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研究紀要 第10号 (1)

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(1)

の 有 舌 尖 頭 器 をめ ぐって

(2)

はじめに………3

l No12遺

跡の概要 ………・………・3

(1)隆

起線文土器………3

9)石

器………5

2 No12遺

跡の有舌尖頭器………9

(1)有

舌尖頭器の研究略史………9 (幼

NQ12遺

跡の有舌尖頭器 とその位置………lo

O)有

舌尖頭器の変遷………16 3 /Jヽ

(3)

は じ め に 成 田市 と芝山町、多古町 にまたが る新東京国際空港地内には、先土器時代か ら近世の牧 に至 るまで多 くの遺跡が所在す るが、先土器時代か ら縄文時代の初頭の遺跡 に特色がある。県下で も最 も古 い先土器時代の遺跡の一つであるNo55遺跡、多数の石斧 を出上 したNo60遺跡、撚糸文 土器最終末の細沈線 を多用 した木の根式土器で注 目されたNo 6遺跡 な どが代表的であるが、本 稿では、縄文時代草創期のNo 12遺跡 か ら出土 した有舌尖頭器 を中心 に、その概要 を紹介すると ともに派生する問題 について触れたい。

No12遺

跡 の概 要

新東京国際空港一帯 は、印膳沼、利根川水系 と太平洋 に注 ぐ栗山川、木戸川な どの太平洋水 系 との分水嶺 をなす地域で、谷津の開析率 は概 して小 さ く、広大な台地 を形成 している。No12 遺跡 は、栗山川の支谷である高谷川の水源地である小支谷 に囲 まれた標高約

40mの

舌状台地上 に位置する。新東京国際空港の北端部 に当た り、昭和59年4月 1日か ら同年10月 6日 に (財) 千葉県文化財 セ ンターによって発掘調査が実施 された。現在の ところ、部分的な整理のみに と どまってお り、本格的な整理作業 は昭和62年度以降に実施 され る予定である。 同遺跡か らは、先土器時代のナイフ形石器 を主体 とするプロックが

9か

所の他、縄文時代草 創期 (隆起線文土器)、 早期 (撚糸文土器主体)、 前期 (黒浜式土器、浮島式土器

)な

どが検 出 されたが、特 に注 目されたのは、隆起線文土器 とそれに伴 う有舌尖頭器 を中心 とする石器群 の 出土である。 これ らの遺物 は径約

20mの

範囲に集中 して出土 してお り、縄文時代初頭 の一括遺 物 として極 めて良好な資料である。有舌尖頭器の数量 は実 に44点に及び、長野県柳又遺跡 (樋 口他1965、 小林1967)、 愛媛県上黒岩岩陰遺跡 (江坂他1967、 1969)を しのいでいる。以下、時 代的な背景 を知 るために主要な遺物 の概要について述べ る。

(1)隆

起線文土器 (第 1図) 胴部小破片 を含 め約100点の出土 をみた。口縁部破片でみる限 り、11個体以上あると推定 され るが、破片のみで全体 の器形が知れ るものはない。器厚は概ね

6∼

8 111alの ものが大半であるが、 若干薄手の もの もある。色調 は明 るい褐色 を呈するものが多い。4、 5な どはや ゝ赤味 を帯 び ている。胎土の含有物 はまだ分析が済んでいないので詳述 は控 えるが、長石 などの扶雑物が 目 立つ。 文様構成乃 び文様要素か ら以下の ように分類で きる。

A類

5∼

7 11ullの隆起線 を回縁 に平行 して多条に貼付 した もの(1)。 隆起線 は上下か ら交

(4)

新東京国際空港ヽ12遺 跡の有舌尖頭器をめ ぐって

口群

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告節

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14

9 , , . . 5Cm

第1図 新 東 京 国 際 空 港No12遺跡 出 土 の 隆 起 線 文 土 器

(5)

互 に押 し潰 され、 ミミズ腫 れ状 とな る。 口縁直下 に1条、 や ゝ間隔 を置 いて さ らに3条の 隆起線 を配 してい る。

B類

文様帯 は口縁部 に集約 され てい るようで あるが、二本 の平行 隆起線 間 を垂下(2、 11、

12)あ

るい は斜行 (10)する隆起線 が 区画 し、幾何学 的 な文様 を構成 す る もの。 隆起線 は 押 し潰 しの あ る もの と断面三 角形 の隆起線 を もつ もの (2、

11)の

二種類 が あ る。隆起帯 の押 し潰 しは、指頭 で上下 か ら挟 んでひね った ものの ようで、指頭痕 らしきものが残存 す る もの もみ られ る。

C類

口縁 に平行 す る1ない し2条の隆起線 で構成 され る。 口唇部 の上端 を指頭 (8、 14) や棒状工具 (4、

5)で

外側 に押 し潰 し、隆起線 の波状 と同様 の効 果 を作 出 した もの もあ る。 隆起線 には波状 を呈 す る もののみで な く断面三角形 の細 めの隆起線 を付加 してい る も の (16)もあ る。

D類

波状 を呈 す る隆起線 に「ハ」 の字形 の爪 形文 を付加 す る もの。 13は 、隆起 線 に2条の 爪形 文 が平行 して施 され てい る。爪形文 は親指 と人指 し指 でつ まんだ もの と思われ、 内側 に盛 り上 りが ある。

