著者 長岡 宏
雑誌名 静岡大学教育学部研究報告. 人文・社会科学篇
巻 23
ページ 57‑67
発行年 1973‑03‑20
出版者 静岡大学教育学部
URL http://doi.org/10.14945/00007753
57
自然・空間・絵画
一時代と創造 其の4一
Nature・ Space・Painting−Period and Creat ion Vol.4一
(昭和47年ユD月U日)
長 岡 宏
Hiroshi NAGAOKA
7. イリュージョン(111usion)
近代の芸術概念は,ルネサンス(Renaissance)のそれからの歴史的生成の結果であるが,
成熟期の現代から創成期のルネサンスを類推することはアナタロ=ック (anachronic)な危 険を含む。近代の芸術概念いわゆるモダーン・アート(Modern Art)は,ルネサンス芸術か
らの徹底的な離反として成立する。こう考れば,ルネサンスの芸術は未だ純粋な芸術ではない かも知れない。しかしこの「純粋性」の追求という近代の理念は実際にはルネサンスの芸術に その根源を持つ。芸術が宗教や道徳から独立し,真に純粋な芸術になるのはルネサンスを動機 とするものであり,その徹底が近代芸術となるからである。近代芸術はルネサンスの結果であ る。しかもそれはルネサンスの芸術理念の否定,破壊,解消となり,そして抽象芸術となっ た。純粋化の当然の結果として絵画はtその極限状況に迄突き進んできたのである。各時代の 芸術は,あくまでその歴史性を基盤として把えられるぺきであって,これを一定の,例えば現 代の芸術概念でそのまS理解すべきではない。
ところで,この初期ルネサンスの中に筆者にとって真に興味ある問題が内在しているのを発 見するのであるe
絵画が視覚芸術でもあることは異論のないことだろう。言語によるコミュニケーション
(communication)に対して,視覚的コ コニケーションを一つの重要な意味を持つ絵画表 現は,人間の視覚的イメージ(image)の経験を,空間・形・色彩等の各領域の独自な働きに対 応して,視覚表現の伝統的諸形式に基づいて検討される必要性がある。それが筆者の視覚的空 間認識に興味をそNられる所以である。すでに我々は,トロンプ・ルイユ(trompe−16ei1),
シュールレアリズム(surrξalism)に於る錯視を持った。そして現代に於てはオプティカル・
(tr1) Cif2)
アート(optical art)を持つ。これはイリュ「ジョン(illusion)によって眩i惑される人閥の 眼の不確かさ,それ故に純粋に視覚的な事翼としての作品である。やSもすると我々は眼ほど 確実なものはないと思いがちである。「眼で確かめる」,「見なければわからない」等々。と
ころが実際は極めて醗されやすく,誤りやすく、まごつきやすいものである。従って入間の第
一印象というものは非常に誤りやすいものである。オプティカルアートはそれをよく知うてい
て,そうした誤りやすい入間の視覚に働きかけようとする新しい絵画の傾向なのである。この
オプティカルアートの源泉が,時代背景を異にはするが,故にその生成にも種々の膨大な内容
を包含するこのルネサンス絵画にあるのである。それはイリ;一 f里ンが提起する問題の出発
点としてである白「オプティカルということばは,現代美術においては特に知的作用に表現の
根拠をもつ抽象絵画に対して用いられている。これらの作品は,わかりのよい主題にまぎらわ
しい暗示を与えることなく特定の視覚的感1覚をすぐに引き起すようなパターンやイメージをみ る人に提供する。抽象派の画家がJ[F]いる表現は,最も強裂な網膜上の経験を与えるようなイメ ージの特微から引き山される。付随効果や有機形態は,彼惇が幾何学的明確さを好むために,
すぺて排除される。正確さと,明確な関係づけが,絵の構成を決定する。そのためには画而の 隅から隅にわたって,最大の磁覚的効果をみる人に与えるために,洗練と調節とが機械のよう な精嚇さで行なわれる。 (中略)従って,知覚にうったえる絵画は,しばしばみる人の視野い っぱいに拡がったり,画而のつくり出す環境のなかに.みる人を吸いこんでしまう程大きなも
(1)
のに1:る」。オプティカルアートのためのこの引用文は,現代美術としての必然性をその文中か ら除けばポ者の考えるノレネサンスの創成期にそのまxあてられる。 (図ユ.4.ユ0)
