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スターンと病んだ身体 : 結核・メランコリー・狂 気

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(1)

スターンと病んだ身体 : 結核・メランコリー・狂

著者 木戸 好信

雑誌名 主流

号 73

ページ 1‑28

発行年 2011‑11‑10

権利 同志社大学英文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000015239

(2)

スターンと病んだ身体

一 一 結 核 ・ メ ラ ン コ リ ー ・ 狂 気 一 一

木 戸 好 信

ロレンス・スターン (LaurenceSterne)のテクストは身体に取り癌かれ ている. しかも,事故や戦争によって破損,負傷した身体,結核や梅毒によっ て汚染された身体,そして,生殖・出産・恋する身体,といった病んだ身体 に五体満足で心身ともに健康である時,我々は自らの身体をことさら意 識することはない.しかし情念や共感の作用によって心臓の鼓動が高ぶり 血管が激しく脈打つ時,あるいは怪我や病気で苦痛に悶える時,性交・生理・

妊娠・出産,さらには,恋に身を焦がす時,この身体という物理的存在を痛 烈に意識することになるだろう.この病んだ、身体への強迫観念は彼のテクス トだけに限ったことではなく,生まれっき病弱な上に当時は不治の病であっ た結核に苦しみ幾度となく曙血を繰り返した作家スターン自身の強迫観念で

もあった.

アーサー"H"キャッシュ(ArthurH. Cash)はスターンの評伝において,

how Sterne's life affected what he wrote and how his writing affected his  life"  CCash, 

L

α

t e r  Y e

α

r s  

xiv)と述べている.このような言葉はどのような 作家に対してもある程度あてはまるに違いないが,スターンの場合は最大限 に考慮しなければならない.実際,

r

トリストラム・シャンディ.1(Tr

i s t r a m  

Shαndy) のー,二巻を出版し一躍時代の寵児となった後,その読者たちに

とって作家スターンと作品の登場人物であるトリストラム・シャンデイ

CTristram Shandy)やヨリック (Yorick)との境界は限りなく暖昧であったの

(3)

2  スターンと病んだ身体一一結核・メランコリー・狂気一一

だ.それは,ロンドンに上京したジェームズ・ボズウエル (JamesBoswel1)  が「スターン博士,ヨリック牧師, トリストラム・シャンデイへの書簡

J

(A  Poetical Epistle to Doctor Sterne

, 

Parson Yorick

, 

and Tristram Shandy

というタイトルの詩を書き,またサミユエル・ジョンソン (SamuelJohnson)  はスターンと初めて会った時のことを報告する際,スターンを「トリストラム・

シャンディ」と呼びメさらには,スターンの娘リデイア (Lydia)までも,学 校の女の子たちから「トリストラム嬢

J . r

シャンディー嬢

J

(Miss 

T r i

stram," 

MissShandy")と呼ばれていた (Cash,

E

α,

r l y  &  Middle Y e a r s  

296).といっ た様々なエピソードからも窺い知ることができるだろう しかも,スタ)ン自身,

自らの説教を『ヨリック氏説教集,]

( T h e  Sermons o f  Mr. Y o r i c k )

と題して出 版しまたパリの社交界ではいつにも増して「シャンデイズム

J

(Shandeism")  を発揮したそして『トリストラム・シャンディ』の語り手トリストラムはと 言えば.

r

私はここに書かれるこの私の生涯をもとに,立派な一つの生涯を送っ て見せるつもりです一一ーということは言いかえれば,二つの生涯を共存さ せて見せるということです

J ( 4 . 1 3 ) 4

と早々に宣言していたではないか.

かくしてスターンという作家は自らのテクストの登場人物の一人となり,

一方トリストラムやヨリックといった登場人物たちは作家になるというよう に,スターンとテクストの関係においては,まさに現実がフィクション化し フィクションが現実化するのだ.これは単にスターンのテクストを実人生に 還元したり,またその逆のことを意味しているのではない.我々に求められ るのは,スターンという一人の作家であり患者(時に医者)が紡ぎ出すテク

ク リ テ イ カ ル ク リ ニ カ ル

ストに対する批評的かっ臨床的な眼差しである.この読みを達成するために スターンが語る疾病と治療を当時の医学的言説に照合しながら再構築してみ よう.それはまたスターンの視点から医学的言説を再構築することでもある.

そうすることによってスターンのテクストに書き込まれた,そしてスターン の身体に書き込まれた,病んだ身体の意味が明らかになり,ひいてはスター

ンの創作原理に対する見立ても可能となるであろう.

(4)

スターンと病んだ身体一一結核・メランコリー・狂気一一 3 

本稿では特にスターンの宿病であった結核と

1 8

世紀イギリスの国民病で あったメランコリー,そしてこのメランコリーを語る上で切り離すことので きない狂気という観点からスターンにおける病んだ身体にアプローチする.

1

節ではスターンのテクストに頻出する結核について取り上げ,特に闘病 記である『イライザへの日記j(Th

e  Journ

α

1  t o  E l i z

α/ 

C o n t i n u

α

t i o n  o f t h e   B r a m i n e ' s  Journ

α

l )

を中心にスターンの結核に対する能動的な態度,すな わち結核のロマン化について再確認する.第

2

節ではスターンのメランコ リーに対する態度が結核に対するものと相同関係にあることを指摘し『セ ンチメンタル・ジャーニーj

( A  S e n t i m e n t

α

1  J o u r n e y )

における旅の意味 が恋愛療法による結核及びメランコリー治療であることを示す.第

3

節では 感受性と共感の言説が当時の神経生理学理論を基盤にしているばかりが,結 核をめぐる幻想と同じ構造であることを確認した上で,

r

トリストラム・シャ ンディ』と『センチメンタル・ジャーニー』に共に登場する狂女マリア

( M a r i a )

のエピソードを再読する.そして第

4

節ではこれまでの議論を踏まえ,結核 及びメランコリーの治療法としての乗馬療法とスターンのテクストの構成原 理の関係を探究する.

スターンのテクストには結核5が色濃く影を落としている.例えば『ト リストラム・シャンディ』において,語り手トリストラムはフランダースで 風に逆らってスケートした時に取り付かれた瑞息(

a s t h m a " )

のせいで今 ではほとんど息を吸い込むことができなくなったことを語り(1.5,8β) ,ヨリッ クについては,

r

肺病で体が弱りつつある」状態で,その彼の馬についても,

r

息 切れのする馬

J

(

b r o k e n ‑ w i n d e d  h o r s e

つであると述べている(1.1

0 ) .

さらにはト リストラムの父,ウオルターシャンデイ

( W a l t e rShandy)

についても「疹咳気味

J

(、

l i t t l ep h t h i s i c a l " )

で「激しい咳の発作で呼吸困難

J

(、

s u f f o c a t i n gf i t  o f  

(5)

4  スターンと病んだ身体一一結核・メランコリー・狂気ー←

v i o l e n t  c o u g h i n g " )

を起こすことについても抜かりなく言及していた

( 3 . 2 4 ) . 6

そしてなによりも.

r

イライザへの日記』ではスターンは自らの結核の症状 についてより詳細に報告することになる.

