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論 説 年 次 決 算 目 的 観
ー シ ュ ミ ッ ト 相 対 的 維 持 論 ⁝か ら の 発 想 ‑
吉 田 威
目次
一︑序
二︑通説的シュミット学説観ーー問題の所在ー
三︑シェミット相対的維持
四︑有機的財産計算
五︑相対的貨幣資本維持ー年次決算目的観の発想II
一︑序
(プリッツ.シュミット(団簿Nの3厨崖1))︑シュ了レンバッハ(望げ昆⑦量葛)と並び含になお亡びず︑双壁である︒その学説は会計学なかんつく繕対照表論において盤して造詣の深きを致さんとするもの・先達後学の別なく.﹂れを研窮す登﹂と憂は心に描く︒わたくしにあって患いはひさしく︑学界の列宿に劣らず理論の展開を薯し
く試みる.﹂とにあった︒しかしながらかかる禦︑懐くには易いが︑現実のものとなることをうるに至らずにいた・
商 経 論 叢 第22巻 第3・4号2
その理由の概ねはわたくしの撃篇すべさ﹂と言姦たない︒とはい︑兄︑僅にありうべき分疏の;もまた三﹂に
記す・すなわち・シュミヅ套計学説それ自体の中にもわたくしの甦する.﹂とを.﹂ばんでいた讐を存していた︒
かねてからのわたくしの問題意識は︑これをなすに才のたとい浅短ならんも企業の年次資のあるが裏の現実に
就いてその根底に潜む醤を閾明するにあった︒企業の年次聲の厳として存する所以をつまびらかにするy﹂と︑わ
たくしの懐中に萌して既にひさしく未だそれの態ざるところの学里の関心である︒かかる問題意識︑シ︑了レ
ンバッハの次の一節において端的≦・いあらわされている︒すなわち﹁われわれが企業の会計の中にて或る方法に出
会い・これ稻来からの慣翼りという一つの理由のほか如何なる存在器もそ.︑に羅されていない方法であると
しても・その方法はその竺の存在番の故を以て︑或る程度尊重されて然るべきである︒その方蒙少なくとも廃
止さるべきではないという程には役立っているのだということを︑慣翼りという存在理由は証明しているのである︒
かてて加えて・そのようなる慣習のもつ目的ないし轟さはそれとひさしく謬して後はじめて閾明妄るが如き隠
れたるものなるが故に・ただかかる所以をもってそのような慣翼しばし罐んぜられているよう憲える︒かくて
研究者は肇に改革欲にとらわれて終うことにではなく︑先ずあるがままの現実を羅す乏可能なる限りを尽す.︑
とに意をもちいるべきであろう︒﹂
ところがシュミットの問題藏はこれと全く譲的である︒すなわちいわく︑﹁畠主義の世紀の毒に無統製
る讐において時には抑制のなくなる攣の影響のもと警の醤が通常化し︑為にひとはそれら馨易に伝統とよ
ぶことをうる楚なったことを見逃す﹂とはしかしながら許されざるところである︒しかし将来のために経済のなか
からその響を取除くこと遣り遂げんとするならば︑古い慣習の;;に就いてもその養上.嚢上それぞれの
根羅係り吟味す乏念を絶つこと決して許されぬであ菱︒﹂﹁したがって︑実楚おいて慣習化したると.︑ろを調
年次決算目的観
3 べることもなく正しきもの妄すが如きはわれわれにとって考えも及ばぬことで象・L現実の年次餐・﹁それのあ
るべきところのものとなりたる例これまでに蔑もなかつ(混・﹂かくてひとのいう・﹁それ故に窪讐の計箭度に
係り根本的なる変更を求め蘂﹂彼境実に対する改蘂を問讐しているので蒙・すなわち・ζミツトの学説
わたくしの問題意識に係わらない所以である︒
しかしながら︑かつてドイッに滝留のあいだ学問上に懊悩しているとき︑はからずもシュミット学説に親灸するこ
とをうる縁を見つけたとの思いが芽生えた︒すなわち︑決算貸借対照表に﹁時点利益﹂の計算なる役どころを割つけ・
損 益 計 算 書 に は 簸 間 利 益 L の 計 算 を 観 て 匙 当 時 ︑ か か る 二 元 性 を 董 し う る も の を 見 い 出 し 年 次 決 塁 体 の 精 讐
うかがうに一体何を以てなすべきか前途は濠々たる闇であった︒それの一端をだにうかがわんと欲するに由るべき道
がない︒研究の道はここに窮まらんとしていた︒ただわたくしを領していたものは︑学問上の新発見の年を古るにし
たがい確実に能わざるものとなるという焦慮のみであった︒これが身心を揺ぶり精神を刻苦せしめる間にあって・時
間は思索に充てえて十分︑苦心結営︑一つの仮説がわずかにわたくしの中に萌した︒一条の光明を投射するものであっ
た︒暗冥のうちに︑この仮説の発想を跡づけるにシュミット学説に就くことを以てするに如くはないとの思いを強く
なした︒だがしかし︑時はわたくしにあって徒に径てすでに十余年︒今ようやくここに筆に上すことをうるに至った︒
問題はこうである︒企業の年次決算を構成する主要素の一つたる決算貸借対照表に係り前述のごとくに時点利益計
算なる計算を以てその内容を規定することには自ら侍むところがあった︒それ故に︑あとに残るはもう一方の主要素
たる損益計算書に就いてこれを意味づけるに︑右の決算貸借対照表に関する本質規定とよく調和しうるよう着意して
これをなすことである︒決算貸借対照表の内容はすでに時点利益の計算であると観て︑その上でよく年次決算の全豹
を得ることの出来るよう損益計算書の本質を追尋して行こうというものである︒損益計算書の本質は何であるのか・
4 商 経 論 叢 第22巻 第3・4号
損益計算青的と貸借対照春的とこれら二つのさらに上位にあるところの︑.﹂れら二つを統一的に支配する目的は
一体何であるか・すなわち年次決算の齢一体如何窺定することをうるか︒
ただし・今しいて直ちに甚解を求めようとはしない︒三﹂は︑その問題の答解に係る仮説︑.汽の発想される所以を
シェミット学説に就いて詳にしようとするのみである︒シュミット会計学説の灰に聞いているζ﹂うに従えば︑財産
計算と損益計算と相異なる二つの計算を見芝堕するものの如くにして︑奮ま.﹂とに示窪富む︒果して如何に︒
(‑)シェミット・ζ了レソバ・ハを呼ぶに讐讐学の長なる尊称を以てし︑自らいわく﹁ひとわれをシ︑了レンバッハの学璽の譲
