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読みの発達における「語り手との対話」の位相

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読みの発達における「語り手との対話」の位相

―『モチモチの木』の「語り手を問う」と「作者を問う」を対照させて

上越市立南川小学校

小 川 高 広

1 問題の所在

自立した読者を育てるためには、読者の発達段階に応じて、学習の中に適切に読みの対 象を設定していくことが求められる。文学作品の読みの発達の道筋について、山元・住田

(1996)は、学齢の上昇に伴い〈参加者的スタンス〉の読みから〈見物人的スタンス〉

の読みへ移行する様相を捉えた。他方、住田ら(2001)は直線的な発達モデルとは異な る様相を捉えている。すなわち、「住む」読み、「なる」読みにあった読者が、小学校高学 年において物語の構造を捉えた「みる」読みの反応を高め、それが中学に入ると物語に回 収しきれなかった「自己」がかえって「析出」されていくという姿である。自己中心的な 読みが、他者としてのテクストを読む方向へ発達し、再び自己の読みへ回帰するという発 達モデルである。さらに、住田(2015)において試案として提出されたのが「読書能力 の発達モデル」である。これは、「近づく=なる」読み(=参加者的スタンス)と「距離 をとる=みる」読み(=見物人的スタンス)が往還しながら表れ、学齢の上昇に応じて読 みの対象を広げていくというものである。学齢と「みる」対象の対応関係は次のように想 定されている。

【読者0】幼児期~小学校1年生(入門期)……虚構体験としての遊び、読むことと しての遊び

【読者Ⅰ】小学校2年生~小学校4年生……「テクスト」と対話する読者

【読者Ⅱ】小学校5年生~中学校1年生……作り手との対話

【読者Ⅲ】中学校2年生~中学校3年生……社会との対話

小川(2019)では住田の発達モデルを援用し、小学4年次の学習者を【読者Ⅱ】のステ ージへ移行させることを意図した学習活動を提案している。検証授業において、作者の作 為を認めつつ自己の願いとしての読みを紡ぎだす学習者の様相が捉えられたことから、一 定の成果が認められた。一方、テクストの表記を物語言説と捉えるべきではなかったとい う課題が残された。ここで指摘できるのは、読みの発達モデルにおける「語り手との対話」

の位相の不在である。【読者Ⅰ】では物語の構造(仕組み、仕掛け)を読むこと、【読者Ⅱ】

では作者との対話が想定されている。テクスト構造をみた場合、物語内容を語る語り手が あり、語り手を統括する想定される作者がさらにメタ的に位置付く。このように考えると、

【読者Ⅰ】と【読者Ⅱ】の間に「語り手との対話」という読みの発達の徴標を位置付ける ことができるのではないだろうか。

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2 研究の目的と方法

そこで本研究では、読みの発達における「語り手との対話」の位相について、授業分析 を通して明らかにすることを目的とする。本研究で対象とする学習者は、【読者Ⅰ】から

【読者Ⅱ】へ往還を広げつつあることが想定される小学3年生である。使用する教材は、

「モチモチの木」(斉藤隆介)である。本稿におけるテクストの表記は「平成27年度版学 校図書3年下」に依る。

研究の方法は以下の手順を取る。1、「語り手との対話」の問題点と意義を検討する。

2、「モチモチの木」の語りを分析し、問いを立てる。3、語り手と作者を対照させた授 業実践を分析し、読みの発達における「語り手との対話」の位相について考察する。

3 「語り手との対話」の問題点と意義

3.1 読みの発達における「語り手との対話」の不在

松本(1997:150)は物語の外縁構造を提出している。簡略化すると次のようになる。

生身の作者-想定される作者-語り手-話し手-(物語内容)-聞き手-読み手-想 定される読者-生身の読者

松本(1997:149)は「生身の作者と語り手を区別することは常識化したとみてよいだ ろう」とし、その境界に「テクストの領域」という実線を引く。生身の作者と想定される 作者については、「文学の領域の内側にあるのは、テクストのことばから想定される作者」