(2)石

器 ① 有舌尖頭器 (第

2図

) 本遺跡の最 も特徴的な石器である。 44点の出土をみた。有舌尖頭器については次章で触れるのでここでは省略する。 ② 尖頭器 (第 3図) 未成品 も含め30余点の出土をみた。石材は安山岩、砂岩、チャー ト、磋質粘板岩である が、大半が安山岩である。完成品の形態は比較的単純な組成で、両端がほ ゞ対称的に尖る 柳葉形の もの と、最大幅が基部近 くにあ り、基部がや ゝ丸味を帯びたものに

2分

される。 未成品がかな りの数で存在するが、円礫から横長の剥片を剥取 り、周辺から加撃 して概略 の形を作 り、さらに周辺部を調整 して形状を整えている。

3は

側面に打面を残 し、主剥 離面側が未調整である。未成品の中には有舌尖頭器の未成品 となるものも多いと思われる。 ③ 打製石斧

4点

出土 して い る。 いずれ も細 粒 砂岩 を原 材 としてい る。 片 刃石 斧 で あ るが、製作 は粗 雑 で あ る。 断面三 角形 で丸 のみ状 の刃部 を もつ もの もある。

ドリル

剥片の一部を両側から有舌尖頭器の舌部製作の技法そのまゝに鋭 く尖らしたもの。

2点 あ る。 いずれ も安 山岩製 で ある。

(6)

新東京国際空港No12遺跡 の有舌尖頭器 をめ ぐって 〇

・     ︲6 ◇

︹禽

9・

_,Cm

第2図 新 東京 国際空港NQ 12遺跡 出土 の有舌尖頭器

﹁◇

︹︹

(7)

⑤ 掻 器

横 長 の争」片 の一部 に調 整 を加 えた もの。 いわゆ る掻 器状 の肉厚 な急斜 な調 整 を もつ もの とは異 な る。 ⑥ 有溝砥石 器面が著 しく荒れている が、中央部に幅約5 11ullの溝 がある。溝底面 も凹凸が激 しい。 ⑦ 石 鏃 隆起線文土器の出土地点 か ら

4点

の出土 をみたが、 鍬形鏃 もあ り、該期の もの かは断定で きない。 3図 新 東京 国際 空港No 12遺跡 出土 の尖頭 器 さて、隆起線文土器 を出土 したNo12遺跡 は、隆起線文土器のいかなる段階 に当たるものであ ろうか。隆起線文土器 は、 これ まで、小林達雄 (小林1963)、 佐藤達夫 (佐藤1971)、 白石浩之 (白石1976)、 大塚達朗(大塚1972)氏 らによつて編年が試み られている。小林氏 は隆起線文土 器が次第 に細 くなる傾向を

V段

階に細分 し、大塚氏 は「ハ」の字形の爪形文が微隆起線文土器 だけでな く隆起線文土器に も付 され る点 を注 目し、 これ まで新 しい要素 と言われてきた「ハ」 の字爪形文が最 も古い段階か ら存在することを明 らかにす るとともに、文様帯の構成 を重視 し てⅣ期の編年試案 を示 した。本稿 は隆起線文土器 その もののの細別 を目的 としているわけでは ないので詳述 は控 えるが、最近の出土例である神奈川県花見山遺跡(阪本1977)、 千葉県南原遺 跡 (大塚他

1980)の

資料の分析か ら、隆起線文土器、特 に「ハ」の字形爪形文の上限について 留意 されたのは重要である。小破片か ら判断せざるを得ない該期土器群の編年 に当たっては、 従来、「ハ」の字形爪形文が より新 しい と判断 される指標的な もの と考 えられがちであつたが、 隆起線文土器の波状隆起線が指頭 によるひね りであるものが多い ことを考慮すれば、隆起線文 土器の初期の段階か ら存在 していた として も何 ら不思議 はない。南原遺跡 また本遺跡例 はそれ を裏付 けるものであろう。 関東地方において、隆起線文土器の最 も新 しい段階は、神奈川県栗木(増田他1978)、 埼玉県 小岩井渡場 (安岡1977)、 栃木県大谷寺洞穴の一部 (塙1976)な どであろう。極めて細 い微隆起 l o2

魃閻V

Ψ

7 o . ,Cm

05

ど∠II》>8

(8)

-7-新東京国際空港NQ12遺跡の有舌尖頭器をめぐって 線が連続的あるいは帯状 に何本 も横走 している。そして最 も古い段階は、花見 山の一部、南原、 東京都多摩ニ ュータウン