なるかの如くに信ず・﹂(ω.匡島﹄・魑写ヨ皆藝(N田篁○巻一九三三年︑五七一⊥責所収)︑五七一.二頁)と︒
(2)o︒∩ぎ巴Φ巨訂︒7即MO﹁§臼㊤αq雪身匿ヨ団︒・筈2ロロ目国邑Φ茸ρピΦぢ国㎡一九二五年第三版︑八六頁︒(3)︒・量山'罰窪葺葭惹董Φζ・景望器・甑落ぎ(・・量ζ・編︒臣・垂監尋・︒号̀一Φ﹄Φ﹃観轟壽Φ昌(駿年次記整く︑一
九三七年占簿§幕(N窃第二二巻一九五二年︑天二⊥八五頁所収)︑天四頁薯1か)所収)︑五七頁︒(4)ω量ζ̀︒婁コ︒己じ・薯毒三N田第三巻一九二六年︑八二〒八二五︑九〇六‑九二〇頁所収)︑八一署︑および同畢Φ
冨雪§豪鷺韓︒仲く旨(穿ぎ・巨話園・量第五巻一九三〇年︑二三五⊥西二頁所収)︑二三吾︒
(5)写鼻㌔.︑罫藝・・沖亜壽α・・藝:巳署§毫き郵・︑Φ・ぎ一九二四年︑一九四頁︒
(6)寓翼︑客︑O臼OΦ鼠毒げ︒αq﹁韻ぎ山①﹁ロロΦ三Φ冨鼠目一・・︒密{邑Φ貯ρピ9唱臥σq一九二六年︑六八頁︒
(7)国垂ぎ雪.書一ー山 姦葺︒・藝α⁝二九三六年︑六七頁︑および山下勝治︑ドイッ会計学理論︑霧芒九三八年︑三
二三・二三七・二五六頁・更に同・理論会計学︑巌松堂一九五〇年︑三叩六頁︑中村常次郎︑イソフレーショソと讐讐学tシ︑
プリッツ・シュミミッあ讐学ξいてー(商学論集(福島大)第一九巻第三号充五〇年︑了四四頁所収)︑四二頁︑鈴木和蔵︑
ット有機的時価貸借対照衷(産業経理第一五巻第一二号一九五五年︑六七‑七二頁所収)︑六八頁︒
ζミッ占らは・讐経済(切㊥巳印げ︒︒註ユ︒︒︒訂{碑)と国民経済(<妾蔓⁝翼)との間に存する筈の緊密なる関係に係り︑それまでの如
乏これを等閑視していることもはや許されざることであるとして︑両者の間に学問により知識馨橋をわたす﹂との必要隻説く(留ぎ鐸
罰︒芭三Φ§ぎ︒邑島四冤芽・蓄喜三軽げ馨皇他編9巨含・聾仲蓉・︒乱目伴ω︒ゴ騨"・巾一Φ窪Φ第二巻︒一①・︑Φヰ酵・︒<①H芝口屈
§筆畳㈹一九二七年・山ハ八先五頁所収)︑六八頁)︒国民経済を自然法則のジ﹂とき経済法則が支配しているとすれぼ︑.﹂れに関する
讐理論は讐の各部分すべてに妥当する筈である(撃纂炉︒Φ・≦昏・げ書中藷・・豊・︒儀Φ・d岩婁・仲・︒・・Φ・︒一コ国箇貯ロ一暫二︒昌̀昌宅︒穿甲
年次決算圏的観
5 乱噌謬津昏栂冒コ充二三年︑蓋五頁︑および同U護莫舞量︒・Φ仲・浮蔓.・量婁①(N鐸望三.咋ぎαq量切魯凶︒璽爵藝..̀尊﹃Φ︑聞︒・,陣・q帥竃麟彗・り圃3N脚咀・噂静砲瓢︒・ぴ置﹃一・‑酔の・・;鼻量翠霧欝・島聾豪鼠α・\壽コ冗二葦・蓋七頁)・三﹂において響経済すなわち企業はすでに耳に熟している如くに国民経済の細胞(望運'♂︒・・壽§窃・甑§σ・.・馨駐含豊帥αq︒昌爵置彗
露 雛 晒 綴 雛 臨 護 藷 顕 )鷲 騙 b,醤 裸 鋪 繋 麗 翫籍 謡 羅 鵠 蹉 轟 師 畔 蕪 雛 熊 齢
(前響所収)︑一五八頁)︑ために響経済学轟済学の誘分としてみる・扁とをうるという(望ぎ鐸即﹄①N摺ξ淫①二Φ幕3葺‑紹暴・︒写..(前響所収)︑蓋八.九頁)︒かか義占⁝の下︑この全体的なる理強中央理論とよばれる(即匪峠︾N§︒嚢(N㊥第一巻一九蝋西年︑責所収)︑責︑および同︒・・︒⇔Φ曇頃鼠豊磐馨≦量訂ミ田第二〇巻一九五〇年・三⊥○頁所収×四頁)︒,︑︑︑までは︑現実に就いて(中村常次郎︑企業の相対的価纏持の原理ーシュー・あ奏鶉蕪算論ー(票黎(驚奎第死巻第四.二九互年︑杢⊥三頁所収)︑δ六毛頁)︑所与の経済驚の竈(中村常次郎・独逸饗経済学の成立(独逡営学(下)︑東洋経薯軽一九六牽︑九三⊥六三頁所収)︑云責)をなさんとするをその学問的課題とする響経済学をいう・しかし次には︑﹁ひと鐘論家として費用計算法のために一つの特殊的なる理論的国民経済学を記述することをうる﹂(誓鐸評謬・恥①.舞甑帽=・q・︒箋①﹃こ①・.d目里国需Φ・︒一目国p壽ま:乱く妾尋紳零藝(前掲)︑蓋五頁)をいう︒ただに然るのみならず・ここにおいて経営経済的当為(度円一①げ・,宅一H昏・,6藝︒ゲΦ切・︒︒言膿にされるをいう(⁝罠仲ン︒瞬:豊簿・・詩コ尋繹①︒量ヨ酵翼い量σq一九二一年(以下においては︑望Φ︒瓢⁝︒5ゆ・,︒げ.・︒圃ぎ笙版と略称する)︑二〇頁)︒全体経済に係る理論より纏される餓i時響借対照表の理論的基礎は資金鍍理論︑および取引等式︑市場法則であるという(ω量曾評算≦窪似轟毒σqΦ︒︒Φ婁:量<Φ量"(器第五巻一九二八年︑工九頁所収)︑三頁Yーの企業の饗と必ずしも薮するとは限らぬとき・誤れる現実・伝統(繹具♂︒団Φ﹀ロ智・.・︒̀鵠・q瓢①同︒︒Φ齢願{①び①伽嵩象Φ≦套ぎ尋⁝(N田第一藩一九二六年︑八五⊥〇八頁所収)・一〇八頁)をいうこととなる・すなわち右の轟の響経済学に対する当為となって罐する︒シューヅ學説の響経済学に係り規葎を享る所以にほかならない・かかる規範性︑まして経営経済のさらなる一小部分すなわち企業会計に関してならば}周高まること言うを須いず︒
ちなみに︑全体と部分との間采一致の生ずるとぎ︑全体に関する観占鑓︑の姿部分に妻当し︑また逆に部分に係る観方の全楚も当然に及奮する︑︒︑れら二つながらの論理的に嚢皇ご・⇔(近難逸・好並藷︑論理学概論︑山石難店充六四年・云貢)を+分に承知していれば.︑そ︑かかる不薮のなくなるまで全体に學る理論︑部分に関する理論に就いて両妻たはいずれかに係り修正叢ねる・これは現実の全き解明を目ざす問攣︑識の努めてなすと.︑ろである︒すなわち︑現実の側に変更つまり謂うところの改善・改革をせまるにはあらず︑自らの理論に修正を求めるのである︒(8)士口田︑損益計募;兀竺商経論糞神奈奨)第七巻第喜元七奪︑四九⊥三蚕霊)︑≡食︑および同・年次決算に於
6 商 経 論 叢 第22巻 第3・4号
ける財産法思考(ビジネス・レビュー(一橋大)篁九巻第三号充七一年︑四〇1四六頁所収)︑四吾︒
(9)ζミ・占身は︑損益計算書を以て決算貸借対照表髭しより大なる意味を有するものとさえ観ていた(撃葺﹄.﹄.く..岸.冒︑津︒
卑♂叔︒︒憎8げロロロ︒q(N田第五巻一九二八年︑八一‑九九頁所収)︑八三頁)︒
