日韓遺跡整備 の現状
―特 に建物復元 と施設配置 について ―
粟 野 隆
I
は じめ にⅡ
日韓 の遺跡整備 の歴 史
Ⅲ
遺跡整備 にお け る建 物復元の枠組 み
Ⅳ
史跡指 定地 と施 設配 置
V
おわ りに要
旨
日本の遺跡整備は、昭和40年代以降、埋蔵文化財保護行政の進展とともに環境整備 という概 念が導入され、遺構の平面表示、露出展示、建物復元など、多様な遺跡展示手法のもとに整備事業がす すめ られていった。こうした遺跡は、来訪者への憩いの場 を提供 しつつ も、歴史的遺産の教育・学習、
遺産保護に対する普及・啓発機能を具備 した遺跡博物館 (サイ トミュージアム)という考え方で計画さ れることが多い。ただし日本の遺跡整備の現状は、建物復元の在 り方や遺跡の活用方法、管理・使益施 設の設置方法などの諸点については基本的な方針が共有されておらず、一定程度の規範 となる考え方は 整理 してお くことが望まれる。以上の日本の文化財保護行政の抱える諸問題を検討 してい くため、本稿 では韓国の遺跡整備の現状、特に建物復元の在 り方 と各種施設の設置がいかなる考え方によっておこな われているのかを把握 し、日本と韓国との状況を比較するものとした。調査は主に、日本および韓回の 文化財関係部局へのインタビューによった。
キーワー ド
史跡
遺跡整備
建物復元
施設整備
保護区域
東京農業大学地域環境科学部 (前奈良文化財研究所文化遺産部)
栗野
隆
I
は じめ に日本の文化財保護行政では、史跡 は現状 にで きるだけ手 を加 えず、そのままの状態で維 持 してい こうとす る「現状凍結保存」が昭和30年代 までの一般的な考 え方であった。 これ は世界的 にみて普遍的な遺跡保存 の考 え方であるが、 日本 の遺跡 は西洋で一般的な石造の 建造物等 を主体 とした遺跡 とは異 な り、木造文化 によ り構成 された建造物等がほとん どで ある。そのため、地上部 には遺構が残 っていない場合が多 く、柱 の穴や溝 な どといった地 表面下の遺構 となる場合が多い。 したがって一般の来訪者 に とってみれば、現状凍結保存 として保護 された史跡の姿は郷愁の対象 になった として も、具体的にいかなる空間・風景 が存在 していたかは想像 しがたい ものであ り、遺跡 の本来的な姿・状況 を理解するには困 難 な状況であった。ただ し昭和40年 代以降、埋蔵文化財保護行政の進展 とともに、上記の 経緯 も加 わって、環境整備 という考 え方が史跡の保護行政 に導入 され始めた。 これは発掘 調査 で検 出された地下遺構 を、その地上部に造園的手法 によってあ らわす平面表示 と称 さ れる遺構 の象徴 的表現や、史跡指定地内での散策・休養 といった レクリエーシ ヨン機能 も 担 う緑地整備 をは じめ とした ものである。その後、実物大模型展示 に位置づけ られる復元 建物 の建設・設置 に至 るまで、多様 な整備 メニューの もとに史跡整備事業が実施 されてい った。 こうした 日本の史跡整備 は、利用者の憩いの場 の提供 を企図 しつつ も、教育・学習 や普及・啓発機能 を具備 した遺跡博物館 (サイ トミュー ジアム)という考 え方で計画 され ることが多い。
以上 は文化庁や地方 自治体の教育委員会の主導 による史跡整備の特徴 であるが、国土交 通省 をは じめ各地の公園部局主導 によ り、都市公園 として整備が なされた史跡 も多数存在 す る。敷地内に史跡 を含む公園は、 日本の都市公園の分類 では特殊公園の うちの歴史公園 に該 当す る。歴 史公園 とは、歴史的・学術的な史跡 を保存 し、その一帯 をレクリエーシ ョ ン利用 に供す ることを目的 とした ものであ り、史跡の立地状況 に応 じて公園の位置・規模 などを定めるが、原則的には史跡の3倍以上の園地 を設 けることが規定 されている。
ただ し文化財部局や公園部局 によ り整備 された史跡 は、建物復元のあ り方や遺跡の活用 方法、管理・便益施設の設置方法 などの諸点 については、基本的な考 え方が共有 されてお らず (各史跡の個別の問題 として考慮すべ きことは もちろんであるが)、 一定程度の規範 となる考 え方や方針は整理 してお くことが必要か と思われる。
いっぽ う韓 国では、文化財庁や国立文化財研究所 によ り、古代寺院や宮殿・官衛 な どの 整備がお こなわれている。特 に近年では、「ソウル歴史的都市造成計画」 (文化財庁、2006 年発表
)に
もとづ く、景福宮の大規模復元事業が注 目を集めているユ。ただ し韓国では、明 確 な概念 に もとづいた整備がおこなわれていない とい う指摘 も存在 し、本来の遺跡の性格452
日韓遺跡整備の現状
が あ い まい に な り、 文 化 遺 産 の保 護 とい う観 点 か ら遺 跡 の整 備 を再 検 討 す る こ とが 必 要 と され て い る2。
以上か ら本稿では、 まずは 日韓両国の遺跡整備 を比較 してその現状整理 をお こない、今 後の 日本 と韓国の遺跡整備の方向性 を検討す るための基礎資料 をまとめることを目的 とし た。なお、研究方法 については、かつて筆者がお こなった 日本の文化財部局お よび公園部 局へ のイ ンタビューの再検討、そ して今 回の 日韓共同研究事業で実施 した韓 国の文化財 庁、国立文化財研究所へ のインタビューによるもの とし、 また 日韓両国の各種遺跡の現地 調査 によるもの とした。
Ⅱ
日韓 の 遺 跡 整 備 の 歴 史
Ⅱ‑1。 日本 の遺 跡 整備
日本の追跡整備 の歴史は、史跡等整備の在 り方 に関す る調査研究会編集 による『史跡等 整備のてび き』 (2004)3で 体系的に整理 され、具体的に事例 について も詳述 されている。
以下の記述 も、特段の注記のない限 り、上記文献の記述内容にもとづいたものである。
遺跡整備の黎明
