――目次――
1,
卜占について,松岡静雄,Shidsuo MATSUOKA,pp.1-10.
2,
所縁行相の方面より見たる阿頼耶識概念の展開(承前),東田大童,Daidō HIGASHIDA,pp.11-32.
3,
開闢神話の構成と神々の追加(上),原田敏明,Toshiaki HARADA,pp.33-54.
4,
未開人における宗教経験の一研究,所謂 mescal visions について,古野清人,Kiyoto FURUNO,pp.55-67.
5,
敦煌本瑜伽論手記について,諏訪義譲,Gizyō SUWA,pp.68-89.
6,
雲と海とによるバプテスマ,児山敬一,Keiichi KOYAMA,pp.90-111.
7,
イエス物語の追求,共観福音書研究の最近の傾向,三枝義夫,Yoshio SAEGUSA,pp.112-122.
8,
宗教的イディオロギーについて,唯物史観の一覚書,丸川仁夫,Hitoo MARUKAWA,pp.123-130.
9,
宗教民族学の資料と方法とについて,宇野円空,Enkū UNO,pp.131-137.
10,
近世宗教思想史に現はれた理性尊重主義と感情尊重主義の運動
,
主としてウェスレーの運動を中心として,桜井匡,Masashi SAKURAI,pp.138-152.
11,
ヘルン文庫を観る,長井真琴,Makoto NAGAI,pp.153-157.
12,
新刊紹介,pp.159-167.
Posted in 1930
(昭和5)年
松 岡 静 雄
我上代人の卜占徐については、倖信友の正卜考を始め、先導の考澄が少くはないが、宗敷革的
説明が輿へられて居らぬので、甚物足らぬ心地がする。出典、滞義、嘉式、沿革等を研究するこ
とも極めて必要ではぁるけれども、我々が第一に知りたいと思ふことは、宗教的行事としての卜
占の本質と、之にノ関する上代入の観念とである。近時之をダイナマチズム︵物力信仰︶の一現象と見なすものがあ㌻ク、此語が輿へる概念如何によつては、私も之に同意せんとするものであるが、
西洋の畢者の詭であるからというて、漫然之に附和することの出家ぬは勿論、促に理論上間然す
る研がないとしても、我上代信仰にも此見方が適合するかは、賓詮に待つの外はない。私は先つ
ボクセン
言語畢上から考察を試みようと思ふ。
ト占はいふまでもなく漢語で、我々は曹遁タラナヒといふのであるが、ナヒは活用語尾である
から、語幹はタラであらねばならぬ。タラには裏といふ意があるので、裏を察し表を澄する義な
hツーこするのが通説であるが、卜占は必しも物の裏面を察する為に行はれるものではなく、寧ろ表 卜占lこ つ いく卜 占 に つ い て
メ≠古両に現はれた宰相によ㌔正嘗往列断を下さんとするものであるから、之を某と名づけることは
出狙ぬ。我々ほ出水る限♭、語原を我国語の範囲内に求めることに努めねばならぬが、不合理を
甘んじてまでも、国語の凋特を主張すべき理由がないから﹂之を求めて待ざる場合には、誇隣民
族語から類似語を物色して、其原義を考察する必要がある。私の知る限りに於ては、バラク語で
0000 ほト兆をタラオクといひ、中央カⅤリシ語では人の鰯に占することをタラボエといふ。ガエ︵ブ エ︶ほ乗務といふ意で、タラ︵イラ︶ほ謂の鶉であるから、国語のタラも恐らくは之と同原から出たのであらう。若し然うとすれば原義は判断といふことで、之を行ふことをタラナヒといひ、之
にあはせる▼、とをタラヘ︵り二フ・アへの約︶といふのである。0
タラナヒ又はタラへ打点には其種即ち占断資料となるべき事物を必要とする。之をケといひ、
ユフケ タ占の如く用ひるのは顕著の義によるものであるが、之から出たカタ︵カはケの原語︶といふ語も象兆を意味する。ケ又はカタほ天痩地異其他の自然現象又は夢想の如き精細現象にも之を求め、
或は政令事由又は特定の品物を之にあて、其によつて檎占、造往古、辻占、足︵葦占︶、山菅占、石占、肱︵準占︶、米︵飯︶占、琴占、次占、警、婁等と耕へ、或は駁撃亀の如く文字を以て
之を表示することがあるっ
占術の室田については、フトマエといふ語が之を暗示するのみで、次のやうに用ひられて居る。
二 卜占lこぅ高■て 劃貯ノ †マニといふと詭き、繹紀師説に太占讃一恵町一竣工甲大鉢衰也としたのは、後記の亀兆惇といふ書
︹鱒占︰於是壷紳議云、今春節塾之手稲鮎、滑宜白兎紳之御所︰帥共重義矢神之命︰爾天紳′
之命以、和恥肺紗爾卜相而詔之⋮享。
†−丁ト︹晋︺於是天皇忠勝而御藩之時、野手御夢白、修三理我宮知夫皇之御争者、御子必兵事登波
牟、如此螢時、布斗摩邁爾占相而、求−両軸之心︼⋮・・⋮。神代紀には太古といふ字をあて、此云海刀磨撃と訓証してある。日本紀私記に鹿肩骨のト哲ス
物の寵に或はされたもので守るに足らぬが、マテを任︵隻︶又は訂肝︵守部︶与る読も、上文 ヤ†○ の語艦上肯定し難く、7トマ
ウラシp 資料、即ち占料であらねばならぬから、現用語以外に英語原を物色して見る必要がある。之と陶係があγりさうに思はれるのは左記三語である。
了アユ。−1蓼骨法則上:となる。†はマジ︵禁厭︶の作因たる細入以外の室物を意醸する廃 語で、アニは宴魂の意のミクワネシア語であるが、オニと樽呼して我観に於ても幽魂︵鬼︶の義に用ひられた。−夜叉、羅別の如きものをオ⋮稀へるやうになつたのは後世の樽義で
ある1されはマの塞といふ意を以て三と呼ばれるものが卜占を掌ると宿せられたことも
あり得る。 卜占に つ い て J ▲ ▲ ヱ47下占lこ つ い て 四 マナ。− 調和カを意晩するメラネシア語で、之を有する品物も亦マナと辟へられる。キーンに ょれば美原義は﹁要具﹂﹁紳通力あるLといふこよで、フィジー、サ薫ア、マオブ人間にも用 /
ひられ、其用法から見ると、同語のマジと頗る趣を同うし、他人を益し若くは之を草する作
用をも併せてマナと稀へるから、或は上記と語尿を問うするものであるかも知れぬ。 ↓マヌ。−1禽就中家弟を意唆す右ガタネジア語である。天岩屋β倦詭七常世長鴨島を集へ鳴か
しめたとあるのも、日出を促すかいふ憲政の外に、此鳥︵家弟︶の鳴饗によつて拳奥の可否を卜したことを暗示するものゝやうで過るから、其大なるものといふ意を以て、フLrマニと耗
へたのかも知れぬ。私は鱒−の解辞に徒はうとするものである。何となれば高天原の神々もフトマニに占ふことを
要し、夢枕め現はれわぃ潮境をも之に問はねばならなかったとせられた所を見ると、卜占の宴典は 醐以外のもの1カにかる/とせねぼならす、紳を除いて超人的窒カを有するものは、マの外にはな ウラ、バ いからで⑯針ゾ遮書式由時祭卜御燈の健下並に蓉宮新年祭大敵十七座中にト庭攣一座とめるのは祭紳は吼にもあれ、卜占嗟を鎮護する紳で、卜占の紳を意療するものではない。江次第は御捷御
占、紳戒宮人鼻朔日l籠義軍過去詔声明紳−とあり、碑名帳に左京二億坐紳敢二座として太詔月命紳、久慈鼻密輸醐竜を並び端げて居る所を見ると、之をト庭癖と稀へ牒ものと思はれるが∵後紀