『イライザ、への日記』は恋愛対象である

Bramine"

ことイライザ

( E l i z a/ 

Mrs. E l i z a b e t h  D r a p e r )

の不在のせいで恋愛主体たる

Bramin"

ことヨリツ クが襲われる心神祖喪とその過剰なまでの惑溺振りがひたすら綴られてい る.いつもあなたのことを思っていること,あなたと共に過ごした日々のこ とを思い出すこと,あなたがいないと食欲も出ないこと,あなたからの連絡 を待っていること,あなたに早く再会したいこと,要するに,私はあなたの ことを愛しています,といったセンチメンタルな女性思慕の情が様々に変奏 されてはいるものの,ただただ一方的に自らの思いを自慰的に排出するその 表現は内容とレトリックの点からすればあまりにも凡庸な恋文だ. しかし 忘れてはならないのは.

r

イライザへの日記jがセンチメンタルな女性思慕 の日記であると同時に死を間近にひかえたスターン自身の日々の記録とも なっていることであり,本テクストの独自性が遺憾なく発揮されるのもまさ にこの闘病記としての側面であるということだ.実際,各日記の冒頭はほと んどの場合イライザへの病状報告から始まっている.そこではスターンの症 状が恋によるものか結核によるものかを区別することは不可能だ.むしろこ こまで執揃に自らの衰弱と体調不調を愛する人に報告する行為は,それ自体 が一方的な愛の言葉となる.つまり,身体の具合が酷ければ酷いほどイライ ザへの愛はより深いことを証明するかのように.

この結核と恋煩いの合併症を診察するために我々がまず考慮すべきはロマ ンティシズムとの関係である.自然や風景,あるいは感情の表現におけるロ マン主義者としてのスターンについての様々な側面はこれまでにも指摘され てきたj しかしながら,ここでスターンとの関係において先ず注目したい のはロマン主義の芸術家たちの病に対する新しい態度,特に結核に対する態 度である.

1 8

世紀中頃までに結核はすでにロマンティックな連想を獲得し

(6)

スターンと病んだ身体 結核・メランコリー・狂気一一 5 

ていた (Sontag26). 8つまり,肺病患者の過酷な闘病生活とは裏腹に,ヨー ロッパでは結核にまつわる佳人薄命説や肺病天才説といった甘美なイメージ がこの病に与えられ人口に謄炎していたのだ.もちろんこのような肺病のロ マン化に

1 8

世紀の医学的言説が貢献したことはいうまでもなく,中でも細 菌学などまだ存在しなかった当時,多くの医者が肺病の原因として欲求不満 や恋煩いや情熱の過多をその診断書に書き込んだ、ことが結核のロマン化に加 担したのは間違いないだろう.このような病のイメ」ジ形成に拍車をかけた のはロマン派の詩人が実際結核によって舞れたことだ¥そればかりか,彼ら は死を美化するためにこの結核を巡るファンタジーを積極的に利用した.だか らこそ,結核に病んだシエリー (P.B. Shelley)は同じ病のキーツ (John Keats)に, thisconsumption is a disease particularly found of people who  write such good verses as you have done"と書き,パイロン (GeorgeGordon  Byron)は自らの蒼白い顔を鏡で覗き込みながら, 1should like to die of a  consumption"と肢いたのだ (Sontag31‑2 ; Dubos 58).かくして,結核こそ 上品かつ繊細で,感受性の細やかなことの指標となり,感受性があると思いた い者はむしろこぞって結核になりたがるようになったのだ.

この感受性のあることの指標となった肺病の症状はなによりも皮膚や顔 に顕れると理解されていた肺病患者特有の症状である蒼白の顔色と透き 通った肌は古代からの美しい女性の蒼白さやひ弱さに対する憧れを反映し 美のイメージを喚起するばかりか,さらには結核によるこの蒼白の顔色と 透き通った肌といった症状に精神の浄化や存在の神聖化の願望さえ投影さ れるようになったのだ¥事実,イライザと再会する頃には「エーテル状の存在

J

(etherial Substance")に「昇華」していると述べる結核患者スターンは,自 らを 1was always transparent & a Being easy to be seen thro"と描写するば かりか,同じく「昇華」したイライザ、との「霊的交わり

J

(

C o m m u n i o n " )

を夢 想する (Apri126).また別の箇所では,自らの顔色を aface as pale & clear  as a Lady after her Lying in"  (June 19)と述べ,優れた感受性の象徴であ

(7)

6  スターンと病んだ身体←ー結核・メランコリー・狂気

る結核の容貌を自らに刻印するばかりか.

r

出産」について言及することに よって肺病と創造性との関係をも喚起させる.

ロマン主義の芸術家たちは結核のロマン化に与しただけでなく「痛み」と いう個人的経験をも創造的に利用した.例えば,キーツの作品では,美は恋 するものを痛々しい喜びで満たし,情熱の苦悶において愛と死が一体化した ロマン派的な至高の愛の死が表現されるのだが

(Mo

i s2 0 8 )  

.この「痛みj.

「美j.

r

愛j.

r

死」の結びつき,言わば,痛みのロマン化とも言うべきもの はそのまま『イライザへの日記』におけるスタ}ンにもあてはまる.ロマン 派と同じくスターンにおいても痛みとは病に付随する単なる負の要因ではな く自らの人生の本質でありかっ不可欠の存在であった.死の直前,とある女 性への手紙に

1am 

ill一一一

v e r y

ill一一

Yet1  f e e l  my  E x i s t e n c e  S t r o n g l y "  

( C u r t i s  4 1 6 )

と記したスターンは.

r

イライザ、への日記』においては

t oput  an end t o  my  torment ,  w

ch 

o t h e r w i s e  would put an end t o  me" ( A p r i l  2 4 )  

とまで断言する.必ずしもロマン派の詩人たちと同じように結核のロマン化 に直接的に与したわけではないにしろ,スターンが結核やそれに伴う痛みに 特別な意味を賦与したことは確かであり,そこにロマンテイシズムの萌芽を 看取することは不可能ではないだろう.

スターンのテクストの主要登場人物たちのほとんどが結核ばかりかメラン コリーの虜となっている.

r

あたまのてっぺんから足の爪先まで感受性その ものj(9.1)であるウォルターは,息子のしこみ,出産,名づけとことごと く失敗したせいで.

r

顔のしわ一つ一つに動かしようのない悲嘆が刻み込ま れj (3.29).溜息ばかりするメランコリーな日々を送っている.しかもウォ ルターは「痛績持ち

J

(2.12)で,特にひどい時は「なぜ自分は生まれてき たのか」とか「死んで、しまいたい j(5.13)などと口走る癖がある. トリス

(8)

スターンと病んだ身体一一結核・メランコリー・狂気 7 

トラムはといえば,その名前の語源 tristis"(fもの憂いJ) からして既にメラ ンコリーを喚起させるために,父ウォルタ」は, tentimes in a day calling  the child of his prayers TRISTRAM!一一‑Melancholy dissyllable of sound!" 

ホ ム ン ク ル ス

(1.19) と嘆かずにはいられない.それどころか,トリストラムはまだ「精子の小人」

(HOMUNCULUSつとして母胎の中にいる時から かき乱された動物精気 のせいで「悲しい神経錯乱の状態

J

(sad disorder'dstate of nerves")のまま,

「突然の発作や一連のメランコリーな夢や妄想

J

(sudden starts, or a series  of melancholy dreams and fancies") (1.2)に苛まれていたではないか.

f

イライザへの日記』においては結核の症状が恋の病の症状に,そして恋 の病が結核の症状のように表現されていたがこれは単なる比験的な一致では ない.結核と恋の病は共に当時の医学的言説ではメランコリーに密接に関連 付けられていたのだ¥例えば,ギデオン・ハーヴェイ (GideonHarvey)は

『英国の病j

(Morbus A n g l i c u s :  o r  t h e  An

α

tomy o f  Consumptions) 

(1666)  で me1ancholy"と、ho1er"が結核の"thesole cause"だと述べ (Sontag54),  また肺に散見される結節に関する報告をしたシルヴイウス (FrlciscusSylvius)  は『医学論集j

( O p e r

α

Medic

α) (1679)において,心の悩み,とりわけ悲嘆が肺病 の原因であると説き(福田168),そしてリチヤード・モ一トン(RichardMorton)は 同市療学j

( P h t h i s i o l o g i

α,

o r

A 1

テeα

t i s eo f  C o n s u m p t i o n s )  

(1689,英訳

1 7 2 0 )

で, 患者は 1ayaside care, melancho1y and all poring ofhis Thoughts as much  as ever he can and endeavor to be cheerfu1"  (Dubos 141) 10と述べたよう に,多くの医者が肺病の原因のひとつとして指摘するのがこのメランコリー であったのだ.

