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Kyushu University Institutional Repository
五代藩鎭の擧絲絹と北宋朝の預買絹 : 五代苛政の一 面
日野, 開三郎
https://doi.org/10.15017/2341044
出版情報:史淵. 15, pp.101-136, 1937-03-30. Faculty of Law and Letters of the Kyushu Imperial University
バージョン:
権利関係:
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五代藩鎭
目次
一︑序言二︑五代の畢絲組
I藩鋲諸使及び中央政府の利熾と畢絲紺
I畢絲紺の起原及び利率
Ⅲ燕鎭の進献と剛家財政︵以上本號︶
Ⅲ藩鎭の進献と畢絲紺
三︑北宋帆の預興紺.
五代藩麺の離絲紺と北宋刺の頽買純 I北米財政上に於ける紺の位世I祇興紺の仕法とその施行地域Ⅲ菰聞紺と和賀紺との関係Ⅲ弧蜘紺の超脱及びその利率
Ⅲ︑結言
1
の
翠絲絹ご北宋朝の預買絹
』︲五代苛政の一面I
I
附Ⅶ塩の起原
日野開三
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郡
一
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弓
は當然財政史に於けるその位廿を亜要ならしめた︒此川に論ぜんとする五代の翠絲紺と北宋の斌災紺とは
夫掩咽時代の財政に於ける紺の迩義を一肌角より戎ふに足る問題である︒而して五代の畢絲紺と北宋の預
間紺とを同時に取上げたのはⅧ群の財政的意義が相五の比較に依って一肘明瞭に把握せられるが鰯であっ
て︑Ⅷ群の間に歴史的因果關係を有するが爲ではない︒尚一言断っておくが︑﹁紺﹂には綾雑紬冊等の紺
物類を總榊すゐ場合と︐それ等と価別された紺織物の一種を指す場合とがあり︑本稲も亦此のⅧ刑法を襲
川した︒従って本論に見える紺には如上の叩種あることを承知せられ︑その何れに厩するかは読者に於い
て判断せられ度い︒
二︑五代の畢絲紺
學絲絹は利貸の一形態である︒五代の恥絲紺を陣へた史料は頗る乏しく︑考察の基礎を翠絲絹の史料に
のみ世くことは研究の推進に川難を感ずるので︑補助的方法をして畢絲紺以外の利貸法で此と類似の意淀
を有する者をも併せ老へ︑史料の峡ぞ塞ぐこととした︒
I藩鎭諸使及び中央政府の利鎌と畢絲絹
五代の文献を渉猟するに︑中央政府又は群鎭謝使︵節度使・防禦使・剛練使等︶が智内の人災に利擬を
行ひ貨殖の手段に供した記事が唾為見受けられる︒その敬例を示すと︑費治通鑑垂一後孵紀・同光二年三
一︑序言
雄一紺が肝宋時代を通じて撹幣的機能を有して居たことは己に詳究せられし所である︒此の絹の旋幣的機能 五代藩銅の緊絲絹と北宋朝の預買絹
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月の條に
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孔・諏晒醗岬鋤諏餓濫蝿鑓︒使以賤佑俄絲︒屈椴州縣仔之︒
とあって後店の時中央政府が腿に嬢辛︽礎し︑絲︵紺絲︶を以て斐沸はしめ︑その絲慨溌低く評定して民を
苦しめて居たことが見える︒尚右文刀絨きに
翰林學士承︼Ⅲ︑椛知汁州暇伐上言︒泌迩腱鯛Ⅲ席使堪朧誹欽︒給怨於人︒峠下改故鼎新︒爲人除客︒
而有司未改北︿所鯛︒是趙股復生也っ今芥斯寓鮒絲北繩︒帆輸派税猫朧流移︒況徐以孵朧︒人何以堪︒
一云一云O
とあるに依れば机附使の利朧は從前己に行はれ︑後孵の和附使もそれ彰踏襲又は復活したるにすぎざるこ
とが知られるo右文中に學武︑稲岱の諦が見えるが︑此に就いては
無畢也︒貸惜也
との胡註があり︑稲と梁は同義で呵收を︑侭は浅川しを意味し︑榊従︑難狸は我が古代の川恥と同義の言
