• 検索結果がありません。

『宗教研究』日本宗教学会第4回大会紀要(*102号)

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "『宗教研究』日本宗教学会第4回大会紀要(*102号)"

Copied!
369
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

――目次――

講演部

1,

一体観と二元観との対立,姉崎正治,Masaharu ANEZAKI,pp.1-5.

2,

高僧と名僧,常盤大定,Daizyō TOKIWA,pp.1-7.

3,

慈雲尊者の神道,加藤玄智,Genchi KATŌ,pp.8-12.

4,

宗教学における宗教本質の定め方,鈴木宗忠,Sōchū SUZUKI,pp.13-23.

5,

正法の意義,羽溪了諦,Ryōtai HATANI,pp.24-29.

第1部

6,

神学的本質直観と愛,福富啓泰,Keitai FUKUTOMI,pp.30-34.

7,

旧約における人間観,石橋智信,Tomonobu ISHIBASHI,pp.35-38.

8,

宗教の地域的風土的性格,稲垣了俊,Ryōshun INAGAKI,pp.39-45.

9,

デュウイーの宗教観,帆足理一郎,Riichirō HOASHI,pp.46-50.

10,

信仰における人間性の限界,釜田達玄,Tatsugen KAMATA,pp.51-57.

11,

否定的神秘主義,岸本英夫,Hideo KISHIMOTO,pp.58-63.

12,

神学に対するバルトとブルンナーの見解の相違,菅円吉,Enkichi KAN,pp.64-70.

13,

日本における宗教学の方向とその任務,村上俊雄,Toshio MURAKAMI,pp.71-79.

14,

宗教社会学の一課題,中村康隆,Kōryu NAKAMURA,pp.80-85.

15,

悟の意識態,西沢頼応,Raiō NISHIZAWA,pp.86-92.

16,

『タルムード』における『天』,大畠清,Kiyoshi ŌHATA,pp.93-96.

17,

フィヒテの宗教論,大島豊,Yutaka ŌSHIMA,pp.97-100.

18,

宗教的と歴史的,柴野恭堂,Kyōdō SHIBANO,pp.101-103.

19,

宗教の批判について,島原逸三,Itsuzō SHIMABARA,pp.104-108.

20,

汎神論の個体発生について,関寛之,Hiroyuki SEKI,pp.109-112.

21,

アニミズムとアニマチズム,原始宗教における両者の本質的関係,棚瀬日出麿,Hidemaro

TANASE,pp.113-117.

22,

宗教情操の問題,竹園賢了,Kenryō TAKEZONO,pp.118-122.

23,

宗教の合理化について,宇野円空,Enkū UNO,pp.123-127.

第2部

24,

社会的神秘主義における集団的興奮と孤独感,Schwelgerei u. Einsamkeitsgefühl,浜田本悠,Honyū

HAMADA,pp.128-131.

25,

宗教的行動の公序良俗性,邪教の限界について,伊藤道学,Dōgaku ITŌ,pp.132-138.

26,

教派神道における「祈り」,特に山嶽と関係ある教派について,金光建道,Takemichi

KONKŌ,pp.139-143.

27,

末世思想の一面観,金山龍重,Ryūzyō KANAYAMA,pp.144-149.

28,

明治維新の勤王僧,その特質と発生の原因,神根悊生,Tesshō KANEMI,pp.150-153.

29,

日本における風水信仰について,金孝敬,Hyokyon KIM,pp.154-159.

30,

真信迷信批判基準,宗教史開展第三期の観点より見たる,蓑田胸喜,Kyōki MINODA,pp.160-162.

31,

日本の原始宗教と神道,溝口駒造,Komazō MIZOGUCHI,pp.163-170.

32,

勤労者の精神問題,森田卓三,Takuzō MORITA,pp.171-175.

(2)

33,

高砂族における兆の信仰,及川真学,Shingaku OIKAWA,pp.176-186.

34,

民族宗教の新展開,佐木秋夫,Akio SAKI,pp.187-191.

35,

聖徳太子信仰について,圭室諦成,Taizyō TAMAMURO,pp.192-194.

36,

修験道の風土的呪術宗教的性格,戸川霊俊,Reishun TOGAWA,pp.195-201.

37,

おふでさきにおけるいんねんの語義,上田嘉成,Yoshinari UEDA,pp.202-207.

38,

日蓮聖人における神秘の意義,山川智応,Chiō YAMAKAWA,pp.208-212.

39,

宗教哲学的に見たる日本精神と仏教との統一的意識の問題素描,山口等澍,Tōzyu

YAMAGUCHI,pp.213-217.

第3部

40,

一向一揆の分類について,浅野研真,Kenshin ASANO,pp.218-223.

41,

馬鳴作孫陀羅難陀詩の資料について,平等通昭,Tsūshō BYŌDŌ,pp.224-234.

42,

南都戒壇私見,藤本智董,Chitō FUJIMOTO,pp.235-240.

43,

仁岳の観境論,石津照璽,Teruji ISHIDSU,pp.241-242.

44,

仏教と空思想,神林隆浄,Ryūzyō KANBAYASHI,pp.243-247.

45,

守敏僧都の伝説に関する研究,加藤精神,Seishin KATŌ,pp.248-259.

46,Dharma-p

ūjā-vidhāna (法格崇拝儀規)について,木村日紀,Nikki KIMURA,pp.260-269.

47,

阿毘達磨論における種子(BĨJA)説について,西義雄,Yoshio NISHI,pp.288-298.

48,

禅定の諸問題,増永霊鳳,Reihō MASUNAGA,pp.278-287.

49,

小乗数論について,宮本正尊,Shōson MIYAMOTO,pp.288-298.

50,

仏教印度における種姓の存在,諸戸素純,Sozyun MOROTO,pp.299-303.

51,

仏教思想の宗教本質論的研究,神聖観念論との対照において,岡邦俊,Kunitoshi OKA,pp.304-309.

52,

華厳の同別二教判の起源について,坂本幸男,Yukio SAKAMOTO,pp.310-315.

53,

仏教々理の変易性とその限界について,佐藤密雄,Mitsuo SATŌ,pp.316-320.

54,

西蔵仏教伝来攻,立花秀孝,Hidetaka TACHIBANA,pp.321-326.

55,Megasthenes

の「印度誌」に述べられたる仏教,財部健次,Kenji TAKARABE,pp.327-332.

56,

瑜伽論思所成地の資料,宇井伯寿,Hakuzyu UI,pp.333-338.

57,

諸種般若心経の成立順序,渡辺楳雄,Baiyū WATANABE,pp.339-351.

58,

日本宗教学会第4回大会記録,pp.352-362.

(3)

先に曾て、文化の原動力として日本沸教に関する考を述べたことがある。今は、同じ意味を撰暮して、現代文化を

観察し、而して其問に虚して東洋文化の特色を琴へて見たい。

文化の費展、文物の皐備には、復克な歴史的事情が働くといふことは、今更述べるまでもない。然し、文化の夏姿

な帝拭に際して、その根抵人心を内部から動かすものがあるといふことも亦電空であつて、キッドが﹁理想の感動﹂

と解したものが共に常少、此が外部の春情と協同して動くこともあれば、叉反埼的に事情環境と闘ひつゝ動くことも

ある。此等の鮎を一々詮明するのは今日の論題でなく、故には、﹁理想の感動﹂の一箕例として先づ、現代文化を観察

して見やう。

現代文化は、西洋で中世文化に射する反墳として現れ、約囲首年の年月を経たが、其跡は賓に地理的探険の心で動

︼紐裁と二元覿との封立

一億親王二冗覿ヾ﹂の封立

妹 崎 正 治

(4)

︼穀粒とこ元斯との封立 き始めた︵その原因は故には略して︶。地理的に未踏の地域に楷み入らうとする端紳は、叉天地萬物について未知の滑 息を探らうとする鞘紳になり、此が組披的に饗晩方然を講じて今日の料率に蟄達して来ったのである。而して地理的 にも料率的にも乗車の域を探険すれば、その結果何等かの利樹を搾り取らケとするは自然の事であつて、マルキシス トは資本主義が搾取をするといふ非難をするが、科挙でも産業でも、今日の文化はあらゆる方南で搾取の将帥で動い てゐるのである。守宮邑iOn の動機から動き出した文化は、叉箕に票p㌻igi〇巨を能事として動いてゐるのであ る。現代文化が利用厚生の上に大きな仕事をなしてゐることは云ふまでもないが、其が人間なり天然なり、放ての資 滞を搾り取って椚衆てゐるといふ鮎に於て、段々その事毒を蟄鉾して米たのが今日の難陶で、其が泣合間題としての 難問を摂則するのみならす、貿に人心の動きに封して殆ど病的の刺激を輿へてゐるのである。人と人と、階級と階級 との調剤などは云ふに及ばザ.人間と天然との封抗といふことが現代文化の悪毒となり、その極は﹁天然の征服﹂ といふ串を文化の至極だとし.外部の天然を征服することは知ってゐても、人間自らの天性に射しては何等の克服を

