著者 吉野 真如
雑誌名 同志社大学歴史資料館館報
号 10
ページ 1‑12
発行年 2007‑10‑30
権利 同志社大学歴史資料館
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011290
はじめに
今回、報告を行う黄島貝塚の資料は、964 年(昭和 39)に酒詰仲男先生を中心とした同志社大学 考古学研究会ならびに世界救世教秀明教会によって実施された発掘調査により得られたものである。
この資料および調査の概要については『同志社考古』誌上において『岡山県邑久郡黄島貝塚遺跡の調 査概要』(大関 969)として公表されている。しかしながら、ここでは調査の経過については比較的 詳しく解説されているものの、遺物については拓影図(土器6点分)、実測図(土器3点、石器1点)
が掲載されているのみである。このほか、僅かに一部の資料が紹介されているが、やはり少数の土器 片が紹介されるに止まっている(矢野 997)。そのため、今回改めて整理報告を行うことにより資料 の詳細を明らかにしたい。
.黄島貝塚の概要と調査史
黄島貝塚は岡山県邑久郡牛窓町(現瀬戸内市)に所在する。牛窓港の東南約 2.5km、瀬戸内海に浮 かぶ周囲約 4km の小島が黄島である(図 )。黄島貝塚はその南西端の台地斜面に形成されている(図 2)。黄島貝塚からは縄文時代早期中葉の押型文土器が出土し、中・四国地方の黄島式の標識遺跡となっ ている。なお、黄島の西約 2.5㎞には黒島があるが、こちらにも貝塚(黒島貝塚)が存在し、黄島貝 塚と同時期の押型文土器が出土している。
黄島貝塚はハイガイとヤマトシジミを主体とする貝塚である。貝層の分布は、北側の台地斜面上部 に位置する直径 5 mほどの地点と南側の台地斜面下部に位置する東西約 20 m、南北約 5 mの楕円形 に広がる地点の 2 箇所に認められる。主に調査が行われているのは南側の地点である。こうした調査 の一部から、貝層はハイガイを主体とする上層とヤマトシジミを主体とする下層に分けられている。
上層は貝塚全体に広がっている一方、下層は地山の凹みに薄く堆積しており、分布範囲も狭い(図 3)。
黄島貝塚の存在は 942 年頃、吉備考古学会の水原岩太郎氏、時実黙水氏らによって行われた数回 にわたる踏査および試掘により確認された。翌 943 年には鎌木義昌氏による試掘調査が実施されて いる。戦後、947 年の豊元国氏による調査を始めとして、948 ~ 949 年にかけて黄島貝塚の発掘調 査は盛んに行われる。鎌木氏や豊氏のほか、江坂輝弥氏、島田暁氏・藤岡謙二郎氏が調査を行っている。
酒詰先生も 948、さらには 949 年に池田次郎氏とともに発掘調査を実施している。その後、5 年を 経た 964 年に行われたのが同志社大学考古学研究会と世界救世教秀明教会による合同調査である(表
)。
同志社大学所蔵黄島貝塚出土資料調査報告(第 報)
吉 野 真 如
牛窓港
牛 窓 瀬 戸
黒島
2 黄島
0 1 2 ㎞
青島 青島
1 前島
図 1 黄島貝塚位置図 1.黄島貝塚 2.黒島貝塚
図 2 貝塚周辺地形図(S = 1/1000)
想定発掘区
1964 年調査区
貝層分布範囲
1948豊
1948豊 1947豊
1947豊
1949江坂 1949江坂
酒詰・池田 1949
酒詰・池田 1949
1949酒詰 1947島田
江坂
1949
1948鎌木
1948鎌木 1943鎌木
立命館
1948
鎌木
1949
鎌木
1949
鎌木
1949
N
0 5 10m
図 3 調査トレンチ配置図(S = 1/200)
