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計史方法論

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(1)

論 文

A ZZ

計 史 方 法 論

の 検 討

茂 木 虎 雄

六 五 回 三 二 一

はじめにi│伝統的な会計史の方法の反省││簿記文献史より簿記実践史へl│会計史学の成立過程

l l

複式簿記史の方法!ーその特徴と限界

会計史にアプローチする姿勢

会計史の体系化

i │

損益計算視点の重視

む す び

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土 じ め

!ー伝統的な会計史の方法の反省││

﹁会計史﹂と名づけられた研究は︑十九世紀の末葉から存在している︒その多くは複式簿記法の技術的体系化過程

をあとづけるものであった︒厳密な用語においては﹁複式簿記史﹂である︒これは︑歴史論ではあるが会計学者によ

会計史方法論の検討

(2)

会計

史方

法論

の検

つてなされ︑会計学の基本概念や︑会計学の伝統的方法をもととして展開されてきた︒

会計史を技術史としてとらえ︑技術学的発展過程のみを歴史的にあとづけてきた︒技術をそれ自体として抽象的に

とりあげて︑社会経済との規定関係はあまり問題とせずに︑技術の機能関係の分析ではなく︑静態的な暦年的系列化

をなしていた︒技術が存在し︑機能することの意義について︑技術H計算様式の存在日H機能関係分析を通じて簿記・

会計に生成・発展する質の抽出分析は無視し︑計算様式それ自体を単独にとりあげ︑その存在を時間的に配列するこ

とに

終っ

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会計史は︑会計学︑複式簿記運用法の習熟が絶対の前提となっている︒これが障害となったのであろうか︑経済史

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2

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やメリス(同冨乙町田﹀のような例外はあるが︑多く会計学者によって問題とされてき

たし︑また現在もそのようである︒経済史とは直接の関係をもたずに展開されてきたが︑近年経営史研究が隆盛とな

るなかで︑経済史家が会計史を注目しはじめ︑また会計史も︑会計技術を問題とするがための孤立は許されなくなっ

て会

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いる

われわれは先学が築いてきた会計史の方法について学び︑経済史・経営史の成果をもとりいれることによっ℃︑そ

れを一層発展させねばならない︒技術史でもある会計史の社会科学的体系化︑これが今日の会計史学の重要な課題で

ある︒以下︑会計史の研究のきし方をふりかえり︑そこにおける問題をみ︑さらに今後の展望をしてゆく︒

(3)

簿記文献史より簿記実践史へ

││会計史学の成立過程

li

史上最古の複式簿記毒であるルカ・パチョリ!の﹃簿記論﹄

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﹀の︑十九世紀における翻訳過程のうちに複式簿記史が形成されてくる︒複式簿

記史││これはしばしば会計史と呼ばれているが││はパチョlリを問題とすることから始まり︑その後の簿記書を

出版年代順にあとづけた簿記文献史という形態をもって展開してきた︒

十九世紀の末葉︑パチョ1リ簿記書の出版︑その背景となった十四・宜世紀の簿記事情の究明がなされるなかで︑

複式簿記史が形成されてくる︒ドイツ︑

イギ

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イタリアにおいて研究が展開する︒複式簿記史とレう名をもり

て︑文献史的ではあるが体系化を試みたものが一八五二年のホスターである(回・吋

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︒ルカ・パチョiリの簿記書からはじめ︑それぞれの時代の代表的簿記書を

時間的順序で配列し︑その内容を紹介し︑特色を解説するという方法をとっている︒ドイツではカイル(︒・可・関宮巳)

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lゲルのパチョlり簿記書の翻訳は︑近代訳の最初

のものであった(回忌哲ア

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パチ

lリとステヒン︑そして二一二の簿記論者﹂という題であるが︑パチョlリの近

代訳としての功績︑また十七世紀のオランダの会計実務家︑シモン・ステヒンをいちはやくとりあ︑げている点は高く

評価すべきである︒今日︑十七世紀研究の進展のなかでステヒンが問題3となって一きているが︑本書は十七世紀分析の

会計史方法論の検討

(4)

会計

史方

法論

の検

史料としての役割をもはたしているο

十九世紀の末葉まではルカ・パチョーリの簿記書とその祖述書の歴史を追うか︑またそれにつけ加えて︑オランダ︑ド

イツの簿記書を問題としていたのであ一って︑簿記実践史の研究はまだ始空らなかった︒もち論︑これらの体系化として

の簿記史の書物は︑現在においては︑その出版当時の実践の反映をもつものとして︑会計史の史料的価値はもっている︒

実践史を問題とした会計史学はいつ成立したのであろうか︒これは十九位紀末のイタリアにおいて︑イタリア簿記

史として体系化されるなかで形成される(ブラγ

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︺の研究など﹀︒これらをもととしてジィ!

