参加型・対話型による災害情報生産に関する臨時災害放送局の一考察
~宮城県・山元町のりんごラジオを事例に~
A Study of emergency broadcasting FM stations on disaster information production through participatory and interactive
-Consideration from RINGO radio in Yamamoto Town, Miyagi Prefecture-
Nariyuki OHUCHI
大 内 斎 之
1 はじめに
2011年3月11日の午後2時46分、三陸沖を震源地とする大規模な地震が発生した。死者19,729人、
行方不明者2,559人、負傷者6,233人というこの未曾有の東日本大震災から10年が経過した。あらため て言うまでもなく東日本大震災は、地震、津波、福島第一原子力発電所事故(以下、原発事故)の 複合的災害である。災害として記憶から消すこと出来ぬほどの規模であり、複合的であったことか ら世界中の人々の地震という価値観を変えた災害であった。内閣府よれば、163ヶ国・地域及び43の 機関が支援を表明し、29ヶ国・地域・機関から救助隊派遣の申し出があり、64ヶ国・地域・機関か ら救援物資の申し出があった。
筆者は、これまでの研究において東日本大震災後に設置開局された臨時災害放送局(以下、臨災局)
に注目し、被害の軽減を目的とした放送運営や、放送法に規定されている開局目的外の放送として 注目された復旧・復興期における放送運営についても、2012年からフィールドワークを行い、論考 を明らかにしてきた(大内、2018)。
さて、本稿は東日本大震災後に設置開局した臨災局が、放送運営が長期化した中で、スタッフが 少なく取材のままならないような状況にもかかわらず、どのように独自の災害情報を生産したのか、
そうした問題意識に基づき宮城県山元町の臨災局を事例として、そのメカニズムを明らかにするも のである。
2 先行研究と目的
東日本大震災後における臨災局及びコミュニティFMに関する論考は、数多く発表されている。
参考になるものが多いことは言うまでもない。中でも東日本大震災後すぐに被災地をフィールドワー クして、被災地のコミュニティFMや臨災局の動向をまとめた『被災地メディアとしての臨時災害放 送局―30局の展開と今後の課題―』(市村、2014)は、個々の放送運営や各被災地の状況、災害放送 におけるスタッフの様子等を詳細に書きこんだものとして参考になる論文である。また情報科学芸 術大学院大学教授の金山智子や龍谷大学教授の松浦さと子らが共著としてまとめた、「3.11から962
おけるコミュニティFMの放送運営についても考察し、災害放送全般に関する論考として注目された。
このほかにも松本早野香(2019)松本恭幸(2016)、松浦さと子(2017)、大内斎之(2018)などがある。
これらの論考はいずれも放送運営や臨災局の制度論、コミュニティFMにおける制度論等が主な 内容である。
先行研究と異なって、本稿が注目し明らかにするものは、臨災局が被災者に提供する情報をどの ようなメカニズムによって生産するのかという、被災者への情報提供に関するメカニズムの論考で ある。東日本大震災以前に設置開局した臨災局は、臨時で一時的なラジオ局であることから行政か らの情報を被災者に一方的に提供していたが、東日本大震災後の臨災局では独自の番組の制作や情 報を作り出す局が多く見られた。本稿は、宮城県山元町の災害エフエム(以下、りんごラジオ)を 事例にして、どのように独自の番組を制作し、オリジナルな情報の作り出していったのか、その生 産メカニズムを明らかにするものである。こうした研究は今後予想される災害時において設置開局 する臨災局が行政に頼らずに、被災者のニーズに応える情報を生産するノウハウを備えることにつ ながるという意味では、意義深い研究と言える。
3 臨災局の概説
この章では、臨災局とはどのようなラジオ局なのか、そしてどのような特性をもっているのかに ついて概説する。
3-1 臨災局の制度化の経緯
臨災局が制度化されたのは、1995年2月である。きっかけは阪神・淡路大震災であった。阪神・
淡路大震災後ただちにマス・メディアの情報を受けて、全国各地から救援物資、また救出隊が被災 地へ集まった。しかしその一方で、マス・メディアから被災者に向けた情報はほとんど発信されず、
被災者は、避難所情報、給水情報などの緊急支援情報を得ることができず、混乱に陥った。「マス・
