規制改革
著者 岸井 大太郎
出版者 法学志林協会
雑誌名 法学志林
巻 97
号 4
ページ 1‑31
発行年 2000‑03‑23
URL http://doi.org/10.15002/00006464
水稲は、日本における公縦蛎業法の歴史を納皿・分析し、現在巡行巾の公雛蛎業規制の緩和と改砧を課価する視点
を提供しようとするものである。
n本における公益獅業法の歴史的展開と規制緩和・規制改革(岸井) 第一嗽戦前における公硫瓢業法の形成第一節「公企業の特許」法理の成立と展開第二節戦前の特許法理の理論と現突飛二歳占伽改赦と戦後公雛蛎業法の展開第一節戦後改革と公益耶業法の再編成はじめに
日本における公絲事業法の歴史的展開と規制緩和・規制改革
第二節戦後公披馴業法の特質と構造第三章「民営化」・「規制緩和」と公益事業法の変容第一節「民営化」と「規制緩和」の展開第二節一九八○-九○年代の改雌の評価と課題
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法学志林第九十七巻第四号一一
はじめに、分析の対象と方法について簡脳に断っておきたい。まず、本稿で公益事業という場へ口は、伝統的な川語
法に従い、電力、ガス、鉄道、電気通信など、サービスの生活必需性や独占的傾向を理由に、参入や料金等に対する規制が課されてきた事業を念頭に置く。これらは、一九八○年代から開始された民営化や規制緩和の中心的対象の一
つとされているものである。次に、本稿は私企業に対する規制を考察の中心にし、公営企業は正面から扱わない。日(1) 本の公樅事業規制の特質がそこに典型的に一亦されていると考えるからである。岐後に本稿は、法制度の分析を中心に
据える。ここで法制度という場合、制定法が承要な出発点になるが、それにとどまらず、制定法のバックボーンに
なった法理論ならびに、法律の実際の運用・実施の分析と検討を重視する。このようにすることによって、法律の基
礎にある規範論理や政策判断、並びに現実に法を動かしているルールや慣行を含めた法制度の全体像に迫ることがで
以下、一章で戦前の公益事業法の歴史を概観し、ついで二章で戦後の公袖事業法の特質と構造を分析し、妓後に三
章で一九八○-九○年代の規制の緩和・改革のもつ意味を検討するという順序で論述を進めたい。 きると考えるからである。
第一章戦前における公益事業法の形成
日本における私企業形態の公益事業法のはじまりは、一八七○年代末から投資ブームが起こった鉄道事業であった。 第一節「公企業の特許」法理の成立と展開
一八八○年、まずH本鉄道株式会社に特許条約諜が下付され、ついでこれを一般化する形で私設鉄道条例二八八七(2) 年)が制定された。その後、一八九八年にⅢ商法が制定され〈奉社設立の準則主義が確立したのに伴い、一九○○年に
私設鉄道法と鉄道営業法が制定された。前者は事業免許制や料金認可制、後者は迎送引受義務など後の法制の原型と
なる規定が慨かれている。その後、一九一九年に私設鉄道法の過度に厳桁な免許手続などを改めた地力鉄道法が制定(3) され、同法は「公企業の特許」と呼ばれた公砧事業法のプロトタイプとなった。もっとも、当時は瓶事的皿川などか
ら鉄道の官設と国有化が雑木とされ(鉄道敷設法(一八九二)、鉄道国有法(一九○六))、私衡鉄道の活動の余地は地
方など一部に限定されていた。
他〃、私企業中心に発展した電力事業では保安や契約条件に関わる規制が主であり(電気事業取締規則二八九
六))、当初からしばしば供給区域の砿複が見られた。その後、事業の独占的傾向を皿川に事業許可制や料金認可制な
どの導入が試みられたが、政府の干渉に反対する意見が強く、’九二年魎気事業法では、屯線路の建設・保守に関
わる道路・土地等の利川特権の付与、不当な料金の改善命令の導入がなされるにとどまった。一方、ガス醜業におい
ては、第一次大戦後の不況下で倒雄・合併が机次いだこと、従来平業規制の役割を果たしてきた地方公共剛体と事業
者との間の特許契約(「報悩契約」)を巡って各地で紛争を生じたことなどから、一九二三年瓦斯事業法が制定された。
同法は、事業の健全な発達と独占の弊害の除去を月的として、事業許可制、料金認可制、供給義務などを包播的に規
定し、公縦事業法としては当時肢も稚備されたものであった。ただし、料金規制などについては市町村の報倣契約に(4) よる規制を邸菰する内容となっており、国の介入の余地は尖際には限定されていた。
一九二九年に金融恐慌が起こると、不況からの脱Ⅲのためにカルテルを利川する動きが広まった。そして一九三一
Ⅲ木における公益那業法の歴史的腿開と規制緩和・規制改革儒井)一『一
法学志林第九十七巻姉四号四
年に諏要産業統制法が制定され、「産坐企画理化」を放印に、政府によるアウトサイダー規制を含む強力なカルテル推
進政策が採用されることになった。この動きと平行して、公益事業法制も一気に傾城を拡大し規制的な色彩を強める(5) ことになる。まず、’九一二|年に瓦斯事業法が改正され、料金や増資に関する国の監督権が強化されて、市町村の報償契約の規制上の意義は大きく削減されることになった。次に、同年に電気事業法が大幅に改正され、事業許可制・料金認可制・供給義務を含む包括的規制が導入された。さらに同年、鉄道事業との調整を意図して自動車交通事業法
が制定され、路線パス事業などに那業免許制が導入された。かくして、適気・ガス・近路迎送という代表的な公維事
業法制の原型が、一九三一年に一挙にⅢそろうことになった。
以上のような、地方鉄道法に始まる戦前型の「公企業の特許」法理の最大の特徴は、当該事業については同家が専
属的に経営権を有し、事業の免許ないし許可によってその経営権が特定人に授与されるという「国家独占」の考え方に立っていたことである。従って、公抽を理川とする事業の免許・許可の撤回は当然のこととされ、また政府による
強制符皿条項(地力鉄道法三七条、遜気事業法二八条)や買収条項(地方鉄道法三○条以下、瓦斯事業法一七条、屯気那業法二九条等)が規定されるなど、強力なコントロールが可能な仕組みになっていた。