No426(原

川他1981)、 神奈川県黒川東遺跡 (村田他

1980)で

あろう。 隆起線 は太 く、 また指頭や工具による隆起線の押 し潰 しやひね りによって波状 を呈 している。 長崎県福井洞穴 (芹沢1970)や、愛媛県上黒岩岩陰遺跡 とも関連するような、幾何学的文様が 多用 されているの も特徴的である。 中間的な位置 に神奈川県なすな原遺跡 (岡島1977)の 一部、 千葉県瀬戸遠蓮遺跡 (鈴木1974)な どが こよう。波状隆起線 と細い隆起線が組 み合 った土器で ある。前段階でみ られた幾何学的文様 は残存するが、細 い隆起線 によるようになる。長野県石 小屋洞穴例 (永峯1967)との関連の深い土器群であるが、従来の隆起線文、微隆起線文土器 と いう区分では細別が困難 となるもの も多い。細別の根拠等については殆んど触れなかったが、 いずれ別稿で述べ る予定である。 No12遺跡 は、多条 に貼付 した波状隆起線、 口縁部の幾何学的な波状隆起線か ら花見山、南原 遺跡 に最 も近似 した特徴 を もつ土器 を出土 してお り、現段階においては関東地方で最 も古相 を 示す もの とも言える。 しか しなが ら、福井洞穴、上黒岩岩陰遺跡 と同一視で きるかは、若千疑 間の余地 も残 る。福井洞穴の隆起線文土器は、刻 目あるいは刺突 を施 した幅広の隆起線文 を回 縁 に平行 して貼付 け、隆起線間に細 めの隆起線が垂下、斜行す るいわゆる隆帯文土器 と、 ほ ゞ これ と同様 な文様構成 をとりなが らや ゝ細 めの隆起線 による隆起線文土器の二種 よ りなる。上 黒岩岩陰遺跡 は、指頭 によると思われる ミミズ腫れ状の波状隆起線が口縁部 に平行 に施 され、 これ を分断するかの ように口縁か ら垂下する2条の波状隆起線 によって幾何学的な文様帯 を形 成 している。斜行する隆起線文 をもつ もの もあ り、福井洞穴が刻 目、刺突 をもつ隆起線 を多用 していることに若干の相違 はみ られ るが、両者 は極 めて近似す る関係 にある。隆起線の幅の変 化 は、装飾方法の差 によるようであ り、福井洞穴の隆帯文土器 も隆帯間を結ぶ隆起線 は細 めで ある。 No 12遺跡の隆起線文土器 は、 口縁 に平行する2条の隆起線間 をやは り、垂下あるいは斜行す る隆起線で幾何学的な文様構成 をとってお り、福井洞穴、上黒岩岩陰遺跡 との間 に強い関係が 看取で きる。しか しなが ら両遺跡の垂下 あるいは斜行する隆起線貼付部が、口縁部のみでな く、 胴部 にも及ぶ例が多い ことは長崎県泉福寺洞穴 (麻生他1985)に もみ られ、豆粒文状の楕円形 浮文の存在 (福井洞穴

)な

ど両者 は必 らず しも一致 しない。土器量 その ものが少ないので速断 はで きないが、No 12遺跡 をはじめ、花見 山、南原遺跡 は文様帯が口縁部に集中される傾向がみ られることか ら、福井洞穴、上黒岩岩陰遺跡 よりもや ゝ後出的な様相 を示 しているようである。 しか し、地域差 も考慮せねばな らず、両者の関係 は、今後 中間地域 における状況が明 らかにな った段階で結論づ けるのが至当であろう。

(9)

2

12遺

跡 の 有 舌 尖 頭 器

(1)有

舌尖頭器の研究略史 有舌尖頭器が初 めて注意 され出 したのは、1958年の北海道立川遺跡の調査以後である。芹沢 長介氏 は、新潟県中林遺跡 出土の有舌尖頭器 を考察するなかで、旧石器時代か ら新石器時代ヘ の過渡期的な特徴 を示す石器 として注 目し、全国的な編年 を発表 した。氏の編年基準 は舌部の 発達程度 にあ り、舌部未分離の第

1群

か ら小型化する第Ⅳ群 まで細分 した ものであるが、大筋 の流れ としては、資料の増加 した現在で も有効性 を保 つている基本的な編年案であった (芹沢 1967)。 芹沢氏の発表の翌年、小林達雄氏 は長野県柳又遺跡 出土の有舌尖頭器が、形態的に も、 統計的な大 きさ等 について も、 また技術的に も一つの斉一性があることに着 目し、愛媛県上黒 岩岩陰遺跡や小瀬 ヶ沢洞穴遺跡 との対比 を試み範型論 を展開 した ことはよ く知 られている (小 林1967)。 その後、地域的あるいは全国的な視野で大井晴男 (大井1970)、 加藤稔 (加藤1978、 1986)、 自石浩之 (白石1976)氏らによって研究が進 め られ、最近では増田一裕 (増田1981)、 栗島義明 (栗島1984)、 森Ile稔 (森嶋1986)氏 らによつて編年が試み られている。増田氏 は舌部の形態 と 大 きさを中心 に、栗島氏は形態 を中心に18の型式 に細別 し、立川系、小瀬 ヶ沢系、柳又系に3 分 し、その型式の組 み合わせ と編年 について述べている。森嶋氏 は、神子柴系文化、隆起線文 土器 との関連等か らⅥ期の区分 をしている。筆者 も縄文時代初頭の狩猟活動 を分析するなかで、 有舌尖頭器の用途 について考察 し、先土器時代か らの伝統 を残す尖頭器、そ して縄文時代の新 しい狩猟具である弓矢 (石鏃

)と

の関係か らその消長 について触れた ことがある (鈴木1976、 1981)。 有 舌尖頭器 の型式 分類 及 び その編 年 は、実 の ところ困難 な面 が 多 い。 その理 由の第1は石器 特 に実用利器 一般 に共有 され る特徴 で あ るが、形 態等 に現 れ る変化 が比 較 的乏 しい こ と、第2 に大方 の編年基盤が土器型式 との対比 に求 めてい る ものの、隆起線文土器 の型式決定 また変遷 過 程 が必 らず し も明 らか にな って い るわ けで はな い こ と、 第3に資料 その ものが乏 し く、各遺 跡 か ら出土 した有 舌尖 頭器 も組 成 の一端 を示 して い るだ けで、全容 を知 れ る もので はない こ と な どが あげ られ よ う。 また、資料的 に不十分 な段 階 で、土器型式 よ りも細 分す るような型式設 定 が果 して必 要 か とも反省 され る。