も試みない。

そこでこの文化の行末どうなるかと開ふよりも、人間自らの電命に係ることゝして、どうすべきかと問ふべきであ る。此の問題に射して何かの解繹を下す為には倍速切にこの文化の病涼がどこにあるかを萄へて見る要があらう。親 代文化は殆ど全部科挙で動いてゐると云ふペきであるが、科挙稀種は、近代哲畢の始を左したデカルトがr由晰叉分 明﹂㌢眞理の標語とした通り、凍て分別分析で貫いてぁる。此は探検輪翻の必然の結果で、その結典が利用厚生の上 に大利益を潜らしたことは勿論であるが、共が又同時に人の心を分別封立の方にのみ導き、今日の相副生活をも生む

(5)

に至ったのである.絶ての心持が分析的になか、而して探り得た物はその利を搾り取る方に集中するから、人生に融 合和衷の嗣子が快けて乗る。今日の料率軌を貫けば、人間自らが︼踵の機械になゎT経済人﹂とか﹁産業人﹂とか、 又は﹁智能人﹂とか﹁どヘビオル人﹂とかはあつても、人としての人間は消滅する。心理拳でも祀曾拳でも.又賃際 世界でも、皆同様に.人間が分解せられつ1ある。分解せられた人間の生活に相別が増長するのは自然である。

、此の如き科革翫の根本は、結局、人間と天然との二元封文献にあ少、翻れば近世以前にも西洋に竺完軌の思想が

有力で、キリスト教でもユダヤ教でも、紳と人とは全然別の二元であり、ペルシャ敦でも同様尊意の徹底的二元で貫

いてゐる。二元税の強みは、差別聖域調に伐って努力奮闘の力を輿へるにあり、西洋の宗致セは、此が道徳督励の力

になり、近代の科挙文化では.その〓じ力が所謂る﹁天然の征服﹂に働いてゐるのである。宗教では自己の克服が蚤

要事であつたが、科箪女化では、自己の主張のみになつて、人間が天然を征服し碍たと自ら信ずる時、即ち人間自ら

が自らを制御−柑ないで、本能性の燥畿を来しっゝあるのである。 そこで現代文化の病に封して∵一元観の反射.即ち一冊観の役割が大切になつて来る。﹁萬有一如﹂、﹁天人一腰﹂など いふ青菜で衷はされる東洋︵即ち印度以東︶の理想は、総てを棍抵に於て融合して観る。・極端に行け鱒善悪無秦別、 邪正一如などにもなる.兎に︰川、融地力感じを基調とし、蟹生活の上では配分的聯滞結合の蜜を馨げやうとする。此 の枝な二野観を基調とする文化は、分析の虜封に融合.探検の反封に人跡、制御の反射に銭仰など、紘一二整術昧を帯

びる。典の為に極端になれば、意中等の無嘉別∵努力を愚にする無震にもなり、現に東洋諸国の動きは、近郷まで無

焉惰眠に陥って塞て、その焉に西洋東風の進撃に封しては拭抗もおぼつかない位になつてゐたのである。そこで、硯

︼せ魁と二元敲との封立 ∵

(6)

田 ︼恨敲とこ元扱との対立 代文化の村塾と磯城産米との刺願に射して起した反踵掟、印度、支部.日本など各々速ひはするが、再かも老躯の一 概観と其から机た思想.馴鹿.文物などが、西洋の二元翫叉化との支楢を指感するといふ鮎に於ては、大鰻に於て共 通の趣がある。十九世紀の年頃すぎまでは西洋山贋力が進出するのみで、その、慧ゝにすれば東洋は放てその高鮎に塵 倒されそうであつたが、その後東洋め反摂か起ると共に、西洋の現代文化自らの中にも、段々破綻む生する糠になつ て.今に及むでゐる。 現代文化の破綻がどこに如何に現れてゐるかといふ鮎は.別に解説を聾するが、結新その内翻矛盾の哉盛が著しく なつてゐる事賓に鐸する。即ち天然の征服といふ拳が展に進めば終に天然資涼の搾収と縛誠に鋸霜するのみならす、 現に利用厚生の篤といふ科挙も発光も.直に樽じては人生の破壊に用ひられ、而して人間は本能性の熔畿で殆ど日紋 的生活に入らんとしてゐる。此に至るには事情は廃る複雑してゐるから一概に絶結し得ないが、文化の棍抵たる二元 覿即ち差別思想かその長盛と共に短庭をも衷はして、段々極端に進みつつある現象と見るべきである。 斯く見て、きてこの破綻を総ての文化の輯撥を如何にするかといふ問題に逢着する。此に射する解答も亦多様であ む.その輯頓に働くべき勢力も複合的ではあらうが.先に述べた一倍睨が人生の根本観念としてカを占めるぺきとい ふ髄が最も電要であらう。即ち人生に於ける融合の力、差別山事細から探く根抵に入って平等の源泉に到達し.それ から汲、み椚す現想の感動を文化の原動力に活用するにある。今まで東洋の組合主義や等軌は、飴りに事茸の差別む無 税して、無束力に堕して釆たが、今は現代文化の挺力に反撥して、何等かの覚醒を経つつある。其が棍械産業の搾取 精神に麒倒せられ、叉科挙の差別軌の中に窒息してしまはないならば、必ずやそこに新免醒の力が出やヶ。盤成文化

(7)

の懸醍といひ、東洋意識の回復といひ、それがガンデの運動に二喘を畿し・又は日本で国民精紳の興隆として現れる

など、多様の現象を呈し、叉其等に揉各蒜囲もあり、迂飴曲折もあらうが、共等が絶て徒爾に終る事はあり得な

い〇

二元戟と表軌と、二つ両極反射の様ではあるが、結局は相互補助の関係に立つ人生の表英二南た外ならぬ。今ま

でもーこの二つは東洋と西洋とで対立して釆たが、その両方とも各々破綻を呈し、而して現衣にあつては、現代文化

の破綻といふ大事が、切迫した大問題とな少、解決を人類仝悼に迫りつつある。今まで東洋と西洋と二如と薫別と

封立の如く考へて釆た人顕は一女にこの危機に際して、もつと高く観察し、もつと深く思惟して、人頼文化に謝する

融合の勢力を汲み出すべきであらう。

︼損耗と二元裁との対立 五

(8)

盤 大 定

﹁高伶停﹂といふ名輪は梁崇薩に始まつたもので、其後唐邁貰の﹁拇高櫓倦﹂、宋賛寧の﹁高僧榎﹂−明明河の﹁捕損

嵩伶侍﹂、明如憧の﹁大明高恰侍﹂といふ風に、悉く之を承け、本朝に至つても師皆の﹁本朝高僧憧﹂、があるといふ凪

に、倍備に高僧を以てするは、彿教典の約束の如くになつた。その内容を、急峻は鐸鮭.諒解、習抑、明律、伸雄− 亡身、諦攣輿掃、紅帥、唱導の十科とし、その後概ねまた之を承ける事となつたり帽、聖蓑把師、唱撃雲nして

郡科とし、新に護法を加へて同じく十村としたに過ぎぬ。本邦は事情を異にするから、護法・揖身の代いに浮間、述

遊を以てしたが、その生理の上に於て、慧痩の十科を、殆んどそのま1に栂精したと言ってよいっ頼の如く揖わポ満 のみならす、内容の十科までも、そのま1に相承けしめた染の﹁轟檜儀﹂は、賛に千歳の名著と言はねばたら机、 斯の如くであるから、恰僻む高僧倖と糾するのが、常然の軍の様になつて、却つて他の名銅を以てするいが托∴L いまでに普迫の名和となつたが、常初慧睦が高恰樽を以てしたには州常の理由があつたので∴a︺∴∴∵∵﹂山大た誉

ものは、前代多く名僧侍といひ、殊に同時の先聾賓唱に三十奄といふ供翰な﹁名檜侍﹂があつたの㌣あるがー慧醸は

之に不浦なのであつた。これに不満な寮校は、この三十寒中に於て取るべきは取り、拍つべきは拍て∼、十囚巻の 高 僧 と 名 毎

高 僧 と 名 僧

(9)