さて,絵画は二次元で芸術的な実在を しっかりと印象づけることを目的として いる芸術もである。それ故に画家は我々 すべてが無意識に行っていることを,意 識的に行わなければならない。つまり二 次元に於て彼の三次元を構築しなけれ ばならないのである。しかも彼はこの仕 事を丁度我々が実在を視覚的に認識する 均合と同じように,触覚値(tactile va−
(fl 3)
)ues)を網膜印象に与えることによって のみ果すことが出来る。従って彼の任務 1,フワ.アンジェリコ 刑告 1438_43 は.まず,触感をひき起すことである。
フレスコ フィレンツェサン・マノレ=修道院 なぜならば,我々が画中の人物を現実に 存在するものと認め,その印象を永続的に持続させるためには,その前に我々がその人物に触 れ得るという錯覚をもたなければならないからであり,またこの人物の種々の突起に対応して
2.マサッチォ 楽園迫放 1427 フレスコ フィレンツエ サンタ・
マリア・デル・カルミネ聖堂
変化する筋肉感覚の錯覚を白分の手や脂にもたなけれ ばならないからである。この点から,絵画芸術の本質 的なものの一一一つは,ともかくも触覚値についての我々 の意識を刺激することにあり,従って絵画は,我々の触 覚的想像に訴えるカの点で描かれた対象と少なくとも
同等の力をもたなければならないと云う ことになる。
(図2.3)「ほかならぬ無意識の時代に,我々は触覚 や,三次元を現実の試金石とすることを学ぶ。しかし 小児はまだ触覚と三次元との間の密接な関係を漠然と 感じているだけである。彼は鏡の背面に触ってみるま では.〈鏡の世界〉の非現実性について自分を納得さ せることはできない。しかし後になると我々の日が実 材を認識するたびごとに,実際には,網膜印象に触覚 値を与えつつあることが飽く迄も其実であるにも拘ら ず,我々は,かの触覚と三次元との関係を全く忘れて (2)
しまうのである」。視覚だけでは三次元についての正確
な感じを我々に与えないということはすでに心理学の
自然・空間・絵圃 59
確めたところである。我々の幼い時,即 ちこの現匁を我kが自覚する遙か以前に は筋肉の運動感覚によって助けられた触 覚が,対象と空間の双方における深さ,
即ち三次元というものを感じとるように 我々に教えてくれるのである。「認識可 能なイメージ,あるいは,ある表現スタ イルが伴う場合,錯視の役割は変ってく る。この場合,みる人の反応は,期待 や,過去の経験,又ある視覚的暗示をそ のまXうけ入れる生れつきの性向に依存 (3)
3.マンテーニャ死せるキリスト15世紀後半 する」。従ってみる人に特殊な一ルネサ カンパス ミラノ プレラ美術館 ンスの場合は自然な一視覚反応をおこさ せるために視覚芸術の分野ではいくつかの基本的な表現形態が使用されている。
この形態は美術家にとっては視覚言語としての役割を果し,又完成された美術作品に於ては 記憶されやすい着想の知覚モデル(mode1)として働くのである。この基本的なものとして ルネサンスは透視画法と明暗画法の表現形態を完成したのである。ルネサンスの冒頭マサッチ オによって創造された,あの自然空間の提示はまさにこのことなのである。 (図2.4)
4.マサッチォ 三位一体 1427 フレスコ フィ1ノンツェ
サンタ・マリア・ノヴェルラ聖堂
透視画法そのものは,古代に数学的光学的理論とし ては存在したとしても,三次元的存在を,二次元の 平面に於て絵画的に再現する組織的方法として実験 的に構成したのはあくまでこの初期ルネサンス芸術 の独創である。ちなみに透視画法の学習をすべての 画家に必須としたことはノレネサンスの芸術家の最も 顕著な特色でもある。この絵画的再現の方法を通し て極めて普遍的な惹義をもつ空間意識の自覚に導く のである。「パノフスキーは,独立した個々の存在 の集合が形成する空間一Aggregatraumに対して この空間をSystemraumとして区別したのは適切 である。これは古代の空間に対する,近代の空間意 識を予想している。このく体系空間〉の統一を成立 せしめるものは遠近法における対象を見える通りに (4)
再現することを意味する」。後述するが,ルネサン スの「自然の模倣」は,単に自然を受動的に模写する ことではなく,積極的に構成することなのである。
これはまさしく近代の世界像の基盤となるものであって,ルネサンスの芸術家は透視画法の確 立によって,これを絵画的に先取したというべきである。近代の原型なのである。それ故自然 の模倣というルネサンス絵画の理念は,自然の忠実な模写ではなく,自然に忠実な再現であ る。三次元的存在である自然を二次元の平面に忠実に模写することは実際には不可能である。