(10)

-9-新東京国際空港No 12遺跡の有舌尖頭器をめぐって (2)No 12遺 跡の有舌尖頭器 とその位置 No12遺跡の有舌尖頭器 に触れ る前 に、有舌尖頭器の形態分類 をしてお く必要があろう。形態 分類 と型式分類 とは本来全 く異なるものであ り、型式分類 には、形態、組成、技術等総合的な 検討が必要であるが、先土器時代の石器 と異な り、有舌尖頭器の技術的な対比 は困難 な面が多 い。平坦剥離が一般的 となった段階では、いかなる剥片か らで も成品を作 り出す ことが可能で あ り、適正 な素材の作成等 に定型的な過程 (石刃技法等

)を

踏 む必要性 は乏 しくなった と考 え られ る。特 に完成品においては最終的な調整段階の ものを除 くと技術的な対比 は困難であ り、 形態的な類似 を頼 りにせざるを得 ない面が多い。 有舌尖頭器 を形態分類す るに当たって最 も重要な点 は基部の形状 にある。有舌尖頭器の分類 に参考 となるのは、縄文時代の最 もポピュラーな石器である石鏃の うち有茎石鏃がある。有茎 石鏃の分類 は、赤堀英三氏 (赤堀1929)、 佐原真氏 (小林。佐原1964)に よってなされているが、 赤堀氏 による分類 は、基部の形状 にあ り、最 も有効である。 しか し、呼称方法が面倒であるの 第4図 有舌尖頭 器の形 態分 類模 式 図 で、呼 び方 は佐原氏 の方法 に準 拠 す る こ ととした。大小及 び舌 部 の幅 の差 こそあれ、有 舌尖頭 器 と有茎石鏃 とは共通 す る特徴 が多 い。 これ に属性 の一 つ とし て側縁 の形状 を加 味 した分類 を 第

4図

に示 した。増 田氏 の分類 は、平基群 と凸基群 を一括 した もの で あ るが、基本的 には赤堀 氏 に よる分類 に近 い。 なお、柳 又型 と小瀬 ヶ沢型 と呼 ばれ る本 州、 四国 の二 系統 の有舌尖頭器 の最 も大 きな相異 の一 つは舌部 の長 さの極端 な差 であ る。標式 遺跡 の柳 又遺 跡 は平均5 11ull、 最 大 で も8 11ullにす ぎない。上黒岩 岩陰遺跡 は柳又遺跡 よ りさ らに 舌部 が短 かい。 一 方、小瀬 ヶ沢 洞穴 は点数 は少 な い ものの平均 9 Eull、 本遺跡 は12111111、 南 原遺跡 外 彎 側 縁 直 線 倶1縁 内 彎 側 縁 平 行 側 縁 尖 基 式 群

Ψ

ν

凸 基 式 群 平 基 式 群 凹 基 式 群

(11)

は9 11ullとその差は歴然 としている。 もっとも小瀬 ヶ沢洞穴の有舌尖頭 器 は、増 田氏が躊躇 したように攪 乱状態の出土であ り、 また類例 も 少ない ことか ら小瀬 ヶ沢型の一側 面 を示 しているだけの ようで型式 (むしろ系列か

)設

定 は他の遺跡 を標式 とした方が良 さそうで もあ る。 さて、No 12遺跡 の有舌尖頭器44 点の うち、基部が欠損するもの及 び未成品の

2点

を除いた42点の内 訳 は、尖基式群

9点

、凸基式群22 点、平基式群11点である。石材 は、 安 山岩、砂岩が最 も多 く、チ ャー トを混 じえる。黒曜石製 はない。 ① 尖基式群(第2図 34∼43) 基端部か らや ゝ内彎気味の舌 部が直接続 くものであるが、柳 又型 に独特 な微尖基状の舌部 と は異な り、むしろ凸基式群の基 部 と舌部が不明瞭な もの として みた方が良いであろう。身部側 縁 は緩 か に外 彎 す る。身部 長 2.0∼ 2.5cmの小型の ものが多い が舌部の大 きさは他の群の もの と変 らない。全体的に幅広で寸 ず まりの感があるが細 身の もの (34)もある。 ② 凸基式群

(1∼ 22)突

出す る基部 に舌部が付 くもので身部 側縁が緩かに外彎するもの(1、

-7

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5図

柳又遺跡の有舌尖頭器

0

scm L.,I+J+J ‘鴻 , lL m馴 出川 ︱ ︱ ︱川 Ⅲ川 =Ⅲ 旧Ⅲ 旧旧 ︲ ︲ ︲口 ︲ ︲ ︲ ⅢⅢ 田田 旧Ⅲ Ⅲ円 田Ⅲ Ⅲ︼ ︺ ロロ ,

第6図 小 瀬 ヶ沢洞穴 の有舌尖頭器 l h i l = = = n = m l l l l l l Ⅲ ︲ ︱ ︱ = = ︲ ︱ ︱ ︱ ︱ ︲ W W V ζ =>■ 3

-2

-4

(12)

新東京国際空港N012遺 跡の有舌尖頭器 をめ ぐって

4∼

15)、 直 線 的 な も の (16∼18)、基 部寄 りの身部 両側縁 が平行 的で、先端近 くで急 にす ぼ ま り、五 角形 に 近 い 形 状 と な る も の (19∼