であるのに対し、生身の人間としての個々の作者や読者は文学の領域のすぐ外側に位置す ると述べる(本稿では、「想定される作者」と「生身の作者」を区別したうえで、「想定さ れる作者」を「作者」と表記する)。また、福沢(2015:56)は、〈作者〉を「表現の取 捨選択、配列の工夫をし、作品全体の責任を持つ主体」と定義する。さらに、「〈作者〉は

〈語り手〉を、複数の選択肢から選択している」と述べていることから、想定される作者 の意図の下に、語り手が選択されていることが了解できる。一方、福沢は、「「述べない」

ことを決断するのは〈語り手〉ではない。〈語り手〉はあくまでも言語表現の形にまとめ あげて「文」を作成するが、「文章」の章立てを構想する機能までは持っていない」とす る。これについては異論もあろう。通常、想定される作者の主体は、題名・小見出し・表 記・句読点などに表れる。どこまでが語り手の意図で、どこからが作者の意図なのかは、

作品に基づいて判断することが現実的である。この検討については他稿に譲る。

では、読みの発達の徴標はどのように想定されているだろうか。山元(2005:541)の 読みのスタンスの基準は、物語世界の対象化の度合いで分類されている。

〈見物人的スタンス②〉……〈見物人的スタンス①〉にかなり近いが、登場人物相互 の関連づけを捉えつつ、人物の言動についての評価を行 っている水準。①よりも物語世界を対象化している度合 いは大きい。

〈見物人的スタンス③〉……作中の登場人物の言動の読み取りを、読者としての〈私〉

の問題へと結びつける水準。作品の主題を捉え、それを 典型化しているもの。

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〈見物人的スタンス②〉は物語世界を評価するもので、〈見物人的スタンス③〉は、読 者として作品を評価するものとなっている。

住田(2015:206-208)では、【読者Ⅱ】「作り手との対話」を「わらぐつの中の神様」

を用いて説明している。作中で「雪」の形象が「物語展開のキュー」として機能している ことから、「語り手の語りの企てを反映した重要なキーワード」であると述べる。そして、

「小学校高学年の子どもたちが、このような工夫された語り手の語り口を考え始めたとき、

その子は、確実に「作り手との対話」モードでテクストと対峙していると考えられるので す」とする。ここでは「語り手の語りの企て」を読むことが「作り手との対話」に収斂し ている。以上のように、読みの発達の徴標として「語り手との対話」が不在、あるいは明 確には位置付けられていないことが確認できる。

3.2 「語り手との対話」の意義

では、「語り手との対話」にはどのような意義が認められるのであろうか。

松本(2006:20)は、文学教育の目標を「文学を読むこと、その読みを交流させるこ と」とする。そして、「人間の関係認識における関係の中に自己を紡ぎ出していくという 創造行為」である「読みの交流」を機能させる「問い」として、語りに着目する。語りの 分析には読者の相対性がつきまとい、特に描出表現の解釈は多様性が保持される。語りの 解釈を交流することによって、自己の読みが相対化され読みが更新されるという主張であ る。

住田(2015:206-208)は、「作り手との対話」の意義を次のように述べる。「他者とし ての作者の立ち位置に立ち、作者をくぐってみることの向こうに、そうした作者のはたら きかけとの関係でそのように読まされている「わたくし」を、私たちは発見するのでしょ う」。住田(2015)では、前述のように「語り手の企て」を認めていることから、この意 義を語り手との対話の意義と置き換えることは可能であろう。どのように語られているか、

なぜそのように語られているのかを追究していくことは、語り手の主体を構築していくこ とである。その行為を通して読者(自己)が析出され、自己を捉え直す、再構築すること になるのである。

このように、自己を更新するための機能として「語り手との対話」の意義を認めること が明らかとなった。次に「語り手との対話」の問題点と意義を踏まえたうえで教材を分析 し、問いを検討する。