その後、このような形で一般化した特許法制の多くは、恐慌脱出と戦争準術を念頭においた国家総動員法(一九三
八年)の制定と前後して、よりいっそう国家介入的色彩の強い規制に道を譲っていった。すなわち、電力事業につい
ては、軍部や革新官僚を中心に電力の国家管理が主張され、一九三八年に電力管理法ほか三法が成立した。そして、
民間の発電所・送電設備の出資・買収により政府が管理する日本発送電株式会社が設立され、同社が発電・送電事業(6) の大部分を占めることになった。また、迎輸業では、一九一一一八年に陸上交通事業調雅法が制定され、私鉄やトラック
(1)邪兆法の展川と特許法皿
戦前の「公企業の特許」の法皿は、〃特許と許可“の二分論からⅢ発し、公企業の特詐の対象とされた醜業は、通
常の警察許可と異なり、国家に経営権が専属する同家独占事業であるとし、ただ旧家が向らこれを経営することが週(8) 当でない事情があるために、特定の企業者にその経営の権利が授与されるという構成をとっていた。ここで国家独占
という意味は、経済上の独占という意味ではなく、法的に国家に経営権が留保されているという意味である。そして、
特許によって本来目巾ではない国家事業を行いうる「特椛」が事業者に設定されるとするのである。このような法理
論を係川することの意味は次の点にある。節一に、N家に経憐椛が制保される根拠は事業の公共性と独占的傾向に求
められ、国家はこのような邪業を人災の袖祉のために枇概的に慌将・規制すべきものとされる。節二に、そこでは邪
業者に醜業活動の自川-徴業の日Ⅲlは認められない。経悩椛はもともと川家にあるからである。従って、平業者に(9) 事業遂行義務が課せられ、また規制に際して脚家に広範な栽城が認められることは当然のこととされる。すなわち公
企業の特許法皿は、規制の根拠を事業の公共性・独占性に岡きつつ、平業者の営業の自川を否定して、画家に広範な
介入の根拠を与える法皿論だったのである。
Ⅲ本における公砧叩兆法の歴史的歴側と規制綴和’規制改状(峠艸) ・Ll 6含めた交通那業全般について、合併や区域協定を通じるN家の手による覗業の災巾・独占化が進められると共に、一九四一年には、動血交通覗業法が改正され、タクシーやトラック迎送にも事業免許制が拡大された。そして、戦時(7) 下においては迎輸事業の粧皿・統合が強力に批進された。
第二節戦前の特許法皿の理論と現突
法学志林節几十七猶節川勝一ハ
しかし、公企業の特許に該当するとされた個々の法律が、火際にどのような形で迎川されていたかはまた別の問題である。そもそも初期の特許条約件においては、耶業者に対して政府が土地・資金などの援助を与えることが契約の敢要な条件とされ、補助や保護を与える代わりに事業経営に関する諏々の義務を課するという関係が成立していたが、(川)(Ⅱ) この誕叩皿は、その後も民営鉄道に対する各稲の柵肋、あるいはガス瓢業における市町村の報依契約などにおいて火矼
的に生きていたからである。そこでは、特権の供与と義務の賦課とが州互的な取引関係に立っており、政府による規
制は、法川論止の建前とは異なり、班業者に対して各加の椛袖や保謎を提供することと引き換えに行われるという
〃パーゲニング〃の側而を汀していた。
このような側面は、恐慌期に事業法が成立した電力・向動車運送において新たな形で展開する。まず電力事業にお
いては、電気事業法の制定と平行してカルテル組織である電力連盟が結成され、事業法による供給区域や料金などの(肥)規制はそのカルテルを前提にしこれに依拠して行われることになったた。また、n動車交通事業法の運川も、交通機
関ⅢⅢ川の競争を制限して効申的な迎輸体系をめざすという交通調狼の考え〃が於礎に樋かれ、事業者側の協定に(川)よって略線・区域などの洲縦することが耐祝されていた。このように、カルテル立法である飛喫箙業統制法と皿勅し(M) て本職w的に確立した戦前の特誹邨妖皿においては、地力や迎輸に皿咽的に示されるように、カルテルによる恥蛾懇、の利(旧)瞥洲樅を》川捉として規制を(汀うという傾向が明確に川てきたのである。
(2)戦時統制経済と特許法皿それでは次に、その後の戦時経済体制への移行が、このような「公企業の特許」法理の展冊とどのような関係に立
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敗戦とそれにつづく迎合国による占伽が始まると、迎合川総司令部(GHQ)は財閥解体・股地改革・労働改故な
どの”絲済比主化“政簸を強〃に批進した。そして、公樅那業についても、戦時統制を解除して独占禁止法(一九川
七)や過度経済力災中排除法二九四七)を制定するのと平行して、制度の抜本的な改革が試みられた。
まず、一九四七年にパス・トラック運送・タクシーについて道路運送法が制定された。同法は事業免許制・料金認
可制・迎送引受義務などを包折的に定めたが、事業免許の雌準を緩机・川碓化して〃不当な戟争を引き起こすおそ
れ〃がない限り免許を与えることとするなど、許認可や命令の発動要件を具体的に規定していた。また祁近府以知覗の推鮒による「道路迎送委阯会」を識慨して大臣にその怠兇の靭砿を求めるなど、法治主義と適正手続を耐視する仕
組みを採川した。さらに、一九四九年に迎輸省が設慨されるのに伴い、アメリカの州際通商委貝会(ICC)を参考に「迎輸瀞議会」が設立され、鉄道p悔迎.、動來迎送の全般に渡って許認可・命令に際しての審議会への諮問を義
務づけ、適正手続の徹底を図ろうとした。つぎに電力については、一九五○年に国家管理を終わらせⅡ本発送遜を九
つの地域電力会社に再編成する(電気事業再編成令)とともに、公益事業令が制定された。同令はガス事業も対象と
し、聯業許可や料金認可の雌準や命令の要件を糖術するだけでなく、アメリカの州の規制をモデルにした「公碓事業
第二章占価改革と戦後公益事業法の展開
第一節戦後改革と公益事業法の再編成 法学志林輔九十七巻節Ⅲり
八