葉であったことが知られ︽C勺叉机服使利従の先例を附いた堆趙雌は酩刺を以て鳴った瀧L﹄見え︐冊府元肥
心韮壬寅汚の條に
天下艮川美七可右千帥︒
とあって嫌に私腹を肥し良川美宅孝蓄へた様が記されてゐる︒術後店の和州司の利従は稗五代史誰三後孵︑
一○三五代雅蹴の鰹絲紺と北来朝の瓶興紺
梁趙倣爲測朋使o天下貨賂牛入其門︒森侈不法︒自古無比︒毎日之斐破繼職醐・賊欽商販︒北へ徒如市︒
J11二
︒︒111
拓してゐるが︑此の括架は朝廷の許可浄維︑その收入は取斐に充つ可さものであったことが知られ︑榊熾
f●●二凸力許可茂く公然と行はれ然も識く私家の收入となってゐるの上|彼処對照して注意す可きである︒次に全店
文璋邦所駁︑季元総の﹁上六事疏﹂の一節に
五代藩鋤の駅絲紺と北宋朝の苅災組一○四
明宗紀︐天成元年︵ぬ堀謎姪蓉︶凹川の催に
上︒IL:略荊朏司先燗緊行錐物與人廻刷︒沈令識朕股納以来作門︒
とあるから︑二年後禁ぜられたことか知られる︑
次に絨登清迩錐長細華三淳化三年八月戊子の條に
眼虻ノマ︑
詔︒枕州塁手五百川十九人︒北︿欠銭俶︑心錐六醐八千八百餘岬皿︒並枠之︒
とあって宋の初め枕州人の布せし災越閏錐俶時代の未挑恩雌約七晦批を除いたことが見えろ︒此の息鎚も
恐らく呉越剛が人氏に利愛を行って居た餅時の病礎に外なるまい︒
以上は中央政府の利従に閉して錐考の稔宋し得たる乏しき史料であるu次に蒲鍾諾使の利錠に就いて見
るに︑費治通鑑確三後乖即紀天珊八年士一月の條に
順剛節度使杜戚奏︒軍食不足︒誌如幽州例麺稚錐o許之︒城川判︷佃王絲謀︒稔索殆識︒得汀蔑州o城
止奏三十両州餘皆入北︿家︒令判術李沼榊岱於民︒復滿百醐州︒來赤雌之︒得締銭二百画脚境苦之︒
とあって順剛節度使い緬釧が部内の災に朧付を行ひ百繭州の收人か蝦けたことか見えるo又同時に民架を
臣在任時︒奉劉鉾文字︒放蒜三醐剛c剛維紺五千匹・管内七縣大抵如此︒又徴收在賦税之前︒将壷抑 咄日■q上
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|凌︒借役戸雌o多逝店宅砿碓肌ハ庫っ朝廷指抑︒許人諭告ワ兼軍人百姓五工己上︒出放物至匹斤︒以坐
臓諭︒自然吐絶斯弊︒
とあって劉蛛なる者が管内七縣の尺に弧制的に絲紺を出放︵貸出︶して之を苦しめ︑叉軍人百姓等の・公民を
私役して店宅︑砿碓︑典応を繊辿して收利をはかりたりしとと︑及びかかる弊は己に一般化せる現象なる
を以て朝廷より全般的に此溌蕊止するの指揮を下す可き必要あることを論じてゐるo劉蛛は奮五代史歴↑
瀧書九に收萩せる彼の体に依れば礎忍献剥を以て知られ︑後脚の時青州節度使に在任したことがあり︑上
疏者い李元鑑も亦後川の廠順二年青州北海縣の令となりしことが至噛文の解説に見え︑叉新店書雄三地理
志︲河南逝︑圭円州の條に依れば︑本州は管門に益都︐北海等七縣を布して先の上疏に見える縣数と一致す
るから︑右の黙従が後川の庇順年間に於ける青州に開するものなることは砿かである︒此の苛州管内の七
縣は北海縣吋様恥設の荊附を受けたと云ふのであるから︑その一州全禰は數繭沁一に逹して居た事となる︒
節度使が利愛の弧制︑店宅︑吸雌︑如く脆の維織等を行ひ︑公乢を柵役して私利を刷って鵬たこ上﹄︑及びそ
れは常昨の一般的風潮であったとと等が知られるっ又此等の收利は稚く節度使佃人の私入であり︑藩の財
收とはならざるに拘らず︑節度使か此の私利〃誰b人が爲にその椛刀溌派川し︑竹吏か将表し公民を私役
して賦税より先に微收してゐるのも注意しなければならぬ︒
五代務躯の躯絲紹と北米棚の抓興紺一○五
叉諭叩に伺節度使が熈碓︑Ⅲへ昨年構造したとあるが︑蕊災椛家が碇郊の聿鳴手段として鵬慨を經醤したと註二註三・
とは苓明の事踵であり︑叉肌へ肱憐業に就いても他にその例が見受けられる︒塀するに李一兀撚の上疏に依り
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芥代蒲蛎の誕絲紺と北宋棚の柄斑絹一○六
次に餐治迩鑛罐一一後脚紀職順三年五吋の條に
︑︑l互凸︒︑Ⅱ叩j
