京劇勝譜の記録撮影
「画像資料から見る中国伝統演劇近代化のプロセス」活動報告 李
1.京劇の扮装を記録する意義
京劇は中国の他の地方演劇を遥かに凌ぐ多彩且つ複雑 な扮装法を持つ。この扮装法は主に俳優の顔掃え、頭部 の形作りに用いる被り物(輩を含む)、体に着付ける衣 裳、体に付けるか、または手持ちの道具類に分類される。
単に四着それぞれにおける分量の多さ、互いに緊密して 且つ制約しあう複雑な関係を見ても他の古典演劇と比 べ、より体系的であることが分かる。
元来、京劇の扮装を担うのは、俳優自身と俳優の着付 けを専業とする「服装技師」 (古くは「箱工」という)、
二つの要素によって成り立つものである。清朝後期、京 劇が全盛期に入り、その扮装は次第に複雑になり、衣裳 も本来の劇団持ちである蔵衣裳から俳優自前や貸衣裳な ど多様に分化した。扮装の複雑化に連れて、専ら特定の 俳優の顔拓えを補助する化粧技師、特定俳優のための着 付けを受け持つ補助役(「銀包」という)など劇団とは 別系統の扮装係りが現れた。一方、劇団専属の「服装技 師」は被り物を専門とする「盗箱」技師、高貴な人物が 着る外套に相当する「併」や「宮装」などを専門とする
「大衣箱」技師、武将の衣裳に当たる「罪」などを専門 に扱う「二衣箱」 (鎧類は二番目の箱に入れるため、そ の類の衣裳は「二衣箱」という)技師、肌着類などを専 門に扱う「三衣箱」、持ち道具を管理する「旗把箱」 (演 類や持ち道具を納める箱)技師に分けられる。現在「服 装技師」になるには俳優とほぼ同様に7年の修行期間が 要される。
しかし、古典演劇として位置付けられる京劇は、現在 において既に過去の様な影響力を持たない。芸能として の京劇、京劇内部に係る様々な局面は既に崩れつつある 状況に置かれている。例えば衣裳製作、持ち道具製作、
化粧顔料など京劇を取り巻く手作業の世界はほぼ成立た ない状況に置かれていて、過去の水準に戻すのは極めて 難しいと思われる。演目に関しては既に上演が絶えた演 目は別として、現存する演目が置かれている状況にして も、京劇そのものの衰弱によって人力財力のかかる演目 の上演回数は逓減する趨勢にある。上演が既に絶え、上 演資料のみ存在する演目と上演が絶えようとする演目は あらゆる意味において、保存保護されるべきであり、保 存保護の一環として迅速に記録する必要があると痛感す
る。
京劇の現状を鑑み、計画的に京劇の扮装法を記録し、
今後の演劇研究に生かすため演劇博物館は2003年度よ り研究プロジェクト「画像資料から見る中国伝統演劇近 代化のプロセス‑二十世紀における身体・演技・扮装
の歴史」を発足させた。この研究は2003年私立大学等 学術研究高等化推進事業・学術フロンティア事業として 文部科学省に認定された「日欧・日亜比較演劇総合研究 プロジェクト」の研究チームのひとつとして研究を進め ている。 2003年度は、北京の研究機関より京劇写真資料 を購入した。購入資料は清朝末期から1950年代まで80 余年の上演、または京劇の扮装史をある程度に反映する ものであった。
2.臆譜を記録する意義
2004年度は京劇独特な化粧法として知られる「股譜」
を記録し、研究することを立案した。 「股譜」と呼ばれ る化粧法はかなり古く、少なく見積もっても、京劇の母 体の一つである昆曲よりも古く、宋、元の時代に既に あったと思われる。更に、昆曲の「天官賜福」や「跳加官」
「跳財神」などが何れも仮面を用いる事をみれば、斉如 山が唱えた蘭陵王以来の仮面劇を継承している説は、考 古学などの自然科学によって然るべく実証が十分されて いなくても、かなりの信惣性があると思われる。視野を 更に広げれば他の地方演劇の「股譜」との横の関係も無 視できず、中国演劇における一大特徴とも言えよう。
いわゆる「花胎」と呼ばれる浄役者が顔の上に色取り 取りの模様を措く、あるいは手で顔料をぼかす行為は、
京劇では「勾胎児」という。 「股譜」という意味は即ち
「胎児」 (顔)の型である。厳密に言うと我々は舞台を見、
目にするのは「花胎」の「胎児」 (舞台顔)であって、「槍 譜」ではない。元来「股譜」は公開するものではなく、
あくまでも俳優自身が「花股」 (「生」 「丑」などの役柄 も含まれる)という役柄に属す人物あるいは妖怪を形作 る時の素材であり、役に息を吹き込む切っ掛けである。
20世紀以後、京劇研究が始まり、この独特な化粧法は公 開される運びとなった。
通常「膝譜」と称されるものは、あくまでも一種の型 であり、譜は役者の顔に載るからこそ命を得るのである。
しかし、顔は千差万別であるために、 「勝譜」は役者の顔、
時代の好みとともに変化していく。新たな譜が作られ、
旧譜の淘汰と新譜の創造が繰り返される。あるいは旧譜 の強い生命力によって新譜が淘汰されることもある。京 劇胎譜は現在常時上演のものと、譜のみ伝承され、既に 上演が絶えて久しいものをあわせて六百はくだらないと 言ってよい。全体的に見ると譜のみ存在するものは現行 上演で使われるものより分量的に遥かに多く、中には演 目の筋や演出などは既に不明になっていて、役の「胎譜」
のみ残されているものも少なくない。
これらの「股譜」を記録し、今後の演劇研究に生かす
事は重要な作業であり、研究者に課せられる使命でもあ ると思う。
3. 「臆譜」記録の方法について