調査年 調査期間 調査者 調査機関
942 不明 水原岩太郎・時実黙水 吉備考古学会 踏査・試掘
943 2 日 鎌木義昌 吉備考古学会 発掘
947 数日 豊 元国 府中高校 発掘
947 不明 島田 暁 試掘
948 3日 鎌木義昌 吉備考古学会 発掘
3日 江坂輝弥 発掘
3日 豊 元国 府中高校 発掘
6日 島田 暁・藤岡謙二郎 立命館大学 発掘
3日 酒詰仲男 発掘
949 7日 酒詰仲男・池田次郎 発掘
4日 鎌木義昌・江坂輝弥 発掘
964 8日 酒詰仲男 同志社大学 発掘
表 1 黄島貝塚調査史
2 .同志社大学による調査の概要 同志社大学考古学研
究会をはじめとする発 掘調査は 964 年 9 月 4 日 か ら 日 ま で の 8 日間実施された。調 査トレンチは貝塚のほ ぼ中央に設けられた。
まず、一辺を 2 mとす る正方形を一小区画と し、斜面に直交するA
Ⅰ~AⅤと斜面に平行 するBⅠ~EⅠから成 るL字形のトレンチが 設定された。その後、
A 00・A 0 区、X・Y・
Z区の各トレンチが拡 張して設けられ、調査
区全体は不規則な十字形を呈する(図 4)。
しかし、調査区の多くは以前に調査されており、プライマリーな状態を保っていた貝層は一部の区 画で僅かに小さな塊状に残るのみであった。図 3 からは既に調査された部分にはかかっていない区画 もあるように見えるが、こちらも撹乱を受けていた。これは、942 年に行われた吉備考古学会の水 原岩太郎氏、時実黙水氏らによる試掘調査が行われた部分である可能性が考えられる。斜面下部のA
Ⅳ~AⅤ区では撹乱を受けていないものの、貝殻、土器ともに摩滅しており、上部から流れたもので あると考えられる。全体として、964 年の調査区においては明確な貝層の堆積をほとんど確認する ことはできなかったといえる。僅かに、ZⅠ区において純貝層が存在したことを出土土器の注記なら びに貝層サンプルから確認することができるが、その分布範囲や層位関係については不明である。な お、このZⅠ区の純貝層は、貝層サンプルの観察からは、ハイガイを主体とし、これに僅かにヤマト シジミが加わるという構成であったものと推定される。遺物の大半は撹乱された貝層直下の粘質砂層 や花崗岩の風化土の上面から出土したものである(大関 969)。なお、僅かに概報に掲載された一部 の断面図を除いて、調査当時の各トレンチの平面図および断面図を見出すことができない(図5)。
そのため、各区の層位関係や面的な出土状況の把握は困難である。
では、なぜ既掘部に大きくかかるかたちで調査が行われたかといえば、以下の目的があったためと 考えられる。一つには、948 年の酒詰先生による調査の際に住居址の一部ではないかと推定される 地山の落ち込んだ箇所が発見されており、これが住居址かどうかを確認するとということ。もう一つ
図 4 トレンチ配置図
図 5 地層断面図(S = 1/40)
W
Ⅰ
Ⅱ E
Ⅴ
EⅠトレンチ地盤
Ⅰ 表土層
Ⅱ 攪乱貝層
Ⅲa 粘質攪乱土層
Ⅲb 粘質砂層
Ⅳ 赤褐色土層
Ⅴ 花崗岩風化土層
Ⅵ 赤色粘土層
S N
Ⅰ
Ⅱ
Ⅴ A01トレンチ西壁
N S
Ⅰ
Ⅲa
Ⅲa
Ⅲb
Ⅴ AⅤトレンチ東壁
E
W
Ⅰ
Ⅰ Ⅱ
①
②
Ⅴ
Ⅲb Ⅳ
Ⅻトレンチ南壁
S N
Ⅱ ① Ⅲb
Ⅳ
Ⅴ
Ⅻトレンチ西壁
Z00トレンチ南壁
Ⅵ
Ⅴ
Ⅱ
W
E
Ⅰ
Ⅰ
Ⅲb
Ⅲb Ⅳ
Ⅰ
Ⅰ
0 2m
①攪乱層
②黒色土層(風倒木痕)
としては、新たな貝層の検出と旧石器時代を視野に入れた貝塚形成期以前の文化層の追究を目的とし ていたということである。なお、XⅡ区において配石のようなかたちで花崗岩数点が検出され、住居 址の一部ではないかと考えられたが、断定には至らなかった。