(01)年次資に係りその均斉美を誇る全体像は︑資貸借対照表︑損益計算書の両者たがいに独立していながら尚かつ︑︑の上位においてよ≦
つのもの(目的)にて統一されているというものでなければならない︒両決算表に係り一方が他方の従属物なりとする観点は後者のものに偏
重する年次決算像である(吉田︑損益計算の二元性(前掲誌所収)︑ご一=頁)︒
二︑通説的シュミット学説観‑問題の所在ーー
シュミット会計学説は大方の耳に熟しているところに従えば︑企業の実体資本に係りその相対的維持を達成しうる
年次決算の案出︑提唱するところにその特微をもつ︑かくの如きはしかし決して公論ではない︒シュ︑︑︑ット自らの言
は︑﹁生産され販売されたる全財貨の完全なる補充したがって絶対的なる実体維持(曽げ︒︒︒一億貯︒ω嵩げ︑欝コ.︒臣ゆぎゴαq)︑これを
全企業に保証すること生産の霧時には不可能で猛︒﹂﹁他に変動なんらなく生産のみが全企業についてこれまでの
八〇%に低落したるとき自らのためにその生産を従来の八〇%につきなすことをうるならば︑その時にはその企業は
実体(.・︒ぎ)に関し相対的羅誓れているので残︒﹂と専ら実体の維芝︑しかもその相対的なる馨に関心
を置くものの如くであるのだが︒
絶 対 的 実 体 維 持 i 絶 対 的 製 品 在 高 維 持
まず・シュミット学説にょる資本維持の実体維持なることシュ︑ミット自身の号口の如くであるとは︑わたくしの寡聞
にしてこれに疑いを容れるものの存否を知らない︒ちなみにワルプ(芝巴ダ団・)のみると.乞︑﹁シュ︑︑︑ットの支持し
年次決算 目的観
7
計算例第一
期 生 産 ・ 費 消 売 上 費 用 販 売 純利益(財 貨表現)10
間 販売量費消量
単 価総費用
収 入 純利益
単 価 単 価原 価
換 算 % 売 価 換 算 % {5=2) (6÷2) (7÷8) (7÷9)
1 2 3 4 5 6 7 S 9 11 12 13 14
1 100 goo 0.95 95 xoo 5 0.95 i.00 5.26 goo 5 goo
2 100 104 0.95 95 100 5 0.95 1.00 5.26 100 5 goo
3 80 100 0.95 95 100 5 1.19 1.25 4.20 80 4 80
4 50 100 0.95 95 1qO 5 1.9 2.00 2.63 50 2.5 50
5 10 goo 0.95 95 goo 5 9.5 10.00 0.53 10 0.5 10
6 50 goo 0.95 95 goo 5 1.9 2.00 2.63 50 2.5 50
7 100 goo 0.95 95 1ao 」 0.95 1.00 5.26 100 5 goo
(3)たるものそれは物的に規定されたる資本維持である︒Lすなわち︑企業の
(4)物的実体の維持である︒しかしシュミット謂う相対的維持︑上に示す彼の
(5)掲げるすでになじみの具体的計算例に徴してみるとき︑世これをシュ︑ミッ
トの謂う如くには受け取ることをしない︒すなわち︑生産性の変動(男挙
曾窪くぽ陣︒︒<Φ§幕げ§αq︒P軍鼠爵穿憲颪巳①﹁§㊤q)つまり一定の費消量(函︒︒︒け①早
(6)ヨ︒轟︒瓢)に対する生産量(中&葬琶窪σq︒)の変動のときにあっては︑一定額
(7)の費用(﹀ま器乱)1単位当り費消に対する支出の金額には変化なしとし
てーしたがって一定量の費消に対し生産量の変動をみるとも︑かかる生
産量と同一量の販売も計算例において仮定されることにより︑在庫量の一
定が帰結される︒すなわち︑絶対的実体維持︑絶対的生産物在高維持と特
(8)徴づけられる所以である︒
上の計算例に就いてシュミットいわく︑﹁前掲の例において︑最初の二期
間は生産性の不変なる取引期間にして⁝⁝期間費用の総計は製品総額をも
規定する︒かくて生産者はその企業を正常なる費用にて営む限り︑その費用
全部を︑そこに正常なる企業者利益を含み補填することをうる︒彼はその
(9)売上収入(㌍野噛く︒爵9︒ロ嘗二富)から︑再び翌期に同一量の製品を生産する
(10)ことをえて︑これによりその経済の完全なる調和が保たれる︒﹂この計算
例においては︑生産のための全費用(九五マルク)が前期間の企業者利益
8 商 経 論 叢 第22巻 第3・4号
(五マルク)とともにこれらの受け取り手の手中にて購買力として︑当該期間に生産されたる製品と対立すると仮定さ
れ忍瀞・しかも当難・おそくとも翌斯鄭にて・したがって笙︑二期における如く︑九五マルクの費用に三〇
︒単位の製・叩の生産がなされるとすれ評販士冗単価;ルクとする.︑とにより市場にある一︒︒マルクの所罪厳
密には全所得の当該企業に対する割当部分︑以下においても同様1から一〇〇マルクの売上収入を手にすることと
なろう︒
さらに右の収入にて製品の一〇〇単位生産するための費用を支払い︑なお翌期に今期企業者利益を分配することを
鉱翻︒ここに再び市場には一〇〇マルクの所得があらわれる︒一〇〇マルクの所得を存することにより一〇〇単位の
製品の販売がなされ︑為に一〇〇マルクの売上収入が︑したがって九五マルクの費用支払が︑つまり一〇〇単位の製
品 の 生 産 が そ れ ぞ れ 可 能 と 舞 す な わ ち 同 募 製 品 に 係 る 販 売 と 生 産 と で 鶉 ・ 同 時 に ま た ︑ 費 用 支 払 と 利 益 分
配とは市場における所得一〇〇マルクの存在の謂である︒要するに︑経済の完全なる調和を見ることをうる所以にほ
かならない︒そこにおいては製品在庫は同一量にて維持されている︒これは注意しておいてよい︒
企業の生産性の低下するときにあってはすなわち計算例に就いてその第三ないし第五期においては︑中に就いて第
三期首には第二期からの一〇〇単位の製品が販売さるべく待機し︑これに対するに市場には一〇〇マルクの所得が存
するとも︑第三期中には一〇〇単位の費消から八〇単位の製品の生産がなされるに過ぎない︒ここでもし﹁前期から
存する在庫が全部で一〇〇貨幣単位にて販売されるとするならば︑企業は翌期には二〇製品単位だけ貧しくなる筈で
輪・﹂製品一〇〇単位全部の一〇〇マルクにて販売するとは︑シュミットによれば第二期における原価形成を基礎