メディアは、被害の甚大さを視覚的に印象づける映像を連日報道し、被災者たちにとっては、こう したマス・メディアの報道にはほとんど役に立たないものであった」(北村,2013,17-23)。マス・メ ディアのそうした情報発信のあり方を、住民(被災者)は批判する声をあげた。そこで考えられた のが住民に(被災者)に対して適格な行政情報を伝達するような、狭域の放送局の必要性であった。
そしてこの阪神・淡路大震災の一ヶ月後、郵政省(現総務省)から放送行政局長名で各地方電気通 信監理局宛に通達された「非常時における放送局に関する臨機の措置について」によって、臨災局 は制度化されたのである。臨災局は、被災者専用に情報を提供する放送局である。正式には、放送 法施行規則第1条の5に「暴風、豪雨、洪水、地震、その他による災害発生した時に、その被害を 軽減するために役立つ」と規定されている。
3-2臨災局の現状
上記のように臨災局は1995年2月に制度化された。それ以降の臨災局は2000年5月の有珠山噴火 に伴う北海道虻田町1、2004年10月の新潟県中越地震に伴う長岡市、2007年の新潟県中越沖地震に伴 う柏崎市、平成23年豪雪に伴い秋田県横手市にそれぞれ設置された。そして2011年3月の東日本大
震災では、岩手、宮城、福島、茨城県の4県で30局の臨災局が設置されたのである。その後は2011 年の新燃岳噴火に伴う宮崎県高原町、2013年7月(平成25年)は島根・山口大雨に伴う島根県津和 野町、2014年8月(平成26年)には豪雨に伴う兵庫県丹波市、2015年9月(平成27年)の関東・東 北豪雨に伴う茨城県常総市と栃木県栃木市、2016年4月には熊本地震に伴い熊本市、甲佐町、御船 町、益城町にそれぞれ設置され、2017年7月には平成29年7月九州北部豪雨に伴い福岡県朝倉市、
2018年6月には平成30年7月豪雨に伴い広島県熊野町、坂町に、2018年には9月に北海道胆振東部 地震に伴い、むかわ町等で2局の臨災局が設置された。さらには2019年には台風19号のため長野県 長野市に臨災局が設置され、これで2013年からは2019年まで7年連続で臨災局が設置されている
(表-1参照)。
東日本大震災で設置されたうち、震災時にコミュニティFM2として開局していた既存局は、FM ONE(岩手・花巻)、奥州FM(岩手・奥州市)、H@!FM(宮城・登米市)、ラジオ石巻(宮城・石 巻市)、エフエム ベイエリア(宮城・塩竈市)、ほほえみFM(宮城・岩沼市)、FM POCO(福島・
福島市)、SEA WAVE FM(福島・いわき市)、エフエムかしま(茨城・鹿嶋市)ラヂオつくば(茨 城県・つくば市)の10局(表-2参照)であった。他の20局は、震災後に設置開局した臨災局である。
東日本大震災以前に設置開局した臨災局の運用日数をみると、有珠山噴火に伴う虻田町(現洞爺湖町)
の329日が最長(表-2参照)であったが、東日本大震災後に設置開局した臨災局は、2,000日を超 えた局が7局、1,999~1,500日が3局、1,499~1,000日が5局と半数の15局が1,000日以上の長期にわ
表-1 臨時災害放送局設置一覧(出典:総務省)2020年10月31日現在
災害名 発生年 開設自治体 開局数
阪神・淡路大震災 1995年 兵庫県 1
有珠山噴火 2000年 北海道・虻田町 1
中越地震 2004年 長岡市 1
中越沖地震 2007年 柏崎市 1
平成23年豪雪 2011年 秋田・横手市 1
東日本大震災 2011年 岩手・宮城・福島・茨城 30
新燃岳噴火 2011年 宮崎・高原町 1
平成25年7月島根県と山口県の大雨 2013年 島根・津和野町 1
平成26年8月豪雨 2014年 兵庫・丹波市 1
平成27年9月関東・東北豪雨 2015年 茨城・常総市他 2
熊本地震 2016年 熊本市他 3
平成29年7月九州豪雨 2017年 福岡・朝倉市 1
平成30年7月豪雨 2018年 広島・熊野町他 3
北海道胆振東部地震 2018年 北海海・むかわ町 2
台風19号 2019年 長野・長野市 1
たる運用となっている。そして福島県南相馬市のみなみそうまさいがいエフエムは2543日間という、
臨災局といえども7年近くも放送を続けていたのである。このみなみそうまさいがいエフエムの放 送内容についての論考は、大内(2018)が詳しい。
表-2 東日本大震災後に設置開局した臨災局の運用期間
臨時災害放送局 自治体 運用期間
