• 検索結果がありません。

中央学術研究所紀要 第39号 002眞田芳憲「法華経と死刑制度」

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "中央学術研究所紀要 第39号 002眞田芳憲「法華経と死刑制度」"

Copied!
49
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

法華経と死刑制度

匡 少 L具冷

室忠 田 は じ め に − わ が 国 に お け る 死 刑 制 度 と 仏 教 者 の 責 任 1 死 刑 制 度 に 関 す る 世 論 調 査 と 死 刑 の 容 認 2 死 刑 廃 止 に 向 か う 世 界 の 潮 流 と 孤 島 化 す る 日 本 3 死 刑 制 度 と 被 害 者 の 遺 族 の 報 復 感 情 4 死 刑 容 認 の 世 論 と 仏 教 者 の 責 任 5ある死刑囚の「最後の祈り」と仏教者の使命 二 わ が 国 の 死 刑 制 度 1 死 刑 が 適 用 さ れ る 犯 罪 2 死 刑 の 確 定 と 執 行 3 死 刑 囚 の 処 遇 4 国 家 権 力 に よ る 死 刑 と い う 殺 人 三 仏 伝 に 見 る 提 婆 達 多 の 罪 と 罰 l仏伝に見る提婆達多と法華経 2 提 婆 達 多 と 釈 尊 3 提 婆 達 多 伝 の 教 え る も の 四 法 華 経 の 一 仏 乗 の 世 界 と 共 生 1 仏 の 本 願 と 一 仏 乗 2 仏 性 と 五 逆 の 重 罪 3 − 仏 乗 と 怨 親 平 等 五 仏 性 礼 拝 と 死 刑 l 凶 悪 犯 罪 者 と 仏 性 2 衣 裏 繋 珠 の 書 え の 意 味 す る も の 31裁悔と仏性開顕 4 死 刑 囚 の 仏 性 開 顕 を 絶 つ も の 六 縁 起 の 世 界 と 死 刑 囚 l「自分」ということ 2 不 共 業 と 共 業 の 交 差 す る 中 で 3「仏種は縁によって起る」 4 犯 罪 者 の 罪 の 意 識 と 仏 性 開 顕 5 犯 罪 者 の 仏 性 開 顕 と 自 立 更 生 6 死 刑 囚 の 仏 性 開 顕 と 宗 教 教 誼 七 永 遠 の 大 生 命 と 怨 親 平 等 1 犯 罪 被 害 者 の 救 わ れ と 癒 し 2 五 穂 仮 和 合 の 自 我 と し て の 個 人 3 宇 宙 の 大 生 命 と 個 人 の い の ち 八 仏 の 誓 願 と 私 た ち の 使 命 2

(2)

法華経と死刑制度 は じ め に 2010年8月27日午前10時6分∼24分の問、東京拘置所(東京都葛飾区)の死刑執行 の刑場が報道機関に公開された。この刑場公開は、裁判員制度が発足し、「裁判員とし て市民が死刑判決にかかわる前に、十分な情報公開が必要だ」という千葉景子法相の 考えに基づいて行なわれたものであった。そして、その当日、千葉法相は法務省で記 者会見し、「死刑制度についての国民的議論の材料になると考えている」などと、改め て語った(朝日新聞2010年8月28日)。 20世紀は、戦争の世紀であった。殺裁と破壊、暴力と略奪、憎悪と怨恨の歴史であ った。20世紀を生きた私たちは、来るべき21世紀がいのちを尊ぶ「共生の世紀」であ ることを祈り、願った。世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会が1995年から1999 年にかけての5年間、「共生の世界を求めて」をテーマに開催した「サミット21シンポ ジウム」は、まさしく来るべき「共生」の時代を先取りするものであった((助世界宗 教者平和会議日本委員会編「日本の叡知は語る-21世紀の日本像』)。 言うまでもなく、いのちを尊ぶ「共生社会」を願いつつも、人を殺した者を国家の 名の下に殺す死刑という刑罰が持つ意味は何か。これは、千葉法相の言葉を待つまで もなく、国民すべてに共通する課題である。とりわけ、宗教者にとって本質的かつ固 有の問題であり、自らの信仰から避けて通れない、まさしく信仰者の実存的課題であ る。それだけに、宗教者は自己の信ずる宗教信条に基づいてこの課題に相対時し、そ れを超克し、「共に生きる」道への歩みを続けていく使命を負うているはずである。私 もそれを願い、ささやかながらもその道を歩んでいる者の一人である。 私は、仏教学者でも、いわんや法華教学を学んだ仏教の専門家でもない。私は、仏 教、特に法華経の信仰に生きる一法学者でしかない。したがって、仏教学の観点から、 仏教が、そして法華経が罪や罰、そして死刑というものをどのように見ているのか− 一介の法学者でしかない私に、こうした仏教の根本的な大問題を論ずる資格も能力も ないことは言うまでもない。 しかし、それにもかかわらず、法華経の信仰を持ち、世法と仏法の狭間の中で、い かに学問し、いかに生きるかを模索してきた私にとって、この課題は避けて通れない、 まさしく私自身の実存的問題であったし、今後ともそうであり続けるであろう。 本稿は、法華経の信仰に生きる一法学者として、死刑制度の持つ意味を問い直し、 宗教界の宗教指導者や一般信徒の方がたはもとより、この課題に関心を持つすべての 国民の方がたに問題を提起し、「共生の時代」に生きる者として「共に生きる」ことの 意味を考えてみることを目的とするものである。 重ねて付言するが、私は仏教学の専門家ではない。その信ずる法華経の信仰も、道 心あれど、いまだ道半ば、まことに「足らざる者」である。その私が殺人という罪、 3

(3)

一!,'…斗

死刑という罰、罪と罰の裁きといった仏教の根本的な大問題に手を染めること自体、 増上慢愚のそしりを免れ得ないかもしれない。それにもかかわらず、私があえてこれ に手を染めたのは、死刑制度が社会的問題として人びとの耳目を集めている今日、死 刑制度の持つ意味を法華経の信仰に生きる私自身の実存的な問題として私自身に問い かけ、そしてその問いを多くの方がたと共有し、ご教示をいただきたいと願ったから にほかならない。

− わ が 国 に お け る 死 刑 制 度 と 仏 教 者 の 責 任

1 死 刑 制 度 に 関 す る 世 論 調 査 と 死 刑 の 容 認 2010年2月6日、内閣府は死刑制度に関する世論調査の結果を発表した。2月7日 の新聞各紙の朝刊もこの内閣府の世論調査結果を報道している。毎日新聞を例にとれ ば、「死刑容認85%過去最高一『被害感情おさまらぬ』増加」という見出しが付さ れ、「死刑を容認する回答は85.6%と過去最高に上り、廃止論は5.7%にとどまった。被 害者・家族の気持ちがおさまらないとの理由が前回調査より増えており、被害感情を 考慮した厳罰論が高まっていることが背景にあるとみられる」と報じている。 内閣府の死刑制度に関する世論調査は、死刑制度について「どんな場合でも死刑は 廃止すべきだ」(廃止)、「場合によっては死刑もやむを得ない」(容認)、「わからない. 一概に言えない」の3項目を選択肢として行なわれた。 死刑制度に関する世論調査は、1956年に始まり、今回で9回目ということになる。 この世論調査における死刑容認の回答は、調査ごとに年々増加傾向をたどっている。 先に挙げた毎日新聞の記事には、1956年から2009年までの「死刑制度の賛否」につい ての世論の動向が図で示されているので、これを参考にして見てみよう。 図 1 死 刑 制 度 の 賛 否 鐘:評噌『璽鷺'響 どんな場合でも廃止すべきだ’場合によってはやむを得な可Iわからない 、 寧畷識 で識ごど巽雪ji戸熱噛織輝… 一鶏一一…へ……蕊寧播$、 |‘ , , , 蝉 齢 、 胤 寺 『 2009 2004 I I 再乳塞 ︾需へま 蕊噸‘::、総騨_&*‘: 19991韓ぷ’ I ‐”1 1994 -篭裳曇 廃 止 に 賛 成 ’ 廃 止 に 反 対 ノ ノ 丙 7 ; , … 看 ; 耀撰 鍵 蝋 , 、 溌灘瀞lfW31灘慰 1989 1980 1975 1967 1956 (年) 鍵鍵;ii『r:瀞愈 1 0(%) 烈日 # ボ ミ 蕊 溌 慰 廷 ニ ー n 塁 = 灘 鱗 4 60 100 40 呂狙