〆 ′ J名9亀兆侍に太詔β紳を天櫛待︵久慈眞智︶紳ノ女島津比東命の一名であるといひ、新撰亀粕記に太詔
ハハカ 声調敵を亀本敢、櫛問智醐を母鹿木調也、一云櫛玉命としたのは、俗歌取るに足らぬ。クシマチ
、1チの命は尊卑舟艇に藤原氏の遽剋紳魂命の子に櫛鼻孔魂命とろるに皆盲︵クシは婁奇、†チは御ま
ハラヘフトノりトコト
の意︶、太ノブトの紳は紳代紀一書に天見屋命が解除之大詳解を掌ったとあるから、此紳の別戟
とすべきで、卜占の事を管掌した中臣氏の組紳が卜庭に鏡祭せられたことは有り得るが、其故を
以て卜占の璽因が二醐にあるとすることは出水ぬ。
卜占ほ我国に於ては主として紳慮を聞くために行はれるのに、何故に直接軸に問はすしてフト
マニに問うたかといふことは大に研究を要する問鴇である。人間と紳、就中剋醐との交渉は太古
に於ては極めて密接なものとせられ、夜間燈火を焚いて蔵人が集合し、浮憐を備へ、歌舞を奏し
て和室の降臨を請ふと、随時に出現して所要の啓示を輿へ、禽集と軟欒を共にするものと宿せら
れた。此は決して私一個の垂想ではなく、天岩屋βの記事は其光景を叙したもので、現在に於て
も萄敢の祭には多く其面影を止めて居る。禽衆は火光明滅の問に頑の姿を見、時としてほ紳の畢
をも聞き得るものと信じ、・−盛らくは異常の興奮によつて幻親幻詭を逸したのであらう。少くとも族長ほ自由に紳に接近⊥得るものと考へたので、紳慮を知る事はさしで困難とせられな
かった。然るに人智が進むに徒ひ、幽明の疎隔ほ金主大きくわアり、直接の啓義は勿論、耕夢轟宣
卜占lこ つ い て ∫4クl
六
ト占lこ つ いーて を仰ぐことすら稀有になつたので、随時紳慮を問ひ得るやうに、フト了−を介したのであらう。右の如く観察すると、我民族に謝する限り、卜占は第二次生の宗教行事で、ア⋮チズムに先
行するものと見ることは出凍ぬ。或は諾禍二尊侍詮に見えることの故を以て、原始宗教観念とす
るものがあるかも知れぬが、此苗は二紳に託して性交起原を叙べたもので、良貨と見ることが出
奔ぬのみならす、フトマニに占ふ程ならば、憩々高天原へ締らすとも、此国土に於て事を辞する
告であ㍗り、造物まと目せられた此偉大なる両軸が事の盲凶を判断する婁カを有しなかったとする
のも、理に合はぬことであるから、或は紆天、卜占を説かぬ紀の本文の方が虎侍に近く、記及紀
︼書の所説は、卜占術が敬遠した後に於て附加せられた挿話でぁるかも知れぬ。
ユワラシp 占断資料即ち占料に関する最初の記事は古事記天岩屋βの尊下の左め一節である。0
00 寧天見屋命、布刀玉命南、内敦天香山之眞男鹿之肩︼披而、取夷香山之天汲準大名而、争占令麻迦郵汲一而⋮⋮⋮⋮⋮。
卒爾に之を読むと、眞男鹿之肩と天汲々迦とが占合の材料であるかのやうに見えるので、亀卜術
橡入後之に引つけて、魔の肩は肝骨を意味し、之を灼く鰯に汲々迦といふ木を用ひたと解辞せら
れ、秤日本紀によれば私記にも上古之時未知亀甲︰ト以鹿肩骨l両用也,謂乏フトマニ︼とあり、亀兆侍といふ書物には高天原に於ては魔の肩骨を灼いて占うたが、不確賓であるので亀甲を用ひ
J上砂るやぅになつたといふことが、神格化せられセ白兵男鹿と、亀の精なる大詔月命との話に仮託し
て、舌言を交へ、青侍訣の辟旬を引いて叙述せられて居る。平安朝に於てすら右のやうな憶説が
行はれたのでぁるから、後世神政等に於て古式に法るものとして、賓際に鹿肝骨を用ひるやうに
なつたのは奇とするに足らぬことでぁるが、之を澄披として青侍を解辞することは出凍ぬ。古書、
就中郁代侍設を青むにほ、一書の東のみに拘泥せす、他の諸侍と比較して異同を生じた理由を明
にし、且鮮句を分析して其本旨を推究することを要する。−此見方によれば古事記.の侍承は必
しも虎詭ではなく、補綴の痕が嶽薯である。此事については私は近く一静文を蓉表して江湖の敦
を仰ぎたいと考へて居るーー此立場から私は上掲の一節に就いて研か検討を試みる。
0 天岩屋月の神事に虚を用ひたことは紀の一書︵一︶にも見えるが、螢効表名鹿之皮l以作夷羽撃フィガウ
とある。羽韓は吹革のことであるから、之に虚皮を用ひたことは有ら得るが、勿論卜占には関係
附なく、汲汲迦についても他に所見がないから、記の記事は全然別個の一兵侍と見るべきもので
あるのに、何故に紀に之を峻厳しなかったかといふことは一考を要する問題である。日本紀の編
者が古事記の存在を知らなかった筈はなく、記紀雨音を並び行はしめる方針でなかったこぅも明
白であるから、之を棄てるについては細管に考慮が暑されたものとせねばならぬ。記のみに見え
て紀の本文及一書のいづれにもない記事は、之ばからではないが、仔細に研究すると、其々理由
卜占lこ つ い て ∫∂Jのあることで、其感度の適否はともかくも、決して粗洞杜撰の結果ではないから、此一節も亦史
官ぉして首肯せしむる,しとの出凍ぬ黙があつたものと思はれる。恐らくは卜占の目的が判明せサー1寒奥の可否を卜する虜ならば、最初に行はるべきで、常世の長鴨島が之に用ひられたと思は
れることは上述の通らである ー▲内攻にした眞男鹿の用途も不明であるからであらう。内﹄故天香 ○山之典男虚之声紋而とあるから、天香山之天渡波迦と同一用途に充てられたものであらねばなら
ぬとま張するものがあぁかも知れぬが、﹁而﹂の字を以て次の事項と結びつけたのは此ばからでは 0 0 0 0なく、以下にも争占合威迦都政︺而、取壷自丹寸享有丹寸事由、布斗詔β言藤白面、際立声紋繭
等の如く、必然句の切れる夙をも亜く此字を以て接薦して居るので、若し蓮績観念を表示するも
のとせば、轟く裳鮨夢垂於番軍也にか∼らねばならぬ。私記以下の設は上下を儲けて讃んだ焉に
ヽヽヽ0000 生じた誤解で、萬乗集第十四肇の﹁むさし野にうらへかたやき﹂といふ歌をも之によつて設かうと カタヤキ したものがあるが︵奥儀抄等︶、此カタヤキは肩焼ではなく兆灼の意である。 靡肩骨を卜占に用ひたと説くものは骨、貌志倭人樽に其俗拳レ事行凍有レ所芸多趣灼ゾ骨而卜、以 占壱凶発声炉卜、其鮮加こ令亀法り成東耕一占兆とあるを引覆するが、此書に謂ふ倭人は昔時九州 地方に古住した異民族︵恐らくは海人族であらう︶の事で、大和民族を意晩するものではないのみ なちす、骨とあるからというて直に虎肩と断定することは出務まい。、親先の遺骨に重力があると 卜占に つ い て 凡 ∫∂βして之を珍襲する習俗は今も南方人に於て之を見ることであるから、此骨は人骨であつたかも知 描
れぬ。蒙古では古家羊の肩骨を卜占に用ひるから︹薩藩政別記︺、夙に我国に侍ほつたこともあり得 べく、伊勢貞女が横賞したのも︹正卜考︺英一片と思はれるが、血の穣を最も忌むペしとした上代の ウヅヌキ ○細事に、内政にした鹿肩が用ひられたとは考へられす、肩は必しも肩骨を意簸せぬ。然るに新撰
′ ○亀相記といふ書に鹿之肩骨内攻々出とし、不レ剣r皮而取也と註したのは思ひ切った憶断といはぬ
