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本年をもってご退職になられる木村公一先生と私の関係は,じつに長く,それ が分かったのは,わたしが大学院時代に所属した旧鈴木幸夫先生のゼミ名簿を見 ていたときであった。もう鈴木先生が亡くなられてから30年近く時が経っている ので,この名簿は実際にはほとんど役に立たないし,実際,廃棄していてもよ かったはずである。なぜわたしはそれを何冊か残しておいたのだろうか。その疑 問に答えることが,同時に,わたしの早稲田大学における長い歴史と木村公一先 生との出会いを振り返る契機になった。名簿には昭和61年という日付があり,鈴 木先生が最初の院生を受け入れられたのは,戦争が終わってまだ間もない昭和28 年のことである。最初のゼミ生であった田中純蔵先生は早稲田大学人間科学部で 定年を迎えられ,まだご健在である。わたしが院生のころ,すでに田中先生をは じめ鈴木ゼミの卒業生の多くが早稲田大学や他大学で教鞭を取られていた。鈴木先生自身が優れた英文学者であり,推理小説家であり,かつまた俳人であ り,加えて,学会の重鎮でもあった。そのような先生の薫陶を受けて,多くの卒 業生が多方面で活躍され,早稲田大学における鈴木ゼミの評判は高かった。わた し自身,学部から大学院博士課程までずっと早稲田大学ですごしてきたので,当 然,鈴木先生の講義に出席していたが,大学院で先生のゼミに所属したのは偶然 であった。名簿を作成するほどであるから,ゼミの卒業生も多く,懇親会なども ほぼ毎年のように開催されていた。そのような時にこのゼミ名簿が,先輩と後輩 の縁を仲立ちするうえで役に立ち,重宝がられていた。振り返ってみれば,先輩
● 退職記念論文 ●
木村公一先生を送る言葉
大 平 章
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大平 章:木村公一先生を送る言葉
とのこうした交流がなければ,怠惰なわたしなど厳しい学問の世界で生き残れる はずはなかったであろう。今日のわたしがあるのも,先輩との人間関係のおかげ である。当時,今のような教員の公募制度はあまり一般的ではなく,大学の人事 は,ゼミの指導教授とその卒業生との緊密な人間関係が左右した。わたしなど,
大学の就職も,本の出版もすべて先輩諸氏の紹介によるものであった。残念なが ら,お世話になった人々の何人かはすでに鬼籍に入られてしまった。
わたしが新学部である国際教養学部に移籍する前に教えていた法学部でも英語 教員の半数近くが鈴木ゼミの卒業生であったし,そこで得た友人知己も多く,わ たし自身そこで定年を迎えるだろうと思っていた。ところが,ご存じのように今 から10年ほど前に法科大学院の構想が実現し,英語などの教養科目を教える教員 は以前ほど法学部では必要とされなくなった。その時にまた新しい学部が設立さ れることになり,そちらへの移籍を大学側は教員に呼び掛けた。自分の将来のこ とで他人に相談するわけにもいかず,わたしなど実際,狐疑逡巡の日々が続いた。
そんな時に週に何度か今の10号館の講師室で会い,ざっくばらんに話ができたの はゼミの先輩であり,当時,商学部に在籍されていた木村公一先生であった。
これも何かの縁であろうが,木村先生もわたしもほぼ同じ時期に,同じ大学か ら早稲田大学に移り,さらにまた,最終的には国際教養学部に移籍することに なった。本来なら旧鈴木ゼミの名簿は,移籍したときに処分してもよかったので あろうが,これまでもこうした縁が続いていたので,そのまま数冊を段ボールに 詰め込んで保存することにした。またあれから10年以上が経過したことを思う と,月日の流れの速さに驚くばかりである。黄色の表紙に,ジェームズ・ジョイ スの顔と幾何学模様を組み合わせたその名簿はまさにわたしと木村先生の早稲田 大学での縁を象徴するものかもしれない。名簿を見ると木村先生は,昭和43年に 旧鈴木ゼミに入られている。わたしがゼミ名簿に登録されているのが昭和50年で あるから,木村先生が文字通り先輩であることは事実である。が,わたしが博士 課程に在籍したころには,もう一人,同じ姓の木村(正俊)先生がおられ,酒席 ではもっぱらこちらの先生のお世話になることが多かった。思い出せば,このこ ろ朝帰りも何度かあり,二日酔いで教壇に立つ羽目になったこともあった。
木村公一先生とはこうした付き合いがまったくなかったので,二人が国際教養
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Waseda Global Forum No. 12, 2015, 7−10学部に移籍しなかったらお互い疎遠になっていたかもしれない。偶然は重なるも ので,わたしが研究していた英国の作家
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・ロレンスを木村先生も研究され ていたことが後で分かった。おそらくそれは京都で開催されたロレンスの国際大 会の時であったかもしれない。それ以来,木村先生は,ロレンス協会にも入会さ れ,今日にいたるまでわたしと同じくレンスの研究を継続されている。かくして,今では木村先生は,ロレンス関連の情報を交換し合うわたしの貴重な研究仲間で もある。
実際,この間,木村先生はロレンスの伝記に興味を持たれ,貴重な書簡集をい くつか翻訳されている。ケンブリッジ版の三巻に及ぶロレンスの伝記も残りの二 巻が未訳なので,退職された後にもぜひその仕事を木村先生に継続してほしいと 思うしだいである。70歳という年齢は,今では研究者としてまだまだ活躍できる 年齢である。これから先もロレンスの研究をライフワークとして完成してほしい というのが木村先生へのわたしの率直なお願いである。そういう意味で,わたし にとって木村先生は自分への励みであり,これからもやはり良き先輩なのであ る。
さらに,木村先生は,ロレンスに終生,理解を示し,かつロレンス関連の著作 もあるアメリカの作家ヘンリー・ミラーの翻訳や研究にも長年携わってこられ た。その他,文学理論関係の業績を含めると木村先生の業績は相当な数に達する が,主要なものはだいたい以下のようになる。
『文学と言葉』(共著,荒竹出版,1990年),『英米小説序説』(共著,松柏社,
1992年),『ケンブリッジ版評伝−若き日の
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・ロレンス』(共編訳,彩流社,1997年),『
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・ロレンス事典』(共編訳,弓プレス,2002年),『オーストラ リアのマイノリティ研究』(共著,オセアニア出版,2004年),『D
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・ロレン ス短編全集(第五巻)』(共訳,大阪教育出版,2006年),『ヘンリー・ミラー全集(第九巻)』(編訳,水声社,2007年),『ヘンリー・ミラーを読む』(共著,水声社,
2007年),『ケンブリッジ版
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・ロレンス書簡集』(共編訳,弓プレス,2011 年),『ポストコロニアル事典[
改訂版]
』(編訳著,南雲堂,2014年),『一人の詩 人と二人の画家−D
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・ロレンスとニューメキシコ』(共編訳,春風社,2015 年),『D
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・ロレンスの手紙』(単著,正文社,2016年)。10
大平 章:木村公一先生を送る言葉
最後になったが,木村先生(1946年大阪生まれ)は,早稲田大学大学院文学研 究科英文学専攻博士課程を1975年に修了され,学会では国際日本学会会長,日本 ヘンリー・ミラー協会理事などの職務を遂行されていることを言い添えておきた い。