﹁高伶停﹂を鴬したのである。容赦からすれば三十奄た十四巻とであるから、その年ばに満たぬ様であるが、然し中

に収められた人数に至りては、賀唱の四二五人なるに比して、慧鮫のは本俸二七七人、附停二聖文、合計五一九人

の多きに達して居る。雲唆が﹁高僧停﹂と糾せる理由は、左の語句の中に見られる。

自高代所琴多日義檜表名寄木質之賓也。若腎行潜レ光、則高而不レ名、募徳適レ時、別名耐不レ高。名而不義、

本非一所レ紀、高而不レ名、則備二今錬↓故省三名晋↓代以三高倍↓

慧眩は、前代の桝瑛多く名恰と日ふと言って、こ1に茸唱の﹁名付停﹂を奉げてないが、事実挨賛唱の﹁名付儒﹂ に封して不賛成なのである。悪唆に寄を造った王鼻頴はT唱公の箪集最も箕あり。倍備に近し﹂と賛せるに拘はらす

悪吹は貿唱の名を奉げすして、名恰の稀に反封したのであつた。その意のある所は、﹁宜行あるも光を潜むれば、高く

して名あらす、寡徳なるも時に適すれば、名あつて高からす。名あるも高からざるは、本より記する所にあらす、高

くして名あらざるは今錬に儲ふ﹂といふにあつた。共に同時代の伶倖でありながら、一は﹁名恰侍﹂とし、他は﹁高

恰侍﹂としたのは、その識見の上に斯る差異があつたのである。この差異のある所に、予は興味を感じて、立ち入つ

て之を調姦して見る事にしたのである。

予は督初﹁高檜停﹂の名著たる所以は、畢解のものには名があつて世人の注目.に上るが、陰れた実際家は勤もすれ

ば看過せられ易い。然し宗教なるものは、鮭師・唱導・興稲の如きものに負ふ朗が多いので、之に注意した所に憲吹

の﹁高僧停﹂の長所があるのであらうと見込んだのであつた。然るに﹁名恰停﹂の目次を見るに及んで、その見込違

である寄を知り、然らば何魔に差異あるべきかに、却って特別の興味を感じて、一々之を比較して見る事にしたので

高 僧 と 名 付

(10)

ある。 梁の繋唱の﹁電檜錨﹂三十巻たるものは、今は散逸して仕舞ったが、笠置寺︰パ化が、文麿二年を以て抄した一巻が あつてその初に仝〓頭を糾してある。本に常時東大寺東山院の踏祓にあつて、ハ小㍑はその中より兜率従生の彗跡を拾 ひ印さんが篤に、之を借りて鴇し、同時に至恵の設題を記録し・たのであつ・㌔十童臍憧﹂なるものは、今日に侮はつて たい・いら∴∴小他の抄〓せる〓次が、唯一の賓料である。こぃ‖錬によろに∵待罠より米所に及んで触計掴二五人あつ て、その分類及び人数は次の結になつて足ろ。餌富根はしい分封でぁるが、エ嗅の﹁高僧侍﹂との比較上、一膝之を 見て行く轟とする。下に拍孤を付せるものは﹁高恰侍﹂い十村である。 第二 二、三 靖 国 緋五、六、L 第八、九、十 第一一重二七 第一八 第一九 第二C 麓ニー 高 僧 と 名 僧 外開法帥 函通弘毅外囲.藍刷.伸桐繚 申 隠遁中国法師 中図法帥 外閉律師、中国律帥 外囲膵師 中国躍価 つJ ﹂ノ 叫七人 ■ \ 叫 ′ノ :里人 − .1 三三人 ︹⊥ハ ′ 二〇人 二︺人 三〇人 一五人 ﹁繹 控︺ 、坤 リH、ノ r ︵彙 解︰︶ 一Y㌻ 瑞n■ ︵読 解︺ ︵明 櫓︶ ︵督 描lJ h習 繹︶ へ.神 輿︶

(11)

下に括孤をしたものは、比較せんが為に慧吹の十科を蓼げたのである。賢唱の分類と、慧吹の分類とには、斯る棚

違錯雑があるから、その一々を封照して見ねば、どの人が除かれて、如何なる人が新加せられてあるか不叩一Jある。

中に曙また単なる名稀だけでは、同異の不明なものもあるけれども、大部分に之を比定する事が氾来る。

さて慧唆の﹁嵩檜饉﹂は十科に分たれ、沃より簗初に及び、慧吹肖らは本悌二五七人、附几∴肩肘人と一言って星る

が、定数はそれよりも多く、本俸二七七人、附見二凶二人、合計五一九人ある。而して翠初のもわが本侍に叫四人、

附見た一八人あー宗ら、望唱のと比較せんには、董讃のもの轟かぬばならぬ。之品く咋は二雲人、附見

二二四人、合計四八七人となる。是等凶八七人中質唱のと同一のものが二九五人あるから、帯芯頃はその一三〇人を除

第二二 筋二三 第二四 第二五 第〓六 第二七 第二八 第二九 第三〇 茜 倍 と 名 伶 魚畢苦節 感泡苦節 邁身苦節 宋︵求サ・︶索苦節 尋法出鮭苦節 造経像苦節 造塔寺苦節 導 師 経 師 二一人 二〇人 ︼九人 三六人 一一人 一一人 ニー人 〓ニ人 一七人 ︵義 解︶ ︵召捕・義解︶ ︵亡 身︶ ︵我解・訴脛︶ ︵締 経︶ ︵輿 宿︶ ︵唱 導︶ ︵脛 師︶ 四

(12)

いて、故になき一九二人を加へたのである。是に至って名伶、高借り分れは、除かれた一ニ6人、新加せられた一九 二人の上にか1る事となる。悪喫の口をかりていふ時は、是等除去一三〇人は名あれども高からざるもの、新加一九 二人は高くして名なきものとなるのである。要するに、〓ニD人はこの除去にょつて其後侍へられぬ事となり、一九 二人は慧喫によつて埋設から浮み出たのである。 斯の如く除去一三〇人を決定する事は、可なりに煩はしい事であつたが、その中に彿敬老に取って束要な問題を合 んで居るので、出来るだけ精密に之むやつて見たのである。是等一三〇人は次の棟な結果を呈する。

表によつて明了なるが如く、若喫が大に取捨を加へたのは、造耗像の二人中僅に二人を取って一〇人を除けるを

箕唱惨 苦唆停有 慧喫侍除

外国法師17−−−−18−−−

1,

押通弘敦il−一−1−−0

高行中囲 24−−

22・−−−−2 隠遁中国 3;i−−29−」−−−4 茜 倍 と 名 伶 87_−1.リ 中国法師jユ06

律 師 劉トーーー18−−

2

縄 師 40一−−−23−−

17

紳_憲ニカ15−−12州−

3

食 草 2L−−−−

11

20−−

11−−

9

36−−

14_−22

11−「−

11−−

0

19−−

14−−5

11−−1−−

10

21−−

8__ユ.5 感 通.

末 葉

寄道出贋

造 身

造軽像 迫塔寺

導 師13−−9−−−

4

経 師17−−

10−−7

42fi 295 130 五

(13)

第⊥とし、造塔寺の≡人中、六人を取りてl五人を除けるを第二とし、次に宋索三六人中こ二人を除き、彙撃〓 .ヽ

人里○人を除き、感通二〇人中九人を除き、柿師四〇人中一七人を除き、経師一七人中七人を除けるは、其主なる

ものである。斯くして除去せられたのが、三〇人の多きに達する。他方叉慧喫が本侍中に新加したものを見るには

詩経三五人中新加七人。轟解三〇人中新加−二人。紳異二〇人中新加七人。習縄≡人中新加四人。明竺=大中

新加一人。諦攣一一人中新加二人。輿稀一四人中薪加五人といふ風に、各科に新に加へたものがあ少、附見のものは

妄二人の多きに達して居る。同時代の選述にして斯の如き相慧るは、見地の相違に坐するものであつて、訂中

には大収容考とすべき研があらうと思ふ。私に思ふに、若し現代の聾者が之を編する時は、恐らく峰澤鮭・義解に全

力を注ぎ、習締・明律にして夷ぎ、其の他の多くは或は顧慮せらる1所少いではなからうか。然し其の沸教は、詩経 ●童解●習膵・明待の四科のみにて成り立つべきものでない。今更言ふまでもない事ながら、こゝに省癒すべきもの