みなみそうまさいがいエフエム(新) 福島・南相馬市 2543 りくぜんたかださいがいエフエム(新) 岩手・陸前高田市 2295 けせんぬまさいがいエフエム(新) 宮城・気仙沼市 2289 けせんぬまもとよしさいがいエフエム(新) 宮城・気仙沼市本吉地区 2258 とみおかさいがいエフエム(新) 福島・冨岡町 2212 やまもとさいがいエフエム(新) 宮城・山元町 2203 わたりさいがいエフエム(新) 宮城・亘理町 2193 かまいしさいがいエフエム(新) 岩手・釜石市 2035 おながわさいがいエフエム(新) 宮城・女川町 1806 いしのまきさいがいエフエム(既) 宮城・石巻市 1471 おおつちさいがいエフエム(新) 岩手・大槌町 1449 なとりさいがいエフエム(新) 宮城・名取市 1424 いわぬまさいがいエフエム(既) 宮城・岩沼市 1108 そうまさいがいエフエム(新) 福島・相馬市 1099 みやこたろうさいがいエフエム(新) 岩手・田老地区 1036 しおがまさいがいエフエム(既) 宮城・塩竈市 924
みやこさいがいエフエム(新) 岩手・宮古市 893 おおふなとさいがいエフエム(新) 岩手・大船渡市 734 とめさいがいエフエム(既) 宮城・登米市 731 みなみさんりくさいがいエフエム(新) 宮城・南三陸町 685 たかはぎさいがいエフエム(新) 茨城・高萩市 663 とりてさいがいエフエム(新) 茨城・取手市 184 かしまさいがいエフエム(既) 茨城・鹿島市 121 つくばさいがいエフエム(既) 茨城・つくば市 64 すかがわさいがいエフエム(新) 福島・須賀川市 62 おおさきさいがいエフエム(新) 宮城・大崎市 61 いわきさいがいエフエム(既) 福島・いわき市 61 はなまきさいがいエフエム(既) 岩手・花巻市 24 おうしゅうさいがいエフエム(既) 岩手・奥州市 18
3-4 災害情報の構造と時間経過に伴う変化
りんごラジオを概説する前に災害発生からどのような情報が必要とされ、被災者に提供されるの か簡単にふれておく。
下の表は、地震発生時から時系列にどのような情報が提供されるのかを示したものである。地震 発生直後は、マグニチュードや震度、震源地に関する地震情報、津波の有無を示す津波情報(大津 波情報・津波警報は避難が最優先になるために地震情報より先に提供される)、避難情報、気象情報 が提供される。その後発災から72時間後には、避難に関する行動指示情報、地震による被害がどこ にどの程度出ていることに関する被害情報、被害情報に合わせて人的被害が出ている被災地では被 害者の安否情報や避難先に関する情報が提供される。さらに時間の経過とともに、混乱が徐々に収 束へと向かうと電気ガス道路等のライフライン情報等が提供される。この後はライフラインに関す る復旧情報や罹災証明書に関わる行政情報等が提供される。復興期になると、仮設住宅等に関する 行政情報や被災地のまちづくり等に関する情報が行政から提供される。このように発災から時間が 経過するごとに情報の種別が変わるのである。また、発災直後はなにが起きたのか、今度どのよう なことが起きるのか等に関する情報ニーズが高まるが、その後時間の経過とともに被災者の情報ニー ズは分散していく。臨災局が設置開局する時期は、復旧期、復興期に設置開局することが東日本大 震災の事例として多く見られた(大内、2018)。次節においては、宮城県山元町のりんごラジオの開 局から、どのような放送運営から情報を被災者に提供したのか、またりんごラジオは行政に頼らな い情報を提供し、自主制作比率は100%を維持し被災者のニーズをどのように把握しながら放送を行っ たのかについて明らかにしていく。
表-3 平常時から復興期までに必要もしくは提供される情報種別 (出典:総務省)
①発災期
地震情報、津波情報(大津波・津波警報、注意報 ※余震時)避難情報(指示、勧告、準備情報)、気 象情報(警報、注意報)
②混乱期(自助・共助:発災から72時間)
行動指示情報、被害情報、安否情報・避難先情報、救出情報、救援情報、ライフライン情報
③混乱収束期(公助の本格化)
被害情報、安否情報・避難先情報、救出情報、救援情報、避難所情報、支援情報、ライフライン情報
④復旧期(生活の確保・維持)
支援情報、ライフライン情報、行政情報、民間生活情報
⑤復興期
行政情報、民間生活情報、街づくり情報、復興情報
ふくしまさいがいエフエム(既) 福島市 10
(出典:総務省の資料から筆者が作成)
※(新)震災後新規の臨災局(既)コミュニティFMから臨災局に移行
4 りんごラジオ
4-1山元町
山元町は、宮城県の最南端に位置し、東西6.5キロ、南北12キロのほぼ長方形の町で、南側は福島 県と接している。東日本大震災前の2010年の住民基本台帳では人口は16,893人となっている。東日 本大震災8年後の2019年12月末の住民基本台帳によると山元町の人口は、12,227人で2010年と比較 すると4,600人あまり減少した。
