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草 む 座 語 話 題 ね(ね) び 鬼 火 焚 呼 び 名 言 鬼 追 払 五 穀 豊 穣 無 病 息 災 祈 願 小 正 月 火 祭 毎 1 月 炎 囲 竹 弾 音 厄 払 ぐ 央 竹 柱 立 竹 倒 向 幸 福 豊 作 恵 言 風 向 せ 毎 体 同 じ 向 倒 ( 笑 )ね 夜 カッポ 酒

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Academic year: 2021

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 「ばとかん」とは、「馬頭観音」のこ とです。その昔、馬は農耕用などに使 われており、大切な馬の安全祈願のた めに、馬頭観音が生まれたと言われま す。現在は牛の無病息災や安産の祈願 の方が主です。毎年5月に畜産農家や 地域の人たちが集まり飲ん方が行われ ます。以前は高い丘の上に馬頭観音が まつられており、昔はそこで飲ん方を していたので、酔っぱらって下の迫に 落ちる人が続出していました(笑)。今では安全な下で飲 ん方をします。畜産の繁栄、地域の発展をみんなで願い、 焼酎を酌み交わし、大いに盛り上がります。前原以外でも この時期は町内各地でばとかんが行われます。  山神祭は地域の人たちが山林の管理 をする中で生まれたもので、その歴史 は百年以上とも言われています。昔は 木材や薪を取るのに山林の管理は重要 視されていました。一年に一度、みん なで集い、山の神様に感謝します。毎 年1月 15 日は御神木である山神様周辺 のやぶはらい、16 日は神事と飲ん方が 行われます。飲ん方では、まず役員が 向き合って焼酎を酌み交わし、その後、 みんなで飲ん方をし、シュロの葉っぱに包まれた米粉の団子 を少しずつ食べます。これを食べると一年中病気をせず、健 康に過ごせると言われています。  どてふんは、毎年3月 10 日に行われ る水神祭です。千谷池にある水神様の 前で神事の後、飲ん方が行われます。 飲ん方が終わったら、今度はみんなで 歌を歌いながら池からのびる用水路わ きの土手を踏みしめながら歩きます。 昔はとなりの池でもどてふんをやって おり、お互い競うように三味線を弾き、 歌を歌って、それはそれは盛り上がっ たものです。もともとは用水路の決壊 などが多かった時代に、地域の安全を願い人々が土手を踏み しめたのが始まりと言われます。また、飲ん方の席では「よ めじょよろこっ(嫁さんが喜ぶ)」という新婚さんの紹介も あります。今年はうちの息子が行い、地域のみなさんから祝 福をうけました。 み よ も 祝 み よ も 祝 団子 、健健 飲 い、 も 飲 、 も も ▲歌い踊りながら「どてふん」を する人々(昭和 61 年)  千谷池に鎮座する水神様 米粉の団子 ▲昔から伝わる飲ん方 の儀式 ▲飲ん方の前 に拝む人々 巢山健一郎さん 原田親志さん  川平区長 郡山信敏さん まき ご しん ぼく せんだんいけ

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 「おねっこたっこ(おねっこ)」とは、 「鬼火焚き」がなまった呼び名と言わ れ、鬼を追い払い、五穀豊穣と無病 息災を祈願する小正月の火祭りです。 毎年1月に行われ、地域のみんなで 炎を囲み、竹が弾ける音とともに厄 を払います。やぐらの中央には大き な竹の心柱を立て、竹が倒れた方向 は幸福や豊作に恵まれると言われて います。しかし、風向きのせいで毎年、  大体同じ方向に倒れます(笑)。おねっこの夜の楽しみ  はカッポ酒です。大人たちはその辺の草むらに座り、カッ  ポ酒を片手に夜更けまで飲ん方をしてお互いの健勝を祈  ります。  「だごかん」は「だんごを噛む(食 べる)」という意味です。明治の初め に牛の伝染病がまん延したとき、疫 病退散と家畜の安全を祈願して行わ れたのが始まりと言われます。今で は水天様(してんどう)の前で神事 を行った後、飲ん方をします。昔は ごちそうがあまりなく、各家で団子 などを作って持ちより、飲ん方をし て厄を払っていました。毎年7月 18 日に行われ、みなさん自慢の手作り料理やお菓子など を一品だけ持ちより焼酎を飲み、懇親の宴で互いの絆 を深めます。  狭野神社で毎年2月 18 日に行われ る苗代田祭。別名「ベブがハホ」と も 言 い ま す。「ベ ブ」は 牛、「ハ ホ」 は主婦のことを指す方言です。本祭 では、社殿前の庭を神田と見立て、 田打ち、木牛による代掻きをします。 行事中に交わされる会話は、全て西 諸県弁でなされ、即興で現在の話題 などを取り入れるなど、笑いあふれ るユーモラスな祭りです。演じ手は      始まる前に飲ん方をして、出来上がった状態で演      じるので面白さに拍車がかかります。ベブがハホ      は「祭り」というものの持っている本来の「笑い」      の精神を十分に残している貴重な祭りです。 日に を一 を深 まる前に るので面 「祭り」 精神を十             始 始ま       じ じる         はは      のの精 家に入るとみなさんまず作ってきたお菓子を差し出す ( 福原1のだごかん)  夜空を焦がすおねっこの炎  新燃岳の灰で汚れていた木牛だが、今回新たにニスを塗 り、ピカピカになり登場。表情もどこか誇らしげ! ▲草むらに座り、語りあかす人々 話題はつきない ▲持ってきたお菓子は参加者全員に配られる ▲昨年は新燃岳の噴火で中止になり、 今年は2年ぶりの開催。久しぶりに ベブが客席に突っ込む! 山波一博さん  小塚区長 森山孝一さん 苗代田祭保存会会長  坂口治利さん おに び  た うたげ しろ か