とする価格計算によるところの一部在庫の塗冗鼠肥・﹁企蒙は販売の瞬時にはこのン﹂とを智うる︒なんとなれ
ば︑その瞬間においてはわれわれの仮定する如くに生産性低下はすでに事実であるからである︒彼はその製品単位当
,
年次決算目的観
9 り原価計算の基礎にするに︑過去の生産性状況ではなく販売取引日のそれを以てなすことを通してのみ︑その実体財
産の減少を食い止めることをうる︒かくするのであれば︑彼は単位当り一・二五の販売価格を求めねばならなくなる
で裂鬼・L単位当り費浬・計算例にみられる如く三九マルクであ馨単位当り費用一∴九マルクなる計算の
下︑期間の純利益五マルクを見込み販売単価丁二五マルク︑市場における所得一〇〇マルクとすれば︑ここに生産
量 に 箸 い 販 売 量 な る 結 果 が 生 為 ・ す な わ ち ・ 製 品 奮 量 に 変 動 の 告 轟 所 以 で あ る ・
生産性の上昇期すなわち計算例に就いて第五ないし第七期にあっては︑就中﹁第六期首において︑企業家は第五期
の製品を取得原価にて販売しようとするならば︑必要なる所得はそのためには確かに存しているのであろうが︑生産
者は第六期においては自らの生産に係る五単位につきわずか一単位を販売消費しうるに過ぎない︒⁝⁝だがしかし販
売をなすに販売取引日の原価形成に基づいてさえいるならぽ︑当位当りニマルクの売価が生ずるであろ癖﹂市場に
ある一〇〇マルクの所得を以てしては︑企業に製品五〇単位の販売をなすことを得せしめることになる︒かかる販売
量︑当該販売日の生産性のもと企業のなすことをうる生産量であること言うを倹たない︒すなわち︑企業の製品在庫
量ここでもまた不変であるゆえんに外ならない︒
かくてワルプをして︑﹁シュ︑ミットの計算例にあって絶対的なる維持以外の維持一体いかにして可能なりというか︑
(26)(27)私にはのみ込み難い︒﹂と言わしめ︑世つとにこれを引く︒すなわち世のみるところ︑シュミット計算例において﹁絶
(28)対的維持以外のことはおこりようもないのである︒﹂
経営経済性利益
問題はもう一つ︑しかも位置づけるに難く存している︒すなわち︑﹁販売日の再調達価格を費用評価基準とするシュ
商 経 論 叢 第22巻 第3・4号 10
(29)ミットの損益計算は実体資本の維持を保証しうるものではない︒Lとの批判︑かかる指摘まことに当を得たるものな
りとはいえ︑われわれを当惑せしむる︒先の計算例にあっては例えば第三期︑当該製品の販売時における当該企業の
生産性を前提にすれば︑その再生産には単位当り一・一九マルクの費用を要す︒製品八〇単位の販売により得られた
る売上収入から純利益五マルクを除き︑ここに販売されたる製品(八〇単位)の補充・再生産に充てることをうる部
分は九五マルクである︒かかる九五マルク︑当該販売時点の生産性のもと製品八〇単位の再生産のためには必要にし
て十分︒もし生産性がさらに低下したとすれば︑しかも現実の補充・再生産性の当該販売日にはなされず遅れて︑か
かる一層低下したる生産性のもとになされるとすれば︑製品八〇単位の再生産の費︑右の九五マルクなる部分を以て
(30)しては充分に弁ずることをえない︒すなわち︑販売日調達価格による費用計算の実体維持を保証せずという見解の拠
るところにほかならぬ︒
右においては︑生産性の変動に伴う製品の単位当り再生産費の変化をもとにして考えている︒したがって販売され
たる製品の数量に係りそれと同一量の補充・再生産(絶対的維持)もしくは生産性の変化に比例したる数量の再生産
(相対的維持)︑いずれも製品販売日の生産性を基準としてなされる費用計上のみを以てしては保証の限りにあらずとは
(31)分明である︒すなわち︑右において実体維持の保証の不可なること︑その維持の絶対的︑相対的の別を問わない︒実
体の維持は︑これをどのように見ようとも販売取引日調達価格を基準とする費用計算を以てして﹁常に﹂可能なりと
(32Vは奈何にしてもいうことが出来ない︒実体資本の維持と販売取引日調達価格の基準と︑両者の間に論理的に密接なる
関係は存しない︑すなわちシュミット会計学説の中心じつは実体資本の維持にあるのではないとする見解を抽き出す
こととなる︒シュミットの主張する販売日再調達価格を基準とすることを以てしては企業の実体資本の維持︑その相
対的︑絶対的の別を問わずいずれも不可なりとする辮難は︑右の費用計算基準に係りその修正を求めるものの如くに
年次決算目的観 11
(磐して実は︑シュ︑ミット学説に就いて実体資本維持とは異なる新しき観点のもと再吟味すべきを意味している︒かかる
辮駁のわれわれをして当惑せしむる所以である︒
シュ︑ミット学説をみるに他の観点を以てする︒そこにはつとにテァ・フェーソ(§<①ぎ})のいること︑すでに
(34)大方の知るところである︒この彼によれば︑販売取引日の調達価格を基準とする費用計算のもと︑費用は各販売日に
係る補墳費用の単なる合計に過ぎず︑したがって利益もーー損失の示されることさえなければ︑より正確には利益損
失ともになきときーー補填費用に関してならばその全部が経営取引において計算の示すところと寸分違わず獲得され
たという事実をひとり示すのみである︒正確なること販売日に係るのみ︑実際に補墳せんとするときその必要費用の
幾許なるかには及ばない︒すなわち︑﹁有機的貸借対照表に係る損益勘定︑抽象的資本の維持については勿論︑さらに
(35)実体資本の維持についてさえも同じく何事も示さず︒﹂﹁有機的貸借対照表はむしろ︑全体経済的に望ましき経営目的
(36)なる観点からの経営の経済性に関する指標たる純粋なる取引利益を独り明らかにするのみである︒﹂有機的貸借対照
(37)表は経営観察の手段たるに過ぎない︒
当のシュミットによれば︑﹁製品工業の経済的任務は以下のところに存す︑すなわち市場にてその時々に相対的に
安価なる財を︑相対的に稀少なるが故にまた相対的に高くも評価されるがごとき製品に変容せしめることに存する︒
費用財の価値と製品販売財の価値との差は価値引上力を意味するのであるが︑実はこれこそ製造工業の生成と永生と