まず、 日本 における今 日の史跡的な性格 を具備 した歴史的空間の保護 と 整備 は江戸時代か らお こなわれていた ようであ り、その起源は元禄5年 (1692)に栃木県 那須郡 に所在する上侍塚古墳お よび下侍塚古墳 の発掘調査 と保存整備がお こなわれたこと とされる4。 これは水戸藩主の徳川光囲の命 により、大金重貞が両古墳の発掘調査 をおこな った ものであ り、出土遺物 は図化 されたのちに再び石室 に戻 され、墳丘の整備 として、 ア カマツの植栽が施 された。
明治時代以降では、わが国最初の公園制度である明治6年 (1873)の太政官布達第16号 が史跡的空 間の保存整備 の制度的役割 を担 っていたことが結果的に指摘で きる。本通達 は 太政官か ら府県 に対 して、群衆遊観の場所 で、高外除地、す なわち社寺の境 内地あるいは 地域 の公共的用途 に供 されている土地 など所有権が存在せず、免税 (無税
)に
なっている 土地 を公園 として定めるので調査 を実施す る旨の下達であ り、 これによって大名の城跡や 別邸跡の公園化 による修景整備がなされたか らである5。大正8年 (1919)に制定 された史蹟名勝天然紀念物保存法では、若千 なが ら整備 につい ての考え方が示 されている。具体的には第5条のなかで、指定 した史蹟名勝天然紀念物 を保 存す るために管理が必要であることを述べ、管理 に関す る必要な施設の設置 を命ず ること がで きるとされている。 この規定によって実際の史蹟名勝天然紀念物の保存事業では、指 定物件 を周知す るための標識や説明板、あるいは指定地内での注意事項 を記 した注意札、
境界 を明示す るための境界標、管理 を確実にす る囲柵 など「保存・管理のための施設」の 設置が実施 されることとなった。ただ し史蹟名勝天然紀倉物保存法 によるこういった行為
栗野
隆
は、今 日的な意味での「整備」ではな く、現状凍結保存 を前提 とする「保存・管理」 とし ての意味合いが強い ものであった。 しか し、大正11年 (1922)に史蹟 に指定 された平城宮 跡 (奈良県奈良市
)は
、近代 において国庫補助 による整備が実施 された顕著 な事例 という ことがで きる。そ もそ も本遺跡 は棚 田嘉十郎 を中心 とした「奈良大極殿址保存会」 によっ て、第二次大極殿 。東 区朝堂院・朝集殿 院の外周 に石積みの堀 と道路 をめ ぐらせ る とい う、遺跡 の顕彰 とい う観点か らの整備 をお こなっていたが、史蹟指定 によって内務省 は「史蹟名勝天然紀念物保存費」 を奈良県 に交付 し、県 は大正13〜14年 (1924‑1925)に かけ て「平城官大極殿及朝堂付近保存工事」 を実施 した。本整備の基本方針 は、当地が平城宮 であることを明示 し、指定区域 の顕在化 を図ろうとす るものであった。具体的な整備 とし て、「史蹟平城宮吐」 (朝集殿 院前面)、 「大極殿l■」 (大極殿前面)と刻 んだ巨大石碑 の建立、指定範囲を示 した説明板 の設置、指定地四隅お よび四辺諸処への境界石埋設、指 定地境界への200m間隔でのイチ ョウの植栽、一条通 りか ら大極殿お よび朝堂院各堂跡に通 ずる道路新設、遺存土壇裾部への「地形現状標石」 と刻 した石柱の埋設などがなされた。
発掘調査成果 にもとづいた遺跡整備
昭和10年代末か ら昭和20年代 に至 ると、発掘調査で 明 らか となった遺跡 を整備 して一般 に公開す るといった考え方が芽生 えたことを、高瀬要
̲6が
指摘 している。具体的には、登呂遺跡 (静岡県静岡市)と尖石・与助尾根遺跡 (長野 県茅野市)で
ある。登 呂遺跡 は昭和22年 (1947)か ら本格的な発掘調査が実施 されたが、昭和27年 (1952)までに、住居や土堤 の遺構がその形状 に沿 って薄 く覆土 された状態での 展示、弥生時代の植生 を考慮 した植栽の実施、竪穴住居・高床倉庫 といった建物の原寸大 模型の展示がお こなわれている。尖石・与助尾根遺跡では、昭和29年 (1954)までに竪穴 住居の実物大推定模型が数棟設置 されている。
このような戦後の発掘調査 にもとづいた遺跡整備 と時期 を相前後 して、 日本では文化財 保護法が昭和25年 (1950)1こ制定 された。本法 は、史蹟名勝天然紀念物保存法、国宝保存 法 (旧古社寺保存法)、 重要美術品等の保存 に関す る法律 を一本化 した ものである。史蹟 名勝天然紀念物保存法 と文化財保護法 との明確 な違いは、第1条で文化財 を保存す るだけ
第 1図
近代の平城宮跡の整備状況 第2図
史蹟指定の説明板
日韓遺跡整備の現状
ではな く、「活用 を図」 るとい うことが明記 された点 と、史跡等の保存のために「管理」
とともに「復旧」が必要であることを定めた点にある (第71条第2項、現行法上では第113 条)。 後述する昭和40年代か らの環境整備の導入以降、 日本各地でお こなわれている遺跡整 備 については、本法の条文 には明確 な規定はない ものの、上記の「復 旧」の拡大解釈 によ
りおこなわれていると見るのが通例である。
遺跡整備の展開
昭和30年代 になると、 日本では高度経済成長 にともなって鉄道・道路・
市街地開発 な ど、マシンスケールでの国土開発がすすめ られてい くこととなった。 この こ とによって遺跡の発掘調査件数 も増加 の一途 をた どる とともに、埋蔵文化財の破壊が深刻 な状況 を呈 していった。 この ような状況 を受けて、文化庁では救済策 として史跡指定 とと もに自治体 による土地の買い上げを推進 し、行政的措置 による史跡の保存 に踏み切 ったの である。公有化 によって保存が担録 された ものについては、整備 を図って公開 していこう とする「環境整備」 とい う考え方が昭和40年 (1965)に導入 された。 この環境整備 は百済 寺跡 (大阪府枚方市)、 五色塚古墳 (兵庫県神戸市)、 太宰府跡 (福岡県太宰府市)、 一 乗谷朝倉氏遺跡 (福井県福井市
)な
