発展途上国の工業化と労働人間化
発展途上国の工業化と労働人間化
インド・アーメダバードの実験を中心に
三原 泰 煕
1 序
1970年前後より先進工業国において経営者,労働組合,政府,社会科学者,労働組織iに 関心をもつ専門家のあいだで,またILO, OECD, EC, NATOなどの国際機関において
(1)
労働人問化にたいする関心が急速に高まってきた。労働人間化の内容は一義的に明確な定 義はなく,論者によっては労働条件の改善から体制変革までも含めていることが示すよう (2)
に,非常に多岐にわたるが,そのうちで「脱工業時代の入口を反映する新しい内容」とし ては職務(再)設計,新しい労働組織などの仕事の内容と組織の変革にかかわるものであ
る。
1970年代に入ってこのような意味の労働人間化,あるいは労働生活の質の向上(Quality
of Working Life, QWL),職務(再)設計,新しい労働組織への関心が高まった背景とし
ては一般的に次の二点が指摘される。まず第一に,機械化と機械化原理による労働の組織 化である。機械化,科学的管理,1950−60年代のオートメーション化は,一方では生産性 の向上と大量生産を通じて生活水準の劇的な向上,労働時間の短縮と余暇の増大,単調な 重労働の減少を可能にしたが,他方では労働そのものを細分化し,単調な反復的作業にし てしまった。生活水準の向上と余暇の増大は教育水準と文化の向上を伴ない,欲望の個人 的お・よび社会的水準を高めて労働にたいする新しい態度を生み出した。個人の創意工夫の 余地を残さない断片化された反復的・単調な職務は教育を受けた若者にはますます受け入 れられなくなり,またその影響は高率の欠勤,離転職,製品の品質にたいする無関心,な げやりな仕事,無気力,無関心,ストライキの長期化,非公認ストの頻発などの現象とな って現われた。第二に,この問題を一層推進した要因として労働市場における完全雇用と 職場レベルでの交渉力の強化があげられる。完全雇用は職務の変更やそれに関連する選択 (3)の不可欠の条件であり,それは山猫スト,離転職,欠勤などの行動を容易にする。
労働人間化は工業化の進展,脱工業時代の到来に伴なう問題と考えられており,工業化 が遅々として進まず,労働力の慢性的過剰,低い生活水準を伴なう発展途上国には無縁
であるように見える。しかしながら,その発展途上国においても一部ではあるが,労働人
(4)
問化,QWL,新しい労働組織への関心が高まり,実験的試みがなされている。とはいえ,
発展途上国における実験的試み,その事例研究に関する文献はそれほど多くはない。
本稿は労働人間化の,また社会技術システム論の調査研究の亡霊であるイギリス炭坑の 研究とほぼ同時期に始められたインド・アーメダバードの綿紡織工場での実験について,
それを指導したライス(A.K.Rice)と,それの追跡調査をしたミラー(E.J.Mille r)の調査
報告を中心に紹介しながら,発展途上国における労働人間化,QWL,新しい労働組織の 諸問題,その実行可能性,必要性,を考察し,併せてこの問題の一般的検討の手がかりを得ようとするものである。
(注)
(1)Delam・tto and Walker〔6〕pp.4−6.奥林康司〔18〕〔19〕,武沢編著〔20〕参照。実験的試みの 報告や国際会議は数多く行なわれてきたが,労働人間化それ自体はその関心の高さの割には急速に普
及してはいない。(奥林康司〔18〕pp.52−55参照)。
(2) Davis 〔5〕p.53.
(3)この要因は1970年代中葉以降の景気時退が労働環境や労働そのものの変革にたいする当事者の熱を 冷やし,雇用に高い優先順位を与えたことの説明を可能にする(Barbash〔1〕p.9参照)。
(4)たとえばペルーにおける試みについてはTrist〔17〕参照。
丑 アーメダバード綿紡織工場の実験
(5)
(1)実験工場の概要
1953年に新しい労働組織,組織再設計の実験を行ったのはthe Ahmedabad Manufactur−
ing and Calico Printing Company, Ltd.通称「キャラコ工場」(the Calico Mill)であり,
それは原綿から完成布地を生産する会社で約8,000人を雇用していた。ライス(A.K. Ric e)
は会社と研究所が調査において協働できるかどうかを検討するためにタビストック人間関 係研究所から派遣されていたが,同時にまた会社にたいして外部コンサルタントとして実 験的試みに関わった。工場組織の分析が会長,工場長,職場長を含む研究開発グループと 共同で行われ,まず新たに導入された自動織機職場で,次いで非自動織機職場で新しい労 働組織一集団方式の実験が試みられた。
会社がこのような試みを行ったのは輸出市場で,発展途上国にたいしても,また先進国 向けにお・いても競争力を維持するために生産性の向上(効率と品質の向上)を経営政策と
したからである。そのような経営政策をとるに至った制約条件としては,第一に政府によ る輸入規制が行われていて原綿や機械及び部品の輸入が制限されていたこと,第二には手 工業(手織業)の保護政策によって自動織機への転換が制限され認可が得にくかったとい
うことがある。ここから機械一台当りの生産高と品質向上(不良品率の低下), 一台当り の利益の向上に力点がおかれたのである。また自動織機への転換が認可されなかったので 非自動織機職場の効率と品質向上のために実験が試みられたのである。
(6)
(2)自動織機職場の実験
自動織機がこの会社の一工場(the Jubilee Mi11)に導入されたのは1952年6月であり,
1953年3月までに実験の行われた職場に224台が設置された。効率(一定期間,通常一交 替のあいだに横糸が実際に挿入された数の,もし機械がその継続して運転された場合の数
にたいする比率)は目標値より低く,不良品率は高く,両者を結合した生産性は非自動織 機職場のそれよりも低かったのである。
1.既存の労働組織
まず職場の労働過程と組織の分析が行われた。
224台の自動織機職場には29人の労働者が配置されており,そのうちの28人は織布に直 接的に関与しており,残る1人は職場の湿度維持作業に従事していた。
1台の自動織機の作業は循環的(すなわちload−weave−unload)であり,それは農作 業の継続的遂行を要求する。多数の織機を配置した職場の活動は継続的であるとともに,
継続性を維持するためには諸作業の同時的遂行を要求する。
