしたなかで一九七
○年代以降︑日本は第一の貿易相手国となり︑
巨額の貿易赤字がスリランカ側で続いていく︒
一九七七年のペーラーデニャ教育病院︑七八
年の住宅建設計画︑七九年のテレビ放送局建
設も︑日本からのODAによるものである︒
地域環境研究グループは発足二年目を迎え︑
次の活動目標をたてた︒
一九九二年に一八○余国が参加して開催さ
れたブラジル﹁リオデジャネィ旦における
﹁地球サミット﹂で︑経済優先から脱却し環
境重視の﹁持続可能な発展﹂命扁冨ヨ号房
ロ①ぐ①一呂昌①gを目指すことが決定された︒
その後一九九七年の京都会議︵COP3︶を
経て︑現在持続可能な発展をめざす種々の努
力が世界のいろいろな地域で行なわれている︒
これらの現状認識に基づき︑一九九九年度は ︑地域環境研究グルー 八○年に始まるコロンボ港開発計画は︑優れ た経済性を発揮し︑高く評価されている︒
日本の経済協力の特徴は︑多数民族シンハ
ラ人が居住する中・南部に集中していること︑
医療部門と建設事業がほとんどを占めている
ことである︒一方︑繰り返し工事が行なわれ
たキリンダ漁港︑漏水により使用不能のまま
となっているサマナラウェワ・ダムなど︑ず
さんな開発事業も少なくない︒やはり︑プロ
エネルギーをキーワードとして︑研究会およ
び現地視察を行なった︒本年度はその成果の
上に立って︑一歩進め﹁循環型社会をめざす﹂
をキーワードとして選んだ︒
﹁循環型社会をめざす﹂を掲げ︑例会七回︑
国内現地視察二回および海外視察一回を行な
った︒研究会および現地視察の内容は以下の
とおりである︵すべて公開で行なった︶︒
五月例会.九九九年度の活動報告およ
び二○○○年度計画﹂︵三浦郷子・本
学経済学部教授︶ ジェクト案件を発掘する総合商社の役割と経 済協力事業との関係が不分明な事こそが問題 である︒スリランカの人びとにとって有益な 開発事業を進めていくには︑現地体験の豊富 な青年海外協力隊やNGOとの協働が不可欠 である︒また︑内戦激化による軍事費増大は︑ ODAへの依存をますます強めている要因と なっている︒ ︵澁谷利雄︶
六月例会﹁環境と農業﹂︵小林弘明・本
学経済学部助教授︶
七月例会﹁代替エネルギーの見通し﹂
︵内田正夫・本学総合文化研究所助手︶
七︑八月現地視察
国内恥北海道苫前町風力発電所︵再生
可能エネルギー︶︑七月二五〜二七日
︵持田︑高木︑岡本言ゞ小林︑内田︑三浦︶
外国亜ドイツのミュンスター︵気候保
護環境首都︶およびデンマークのコペ
ンハーゲン︵風力発電導入環境都市︶
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l活動の視点
六月例会は︑四月より﹁環境経済学﹂担当
の経済学部助教授として赴任し︑同時に︑本
研究会員となった小林弘明助教授による発表
であった︒環境と農業の関係について︑世界
の現状および日本特有の問題の両面より問題
提起がなされ︑議論が沸騰し︑その後の懇親
会にもちこされた︒昨年の持田名誉教授によ
る研究発表︵今回も研究会に参加︶とあわせ︑
農業問題は環境問題のなかでやはり中心的役 八月二一日〜八月三一日︵岡本︵喜︶︑ 岡本︵典︶︑三浦︶
十月例会﹁温暖化に対する地域の試み﹂
︵三浦郷子・本学経済学部教授︶
十一月例会﹁プラスチックリサイクルと
化学﹂︵高木要・本学非常勤講師︶
一月例会﹁リサイクルチャネル︵環境改
善を中心に︶﹂︵岡本喜裕・本学経済学
部教授︶
二月現地視察北九州市エコタウン︵循
環型社会をめざして︶︑二月二一〜二
三日︵岡本︵喜︶︑小林︑三浦︑三浦ゼ
ミ生二名︶ 割を背負っていることを︑再認識させられた︒
七月は循環型社会の要であるクリーンエネ
ルギーへの転換の可能性を見極めるための研
究会と同時に︑そのための北海道現地視察に
むけて討論した︒日本の動きは遅々としたも
のであるが︑地方自治体が奮闘していること
が明らかになった︒
七︑八月の国内および外国の現地視察はの
べ二名の参加により︑成果大であった︒一
○月例会はデンマーク視察をまとめた報告で
あった︒
二および一月の例会は循環型社会におけ
るプラスチックのリサイクルおよびそれらを
含むエコビジネスの動向についての研究会で
あった︒高木非常勤講師による専門家の視点
からみた技術的な側面と︑岡本喜裕教授によ
るマーケティングの立場からのビジネスとし
ての側面の両面から循環型社会を構築するた
めの現実的な議論がなされた︒これらの例会
は二月に計画されていた﹁北九州市エコタウ
ン﹂視察のための勉強もかねたものとなった︒
︲11まとめ
北海道苫前町における風力発電所は日本に おけるクリーンエネルギーの可能性を提起し てきわめて重要である︒風力発電所の先進国 であるデンマークでは国内総エネルギー消費 量の一○%を風力発電で供給し︑二○三○年 には再生可能エネルギーの割合を三○%以上 とする︒さらに二酸化炭素の排出を一九九○ 年の五○%に削減する︒という目標をたてて いる︒洋上風車は見事であり︑クリーンエネ ルギーへの転換が現実であることを示してく れた︒
北九州市のエコタウンはいよいよプラスチ
ックと大型電気機器および自動車のリサイク
ル産業が動き出したことを示していた︒日本
の技術が循環型社会構築に果たす役割は計り
知れないものがあることを認識する場となっ
た︒気候保識環境首都ミュンスターは徹底し
た省エネ・リサイクルそして自然との共生を
実現しつつある市として我々にカルチャーシ
ョックを与えた︒