2011年3月11日の東日本大震災で山元町は、震度6強を観測した。この地震で引き起こされた災 害で町内では636人が死亡した。これは宮城県内で6番目の多さであった。津波による浸水面積は総 面積の37.2%となり、人口の52.4%を占めた3。面積が3分の1だが、人口比率では町民の半分の人が 津波で被災したことになる。この津波は、町民への連絡手段である行政無線設備ばかりではなく、
町外へ連絡するための行政無線設備も奪われ、山元町は陸の孤島と化した。この間山元町は町長の 死亡説が町外でささやかれ、また救出作業にあたっている自衛隊も山元町の情報が入らないために、
来れない状態が続いた。そして町外へ情報が伝わったのは、震災から4日後の3月15日のことであっ た。りんごラジオの設置の開局準備は、この時点から始まった。放送運営責任者の高橋厚(以下、
高橋)は以前臨災局の話を聞いたことがあり、知人で以前から交流のあったFMながおか(新潟県 長岡市のコミュニティFM)の脇屋と連絡を取り合い、臨災局の設置責任者である斎藤俊夫(以下、
斎藤町長)に許可をもらい、震災から10日後の3月21日に開局することを決めたのである。
4-2りんごラジオの放送調査と開局
既述したが、東日本大震災では岩手、宮城、福島、茨城県と4県で30局の臨災局が設置開局した。
その中から宮城県山元町のりんごラジオを取り上げる理由は、3つある。一つは運用日数が2203日 間と長期にわたり、放送項目をすべて手書きで保存しており放送内容が調査可能であったこと、も う一つは放送運営責任者が東北放送4元アナウンサーで報道局長を歴任したラジオ放送の精通者であ り、1978年の宮城県沖地震を放送人として経験した経歴を持つことを勘案したためである。
調査は、ノートに手書きで記載された放送タイトルを3月21日から9月21日までの半年分を写真 撮影し、その写真をパソコンに文字入力したうえで項目を分析した。対象となったタイトル数は 14,261項目である。この分析からどのように情報が生産され、どのように被災者に提供されたのを 明らかにしたのである。手書きされたタイトルには、秒数は書いていないこと、詳細な内容につい ては記述がないために不明な点については放送責任者の高橋への聞き取り調査、もしくは実際に出 演した人、例えば山元町の斎藤俊夫町長などにどのような内容を放送で話したのかについて聞き取 り調査を行った。
研究目的とした独自の番組制作とオリジナルな情報の作り出すメカニズムの解明において、筆者 は4点に注目した。一つは、放送席の設定場所である。二つ目は、町民を情報源としたことである。
三つ目は、町長ら町の幹部を生出演させたことである。最後は、町議会を生中継し、復旧・復興の 議論をラジオで公開したことである。
4-3放送席の設定
りんごラジオの愛称は、山元町の名産の一つである「りんご」と終戦直後日本中に復興ソングと して大ヒットした「りんごの唄」に、山元町の復興を祈願して高橋が命名した。まず一つ目の注目 点のりんごラジオが開局するにあたって放送席を設置する場所に、役場からは2ヵ所の提案があっ た5。1ヵ所は、雑音の入らない、役場1階の奥の会議室である。もう1ヵ所は、人の出入りが激し く、音を遮断するものがない、1階ロビーの階段下である。ロビーはオープンスペースで、広さは 約60平方メートル、すぐ右側は死亡届の窓口、左は行方不明者の確認コーナーで沈痛な雰囲気が漂っ ている場所である。雑音が入らないことを考えると会議室が、適した場所と考えるのが普通であろう。
しかし高橋は、「何よりも町民の人たちの顔が見えることが大事だと思い、決めた」(高橋,2013,157)
としてロビーの階段下をあえて選んだ。音を遮断することは、町民を遮断することになると高橋は 考えたのだ。町民がそばにいて、町民の声が聞こえることは悪いことではない。そして山元町には、
既存のラジオ局がなかっただけにラジオ局が開局したことを広報する必要がある。そうしたことを 考えると、役場ロビーという場所は適していると高橋は考えたのである(写真-1参照)。
そして2011年3月21日午前11時にりんごラジオは開局した。その開局の時の高橋の開局第一声が 録音で残されていた6。以下の通りである。
高橋:山元町のみなさん、こんにちは。時刻は午前11時になりました。こちらは山元町災害臨 写真-1 役場1階階段下のロビーに放送席を設けた
(撮影:2011年4月19日 提供:りんごラジオ。高橋厚)