(38)を可能ならしむるのである︒﹂﹁かくて︑企業家は費用財・販売財の各市場間における価値隔蓬の形成を絶えずどこま
でも追求することに強い関心をもつ︒かかる隔差のひろがるならば︑企業家は生産を量的に高めるであろうし︑その
(39)隔差の縮む時には彼は生産を減少させねばならない︒﹂﹁ところが工業生産はいずれも時間を要す︒したがって費用財
の投入と販売財の産出との間にも時間隔差は生ずるが︑これが時には非常に長いこともありうる︒しかし︑時を移さず
商 経 論 叢 第22巻 第3・4号 12
処置することをうるために価値隔差の形成幾許なるか適宜に把握せんとすれば︑決定を下さねばならぬその時々に係
りそれがなされねばならない︒かくて同一日に係る費用価値・販売価値の比較がなされねばならず︑これら両価値の
(40)販売取引日までに変化すること如何ばかりか生産の開始に際しすでに知っておくことを要す︒L
右において︑比較さるべき費用価値・販売価値の二つながら同一日に係るものたるべきは︑謂うところの所得数量
(41)説(O葛艮蒜翼冨︒箒αΦ門国爵︒ヨヨ9をシュミットがその前提におくからに外ならない︒すなわち︑﹁所得は新たに生
(42)産されたる財を購入する︒何人も自らが所得として有するところを超えて購入することをえず︒﹂﹁かくて全体経済に
おいてもまた︑一定期間に生産されたる財の全体に対して商品購入に充てうるところの個別経済全体の所得を超えて
(43)あるいはそれより少なく支払いのなされること本質的にはありえない︒﹂したがって﹁国民所得の変化する場合にあ
(44)っては︑市場にあらわれる財が一定量であるとしても全体の価格水準は変化するであろう︒﹂とするならぽ︑﹁販売取
引の瞬時における補填費用の価値︑かかる費用の価値は製品の市場価格を成立せしめたものと同一の所得水準によつ
(45)て決められたのである︒﹂ということができる︒
(46)いわゆる所得数量説を前提にして︑一般には同一の時点的基準︑具体的には同一日の価格すなわち国民所得の同一
水準の下に成立する二つの価格︑購入価格と販売価格とこれら二つの差にしてはじめて真の取引利益(㊦聾興q暴陶寧
(47)σqΦ鼠暮)ということをうる︒ただここで注意すべきは︑シュマーレソバッハのなす貨幣価値変動の影響の年次決算か
らの排除が実際購入価額・販売収入額に係る数値の比較可能性を保持せんがための手段にすぎぬーしたがってそこ
(48)おいては依然として名目計算(8日凶=巴︒閃Φ︒ぎ葺α・)が支配しているー1とするシュ︑ミットの指摘である︒シュ︑ミットの
(49)いう費用計算は収益費用を単に同一のあるいは同一日の基準にて換算もしくは計算するものとは異なる︒すなわち︑
シュマーレソバッハの謂う金マルク貸借対照表はもはや比較するに堪えなくなった数値を再び比較可能なるものたら
年次決算目的観
13
(50)しめるための一つの試みにすぎぬとして︑シュミットいわく︑﹁これに対しわれわれは前記の論述において︑何故に
購入価額ではなく販売取引日の再調達価額すなわち販売市場にはあらず調達市場における財の時価が正しい利益計算
(51)の唯一の基礎たりうるかを詳細に根拠づけた︒﹂
企業の真の取引利益の計算に係り︑各製品の原価のその販売時に幾許なるかを求めることがその前提に位置すると
の証に充つべく︑ひとはさらに﹁貨幣価値変動時における価格計算の中心的問題は︑企業への費用財の流入と完成製
(52)品の販売取引との間に費用財が被った価値変動の正しき把握をなすことである︒﹂というシュミットの言を引くこと
をうる︒彼によればかかる価値変動を把握することが︑前節末尾に一言し追って後段にかさねて説くところのいわゆ
(53)る財産計算(<葭ヨασQ①襲︒︒ぎ§瞬)の一環である︒それ故に彼は正確なる利益の算定に関して︑﹁かかる正確性は正確な
(54)る財産計算を前提にしてはじめて達成されることをうる﹂という︒右の価値変動には︑前述の国民所得水準の変動によ
(55)るもののほかに︑シュ︑ミットの謂う企業の生産性の変動に係り生ずるものも含まれる︒すなわち同一量の製品の生産
をなすにこれまでに比して例えぽより大なる費用を以てするとき︑製品原価の騰貴が生ずる︒生産性の変動から生ず
(56)るかかる価値変動もまた︑正確なる利益計算の前提としての財産計算に係る︒また製造工業に就いて前述したところ
(57)はそのまま商業における商品在庫︑固定設備に関しても当然に妥当するという︒
かくて利益計算の役割は︑右において述べた費用価値を超えて市場にて獲得することの如何なる程度に成功したか
(58)(59)を確定するにあることとなる︒すなわち︑﹁企業が経済的に正しく取引をなしたるかどうか﹂を︑要するに世に謂う
(60)(61)取引活動の綜合経済的成果︑国民経済的効果を示すことである︒ここに得られる利益は︑経営の経済性に対する尺度
(嚢.・睾塞鼻§ヨ{募蜜婁蓑凶①竃Φ鐸.コ.量)たるに峯多・すなわち尺覆(憂..垂.琴)を有(磐する︒ここにおいて︑シュミット謂うところの販売取引日の調達価額を基準とする費用計算のもと︑算定される利益
商 経 論 叢 第22巻 第3・4号 14
の尺度性を有する所以が明らかとなる︒この尺度性︑テァ・フェーンの指摘する如くに経営経済性に係る︒シュ︑︑︑ッ
ト学説における販売取引日の調達価格なる費用の計算基準に着目するとき︑経営経済性の指標たる利益すなわち尺度
性を有する利益・かかる利益.取引利益の計算いわゆる取引計篁c塁曇轟を提唱してやまぬシューッよと︑
われわれはテァ・フェーンに電随してそこに至る︒
問題の所在
以上要するに通途の説にしたがえばシュミット会計学説︑謂うところの計算目的に着目すれば企業の実体に係り絶
対的なる維持を主張するものたることとなり︑また計算目的達成の手段たるべき具体的な方策としての費用の計算基
準すなわち販売取引日調達価額の基準に目を留めるとき経営経済性の尺度たる取引利益を求むべしという計算目的を
提唱するものたることになる︒しかもひと既に︑企業の実体維持に係る利益概念と経済性の尺度に係る利益概念と両