これまで「股譜」を記録する方法は主に紙上での記録 と、泥模型あるいは石膏模型での記録、役者による顔掃 え実演の撮影記録などがある。上述の方法は後者の場合 が最も学術的で、資料価値の高いものである。前者の場 合、その製作背景は玄人と素人によるものかどうかを見 極め、どれだけ舞台に忠実であるかなどの問題があって、
演劇資料として扱うには見極める必要がある。中には玄 人であっても舞台上で使用する「股譜」から離れて、創 作の域に踏み込んだものもあり、逆に素人ながら忠実に 舞台を見つめ記録したものもある。
また、 「腺譜」の鑑賞性と装飾性は早くから庶民美術 に見出され、舞台から離脱し、独自な道を見つけ産業化 したものもある。切絵、凧、庶民の家に飾る刷物の「年 画」、マッチボックス、小麦粉で練り上げた「面人」と 呼ばれる人形などの民芸品としての「勝譜」はその類で
も a.、
以下、各方法による記録の特徴、優劣点を簡単に纏め て述べたい。
①紙上での記録の最も顕著な利点は非常に手軽である。
確かな腕と上質な紙さえあれば、 「膝譜」を記録する事 が出来るし、また、持ち運ぶのに非常に便利である。現 在京劇の「花除」俳優は滅多に上演しない演目を演ずる 際に、依然「股譜」を措いている冊子を用い、顔掃えの 参照としている。清朝民国期における「股譜」資料はこ の様な紙上資料が多く、 「験譜」記録における最も普及 している方法でもある。
不利な点は、紙上で着色する顔料は水性のものに限ら れるので、 「股譜」は元々「油的」と「水的」 (油付きと 抽なし)二つのタイプがあり、紙上ではそれを反映でき ない。それから、紙上での記録に関してはある程度の美 術の素養が要求されるので、仮に名優の筆による記録で あっても、実際どれほど人間の骨格に則した記録である かどうかという問題もある。この点については今日に 至って尚改善されてない問題である。多くの名優は顔で 措いた「股譜」と紙上での「股譜」は全く別物の様であ るし、逆に美術の素養を持つ者は顔に「股譜」を措く経 験がないため、位置関係や配色などについてしっかりし ておらず、同様な問題が起きる。
②泥模型或いは石膏模型による記録は紙上で解決できな い骨格の表現などの問題はある程度綾和することが出来 る。このタイプの物は記録の正確性において、措く者が 玄人で、舞台に則した「股譜」を製作の前提としさえす れば、ほぼ忠実な記録ができると言えよう。例えば、中
国芸術研究院庄金福、中国京劇院張宏室による泥模型の
「勝譜」は何れも玄人による絶品であり、それらの「股殻」
(泥模型あるいは石膏模型)から「股譜」の舞台におけ る風貌が十分伺えるものである。
問題点はやはり油付きと油なしの顔を依然として表現
し切れないことである。また、模型は同じ型に流し込ん で作るためやや個性に欠ける傾向がある。既に前述した ように、 「膝譜」の成立は往々にして役者の顔形の特徴 に別して出来るゆえ、 「胎殻」は一定のものに関して記 録できるものの、特殊なものに関しては相応しくない、
あるいは全く不向きな場合もある。例えば、元来京劇「股 譜」には二つの主たる系統があって、一つは眉間を狭く 措く銭宝峰派、一つは眉間を広く措く慶春闘派である。
後世の俳優は己の眉間の形によって或いは銭派、或いは 慶派を継承し、それぞれ異なる風貌を持つキャラクタを 作り上げた。例えば、銭金福は銭宝峰の「胎譜」の描き 方を受け継ぎ、劉硯亭と銭宝森はまた銭金福の描き方を 継承した。一方、黄潤甫、金秀山は慶春闘派の描き方を 継承し、その弟子である侯喜瑞、子である金少山に伝わ る。二つ異なる系統の「股譜」を表現するには同じ型で 作られる模型だとどうしても無理が生じる。また、楊小 楼のような極めて個性的な顔立ちをしている俳優の「胎 譜」を泥模型で反映するにはまず場の顔の模型作りから 出発しないと物事が成立しないように思える。過去と現 在においてこのような試みは末だないと言ってよい。
③俳優の実演を撮影記録する方法は上述した二つの方法 に比べ最も完全な記録方法である。顔料の特徴、 「膝譜」
が顔における実際の位置関係など紙上、模型で解決でき ない問題はほぼ存在しない。
しかし、 ①(参と比べ、手軽ではないことは明らかであ る。実演を記録する際に劇場、俳優、衣装技師、写真家 の手配など様々な面において準備が欠かせない。その上 撮影記録に伴う出費も無視できない。
「膝譜」記録として最も成功したと言われる「都寿臣 股譜集」は、全部で40譜が収められ(その後新たに3 譜を加えたが、これは都寿臣の早年のブロマイドであ る)、製作は1957年春に立案され、 6月30日から三週 間をかけて撮影されたものである。分量的から見て都寿 臣が出演した演目、キャラクタには遥かに及ばないもの であった。それは、 「都寿臣股譜集」の編集方針は立案 当初から都寿臣が得意中の得意演目を選ぶこととしてい たので、結局40譜に絞られたのである。当時、都寿臣 と「花股」の天下を二分にする名浄侯喜瑞、その他の長 老役者はまた健在で、その次の世代の裳盛戎、表世海な
どの実力者たちが活躍している最中であり、 「花胎」界 の人材の厚さ、京劇が置かれている客観的な状況を見れ ば40譜に絞った方針は決して間違いではなかった。し かし、それと平行して他の「股譜集」の刊行企画や記録 作業などが全くなかった事を顧みれば、やはりもっと撮 れば良かったという感がある。
外に、民芸品によって吸収される「股譜」があるが、
これははじめから「股譜」の記録とは全く別次元なもの であるので、ここでは言及しない。
4.撮影計画・撮影リスト・その狙い