透視画法による再現はイリュージョンを利用するというよりは,誘発することによる再現に
他ならない。透視画法はイリュージョンによって二次元の画面に三次元を再現する方法として
主観の操作を木質的契機として含むのである。しかし透視画法は単に錯覚を誘発する技法に尽 qk[るものでは決してない。この本質的意味は,白然のミクロコズム (microcosm)として,
独立の絵画的空川を創造する組織的方法たることにある。
8.スペース(Space)
「白然を模倣すること」,「自然を師とすること」はルネサンス芸術家の最初から最後まで 一貫した指導理念で; tbったことは疑いない。ノレネサンス絵画の代表的理論家ともいうぺき,
アノレベノレティネィ (Albertinelli),レオナノレド (Leonardo)はもとよりミケランジェロ
(Michclangcl),ヅァザリ(Vasari)に至るまで,すぺての芸術家の変るところのなかっ た信条は,白然を研究し,観察し,把握し,再現することであった。単に制作の軌範であるだ けでなく批判の基準でもあった。問題はこの「自然の模倣」の意味と,それを再現する方法と にある。そこに当然,その生成と発展がある。これが同時にノレネサンスの絵画史の展開であり それの中心問題に他ならない。
まず「白然」の概念が,現代に於る「自然」とは少なからす異なる。絵画史上でも古代から この時代まで描かれてきたものは殆ど人物画や歴史画である。ノレネサンスに於て初めて自然的 瓜景が描かれ始めるのであり,しかも専ら背丑としてである。それ故,自然の摸倣が理念とさ れた場合,その自然は現代とは少々異なる,むしろ主として人問であり,特に肉体と衣装であ ったろう。しかる後に人間の周辺にある事物,その環境・背景としての風景に及ぶのである。
従ってノレネサンスでの自然は人川中心の自然であり,神に従属してきた中世の人間の独立であ り,人間・自己の解放・主張なのである。ゴシックにも現実主義の要素はあったが,それはい わば偶然的であり,副次的存在であるにとどまり基本法則とはならなかった。そうなるのはイ タリア・ルネサンスの世界に於てである。復興の言葉をもって呼ばれるのは,古代芸術が,新 しい理念での完全な実現であり,模範とされるぺきものと考えられたからに他ならない。
そして等しく人間的,芸術的でありながら,古典に於ては,自然の方が主体性をもち,人間 が受動的であるかのように見えるのに対し,ルネサンスは中世一千年の自己否定を経て,かか
5.ヒ゜エロ・デノレラ・フヲンチェスカ 型母子と聖者たち 15世紀後半 テンペラ ミラノ プレラ英術館
る自己否定えの反坑として生れてきたのである。そ の事は同時に美術は美そのものの追求であり,他の いかなる価値にも従属しないという新しい立場を築
くものでもあった。ノレネサンスは人間と世界の発見 であり,従って人間が神を見失う第一歩を踏みだし た時代であることは,美術の分野での実際は,その モティーフ(motif)として宗教を扱い,祭壇画
(図4.5.8)が隆盛を見たのであるが真の意味で の意図するものは,その作家の人間性の吐露なので あることによって事実である。さてイタリアの眼は 再び現実に見えるもの,自然を捉えるようになった。
画家たちは古代の先例をうけて線描による現実転
写の可能性を学んだ。その現実の「再征服」は,か
つてとまったく同じような道程を辿った。線に次い
でヴォリーム(volume)を研究した。明暗画法に
よって再び視覚が,触覚が,その周囲を廻ることが
口然・空間・絵画 61
出来るかと思われる程のヴォリームのヴィ、ちン(vision)を造り出すことができた。しかし 繊を浮働に表現するだけでは充分でなかった.それを補足するものとして形態が前後齢 の面に沿って配列することのできるよう酬行きのある拡がりを造ることが必要であった.彼
らのもたらした解決策は一つの架空の消失点にすべての平行線が集中する理想的網目模様であ る・かの透視画法である・かつてのギリシ・,・Aもそうであった如くイ」r vア人も又彼らの大き
鵠質である1蹴と理性の均衡ある結舗.その蹴画勘中に最曙美すべきみごと端果 を見咄した・「遠近法こそが外観に惑」・される1醜が確f討るものと, Z・来無限定控間に 統一的中心を課する纏的・数学的酬法則とに同時に支えらt・ているものではない乳と。
従って彼らにとって透祝画法蝉なる絵画技法であるばかりでなく, ・レネサγス人の構神が,