結果として、964 年の調査では所期の目的とする遺構・遺物を検出することはできなかったとい える。
3 .資料の検討
964 年の同志社大学による黄島貝塚の発掘により出土した資料には、縄文時代の石器や土器のほ か、主に表土から出土した若干の弥生土器、土師器、須恵器等がみられる。今回の報告では、縄文時 代早期に比定される遺物について検討を行う。
縄文土器
縄文時代早期の土器の総点数は、細片や摩滅の著しい破片や判別不能な資料を除くと、破片数にし て 925 点である。その内訳は押型文土器 02 点、無文土器 93 点である。(その他に少数の撚糸文 土器、条痕文土器が存在する。)なお、押型文土器のうち山形押型文土器が約 4 割、楕円押型文土器 が約 6 割を占めている。山形押型文と楕円押型文が併用して施されている土器は 3 点であり、格子目 押型文土器は 4 点(2 個体)のみである。これらの資料のうち良好に残存しているものを中心に図化 した。今回は、紙幅の関係から押型文土器のうち山形押型文が施された土器と山形押型文と楕円押型 文が併用して施されている土器について報告する。
押型文土器(図 6 ~ 8、表 2)
~ 34 は押型文が施された土器である。 ~ 3 は山形押型文、32 ~ 34 は山形押型文と楕円押型 文が併用して施されている。
山形押型文
~ 7 は口縁部の破片である。 の口唇部は丸くおさめられており、口縁部全体としては直線的で 開きの弱い直口口縁となるものと考えられる。外面は横方向に山形文が施されている。内面には原体 条痕がみられるが、条痕の深さや太さからみて、施文原体によるものとは考えられない。このため、
柵状文であることも考えられるが、条痕の太さや端部が揃っていないことから沈線である可能性が高 い。2 の端部は丁寧なナデにより平坦に仕上げられており、口唇部の形態は角頭状を呈する。口縁部 は直線的に開くものと考えられる。外面に施された横位の山形文は条間がつまっており、直線的に彫 刻され、稜線がはっきりとしている。押型文は浅く施文されていて、一部は不鮮明である。内面の縦 方向の線は間隔が一定しており、浅く幅広い。このため、端部こそ観察できないが、柵状文であるも のと考えられる。3 の口唇部はやや尖り気味におさまる。口縁部は直線的に開く。口唇部内面から口 縁端部にかけては表面の状態から箆状の工具による調整が推測される。外面向かって右側から調整面 が左側へ斜めに食い込んでいる。器壁が薄いために修正がなされなかったと思われるが、このことか ら、器面がかなり軟らかいうちにこのような調整が行われたということがわかる。胎土は緻密で鉱物 の混入は非常に少ない。外面の一部に炭化物?の付着がみられる。4 の口唇部は尖り気味に丸くおさ
まる。外面は横位に施文され、それと一部が重複するかたちで縦位に施文されている。内面は横位の 施文の後、口唇部内面に細く短い沈線が施されている。5 の外面には縦位、内面は横位に山形文が施 される。口唇部内面には非常に細い沈線が施されている。6 は口唇部を中心に横方向のナデにより調 整されている。内面に比べ , 外面の施文部はやや間延びしているが原体の相違ではなく回転速度や押 捺の強度の違いによるものと考えられる。7 の口縁端部はナデによって平坦に調整され、口唇部は角 頭状を呈する。内面には横位に施文された後、原体条痕が施されている。8 の口縁部内面には等間隔 で端部のはっきりとした柵状文が施されている。