二○○○年における活動を通して﹁循環型
社会構築﹂の着実な歩みが始まっていること
を実感できた︒来年度はいよいよアジアの現
状と方向性を明らかにするため︑研究会およ
びタイの現地調査を計画している︒
I68
−
11発表論文
持田恵三﹁農業と環境問題﹂︑﹁東西南北2
001﹂︑四二〜五八頁
小林弘明﹁食料・農業と環境との関連に関
する概観﹂﹁東西南北2001﹂五九〜六八頁
︑一九世紀末における東アジアと日
本年は︑私たちの研究会も三年目に入り︑
成果とりまとめのために︑毎月の月例研究会
では二本ずつの報告を準備し︑夏の合宿研究
会でもメンバー全員が報告を行なうなど︑糖
力的に研究活動を行なった︒
以下︑その一端を︑①月例研究会活動︑②
合宿研究会︑③調査旅行の順で簡単に記して
活動報告としたい︒
11月例研究会
第一回四月二六日︵水︶
報告一.大和魂﹂という代物l民衆梢
神文化の再編成﹂橋本尭︵本学表現学
部教授︶ 岡本喜裕﹁マーケティング・チャネル・ネ ットワークにおけるリサイクルチャネル﹂ ﹁和光経済﹂︑三三︵二︑三︶︑二○○一︑一〜 一七頁
三浦郷子﹁気候にやさしい都市︵ドイツの
ミュンスター視察記録︶﹂﹁東西南北2001﹂︑
報告二﹁日本近代と﹁国民﹂の形成﹂原田
勝正︵本学経済学部教授︶
第二回五月三一日︵水︶
報告一﹁渡良瀬川鉱毒問題と地域民衆ll
川俣事件百年を振り返って﹂福島達夫
︵本学人間関係学部教授︶
報告二﹁経済学導入史と社会政策学会l
社会政策導入の一側面﹂水上健造︵本
学経済学部教授︶
第三回六月二八日︵水︶
報告﹁長崎における伝染病11世紀末に
おけるその展開﹂松永巌︵本学経済学
部教授︶
第四回七月一九日︵水︶ 六九〜八○頁
三浦郷子﹁シュムペーターの時代における
エコロジーについて﹂白桃書房﹁シュムペー
ター︑サイモンとその時代﹂二○○一︑一四 七〜一六一頁︵三浦郷子︶
報告一﹁第一波フェミニストたちの自己形
成lらいてう・菊栄・房枝﹂井上輝
子︵本学人間関係学部教授︶
報告二﹁日本の唐人町11日本の近代化と
華僑・華人﹂佐治俊彦︵本学表現学部
教授︶
第五回一○月四日︵水︶
報告一﹁日本の経済思想11帝国大学を中
心に﹂水上健造︵本学経済学部教授︶
報告二﹁日清・日露戦争期における日本企
業の中国進出と中国認識﹂山村睦夫
︵本学経済学部教授︶
第六回二月八日︵水︶
報告一﹁明治末における衛生行政の形成I
I 6 9 − −
二○○○年度の主たる活動は︑二回の公開
研究会開催と研究員二名︑学外研究員一名に n南西アジア研究会 11ムロ宿研究会
八月二日︵水︶〜三日︵木︶
於熱海西山荘 l石炭酸消毒を中心に﹂内田正夫︵本 学総合文化研究所研究員︶
報告二コ国民国家﹂形成過程における統
合と隔離﹂原田勝正︵和光大学経済学
部教授︶
第七回一二月一九日︵火︶
報告﹁明治末における地域共同体と足尾
鉱毒問題l近代日本における羅合
と隔離﹂をめぐって﹂福島達夫︵本学
人間関係学部教授︶
第八回二月一三日︵火︶
報告﹁近代における日本観と中国観をめ
ぐって﹂孫歌︵中国社会科学院文学研
究所研究員︶
よるインド︑パキスタン調査であった︒
研究会の第一回目は︑長く南インドはマド ll中国大連・溶陽調査
一○月二九日︵日︶〜二月五日︵日︶
原田勝正・福島達夫・佐治俊彦・山村
睦夫
一○月二九日大連着大連賓館︵旧満鉄
大和ホテル︶泊︑旧連鎖街等見学
一○月三○日大連図書館本館にて王若副
館長と懇談︒その後旧満鉄本社に近い
分館︵旧満鉄図書館︶に移動し︑資料 一成果刊行︵三国民﹂形成における統合
と隔離﹂日本経済評論社刊︶に関する
打ち合わせ
二全研究会メンバーの個別テーマ報告
︵1.ヒョヂョン﹁二つの世紀転換期
における在露中国人︑朝鮮人社会﹂他︶
*宿泊所に近い来宮神社の神木﹁大楠﹂を
見学
ラス︵現チェンナイ︶に足場を固め︑インド
美術史のフィールドワークを展開する袋井由 閲覧・蒐集︒
一○月三一日大連図書館分館で資料閲覧︒
午後︑新華書店で文献蒐集の後︑旧東
清鉄道ビル等旧跡をめぐる︒
二月一日列車にて溜陽に移動︒商貿飯
店泊︒午後市街散策後︑王桂良東北中
山大学教授と懇談︒
二月二日遼寧省梢案館訪問︒超煥林︑
孫成徳両副館長と懇談後︑資料閲覧︒
二月三日格案館資料閲覧︵藩陽初訪問
の福島研究員は北陵旧跡等見学︶︒超
煥林氏による招待昼食会後︑改築なっ
た九・一八事変博物館を見学︒
二月四日飛行機にて北京へ︒午後︑古
書籍店︑書店をめぐる︒五日朝︑帰国便︒
*なお︑大連訪問に関しては︑福島達夫
﹁大連のアカシア﹂﹁東西南北2001﹂ を参照ください︒︵山村睦夫︶
ノ70
−
布子氏に︑研究成果の一端を我々の討論の場
に披露していただいた︒なお︑袋井氏は和光
大学オープンカレッジぱいでいあ﹁タミル語
の世界﹂の講師として︑日本国内では数少な
いタミル語塾官の旗頭でもある︒
﹁インド︑ヒンドゥー教寺院における舞踊
表現恥両性具有の踊り子像考察﹂と銘打った
研究報告は六月二四日に和光大学において行
なわれた︒
南インドに林立するヒンドゥー教寺院︑そ
こにはさまざまな舞踊彫刻がみられる︒踊る
シヴァ神の姿はブロンズ像でも広く知られる
ものであり︑舞踊・演劇のインド古典書﹁ナ
ーティャ・シャーストラ﹂に分析される舞踊
の動き﹁カラナ﹂の彫刻が寺院の壁面に並べ
られることもある︒南インドに残る数多くの
舞踊彫刻の中で異彩を放つのは︑顔にヒゲを
たくわえながら︑豊かな胸をたずさえる両性
具有の踊り子像である︒この﹁奇異﹂な踊り