知的遊蹴離に藩全に楽しむことのできる優れた科学でもあった.この間の9PS犬醐とし て「クワト・チントの初め頃絵画の中にL・かにして新しい造形空間が生オエたか.そのこと を理解するためには実は創案の段階で,判然と区別される二つのものがあったことを考慮に入 れておく必要がある・一つは津知の物体ないし人体の発見であり,もう一つは既知醜実の 新しい解額ないし組織化の原理・方法の発見である. (中略)創案は,その適用が実現する状 態に達しなけれぱそれがもつ可有目性は発展しない.(中略)搬に{まカレネレスキともちろ んドナテルロにも負うところの透明な光の連続性とその処理可能な性質に対する発見とがあっ た。この発見は数世紀来追求されてきた一連の長い経験のすべてを基礎とし,さらに又前世 紀からプルネレスキえと受けつがれていた数学的知識の上に依存していた。にもかかわらずこ の発見は,議論の余地のないほど急激な変化の様相を示している。プルネVスキ及びウツチエ ルロ以前も.距雑が遠くなるにつれて大きさが滅少していく法則や収敏する線の体系は知られ ていた。けれども、そこから美学的理論を導き出すことはしなかった。幾何学的・数学的関係 が自然の中に散在しているものの間の架け橋となっていることも,光は他の物体と同じ意味で 計測可能な現実であることもわからなかった。そのことから当然,新しい科学のかなりの部分 は昔の鍋の上融存していたことカミ容雛立証で詩L新量、嘩 lrのあ樋の要素はエ2・−
14世紀の研究を利用していることもたやすく指摘できるのである」と云う文章が明解である.
この時代において,中世的恩弁を追求する学者達や芸術家集団によってなされた,物体ばか りか虚空をも計測可能にする発見t空間と物との合理的な同一性の発見,それらは計り知れな い帰結をもうていたのである。
一方,ヴァザリは自然をく芸術の母〉と呼びく芸術の父〉はデッサン(dessin)であると考
えた。このデ・7サンとは「造形芸術に於る実際の創作原理である。この原理は精神から発生
し,多くの物から普遍的精神的要素を取り出す。それはいわば各々の自然現象の原型或は原像
である。自然に於ては比例の意味は大である。ところで原型或はイデアは常に全体と部分と
の、一つの部分と他の部分及び全体との比例を明瞭に認識させる。この印象の下に芸術家の精
神の中に一定のく表象〉が形成される。そしてこれが創造的な手によって形を獲得する時正し
くこの表象をデッサンと呼ぶのである。従ってデッサンとはある精神的表象を見えるものとし
た表現,或はある創造的精神に於る,そして創造材料に於けるイデアの反映に外ならぬ」(名
匠伝より)。ここには感性的でありながら理性的なるものをもって,芸術固有の原理と見なそ
うとする考え方がうかがわれるのであるe我々はルネサンスも含めて芸術作品を理解しようと
する時,自然の摸倣に基づいて,又ときには天才の創造として扱おうとする。しかしこれだけ
では不足なのであり,芸術の成立には作家の自発的な表象性が関わらない自然再現の技術は無
意味だし精神的な天才の観念表出が直ちに芸術作品であるわけでもない。自然の再現と云うこ
とがあらゆる芸術1こは妥当しないことは勿論であるが,いわゆる自然主義的芸術について考え ても再現されるべき白然が規準としてあらかじめ外に与えられている労作は,たとえどのよう に驚くぺき技術が発抑されようとも,決して芸術作晶とは云えない。更に精密に眺めると,再 現の対象としての自然はいまだ…良象性とかかわらない材料と同じく,芸術意志の必然性と法則 性の立場から見れば,単にイ燃的酬沌に過ぎないのである。又芸術の制作は・一定の目的突 現を意図する労作であるが,この目的は単なる天才的な観念の如きものではなくて.表象的対 象に対する表象的体験の内から発掘されるべきものである。
かくして,この体験を内在させた革新者たちが新理念の実験.追求,具現えと波の如くおし よせるのである。
「イタリア絵画の初めにジョットが立っている。彼は美術に打ちとけてものを云わせた人で ある。彼が描くものは話しかけ又彼の物語絵は体験となる。事件はその核実に於て捉えられ,
又情景は必然性を]ξ8って周囲に全き感銘を与えながら,我々の目前に展開される。彼の本質は 絵画的表現のうちに即ち従来は図に於て何びとも与えることができなかった諸々の事物の可視 化のうちに㌶」.そして彼は現fAC・こ於る能弁なものを見る限を持ち絵画}ま恐らく,その表現 限界を一躍にして拡げたのである。いなそれ以後の絵画を創成する源泉を提示したのである。
フィレンツ1(Florece)の画家ジ;tット・デイ・ポンドーネ (Giotto di Bondone 1266?