今日の「股譜」記録における意味合いは1950年代と は違い、多くの演目、 「譜」が既に失われる昨今、現存
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しているあるいは消えかけている「股譜」を早急に記録 する事は、何より大事なことであり、我々は「都寿臣腺 譜集」のように選りすぐりの「胎譜」を記録する余裕は むしろ持てないのである。
本研究プロジェクトは発足した当初からあくまでも役 者による「譜」の実演を記録する事を目指す物であった。
よって所謂紙上で措かれた「股譜」、泥または石膏の模 型による「股譜」は記録すべき対象ではないと考えた。
しかし、将来において記録と関連して紙上あるいは泥模 型なども参考資料として取り入れたいと考えている。記 録方法に関しては「都寿臣膝譜集」の製作法を踏襲し、
京劇俳優に依頼し、 「股譜」の実演を撮影するのである が、 「那寿臣股譜集」の様に衣裳付きでの撮影は計画し ていない。また、京劇を取り囲む現状を鑑み、確かな腕 前を持つ俳優に依頼する一方、 「股譜」の名手として知 られる張宏重民に現場監督を依頼しようと考えた。張宏 杢氏は現政治体制が出来た以後に育成された最初の世代 の京劇俳優の一人で、かつて名浄である銭宝森、範宝享、
孫盛文に師事する一方、京劇劇作家であり、 「股譜」研 究で知られる翁偶虹に師事した事もあった。しかし、昨 年、張宏重民は半身不随の病に倒れ、その後回復はした ものの現場に立てるまで気力は回復しておらず、やむを 得ず張宏杢氏の現場入りを断念した。そこで張宏杢氏の 代役として中国戯曲学院教授である張関正氏に依頼する 事にした。張関正氏は張宏杢氏の同門の弟弟子でもあり、
長年に渡って演劇教育の現場で活躍した教育者であり、
「膝譜」の名手でもある。また、本プロジェクトのアド バイザとして中国京劇院芸術指導委員会委員、舞台美術 家である李興海氏にプロジェクトに参加して頂き、撮影 全般の運営に関するアドバイスをして頂くことにした。
撮影リストの作成に関しては、 2004年度に100譜を記 録し、順番は演目の時代JJ酎こ、まず神話劇から始まり、
徐々に時代順に下っていく形で計画していた。撮影は 2004年度において3回に分けて行い、初回の撮影演目と
して選んだのは昆曲「安天会」である。昆曲「安天会」
は現存する神話劇の中で規模の最も大きな演目で、 1950 年代以後名優李少春によって「間天宮」と改編されたが、
「安夫会」元来の演出はある程度保たれている。
現行「間天官」 (1953年12月新文芸出版社出版・中国 戯曲研究院編輯・京劇叢刊・第八集・李少春本)に登場 する役の中で所謂「勾股」 (胎譜付き)の役は、孫悟空、
李天王(李靖)、馬天君、趨天君、温天君、劉天君、二 郎神(楊戟)、巨霊神、青龍、白虎、羅派、計都、南斗、
北斗、雷公(雷神)、総勢15役で、その他大勢の小猫が ある。中国京劇院の演出はこの李少春本を忠実に継承し ているが、時代が下っていくにつれて所々に新たな処理 を加えた。 「験譜」に関しては、従来の計都は「横腹勾白」
(手に顔料を付け、顔を撫でるように下地を作り、その 上に白い紋を措く)という「股譜」であるのに対して、
1970年代以後の中国京劇院の演出は「俊扮」 (素顔風の 扮装)に改めた。南斗と北斗は1970年代以後省かれる
ことが多く、雷公(風、雨、雷、電の四神)は上演規模
によって制限されることが多く、省かれることもある。
後に「大間天宮」と称される「聞天宮」のロングバージョ ンでは、前半に「凌宥殿」という場面を増補して、東海 龍王を登場させた。
昆曲「安天会」 (清蒙古車王府曲本「間天宮」)に登場 する「勾勝」役者は孫悟空、馬天君、超天君、温天君、
劉天君、巨霊神、二郎神、金叱、木叱、李天王、東斗、
西斗、南斗、北斗、喪門星、地熱星、羅派、計都、計18 役で、その他に小猫大勢と「雑」 (京劇の大部屋俳優で、
主に群衆役などを引き受ける)によって扮装する二十人 宿、九曜星君がある。現行は旧「安天会」を改編し、 「行 当」 (生、且、浄、末、丑など特定の人物を専門に演じ る役柄。特定でないその他の群衆役は一般的に雑、流に よって扮装する)によって扮する金叱、木叱、喪門星、
地熱星を省き、新たに青龍と白虎を登場させた。また、
雑によって扮する二十八宿、九曜星君をも省き、現行で は「俊扮」の六丁六甲のみとなった。その他、風雨雷電 の四神を登場させ、雷神を「股譜」付の役にした。
初回の撮影記録は現行「閤天宮」の「腺譜」を記録す るほか、出来るだけ「安天会」の復元を試みようとした。
また、 「胎譜」には各々の役の流派伝承があって、同じ 役が複数の「膝譜」を擁している事もある。同役の複数 の「胎譜」に関しては更に某流派と名うての「譜」と、
某流派と称するまでは行かないが、古くから伝承され自 ずと幾つかのやり方に分けられる物もある。名優の「股 譜」は往々にして俳優の名を被せて呼ばれる。例えば「楊 小楼譜」や「銭金福譜」などと呼ばれる。名のない後者 は「官中譜」 (官中は通常のという意味である)という 風に呼ばれる。今回の撮影で「安夫会」に出る「勝譜」
付きの役を記録する際、一役に多数の譜を持つものも記 録すると計画した。よって初回の撮影リストは以下の通
りとなった。
孫悟空(中には、都振基譜、楊小楼譜、鄭法禅語、李 万春譜、李少春譜を含む5譜)、天王李靖、馬天君、趨