(4)

法華経と死刑制度 今回の調査について見ると、容認について前回の2004年の調査結果を4.2ポイントを 上回り、逆に廃止については0.3ポイントの減少となっている。いずれにせよ、このよ うに、ここ五十余年間におけるわが国の死刑制度に対する国民感情は厳罰論に終始し、 そして今日、その傾向をますます強めていることがわかるであろう。 ところで、死刑容認の理由(複数回答)としては、「死刑を廃止すれば被害を受けた 人や家族の気持ちがおさまらない」が54.1%で、前回比3.4ポイントの増となっている。 「命をもって償うべきだ」が53.2%、「死刑を廃止すれば凶悪犯罪が増える」が51.5%で それぞれ微減であった。一方、廃止の理由(複数回答)としては、「生きて償ったほう が良い」が55.9%、「裁判で誤りがあった時に取り返しがつかない」が43.2%、「国家で あっても人を殺すことは許されない」が42.3%となっている。 2 死 刑 廃 止 に 向 か う 世 界 の 潮 流 と 孤 島 化 す る 日 本 日本では、以上の世論調査からも明らかなように、今日、死刑容認論が圧倒的に強 く、死刑存置の意見が支配的とも言える状況にある。しかし、世界的に見ると、日本 の実情は死刑廃止に向かう世界の潮流に抗して逆流しているように思えてならない。 国際世界において、明確に死刑は廃止されるべきものと定めた「国際人権(自由権) 規約の第二追加議定書」(1991年発効)には、死刑の廃止が次のように明確に躯われて いる。 「この議定書の締約国は、死刑の廃止が、人間の尊厳の向上と人権の漸進的発展に寄 与することを確信し、…(中略)…死刑廃止のすべての措置が、生命に対する権利の 享受における進歩とみなされるべきことを確信し、ここに、死刑を廃止する国際的約 束を行なうことを希望して、次のとおり協定した。 第1条『死刑の廃止」 1何人も、この選択議定書の締約国の管轄内にある者は、死刑を執行されない。 2各締約国は、自国の管轄内において死刑を廃止するためのあらゆる必要な措置 を取らなければならない。」 さらに、1985年のヨーロッパ人権条約の第六議定書にも死刑廃止が明確に規定され た。1997年、ヨーロッパでは、欧州審議会が「死刑のないヨーロッパ」を実現し、そ の新規加盟には死刑廃止を条件とするという原則が打ち出されている。 現在、世界196カ国のうち、あらゆる犯罪に対して死刑を廃止している国が94カ国、 通常の犯罪に対してのみ死刑を廃止している国が10カ国、事実上の死刑廃止国が35カ 国、いまや世界では、法律上、事実上の死刑廃止国の合計が140カ国、存置国が57カ国 ということになっている。実に世界の3分の2を超える国が、法律上、または事実上、 死刑を廃止しているのである。 現在、死刑を存置しているのは、日本、アメリカ、中国、インド、パキスタン、北 5

(5)

朝鮮くらいで、そのアメリカですら、3割の15州とワシントンDCでは死刑は禁じら れており、しかも死刑存置の州でも死刑判決の件数は、2009年現在、1990年代後半の 3分の1に激減している。 国連総会は、2007年、2008年に死刑執行の一時停止などを求める決議案を賛成多数 で採択した。ところが、日本では、こうした世界の趨勢に逆行して、死刑の執行数が 増加しているのが実情である。事実、2009年10月、国際人権団体「アムネステイ・イ ンターナショナル」の報告書『日本の死刑と精神医療』の中で、日本は、パキスタン と並んでアジアで死刑執行を増やしている2国のうちの一つだと非難されている。 3 死 刑 制 度 と 被 害 者 の 遺 族 の 報 復 感 情 いまや世界では、死刑廃止の潮流が大きなうねりとなって世界世論を形成している。 そうした世界の潮流の中で、日本はこれに逆行し、国際的な孤立をますます深めよう としている。 しかし、このように国際的孤立を深めてまでも、死刑を存続させているのは何か。 その理由として、これまで「国内世論の高い支持」ということが挙げられていた。そ して、わが国の世論が死刑制度を支持する理由として、世論調査の結果に従えば、第 1に被害者と遺族の感情、第2に生命は生命をもって償うべきだという復讐感情、第 3に凶悪犯罪の抑止効果が挙げられている。 ところで、死刑制度の存廃については、さまざまな意見がある。これらの意見の論 点をまとめれば、おおよそ次のようになるであろう。 まず、存置論から見てみることにする。 ①凶悪犯罪に対してその放置を許さないとする国民の規範感情がある。 ②被害者・遺族の感情を晴らし、復讐感情を満たす。 ③凶悪犯罪を死刑にすることによって凶悪犯罪を抑止する一般的予防効果がある。 ④凶悪犯の危険から社会を守るという社会防衛の効果がある。 ついで、廃止論の論点も見ておくことにしよう。 ①死刑はいのちの尊厳に違反し、残酷で、非人道的である。 ②死刑をもってしても、凶悪犯を抑止する威嚇力はない。 ③菟罪・誤判の場合、死刑執行は取り返しがつかないことになる。 ④国家法上の制度として死刑を認めることは、国家が殺人を禁じていることと矛盾す る。 ⑤死刑は、無期懲役または仮釈放のない終身刑で代替し得る。これによって犯罪者に 対して、被害者に対する真の償いと、真の心の癒しの機会を与え、それと同時に犯 罪者本人の人間性回復の機会を与える。 わが国の世論に見られる死刑制度存置論の三つの理由のうち①と②は、これを一つ 6

(6)

j1C 法華経と死刑制度 にまとめて、「被害者・遺族の感情を晴らし、復讐感情を満たす」という文言に一本化 することができよう。また、③と④を一本化して、「凶悪犯罪の抑止と社会防衛効果」 と整理すると、この二つが存置論の主要な理由ということになる。前者は、被害者や 遺族の感情を基点にすえた主観的理由であるが、後者は、社会防衛と犯罪の抑止効果 という客観的理由となることになる。 前者について論ずる前に、後者の合理的正当性の有無について検討しておくことに しよう。米国は伝統的に死刑制度が根強い国ではあるが、すでに述べたように、近時、 死刑判決の件数は急減している。立法事情を見ても、2007年12月17日、ニュージャー ジー州で死刑を廃止する法律が成立した。この死刑廃止法は、州政府が設けた特別調 査委員会が「死刑制度による犯罪の抑止は確認できない」との結論を出した結果であ ったと報じられている(朝日新聞(夕刊)2007年12月19日)。 他方、わが国では、新聞やテレビなどのマスメディアの報道を見聞する限り、殺人 を含む凶悪事件が頻発しているような印象を与えている。しかし、『犯罪白書』の統計 を見れば、それは錯覚でしかないことが直ちに明らかになる。統計によれば、2007年 の殺人(殺人、自殺関与・同意殺人およびそれらの予備・未遂を含む)の認知件数は、 1199人であり、人口10万人当たりでみれば、その発生率は0.01%にすぎない。しかも、 図2からも明らかであるように、わが国の殺人の認知件数・発生率は、戦時中を除き、 戦後はほぼ一貫して減少し続けている。犯罪学者の説くところによれば、殺人に関す る統計がある国で、殺人率が減少し続けた国は他に例がないと言われている。 図 2 わ が 国 の 殺 人 の 認 知 件 数 ・ 発 生 率 の 推 移

000000000000000

5050505

332211

− − 4 . 5 年 2006 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 2 3 3 3 4 4 5 5 5 6 6 7 7 7 8 6 0 4 8 2 6 0 4 8 2 8 0 4 8 2 警察庁の統計、法務省の統計、総務省統計局の人口統計資料より作成 殺人は殺人、自殺関与・同意殺人およびそれらの予備・未遂の合計 7 2002

5555

433221100

1998 1994 また、次頁の表1は、主要5カ国の殺人の認知件数・発生率を比べたものである。 12 注注 1986 1990

(7)

3333315409

88898 〆ハリー’﹃﹄F丙︺ハノ︺、︺八ⅢU向くリハノ今n″空向汽︺ 表 1 殺 人 各 国 に お け る 認 知 件 数 ・ 発 生 率 ・ 検 挙 率 の 推 移 (2003年 2007年) 3.] フ ラ ン ス I ド イ ツ 2.541 2173 2.480 2.097 1.508 2.107 2.396 1.458 1.361 1.937 2.468 1.866 2.347 95.5 96.8 3.() 2.9 3.0 2.9 95.6 96.1 95.8