子像の意味そして意義を︑ヒンドゥー教寺院
という空間︑インド神話世界を通し考察して
いノ︑︒
日本におけるインド美術史界においても︑
またインドにおいても袋井氏の発見した両性 具有の踊り子像に関する報告は皆無であり︑ 今後︑文化人類学や神話分析との共同作業の 新たなフィールドワークを創出する希有なる テーマであろう︒この新しい問題提起の場に 居合わせた幸運を︑研究会メンバーともに分 かち合うことができた︒
第二回目の研究会は︑中村忠男氏︵立命館
大学文学部助教授︶を迎えて︑年もあらたま
った二○○一年二月三日に開催された︒八月
に当研究員の村山和之︵イメージ文化学科非
常勤講師︶が参加した西インド調査の主催者
である中村氏は︑﹁ヒングラージ巡礼とヒン
ドゥー・ディアスポラ﹂と題した報告を行な
った︒ インド︑パキスタン分離独立の一九四七年
八月を境に︑現在のパキスタン・バローチス
ターン州に位置するインド世界最西端のヒン
ドゥー巡礼地﹁ヒングラージ﹂へのインド側
からの参詣路は国境に阻まれて切断されてし
まった︒ところが︑東アフリカ︑ペルシア湾
岸諸国︑イギリス等にコミュニティーを形成
するヒンドゥー教徒インド人移民のあるグル
ープは︑ヒングラージ女神を自らの職能クラ
スの氏神として信奉している︒彼らの多くは 宝石商︑金細工師を営むジャーティーに属し︑ 毎年四月にカラチから出発する巡礼団に第三 国から参加したり︑宗教施設の建設のため大 きな献金を行なっていることが分かってきた︒
世界各地に離散したヒングラージ・ネット
ワークの全体像を紡ぎ出すために︑移民たち
の出港地グジャラート州西部と寄港地アラブ
首長国連邦の商業都市ドバィを調査した本報
告によって︑新たなフィールドワークの必要
性を痛感すると共に︑海を越えるヒンドゥー
商人や職人たちの暹しさと信仰心のありどこ
ろに大いに驚かされた︒
一九九六年に︑文部省科研費によって行な
われた和光大学バローチスターン地方調査の
なかで︑日本人未踏であったヒングラージ聖
地は初めて我々によって参詣され報告がなさ
れたわけだが︑本研究は︑春の巡礼月に行な
われる大巡礼団への参加調査をもってして︑
はじめて︑統括的に﹁ヒングラージ女神の世
界﹂を直視できるものとなろう︒その調査実
現と報告書作成まで︑資料収集と分析は続け
てゆかねばなるまい︒
最後に︑フィールドワークについて記して
おきたい︒インドにおいては前田龍彦︵イメ
I 7 l −
本プロジェクト・チームは︑一九九五年度
から三年間日本私学振興財団および学校法人
和光学園の助成を受けて行なわれた共同研究
﹁モンゴルの変容する社会と文化の諸相l
異文化との接触を視野におさめて﹂︵その成
果が︑和光大学モンゴル学術調査団﹁変容す
るモンゴル世界11国境にまたがる民﹂新幹
社︑一九九九年︶に関わったメンバーを中心
に︑新たに数人のメンバーを加えて︑本年度
に新たに発足したものである︒
﹁変容するモンゴル世界l国境にまたが
る民﹂の成果を踏まえ︑
一︑その過程で新たに提起された︑﹁国境 ︑多国家︵分散・分断︶民族における内なる
民族関係
−ジ文化学科非常勤講師︶が仏教美術のフィ
ールドから︑東インド︑ビハールおよび西ベ
ンガルにおいて博物館および仏跡調査を行な
った︒前記した村山は︑西インドのグジャラ
ートにおいて中村氏と共に︑ヒングラージ巡
礼の廃道そして移民たちの出港地を特定する
ための踏査を行なった︒この調査の中で︑村
にまたがる民﹂同士の相互関係︑つまり各国お
よび地域に広く分散している各民族集団間の
いわば内なる民族関係のありようとその性格
および意味などを重点的に調査・考察しつつ︑
二︑前回は充分には取り上げられなかった
諸地域の状況︑とりわけ農耕化地域と小規模
分散集団︵中国各地とアフガニスタンなどに
在住するいわゆる﹁飛び地の捨て子﹂︶をめ
ぐる状況を補充的に調査・考察し︑
三︑これらの考察を通じて︑多国家・地域
民族の民族生活のありよう︑ひいては民族や
民族生活全般にかかわる意味ある知見を広く
得︑関連学会に提供する︑ことなどを目標と 山はパキスタン︑カラチのヒングラージ巡礼 団事務所を訪問し︑巡礼の運営・歴史などに ついての聞き取り調査を行なった︒
折しも︑西インド大地震の数カ月前であっ
た︒現在もまだ︑我々が映像に記録した神殿
や知識を与えてくれた僧侶たちが無事である
か︑定かではない︒確かなことは︑我々のフ
している︒
一年目の本年度は︑全体テーマの追究の仕
方を確認しつつ︑二年目以降の研究計画など
を立て︑同時にメンバー各人の分担を調整す
ることを中心課題とした︒
そのための一環として外部のゲスト・スピ
ーカーを招いて︑報告を聞き︑それをめぐっ
て討論する研究会も二回行なった︒第一回目
の講師は︑内モンゴル通遼市︵九八年三月ま
では哲里木盟︶出身で︑現在早稲田大学大学
院博士課程に在学中のブレンサイン氏で︑テ
ーマは﹁内モンゴル東部農耕モンゴル人社会
の形成について﹂︒第二回目はロシア連邦力 イールドの記録が︑失われたかも知れない有 形無形の文化財の︑貴重で数少ない資料とな ってしまったことである︒震災からの復興事 業の成り行きをみつめ︑長期的視野で記録し た財産を少しずつ︑当該地の博物館などを通 し︑資料として返還していくことも︑研究会 として考えている︒︵村山和之︶
172
−
ルムイクから日本に留学しているアルルター
ノフ・バドマ氏︵カルムイク共和国対外経済
関係省職員︑滋賀大学大学院生︶の百シ