夫君、温天君、劉天君、二郎神(楊戟)、巨霊神、青龍、
白虎、羅ち侯、計15譜となった.現行「間天宮」の計都、
南斗、北斗、雷公(雷神)と、清蒙古辛王府曲本に記さ れた現行にない役に関しては古くからその譜を知る俳優 を探す必要があるので、今回は時間の制約で次回の撮影 計画に回すことにした。
そのほかに、筆者の親類が所有する京劇衣裳「黒寡」
を使い、着付けが「黒寡」となる人物を合わせて撮るよ う計画した。 「黒寡」の人物には「匹卜平山」李元覇(尚 和玉譜)、 「金沙灘」楊七郎(許徳義譜、範宝亭譜)、計 3譜と成った。上の3譜はいずれも名優によって創造さ れた「胎譜」で、今日において上演が極めて少ないもの である。また、劇場側から提供する衣裳のリストを考慮 し、その他に「金銭豹」の金銭豹、 「長坂坂」の趨雲、 「貴 妃酔酒」の場景妃、 「四郎探母」の鉄鏡公主なども撮影 計画に加えた。
5,撮影経過
7月下旬から「験譜」リストを具体化し、俳優選定、
写真家選定などをはじめ、撮影の準備にかかった。 8月 1日にアドバイザである李興海氏と俳優の選定を担当す る蒋連起氏と筆者が打ち合わせを行い、撮影は8月7日 中国戯曲学院付属学校の劇場で行われることと決定し た。その際に、 「黒幕」の李元覇、 「金銭豹」の金銭豹、 「長 坂披」の遭雲など衣裳付で撮影するキャラクタと同様に、
単に「股譜」を記録するよりは「股譜」と合わせて衣裳、
蔓、被り物、持ち道具など役の扮装にかかるすべての ものを付けて撮影した方がより効果的であり、資料的価 値を高められるのではないかと両氏から助言された。そ こで諸々の費用を計算した上、完全な扮装そのものを撮 影するよう計画を変更した。計画の変更によって撮影の 重点は本来の舞台裏での撮影記録から、 「化粧室」 (顔捧
えに使う場所)、 「扮戯室」 (衣裳付け専用の部屋。使用 する劇場の楽屋では化粧する場所と衣裳を着ける場所が 分けられている)、舞台と合わせて三つの場所となった。
そこで新たに京劇演出家・俳優である孫元意氏に振付師 として監督役をして頂くように依頼することにした。孫 元意氏は名浄役・演劇教育家である孫盛文氏の子息であ
る。孫盛文民は清朝末期の1904年に設立された京劇養 成所「喜連成」 (後に富達成と改名された)出の名優で、
「富達成」での修行の時期から同養成所の教師として迎 えられ、多忙な芸能生活を送る一方、多くの「花股」を 育成した名教授でもあった。今日京劇の「花股」の半分 以上は孫盛文民の弟子か、その又弟子であると言ってよ い。その弟子の中で早年の裏盛戎、衰世海、黄元慶、後 年の周和桐、費玉策、李嘉林、任鳳攻、李長春などが著 名である。孫元意氏は父である孫盛文氏の衣鉢を受け継 ぎ、舞台と演出両方において活躍してこられた方である。
因みに「勝譜」を監督する張関正氏も孫盛文民の晩年の 弟子である。よって楽屋で「股譜」を監督する張氏と舞 台上の振付を監督する孫元意氏との相弟子の協力を得る ことになった。 「扮戯室」には「衣箱」 (京劇衣裳管理シ ステム)の専門家、衣裳技師である蒋連起氏に監督をお 願いした。蒋氏は民国期に活躍した名浄役である蒋少室 の孫で、名道化役蒋元栄に父を持つ。蒋氏は現在中国京 劇院に所属し、衣裳管理、着付けの重責を担っている。
撮影当日は午前7時より俳優、衣裳技師、照明家、写 真家、アドバイザの李興海氏、 「勾股」 (顔掃え)を監督 する張関正氏、振付を監督する孫元意、着付けを担当す る蒋連起氏と筆者が劇場入りし、午後7時までに撮影を 終え、計19譜、と「股譜」以外の扮装計4役を撮り終
zra
以下、撮影した「股譜」、その「股譜」に付随する衣 裳、掌、被り物、持ち道具を逐次に紹介しておく。一つ の「股譜」に付き、まず譜の特徴、譜に纏わる芸脈を説 明し、それから、頭部に被せる蔓、被り物、身体に着け る衣裳(靴も含む)、持ち道具に分けて説明する。扮装 に関しては「盗箱」 (被り物、宴類を収める衣裳箱)、 「大
衣箱」 (「蜂」 「官衣」などの外套類を収める衣裳箱)、 「二 衣箱」 (「寡」 「箭衣馬掛児」などの鎧、軍服類を収める 衣裳箱)、 「三衣箱」 (靴、肌着類を収める衣裳箱)、 「把箱」
(持ち道具を収める箱)の順番に説明したい。京劇扮装 に関する専門用語についてはその都度に説明する。役の 順番は当日の撮影順とする。
李万春派孫悟空(図7)
李万春は1920年代より上海、天津、北京など中国の 主要都市で活躍した名優で、李万春「安天会」の芸脈は、
清朝末民国初期の楊小楼と、薄儀の伯父に当たる載涛親 王に遡れる。その場小楼と載涛の「安天会」はいずれも 張洪林によって伝授されたもので、北京における「安天 会」の最も正統な演出である。
「験譜」に関して李万春の孫悟空は赤と白を主要な色 とし、黒色を極端に抑える特色がある。それによって「険 譜」全体は一種の清潔感があって、 「仙猫」 (所謂仙人と なった猿)という特徴が強調されている。形全体は桃が 逆さまの様子を里していて通常「倒栽桃」の「勝誇」と いう。今回、すべての孫悟空にかかる「股譜」を担当し て頂いた俳優の李森氏は李万春の孫で、孫悟空に関して はお家芸であり、孫悟空役を深く知る家柄に生まれた俳 優である。特筆すべきは、今回李森氏の多大なご協力に より、李家に伝わる国宝級の京劇衣裳を撮影に使うこと ができたのである。それはかつて李万春が「安天会」で 使用する「梶蜂」、 「草王盗」であり、楊少楼より譲り受 けた「黒狐尾」である。