3Dl‘,

殺人の定義は、各国で異なり、単純に比較することはできないが、日本の認知件数と 発生率はいずれも他の国より低い数字となっている。つまり、日本は、他の国に比べ 殺人が少ない安全な国であり、しかもその件数が年々減少し続けている希有な国とい うことになる。 こうした統計を見る限り、わが国の社会で凶悪犯罪が増加しているという状況は読 みとれないのであって、社会がますます不安と危険性の高い社会となっているという 見解は大きな錯覚だということになる。 そうすると、わが国において死刑制度の存置を主張する主たる根拠は、専ら被害者・ 遺族の報復感情を重視しているところにある。死刑廃止に向かう世界の潮流の中で、 わが国は、「被害者・遺族の報復感情」を理由として死刑をかたくなに存置させてい る。その意味では、わが国の国民は、「目には目を、歯には歯を」という復讐の報復感 情の強い人びとだということになるであろう。 一般に、「死刑廃止は、文明の尺度」と呼ばれている。その文脈で言えば、死刑を頑 強に存置させているわが国は「非文明国」ということになる。しかし、私たちはこの 非難を甘受しなければならないのであろうか。 4 死 刑 容 認 の 世 論 と 仏 教 者 の 責 任 実 際 に 、 生 命 を 奪 わ れ た 被 害 者 は も と よ り 、 そ の 被 害 者 の 遺 族 は な ん の 非 も な い 、 な ん の 罪 も な い 一 市 民 で あ る は ず で あ る 。 彼 ら の 精 神 的 ・ 経 済 的 、 そ の 他 諸 々 の 生 活 上 の 苦 し み 、 悲 し み 、 怨 み 、 怒 り 、 そ う し た 悲 嘆 や 怨 怒 か ら 湧 き 上 が る 抑 え 難 い 報 復 8 96.6 96.1 95’8 95.5 96.8 フ ラ ン ス 〈 ず , ・ ド イ ツ 2 , 1 7 3 2 , 5 4 1 2 , 0 9 7 2 , 4 8 0 2 , 1 0 7 2 . 3 9 6 1 , 9 3 7 2 . 4 6 8 1 , 8 6 6 2 , 3 4 7 3 . 6 3 . 1 3 . 5 3 . 0 3 . 5 2 . 9 3 . 2 3 . 0 81,0 85,3 84.2 90.2 89.8 霞 謹 区 分 . 1 . 日 本 ①認知件数 2003年 2004 2005 2006 2007 ②発生率 2003年 2004 2005 2006 2007 ③検挙率 2003年 2004 2005 2006 2007 53 鯉...:;。:34666 ■■■■曲 ■■■ 1 懸 英 ’ 国 騨 購 米 国 』 1.737‘.16.528 1 . 6 0 8 1 6 . ユ 4 8 1.686‘16.740 1.39217.030 1,405.‘16.929 静 . 3 5 . 7 3 . 0 % 5 . 5 3 . 2 5 . 6 2 . 6 5 . 7 2 . 6 5 . 6 7 9 . 8 ! 6 2 . 4 821I62.6 6 4 . 8 ’ 6 2 . : 807160.7 8 0 . 6 ; 6 1 . 2

(8)

法華経と死刑制度 感情は、どのようにしてこれを癒すことができるのであろうか。最愛の夫、最愛の妻、 あるいは最愛の親、最愛の子供の生命を奪われた遺族は、その尊い生命を奪った加害 者に対して、「生命には生命をもって償え」という願望を持つのは、人間の情としては 当然であろう。 しかし、愛が深ければ深いほど憎しみの可能性が大きくなることは、私たちが日常 生活の中ではしばしば経験することである。愛と憎しみの関係は、いわば身体と影の 関係に似ている。仏教の教えによれば、自己・親子・血族・親族といった特定の人に 対する「愛」は、迷いや苦しみを生み出す煩悩、貧欲、渇愛にして、盲目的な衝動に ほかならず、これこそが「苦」の原因であると説くのである。 いわゆる「俄悔経」と称されている『悌説観普賢菩薩行法経』に、次の経文がある。 し き な ん じ ま な こ や ぶ お ん な い や つ こ ゆ え し き な ん じ か い き よ う り や く こ へ い 「色汝が眼を壊って恩愛の奴となる。故に色汝をして三界を経歴せしむ。此の弊 し も つ も う み と こ ろ 使を篇て盲Iこして見る所なし。」 この経文の意味するところは、開祖日敬一乗大師の解釈によれば 「−現象にまどわされて、真実を見る眼がくらまされていたのだ。そのため、た だもう、表面の恩愛にとらわれてしまっていた。いつも目の前に起こる現象にふ りまわされ、三界をグルグルさまよっていたのだ。こうして煩悩に追い使われて 心が疲れきっているために、ものごとの実相がまるっきり見えないようになって し ま っ て い た − 」 ということになる(「新釈法華三部経10』佼成出版社)。 この経文における「恩愛の奴」とは、現象の上に起こった結果に執着し、これにと らわれている者をいう。仏教の「慈悲」は、こうした「愛」とはまったく異なる。慈 悲とは、特定の人に限定されるものではなく、生きとし生けるものすべてのものの悩 みや苦しみに同感し、その苦しみを癒す慈しみであって、そうした慈悲の実践を、仏 教は説くのである。 そして、慈悲の実践とは、中村元博士によれば、「自己と他人とが相対立している場 合に、自己を否定して他人に合一する方向にはたらく運動であるということができる。 それは差別に即した無差別の実現である。したがって、慈悲の倫理は、また自他不二 の倫理であるということができる」とされている(中村元「慈悲』1971年93頁)。 この慈悲の思想に基づいて、わが国では我を害する怨敵も憎むべきではなく、我を 愛する親しい者にも執着せず、これらの者を等しく愛憐し、敵味方一切の犠牲者を平 等に供養するという考えが生まれた。「怨親平等」の思想と呼ばれるものがこれであ る。 先に述べた内閣府の死刑制度に関する世論調査の結果について、法然院貫主梶田真 9

(9)

章師は、毎日新聞の「新聞時評」に「死刑容認の「世論』に僧侶の責任を考える」と いう一文を寄せられた(毎日新聞2010年2月15日)。梶田師は、この「時評」において この「怨親平等」の思想に言及され、室町時代の中期以降に「慈悲」を説く仏教が、 人情としての家族への「愛」が優先される先祖教へと変質していったと論じられる。 梶田師は、次のように述べられている。「敵も味方も仏の慈悲によりすべて救われる という仏教の『怨親平等jの思想は、日本人が、自身の未来の成仏のために修行や信 心に励む仏教徒であった室町時代前半までは浸透していた。 ところが、農作物の生産量が増大した室町時代中期以降は、死者を三十三回忌まで 供養すると死者が「ご先祖さま』になって村や家を守ってくださるという先祖教が信 じられ、仏教が説く、『慈悲』よりも、人情としての家族への『愛』が優先されてき た。江戸時代以降、日本の寺はほとんど仏教を広めず、葬式と法事を行なうことで残 ってきたのである。」 このように、仏教が「慈悲」を説かず、葬式と法事の仏教と堕することにより、被 害者の遺族が加害者に死刑をもって償わせなければ被害者は救われず、被害者や家族 の気持ちがおさまらないという報復感情が助長されてきたのであり、被害者・遺族の 報復感情は、こうした先祖教の宗教心に根ざしていると、梶田師は説かれるのである。 そして、死刑容認の「世論」の形成には、仏教の「慈悲」を説かず、先祖教の死者供 養に明け暮れるようになった仏教僧侶に大きな責任があるとして、次のように自己批 判されるのである。 「仏教では死者を安らぎの境地へ導くのは仏さまの慈悲心であり、加害者が死刑にな らないと被害者が浮かばれないわけではない。人は、因縁が整えば何を仕出かすか、 どんな目に遭うか分からない哀しい生き物である。この世では時として不条理に出合 うからこそ、宗教は必要とされてきたのだ。死刑容認の世論の動向に接し、一切の人々 を成仏へと導く仏の慈悲を説かず、死者供養に明け暮れてきた僧侶の責任を痛感して いる。」 死刑容認の世論に対する梶田真章師の自省と警世の言葉は、私には仏教僧侶のみを 対象としたものとは思われない。梶田師の悲願ともいうべきこの一文は、仏教者たる と非仏教者たるとを問わず、わが国の教育と文化の形成にかかわるすべての人びとに 対する警醒の教説と言ってよいであろう。 もとより、梶田師が批判きれる「先祖教」は、いわゆる「先祖供養」とは区別され なければならない。ここに言われる「先祖教」とは、江戸時代の檀家制度に基礎を置 く、先祖祭祁の仏教であり、時代の歴史の流れの中で「葬式仏教」「法事仏教」へと転 変していったものである。 しかし、「先祖供養」の「先祖」とはそもそも何をいうのか。私たち立正佼成会会員 は、朝夕の読謂修行の結びにあたって、次の回向文を念じ申し上げている。 10