者 の 全 く 馨 れ ぬ も の で 難 と い う ・ と す 殺 わ れ わ れ は シ ュ ミ ッ 套 計 学 説 中 雰 裂 現 象 の 存 す る の 褻 を な さ
ざることをえなくなる︒企業の実体維持なる計算目的と販売取引日の調達価額なる費用計算基準と︑目的手段たがい
に関連すること密接ではありえぬところに問題がある︒販売取引日の調達価格なる基準を以てしては企業の実体維持︑
これの絶対的︑相対的の別なく保証の限りにあらずとの世の指摘︑まさに当を得たり︒
シュミット会計学説は企業の実体資本に係る絶対的維持の学説か︑経営経済性の尺度たるべき利益計算の学説か︒
いずれもすでに世に行われている見解である︒シュミット会計学説に就いて講究するところ如何にしても右の先学の
見解を紹介するの域にとどまるに過ぎぬとすれば︑前出のわたくしによる紮説にはあらず先達の論ずるところに直ち
に就いてその慧眼に係る卓見に聞くに如くはない︒しかしながら︑憾むらくはかかる見解二つながら︑前節末尾に提
出したる問題意識の展開をうながすに堪えるものではない︒シュミット会計学説︑通途の説の教える如くであるとす
れば︑かかる学説わたくしはこれを措いて顧みない︒彼はそもそも︑本質的に問題意識を異にする学説であった︒
この稿をわたくしが筆に上せるゆえんは他にある︒シュミット会計学説に分裂現象を存するの指摘はすでに十分︒
資本維持なる計算目的と販売取引日調達価格なる計算基準と二つの間に目的手段の密接なる関係の存するを見てとる
ことはできないのか︒シュ︑ミット学説はシュマーレンバッハ学説と並びドィッ経営経済学における双壁である︒かか
る学説の中に︑項末なものはともかく大きな矛盾相克を存するものだろうか︒かかる疑問を質さんとする方角にわた
くしは自己の問題意識解明への一条の光明を見た︒すなわち問題は︑先学の足どりと方向において正反対︑実体資本
維持のためにはその手段として一体いかなる費用計算の基準が必要なるか︑販売取引日調達価額の基準はかかる目的
には不適合ではないかと先学のつとにのこしたところの足跡を今またたどるのではなく︑シュミット謂う販売取引日
調達価格による費用計算は一体如何なる資本維持を達成することになるかというものである︒それは企業の実体資本
か貨幣資本か︒はたまたその維持は︑絶対的維持か相対的なる維持か︒
年次決算 薗的観
15
(1)罫巳駆♂".O♂︒お伽乱警冨uコ諭欝巨犀ヨ睾α霞≦覧鷲訂ドい①冒㎡一九二二年第二版(以下においては︑O帯自嘔巳9冨頃酵目
第二版と略称する)︑=五頁︒
(2)留目笛3".O躍書巳8冨↓碑αq窃毛舞げ酵ロ潮冨冒貫一九二九年第三版(以下においては︑望¢︒お鐘警ぼ06溜轟第三版と略称する)︑
=三二頁︒
(3)謡匹戸戸℃O♂国ま一賢魯ゴ旨薯αq鷲貯曵臼農告αゆ︒目岳︒げ露国乱︒ぼ'両貯ωO毎旨臼哩出︒q噂守集ミ芝貯5一九一一六年︑一二三八頁︒(4)辺輿・溶・ロロ断♂壽停霞凶窪℃伽=σq①日Φ写禽8陶or戸編臣コ山毛α﹁訂皆虞聾ユ霧胃9琴砦鵯宅①紹59ωヨ穽賢仲一九七〇年︑二三八‑二四八頁所
収)︑二四三頁︑および留5幕剛幕ごζ.℃ロロ詩言匪8﹁㍊窪(O§7ド騨℃彰≦剛#日彗誤︑≦.編躍即践≦α﹁§冨9牙﹃穿藪①げ︒︒鼠二理訂登Qo葺窪‑
鴨瓢一九七四年第四版︑第輔巻九二七ー九四七頁所収)︑九三六頁︒
(5)即冨回強・,・口δ9鵯三零冨し口臨臼醤第二版︑四九頁︒但し︑本文の計算表中の第三・四・一〇欄はわたくしの追加したものである︒
商 経 論 叢 第22巻 第3.4号 16
(6)曾げヨ幽鮎♂,.O繭①o彊睾一︒︒9Φ口﹂碁国第三版︑一三六・七︑一四二頁︒
(7)費消一単位当りの購入価額に係る変動の有無についてシュミヅトの述べるところ不明であるが︑計算例を徴すれば各期それの一定が仮定さ
れていること分明となる︒すなわち﹁費用財市場においても当然価格が第二期の一・一一五倍になっていると想定されるから︑製品の売上げ収
入から購入されうる実物費用量は前期の八〇パ!セソトとなる︒⁝⁝この期の生産量は︑前期の八〇パーセントの費用財から︑前期の八〇パ
ーセソトの生産性をもって生産が行なわれる結果︑前期の六四パーセソトに低下する︒﹂(田島壮幸︑シュ︑︑︑ット﹃有機的時価貸借対照表﹄に
おける﹁生産変動による価格変動﹂の説明について(一橋論叢第六七巻一九七二年︑六九四‑六九九頁所収)︑六九九頁)筈であるが︑
生産性変動に係る計算例においては当該期間の生産量は前期の八〇%なりと仮定されている︒けだし︑費消量単位当り価格は変動なしと仮定
されているとみる(馬場克三︑陳腐化と相対的価値維持(会計第八一巻一九六二年︑一六三‑一七八頁所収)︑一七二.三頁︑および万
仲脩一︑企業の相対的価値維持1ーシュミヅトの所論を中心としてー(商大論集(神戸商科大)第一一二巻一九七一年︑三七八‑四〇〇頁
所収)︑三九〇頁)所以である︒
ということは・さらに次のことの謂である︒シュミットは自らの計算例に関して国民経済全体に係る数値あるいはそれの一企業に係る部分
いずれとも考えることをうるという(浮ゴ自匹♂戸℃O貯oお︒・三魯げΦ⇔コ計ロN第一版︑四六頁︑および同書第二版︑四九頁)が︑また計算例中
の生産性の変動には謂うところの一般的・特殊的(停︼§剛山計,︑O♂自鴨三巴ゴ①頃ま謡第二版︑一ご三頁)いずれが係るかも不明であるが︑
当該計算例は一企業に関する(田島壮幸︑シュミット経営学の成立口(一橋論集第六七巻一九七二年︑一八‑三九頁所収)︑二〇頁)︑し
かも或る一つの製品商品にのみ係るものにして︑したがってそれ以外の条件すなわち原材料等の費用財の購入価格その他については各期変動
なきものとして計算例にその影響を及ぼせしめぬように配慮のなされているとみるぺきであろう︒
計算例中の第四期に係り或る企業の製品生産量五〇単位を超え六〇単位に達することをえたとすれば︑かかる生産ほかと同一額の費用を以
てなしたる故に︑一単位の費用一・五八となりここに単位当り○・四二︑全部に係り二五・二の超過利益を生ずる(留ゴヨ剛山3評コ︒︒.σqp旨一︒,︒げ.