どの遺跡で次々とすすめ られていった。また昭和41年 (1966)には風土記の丘整備事業が開始 された。本事業 は資料館建設 を核 として凸広範囲に点在す る古墳群 などの遺跡 を保存す るために、土地の買い上げか ら環境 整備 までを含 む面的な保存整備事業であ り、西都原古墳群 (宮崎県西都市
)や
埼玉古墳群(埼玉県行田市
)な
ど、これまで 日本各地の13か所で実施 されている。建物復元をメニュー とした遺跡整備へ
日本では平成 に入 り、遺跡の総合的な復元整備 を 目的 とす る事業が国庫補助事業 に加 え られていった。それ らの国庫補助事業の うち、時期 的に一番早いのは平成元年度にス ター トした史跡等活用特別事業 (ふるさと歴史の広場事 業
)で
ある。本事業 は従来の遺構 の保存・環境整備や遺構露出展示施設の設置 に加 え、地 形模型 。遺構模型の設置、ガイダンス施設の設置、歴史的建造物の復元 とい う3つの新機 軸 を加 えた ものである。 また平成4年 (1992)か らは歴史的建造物の実物大復元施設の設置第3図
日本の遺跡整備事例1 大学府跡・福岡県太宰府市
第4図
日本の遺跡整備事例2 三内丸山遺跡 。青森県青森市
粟野
隆
と管理運営施設 の設置 を主要 メニ ュー とした地域 中核 史跡等整備特 別事業 が実施 され、秋 田城跡 (秋田県秋 田市
)の
東 門、赤穂 城 跡 (兵庫 県赤穂市)の
本 丸 門な どが復 元 されてい る。平成7年 (1995)か らは復 元施設 や屋 内展示施設 の建 設 を含 めた補助事業 として大規 模 遺跡 等総合 整備事 業 が は じま り、池 上 曽根 遺跡 (大阪府和泉市・泉大津市)、 平塚 川添 遺跡 (福岡県朝倉 市)な
どで採択 、整備事業 が実施 されてい る。以上 の ように、 日本 で は 平 成 に入 って建 物 の実物 大 復 元事 業 が各 地 でお こなわれ る よ うにな ったが、 この よ うな流 れ を汲 む もっ とも大規模 な復元事業 としての到達 点 は、平成22年 (2010)と こ完成 した平城 宮跡 第一次大極殿 とい うこ とが で きよう。Ⅱ
‑2.韓
国 の遺跡 整備韓国の遺跡整備 は、その概要が金哲主・卓京柏の先行研究2によって整理 されている。 ま た、法令の分析 を軸 とした韓国における文化財保護 システムの歴史的検討 については、大 橋敏博の詳細 な考祭がある7。 ここでは、上記研究の成果 をふ まえつつ、筆者が実施 した韓
国文化財庁へのヒアリングによる知見 を加 えなが ら、韓国の遺跡整備の歴史をた どる。
朝鮮宝物古蹟名勝天然記念物保存令
韓国では、1907年の朝鮮総督府 による崇進 門 (ソウ ル
)の
修理工事以降、普通門 (平壌)、 石窟庵、仏 国寺 (慶州)な
ど一部の遺跡が修理 と い う名 目で整備 されたことを端緒 としている。そ して1933年には、「朝鮮宝物古蹟名勝天 然記念物保存令」 (常U令第6号)が
総督府制令 の形式 に よって定め られている。 ここで は、「貝塚古墳寺址城址窯址其 ノ他 ノ遺蹟、景勝 ノ地又ハ動物植物地質鉱物其 ノ他学術研 究ノ資料 卜為 ルベキ物ニシテ保存 ノ必要 アリ ト認 ムルモノハ朝鮮総督之 ヲ古蹟、名勝又ハ 天然記念物 トシテ指定スルコ トヲ得」 (第 1条)と記 されてお り、 日本の史蹟名勝天然紀 念物保存法 を範 としたものであったことが分かる。本法令で も、 日本の史蹟名勝天然紀念物保存法 と同様、条文 に示 されている「整備」の 考 え方は「保存・管理」の考 え方 を基調 としている。具体的には、「朝鮮総督ハ宝物、古 蹟、名勝又ハ天然記念物 ノ保存二関シ必要ア リ ト認ムル トキハー定 ノ行為 ヲ禁止若ハ制限 シ又ハ必要ナル施設 ヲ命ズルコ トヲ得」 (第6条、下線部筆者)とい う個所である。「必 要 ナ ル施設 」 の詳細 は不 明 で あ るが、 お そ ら く史蹟 名勝 天然紀 念物保 存 法 の よ うに標 識、
説 明板 、 囲柵 で あ った こ とが考 え られ、 「施 設 二要 ス ル費用 二対 シテハ 国庫 ヨ リ予算 ノ範 囲内 二胎 テ其 ノー 部 ヲ補 助 ス ル コ トヲ得 」 とあ る よ うに、 国庫 補助 の考 え方 も盛 り込 まれ ていた。
発掘調査 から整備への展開
韓国では1962年 に文化財保護法が制定 された。 この法律 は、
大橋が指摘す るように、指定、管理、保護、公開、調査 など文化財保護の体系が 日本 と酷 似 しているとともに、第1条の 目的規定において も、「本法 は、文化財 を保存 し、活用す ることによ り国民の文化的向上 を図 り、同時に人類文化の発展 に寄与す ることを目的 とす
456
日韓遺跡整備の現状
第5図
韓国の遺跡整備事夕11
定林寺址・扶余
第6図
韓国の遺跡整備事例2 皇龍寺址・慶州
る」 とあ り、 日本の文化財保護法 に範 をとった ものであった。 また、 日本の文化財保護法 によって指定 された史跡の保護の考 え方が「現状凍結保存」 を基本 としていたことと同 じ ように、韓国の史跡 について も「原形保存」を基調 とするものであった。
ただ し1969年の仏国寺の整備事業 を契機 として、発掘調査か ら整備 までの一貫 した事業 が、1972年に策定 された総合 開発計画 において実施 され、1980年代 には、 より実体的な遺 跡の表現方法 として建物復元 を組み込んだ事例が登場 した。その早い事例 は昌慶宮 (ソウ ル
)で
あろう。本宮殿では1983年か ら1986年にかけて事業が実施 されているが、文政殿、春塘池 といった建造物や苑池の復元がおこなわれている。 この昌慶宮の復元事業 を契機 と して、 ソウルに現存する景福宮、昌徳宮、徳寿宮 といった宮殿 については、復元 を含めた 整備 を基本 とす る考え方が確立 され、現在 に至っている。
また1990年代以降は、弥助寺址東塔 (益山
)の
復元 (1993年)な
どの遺跡復元事例の実 績や、地方 自治制の導入 (1995年)に
よる文化遺産に対する観光資源化事業の活発化 によ って、皇龍寺木塔、月精橋 (慶州)、 定林寺址 (扶余)な