委且会」を設立して規制に当たらせることにし、そこでは規則の制定や処分に先立つ公開の事前聴聞手続が詳細に規
定されていた(公樅駆業令六○条以下)。
しかし、占緬下で試みられたこれらの改革は、サンフランシスコ条約によって日本が主権を回復する前後から、日
本の実態に合わない、手続きが煩雑である等の理由で次々と後退させられていく。まず、一九五一年の道路運送法の
改肛で、耶業免許の於地として柵給バランスを考慮することが明示され、ついで一九Ⅱ三年の改正では、道略迎送委
u会が迎輸省(陸迎局)の下にある自動車迎送協議会に改組され、委且の数も半城した。そして、協議会自体も一九
七一年の改正で廃止された。次に、地力・ガスの公縦事業委貝会は、設立後側もない一九Ⅱ二年に占緬下の各緬行政
委貝会が廃止されると同時に廃止され、規制椛限が通雌省の公樅事業局に移されるとともに、手続も而索化された。
そして、一九五三年にガス事業法が、また一九六五年には電気事業法が制定され、先の道路迎送法と共に戦後の公益(幻)事業法制のモデルとなっていった。
このようにして確立した戦後狐の公俄馴業法においては、後述するように「旧家独占」論にたつ戦前の「公企業の
特許」法皿の考え方は否定されたが、他力で、競争制限的な事業の免許・許可制と料金認可制という規制手法が維
持・発展させられ、禰給バランスを者噸して珈業打の数を制限する「柵給訓狼要件」が規定されるとともに、料金認
可については原価主義にもとずく「公疋報酬率規制」が一般化していった。その後、両度経済成長を経るなかで粁干(Ⅲ) の法律の制定や法改正の動きはあったが、一九八○年代までのほぼ一二○年の間、その制度の基本的な骨格はほとんど(”) 変わらなかった。
Ⅲ本における公益瓢乗法の鵬史的腿側と規制緩和・規制改縦(岸井)
几
第一に、過度経済力災巾排除法で試みられた、戦時経下の企業の縦班・統合によって独占化が進んだ醜業における
経済〃災の排除と競争促進の問遡がある。このような人為的な災巾化は、国家筒皿が行われた砿力事業において顕杵(別)であるが、迦輸事業やガス事業においても類似の状況があった。しかし、周知のように集中排除法による指定の多く(窃)は解除され、改革は不徹底なものに終わった。この点では、日本発送電が解体されて九電力体制に移行した電力事業(妬)においても、戦砂川の地力公営企業の復一工が否定されるなどして、股終的には、地域ごとの電力会社が発晒から送配屯 (1)法理論の転換と公樅聯業法改革の限定性まず法皿論について見ると、鴬業の向山の制限の馴剛論としての「公企業の特許」という考え〃は残されたが、戦前の特許法皿の錐礎にあった国家独占論は否定され、買収条項や強制管理条項が姿を消すとともに、事業の免許ないし許可の一方的な撤回の制限や、事業者に対する改讐命令の発動要件の厳格化など、事業者の権利と営業の向山を尊(幻)菰する構成に松換した点が岐大の変化であった。そしてこれによって、規制機関が特許企業であることを皿川にして蛎業活勁に無制約かつ広範に介入する可能性は失われることになった。
しかし他力で、占価改革のプログラムの多くは不十分なまま終わった。戦後の法制度を理解するには、まずこの点
を見ておく必要がある。 それでは、敗戦と占伽改革を経た戦後の公維事業法制は、如何なる特質・描造を有するようになったのであろうか。 第二節戦後公益耶業法の特質と描造 法学志林第九十七巻第四号
一
○
までを一元的に符皿する強川な飛仙統合の体制が確立する結果となった点に注怠せねばならない。
第二に、競争の促進にとって砿要な独占禁止法の適川の問題がある。独禁法は公彼事業についての適川除外規定(二一条)を設けていたが、これは、法的に創出された独占的地位それ自体は述法に問えないことを確認する規定にすぎず、公益事業分野であっても独禁法に違反するカルテル・企業結合や経済力の濫用行為は規制できるというのが(幻)立法当初の考え方であった。しかし、実際には戦後長い間、監督官庁の規制権限が及ぶ範囲では、独禁法述反行為が(配)あっても公正取引委貝会による規制が川難な状況が続いた。飾三に、規制機側の組織と手続の問題がある。先に見たように、占伽終結後、適疋手続を頑祝した行政委且会方式
が否定されて、省の部局による規制権限の行使が一般化していった。これは、晒力・ガスの公砧事業委且会の廃止に典型的に示されているが、占傾終了後も存続した運輸審議会などにおいても、その審査は形式化していった。そこで
はまた、道路運送で試みられた委員の人選などを通じる地方自治体の制度的な関与が否定され、規制権限が中央官庁
に一元的に集中される体制が維持されることになった。
紺局、戦後改革を通じる公倣叩業法のW編成は、当初の改赦のプログラムからみると大きく後退し、中途半湘なも
のに終わった。
(2)カルテル・事業者団体を利用した法運用このような不徹底な改革の中で、「カルテル・事業者団体利用型」とも呼ぶべき公益事業法の運用がなされる傾向(”) が見られた。この点についてはすでに多くの脂摘があるが、改めてその仕組みをモデル化して樅皿すると、次のよう
Ⅱ本における公俶川兆法の脈史的恨側と規制綬和・規制凶岫(峠と一一
第一に、当該規制分野における免許ないし許可事業者は比較的同定されており、新規参入やメンバーの交代はあま
り生じない。このような閉錨的な性絡は、Ⅵ接的には需給調松を伴う事業免許・許可制によって担保されていたが、
特に集中化が進み事業の独占が確立している分野、また次に述べる事業者団体の組織化が進んでいる分野では、法律
の規定上は参入が可能な場合でもこれが抑制される傾向が強かった。第二に、免許・許可事業者は、ほとんどの場合(鋤)(別)〃珈業打剛体“を組織してⅢ皿に怖州の交換や怠兄の形成をNり、←、政による規制に影郷〃を行使している。その場
合、例えば料金の改訂や新規参人などの規制上取要な問題については、瓶染打側のイニシャティブで附柵・データの
収集と整理がなされ、行政側はこれをベースに規制の方針や内容を決定するという傾向が見られる。第三に、そこで
規制の方針や内容を決定していく過程においては、行政と事業者団体との間で、繰り返し交渉と取引(パーゲニン