(10)

あ お j t l か せ ん ぞ だ い だ い か こ ち よ う い つ き い し よ う れ い 「仰ぎ願わくは先jifl代々過去帳一切の精霊 こ ん に ち め い に ち あ た し よ う れ い 今日命日に富る精霊 じ つ ぼ う ほ う か い う え ん む え ん し よ し よ う オ い 、 十方法界有縁無縁の高音*青雲 な に と ぞ え こ う く よ う ほ う み の う じ ゆ 何卒回向供養の法味をf内受し と む じ よ う ぼ だ い み よ う か じ ょ う じ ゆ たま 疾〈無上菩提の妙果を成就せしめ糸合え。」 法華経と死刑制度 この回向文からも明らかなように、ここにおいては私たちの先祖代々の霊魂のみな らず、一切衆生の霊魂の、いわゆる「万霊供養」が行じられているのである。 いま、「私」という存在を時間という縦軸で見てみよう。言うまでもなく、いま、こ の瞬間に私が存在しているということは、私に生命を与えてくれた父母のおかげであ る。父母は、ざらにそれぞれの父母から、私から見れば祖父母のおかげでこの世に生 を享けている。 このように、私の「生命」の連鎖は100年、200年、500年へと無限に過去の世代に遡 っていく。そして、自分を基点として自分の生命を生み出してくれた先祖の数を計算 してみると、10代前で2046人、30代前で21億4748余人となる。 さらに、この連鎖は800年、1000年、1500年、2000年と、中世、古代を経て歴史時 代、そして先史時代、さらには現生人類のホモ・サピエンスが登場する地質時代洪積 世末期(約4万∼1万年前)まで連綿として続いていく。そして、究極的にはこの地 球上にはじめて「生命」が誕生した38億年前まで遡っていくことになる。 確かに、人間一人ひとりはすべて絶対的個人である。しかし、その一人ひとりの人 間の中に全人類の「いのち」が、全人類の全歴史が含まれているのである。 このような「私」なる存在に気付くとき、自己の先祖の中に存在する「愛する親し かった人」も「怨むべき敵であった人」も、「危害を加えた憎むべき加害者」も「危害 を加えられた哀れな被害者」も、「敵であった者」も「味方であった者」もすべて、私 のいのちの中に揮然と溶け合い、私という一つの存在を作り上げていることに思いが 及ぶのではないだろうか。私は、ここに「怨親平等」の思想的原点を見出すのである。 真の先祖供養とは、「家」制度に基礎を置く家先祖祭祁の死者供養ではない。それ は、私を、いま生あらしめているすべてのいのち、無量無限に遡りいく「先祖代々の いのち」、「十方法界有縁無縁のいのち」に対する報恩感謝の供養でなければならない。 そして、同時に、先祖からの無量無限のいのちをいただいた自己の何たるかを見つめ て 自 己 の 本 性 を 悟 り 、 そ の い の ち を 、 い ま だ 見 え ざ る 未 来 の す べ て の い の ち に 伝 え て いく責任を自覚し、その責任を果す誓願の供養でなければならない。 5 あ る 死 刑 囚 の 「 最 後 の 祈 り 」 と 仏 教 者 の 使 命 仏教者の責任と言えば、かつて開祖日敬一乗大師は、讃責新聞事件に際し立正佼成 11

(11)

会会員に対し、宗教団体の何たるかについて次の趣旨のことを教え説かれたことがあ る。すなわち、宗教法人には教義・宗教儀式・布教の三つの条件が必要であるのに、 「現在の既成教団の中にもその教義によって大衆を教化育成しないで、死んだ人に引導 を渡すだけのものが沢山あることであります。」(「唯一仏乗、宗派意識を超越して」「佼 成』1956年6月号) 開祖は、先祖教に堕した葬式仏教を批判し、「布教による教化育成」の大切さを説か れたのである。開祖のこのみ教えを前にするとき、私は「獄窓の歌人」と言われた島 秋人(本名は中村覚、後に千葉姓、島秋人は「当囚人」をもじったペンネーム)の「最 後の祈り」を想い起さずにはおられない。 島秋人は、幼少の頃から貧窮の中で育ち、多くの病をかかえ、低能と馬鹿にされ、 精薄と蔑まれ、苛められ、小さな盗みを重ねるうちに、やがて2児の母親の生命を奪 うという大罪を犯した。彼は拘置所にあって、作歌生活にいのちの証しを求めつつ、 自分のような罪人がこの世に現われてはならないことを、ひたすら祈り続けていた。 (島秋人については、拙著『人は人を裁けるか』アーユスの森新書佼成出版社) 1967年11月2日、午前10時、処刑寸前、島秋人は「最後の祈り」を捧げた(高橋良 雄『鉄窓の花びら』)。 「ねがわくは、この精薄や貧しき子らも疎まれず、幼きころよりこの人々に、正し き導きと神のみ恵みが与えられ、わたくし如き愚かな者の死の後は、死刑が廃さ れても、犯罪なき世の中がうち建てられますように、わたくしにもまして辛き立 場にある人々の上にみ恵みあらんことを、主イエスキリストのみ名によりアー メン」 彼は、どんな人でも、世に「精薄」と呼ばれる人であっても、無限の可能性を秘め ていることを、それを引き出してくれる教育の力を、そして教育するものの使命を、 帰するところ犯罪なき社会の実現を、親たると教育現場の教師たると、宗教者たると を問わず、はたまた社会の実際の場で教育や布教の任に当たる人たるとを問わず、す べての人びとに自分のいのちをかけて静かに訴えかけているのである。 私たち立正佼成会会員は、朝夕の読調修行はもとより、機会あるたびに「会員綱領」 を拝読する。「会員綱領」は、「家庭・社会・国家・世界の平和境建設のため菩薩行に 挺身することを期す」の言葉で結ばれている。私たちはいつもこの言葉を読調し、日々、 誓願をあらたにしているはずである。 しかし、島秋人の「最後の祈り」を直視するとき、私たちの誓願は何であるのか。 はたして真実の誓願となり得ているのか。み仏の本願に直結する誓願となり得ている のか。私自身、徴悔の中で三思三省を重ねている者の一人である。 12

(12)

法華経と死刑制度

二 わ が 国 の 死 刑 制 度

1 死 刑 が 適 用 さ れ る 犯 罪 仏教、特に法華経が殺人等の凶悪犯罪にかかわる罪や罰をどのように見ているかを 考察する前に、その前提的基礎作業として、わが国の死刑制度を梗概しておくことに する。 死刑制度を語る前に、そもそも死刑とは何かということを明らかにしておかねばな らない。死刑とは、一般に犯罪者の生命を奪う刑罰と呼ばれる。死刑が成立するには、 ①犯罪者の生命を奪うこと、②生命を奪うのは国家権力であるということ、③国家 法上の刑罰として生命を奪うこと、−以上の三つの要件が必要である。この三つの 要件のうち、一つでも欠けると、国家法上の「死刑」とは言えない。 さて、わが国の現行の国家法の中で死刑が適用される犯罪として、次の12の犯罪が 規定されている。 ①内乱罪(第77条) ②外患誘致罪(第81条) ③外患援助罪(第82条) ④現住建造物等放火罪(第108条) ⑤激発物破裂罪(第117条) ⑥現住建造物等浸害罪(第119条) ⑦汽車転覆等及び致死罪(第126条) ⑧往来危険による汽車転覆罪(第127条) ⑨水道毒物等混入罪(第146条) ⑩殺人罪(第199条) ⑪強盗致死罪(第240条) ⑫強盗強姦致死罪(第241条) これらの刑法の規定とは別に、特別法として次の六つの法律がある。 ①爆発物取締罰則(1884年施行、以下同じ) ②決闘罪(1889年) ③航空機の強取等の処罰に関する法律(1970年) ④航空の危険を生じさせる行為等の処罰に関する法律(1974年) ⑤人質による強要行為等の処罰に関する法律(1978年) ⑥組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律(1978年) 今日、実際の死刑判決のほとんどは、殺人・強盗殺人・強盗致死など、人を死に至 らしめた犯罪に対して下されている。2007年版の『犯罪白書』によれば、2006年の第 一審判決総数は7万4181件、そのうち殺人事件の判決数は710件、死刑判決は13件であ 13