どの復元事業がお こなわれてい るところである。Ⅲ
遺 跡 整 備 に お け る建 物 復 元 の枠 組 み
Ⅲ
‑1.復
元建物 の取 り扱 い日本の建物復元の基準
日本の遺跡整備における建物復元は、遺跡の「本質的価値の保存」
のみならず、「本質的価値の顕在化」をも企図して、発掘調査成果および史資料の分析にも とづいて実施されてきた3。 文化庁では、建物遺構等を地上部に復元する行為を、「復元展 示」 と呼んでいる。復元展示の基本的な考え方としては、復元 しようとする建物等がその根 拠 となる物証や精級な調査研究によって精度の高さを保たれていることを根底に置 くもので ある。こういった復元建物の取 り扱いについては、日本では平成3年 (1991)2月 に文化審 議会文化財分科会第三専門調査会の関係部会での審議に資することを目的とした「史跡等に
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457
粟野
隆
おける歴史的建造物等の復元の取扱いに関する専門委員会」が設置 された。本専門委員会 では、 日本各地の史跡等で実施される建物復元について、現状変更等の許可申請がおこな われる前に、個々の建物復元の内容が妥当か どうかといった点について審査がなされてい るのである。
上記の専門委員会による審議をへて、文化庁では「史跡等における歴史的建造物等の復 元の取扱い基準」 (1991)と いう建物復元にあたってのガイ ドラインを定めた (第1表)。
これによって、史跡における建物復元の審査を客観的におこなうこととなっている。上記 の取扱い基準には、復元を「史跡等の構成要素である建造物その他の工作物のうち、現存 していないものを、当時の規模・構造・形式で、現位置に再現 しようとする行為である」
と定義されている。
審査指針 としては、「基本事項」 として7項目、「技術的事項」 として3項目、「その 他」のものに4項目が定められている。「基本事項」では、①史跡の正 しい理解にとって支 障となるものではないこと、②遺跡を損傷することとならないものであること、③史跡にと って建物復元が最も適 した方法であること、④当該建物を復元することが史跡を理解するう えで最も適切であると認められること、⑤復元建物が史跡の歴史的・自然的な風致・景観 と 整合するものであること、⑥建物復元が史跡の全体的な保存 。整備の在 り方と整合するもの であること、⑦史跡の保存・管理・活用に関する総合的計画が策定され、復元建物の保存・
管理方針が整っていること、が定められている。
「技術的事項」 としては、①位置 。規模・構造・形式などについて根拠 となるべ き十分 な資料があること、②復元設計が類例調査にももとづいた高い蓋然性 を有するものである こと、③復元に用いる材料・工法が同時代のものを踏襲 し、史跡の所在する地方の特性な ども反映 したものであること、 というものである。「その他」は建物復元を許容するため の確認事項 という位置づけで定められたものであ り、①復元建物の構造および設置後の管 理の観点か らの安全性の確保、②復元完了後の史跡の管理についての十分な行財政上の
第7図
日本の建物復元事例1
首里城跡 。沖縄県那覇市
第 8図
日本の建物復元事例2
吉野 ケ里遺跡・佐賀県神崎町他
日韓遺跡整備 の現状
第 1表
史跡等における歴史的建造物等の復元の取扱い基準 復元の意義
ここにい う歴史的建造物等の復元 とは、史跡 等 の構成要素である建造物その他 の工作物 の う
ち、現存 していない ものを、当時の規模・構造・
形式で、原位置 に再現 しよ うとす る行為である。
史跡等 の構成 要素でない建造物 、客観 的な根拠 によつて存在 を証明す ることができない建造物 等 を新 たに設 けよ うとす る行為は、 この基準に お ける復元 には該 当 しない。
審査指針
歴 史的建造物等 の復元 を許容す るか否かは、
具体的な復元の計画 について、次の各項 目に関 し、総合的に判断 し、決定す るもの とす る。
●基本的事項
① 歴 史的建造物等 の復元が、当該史跡等 の正 し い理解 に とつて支 障 とな る もので は ない こ と。例 えば、存在・形態等 に関す る根拠 が薄 弱な もの、 当該 史跡等 の有す る歴 史的意義 と の係 わ りが薄い もの等 の復元は許容 しない。
② 歴 史的建造物等 の復 元及びそ の工事 に よっ て、保存すべ き遺跡等 を損傷す るこ ととな ら ない もので あること。
③ 当該史跡等の活用 に とつて、歴史的建造物等 の復元が最 も適 した方法である と考 え られ る こ と。例 えば遺構 の保 存状況が極 めて良好で あ り、その遺構 自体 を公 開す ることが、国民 による当該 史跡等 の理解 ・活用 に とって最 も 適切 であ る と認 め られ る場合 は、その遺構 に 係 わ る歴 史的建造物等 の復元は許容 しない。
④ 当該史跡等 が現在 までの時代 的変遷 のなか で有 してい る全ての歴 史的意義等 に鑑 み、そ の建造物等 を復 元す ることが、その史跡等 を 理解す る上 で最 も適切 な もの と認 め られ るも のであること。例 えば、 当該建造物等が存在 しな くなつた過程 に格別 の歴 史的な意義が認 め られ る場合 は、その復元は許容 しない。
⑤ 歴史的建造物等 の復元が、当該史跡等 の歴史 的・ 自然的 な風致 。景観 と総体 と して総合す るものであること。
⑥歴 史的建造物等の復元が、当該史跡等 の全体 的な保存・整備 の在 り方 と整合す るものであ ること。
⑦ 保存管理計画 、整備 計画等 当該 史跡 等 の保 存・管理 ・活用 に関す る総合的計画が策定 さ れ てお り、歴 史的建造物等の復元 に関す る上 記各事項 についての方針及び復元後 の建造物 等 の保存・管理方針が整 っていること。
●技術的事項
① 復元 しよ うとす る歴史的建造物等 について、