スターンの愛読書であったロパート・パートン (RobertBurton)の『メ ランコリーの解剖j

( T h e  An

α

tomy o f  Mel

α

n c h o l y )  

(1621)ではメランコリー の最も典型的な形態であるラブ・メランコリー Oovemelancholy)の症状,

予後(プログノーシス),治療について多くの紙幅が割かれている.博覧強 記のパートンはその治療法について,仕事に打ち込む,食事,薬剤,絶食に

(9)

8  スターンと病んだ身体一一結核・メランコリー・狂気十一

よるもの,あるいは,刺激の回避,住居の移転,新しい相手をあてがって今 までの相手をくさすこと,男女の汚さ,結婚の惨めさ,情欲の末路を説いて 諭す,呆ては魔術に至るまで実に様々なものを列挙している.そしてこういっ た治療によって効果が得られない場合, 官

1 el a s t  and b e s t  Cure o f  Love  M e l a n c h o l y "

として

t ol e t  them have t h e i r  D e s i r e "

というアヴイセンナ

( A v i c e n n a )

以来の王道の治療法を処方するのだ 11

欲求不満あるいは抑圧の病気としてのラブ・メランコリーのこの治療法は 結核にも有効とみなされるであろう. というのも,結核もまた欲求不満と抑 圧の病気であり,それゆえに,たびたび結核患者にはセックスが良薬とされ またその治療法として恋愛が奨励されたのだ.

r

イライザへの日記』において, "1 

wish 

c o u l d  f l y  t o  you 

a t t e n d  You but one month a s  a  p h y s i c i a n "   ( J u n e  

1)と自らをイライザの医者と位置づけ,さらには 1

want t o  p r e s c r i b e  f o r   you

, 

my  E l i z a "   ( J u n e  3 )

と述べるヨリックことスターンは,自らの病の原因

とその治療については次のように見立てをしていた.

The Loss o f  E l i z a ,  and a t t e n t i o n   t o  t h a t  one I d e a ,  brought on a  f e v e r  

‑ ‑a  c o n s e q u e n c e , 

have f o r  some time ,  f o r s e e n

←一一

buthad n o t  a  s u f f i c i e n t  S t o c k  o f  c o l d  p h i l o s o p h y  t o  remedy ‑ t o  s a t i s f y  my  f r i e n d s ,  c a l l ' d  i n  a  Physician‑‑

Al

a s !  a l a s !  t h e  o n l y  P h y s i c i a n ,  &  who c a r r i e s   t h e  Balm o f  my  L i f e  a l o n g  with her

,一一一

i sE l i z a .   ( A p r i l  2

1) 

ヨリックの病の原因,すなわち毒であると同時にまたその病を治す薬である というファルマコン

(pharmakon)

としてのイライザ¥ここでスターンが 表明しているのは結核の原因としてのラブ・メランコリーとこの欲求不満あ るいは抑圧の病気に対するパートン的治療法に他ならない.

スターンの宿痢である結核の病因のひとつとされるメランコリー.この病因 たるメランコリ}こそがスターンの標的であるのは間違いないだろう.実際,

(10)

スターンと病んだ身体一一結核・メランコリー・狂気一一 9 

『トリストラム・シャンデイ』の執筆の意図をスターンは次のようにはっき りと述べていた

If 'tis  wrote against any thing,‑一一'tiswrote, an' please your  worships

, 

against the spleen; in order

, 

by a more frequent and a  more convulsive elevation and depression of the diaphragm

, 

and the  succussations of the intercostal and abdominal muscles in laughter

, 

to drive the gα

I I  

and other 

b i t t e r  j u i c e s  

from the gall bladder

, 

liver

, 

and sweet‑bread of his majesty'subjects

with all the inimicitious  passions which belong to them

, 

down into their duodenums.  (4.22) 

この againstthe spleen"というスターンのスローガンはもちろん『センチ メンタル・ジャーニー

J

においても貫かれている 12 しかし闘病記である『イ ライザ、への日記』とほぼ同じ時期に執筆されていたにもかかわらず.

r

セン

チメンタル・ジャーニー』には結核の影はほとんど見当たらない.唯一我々 が目撃するのは,リヨンに向かう途中,三十歳ばかりの女性とその二十歳の 小間使いと相部屋になる最後のエピソードで,咳をするヨリックの姿のみで ある (162).その代わりにひたすら描き続けられるのがヨリックによる様々 な女性たちとのつかの間の恋愛である.既にメランコリーに対するパートン 的治療法,すなわち恋愛療法を確認した我々にとってもはや説明は不要であ ろう.すなわち.

r

センチメンタル・ジャーニー』においてスターンが描い ているのは結核の症状ではなく,実はその治療の過程に他ならず,それは旅 においてスメルファンガス (Smelfungus)が体現するメランコ1)̲ーに対抗 するものなのだ 13

以上の読みを強化しているのは,パスポート取得を巡るエピソードである.

パスポートがないために投獄されるかもしれないという考えが結核治療の旅 を続けるヨリックを終始メランコリーな気分にするばかりか,実際,パスポー

(11)

10  スターンと病んだ身体 結核・メランコリー・狂気一一

トを持っていないと知った宿屋の宿主は「まるで疫病やみから逃げるよう に

J

(92) ヨリックから遠ざかる.フランスでの旅(すなわち治療)を続け るためにどうしてもパスポ}トを手に入れる必要のあるヨリックはイギリス 量買でシェイクスピアを愛読するB伯爵を頼り会いに行く.そこで『ハム レット j (l/.α

m Z e t )

のヨリックであると自己紹介すると伯爵は驚きヨリック を抱きしめた後,彼を独り残し部屋から出て行ってしまう.改めて指摘する までもなく,ハムレットはメランコリーを体現した人物である. しかしここ で注目したいのは,部屋に独り残されたヨリックが伯爵の帰りを待っている 聞に読み始める本というのが『から騒ぎj

(Much Ado About N o t h i n g )

で あるという事実だ.クラーク・ローラー

( C l a r kL a w l o r )

Consumptionαnd L i t e r α t u r e

において

B e a t r i c e ' sv e r b a l  f e n c i n g  with B e n e d i c k  i n  S h a k e s p e a r ' s   Much Ado About Nothing i l l u s t r a t e s  i n  comic miniature the l o g i c  o f   consumptive l o v e :  p i n i n g  l o v e r s  f a l l  i n t o  consumptions which can o n l y  be  cured by possessing the o b j e c t  o f  t h e i r  d e s i r e ;  Benedick must have  B e a t r i c e  t o  l i v e "   ( 1 5 )

と述べていたが,結核の病因たるラブ・メランコリー の治療の旅を続けるヨリックを象徴するためにこれほど適切な本はないだ、ろ う.また,この『から騒ぎ

J

はヨリックにとって養生書の機能も果たしている.