22)に 3分

され る。 大 きさに もか な リバ ラエテ ィーが あ り、最イヽの ものが 全長2511ull、 最大 の もの は69 11ullであ る。舌部 は逆三 角形 状 をなすが、先端 がや ゝ太 目で丸味 を帯 び る もの(7) もある。2は未成 品 で、尖 頭器状の周辺か ら粗 い調整 を施 したのみの身部で厚みが まだ残 リゴロゴロした感 じであるが、 背面(主剥離面側)から舌部の部分 を加撃 して作 り出 している。失敗作のようで反対側 は大 き く欠損 している。石器の接合等技術面的な検討 はまだ済んでいないが、円礫の表皮 を取 る程 度 に調整 した後、側面にフラッ トな打面 を作 り、加撃 して横長のや ゝ厚めの剥片を剥離 し、 表面側 をまず打調 した後、主剥離面側 を加工 し、打面はその際除去するようである。7は並 列 した剥離が表裏 にみ られる。18、 20は側縁が鋸歯状 を程する。21、 22は側縁が直線的 に変 化 し、将棋駒状の外形 となる。 ③ 平基式群 (23∼33) 基部が長軸 とほ ゞ直行するもの。これも外彎側縁(23∼28)、直線側縁(29)、平行側縁(30∼32) があるが、33のように基端部が張 り出 した ようになる側縁下半が内彎するもの もある。29は 小瀬 ヶ沢型の典型例 に近 いが基部端が返 しとなるほ どは発達 していない。側縁は鋸歯状 を呈 する。 以上、No 12遺跡の有舌尖頭器 について触れて きたが、で きるだけ近隣の地域で他の遺跡 との 比較 を試みてみよう。 (成井遺跡) 本遺跡例 と最 も近似する状況 を示 しているのは、千葉県成井遺跡 (篠原

1981)で

ある。同遺 跡 は略報のみであるが、(財

)千

葉県文化財セ ンター発行の「房総考古学 ライプラ リー

1

先土 器時代」に16点の有舌尖頭器が収録 されている。内訳は凸基式群8点、平基式群

8点

であ り、尖 基式群及 び凹基式群 は欠けているようである。身部側縁は、直線的なもの2点 (いずれ も凸基

%ケ │

-9 第7図 南原遺跡 の有舌尖頭器 ″多か5

(13)

式群)、 平行的 な もの3点 (凸基式群 1、 平 基式群

2)が

あ る。 図示 された凸基及 び平基式群 で

みる限り

No12遺

跡と比較すると①平基式群の比率が高い。②凸基式群も基部と舌部が明瞭にな

るものが多い。③側縁が明らかに内彎するものがない。④平基式群に小型のものが多いという

3

♀ 1 1 ,Cn

第8図 花見 山遺跡 の有 舌尖頭 器

0 2 f 0 5 差 異 がみ られ る ものの全体 的 には類似 す る傾 向が強 い。尖 基 式群 が欠 けてい るの は、No12遺跡 に比 し、基 部 と舌 部 の 角度 が成井遺跡 の方が大 きい とい うことに関係 しよう。平 基式群 の比率 が高 い ことも無 関係 で はなか ろ う。成井遺跡 は波状隆起線 を もつ隆起線 文土器が伴 ってい るが、 口唇部 に刻 目のみ を もつ無文土器、小 波状縁 で器面 に帯状 の「ハ」 の字形爪形文列 を もつ爪形文土器が伴 い、No 12遺跡 よ リー 段 階新 しい様 相 を示 してお り、千葉 県遠蓮遺跡(鈴木 1974) と類似 す る土器群 であ る。瀬戸遠蓮遺跡 は、 かつて、「ハ」 の字形爪形文、比較的細 目の隆起線 の存在 を もつて、長野 県石小屋 洞穴 (永峰1967)の微 隆起 線土 器 に対比 した こ と が あ るが、その後 、神奈川県花見 山、千葉 県南原遺跡 で「ハ」 の字形爪形文 が明 らか に隆起線 土器 の段 階 まで遡 る ことが 確認 され た。大塚 氏が言及 された ように瀬戸遠蓮遺跡 は隆 起線 土器 の段 階 に まで遡 る ものであ ろう。 (南原遺 跡) 千葉県南原遺跡 は、 日縁 に平行す る波状隆起線や鋸歯状 あるいは三角形状の構成 をもつ と推 定 され る隆起 線 文土器 が 出土 した。 関東地 方 で は古式 の隆起線 文土器 で あ り、No12遺跡 出 土 の隆起線文土器 と酷似 す る。有舌尖頭器 は 18点 出土 してお り、基 部 の形状 がわ か る もの も11点 あ る。全 て凸基式群 よ りなる。舌部 の 形状 は逆 三 角形 とな るが、基部 と舌 部 の分離 がや ゝ不明瞭 な もの も存在 す る。 身部 の作 り に特徴 が あ り、両側縁 が平行 とい うよ りもわ ずか に内彎 す る もの も存在 す る。 全長 の知 れ る ものは少 ないが4.0∼ 4.5cmが 平均的である。 この他、 お そ ら く6 cmを超 える と推 定 され る や ヽ大型 の もの、2 cm台 の小 型品 もあ る。No12

晰⑨

-0

_2 3

Δ

第9図 黒 川東(1),多摩 ニ ュー タウ ンNo426(2∼4) 前原 (5∼7)遺跡 出上 の有舌尖頭器

01

`

-7

(14)