ばならぬ虻 ハカル 之を要するに占合に用ひたのは汲々迦のみで、ハふカは謀の語幹♪カの塵頭語であるから、†占用の木に此名辞を奥へたものと思はれる。其用法は不明であるが、狩谷統率説の如く白樺の古
ウラシp 名であるとすれば、其内皮は薄膚をなし、且斑鮎の多いものであるから、卜料とするに遺骨する。延書式臨時祭に凡年中御卜料軍政加太皮、仰東和固有封敢−令痍準とあるのは、奥儀妙によれば
亀甲を灼く袋に用ひられたもの∼やうであるが、恐らくほ亀卜法藻用後之に特用せられたのであ
ら,フ0.右の如く一定の材料を用ひるやうになつたのは、卜占術蓉蓮の︼階梯で、憂に進んでは人工を
以てカタ︵兆︶を現缶するやうになり、カタヤキ︵兆灼︶といふことが符はれた。左の古歌が之を澄 明するb 卜占に つ い て之を肩癖とすることの非なるは上述の通わで、兆灼の義とすれば灼かれるのはタラへであらねば
ならぬ。タラへはタラハ︵占糞︶の輯呼で、革質の潤尭を焦がすと色々の象が現はれるから、之によつて占師しセもの∼やうである。舌の歌のタラへに何の稟を用ひセか判明せぬが、冬青科のタ
ラエフ︵汲慮樹︶の葉は最も之に通するので、中園地方では今もガクッキ葉と稀へて見戯の用に供する。亀卜も亦此種に属するものであるが、唐土侍凍の法なること明白であるのみならす、庶民
の日常の卜占に供用せらるペきものではない。
私は目撃卯㌢等の上代占法ドも言及するつもちでぁつたが、輿へられた紙数が曹長から、
後日の横合に譲ることにする︵四月二十九且。 卜占lこ つ い て ヽヽヽ ︹竺四︺ 武藤野にタラヘカタヤキまさでにものらぬ君が名うらに出にけ♭ 丁† 妄〓五︺ ⋮⋮ゆきの海人のほつてのタラへをカタヤキて行かむとするに⋮⋮・・ 一Q J∠撼今まで遽ペた所は、大健世琴二十項以前の経論の重要なるものに就いて、所縁行初の方面から
阿頗耶の概念を明にしたのであるが、進んで斯くの如き所説を背景として世親ほ、唯識三十頭の
中に如何に之を纏めたかを見ねばならね。三十頗に於いて、阿鰯耶識の所縁行相を同港とせる頭
句は、
監室戸まditpkOp到di邑l到n葛琶pptikp巨星t象、といふのである。此の句は以前に見たる経論の中で何れの部分に基いて纏められたかと云ふに、
第一に此の頗句に於いて現はれて居る所の不可知︵藁乱瓦.di訂打p︶及び虞︵邑碧且等の句が、稔 伽五十一巻即ち決定蔵諭︵又は顕揚聖教論第十七巷︶の節線行相を問題とせる併に明に現軋れ、解深密鮭の節婦引用文には明かに現はれて居ないといふことが注意せられる。そこで世親は1南東
断線行相の市野与り見辛ろ阿輯耶織機念¢展開併緩行相の方面より見たる阿戯耶識概念の展開︵承前︶
唯歳三十額
東 田 大 童
J∂き芸
席緩行相り方面より見玉島阿轍耶級概念の展観
五十一番の内外に分ちて述べられたもの・に基づいて、此の頗旬に纏め克ものではある皇いかと推
沸せらるゝq 然らば此の頚句を如何に解辞すペきか。先つ之に対する玄英謬を示すと、﹁不可知執安藤T﹂の 七字で、梵文に嘗てはめると、不可知︵琶賢iditpkp︶執受︵首監i︶虜︵賢阿且了︵5.篭芹p︶となる。さて此の一連の複合詞に食まる∼世親の眞意は如何といふ問題に移るのであるが、それ
を決定するためには、頗自身として覇立に考へることが非常に必要なことであるけれども、然し
目下の我々には困難であるから、上述の経論と此の頓に射する諸家の註繹を根墟として、其の最
澄を探求することにする。此の探求のために、その一助としてlニ十頚の異謬光る異諦繹の帝議論
の文を出すと、
問此紙何相村境、答相暮劃期不
開署腎云何知有、答由事故知有此汲、此戴能盆一切煩悩発見報事、嘗郊忽明云々。︵大正綬、三丁六一貫︶となつて居る。此の文の中﹁相及墳不可分別Lの七字が、前の一連の旬に舶嘗する。此の句の意味
は﹁阿腰耶識の鵜及び境は了知し難し﹂と云ふことで、次の﹁一髄無轟﹂の句は梵文安志繹や成唯識
論等に於いて現はれて居る所の﹁阿頗耶識は身健々掻給し安危を同じくするLと云ふのに相督する と思はれる。そこで此の﹁粕及境不可分別Lの句を更に細別するに、此の﹁不可分別Lの四字が琵▲ 梨好診5▲ditp打pに梱督するとすれば、﹁相及壕﹂の三字は他の 尋賀・邑−ぎP黒ずp声の何れに該督す ヽ ヽ ヽ ヽ ヽヽヽヽヽヽヽ る評語であらうか。思ふに此の粕といふのほ、此の場合、阿頗耶がはたらくすがたといふ意味で、 ヽヽ
焚譜の欝腎pに細管する。玄炎は此の註皆ず一軍諾するに巧にも行舶といふ琴ぞ用ひて其の意療
を表して居る.。若し斯くの如く粕が許腎pであるとすれば、此の場合の境は、勿論玄焚謬の所縁
︵欝mヴ巨エに該督するものでなければなちぬ。此の拳は已に見たる稔伽五十一巻の雨謬封照の文
ヽヽに於いて、玄賛辞の所縁に相督する異講評の語が境になつて居ることからも推測はつくことであ
る。斯く見て凍るj、此の﹁鶴及境Lは玄共謬の﹁行相及所縁﹂に皆るもので、土掲梵文の何れの評 語でもなく、却ってそれ等を意凍上より紐帯Lて示したる註繹的謬出である。斯く梵文の握監∵賢ぎp・孟許苫の三語が、所縁行初の二つに該恭されるとすれば、其の何れ
が行細に、何れが所縁に威するかを吟味せねばならぬ。此の三十頗論及び博識諭にあつては、文
ヽ 簡略にして其の意味の把捉に苦しむが、之を前掲喩伽の文を根接にして考へると、畢諦謬では持 ヽヽ ヽヽヽヽ叉ほ執着を以て阿超耶の重要なるはたらきとせられて居たから、それに細管すると思ほれる併の
ヽヽ 畠註︵占p劉d勘np︶はその行相に属する様に解せられる。廃し玄奨謬では、了別︵鼻音p叶i︶が其の ま要なる行粕で、執受︵月計訂阜︶はをの目的格に置かれて居た関係上、名鑑iは靡終に属する如 く解せられる。盛︵筆削毒︶は両者共に傍線として異論はないが、了別︵孟出馬ti︶に至っては、 併厳存相の方面より見余る阿柏耶哉概念の展開 ∫占ア遍
節操行相の蓄より見吉阿驚鼓慧の普
玄警はま要なる行袖にされて居るが、異諦では一向其の意味が浮出の貴明にされて居らぬ。 ヽ
然し博識諭の前掲の文の中に1阿麒耶識の存在は、恰も無明の如く、煩悩を生する単によ老知
らるLと云って居る所の事︵;ラキ︶が、前掲の一決定衆論に於けるが如くそれに細管するかとも ヽ考へられるが、然し之も註梓的意霹で直接竜骨の慧とは考へられない。けれども此の璧
の竜宮は明かに行初の部類に威すべきもので、それは悪に於いても霊のない所で雪う。
ヽ 唯不可知︵琶旨旨kp︶だけが、前の喩伽の誉では虜のみにか∼る形容詞の如くであったが、 ヽ警は博識諭の文の如く所管行警にか∼か隊に思はれる。此は多蛋親が唯零畢の根本命
塩雪1阿陀芸は深紳官﹂といふ警考慮して、その所縁行箕に分別し警警﹁不可知﹂
として苦して要のであらう。斯く考へ呈で此の壷の複合詞に含まれる世親の最澄智ば、
悪評に基づいて洗って見ると、1阿戯耶識は内には執受し外には警了別する、而して所縁行相
共に不可知で雪﹂といふことに雪が、玄莫謬を通じて考へると、1阿超耶識は内部の執受と外
部の盛上め二写別する、而して所縁も術細長に不可知である﹂といふ霊に篭。此の雲