ア・カルムイク共和国のモンゴル人たち﹂︒
ブレンサイン氏の報告は︑前回の共同研究で
は不十分にしか取り上げられなかったいわゆ
る﹁農耕化地域﹂のモンゴル人社会のありよう
n現代中国研究会
本研究会は︑二○○○年度中国の少数民族
と国境の問題を調査テーマにした︒
数度の打ち合わせ研究会を積み上げたのち︑
三月二○日︑佐治・山村・劉のメンバーが広
西チュアン自治区の中心南寧に向かった︒南
寧で少数民族資料館・博物館を訪ね︑広西省
における少数民族の歴史と現状を調査︑貴重
な文献を閲覧・購入することができた︒
その後︑ベトナムとの国境の町懸祥へ向か
った︒途中の道の周囲には南部の農村風景が
広がり︑水牛を使った耕作が行なわれていた︒
この幹線道路の処々に﹁路覇︵追いはぎ・自
動車強盗︶を徹底的に撃退しよう﹂という立 を︑その近代史を中心にあとづけたものであ り︑バドマ氏の報告は︑私たちメンバーがま だ訪れていないが︑しかし︑﹁国境にまたがる 民﹂としてのモンゴル人を考える時に欠くこ とのできない重要な地域であるカルムィクの モンゴル人社会の現状を伝えるものであった が︑いずれも刺激的で︑貴重なものであった︒ て札が立てられているのには驚き︑かつ些か 恐怖させられた︒さらに懸祥の町に到着する 直前に︑一九八○年代の中越紛争の犠牲者を 祀る太平山英雄記念碑を見︑国境の近さとあ の戦争の虚しさにあらためて想いを馳せた︒
懸祥の町は静まりかえっている︒壮︵チュァ
ン︶族︑京︵ベトナム︶族の住民が多く︑夜市で
はベトナム風の食べ物が並べられ︑日本のお
でんと似た煮物なども売っている︒国境友誼
関は山間部を車でかなり走った先にあり︑閑
かに人の行き来があるのみだが︑その近くの
交易ステーションへはひっきりなしにトラッ
クが往復し︑物の流れの激しさに圧倒された︒ 一方︑現地調査の方は︑佐治と1による中
国南部広西チワン族自治区の中越国境地帯の
民族調査と1による雲南モンゴル族調査︑そ
れにリケットによるフランスの移民社会調査
が行なわれた︒これら調査の詳細については︑
まとまった形でいずれ別途に報告することに したい︒︵ユ・ヒョヂョン︶
ハノイまでは数時間︑列車も行き来している︒
一旦南寧へ戻り︑もう一つの国境の町東興
へ向かう︒ここは幅二○mほどの川を隔てて
ベトナムと接する︒小さな船で物が運ばれ︑
ベトナムの物資で町は賑わっている︒商店や
役所の看板も中国語とベトナム語の二様に書
いてある︒改革開放の波が波及してきており︑
あちらこちらに建築中のビルが目に入る︒
南寧で別れ︑佐治・山村は上海へ︑劉は昆
明へ︒佐治は上海・松州・紹興等で越劇の現
地調査︑劉は少数民族の集住村落を訪ねて少
数民族の生活実態と民族政策の問題点を調査 した︒︵佐治俊彦︶
l 7 3 − −
言語文化研究会は︑言語学関係者のみなら
ず言語に関心のある異領域研究者も参加する
ことによって︑多元的な言語研究を試みたい
という主旨と︑本学卒業生で他大学大学院な
どに進学しつつも︑発表の場を持てない若手
研究者の育成ということをも視野に入れつつ︑ ︑言語文化研究会 アジア研究・交流フォーラムは︑アジア・
地域研究系に所属する五つの研究グループの
ための共同討論の場である︒昨年度までこの
フォーラムでは︑研究会やシンポジウムを開
催してアジアにおける民族間の諸関係に焦点
を当ててきた︒本年度は多民族世界のあり方
をよりダイナミックに捉えるために︑モンゴ
ル族祭りを企画した︒
和光大学では︑﹁変容するモンゴル世界﹂
︵モンゴル学術調査団︑新幹社︑一九九九年︶
の出版以来︑モンゴル語講座やモンゴル研究 nアジア研究交流フォーラム
一九九四年に発足したのであった︒
当初は賛同教員も多く︑また言語学と隣接
した領域の研究者による報告などもあり︑そ
れなりの成果が得られたのであった︒
企画段階での目論見の一つであった学内教
員による研究発表会は︑教員の多忙さ故に実 が盛んになり︑その文化や歴史に興味をもつ 教職員と学生が増えてきた︒これをうけて︑ よりモンゴル文化に接する機会を与えること を目的に︑当フォーラムは﹁和光大学・秋の モンゴル祭り〜ナーダム・イン・和光﹂を︑ 二○○○年一○月二一日に開催した︒
今回のイベントとして︑モンゴル料理の試
食︑伝統的民族音楽コンサート︵馬頭琴の演
奏︑ホーミー︑民謡など︶︑モンゴル映画の
上映︑モンゴル相撲︵ブフ︶が行なわれた︒
主催者はフォーラムであったが︑イベントの
現し得なかったこともあって︑近年はもっぱ
ら外部講師による研究発表会が主流となった︒
他方で︑入学学生の質の変化もあってか︑
多かった大学院進学学生が次第に減少し︑後
継学生が育たなくなったのである︒
そのような事情から︑本研究会の主旨や特 担い手は︑モンゴル人留学生とモンゴル語講 座の受講生などであった︒教職員や他の学生 の多くも参加し︑モンゴル民族の伝統芸能を じかに味わい︑生き生きとした異文化を体験 することができた︒
二○○一年度には︑学術的交流も加え︑学
内外の参加者を増やし︑さらに異文化交流を
深めていきたい︒︵本誌の八五〜一二五頁を 参照︶︵ロバート・リケット︶
I脚
−
性が見え難くなったことにより︑﹁言語文化
研究会﹂を本年度で一旦解散することにした
のである︒
本年度の事業で特筆すべきは︑天野みどり
助教授の斡旋に基づく在日外国人若手研究者
による一連の発表であった︒時代の進捗の中
で︑日本語の新しい研究領域が︑これらの人
びとの手によって生み出されていることを︑