がある。

以上の如′、にして雫唱傾から除かれた﹁三〇人につきて、悪吹の意を知らんが焉には、その侍を知らねばならぬ事

となるが、これは今日に於ては為し得べきでない。哺慧喫の新加した一九二人が、徳はある寮名の済める人で、慧頃

の力を用ひたの一望盲世に推賞せんが焉であり、その除去省三〇人は、名が高かったけれど高徳の驚に乏しかった

といふ事だけは断定し得べきである。要するに、名を去って賀を求めた朗に﹁高檜侍﹂の慣砥があるのである。

斯く賛唱の﹁名檜倖﹂と慧喫の﹁高伶侍﹂とを封照し来つて偽らるゝ璧細は、極めて平凡なものに過ぎぬ。即ち名

‡の相添はぬもむが箕際家に於て最も多く尊者は先づ無牡といふ事になる。同時にまた現役するものゝ最も多いのが

高 惜 と 名 僧

(14)

畢者にあるといふ事になる。莞からいへば、慧喧の﹁高滑空の琶は,名の著託て居て徳の基い養家を出来

る限り除去して、徳があつて而も全く埋もれて居る単著を給ひ上げた事になるのである。

ホ 僧 と 名 付

(15)

第−悪霊尊者の所謂師道とは何ぞ

雲憲蒜警どう見てをられたか去ふに、この間掲の答解はいと簡単明警ある。即ち票に、帥雷撃

唯壷の慧と君臣の大警云ふことに辟着すると指示された。故に憲の軍紳篇談ハ上︶に日く 細道竺箇の赤心、君臣の大義のみな少︵全書摘五J と︵I−因に云ふ全署とは雲侍紳道全書の略−数字篇害の雷表す。以下同じ︶

天如は其入門十二通閲菩に於て、その意を説明して日くー

紳誓言芸はゞ、竺鯨の赤心なわ。慧にして臣民姦掌る芸の警句。赤心にして君に仕ふるは臣の

誉少。赤心にして親に仕ふるは子の遣なり。恵にして災械む俄悔しー改めて赤心に録する祓の法な少。芋の

人已て此赤心に廃せしむればJ固治少−宗琶身管、心清浄な少、是れ長の紳慧少。和倫の所謂紳漂

高の赤心に有わとは是れ也︵全署三九こ

怨雪尊者の紳泣

慈雲尊者の覇道

藤 玄 ■智

(16)

叉以て慈等尊者の所論一箇の赤心なるものが都連に在つたかゞ窺はれるのである。 意寄食者に最れ鱒抽選の本質を形ち抱る竺筒の赤心は、是くの如く至誠であるが、それは叉直に至仁であ少、慈 愛であり、大意悲心である。故に紳儒偶談ハ下︶に日く

サッシ半丁ヲヒトクサ

干晴天照大帥菩之日、是物者則顛見蒼生可食而活之也と⋮⋮⋮人君たる者、萬民を慈愛する、此一事にして足れ り。我神道は所謂︼節の・赤心なり。天照大沖天上に在て、うつしき阿鳥比等久住と命や⋮:億兆をいつくしみ⋮:・ の御詞たり:⋮血紳野望ことに我国の図たる所以なり。道の遣たる此に在り。仁の仁たる此に在り。此れよりして 看れぼ、甫国造を立ろ、倍我神国より分付せる枝詐なり。支部に仁と云ふは末が未なり。童と云、絶と云、亦共末 なり。偶の遺を立る、叉更に末なり︵全書一〇八 −一一〇︶ 而て蓋蒜者が、一節の赤心と共に、重大成して、以て紳遣の碑髄とする君臣の大義とは何であるか。慈賓尊者は 之に答へて日く︵ − 紳儒偶談上︶ カミシモ 河上に忙し、足下に屈す。此上下走りある是を誠の道と云。⋮:壬⋮君臣遺写?⋮・頭は上に化す、 仮令恵疾ある も、此を下に移すべからす。足は下に化す。侶令肥自なるも此を上に移すべからず。上下既に改易なけれども、供 + にこれ一身なり。椅軒疾痛みな同く保捜すべし⋮⋮⋮ 我和国もとより仁魂の名なし。咽頭の上に任するを見て、君 位の傾くべからざるを知る。天椎迂を見て知るべし。歴代救臣の身を亡を以て知べし。此君臣分永く定わて移易す ・へからぎるを知る。変に於て臣庶たる潜は常任を窺ふべからぎるを知る。君花る者天に代て臣庶を撫育す。上下の 、 分を脱す可からぎるを知りて、君臣同一醍の如し︵重出、二充及二六︶ 慈雲せ若の紳道 九

(17)

慈貨車斎の神道観は、此に至って、梢幽遠なる常塾の域に逼迫んで釆たのである。それは伺此れにのみ止らない。

者は更に語を稚いで日く、

上天のことは馨もなく異もなし、至れりと云へり。此れ所謂高天原也。この音萎もなく臭もなき上天は死物か荷物

か。元来活物にして衆理を具て、のこすことなし。埋そなはれば物自ら具る。生成して止らず。是を蒼々たる長天

物あり理ありとす。此を曳こかしにして紳悪化す。天御中主奪なり。︵紳儒偶談、下、重要二二八及一二九︶

以上述べた如く、慈宰尊者の神道は、之を人間の赤心、まごころと云ふ鮎から見れば、心理的であり、倫理的であ

り、君臣の犬養と云ふ鮎から観察すれば、国民道徳的であゎ・、而も之を以て自然法爾に存する宇宙の大道と見た桝は

天然哲畢的であるとも云へよう。

第〓 悪霊尊者の紳取

紳遣とは紳の道である。果して然らばその所謂紳とは何であるか。量観の輯錬に由れば、志芸食草は孟子と同じく

締着聖而不可測之稲︵紳道折紙類東上、全書二七五︶

と云ひ、

す。故に共象幽玄にして、その敦詳悉ならす︵全音六四六︶

我図は紳固也、寓世に停はりて、君臣の道たがはず。我遺は紳道なり。天地を化成して問界を成育し、人倫を鹿骨

叉日く︵ − 相承紳道俵︶ 慈雲合者の紳邁

(18)

紳は無極にして、萬物の形牌より以上に坐すを以ての故に、紳ほ上なり︵天加配、帥道嬰集、下、全書一〇三八︶

と云つてをる葡尊者壁筆紳道折紙集に日く

造化帥間非肉血紳、親身組長軸窪︵全署、三国五︶

天如記入門十二流聞寄は日く

手を拍つ⋮⋮掌の中、一物も無き基虚より其の雷をなす、是れ亦虚にして巾基妙なり。此妙即伸也。基軸妙拍手にあ

らはる。此拍手即ち紳遣たら。天地の間妙に非ずと云ふことなし。紳に非すと云ふことなし。紳宝塔耽に云、紳は

一にして形なし、鹿にして監あり、是む大元一虚大元尊紳と申す。亦図常立食と巾す︵重苦四一〇︶

此に至って、慈雲盛者の紳道にも、紳道五部寄の影響が現はれてをることが分かる。加之慈雲尊者の和親は、怖敬

哲鞘を含むものであるから、萬有紳数的色彩が見える。故に円く

天地同根入所一構也︵量観軍神遣折紙類衆、全書二六七︶

第三 悪霊尊者の印僑関係論

法貨尊者は元と是れ曇一義敢の大阿閻梨である。故にその紳遣習塾は即ち而眞、有薦に即せる無薦、事に寓して理

を見んとするものである。尊者の紳彿関係論は文官に此に基してをるI。故に慈軍令者は円く 細道則有為法也、密教則無為無漏也、以九雑任心槻之刑有馬︵無銭︶別趣也、秘密荘臨心中即有焉而是無名、即無 焉而是無︵有?︶焉、我大日本国直是両部塁牽之足癖而諸紳悉三部界禽瓦智盈胱也、諸政立本地垂跡斯内通、︵日本 慈雲尊者の紳遺

(19)

紀紳代折紙記二、全書、五二四︶ 是れ亦彼の修験道が日本国中の高山唆嶽、春の花、秋の紅葉に、直に密厳浄土を見、囁々たる青山、泥建たる渓流 に、大口如束の法身を観じ、太陽の光明普糀の嘩蛤洲は直に見れ彿教の理想界たる寂光滞土たることを、常に力説す るものと同一思想である。故に天如撰入門十二流聞等比日く 有馬の倍にて無電の遼を彿遣と桝し、無銭の庸有名転任するを紳道と稲す。達人の睨には唯一紳遺即ち彿遣にして 表白妙合なれば附脅することを須ひざる也︵金吾、三九∩こ