旅(すなわち治療)が続けられなくなり,伯爵の屋敷にたどり着いた時は,

ヨリックは

al i t t l e  p a l e  and s i c k l y "  

(1

0 9 )

で椅子を勧められるほどであっ たのに.

r

から騒ぎ』を読んだ途端に体調を回復するのだ.さらに

.B

伯爵が パスポートを手に戻ってきた時には.

r

第三幕の終わりまでj読み進んだ、とヨ リックはわざわざ報告していたが (115).ちょうど第三幕第四場は,ベネデッ クへの恋煩いで体調がすぐれず,頭痛や鼻づまり,胸のむかつきを訴えるべ アトリスに,侍女マーガレットが

Getyou some o f  t h i s  d i s t i l l e d  c a r d u u s   b e n e d i c t u s

, 

and l a y  i t  your h e a r t ;  i t  i s  t h e  o n l y  t h i n g  f o r  a  q u a l m . "

とラブ・

メランコリーへの典型的な処方筆について述べていた場面でもあったすな わち,旅(治療)を継続するために不可欠なパスポート(あるいはパスボー

(12)

スターンと病んだ身体一一結核・メランコリー・狂気一一一 11 

トがないこと=疫病),そしてそこで言及される養生書としての『から騒ぎ』

といったスターンの綴密なテクスト戦略からもわかるように,

r

センチメン

タル・ジャーニ ‑j における旅とは恋愛療法による結核治療,メランコリー 治療の旅に他ならない.

メランコリーは「スプリーン

J

(spleen) , 

r

ヴァプ)ル

J

(vapours), 

r

ヒポ

コンドリー

J

(hypochondria), 

r

ヒステリー

J

(hysteria)と様々な病名で呼 ばれていた.もちろん「ヒボコンドリー」は男性が 「ヒステリー」は女性が 擢るといったように医師によって区別される場合もあるが大筋の性質につい ては同ーのものと言っていいだろう.またこれらの病名の名残がそれぞれ示 すようにこれまでメランコリーという病の座は,牌臓,胃,子宮に置かれ,

さらに,その病気を生じさせるシステムは ヒポクラテス以来の四体液のバ ランス,体内を動き回る子宮,デカルト流の動物精気と化学的蒸留器,心臓 を中心とした血液の循環といったものに基づいて説明されてきた

しかし18世紀以降,リチヤード・ブラックモア (RichardBlackmore),  ニコラス・ロビンソン (NicholasRobinson) ,ジョージ・チェイニー (George Cheyne),ロパート・ホワイト (RobertWhytt)といった医者たちの著作14

をとおし様々な名前で呼ばれたメランコリーの原因としてなににも増して

「神経」というものが断然重要性を帯びてきた当時,流行の温泉保養地パー スの医師であったジェームズ・マキトリック・アデーア (James Makittrick  Adair)はホワイトの著作が出版されてからは,それまで自分たちに神経が

あるとは考えてもみなかった上流社会の患者たちへの病名の説明として

、 ! l

adamyou are nervous"と言うだけですべて事足り,それ以来「スプリー ン,ヴァプール,ヒボコンドリーといった言葉は忘れ去られた

J

といささか 誇張気味に述べている 15

(13)

12  スターンと病んだ身体一一結核・メランコリー・狂気一一

神経,そしてこれに付臨する,振動,繊維,感覚中枢から構成される身体 モデルはスタ}ンのテクストにも隅々まで張り巡らされており,またこれま でにも既に多くの研究者たちに論じられてきているのでここで繰り返す必要 はないだろう 16むしろここで我々が注目したいのはメランコリーと神経の周辺に 紡ぎだされる社会的幻想の方である.例えば,ブラックモアは

H y p o c h o n d r i a c a l P e r s o n s "

というのは

endowedwith a  g r e a t  Share o f  Understanding and  Judgement ,  with s t r o n g  and c l e a r  Reason ,  a  q u i c k  Apprehension and  V i v a c i t y  o f  Fancy and I m a g i n a t i o n

, 

even a b o v e  o t h e r  Men"

であり,また

many Hysterick Women owe t h e i r  good Sense ,  ready Wit ,  and l i v e l y   Fancy

, 

t o  t h e  l i k e  f o u n t a i n "  

(Bl

ackmore 2 4

9 0 )

と述べ,同じくチェイニー はメランコリーといった神経障害を患うのは,冗

hoseo f  t h e  l i v e l i e s t  and  q u i c k e s t  natural Parts ,  whose F a c u l i t i e s  a r e  the b r i g h t e s t  and most  Spiritual ,  and whose Genius i s   most keen and penetrating ,  and  p a r t i c u l a r l y  where t h e r e  i s  t h e  most d e l i c a t e  S e n s a t i o n  and T a s t e ,  both o f   P l e a s u r e  and Pain¥ ( C h e y n e

, 

E n g l i s h  M α l αdy 1 8 0 )

と述べている.すなわ ち神経が不調だと訴えれば,それは繊細な感性を誇示しているだけでなく,

地位の高さを示ししかも病気になるような繊細な神経を持つ者は鋭敏な感 覚と活発な頭脳に恵まれていると考えられた 17ここですぐに気づくのは,

結核が優れた感受性の指標であるとみなされたのとまったく同じファンタ ジーが,神経とメランコリーをめぐる医学的言説においても繰り返されてい ることである.以上を踏まえて.

r

トリストラム・シャンディ』と『センチ メンタル・ジャーニ ‑j の両方で語られるマリアのエピソードを再読してみ

よう.そこではこれら二つの幻想が見事に融合されている.

まず注目すべきは,ス夕一ンが描くマリアの狂気はヒステリツクな発作や 白痴的な行動とは無縁の物静かでで、知性を秘めたものであることだ¥笛で「メ ランコリ一な旋律を奏でで、るマリア」

μ (

は,三年前は「大変頭の回転の速い

J

(

s o  q u i c k ‑ w i t t e d " )   ( 9 . 2 4 )

娘であっ

(14)

スターンと病んだ身体一一結核・メランコリー・狂気

1 3  

たと述べられ, しかも,正気を失った後もマリアの知性はトリストラムに彼 女の話を聞かせる一介の駅者に投影されてなお暗示されている 18そのマリ アは「毛を刈られた羊

J

(

shorn lamb

つ,しかも「生身の肉のところまで」

(

t o  t h e  q u i c k

( 1 5 2 )

剥がれた羊に喰えられているように,まさに神経が 剥きだしの全身が感受性そのものとなった状態なのだ.そして彼女の容姿に 関しては次のように述べられている.

Maria ,  t h o '  n o t  t a l l ,  was n e v e r t h e l e s s  o f  t h e  f i r s t  o r d e r  o f  f i n e  forms 

一 一

a f f l i c t i o nhad t o u c h ' d  her l o o k s  with something t h a t  was s c a r c e   e a r t h l y  ‑ ‑s t i l l  she was f e m i n i n e  ‑ ‑and s o  much was t h e r e  a b o u t   her o f  a l l  t h a t  t h e  h e a r t  wishes ,  o r  t h e  e y e  l o o k s  f o r  i n  woman ,  t h a t   c o u l d  t h e  t r a c e s  be e v e r  worn o u t  o f  her b r a i n ,  and t h o s e  o f  E l i z a ' s   o u t  o f  mine ,  she s h o u l d  

not only eαt ofmy breαdαnd drink of my own  cup

,  but Maria should l a y  i n  my  bosom ,  and be unto me a s  a  d a u g h t e r .   ( 1 5 4 )  

ここには単なる憐閣の情や共感だけではなく,ヨリツクそしてスターンが狂 女マリアに性的欲望の対象たる魅力を感じているのは明らかであろう.肺病 独特の症状が女性の蒼白さやひ弱さに対する憧れを反映して美のイメージを 喚起したのと同じく,スターンは狂気という病を患うマリアのことを,この 土なく美しい容姿で,男性の眼が女性に求めるあらゆるものが全て備わって いたと理想化して描写するのだ. しかも注目すべきは,既に見たように『イ ライザへの日記』において医者として自らが処方をしてやりたいという愛し の病人イライザの名前を突然持ち出しそのイメージをマリアと巧みに重ね 合わせていることだ.実人生において,スターンは結核を病んでいる女性に 惹かれる傾向があったことをキャッシユは報告していたが 19イライザと同 じくマリアもまたスターン好みの

" c o n s u m p t i v el a d i e s "

の一人として拾か

(15)

14  スターンと病んだ身体一一結核・メランコリー・狂気ー←

れているのた¥そしてマリアの狂気の原因も失恋した若い女がメランコリー の虜となり狂気に至るというその典型的なものだ

トリストラムはマリアとの出会いを.