改めて実感させられた機会であった︒
前回の報告以降に当研究会が催した︑発表
会の講師と題目を記す︒
l外部講師講演記録
ましこひでのり︵中京大学教授二︲抗原杭
nシンボル文化研究会
シンボル文化研究会は古今東西のシンボル︑
美術史︑歴史学︑考古学︑神話学︑宗教学︑
人類学などの学際的研究によって解明するこ
とを目的としている︒二○○○〜二○○一年
度は以下の三回の報告会を行なった︒本年度
はイランのゾロアスター教についての報告が 体反応としての日本語論11日本語文 化の境界﹂
イ・ヨンスク︵一橋大学助教授︶﹁︿国語﹀
という思想﹂
金仁珠︵韓国翰林産業大学日本語学教員︶
﹁日本語の待遇表現のしくみ11専用
形式によらない待遇表現l︲山
ポリー・ザトラウスキー︵ミネソタ大学言
語文学部日本語学助教授︶﹁日本語文
法から見た共同発話﹂
研究会としては︑副次的な作業として近年
のパソコンとインターネットの普及によって︑
急速に進展した翻訳ソフト類を検証すること
により︑これら便利なシールが実生活の中で
中心となった︒
第一回六月一七日︵土︶
﹁古代イランの女性像lアナヒターを中
心に﹂岡田明窓︵本学講師︶
ゾロアスター教のパンテオンには種々の女
神が存在する︒それらの中でもアールマティ︑ 如何なる効用を果たし得るのか︑また語学教 育という世界にいかなる影響をもたらすかを 検証しようとした︒
翻訳ソフトは年ごとにバージョンアップさ
れており︑新製品も続々と登場しているため
に︑あくまでも中間報告としかなり得ないの
であるが︑翻訳ソフトを比較した試用記録は︑
学習塾の英語教師伊藤大介氏が作成中である︒
また︑本研究会に所属した卒業生の内︑外
地で活躍中の水野剛士氏︵スエーデン国立ゥ
メオ大学特別研究員︶︑平澤かおり氏︵ロン
ドン大学大学院︶による﹁外国事情・言語文
化編﹂の寄稿原稿は︑前者と合わせて別の機
会に紹介したいと考えている︒︵鈴木勁介︶
アシ︑アナーヒターの三女神は特に重要であ
る︒アールマティは神々のヒエラルキーにお
いて︑アフラ・マズダーに次ぐグループを形
成するアムシャ・スプンタの一員である︒ア
シはゾロアスター自身の教説にあって中心的
概念を意味するアシャ︵天則︶と密腰である
ノ ス ラ ー ー
ばかりか︑﹁ヤシュト書﹂においてはゾロア
スターの恋人とさえ称されている︒これに対
し︑アナーヒターはメソポタミア的な大母神
の性格を有して︑一般庶民にも人気があった︒
ゾロアスター教の三女神は︑各々配偶者と
も称すべき︑特定の男性︵神︶と密接に関係
する︒すなわちアールマティはアフラ・マズ
ダーと共に︑人祖の両親であるし︑アナーヒ
ターはミスラと対で信仰されることがあった︒
また︑アシと密接なスラオシャはゾロアスタ
ーに代表される祭官の守護神である︒
ササン朝の銀器に見られる女神像をアナー
ヒター女神と結びつける説は︑最近田辺勝美
氏などによって否定されているが︑当時のア
ナーヒター信仰は必ずしも﹁アヴェスタ﹄の
記述から明らかになる訳ではない︒むしろ︑
かかる記述とは性格を異にする女神信仰が︑
アナーヒター女神に結びつけられていた可能
性が大である︒かかる観点から︑古代イラン
の女神像を再検討する必要がある︒︹岡田氏
による要旨︺
第二回一二月一五日︵金︶
﹁ウォーバーグ研究所と占星術研究﹂チャ
ールズ・バーネット︵ロンドン大学ウ オーバーグ研究所教授︶
ドイツ人アビ・ヴァールブルグがハンブル
グに創設した私設の文化史研究所は︑パノフ
スキー︑ザクスル︑ゴンブリッジといった
鐸々たる研究員を擁していたが︑ナチス台頭
のためドイツを去り︑英国に拠点を移し︑英
国風にウォーバーグ研究所と名前を改めた︒
第二次大戦後はロンドン大学付属研究所とし
て︑膨大なアルカイヴによって今日もイコノ
ロジー︵図像学︶研究の中心地となっている︒
さて︑西洋文化の形成にアラブ文化の果たし
た貢献は見逃せないことは言うまでもない︒
プラトンもアリストテレスもアラブ語圏で保
存されてきて︑それがルネサンスの引き金と
なったのである︒古代メソポタミア︑ギリシ
ア・ローマ︑インド︑ペルシアなどの文化要
素はアラブ・イスラーム文化を介してこそ︑
中世︑ルネサンス︑近世のヨーロッパに伝わ
り︑その文化的基盤を形成した︒ヴァールブ
ルグはルネサンス美術におけるギリシア・ロ
ーマの伝統に関心があったが︑そこにおいて
もアラヴ・イスラームの貢献があったのだか
ら︑彼の創設した研究所におけるアラヴ・イ
スラーム文化史の研究は︑まさしく故人の意 図に適ったものといえるだろう︒さて︑講演 者のバーネット氏は︑﹁中世および近代にお けるヨーロッパへのアラビア・イスラームの 影響の歴史﹂講座の教授であり11御本人の 言葉によれば︑﹁最も長い肩書きの教授の一 人﹂l︑講演では研究所の歴史や現在の状 況をはじめ︑専門分野での研究状況などにつ いて話された︒ウォーバーグ学派の図像学研 究を大きな理論的支柱としてきた本研究会に とっては︑研究所について知るうえでも︑ま た当代の最高のイスラム学者の一人と交流し︑ その最新の研究成果を聞かせていただけると いう意味でも︑大変に有意義な機会であった︒ 学外からも多くの専門家が参加して︑熱心な 討論が繰り広げられた︒またこの講演後には︑ イメージ文化学科の開学記念ならびにG棟展 示室開設記念として︑﹁ムネモシュネ・・ア ビ・ヴァールブルグの図像世界﹂という展示 が行なわれ︑展示の内容を紹介した同題の小 冊子も発刊されたことを申し添えておく︒ 第三回一月一三日︵土︶