(13)

って、殺人事件の一審判決数全体の1.8%となっている。 2 死 刑 の 確 定 と 執 行 次に、死刑の確定および執行はどのような過程を経てなされるのか。まず、現行の 刑事訴訟法によれば、死刑の執行は法務大臣の命令によるものとされている。 第475条 ①死刑の執行は、法務大臣の命令による。 ②前項の命令は、判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない。但し、 上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がざれその 手続が終了するまでの期間及び共同被告人であった者に対する判決が確定するま での期間は、これをその期間に算入しない。 第476条 法務大臣が死刑の執行を命じたときは、5日以内にその執行をしなければならない。 現行の刑事訴訟法の手続に従えば、判決確定後6カ月以内の死刑執行はほとんど不 可能であって、判決確定から死刑執行までの年数は平均約7年と11カ月(法務省調べ。 1997∼2006年の平均)と言われている。 その間、死刑囚は拘置所で、これまで監房と呼ばれていた「単独居室」に収容きれ、 死刑執行の日を待つことになる。今日、死刑の執行は、法律により、日曜日、土曜日、 「国民の祝日に関する法律」に規定きれている休日、そして1月2日、3日および12月 29日から同月31日までの日には行なわれないことになっている。 死刑執行の言渡しは、以前は数日前、少なくとも前日に行なわれていたが、今日で は執行当日の朝、教誼師の立ち会いのうえで死刑囚に直接なされることになっている。 執行までの1時間半ほど前だと言われている。 死刑囚には、その言渡しがいつ行なわれるかは分からない。事実、死刑囚にとって、 午前9時から10時は「魔の時刻」だと言われている。 彼らの述懐にしても、正午近くなればホッと一息つけると言われている(板津秀雄 『死刑囚のうた』素朴社)。したがって、死刑囚は、死刑執行の言渡しの当日の朝まで の日々、常に生死の境で生きていることになる。 3 死 刑 囚 の 処 遇 死刑囚は、ただ死刑に処するために生かされている存在でしかない。死刑囚は、「社 会 復 帰 は も ち ろ ん 生 へ の 希 望 さ え 断 ち 切 ら れ た 存 在 」 で し か な い の で あ る 。 死 刑 囚 に とって冷酷かつ絶望的とさえ言えるこの言葉は、他でもない、死刑囚である息子との 面会を禁じられた両親が、息子との交通権禁止を憲法および監獄法に違反するとの理 14

(14)

法 華 経 と 死 刑 制 度 由により提訴した事件における法務省の答弁書の中の言葉である。 死刑が確定し、死刑囚として刑罰の設備がある拘置所の、これまで監房と呼ばれて いた「単独居室」に収容きれることになる。2006年、監獄法の改正により「刑事収容 施設及び被収容者等の処遇に関する法律」(以下、「刑事収容施設法」と略す)が制定 された。これにより旧監獄法で用いられていた用語も大きな変容を受け、被収容者の 生活条件などの改善向上への配慮が行なわれ、今日では従来の「独房」という用語は 「単独居室」とか、単に「居室」と呼ばれるようになっている。しかし、このように用 語の変更があっても、拘置所の被収容者の生活にプライバシーがないのは、監獄法時 代と異なるところはない。 死刑囚には、外部の者との交通や面会(法律用語で「外部交通」)は厳しく制限さ れ、親兄弟、配偶者や子供など特定の親族や弁護士を除いて、原則的に全面禁止とな っている。但し、拘置所長の許可があれば、支援者との面会は例外的に認められてい る。 こうした死刑囚の外部交通の大幅な制限は、1963年3月に発せられた法務省矯正局 長の通達(以下、「六三年通達」)によっている。すなわち、「さらに拘置中、死刑囚が 罪を自覚し、精神の安静裡に死刑の執行を受けることとなるように配慮されるべきこ とは行政上当然の要請であるから、その処遇に当たり、心情の安定を害するおそれの ある交通も、また、制約されなければならない」というものである。 この「六三年通達」が出る以前は、死刑囚全員が運動の時間に野球などをしたり、 演劇会や映画鑑賞会、詩歌や茶道の集まりなど死刑囚同士のコミュニケーションの場 があった。現在では、そうしたことは一切認められていない。 こうした死刑囚の処遇は、今日においても異なることはない。先に挙げた「刑事収 容施設法」で、「死刑確定者の処遇に当たっては、その者が心情の安定を得られるよう にすることに留意するものとする。」(第32条第1項)と定められている。 死刑囚は「罪を自覚し、精神の安静裡に死刑の執行を受ける」べき者である。そう した死刑囚の身であってみれば、「心情の安定を害するおそれ」、すなわち外部交通の ように生きる望みを与えるおそれのあるものは厳しく制限されねばならないという処 遇を「配慮」と呼び得るとすれば、なんと冷酷な「配慮」ということになろう。 死刑囚は、昼夜を問わず、一日中、単独居室の室内にいなければならない。居室の 外に出ることがあっても、他の囚人と接触することは許されない。彼らは、いつ訪れ 来るか分からない死刑の執行時まで不安と恐怖、絶望と生への執着におののき生きる 存在なのである。 4 国 家 権 力 に よ る 死 刑 と い う 殺 人 死刑は、すでに述べたように、国家権力が犯罪者の生命を奪う刑罰である。それで 15

(15)

は、犯罪者の生命を奪う国家権力とは何であるのか。「国家権力」というと、まことに 抽象的にすぎ、可視的存在ではなく、それだけにまったく捕らえどころのない、不気 味な存在である。 実際に、刑罰として犯罪者の生命が奪われるのは、一連の公判手続において、検察 官が「国家権力の担い手として、国家権力の名において」死刑を求刑することから始 まる。検察官による死刑の求刑は、裁判官が「国家権力の担い手として、国家権力の 名において」これを容認し、死刑の判決を言い渡す。 死刑判決が確定すると、死刑執行へと手続は進められるが、それは次頁の表2のよ うな経過をたどる。 この図からも明らかなように、実に多くの公務員が死刑執行に介在するが、いまは その詳細に立ち入ることは避けることにする。 ともあれ、死刑判決が確定すると、法務大臣は、「国家権力の担い手として、国家権 力の名において」6カ月以内に死刑執行命令書に署名捺印する。その死刑執行命令書 は、検察庁の担当官によって当該死刑囚が収容されている拘置所長に届けられる。拘 置所長は、死刑執行命令書を受理すると、5日以内に死刑の執行をしなければならな いo 拘置所長は、死刑執行の当日の朝、死刑囚に対して「国家権力の担い手として、国 家権力の名において」死刑の執行を言い渡す。 死刑を執行する刑務官も、同じその当日の朝、所長から、点呼の際にその日の当直 刑務官の中から3人の名前が呼ばれ、死刑執行官を命じられる。死刑の執行を命じら れた刑務官は、服務規程により所長の命令を拒絶することは許されない。このように して、死刑執行の刑務官は「国家権力の担い手として、国家権力の名において」死刑 を執行することになる。 一人の犯罪者に対して死刑を執行する過程には、実に多くの司法公務員が関与する。 その中で、死刑の執行に直接、手を下すのは、拘置所の刑務官のみである。 死刑執行の刑務官以外の検察官や裁判官や法務大臣などの公務員は、「国家権力の担 い手として、国家権力の名において死刑囚を殺せ」と命じても、直接自らの手で死刑 の執行を行なうことはない。あたかも「ドミノ倒し」のように、「死刑に処する」と命 じた者が殺すのではなく、国家権力という巨大な力の機構の中で最下位の地位にある 者が、命令により死刑という名の殺人を行なわねばならないのである。 しかも、その上、死刑囚の中には、蹟罪と‘戯悔の中に刑の執行を従容として受け入 れ、悟りの境地に立ち至っている者もいれば、「死にたくない!」と叫び、刑の執行を 拒否し、激しく抵抗する者もいる。そのような死刑囚の場合は、数人の刑務官が寄っ てたかって死刑囚を押さえつけ、首に絞縄をかけ、膝をひもで縛り、死刑を執行しな ければならない。一人の人間を数人の人間で死刑という名の殺人行為を行なうのであ 16

