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世界をみつめて 世界をみつめて

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Academic year: 2021

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アイルランドは4つの地域に分けることができ る。その4つの地域とは、東のレンスター、南のマ ンスター、西のコナート、北のアルスターである。

現在、北のアルスターの一部がイギリス領となっ ており、ベルファストはイギリス領北アイルラン ドの首都となっている。南のマンスターは夏に観 光客が多く訪れる地域となっており、キラーニー、

ディングルといったカラフルな街並みの町が数多 く存在する。西のコナートには緑豊かなコネマラ 地方、アラン諸島やバレン高原があり、厳しくも美 しい自然の景観を見ることができる。アイルランド の首都ダブリンがあるのは東のレンスターである。

レンスターにはダブリン以外にも数多くの魅力的な 場所があり、歴史的な遺跡が点在している。

レンスターの魅力的な場所としてまず最初に述 べておかなければならないのは、ユネスコの世界 遺産にもなっているニューグレンジとタラの丘で あろう。ニューグレンジは巨大な石の遺跡で、紀 元前2,500年頃の古墳とされている。入り口には渦 巻き模様が刻まれた大きな石があるが、この渦巻 き模様にはおそらく宗教的な意味が含まれていた のではないかと推定されている。どのような民族 がこの遺跡を造ったかは不明であるが、興味深い ことに冬至の日に太陽の光がまっすぐ墓室に届く ようになっている。こうしたことから、この遺跡 を造ったのは太陽を崇拝していた民族であったで あろうと考えられている。

ニューグレンジの近くにあるタラの丘はケルト 人の遺跡である。かつてアイルランドにはケルト 人によって創設された数多くの王国があったのだ が、このようなケルト人の王国の上に君臨してい たのが、タラの王であったとされる。つまりタラ

にいる国王を頂点とする緩やかな国家連合体が形 成されていたと考えられる。そのような意味にお いて、タラの王はまさしく「王の中の王」であっ た。現在、タラの丘にはビジターセンターがあり、

ここではタラが繁栄をしていた時代のことを学ぶ ことができる。またタラの丘には「ファルの石」

という大きな石がある。この石に正統なケルトの 王の継承者が触れると叫び声をあげると言われて いる。伝承によると、かつてこの石は正統な王の 継承者が触ったときに極めて大きな叫び声をあげ たことがあったらしい。この石は誰でもすぐ触れ る場所にあるので、簡単に触ることができる。

中世の時代のアイルランドはキリスト教の中心 地の1つとして繁栄をしたのだが、ダブリン近郊 にあるグレンダーロッホという初期キリスト教の 教会の遺跡も大変興味深いところだ。グレンダー ロッホはキリスト教の聖地として発展したところ で、9世紀にはヨーロッパ各地から修道士や学者 がここに来たと言われている。その後アイルラン ドはバイキングの襲来を受け、さらにイギリス人 の支配を受けたため、グレンダーロッホは急速に 衰退していった。このグレンダーロッホでは33メ ートルの高さのラウンドタワー(バイキングの襲 来があったときにこの中に人々は避難した)や数 多くのハイクロス(ケルト十字架)だけでなく、石 積みの初期教会の代表的な建築の遺跡を見ること ができる。

レンスターにはトリム、ウィックロウ、ドロヘ ダといった歴史的に魅力のある町がいくつかある のだが、その中でも中世の雰囲気を最も残してい る町がキルケニーであろう。キルケニーはダブリ ンからバスでも鉄道でも行くことができるところ で、ぶらぶらと散歩するだけでも興味深い町であ る。中心にあるのはキルケニー城で、ここは領主 バトラー家の居城として使われていたところだ。

この城は均整のとれた美しい建築としても知られ ている。城の前には広大な緑の芝生が広がってい る。この他にも聖カニス大聖堂やロスハウスなど 訪れるべきところはたくさんあるし、キテラーズ インという中世の雰囲気を残したパブもある。こ のような町にはできることなら1泊して、アイルラ ンドの伝統音楽でも聴きながら町の雰囲気にひた りたいものである。

さわだ としあき(教授・西洋史)

−4−

―レンスター―

澤田 俊明

アイルランド探訪2 アイルランド探訪2

世界をみつめて 世界をみつめて

ニューグレンジ全景

参照

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