-13-新東京国際空港N●12遺跡の有舌尖頭器をめぐって 遺跡 と比較すると、①平基式群がな く、全て凸基式群で構成 される。②小型品は存在するが比 率的に乏 しい、③側縁が内彎するものがあるといった特徴をもつ。先のNo12遺跡 と成井遺跡 と の比較か ら平基式群の量的増大、換言すれば基部の返 しの発達は、有舌尖頭器の発達過程 と無 関係でな く、南原遺跡はNo12遺跡 より古相を示す もの といえる。 しかしなが ら、両遺跡の隆起 線文土器 との間に極端な時間差は認めがた く、南原遺跡出土の有舌尖頭器が該期の組成の全て を示す ものではないという可能性 も残る。 (花見 山遺跡) 同遺跡 は既述の とお りNo12遺跡 に近 い位置 にあると考 えられ る隆起線文土器の他、いわゆる 微隆起線文土器の出土がある。有舌尖頭器がいずれに伴 うのか不明であるが、10点の出土 をみ ている。数量的に少ない割 に変化 に富み、凸基式群 を主体 に、平基式群があ り

(3点

)、 側縁の 形態 も内彎す るもの

(4点

)が

ある。大 きさも3.5cln程度の小型品の他、7.8cmと いうや ゝ大型 の ものがあ り、内彎する側縁、小型品が多い とい う特徴がみ られるが、一時期の一括資料 とい うわけにはいかず、直接対比することは難 しい。埼玉県八 ケ上遺跡 と対比 する と、微隆起線文 土器 に伴 う有舌尖頭器が過半の ようである。 (その他の遺跡) 南関東地方 においてNQ12遺跡 に近 い位置 に当たる遺跡 として、 この他、神奈川県黒川東、東 京都多摩ニ ュータウンNo426遺跡 な どがある。 いずれの遺跡 も有舌尖頭器の出土 をみているが、 数量的に乏 しく総合的な比較検討 はで きない。 しか しなが ら、黒川東遺跡出土の有舌尖頭器は い くつかの問題 を手んでいる。舌部 と基部は余 り明瞭に区別できず、太 く末端が角型の舌部、 や や内彎気味 に平行 す る側縁 とな る身部 を もつ。

1点

の み で ははなはだ心 もとないが、 岐阜 県九合洞穴(澄田他 1967) に もみ られ る特徴 的 な形態 で あ り、南原遺跡 の一部 とも関 連 性 を もち、No12遺 跡 に も身 部形態 が類似 す る もの もある (ただ し、舌部 は尖鋭 で角型 で はない)。栗 島氏 は立川 ポイ ン トとの関連性 を指摘 してい るが、後 に述´ミるよ うに、 よ り古 い段 階 の遺跡 であ る東京

-7

)8 N -9

第 10図 前 田耕 地 遺 跡 の 有 舌 尖頭 器 くて ==〕 >3 ͡ 4

(15)

都前田耕地遺跡 にその祖形 を求 めることは可能であ り、立川ポイイン トの直接的な伝播である とは言い難い。いずれにせ よ、隆起線文土器 と伴出する有舌尖頭器の中では古式の ものであ り、 舌部の変形 (尖鋭化

)は

あるものの、平行側縁型 (将棋 の駒型

)の

祖型 をなす ものであろう。 多摩ニ ュータウンヽ426遺跡 は、未完成品 も含 まれ るようで、全体の形状の知れるものは、舌部 と基部の分離が不明瞭な凸基式の もの及 び尖基式の ものが各1点である。この他、や ゝ粗雑な作 りであるが、柳又型 に類似 する基部破片があ り、若干気 になる ところで もある。東京都前原遺 跡 (小田他

1976)か

らは明瞭 な柳又型の有舌尖頭器が出土 している。尖基式、平基式、凹基式 が各1点であるが、 この他、凸基式で基端部が丸味 を帯 びた ものが1点検出 されている。小瀬 ヶ沢型 と柳又型の共伴関係 を示す重要な資料である。刻 目のある隆起線文土器が出土 している。 さて、 これ までヽ12遺跡の周辺地域 について同遺跡 と時間的に近似する関係の遺跡 との対比 を試みて きたが、No12遺跡の有舌尖頭器 を理解する上で、 より古い段階、そ してより新 しい段 階の有舌尖頭器の特徴 を知 る必要がある。 まず、古い段階の ものであるが、南関東地方におい て、No12遺跡、南原遺跡、多摩ニ ュータウンNo426遺跡 あるいは黒川東遺跡 よ り古式 とされ る隆 起線文土器は検出 されていない。最近、隆起線文土器 より古い といわれ る無文土器の出土が報 告 されているが、現在の ところ実態 は明 らかでない。 若干、時間的な隔 りが感 じられるが東京都前田耕地遺跡で まとまった資料があるので比較 し てみ よう。前田耕地遺跡 は先土器時代終末の尖頭器 を中心 とする生産遺跡であ り、破片 を含め ると600点余 りに及ぶ彩 しい数の尖頭器が出土 してお り、有舌尖頭器の総数 も約100点に達 して いる。前田耕地の有舌尖頭器にはい くつかの際立った特徴がある。①全て尖基式及び凸基式群 である。②両者の中でも尖基式群の比率が高 く、 また凸基式群 も申し訳程度の短かい基部が付 くのみで太い舌部に続 く、つまり舌部の作 り出しが明瞭でないといえる。③基端部が丸味をお びるものがある。④側縁が平行的なものが多 く、や ゝ内彎するもの も存在する。⑤出土点数が 多いにもかかわらず完形品は驚 くほど少ないが、全長

