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機械化論の展開(2) : 『資本論』の「機械と大工業」章をめぐって

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機械化論のブラックボックス

3―1 機械化と機械製造マニュファクチュア 前号で明らかになったように,「労働力の商 品化」にかんする従来の説明は,機械制大工業 がまだ出現していなかった家内経営やマニュ ファクチュア経営の段階では,あたかも労働力 という商品自体がまだ存在しなかったかのよう な内容になっていた。したがってまた,労働市 場にかんする従来の説明も,手工業的熟練を解 体された単純労働者ばかりが大量にエントリー しているという状態こそが,資本主義的な労働 市場の常態であるかのような内容になっていた。 これらの説明は,もはや本稿として支持できる ものではない。 すでに述べたように,機械制大工業の実体を なすのは,機械経営と工場経営という2つの経 営様式の結合である。しかし,機械制大工業だ けが機械経営や工場経営の唯一の具体的形態で あるとは限らないし,いったん結合された機械 経営と工場経営とが再度分離することはないと も限らない。従来,家内経営やマニュファクチュ ア経営に決まって貼られてきたのは,資本主義 以前的な(過渡期的な)生産様式というレッテ ルであった。しかし,このレッテルに付着して いる歴史的なニュアンスを脱色してみると,家 内経営とは要するに,工場経営の対立軸をなす 経営様式の渾名であるにすぎず,マニュファク チュア経営とは要するに,機械経営の対立軸を なす経営様式の渾名であるにすぎない。昔なが らの(まだ機械経営が存在しなかった時代の) 家内経営やマニュファクチュア経営はどこを探 しても見つからないかもしれないが,機械経営 が限界を迎えるなかでその対立軸をなす経営様 式が復権したり,工場経営が限界を迎えるなか でその対立軸をなす経営様式が復権したりする ことは,決して想定できない事態ではないので ある。 ここには,経営様式と生産様式という2つの 概念のズレが垣間見える。そもそも機械制大工 業への移行自体,マルクスが「世界市場への依 存性」といういい方で指摘していたように(K ., !,S.476,〔2〕381頁),大 規 模 な 労 働 市 場 の 存 在だけでなく,原料の安定供給と製品の大量販 売とを可能にする大規模な商品市場の存在を前 提としていた66)。経営様式の選択は,市場関係 のあり方を無視した狭い意味での「生産様式= 生産技術」の選択ではありえないのである67) 。 かかる観点に立つと,大規模な固定資本投資を 伴う帝国主義段階の蓄積様式が,資金の安定供 給を可能にする銀行資本との癒着と,製品の大 まる。この逆説的関連から見えてくるのは,機械化に与えられた2つの課題である。人間 労働への依存度を低めるほど,一種類の商品をより安定した品質で生産することは容易に なるが,一種類の商品からより多種類の商品を生産することは困難になる。「質の安定化」 という課題に取り組むためには,規格化・標準化を伴う機械化のコースを選ぶことが必要 になるが,「種の複数化」という課題に取り組むためには,それとは別の,汎用化を伴う 機械化のコースを選ぶことが必要になる。 JEL 区分:B14,B55,J50,N63,P12,P16