織布工程はその構成要素作業に分解され,相異なる作業に配置される労働者数は,各作 業の作業研究によって,そしてイギリス,合衆国,日本の標準,インド的条件,実際の断 糸率を考慮して決定されていた。実験開始前の1953年3月時点において,その工程は監督 者の職位3を含めて15の作業に分解されていた。それらの諸作業(職業役割・職務)は作 業活動の関連から5種類に分けられ,また1人当り受持台数からみると5グループに分け
られた。
織布工程の全作業は,作業の種類によって相互依存性の程度が異なるとはいえ,全般的 に相互依存的である。ところが各作業を遂行する労働者は事実上独立的であった。
このように同一種類の活動に含まれる作業ですらその受持台数が異なり,他の種類の活 動とは相互依存性があるにもかかわらず独立的に作業をしている結果として,出来上った 組織は混乱した仕事一役割関係をもち,明確な内部集団構造をもたない諸個人の集合体で
しがなかった。さらに織る布の種類の変更は各々の受持台数の変更を,したがって人数の
(7)
変化をもたらして混乱を一層拡大したのである。
この混乱が困難を表面化させなかったのは監督者間,監督者と従業員とのあいだの密度 の高い関係によるものであった。すなわち,集団の内部構造の欠如は労働者に外在的な,
強力な経営構造によって補完されていたのである。さらに組織図には含まれていないトッ プ経営者がこの織機職場に入り込んでいた。
このような強力な職場支配体制にもかかわらず効率は低く(79.8%)不良品率は高かっ
66
(8)
た(平均31.8%)。この情況に対処するのに,技術的改善を別にすれば,二つの可能性があ
った。一つは監督者の数を増加し,検査を強化することによって支配体制の外在小構造を 一層強化することでありダ他は労働者集団の内部構造を創り出し,それを安定化させるた めに再組織化を行うことである。前者の対策の問題は,労働者が内的に構造化されていな い混乱の不快感を味わい続けるであろうということのみならず,強制され監視されている と一層感ずるようになり,その結果,ヨリ大きな生産性と努力にたいする抵抗を増すかも 知れないということである。さらに職場の支配体制での上級経営者の存在は一時的でしか ありえず,彼らが引き上げるとき支配体制に隙間が生じ,それはさらに多くの代わりの監 督者を必要とする。それは労働者の自分は信頼されていないとする感情を一層強めることになるであろう。ここから後者の再組織化がまず試みられるに至ったのである。
2.再組織化
(9)
労動組織の改革にあたって想定された労働集団組織の仮説は次の6点である。
(a)個々の作業が相互依存的であるとき,それらの作業を遂行する人々の関係は生産性
に重要な影響をもつ。
(b)一つの同じ織機群のみに従事している労働者の集団は,その範囲が重複している諸 集団よりも内的に構造化され,安定した凝集的集団を形成する傾向がある。
(c)作業の互換性(役割のローテーション)は労働者により大きな移動(配転等)の自
由を与える。
(d)明瞭な物理的境界と奉仕する織機群の境界の一致は労働者集団が自己を認識し,自 己をその「領土」と一体化することを可能にする。
(e)昇進の機会の提供とも斉合するが,労働者集団の地位(と賃金)における差異が小 さければ小さいほど,集団の内部構造は安定し,そのメンバーは内部のリーダーシッ
プを受け入れる傾向がある。
(f)小労働集団の個別メンバーが彼らの労働集団にもはや適合できないほどに不満を抱 くようになったときには藻団の安定性力轡1され臨めには・彼らは美頁似の作業に 従事している別の小作業集団に移れることが必要である。
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これらの仮定のどれひとつとして既存の労働組織では充たされていなかった。そこで自 動織機職場の諸作業の再検討が行われた。
布は織機が動いているときにのみ織られる。そこで職場の全作業は織機が織布しつづけ ることに向けられる。その作業は二つの大きなグループに分かれていることがわかった。
すなわち短い時間の織機の停止(short stops,一画純な糸切れ一30秒ないし1分問)に関
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する作業と,長い時問の停止(long stops,1時聞〜1時間30分, loadingとunloading,保 全作業)にかかわる作業とである。ここから一交替組の労働者は二つのサブ・グループに 分けることができるように思われた。織布の等級(番手)の相違によって各婚前作業に必 要な時間一人数は変動するが,いくつかの作業が互換的であると考えられたので主要な品
目のなかでの変更の場合には労働者集団の変更は必要ではないとされた。
自動織機職場では通路と柱によって64台の織機(1列16台×4列)が一群として物理的 に他の織機群から区別され,容易に認識される「領土」として区分できたので,その結果,
一群の織機にたいして1グループという思想 (the idea of agroup for a group of looms)が適:用可能となり,その64台の織機群に理論的に必要な人数が計算され,中級織 布を基準にして7人で1集団を形成することに決められた。
64台の織機にたいする労働者集団には三つの自然発生的な等級が見出された。その等級
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はA,B, Dという文字によって表現された。けだし,職業役割の既存の名称は内部で構造 化され,内部で指導され,作業の多くが互換的である小作業集団という形態にはもはや適 当ではなかったからである。これらの等級の賃金は元の賃率よりも若干高く設定されてい た(A一グループ・リーダーは少し上昇し,以前に不熟練と格付されていた者の賃率の上
昇がもっとも大きかった)。従来は織布工とjobberのみが出来高払制で支払われていたが,
集団全体にたいする出来高制(ボーナス制)で支払われることに決定された。
3.実験の諸結果
上級経営者は,1963年3月に64台の織機i群において実験的に労働者集団を組織すること について,工場長,職場長,監督者,労働者と討議することに決定した。監督者と労働者 は即座に再組織化に魅力を感じ,次の日には二つの実験グループが組織され老13)その選択 は労働者自身によって,工場長や監督者の介入なしに行なわれた。そして次の日にはさら に二つのグループが組織された。トップ経営者は,このように選ばれた実験グループにた いして,実験期間は成行きによってきめることとして,作業を開始すうことを許可した。