4 「モチモチの木」の語りと問い

「モチモチの木」は、峠の猟師小屋にじさまと二人っきりで暮らす臆病豆太の成長物語 である。豆太は、じさまの腹痛をきっかけに一人で夜道を駆け下り医者様を呼びに行き、

じさまを救う。そこでは、モチモチの木に灯がともる「山の神様の祭り」を見ることが通 過儀礼として機能している。

語り手は、作中人物を「豆太」「じさま」「医者様」などと呼んでおり、物語内容の場に 登場しない、物語世界の局外の存在である。例えば、作品冒頭は次のように語られる。

まったく、豆太ほどおくびょうなやつはない。もう五つにもなったんだから、夜中 に一人でせっちんぐらいに行けたっていい。

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「まったく……ない」「ほど」「もう五つにも」「行けたっていい」のように、豆太に対 する語り手の批評が随所に見られる。このような語り手の態度はテクスト全体に及んでい る。これについて山中(2018:16)は、「決して豆太のことを憎んだりさげすんだりして いるわけではないのですが、愛情ゆえに歯がゆく思う語り手の態度・愛情が、これらの語 り口調から読み取ることができます」と述べる。語り手によって繰り返される「おくびょ う豆太」によって「勇気」が際立つことになる。

また、語り手は豆太の内面を語ることができる。3場面「しも月二十日のばん」の「…

…とんでもねえ話だ。ぶるぶるだ」や、4場面「豆太は見た」の「聞こえたからだ」「こ わくて、びっくらして」「気がしたから」などは、豆太の知覚や心中を語る。このように 語り手は、豆太を視点人物とし、知覚・認識・思考を語り得る存在である。

対して、じさまは視点人物とはならない。じさまに関する語りは行動が主であり、語り 手の主体からじさまの行動が意味づけられる。語り手は、「ぬらされちまうよりいいから なぁ」「かわいそうで、かわいかったからだろう」のように、じさまの心中を推測する。

これは、じさまの心中を正確に表したものではない。しかし、読者はこれらの語りから対 象人物であるじさまの主体を形づくっていくことになる。

本作品の語りの特徴を整理すると、まず、愛情ゆえの歯がゆさとして豆太を批評する語 り手の立場がある。また、語り手は局内に移動し豆太を映し手として内面を語る存在とな る。読者は、豆太の視点から物語内容を享受する。一方、じさまの心中は語らない。あく まで推測する立場を取る。読者は、直接には知りえないじさまの心中を行動や語り手の推 測から判断することとなる。このとき語り手は、局外から語っているとも、じさまの近傍 にあるとも考えられる。以上のような語り手の動態によって、テクストの解釈は多様なも のとなる。そこで、学習の対象としたいのが結びの三行である。

――それでも、豆太は、じさまが元気になると、そのばんから、

「じさまぁ。」

と、しょんべんにじさまを起こしたとさ。

終末の三行の機能について橋本(2001:110)は、「これが、語りおさめの役割であり、

語りの最後のしかけなのだ」とする。すなわち、終末で「再びおくびょうに戻ったのか」

という問いが浮上し、再読が迫まられるという仕掛けである。これについて橋本は「夜中 にしょんべんに行けるかどうかは、勇気とは異なる次元の話なのだ」と述べ、終末の三行 に、おくびょうと勇気は異なるという意味を見いだしている。結びの三行をどのように意 味づけるかは、読みの一貫性を構築する要点駆動の読みが求められる。

次に、語りの分析から読みの可能性を提示する。まず、テクストが最終場面のじさまの 台詞の後に示されていることから、じさまの近傍にいる語り手の眼差しとして読むことが できる。また、視点人物である豆太からの意味づけも考えられる。「しょんべんにじさま を起こ」すという行為は、作品冒頭部「じさまは、ぐっすりねむっている真夜中に、豆太 が「じさまぁ。」って、どんなに小さい声で言っても、「しょんべんか。」とすぐ目をさま してくれる。」においても語られる。文末の「くれる」は豆太にとっての利益を現してい ることから、豆太に寄り添った語りと読むことができる。よって、再び「しょんべんにじ さまを起こ」す行為を豆太の立場から意味づけることが可能と考える。さらに、文末「…

…とさ。」からは、口承で語り継がれる話の結びの形式が認められる。ここから、語りの

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現在にいる語り手が、過去の出来事として語りおさめるという俯瞰した立場が考えられる。