" i f  e v e r  1  f e l t  t h e  f u l l  f o r c e  o f  an  h o n e s t  h e a r t a c h e

, 

i t   was t h e  moment 1  saw her‑

一 "

( 9 . 2 4 )

と述べ, 自

らの共感による心痛を告白していた.言うまでもなく共感は

1 8

世紀の哲学 者や文学者ばかりか当時の医者や生理学者たちをも完全に虜にした概念であ る. もちろん.

1 8

世紀に共感という概念がこれほど共感を持って受け入れ られたのは,商業と穂の両立を目指す道徳哲学が,新興特権階級と伝統的特 権階級の利害関係の一致により形成された「感性の共同体」のイデオロギー を代弁していたからであるが

( E a g l e t o n 3 2 ) .

さらに再確認すべきは,肉体 は基本的にお互いの痛みを分かち合うように要求しているというこの共感と いう概念が,こと脳と神経が特権化した当時の医学的言説によって強化され ていたことだ.却すなわち,想像力は人聞の神経構造を通して働くものであ ること,想像力こそが共感という感覚を他者の中に生じさせて個々人の間で 感じ取られる感情の鎖で人々を結びつけ心痛を作り出すのだと考えられたの だ

( M o r r i s2 0 7 ) .

また『センチメンタル・ジャーニ ‑j では共感の働きに 捕らえられたヨリックはマリアのもとを去った後も彼女を忘れることが出来 ずに,、

e n s i b i l i t y "

と冶

r e a t

SENSORIUM 

o f t h e  wo

r1

d "   ( 1 5 5 )

に呼びかけて いたが.

r

イライザ、への日記』ではこの共感による心痛が極限まで前景化さ れる.スターンは

"mydear Bramine

, 

t h a t  t h e r e  s t i l l  wants n o t h i n g  t o  k

i11 

me  i n  a  few days

, 

but t h e  c e r t a i n t y

, 

That thou wast s u f f e r i n g

, 

what 1  am" 

(Apr

i1 

2 5 )

と述べ,共感の作用によってイライザ、の病苦を分かち合うどこ ろか,その感染力が自らを死に至らしめるほどのものであること示すのだ.

かくして,共感というものが人間という動物の生理学的,神経学的構造に根 ざしていること,さらにはこの概念が持つ感染力21を考慮するならば,こ の共感というものが実は結核やメランコリーと同じく

1 8

世紀の流行病の一 種であったことが理解できるのではないだろうか.

(16)

スターンと病んだ身体 結核・メランコリー・狂気一一 15 

これまでスターンのテクストにおける,結核,恋煩い,メランコリーといっ た病のそれぞれの症状とレトリックの相向性,さらにはラブ・メランコリー に対するパートン的治療法,すなわちアヴィセンナ以来の古典的な治療法を 見てきたが,次は,この結核やメランコリーに対するスターンと同時代の「最 新の」治療法についても見てみよう.

最良の医学書は何かと間われた時,

n

ドン・キホーテ』を読め

J

(Porter, 

Gre

α

t e s t  B e n e f i t  

229)と答えたのは,スターンではなく,

I

イギ、リスのヒポクラ テス」ことトマス。シドナム (ThomasSydenam)である.このシドナムにつ いて特記すべきは,結核の特効薬として乗馬を推奨したことだ 実際シドナ ムは,父と弟を結核で亡くしそして自らも生涯この病に苦しめられていた親 友のジョン。ロック CJohnLocke)に乗馬を欠かさないように勧め,そして,ロッ クもまた『シドナム秘話.1

( A n e c d o t

α

Sydenh

αm Lαnα)の中でこの高名な医師 の乗馬療法が見事に甥の結核を治したことを報告している.シドナム以来,ベ ンジャミン・マーティン CBenjamineMarten),ヴァン・スウィーテン (Van Swieten)といった医師たちによって様々な形の乗馬が治療法として推奨され たそしてまた乗馬は結核の治療だけでなく メランコリーの治療にも効果的 であると考えられたのだ.バーナード・マンデヴイル (BernardMandeville)  は『ヒポコンドリアとヒステリーの情念についての試論.1

(A T r e

α

t i s e  

o[ 

t h e  

H y p o c h o n d r i c k

α

dH y s t e r i c k  p

α,

s s i o n )  ( 1 7 1 1 )

の中でメランコリーを患ってい る女性に対し食事療法と共に乗馬療法を処方しているし (Mandeville249‑50),  またホワイトは「神経システムjを強化するには運動が不可欠であることを主張 し,あらゆる運動の中で,百dingon horseback has been justly esteemed the  best" (Whytt 355)と述べている.中でも注目に値するのはチェイニーが"You are a true genuine 

Hyppo" 

(Cheyne

, 

Le

t t e r s  t o  R i c h a r d s o n  1 0 4 )

と診断を下 すサミュエル・リチヤードソン (SamuelRichardson)に勧めた「室内馬」

(17)

1 6  

スターンと病んだ身体一一一結核・メランコリー・狂気一一

(

C h a m b e r ‑ h o r s e " )

という屋内用の乗馬型健康器具である 22これこそ後にホ ビーホース( HOBBY‑HORSE")と呼ばれるものであり,さらにはスターンの 創作原理の核のひとつとして採用されるものの原型である.

ホビーホースばかりではない,そもそも『トリストラム・シャンディ』は 乗馬のイメージで溢れていた.

羽市

a ta  r a t e  have 1  gone on a t ,  c u r v e t t i n g  and f r i s k i n g  i t   away ,  two  up and two down f o r  f o u r  volumes t o g e t h e r ,  without l o o k i n g  once  behind ,  o r  even on one s i d e  o f  me ,  t o  s e e  whom  1  t r o d  u p o n !

←一一I'1l

t r e a d  upon no one

,一一‑

quoth  1  t o  myselfwhen  1  mounted

一一一1'

1 1t a k e   a  good r a t t l i n g  ga

l1

o p ;  but 

1'

l l   n o t  hurt t h e  p o o r e s t  j a c k ‑ a s s  upon t h e   r o a d

十 一 ‑

8 0   o f f I   s e t  ‑ ‑up one l a n e  ‑ ‑down a n o t h e r ,  through t h i s   t

山 首 ー

pike‑

一一

o v e rt h a t ,  a s  i f t h e  a r c h ‑ j o c k e y  o f j o c k e y s  had g o t  behind  me.  ( 4

.2

0 )  

ここでは語りのプロットが馬での旅に そして書くことが馬術や乗馬に聡え られている.書くことが乗馬であり,そして乗馬がメランコリーや結核の治 療であるならば,まさにスターンにとって書くこと=乗馬が何よりの治療と なる.そして実際, トリストラムは「私の神経の緊張は,こうやって語るにつ れてゆるやいで来ます

J

(

My  n e r v e s  r e l a x  a s  1  t e l l  i t . " )   ( 3 . 2 8 )

と述べ,また 一方,結核病みのヨリックも,ロシナンテと瓜二つの自分の馬の背中の上で「咳 を鎮めることができる

J

(もec

o u l d  compose h i s  c o u g h " )

と言っていた.しかも,

ヨリックは自分と馬との関係を「ケンタウルスみたい

J

(

c e n t a u r ‑ l i k e " )  

(1.1

0 )  

だと主張していたが,まさにこれこそ乗り手と馬が一体化した究極の乗馬形態 ではないだ、ろうか.