時FM放送局りんごラジオです。コールサインやまもとさいがいエフエム、ジェイ、オー・ワイゼッ ト・ツー・ヴイ・エフエム(JOYZ2VFM)、周波数80.7メガヘルツ、出力30Wでお送りします。
本日平成23年3月21日春分の日、ただいま午前11時から山元町のみなさんのためのりんごラジ オが開局しました。これから山元町のこのたびの大災害に関する情報を毎日ここから生放送で お伝えしていきます。このりんごラジオは山元町のさまざまな情報をお伝えするためのラジオ です。どうぞ、お役立ていただきたいと思います。
りんごラジオの放送所は、山元町役場1階にあります。放送所の前は、安否確認などで訪れて いる町民の方々や自衛隊員、それから角田市などからの応援の方々も含めてあふれております。
りんごラジオの放送を聴くためには、ラジオのエフエム周波数を80.7メガヘルツ、繰り返しま す、ラジオの周波数を80.7メガヘルツに合わせれば、出力30ワットでお送りしておりますので、
山元町全域のお宅でも車の中でもお聞きすることができます。山元町のあらゆる情報は、早く、
正しく、わかりやすくお伝えしていきます。取材の協力や情報の提供など、山元町民のみなさま、
どうぞよろしくお願いします。
それではりんごラジオ開局にあたりまして、山元町斎藤俊夫町長から山元町のみなさんに激励 のあいさつをお願いします。斎藤町長お願いします。
斎藤町長:はい。町民のみなさん、町長の斎藤俊夫でございます。このたびの大惨事で町民の みなさん大変お困りでございますが、この大きな災害を町民が共有しながら力を合わせて恒久対策、
そしてまた復興に向けて取り組んでいきたいと思いますので、よろしくお願いします。ともに がんばってまいりましょう。よろしくお願いします。
写真-2 開局した日のりんごラジオ(撮影:2011年3月21日 提供:りんごラジオ・高橋厚)
高橋:震災の発生からだいぶ連日の仕事ということで職員のみなさん疲労がますますたまって まいりましたね。まあしかし、それぞれご家族の安否ですとか、住まいの状況等、職員の方々 たちにも様々な災害が発生してしまったわけですけど、ひとつ町民のみなさんのためにも斎藤 町長先頭にこれからよろしくがんばっていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
高橋:斎藤町長は、りんごラジオ放送総局長、それから平間副町長は放送副総局長という役割 で、このりんごラジオが開局いたしました。お二人には今後随時出演していただくほか、職員 のみなさんにも直接出演していただいて、いち早く情報の提供を町民のみなさんにお届けして いくということで、進めてまいります。きょうから放送を開始いたしました、りんごラジオ、
あすからは原則として、朝7時から夜7時まで午前7時、午後7時まで、さまざまな放送をリ アルタイム、生放送でお伝えしていきます。午後7時以降、朝7時までは音楽の放送というこ とで、音楽を流すことになりますが、なにかあれば随時山元町の情報をお伝えする体制をとっ ております。ラジオのダイヤルは、エフエムの80.7メガヘルツ、エフエムの80.7メガヘルツに合 わせておいてください。ラジオは各避難所やおもな施設などに届けますので、そこでぜひお聞 きいただきたいと思います。
それではまず、山元町の被害状況についてお伝えしてまいりますが、私は高橋厚といいます。
元ティー・ビー・シー、東北放送でアナウンスをしておりました。現在、山元町の浅生原とい うところに住んで、8年目になります。私たちの大好きなこの山元町、さあご一緒にりんごラ ジオで協力し合ってこの大災害被害に立ち向かっていきましょう。
こちらがやまもとちょうりんじさいがいエフエム放送、周波数80.7メガヘルツのりんごラジオです。
本日から山元町専門の放送を開始しております。
ではただいまから直通携帯電話でみなさんからの情報や問い合わせなどを受け付けます。電 話番号をお知らせします。電話は〇○○○○、〇〇〇〇〇。もう一度繰り返します。りんごラ ジオの直通電話は〇〇〇〇〇です。なお役場内の電話は完全復旧には至っておりません。受付 電話は、この番号の電話だけになります。従いまして、通話中のことも多いかと思いますが、
どうぞ情報をお寄せください。通話は極力手短にお願いします。それではきょう、これまでに 山元町役場3階、災害対策本部がまとめた各種情報をお伝えしてまいります。
これが開局した時のりんごラジオの高橋の第一声である。この第一声から、高橋の山元町民に対 して4点のメッセージを送っている。一つは、りんごラジオを「山元町のみなさんのためのりんご ラジオ」と位置づけ、「お役立てください」とあいさつした。つまり一方通行のラジオではなく、相 互通行、コミュニケーションの場、情報を共有するためのラジオであるとした。2点目は「取材の 協力、情報の提供などよろしくお願いします」と町民に情報の提供を呼びかけた。そして3点目は、