さらに、本作品の語りの特徴から、愛情ゆえの歯がゆさを表す語り手の態度として読むも 可能である。このように多様な読みが可能な部分テクストである。

他方、西郷(2009:36)は、終末の三行について次のように述べる。

まさにこれは、作者が、話者にこのように語らせることで、つまり読者に「どんで んがえし」を食わせることで、読者に再読を強いているのです。この三行は、実は作 者の企んだ「仕掛」(作者の工夫)であったのです。言葉を換えて云うならば、まさ に、このような仕掛を持った「作者の文体」であるということです。/話者の語り方

・話体というのは、つまりは作者の意図のもとで、話者は、そのように語らされると いうことなのです。

西郷は終末の三行について「話者の語り」と捉えるものの、最終的には「作者の仕掛」

であり「作者の意図」の統制下にあることを強調する。確かに、「――それでも」のダッ シュは作者の意図に応じた表記と考えられる。しかしここでは、語り手の意図や語り手の 主体が追究されないままに、作者の意図に回収されてしまっている。

以上の検討から、「語り手との対話」と「作者との対話」の相違が非常に微妙なもので あることが分かった。そこで、この二つの対話を対照させた学習をデザインし、学習者の 実際の反応を基に「語り手との対話」の価値とその位置を検討していく。

5 検証授業分析の方法 5.1 検証授業の概要

「モチモチの木」の終末の三行を対象に、「語り手を問う」授業(実践1)と「作者を 問う」授業(実践2)を対照させた学習分析を行う。いずれの実践も新潟県公立小学校に おいて2018年12月に稿者が行った。授業の概要は以下の通りである。

【表1 検証授業の概要】

実践名 「語り手を問う」授業(実践1) 「作者を問う」授業(実践2)

対象学級 3A組(24名) 3B組(23名)

授業者 稿者(学級担任) 稿者(本時以外の授業者は、学級担任のM教諭)

本時 まで 学習者の感想から問いを立て、毎時間解決し 学習者が物語の疑問を出し合い、問いを立てた。そ

の概要 ていった。主な問いは「なぜじさまは、そこ して毎時間、解決していった。主な問いは「なぜ豆 まで豆太にやさしいのか。」「なぜ豆太は、は 太には母はないのか。」「どうしてじさまは病気にな だしで出ていったのか。「豆太は、本当にモ ったのか。」「モチモチの木には本当に灯がともって チモチの木の灯を見たと言えるのか。」であ いたのか。」である。3A組の授業が先行して行わ

る。 れ、それを追うようにB組の授業は進んだ。

本時 のね (9/9時)作品の終末の三行を語り手が語 (7/7時)作品の終末の三行を作者が書いた意味

らい った意味を考える。 を考える。

本時 の学 まず特徴的な語り口から、語り手という概念 まず問い「豆太は、最後に「おくびょう」にもどっ 習過程 を押さえた。語り手には、じさまや豆太への たのか。」を提示した。「もどった」が 15 名、「もど 寄り添いがあること、語り手は自由に移動で っていない」が8名であった。「もっどた」の理由は きるとこることを確認した。次に、終末の三 「勇気があるなら一人で行ける」「もどっていない」

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行が無い方が成長物語としてよいのではない の理由は「もしまたじさまが病気になったら勇気が かと揺さぶりを掛け、問い「語り手はなぜ最 出る」、「命にかかわることは勇気が出る」などが出 後にこの部分を語ったのか」を提示した。最 された。続いて、終末の三行が無い方がよいのでは 後に学習の振り返りを記述した。 ないかと揺さぶり、問い「なぜ作者は、最後の部分 を書いたのか」と提示した。最後に、学習の振り返 りを記述した。

5.2 分析の方法

読みの発達の研究では、物語世界の対象化の度合いで学習者の様相をコーディングして いる。物語構造に従うと、「作中人物」「物語作品の構造」「語り手」「想定される作者」と いう順に物語世界の対象化が進む。本研究においてもこれらを指標として学習者の様相を 捉える。まず、学習者の記述の明示あるいは省略された主語を特定する。これを学習者が 物語世界を対象化した視点とみなす。そして、これらを累計し量的分析を行う。次に、特 徴的な記述を抽出し質的分析を行う。また、解釈の交流後に記述した「学習の振り返り」