実験の結果は次の通りであった。
(a)内部の構造化された,内部で指導される労働者集団の創出。
(b)直接に監督者に報告する者の数の減少とその結果として執行命令の強化。なお上級監 督者(top supervisor)は主として訓練用織機群に注意を集中することとなった。
(c)職場の支配体制から上級経営者の撤退の開始。これは意識的に決定された計画の一部 としてではなく,職場の労働者の問題解決能力にたいする確信の増大の結果としてであ
る。
(d)実験集団の平均効率は以前の79.8%にたいして,最初不良品の増大と不十分な保全と
いう犠牲の上に,直ちに上昇した(4月5日一10日:87.1%)。不良品の増大と不十分な保全
にたいする対策の期間中は一時後退したが(4月11日一14日:72.6%), その後は84.9 %(4月15日一23日),95.0%(4月24日一6月6日),と再組織前よりも高い水準で安 宿した。不良品枯は実験:前の平均31.8%であったが,最初(4月5日一10日)は41.6%に上昇したが,その後33.7%(4月11日一14日),22.3%(4月15日一23日),19.9%(4
月24日一6月6日)と低下した。6月8日から8月22日の間は効率,不良品率は平均90.3(14)
%と24.5%であった。
集団方式が残りの職場に拡大され,第三交替組が組織されたとき,効率と不良品率は1953 年10月から11月にかけての5週間にわたって急激に悪化した。原因分析が行われた結果,
各グループが織布種について争っていること,不十分な予備労働者,新しい方法の組織化 の訓練が無視され,また職場全体に分散して行われていたこと,グループ・リーダーが指 導の任務を果たすに十分な時間を与えられていなかったこと,これらの要因によって惹起 された困難の結果として,グループのメンバーは集団方式よりも個人方式にふさわしい初 期の仕事の習慣に後退していたことが明らかにされた。最低基本賃金の確立,生産と訓練 の分離,一集団の織布種の変更を極小化する政策の確立を含む種々の是正措置がとられた
(15)
結果,効率と不良品率は急速に回復し,一層よい状態で安定した。
4.評 価
ライス自身は,この実験結果が実際作業中の調査であり,実験環境のなかで,その結果を インドの経済的・産業的・文化的条件などの生態的背景に関連させることができなかった こと,また言語の障碍のためにその結果を織機職場の監督者と労働者の態度や関係に関連 させることができなかったことを認めた上で,その分析の適切さの唯一の証拠として,「自
(16)
発的受容と急速な実行と継続」をあげている。そしてこの自発的受容と即座の実行と継続 についてライスは結論的に次のように述べている。
「新制度の最初の自発的受容とそれに引続いてそれを機能させようとする決定は主と して,労働者がそれを産業に入るために彼の村落や家族から離れることによって失った 小集団の構成員たることの保障と保護を提供するであろうものとして直感的に受容した ことによるものであったと結論できるであろう。同時に新しい制度は彼らにその第一次 的作業を効果的に遂行することを可能にし,そうすることによって彼らに満足の重要な
(17)
源泉を提供したのである。」
(18) (19) (20)
ライスのこの結論的評価はMiller, Kleinの著作にそのまま引用されてお・り,またTrist
もこの2点をそのまま指摘している。Chernsもまたアーメダバードの労働者はイギリス・ダラム(Durham)の炭抗夫と同じ情況にあり,実験は新しく生じた欲望に対するよりも
(21)
最近の喪失感(asense of recent loss)に対応したものと解釈している。最近失ったも のとして村落や家族における小集団の構成員たること(Rice),生活のより有機的なパタ ーン(Trist)があげられるが,情況がダラム炭亡夫と同じであるとすれば,次節にみるよ
うに,非自動織機職場に展開されていた非公式の相互に支持的で相互援助的関係が自動織 機の導入によって破壊されたことを付加しうるかも知れない。もしそうだとすれば,再組 織化は(一時的に失われたとはいえ)非公式レベルでの権力と手続を公式レベルに移した
(22)
ものと解釈することもできる。
(23)
(3)非自動織機職場の改革
1953年11月,会社経営者は,キャラコ工場で織られている灰色布地の品質を改善するこ
とが必要であると決定した。政府が近代的自動織機の設置を認可しようとしなかったので,
品質の改善は既存の旧式の非自動織機で行わなければならなかった。既存の職場の社会技 術システムは繊維産業全体にわたって基本的に同じであること,織布職場に雇用されてい る労働者の大半は多年の経験を有していたので現行制度を受容していること.および彼ら の機能の検討の結果として,通常の,今までに何度も繰り返されてきた検査標準と監督の 強化の前にまず既存の制度の修正の可能性を考慮することが決定された。
1.既存の労働組織
この工場(キャラコA工場)では織布の種類は多く,毎日40種,300亜種以上が織られ ていた。織布の種類は以前にその織機で織られたことがあるかどうかを特に考慮すること なく各織機に割当てられていた。織工には生産量によるボーナスが支払われたが,不良品 にたいしては罰金が課せられた。ただし法律によって罰金は不良品布地を織ることによっ て得たボーナスを超過することはできなかった。また同様に不良労働を理由にした解雇は
(24)
困難かつ複雑な手続を必要とした。
非自動織機職場の社会技術システム分析は次の4点を明らかにした。
(a) 1人当り2台の織機を担当している織工は彼らの公式の役割関係では独立した孤立人 であり,1人で作業をし,彼らに権限をもつ者との個別的関係を形成した。しかし非公 式には彼らは相互に支持的で相互援助的関係をつくり上げ,長時間職場外で過せるよう にお互いの織機を引き受け合っていた。
(b)織工は織られた布の量と質に責任をもつが,彼らは3部門,すなわち,彼ら自身の部 門,準備部門,販売部門の権限に従属していた。織布作業を遂行するために彼らはしば しば糸を受け取り,織られた布を運搬するために工場の諸所を訪ねることが必要であっ
た。 .