(16)

案事項 ①犯罪事実 ②証拠関係 ③情状 鯵結灘 法 華 経 と 死 刑 制 度 表 2 死 刑 執 行 ま で の 経 過 17 死刑執行までの経過

I

,

f

鰯瀞驚る'

1臓灘::蕊1J

発令後五日以内に死刑執行 湊鱗火随欝溌:

有有由升

無のの事↓

無 鉦C0Qq の有無 リ事局会譲

i

J

f

i

執行超索撚作成 ;秘瀞灘躍 ↓ │官房長 |↓ │事務次官 長が決裁 務課長…・刑事局艮

(17)

る。 「どんな執行も、いやではない、気が楽というのはひとつもありませんが、とくに死 刑囚があばれたり、気を失ったり、腰を抜かしたりというような執行はやりきれない です」(大塚公子「死刑執行人の苦悩』角川文庫)。これが死刑執行に携わった刑務官 の傷ついた心の偽らざる証言である。 死刑を執行した刑務官には、国家法上、正当な職務の執行とはいえ、人を殺したと いう意識が彼らを深く傷つけることになる。職務とは言え、家族の生活のために殺人 に手を染めざるを得ないという自己嫌悪、そして一生拭いきれない、人を殺したとい う罪意識が心に深く沈殿し、自分の生涯に他者に誇ることのできない暗い負い目を自 らに科することになる。 国家の法律は、死刑執行の刑務官に対し、死刑という殺人を許しても、刑務官自身 の内なる良心の法律は、これを許すことはない。検察官、裁判官、法務大臣たちは、 もちろん一部の例外はあるにしても、はたして彼らの命令により死刑を執行せざるを 得ない刑務官の暗惜たる心情をどこまで汲み取り、どこまで共有しているのであろう か。

仏伝に見る提婆達多の罪と罰

1 仏 伝 に 見 る 提 婆 達 多 と 法 華 経 仏伝は、犯罪者、特に殺人などを含む凶悪犯罪者の罪と罰についてどのように見て いるのであろうか。ここでは、『法華経』との関連において提婆達多(デーヴァダッ タ)の罪と罰を通して仏教、特に法華経の説く仏意を見ておくことにしよう。 提婆達多の出自にはいろいろと異説があり、釈尊の従兄弟か、少なくとも釈尊とな んらかの血縁の人であったと言われている。仏伝によれば、彼は終始、釈尊と対比さ れ、釈尊に反抗し、釈尊教団の分裂、ひいては釈尊に対する殺人未遂と傷害など、い わゆる最も重い五逆罪(①母を殺すこと、②父を殺すこと、③聖者を殺すこと、 ④仏の身体を傷つけて出血させること、⑤教団の和合一致を破壊・分別させること の罪)という大罪をほしいままにした極悪人として扱われている(木津無庵『新訳仏 教聖典(改訂新版)」大法輪閣、山辺習学『仏弟子』法蔵館)。 もっとも、これにも異説がある。それによると、提婆達多を悪人とする仏伝は、実 は釈尊教団内部の必要から創作されたもので、提婆達多は、当時すでに「修行を完成 した者」という意味で「ブッダ」と呼ばれ、したがって彼自身は釈尊の権威を認める ことも、釈尊に従属することも拒絶していたというのである(中村元選集第14巻・決 定版『原始仏教の成立』春秋社)。 さらに、提婆達多が創唱した仏教に近い宗派の信者が、少なくとも17世紀までマガ 18

(18)

法華経と死刑制度 ダ地方に存続していたと伝えられている(コーサンビー著、山崎利男訳『インド古代 史」岩波書店)。 ところが、不思議なことに、「法華経』のどの品にも、「提婆達多品」の中ですら、 提婆達多が悪人とは説かれていない。むしろ、その逆に釈尊にとって、彼は求法の善 き師(善知識)であって、釈尊が仏となった大恩人と説かれている。「提婆達多品第十 二」の経文を見てみよう。 わ れ か こ こ う お も だ い ほ う も と ゆ え よ こ く お う な い え と 「我過去の劫を念うIこ大法を求むるをもっての故に世の国王と作れりと難も よ く ら く む さ ぽ か ね つ ほ う つ た れ だ い ほ う た も も の も 五欲の薬を貴らざりき鐘を椎いて四方に告ぐ、誰か大法を有てる者なる若し わ た め げ せ つ み ま § い ぼ く な と き あ し せ ん き た だ い お う も う 我が篇に解説せぱ身常に奴僕と篇るべしH寺に阿私仙あり束って大王に白さ わ れ み み よ う ほ う た も せ け ん け う と こ ろ も よ し ゆ ぎ よ う オ)れまど く 我 微 妙 の 法 を 有 て り 世 間 に 希 有 な る 所 な り 若 し 能 〈 イ │ 多 行 せ ば 我 常 に な ん じ た め と と き お う せ ん こ と ば き こ こ ろ だ い き え つ し よ う す な わ ち せ ん に ん し た が 汝 が 篇 に 説 く く し 時 に 王 仙 の 言 を 聞 い て 心 に 大 喜 悦 を 生 じ 目 Ⅱ 便 仙 人 に 随 つ し よ し ゆ < き ゅ う た き ぎ お よ こ の み く ご の み と と き し た が く ぎ よ う あ た こ こ ろ て 所 須 を 供 給 し 薪 及 び 果 煎 を 採 っ て 時 に 随 っ て 恭 敬 し て 輿 え き 1 青 に み よ う ほ う ぞ ん ゆ え し ん じ ん け げ ん あ ま ね も ろ も ろ し ゆ じ よ う た め だ い ほ う ご ん ぐ 妙法を存ぜるが故Iこ身心‘│解倦なかりき普く諸の衆生の篇に大法を勤求し ま た お の み お よ よ く ら く た め か る が ゆ え だ い こ ぐ お う な ど ん ぐ こ て 亦 己 が 身 及 び 五 欲 の 梁 の 篇 I こ せ ず 故 に 大 国 の 王 と 篇 っ て 勤 求 し て 此 ほ う え つ い じ ょ う ぶ つ う い た の法を獲て遂に成1弗を得ることを致せり」 すなわち、釈尊は過去世において、現世で提婆達多と転生した「阿私」という名の 仙人に随って地位・名誉・財産・妻子への愛情はもとより、さらには自分自身の生命 きえ犠牲にし、一切をなげうって六波羅蜜を行じたのであった。このようにして、釈 尊は仏となるための一切智を身につけ、仏の悟りを得て、広く衆生を救うことができ たというのである。そうであるからこそ、釈尊は提婆達多を「善知識」と呼ばれたの である。 「提婆達多品」の経文は、さらには、次のように続く。 も ろ も ろ し ゆ つ だ ぃ ぱ だ っ た さ の ち む り よ う こ う す ま ご じ よ う 魂 つ 「諸の四衆に告げたまわく、提婆達多却って後無量劫を過ぎて常に成'│弗すること う な て ん の う I こ よ ら い お う ぐ し よ ' ' へ ん ち み よ う ぎ よ う そ く ぜ ん ぜ い せ け ん げ む じ よ う じ じ よ う を得くし。誰を天王カロ束・雁供・正偏知・明行足・善逝・世間解・無上士・調 ご じ ょ う ぶ て ん に ん し ぶ つ せ そ ん せ か い て ん と ' う な づ 御丈夫・天人師・1弗・世尊といわん。世界を天道と名けん。」 すなわち、ここには、釈尊が「提婆達多は、この世を去ってから計り知れないほど 歳月を経た後に、必ず仏の悟りを得るであろう」と仰せられ、仏となることの保証、 つまり受記が行なわれたことが教え説かれている。つまり、提婆達多は、釈尊の「善 知 識 」 に と ど ま ら ず 、 一 劫 の 後 に は 「 天 王 悌 」 と 称 さ れ る 「 仏 」 と な る で あ ろ う と 、 説かれているのである。 このように、仏伝によれば、提婆達多は釈尊にとって悪逆非道の極悪人であった。 しかし、『法華経』によれば、提婆達多は釈尊から「善知識」と呼ばれただけでなく、 一劫の後には「天王仏」と呼ばれる成仏の受記までもいただくことになるのである。 19

(19)