『センチメンタル・ジャーニー』において旅を続けることが結核及びメラ ンコリーの治療であることは先に見たが,そこでは乗馬の代わりに馬車が

(18)

スターンと病んだ身体一結核・メランコリー・狂気

1 7  

重要な役割を演じていたことも思いだそう.実際,

SentimentalT r a v e l e r "  

(1

5 )

ことヨリックの旅は馬車を購入するために駐車場へ向かうことから始 まっていた.ヨリックは隅っこにあった古ぼけた「一人乗り馬車(無愛想馬 車)

J  ( " D e s o b l i g e n t " )

にひとめぼれしその馬車の中で「序文」を書き始 めるのだが,その駐車しである馬車は「序文」を書くヨリックの心の動きに 共鳴して揺れるのだ 23あるいは,ナンポンで出会った男から彼の死んだ騎 馬の話の聞いてメランコリーに沈んだヨリックの症状に対しては,御者はそ の治療として,予

e n s i v ep a c e "

で馬車を進めるべきであったのに,冶

a l l o p "

で 荒々しく駆け出したためにヨリックの「神経は粉々に引き裂かれ

J

(冗e

a r i n g my  n e r v e s  t o  p i e c e s

っていたではないか

( 5 5 ) .

マリアのエピソードではメランコリーと狂気が一体となっていたように,

この二つの症状を明確に区別することはできない 24伝統的にメランコリー が狂気への前段階で、あるとみなされてきたことを踏まえれば,スターンのテ クストのメランコリーな登場人物たちはまた狂気も患っていると言えるだろ う. しかも,狂気は知的錯誤から湧き出るというロックの定義おに基づけ ばウォルターの術学趣味やトウピーとトリムの戦争・軍事オタクぶり,そし て言うまでもなくこのロックの観念連合に従ったトリストラムの脱線的語り は紛れもなく狂気と呼ぶにふさわしい.そもそもトリストラムにいたっては 自らの著書を人を発狂させる「月の女神

J ( t h e  Moon)

に捧げているのだ (1.9) . 

テクストに頻出する乗馬のイメージはホビーホースという形をとっても示 されていた.スターンは登場人物たちがのめり込むそれぞれの道楽,すなわ ちホビーホースをとおし彼らの奇矯と狂気を描く.

A man and h i s  HOBBy‑HORSE ,  t h o '  1  cannot say t h a t  t h e y  a c t  and r e ‑

a c t  e x a c t l y  a f t e r  t h e  same manner i n  which the s o u l  and body do 

upon each o t h e r :  Yet d o u b t l e s s  t h e r e  i s  a  communication between 

(19)

18  スターンと病んだ身体一一結核・メランコリー・狂気一一

them o f  some kind ,  and my  o p i n i o n  r a t h e r  i s ,  t h a t  t h e r e  i s  something  i n  i t  more o f  t h e  manner o f  e l e c t r i f i e d  b o d i e s , ‑ ‑ a n d  t h a t  by means o f   t h e  heated p a r t s  o f  t h e  r i d e r ,  which come immediately i n t o  c o n t a c t   with t h e  back o f  t h e  HOBBy‑HORS

E.一一

Byl o n g  j o u r n i e s  and much  f r i c t i o n ,  i t   s o  happens t h a t  t h e  body o f  t h e  r i d e r  i s  a t  l e n g t h  f i l l ' d  a s   f u l l  o f  HOBBy‑HORSICAL matter a s  i t  can h o l d ;  ‑ ‑ ‑ ‑ s o  t h a t  i f  you a r e   a b l e  t o  g i v e  but a  c l e a r  d e s c r i p t i o n  o f  t h e  n a t u r e  o f  t h e  one ,  you may  form a  p r e t t y  e x a c t  n o t i o n  o f  t h e  g e n i u s  and c h a r a c t e r  o f  t h e  o t h e r .  

(1.24) 

乗り手とホビーホースは魂と肉体の関係と同じであること,あるいは電気を 帯びた身体同士のように融合し一体化しているといったスターンの説明は,

まさに人間と狂気が互いに不可欠な存在として結びついていることを示すも のだ.ポープ(Al

exanderP o p e )  

,スウイフト

(JonathanS w i f t )

,ジョン ソンたちの狂気に対する激しい攻撃,ベドラムに象徴されるように狂人の隔 離施設が増設され,さらには「大監禁

J ( F o u c a u l t )

が始まった理性の時代 にあってスターンの狂気に対する肯定的な態度は注目に値する鉛

チエイニ一はリチヤ一ドソンに「室内馬」と共にビリヤ‑ドや読書といつ た「気H晴青らし

J

(

Hobbyhorse

ff 

意味する道楽たるホピ一ホ}スとはまさにこの「気H晴青らし」でで、ある.

For my  h o b b y ‑ h o r s e ,  i f  you r e c o l l e c t  a  l i t t l e ,  i s  no way a  v i c i o u s  b e a s t ;   he has s c a r c e  one h a i r  o r  lineament o f  t h e  a s s  a b o u t  him

ー ←

‑ ' T i st h e   s p o r t i n g  l i t t l e  f i l l y ‑ f o l l y  which c a r r i e s  you o u t  f o r  t h e  p r e s e n t  hour 

‑ a  maggot

, 

a  b u t t e r f i y

, 

a  p i c t u r e

, 

a  f i d d l e ‑ s t i c k

一一一

anun

c1

e  T o b y ' s  

s i e g e  ‑ ‑o r  an α ny t h i n g ,  which a  man  makes a  s h i

t og e t  a  s t r i d e  

on ,  t o  c a n t e r  i t  away from t h e  c a r e s  and s o l i c i t u d e s  o f l i f e  

‑一一

' T i sa s  

(20)

スターンと病んだ身体 結核・メランコリー・狂気一一 19 

u s e f u l  a  b e a s t  a s  i s  i n  t h e  whole c r e a t i o n  ‑ ‑nor do 1  r e a l l y  s e e  how  t h e  world c o u l d  do without 

it ‑ ‑

( 8 . 3 1 )  

トリストラムはまたホビーホースを描くことでその乗り手の性格を描ききる という自らの戦略についても言及していたが(1.2324),語りという次元か ら見れば,ホビーホースすなわち気晴らし

( d i v e r s i o n )

とはスターンのテ クストを特鍛付ける脱線

( d i g r e s s i o n )

に他ならない.スタ}ンは「脱線は,

疑う余地もなく,日光です.一一読書の生命,真髄は,脱線です

. J

と述べ,

さらに「脱線的にしてしかも前進的

J

(1.22) という自らのテクストの構成 原理について語っていた.ホビーホースや乗馬による治療だけでなく,過剰 なまでの脱線,すなわち「気晴らし」を繰り返すスターンのテクスト自体が 他でもないまさに、

g a i n tt h e  s p l e e n "

のための処方筆あるいは養生書となっ

ているのだ.

主士号五mロロロ

これまで本稿ではスターンのテクストにおける病んだ身体に批評的かつ臨 床的眼差しを向けてきたそこで我々が観察したのは結核やメランコリー,

さらには狂気といった病に対する能動的な態度であった.宿病である結核 に苦しめられる一方でスターンはこの結核をめぐる幻想に魅了され続けた.