﹁第七回ゾロアスター教徒会議報告﹂香月
法子︵中央大学大学院博士課暹
二○○○年一二月二八日から二○○一年一
ノ75
−
月二日にかけてアメリカ︑テキサス州ヒュー
ストンで行なわれていた会議に参加した報告
で︑以下の項目に沿って話が進められた︒
・世界各地のゾロアスター教徒llゾロア
スター教はかつてはイランで栄えたが︑イス
ラム化によって本拠はインドに移った︵パル
シー教徒︶︒しかし最近は北米における教徒
数が大幅に増大している︒また各地に点在す
る教徒間の交流が難しくなってきている︒
nフェミニズム・ジェンダー研究会
二○○○年度のフェミニズム・ジェンダー
研究会は︑フェミニズム・ジェンダーに関す
る研究・講演会︑および︑ジェンダー・フリ
ー・スペース設置に向けての準備を︑中心的
な活動とした︒
二○○○年度の研究・講演会は︑第一回目
が五月二四日︑第二回目が二○○一年二月二
一日に行なわれた︒第一回の講演者は田中か
ず子氏︑題目は﹁キャンパス・セクハラはな
ぜ起こる?﹂であった︒三時からの講演に多
くの学生が集まったことは言うまでもないが︑ ・ゾロアスター教徒による主な組織11三
つの組織がある︒
・君o﹃匡圃︒﹃o鼠三目︒︒︒四・認の歴史一
九六○年に初めて開催され︑その後今回まで
七回開かれている︒これまで開催地はイラン
とインドに限られていた︒
ムラ君自匡No8農a目no畠忌路11しか
し北米での教徒数の激増に伴い︑今回初めて
欧米地域での開催となった︒参加者は約二︑
その後研究所会議室にて行なわれた懇談会に
も︑一五名ほどの教職員および学生が参加し︑
活発な意見交換が行なわれたことについては
特筆したい︒話題はまず︑講演者の勤務する
国際キリスト教大学での取り組みについて情
報が提供され︑セクハラ問題に対処する機関
の構成形態・予算配分について説明がなされ
た︒︵国際基督教大学では︑﹁女性センター﹂
に相当する部署は︑形式上︑学生部に所属し
ているが︑予算は二○○万円以上が別途配分
されている︒︶大学院を抱える大学では︑院 二○○人で︑異教徒の参加者は︑イギリスの 著名なゾロアスター教学者ヒネルズと報告者 のみであったという︒
・今後の展望Iアメリカ育ちの若い世代
は旧い世代と異なる価値観を備えている︒ま
たインド系とイラン系の教徒間における文化
的背景の違いもある︒そして三つの組織を統
合するような世界組織が作れるのかも問題で
ある︒ ︵松村一男︶
生の指導に当たる教員との関係が︑院生の就
職に大いに影響する︒この点で院生は指導教
員のセクハラに対しては非常に弱い立場に置
かれる︒本学ではまだこの種の問題には直面
していないが︑いつぽう︑﹁女性センター﹂
的な機関の発足・運営にあたっては︑院生の
協力が大変有効であると思われる︒
ともあれ︑大学という教育機関において︑
今後教員がどのようにセクハラ問題に対処し
て行くべきかが活発な議論を呼んだ︒
教育者・指導者としての立場上︑仮にセク
1 7 7 − −
ハラの加害者が教員︑被害者が学生となった
場合︑学生は明らかに弱い立場に置かれる︒
だが過去の事例において︑教員の側が加害者
であることが判明した場合︑大学側はまず︑
﹁加害者の保護﹂を懸念する︒やはり教員間
の認識を新たにする必要がある︒と同時に︑
このような問題を自由に語り合えるスペース︑
具体的には﹁ジェンダー・フリー・スペース﹂
の必要性が︑あらためて議題に上った︵これ
については︑人工的に大学側が提供したスペ
ースに︑学生がどの程度馴染んでゆくか︑と
いう人間工学的な疑問も提出されたが︑諸般
の現状を省みるに︑そのスペースの必要性だ
けは確認されたと思われる︶︒
なお︑講演会および懇談会に参加した一教
員からは︑つぎのような感想が寄せられた︒
﹁最初の講演そのものは︑大学院もしくは国
立大学のケースとして︑正直なところ︑ぴん
と来なかったのですが︑会場からの発言l知
識と人格とは別であるということや︑性教育
を受けていない世代の問題など︑大学という
社会がもつ落とし穴に改めて気がつきました︒
キャンパスセクシャルハラスメントは人権問
題であるとともに学習権の問題として学ぶ必 要があるし︑学ばねばならないものだと思い ます﹂︒
つぎに︑第二回目について述べる︒講演者
は本学非常勤講師︵二○○一年二月現在︶の
浅野千恵氏︑題目は﹁映像と暴力Iアダル
ト・ビデオをめぐって﹂であった︒講演とは
いえ︑今回はいささか違ったかたち︑一種の
ワークショップという形式であった︒参加者
はおもに教員で︑専任︑非常勤を含むおよそ
二○名が︑浅野氏の用意したアンケートや設
問に返答した︒たとえば︑部屋の中心に線を
引き︑﹁嫌な仕事も仕事であれば仕方なく引
き受ける﹂などの質問に対して︑イエスとノ
ーのグループに分かれる︒強くイエスと思う
者は部屋の端に︑限りなくノーに近いイエス
であれば中心にある線の近くに立つ︑という
ものである︒このような形式でいくつかの思
考様式を確認しあった後︑アダルト・ビデオ
が放映された︒内容はレイプを扱ったもので
あったが︑普通にビデオ・ショップで売られ
また貸し出されているものである︒これが実
際に行なわれたものであるのか︑いわゆる
﹁女優﹂と﹁男優﹂による演技であるのかは
議論の分かれるところだったが︑あまりにグ ロテスクな映像に嫌悪感を覚える参加者も少 なくなかったようだ︒それがたとえ﹁演技﹂ であったにせよ︑あきらかに暴力的なこのよ うな映像が流通していることに対して︑さま ざまな意見が交換された︒