その位置・規模 。構造・形式等 につ き、次 の ア及びイ による十分 な根拠があること。
ア
次のいずれ かの資料等 [中世以前の建造物等の場合]
a
復元の対象 とす る歴史的建造物等が別位 置 に移築 され現存 してい る場合 にお ける、当 該建造物等の調査資料。b
歴 史的建造物 が失 われ る前の調査・修理 に係 る報告書・ 資料等。c
復元 しよ うとす る歴 史的建造物等又 は こ れ と同時期・ 同種 の建造物等の指図・絵画・写真・ 模型・記録等の史料。
d
現存す る同時期 。同種 の建造物等。[近世・近代 の建造物等 の場合]
a
復元 の対象 とす る歴 史的建造物等 が別位 置 に移築 され現存 してい る場合 にお ける、 当 該建造物等 の調査資料。b
歴 史的建造物が失 われ る前 の調査・修理 に係 る報告書・資料等。c
復元 しよ うとす る歴 史的建造物等又は こ れ と同時期・ 同種 の建造物等 の指図・絵画・写真・模型・ 記録等 の史料で精度が高 く、良 質の もの。
イ
発掘調査結果 (朔確 な遺構 が確認 され 、 出土 した建築部材等 に よ り当該建造物等 の位 置・規模・構造等 に関す る知見が広 く学界 に おいて承認 されてい る場合 に限 る。)その他 の 復元の現地 を確 定す るのに必要 な資料等。
② 復元の設計 は、上記① の根拠や 同時期・同種 の建造物等 の遺構又 は建築部材 その他 の遺物 に基づいて、規模 (桁行・梁 間等)。 構造 (基 礎・屋根形式等)・ 形式等 について極 めて高い 蓋然性 を持つ ものであること。
③ 復元 して用い る材料・ 工法は、原則 として、
同時代 の もの を踏襲 しかつ、当該 史跡等の所 在す る地方の特性等 を反映 しているものであ
ること。
その他
歴史的建造物等 の復元 を許容す る場合 にあつ ては、次の事項 を確認す るもの とす る。
① 復元す る歴史的建造物等 については、その構 造及び設置後 の管理 の観 点か らの安全性 が確 保 されてい ること。
② 復元完 了後の史跡等 の管理 について、十分 な 行財政上の措置が確保 され てい るこ と。
③ 復元 され た歴 史 的建造物等 を施設 として活 用す る場合 にあつては、その活用 の内容 は当 該史跡等 の保存・活用 と係 わ りがあ り、かつ、
当該史跡等 にふ さわ しい ものであること。
④ 復元 のための調査の内容、復元の根拠 、復元 の内容 に複数 の案 があった場合 にお ける他 の 案 の内容・複数案 の取捨選択 の検討 内容 、復 元の工事 内容等 を記録 に とどめる とともに、
それ らの概要 を復 元建物等 の所在場所 に掲 出 す る等 の措置 を取 り、史跡等 の正 しい理解 に 支障が生 じない よ うにす ること。
459
粟野
隆
措置の確保、③ 史跡の性格 にふ さわ しい復元建物の活用、④復元検討や復元過程の記録作 成、 とい う4項目が掲げ られている。
韓国の建物復元の基準
いっぼう、韓国の史跡 における建物復元 については、 日本 におけ る「史跡等 における歴史的建造物等の復元の取扱 い基準」 とい うような明文化 されたガイ ドラインは存在 していない。 しか し韓国の文化財保護法第3条の規定 にもとづいて1970年 に文化財委員会が設置 され、韓国各地の史跡の復元事業 において文化財委員会第3分科委 員会が、復元事業 における基本計画、基本 。実施設計、施工 など各段 階で建物復元の在 り 方や方法等について指導・助言 をおこなっている。
また、特 に韓国では、文化財保護法施行規則第11条に、文化財修理業者が保有 しなけれ ばならない修理技術者お よび修理技能者の登録 を定めてお り、各地の史跡 における建物復 元 において も、文化財保護法施行規則 に則 って登録 された技術者が設計 と施工 に関与 して いる。 まず文化財修理技術者 は建造物や記念物 など全部で12号の項 目にわたるが、 これ ら の うち史跡での建物復元 にかかわるもの として、文化財修理技術者には補修技術者 (建造 物修理)、 丹青技術者 (建造物 の丹青や壁画 な どの4雰理)、 実測 ・設計技術者 (文化財 の修理のための実測調査
)な
どが存在す る。文化財修理技能者 には韓国式木工、韓国式石 工、画工、屋根 と瓦の技能工、金物工 など合計18項目が定め られている。以上の ように、韓国の建物復元 においては、明確 な復元の精度を規定する基準 は明確 には存在 しない もの の、文化財建造物の4多理 と同様の技術 を生かす とい う観点か ら、文化財4雰理技術者 と文化 財修理技能者が建物復元 に携 わってお り、復元の精度を担保 しているとい うことがいえる のであろう。
Ⅲ
‑2.復
元建 物 の法 的 な位 置 づ け日本お よび韓国で も、復元建物 については、 日本では「建築基準法」、韓国では「建築 法」での位置づ けが重要 となって くる。それは復元建物の活用の在 り方、す なわち建物内 部に不特定多数の人間を滞留 させ ることがで きるか どうか とい う点 と、密接 に関係 してい るか らである。
第9図
韓国の建物復元事例 (景福宮交泰殿) 第10図
復元工事 中の南漢 山城 (ソ ウル )の 状況 460
まず 日本 国 内 で は、 平 城 宮 朱雀 門、志 波城 跡 外 郭 南 門 (岩 手 県盛 岡市)、 鬼 ノ 城 跡 西 門 (岡山県 総社 市
)な
ど、宮殿 ・官衛 や城 柵 な どの遺 跡 で復 元事 例 が多 い もの に 門が あ るが 、筆 者 が これ まで 関係 部 局へ の ヒア リ ング調 査 や 文 献調 査 で把 握 した 限 りで は、 すべ て建 築 基 準 法上 は
「 屋 外 工 作 物 」 あ る い は 「展 示 物 」 と規 定 され てお り、 建 築 基 準 法 上 にお け る建 築物 とは な って い ない 。 これ は不特 定多 数 の遺 跡 の来訪者 が、 基 本 的 に は門 とい う施 設 は通 過 す る とい う利 用 を想 定 した もの で あ る こ とに よる。 た だ し、 門 とは 異 な るあ る程 度 の規模 を持 つ建 物 遺構 を 復 元 す る場 合 、 建 築 基 準 法 にお け る建 築