の中で世親の真意は、列警決定は出慧が、後者の方よりは、むしろ前者に近いのではないか
と考へられる。此の雪間の相違は、魯iが巷ptlにか∼るか香かといふ鮎である。此祭 ヽ
監の焦鮎になる併で、此の息⋮︵阜旦の解禁何が雨着のま張の頼漕要す警ある
∫おと思はれる。此の事は次に述べんとする梵文安慧滞と、成唯識論とに於いて詳細に考究すること
とする○梵文安吾繹
最近シルダァン・レブヰ教授によトてネポールより馨見され、一九二五年にフランスより出版せられたる此の繹は、隷想外に小朋なもので、然も所論も成唯識論に於けるが如く煩雑を極めたもの
ではない。我国に於いても高柄、荻原両博士の謬も已に現はれ、今日で粛三十頗研究としての最
も根本的資料の一となつて居る。安慧は前掲の頗句を辞するに替って、先つ前述稔伽五十一に基
づいて、殆んどそれを引用せるかの如き文が見受けられる。即ち梵文︵レブヰ教授出版本︶第十九 が就かるべ与−でぁる。何ミ光れば、無併線戎lミ無行相の戎ほ可能光らざろが故に。耳lこ彼の識は無折線或ほ無行相ミ云托れ 頁に、 Y乳ip声量ti意群雲宣i乱打l巴n巴a苫鼻研ぎ巴守邑ごatOゼぎE訂n巴声欝琶.〇忌古村す童阜\ mp已n訂訂Eb嘗P卦nir裟㌣r旨急呈欝np臣y且箋︷ミロ乱Y:呂ロi邑冒b琶p巨nir宗野p許↓段苫t三日払二乳首・pp弓icc罫≡巴冒b琶欝腎p首、日計好一
冒盲早ご塵息d註竜凰登旨をd註訂p雲邑ate、乳首竺mam u官d野鼠j許ptぎb鼓rd訂︰げ胃ぎ鼓nn欝ぎb鼻呂雪苧 評富t卦p、蛋賢d首禦2冒up毘ぎp許p罵ik弓Pitp等ag賢欝已niゴ臥p忌旨n打払dbi溝gn巨indr官皇宮巨象旨ニュ r著・し樗識︵安慧は前六識を意味す諸法の椅哉ごl工具る︺みほなれて阿頼耶識がぁるならば、然らば阿頼耶識の所縁叉ほ行相 るのでl‡なくLて、節線も行相も、不明瞭なり三富ほれる。所以li如何。帥ち阿轍耶識は二更にこ略ずろかちでぁる。内部で 断線行相り方面より見王る阿粗画趣無念め展薗 J戯l=ハ
所緩行相望苗より見上る阿租耶武概念の展開
比熱受の了別から︵轄亡︶、外部では不明瞭な行相にょりて券の丁別から︵樽する︶、モり申で内部の執受芸ふのに邁計所働の自性に、執着†る習嵐ミ、俵蕗ミ陽光る免租ミ名ミでああ。﹄
と述べ、次に本頗が出さ、れて居る。此の引用文のkil芸弓・蔓ヱ所以は如何︶以下は吾々が已に見たる決定減論に其の位基づいたものと思はれるが、最後の名︵昆きこよ云ふ吐けが特に多い様
である。然し名ハn旨巨︶は色を除きたる心的方南即ち開港に怒号ると考へらる∼から、之が附
加せられて居ても、其の考へ方に彼方的の相違を凍すほどのものではない。此の引用文は本薗の
前に述べられて居るもので、安芸としては、此は本頗を解辞する根披として示Lて居ると思はれ
る。即ち彼は次に本頭の琵乳首1dlt賢琶ldi邑1詳ln豊富−1k邑⋮t乳を出し之を繹して日く、 置き賢賢愚dir−竃min琶賢d匡賢邑賢ゑ茸首s︸己nlを首鼠膏宣⋮覧鼓臣首註登ざ意音i打邑、 1不可知の執警虞の丁別孟有言L昆、かの阿頼耶鼓が不可知¢敬愛の俄雪光り、不可知中庭り了別り俄雪誉こミでぁる。
即ち安悪では本頗を二つに分けて考へて居る、T阿藤耶識は不可知的に執受する根本的賓在であ √−11 り、二不可知的に虚を了別する根本議であると云ふのであるQ変に進んで彼は此の二項七細かく ︶︵
説明して居る。先つ第一去嶺の怠diを説明して之はu嘗浮ln芸あるとして居る。此の昆d冒
111111
ヽヽ
るもの即ち封墳の意味か判然としない、然し直接彼の説明叙述の上から見るに、むしろ此の両者 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
才β0を食ませて居るものと考へらる∼。此の事は印度﹂般の考へ万札習慣であつて一語に過程とその
ヽヽヽヽ ヽヽヽヽヽヽヽヽ結果、又ははたらきとそのはたらかれるものとを含ませて表現せらる∼のが常である。故に亡や
監賢pには阿戯耶識り能執受の作用と席親愛の射場とが倉よせられて居る。此の後者即ち所執受
の封境は此の場合に於いては紋も亦二つに分けて智東と朗俵となして説明して居る。此の中、智
東︵象彗且より説明して日く、 。p監賢邑u芯di甘mp苫n急tm註註合筆凶音pt r甘藍id訂rnlp註已海象呂抑$、tH旨db試■巴賢叫邑j研ぎe︻致m註註首0 首盲di寡言a㌻訂r宣毒さp芸ニ︷〓ptノ・野呂ぎー巴i隷葺ぎ賢品等l]iYik弓pぎp15.eつ芯寧i︷叫ue首e\ up巴ご﹂にl︼p㌫許p でぁる、それ︵執受︶は復㌔我等の分別の習嵐ミ、色等の法り分別の習嵐ミでぁる。此が存†ろが故 に、阿岡部誠によりて、我等の分別ミ、色寄り分別ミが、具陳与して観せられる。是lこ由て我等の分別ミ色等の分別ミの習 嵐が執受三雲はれるゅであろ。b即ち此の女を要約して云へば、我等色寄り妄執分別を起すの因、即ち習窺を阿頗耶識が執持せる
ことを示すもので、前に﹁偏計桝執の自性に執着せる智東﹂と云ったもめを疲では更に我法二執
に開いて具憶的に説明して屠るものである。此の鮎は奥講評の﹁画展耶識は邪我見習勢力に執着
する﹂となす瓢に似通って居る。 次に、所依︵乳コ〆yエを阻にして日く。 軒P⋮賢n邑=意di三乳r蔓苧︼賢賢㌔︰抑妻号⋮・1ニn鼓箋号︼il昏−⋮ミ1ぎ苫pu琶鼠u盲罫書11p宅n亭 鼻 筋縁者相¢カ村上り見㍗る阿観取鼓概念¢展訊 J6J︳日e訂叫◇加古儒m邑怠n:乳薫別di三 r申して執受昆、所管軌持するこ盲である。所儀ほ自慢にして、俄雪倶誉色警、警でぁる、更にそれが︵自憾を︶ 軌受†る=ミ即ち待生する=モー1、空して安穏なるが故−こそれが執愛でぁる。b
?享㌔阿頼耶識の所依ほ一般的に云へば身髄である。此の身髄を執持することは即ち趣に生
することであつて安危を共にし一億主ろて居る、樽識諭に﹁一億無讐主雪て居るのが之に相
督すると思はれる。
以上の智東と所依とが阿頗耶識の執♯する射場である。
此の智東と併依とを阿頼耶が執持するについて、安慧は之室一界に約して述べて居る。其の要
を取って云へば、欲色二界に於ける阿鰯耶は此の二を執するが、無色界に於いては色が存しない
から名と、智東としての色だけを執するとe此の革も解深密経、及び決定寂諭等に其の塩基つい
て居る。最後に、1虞の了別﹂といふことの説明は、単に1器世間任所の了別﹂︵s夢削n孟茸tir−b尋琶lOk蔓ぎi泉豊雇−音︶と云ふて居るだけである。漸くして阿頗耶識の所縁及び共作用は不明
瞭であるから之を1不可知Lとすると説明して此の問題に射する大髄の滞を終って居る。以上の此の安慧の将に就いて考へるに、執受︵息dぎp︶は、阿戯耶が自己の所依たる身健に対
する作用である。今、前掲の経論に就いて述べた所から、暫く阿腰耶と阿陀郊とを別って考ふれ
斯織布相の方面より見来る阿報耶哉概念の展開
Jββば、此の場合も表面上は阿頗耶の説明ではあるが、内賓はむしろ本務の阿陀耶︵削ぎ且といふ賓