「盗箱」:「桃展」 (桃形の菟板)付きの「草王盗」 (罪 正統的な王が被る冠)、 「薙鶏瑚」 (雑の羽を 被り物に挿し、非正統的な敵将や異民族など を表す)、 「黒狐尾」 (狐の尻尾を被り物にか け、異民族や神怪など表す扮装)、 「千巾」 (黒 髪に見立てる黒紗)、 「派毛」 (耳と被り物の
閏にかける毛玉)
「大衣箱」 :毛羽造りの黄色「派蜂」 (「蜂」は朝廷の大 礼服に相当する。黄色は皇帝或いは帝位に居 る者にのみ用いる)、 「三肩」 (肩飾り)、 「黒 玉帯」 (黒地に玉で飾った帯。高官の礼装具
を模った衣裳用具)
「三衣箱」 : 「猫彩裾」 (黄色地に旋毛を刺繍したズボン。
孫悟空に用いる)、 「狽厚底」 (孫悟空に用い る旋毛模様刺繍入りの厚底靴)
馬天君
本譜は楊燕毅氏によって実演したものである。四大天 君は「安天会」に元からある配役であるが、李少春が改 編した「閏天宮」には「御馬程」という場面を増補し、
馬王(馬天君)の持ち場を増やした。従来の馬天君の「股 譜」は、油白地(油で混ぜた自)の「三塊瓦」 (両目と 口三つの部分を強調した「股譜」)と額に「慧眼」を措
くのに対して、 1970年以後中国京劇院の演出は油貴地の
「股譜」に改めた。この新しい譜は次回の撮影計画に譲
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り、今回は古い譜を知る名浄役である楊燕毅氏に四大天 君と李天王の実演を依頼した。
「盗箱」 : 「馬主盗」 (馬頭を象った金色の被り物)、 「額 子」 (被り物の前飾り、硝子殊と毛羽造りの 球が付く)、 「後兜」 (被り物の後部から背中 にかけて覆う飾り頭巾)、 「紅彩球」 (被り物 にかけ、球形に結んだ房。神と妖怪などの キャラクタに用いる)、 「紅満」 (切り口のな い赤い牽)、 「紅耳毛」 (耳の前にかける束ね た毛、狩猛な役に用いる)
「二衣箱」 : 「下甲」 (「箭衣」下の部分。鎧に当たる「弄」
を付ける前に腰に巻く)、 「平金縁軟寡」 (演 を付かない寡は軟寡という)、 「紅寡禍」 (「寡 旗」を結ぶ縄を覆い隠すのに用いるリボン。
軟寡の場合も用いる)
「≡衣箱」 : 「紅彩複」 (紅色のズボン)、 「厚底」
遵天君
趨天君は遁公明と言い、 「封神演義」にも出てくる神 で、後に「正一龍虎玄壇真君」に封じられ、魔下に「招 宝天尊」 「納珍天尊」 「招財使者」 「利市仙官」四神がいて、
財を司る神として仰がれる。故にこの「股譜」は、額に 慧眼と頬に金色の穴開き銭を措く決まりである。四大天 君の中に遭天君の持ち場は最も多く、 「排山」の場面以 外に「南天門」にも登場する。
「盗箱」1.紫色の「虎頭殻」 (虎の頭を象った被り物。
前頭部に「額子」が付く)、 「紅彩球」、 「黒酒」
「二衣箱」 : 「下甲」、 「平金紫軟寡」、 「紅弄鯛」
「三衣箱」 : 「紅彩裾」、 「厚底」
「把箱」 : 「鋼鞭」 (竹節の形をする棒状の兵器を象った 京劇の持ち道具)
青龍(図6)
青龍の「股譜」は張関正氏の筆によるもので、扮装を 担当したのは閤鋭氏である。この「槍譜」は象形的な譜 であり、青地と緑地二つの型がある。今回は青地にした。
「安天会」には青龍という役はなく、 1950年代「間天宮」
を上演した際に李少春が得意とした演目「十八羅漢聞大 鵬」の隆能羅漢と伏虎羅漢を新たに脚色し、青龍と白虎
を登場させた。
「盗箱」 : 「蓬頭孤馨」 (額に二つの菅を結い二後ろに乱 髪となる宴。青龍の蔓に用いるのは犀の尻尾 で、京劇隻材料の中では最も高級な材料であ
る)、 「千巾」 (この扮装の「千巾」は顎に結ぶ)
「二衣箱」 : 「緑下甲」、 「緑俺衣裸」 (体に密着する上着 とズボン)、 「緑雲肩」 (肩飾り)
「三衣箱」 : 「薄底」 (底の薄い靴、主に侠客や変装した 武将に用いる)
「把箱」 : 「鬼頭刀」 (柄に鬼頭の彫刻、刀のみねに赤の 房を付ける大きめの刀。)
巨霊神(図8)
本譜は張関正氏の筆による「腺譜」である。扮装を担 当したのは劉魁魁氏である。巨霊神の「股譜」は特殊な もので、象形的な「股譜」が多い「神怪股」中において 象形の範晴を超越したものである。特徴となるところは 俳優の顔の上の部分に白塗りの童顔を描き、眼の部分に 童顔の唇を措き、鼻から顎にかけて大きな牙を措く。舞 台では眼を半ば閉じて演技をするので、グロテスクな印 象を観客に与える。
「盗箱」 : 「大額子」 (大きめの前飾り)、 「蓬頭孤馨」、 「薙 鶏領」、 「紅彩球」、 「自狐尾」、 「小串児」 (小 さな癖髪。蛮人などに用いる)、 「黒礼」 (唇 付近に切り口のある黒い賀、粗野な武人に用 いることが多い)、 「黒耳毛」
「二衣箱」 : 「下甲」、 「平金黒軟寡」、 「紅弄鯛」
「三衣箱」 : 「展股勝子」 (妖怪の尻と肩を大きく見せる ための造り物。それをまず役者の肩と尻に固 定して、それから「軟寡」を着せる)、 「異彩 裾」、 「厚底」
「把箱」 : 「双錘」 (香の鉄ハンマー) 金銭豹(図16)
張閑正氏の筆による「勝譜」である。今度の撮影に使 用する衣裳は名優博徳威の型に基づいて作られた衣裳で ある。博徳威は名優尚和玉の弟子で、故に今度の「股譜」
も当然尚和玉派の金銭豹の「股譜」となる事を予測して いた。出来上がった「勝譜」は尚派の譜と微妙に違い、
元来「虎噂」 (「股譜」の口の類型。口の端が大きく裂け ている形)となる口の部分が楊小楼派「金銭豹」の口(棉 派の金銭豹の口はM字の形である)となった。しかし、
