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南アジア研究 第27号 004研究ノート・水島 司「柳澤悠先生を悼む」

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南アジア研究第27号(2015年)

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2008年10月から4年間にわたり日本南アジア学会の理事長を務めら れた柳澤悠東京大学名誉教授が、闘病の甲斐なく本年4月に逝去され た。享年70。日本の南アジア研究を先導し、世界にその水準の高さを知 らしめる活動の途次であった。 氏は、東京大学経済学部・同大学院を修了された後、横浜市立大学 文理学部(1972

-

83年)、東京大学東洋文化研究所(1983

-

2004年)、千 葉大学法経学部(2004

-

10年)に奉職された。その間1993年に東京大 学経済学部から博士号(博士〈経済学〉)を、また2012年には東京大学 東洋文化研究所から名誉教授の称号を授与された。 南アジア学会に関しては、理事長として尽力されたことは我々の記憶 に新しい。しかし、それとは別に、設立の準備段階から深く関係され、 発会後は常務理事あるいは理事として事務局を長期にわたって実質的 に担当され、学会の屋台骨を支えていらしたことについては、学会設立 当初とその後の経緯を知るものにとっては周知の事実であるものの、特 に記しておかねばならない。 南アジアに関する共同研究についても、その温かい人柄によって多く の人々をまとめていらした。「重点領域研究 南アジア世界の構造変動 とネットワーク」(1997

-

2001年 代表・長崎暢子)」や「インド農村の 長期変動に関する研究」(2009

-

13年 代表・水島司)では研究組織の 中心的な役割を果たされ、またご自身も「植民地期インドにおける農村 工業等の展開と農村構造の変容」(1992

-

93年)、「南アジアにおける環 境変動と開発」(1998

-

2001年)、「独立後インドの消費変動」(2010

-

12 年)をはじめとする幾つもの研究を代表として組織されてきた。それら の成果は、関連して出版された数々の氏の編著書、論文によって示され ている。この数十年の日本の南アジア研究を背負って来て下さったとい う評価を共有しない者はいない。

柳澤悠先生を悼む

水島 司

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柳澤悠先生を悼む

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柳澤氏の研究は、そもそものはじめからインドの被抑圧民、下層民に 目が向けられたものであった。アウトカースト、農業労働者、手織工な どの社会の底辺に追いやられた人々や、それらに関わる農民層分解、手 織業、賃労働、中小企業、在来産業、インフォーマル部門などのテーマ を扱った諸業績は、氏の研究の根本である社会の底辺への関心とそのま まつながるものである。そのことは最初の単著である『南インド社会経 済史研究―下層民の自立化と農村社会変動―』(東京大学出版会、1991 年)の副題に明確に表れている。この問題意識は、深くかつ持続的なも のであり、タミル・ナードゥ州での農村調査の経験を存分に活かしたA

Century of Change: Caste and Irrigated Lands in Tamilnadu, 1860s to 1970s

(New

Delhi: Manohar,

1996

)

や、最後の大著となり、2014年度「国際開発研 究大来賞」を受賞した『現代インド経済―発展の淵源・軌跡・展望―』 (名古屋大学出版会、2014年)まで続いている。もちろん、氏の研究は それらに留まらず、日印会商、森林と環境問題、村落共有地、中印経済 比較、サービス産業、農村

-

都市インフォーマル部門経済生活圏など多 岐にわたっている。しかし、その根底には、常に社会の底辺に生きる 人々に視点を置いて社会を分析するという態度が一貫している。 こうした研究意識の淵源については、押川文子氏による追悼文で指摘 されているように、また氏自身が書かれているように、氏の育った東京 の下町の環境によるものであろう。しかし、インド研究の道を歩まれて からそれが尖鋭化し、インド社会の現実の場で深められた大きな契機 は、おそらく1970年代末からの故・原忠彦アジア・アフリカ言語文化研 究所教授が率いた南インド農村調査への参加であったように思う。私自 身も参加したこの調査で、氏はかつてバラモンが支配していた村に長期 にわたって住み込み調査を行なった。そこで、凄まじい格差の存在と、 その格差と差別構造の中で闘いながら少しずつではあるが自身の尊厳