グ)がなされていく。これを公樅覗業規制においてしばしば争点となった料金改訂(価上げ)について見ると、まず、
料金の改訂の是非や時川の如何があらかじめ行政と叩業打(川休)の川で非公式に議論され、ついでそれを通じて一
定のコンセンサスが成立した段階で初めて、瓢業者側からの認可巾論がなされる。そこでは、個別巾請・個別認可の
仕組みであるにもかかわらず、多くの場合各事業者一斉に、またほぼ同額の改訂巾請がなされる。そして、行政は消
費者・ユーザーサイドの価上げに反対する意見や圧力に配噸して巾諦内容を修正し、岐終的な認可を与えることにな(鋤)る。また、需給調縦との関係が問題になる新規参人について見ると、例えば道路迎送では、事業者団体などを利川し(鋼)て路線や地域の割り振り・調縦がおこなわれた後、新規の免許申請がなされることがしばしば行われた。そこでは(汀政は、このようなパーゲニングの結果を追認する形で、肢終的に免許を与えることになるのである。 なものである。 法学志林輔九十七巻第円号一一一
(3)戦後改革の不十分性の影響
このようなカルテル・事業者剛体利川皿の法迦川が形成されるにあたって、はじめに述べた戦後改革の後退・不十
分さが爪要な要因として作川していることは容易に見て取ることができる。この点を、制度的側而に鱒点を当てて検
Ⅲ本における公彼耶業法の朕史的展開と災制緩和・規制改状原と一一一一
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「、と公にどの1回1の謎らさ
まず第一に、経済力集中排除の不徹底さは、寡占的な少数の企業に免許ないし許可事業者を固定化する菰要な要因
として作用した。またそれは、戦時経済下に整理・統合させられた地方公営企業や地方の民間企業の復活を阻止する
ことにより、戦前に見られた地方自治体単位での独自規制の可能性を堀崩し、中央に一元化された閉鎖的なパーゲーー
ングを生み出す条件を作り出した。
第二に、公益事業分野への独禁法の適川の事実上の排除は、カルテル・事業者団体を利用したバーゲニングを生み
出した直接の制度的要因である。そこで公取委による積極的な法運用がなされていれば、許認可の申請における斉一
的行動や、事業者団体による新規参入の調整などは容易には可能でなかったはずである。この場合、独禁法の適用が
法的に排除されていたのではないから、建前としては公取委はいつでも規制が可能なはずであった。それができな
かったのは、独禁法や競争政筑が社会的に定着していない条件のもとで、行政委員会に代わって復活した省の規制権
限が事実上、当該事業分野に対する排他的な管轄権として機能し、行政機関として歴史の浅い公取委がこれにに立ち(鋤)入ることが川難であった点が菰要である。
節三に、行政委貝会の廃止によって適正手続が大きく後退したことも、カルテルを利川した法迎川を容易にした。
まず、権限発動にあたっての事前の行政手続が不服審査のレベルにとどめられ、利害関係者が公開の場で議論する機
会が失われた。さらに、公益事業委員会などについて明文化されていた規則の策定についての事前の聴聞手続がなく
なり、規制官庁が制定する政・省令や通達などによって、法迎川の具体的な内容や細目を決定できるようになった。
その結果、公開や参加の手続を通じてカルテルやパーゲーーングをチェックする機会は失われることになった。その場 討してみよう。 法学志林第九十七巻第四号
一
四
(4)戦後の公益事業法理の果たした機能
それでは、このようなカルテル・事業者剛体利用型の法述川の巾で、N家による経営権の独占という考え方を否定
した戦後の「公企業の特許」法剛の転換は、どのような役割と意味をもったのであろうか。結論から先に述べると、(鋤)戦後の公抽事業法理は、カルテル利用型の法連川に対して十分な抵抗力がなかったと一一二口わざるを得ないのである。
まず第一に、戦後法理は、国家に対する私人l具体的には事業者lの権利(営業の自由)を確保することに主眼の
一つを置いていた。すなわち、国家独占説の核であった自由裁量論が俎上に乗せられ、事業の免許ないし許可の撤回(扣)は公雑を理巾とする場ムロでも事業者に対する補償が必要であるとされ、また業務改善命令等についても「社会経済事
怖に照らして著しく不適切」(磁気事業法二三条)というような厳格な発動要件が規定された。その結果、実務の迎
川においては既存歌業者の免許・許可が更新されないことはまれであり、また料金改定命令などの発動もきわめて例(机)外的なものとされることになった。結局そこでは、業界メンバーの同定性とあいまって、既存の免許・許可事業者の
地位が既得権的な性格を帯びる結果を招くことになった。
第二に戦後法理では、需給調狼によって事業者に独占的地位が保障されることは当然の前提とされ、事業者にその
ような特権的な地位が付与されていることが、公共の福祉の観点からの規制を可能にする根拠とされていた。すなわ
川本における公縦耶紫波の歴史的展開と規制溌和・規制蝋雌(岸と一五 合、利害関係者や有識者が参加する瀞議会という形で議論の場が残されていたが、それは非公開であるばかりでなく、審議会に案件がかけられる前に行政と事業者の間でのパーゲニングと調整が済まされ、実態は形式化していることが(胡)多かった。
法学志林第九十七巻第四号一一ハ
ち公拙事業法は、「提供すべき役務の内容及び対価を厳桁に規制するとともに、さらに役務の提供n体を提供者に義
務づける等のつよい規制を施す反面、これとの均衡上、役務提供者に対してある秘の独占的地位を与え、その経営の(犯)安定をはかる措置がとられる」ものと性格づけられたのである。それは、独占の付与と公壮〈性の観点からの規制との
相互関係という論耶に立つことで、戦前の公企業の特許法皿の連用において見られた特権の付与と規制とのパーゲニ
ングという側耐を法理論の上で公認する結果になった。
第三に、以上の結果として、行政の規制権は、特に耶難盃口に対する関係において弱体化することになった点に注月
