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感覚の確実性の役割に関する考察

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Academic year: 2021

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感覚の確実性の役割に関する考察

山田浩司(Koji Yamada)

日本大学

本発表では、永井均氏の『存在と時間 哲学探究 1』の第10 章において提示された

「私はこれを感じている」における二つの確実性について考察する。その二つの確実性 とは、「まちがいなくこれ を感じている」という感覚の確実性と、「まちがいなく私 じている」という自己の確実性である。

その章は、ヘーゲルの『精神現象学』の「感覚的確実性」という章における考察をも とにしている。永井は、「ヘーゲルの知らない区別」という節で、上で挙げた二つの確 実性を提示した。そして、『<私>の哲学を哲学する』で使用された用語でいえば、「感 覚の確実性」は「第0次内包」にあたり、「自己の確実性」は「無内包」にあたり、「感 覚の確実性」は、世の中で客観的な役割を演じることができるが、「自己の確実性」は、

世の中で客観的な役割を演じる可能性がない、と述べていた。

客観的な役割を担う「感覚の確実性」とは、砂糖であれ塩であれ、私が甘いと感じれ ば、そのことは疑いえないという意味での確実性のことである。つまり、「これ は甘い」

と決定する権利を私が持っている、ということである。

ただ、「感覚の確実性」と考えられるものはそれだけではない。「まちがいなくこれ 感じている」は、何かを感じているまさにその時における「これ があることは疑いえな い」という意味での確実性を表す、と捉えることもできる。この場合、「これ 」は、あ る感覚を指していると言えるが、ある様態を指していると言ってもいいであろう。

この後者の「感覚の確実性」は、どういう確実性であろうか?

ヘーゲルは、「感覚的確信が、自分の知る対象についていうことは、「それがある」と いうことだけで、その真理にふくまれるのは、事柄がある いう こと だけである」(『精 神現象学』66頁)と言っていた(この引用の「感覚的確信」に当たる箇所を、永井は、

「感覚の確実性」と訳している)。ここは、永井が、「自己の確実性」で表そうとした実 存を、「感覚の確実性」が表していると言っているように読める。ヘーゲルがこのよう に言っているのは、「感覚の確実性」と「自己の確実性」の区別をきちんとつけられて いなかったことだけが原因なのだろうか?「自己の確実性」ではなく、「感覚の確実性」

の方から実存を考えていくことはできないのであろうか?

本発表では、「感覚の確実性」が少なくとも2種類あることに注意し、それで何が意

(2)

味されうるのかに気をつけながら、「これ があることは疑いえない」という方の感覚の 確実性がどういうものであるかを探っていく。

(参考文献)

Hegel, G. W. F. (1807) Phänomenologie des Geistes, Bamberg und Würzburg. (『精 神現象学』、長谷川宏訳、作品社、1998年)

永井均(2010)『<私>の哲学を哲学する』,講談社.

永井均(2016)『存在と時間 哲学探究1』,文芸春秋.

参照

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