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発資本主義国)に固有の存在であり,不熟練労働者 の雇用の受け皿であり,独占企業による搾取・支配 の対象であるといった発想が根強く存在していたよ うに思われる。たとえば藤田[1965]は,中小企業 を「下請的支配という極めて日本的な企業集中の畸 形的形態」と規定している(323頁)。これは裏を返 すと,自由主義段階の資本主義には中小企業はそれ ほど存在していなかったとか,ほとんどの資本がむ しろ中小企業であったとかいう発想に他ならないか ら,中小企業問題は原理論の論点にはならないとい う見方に結びつくであろう。 たとえば宇野[1950・52]は,機械制大工業の発 展とともに「いわゆる中小工業(なお機械化されな い小産業;引用者)」も増加傾向をたどることになる が,それはあくまで「実際上」の話でしかなく,理 論上は「一産業の機械化は他の産業の機械化を促進 する」と考えなければならないという見方を示して いる(127頁)。また宇野編[1967]でも,「いわゆる 独占的大企業の発展と中小工場との関係」は,原理 論では解明できない「具体的問題」にすぎないとか, 「没落期の金融資本の時代」の産物にすぎないとか いった見方が堅持されている(284―286頁)。「機械経 営の中小工業」を原理論の俎上に載せるためには, このような見方を批判的に検討することから始めな ければならないのである。 90)D. ハーヴェ イ は,『資 本 論』第1巻 第4篇 第13章 第4節「工場」におけるマルクスの議論は,エンゲ ルスから伝聞した「マンチェスター型」の大規模な 機械経営の工場を,あたかも資本主義的産業主義の 究極形態であるかのように一般化する傾向があり, 中小規模の手工業経営の作業場が密集する「バーミ ンガム型(あるいはサード・イタリア型)」について 無知であったために,「一面的」な内容になっている と指摘している(Harvey[2010]〔訳〕323―324頁)。 産業革命期におけるバーミンガムの金属製品小工業 については,外池[1959]204―217頁,赤津[2006] 5―9頁,Piore & Sabel[1984]〔訳〕41頁,56頁,339

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たことにあるとした上で(206―207頁),「現代のフィ ードバック機構をもった労働手段としてのオートメ ーションは『資本論』の「機械」規定からは大きく はみ出ている」という見方を示している(194頁)。 高木[1995]も,伝統的な機械的原理によって規制 されてきた労働手段が,それとは異なるサイバネティ クス原理によって規制されるようになってきたこと で,現代資本主義には新たな発展段階が画されつつ あるという見方を示している(頁)。また松石[1998] は,現代の「コンピュータ制御生産様式」は「機械 制生産様式」とは異なる資本主義的生産様式である という見方を示しているが(58頁),松石[2007]で は,この生産様式が「コンピュータという頭脳が機 械制生産工場全体を制御する新しい生産様式」とし て規定されている(4頁)。 これにたいして佐藤[1997]は,上記の論者たち が指摘しているように,現代の ME 化の進展ととも に制御機能が自動化され,コンピュータ制御を組み 込まれた自動機械が登場していることは事実である が,その事実からもたらされた「技術学的相違」を, そのまま生産様式自体の相違と同一視すべきではな いという見方を示している(143―146頁)。ところが, 同論文を加筆・修正し た 上 で 第1章 に 収 め た 佐 藤 [2010]では,このような見方は影を潜めている。代 わって前面に打ち出されているのは,IT 化の進展と ともに生産・流通・生活の諸領域にわたって導入さ れた情報通信ネットワークは,機械制大工業に次ぐ 「第4の新たな資本主義的生産様式」を形成するとい う見方である(24―29頁)。 なお山崎[1991]は,ミュール紡績機の自動化の 歴史を繙きつつ,制御機構はあくまでも多種の作業 機に付随した機構であり,それ自体が第4の要素と して独立しうるものではないから,「制御機構を持つ 機械を自動機械として理解することはできても,そ れを超機械と見做すことはできない」という見方を 示 し て い る(49頁)。佐 野[1997]221―224頁,友 寄 [2019]58―59頁,64―65頁も参照せよ。 また小林[2012]は,コンピュータが機械である ことを否定する上記の論者たちが,いずれも作業機 (人間の代わりに道具を制御する機構)と機械類一般 との混同に陥っていることを指摘した上で(7―13頁), コンピュータはむしろ輪転機や電話交換機などと同 じ「コミュニケーション機械」の一種であり,「計算 手段の機械化」の極致を示しているという自説を展 開している(31―36頁)。小林[2004]61―62頁も参照 せよ。 さらに,コンピュータ制御(数値制御)の原型は, パンチカードによるプログラミング機構を具えた ジャカード織機によって古くから提示されていたと いう見解も存在する。小野[1986]100頁,Braverman [1974]〔訳〕218頁,Piore & Sabel[1984]〔訳〕39―