する必要がある。すなわち、政策遂行上の上の必要があっても、事業の免許ないし許可の撤回や命令樅の発動は実際
には容易ではなく、また、規制に当たって事業者側の特権や利益に配慮することが求められることになったからであ(⑬) る。そこでは、事業者側の利害や意向を尊重せずに規制を遂行することは困難であった。そして、このように規制権
が実質的に弱体化している巾では、行政がその弱さを補うために、倒産回避を挺子にしたカルテル・事業者団体利用(佃)狐のバーゲニングを行うことは、ある意味で必然的な成り行きであったとさえ言いうるのである。
なお、独占を付与する代わりに公彼上の義務を課するという〃行政契約〃的な公拙事業規制の特徴づけに閲しては、
むしろ公益事業規制一般がそのような側面を有しており、特に事業者のサービス供給義務を担保するためには、一定(鴨)の独占の付与はムロ理性を有しているとする考え方もありうる。しかし、これに対しては当時から、公益事業規制は事
業の自然独占性が出発点であるべきであり、規制がなされるから独占を認めるというのは論理が逆であるとの批判が(化)あった。また、サービス供給義務の担保の+〃法としては、燕金や公的補助あるいは資格・能力の限定等の種々の代替(仰)的手法存在しており、諦給調雅等による独占的地位の保臓肝は必ずしも不可欠の手段ではない。さ、わに、規制に当たつ
一九八一年に臨時行政調査会(臨調)が設され、いわゆる「行政改革」がⅢ蛤された。この八○年代の〃行革“で
は、比営化や規制緩和を唱えるサッチャーリズムやレーガノミックスの影響を受けて、財政再建・許認可の整理・公
社の民営化などが中心的な課題とされた。公益事業分野では、まず一九八四年に日本電信電話株式会法ほかの電気通信改革関連法が、続いて八六年には日本国有鉄道改革法ほかの国鉄改革関述法が成立し、電電公社と国鉄が民営化された。そして、新たに電気通信事業法お
川本における公雛班紫波の歴史的肢開と規制緩和・規制改雌(岸井)一七 て規制者と被規制聯韮へ者との間で煎々の〃コミュニケーション〃がなされる必要があることは当然であるが、それが事業者側の利益と規制者の利害とが融合するパーゲニングに転化し、規制プロセスを歪める危険を包蔵していること(伯)も、否定できない事実である。特にここでは、戦後型パーゲニングの日本的な構造・特質に注目する必要がある。すなわち、それは事業者・行政の間で個別的になされるのではなく、事業者の団体・グループと行政との間で集団的に行われる。また、そのパーゲニングにおいては、規制の最終的な受益者である消費者の代表が直接関与することはま(㈹)れであり、消費者・国民に対する情報の公開や実質的な参加ははじめかつり排除されている。そして、既存の事業者な(卯)いし剛体と行政との間での閉鎖的な交渉が中心となるのである。
第三章「民営化」「規制緩和」と公益事業法の変容
第一節「民営化」と「規制緩和」の展開
現在も巡行中であるこの一九九○年代の改革では、側然独占性の希苅な道路迎送などにおける規制の抜本的緩和と
ともに、電気通信における回線網、晒力における送晒綱、航空における空港など、いわゆる不可欠施設(肝の⑩貝区
圃臼冒の⑪)の利用を競争事業者に開放して競争を促進することが重視されている。そして、この中で、戦前から長
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(1)一九八○年代の改革の限定性
まず、八○年代における民営化を中心とする改革について見ると、これは戦後型の公益事業法の改革という視点か
ら見ると、必ずしも大きなインパクトを有していないことに注意せねばならない。すなわち、公社の民営化という経
営形態の変更が主目的であったこれらの改革では、民営化された後の当該蛎業分野の規制に関しては、従来の公益事
業法と蛙本的に同じ仕組みが蹄襲されたのであり、むしろ制度的には、占傾改革を経て成立した戦後型の法制度が、(塊)民営化によってその適用範囲を拡大した評価することも可能だったからである。もっとも、この枠組みは必ずしも安
定したものではなかった。すなわち、経営而での自立性を求める民営化事業者と、新たな規制権限を確立しようとす
る規制官庁との間で強い確執が生じ、そこには戦後型のパーゲーーングシステムには収まらない要素が生じてきたから それでは、以上のような八○’九○年代の民営化と規制緩和のなかで、前章でみた戦後型の公益事業法の構造は、どのように変容していったのであろうか。 く続いてきた競争制限的参入規制と料金認可制という規制手法を原則として廃止し、市場メカニズムを積極的に活用(引)した新しい規制の枠組みを構築することが目指されている。
(砥)である。
次に、トラック運送に代表される八○年代後半の規制緩和はどうか。これは、需給調整要件を廃止した点で次に兇
日本における公総蕊業法の歴史的腹開と規制緩和・規制改革(岸井)一九 第二節一九八○’九○年代の改球の評価と課題
(2)一九九○年代の改革と〃需給調縦要件の原則廃止“
この点からから見ると、”需給調整要件の原則廃止〃を打ち出した九○年代の改革は、八○年代の改革と比較して
も画期的なものである。需給調縦は、免許ないし許可事業者を固定化し、これに独占的地位を保障することによって
行政と事業者との間でのパーゲニングを可能にする前提条件を提供していた。また、需給調縦を伴う事業の免許ない
し許可制が、合併や事業の体廃止の許可制と連動することにより、倒産回避型の法運用を可能にする挺子の役割を果
たしていた。従って、もし需給調薙の廃止が本格的に実施されれば、それは戦後型の公益事業法の蛙本的前提を掘り
崩す効果を持つことになるからである。九○年代に入ってこのような改革が附始された理由としては、国際的な圧力をはじめ様々な要因が考えられるが、 法学志林第九十七巻第川号二○
る九○作小いの改革の先駆けという側面を有してる。しかし、戦後型の法制度の改革という視点から見ると、これも十
分なものではない。すなわち、需給調薙の廃止は、規制下で事実上の競争が進行していた一部の産業に限定され、独