_1337)は,ビザンティンの堅固な因製の呪縛を破り,その底を流れるヘレニズム(hellen−
ism) 的な手法を挽えて新しい世界に踏み込んだ。ジョットにおける師チマブエ(Cimabue)
の体験の深さは云うを待たないが,彼にして初めてゴシック(Gothic)の迫真的な彫像は絵画 の中に移されたのである。我々は彼の絵に,腕の短縮法,顔や首の肉付け,衣裳の流れるひだ の深い膨を見る。このようなものは一千年もの間,作り出されたことがなかった。ジョットは 平面上に奥行きの幻影を造り出す芸術を再発見したのである。奥行きの感じが出せるというこ とは,彼に絵画概念を変えさせた。現世の人間動作を徹底的に追求した事だろう。ジョット芸 術の到遼点は聖クローチェ寺(Sanヒa Croce)の壁画のうちにある。(図6)外観の明瞭化に 於て彼は,ここでそれ以前の諸々労作を越えてゆき,その豊かな量体の表現や洗練された空間 感覚,あるいは,すぺてが単純化された整然たる構成に,抽象的普遍性と現実性との一致を見 ることができる。これこそヨーロッパ芸術の本流を形成するもので,ジォットはその達成のた
辞」、・N
・.心.ピ
6.ジォット 聖フランチェスコの死 1320頃 フレスコ フィレンツェ サンタ・クローチエi醒堂
めの新たな規範を発見したと云える。
前述の如く,初期ルネッサンスの美術 は,大きく自然主義の中に性格づけるこ とが出来る。それは目ざめた自我の対象 として感覚に映ずるこの世界を,客観的 に所有するという態度に発していて,自 分の感覚の確実性に対する信頼から地上 世界を大極的に肯定するのである。イタ
リアノレネサンスが,ギリシヤ・ローマの
古典文化を導きとし範としたのも,歴史
的な条件ばかりでなく,こうした自然観
照に関する南欧的な共通性があったから
である。 自然はもはや前代のように先験
自然・空閥・絵画 63
的なく本質〉の敦徴を啓示する場ではない。自然は真実と同義語となりできうる限り正確なる 把握が要請される。この個物を個物として把彊する写実主義には経験に基づいた合理的判断つ まり科学的客観主義が伴って,空閥と量体との関係を人間の視点から論理的に設定しようとす る透祝画法のヴィジョンが生み出される。そしてこの人間中心のヴィジョンの発見とその喜び を求めて様々の知的な冒験が試みられるのである。
ジォットは幾多のことを成したが,マサッチt(Masaccio 1401−1428)は,彼にして初めて く現実の事物の摸倣〉に迄達したといわれ得る程に多くのことを絵画につけ加えたのである。
マサッチthの27才という短い生涯は,いわばルネサンスの絵画様式の創造のためにのみこの 世に遺された感をあたえるe即ち彼の作品は,対象の迫真的な描出,これを現突的に設定する 空閥構成,ヴァIv 一 lv(valeure)による大気透視画法,明暗で肉付けを施す量塊表現等の藩・
問題が有機的な統一を得て確固とした絵画世界を構成している。彼は前世紀以来の伝統が続い ていたゴシック様式になじまず一世紀前のジォットの造形的伝統に帰るとともにプルネレスキ
(Brune工leschi 1377−−1446)から透視画法の原理を,ドナテルロ(Donatello 1386−Z466)
から人体造形の理想を学んで空気と光と色による絵画自身の厳しい造形表現に堂々とルネサン ス絵画を創始した。壁画「三位一体」 (The Trinity) (図4)は,彼の主要作の一つで,い め
わゆる仰向法(Sotto irl sin)によって,古代ローマのアーチを思わせるような豪壮な建築構 造を,ちようど壁を貫いているかのように描き,そこに神なる者を左右均斉に知性的に配して静 寂そのものの世界を現出させている。一方フィレンツ=のカルミネ派教会(Santa Mariadel
Carmine)の礼拝堂は,この世紀全体の人々の驚敬を呼びそしてフィ1!ンツェ派画家のく美 術学校〉となったのは,ただにマサツチ.tが制作したその壁画のためであったpここで特に称 讃されたのは写実の進歩という点で,それは風景にも入物にも認められる。