日韓遺跡整備 の現状
第2表
建築基準法第3条 (抜粋)
第3条 【適用の除外】
この法律並び にこれ に基づ く命令及び条例 の 規定は、次 の各号のいずれ か に該 当す る建築物 については、適用 しない。
一
文化財保護法 (昭和 25年法律第 214 号)の規定 に よつて国宝 、重 要文化財 、重要有 形民俗文化財 、特別 史跡名勝 天然記念物又は史 跡名勝天然記念物 と して指定 され 、又は仮指 定
された建築物
二
旧重要美術 品等 の保 存 に関す る法律(昭 和8年法律第43号)の規 定 に よつて重要美術 品等 として認 定 され た建築物
三
文化財保護 法第182条第2項 の条例 そ の他 の条例 の定 める ところに よ り現状変更の規 制及び保存 のた めの措置 が講 じられ てい る建築 物 (次号において 「保 存建築物 」 とい う。)であ つて、特定行政庁が建築審査会 の同意 を得て指 定 した もの
四
第一号若 しくは第 二 号 に掲 げ る建築物 又 は保存建築物 であつ た もの の原形 を再現す る 建築物で、特定行政庁 が建築審査会 の同意 を得 てその原形 の再現がや む を得 ない と認 めた もの
物 と規 定す る と、消 防法 との関係 か ら、建物 内部 には不燃材 あ るい は これ に準 じる建 築材 料 を用 い る こ とや排 煙 設備 な どを設 け る こ とな ど、 内装制 限 に関す る規 制 が生 じる。 この 内装 制 限 に よって、 さ まざまな現代 的 な設備・機器類 を建物 内部 に付 加 す る こ ととな り、
「 史跡等 にお け る歴 史的建 造 物等 の復 元 の取扱 い基準」 に定 め られ た「技 術 的事項 の③J
と飢籐 が生 じて くる可 能性 が発生す る。 したが って、一乗谷朝倉 氏遺跡 の復 元 町並 み の よ うに、建 築基 準 法上 で は屋 外 工 作 物 と して 内部 には実物大 の人形 を配 して建 物外部か ら往 時 の利用状況 を見学 させ る手法 が採 られてい る事例 も存在す る。 ただ し建 築基準法第
3条
には、文化財保 護法 に よ り指定 された国宝 、重要文化財以外 であ って も、現状 変更 の規 制 お よび保存 のための措 置等 が講 じられてい る土地 での旧来 の姿 を復元 す る建 物 であ り、特 定行政庁 の建築 審査 会 での審査 に通過す れ ば、 同法 の適用 を除外 す る特 例 的 な制度が規 定 され てい る。 この適用 除外 の規 定 で復元 された もの には、熊本城跡 (熊本 県 熊本市
)の
数 奇屋 九二 階大広 間、未 申櫓 、成 亥矢倉 な どを挙 げ るこ とがで きる。 なお、復 元建物 の 内部 空 間 を博物館 的 に利用 す る場合 には、建 築基準法 の適用 除外 を講 じる こ とは困難 な趨 勢 に あ るが 、復 元建 物 に博 物館機 能 を具備 しつつ も、復元忠実度 の段 階設定 と博 物館 としての 展 示 公 開機 能 との レベ ル設 定 をお こない、根拠 となる資料 の分析 と客観 的 な考証 に もとづ い た復 元 に よって、建 築基 準法 適用 除外 となった佐賀城本丸御殿 (佐賀 県佐 賀市)は
稀 有 な事例 とい うこ とが で きる。韓 国で も同様 に、建 築法 第3条に「 適用 除外 」 に関す る規定が存在 す る。 ここで は、文
粟野
隆
化財保 護 法 に よる指 定 ・仮 指 定 文化 財 と して の建 造 物 、伝 統建 造物保存 法 に よる伝 統 建 造 物 は適 用 除外 とされ る こ とが 明記 され て い る。 さ らに韓 国 の文化 財庁へ の ヒア リ ング調 査 か ら、 法律 の条文 には明記 されて い ないが 、復元建物 につ いて も建築法 の適用 除外 が認 め られているとい うことが分かった。 したが つて韓国では復元建物 は建築法 における建築物 ではないため、消防法の各種規制 も発生 しないのである。ただ し、韓国の国宝第1号であ る 南大門 (ソウル
)の
火災 (2008年)を
端緒 として、火災予 防の措置が復元建物 について も 重点的にお こなわれる傾向が強 くな り、復元建物等 を利用 した行催事 には、消防車が待機 の うえ実施 した こともあった ようである。 なお、博物館施設 として復元 した建物 につ いて は、建築法による建築物 と規定 され、消防法 による内装制限 も発生する。Ⅳ
史 跡 指 定 地 と施 設 配 置
Ⅳ
‑1.日
本 の現 状史跡の管理運営、公開活用 を推進す るにあたっては、各種の遺跡の展示のみならず、展示 施設、ガイダンス施設、管理運営施設、サー ビス施設、便益施設 (駐車場 も含む)といった 機能を有する施設 も、適正に配置 してい くことが必要 とされる。文化庁では、 これ らの施設 配置 について、「原則 として史跡等の指定地外 に建設す る」3こ とを基本的な考 え方 として お り、「史跡等指定地の隣接地にこれ らの施設 を建設する場合には、施設が指定地内か らの 眺望景観や史跡等整備 における全体の空間構成 を著 しく阻害することのないよう十分注意す ることが必要」3だとしてぃる。 この考え方は、地下遺構 の保護や史跡指定地内の景観保全 に配慮 した考え方であると思われる。
そ こで以前筆者 は、 日本国内の史跡の施設配置上の特徴 を明 らかにするため、各県 の教 育委員会 を主体 として事業がすすめ られた文化財部局整備主導型史跡 と、回土交通省 や各 県 の都 市 公 園部局 に よって