全体的に見て見事な出来栄えである。今回「金銭豹」譜 の変化は正に「腺譜」の伝承過程における変容を物語っ ているようにも思える。金銭豹は元来豹の精であるとい う設定であるため、額には豹の頭を措く。また、豹の斑 模様は穴あき銭に見えるため金銭豹と呼ばれ、故に俳優 の頬に穴あき銭を描き、顔全体が金色を基調としている。
金銭豹に扮するのは中国京劇院の孫亮氏で、 「金銭豹」
は孫氏の持ち役でもある。
扮装は、二つのパターンがあり、前の場面では
「盗箱」 : 「黒虎頭殻」、 「孤影」、 「雑鶏領」、 「自彩球」、
「/ト舛児」
「大衣箱」 : 「豹紋黒般裕子」 (豹の模様を刺繍した「裕 子」と称される斜めに開く外套)、 「紅碍子」
(赤地の「格子」。 「黒豹紋格子」の内に着用)
「三衣箱」 : 「金銭骨頭彩裾」 (穴開き銭と骨の紋様が刺 繍されるズボン)、 「豹厚底」 (穴開き銭紋様 の「厚底」)
後の場面では
「盗箱十. 「蓬頭孤老」、 「/ト群児」
「三衣箱」 : 「豹衣襟」 (穴開き銭模様の上着とズボン)、
「豹薄底」
「把箱」 : 「叉」 (長柄の先端にフォーク形の刃のついた
武器) 温天君
楊燕毅氏による「股譜」である。緑の「三塊瓦」で、
額には逆さまの火炎模様がある。 1970年代以後中国京劇 院が「閏天官」を上演する際に、温天君と劉天君の演出 に関しては往々にして「俊扮」の形を取っていたので、
今回の温天君と劉天君の「股譜」撮影は極めて珍しく、
貴重な資料になったと言えよう。また、温天君の被り物 には「紗帽」 (宋朝や明朝の官僚が被る帽子)と「額子」
二通りの扮装法があるが、今回は後者にした。
「盗箱」 :湖藍色の「虎頭殻」、 「紅彩球」、 「紅軋」、 「紅 耳毛」
「二衣箱」 : 「下甲」、 「平金湖藍軟寡」、 「紅寡禍」
「三衣箱」 : 「紅彩裾」、 「黒厚底」
「把箱」 : 「狼牙棒」 (先端が大きくなり、端の部分に株 が植えられている棒状の武器)
楊七郎その‑ (図14)
今回楊七郎の「股譜」撮影は当初の計画からやや逸れ た形となった。しかし、計画通りに行かなかった反面、
意外な収穫を得る事が出来た。当初は、民国期の名「武 花勝」 (立ち廻りの場面が盛り込まれる芝居を受け持つ 浄役)である許徳義、範宝亭の譜を記録することを計画 していたが、リストを実演側に渡した結果、撮影本番の 時はいわゆる「宮中譜」の一つと範宝庭譜の変形譜を記 録することになった。
一個目の楊七郎の「股譜」は閣鋭氏によるものである。
元来の楊七郎の「胎譜」は額の所に草書風の虎の字を描 くのが諸派ともに共通する様式である。許徳義譜の特徴 は、額の虎の字の運筆が角張っていて、ロは「虎塀」と 呼ばれる描き方である。閣鋭氏の楊七郎「股譜」は、額 に丸みのある草書の虎の字で、口は「虎塀」より広く、
赤はそれほど多く入れない。また、頬の部分には従来の 白黒の紋様に対し、淡紅色を入れる形となった。この淡 紅色は元来清末の名優である銭金福の考案である。銭は 楊七郎が若き猛将であることを考慮し、従来楊七郎の頬 に措くべき白黒の紋を淡紅色に改め、楊七郎の若さを強 調した。今回の閤氏の楊七郎「股譜」は頬に従来の白黒 紋を半分、耳寄りの半分は淡紅色となっている。
「盗箱」 : 「大泰子」、 「蓬頭択髭」、 「千巾」、 「自狐尾」、
「黒耳毛」、 「雑鶏欄」
「二衣箱」 : 「下甲」、 「獅象麟麟紋黒椴平金硬弄」、 「紅黄 銅」
「三衣箱」 : 「異彩葡車」、 「黒厚底」
「把箱̲巨「泥金大槍」 (金色漆塗りの大槍)、 「黒馬鞭」
(黒い房が付いている鞭) 楊七郎その二(図4)
二個目の楊七郎は楊燕毅氏によるものである。楊氏の この「験譜」は範宝亭派の系統を引くものである。範派 は額に丸みのある草書の虎の字を書き、 「虎塀」となる
口元に二つの牙を措くのが特徴である。今回、楊燕毅氏 による楊七郎は額の虎の字が角張っていて、口元の牙は 範派が真っ直ぐに上に伸びているのに対して耳元に向
き、頬の紋と重なる形になっている。
今回撮影した二つの楊七郎譜は何れも計画していた譜 とは違うものの、ある意味では許徳義、銭金福、範宝庭
「胎譜」の痕跡を見ることが出来、今日における京劇「膝 譜」の現状と伝承を反映しているのではないかと思われ る。
扮装は二譜とも同様で、二番目の「把箱」は「泥金大 槍」と「鋼鞭」である。
李少春派孫悟空(図1)
本譜も李森氏によるものである。現在「開天宮」の演 出は1950年代に李少春によって創られたものである。
少派(李少春派)譜そのものは現行の「閏天宮」より古 く、 1949年以前、李少春は既に「派戯」 (「安天会」 「水 簾洞」 「十八羅漢聞悟空」など孫悟空が主役とする演目)
を得意にしていた。李少春によって創漬された現行「閏 天宮」の孫悟空「股譜」の特徴となるところは、李常春 の「倒栽桃」に対して、顔の形は「倒萌芦」、つまり逆 様の瓢箪形を呈している。鼻のところに白を塗り、額に は李万春の上下に旋回する旋毛に対して真ん中の丸印に 上下左右に寄せる旋毛、いわゆる「虎旋子」となる紋様
を措くのが決まりである。
扮装する際に李少春が着用したものを使うことが出 来、 「胎譜」とあわせて大変貴重な資料記録となった。
「盗箱」 : 「草王盗」、 「薙鶏舗」、 「千巾」、 「自狐尾」、 「猫 耳毛」
「大衣箱」 : 「平金団龍狽蝉」、 「三肩」 (肩飾り)、 「黒玉 m