9 は口唇部が外反し、丸みを帯びながらも外面側の 端部が尖る。内面には横位の施文がなされているが、外面には施文部はみられない。0 の口縁端部 は丁寧なナデ調整により平坦に仕上げられ、口唇部は角頭状を呈する。内面には施文した上から原体 条痕を施している。 の内面の沈線は 5 同様に非常に細い。方向は一定しておらず、一部で切り合 いが確認できる。2 の口唇部は丸くおさめられられているが、強く外反し、外側に向かって突出し ている。外面の一部と内面に煤が付着している。3 の口縁部は全体として外反しているが、口唇部 付近で特にその度合いが強い。口唇部はやや丸みを帯びながらも平坦に調整されている。施文部は重 複から判断すると、外面は左側、内面は上から施文している。特に内面は屈曲部の弱い稜に合わせて 二段にわたって施文している。4 は口縁部全体としても外反しているが、口唇部で特に強く外反し ている。外面は上端からは間隔をあけて斜位に、内面は屈曲部より上に横位の施文がなされている。
内外両面とも丁寧に調整されている。内面には向かって左上から右下にかけて直線的な浅い窪みが二 本みられる。5 の口唇部は丸く整えられており、やや厚みを増す。口縁部全体としては大きく外反 している。また、特に口唇部付近では上下・内外方向の歪みが強く、波状口縁となることも考えられ る。外面には斜位の山形文が非常に深く施文されている。6 は内外面ともに横方向のナデにより調 整されているが、口唇部付近には多くの指頭圧痕が残っている。7 は内外両面が横位の施文である。
内面の施文部以下は丁寧に調整されている。胎土中の鉱物の混入は非常に少ない。文様・胎土などの 特徴から、3と同一個体の可能性もある。
8 ~ 34 は胴部破片である。9・20 は同一個体である。
8 の内面には柵状文が斜めに施されている。さらに、残存部が少ないため断定はできないが、内 面から穿孔されたような部分がある。接合痕がはっきりとみられ、その境界が外面の施文部と対応し ている。9 の外面の施文部からは施文の過程がよくわかる。まず、下部の横位施文の後に、これに 重複しないように上部の横位施文をしている。さらに、上下の横位施文部の間に一単位の半分を重ね て縦位に施文している。20 の外面の施文部には太い波状の部分の中心に斜線の入ったような部分が みられるが、異なる施文原体を用いているのでもなく、同一の原体に山形文と組合わさっているので もない。山形文を横位と縦位に方向を変えて施文することにより、このような部分が作り出されて いる。幅広く太い特徴的な山形文が深く施文されており、凹凸がはっきりとしている。内面の調整 は非常に丁寧で、表面は平滑で光沢をもっている。胎土は緻密で、焼成は良好で堅緻である。2 の 外面には大振りで直線的な線の細い山形文が斜位に施されている。胎土中には 2 ~ ㎜の石英・長石 が多量に含まれている。22 はやや小振りな密集した山形文が外面に縦位に施文されている。胎土に
は非常に多くの鉱物が混入されている。23 は外面に非常に太い山形文が縦位に重複して施されてい る。深く施文され凹凸がはっきりとしている。24 も胴部破片であるが、比較的口縁部に近い部分と 考えられる。胎土はやや粗い。25 やや大振りな山形文が外面は縦位、内面は横位に深く施されている。
内面の調整は丁寧である。26 の外面は摩滅により不鮮明だが、斜位の山形文が浅く施文されている。