内災︒蹄徳節度便ば淵釧披待中榊川心入刺︒戊灰︒徒半職節度使︒︑汁釧將行︒表へn.恢在宋州o蝋絲
︑宇御謎︶評癖糯咋地域紳川繭除叩柞尺側・繩以上進︒諦微之︒帝価之︒五月丁亥勅︒膀宋州︒凡常思所
ノヅク恥悉綱之︑思亦無伸也︒
とあって師徳節度使術凪がその満州に蝋絲︑即ち利嵯を行ひ絲搬成るの日溌使って絲を呵收するの法を行
ってゐたこと︑艸任によりその川收椛ぞ皇帝に献じ.此姥受けたる帝が悉く繊免したるに附凪は何等作入
らなかったとと等が見える︒彼が作じなかったのは梁絲が常時の一般的風湘であり︑彼一人の食汚を示す
ものでなかった鰯と解せられる︒叉荊胡註に依って知られる如く利從の阿收に絲︵きぬいと︶を川ふる場
合此を畢絲と孵したのであるから︑紺︑鎧︑無を川ふる場合には夫盈染紺︑畢繼︑學架と孵してゐたこと
と恩はれる︒
五代藩鎭諸使及び中央政肝の利愛に附して縦粁が今日迄に楡索し得たろ例證は以上搬佃に識きる︒然し
此の例證の乏心なるにも拘らずその内容ぞ迦抜する時
I蒜鈑諸使の利瀧は可成り一般化し︑時には巾央政府さへも此を行ってゐたこと︒
2利愛の何吸には鋳︑穀︑絲紺等がⅢひられ︑此矛畢絲.畢給等と稲してゐたこと.
3鋳付は弧制的に行はれ︑その恩利は使握仙人の私有に蹄し︑藩の財政には入らなかったこと
4蒲鍾諸使の利鋳は佃人的行爲として朝廷の許可を要しなかったこと
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等を知ることが川來ろo本稿に於いて論究の中心をなすものは畢絲絹であるが︑上に述べし所に依って知
られる如く禦絲紺は蒲鎭諾使の利礎行爲の一部をなすものであり︑此のみを他の利貸行爲より全く引き離
して若へる事は肌来ないので︑必要に唯じて梁竣︑恥粟等をも併せて老察することとする︒
尚末に入ると官吏の利代行鯛は五代の弊に鑑みてか厳重に紫ぜられた︒然し宋初には前代の遺風が相常
弧く獲って居たと見え︑此の禁を犯して虚制せられた例が間を見受けられろ︒維炎治邇鑑挺細華二太平興
國六年十一月丁酉の條に
監察御史張白棄市o白前知蕊州︒假貸官錨鵤雑粟麥︒以射利也︒
とあり︑同書確七大小鮮符五年七月乙酉の條に
先是︒詔禁命官取恩銭o犯者勿偵︒大理寺・鵬・知蒋城縣皮子良岱京師民銭十七寓︑到官群自首︒上悪
子良無行o忠司鞠Ⅲ︒法常噛釧︒命停官
とめる等はその数例である︑此等の例の示す如く免有或は粟市等に虚して居るのであるからその厳禁方針
の梯も充分に鋲はれるのである︒
I翠絲絹の起原及び利率
藩鎭諸使叉は中央政府が難俊︑特に畢絲絹を初めて行った時.及びその一般的な利率は史料なき爲明か
にし得ない︒然し畢絲紺法そのものの發逹過粍海老ふるに︑それは先づ民間に於いて利侭の一形態として
發逹し︑それが乱枇となり軍事礎の膨脹するに仲ひ︑群鋲及び巾央政府に貨航の一千段として収入れられ
一○七五代藩蹴の翠絲組と北宋朝の預武紺
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右補閥・知制詰萢呆家貧︒負人息雄歎百萬
とあり︑同書捲六大中群符元年五月戊辰心條に
新及第技官人︒無得以宮家樅竣︺倍出息利︺至任所俄遼J所在察坐之︒
とあろは官吏がとかく利蛍人の岬食となってゐたことを示す数例石ある︒尚宵吏の階入れぞ難じたのは︑
彼等が辨濟の鴬に或は賄賂諦托を健け︑或は部民を搾取する等︐︲﹂かく紀綱を素剛する恐が多かった鳶で
此の禁令は先に述べし官吏の利溌紮叶と連繋を有するものと思はれる︒
此の利貸は農村に於いては豪民の土地縦併の蚊も一般的な手段として朧川せられてゐた︒此のことは同
書罐八大中群符九年四月辛丑の條に
知氷興軍進準一高o所部奈雌多能雄貧民︒吸収共息︒歳伽不逮︒即千入川虚︒餡璋降詞哩叩・許人糾告︒厳
加科査︒云云 とあり︐同書礎ハ同年九月叩灰の條に
詔︒民負息鏡考︒岻得通収共姉士牛帯以仙︒
とあり︑同書巻九天箙二年四月庇辰の條に 上調大臣日︒始剛河北肱銭o貧民崎駒樅の紫茨息雄︒米価納者︒即叩家拠へ収此へ葉土︒硴林悲止之︒
曼仙
とあり︑同書醍浄天聖六年九月叩辰の條に