を補助資料として用いる。最後に、2 実践の様相の差異を明らかにし、読みの発達におけ る「語り手との対話」の位相を考察する。

分析の資料とするのは、学習者の記述と発話をトランスクライブしたプロトコルデータ である。プロトコルデータの記述の形式は松本(2006:83-84)に準ずる。記述の主語特 定の方法は、永野(1986:203-214)を参照した。表2に例を示す。「( )」は、稿者が 主語を補った箇所である。記述の漢字や片仮名への変換は稿者において行った。例えば、

「実践1Hi」の記述の視点は、「語り手3、物語作品の構造2、豆太1」と数える。

【表2 主語特定の例】

学習者 記述 主語の特定

実践1 最後に(語り手が①)語ると文が楽しくなるから。(物語が②)おもしろく ①語り手 ②物語 Hi なる。じさまの心を全て(語り手が③)話しているから。豆太が④ゆうかん ③語り手 ④豆太 ⑤

になってももどる設定があるから。最後に「~したとさ。」があると(物語 物語 ⑥語り手 が⑤)おもしろいから。語り手⑥の出番が少ないから。

実践2 豆太は①勇気のある子どもだと(わたしは②)思ったけど、最後の言葉を(作 ①豆太 ②読者 Ya 者が③)入れると、(豆太が④)勇気のある部分もあるけど、少し臆病な部 ③作者 ④豆太 分もあるんだなと(読者は⑤)思うし⑤、(物語が⑥)おもしろくなるし次 ⑤読者 ⑥物語

がもっと(読者は⑦)見たくなるから。 ⑦読者

6.学習分析

6.1 語り手を問う授業(実践1)の分析 6.1.1 量的分析

【表3 実践1の記述の視点】

記述の視点 豆太 じさま 物語 語り手 作者 読者 合計

値(%) 22(31%) 13(19%) 10(14%) 15(21%) 1(1%) 9(13%) 70(100%)

問いに対する記述の視点は、物語世界内にある豆太22、じさま13となっており、作中 人物を視点としたものが多い。作者に比して語り手が 15 と多いのは、問いが語り手の意

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図を問うものであったことが影響していると考えられる。

6.1.2 質的分析

次に、特徴的な記述を抽出し、物語世界対象化の度合いを視点に、質的分析を行う。

【表4 実践1の問いに対する記述】

学習者 問いに対する記述 記述の視点

Ma 勇気のあった豆太だけど、やっぱり、せっちんには行けない、ということで、じ 豆太、じさま、語 さまが元気になって、またいつもの生活になったということを伝えている。 り手

Yu 豆太が勇気がある子どもになってもじさまを起こしにしょんべんを行った。あと 豆太(3)、じさま 勇気のある子どもになったんだから豆太とじさまがちがうベットで寝ているかも

しれない。

Na じさまが心の中で、言っていて、語り手が言った。そのお話では、「しょんべん じさま、語り手、

にじさまを起こしたとさ。」と言って、中の場面では、頭がこんらんしているか 物語 らとかで、前と後にしょんべんについていくと語り手は言っている。ちがう物語 とかは、「しあわせにくらしましたとさ」とゆってるから、それと似て、「起こし たとさ」って言ってまねをして、言っている。

①Maは、作中人物二人に触れた記述である。豆太が「せっちんに行け」ず、じさまを 起こすという展開を「じさまが元気になって、またいつもの生活になった」と意味づけて いる。語り手が終末を語る意図を、登場人物の関係性から推論している。

②Yuは、豆太がじさまを起こした理由を説明している。それは、終末の三行がないと 仮定すると、豆太が勇気のある子どもになって物語が閉じられることから、自分でしょう べんに行けるようになり、「豆太とじさまがちがうベットで寝ているかも」というもので ある。実際には小屋には一枚の布団しかない。しかし Yuは、豆太が勇気をもった後も二 人が身を寄せ合って暮らしていったと推論し、テクストの一貫性を構築している。