「三衣箱」 : 「派彩裾」、 「派厚底」
二郎神(図2)
本譜は劉魁魁氏によるものである。現行の「間天官」
の二郎神における顔の拝えに関しては主に「勾勝」と「俊 扮」二通りに分けられる。 「俊扮」の由来は、二郎神に 扮する役者が早替りで二役を演ずるため、時間を省くた め手間取らない「俊扮」にしたのである。
本譜は金色地で「三塊瓦」をベースとする譜である。
額には慧眼を措き、慧眼の周りには火炎紋様、口は「虎 塀」をやや変形させたものである。
「盗箱」 : 「二郎叉子」 (二郎神専用の被り物)、 「千巾」、
「紅彩球」
「二衣箱」 : 「下甲」、 「平金沓黄硬寡」 (黄色の「弄」は 王か親王の爵位を持つ人物である。二郎神は 俗に二郎真君と呼ばれるため、高貴な身分を
表す「黄寡」を着ける)、 「紅赤銅」
「≡衣箱」 : 「紅彩裸」、 「黒厚底」
「把箱」 : 「三尖両刃刀」 (二郎神のみ使用する武器)
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劉天君(図12)
前述の通り、現行演出は往々にして「俊扮」となって いるので、本譜の撮影は極めて珍しい。本譜は紅地の「三 塊瓦」で、額には逆さまの火炎を措く。
「盗箱」 : 「紅虎頭殻」、 「紅彩球」、 「黒満」
「二衣箱」 : 「下甲」、 「平金紅軟弄」、 「紅寡禍」
「三衣箱」 : 「紅彩裾」、 「黒厚底」
「把箱」 : 「大刀」 (峰に赤の房が付き、柄は泥金漆で塗 られる長刀風の武器)
李天王(図3)
いわゆる「紅≡塊瓦」の「股言普」である。李天王の譜 には二通りの型があり、額に措く「戟」と呼ばれる武器 の紋様が片刃かそれとも諸刃かは、役者によって異なる。
今回の李天王譜は諸刃のものである。
「盗箱」 : 「八両威」 (八角形の被り物。その威光を八方 に届かせるという語呂合わせから作られた被 り物、主に統帥などが被る)、 「千巾」、 「紅彩 球」、 「黒酒」
「大衣箱」 : 「盤龍平金繍紅堺」、 「三肩」
「≡衣箱」 : 「紅彩裾」、 「黒厚底」
「把箱」 : 「人面玲瀧宝塔」 (天王が持つ神通力を備えた 宝物)
李元覇(図7)
本譜は張関正氏の筆によるもので、扮装は孫亮である。
李元覇が登場する芝居は「晋陽宮」 「四平山」 「悟性憧」
などがある。今回は尚和玉派「四平山」を撮影すること にした。 「惰唐演義」などの説話文学によると李元覇は 雷神の生れ変りである。故に李元覇の顔は「鳥胎」と呼 ばれるもの型となっている。李元覇譜の流派は尚和玉派 と楊小楼派がある。楊派の譜は額に黒、頬に紫をベース に金色で服と口(「疾索塀」と呼ばれる)を措くのが特 色である。それに対して尚派の譜は全体的に黒地で、鳥 の塀を措く。尚和玉派の「四平山」は尚のお家芸であり、
民国期以来の人気演目である。しかし、 1960年代以後政 治統制によって上演はほぼ絶え、今日においては極めて 珍しい演目となった。
「盗箱」 : 「珠子頭」 (子供の隻。頭の天辺に紫金冠の先 端部分を付け、下に聾を付けた被り物) 「大 額子」、 「千巾」
「二衣箱」 : 「下甲」、 「獅象願麟紋黒般平金硬寡」、 「紅罪 禍」
「≡衣箱」 : 「異彩裸」、 「黒厚底」
「把箱」 : 「八稜紫金錘」 (角張った形をするハンマーを 象った持ち道具)
鄭法祥派孫悟空
鄭法禅は清朝末から民国期まで上海で活躍した名優 で、中国北方の「安天会」 「水簾洞」など昆曲北曲の演 目に対して、 「借扇」 「無底洞」 「金刀陣」 「揺銭樹」など の演目を得意としていた。鄭法禅はかつて1950年代に
北京を訪れ、その芸を侯正仁に伝授した。北方が顔に旋 毛の紋様を措くのに対して、 「虎皮紋」と呼ばれる横に 重なる紋様を措くことになっている。
扮装については、鄭派の演目は基本的に上海で演じら れるものであるため、鄭派そのものの衣裳はない。今回 は李少春の「塀」 「草王盗」を援用した。
楊小楼派孫悟空
本譜は今日の舞台上演において絶えた譜である。楊小 楼の孫悟空譜は「一口鐘」という。楊は顔立ちがやや長 めのため、この譜を考案する際に猿の顔立ちを表す紅色 を顎まで引く通常のやり方を改め、口までで留める形に した。それから紅色の外側に灰色で畳し、その上に煽蛎 の紋を配置させるのは楊派孫悟空の最も特徴となる所で ある。今回の撮影は李少春が着用した「弄」を使った。
「盗箱」 : 「紫金冠」、 「薙鶏領」、 「白狐尾」、 「掘耳毛」、
「千巾」
「二衣箱」 : 「派寡」
「三衣箱」 : 「派彩裾」、 「梶厚底」
白虎(図13)
本譜は劉魁魁氏によるものである。本譜は青龍の譜と 同様に象形的な「神怪股」である。故に基調となる白の 上に虎を模った顔を作る。
「盗箱」 : 「白蓮頭孤蒙」 (犀の尻尾で作られた乱れ髪と 督)、 「千巾」、 「紅彩球」
「二衣箱」 : 「虎皮紋俺衣裸」、 「虎皮紋雲肩」、 「虎皮紋下 甲」
「三衣箱」 : 「薄底」
「把箱」 :番の「鬼頭刀」
都振基派孫悟空
本譜は今回の撮影において唯一昆曲の「股譜」である。
元来「安天会」は昆曲の演目ではあるが、清末以後、 「皮 黄」 (京劇の旧称)の勢力拡大で昆曲の地盤は徐々に侵 食され、最終的に「皮黄」が天下を取り、昆曲は片隅で 細々と生き延びる運命を辿ることとなった。しかし、 「安 天会」という演目で京劇と互角に対抗できた唯一の昆曲 俳優がいた。それは都振基であった。都派譜の特徴は紅 で顔の形を作る部分が「乗核」 (票の種の形をする)と 言われる形をしている点である。扮装に関しては、都派 の「倫桃盗丹」の場面では「白敢帽」 (民国期の市井で 流行っていた帽子) 「抱衣抱襟」を使い、頗る写実的な ものであったと言われている。しかし、現在この衣裳は