綱︒河北災悔民嘗以桑化怖髄與術人背︒悉肺之︒
五代藩瓶の翠絲紺と北米柳の而固紺−0九
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五代滞銅の翠絲紺と北宋刺の緬買紺二○
とあって利熾による土地兼併を禁止せんとする計辨並びに柵勅が何阿となく繰返へされてゐることによっ
て明かである︑此の利鎌による土地飛併紮止は云ふ迄もなく流雌の發生〃恐れし爲である︒
以上を要するに北宋に於ては民川の利碇は各方面に礎行し︑北宋初期のM雌は務めて此な抑へんとし︑
塒に禰吏の利貸並びに俗入れを禁止してゐたのであるっ
次に此の利溌の利率に就いて見るに︑十判川が岐も一般的で砿く行はれ︑時には此を超過するものも揃
った様である︒此のことは先描綾登流通鑑挺細椎六大卯昨笹兀年五月の條の刻叩に﹁幡川息利﹂L﹂あり︑同 書李二太平興國七年六月丙子の條に
令︒富民川息鐘︒不得過催稲︒逮者波入之︒
とあって幡稲︵悟畢即ち+制の利率︶迄を剛家が認め.それ以上ぞ蕊じて居るにとに依って知られる︒此
の惟榊が常時の一般的な利率であった所から︑禰時惟稲之恩なる語が盛に行はれてゐた︒
次に俊付の期間を見るに︑それは主として耕作の端境期たる赤の農民窮乏時であり︑呵收の時期は牧稚
の直後たる夏秋︑特に秋か多かった︒︵春とは陰勝め正月より三月迄で今日云ふ所の晩冬より初春に常り︑
夏は六月迄で晩春より初夏に術る︶僻榊の息は一般に此の岱付期川に附せられた利率である︒此のことは
弛文成公集小琶碑名・宋散同州槻察使李公祁逝碑禍に
二↑O脚公以司法郎中領河北艸迩使︒建言︒民乏糸旋︒毎非取紺直子奈力︐共息必悟嘗云云I
とあって僻稀の息が春より識事維る迄の洲にわたる錠价に附せられてゐたととの見えるに依って碓められ
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ろ︒かく常時の俊付は今日の金融概念よりすれば服に蹄倒す可き高率の利子を・収ろ文字通りの高利礎であ
った︒
以上は北宋時代初期に於ける雌間商利岱付の概況であるが︑此の壯況はその戎ま五代の壯況でもあった
様であ︾CO五代に於ける利俊壯況に開する錐考蒐喋の史料は極めて心いが︑その乏しき中に於いて米代同
様の形勢が充分に我はれる︒
先づ全肝文稚斗所載︑糎倣の﹁上流逆事血疏﹂と題する卜疏の一節に
務挫迄腺︒筏打三術︒一M職Ⅲ︒二h巳恢︒三川節班︶︵中略︶前脈云巳竹節群︵J利莫大粥︒今細戸
之叱︒以依爲硲︑賊税之外︒聡不俄仙︶收樫織畢︒無困介・宙右科折之弊︒私淌州醗之紺J椛榊遮息︒
牛仙辿喪︒則利俊一斗而縦凹斗交︒欲民不閲︒Ⅷ巫可符哉︒
とあって細偏価を以て裕淀成し︑一般庇惟榊之.恩が行はれてゐたと論ぜられてゐら︒笹雌は前記全店文の
説明に依れば後脊の天祁六年進士に没節し︑後淡︒後川今や一雑て宋初迄在Wしたと云ふから︑方の状勢も此
の唖のことである︒而して右の上疏に云ふ所が必ずしも門髪三千丈式の跨朕に非ることは五代に次ぐ北宋
の利從か巳に述べし如き壯勢に在ったことから推して充分認められるであらう︒叉燕五代史雄七許耕・高
帆紀・一大耐五牛正川丁卯朔の條に
降徳蒜.雌天服三年紙・公私価欠し一切除放
とあって正月元日の徳喬として公私価欠の免除︑即ち我が叩枇の徳政と同枇慨の令を降したことが見える
五代燕蹴の鯉絲紺と北宋糾の頽批紺一二
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五代稚珈の螺絲紺と北宋側の頽吋典絹二二
が︑此のことも︑我が剛の徳政令が利岱趾厄の中に發せられたるぞ職へぱ何じく常峠に於いても商利従付
の跳梁悲だしかりしことを示す一例と見ることが川来よう︒要するに五代に於いて明解孵り尚利舵付が横
行してゐたのである︒史に叱り状勢は五代以前此ぴ北宋以後に於いても同搬であった様である然し此に
就いては今後の研究に談り此川では剛愛する︒
かく五代・北宋及びそ2別後の昨代を通じて商利雌付が茂埴縦併の︑王要手段として盛に行はれて居︽にの