仙釦四 慈愛二軍者の国髄敵

意蛋悪者の闊関税は、t系正統の紳胤、日本国を統治し給ふと云ふことむ基本とし、此原則む提げて終始してをる。 此に神国日本の閥惜が支部とも異なり、印度とも摂る所以を観取してをる。慈雲尊者は北ハの神勅口侍に於て日く、 遽欲立皇孫天津港々火後々梓尊は高天股の紳儀として、人事を以て、菱排すべからず。己下正しく天道に順じて天 命を受く、常吉不易の皇鶴を基す⋮︰・:疲の尭の君たる魂々乎として天の如く仁徳ひろく施すも、此所道より現れ ば及ばざる所ありて、迭に支那感代、臣として天位を親祭するの成心をひらくと云べし︵全音、二二九︶ 我国の聖人出でざるを以て紳遣の尊を知る也。武王云、爾を育する者はこれ君、.爾を通する者は、これ怨と。儒に て、は聖人の青ば、神道にては失言なゎ︵日本紀紳代折紙記二、全書五〇二︶ 是れ蓋し慈軍令者の紳遣が、一筋の赤心と君臣の犬養とを以て、其要甜として成立してをる出費鮎に由来するもの と謂ふ可きである。 慈要語者の紳遭

(20)

宗教撃に於ける宗教本質の定め方

鈴 木 宗 忠

宗教わ本質む定めることは、宗教笹の基礎工事であると糾してよからうと思ひますが、この先め方には色々あゎま して、それ峰軍歌畢の立場の典るに随つて自ら興って来るのは常然であhエ雷す。そこで先づ私の宗教奥の立場を述べ て乾きますと、私は宗教蓼は一つの文化科畢であると考へる。宗教箪が文化科革であると云ふのは、それが自然科挙 ではないと云ふ意味であります。 料率を別つて、自然料率と文化科革の二越知とすることは、たとひその名栴の附け万には刑法があるにしても内 容の上から、凡ての料革む二部別に別けると云ふ意昧に於て、単著の意見は大惣一致して居ると見てよからうかと思 ひ空す。そして私は、現今の拳非に於て、次㍍に謎められて氷て居ると忠はれる考へ方に従って、n点料塾は法則の 塁見を樺色とするものであり、文化科畢は型の想定を樽色とするものてあるとして定かう。それならば自然科挙の特 色とする法則とは何であるかと云ふに、それは現象の詮明に役立つものであつて、その内容は、覧翰上一党の條件の 下には、そのま1規茸に見出される関係であると云つてよからうと忍ひます。これに封して、文化科撃の粕色とする 型は、意味の閲聯を理解する焉めのものであつて、その内容はー特定の條件の下に現ルる陶聯をば、考の上でその條 采致串に於ける琉致本質の定ゆ方

(21)

京染嘩に於ける競故太質の定め方

︼因

件を聖魚化し、観念上先金な極限形態を取つたものであると云ってよからうと思ひます。換言すれぼ、それは所謂理 想型であります。洪してそうであるとすれば、自然村塾の中心とする法則は、そのま1規賓に現れて来るのでありま すが、文化科鬱の中心とする型は、理想的なものでありますから、それはりでのま1に現寛には見出されないのであ少 ます。尤も文化科箪に於て、この型を作ることは、現琵に在る形態の理解から机敬するより外に方法はないのですが。 例へば配合箪に於ては、その型概念を作るのに、ゲマインシャフトとしての家族や、ゲゼルシ・ヤフトとしての愈杜と 云ふやうな現貿形態の珂解から川蟄する。然し家族にしても、叉魯虻にしても、これをゲマインシャフトとして考へ ゲゼルシャフトとして考へる場合には、それは即憩的な型であるから∵法則概念のやうに、決して現質的な闘係では ないのであり史す。それ望息味別解の主観に依って、観念上別懇型として作られるものであるから、現賛に於ては多 少不机なものとして存在し、不完全なものとして現れるのを免れないのであります。 これ真東敷革に就いて見るに、その型概念を作るのにⅢ餞断とたる現蟹形態は、質草王誼の宗教としての基督敦と 軌念主義のハ︰小数としての楯数であると考へる。如何なる意味に於て、基督教が賀状主義の宗教であり、彿教が観念主 義の宗教であるかは筏に述べることに致しますが、それは何れにしても、この二つの宗教が、現衣の世界教として、 如何しても、これを除外することの爪木ない大宗教であることには、何人も典#はないでせう。そして私の考によれ ば、ヤ方お督敬は奮衣主轟の宗教として存在し、他方件数は観念真義の宗教として布衣して、而も瓦に封立して居る と瓜ふのであり空す。このことは恰も現在の政令に於て、ゲゼルシャフトとゲマインシャフトとが封立して居るが如 きものでありませう。宗教挙は一の文化科畢として、この二の現箕形態をい畿鮎として∴示教の型概念を作るのがそ

(22)

の本領であらうと鳳ひます。勿論宗教単に於て∴示教の型概念を作るのに、この二の現茸形態を出費鮎とするのは、

祀昏畢に於て、ゲマインシャフトやゲゼルシャフトを出費鮎とすると等しく、この二宗教を受水主義の宗教や観念主

我の宗教の型とするのであるから、それ誓示教の現箕形態であるとは云つても、現資のまゝのものではなくして、観

念上のものであることを注意しなければなりませぬ。

こゝで問題となるのは、かやうに宗教の型概念む作るのに、その現貿形態から川蟹すると云つても、それが何に依

って可能となるか、何を規準としてそれが起るかと云ふことであhヱます。私の考に依れば、この際宗教の型概念を作 るのに規準となるものは、こ1で我々の問題とする宗教の本質に外ならぬ。従来の宗教螢に放ては、それは普趨に宗

教の定論と云はれたものでありますが、然し私はこれを宗教の定義と云はないで誌敢の本質と糾したい。恰も統合単

に於て、批宙の型概念を作るのに、その現貨形態から円墳する際に、概念柿成の規準となるもの車虻昏の本質と稲す

るが如くであります。かくして宗教の本質は,虻昏の本質と等しく、芭接にはその均質形態に働きかけるものであゎ

ますが、従って冊産には宗教の型概念の梯成に興るわけでわ努ます。して見ると、宗教の本質が定められなければ、

宗教撃の撃的労作は動きが取れないと云はなければなゎませぬ。この意味に於て、宗教の本質を定めることは、宗教

質の基礎工ポと科して差支ないでせう。それならげ宗教の木質は如何して定めらるべきものでありませうか。

景教ホ群の定め方に閲し、私自身の考を述べるに先立って、碓氷の諸兄を回厳して見ませう。従来の宗教単に於て

は、何れの撃沢でも、宗故の本質を定めるのに、基督敦がその漁憩となつて居るのであります。この鮎に於ては∴示

琉紋串lニ於ける琉歌本質の定わ方

(23)

〓ハ 琉改革に於け一号軍政本質の定絶方 教本質の定め方に封して、宗教畢の立場の相蓬は現れて居ない。然し宗教螢の凡ての拳浜が基督致を橡想するとは云 つても、その材料とする宗教は同一ではあゎません。こゝに宗教本質の定め方に封して、宗教拳の立場の相違が現れ て来るわけであh三ます。 宗致挙が科箪として起って来たのは、御承知のやうに、一八七〇年代であhエ冨す。この初期の宗教拳である膳史単 派や人弼革放でも、その致想となつた宗教は勿論基督敦でありますが、その材料となつた宗教は、決して基督致では なかったのであります。歴史塾沢では、古代人の宗教を材料として、例へばマクス、ミュラーの如きは、その本質を ﹁触転者の知覚﹂としたのであります。申すまでもなく、基督敦で按宗教の客鰹.若くは理想を紳とするのでありま すが、脛吸箪波ではこれを竣恋しながらも、宗教の本質を定める際に、そのまゝ紳と云はないで、無限者と和したの であります。無限者と紳とは、重く異るものではないが、然し決して全く〓一なものでもない。歴史笹誠に於て、こ の場合に、紳を拍て1無限者を選んだのは、それが基替歌を珠想しながらも、古代人の宗教をその材料としたからで あります。文人頼撃沈では、未開人の宗教を材料として、例へばヂユルケムの如きは、その本質を﹁紳聖な諸事物に 脚する行焉﹂としたのであります。紳は紳聖なものには踵ひないが、然し基礎教の帥は昭一亀封なものであるのに封 して、こゝで﹁所望な諸事物﹂と云ふのは、単数ではなくして、複数であります。これは人類塾寂が基督致を預想し ながらも、兼闘人の諸宗教を材料とするからであります。 宗教笹に於ては、歴史車況や人類畢渡がだんく開展して象りますと同時に、更に新しく心埋草波や、野塾沃が、 前世紀の絡から現世紀の初にかけて、屯って釆たのであhヱます。この二の新車派は、古い二の審決とは興り、基沓教

(24)