(c)複数の権威の存在と広い範囲の工場内移動にかかわらず,織工は糸から布への転換と いう統合された「全体的」作業(an integrated whole task)を遂行していた。
(d)同等な地位の2人の監督者はそれぞれの職場の各々の交替組を担当していた。彼らの 権限と責任は入り乱れてお』り,他方では彼らのいずれもが織布工程のある部分にはまつ たく権限をもっていなかった。
2.再組織化の試み
1953年7月に工場主協会と繊維労働組合とのあいだで織布工は1人4台の織機を扱うこ とを許容する協定が締結された。そして欠勤の状況と退職から24台を実験職場に設置する ことが可能となり,その後その台数は40台に増やされ,作業時聞分析の結果,それらの織 機を受け持つ集団のメンバーは11人と決定された。
既存の職場からの志願者によって実験職場の作業集団が組織されたが,それは次のよう (25)
な特徴をもっていた。
(a)すべての織機にwarp−stop−motionsが取付けられた。
(b)織布の作業は作業領域・頻度と長さ・技能・作業条件(clean hands or dirty hands)
によって分類された。
(c)織機操作の作業はさらに織機の前面の作業と後面の作業に分化された。
(d)小規模で内部の構造化された作業集団が,すべてが同じ種類の布地を織っている40台 の織機群の織布と保全のすべての作業を遂行した。
(e)作業集団のメンバーは相互に関連した,相互依存的な諸作業を遂行し,相互に依存的
かつ支持的な関係を形成した。
最低基本賃率が実験開始前より高く設定された。そしてグループ・リーダー,織機の前 面労働者,後面労働者,助手という四つの等級が自然に形成された。ボーナスは生産の量 と質にたいして支払われ,不良品にたいする罰金は停止された。ボーナスは労働者自身の 要求によって集団の業績にたいして支払われた。
検査は販売部門にではなく織機職場の機能とされ,検査の基準は上級監督者,交替組監 督者,検査係,グループ・リーダーによる二百ヤードの織布の共同検査の後に協定された。
経営者は自己検査と自己批判の方が検査が販売部門の機能であった時よりも高い品質基準 を課し,良好な品質管理をなすものとして承認した。
3.実験の結果
実験期間は10ヵ月間であった。実験の初期には,縦糸巻の品質,湿度調整の困難i,新し い作業方法についての労働者と監督者の不慣れによって混乱が生じた。縦糸巻の品質の向 上,織機運転速度の変更(遅くした)による織機停止率のコントロールがなされた。この 間,経営者と労働者は互に相手の誠実さと協働意欲を伺いながらこの時期を過していた。
実験の最初の1ヵ月が過ぎると徐々に,相互信頼に基礎をおく許容的かつ協働的関係(per−
missive and cooporative relationship)が樹立され,労働者は以前の方法よりも集団的方
式の方がよいということを学んだのである。経営者と労働者の協働関係の樹立およびグループ内部関係の安定化はインフォーマルな 会合の制度化と並んで,会長,工場長,職長,グループ・リーダーの出席する,公式的な 会合の制度化によって強化された。
実験職場の効率は,上述の事情から最初は低かったが,そして途中全国的な反合理化運 動のとき,に一時的に低下したが,着実に上昇し,実験の最後の9ヵ月目,10ヵ月目には他 の非自動織機職場よりもいくぶん高くなった。不良品率も実験の最初は高く,また反合理 化運動の嵐の吹き荒れた時に一時的に悪化したが,着実に低くなり,最後には他の職場に おけるよりも低い水準で安定した。実験グループによって効率と品質に差異があったが,
この差異の原因については解明されなかった。
労働者は実験の最後の時期には平均28%のボーナスを受けとり,グループ・メンバーの 平均収入は1人2台受持の職場の平均収入より90%高かった。実験職場の労務費は同じ織 機台数の他の職場よりも17%高かったが,生産量が21%多かった。これらの結果は工場で
通常織られているうちでもっとも難しい魚種について達成されたものである。
ライス自身はこの実験について次のように評価している。すなわち,
「この実験はコンサルタントと顧客との関係という委託条件のもとで実行されたので あり,コンサルタントと顧客の双方にとって緊急の実際問題の解決が調査目的の追求よ りもずっと重要だったのである。とはいえ,実験の直ちに現われた実践的な結果は,も しも当該関係者のあいだに許容的・協働的関係が樹立されるならば,キャラコ工場にお いて,「全体」の織布作業を,それぞれを異なる労働者によって遂行されるところの構成 作業への分解することと,労働者を一群の織機群について「全体」的作業を遂行する内 部の構造化された作業集団に再統合することとが一つの過程においてなされうるという ことを示したことであった。その結果,旧式のシステムよりも少い労働者で,ただし高
(26)
い賃金が支払われるが,大きくないコストで,より良い布を織ることができたのである司
(27)
(4)その後の展開 一ミラーの追跡調査一 1.集団方式の適用拡大
1953〜54年に労働組織の集団方式の実験が自動織機職場と非自動織機職場において行わ れたが,その労働組織は同社のいくつかの他の職場にも拡大された。前述のキャラコA工 場の実験職場(120台)につづいて残る非自動織機職場(Pit職場一440台)でも集団方式 に転換された。キャラコB工場の非自動織機職場では複雑かつ多様な品目構成のために集 団方式は技術的に不適と考えられて導入されなかった。最初に実験の行われたJubilee工 場の自動織機職場では288台の自動織機のうち48台は1960年代の終りに廃棄され,128台 の自動織機が追加された。同工場の非自動織機職場では第三交替組に集団方式が導入され たのみである。1960年代に入って自動織機の増設が認められたとき,それらはキャラコ工 場に設置された(656台)。集団方式が導入されたがその低生産性に経営者は失望したほど であり,期待された水準の効率と品質に達するのに数年を要した。
2.調査方法
ミラー(Eric J.Miller)は1970年8〜9月に,コンサルタントとして実験を行ったこの会 社を訪問し技術と組織の変化についての資料を蒐集した。調査方法としては観察・面接・
業績その他の記録の検討が採られ,経営者との面接のほかに前述の諸職場に分布する78人 の労働者が面接をうけた。調査結果は集団方式の導入された4職場について1970年当時の,
1.作業集団の内部構造,2.作業集団の境界の管理,3.労働者の認知と態度,の項目によっ
てまとめられている。
3.1970年の各職場の情況