町長を紹介してラジオ局が町と一体となっていることをアピールして信頼性の高いものであること、
さらに4点目は高橋自ら自己紹介をするとともに情報提供を呼びかけたことである。この第一声の
することができる。そのために町民に向かって情報収集への協力を呼びかけたのである。臨災局は、
送り手から一方的に情報を受け手に伝達するのではなく、送り手が受け手になり、また受け手が送 り手になるといった立場を固定しないのが特性の一つになっている。そうしたことから、町民に対 して情報発信という送り手としての期待も込められているのである。こうした町民を情報源とする ことについては次節で詳述する。
4-4町民が情報源
りんごラジオの放送タイトルを分析すると、インタビュー(出演を含む)が約6%占める。数多 くの人が出演もしくはインタビューを受けている。開局した初日には、町長、脇屋、インタビュー「浅 生原、岩佐」、「八手庭副区長 清野さん」、「白石の高校生 3名ボランティア」、公民館内の取材イ ンタビュー、消防団長さん、陸上自衛隊豊川駐屯地室長杉浦さん、伊達市市長奥さま、山二小6年 2名が出演もしくは、録音が出演したと記載されている。このように初日にすでに一般町民や消防 団員、自衛隊員、またボランティア高校生、小学生など幅広い層から情報が発信された。手書きのノー トには話した内容は書かれていないので、内容までは把握できない。しかし高橋からの聞き取り調 査等から一人ひとりの持っている情報を聞き出し、発信する意義を語っている。
高橋は聞き取り調査の中で、一人ひとりのもっている情報を開示すること、その情報を発信する ことで次の情報を生み出すことができるとしている。そしてこれまでに気がつかなかったことでも、
一つの情報がヒントになって次の情報へとつながっていくと説いている7。
情報が情報を生み出し、つながっていることを物語っている事例を2例紹介する。一つは、仮設 住宅でネズミが発生したという事例である。この話は、仮設住宅でネズミが発生していることが、
2012年12月の町議会で取り上げられた。そこでりんごラジオは、ネズミが出た仮設住宅を取材し、
その実態を明らかにしたところ、ネズミの発生はそこばかりではなく、どこの仮設住宅でも発生し ていることがわかった。仮設住宅に住む人たちが黙っていたにすぎなかった。こうしたことから地 元の新聞である河北新報8において、仮設住宅に大量のネズミが発生しているとの報道をするとともに、
糞による被害や洋服がかじられた事例などを報道した。そうしたところ、仮設住宅におけるネズミ の大量発生問題は全国に広まり、支援物資として、ネズミを駆除する薬や仕掛けが届いたのである。
高橋の言う情報が情報を生むというのは、それまで一人の中のでしかない情報は、点でしかない。
しかしその情報が循環すればそれが線になり、様々なところとつながっていくというのである。
もう一つの事例を紹介する。りんごラジオが放送した町民へのインタビューから明らかになった 事例である。それは平間副町長への聞き取り調査9の中で明らかになった。それはある日高橋が(イ ンタビューした日を特定できないが、21日から31日の間だと思われる)、町民が外をスリッパを履い て歩いているところを、インタビューしたことから始まった。その人は、寒い日にも関わらず、スリッ パで歩いていた。そこで高橋がなぜスリッパなのかとインタビューしたところ、その人はスリッパ のままで避難してきたと打ち明け、靴は持っていないと応えた。この話を放送したところ、平間副 町長が聞いていて、それから靴や長靴を支援物資のオーダー品として加えるようになったというも のである。支援物資といえば、洋服や食料品というのがこれまでの定番となっていたが、しかし実
際には靴を持っていない町民がいるということを、このインタビューを放送して初めてわかったの である。被災者は自ら情報を提示する手段を持ち合わせていなかった。そこでりんごラジオ(メディ ア)が積極的に町民らの持っている情報を発信する機会を作った。ネズミ、スリッパともに最初は 個人的な情報でしかなかった。しかし実際には多くの仮設住宅でネズミが大量に発生して困ってい た実態が明らかにされた。またインタビューで靴を持っていない人がいることが明らかにされたこ とで、支援物資の中に靴が必要なことが明らかにされたのである。つまり情報が発信されることで、