占的な傾向を有する他の事業分野については、明確な方向は打ち出されなかった。また、需給調整が廃止されたト
ラック運送でも、〃激変緩和〃の名Hで、営業区域の限定や緊急時の料金規制など、競争を緩和・制限する条項が挿
入された。その結果、改革後もあまり実態は変化せず、従来から形骸化していた規制を制度的に追認したという側面(別)が強かった。以上のように見ると、八○年代の改革は、九○圷代の本桁的な改革につながるいくつかの新しい動きは
見られたが、実質的には従来の枠組みを維持したままでの規制の〃手直し〃にとどまったと言わざるをえないのであ
る。
まず、現在、ほぼ全分野で需給調整要件の緩和ないし廃止と料金認可制の緩和や料金届出制への移行が決定されて
おり、またこれに対応して各分野ごとに規制システムの組み替えの作業が進行している。このまま行けば、従来の需
給調整型の規制がそのまま残るのは、事業の自然独占性が明確な水道事業など一部に限定されることになろう。そこ
川本における公益耶業法の膝史的展開と規制緩和・規制蝋轆原井)一一一 (3)九○年代の改革の評価しかし、九○年代の改革は現在なお進行中であり、その成否や評価は、今後どのような形で、またどこまで改革が炎現されていくかにかかっている部分も少なくない。そこで岐後に、九○年代の改革の到達点と、残されている問題点や課題を考察してみたい。 特に制度的視点からは、次の点が砿要であると考えられる。第一は、アメリカ・イギリスを中心とする規制緩和の経験の影響である。そこでは、需給調薙の孟要な論拠とされてきた“過当競争〃論が批判され、規制がかえって多様なサービスの展開を妨げることが理論的・実証的に明らかにされた。そして、ネットワークのオープン化による競争の導入、直接補助の方法によるユースーサルサービスの確保など、需給調整を必要としない新しい代替的な制度・手法(弱)・が可能であることが経験的に明らかになってきた。第二は、従来の規制システムの弊害が種々の政治スキャンダルという形で吹き出し、規制の緩机・改革の問題が、日本の政治制度の改革の問題の一環として位慨づけられたことである。これは、九○年代の改革が細川内閣の誕生によって開始されたことに示されており、そこでは、選挙制度改革、行政手続法の制定、情報公開・地方分権の推進などの一述の政治改革プログラムと迎勅して、公益事業規制の改革が開始されたのであった。
第二に、九○年代の改革は、当初は政治改革の動きと連動し、戦後の規制システムのパーゲーーングの構造それ自体を、公開性や民主性の視点から問題にするという色彩を強く有していた。しかし、その後日本経済が不況に陥ると、
経済の活性化・成長のための規制緩和という論点が前面に川て、政治・行政の改革から経済的効果に耐点が移動する 存在していない。 法学志林第九十七巻節四号一一一一
では、戦後型の公縦射錘不法皿の適用範附が大巾に縮小すると共に、分野の特殊悪性に対応した法規制の多様化が進行し(斑)ていると評価することができる。九○年代の改革の到達点として、まずこの点を確認しておこう。
しかし他方で、本稿で分析した戦後型の公益事業法の構造に照らすと、九○年代の改革が、次のような限界ないし
不十分さを残していることもまた否定できない事実である。第一に、九○年代の改革は、〃規制緩和〃を全而に掲げ、行政的な規制を量的に縮小することに主眼を注いできた。
これは、弼給調縦を伴う耶業の免許・許可制や、過剰な料金規制の批判としては正当なものであり、このような叩純
明快なスローガンを掲げたことが、改革のモメンタムを生み出すことにもなったのであった。しかし、公縦事業法の(町)制度改革は、実際にはより複雑で多面的なな性格を有しており、規制の量的な縮小だけで改革の方向を示すことは不可能である。例えば、通信や電力事業におけるネットワークのオープン化は、接続・託送義務や設備の利用条件の公平性の確保のための新たなルールと制度を必要とし、その限りで、競争の維持・促進のために、かえって〃規制強
化“ないし〃腿規制〃が求められることになる。また、ユニバーサルサービスの確保のための制度的枠紺みの粧術に
あたっては、サービス供給の公平性の於準の設定や、補助の原資の調達力法と配分のルールの碓立など、様々な制度(記)的工夫が必要とされる。そしてこれ壱bの点は、世界的に見てもなお実験の段階にあり、碓立された手法や制度はまだ
(4)法制度の改革の課題
以上ような九○年代改革の限界の中で、従来のカルテル・事業者剛体利用型の法迎川をもたらした制度的要因の抜
本的な改革がどこまで成功するかには、依然として不透明な部分がある。特に、法制度の改革の観点からは、以下の
点が逝要な問題点並びに課題として残されている。
第一は、独禁法と競争政策の迎川をめぐる問題である。規制改革の過程においては、カルテルの他に、特に競争の
導入が新たな集中や支配力の濫用を生む危険に対処するために、個々の事業分野の特性に配慮しながら独禁法を厳正
に通川していくことが強く求められる。
しかし、まず、電気通信におけるNTTや東京電力をはじめとする一○電力会社のような、不可欠施設を保有して(皿)いる独占的事業者に対する、正面的分離などの椛造的な競争促進梢置は十分に行われていない。また、近年は、個別
の事業法において、ネットワーク施設の利用や料金設定などに関し、独禁法と競合する競争促進のための特別規制が
設けられることが多い。これらの規制は、雌本的に独禁法を補完するものして穣極的にと評価すべきものであるが、
そこでの独禁法の施行機関である公取委の地位は依然として低く、法運用への制度的な関与は一部を除いてほとんど
岡本における公益醐樂法の歴史的腰開と規制緩和・規制改革(岸井)一一一一一 (的)傾向Mが見られるようになった。だが、規制緩和の経済的効果の側面は、臓接的・短期的な景気対策というよりは、(帥)巾・長期的に時間をかけて現れる4,のである。それにもかかわらず、このような側面ばかりが強調されると、不況脱出紫として過剰な期待がかけられたり、逆に、景気対錐のために必要であれば、規制改革は後回しでよいという考え方に道を開く危険を生じさせることになる。