在の併用と見るが適切である。阿頗耶︵巴蔓︶としての直接の説明は、梵本第十八頁に、 ざ言二琶言邑毘料−乳訂dh≡J賢j邑︼ぎ賢聖賢箋三巴py与旨腎琶itご登ま官u、 凡ての餓染沫の種子の任所㌣るが故lこ阿頼耶ごいふ巴寧苫ミ賢紗冒せー‡同義語でぁる。 at訂Y賢苫nteup冒ib乳首邑e寧日i−1Sprヨdb宅急一︸村腎苫b訂扁nミ 或は叉、此のものゝ中lこ於いて、︼切の諸法が、奥の状態写して、簸ぜられ、執せられる。 邑邑叫宣eup鼓b乱b宣e試rぶpb訂鳶np琶Y乳訂rmeマit句ふ︼蔓凰こ 或ほ、彼︵アラヤ︶は乱の状態ミLて、諸法の中に蔵ぜられ、執ぜらる、ミいふのが阿轍耶でぁる。と説明して居るのが相管する。即ち、技では、簡裁と、所蔵との意味が述べられて居るが、然し
直接、執裁の意味は示されて居らぬ。執務の意味め方は、むしろ前の阿陀郵の能執受の作用にそ
の根城を持つペきである。そこで、阿陀郵と同一成せられ光る阿頼耶は、智東を執持し、且っ身
憶を自己り併依として執受して居るものと詭明されることとなる。弦に従妹の経論と等しく有情
の賓在的の打我として輪廻樽生のま健たる考が食まれて居る。︵翰麹特生のま憶としての此の考は阿穣耶讃が、善悪業の異熟として考へられてゐる鮎が、其の根底となるが、目下の問題としてほ
此の方面にほ暫く観れすに進んで行く︶ 然し乍ら、か∼る賓在的阿頗耶が丁別の識として立てられて凍る。安慧は、﹁了別することが識 庸緩行相の方面より見㍗ろ阿積耶裁板念の展廟 Jβ∂隷 二〇 新線存相の方面より見㍗る阿無耶裁概念の展開 であるL︵孟昌l鞋ti孟雷畠巨︶と詭画して、始めて此の賓在的なる阿頗耶に識を結び付けて居る。
此が丁別識として立てられた上から見れば、智東も身憾も、その折経と考へられるであらうが、
然し上述の説明では、了別議としでの阿腰耶の所縁として克てられるものほ、習気でもなく身俵
でもなく、見靂 ︵st訂np︶だけである。即ち、智東も身倦も、客観的意味の所縁としてほ説明さ れすむしろ形而上畢的意療の所依、︵乳rp箋︶としての精細な説明が施されて居るのである。 新の如き説明の粘から考へて凍れば、三十頗の所縁行軸に射する安慧の見解は、﹁阿願耶誠は内面的には智東と身髄とを不可知的に執受せる賓在であり、外面的には、器世間を不可知駒に了別せ
る認識的の讃でJのるLと、いふことになるであらう。同じく阿頗耶識のはたらきであつても、此
の勒愛する作用と、丁別する作用とは、各々其の封象を異にし、性質を異にする所に、彼の一説明の列間さが現はれて居る。故に彼の説明による阿戯耶識の概念構成には、形而上畢的の賓在概念
と認識論的の主観概念との混入、又は融合が存する。以上で大髄安慧の考を纏めて見たのであるが、弦に一言邁べて置かねばならぬことは、安慧が
本薗を解辞する前に述べて居る鮎と、本項の解滞に際しての叙述とが幾分相違す′阜㌫である。即 ち問題は依然として執受︵ロp監ぎエに関する薪で、安芸が本項ぉ出す以前に稔伽諭に基づいて述 べたる文は、最後のー1p−日野を除けば殆んど重く玄炎謬と一致する。故にそこでは乳首賢日野mu官一 \ JβId賢息曾p注ぎとなつて古賀旨は皇宮ptiにか∼ろ楼になつて居る。然るに本頚の解特に替って
は、卓詳岳と孟ぎptiとは、彼は之を断然囁別して無関係に
如膚に考へらるべきか。吾々は安慧自身の主意は直接本領を細藤せる鮎にあ♭と考へて、上越の
如く論じたのであ牒が、然し玄典謬と殆んど一致する梵文が ー 仮令それは賛意自身の立志とし
て引用したものではないとしても ー 現はれて居る以上は、此の昔時一方にはか∼る解渾が存し
て層化ものと見ねばならぬ。然も安芸と同時代にして少し後輩とせらる∼護法の考へ方が、重く
それと一致することを考ふれば思竿ばに過ぎるであらう。
▲成 唯 識 静
成唯識論は、舌凍十大諭師蔑の合挽と耕せられるが、此は意思の要求に依ら玄英が護法談を正
義として、他の詭を批評的に帯出した右のとせられて居る。故に此の書は護法政の唯識説を述べ
たる根本的書物である。此の諭に於ける目下の問題に関しての説明は、第二巷竿頃より翠末まで
及んで居る、非常に詳細にして煩雑な説明でぁるが、その大部分ほ四分詭に関する論議である¢
今煩萩を避けんために之を省略し、本頚に対する直接詑明の大綱を限りに掠め、之を一般的賂群
と名け、次にその一々の項目について説明を加へる庭を、仮に特長的細滞と名けて解説を試みる
折線行相の盈より見圭る阿綴耶裁概念の展覿 g6jことゝする。
何一′般的略辞
前鴻の三十頚の頗句を、玄葵は﹃不可知執安産了﹄と辞した。後世、之を訓粘して﹃不可知の執
受と、庭と、了となb﹄と凄まれて居る。それは、成唯識論の解説に基づける訓讃であつて、導
諭に於いては此の頚の構成語一々牽分類し、か∼る訓粘を導き出す様にこ説明せられて居るからで ぁる。先つ本頗直接の説明とせらる∼部分だけを纏めて見よう。此讃行柏餅級云何、講義凰刊
了l謂了別、郎是行相、識以丁別、馬行相故、 威謂慮屏、郎希世間、是諸有情併依鹿故.粛矧射者、謂此行相、頼微細故、難可了知、
或此所執、内執受境、亦微細故、
外港世間、量難測故、
軌効有二、謂諸種子、及有根身、 諸種子者、講話相名分別習気、 有根身者∵謂諸色根及根依虚、此度に掲げた文だけが、本項の﹁不可知執受虜了﹂に射する直接説明の骨子である。此文を、
此二曹是諒所執受、珪盛身醍、同安危故︵大正威、三一二〇東︶ 輝線行相の分有より見たる阿糧都議概念の展開 名可知、︹大正裁、三丁二束︶ Jβ¢前述の解深密経及び稔伽諭の文と比較するに、大健其の意味に於いては相違はないと云ひ稗る。抑
、、
ヽヽヽヽ 導諭の趣意に依れば、1了﹂が阿頼融識のはたらき︵行相︶で﹁虞﹂と﹁執受Lとは其の封境︵所練︶とせ られて居l乞此の中、1庭﹂と1不可知Lとは別に異論はないとしても、﹁了Lと﹁執受﹂とに於いて少し考慮哲彿ふべき問題が存するのである。先つ1了﹂を阿輯耶識の行相とする鮎を、上述の解深密
鮭、漁伽諭等に於いて見た所と比較するに、解深密軽に於ける叙述は、技に引用せる﹁執受有ニ﹂
の項目に女け細管するもので、爾謬共に其の封境に射する阿頗耶識のはたらきは、了別ではなく
ーーl一一 ■ノ .1■ は川一 ..ヽ ヽヒJ.−■L︻乙●’一︻●ヽ 島r一人ヽレ して、取︵又ほ執受︶でぁった、徹って導諭に於いて讃博さ釘ろ一方﹂よしj茄ト“謹虐力老ぃオて居らぬ。然るに稔伽諭に就いて見るに、眞諦謬の決定戎諭に於いては、持又は執着といふ評語
を用ひ、解深密経に近い意味を表はして居るが、玄共謬に於いては、﹁襲着﹂といふ語を用ふる場合
もあるけれども、特に1了別﹂といふ語が重要成せられて居る。然もそこでは、上に見たるが如く、此の1不可知執安藤了﹂に相督する文意が認められるから、導諭の此文は解深密終に基きて註辞せ
るものではなくして、全く稔伽五十一巻の文に基きて許したことは直に首肯せらるゝ所である。
更に1執受Lといふ粘に就いで見るに、此の項は速く解深密終に基いては居逐が、そこでは阿頼