多くの人の耳に入り、そして結果多くの知恵が結集されてやがて解決へと導かれていく。高橋の「点 と線」というのは、そういう意味である。だから高橋は情報を「点」から「線」に変え、被害や不 自由な生活等を解決するべく、町民を情報源として情報を発信する機会を作ったのである。
情報組織論、ネットワーク論が専門の金子郁容は、情報には「静的情報」と「動的情報」がある としている(金子,1996,121-123)。「静的情報」はすでにどこかにあるものという概念で、これに対 して「動的情報」とは相互作用の中から生まれてくるものとしている。この「動的情報」は、情報 を隠すことなく、進んで人に提示し、それに対して、意見を言ってもらう、つまり他人から情報を もらい、そのもらった情報に対して、次はこちらから自分の考え方を提示する。「そうしたやり取り が循環プロセスを生み出し、新たに情報が作り出されていく」(金子,1996,122)としている。
金子は「情報というのは、提示されて生かされるのであって、提示されることで情報に意味がつけられ、
価値が発見される」(金子,1996,123)と述べている。
「支援物資」は服、食料等であるという固定概念がこうした被災者の直接的な情報提示によって覆 され、今まで気がつかなかった新しい情報が生み出される。「情報は与えることで、与えられる」と いう特性があり、りんごラジオの高橋が言う「町民の持っている情報が他の被災者にとって貴重な 情報になる。たくさんの情報が集まり、その情報がさらに有益な情報へと発展していく可能性があ る」10という考え方はこうした災害における情報のあり方を示したものといえる。
ちなみに3月21日から9月21日の間で「インタビュー」は817項目、平均すると毎日約4回のイン タビュー番組があったことになる。いかにりんごラジオが町民を情報源としていたかが記録からう かがえる。
4-5町長ら町の幹部が生出演
インタビュー番組には一般町民ばかりではなく、「町長」、「副町長」、「教育長」も積極的に生出演 している、この3役の出演回数を分析すると、3月は「町長」が3回、「副町長」が2回、「教育長」
が3回で合わせて8回、4月は「町長」が9回、「副町長」が8回、「教育長」が9回で合わせて26回、
5月は「町長」が8回、「副町長」が5回、「教育長」が5回で合わせて18回、6月は「町長」が10 回、「副町長」が3回、「教育長」が3回で合わせて16回、7月は「町長」が3回、「副町長」が0回、
「教育長」が1回で合わせて4回、8月は「町長」が0回、「副町長」が0回、「教育長」が0回で合 わせて0回、9月は「町長」が1回、「副町長」が0回、「教育長」が0回で合わせて0回となった。
4月の出演回数が、「町長」、「副町長」、「教育長」合わせて26回であるため、ほぼ毎日出演したこと
出演することについて、聞き取り調査の中で平間副町長は次のように話している。
紙ベースですと、どうしても行政用語が入ったり、ボリュームが決まっているので、簡潔に伝 えたいことをまとめられますが、それを十分理解してもらえるかどうかはクエスチョンです、
そういった意味ではりんごラジオの場合だと噛み砕いて放送ができます。(中略)最初の頃はり んごラジオが開局する前は、避難所に行って、肉声で語りかける努力もしたんですが、避難所 もかなり多かったので、肉声でお伝えできる限界もあった。すべて回っても限界があり、不十 分だった。また避難所におられない方もいる。知人や友人宅に身を寄せている人たちもいるので、
そうした人たちには伝える手段がなかった11
震災直後、山元町には広報誌しか存在していなかったために、全町民に対して町からの情報が行 き渡らず、被災者となった町民は情報不足に陥り、そのために混乱や流言蜚語が飛び交ったのである。
しかしりんごラジオが開局してから町の情報は、りんごラジオを通じて広く情報が行き渡るようになり、
その問題は解決した。加えて、出演者と高橋が一問一答形式でやり取りをしながら、しかも行政用 語を解説しながらの放送になるため、被災者にはわかりやすく、丁寧な情報提供となったと思える。
4-6町議会の生中継
これまでにりんごラジオの情報収集について、これまで3点について述べてきた。一つは放送席 を町民から見える場所として役場の1階に設置して見えるラジオ局として、PRしみんなのラジオ局 であることを強調した。二つ目は町民から直接話を聞いてその情報を共有するというインタビュー 方式による情報提供である。こうしたことで、ネズミの問題や支援物資に靴を追加するという情報 を作りだしてきた。また、役場の幹部が生出演することで、町民に情報の信頼性と混乱を鎮めるた めの安心感をもってもらうための放送を行った。