であるから・節庇使が仙人として利礎を行ひ︑史淀剛家が此花行ったのも︑要は民間朧行のそれを換した
るものと解せられる.そうして水稲の巾心諭題たる畢絲紺は災川の商利巌付が澱郷に於いては紺絲業の利
を脱って發展せる淀節度使等が挑倣したものと解せられるのである︒此の解搾を確諦する史料は目下五代
に於いては索め得ないが︑後述する北宋の菰買紺法よh類推して談〃なきことぞ樅め得るのであるJ父此
識四の解繩は餅時の宵醤播利事業が概ね純を雌川に収ってゐた一般的状勢とも抵燗しない︒かく節度使等の畢
絲絹その他の利岱による貨殖行鯛が民川のそれを換倣したものであり︑その上彼等は幕客︒私部仙等山蓄
養に多額の支出を要してゐたのであるから︵此のことに就いては後述︶︑その刮竿も総然乢間の利率に類
し︑時には此を凌ぐものさへあったであらうと忠はれる︒先に宋州節度使常忠が畢絲例收椛を帝に献じた
ことを述ぺたが︑その額を登治通鑑姪一一・後川・脹順三年五月戊辰の條の記事は凹萬餘胴と一云ひ︑燕五代
史塞一一後問・太測紀・庇順三年五卿丁亥の條には更に詳しく川繭一千四百叩と陣へてゐる︒然るに同じ醤
五代史誰沁周書・常思傳には此を十餘繭川と云ひ︐五代史記権幽術思傅も亦絲息十萬雨と徳へ︑その敷地 「
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簿哉汁韓J毒岸彗酢向吾壽s ヤ︒︒キト民弓丙欺s垣軍敏浸雪
論雪二錐夢三方諄壽峠庁汁削剖行 s函室差汁壽匡くづ廟箒蒔口卦行汁 尉・蚤鄙爵・静鵲二八s咋塙作汁講叫
︾尋︾辮誕︾︾需謡需準索耐癖謹叶畷 再沿い守作が画.洋
謂勇黛認鳶鎖鳩圭〆ら丙拶e指・毒が咳 巽s序隠眞奔営雪儂圏岬酬糞津言母
謹︸爵鈩雪隠凱い気弐夢眞伊謹dへが
卦翰君︒ご︽︷毎﹂一辰謹トー︑1両が唇母︒・
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五代滞蹴の罪絲紺と北末糊の菰趾紺二四
らに紙伽を塞ぐので︑その中比較的枇鎌盤の多い後脈の初年と次代後群の初年との数年冊に於ける進献を
太︲稲の論題と妓咄開係深き絲紺に就いてのみ拾雌蕊正して左に表示する︒術後府は同光元年の附来である
が︑前王朝の後梁滅亡は十月であり︑叉後脈に代った後菅は天祁元年の附韮であるが︑後府の滅んだのは
十一月であるから︑何れも元年の進献は此の王朝創立以後の仲盈一二前月に開するものである︒
岡光二年
正月
三月
五月 九月
十二月 四
月 月年 ︵表こ後牌・同光天成剛年川紺附獅進献表
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不明
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一︑○○○段 一︑○○○段
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二○○段一○○匹
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錦総統縦
綱絲錦
絨綾等職種
錦絲
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月 月 月 五代藩鎭の翠絲絹と北宋朝の預買組
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邨州・弛延光
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秦州・康祁
新授郡部留守・商行刷 招討便・腸光速
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秦州筋座使・廉混
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九月 七月 五月
月 月 月 月 月年 五代藩蹴の悪絲紺と北末棚の珈興紺
︵表四︶後替・天川剛年鎚進献表