中でも「楽閲追放」 (The Expulsion) (図2)の壁面は圧巻である。ここでは運動中の 人体を描出するVサツチォのデッサンカが決定的に証明される。縦憂で幅の狭い画面の型のた めにこの壁画では空Rff的環境描写を行なう余地は殆んどない。しかし「柔らかい雰囲気的な肉 付けや,又特に前進する天使の大担に短縮された形態は,開放的な無限空悶を十分に暗示す
くs)
る」。そしてアダムとエパの力強い表現は,一世紀後の巨匠に直結する程の革新的な写実の技 法を直観約に捕えたためノレネサンス絵画発展の其の意味の源泉となった。「ところで一つの実 体から成るく有機体〉はこれまた総合的な芸術作品であり,この作品のうちで趣々の芸術は相 互に結合して統一に達している。絵画に於ていまやはじめてく理想と現実,遠いものと近いも の,厳しさとやさしさ,嵩高な威厳と朗らかな遊びとが交わり合っている〉のと同様である。
そして又芸術と科学,造形美術と文芸とが結び合い,新しい解剖学,科学的遠近法,オー声一 c9)
についての説,〈イコノロギー〉の学といったものがく芸術〉に属することとなる」eこの一 節がマサツチォにいかに対応することか。
かくて透視画法の登場は、単に絵画技法上の新段階を示すのみでなく,人間の外界認識の新 しい時期を画したと云われるのである。事実,ユ5世紀も中葉から後半に移るにつれて透視画法 の研究は,次第に「現実世界の再現」ということよりも「知的秩序の追求」という側面を強く・
見せるようになる。ウッチ=IVnやvオナルドの透視画法研究は,ほとんど「絶対の探求」に 近い無償の情熱すら感じられる。そこには現実世界にはっきりと背を向けるようt Fなる「歪ん だ透視画法」の崩芽さえ見られるのである。i芸術家の何とアナクロニズムな貧欲さ一これがや がて現代に甦るあだが。そしてこのような理論的・知的研究がこの時代の芸術家たちをいかに 魅惑したかとb5ことはマサツチオに続く画家達の業績に明らかである。
,
パオロ・ウツナェノレs・1(Paolo Uccello]397−1475)は,いわば感情の命ずるまsに主観的に 描いた画家ではない。彼はあらかじめ決定された知的な計画に従って,意誠的に周到に描いた のである。「知性(あるいは知的な意想と呼ぶぺきであろうか)は決して芸術の完全な素材とは 考えられないし,主観的な美術家のラ{ミ組織の情緒でもあり得ない。詩と同様に絵画に於ても,
これらの意想なり情緒なり{よ,それが芸術作品である悠受性の完全な組織に向う出発点に過ぎ ない。その組織は意識的であるにしても,木能的であるにしても.我々の感受性の全領域つにな (1o)
がる能力をもった複雑な統一体なのである」。ウツチエノレロが寝食を忘れて透視画法の研究に熱 中した逸話は有名であるが,この画家がいかに彼の芸術の新しい可能性に魅了されていたかの 証しが「サン・ロマノの戦い」(Battle of San Roma−
no)(図7)の三部作ではっきりする。この絵は表面 的にはまったく現実性を越えて幻想的で,又この手 法故,非常に現代的だと悠じさせる。彼は正確な短縮 法で地上に倒れて横たわっている兵士や武具の様々 の断片を非常に苦心して表現している。このような 姿は未だかつて描かれたことがなかった。科学と幻 想の特異な結合を示すものであり,彼の狂信的な透 視画法の空間問題解決えの熱情が伝ってくる。
フラ・アンジェリコ(Fra Angelico 1387−1455)
(図1)は,マサッチォの新しい手法を主として宗教 芸術の伝統的な理念を表わすために適用した。しか し彼の最初の画は廿情的感情と.明るい色彩とに於 てシエナ派の14世紀芸術家達の作風に通じるが彼は この遺産をすてなかった。新様式が至るところに浸 7ウツチエルロ サン・ロマーノの戦い
1455−60 板 透した時には彼も空間の表現,構図や人物の着想さ ロンドンナシ:1ナノレ ギヤラリー らに色彩に於てもそれに従ったが,彼にとって自己
の芸術の資質は,芸術上の自然認識や自然表現にも増して重要であり,この資質たるところの 自身から発露した宗教的情操に生涯忠突であった。
ドメニコ・ヅェネツィアーノ (Dome nico Venezianoユ400−−1461)の祭壇画
「聖母子と聖者たち」 (MadOlma and Child witll Four Saints)(図8)は,