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のステップだけに圧縮されてしまう。「構想と実行と の分離」の先に「実行」の「機械化=自動化」が控 えているという理解が生まれるのも,至極当然の結 果といえるわけである。 124)宇野[1971]は,株式資本における「生産過程の 機械化」と「経営の組織化」とをつうじて,産業資 本の「個人的性格」が後退してゆくという見方を示 している(160―162頁)。また須藤[1984a]・須藤[1984 b]も,株式資本における経営機構のシステム分化と, それに伴う人的契機の消極化とをつうじて,「資本の 自立化」が進行するという見方を示している。これ らの見方の問題点については,拙稿[2006b]52―53 頁も参照せよ。 125)拙稿[2019・20](1)139―142頁を参照せよ。もっ ともこれは,拙稿の主題であった流通労働者の「集 団力」にかんして行った指摘であるが,生産労働者 の「集団力」にかんしても相当の程度まで妥当する ものと考える。 126)拙稿[2015・16](1)47―50頁,拙稿[2016・17](1) 13―14頁を参照せよ。 127)この点において,小幡[2009]の資本規定は改め て注目に値する。小幡によれば,運動体としての資 本の本領が発揮されるのは,商品売買に要した資材 や労力を売り手自身の家産から分離し,粗利潤から 回収されるべき流通費用として内部化する(明示的 に計算・管理する)「費用化」の仕組みにおいてであ るという (93頁)。この見方にしたがうと,「費用化」 の仕組みの下にある運動体には,価値の姿態を変換 させるために投入される労働や資本家的活動までが 内部化されていることになろう。 もっとも小幡自身は,この「費用化」の問題を, 資本の企業体としての側面と関連づけて論じようと はしていない。その結果ともいえようが,流通費用 を節減するためには,まず「流通費用節減型」の他 資本を利用する必要があるという説明になっている (93―94頁)。しかし拙稿[2019・20](1)でも述べたよ うに,流通費用の支出額は,流通労働者の賃金部分 の使い方によって弾力的に増減する(127―129頁)。 流通費用を節減するための方法として見た場合,自 資本における企業体の内部を点検し,流通業務にか かわる労働組織や役員組織を合理化・スリム化する ことは,「流通費用節減型」の他資本を利用すること と互角に並ぶのである。 128)山口[1987]は,流通形態とその人格化というマ ルクスの規定の仕方では,流通主体の商品経済的行 動は「主体的契機の積極的な媒介なしに,それとは 独立に規定されている物的な流通形態のほうからい わば理念的な行動として措定される」ために,たと えばいっせいに同一方向に動き,同一商品には同一 価格をつけ,同一資本量には同一利潤をもたらすと いった「均質な行動」,「同質的な行動」として措定 される以外になくなり,結果的に「個別流通主体に よって構成されている商品流通世界に独自の無政府 性,不確定性」が不鮮明になると述べている(12―14 頁)。そして,宇野の「商品という場合われわれはそ の所有者なしにこれを考えることは出来ない。もっ とも商品所有者はその場合いわば商品の人格化した ものとしてあるに過ぎない」(宇野[1950・52]27頁) という規定にたいしても,商品所有者を商品の人格 化とするマルクスの当事主体の規定の仕方を「その まま受け継いだ」ものでしかないという批判を加え ている(10―11頁)。 以上の山口の所説にたいする批判としては,拙稿 [2009・10](3)51―57頁,70―71頁も参照せよ。 129)したがって,桜井毅が述べている「マルクスの場 合,資本の人格化としての資本家はもともと産業資 本家のことであったのではなかったか」という解釈 には(桜井[1984]133頁),本稿としても納得がい く。 130)もっとも山口の場合,市場機構論における資本市 場の章まで来ると,資本結合に伴って生じる出資者 間での意思統一の困難が論じられることになり,マ ルクスの株式資本論との違いが鮮明になる。しかし この章でも,出資者以外の労働者までを含めた企業 体のことが話題に上るわけではない。しかも山口は, 出資者間での意思統一を図るための具体的な方法は 多様であり,原理的に一義化できるわけではないと いう理由によって,結合資本の経営機構の問題を「ブ ラックボックス」の内部に密封してしまう。企業体 の具体的なありよう(会社組織・人的組織)が多様 であることは確かであるが,だからといって,原理 論では資本が企業体としての側面を具えていること 自体が説けないという結論にはならないであろう。 参考文献

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図書刊行会.

参照

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