をその竣想とすると同時に、その材料としても、大悦に於て、基密教を用ひて居るのであります。この立場の特色は ヽ ルチが一九〇四年にmした﹁宗教単に於ける心理聾と認激論﹂から起つて釆たものであると考へて居り空すが、然し 材料も亦基督敦であるからであります。次に哲畢次に就いて述べると、私誓示教畢の畢放としての宗教昭軍は、トレ の本質を﹁紳に脚する感櫓行動等﹂として居ります。これは心翠畢沢が基督数をその預想とするばかりでなく、その その宗教本質の定め方にも現れて居る。兜づ心理畢淡から申しますと、例へばウイリアム、ゼームスの如きは∴・加数 暫単漁の基礎をなすものは、周知の如く、カント、シュライエルマツヘル、ヘーゲルであhヱます。少くとも押掛波に 於ける宗教本質の定め方は、究極に於て、この三人のクラシケルを出でないのであります。故に私は今野斡派の代衣 として、この三人の曹畢脊の宗教本質観む述べることにする。カントは﹁凡ての戟跨を紳の命令として認蝕するのが 素数である﹂とした。これは彼の宗教哲畢が、基背教をその預想としたと共に、亦その材料とした所から、竹⋮然生じ た結果であります。これで見ると、カントが宗教の本質を温故のとに認めたことは明でありますが、然しモの認舘は 理論的謎放ではなくして、箕践的認識であることを注意しなければなりませぬ。換言すれば、彼は㌫酸の本質を円心志 に認めたのであります。シニフィエルマツヘルが素数の本質を﹁紳に射する絶封依屠の感情﹂としたのも、カントと 等しく、彼の宗教哲拳が基督教をその汲想としたと共に、その材料としたからであります。但しヵントのハ吊鉱水貿軌 が、意志を主としたのに射して、シニフィエルマツヘルのそれは、感情を主とした。ヘーゲルの宗教背撃も、カント やシュライエルマツヘルと等しく、基密教がその頚想であると共に、その材料でもあつたけれども、それは紳と云ふ 語を用ひないで、転封者と云ふ語を用ひました。これは一面に於て、彼の宗教哲畢が、・その材料を基督教以外にも珠 祭政亭にこ於ける宋教本賓の定め方

(25)

一入 宗教撃に於けゑ邪教本質の定め方 ったことを示すものでありますが、叉他面に於ては、柁は思想の上でも、語の上でも、範封者と紳とを常に同一に考 へて居たことに注目しなければなりませぬ。即ち彼は﹁絶封者を表象の形で認激するのが宗教である﹂としました。 この宗教本質観は、カントのそれと等しく、認識を主とするものでありますが、然しその認識は、カントのそれのや うに、貿践的認級ではなくして、謂はど理論的認放とも云ふべきものであhエます。換言すれば、カントは宗教の本質 を意志の上に認めたのに封して、ヘーゲルはこれを知識の上に認めたのであ旬ます。 三 従来の宗教本質叡には、かやうに色々な定め方があ少ました。これは固よ且示教畢の立場の制定に塞くものであり ますが、然しその立場そのものが直に宗教本質軌に影響するのではなくして、宗教輩の立場外縁恕する宗教とその材 料とする宗教の如何に依って、宗教本質観が違って来るのであhエます。私は宗教殴の立場としては、従来の新暫四箪 波を散れて、調はゞ文化科畢放とも申すべきlの新しい立場に立つものであ¢ますが、この立場では、宗教の概念を 構成するのに、現監形態としての基督敢と例数からm敬するのでありますから、その竣想する宗教も、その材料とす る宗教も、従来の囲革浜とは興るのであります。従釆の四車扱では、その珠想する宗教は何れも基替歌でありました が、私の宗教畢では、基督教を預想すると共に、彿敢をも同様に激怒するのであわますひ叉その材料とする宗教は、 従来.の四笹沢の中で、歴史笹沢は古代人の宗教を用ひ、人軒壁紙は未開人の宗教を用ひ、心理畢波や哲拳波は共に基 啓教を用ひたのであゎエますが、私の宗教革では、基督敢を材料とすると共に、沸教をも同株に材料とします、然し古 代人の素数や未閑人の宗教は用ひません。従って私の宗教螢に於ては、宗教本質の定め方は、自ら飯米の宗教単に於

(26)

けるものと控異って来るわけであ 私は宗教の本質を定めるのに、初には準備をLて二の方向から別々把進み、後にこれを結介して統一的な結典に到 連したいと思ふ。準備としての二の方向とは、一は規箕形態としての基督軟からⅢ致するものであり、二は現饗形態 としての俳軟から椚蟄するものであり毒す。基督敷から椚零する場合に於ては、宗教の本質は、宗教の主観としての 人間が、その理想としての紳に救はれることであると云つてよからうかと思ひます。そうするせそれはカントの考へ たやうに、紳の箕践的認識でもなければ、叉ヘーゲルの考へたやうに、帥の班静的認放でもありません。そうかと云 って、それはシごフィエルマツヘルの考へたやうに、紳への感情であるとも云ふことは札束ませぬ。基督敦の上から 見れば、人間の一部分の心意作用の紳に射する脚係が、宗教の本質ではなくして。人間金蛇が紳に韮って生きること が正しくそれに常るであらうと考へます。 次に規貨形態としての俳軟から出費すると∴示教の本質は∴示教の主観としての衆生が、修誰の結果その刊!想とし ての俳に成ることであります。然し件数には、自力致と他力教とがありまして、自力数の上から見ると∴示教の本質 は併に成ることであるが、他力敦の上では、基替歌と似て、俳に救はれるのが宗教の本質ではないかと云ふ疑が起り ます。これに就いて申して定くと、成程他力教では、阿禰陀仰のカに依って、浄土へ従生すると云ふのが、その中心 慮想でありますから、この鮎から見ると、宗教の本質吐俳に救はれることであるやうに思はれます。けれどもこの場 合に於ても、往生は手段であつて、目的はどこまでも修琵成彿であhヱます。往生はあつても成体がなければ、少くと も他力教としての宗教生活は完成しないのです。この意味に於て、梯敦を中心とする限り、自力教は無論のこと、他 嚢敦塵に於け争軍教本質の定古曳

(27)

かやうに宗教の本質を定めるのに、基督軟から田畿すると、それは救済とな少、件数から田牽すると、それは修泣

となるのでありますが、然しこれ望義挙に於ける宗教本質の定め方としては、準備に過ぎないものでありまして、

、こ

完成した桔英と申すことは出来ませぬ。宗教の本質む完成した結果として纏める薦めにはの二の方向から別に

▼ 進んで釆たものを結合することが必要であります。この二の宗教本質税を結合するには、先づその刑法を吟映し、そ

の相違が如何にして起って発たかを明にしなければなりませぬ。私の考でけ、宗教の本質が二方では救折とたり、

他方では修託となるのは、その出費鮎となる規箕形態としての二の㌫教が、その中心思想を異にするか告あり票すり

云ふまでもなく、基督数の中心思想は紳であり、件数のそれは彿でありますが、紳は安和であると翳へられるのに射

して、彿は理想であると考へられる。こ1に宗教本質貌の上に、救済と修託との相違の崖する根元細山が存すると‖心

ひます。私が現実形態としての基督教を資雇主義の宗教と云ふのは、その中心思想である紳が、かやうに箕布である

と考へられるのに由るのであり.、現実形態としての俳敦を観念主義の宗教と稲するのは、その中心忠恕であろ仰が、

かやうに理想であろと考へられるのに由るのであります。それならば箕衣である紳を立てる基軒数から出聾すると、

如何して宗教の本質が救済となるかと云ふに、紳扶我々の外に超越する貿雇であるから、我々がそれに近くには、紳

かち出る力に待つ外には手段はない、そこで紳に救済せられることが、宗教の本質となるのであります。然るに仰数

では、併を理想と考へるから、我々がこれに到達するには自らのカに依る外はない、そこで怖軟から川敬すると∴示

教の本質は、俳に成るとせられるのであります。

琉歌翠に於ける読教本質の定め方

力教を考へても、宗教の本質は救済ではなくして、修辞であることになると思ひます。

(28)

然し更に考へると∵宣託とせられる基督敦の紳も、沸教の彿と等しく、何人もそれが宗教の中心思想としては、失

す理想であることに菊が附くでせう。中世紀に滑極紳拳と云ふのがありましたが、これは基背教の紳を貿尭とは

レて居hエ王せんし、叉近世の背尊者も、例へばカントにしても、フィヒテにしても、基礎数の仰の眞性は、賀春では

仏くして、理想であると考へて居ました。かやうに見て来ると、基督敢の紳は、菅通には賛衣であると考へられるけ

⋮ども、その展性に於ては、沸教の彿と等しく、理想であるとしてよからうかと恩ひます。従って本質の上から云へ

仏∴示教は理想生活であると申すべきであります。既にそれが理想生活であるとすれば、他の釦想生活と等しく、そ

ルには≒釈が考へられ、その主税に封して、理想が考へられるのは常然でありませう。この主軸が、俳数.に於ては、 −弥生と云はれ、基督軟に於ては、人間と云はれるものであhこ夏す。他の理想の主観は、野分的なものであるのに封し