事 業 が す す め られ た 公 園 部 局整備 主導型 史跡 のふ た つ に区分 して各部局へ の ヒ ア リ ング調査 や整備 計画 図 等 の調査 に よ り、各施設 の 配置 分析 をお こなった。具 体 的 な分析 姑象 は、文化財 部 局整備 主導型 史跡 は多賀 城 跡 (宮城 県多賀城市)、
一乗 谷 朝倉氏遺跡 、斎宮 跡
462
第3表
日本にお ける史跡指定地 と施設配置
整備主体 遺跡名称 展 示 ガイダンス 管理 運 営 サ ー ビス 駐 車 場
期綱
多賀 城 跡 0→ ○ 志 波 城 跡 0
‑乗谷 朝 倉 氏 遺 跡 ● → ○ ● 斎 宮 跡 0 ●
鬼 ノ城 跡 O O
大 宰 府 跡 0/○ ●
● 0
●
●
〇
●
▲
▲
●/▲
●
○
▲
園 局 公 部
三 内 丸 山遺 跡 0/O O O O
吉 野 ヶ 里遺 跡 O O O O
西都 原 古墳 群 〇 〇 〇 〇
○
○
O
首 里 城 跡 O
注:0は史 跡 指 定地 内 に配 置 され ているもの 、Oは指 定地 外 に配置 され ているものを示 す。
●→Oは当初 は史跡 指 定地 内に配置されたが 、後 に指定地外に移動され たものを示す。
●/Oは史 跡 指 定地 および指 定 地 外 に酉E置 され ているものを示す。
▲ は多 目的広場 という位置 づけで史跡指 定地 内に配置された駐車場を示す。
● o O ●/O
日韓遺跡整備 の現状
(三重県多気郡明和町
)な
ど計6例、公園部局整備主導型史跡 は三内丸山遺跡 (青森県青 森市)、 吉野 ケ里遺跡 (佐賀県神崎市・吉野 ケ里町)な
ど計4例のみであったが、大 きな 傾向は把握す ることがで きた。その結果は、文化庁が「原則的に史跡指定地外 に設置す る こととJと している展示施設、ガイダンス施設、管理運営施設、サー ビス施設、便益施設 (駐車場 も含む)は
、文化財部局整備主導型史跡 はことごとく史跡指定地内に設置 してお り、公園部局整備主導型史跡では文化庁の指導通 りに、ほぼすべてが史跡指定地外 に設置 しているという点であった (第3表)8。日本で文化財保護行政 に携 わるもののなかには、「公園」 になれば過剰 な施設整備 によ って遺跡の保存が危ぶ まれる、 とい う意見が よく聞かれるが、調査 をお こなった事例 に着 目するか ぎり、復元建物以外の施設整備 を史跡指定地内でお こなっているのは、都市公園 以外の史跡である。また、遺跡の社会還元 という観点か らも、各種施設内容の充実度は、
明 らかに史跡の周辺 を公園 として確保 した公園部局整備主導型史跡の方が高い傾向にあ る。
文化庁の史跡整備 に関す る指導方針 は、史跡の「活用」 を重視 しつつ も、指定地内には 活用 を目的 とした施設 を設けることは原則的には不可 とす るとい う一見相反 した考 え方が あるように感 じられる。ただ し各地域 に所在す る文化財部局整備主導型史跡 は、そ ういっ た厳 しい制約のなかでいろいろの工夫 を考案 し、苦 肉の策 としての整備 を実施 して遺跡 の 社会的の向上のためにさまざまな活用事業 をおこなっているのが現状である。
Ⅳ
‑2.韓
国 にお け る「保 護 区域 」 の導 入それでは、韓国ではどのようになっているのかについて、人にみてい くこととする。
韓国の史跡整備 はすべ てが文化財庁の主導の もとにお こなわれている。 したがって 日本 の ように、公園部局が関与 して史跡地周囲を公園 として公有地化 した事例 はない。それで は展示施設、ガイダンス施設、管理運営施設、サー ビス施設、便益施設 (駐車場 も含 む) はすべて史跡指定地 に設置 されているのか とい うと、史跡周辺 を「保護区域」 と定め、そ の区域 に各種施設 を配置 しているのである。
韓国の文化財保護法第9条には、「保護物又 は保護区域 の指定」が定め られてお り、文化財庁への ヒア リング調査 の結果、史跡の外周部か ら250〜500mの範囲が、標準的な 保護区域 として指定 されるようである (第11図 )。 特 に駐 車場 は地形造成 をともなうため、すべ て保護区域 に設置 さ れるのが一般的である。筆者が調査 をお こなった王宮里遺 跡 (益山)、 百済王陵苑、定林寺址 (扶余
)な
どでは、展 示、 ガイダンス、駐車場等の施設はすべて史跡指定地外 に250〜500rn
史跡指定地
保護 区域
第11図
保 護 区域 の模式図
粟 野 隆
第12図
保護区域の管理運営施設 百済王陵苑・扶余
第13図
保護区域の駐車場 聖住寺址・昌原 設置されている。
この ような保護区域の導入 による遺跡整備 は、 日本の公園部局整備主導型史跡 と考 え方 としても共通する方法であると指摘で きる。
V おわりに
以上本稿 で は、 日韓 の遺跡整備 につ いて、 その歴 史 をた ど りつつ、特 に建物復 元 の考 え 方 や施設配置 の方法 につ いて述べ て きた。
文化 財保 護 シス テ ムの史 的展 開 につ い て は、 日本 の史跡名勝 天然紀念物保存 法 と朝鮮宝 物古 跡保存 令 との関係 、 日本 の文化財 保 護法 と韓 国の文化 財保 護 法 との関係 に見 て とれ る ように、基本的には 日本の文化財保護の考 え方 を韓国で も基調 としつつ、遺跡の現状凍結 保存 (原形保存
)か
らその整備復元へ と、 日韓両国 とも共通 した保護動 向を辿 って きた。建物復元の考 え方については、韓国では明文化 された基準等が存在 しない ものの、復元 に かかわる技術者等 は法令 において基準 を設けていることが判明 した。 また、展示・管理・
便益等各種施設の設置 については、韓国では史跡の周辺 に「保護区域」 を設定 し、史跡指 定地内における遺跡の保護 を担録 しつつ、史跡指定地外の保護区域 を管理・利用 を支援す る地区と位置付 け、明確 に区分 した土地利用をおこなっていることが明 らか となった。
韓国での調査 に多大なご協力 をいただ き、現地でのさまざまな便宜 を図っていただいた韓 国文化財庁・金哲主氏、韓国国立文化財研究所・卓京柏氏 に、心 よりおネし申し上げます。