胎土中の鉱物の混入は多い。27 の内面は横方向のナデによって平坦に調整されている。28・29 は同 一個体である。どちらも外面には、なだらかで丸みを帯びた波形に近い条間のつまった山形文が横位 に浅く施文されている。全体として、その法量はかなり大きなものになることが推測される。28 の 外面の施文部は帯状施文のようにも見えるが、摩滅によるものと考えられる。29 の内面は横方向の ナデにより調整されているが、一部に指頭圧痕が数多く残されている。30 の内面には粘土帯の接合 に沿った線が残されており、指頭圧痕が多くみられる。3 は内傾する箇所の胴部破片である。器形 は全体として壺形になるものと考えられる。類例によれば、胴部中程に穿孔されている(注口土器)
可能性が高い。外面は屈曲部に対応して山形文が上部では斜位に、下部では縦位に施されている。内 面は横位の施文部が見られ、口縁部に近い部分であることがわかる。さらに、内面には非常に多くの 指頭圧痕が非常に良く残されており、凹凸が明瞭である。
山形押型文+楕円押型文
32 ~ 34 はいずれも口縁部破片である。32 は直線的に開く口縁部である。外面には縦位の楕円文、
内面には横位の山形文が施されている。内面の山形文は浅く施文されており、上端近くはナデ消され、
つぶれている。33 は口唇部付近で外反する口縁部破片である。内面には丁度器面の屈折に対応する かたちで非常に細い二段の沈線が施されている。34 はやや外反しながらも直線的に開く口縁部であ る。口縁端部は平坦に調整され、口唇部の形態は丸みをもっているが、外面側ではやや角張っている。
外面は横位に楕円文が施された後、縦位の山形文と楕円文が重ねて施されている。内面は楕円文が横 位に施されている。内面の平行する沈線は非常に細く、一部では交錯しているため、原体によるもの でも柵状文でもない。先の細い工具による沈線、あるいはハケ状の工具によって施されたものと推測 される。
1 2 3
4 5 6
7 8 9
10 11
12
13
14 15
16
17
0 10 ㎝
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
0 10 ㎝
30
31
32 33
34
0 10 ㎝
図 8 土器拓影図(3)(S = 1/2)
表 2 黄島貝塚出土土器観察表
No. 採上日 区 層名 文様 部位 胎土
焼成 色調 施文原体 備考
石・長 黒 外面 内面 端部 単位 条数 原体径㎜
― ― ― 山 口縁 ・ ― 良好 赤褐 黒褐 ― ― ≧6 ―
2 ― ― ― 山 口縁 + ― 良好 明黄褐 灰白 ― 2 ― 5.
3 64.9.7 A-0 Ⅱ 山 口縁 ・ ― 良好 にぶい黄褐 橙 F ― ≧ 3 ― 4 64.9.5 C- Ⅰ 攪乱 山 口縁 ・ ― 良好 暗赤褐 赤褐 ― ― ― ― 5 64.9.9 X- Ⅱ Ⅲ 山 口縁 + ― 不良 暗赤褐 灰褐 ― ― ≧8 ― 6 64.9.5 D- Ⅰ 攪灰 山 口縁 ・ ・ 良好 黄橙 にぶい黄橙 ― ― ≧6 ― 7 64.9.6 A- Ⅰ Ⅲ 山 口縁 ++ ― 良好 橙 明黄褐 ― ― ≧7 ―
8 64.9.5 A Ⅳ 山 口縁 + ・ 良好 褐 にぶい黄褐 ― ― ― ―
9 64.9.7 X- Ⅰ Ⅱ 山 口縁 + ― 良好 明赤褐 明赤褐 ― ― ― ―
0 68.6? A- Ⅴ Ⅳ 山 口縁 + ・ 良 橙 浅黄橙 ― ― ≧7 ―
64.9.6 A- Ⅰ Ⅲ下 山 口縁 + ― 良 黄褐 黄褐 ― ― ≧8 ― 2 64.9.5 C- Ⅰ 攪乱 山 口縁 ++ ― 良好 橙 橙 ― 2 ≧9 6.2 3 64.9.6 A- Ⅲ Ⅲ 山 口縁 + ・ 良好 橙 にぶい褐 W 2 ≧ 0 6.2
4 ― ― ― 山 口縁 ・ ― 良好 にぶい黄橙 橙 F 2 ≧5 7.