て、宗教の主軌は、全鴨的なものでありますから、それは実在と考へられ、人間とか、衆生とか稲せられる。それと

川様に、この主観に封する理想も、他の場合に於ては、理想は何題までも理想として止まるのでありますが∴加数に

於ては、理想は賛在化するのを免れることが円楽壷せん。既に彿敦の彿にもこの傾向はありますが、基常数の紳は、

その衆もよい適例であ少ます。それが貨在であると考へられるのは、この過程によるのであります。

宗教は理想生新であるとすれば、基督教の救済もこれに食まれ、沸教の修謹もこれに食ま九るのではないでせうか。

さうすると私が前に宗教の本質を定めようとして、二の方向から別々に進んで居たことが、こ1に結合せられて、統

一的な結英に到達することが出来たわけであります。それならば統一的な結裁として、宗致の木馬を如何に表現した

ならばよいでありませうか。それは宗教を一の理想生活として、他の理想生活、例へば知紐、道徳、美術等から匿別

琉歌翠に於ける読教本質の定め方

(29)

二二 余教学に於けろ乗数本質の定め方 するの外はない。既に述べたやうに、他のものは、何れも部分的な理想生新であるが∴京敦は全開的な理想生活であ る。私はこれに依って、成る程産までは、宗教の本質が、統一的な結共に於て、定められたと恩ふのであゎます。然 しそれはまだ十全ではない。 他の理想生活揉理想生活と申しましても、それは何れも理想を追ふ意味での理想生活でありまして、決して理想を 眠のあたりに‡現する意味での理想生活ではありません。然るに宗教生活は、他の理想生前と等しく、一の理想生活 には蓬ひないが、然しそれは理想と迫ふ生餌ではなくして、眼のあたり理想を貿現し、それに賃瓜するの生前であり ます。欲するがま1に行動をしても、それが則を越えることなく、箔付きのある、安らかな生活が、それがハ示教生餌 であhヱます。そこで私時宗敦の本質を定めて、それは理想の規質、若くは現蜜せられた理想と.申したいのです。かや うに理想を規準として宗教の本質を定めると、その中には基弔歌から出費して定められた宗教の本質である、﹁人間が 紳に救はれる﹂と云ふことも、叉俳軟から椚委して定められた宗教の本質である、﹁衆生が俳に成る﹂と云ふことも、 共に含まれて来るのであります。さうすると準備として定められた二の宗教本質税は、こゝに結合せられて、初めて 統一的な完成に到達したと云はれるでありませう。この持英は、私の多年思索の上で、榊く到達したものであります が、然し私と同一な考を持って居る人が、全くないとは申しません。例へばハインサヒ、ショルツの如きは、その﹁宗 教哲畢﹂に於て、宗政を一の偶鮫として、これを他の低位と比較し他の椚佑は ︵︼e−h一義であるが、宗教の慣位は くe⊇irEiO冒コg であると云って居るのは、正しくそれであります。私はこのことを知って、大いに意を弘うして居 る次第であります。 し

(30)

従来の宗教畢に於ては、宗教の本質を定めるのに、主として基督敦を考に入れて屈ましたから、件数は虐待を免れ ● ませんでした。かやうな宗教単に於ては、沸教の取扱方には二軽あつたやうに思はれる。一は強ひてその宗教木質税 に彿敦を入れやうとしたもので、この場合に於ては、彿教は嘗然得らるべき位筐を得て居なかった。二はその宗教本 ヽ 質観から彿教を押しのけようとしたもので、この場合に於ては、沸教は宗教ではなくして、哲畢であるとせらjLた。 成程沸教は、或る意味に於ては、哲単に蓬ひないが、それと同時に宗教であh三ます、而もせ界敢として、それは基腎 故にも勝った位置を占めてゐる偉大な宗教であります。これに通常な位置を輿へないやうな宗教串は、一般に“ホ教学 として完全なものではありませぬ。殊に虞の意味に於て、開展した彿敦を持って居ることを誇りとすべき我国の宗教 畢としては、かやうな宗教畢は正しく改訂せらるべきものであると信するのであります。私が日本宗教拳骨の大命に 於てこゝに新しい宗教本質論を提唱して/甲良諸氏の御注意を喚起したいのも、亦この趣旨に外ならないのであり ます。 萩敬啓に於ける“端数本質の定め方 ︵一一、一﹁ニ九︶

(31)

正法の意義

羽 瑛 了. 諦

正法の原語は言ふまでもなく笹ddhpm−ゴ由︵巴︶若しくはm乱臣買皇︵梵︶であつて、こ.の原語は書法とも妙法とも 持されてゐるけれども、夢tには渥正の我があるから、常然正法とも翻ぜられ得るのであ少、従って漢詩俳此ハにその 詳例の乏しくないことは、彿単著の周く知るところである。 さうして俳陀所詮の教法が夙に正放と呼ばれてゐたことは、巴・漠南榎の原始俳典を通じて、しば′1その例を見 mし得る。固より、時に・は信・噺・悦・精進・慧の五法、若しくはこれに開と念とを加へた七淡、.その他三十七道品 等を特に正浩と名づけてゐる場合もあるけれども、これ等も畢寛するに併託の一部を正法と鵬へたのにほかならない。 しかも印度において開法が正法と呼ばれたのは、菅に彿数倍伽内における事茸のみではなく、駒く政治的方面におい ても亦俳法を指模するに正法といふ詮表が用ゐられたのである。現に西暦第一世紀の中杢、土爾其斯坦より高附 ︰只夢已︶及び健駄羅 ︵Gpn告許p︶ に亙って、貴賓 ︵戸惑膏︶ 帝国を創建した熱心な奉俳家たる丘就即︵ヂljぎ ハadpFi琵︶の奇行に係る貨幣面には、S警﹃旨p苫atFidp、︵正法の保護者︶といふ文字の打出されてゐることに依つ

正 法 の 意 義

(32)

て、その二鱒を知ることができるだらう。

三﹂然らば、何が故に仰陀桝籠の教法が拍に正法と呼ばれたのであらうか。遺憾ながら、彿此ハにはその理由に就い て明瞭た詮示が輿へられてゐない。晒だ原始仰典には常時の人々が仰陀の説法を讃放した言葉として﹂由も背く、中 発く、踏も導く、文請ともに几ハ足せろ教法。Lといふ定評が頻りに絹返へされ︵巴利柑鍼・紀分別 .一員、同大品. も 三五●二川二●二川五貢、長部泰二・一二−五パ、中部巻一・一七九・二六七貞、塘支部懇一・一八〇頁、撃ニ. 一一回Ⅰ末日恕︶、また彿陀を如水七呼び輩る一珊山として、﹁加水は成道正党より股浬紫に至るまで、その冊に、訂いて 言託し秋元するところ、凡てこれ眞安にして、他︵虚妄︶なきが故に如兼と鵬せらろ.﹂と詮き︵長部怨三.二三皐賃 如〓㌍川・一二一‖等︶、たほ望た﹁北川における賢骨が無と言ふところのものは、我も亦これを無と.言ひ、枠用におけ ろH署が石山と∴﹂∵∵三↓りのものは、我も亦これを有と言ふ。二幸︰=べられてゐるに禦ごたい︵祁艦部登二二三八日︶。 大竹比論怒二には、上損の︰帰投の仰語を碍糾して、﹁訳し人里を有土・=ひ、有を無と一∵=ほゞ、是れ非︰明智人と名づ く、一明酔人は有を有と一∵=rL∴伽盲無と音、烏仙ほ有を無と一∵︰はず、無を有と∵ほす。﹂と放べられてゐる。 これ等の経文の意味するところを綜合してみると、彿陀霊警告這しい認撤に基いて、如既に有無.を判断する農法 であつて、形式内容ともに華美を以て一⋮目してわろといふことにたるけれども、これのみでは未だ以て彿詮の証紙た る根臓が明示されてゐろとは謂へない。 ところが、仰陀時代の印度における研︰堕的思索豪によつて盛んに薫捕された、世井の常住・無常及び有限.蕪堅 正 法 の 意 義

(33)