ライスは自動織機と非自動織機の職場に「集団方式」を導入した。両者の技術的差異に 関連した若干の相違はあるが,その土台となる労働組織の概念は同じであり,それは「一 群の織機での織布の全体的作業に責任をもつ,内部で指導される労働者の集団」であった。
しかし1970年 には集団方式といっても異なる作業方法が含まれており,その中心的な共通 の要素は個人の賃金はある程度織機群の効率と品質によって影響される,というものにす
ぎなかった。集団方式を導入した職場の1970年の情況は次のようであった。
(i) キャラコA工場・実験職場
この職場の集団方式は,120台を3交替の3グループ(計9グループ)で操業していたが,
1970年においても15年前のライスの記述とほとんど相違はなかった。集団構成員の集団と の一体感は高く,集団のメンバーは彼らの作業において互に協力していた。グループ・リ ーダーは境界コントロール機能を遂行し,監督者は滅多に個々の集団メンバーに干渉しな かった。1970年においてもなお「実験職場ゴと呼ばれており,それは過去との強い結びつ きを強調していた。労働者の半数強が最初の実験集団以来のメンバーであり,現在の彼ら が高い地位と感じているものは実験当時の彼らの歴史的業績と結びつけられていた。織ら れる布地の種類は依然として同じであり,業績水準も14年間そのまま維持されてきた。
(iD キャラコA工場・Pit職場
1970年において集団方式は,業績がいくぶん低いこと,集団のあいだで作業方法に辛き
、
な差異はみられたが,前述のキャラコA工場実験職場の情況に似ている。いくつかの集団 ではメンバー間の機能の差別化が進み,それに伴って相互の協力が少なくなっていた。A 工場実験職場に比較すれば,メンバーの集団との一体感はいくぶん低く,実験職場ではグ ループ・リーダーに属している境界コントロール機能を監督者が引受ける傾向があった。
(iiD Jubilee工場・自動織機職場
この工場の自動織機職場では,キャラコA工場Pit職場に見られた方向への移行(後退)
がさらに進んでいた。多くのグループの労働者は特定の組の織機の操作に責任をもたされ ていた。相互の助け合いはほとんどなかった。メンバーの集団との一体感は限られたもの であり,グループ・リーダーは織機の保全に専念してお』り,監督者がかなりの程度個々の 労働者の活動を直接的に統制していた。
qv) キャラコ工場・自動織機職場
研究者にたいして集団方式採用のジェスチャーがなされた短い期間を除けば,作業の方 法はおよそ集団方式とはいえなかった。メンバーの集団との一体感と内部の協働は実質的 に欠けていた。カテゴリーの異なる労働者を記述する用語は他の工場とまったく同じであ った。グループ・リーダーは保全に責任をもつJobberであった。彼自身は監督者が集団の 内部運営に責任をとり,個々の集団メンバーに干渉している事実にいくぶん立腹してはい
たが。
4職場の1970年の情況は上述のようであり,キャラコA工場実験職場がライスの展開し た社会技術システムを保持していたのにたいして,キャラコ工場自動織機職場ではまった く別の方式が出現しており,キャラコA工場Pit職場, Jubilee工場自動織機職場は両者の
中間にあった。
4.差異分析
ミラーは上述の4職場の情況の差異を次のように説明している。
(D 会社の環境と経営者の対応
まずこの会社の職場に重大な影響を及ぼした二つの要因がある。それはヨリ大きな利益 をもたらす市場に参入しようとする努力と適切な基準の予備部品及び原料供給が確保でき ないこと,である。前者は生産量と品質の維持向上の圧力をもたらし,後者は保全の作業 負荷と織布活動における注意の必要を大きくする。
社会技術システムとしての各織機群グループが外部からの規制的介入を招くことなく,
投入の変動を吸収し適応するためのある程度の弾力性をもつように,新しい作業方法が設 計された。それは投入される原糸の品質によって織布担当者の人数を増減させること,お
よび労働者のカテゴリー間,および個人間の固定的な労働分割に代えて作業分配の柔軟性 によって弾力性を与えようとしたのである。
固定的な労働差別化の方向への復帰は外部の変化が社会システムとしての作業集団の適 応能力の限界を超えた徴候と考えられた。そのような徴候が観察されるとき,先進的な経
営者の反応は,(a)投入の変動・昏乱の原因を減らすこと,(b)集団の弾力性を増す方法,す
なわち,社会システムと技術システムのあいだの最適化が回復されるようにそれらを調整 することであろう。Jubilee工場自動織機職場において1954年前半にとられた対策はこれらの特色をもっていた。集団の境界が回復され,その存続能力と弾力性を回復した。この 種の決定はこの職場がまだ実験局面にあったことにより上級経営者によって行われた。し
かし実験の成功とともに上級経営者の職場からの撤退がなされ,その嘉応らが職場を訪れ
ることはほとんどなくなった。
他方では,1954−60年においてライスの援助のもとに会社の管理組織の再編が行われた。
それは第一次的作業集団のまわりにのみならず,ヨリ広▽、システム(交替組,セクション,
職場,工場)のまわりに組織の境界線をひき,それらの各々がそれ相当の弾力性をもつよ うに設計された。そこにおける監督者または管理者の役割は彼が責任をもっているシステ ムの境界を,変化に直面したときに内部の弾力性を維持するように,調整すること,そし てそのシステムの適応能力を超えるときは掩乱の源泉に上位監督者の注意を惹くこと,で あった。
1970年の情況はこれらの連続的な境界が効果的にコントロールされていなかったことを 示している。投入の掩乱は労働集団に直接伝達された。境界コントロールの概念が仮に理 論的に理解されていたとしても,実際には実行されていなかった。その結果,監督者は直 i接に集団内部に介入することによって集団の弾力性を一層破壊し,個々人の作業の一層固 定的な差別化が進行するのを助けたのである。
(iD ボーナスの効果の漸減
作業集団の労働者の賃金は3要素一基本給,物価調整手当,基本給を基礎に計算される
ボーナス,から構成される。1953年から1970年のあいだに基本給はわずかしか上昇がなか ったのにたいして物価調整手当は3倍になった。その結果は,例えば,キャラコA工場実 験職場のB級労働者の場合,基本給は112Rp/月,物価調整手当は62 Rp/月であり,基 本給の28%のボーナスは収入の18%を占めたが,1970年には基本給は125Rpだが物価調整 手当が180Rpになったので,同じ28%のボーナスも収入全体の11.5%にしかならなかった。
これが集団の自己調整の可能性を維持する能力を減殺した一要素であるかも知れない。し かしながら,他方では,そのキャラコA工場実験職場の高い業績水準の維持は,金銭の刺 激的効果が批判者の指摘するほど大きくなかったことをも示唆する。