「衣箱」にないため、上記の楊小楼譜と同様に「寡」を 使うことにした。
羅猿(図5)
閤鋭氏によるものである。今回の撮影における唯一の
「丑」 (道化役)の「股譜」である。天界の猿という設定で、
顔はやはり猿の形となる。今回の「股譜」は名優葉盛章 によって創案された型を使用した。伝統的な羅梶の扮装
は、頭に黒の「艶帽」と「金港」 (被り物に付ける全輪)、
「千巾」、履物は「朝方」 (道化役が履く厚底)であるが、
今回は1950年代以後の演出法にした。
「盗箱」 : 「黒硬羅帽」 (侠客が被る帽子)、
「大衣箱」 : 「黒繍花相子」 (男性の普段着)、 「妹子」 (刀 などの武器を背負うため上半身に付ける 縄)
「三衣箱」 : 「異彩裸」、 「薄底」
「把箱」 : 「白布藤根」 (蔓性植物で作られた棒)
以上、今回の「勝譜」撮影に関する譜式と扮装につい て一通りに纏めた。その他、更に「黄披」と「九龍冠」
の老生、 「女黄披」と「鳳冠」の且、 「女紅蜂」と「鳳冠」
の且、 「白寡」の遭雲も撮影した。上述した役柄と役は
「胎譜」とは直接関係しないため、今回はその紹介を省 くことにする。
従って、 「花股」に付随する「勝譜」の伝承も途絶えよ うとしている。今回の撮影記録に関しては1950年に養 成され、 1949年以前の俳優から直に教わった経験を持つ 孫元意氏、張関正氏の協力を得ることが出来たが、しか し、この世代の俳優も既に老境に入っているので、本人 たちが健康のうちに記録を着実に実行していくことが重 要と感じる。
次回は「喪門星」 「地熱星」など今回撮影ができなかっ た「勝譜」を撮影し、神話劇である「潤州城」と「三国 戯」 (「長坂坂」など「三国演義」に由来する演目の総称) を中心に記録することを計画している。
6.まとめ・今後の計画
今回の「股譜」の撮影記録を総括すると、以下のよう ないくつかの特徴に纏めることが出来る。第‑は「股譜」
の名手、俳優の実演による記録であること。第二は衣裳、
蔓、被り物、持ち道具に関してほぼ上演通りのものを使 用したこと。第三は一つのキャラクタから派生する流派 も記録したこと。総じて今回の撮影記録方式はほぼ「都 寿臣股譜集」の製作手法を踏襲することになったといえ よう。但し、 「股譜」の選定に関しては選りすぐりとい うよりはむしろ網羅的に記録する方針に重点をおいた形 となった。また、 「都寿臣股譜集」には各譜式に関して 郡寿臣の説明が入っているが、この作業は今年度最後の 撮影が終了した際に進めることになっている。
問題点は、今回が使用した「衣箱」は演劇学校の「衣 箱」であるため、被り物はやや小ぶりの物である。また、
古い扮装のやり方の復元に関しては現在劇団の「衣箱」
がそれを収めているか否かによって左右されるので、完 全な復元はかなり難しい。例えば温天君の古い扮装は被 り物が「紗帽」 「紅彩球」となっているが、現在は「虎 頭殻」となっていて、 「衣箱」に温天君用の「紗帽」が
ないため、現行の演出しか記録することができなかっ た。また、顔の掃えの違いによって通常扮装法も変化し、
従って衣裳なども幾通りの工夫が施されている。異なる 扮装を如何に記録するかに関しては使用する「衣箱」が 如何に立派で、由緒のあるものかによって決定されるが、
既に絶えた演目を記録することに当たって解決せねばな らない問題であろう。
それから、特に言及したい問題は記録作業の切実さと いう問題である。現在京劇の「花腺」という役柄におい て確かな師承を持つ俳優は極めて少ない。それは新中国 成立当初の文化政策の一環としての「浄化舞台」 (1950 年以後古典劇の中の封建色の強い演目に対する上演禁止 令)、文革期以後古典劇上演に対する全面禁止などの政 策が京劇に多大な打撃を与え、特に誇張的な演技を主と する「花股」という役柄がその際に受けた損害は著しい。
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図1 李少春派孫悟空
図3 天王李靖
図2 二郎神楊戟
図4 楊七郎その二
図5 葉盛章派羅振
図7 尚和玉派李元覇
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図8 巨霊神
図9 李露氏による李万春派孫悟空の顔掃え
図11二郎の憲眼を描く(劉魁魁氏)
図10 完成した巨霊神「臆譜」 (劉魁魁氏)
図12 割天君の顔掃え(楊燕毅氏)
図13 白虎の顔掃え(劉魁魁氏)
図15 金銭豹を描く張関正氏
図14楊七郎の顔捧え(闇銘氏)
図16 完成間近の金銭豹(孫亮氏)
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図17 李蒜氏による李少春派孫悟空
図19 楊七郎その二(楊燕毅氏)
図18 羅猿の顔掃え(闇就氏)
図20 完成間近の尚和玉派李元覇(孫亮氏)
図21孫亮氏が扮する李元覇に下甲を付ける常連起氏
図23 場七郎を扮する闇就氏に振を付ける孫元意氏
図22 李元覇の被り物付け(孫亮氏)
図24 扮装を終えた白虎(劉魁魁氏)
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