身照と監魂との異同、如来の死後における存否などに関する四埠十川問題に射して、俳陀が凡ての.判断を緋けて、謂 はゆる無記的態度を取られた理由の説かれてゐる経文を仔細に吟味すると、俳陀自らその所詮の教法を重1三放と言はれ た所以が行碍されるやうに思はれる。巴利中部六三粧︵奄一・些二二頁︶に伽⋮記の郡山・甲を詮明して、﹁究にそれは利益 を乾さす、梵行の基本とならす、閏触・離欲・寂滅・止息・智迫・正餐.捏翼に導かざれぽなゎ・。﹂と叙べられてゐる が∵敢初の﹁利益を費さす﹂とl︿いふのは、これに村営する阿食経文では、﹁非−轟相應↓非−法相艦ご︵中阿合食六〇・箭 喩詐︶若しくは﹁不二輿レ範合ボニ輿レ法合ご︵長阿合巻一七・布旺婆超絶︶と課され、誌︵意蓑︶と法︵虞理︶とに合

致しないといふ意味の表現であるから、利益を費さないと富ふのも、意菰に粕應しないと言ふ打も、畢究法の開拙に

賀するところがたく、眞理の把握に無益無轟であるといふ意味であらねばならぬ。すなはち前示の四項十四問題の如

きは、吾人の正箪た認識を超えた、従って解決の不可能な形而上辟的間電であるから、如何にこの柾の問題の討究に

後出して、有・無・亦有亦無・非有非無などの判断を下しても、凡て眞現に該常しない猫断偏見に陥るに過ぎないと

言ふ正しい認識論的見地から、無記の理由が貫首されたものと解すべきであらう。怖陀時代における謂はゆる六師外

道の一人たる敬意耶︵Sa監童p︶が吾人の認識能力を以てしては事物の眞相を捏むことができないといふ認識批判の立

場と斯る眞相を撞み紬ない智力に立脚して妄りに判断を下し、それに執着することによつて精油の平和が撹乱される

土いふ修革的健竣の立場とに基いて、一切の判断中止を提唱し、以て常時流行のこの柾の諸問琶に封して超越的中立

的立場を保執したのは、俳陀の如記的態度と認弛批判の思想において相通するものゝあることは疑を容れない。が併

し、散惹耶の批判哲畢は絶封的消極主義に同著し、延いては一紙の懐疑論となり了つ・たのに反して、怖陀のそれは謂

正 法 の 憲 去

(34)

はゆる加害知見の正しい認諭的立場より鏡極的展開を途げ、常時における凡ての封立的異論及び間断的偏見を棄揚し た榊伏線起の中道税を確立せしむるに至つたのである。俳陀猫自のm心数的立場たる繰延軌、すなはち一切が相位相賛 の紺係において成立するといふ如空知見が、普遍安雷の眞理であることは今琴首ふまでもなからう。 一 三 けでに俳数の棋本思想たる繚起観が正しい認識に立脚してゐるとすれば、それによつて指導される貿儲も、またそ れによつて決定づけられる理想も亦託しくあらねばならないことは理の常然である。従って、先きに引用した彿陀の 無記に封する理由の説明中、梵行と出離と離欲とは正しい貿践を表示したものであり、寂滅と止息と智通と正俊と狩 梨とは正しい理想を指捺したものと謂ふべきであらう。このことは彿陀がその無記的理由の詑明に次いで、正しい認 訟を賛し、正しい貿践の基本となり、正しい理想に導く正法として宜示されたものが、すなはち苦●集・滅●遣の四 翌諦であつたことに敬して柄かに知られる。 苦●集抄二監諦k、古米言はれてゐる通り、迷の因果を詮顛した眞理であつて、繰敵の現軌にほかならない。縁起 の蚊高原理が因と経との二形式を泡じて、一切魂象としての典を成立せしめる よつて凡ての事物は生滅欒化を繰返すのであつて、一事一物として館恒不欒なものは絶えて伽⋮い.。故に諸行無常とい ふ科挙的認識が成立する。一切が無常である以上は、有らゆる方南に封して常任風涛を希求して止まない吾人の本能 的石目的意欲が早晩必ず董切られざるを紺ないのであるから、輿へられた、まゝの世界人生は馨げて、結局吾人に荒悩 を感ぜしめるのである。彿陀が屡﹁無常なるが故に昔なり。﹂と宣託された所以は故に在る。 正 法 の 意 義 二七

(35)

次に滅●追わ二聖請豆、従来解繹されてゐち如く、情の因里を詮哀した罪理であつて、結城の滅緋には・㌣たらない

悟の因ほ即ち八正道であつて、八正道の系別にむいて其の昔位をハめてゐる正兄は、端的に説明すれば、彿陀の根本

思想たろ縁起わ眞理に射して正しく心服を闘いて、これを講親し招待することである。技塾の原理が詔得されたなら

ば、この地上における一切に封する無常観苦闘が碑文すろから、おのづから故に〓配・最離の無誠⋮宜的繋ほか展開さ

れると〓時に、何ものにも骨〓エ宰の蟹布性が否認されるから、おのづから致に梵行・離欲の無我朗賛ほが成立ち、

五〓心以下正定に専心七正道の党規となるのである。かやうに、抜殻法に裁く無常観牽減じて、無我の門出前職翰が成

就すれば、有らゆる我執的計慮が打破されて、一朝の存在に自我正鵠が班穴され、凡ての現物が自我の内容として洗

練きれるのでぁるから我他彼此などの封山九的日刊獅念や満潮中心の渇愛定紋やによつて佃まされることのたい紀引田

由の精紳律試、㍑浩統一の位高梨.に蛮づけらjLた下等大法の壁満雄=を内☆する捏衷寂障〃妙塙が最関するのでありじり 要するに、仰敢の糧本納格とも謂ふべき苦・集・誠・遣の一閃翌諦は、証しい認識に常∵\給.㌫眞理む椚冊持すること によつて、無動無我の正しい管践を通じて、招封円山の正しい理想を実現し得る聖たリリ車.叛いの堕ホにほかたらないの である。彿乾期自の最理の班暇とも謂ふべき三法印にして−も、初めの開村無常印は正しい村塾的認識の招請であり、 次の紹法無我印はj仁しい貿ほ的基本のそれであり、終りの捏肇寂静印は正しい理想のそれと観て然るべきであらう。 大系俳故においては三捺印に加ふるに特に描法賀ポl印を以てしてゐるけれども、こ・れとても無常無誓言紺沈む成立 ゃしめてゐ一句最骨⋮原巴たる縁起法が石生不滅の第一詣的罵狸である以上は、その愕法の椙ぬ的山JL現に立つ限り、それ

に依って生じ、それに伐って立ち、しかもそれに屈してゐる山切存在はそのまゝ岳崇鱒であらねばたらたいといふ眞聖

正 法 の 意 戒

(36)

の槙華に過ぎないのであるから、矢張り一切現象をそのま1自らの典憺的内容として統一し、諸法をして炭質たらし める精根的虹軍仁木JLハしてゐる紘起法の正しい閻認から必然費される親告甘揖別にほかなら思いのである。その他、 大小死に亙る仰敢の如何なる致謹も、如何なる蟹柁もーこの維起扶の吊しい認得に裁かないものは鍛えて如いと謂っ て可い。 、以上招託したところに依って、棉陀所詮の敢汰が正放と糾せられる根拍と意義とがほゞ理解されたであらう。つま り、件数は飽くまで正しい認舘的立場に立って、研輿の世界人律を如聖に知見することを〓蟄餌とし、依って以て認 和される締出山風紐に兆いて、正しい伽⋮我的箆蛇に向はしめ、迭に蛙正しい仰此iIIき渠の理科仙を招ム現せしめ、液高の文 化的入棺たろ棉格を完成せしめるから、京銀の名に妥骨出し得るので㌧聖篭 ︵清拭縦市警 正 法 の 悪 童 ︵完︶

参照

関連したドキュメント

弥陀 は︑今 に相 ひ別 るる説 の如くは︑七 々日泰山王 の本地︑阿弥.. の讃 嘆を致す者なり︒

2022 年 7 月 29 日(金)~30 日(金)に宮城県仙台市の東北大学星陵オーディトリウ ムにて第

白山中居神社を中心に白山信仰と共に生き た社家・社人 (神社に仕えた人々) の村でし

「イランの宗教体制とリベラル秩序 ―― 異議申し立てと正当性」. 討論 山崎

○事業者 今回のアセスの図書の中で、現況並みに風環境を抑えるということを目標に、ま ずは、 この 80 番の青山の、国道 246 号沿いの風環境を

1、研究の目的 本研究の目的は、開発教育の主体形成の理論的構造を明らかにし、今日の日本における

5世紀後半以降の日本においても同様であったこ

南山学園(南山大学)の元理事・監事で,現 在も複数の学校法人の役員を努める山本勇