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器︒諸道具︒森侈品・娘樂品等があった︒然しそれ等に就いては前記州書の参照をどひ︑此所に引川する
を避ける︒
以上諸表に依り天幅二︑三噸年の絲・紺・銀・鏡︒艇等の進献袖合計を慨岬するに︑絲三十除寓Ⅷ︑紺
一 一 一 一 一 一
五代滞掘の緊絲紺と北宋朝の瓶買絹
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先づ上描諸表に依り進献名目を松むるに︑その主なるものは
1皇帝即位.郊天︑天皇皇后生辰冬至正月︑軍賜︑端午等の佳節祭峡を脱すとあるもの
2加官授職に對する謝恩とあるもの
3賜宴謝幡叉は誠要斐上あるもの
4入朝謁見︑行幸調見の際の進献
5助國用︑助軍とあるもの
6単に進貢とあるもの
7外國進献
等の諸項目に分つととか出来る︒そこで次に此等諸名目別に當時の進献がどの程度に普及してぬたかを老
へて見る︒
五代藩銅の翠絲紺と北宋朝の茄貿絹一二四
冊数十餘寓匹︑銀五寓除叩︑銭十五繭餘貫︑穀一寓餘石となる︒餅時の國家財政に於ける鼓出入額を仰へ
た記録がないので︑右の牧入がその幾荊を占めてゐるかは全然判らないが︑少くとも歳入上進献が主要な
一部ぞなしてゐたことは充分認められるであらう︒然咄術考察を進むるに営時の進献は右表に識きるもの
では錐く︑表中の記載はその一部特殊なるものが仲へられたろにすぎざることが知られ︑財政上に於ける
進献の益堂重要な〃しことが認められるのである︒次に常時の進献一般化の状態に就いて伽班に考察して
おこう︒
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1
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I佳節祭儀の場合の進献
皇帝の生腫・牟室・正月・端午・敢陽等の化節に際し︑天下の諸鎭が進献をなすことは唐以來の慨はし
で︑事實上常制となってゐた︒此のことを立證する史料は冊府元躯誰鋸帝王部・却貢献の條腿ぴ同書誌推
帝主部︒納貢献の條に鉦遡に見える︒その中適例一二を示すと︑却貢献の部・唐・開成一兀年派月の條に
詔︒諸道費正︒端午・降誕・賀冬進奉︒起今椛停三年︒其鐙充折放百姓州税︒云云
とあり︑後脊天耐四年九月の條に
上︒略其塞食・七夕・軍陽及十月媛帳︒内外俳后進献穴停︒
とあり︑同六年正月の條に
今後多年・寒食・端午・天知節及諸色謝賀︒云云と
ある等︑何れもその常例となれを示してゐる︒かく佳節の進献は術例化せるに從ひその進献品月並に獅高
も各方旗毎に一定してゐた様である︒此のことも亦川府・沁他に見ゆろ多敬の記事に依って知ら奴るが︑納
貢献の部︑太和五年派川の條に
詔︒天下方錘端午逃奉雑緤匹椴等︒從今後︒並令逃堆白維組︒
とて品目決定のこと見え︑同我雁尤年十月の條に
荊南節度使王瀞︒於焚参進献術殴外︒別進献一繭七干疋︒
とあり︑同年十二月の條に
五代蕪蹴の恥絲紺と北宋朝の頽固絹一二五 1
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五代藩鋤の翠絲紺と北宋朝のⅦ興紺三一六
荊南節度使王溌︒叉進賀服術進外︒別瓦綾紺一醐疋︒
とあって進献術数︑辮巡等の緬が見え︑叉術数外の厄額進献数が記されてゐる︒此等の記事によれば常数
は己に店以来定められてゐたのである.所が此等術数進献に就いては史に仲へられず︑却って常数外進献
額か收赦せられてゐる︒此はさもある可きことで別に不思議はないが︑それに就いて老ふ可きは先描火中
の化節祭縦の進献で︑此れ亦術欺外の進献︑それも大Ⅱに脇するもののみの記城と解せられ︐此の外.にも
表に現れざる常数進献があり︑その額も亦紗くなかったことと推測される岨である︒
Ⅲ加官授職の場合の進献
加悔授職に對する謝恩の進献も五代に於いては完全に制度化してゐた︒その適例は悲悔披仔に於いて見
ることが川来る︒即ち五代會要唯一御史蕊︒後脈︒同光二年三月三十日の條に
御史蕊奏︒所除諸逆節度・槻察・防禦・經器等使︒刺史・牒令及諦道幕府兼諦司︒辮悲街推術︒合納