この問題に立ち入ることは、仏教学や法華経の専門家の研究に委ねることにし、ここ で は こ れ 以 上 立 ち 入 る こ と は し な い こ と に す る 。 2 提 婆 達 多 と 釈 尊 提婆達多とは、一体、どのような人物だったのか、仏伝から彼の人物像を見てみよ う。提婆達多は、少年時代から頭脳、才能、体力に恵まれ、卓抜した人物であったよ うである。そして、後に釈尊となられる従兄弟のゴータマ・シッダッタと肩を並べ、 いろいろな意味で競争相手の地位にあった。しかし、すべての面で、例えば弓術や相 撲といった競技において、彼はシッダッタ太子の力にはおよばなかったと伝えられて いる。 釈尊が成道後、はじめて故郷に帰り、父王をはじめ多くの人びとを教化され、再び マガダ国へ旅立たれることになる。その道すがら、釈尊の後を追ってきたウパーリ(優 波離)、アヌルッダ(阿那律)、アーナンダ(阿難)など8人の青壮年が出家を願い出 るが、提婆達多もその中の一人であった。しかし、釈尊は当初、提婆達多の出家をお 認めにはならなかったと伝えられている。 出家後の提婆達多は、もともと天性が英逼であったこともあって、釈尊の下に修行 を重ね、禅定に励み、釈尊の所説をことごとく謡んずるに至る。しかし、彼はその倣 慢な気性からか、強い我執からなかなか離れることができなかった。舎利弗、目連、 阿那律などの弟子たちが、お互いに友情を温め、道を語り合っているその仲間にも入 れず、いつしか我が身独りが疎んぜられていると思うようになる。 そして、釈尊教団が隆々と発展し、大教団へと成長していくのを見るにつけ、そし て ま た 自 分 と 時 を 同 じ く し て 出 家 し た 僧 た ち の 仲 間 に 入 る こ と も で き ず に い る に つ け、彼の胸中に積もり積もっていた欲求不満が増上慢を押し上げ、「釈尊、なにするも のぞ」と、教団からの離脱と独立の念が爆発していくのである。 ついに、三十余年来修行してきた釈尊教団を棄て、独立しようと決意する。そして、 当時、釈尊教団の一大拠点であった王舎城に赴き、ビンビサーラ王(頻婆裟羅王)の 太子アジャータサットゥ(阿闇世)の有力な外護者としての庇護の下で、新しい教団 を作ることになる。 太子の父王ビンビサーラ王は釈尊に帰依し、釈尊教団の強力な庇護者であった。提 婆達多にとって、釈尊教団を破壊するためにはビンビサーラ王が邪魔者であった。そ こで、提婆達多は策を講じる。まず、太子を煽動し、太子は父王を殺し、王位を獲得 する、他方、自分は釈尊を殺害するという盟約をとりかわす。 そ の 盟 約 に よ り 、 阿 闇 世 は 、 父 王 を 牢 獄 に 幽 閉 し 、 餓 死 さ せ よ う と す る 。 そ の 間 、 父王の王妃のヴァイデヒー(章提希)夫人は、夫の生命を救うために体に蜜や粉を塗 って牢獄を訪れ、王の食に供する。ところが、その事実を知った阿闇世は、その慈悲 20

(20)

法 華 経 と 死 刑 制 度 深い母后をも王宮の奥深く幽閉してしまう。 一方、提婆達多は、まず500人の弓手を集め、そこから31人の弓の名手を選び、策を 授ける。彼らは弓矢を携えて霊鷲山におられる釈尊に近づくが、釈尊の慈愛溢れる尊 容を仰ぎ見るや、彼らは思わず弓矢を投げ捨て、地に平伏してしまう。そして、釈尊 から尊い、さまざまなみ教えをいただくと、ますます‘│裁悔の念がつのり、先罪を悔い、 その場でお弟子の中に加えていただくことになる。 このようにして、提婆達多の企てはすべて失敗に終わる。そこで、提婆達多はいよ いよ自分の手でやるほかないと決意する。 ある日、彼は霊鷲山に登り、山上から釈尊めがけて大岩を転がし落とす。ところが、 大岩は途中で二つに割れ、小さなほうが釈尊の足に当たり、その傷口から多量の血が 流れ出る。釈尊は、激痛をこらえて精舎に帰り、静かに横になられる。 そこへ、提婆達多の悪行を聞いて駆けつけた弟子たちは、なにか報復をと申し上げ るが、それを制して、「汝たちは無用のことに心を用いてはならない。各自、おのおの の処に帰って、道を修めるがよい。いかなる怨みも、如来を害することはできないし、 いかなる悪も、如来を煩わすことはないのだよ」と仰せになられる。 その後、釈尊の傷はなかなか治らない。そこで、名医で知られるジーヴァカ(菩婆) が傷口を切開して悪血を出して、これを治したと伝えられている。 いずれにしても、第2の方法も失敗に終わった。しかし、これで諦めるような提婆 達多ではなかった。さらに、第3の手段を企てる。 釈尊を殺害することは、とうてい人力では不可能だと考えた提婆達多は、気の荒い 象を使って踏み殺させることにする。彼は、象使いをうまく抱き込んで、象に酒を飲 ませ、托鉢中の釈尊めがけて放つ。象は恐るべき鼻を振るい、耳を波立たせ、地響き を立てながら釈尊に向かって突進していく。 釈尊は、慈心三昧に入られて、象の正面に歩まれる。そして、「大龍を害うことなか れ大龍が世に出ることはなはだ難し。もし大龍を害わぱ、後の世、必ず悪道に堕ち なん」と語り聞かせる。すると、さすがの狂象も釈尊の慈心に打たれて、長蹄して釈 尊の足を抱き、退いて、立ち去っていったと伝えられている。 このように、提婆達多は三度、釈尊の殺害を企てるが、いずれも失敗、未遂に終わ ったのであった。 話は変わる。他方、提婆達多の甘言に欺かれて父王を牢獄に幽閉し、最後には死に 至らしめた阿闇世王は、腫れ物で苦しむ自分の愛し子の病を思うにつけ、慈悲深い父 王のことが思われ、痛切な悔恨の念が心に焼きついて離れない。それどころか、阿闇 世自身も、全身に腫れ物ができ、膿汁も流れ出て、高熱に苦しむことになる。 阿闇世王は、王の身を案じる臣下たちの勧めを受け、六師外道の師たちに救いを求 める。しかし、王の苦しみは癒やされることはない。とうとう最後に、名医ジーヴァ 21

(21)

力の助言を受け、釈尊の教えを受けることを決意することになる。 釈尊の許に詣でた阿闇世王は、「世尊よ、願わくは私の‘│裁悔をお受けください。私は 狂愚にして心冥く、五欲に迷わされて父王を殺しました。世尊、願わくは哀感をお与 えください。私の‘徴悔をお受け取りください」と申し上げる。 このようにして、阿闇世王は釈尊に帰依するに至る。そして、王は釈尊滅後も、釈 尊教団の庇護者として、仏教広宣流布のますます大きな担い手になったと伝えられて いる。 阿闇世王という最大の外護者を失った提婆達多は、まったく哀れな存在となりはて てしまった。内には信者たちはつぎつぎと去り、外には一般の人びとの信用もなくな り、托鉢に出ても食物を供養する人もいない。ここにいたっては、もはや彼の憩うべ き場もなくなってしまった。 その後、自暴自棄となった提婆達多はざまざまな悪行を重ねた末、釈尊殺害の機会 を窺い、祇園精舎にやって来る。彼は、釈尊の弟子たちが足を洗う池辺に来て、暫時、 木陰で憩う。 その時、提婆達多のいる大地が、突如、自然と沈んでいったかと思うと、火焔が燃 えあがり、たちまち膝を埋め、膳におよび、ついには肩にまで至る。この一瞬、火焔 に包まれた提婆達多は、自分の罪を悔い、「南無仏」と叫びながら沈んでいった。この 時、二つの金挺が、一つは彼を前と後から、いま一つは左と右から挟み、そのまま燃 え盛る大地に巻き込んでいき、提婆達多は無間地獄へと引き込まれていったと伝えら れている。 これには後日談がある。提婆達多の死後、釈尊が阿難をともなわれてアチラヴァテ イー河の水辺で水浴された時のことであった。釈尊が提婆達多のことを話されると、 阿難は兄が無間地獄という悲惨な境遇にあることを知り、悲しみにくれるのであった。 しかし、釈尊は、「提婆達多は地獄に堕ちるとき、「南無仏」と釈尊への帰依の念を 起こした。だから、このことにより、彼は一劫の後には地獄を出でて、天上に生まれ、 さらに人間に生まれて、悟りを開くだろう」と、受記きれたというのである。先に述 べた「提婆達多品」において提婆達多が、一劫の後には「天王仏」と称される「仏」 となるという受記がそれである。 3 提 婆 達 多 伝 の 教 え る も の 釈尊は、提婆達多から幾度も殺害の危害を加えられた。それにもかかわらず、『法華 経』の中の釈尊は提婆達多を「善知識」と呼ばれ、その上成仏の受記までされた。私 たちは、これから何を学ぶべきなのであろうか。 (1)提婆達多は、釈尊に対し五逆罪の大罪を犯した仏敵であった。それにもかかわら ず、釈尊は、提婆達多に成仏の受記をされた。これが、いわゆる『法華経』の「悪 22