Gの 織布の種類による圧力の差異
実験職場の各々に加わる圧力の差が1970年にお』ける職場の情況の相違を説明する要素の 一つである。キャラコA工場実験職場への圧力が一番小さく,キャラコ工場自動織機職場 への圧力が一番大きかったようである。
キャラコ工場自動織機職場は流行の先端をゆく高級布地を織っており,それは利益のあ る新たな市場の追求によってもっとも影響を受ける布地である。この場合,生産の量と品 質のわずかな改善でも大きな利益をもたらすのである。他方,キャラコA工場実験職場で ば織られる布地は簡単なものではないが,安定した市場があり,1954年の実験の終了の時 期には高い基準が達成されていたので品質の改善が仮にあるとしてもほとんど必要ない製 品であった。Jubilee工場自動織機職場は,もう少し利益のある,難しい種類へ少しずつ 移行し,品質向上への不断の圧力があったとしても,織られる布地はそれほど上等でもな
く収益的でもなかったという点で,前記両者の中間にあった。
キャラコA工場Pit職場においては事情はそれほど明確ではない。(i)に関連するが,こ の職場への集団方式の拡大は集団方式の余りにも柔軟性のない移転であり,作業集団にた いして,彼らの文化のなかで彼ら自身の作業方式を発見するための十分な余地や援助を提 供しなかったということがありうる。ある集団は彼ら自身の弾力的な方法を発見したが,
他の場合には彼らはそのなかで自己調整が起る適切な境界を展開することができず,その 結果,監督者の介入が集団のなかの調整機能と統合されるに至ったと考えられる。
(iv) 予備部品と在庫の問題
非自動織機よりも自動織機において,下級品よりも上級布地において小さな誤差しか許 されない。このことが職場にたいしては織布の型による圧力と同じ方向にしかも差別的に 作用した。
(V) 実験の最初のメンバーの残存率
集団メンバーが集団的作業方法を内部化するに応じて彼らは弾力性をよりょく維持する ことができ,入ってくる露玉に抗することができると期待される。キャラコA工場実験職 場では半数以上が最初の実験グループのメンバーであり,Jubilee工場自動織機職場では
3分の1がそうであり,キャラコ工場自動織機職場ではほとんどいなかった。その結果,
個々の労働者への監督者の直接干渉はキャラコA工場実験職場では異常とみなされるであ ろうが,その他の労働組織においては,また伝統的監督方式を経験している労働者にはそ れが普通であり自然的であるとして,受容されるであろう。
(vD 監督者による個人の承認の欲求
ミラーは,インドの文化のなかでかなり強いのであるが,ライスの集団組織の概念にお いては十分に規定されていなかったものとして,自分の監督者によって承認される欲求を 職場間の情況の相違の説明要因として指摘する。個人はまず集団内の同僚の尊敬から満足 をひき出すはずであった。この欲求は,一全体としての集団が外部から十分に成功してい ると認められているかぎりでは潜伏したままでありうる。ところが,1970年の観察によれ ば,グループ・リーダーの役割は,キャラコA工場実験職場においてすら,ライスの想定
していたよりは監督者,職長の役割に変っており,労働者のなかの第一人者の役割ではな くなっていた。成功したという経験の逓減は,グループ・リーダーがリーダーシップの役 割から保全に専念するように後退するに伴って,集団の外部からの承認の必要を再生させ
るであろう。このことは労働者が外部からの直接的監督的介入を受容する下地をつくり,
それに応じて集団内部の関係のあり方も協働から離れて競争の方向に動かすであろう。
5.ミラーの評価
ミラーはこの追跡調査からライスのアプローチの評価を行っている。その要点は次の如 くである。
ライスによるシステム概念の組織への適用は当時急速に発達しつつあった生態学の影響 を受けていた。生態系の研究によれば,殺虫剤や肥料の使用による増収の試みは短期的に はおそらく利益をもたらすであろうが,それは生態系を乱し長期的にはいかなる収益をも 相殺し,あるいは最初よりも低い生産性に後退させるかも知れない。可変性の喪失と安定 の境界の縮小はそのシステムの自己調整能力の喪失を意昧する。かくして生態系における 生産性極大化の目標は長期的にみれば疑わしくなってきているのである。現代の生態学の 示唆するところは,人間の介入についてその力点が成功の可能性の極大化から災害の機会
を極小化する方向に変わってきている。
この生態学の産業生産システムへの類推は示唆的である。ライスのアプローチは,彼が 実験的社会技術システムのなかに新しい弾力性を組み入れようとした限りでは,「災害の機 会を極小にする」目標と完全に一致している。しかし,現在普及している産業精神のなか では彼がその方向に推進することは困難であったであろうし,他の人々がそれを受け入れ ることは一層困難であったであろう。逆説的だがライスの努力は比較的短期間に業績の改 善をもたらし,効率目標と調和しているように解釈することもできる。しかしながら,長 期的な存続のために設計された社会技術システムの導入の業績効果はむしろそれまでの業 績水準が高いか低いか,あるいは効率目標の追求によってシステムの業績がどこまで悪化
(28)
しているかに依存するというのが適切であろう。また逆に,災害の機会を極小にするよう
に設計されたシステムの業績はほとんどいつでも効率下天化を意図した介入によって改善 されうるともいえる。問題なのはその改善が維持される期間の長さである。その結果はお そらく業績の低下,規制的介入の増殖,あるいはその両方であろう。
上述のことが正しいとするならば,ライスの実験のもっとも顕著な結果は,かなりの変 化を伴なう長期間にわたり,そして効率目標がほぼ支配している経営環境のなかで,「集団 的システム」がキャラコA工場実験職場にお・いてほぼ完全に,そしてその程度はやや低い がJubilee工場自動織機職場で存続したということである。このことはライスが調査研究 をしたときの想定がほぼ確認されたということを示唆する。それはまた産業民主制の概念 をまったく別にしても,災害の機会を極小化するというシステム設計の目標が産業組織に (29)
とっても一般に認められているよりもふさわしいということを暗示しているρ
(注)
(5)Rice〔13〕p.298,〔14〕p.200, Miller〔12〕pp.357−8による。
(6)主としてRice〔13〕参照。
(7)その混乱した関係は管理組織図(Rice〔13〕p.307)にも現われている。
(8) Rice〔13〕p.325.