光牽銭︒識具木朝元納此減落錐數如後︒
とあって節度使以下の群にして御史蕊の官を川へられたろ薪の職雄額が從前より定められてゐたこと︑今
誰五後その額を減藩せんとせし蔀が見える︒その元納︑減落附額を何記事に依り表示すれば左の如くである︒
︵表︶六恋術兼辮納鎚額表︵後府︶
兼排踵官名︒|廼納錨額一
一三○︑○○○文一 御史大夫
減落納錐額一
一万︑○○○女一
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即ち五釧減を行ったのである︒所が伺北剛・伺巻・後川・顯徳五年州七月一日の條にも此の紬雄榊改正の
企てが見える︒例に依って表示すれば左の如くである︒
︵表七︶悲官兼帯納銭袖表︵後川︶
御史中亟
監祭御史暇巾俳御典
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侍御史|
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即ち八剣の犬減少誹澁である︒尚此の表を前表と照合するに︑後府の減少計搬は殆んど遵守せられず︲
峪為五代を通じて商卒の桝制か行はれて鵬たことが知られる︒枕崎窓Wは︑先禍M光二年の勅にも見える
如く︑蘇鋲諸使︑刺史縣令︑聯職Wその他諦湖︵例へぱ三司の巡悔等︶に及ぶ吹範側の職此に兼帯として
五代謡城の謡終紺と北宋杣の諏災紺一二七
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即ち現行制は花向制に比し大淵五削減である︒此の減群鳥恐らノ︑先禍唯皿脊禰竣の減落と略交同時代に行は
れたのであらう︒そして此の減群も亦憲向の場︿川と同様久しくは迩守せられなかったものと恩はれる︒尚
繩鎚に開する規定は同評奉三岬害・樅宗紀・同光三年正月戊戌の條・同書罐三厭普︒明宗紀◇天成元年十
|
太師|校
臓│名 矢│官|
一トーー
11恋
gl納,
、 |81銭
○|馴茎│−
|
二│行 |現
○、 納
○ 錐
○
○額 文
大師 尉大・
五代滞蹴の翠線組と北宋棚の預興綱一二八
加官せられ︑姓に鋲過使の如き下級武術にして数多き職員さへ此を有するものがあった礫で︑過︽凡叩係粁
の数は上下に溢るる欣態であり︑從って︐その納鎚額も頗る多かったと川心はれる︒
次に醤五代史稚二府扱・明宗紀・天成沁年六月の條に
中書門下秦︒條制松枝竹各納尚霄椅職銭.雪云o
とて松校官︵名鍵叩心爲に附加されるな︶の職侭納入に開する規定が見える︒此を例に依って表水すれば左
の如くである︒
︵表八︶稔校官雌雄表
大徳・太保
司徒・司空
伐射・尚書 二○・○○○全
一五︑○○○全
三四
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○○
○○
○○
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一五︑○○○
一 一○︑○○○
七︑○○○
三︑四○○
」
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二月丙午の條等に見える︒それ等の引用並びに批判は煩雑となるので避けるが︑それ等に依れば禮鑓の規
定は各方而に細かに定められ︑それ等は吏人の搾料や臓舎の鋳維喪に充てられでゐたと上|が知られる︒
かく加行澱鐘は州匪化し︑その納錘は剛家の各機關に入ってゐたのである︒從って先掲苑一表乃至餓四
表中に見える加古謝恩は此の規定外の両額進献であり︑それ故に特に記鋒に礎されたものと解せられろ︒
從って此の外にも同じく規定外なるも小額の鰯記録洩れとなってゐるものも相常あるであらう︒
Ⅲ賜宴謝確・諦要礎と稲する進献︒
此の雨者は名義は異るが礎柵は殆んどMじである︒五代には此の名目による進献も常制と迄唯云へない
がそれに近き幣例となってゐたo此のことは鉦治通鑑權一一後楜紀・廠順二年士一月甲午の條に