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①カンパーイ!      ②飲む→拍手 自然と座る場所が決まる  会場に入ると、上座がどこで、自分がど こに座ればいいか分からない場合がありま す。しかし、だんだん人が集まりはじめる と自然と座る場所が決まります。集合時間 にルーズな会もあれば、きっちり した会もあります。幹事さんの進 行により、乾杯をお願いされた人 が乾杯を行います。最初は多くの 人がビールです。しかし、中には 焼酎で乾杯する人もいます。  祝いの席などでは、みなさん自らの判断でお祝いとし て焼酎を持ってきます。2本きびり(焼酎2本を結んだ もの)ののし付きが普通ですが、3本きびり、5本きび りなどのちょっと豪華なものもあります。  飲ん方の場以外でも、お礼や感謝の気持ちとし て焼酎を持って行くことがあります。例えば神楽 の日は各家で手作りそばの振る舞いが行われ、振 る舞いをうける人は訪問する時に心づけとして焼 酎を持って行くことがあります。現金よりも相手 に気を使わせ ず受けとって もらえる「地 域通貨」とし ての役割を焼 酎は担ってい ます。  この発声で飲ん方がスタートします。しかし、すぐには 飲まず、まわりの人たちと乾杯をします。人が多い時は向 こうに座っている人たちの一人ひとりと乾杯をしますので、 少々時間がかかります。あまりに人が多い場合は軽い会釈 で済ます場合もあります。ビー ルを少し飲むとみんなで拍手 をします。これが終わり、よ うやく料理を食べたりします。 しばらくすると、参加者から いただいた2本きびりなどの 焼酎のご披露が行われます。 ▲焼酎のご披露。ズラリと並ぶ ※宮崎県で飲まれる焼酎のほとんどがアルコール度数 20 度です。(全国では 25 度が主流)

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割りやすいよう目盛りが ついているグラスがある このひもが割ってある印このひもが割ってある印     シマで飲んでいると、向こうのシマから一升 瓶ではなく、焼酎の入ったコップを持ってま わってくる人がいます。コップを渡されたらこ れは「杯を交わす」合図です。たとえ飲めなく ても、少し口をつけて返 します。ここで忘れては いけないのが、自分が口 をつけた場所は手で軽く  拭くことです。  山芋を掘るとは方言で「酔っ て人にからむ」ことをいいます。 (山芋を掘る人はブツブツ言っ て掘るから)たまに飲ん方で山 芋を掘る人がいて、場の雰囲気 が悪くなることがありますが、 大体、なだめ役の人が現れ、う まくおさまります。  しばらくすると、参加者はもといた席を離れ、シマ(会場 のいたるところに人が集まり輪のようになったもの)をつく ります。焼酎を割ってある一升瓶などをそのシマに置いてお けば、各自つぎ合い、盛り上がります。しばらくすると一升 瓶を持って、となりのシマに行く人も出てきます。高原では この行為を「まわる」と言います。こうして焼酎をついでま わることによって多くの人とコミュニケーションをとります。  飲ん方では一番盛り上がっている状態です。  飲ん方の終わりでは必ず「シメ」が行われます。 大体、一本締めですが、三本締めや万歳三唱などの 場合もあります。このシメできっちり終わることも あれば、一回目のシメ、二回目のシメなどのように 何回かシメをして、だんだん人がいなくなり、ジワ ジワと終わることもあります。  飲ん方が盛り上がり始めると、飲み物がビールから焼酎 に変わります。焼酎はそのまま飲まずお湯などで割ります。 この割り方に関しては多くの人がこだわりをもっており、 5:5や6:4など、人には譲れない自分なりの焼酎の割 り方があります。また、主催者側や若い人はお客をもてな すために焼酎づくり(焼酎を割ること)をします。細かい 割り方の注文以外はヤカンなどでいっきに焼酎を作ります。 高原では「お湯から先」というのが鉄則であり、ヤカンに お湯を入れたのちに焼酎を入れます。割ったものは、ヤカ ンや、とっくり、それらが無い場合は一升瓶に入れておき ます。一升瓶の場合は割ったものか割ってないものか分か らないため、割ったものの目印として、焼酎を結んであっ たひもを一升瓶の口に結びます。 ※中には焼酎を「生(き)」(全く割らない状態)で飲む人もいます。 ▲焼酎作り ※赤い輪のところがシマ ※しゃくをする時はビールや焼酎のラ ベルを上にした方がいいと言われます。 ※似た表現で「くどくど言う」ことを「じじらを言う」 「じじら掘り」と言います。 さかずき   か さかずき     か