(9) Rice〔13〕pp.309−310.
(1①織機職場のすべての作業は相互依存的であるにもかかわらず,その作業を遂行する労働者は事実上 独立的であり,監督者によってはじめて結合されていた。また職場の空間と労働者数が共に旧きす試 作業諸関係の混乱も加わって,全労働者の間で安定した凝集的関係をうちたてる機会は大きくなく,
混乱した織機集団は作業関係に斉合した小規模で内部の構造化された,内部で指導される作業集団の 形成を排除していた。
職務の分割とその結果としての専門化は織機職場の諸作業の遂行に必要な技能の質の低下と範囲の 縮小をもたらす。織工(weaver)はもはや彼の織機の手入れをすることなく,それを調整したり,峻 を取り替えることもなく,あるいは不良品や損傷を防止するために機械を止める必要もない。自動織 機の導入によって機械自体がweaverになったのであり,織機職場の全労働者が今やこの機械的な織 手に奉仕するだけになったのである。
専門化はまた作業あるいは役割のローテーションの可能性も制限していた。低い離職率のために,
昇進または配置転換の現実的期待は織機職場の完成かあるいは織機増設の見込によって支えられてい るだけであった。内部移動はさらに多くの異なる地位等級によって制限されていた。けだし地位等級 は賃金率と結びついており,作業の交替はほとんどの場合賃金の変更を伴うからである。要するに労 働者は彼らの役割と作業に緊縛されていたのである。(Rice〔13〕pp.308−309)
(11)long stopsには食事休憩と交替組の間の停止が含まれる(Rice〔13〕p.310)。
(12)現実には,BとDの格差が大きかったので,等級Dか らの昇進の資格を得たが,まだ等級Bの資格を得るに十 分な経験を有しない者のために中間等級Cが挿入された
(Rice〔13〕p.315)。
(13)7人の構成は右の如くであった(Rice〔13〕p.318)。
等級
short stops long stops 計
ABC
22
111 133
計 4 3 7
(14) Rice〔13〕pp.320−324.
(15)Rice〔15〕, Miller〔12〕p.353, Kleih〔10〕pp.25−26.
(16) Rice〔13〕p.325.
(17) Rice〔15〕p.110.
(18》Miller〔12〕p.353.
(1{の Klein〔10〕pp.26−27. し
(2① Trist〔17〕p.81,
(21) Cherns 〔4〕 p.52, 55.
(22> ILO 〔8〕p.138.
(23}特に記さないかぎり,本節はRice〔14〕による。
⑳ 繊維産業における改革の障碍として,(1)会社の従業員数の削減,(2)作業慣行の変更は承認している
組合との協定がなければ許可されないこと,(3繊維または紡錘の能力の拡大は「余剰」部門では許可されないこと,があった(Rice〔14〕pp.210−211)。
㈱ 仕事と作業集団組織について8項目の一般原則と特殊インド的条件による仮定がなされた。一般原 則は前項の自動織機職場の場合とほぼ同じである(Rice〔14〕pp 212−213)。
(2⑤ Rice〔14〕p。249.
(27)Miller〔12〕
②8》 Likert〔11〕
⑳ Miller〔12〕pp.384−385.
皿 1970年代の試み
アーメダバードの紡織工場での集団方式の実験は同社の工場のいくつかの他の職場には 拡散したとはいえ,当初の顕著な業績改善にかかわらず,同社の工場全体へ拡散せず,他 の業界の経営者の注意も惹かなかった。前節で述べたように,その後の展開をみると,非 自動織機の実験職場を除けば,伝統的・直接的監督方式への後退が著しかった。しかしな がらインドにおける新しい労働組織の試みはこれで途絶えてしまったのではなく,1970年
代に入って再生した。
1973年にカルカッタで研究会が開催されて公共企業と政府部門の上級経営者と労働組合 指導者が参加した。その結果は好意的であり,少なくとも二つの組織が,仕事中の従業員 の無関心を克服する方法として,仕事の再設計の先行的プロジェクトを引受けることに関
心を示した。
1974年7月に全国労働研究所(the National Institute of Labour)が設立された。そ のもとで1974年10月から一連のセミナー,研究会,学習計画が全国にわたって組織され,
1,150人強の政府の管理者,産業経営者,労働組合指導者が出席した。これらの活動の目的 は,現代の技術と従業員の動機づけという文脈のなかで,賃金労働者,サラリー従業員,
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若手経営者,高い階層の人々の労働と生活の条件について議論を展開することであり,他 国の事例が集団討議に提供された。産業界からの経営者の反応は進歩的なそれから防御的
なそれまで広範囲にわたっていた。
このような活動の結果として1975年になると産業民主制に関するaction−research pro−
jectを行なう組織が出てきた。新しい労働組織の実験的試みを行った組織としては,バラ ート重電機会社(Bharat Heavy Electricals Ltd., インド最大の公共企業で従業員 56,000人)のHardwar重電機工場,中央鋳鍛造工場,重ボイラー工場,シムラ(Simla)
のChaura Maiden郵便局,ニュー・デリーの所得税事務所,ヒンドスタン機械工具会社
(the Hindustan Machine Tool Ltd.公営)の第5工場(Pinjore factory),インド生命
保険会社の中央集金センター,the Neyveli亜炭会社(公営), インド・エンジニアーズ(3Q)
(石油製精,化学肥料専門コンサルタント)等であった。
これらの実験的試みについては,その結果についての詳細な報告がなく明確な評価は下 せないのでいくつかの問題を指摘するにとどめる。
まず第一に,インドにおける実験において目につくことはほとんどが公共セクターにお ける実験であり,最初のアーメダバードの実験を除けば民間部門では進行中の計画はない ことである。第二は本国で新しい労働組織を実施したICI, Shellなどの多国籍企業がイン
ドではそのような方向に進んではいない。多国籍企業は発展途上国では経済人の価値を労 働への動機づけの第一の要因とみなし,ウェーバーーテイラ心的伝統に執着している,と (31)
いうことである。