③Naでは、一文目で「じさまが心の中で、言っていて」とある。これは最後の語りの 視点人物をじさまと捉えたものである。本作品はじさまが視点人物となることはないが、

語り手のじさまへの寄り添いを捉えたうえでの解釈と言える。三文目では「起こしたとさ」

に、「しあわせにくらしましたとさ」と語りおさめる物語スキーマを当てはめている。終 末の三行に「しあわせ」の意味を見いだしていると言える。

以上三名の記述を見たように、終末を視点人物の豆太だけでなく、対象人物のじさまの 視点からも意味づけていることが分かる。じさまの視点が提出されたのは、語り手がじさ まの心中を推測、代弁していることを学習者が捉えたためと考えられる。語り手がどのよ うな特徴を有しているのかを鑑みたうえでの解釈であり、語り手の主体を構築する姿と認 められる。解釈の内実では、「元気な二人」、「いつもの生活」、「しあわせ」など豆太とじ さまの関係性に焦点が注がれた。先行研究においては、終末の一文をおくびょうと勇気の 違いについて再読を迫る仕掛けとの指摘があった。しかし、語り手の視点を導入すること によって、それとは異なる新たな解釈が提出されることが明らかとなった。

次に、全体で考えを共有した後に記述した「学習の振り返り」について、始めの記述と の変容が見られた学習者を2名取り上げ、変容の内実を分析する。

【表5 実践1の学習者の記述の変容】

学習者 問いに対する記述 学習の振り返りの記述

Nt 最後に「じさまあ」とせっちんに起 豆太はじさまがいなかったら一人で一生を終えることになっ こしたとさと言えば、結局行けなか ていたからじさまがいてよかったと思いました。これまで学

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ったことが分かる。(かわいくて?) 習してきたことは問いや~豆太でした。じさまは豆太がいる から64才でもあんなに元気。豆太に元気をもらっている。

Ms 続きがないとじさまでおわっちゃう 豆太は、おとうもおかあもいないけど、じさまが、おとうと から豆太が主役じゃなくなる。(これ おかあの分まで豆太をかわいがってあげたり、いい子になる で終わると、じさまのしゃべる言葉 ように育ててあげるのが「すごいな」と思いました。もしわ が多くて、豆太のことでなく、じさ たしがモチモチの木に出ていたら、豆太のおとうもおかあも まのことになって豆太が関係なくな ばさまも助けてあげて豆太をもっと幸せにしたい。

る)

① Nt は始め、物語内容を視点に終末を意味づけていた。振り返りでは、豆太とじさま それぞれの視点から作品を解釈するようになっている。特にじさまへの言及が多くなって いる。②Msは始め、豆太が主役であることを主張するために終末があることを述べてい た。振り返りでは、「じさまが」と取り立てて記述している。また「もしわたしが……」

では、豆太にじさま以外家族がいないという物語の設定から一貫性を構築したうえで、豆 太を支えるじさまの視点に同化する読みを提出している。

以上で分析したように、「語り手との対話」を意図した学習では、語り手が心中を語る 豆太を視点とした解釈の他に、語り手が心中を推測して語るじさまを視点とした解釈も提 出された。さらに、自己を「なる読み」に回帰させる読みの様相も認められた。このよう に、対象人物であるじさまの主体を構築しようとする読みが見られたことから、物語世界 を深く解釈する読みが生成したと認められる。

6.2 作者を問う授業(実践2)の分析 6.2.1 量的分析

【表6 実践2の記述の視点】

記述の視点 豆太 じさま 物語 語り手 作者 読者 合計

値(%) 18(26%) 5(7%) 7(10%) 0(0%) 28(40%) 12(17%) 70(100%)

問いに対する記述の視点は、作者が 28 と最も多い。これは実践1と同様に問いが作者 を問うものであったことが影響していると考えられる。また、登場人物に対する視点は豆 太で18見られたが、じさまは5と少数であった。

さて、本実践の問いは、理論上では「想定される作者」を問うたものであった。しかし、

学習者にとっては「生身の作者」を想起していると考えられた。概念としての「想定され る作者」を捉えさせることについては今後検討が必要である。本稿では、学習者が捉えた

「作者」については、「想定される作者」として論を進めていくことをここで断っておく。

6.2.2 質的分析

【表7 実践2の問いに対する記述】

学習者 問いに対する記述 記述の視点

Ne そっちのほうが楽しく思えるから。(おもしろい)また「おくびょうになったの」とび 読者(2)、作 っくりできるから。作者は、「おくびょう豆太」の方が好きだから、最後のところに書 者(2)、豆太 いた。右場面と同じくらいおもしろくしたいから。