最後に︑ジェンダー・フリー・スペース設
置に向けての準備活動について述べる︒
フェミニズム・ジェンダー研究会は︑ジェ
ンダー・フリー・スペースの必要性についてこ
れまでにも再三強調してきたが︑今年度はと
くに︑﹁G棟の跡地利用にかかわる新しい組
織の立ち上げに関する委員会﹂によって︑こ
の新しい組織立ち上げに際しては︑総合文化
研究所が設置の窓口となることが了解された︒
これを受けて当研究会は︑和光大学総合文
化研究所に宛てて︑おおよそつぎのような内
容の文書を提出した︒大学の教員および学生
が︑社会の抱えるジェンダー問題を考察しよ
うとする場合︑大学のカリキュラムだけでは
広く学生の理解を得ることは難しく︑またこ
の考察を︑大学のタテ割りの部局に任せきる
こともできない︒ジェンダー問題に関して︑
教員と学生が︑公開で︑いくつかのテーマに
基づいて討論する場︑交流を深める場は︑和
ノ巧
−
光大学の今後の発展のためにも是非とも必要
であろう︒
﹁G棟の跡地利用にかかわる新しい組織の
立ち上げに関する委員会﹂に出席した際には︑
ジェンダー問題︑セクハラ問題に関して︑こ
の新しい組織が︑﹁相談機能﹂を果たすこと
第一回六月三○日
報告者野々村文宏氏︑
テーマ亜匿名の視線
パブリック・アート︑都市計画︑庭園と言
った作り手の個性が比較的直接的出ない現代
のアート環境についての話を聞きながら︑あ
る点で作り手の意志が強烈に受け止められる
ドキュメンタリーについて考えた︒ ︑表象研究会
︑宗教芸能研究会
二○○○年に発足した宗教芸能研究会は︑
日本を中心にアジアを射程に入れながら︑個 への懸念が表明されたが︑これについては︑ ﹁場合によって︑副次的にその機能が発生す るかもしれない﹂と返答した︒しかし実質的 にこの機能が発生する可能性は︑ほとんどな いものと推測される︒G棟に立ち上がった場 合︑ここに専任の教員が常駐するわけではな 第二回一二月九日
報告者︾坂尻昌平氏︑
テーマ叩フレデリック・ワイズマンの手法
アメリカのドキュメンタリスト︑ワィズマ
ンの﹁コメディー・フランセーズーl演じら
れた愛﹂を見た後に講師の解説と問題提起︒
全体性を追求する彼の手法とその可能性︑限
界について意見交換︒
性的な宗教芸能・祭・テクストに光を当て︑磁場を見据えていくプロジェクトである︒
研究会と調査により文化が創造・伝承される く︑多くは情報収集・資料管理にあたるアル バイト学生が在室することとなり︑学生が自 由に出入りできる空間となることが予想され るからである︒この点も理解したうえで︑こ の組織が無事二○○一年四月発足となること をお願いした次第である︒ ︵吉川信︶
第三回二一一月七日
報告者血森達也氏︑
テーマ﹁A﹂を見る
オウムの荒木広報部長を追った作品を見て︑
作者の森達也氏に撮影時の具体的なお話を伺
いながら︑作品について意見交換をした︒
︵杉本紀子︶
I 7 9 − −
第二回二○○○年七月一日︵土︶
﹁シンポジウム−1森鐘示を考える﹂
第一部は柱祭の映像観賞で︑最初に﹁諏訪
の御柱l平成四年/上社・下社総集編﹂︵ヴ
ィジュァル・フォークロア制作︶を上映し︑
七年毎の寅と申の年に︑荒ぶる山の大木を里 第一回二○○○年五月二七日︵土︶
﹁六十六部縁起と日光山の天海l頼朝伝
説をめぐって﹂日光山輪王寺光樹院・
柴田立史氏
鎌倉将軍頼朝の前世認を伝える﹁六十六部
縁起﹂は︑中世から近世にかけて日本六十余
州を巡り歩いた納経者六部たちの縁起であ
る︒日光天海蔵に納められた中世文書の頼朝
伝説と慈眼大師︵天海大僧正︶伝の記述との
奇妙な符号を追って︑﹁常行堂﹂という中世
日光山の一中心地と鎌倉幕府の関わりが︑東
照大権現を迎えて江戸期の日光山へと再編さ
れていくプロセスが報告された︒天海伝説の
さらなる追求への期待はもちろん︑土佐・物
部村にも六部の伝承があるなど六部にも関心
が集まり︑民間宗教者として重要な研究対象
であることが確認された︒ に下ろして神にする︑世界最大の柱立て祭の 全容を紹介した︒次の﹁インドラ・ジャトラ ーネパールの女神と柱立て﹂︵ヴィジュア ル・フォークロァ制作︶では︑ネパールの宗 教︑歴史︑民族︑王権等の文化的背景が集約 されている大祭の全容を紹介した︒
第二部﹁アジアの柱をめぐる講演と討論﹂
では︑寺田鎮子氏︵ネパール文化研究家︶に
よって﹁ネパールの柱祭りllその多様性を
めぐって﹂が報告された︒柱建立の祭儀は︑
世界中に分布しているが︑ネパールの中心地
カトマンズ盆地で行なわれる柱祭は︑とりわ
け盛大で重要な意義を含んでいる︒インド亜
大陸の文化の保存庫としてのネパールに伝わ
る︑国家的祭祀としての﹁インドラ・ジャト
ラ﹂など三つの柱祭を概観し︑周辺諸国およ
び日本の御柱祭も視野に入れながら︑柱の祭
儀とは何なのかの問題提起がなされた︒
続いてコメンテーター田中基氏︵縄文図像
学研究家︶により︑諏訪信仰の原質や御柱に
ついての示唆的な見解が出され︑次年度にも
﹁柱祭り﹂のシンポジウムを開催し︑諏訪・
伊勢を含めた柱祭の問題性をより深めること
が約束された︒ 近世末から近代にかけて声の文化︵︒﹃皇 言@国目①︶が流行した︒浪花節に代表される 近世の物語芸能が︑わが国の大衆社会や国民 第四回二○○一年三月一○日︵土︶ ﹁明治のパフォーマンス−1浪花節と国 民国家をめぐって﹂兵藤裕己氏︵成城 大学︑現在は学習院大学︶ 第三回二○○○年一○月二一日︵土︶ ﹁対馬の命婦と法者11神楽と祭文の 世界﹂渡辺伸夫氏︵昭和女子大学︶