耶のはたらきとなつて居る。ぬるに、伽政論に凍ると、兎も角、此のはたらきを受縫いで居る鮎
ヽヽヽヽヽヽヽ
腋存するが、特に玄莫謬に於いては、此の執受が執愛されるものの意疲に解せられ、了別作用の
二三
所義行相の方面より見来る何積恥裁概念の展開
断線行細め頂薗より見㍗る阿轍耶鼓概念の展開 二四
対象として連ペられて居る。此の鮎ほ特に吾々の注意を惹く。梵文安慧膵を顧みると、執受︵声7
監野鼠︶には、はたらきと其の封境との二つが食まれて、その場合﹁了別L︵孟ぎpt■山︶とは無関係に 取扱はれて居る。此事は解深密鮭、決定液諭、及び、掻大衆論等に於げると同じである。然るに具玄鞋謬鎗伽五十一巻の所に鑑接塞ける導諭に於いてほ、執受は阿戯耶のほたらきと云
はんよりは、寧ろ其の封壇とせられ、了別が之に封するのはたらきとして説明せられる。故に執
受の中に食まるペき阿頼耶のはたらき方南は軽成せられて磨るのでぁる。以上、導諭の趣旨に基づき、重要なる鮎の一二を既往の経論のそれ等に比較して略述したので
あるが、今導諭の趣意よら釈れて、直接前掲の文に接すれば、その執受の説明の文中、﹁頼子と有 ヽヽヽヽヽ ヽヽヽ根身との二は阿腰耶誠に親愛せらる﹂といふ熱が琵澄を惹く。種子と有枚身とが所執受であると
ヽヽヽ すれば、阿願琳は、此等に対して髄執受の作用を有するものでなくてはならぬ。此の串は、・阿腰 耶識と同一識憶とせられて居る阿陀都議が、﹁種子及び諸の色根を執拝して鼓ざらしむ﹂︵導碧空一 巻.大正歳﹁ニ二・二室頁︶とせられて居る粘と同一成せらるべきものであつて、此の粘から考へると導 諭に於いても明かに、﹁執受Lに阿腰耶の作用と其の暫境とが含ませられて居ることが想像せられ る。此の鮎に関して慈恩は連記︵三本、大正穀、讐三一一六東︶に於いて、詳細に安悪と護放とを比較して諭するけれども、暫くか∼る趣意を離れ文そのものを如賓に軌する時、大燈上述の経論の文意
j防ぎ細別奄しコJ諸 曇郎鼻敬川逮酢月山弔一旬一重濾川討“羽 目鯛胡釣β粧掬 山砂月八抒裏朋 無⋮叶碩ゼ新ほ 山男〟甘蹄劇惑汚﹂l列鯛拙い相加 混′到岸﹂厳 封⋮列何︰鰯個所当イ 柏陽、如最知聴不達唯故。︵二巷.大正蔵、三丁一︼東︶ と述べて居る。即ち阿頗耶識の有する種子は希薄法種であつて、無頼法種は此の誠に依附して居る
といふことになる。従って所縁としての種子は有漏法種のみで無滞積は所縁ではない、而して有
滞種が所縁た♭うる理由を尋ぬれば、之を阿頗耶識が所持して居るからであると云ふに過ぎない。恭し有滞種を抵簿して居るといふことは∵礪子が阿麒耶に射して依止としての関係にあると考へ
うるけれども、認識的丁別作用に対する客観的意娩の節操といふ関係にあるとは考へられ待ざる
ものでぁる。帥ち接待といふ事は所縁とせちる∼理由にはなり得ないと考へる。都って無瀦種の
方を見ると、阿頗耶に依附せるが故に新緑でないと云ふ。此ほ無滞積存立の依止を阿患部に托し
子の説明一軍見ると、 0 0と︸致するを見る。故に吾々は之を仮に一般的終滞と名けた。そこで進んで此の中の各項目、印 畑
ち執受︵種子、有級身︶と轟と了との各項の純粋を吟痩せねばならぬ。勒 特異的細浮
上記引用の導諭の文が大健前述経論のものと綴りに一致すると見ても、書々は此等の各項目の
一々の細説を吟癒するにつれて、轟々成唯識論の特異なる論述に目を惹かる∼であらう。先づ種
節線行相¢方面より見たる阿楓耶裁概念の展朋 .一、−ち﹂1川■ rゝ.ン:−Ll■ ..∴こーー1.︰..一l一ヽ 巨こ :、,..一ヽ−占﹁.−I:一tノ::一tT︳ ′.︰一.﹁■Lこヽ︳.†こL ▲t▲−トトK▲−I一ヽ二六
断線行劇の方面より見tろ阿精耶識概念の展開て依附としたものであらうけれ共、依附といふことが非所縁を決定する理由と打アり得ないことも
能と同じである。困に此の阿腰耶誠と無漏種子との関係を考へて濁るに、元凍染なる阿頗耶に浮
ヽヽ なる無漏種が依附して居るといふ考へ方が賓に理解に苦しむものであつて、玄英謬の唯識経論は
多くかゝる関係になつて居る。例へば、鎗伽五十二審の終り頃にも、又散大衆論群論等にも此が
︵円︶ヽヽ 現はれて居るのが見受けらる∼。殊に世親揖諭の評に於いては、眞諦澤は無漏種の銀波を法身と、、
︵ポ︶ヽヽ して居るのに反し、玄英謬でほ﹃一阿戯耶に寄存す﹄となつて居るもので、此の寄在といふ語が成ヽヽ 唯識論では依附といふ語に鼻へられ、一骨外面的に排去せられて居る。是は護法唯識詭の常に問
題となる虔で、つヰチ,ほ位相別諭の根本的考察に関係して居る鮎である。 000 有根易についてほ、導論︵二巷、大正蔵、三一・一一兵︶lミ 有根易者謂具熟艶利共l樹種l成熟力塾側色租及根俵虔帥内犬種及廊達也。有根身は内犬種と所造の色とで、平たく云へば個人的の身健を指したものに外なむぬ。これは皆
ヽヽ
阿頗耶識が有する特有の種子よサ壁似したものであるとh与す。技に舜似と云ふて居る鮎に就いては舌凍より問題解渾の一焦鮎となつて居るほどに註梓家間に色々論議されて居るが、此が吟味は
次にこ謀ること1する。以上の種子と有根身とが即ち執受と云はれて居るものである。0
次に虔については、
∫7β○ 璧届者、謂鼻熟裁由共矧劇熟剥倒、襲似色等書世同相、部外大隠及併進色。︵維讃有情断壁各別而相相似昆術無異如来療 明各室似こ︵二巷大正蔵、三丁二〇東︶
前者の個人的身憶は個別的のものであるから不共和の種子より挺するのであるが、此の終世間の
方は有備共通のものであるから共舶の荏よ♭挺する。而して此等の種子は凡て阿頗耶識が有する
ヽヽ 所の牒ので、それより凡て挺するといふのが特に大切なる桝である。 ヽ ヽヽ以上で稲子、有根身、器世間の三に就て導諭の詭明を見たのであるが、碍子は阿藤耶の所持す
ヽヽ るもの、宿根身と器世間とは阿頗耶が塵似するものとせられ、かくして第二巷︵大正鼓、三三妄︶ ●−■よヽ lヽ血■l 略乱此惑閲歴 ヽヽとして辞められて居る。斯くの如く見ると、有蒋種、有根身及び器界は凡て、阿超耶識より襲す
ることになる。然らば此の欒するといふことは如何なる意簸であるか。進んで導論に求むるに、
の文がある。此が恐らく塵の有力なる解渾であら乙ノ。即ち第八異熟議は、因縁カによりて前述の
種板器の三を挺するもので、・決して分別カによ♭て捷するものではない、′・而も燈せられたろそれ
有漏鼓襲、略有二種、一隊困繰勢力敬愛、 凧︵弟二審、大正戴、三丁二真︶ 斯♯希相の方面より見失る阿糧耶裁概念の展劇 二随分別勢力故塾、和必有用、後世条項、異熱誠墾、但確固繰、斯学色専必有‡ ∫7f二八 断線行相の方面より見㌣る阿粗廊念触念り展開
等のものほ、現貰の物健であち賞の作用を有するものである。以上が導諭の文面に現はれたる阿
鷹耶讃の特異の慶衰である。さて斯くの如き作用を濁す阿頗邪論が果して了別件周の議としての説明であるか背かといふこ
とを考ふるに、何人と錐も重く一種特異なる認をなして居ることに束が付くであらう、即ち此は議 ヽヽヽヽとしての訣明でなくて、全く形而上琴約賓在として萬物教生蒋慶の詭明である。然らば識として