国ド罠第一版︑四九頁︑および同書第二版︑五二頁)︒これが正常以上の企業を識別する尺度であるとシュ.︑︑ットはいう(留﹃目一山3即㌧望︒
︒鵡帥三零冨ロロ旨蕊第一版︑四九頁)︒すなわち︑費用の計算に係る生産性が︑全体経済における平均的なものと当該産業部門に平均的なる
もの︑当該企業のそれと︑かかる三種(臼げ巳山f,﹂匹霧砕凶︒︒畠︒ぎ穿醤豪詩(里霧一一斗鋒山臼野ま︒冨剛痒巨ロゆq噂しロΦ昏コ\鼠Φロ一九三一年︑六四
‑七六頁所収)︑六八頁)のうちの一般的なものなり(鈴木和蔵︑経営維持の理論︑森山書店一九六二年︑三六頁︑および同書新版︑森山書店
一九七九年︑三四頁︒さらに冨集︒﹂即‑竃曽↓﹃8層δ昏﹁ωロ評富言震げ巴葺躍§飢⁝訂Φ凸舞牙①コ﹀昌ミ︒民睾σq︒︒︒亀﹁︒昌国①昌(O凶oqコ峠①H5昏ヨロ5σq・
︒︒昏毛曾︒蔚9①N田第二三巻一九六九年︑三六ー六Q頁所収)︑四四頁)とはいいえずして︑特殊的生産性︑中に就いて当該企業に固有のも
のたるの証左であろう︒モツクスター(ζo×εぴ﹀・)はシュミットの商品に係りその時々の企業にとっての特殊的再調達価格をいう(ζ︒図伸︒.︑
︾℃Qり昏︒︒雷目會冨ぎ薦暮匹﹀吋薮舞9ぼ(§ロσ第二八巻一九七六年︑六九四‑七〇四頁所収)︑六九四頁)︒特殊的生産性と特殊的再調達価
年次決算圏的観 z7
格と何の遠しとするところあろうか︒
(︑ )越 爵 窮 毒 爵 濃 鶴 璽 藁 バ 鴛 籍 縫 獣 鍵 凱 薩 獲 新 麩 諒 聾 毯 (酬難
箋 郵 ⑱ 二 ㌃ 驚 彗 鋸 釧 嬬 配 鵬 鰹 麺 蕨 鞭 ぽ 酔 驚 略 げ・・仲 ・昌 ・.・ 匿 犀 唱旨 ・・ 剛昌 飢奮 尋 ・ 零 蚤 閑 αミ ︒ 琶 三
(9)
(10)
(11)
(12)
(13) 曾ぎ凱♂岡こO⁝Φ9面僻昆鴇断Φしロ蕾鵠牌
Qり陣ヨ罷計閲ごO一①Qおm巴鷲ぽごコ出帥謬凶
ωo}旨識計司40剛①oお帥議縛げo切σ一置欝
望げヨ嵐ご男こO⁝①oお恥ロ一︒︒oげの切一ぽコ辱︒
留ゲ圏達計男㌧U凶①Oお帥三の07φ匹鑓コ凶
第 第 第 第 第 版 版 版 版 版、 、 、 、 、
(14)(15)(16)Q◎︒冨達峠・男︑080凝β︒巴8ぽ田き国四六頁︒
∵ 雛 織 難 霧 製 蒙 鰹 雛 繕 議 鑑 灘 螺 蝿 蜥 蟻 囎
(19×20×21)留げヨ讐b♂⊆9おき剛︒︒畠①ロuぽ冨第三版︑三五頁︒ノヘ ノへ
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留匿崔計団こU一〇〇触σq帥ロ剛器ザOロロ臨山コ国
ω6ぼ筐計司{O団Φo茜9︒三留ぽoしロ一貯鵠凶
のoぼ目凱計聞ζO団ooお四三誇騨oロσ昌螢コ国
留財ヨ罠計即鴇O貯o門σq騎・巳縛げ①切出阻昌N 五二頁︒
三五頁︒
四九頁︒
四六頁︒
三四頁︒
第一版︑四七頁︒
第三版︑三五・一四三頁︒さらに本稿本文七頁参着︒
第二版︑=一九頁︑および同書第三版︑一四二頁︒
繭弟ご一版︑桶ご山ハ頁︒
﹂灘 簾 難 諜 難 簾 織 講 鰹 緯 鰍 舗 巻謙 蕊 嚢 胤鞭 疎溜︑
≦山登卸臣①昆︒暫Φ︒ぼ茜審轟§農頃・邑刷量bqΦ幕幕(前掲)・三}二八頁・例えば︑藷注(8)に掲げる各議の当該箇所.さらに亨はω琶・︒⁝駐謬℃δぴ露隻'・琶.婁冨咀舞翼≦他編商 経 論 叢i第22巻 第3・4号 18
(30)実体維持のためには︑実際再調達時価を以てしてもなお不充分︑名目利益に課せられる税金支払分も顧慮されるを要す(.︒ロN毛.年≦・
uげω冒§N︒旨ぎ躍弾﹃峯昌剛臣芽こ︒︒︒口幕ヨΦざ・誘冒N塾窪量σ・魯山葭中①凶・・︒象鍾﹃≦編ご鄭陣Φ同鵠①匿㊥ロ︒︒塗旨コ・︑信コ昏ρ㎎・}5竃︒昌・
芝冨げ巴Φ昌一九七三年︑一七五‑一九二頁所収)︑一八一︑一九一頁)︒
(31)田島壮幸・シュミット経営学の成立面(一橋論叢第六七巻一九七二年︑二六一‑二七七頁所収)︑二七五頁︒
(23)本文の如き可能性・これの存するとすれば販売取引の瞬時にのみと量ひとはいう(頃︒中ヨ四コロレ・︒︒・9爵コ笛..冨偉露コロ写.旨
q箕︒ヨ魯ヨ§σq'ピ①ぢ臥㎝一九二九年︑一五頁)︒
(33)ひとあそいわく(§<.ぎ}や︒①書葺藩⁝・鐘鐸一・げ・・蔓⁝藝(田第蕃一九一面年︑三六丁三七吾所収)︑三竺