このようにりんごラジオでは、りんごラジオが一方的に情報を提供するというスタイルではなく、
情報を持っている人と人の橋渡しをすることで、情報を広く共有する機能を担ってきた。そして4 点目は12月12日から町議会の生中継を始めたことである。高橋は聞き取り調査の中で、「災害局での 町議会中継は大きな意味があると思っています」12と述べているが、その大きな意味とはどのように 解釈すればよいのか。
この町議会中継には、高橋の聞き取り調査から二つの意味があると考えることができる。その一 つは、町議会の中継を行うことで、復興計画等が決められていく議論のプロセスに透明性が高まり、
町民に議論の中身を明らかにすることができる。そしてその議論のプロセスが公開されることで、
町民は復旧及び復興計画に対する意思を示す機会を得ることができ、また議論に参加することを意 識してもらうことが期待できる。
二つ目は、議論のプロセスがオープンになるばかりではなく、町議会中継を受け入れるというの は、これまでのような行政の補完とは意味合いがちがい、この議会中継で発信される情報の中には、
町長に対する批判や役場執行部への批判が、そのままラジオから町民に発信され、しかも生中継と
なれば、編集などで修正することができず、都合の悪いものまですべて包み隠さずにつまびらかに 明らかにされるのである。町議会議会は原則公開されているが、それでも実際に足を運ぶのとラジ オの放送で聞くのとはでは大きく異なる。自分たちの選んだ議員はもとより、町長がどのように町 の復旧・復興を進めようとしているのかについての議論を透明化するものである。
5 まとめ
いまでは臨災局の設置開局訓練を行う自治体があるが、東日本大震災当時は突然なにもわからな いまま放送を始めたところがほとんどであった。制度そのものを知らない自治体もあったほどである。
そんな中で、どのように情報を作り、どのように放送を運営していくなど体制を作り、整えた局は 極めて少なかった。そんな中で、偶然山元町には東北放送を定年して移り住んでいた高橋厚がいた。
地域メディアの特性、災害放送の経験者の高橋は、町民を放送の主役として運営し、情報の信頼性 を高めるために町長らを生出演させた。さらに、議論の場を放送で公開した。
本稿では、このように情報提供に関するメカニズムを明らかにしてきた。臨災局は設置開局する ことが目的ではなく、ラジオ局として被災者に情報を提供することが目的である。そうした考え方 をもとに今後とも、臨災局の放送運営についてのより深い知見を得ていくことを今後の課題としたい。
注
1 現洞爺湖町
2 1992年に制度化された超短波放送(FM)用周波数(VHF76.0~90.0MHz)を使用する放送で最大出力は20W。FMを使用す る特定地上基幹放送事業者は「県域放送」と「コミュニティ放送」に区分されている。放送エリアが地域(市町村単位)
に限定されるため、地域の商業、行政情報や独自の地元情報に特化し、地域活性化に役立つ放送を目指している。
3 山元町対策本部発表。2015年2月17日現在
4 宮城県を放送対象地域とするラテ兼営の特定地上基幹放送事業者である
5 高橋厚への筆者による聞き取り調査 日時:2013年3月1日午後2時~、場所:りんごラジオ内
6 2017年7月22日に開かれた「ハナシマショ」で公開された、「あの日聞いたりんごラジオ」の開局当日の音声を筆者が録 音し、活字化したもの。使用については、山元町、高橋に許可を得た
7 同高橋厚聞き取り調査
8 2013年1月24日午前6時10分配信(河北オンラインニュース) http://www.kahoku.co.jp/
9 平間副町長聞き取り調査日時:2013年3月1日午後1時から 場所:山元町役場副町長室 10 同高橋厚聞き取り調査
11 前掲平間副町長聞き取り調査 12 前掲高橋厚聞き取り調査
参考文献
1)金子郁容(1992)『ボランティア―もうひとつの情報社会』岩波新書 2)北村順生(2013)「社会情報学と地域メディア」『社会情報学』第1巻3号
3)松本早野香(2019)「臨時災害放送局に求められるコンテンツと地域メディアとして役割―「りんごラジオ」放送記録分 析から―」『人間生活文化研究所』(2)、大妻女子大学間生活文化研究所、pp682-694
3)大内斎之(2018)『臨時災害放送局というメディア』青弓社
4)大内斎之(2019)「災害情報生産は町民の手で」みやぎ震災復興研究センター、綱島不二雄、塩崎賢明、長谷川公一、遠 州尋美編『東日本大震災100の教訓 地震・津波編』クリエイツかもがわ
5)高橋厚(2013)「小さな町のラジオ発―臨時災害放送局「りんごラジオ」」『中学校 国語2』光村図書