6∼

8cmのものが多いようである(しかし、 比率的には少ないものの、全長

3∼

4 cmの小型の ものも存在する)。 このように、前田耕地遺跡 の有舌尖頭器は、ヽ12遺跡はもちろん、より古相を示す南原遺跡 を介在 させても隔差が大 きい。 それでも第10図

6∼

8の ように舌部が明瞭 となる一群があ り、側縁が平行的なものも継続的な 関係 をうかがわせる。しか も大小

2種

が、前田耕地遺跡から連綿 として継続 しているのである。 なお、前 田耕地遺跡 の有舌尖頭器 にはい ま一 つ重要 な問題 が あ る。尖基式群 とされ る大半 の有 舌尖頭 器 は、棒 状 の舌部 を もつ凸基 式群 に発 達 してい く姿 を同遺跡 は示 してい るが、 同遺 跡 の 報 告書 で第

2群

b類

とされ た有 舌尖頭器 の一部 は、他 の有舌尖頭器 に比 し、幅広 で扁平 で ある とい う特徴 が あ る(橋口他1979)。 柳 又型有 舌尖頭 器 (第

5図

)には、基部 か ら小 さな微尖基 と 呼 ばれ る小 さな板 状 の舌部 を突 出す る もの と、基端 部 か ら直線 的 あ るい はわ ずか に内彎 す る舌

(16)

新東京国際空港No 12遺跡の有舌尖頭器をめぐって 部 に移行する尖基式群の二種があるが、板状舌部 とい う共通性があ り、一般 に扁平である。前 田耕地遺跡 に特徴的な尖基式群の有舌尖頭器が、一方では棒状舌部 をもつ所謂小瀬 ヶ沢型 と称 され る一群の祀型 とな り、一方では尖基式群 その ものの発達過程 として舌部 と基部が分離する 形態 をとった可能性がある。 それは丁度、凸基式群か ら平基あるいは凹基式群が発達 していつ たの と同 じ過程であろう。 次 に隆起線文土器の中では最 も新 しい段階である微隆線文土器 に伴 う有舌尖頭器 について 触れてみたい。微隆起線文土器 を出土 した遺跡 は南関東地方で も類例 を増加 しつつあるが、有 舌尖頭器が まとまって出土 した遺跡 は以外に少ない。埼玉県橋立岩陰遺跡(芹沢他1967)、 神奈 川県花見山遺跡、埼玉県八 ヶ上遺跡 (笠野他1974)な どが好例 である。 なかで も八 ヶ上遺跡が 代表的であろう。八 ヶ上遺跡 の有舌尖頭器 は凸基式

2点

、平基式

3点

である。No12遺跡 に対 し、 ①全体的に小型化する。②側縁が内彎 し、基端部が張 り出す とい う特徴 を有する。 花見山遺跡 は既 に紹介 したが、第7図 1は 、八 ヶ上遺跡 と酷似 した形態である。橋立岩陰遺 跡の3点の有舌尖頭器 はいずれ も凸基式群であるが、八 ヶ上遺跡同様、小型品のみ となってい る。前段階 まで有舌尖頭器の組成 に大 きな部分 を担 っていた側縁平行型 (将棋駒型

)の

一群 は 著 しく衰退 してい くようである。 しか しなが ら、有舌尖頭器の組成 の全てを示す遺跡 を欠いて いるようで、資料不足の感 は免れない。

6)有

舌尖頭器の変遷 No12遺跡出上の有舌尖頭器 を中心 とし、それ との関係か ら南関東地方における有舌尖頭器の 組成 と変遷 について述べて きた。資料的な限定か ら不明瞭な ところも少な くないが、前田耕地 一 南原、空港

No12-成

井一 八 ヶ上 と変遷 を追 って きた。尖基式群の有舌尖頭器一 (凸基式 群の有舌尖頭器

)一

→ 凸基式群

+平

基式群の有舌尖頭器―→ 有舌尖頭器の小形化 とい う大 きな 流れになるが、基本的には芹沢氏 による編年の枠組 を外れ るものではない。大 きくみれば有舌 尖頭器の変遷 は舌部の発達過程の歴史であ り、換言すれば返 しをもつ基端部の発達で もある。 平基式群や凹基式群の有舌尖頭器の誕生 を最盛期 とし、やがて隆起線文土器の末期には著 しく 小型化 して、弓矢の盛行 とともに衰退 してい くのである。ただ し、前田耕地遺跡の前後 に も各 一段階の発達過程の存在が予想 され よう。全国的な視野でみれば、前田耕地遺跡の有舌尖頭器 は新潟県中林遺跡 (芹沢1966)に近似す るものであ り、山形県弓張平遺跡(加藤他1978)も 同様 である。前田耕地遺跡 を遡 るものは、新潟県本 ノ木、千葉県南大溜袋他例であろう。前田耕地 遺跡が尖基式 と称することがで きるように、基部 こそ存在が殆 ん どない ものの三角形状の舌部 形成 は明瞭であるのに対 し、本 ノ木、南大溜袋例 は尖頭器の基部端 を斜 めにそいだような逆梯 形の舌部である。前田耕地遺跡 と南原、NQ12遺跡 との間に も間隙がある。神奈川亀谷狐穴遺跡