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(1)Ⅱ水の経済規制において公断企業の收典性が低い点については、臼nga・〕・のロ日ロの}い$四・『すの、扇どの脇・寓可⑦」ロロ目阻の、B[PHS②8:ロ伊。。。。。叩oo3Ed2ぐの辺ご可の朋(川訓刑Ⅱ木におけるN家と企業』多側川版一几九九)参照。(2)野川正秘他綱『川本の鉄道I成立と展開』、Ⅱ本経済評論社一九八六年、三七頁以下。(3)美濃部達吉『Ⅱ本行政法・下巻』、有斐閣一九四○年、六五八頁(4)通商産業省編『商工政策史二四巻(電気・ガス)』、通商産業研究社一九七九年、三四三頁以下参照。(5)商工審議会「産業合理化に閃する袴巾」二九二九)は、企業合同の推進、同業者協定の勧奨と並んで、電力などの政府許可事業の統制を雨要な性としていた。なお、磁気・ガス蛎業については、藤原津一郎「磁気蛎業・ガス耶業規制の柵革」林俊彦編『公抜馴業と規制緩和』、東洋維済新報社一九九○年、一Nn以下も参照。
Ⅲ木における公益Ⅶ梁法の雌史的肢Ⅲと規制緩和・規制收砧(岸井)ニバ
(胴)耐工政簸史・前掲二Wを一七六画。戦時企業統制につき、水川耐紀「戦時旧家独占尚本拡綻の法体制」米人社研編『ファシズム期の囚家と社会4.戦時Ⅲ水の法体制』、班肥大学川版会一九七九年、二三一画以下。(Ⅳ)戦時の独占化については、山崎広川「戦時下の産業棡造と独占組織」束大社研編『ファシズム期の脚家と社会2.戦時日本経済』、班凪大学出版会一九七九年、二一七頁以下。(肥)新体制運動で生まれた統制会に関しては、以前からのカルテル組織との連続性が指摘され、また次章でのべる戦後の事業者剛体の原型になったとの臓摘がある。しかし、少なくとも岻力については、N来簡班のもとで比側川休の発言力はよわまっていたし(商工政筑史・前掲二七六画以下)、また戦後の馴業法体制は戦前の耶難法時代との斌似性が強いことが捕摘されており(橘川・前側論文参照)、叩純な一般化は避けねばならない。なお、巡輸耶業における戦後の躯業者団体については第二章(沈吃)参照。 (胴)その川喫がある。 (旧)広岡治哉編・前掲二五○頁以下参照。(M)ただし、市町村の栩償契約が一定の効力を持っていたガス事業においては、戦時統制まではカルテルの利川は見られない。前掲・商工政簸史二Ⅲ巻三八WH以下参鮒。(胴)その珊合、自動車交通耶菜法に兄られるように、馴業法の皿剛が、規制権限の地力から中央への染巾を伴っていた点に桃窓する必 (9)そこでは、いうことで、図画(Ⅲ)経便鉄道柵叫(Ⅲ)商肛政簸史一(脳)この点の分圧九九画以下参照。 法学志林第九十七巻第四号一一一ハ
(6)商工政簸史二四巻・川川一N七画以下参照。ただし、配岻邪梁は別に樅班された九つの地域ごとの会社が担当した。これは戦後の九晒力体制につながるものである。(7)広岡治改編『近代Ⅲ本交通史』、法政大学出版局一九八七年、二五○頁以下。(8)美濃部達吉・前掲六四七頁以下、山田幸男「公企業法」、有斐閣一九五七年、五五頁以下参照。それはドイツ行政法の影響を受け、”同家と社会の二元論“を腋礎にするものであった。(9)そこでは、一力で経徴椛の付与という形で馴業打に椛利が設定され、他〃で班業者に馴業迷行義務や監粁に従う義獅が裸されるということで、国家と私人の川の樅利義務関係の形式が維持されている。(Ⅲ)経便鉄道補助法(一九一○年)や地方鉄道補助法二九一九年)など。野川正秘他編・前川一几八、(Ⅲ)商肛政簸史二Ⅲ巻・前脚三二三頁以下。(脳)この点の分析として、橘川武郎「岻剣珊災法と打汕難法-政府と業界l」年柵近代Ⅲ水研究一三暇(山川川版社、一九九一年)一
四頁等参照。函)過度経済ど)、貨物迩平n以下参照。(閲)乏炳|和夫(妬)室爪武『(”)石井良三 (別)新規立法として、熱供給事業法(一九七二)、石油パイプライン耶業法(一九七二)、主な法改正として、簡易ガス事業の規制を擬傭したガス事業法改正(一九七○)がある程度である。運用面での手直しも、一九七○年代に行われた、電力・水道における福祉志向型の逓増料金制の導入、トラック運送事業の需給調整の弾力化、鉄道事業の料金認可に当たっての経営効率指標の導入などがある程度である。なおタクシー事業については、一九七一年に需給調縦の廃止と料金自由化を求める迎輸審議会の溶巾がなされたが、その後の祈汕ショックで立ち消えになった。宛)なお、政府の行が直接経営に当たっていた鉄道および砥偏祗話馴業は、まず特別会計として整理され、岐終的には監耶委員会(国鉄)ないし経営委員会(電電公社)が経営の征にあたる公社に再編成された(川本国有鉄道法二九四八年)、川本電信電話公社法、一九五二年)。それは、事業の公共性と経営の効率性の双方を達成する方式であると説明されたが、実際には当時最も戦闘的であった労働組合への対処という性絡が強く、制度としての整合性は十分なものではなかった。(羽)戦後の「公企業の特許」法皿については、雄川一郎/金沢良雄/塩野宏/成川緬川/山内一夫「〈座談会〉事業の免許制・許可制lいわゆる特許企業の理論をめぐる諸問題l」ジュリストニ九三場六頁以下参照。戦後の行政法学においては、ここから進んで、特許企業と通常の許可との差は程度の問題にすぎないとする考え方も有力になった。原Ⅲ尚彦「特許企業の意義」ジュリスト三○○号一一 (、)その意味で、いわゆる”一九四○年体制“論(野口悠紀雄ヨ九四○年体制lさらば戦時経済l」東洋経済新報社、一九九五年)は、戦後の経済規制の起源を戦時経済に一面的に帰着させる点で問題が多いと言わねばならない。(卯)この他、一九五二年に航空法が制定され、航空運送事業についての規制を定めた。なお、地方鉄道法二九一九)は、会社法の特川など一部の規定を除き、一九八六年の鉄道事業法の制定まで存続した。なお、遜気・ガスについては、藤原淳一郎・前掲一Ⅲ頁以下参照。