述築的摺成によって空間関係の透視画法 を捕え,その空間の中に人物1象を合理的 に配置している。回廊と壁寵との閥の上 部の空間から外光が画面の中に斜めに差 し込み,その反射が画面の隅々に迄浸透 している。こうした空間や光の取扱い,
明るく快い色彩又人物のポーズ(pose)
のしっかりした造形的効果や顔面の個性
繊齢ずれもいかに彼がマサ。チォは 8撫諸イアーフンペ警母子と賭たち
じめウ。チェノレ。やフラ.アンジェリコ フ・レンツェウフ・ツ模術館
自 然・空 間・絵.回 65
やあるいはドナテルロの彫刻迄も研究したかを証明する一!,b)t・ある。 : 1・ 一 次に・ウ:・リ ッボ・リ・ピ(FilipP・Lippi 1406−1465){X「いわぽ神のプミきな愛{こあま
えて嶽悩のまxに㌘廷ま、h;世イ剛麟緒を流蹴線に託し,題による現世的嫡浩義を打ち 立てた.と」じ〜う ご齢耀る」 詑ツテ・美術鯨(1pitti)の「聖母子円形削(M。d。nna and chi|d) (図g)は,主題と優美で生気ある挿話の 結合,夕様な装飾モチ 一フ(motif),透視画法的 建築構成,背丑の人物たちの衣裳め繧細なリズ2、(
「hythni ),そして1鴎子の」.[n上lfi, 」な心の状態の表れ
・ t ,
故に彼の芸術の特色を よく伝えてtL xるが, Cのよう に聖伝説の場面を日常主活の断面として風俗画的に 表わすことはむしろマサッチ庁を端緒として芸術は かってのような信仰の対項から観賞の対強え;と徴妙 に変化し:ζ詰わけであり・・これ4対応抱のが芸 術の独立の過程である。芸術は今や数鍍の京縛から 脱して芸術個有の要素で構成され作品は画家の力2;}
の見せ場となり,個性的なく自画像〉となる。
そして・,アンIS Yフ]・デル・カスターニゴ(An−
drea del Castagnoユ423一二1457)。彼はフイレン ツ
9三駕剖卵酬罐㌻:鷲勤㌶墓㍑竃㌶:;
造形性を追求する態度が,後代の造形意識に共鳴と信頼をよんだからである。
この「最後の晩饗」 (The Last SuPper) (図10)は透視画法と明暗法の手本の如きしか も写宍そのものの画面である。余りに厳しく冷い。 『 一 フィレンツェの北方や南方の諸都市の
芸術家達も,〔サッチ,ナ等の恩想を吸収 し恐らく,フィレンッニの人々自身より
.もさらにそれを利用するのに熱心であっ た。先づアンドレア・マンテイニヤ(An drea Mantegna l431−1506)がいた。
彼は・マサヅチオがやらずに残しておいた 所から出発した。彼の人物像はマサツチ オのそれと同じように彫刻的で迫力があ る。彼も又透規画法という新技法を熱心 に用いながら描く人物が,ずっしりと手
ごたえのある実体として泣ったり迦・1。ヵスター二。賑嚇鍵1445_5。
たりして見える舞台を作り出すのに利用 ..フYスコ フィレンツエ旧アポローニア修道院 している。彼は画面に表わされた,この隠閥の重大な意義とエピソード(episodo)のなりゆ きを伝えるために熟練した舞台監督がするように人物を配置している。我々は何が起りつつあ るかを見ることが:できる6∵晩年のrF死せる・キ,リ:スl U L(TheDead Clirist).(図3)は,「冷 徹な写実と知的な想{象力とが交錯して,∴霊魂や心情が物質そのものと化し,物質の形而上学と (12)
でも呼べそうな森厳な1世界を実現」i Uでいる6; ツ1ヅト・・1イシー・二;ズウは彼によう:て高度に形式化
されたが,ここではキリストのイメージをこわさないためその像の傾角による短縮があるのみ で,距離による短縮はほとんど現わしていない。心にくい迄の造形空朋の創造,我凌は正にイ
リュー一ジuン世界の展開に騙されるばかりである。
もr), Y 人の偉大な画!家ピエロ・デルラ・フランチェスカ(Piero della Francesca ユ416一 ユ492)は,フィレンツェ南郊で制作にはげんでいた。彼も又透視画法の技術を完全に手中に納 めており短縮法の利周で}よ戸惑いを党えるほどである。しかも彼は空閥の暗示に重要な新機軸 を一つ付け加えたそれは光の利用である。マサツチオはこの点でも先駆者であったが,ピエロ ほど明確に,この手段のもつ計り知れない新しい可能性を理解したものはなかった。「聖母子 と型者たち」(Madonna and Child with Saints)(図5)は彼の傑作である。彼の絵では,