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霧島

山マラ

ソン大会

てなし

「大飲

方」

  以前から天孫降臨の舞台となった 高千穂峰を活かしたイベントが何か できないか仲間と考えていました。 そこで思いついたのが、 「登山マラソ ン」でした。高千穂峰の登山客の多 くが鹿児島県の高千穂河原から登っ ています。高原町からの登山の素晴 らしさをアピールし、天孫降臨伝説 に目を向けさせるには絶好のイベン トだと思ったのです。最初は少なか った参加者も年々増え、今では、登 山マラソンのコースは「天孫降臨コ ース」として知られるまでになって います。   おととしは口蹄疫で中止、昨年は 新燃岳噴火の影響によりロードレー スという形で実施となり、登山マラ ソンとしては3年ぶり悲願の開催と なりました。      大会をさらに盛り上げるのは「大 飲ん方」です。マラソン終了後、参 加者を招いて飲ん方をします。豚汁 や宮崎牛の振る舞い、もちろん焼酎 も出ます。競技中はなかなか、他の 参加者とは交流を深めることができ ません。 シートを敷き、 かしこまらず、 ひざを交えて高原流でみんなで飲ん 方を楽しみます。町内ではこの規模 の飲ん方は他にはないと思います。   毎年の参加者でこの飲ん方に参加 するためにマラソンを走る人もいま す。大飲ん方まで入れて霧島登山マ ラソンなのです。   本大会にはボランティアとして多 くの人が参加しており、山頂のゴー ル班や飲ん方での接待班など各自の 持ち場で参加者のみなさんを「おも てなしの心」で迎えてくれます。こ の心がなければ、どんなに素晴らし い町を訪れても魅力は半減します。   飲ん方もまた高原流の「おもてな しの心」であり、この心こそが町に 人を呼び、町に活力を与えるのです。   今後もみなさんに「霧島登山マラ ソンにまた参加したい」と思っても らえるような大会になるよう頑張っ ていきたいと思います。  

で町

霧島登山マラソン 実行委員会実行委員長 原田武寛さん だい ▲一斉にスタート!距離9㌖、高低差 1200 ㍍を駆け抜ける ▲霊峰高千穂峰 1574 ㍍  ▲トップが山頂へゴール! ▲日高町長の「乾杯!」で飲ん方が始まる

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  このように神楽と飲ん方は密接に 結びついており、周辺の神楽が衰退 したのにも関わらず、高原の神舞が 何百年も続いているのは、舞い手、 観客、地域の人々がともに神楽を心 から楽しんでいるからなのではない でしょうか。   神楽だけではなく、これら人々の 楽しみ全て を含めたも のが「高原 の神舞」で あり、自慢 すべき町の 誇りだと思 います。

高原

   

「狭野神楽」

  高原町には「狭野神楽」と「祓川 神楽」の二つの神楽があり、これら は「高原の神舞」として国の重要無 形民俗文化財に指定されています。   狭野地区では毎年 12月の第一土曜 に狭野神楽が行われ、夜を徹して神 楽が舞われます。   神楽には多くの番付がありますが、 中でも珍しい舞として「御酔舞」が あります。文字通り酔いながら舞う 番付であり、舞い手は五合瓶を片手 に焼酎を飲みながら舞います。昔は 一升瓶でやったこともあるといいま すので驚きです。別名「瓶舞」とも 言われ、神楽の終盤を盛り上げる舞 として昔から舞われてきました。   神楽の夜には地区の多くの家で、 訪れる人に焼酎とそばを振る舞うの がならわしとなっています。   寒い夜に食べる温かいそばは冷え た体にしみて、心まで温かくなりま す。そばは家によって作り方やダシ の取り方が異なり、様々な味があり ます。また、年に一度の振る舞いそ ばのために畑でそばを作っている家 もあります。   神楽の夜は各家に親戚や知り合い が訪ねてきて、そばを食べながらの 飲ん方が行われます。神楽は一晩中 舞われますので、神楽を見に行った り、家で飲んだりを繰り返すのが一 つの楽しみです。   また、神楽が終わってからは、神 楽関係者で 「霧島講」 と呼ばれる 「な おらい (神事終了後の飲ん方) 」 が 行 われます。 霧島様 ( 霧島山の火山岩) がまつられた祠を担ぎ、その宿替え を行うとともに、飲ん方をしてお互 いの労をねぎらいます。  