の阿腰耶の説明は如何に現ほれて居るかと云ふに、導諭︵二審、大正戎、三一・一〇頁︶に 執受及塵、倶是㈲劇、 阿栂耶親、国旗力故、白魔生時、内壁各種、及有根貞.外車各港、郎盈、萄行相秩之両得起故。 ヽ と云ひ、更に本頻の了︵孟茸pti︶を解辞して、 到着謂異熟読、於白餅繰、有了別用、判別用、見分所溝。と詭明して居る。即ち阿頗耶識は自己が因繰カによりて慶じたる種板器の三に封して、之を併放
として了別作用をなす。即ち此の三を、阿頗耶讃の細分とし、之に対する了別作用を見身となして居る。弦に徒凍の形而上畢的賞在としての阿願耶は、一韓して全く概念を異にする認識静的の丁
別識として現はれて凍る。而して盛を了別するのみならや執受をも了別する。此の場合の親愛は
ヽヽヽヽヽヽヽヽ ヽヽ全く作用の意味でほなくて、執受せられるもの∼憲政である。斯くの如くして﹁所鼻を以て自の
J7月所縁となす﹂といムー句が、形而上畢的貰在としての阿頗耶識と、認識論駒丁別識とLての阿嶺 都
耶識とを詰合せしむる楔句となつて居る。そこで導論に於ける三十頚の傍線行粕の偽句の解帝は
次の如ぐ撮められる。﹁阿頗、耶識は、内では執受を了別し外には藤を了別す、執受せられるものに
−
ほ智東と有根身とめるが故にそれは凡て所縁である。而Lて此の併続も能線の了別も不可知なる
が故に不可知と挿せらる﹂と。此の解浄は前に越べたる解帝と比較すれば、直に其の相違鮎は列
ヽヽヽヽ るであらう。、然し之を玄弊謬出の玲伽五十一巻の文に照らせば、全く符節を合するが如くである。
然ん導論の主張は翠に此れ曳けに止まらず、更に一骨の飛躍を示して﹃斯くの如き阿頗耶識の併
ヽヽ 繰︵柚子、有根身、器界︶は、凡て阿腰耶白健から因縁カによ♭て襲名したものである﹄といふ特別重要なる一句が加へられて居る。此の命題は賓に護法唯識の特異なぇ根本生命をなすものでめ
って、若し不幸にしてそれが省かれるが如きことあれば﹂護法の所謂萬法唯識の理論的根披の崩
壊を凍たすほどに蚤要なるものである。故に慈恩は越記︵大正或、四三・三一七頁︶に此の阿腰耶恕ヽヽ
の麺焉を辞して生舜、妹麺、執舜の三義を以つで大いに解説に努めて居るが、此の説明は本文む
明瞭ならしむるものではへ仏くて却て不可解なる迷宮に導入し、樽凍の唯識論ぉして益々曲解せし
むるが如く威せらるゝ。
青々は成唯識論に於ける説明の大健を見終った。同席すれば書々は導諭の改明を賂滞と細澤と
斯繰行相の方面より見余ろ阿頼耶就職念の展開 二九三〇
所縁行相り方面より見㌣る阿粗耶哉概念の展開
に分けて見た。一般的絡辞に於いては、已王安悪等の説明と大憶同じであつたが、特異的細帝に
於いては、導論特有の註粋が高調されて居る。此の略群と細辞とは慣らに便宜上分けたもので、
導諭の上では雨着は勿論入り組んで示されて居るのである。然らば導論の眞意は何れにあるかと
云へば、勿論特異的細辞の方にあるもので、導諭としては略滞の方もその趣意で解商すべきもの
である。そこで此の所縁行初の問題に対する安慧と謹法との解藤の相違鮎を明瞭にするために、
次ド比較表示をして見よう。
︵認諺静的.了別讃としての阿頼耶︶此の南東比較上に現はる∼雨着共通鮎は、阿頗耶議が虞を所縁として了別するといふ認識論的
ヽ−.ノ 解帝位であらう。初速鮎としては、一安志が執受︵痘註計︶をば、阿頗耶の主なる作用と解する ′lll ︶ 外、了別するー一塩 ︵ ㈲、執受する︷銅板摘〓∨︵震︶形而上畢拇、嘗謹としての阿超耶 ︵折線︶ 認識論的、丁別諒としての阿超耶 ︵形而上拳的、宴在としての阿癖耶︶ J74ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ
に射し、護法の細渾では執受される賓在的のものと解し之を所縁として扱って居る。故に前者が
智東を執持し有根身を所依︵款rP竃︶として執拝するといふ形而上畢的説明をなすに射し、後者は ︶ 此等を所妹として了別するといふ認識論的の説明を高潮する。二種、枚、蕗の三を阿腰耶が自健 ′■lヽの因練カより挺するといふ導冷暗奥の形而上畢的重鎮は、安慧に於いては更に認められざる鮎で
ある。
︶ヽヽヽ 二 見静li仝七十論に於いてE竃或は竹r当量み寄主琴して居る、例へば第十頓にこ 邑凰琶ロみ有事ミ宜して居るが如く ︵斯iの如く導論に於ける護汲沢の主張は、他の噂識詭と非常なる相違を示して居るもので、十
大諭師詭の合経と解せらるゝも、飼ほそれ以外に偶数外の諸派の哲畢設、特に教諭況︵乱舞首a︶の影響の甚大なることを想像せしむるほどである。それは兎も角、導諭に於ける阿戯耶識の概念
は、上述の経論を基礎として異常なる展開をなしたものであると解すべきであらう。
↓ 田淵、解深密経疏警六綺歳、第三十四奮・第四那、三六〇紙︶ ︵ ■ 染汚阿栂耶、練炭如境、起四穏顔.即是法執、而非人執、俵安慧宗、作如是訊。である。
密改研究︵弟二十六兢︶月給資隆氏﹁小乗典籍lこ於ける阿頼耶﹂ 農評詩世親掻絵巻三︵大正蔵、三丁︼七四賀︶ 論日、出世最清浄法界流財政、 滞日、出七種芋許、誠三種集諦故、名出鹿。謂三無性良知本無染汚、後撃二陣垢故、名最清浄。三乗邁往曲流生故、名舜界。 併操行相の方固より見㍗る阿籍耶我概念の展駒 ノア茸三二 新線希相の方面より見tろ耐轍耶舐概念の展開 足閉篭習徒最強浮法界流出故、不入本裁性掻、此崇弦月食間兼習因、聞瀬習田臭本誌、間諜習巣亦異本鼓。 封 玄弊辞世親擁静、撃二人大正歳、三一・三三四東︶ ′■︳ヽ ︵論日︶聞兼官者、即急長橋浮法界等流正閏箪習、随在蒜併俵梅屋者、謂随空相鏡特産、寄在異熟式中。 ︵繹日︶非阿轍耶弐、典阿輯耶裁雄同塵倶噂、而阿栂耶識患、非阿噂耶識衣、還如以前水乳和合、場所飲時乱造水在、留喩鋲 薪、叉如世間待離欲時、於這頼耶哉申、非等引地煩條薫習漸誠、其等引地善沃素習漸増而待噂依。 刃Ⅵ
原 田 敏 明
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昔事記及び日本書紀に現はれたる天地開国の説話に就いて見るに、もとく古事記並びに書紀
の諸説は、その内容に於いて夫々どれだけか相違してをるのであるが、殊に古事記及び書紀本文
の物語は、雨着相互に非常な蓮ひがあるのみならす、書紀一書の何れと対比して見ても、その構
造が一暦複雑なるものとなつてをろと云ふことが出水る。
今これを濁ら開陶の時に出現する赫々に就いて見ても、既に古事記の所侍と書紀の所侍とは具
合了,、書紀一書の諸侍も夫々どれだけか相違してをる場合が多い。即ち書紀本文に於いては閏常立昔を最初の紳とするに対して、古事記の方では更にその以前に別天神五代を設けて、天御中ま
紳を以て第一の紳とする。而して此の天御中ま紳を最初の紳とする記銘は、古事記の外に書紀に
於いては唯だその第四の一書の第二項にあるのみである。但し古語拾遺の如きほ却ってこれに依
つてをるのでぁる。
開閉新艇の♯成ミ所々の追加開閉解語の構成と静々の追加 ︵上︶