頁)・﹁﹃価格計算と国民経済とにおける再調達価格﹄に関する彼の著書の示すごとく︑彼の最初の著作に係る青を藻的貸借対照表の中の
経済と転倒してもまたわかるであろうが︑彼の認識の核心は讐的行塗︑れ自体の領域において求めらるぺきである︒﹂またいわく(暮毛.午
葺罫国壽︒・.軽薯一ー.訂琴畜壽養田第三巻一九五一年︑一⊥豊所収)︑五︑六頁)︑﹁ζ‑ットにあっては簿記理論
の問題もまた貸借対照表の霧面の問題も重要ではない︒彼はむしろ経営の生産過程の本質を経済的な見地からながめ︑分析しようとする︒﹂
(34×35)酔雪く︒ざ℃鋭℃O①慧導訂σq臥{h︒ぢ山臼浮甑①寓鼠奮∩げ国津(前掲誌所収)︑三七〇頁︒
(36)帥興く筈軒鋭bQ①三毒訂σq臥購①ぎ畠臼曽三①げ︒︒鼠蕾畠p聞(前掲誌所収)︑三七〇.一頁︒
(37)響く窪ヨ鋭︑φ①鼠壼幕αq二南︒ぎ自醇響鼠①げ︒︒鼠﹁§げ㊤津(前掲誌所収)︑三七〇頁︒
(83)鉾ヨ葺評︒署闘ーコ象ぎ奏三鴇誌所収)︑八=ハ頁︑および同穿︒﹃・・pロ一ψ︒一︑¢・︒臨螢ロN第三版︑五責︒
(39)(40)野ゴ邑瓢計,bΩoミぎロ§山蛍一彗睾①ユ(前掲誌所収)︑八一七頁︒
(41)罫巨金蜀こO即Φ霞鴨三︒︒︒冨ゆ計自第一版︑二〇頁︒
(42)(43)曽げ旨一山r男・團︒oお騨三︒︒︒ゴΦ切一一¢自第一版︑一二頁︒
(44)望ぎ峯℃,﹂)冷oお碧冒げΦ切ロ辞匿第一版︑一四頁︒
(54)誓昼汐︒.尋・号齢Φ℃薯(N田岳第一五巻一九二一一三三年︑一五〇⊥五五頁所収)︑蓋三頁︒
(46)ω警ヨ一匹許即LW辞旨蓄#剛里﹃ロおφ鼠導彗畠田ドロN琶暑①﹁9コαq(前掲)︑三二頁︒
(47)ω畠日一山r即愉浮吋σqΦ器魯8勺H①謬(前掲誌所収)︑一五三頁︒
総 雛 讐 諜 鞍 雛 憧 醍 顧轄 艶 韓 機 蕪 繋 ︑鑓 難 麺 山騨 無
二頁所収)︑九七頁︒
(50)(51)留﹃ヨ聾b,唱ロロ詩謡幕3ゆま震σq①琶嘗ロロ山切凶﹃・N自ヨ幕﹁ε置(前掲)︑六五頁︒
(52×53)即ぎ聾b勾4望吋σq雪8ぎ①℃門︒冨(前掲誌所収)︑一五三頁︒
(54)Qo鐸巨置♂聞こU器︒﹁題昌野密ロロ貯自第一版︑五五頁︒
(55)留げ巳山♂聞こ900お彗ぎ7①切貯旨第二版︑一四三頁︒
(56)(57)(58)留ゴヨ弾b即馳浮﹁αq①冨︒誓①℃冨一乙︒(前掲誌所収)︑}五二頁︒
(59)留ぎ弾騙戸℃じdぽ蕊(oお自︒謬闘器ず)(Zざ聾8貫軍編頴撃恥≦α﹃け臼暫魯奇﹁留三Φ窃毛馨8訂鈍ω言鴬讐誹一九二六年第一版︑
四六1=二五一頁所収)︑一三四八頁︒(60)岩田巌︑有機説における会計と財務の交錯ーシュミット会計学説の一考察1(商学研究(東京商大)3一九三四年︑
二買所収)︑二九八頁︒
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森田哲彌︑期間利益の分配可能性と尺度性(前掲誌所収)︑二四五頁︒
留巨ヨ繊3司←U笛O噌σQ師昌虜Oげ仙じロ臨帥ロN皿第∴版︑五五・山ハ頁︒
留巨呂箆お聞JOすO門㈹銭二9ゲ①ロd出騨雛国第一版︑五六頁︒
望げ旨断儀r即℃ロ興ひqΦ器簿$℃噌①牌切(前掲誌所収)︑一五二頁︒
森田哲彌︑期間利益の分配可能性と尺度性(前掲誌所収)︑二九七頁︒
田島壮幸︑シュミット経営学の成立㊧(前掲誌所収)︑一一七五頁︒ 第一巻一三
二七九‑一一二
三︑シュミット相対的維持
年次決算目的観
19
シュミット会計学説を特徴づけるに︑一つは企業の実体資本に係る絶対的維持なる計算目的を以てする︒これはシ
ュミットの掲げる前出の計算例に徴してなされる︒かかる観点︑しかしながら彼の掲げるもう一つの計算例にも妥当
するか︒この計算例においては︑製品護量の毎塑定が仮定されて窺・にも拘らずこれに対立すべき国民所得に
係りその水準に変動のあること︑シュ︑︑・ット謂うところの所得インフレーション・デフレーション(康蒔︒日日Φ鼠甦即
ま ; 暴 9 が 予 定 さ れ て い ド ・ こ こ に ・ 購 買 力 に 変 動 の 生 ず る レ駄 詳 即 ち 製 品 販 売 建 変 動 の 生 ず う ﹂ と が ・
したがって毎期一定の製品生産量のもとその在庫量に係り変動が予想されることになる︒すなわち︑企業の資本が量