は町

狭野神楽保存会会長 冨田貞行さん かん め ▲「御酔舞」 焼酎を飲む表情が面白い ▲家で飲ん方をする人々。外では神楽が舞 われている ▲そばと焼酎でお客を もてなす ▲「踏剱 ( ふみつるぎ)」神楽は地域の 一年をしめくくる大切な行事でもある ご しゅ まい びん め きり しま こう やど   が ほこら

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子ど

誕生

地域

持ち出し

    ここ祓川地区では子どもの誕生を 地域をあげて祝う 「 持ち出し 」 と 呼 ばれる風習があります 。 毎年4月に 住民が集まって 、 1 年以内に生まれ た赤ちゃんを主役に飲ん方をします。   「 持ち出し 」 の起源は詳しくは分か りませんが 、 家から赤ちゃんや料理 を持ち出してみんなで祝うことから その名が付いたと言われます。   今年の主役は昨年7月に生まれた 木田来美ちゃん 。 神楽殿にはおよそ 70人が集まり 、 霧 島東神社の神主に よ る お 祓 い の 後 、 飲 ん 方 が 行 わ れ 、 みんなで代わる代わる来美ちゃんを 抱っこして、成長を祈願しました。   昔は 、 お花見を兼ねて 、 近くの野 原で持ち出しをしていました 。 班 ご とに料理と焼酎を持ちより 、 百人以 上集まるほどの大盛り上がりだった のを覚えています 。 地区の行事の中 でも持ち出しだけはみなさん夫婦そ ろって参加しており 、 それだけ重要 な行事とされていました。   昔は毎年 10人くらいは赤ちゃんが いましたが、ここ数年は1人いるか   いないかです 。 内孫が対象でしたが 、 今は外孫も歓迎しています。   昔は 、 子 どもは地域全体で育てる というのは当たり前でした 。 地区に は必ず怖いおじさんが何人かおり 、 自分の子 、 他人の子関係なく 、 悪 い ことをしたら叱っていました 。 時 代 とともにこのような人もいなくなり 、 地域で子どもを育てるという意識も うすれていってしまいました 。 し か し 、 まだ祓川では 「 持ち出し 」 と い う形で残っています。   これからの地域の未来を担ってい くのは私たち大人ではなく子どもで す 。 子 どもは地域の大切 な「宝」な のです。   「 子はかすがい 」 と言いますが 、 私 は 「 子は地域のかすがい 」 だと思い ます 。 子 どもは地域をつなぎ 、 人 を つなぎます 。 持ち出しは子どもの誕 生を飲ん方を通して地域全体で喜び 、 そして育てるという意識の象徴とし て生まれたものです。   この持ち出しが地域の絆を深める 大切な文化として次世代に継承され ることを願っています。

未来

 祓川区長 西川嘉宏さん くる   み か ぐら でん

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  現在、 少子高齢化 の 影響により、 地域 で 行 われる 行事や、 これま で あ っ た集まりなどが減り、それに と も ない、飲 ん 方 も 減少 していま す。   また、おととし県内 で 発 生した 口蹄疫 で は 「ま ん 延防止 の た め、 でき るだけ 人が集ま る 機 会は 作ら ない」 と の ことから、飲 ん方 の 多 くが中止になり、昨年起 き た 新燃 岳噴火災害 の 際 も 飲 ん 方 の 中止が 相次ぎました。   しかしな がら、今回取材 をした 中 で 、 「 あ の ような 苦 しい時 だ か ら こ そあ え て 飲 ん 方 を した」とい う 地 域がありました。       昔か ら高原 の 人たちは 飲ん 方を 通し て 地 域をつ な ぎ 、 人をつ な い でき まし た。   飲ん 方は 多く の 人 を 笑 顔にし ま す 。 苦しい 時にこ そ飲ん 方 が必 要 なの で す 。   高 原 の 人 々に と って飲 ん方 は生 活 の 一部 で あ り、 も は や文化 の 一 つ になっ てい ま す 。   私たちは 伝統行事と同様に、 こ の 飲 ん 方 という 文 化 を 守り、次世 代に継承 していく必 要があ る の で はない で し ょ うか。   これから先、どんなに時代が移 ろうと、どんなに世界が変わろう と、高原 の 人 々はこれま で と 変 わ ら ず 寄り合い、飲 ん 方 をしていく でしょ う 。     高原 の 発 展とと も に 、 たかはる の 飲 ん 方 が こ れから も 末永く続い ていくことを 願い ま す 。  

     

よ永

参照

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