芝垣和夫「財閥解体と災巾排除」束入社研編「戦後改革七・経済改革』、》躯爪大学川版会一九七四年、三三頁以下。室爪武「電力自由化の経済学」、宝島社一九九三年、二二五頁以下。石井良三「独占禁止法」、海口書店一九四七年、二七五頁以下。
川本における公益事業法の歴史的歴開と規制緩和・規制改革(岸井)二七 過度経済力集中排除法の指定を受けた会社として、電力一○社(日本発送電および配電九社)、ガス四社(虫泉ガス・大阪ガスな貨物迩送の川本通述等がある。宮崎正康他「占緬期の企業再編成」年報・近代日本研究Ⅲ号(山川川版社、一九八二年)三○三
(羽)森田・前掲一九八頁以下。このような棲み分けが決裂し紛争を生じた例として、奥道後パス事件、高松高判昭伽六一・四・八、判例タイムス六二九号一七九頁参照。(鋼)これについては、鉛村興太郎「〈捉合〉巾場における競争と規制」林敏彦編『識廠公的規制と厳業3.磁気迦僑』、NTT川版一九九四年、一五○頁以下参照。(調)保護の手段としては、事業者団体と連動した融資や補助金が用いられることが多い。命)従って、事業免許はしばしば間で取引された(タクシーやトラックの免許など)。(師)この点に側する独禁法の皿川については、朧井大太郎,向川極範,内川緋作・和川他火・稗枇俊文共粋、『経済法〈二版〉』、行斐閣一九九八年、二六七頁以下参照。(羽)判例は、適正手続の考え方から審議会への諮問を法的に義務づけたが、このような実態のもとではその実効性は小さかった。群馬中央パス酬件・最判昭和五○・五・二九民染二九巻五号六六二頁。(狐)ここでは、法川論それn体の是非ではなく、煎々の制度的な与件・斑境の巾で果たすことになった機能を問題にしている。、)山川幸男、『公企業法』、前掲七○頁以下。(⑪)さらに、戦後行政では法違反に対する刑事罰の発動が著しく抑制されていたことも、この傾向を加速した。阿部泰隆亘、政の法シ (蛇)従って、例えば而汕〈うな法運川も可能になる。 法学志休第九十七巻第四号’二八
(邪)公取委が、公披馴業分野に独禁法を適川し始めるのはようやく一九八○年代からであり、それも、警告などの強制力のない非公式描脚が採られることが多かった。(、)道路運送につき森川朗「許認可行政と官恢制」、岩波書店一九八八年、エネルギー産業につき、幻・〕・の口日直巴⑭.前掲書○また行政指導に関する総合的分析として、新藤宗幸口汀政指導l官庁と業界の間‐ム、岩波書店一九九二年、など参照。(釦)聯業者剛体の実態については、公正取引委員会編「邪業者団体の活動と独占禁止法』(商事法務研究会一九九三)参照。(訓)戦後の邪業者川体は、戦時の統制会との述統性が指摘されている。しかし、例えばトラック馴業では、戦時と異なり戦後は複数の事業者団体が競合する状況が続き、それが一本化されるのは、事業法による規制が定着する一九六○年代末である(神奈川県トラック協会『神卜協二○年史」、交通毎日新聞、一九八九年、一頁以下参照)。このように戦後の団体は、戦後の公益事業法のもとで新たに形成されたという側川を持つことを無視してはならない。(蛇)従って、例えば而汕危機のように物価政簸上耐人な問題が生じた場合は、他上げ巾訓の一斉取下げによる料金の一時凍結というよ
(”)これは、八○年代末からNTT分割をめぐって対立が生じた岻気通信において剛符であるが、鉄道についても、九○年代にJRへのプライスキャップ制の導入を巡る対立などを通じて顕在化する。(別)その実態については、政府規制と競争政策等に関する研究会『物流分野における政府規制の見直しについて』、公正取引委員会一
Ⅲ水における公餓班業法の鵬史的股側と規制緩和・規制改雌(岸井)二九 (鯛)消費者代表は、審議会メンバーとして、事前の調整がすんだ後に間接的に関わるにすぎない。(卵)そこでは、行政は消費者利益を代弁する役割を受け持ち、それがバーゲニングの材料になるとともに、自らが国民の利撒の代表者であるという、行政の強烈な「代行行意識」を生み川すことになる。(別)規制緩和の風体的な内容と巡行状況については、政府の『規制緩和推進汁脚』三几几九年改定版)、総務庁細『規制緩和口叫』、入城満印別刷一九几九年、など参照。(皿)岻気迦偏では、端末機器やデータ迦偏の向山化がなされると共に、新たに岻気通信設備の接続と共川に関する規定が設けられ、民溌化によって誕生した川本電信祗話(NTT)の回線ネットワークの第三者による利川を認めることによって通信サービスに妓争を導入する道を開いた。ただしそこでも、回線接続について当躯者間の協議を優先するパーゲニング唖の規制が採川されていた(祗気通信 (“)而易ガスと祁巾〃『度化したものと言える。(価)『・勺・○・丘月日・由(㈹)今村成椥、「公企難行)岸艸入太郎「公倣、(州)この点の柑摘とし一
○市円○口。且。シ顛巴厨。 (㈹)川本の経済津規制における川家の”弱さ“については、幻・〕・の仰g:一旦似個脊、及びR・』・サミュエルズノ北山俊也訳「川本における脚家のビジネス」レヴァイァサン二号二九八八年)八川口以下参照。(“)而易ガスと祁巾ガスの調整を図っていた地方ガス班蕊へ洲轆協議会(ガス醐業法川扣条の5)などは、このようなパーゲーーングを制度化したものと言える。また、道路巡送におけるバーゲニングの尖態については、森川・前掲が詳しい。(価)『・勺・○・]ロ一括日・囑幻のいロ]目。□目□且日日②〔の『88コ汀PC厨・jmの』]・p9m-o(同8口・目8一段(ご『の)(㈹)今村成椥、「公企業および公企業の特祢」、川巾二郎仙鯛、。、政法講座節六巻・行政仲川』、、斐閣一九六六年、一六川風以下。(柳)岸艸入太郎「公倣耶撚における規制の綬和と改雌」綴済法峨ムハ綱『規制綬和と川凹背』綴済法学公年柵一六冊翼一口以下。(州)この点の』阿揃として、○・ぐの]〕目oくい嵐●巳の】Jゴの幻のm巳⑪口opoPBの.,ご幻の囚』』回画opR】口冨口鼻の〆のP○『の」)§oく②厩ぱめは目[の ステム(⑫)雑れた。
入する道を開いた。た醜業法Ⅲ犯条・羽条)。 人〈新版〉(下迄、汀斐川一九几七年、四四几画以下。薬瓢法珊件、岐判昭和五○・四・三○氏災二九巻四場五七二頁。そしてこの点が、皿常の許可と区別される公益耶業法の特徴とさ