(22)

法 華 経 と 死 刑 制 度 人成仏」の思想である。 釈尊は、確かに提婆達多のような悪人も成仏できると受記された。いかなる人間で あれ、たとえ凶悪な犯罪者であっても、すべて等しく仏となる可能性、すなわち仏性 を持っている。ただその仏性が、貧・腹・痴という煩悩の汚垢に厚く覆い包まれてい るかどうか、その煩悩という心の汚垢が厚いか薄いか、重いか軽いか、そしてこの心 の汚垢に自ら気付き、それをいかに削り落とすか、さらに単に削り落とすだけでなく、 この汚垢を利用して心を清める方向づけを与えて善の力に変えるか−この修行がで きるかどうかが、提婆達多が仏敵として終わるか、それとも天王仏という成仏の道が 切り開かれるかの分水嶺であったのである。 (2)提婆達多の死の模様はどうであったのであろうか。仏伝の伝えるところによれば、 すでに見たように、提婆達多は、火焔に包まれつつも、自分の罪を悔い、「南無仏」 と叫びながら沈んでいったと伝えられている。 つまり、「提婆達多は地獄に堕ちるとき、『南無仏』と徴悔し、釈尊への帰依の念を 起した。それゆえに、一劫の後には地獄を出でて、天上に生まれ、さらに人間に生ま れて、悟りを開くだろう」と、釈尊から受記されたというのである。 『法華経』に「万善成仏」という教えがある(「方便品第二」)。成仏の縁となる行い として、「六波羅蜜」をはじめ、8種のものがある。そのうちの一つが、「ただ一声『南 無仏』と唱える」ということである。「方便品第二」の経文を見てみよう。 も ひ と さ ん ら ん こ こ ろ 「若し人散間Lの心に じよう 成じき」 と う み よ う な か い 塔 廟 の 中 に 入 っ て ひ と な む ぶ つ し よ う 一たび南無悌とうif§せし み な す で ぶ つ ど う 皆巳に悌道を 開祖日敬一乗大師は、この経文を次のように解釈されている。すなわち、「ほかのも のごとに気を取られる落ち着かない心のままでも、とにかく塔廟のなかに入って、一 度、<南無仏〉と称えたならば、その人はそれが契機となって、仏道に入り、だんだん 功徳を積んで、ついに仏の悟りを得ることができたのです。」(新釈「法華三部経2』) 釈尊は提婆達多のような悪人に対して、どうして成仏の受記、すなわち仏となる保 証をお与えになったのか。それは、提婆達多が火焔に包まれて大坑に堕ちていくとき、 彼が「南無悌」と俄悔の声を残して沈んでいったからである。 釈尊は、『ダンマパダ(法句経)』の中で次のように説かれている。 「以前には悪い行ないをした人でも、のちに善によってつぐなうならば、その人は この世の中を照らす。−雲を離れた月のように。[第一七三偶]」 極悪の罪人であれ、その罪過ちを俄悔、悔い改め、罪を償う菩薩行を積み重ねてい けば、仏性を開顕し、真の人間性を回復して「雲を離れた月のように」「世の中を照ら す」人間となれる、と釈尊は説かれているのである。 23

(23)

(3)釈尊は、提婆達多を「善知識」と呼ばれた。しかし、他方、提婆達多はどうであ ったか。彼にとって、釈尊は善知識であったはずであろう。しかし、彼は最初、釈 尊に帰依して修行したが、釈尊とは異なり、六波羅蜜を実践して、仏となるための 一切智を修得しようとはしなかった。 確かに、提婆達多は生来、聡明で、卓抜した資質の持ち主であったであろう。しか し、彼は貧・腹・痴の三毒の我執を捨てることができず、ある意味で、彼は我執を捨 てる勇気を持ち合わせなかった、哀れな存在であった。 だからこそ、釈尊は、提婆達多を自ら処罰することはなかったし、する必要もなか った。また、弟子たちにも彼に対して報復することを認められることはなかった。ま ことに「恨みに報いるに恨みをもってしない」とするのが、釈尊のお心であったので ある。提婆達多を処罰するのは、他でもない、彼自身であること、彼の犯した罪その ものが彼を処罰したのである。 「法華経』は、「陀羅尼品第二十六」でこれを次のように明確に説き示している。 も わ し ゆ じ ゆ ん せ つ ぽ う じ ゃ の う ら ん こ う く わ ぶ ん な あ り 「若し我が呪に11頂ぜずして説法者を'│鯛Lせぱ頭破れて七分に作ること阿梨 じ ゆ え だ ご と ぶ も し い つ み ご と ま た あ ぶ ら お つ み と し よ う ひと 樹 の 枝 の 如 く な ら ん 父 母 を 殺 す る 罪 の 如 く 亦 油 を 唾 す 狭 斗 秤 を も っ て 入 ご お う ち よ う だ つ ( よ そ う ざ い ご と こ ほ つ し お か も の ま さ か く ご と つ み う を 欺 証 し 調 達 が 破 僧 罪 の 如 く 止 上 の 法 師 を 犯 さ ん 者 は 富 に 是 の 如 き 狭 を 獲 くし」 「調達が破僧罪の如く」の「調達」とは提婆達多のこと、「破僧罪」とは、僧伽(教 団)の和合を破る罪ということである。つまり、破僧罪を犯した提婆達多は罪を他者 から科せられたのではなく、「富に是の如き狭を獲くし」、すなわち誰でもない提婆達 多自らが罪を得たというのである。換言すれば、提婆達多を処罰したのは、彼自身が 犯した罪だということが、ここにおいても明らかにされている。

四 法 華 経 の − 仏 乗 の 世 界 と 共 生

1 仏 の 本 願 と − 仏 乗 そもそも仏がこの世に現われたのはいかなる理由によるのであろうか。法華経は「諸 仏出世の一大因縁」を次のように説いている。 し よ ぶ つ せ そ ん た だ だ い じ い ん ね ん も つ ゆ え よ し ゆ つ げ ん な づ し よ ぶ つ せ 「諸悌世尊は唯一大事の因縁を以ての故に、世に出現したもうと名くる。諸1弗世 そ ん し ゆ じ よ う ぶ つ ち け ん ひ ら し ょ う じ よ う え ほ つ ゆ え 草は、衆生をして悌知見を開かしめ清浄なることを得せしめんと欲するが故Iこ、 よ し ゆ つ げ ん し ゆ じ よ う ぶ つ ち け ん し め ほ つ ゆ え よ し ゆ つ げ ん 世に出現したもう。衆生に'│弗知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。 しゆじよう ぶ つ ち け ん ざ と ほ つ ゆ え よ し ゆ つ げ ん し ゆ じ よ う 衆生をして1弗知見を1吾らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をし ぶ つ ち け ん ど う い ほ つ ゆ え よ し ゆ つ げ ん し や り ほ つ こ て1弗知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。舎禾│」弗、是れを 24

参照

関連したドキュメント

看板,商品などのはみだしも歩行速度に影響をあたえて

を軌道にのせることができた。最後の2年間 では,本学が他大学に比して遅々としていた

ロボットは「心」を持つことができるのか 、 という問いに対する柴 しば 田 た 先生の考え方を

突然そのようなところに現れたことに驚いたので す。しかも、密教儀礼であればマンダラ制作儀礼

仏像に対する知識は、これまでの学校教育では必

第 1 項において Amazon ギフト券への交換の申請があったときは、当社は、対象

ことで商店の経営は何とか維持されていた。つ まり、飯塚地区の中心商店街に本格的な冬の時 代が訪れるのは、石炭六法が失効し、大店法が

ハンブルク大学の Harunaga Isaacson 教授も,ポスドク研究員としてオックスフォード