5 64.9.5 C- Ⅰ 攪乱 山 口縁 + ・ 良好 暗灰黄 にぶい黄橙 F 2 ― ―
6 ― A- Ⅲ Ⅲ 山 口縁 + ― 良好 橙 褐 ― ― ≧5 ―
7 64.9.7 D?A?- Ⅰ Ⅱ 山 口縁 ・ ― 良好 黄灰 にぶい橙 W ― ― ― 8 64.9.6 A- Ⅰ Ⅲ下 山 胴部 ++ ― 不良 にぶい黄橙 灰黄褐 ― ― ≧6 ― 9 64.9.7 Y- Ⅰ 攪乱貝層 山 胴部 ・ ・ 良好 にぶい橙 灰白 ― 2 ≧6 8.2 20 64.9.9 Z- Ⅰ Ⅱ 山 胴部 ・ ・ 良好 橙 にぶい橙 ― ― ≧6 ― 2 64.9.6 A- Ⅰ Ⅲ上 山 胴部 ++ ― 良好 浅黄橙 橙 W ― ≧6 ―
22 ― ― ― 山 胴部 ++ ・ 良好 明黄褐 灰白 ― ― ≧7 ―
23 ― ― ― 山 胴部 + ・ 良好 橙 橙 ― ― ≧5 ―
24 64.9.5 C- Ⅰ 攪乱 山 胴部 + ― 良 橙 橙 ― 2 ≧8 4.8 25 64.9.5 A- Ⅲ Ⅱ 山 胴部 + ― 良 にぶい黄橙 明黄褐 W 2 ≧7 7.2 26 64.9.7 A- Ⅲ Ⅳピット 山 胴部 ++ ― 良 黄橙 にぶい橙 ― ― ≧9 ― 27 64.9.9 D?A?- Ⅰ Ⅱ 山 胴部 + ― 良 赤褐 にぶい褐 ― 2 ≧8 4.6 28 64.9.7 A- Ⅲ Ⅲ 山 胴部 ++ ― 良 明赤褐 橙 ― 2 ≧ 3 6.3 29 64.9.7 A- Ⅲ Ⅲ 山 胴部 ・ ― 良好 明赤褐 橙 ― 2 ≧ 3 6.3 30 64.9.6 A- Ⅰ Ⅲ 山 胴部 + ― 良 橙 黄橙 ― ― ≧9 ―
3 ― ― ― 山 胴部 + ― 良好 灰黄褐 にぶい黄橙 W ― ≧8 ―
32 ― ― ― 山+楕 口縁 ・ ― 良 橙 橙 ― ― ≧3 ― 山形文
― ― ≧4 ― 楕円文
33 64.9.6 A- Ⅴ Ⅲ 山+楕 口縁 + ― 良 暗黄褐 暗黄褐 ― ― ≧5 ― 山形文
― ― ≧8 ― 楕円文
34 64.9.5 D- Ⅰ 攪乱 山+楕 口縁 + ― 良好 にぶい赤褐 橙 ― 2 ― 5.7 山形文 F 2 ≧9 5.7 楕円文 層名 図5の断面図と本表の層名は対応していない。しかしながら、概報の記述(大関 1969)より、Ⅱ層とされたものは撹乱貝層、Ⅲ層と記
主要参考文献
立命館大学史前学会 949「瀬戸内黄島貝塚発掘概報」『日本史研究』第 号 日本史研究会 酒詰仲男 95「岡山県邑久郡黄島貝塚(Ⅱ)」『日本考古学年報1』 日本考古学協会 石附喜三男 969「岡山県邑久郡黄島貝塚」『日本考古学協会年報 7』 日本考古学協会 大関行一 969「岡山県邑久郡黄島貝塚の調査概要」『同志社考古』7 同志社大学考古学研究会
河瀬正利 98「 Ⅱ岡山県黄島貝塚出土の遺物について」『広島大学文学部帝釈峡遺跡群発掘調査室年報』Ⅳ 広島大学文学部 帝釈峡遺跡群発掘調査室
小林博昭 997「32 黄島貝塚」『牛窓町史』資料編Ⅱ 牛窓町
矢野健一 997「 中四国地方における押型文土器後半期の様相」『長野県考古学縄文時代(早期)部会 シンポジウム 押型文 と沈線文』長野県考古学縄文時代(早期)部会
遠部 慎 2003「黄島貝塚再考」『立命館大学考古学論集Ⅲ』 立命館大学考古学論集刊行会
図版出典 図 2 大関 969
図 3 大関 969、小林 997 より作成 図 4 大関 969
図 5 大関 969 を改変