J77三四
開脚劇話の構成呈所々の追加
此の囲常立食を以て始まる書紀本文その他の物語と、更にそれよりも古く天御中ま紳よち説き
起す古事記の物語とは、単に後者が前者よらも詳細に物語られたものとのみすることは出凍ない。
而して書紀第四の一書中の天御中ま紳に関する物語は、もとよりその記銘が極めて簡単であるた
めに明かにし難い鮎もあるが、その物語の外に既に陶常立紳系の物語が別にそれよ♭以前に述べ
られてあり、むしろ天御中主軸に関する物語は一説として併記されてをるのでぁる。これは﹁少
くとも日本紀の編者は此の侍を陶常立尊を圭座とする諸姉と封此して天地初教の時に生れし耕の
︵一︶異なる樽であることを認めたものと解せられる﹂。
か1る考に基づいて、古事記に於いては既にその開閉物語の記事に於いても、此の二種の物語
が或ひは重複して食まれてをるのでほないかと云ふ疑問を抱くことが出凍るのである。此の考を
更に助けるものとしては、かの第闊の一書に於いて観常立食に初まる物語と並存してをる、天御
中ま紳に初まる物語に於いても、音聾記の脊索の物語と同じく、高天放と云ふことが示されて居
ることである。高天原主嵩ふことは、開聞説話に於いてほ此の二侍所の外に全く見雷らないこと
である。二Jれに依っても此の二の記騰がもとく同一起原に敬するものであると云ふことを裏書
きするものゝやうに思ほれる。
僻ほ又、舌簿記巻頭に於ける﹁天地初螢﹂といふ思想と、﹁葵閉経如浮脂而久羅下部洲多陀用解凍
Jア∂之時﹂j云ふ考とには、明かにそこに並存することの出撃仏い矛盾がある。もとより此の場合の
1天地初野と云ふ思想は、必然的に天御中ま紳の物語に包含されてゐたものではない。而して恐
らくは古事記の物語の編者が、此の二つの物語を結び付けるに普って、一を他に添加して仝憶の
組織を竪へたものであると云ってよからうと思ふ。
∽津田敬武氏﹁紳代史ミ宗教思想の螢蓮﹂七〇。
〓
これらは物語の形式的方南からの理由であるが、僻ほその内容的方面から見ても、雨着がもと
もと別儀の物語として、各々淘立に存在したものであつたと云ふことを確かにすることが出凍る
のでぁる。即ち爾紳の軸名に表はれたる夫々の紳の内容の差異、及びその働きの類同主玄ふ粘か
ら、これが観察を試みることにする。
︵︼︶ 閏常立寄に就いては、古事記によると、﹁訓憩云垂許︰訓彗宇多知ことあるが、本居宣長は、1茸許は骨許に通ひて同じ。凡て底とは上にまれ、下にまれ、梼にまれ、至り極まる虞を何方にて
も云へら。高桑十五に安来都知乃骨許比簡宇艮爾とあるを以て、天にも云ふべきことを知るべし。
叉六に、筑紫爾萱、山乃骨伎、野之衣寸鬼世常、伴廟乎、濱邁之とある骨伎も極みを云ふと同じ
三五 J79′
阿閑静詩の構成ミ紳々の追加
三大
︵二︶
︵三︶ こと打でり。L﹁立は都知と通ひて同じ。その軋は書紀に圃狭樋尊を亦臼歯狭立食占ある是なり﹂と云ってをる。併し津田左右富民は矢或、固常立といふ漢字の意味通らに解するがよいとしてをら
︵四︶ れる。併しそれほ何れにして牒、観と云ひ、常と云ふのは地上に於ける現世的な内容を持ったもので
あら、即ち古代人の考としての世界、若くは宇宙と云ふやうなものは、むしろまとして此の地上
に於ける現賓の世界であつたので、それが紳格化されたものであると見ることが出凍よう。殊に
その食稀若てほ美稀である﹁立L即ち﹁都知Lも、畢なる柿餅に過ぎゃして、主宰すると云ふやうな考は殆んど食まれて居ないのであつて、換言すればこれは畢なる大地の細評rtFG已であるよ云
ふことが出凍るも
これに対して天御中重油に於いては、既に津田左右富民はこれを以て天と云ふ支部思想に観れ
︵五︶アノ た時、始めて生じたとしてをられる。もとより﹁天Lと云ふのに直接に天又は宇宙と云ふほどの意味を、特に附輿するまでもないことではあるが、一の宮群又は美辞として添付したものと見るに
しても、一の宇宙又は世界の中心に位して居ると云ふ意味は充分に認められる。併しながら此の
/ 紳名のま要部分ほむしろ﹁きにあら、即ち主宰者としての紳格が最も強く衷はれて居るものゝやうに思はれる。
Jと紗若しこれだけの区別が、固常立食と天御中宝前との間に許されるものとしたら、それは思想の
形式としでも、明らかに後者の方が進んだ段階にあ♭、従って一骨後代に教生したものと見るこ
とが出凍よう。
三
併し観常箕骨が、その教生に於いで天御中主調よ♭も古い形式のものであるにしても、直にそ
れ故に記紀に現はれた場合にその螢生常時の内容を持ってをるものとはなし難い。凡そ前の内容
は頻らなくても、その表出の形式にほ欒化があると同時に、又その表出の形式には舜化がないに
しても、その紳の内容に欒化が生することは、これを認めねばならない。
かくして図常立食と云ひ、天御中主軸と云って、その意味する内容は異ってゐても、その働く
役目に於いては全く同じとすべき場合があり得る。此の意妹に於いて、天御中重油が天地ま宰の
紳であるやうに、囲常立食もまた一般に天地ま宰の紳としての活きを充分に持ってをるとされて
(5)(4)(3)(り(1) 開閉押詰り構成ミ紳々の追加 国史大系、七ノ九。 古事記停三、埠補本居宣長全集一ノー五二−三。 古事記停三、前端書、︼ノー五三。 津田左右薯氏﹁神代史の研究﹂、五〇。 津田左右苫氏﹁前掲書﹂.四四。 ヱβJ0000︵一︶
0000000
をる。即ち書紀本文には、﹁予時天地之中生一物、胱如葦牙、使化名跡、競闘常立食﹂とあ㌻り、倒
ほこれは籍一及び第六の一書などにも明かに見ることが出水るのである。
然るに此の二の物語が一の物語の内に編み込まれる場合にほ、少くともその一方は他方に射し
て従属的圃係に立つ。かくして古事記の物語では囲常琵令が天御中ま紳右対して従属の関係にな
ら、こゝに書紀本文などに見るやうな主宰紳としての観常立食の位置を失ひ、それを天御中ま紳
に譲ってをるのである。併しこれは物語公憤の構成上、固常立食本務の性感を障没したのであつ
で、これは更に膏に邁元して考察すると、僻ほ明かにその本務の性質を具備してをる鮎を見るこ
とが出水るのである。
これに就いては固常立食と天御中豊前との二の主宰紳に対して、更にその夫々に従属す争朗々
に於いても、これを見ることが出水えのであるが、そこには雨着が相投行してをると云ふ事賓を
螢見するのである。
固常立食に附属する紳としては、古事記では豊宴野癖の一紳であるが、書紀の方では固狭越冬、
豊掛停尊の二紳となつて努0。周狭槌と云ふことに就いては、滞日本紀によると、私記の設を引
いで、﹁或事件三国狭土︰然別天地舟後、未毎幾旦故土地狭少、其時此紳初出、故謂乏陶之狭土
︵二︶ 食ごとぁるが、もとよら探るに足るものではなく、たゞ所用の文字に拘泥したものに過ぎない。 開閉紳話の構成軍前々の追加 Jββ、 ︵三︶ ヌ飯田武郷は萄襲紀に﹁瀾常立食亦云観狭立食、亦云固狭縫合﹂と雪のを引いて、闘狭槌令を湖 へ円︶ 囲常立食と同一であると言って誉○が、少くとも嘗事紀の此の部分は鎗り倍を置き井いところで、