Em 物語ではだいたいの話が楽しい雰囲気で終わるのが多いし、最後に最初と同じような性 物語、作者 格に戻る話はないからおもしろいからつけた。

Ay なくてもいいと思ったけど書けばおもしろいし、その後の豆太の様子も書きたかったか 読者、豆太、

ら。豆太のかわいさをもっと出したかった?主役が豆太だから最後も書いた。 物語

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① Ne は読者の視点から「楽しく思える」「びっくりできる」と終末の三行の意図を捉 えている。「再読を迫る仕掛け」が機能していると言える。また、「作者は」や「面白くし たいから」からは、作者の意図を推論している。物語構造において対称的に配置される「想 定される読者」と「想定される作者」双方からの意味づけが見られる。

② Em は「物語ではだいたい」終末は「楽しい雰囲気」になるという物語スキーマを 用いて結末を評価している。一方、それとは対置する様相も認められる。「最後は変容す る」という既有の物語スキーマを破綻させ、「最後に最初と同じような性格にもどる」と いう新たなスキーマを獲得する姿である。ただし、それを「おもしろい」と評価している にとどまり、「性格がもどる」意味についての考察は不十分である。

③ Ayは、作者が書いた意図を「おもしろいし、その後の豆太の様子も書きたかったか ら」としている。また、「豆太のかわいさをもっと出したかった」からは、勇気をもった がしょうべんに行けない様子を「かわいい」と解釈し、意図を捉えている。「主役が豆太」

のように、視点人物の豆太の主体から終末の三行を意味づけていると言える。

以上 3 名の分析から、「作者を問う」問いでは、作者(読者)の立場から物語の構造を 指摘するものが多く見られた。物語世界を作者(読者)の立場から対象化して見つめ、終 末の表現について一貫性をもって意味づけようとする姿であった。一方、作者の立場まで 俯瞰することによって、登場人物への着目は霞んだものとなっている。仮に指摘があった ともしても、それは視点人物「豆太」を中心とするものであった。

次に、2名の学習者を取り上げ、考えの共有前後の記述の変容を捉える(表8)。

① Miは始め、作品の構造を視点に「おもしろい」と意味づけていた。振り返りでは、全 体場面で提出された「豆太のかわいさ」という読みに共感を示した。② Yaは始め、豆太 が臆病にもどってしまう構造を「オチ」として評価する視点や、豆太を主人公とする働き があると終末を意味づけていた。振り返りでは、じさまを視点とした読みを提出している。

「なる」読みへの回帰として豆太を心配する様子が見られるが、テクストの意味を構築す る要点駆動の読みとしては弱さがある。

【表8 実践2の学習者の記述の変容】

学習者 問いに対する記述 学習の振り返りの記述

Mi 最後の部分は豆太は臆病でなくなったけど、また 豆太はじさまのことがとても好き。じさまに甘え 臆病に戻ったことがあった方がいいと思ったから。る様子があると言う意見がすごくいいと思いまし 私が作者なら、ここがあった方がおもしろいと思 た。

う。

Ya そこを書いたほうがみんなが笑ったりするから、 臆病だと分かった。じさまが豆太のことをやさし あと豆太の様子を教えているのかなと思いました。くしていることがとてもよかった。ぼくは豆太の 豆太は主人公だから。 ことが心配。理由は将来、大人になってから、夜

トイレを一人で行けるかとっても心配です。

このように「作者との対話」を意図した学習では、物語作品の構造や想定される作者、

想定される読者といった物語世界の外縁からの意味づけが多く見られた。登場人物を視点 とする読みでは豆太を「主人公」とする読みが多く、じさまを視点とした読みはほとんど 見られなかった。また、共有を経た振り返りでは、視点人物への寄り添いが見られるよう になった。