光はただ人物の肉付けを助けるのではなく,透規画法と同じく空間感を生み出すという点でも 頂要であった。彼がその本質を認識されたのは近代になってからであるが、そのデリケイト(
delicate)な質は仲・々モタ 一ンである。
これらの又その仙の芸術家遼が偉大な時代の名にふさわしいフィレンツ=の巨匠の考案を自 分の制作に適用していたその時,一方,当のフィVンツ=の芸術家達は,これらの発見・発明 によって生じた新たな雑問に次第に気付ぎ始めていた。最初彼等は透視画法と自然の研究によ oて,芸術上のすべての困難は解決されると考えたかも知れない。しかし芸術は,科学とは根 本的に述うものである。芸術家の手法,彼の技術的な考案というものは進歩し得るが、芸術そ のものは,科学が進歩するというような仕方で発展するとは云えない。一つの方向に於る発見 はtどこか他の所で新たな困難を生んでいる。この難関えの解決に努力したユ5世紀後期のフィ レンツェの芸術家達の中にサンドロ・ポッティチェノレリ(Sandro Botticelli)Jカsいたe
注
{1}opしical art……ln覚的選術。祖覚ll(1イリュジョン在与えてT眼にちらちらするような絃惑を起させる傾 向の作品を指して使われる。ウィリアム・サイツによる「応笹する眼」展(1965)以来クローズ・アップ されたが,様式というより多分に技術的側而が強いe情念や心理という介在物を排して.純粋に視覚的な 口段としての作品という傾向の強調である。ヴァザルリ,アルパース.ライリー簿の作家,
{2}illusionism・・…・逓祖剛法や短縮法のごとき絵画技法を使って,描かれたものを真実のものと見ちかえ るように,眼をあざむく巧妙なやり方,この技巧の行われた主な時期は古典古代後;9],及びイタリァ・パ Ptックで,実在の感じを強めるために彫刻,甦築にも共通する手段として用いられた。
{3)taetile values……触党値。触知出来そうな錯覚。この造語者B.べvンソンは.手に鰍れることが出 来るという強い態じを起させるような方法で,二次元の表面に三次元の物体を遅現することは「人生を楽 しくする」ことだと述ぺている。
{4)quattrocento (伊)……4eoの意。15世紀即ち1400年代のこと。ポッティチヱルリやリッピの如き芸術 秀{に見られる動摺がちで,神経質な様式を遅すのに用いられることもあるが,これは彼らの作品を・マニ エリスムの151匡紀に於ける先駆とみなすからである。
㈲sotto in sU(伊)……短縮法をうまく使って,天井に描かれた倣が観る者の頭上の空間に実際浮んでい るかのように見せる。極端に幻覚をもよおさす透視削法に用いられる用語。マyテーニヤに於て.はじめ てその高度な形式が見られコ1ノッジロ等(ローマ・ノくロック)によって用いられた。
引用文献
{1) mナルド・G・カラハL「OPTICALILLUSIONS AND THE VISUAL ARTS」P37 1970
【2}、B・ベレンソン「ルネッサンス、のイタリア画家」P62 1961
〔3} ロナノレド・G・カラハー「OPTICAL ILLUSIONS AND THE VISUAL ARTS」Pi1 1970
自然・空間・絵画 67
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抽
下村斑太郎「ルネッサンスの芸術家」P290ユ969 ルネ・ユイグ「見えるものとの対話1」P2491967
ピエール・フランカステノレ「絵画1と社会」Pl7 1968 ヴェルフリン 「古典美術」P211969
H・W・ジャンソン「藁術の歴史」P3241964 ハンス・ゼードルマイヤー「中心の喪失jP2B51965 ハーバード・リード「芸術の意昧」P91 1972 佐k木英也 「ルネサンス絵画」P1021964 同上 P1061964
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