(17)

(江藤他1971)を これに当てる見方 (増田1981)もあるが、資料的 にいかにも不足であ り南関 東地方ではまだ未検 出 としておいた方が良いであろう。各段階の有舌尖頭器の変遷 について要 約すると以下の とお りとなろう。 第1段階 発生期の有舌尖頭器であ り、芹沢氏のい う第

1群

に当たる。身部は従来の細 身の 尖頭器その ものであるが、基部両端がそがれたような逆梯形の舌部 を形成する。尖頭器 と同様 大型品である。南大溜袋遺跡で代表 され る。 第

2段

階 前田耕地遺跡 に代表 される。尖基式群の有舌尖頭器 を主体 とし、凸基式群の有舌 尖頭器の萌芽がみ られ る。小型な もの も登場する。芹沢氏のい う第

2群

に相 当するが、中林遺 跡 は組成が完全ではないようである。舌部の形成が明瞭化 しつつある段階で、後の柳又型、小 瀬 ヶ沢型の祖型 をな している。凸基式群 の舌部 も左右非対称の ものが 目立つ。本段階 までは土 器の検 出がない。 第

3段

階 南原、空港No12、 成井遺跡 に代表 される。尖基式群 は典型的な ものは関東地方で は乏 しくな り、や ゝ舌部形成のはっきりしない形態 というにす ぎな くなる。本段階では凸基式 群が主体 とな り、時期的に下 るにつれて平基式群の比重が高 くなる。地域的には凹基式群 も登 場 し(小瀬 ヶ沢洞穴)、 形態、大 きさともバ ラエティーに富 んだ組成 をもつ。小瀬 ヶ沢型 と柳又 型が明瞭 に分離 して くるもの も本段階である。基端部が発達 し、返 しとして意識 された形態で あ り、有舌尖頭器の最 も発達 した段階で芹沢氏の第

3群

に相 当する。隆起線文土器が発生 して お り、未だ弓矢は主力な狩猟具 とはならない もののその萌芽がみ られて くる。 第

4段

階 有舌尖頭器の終焉の姿である。小型 なものが著 し く多 くな り、側縁が内彎す るも の も多 く基端部の突出は前段階 よりも顕著である。弓矢の急速 に普及 とともに衰退化 をはじめ る。いわゆる微隆起線文土器 に伴 うことが多いが、爪形文土器の段階で消滅 してい くと考 えら れ る。芹沢氏の第

4群

に相 当す る。 有舌尖頭器 は、先土器時代か ら縄文時代への過渡期 にしか存続 しなか った寿命の短 い石器で あるが、狩猟具の改良、変遷 を知 る上で も、 また縄文時代 とは何かを知 らせて くれる石器で も ある。筆者 はかつて、縄文時代の狩猟活動 を知 ろうと有舌尖頭器 と石鏃 を中心に自然遺物 とも か らめて検討 した ことがあるが、当時は有舌尖頭器の編年関係 については資料的な制約 もあ り 細部 にわたっての考察 はな し得なかった。 ことに関東地方 においては皆 目状況は不明な状況で あつた。 しか しなが ら近年 に至 って、隆起線文土器 を出土する遺跡 もかな りの数で検出され、 漸 くその変遷 の実態が明 らかにな りつつある。神奈川県花見山遺跡、東京都多摩ニ ュータウン 結 ′lヽ

(18)

新東京国際空港NQ12遺 跡の有舌尖頭器をめぐって No426遺跡 、さ らに千 葉 県 下 で も瀬 戸 遠 蓮 遺 跡 、南 原遺 跡 そ して空 港NQ12遺跡 で 隆 起 線 文 土 器 の 出土 が 報 ぜ られ 、 有 舌 尖 頭 器 もそれ に伴 って 多量 の 出土 をみ て きた わ けで あ る。 従 来 、 有 舌 尖 頭 器 の 変 遷 は 断 片 的 な資 料 に頼 らぎ る を得 ず、 地 域 的 に極 端 な遠 隔地 の資 料 との対 比 にな らざ る を得 な か った の で あ るが 、 これ らの遺 跡 か ら有 舌尖 頭 器 の組 成 内容 をか な りの程 度 まで網 羅 す る資 料 を得 る こ とが で き、 よ り精 徴 な比 較 検 討 が可 能 とな りつ つ あ る。 本 稿 は、 関 東 地 方 、 それ も南 半 部 に ほ ゞ限定 して考 察 して きたが 、浅 学 の た め十 分 に 目的 を 果 た した わ け で は な い。 特 に隆起 線 文 土 器 の編 年 が不 確 定 な段 階 で、 新 旧関係 を論 じるの は若 干 無 理 もあ る。 本 小 稿 は、 No12遺 跡 出土 の有 舌尖 頭 器 の組 成 か ら、 有 舌尖 頭 器 の編 年 問題 に ま で触 れ て きた が 、 狩 猟 具 と して の問題 につ いて は検 討 をな し得 なか った。 今 後 、 よ り広 範 囲 な 視 点 か ら再 論 して み た い と思 っ て い る。 な お 、 末 尾 なが ら本 小 論 を草 す る に 当 た り、 石 田美代 子 、橋 本 勝 雄 氏 に は、遺 物 実 測 あ るい は文 献 等 で 多大 な援 助 を賜 った。 こ こに厚 く謝 意 を表 す る。 引用文献 赤堀英三

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参照

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