対馬では早くから︑﹁法者﹂と呼ばれた祭
の執行者と︑﹁命婦﹂と呼ばれた座女によっ
て神楽が演じられてきた︒冒頭で命婦神楽の
映像を紹介︑続いて対馬藩の藩政史料︵宗家
文庫︶の解読により︑これまで不明であった
法者と命婦の歴史的実態が浮き彫りにされた︒
安易な文献操作に対する氏の批判は︑地道
な踏査と文献収集・整理に裏付けられたもの
で︑真のフィールドワーカーとしての学問的
態度は︑参加者に強いインパクトを与えた︒
また三年連続で対馬の神楽の報告を行なうと
の表明がなされている︒
ノ80
−
的心性の形成に︑どのように関与したのかを
考え︑あわせて︑日本近代におけるもうひと
つの日本文学史の可能性が示された︒
平家物語や太平記などの軍記物研究のほか︑
﹇Ⅲ民族と言語教
民族と言語問題についての概説的理解から
はじまって︑少数民族の言語問題や日本にお
ける英語公用語化問題など︑英語帝国主義と
世界語としてのコミュニケーション問題︑地
n﹁平和の文化﹂研究会
西暦二○○○年が﹁平和の文化国際年﹂︑
二○○一年から二○一○年が﹁世界の子ども
たちのための平和と非暴力の文化の一○年﹂
と国連で決定されたことにちなみ︑﹁平和の文
化﹂を総合的︑学際的に探求するという当初計
画のもと︑二回の公開研究会が行なわれた︒
第一回目会議
日程エハ月七日︵水曜旦五時〜六時半頃 一貫して近・現代の︿語り﹀にこだわり追い かけてきた氏の個性が発揮された報告で︑フ ロアーでの川田順造氏︵文化人類学︶と高橋 悠治氏︵作曲家︶の﹁声﹂をめぐる論争にょ 域語・民族語と共通語の問題などについて︑ 数回の研究会をもった︒三月に︑メンバー四 名がシンガポールを訪問調査した︒シンガポ ールは︑英語を公用語の一つとしてきたが︑
場所皿伊藤研究室
議論は次の通りであった︒西暦二○○○年
が﹁平和の文化国際年﹂がユネスコから提案
され︑国連決議となって︑﹁わたしの平和宣
言﹂運動が提起された︒これは︑身近な分野
から国際平和まで︑いわゆる戦争のない状態
としての平和だけではなく︑人びとの尊厳が
重んじられ︑お互いに助け合っていくような り︑近代国家と﹁声﹂というテーマの重要性 がいっそう浮き彫りとなった︒
︵山本ひろ子︶
最近︑全小学校で英語を授業用語とすること
にした国である︒訪問調査についての報告は︑
二○○一年度紀要に掲載されている︒
︵奥平康照︶
社会を︑個人のレベルから地球レベルまでつ
くっていくことが目的である︒内容は︑すべ
ての生命と人権を大切にする︑非暴力で問題
を解決する︑思いやりの心をもち経済的にも
助け合う︑相手の立場にたって考え傾聴︑地
球環境を守る︑連帯を再発見し︑民主主義と
男女平等を実現するというものであった︒
1 8 1 ‑
二○○○年度の活動は前年度に掲げた目的
と方法を継続し︑とくにメンバー各自の専門
領域の研究教育の場面においてコンピュータ
利用を積極的に試み︑そこで必要とされるテ
クニックやノウハウを相互に報告しあった︒
この活動は︑学内の情報環境整備の進展にと
もない︑それをよりいっそう有効に活用でき
るよう教員の技能を高めることに役立ったも
のと思われる︒
研究会において報告された事例︑テーマは n教育研究へのコンピューター利用研究会 第二回会議
日程二○月二日︵水曜且六時−七時半
場所︾中文研究室︵A棟六階︶
報告橋本堯﹁﹁三酔人経輪問答﹂にみる
中江兆民と平和の文化﹂
中江兆民は土佐藩出身である︒ジャーナリ
ストとして活躍︒明治三四年に死去︒岩波文
庫からあと二冊でている︒南海先生と紳士君
と豪傑君が登場︒前二人は書斎派である︒紳
士君が民権思想について詳しそうであり︑兆
11﹁PC︵パーソナルコンピュータ︶ を利用したビデオ映像編集と教材への 利用可能性について﹂小林稔
ここ数年︑著しいPCの性能向上と価格低
下により︑ビデオ映像の編集がPCをベース
として行なうことが可能になってきた︒しか
し︑ビデオ映像の情報量は膨大であり︑PC
ベースの機材とソフトウェアでどの程度の水
準のビデオ映像の編集が可能であるのか︑ま 以下の通りである︒ 民は三人のすべての立場をとる︒いわば三人 とも兆民の分身である︒経輪とは政治のこと︒ 問題点として︑︵二﹁進化﹂の無条件的肯定 がある︑︵二︶精神主義的︵唯心論的傾向︶ ﹁戦争は勇気がもとである︒﹂︑︵三︶農・工・ 商すなわち﹁人民﹂の位置づけに欠ける︑ ︵四︶現状肯定的であり︑a・国際法の無力︑ b・論より技術を重視︑c・﹁自強l富国﹂ すなわち侵略戦争の肯定︵文明と戦争の不可 分︶︑d・軍備増強の肯定︑等がある︒豪傑
たPCベースで制作したビデオ映像が高等教
育の現場で教材として利用可能であるのか調
査研究を試みた︒
方法論としては︑実際にPCベースの編集
システムを構築し︑ビデオ映像ソフトの制作
を行ない︑その技術的水準を実際に確認する
とともに︑その作品を公開し︑第三者の意見
などを収集︑分析することで教材としての可
能性を検討した︒
使用した機材は︑DV規格のビデオカメラ︑ 君のコトバに対して他の二人が反論しない問 題がある︒人民を愚民と思っているのではな いか?洋学紳士君は無抵抗主義である︒出 版が一八八七年で︑日清戦争の一八九四年よ り前︑平和思想としては︑いろいろ問題があ ったが︑軍備をいらないと言ったのはすごい ことである︒徴兵・国民皆兵が明治二四年で あった︒民衆の政治の力を期待しなかった点 に兆民の弱点がある︒︵伊藤武彦︶
ノ82
−