前靜雌節度使候章︑献呪婆紺千匹・銀五百剛︒帝不受︒日︒諦侠入鋭︒天子従有摘要︒逓待災要邪︒
O胡笠︒丘代と幹︒不梓″掴人柳剛・産︶庵︒叩宗・天成〃二年三月幸獅節蝿︒群臣固宴u則亦糊之血亦例裳突
とあるに依って知られる︒後川の慨宗は此の時間要の進献を却けて後断乎此の方針ぞ以て進んだと見え︑
冊府元魑罐走帝王部・却貢献の條の本年以後の部分に悲仙要進献却下の記事が列馳せられてゐる︒然し此の
却下方針は五代鋪一の災主と云はれる柵宗にして初めて繼絨し得たのであって︑それ以前に於いては︑に
進献を禁じ︑事悔此を漱迎するのが辮態であったから・圃突推献も礎に行は恥たと飢え︑冊府元躯その他
の諸害に關係記事が多く見遮けられる︒
かく買宴進献も術例となってゐたのであるが︑賜饗に典る春が元来向位間宙の勢刈群であった丈にその
五代滞蹴の躯絲紺と北朱朝の瓶買紺一二九
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五代藩姻の畢絲紺と北雅例の瓶砒紺一三○
註六範州も限られてゐた様であるc
Ⅲ入刺謝兇・行幸謁見の際の迩献
行幸諦兄は術時行はれるものではなく︑その度数胸少いのであるから蒋察外に世き︑入朝謁見に就いて
述べる︒冊膨兀碓推伝帝王部・却宜献・長膣四年三吋壬子の催に
詔J天下術貢之外︒更不榔別右巡献u縦節度・槻諜使入朝︒亦不榔進率︒云云︒
とあるに依れば蒋鋲諦使の入柵巡献は巳に府の時殆んど常例となってゐたことが知られる︒五代藩鋲の入
朝進献か術例となってゐたことを示丁遡誰を目下染め得ないが︑府代の風習をそのま上受けてゐたものと
恩はれる︒辮鍾の入朝は概聴蕪鋲の異動に際して行はれたものであった︒予言︶で彼等は無事職任辛果し得
たろ謝恩︑その他の名目の下に多纐の進献を篤し.上鉱への榮進︑或は罷免中止の諒解の賛としたのであ
る︒然もそれは多くの場︿︑成功した︒その成功ぞ体へた史料は噸る多く︑冊麿沁蝿確姻邦計部・輪財の條
を見るも所糞にその例諦を拾ふ事が州来る︒術後文中にも入朝進献と榮逃との關係の例を扱ふ筈である︒
要するに徴孵の人事が進献によって弧く左布される状態に在ったのであるから︑蕪鎭ての他の諦悔人が入
朝異動に際しては競って巡献をなし︑それが一価の風葬↓なしてゐたであらうことは想像に難くない︒
叩助岡川・助軍の鱒の逃献
此の和の逃献は性伐上術例化す可きものではないが︑巳に辿ぺし如く進献か彼等の進退に至大吻關係を
打つ以上︑何れもその読力に雌じ争って此を行ったであらう︒ 1.01且■■■■日■日日日日日日日日Ⅱ
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Ⅵ単に進・貢とある巡献
此等の進献は如何なる直擬同的を有してゐたのか右表丈では考察の手掛りがないが︑それが直接間接自
己の榮進︑謹身の目的を有してゐたことは疑ひあるまい︒そして逃献が物を云った術時のこ︲cとてかかる
腱昧進献も亦猟繁に行はれたであらう︒
Ⅶ外団進献
此は上述の諸進献と全然性質を異にし︑岡際關係の立場より研究せらる可き問題であるが︑何じく謹身
の軸に於いては相通ずるものであった︒此の外閏進献も︑それが腫纐なる丈に中剛に取り有力なる財入と
なる場合があった︒例へぱ後問の識徳五年一年間に於ける呉越剛の進献を柵膳元他稚推帝王部・細武献の
條に依って表示すると左の如く
︵表九︶後別・顯徳五年に於ける呉越進献表
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五代藩銅の緊絲紺と北宋朝の預買繩
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は後周の枇祀が南店孝一伐ち︑同年正月靜海軍を取り直推奨趣と蝿を接するに至った篤︑呉越がその威雌か槻
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五代誰銅の翠絲繩と北宋州の預別綱
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