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南アジア研究第27号(2015年)

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に目覚め、地位を向上させていった不可触民を中心とした下層民の存在 を目にした。その歴史的な背景を、聞き取り調査と、

PC

がまだ市場に出 たばかりの時期に自らソフトを作成して私と共同で行なった百村以上に わたる綿密な土地台帳分析とを重ねることによって解明しえたことに よって、彼ら下層民のたくましい歴史的な歩みにインドの将来への希望 を見出し、確信されたのは間違いない。彼らの生業の変化についての研 究はもちろん、最近の消費の動きを扱った研究においても、日常に現れ る小さな変化の中にその兆しを見出し、類似の事例を丹念に集め、論証 していこうとされてきた。今後の現代インド研究において基本的な論点 のひとつとなるであろう「農村

-

都市インフォーマル部門経済生活圏」と いう概念も、農村と都市とを往還する下層民への長期にわたる視点から 剔出されてきたものである。 柳澤氏の研究は、日本の南アジア研究者にとどまらず、インドや広く 欧米の研究者にもインパクトを与えてきた。前掲のA Century of Change

(New Delhi: Manohar,

1996

)

に加えて、“

The Handloom Industry and

Its Market Structure

(

Indian Economic and Social History Review, 3 0

-

1

,

1993)、

P. Robb

他との共編Local Agrarian Societies in Colonial India: Japanese

Perspectives

(London: Curzon Press,

1996

)

、“

The Decline of Village

Common Lands and Changes in Village Society (

Conservation and Society,

6

-

4

,

2008

)

Douglas Haynes

他との共編Towards a History of Consumption in

South Asia

(Delhi: Oxford University Press,

2010

)

等々の編著書や論文を 通じて、国際的にも極めて高く評価されている。さらに、闘病生活に入 られる直前の2014年からは、上述の『現代インド経済―発展の淵源・ 軌跡・展望―』の英文による出版の準備を始められており、その一部は ご自身で既に英訳されていた。 最後に、個人的な思いを多少書かせて頂きたい。最初の出会いは、私 がまだ学生であった今から40数年前のことであった。以後現在に至るま

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柳澤悠先生を悼む

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で、氏は、南インドの近現代社会経済史という専攻の重なる私にとって は、かけがえのない存在であり続けた。絵に描いたような温厚で誠実な 人柄であり、実際、どういう時も怒った様子をされるのを目にした記憶 がない。この間、長期にわたり、幾つもの共同研究を組むことになった が、その間に私が直面することになった問題を、氏の助言によってどれ ほど切り抜けることができたことか。とりわけ、千葉大学を退かれ、共 に運営することになった上述の「インド農村の長期変動」研究や、ほぼ 並行して1年後に開始されることになった人間文化研究機構現代インド 研究東京大学拠点の活動に関しては、まさに車の両輪として頭と体力を 振り絞って動くことになった。その際、私の方のタイヤがパンクしそう になる度に軌道を整えて動くようにして下さったのは、そしてそれがで きたのは、氏を除いてはありえなかった。まさか、先に逝ってしまわれ るなど、想像もしなかった。 この何年間かの氏の研究の広がりとその成果の矢継ぎ早の発表に目 を見張り、また次々とお願いする発表や執筆の依頼に愚痴をこぼされな がらも、それらを本当に楽しそうに次々とこなしていらっしゃった様子 についつい騙され、死を早めてしまったことに対しては、私としてはた だ申し訳ありませんと言うしかない。奇しくも昨夏、ほぼ同時期に同じ ような病気に罹ったことが判明し、病床と通院途中での電話で互いに頑 張りましょうと励まし合ったのがつい昨日のようである。復帰すること のできた私としては、病床の氏から託された英語への翻訳と出版の約束 を果たすことで、多少でも思いに沿えることができればと心から願う。柳 澤さん、長い間ありがとうございました。 みずしま つかさ ●東京大学

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