行なわれた実験の紹介からNitish R. Deは次の諸点について考察している,すなわち,
(1)個々の事例の発展のパターン
(2)拡散のパターン
(3)コンサルタントの役割
(4)監督者の役割
(5)既成の最高経営者の役割
(6)報酬構造
(7)真の革新の実践の範囲と制約条件
(32)
(8)評価の基準
である。これらの問題は先進国における新しい労働組織の諸問題と共通である。
最後にインドの諸実験の結果として生じつつある事情について,Deは次のように述べて
いる。
「実験は確かに生産性の向上を結果としてもたらすが,しかし生産性の基準のみによ って専ら実験を評価するとすればそれは誤ちを犯すことになろう。……上級管理者がこ れらの成果を彼らの目的の遂行としてみるとすれば,デモンストレーション・プロジェ クトはその目的をある程度はたせないだろう。したがって,別の側面でも,特にチーム
ワークの基準に従ってみることが重要である。インドの事例から生じた一つの顕著な効 果は,新しい労働組織はテイラリズムによって推進されたのではないということが意識 されたことである。専ら権威主義的な型の経営が関係当事者の真の参加によって取って 代られていないならば労働生活の意味ある改善はありえないということ,技術の専制は 労働の形式の柔軟性によって抑制されるべきであること,位階制的コントロールは自律 的または半自律的集団労働による適当な形の自己調整と自己統制に途を譲るべきこと,
そして最後に,労働する人々は生産の用具としてではなく,意味ある仕事の創造者とし て評価されるべきだということ等の意識が新しい労働組織の原理として着実に承認を得
(33)
つつある。」
多国籍企業を含めて民間ではアーメダバード実験を除けば,新しい労働組織の試みさえ ほとんどなされていないことが示すように,先進的知識の応用は弾力的労働システムを要 求するが,最高経営者の心のなかではテイラリズムの精神が非常に強く固着していて,彼
らは従業員の不満をその根源,すなわち官僚制的労働組織にまで遡って追求することはで きない。それは諸実験が,特にアーメダバード実験が示すように不可能なのではなくて,
その必要性がトップ・リーダー(経営者,組合指導者)に感じられていない,あるいは強く ない,ということによるものであろう。ここから新しい労働組織の拡散についてその方法 が検討さるべき一大問題であることを示している。
(注)
(3ω ILO〔9〕pp㌧28−51.
(31) Op。 c記.,pp.51−52.
(32) Op. c記.,pp.52−59.
(33)9P・d孟.,P・60・
IV 結
アーメダバードの実験を中心にインドにおける新しい労働組織の試みについてみてきた が,発展途上国における可能性と必要性について述べて結びとする。
1.先進国において労働人間化,QWL,新しい労働組織への関心が高まった背景は,第 一に機械化と機械化原理による労働の組織化であり,これは一方では生産性の向上によっ てゆたかな社会を出現させ,他方では労働を細分化された単調な反復作業にしてしまった ことである。第二は経済成長によって労働市場が完全雇用状態になったとき労働者の交渉 力(組織的および個人的)が大きくなったことである。
インドの場合,機械化と機械化原理による組織化は確かに細分化された反復された単調 作業を出現させたとしても,労働者の生活水準はゆたかというにはほど遠く,また完全雇
用からもほど遠い。先進国の基準からみれば新しい労働組織への圧力,可能性はない,あ るいはずっと先の問題であるといえるかも知れない。実際,労働者の教育水準は低く,従
(34)
属的・受動的であり,他方,経営者は地位志向的で権威主義的である。このような状況の なかでア一巡ダバードの実験が成功し,かつ存続しえたということには大きな意味がある。
確かにライスの試みは,社会技術システム論のいうところの技術の選択は含まず社会組織 (35)
のみの変革ではあるが,教育水準が低く受動的従属的であるといわれる労働者が自己組織 化,自律的労働集団を展開し維持する能力を示したのである。そのなかで彼らは村落・家 族から離れて失った生活の有機的なパターンを経験することができたのであり,その欲求 は先進国でいわれる新しい欲求ではなく,最近の喪失感にもとつくものと解された。この ことは近代的雇用労働の経験がなお一般化していない一工業化が未熟であることの反映で
もある。
この事情は新しい労働組織の導入にとっては,既に近代的雇用制度と細分化された労働 情況に諸個人が適応してしまい,それに伴なう問題を処理するための諸制度が成長してし
(36)
まっている先進工業諸国よりも発展途上国の方が有利でさえあることを示唆する。「発展途 「37)
上国には,既に発達した工業国には開かれていない選択の余地(容易ではないが)がある」
のである。
2.アーメダバードの実験はまた生産性(効率と品質)の面からみてもいわゆるテイラー 的労働組織にも十分対抗できることを示し,工業化による生産1生向上を通じて生活水準の 向上を目指す発展途上国にとって新しい労働組織一集団方式は伝統的職務方式と並んで実 行可能な選択肢である。ただし,これには留保条件がある。目前の生産性を第一義的に追 求する伝統的方式によってどの水準まで生産1生が悪化していたかということに依存する。
いずれにせよ,伝統的方式は短期的には生産性を上げる一そのかぎりでは集団方式一新し い労働雛は対抗しえな、槻長期白勺にみれば作業集団の社会繊(人的資産_Liker131)
を破壊し生産性が低下するのである。集団方式は破壊された社会組織を回復することを通 して生産性の低下を防ぎ,あるいは回復させることができるのである。
3.上述のことは,発展途上国にとって新しい労働組織が職務方式の組織と並ぶ単なる選 択肢にとどまらず,それによる工業化が必要であることすら示している。先進国の情況が 示すように,伝統的な細分化された職務方式の組織による工業化は短期的には大きな経済進 歩を可能にするかも知れないが,長期的には生産性の発展を遅らせ,相対的な経済的不利
を大きくするのみならず,さらに急速に深刻な政治問題を起しそうな疎外された労働者を つくり出すであろ丹それを取除くための圧力を確保するために疎外された情況をつくり
(40)
出す必要はまったくない。」したがって新しい労働組織は長期的にみた生産性の低下を防ぎ,
深刻な社会・政治問題を防ぐのみならず,変化に対応して学習する労働者を生み出すとい う意味において工業化綱開する国におし・て必要であるといえよ尭)
4.新しい労働組織が発展途上国にお・いても可能でありさらに必要であるといっても,ア