それは結核の原因ともみなされたメランコリーに対しでも同様であった.

fートンは『メランコリーーの解剖』の「デモクリトス・ジュニアから読者へ

J

と題した序文において,

1w r i t e  o f  Melancholy

, 

by b e i n g  b u s i e  t o  a v o i d   M e l a n c h o l y "  ( 6 )

と自らの執筆のパラドックスについて述べていたが,

a g a i n t t h e  s p l e e n "

というスターンのテクスト戦略もまたこれと同じように更なるメ

ランコリーを召喚してしまうのだ.自らを「メランコリーな冒険を求める憂い の騎士

J

(

t h e  

Kn

i g h t  o f  t h e  Woeful Countenance ,  i n  q u e s t  o f  melancholy 

(21)

20  スターンと病んだ身体十一結核・メランコリー・狂気一一

adventuresつ で あ る ド ン ・ キ ホ ー テ に 喰 え る ス タ ー ン は メ ラ ン コ リ ー な 冒 険に巻き込まれることによってのみ内なる魂の存在を感じ取ることができた のだ (1am never so perfectly conscious of the existence of a soul within  me, as when 1 am entangled in them")  (149). このメランコリーに対する

ファルマコン的態度

n

イライザへの日記』におけるイライザの位置づけも 想起されたい)はスターンの狂気表象たる乗馬療法に起源を持つホビーホー スにも看取できた.まさにそれは狂気そのものを表象するばかりか結核やメ ランコリーに対する治療でもあり,しかもこのホビーホースという「気晴ら し」はまさにスターンの脱線的語りの理論的根拠でもあったのだ¥以上がス ターンのテクストに書き込まれた,そしてスターンの身体に書き込まれた病 んだ身体の意味であり,ひいてはスターンの創作原理に対する我々の見立て である.

1  S申lrdBurckhardtがwemust read Sterne far more litrally一一一i.e.,corporeally  一‑thanhacommonlybeen done" (70)と提唱して以来,多くの批評家たち がスターンと身体の関係について論じてきた LouisLandaは卵子論や精子論と いった前成説をめぐる当時の発生学的言説と ShandeanHomunculus"の関係を 論じ.Valerie Grosvenor Myerは動物精気に焦点を当ててTristramShαndyを 読み解く.Judith Hawleyはスタ}ンの医学及び産科学に関する知識の源泉を Burton, Rabelais, Smellie, Chambers に辿り.James S. Rodgers はスターンの ナラティブ戦略と18世紀の生浬学の言説,特に"anorganicist conception of  life" (1)との類似関係を指摘している.Juliet McMasterはTristramShαndy  のテクスト全体を支配する「精神と肉体」のモチーフと当時の医学,解剖学9 産 科学,そして特にBurtonとLockeとの関係を探求する冒 RossKingはTristrαm Shαndyにおける傷つき破損した身体,特に家父長的な男性身体が言語によって 慰撫,補填されようとするも常に失敗する過程,すなわち欲望と欠如の弁証法を J.L. AustinとShoshanaFelmanを参照しつつ.

r

行為遂行的発言Jという観点 から分析している Donna LandryとGeraldMacLean はトリストラムの出産に 焦点を当て17. 18世紀の産婆術,産科学との関係を新歴史主義,唯物論的フェ

ミニズムの立場から解読する.

(22)

スターンと病んだ身体 結核・メランコリー・狂気一一一 21 

2  1961年SirJoshua Reynoldsのところに赴いた時,集まっていた人々の中にジョ ンソンがいた.この時のことをジョンソンはのちに次のように報告した."Tristrn Shandy introduced himse町andTristram Shandy had scarcely sat down

, 

when  he informed us that he had been writing a Dedication to Lord Spencer; and  sponte sua he pulled it  out of his pocket; and sponte sua, for nobody desired  him, he began to read it;  and before he had read half a dozen lines, sponte  mea, sir, I told him it was not English, sir." (Cash, Lαter Years 109). 

3  David Garrickへの手紙でスターンはパリの社交界でのことを次のように報告している

"I have been introduced to one half of their best Goddessandin a month more  shall be admitted to the shrines of the other half‑‑but I neither worship一一‑

or fall (much) upon my knees before them; but on the contrary, have converted  many unto Shandeism ‑ ‑for be it known I Shandy it  away fifty times more  than 1 was ever wont, talk more nonsense than ever you heard me talk in your  days ‑ ‑and to all sorts of people." (Curtis 157). 

4 スターンからの引用は特に断りのない限り TheFrid,αEditionof the Works of  Lαurence Sterneを使用している.どの作品からの引用であるかを明確にするため

に ηistramShαndyは巻号と章番号(例えば「第一巻第五章」は

i

1.

5 J

と表記す る)を • A Sentimentα1 Journey は項数を • The Journα1 to Elizα (Continuαt~on of the Bramine's Journαl)は日付を本文中に明記する.尚 • Tristrα,mShαndyか

らの日本語での引用は朱牟田夏雄訳を用いたが,一部変更した箇所もある.

5  結核菌によって引き起こされるすべての病気に対して用いられる"tuberculosis"と いう語が使用されるようになるのは医学の進歩した19世紀になってからである.

それまで最も広く使用されたのは ∞nsumption"である.Benjamin MaenはA New Theory of Consumptions, More Especiαlly ofαPhthisis, or Consumption of  the Lungs (1720) で次のように定義している Custom has now so much prvail'd with Physicians, that whenever they spakof a Consumption, it is generally and  more especially taken for a Phthisis, or that Consumption of the Body, whieh  has its Rise from an Ulceration of the Lungs. A Phthisis, or Consumption of the  Lungs, may be very justIy defined to be a wearing away or consuming of all the  Muscular or fleshy Parts of the Body, accompanied with a Cough, purulent  Spitting, hectic Fever, shortness of Breath, Night Sweats, &c."  (3).しかし,こ の consumption"という病名はあくまで包括的な用語であり結核以外の身体を消耗 させる病気に対しても用いられていたということにも留意しなければならない.

6  Clark Lawlorは ConsumingTime: Narrative and Disease in Tristram  Shαndy"の中で,結核というものがTristramShαndyの構成原理であること,

(23)

22  スターンと病んだ身体一一結核・メランコリー・狂気ーー

すなわちスタ)ンの語りのリズムが結核という accidental"で traumatic"な病 の性質によって規定されていると指摘している.

7  ロマン主義とスターンについてはRead,The Tenth Muse 162‑71及びTheCountry  Experience 324‑33 ; Conrad 154‑85 ; Thomson 255・77;坂本武『ローレンス・スター

ン論集十一創作原理としての感情 』第十章

1 <

自然〉の表象論jを参照のこと.

8 結核のロマン化についてはDubos44‑66 ; Dormandy 85‑1ω; Lawlor, Consumption  αndLiterαtur;福田も参照のこと.

9  ロ マ ン 派 に お け る 苦 痛 と 快 楽 お よ び 美 と 死 の 融 合 に つ い て はMorrisの他に MarioPrazも参照のこと.

10  Richard Morton, Phthisiologiαの第三巻第四章句fa Consumption proceeding 

omMelancholy, as also from an Hysterical and Hypochondrical Mfection"も 参照のこと.

11  同じ箇所でBurtonがAvicennaから引用する次の言葉も参照のこと."When you  have all done, saith Avicennα, there is  no speedier or sα

f :

er course, then to joyne  the pαrties together αccording to  their desiresαnd wishes, the customeαnd  forme of lα αndsoωehαve seene him quickly restored to his former health,  thαtωαs lαnguishedαωαY to skinneαnd bones,α

f :

ter his desire wαs sαtisfied,  his discontent ceαsed,αnd we thought it  strαnge, our opi丸めnis  therefore, tJωt  i

πsuch cαsesNαture is to be obeyed." (part. 3. Sect. 2.  Memb. 5.  Subs. 5).  12  スターンにおける健康の探求についてはRoyPorter,Against the Spleen"及び

'The whole secret of health': Mind

, 

Body

, 

and Medicine in 1istrαmShαndy"

を参照のこと.