日韓遺跡整備 の現状
註
1
粟野隆「景福宮 における遺跡復元の現在形」 『遺跡学研究』 第3号、2006年、pp 156‑157。
2
金哲主・卓京猫「韓 日古代寺院の整備方法研究‑6〜
8世紀 の寺院を中心 に一」 『日韓文化財論集I』 奈良文化財研究所学報第77冊
奈良文化財研究所、2008年 、pp 363‑396。
3
史跡等整備 の在 り方 に関す る調査検討会 『史跡等整備のて び き』文化庁文化財部記念物課、2004 年。4
青木豊 『史跡整備 と博物館』雄山閣、2000年。
5
高橋理喜男「太政官公園の成立 とその実態」 『造園雑誌』第38巻第4号、1975年、pp 2‑8。6
高瀬要―「遺跡復原論」 『文化財論叢 Ⅱ』奈良国立文化財研 究所創立40周年記念論文集同朋舎出 版、 1995年 、 pp 911‑927。
7
大橋敏博 「韓目における文化財保護 システムの成立 と展開 ―関野貞調査 (1902年)から韓回文化財 保護法制定 (1962年)まで」 『総合政策論集』第8号島根県立大学、2004年。
8
粟野隆「史跡整備 と施設配置」 『追跡整備調査報告』 奈 良文化財研 究所、2008年 、pp.110‑
114。
挿図出典
第 1図
上田三平編 F平城宮FIL調査報告』史蹟精査報告第二
内務大臣官房地理課、1926年、挿入図版 第一。
第2図
同、図版第一。
粟野
隆
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Eユ
子フト鍼・ l毀辞.。 1司せ 磐暑 モ斗 利 ユ三 翻君。iせユ 鍼モ 呵司 モ・ll=召丘辞/1引司眉 与ユ・Il州士 せ千引 千君 狙Hl越暑,号 司 4舌 ≒起ヨ 己球斗 肴孝 凋樫引 把劇舟 呵Elせ 孝瑠引 軒El剣司引ュ 鍼モ剰詈 斗64辞ユ せモ斗 せ千斗引 ■球讐 日iユ・ l ttrl.五料モ 千三 せ暑 製 せ千刺 子斗利・il刻 年剰引 せ呵#・ll引せ 狽。i辞.
千Xll呵
:
十凋 狙日1 4署
≒起スi建 狙日
1
ユ二 千聟466
日韓遺跡整備の現状
Archaeological Site Presenttdon in Japan and Korea:
Focusing On Reconstructtd Buildings amd byouts of Fadと des Awano Takashi
Abstact:In Japan,arcllaeological site presentation has been developing since he miと 1960s,along with advances in he adnlinistration of buried cultural properties protectton and he introducdon of he concept of en ronmental management,孤 d udと Zing a variety of means for site display such as indicattng the horizontal oudines of archacological features,Inaking open air displays,and reconstructing buildings.Whle offettag sitors a place for recreadon,plans are ft・ cquently based on he idea of ha ng a site museum equipped for educating and learning about he histottc heritage,as we■as promoing he ttn(近ons of ealightenment and acceptance 血regard tc hetttage prottction.
But actual condiions of site lnanagement in Japan lack basic conl=non p nciples Mth regard to vattous aspech,such as how bundings should be reconstructed or rnettods for u■ lzing sitts,or he manner for settlng up facilities for management or visitors'convenience,so it is desirable to review our ttinkingわ out certain basic standards.In order to analyze hese problems in Japan's administration of cultural properties prottcion,this contnbution assesses he current conditons of site presentation in Kbrea,and in pardcular、vhatとこnds of approaches are taken in reconstrucing buildings and setting up various types of facitties,Inaking a comparison of the situations of Japan and Korea.Invesigation was made mainly hrough inter ews h depar伍lents relattd to cultural properies inJapan and Kbrea.
Keywords:Historic sites,site presentation,reconstructing buildings,setting up of facllides, protection zones