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6.3 総合考察

2 実践を対照させてその差異を明らかにし、読みの発達における「語り手との対話」の 価値とその位置について考察する。

まず、量的分析では、語り手を問うことによって物語世界内の着目が促されること、作 者を問うことによって物語の構造や作者(読者)の視点から読みが促されることが明らか となった。特に小学 3 年次の学習者にとっては、「作者」が実体として捉えやすいことか ら反応が優位となったと考えられる。ここでは、「想定される作者」を問う授業者と、「生 身の作者」を想起する学習者の間に概念上のずれが生じた。これをどのように穴埋めして いくかは、今後の課題となる。

また、問いによって物語世界の対象化が物語世界の局内に向かうものと、局外へ向かう ものというように、指向が両極に振れることとなった。意図の推論では、作者を問う場合 は視点人物(豆太)に、語り手を問う場合は視点人物と対象人物(じさま)への着目がな された。いずれも語りの特徴を受けたものと考えられる。つまり、作者を問うた場合は語 り手によって焦点化された視点人物への言及がなされ、語り手を問うた場合は、対象人物 への着目もなされるということである。語り手を問う前提条件としては、語り手の態度や 動態の特徴を捉えることが挙げられる。語り手が視点人物をどのように見ているのか、対 象人物をどのように表現しているのかを踏まえることが必要である。

質的分析においては、解釈の内実の差異が明らかとなった。まず、語り手を問うことに よって、物語世界を語り手の視点に立って読み直す姿が認められた。この働きによって多 様な解釈が提出されたと言える。読者が語り手の主体を構築し、その主体から物語世界に ついて一貫性をもって推論していた。一方、作者を問うことによっては、物語世界をより 対象化した「みる」読みが促された。表現の意図を一般化、典型化に収める様相は、 読 者が「典型的」と考える自己の主体を通した意味づけと言える。これは、物語世界と作者

(読者の主体)が通行する営みで、その間にある語り手の主体が問われないものであった。

このように、語り手を問うことによって読みが深まったと言えることから、「語り手と の対話」の価値が認められた。しかし、語り手を問うことは、高次な学習であることを述 べた。よって、「語り手との対話」は、学習者に十分に概念化された「作者との対話」の 後に位置付けることが適切と考察できる。

7 結論

本研究では、読みの発達における「語り手との対話」の位相を究明しようとした。検討 によって明らかとなったことは次の通りである。

〇 読みの発達の研究では「語り手との対話」が「作者との対話」に吸収され、等閑視さ れていた。そこで、物語構造を基に「語り手との対話」の位置を措定し、意義を明らか にした。

〇 検証授業では、部分テクストについて語り手と作者の意図を問うた。語り手を問うた 場合は、語り手の主体を通しての物語世界の再構築がなされた。その解釈は多様なもの となった。一方、作者を問うた場合は、物語世界の対象化が作者にまで進み、物語世界 を一般化、典型化して意味づける様相が認められた。その解釈は読者の主体とも換言で きるもので主観的、固定的な傾向が見られた。

〇 問いに対する反応は、小学 3 年生の学習者が実体として捉えやすい「作者」を視点 とするものが最も多く見られた。発達段階を考慮すると、「作者との対話」に続いて「語

(11)

り手との対話」を想定した読みの発達の道筋を示すことができる。

さて、「語り手との対話」には、「語り手を問うこと」以外の学習活動も想定できる。今 後は、語り手を視点とした多様な学習活動を通して、語り手に親しみながら語り手概念を 獲得していくといった「語り手との対話」の段階性について検討していきたい。

文献

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183-214

永野賢(1986)『文章論総説』朝倉書店

橋本博孝(2001)「豆太の自立にむきあう」田中実・須貝千里編『文学の力×教材の力 小学校編3年』教育出版,99-113

福沢将樹(2015)『ナラトロジーの言語学―表現主体の多層性』ひつじ書房

松本修(1997)「文学教材の〈語り〉の分析について」『上越教育大学研究紀要』第17巻 第1号,147-158

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山中吾郎(2018)「豆太に見る相補的人間観―文芸教育の立場から「モチモチの木」を読 む」『日本文学』第67巻第3号 日本文学協会編,12-26

山元隆春・住田勝(1996)「文学作品に対する子どもの反応の発達―「おにたのぼうし」

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山元隆春(2005)『文学教育基礎論の構築―読者反応を核としたリテラシー実践に向けて』

渓水社

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