13 The learned SMELFUNGUS travelled from Boulogne to Paris‑from Paris to  Rome‑and so on‑but he set out with the spleen and jaundice, and every  object he pass'd by was discoloured or distorted‑He wrote an account ofthem,  but 'twas nothing but account ofhis miserable feeling." (37). 

14  Richard Blackmore

, 

A Treαties of the Spleen αnd V.α:pours: Or

, 

Hypocondriαcal  αnd Hysterical Affections (1725); Nicholas Robinson, A Neω System of the  Spleen, V.α:pours,αnd HypochondriαckMelαncholy (1729); George Cheyne, The  English Mαlαdy: Or, A Treαties of Nervous Diseαses of all Kinds,αs Spleen,  Vα:pours, Lowness of Spirits, Hypochondricαlαnd Hystericαl Distempers (1733);  Robert Whytt, Observαtions on the Nature, Cαusesαnd Cure of Those  Disorders Which Hαve Been Commonly Called Nervous, Hypochondriαc or  Hysteric (1765). 

15 Upwards ofthirty years ago, a treatise on nervous diseases was published by 

(24)

スターンと病んだ身体一一結核・メランコリー・狂気一一 23 

my quondam learned and ingenious preceptor DR. WHYTT, professor of  physick

, 

at Edinburgh. Before the publication of this book

, 

people of fashion  had not the least idea that they had nerves; but a fashionable apothecary of  my acquaintance, having cast his eye over the book, and having been oftn puzzled by the enquiries of his patients concerning the nature and causes of  their complaints, derived from thence a hint, by which he readily cut the  gordian knot‑'Madam, you are nervous'; the solution was quite satisfactory,  the term [nervousl became quite fashionable, and spleen, vapours, and hyp,  were forgotten."(Rousseau,A Strange Pathology" 166). 

16  Jonathan Lamb,Language and Hartleian Associationism in A Sentimental  Journey", Eighteenth‑Century Studies 13 (1980), 285‑312; John A. Dussinger, 

The Sensorium in the World ofA Sentimentαl Journey,'" Ariel 13 (1982),  3 ‑16; John A. Dussinger, "Yorick and theternalFountain of our Feelings,'" 

in Psychology αnd Literαture in the Eighteenth Century, ed. Christopher Fox  (New York: ASM Press, 1987),259‑276; Nobuyoshi Saito,A J ourney Through  the Heart: Mind and Space in Laurence Sterne's A Sentimentαl Journey" 

r

同 志社大学英語英文学研究.164  (1995).  25‑92. 

17  メランコリー(あるいは狂気)と天才の創造力とのつながりは神経の時代に始まっ たものではない.Ro

b e

Burωnは 明hymeIancholy men are wit肌whichAris初出 hath Iong since maintained in his Problems, and that all learned men, famous  philosophers, and lawgivers . . . have stilI been melancholy, iaproblem much  controverted."  (Part. 1. Sec. 3.  Mem. 3)と述べ, またThomasSydenhamはメ ランコリー患者というのは peoplewho have an extraordinary penetration and  sagacity. Thus Aristotle rightly observed that melancholics havmore intelligence than other men."  (Foucault 118)と述べている.ここで両者が言 及しているのはアリストテレスの『問題集j953alOの箇所である.

I

哲学であれ,

政治であれ,詩であれ,或いはまた技術であれ,とにかくこれらの領域において 並外れたところを示した人間はすべて,明らかに憂鯵症であり, しかもそのうち の或る者に至っては,黒い胆汁が原因の病気にとりつかれるほどのひどさである が,これは何故であろうか.例えば,英雄たちの中では,ヘラクレスに関する物 語がそのように語り伝えられている.すなわち,言い伝えによると,彼はこのよ うな素質の持主であったらしく,それなればこそ,痛痛持ちの症状を,昔の人は 彼に因んで「聖なる病jと名づけたのである

J

(4l3).また同じ問題がプラトン『パ イドロスj245A. およびセネカ『心の平静についてj17.10でも論じられている.

18  "The postil1ion delivered this with so much discretion and natural eloquence, 

(25)

24  スターンと病んだ身体一一一結核・メランコリー・狂気

that 1 could not help decyphering something in his face above his condition" 

(9.24). 

19  Sterne could never resist consumptivladies" (Cash, Lαter Yeαr 183)と指摘 するキャッシュはスターンが恋心を寄せた結核を恵、っている三人の女性について 報告している.ひとりはスターンの妻となるElizabethLum1ey,ひとりは1964 年にパリで知り合った匿名の女性,そしてSaraTumgである

20 セ ン チ メ ン タ リ ズ ム の 医 学 的 背 景 に つ い て はRousseau,Todd, Mullan, Van  Sant, Figlioを参照.

21  実際,ヒュームはA leαtiseof HumαNαtureにおいて共感のメカニズムを感情 の「感染」であると表現している. Thepassions are so contagious, that they  pass with the greatest facility from one person to another, and produce  correspondent movements in all human breasts. W here iendshipappears in  very signal instances, my heart catches the same passion" (386). 

22  Cheyneの"Chamber‑horse"とRichardsonについてはTheLetters of Doctor George  CheyneSαmuelRichαy情。nの編者Char1esF. Mullettの"Introduction"羽田7と 共に以下も参照のこと Eaves and Kimpe163‑4; Flynn 147‑8. 

23 We were wondering, said one of them, who, 1 found, was an inquisitive  trαveler ‑ ‑what could occasion its motion.←一'Twasthe agitation, said 1,  coolly, ofwriting a preface‑一一1never heard, said the other, who was a simple  trαveller, of a preface wrote in a Desobligeαnt." (17) 

24  Lawrence Babb は TheElizαbethαn Mαlαdy: A Study oftlelαcholiαi English Literα,ture From 1580 to  1642の中で次のように述べている. Clearly the melancho1ic category is very indfinite1ybounded. W hen one attempts to  lay down its 1imits, he becomes involved in terminological difficulties.  Some  authorities use the term melancholy in referring to the menta1 diseases due to  adust humors; others, however, call the same diseases mαn~α, or mαdness.  There is, indeed, no discovrableline of distinction in the old psychiatry  between melancholy and madness." (36).またThomasWi1lisもTωoDiscourses  Concerning the Soul of Brutesの中で"MterMelancholy, Madness is nextobe  treated of, both which are so much akin, that these Distempers often change,  and pass from one into the other"  (201)と述べている.

25  Lockeの白痴と狂人の区別についてはAEssα:yConceringHumαUnderstαnding の第二巻第十一章を参照のこと.

26  18世紀の狂気観とスターンとの関係についてはByrd及びDeporteを参照のこと.

(26)

スターンと病んだ、身体一一結核・メランコリー・狂気 25 

参考文献

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Blackmore, Richard. A Treαties o[ the Spleen αnd Vapours: Or, Hypocondriαcαl  αnd Hystericα1 A[[ections. London: J Pemberton, 1725. 

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Cheyne, George. The English Mαlαdy: Or, A 1eαtieso[ Nervous Diseαses o[αII  Kinds. London, 1733. 

. The Letters o[ Doctor George Cheyne to ,Sαmuel Richαrdson (1733‑1743). Ed.  Charles F. Mullett. Columbia, Mo., 1943. 

Conrad, Peter. Shαndyism: The Chαrαcter o[ Romantic Irony.  Oxford: Basil  Blackwell,1978. 

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参照

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