ペキングがベニスの十四・五世紀のソランツオ商会︑パルバリゴ商会の会計帳簿を分析した︒これは

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ン編者﹃会計史﹄

(一

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五年)に収められたホ!ゴl執筆の簿記史である︒さらにウルフ﹃会計史﹄

(一

九二

一年

)

がある︒これらのうちに複式簿記更はイタリア簿記更の体系化として形成される︒十四・五世紀の北イタリアで複式

簿記が生成したことを証明しようとするものである︒

複式簿記史は中位イタリア簿記更のうちに体系化きれた︒ここから﹁複式簿記は十四・主世紀の北イタリアの前期

的資本のなかで形成された﹂ということになる︒このことを肯定して︑﹁会計史﹂が複式簿記生成・発達史として論

ぜられている︒会計史は︑その起点を十四・五世紀に求めると同時に︑そこに焦点をおいていた︒何位に︑北イタリ

アで十四・五世紀に形成されたかという意識はあまりなかった︒それゆえに︑復式簿記という計算技術それ白体の形

成過程が問題とされ︑体系化が試みられていた︒簿記の形式的発展の問題であって︑会計史形成の初期においては機

(5)

能論的分析はなかった︒

一九

0

年代に簿記史は期間計算を意識して会計史に上昇する方向を示す︒

複式簿記史の方法

ーーその特徴と限界││

複式簿記史の古典的体系化をなした研究︑その典型は黒津清教授の﹁複式簿記の発生史的考察﹂

(﹃

会計

﹄第

三十

巻第

三号

・昭

和八

li

後に﹃簿記原理﹄・﹃改訂簿記原理﹄に収録)である︒複式簿記史の研究史上に極めて重要な地位

を占めるもので︑簿記史研究の方向を規定したものである︒本論文については拙著﹃近代会計成立史論﹄

(未 来社 )

一二五頁以下でふれているが︑改めて考察したい︒

黒津論文の大筋は︑

I

複式簿記の萌芽としての振替記帳︑

E

物的勘定の出現

i

l

複式記帳の成立︑

複式簿

記の原始形態│1イタリア式簿記法の完成︑

w

複式簿記の完成││貸借対照表の成立︑

であ

る︒

第一節では二一一一年のフローレンスの両替商帳簿を史料として考察される︒この史料は現存する史上最古の簿記

史料であるといわれる︒黒海教授はここには複式簿記はまだ存在していないとされ︑振替記帳

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S I

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弓)があるといわれる︒信用取引の振替記録であって︑債権・債務の発生・消滅の記録であり︑簿記用語

に従うならば人名勘定のみが存在しているという︒この史料は一般に複式簿記ではないとされており︑ブラウン編著

﹃会

計史

﹄に

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﹁そこには人名勘定守巾

5 0 5 ‑ 2 8

ロ己)の存在を期待する以外には︑何もない︒なお︑脱

まだ残高平均

( g ‑

白宮古ぬ)が知られていなかった﹂という︒従来は︑ろうや誤びゅうを発見する手段を欠いており︑

この史料に複式簿記の萌芽としての振替記帳を認めるが︑複式簿記H複式記入はないという考え方であった︒このよ

会計

史方

法論

の検

(6)

会計史方法論の検討

ノ、

うな帳簿はなんの役割を果したかという研究はあまりなされてこなかった︒豆川津教授は人名勘定のみの帳簿と考えら

れるがこれを﹁フロレンス簿記﹂と名づけておられる︒

第二節は人名勘定に加えて︑物的勘定が出現する段階を問題とされ二三四

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38

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ぽ可)が成立するという︒この帳簿

のなかに物的勘定が示され︑絹糸勘定とか胡淑勘定がある︒

単なる物的勘定の追加的出品のみでは︑物件の増減を記録するもので︑管理機能が拡大したにとどまるが︑黒調停教

授は︑このことをのべるだけではなかったQさらに﹁フロレンス式一冗帳からジェノア式一冗帳への進化︑人的勘定に於

(4

への拡大は何を意味するであろうか﹂と現われる︒筆者は教授のける﹃借方貸方﹄観念の物的勘定(就中商品勘定)

問題提起に注目したい︒単なる物財勘定と商品勘定を区別するところに損益計算が現われる︒物理的た物財が商品と

して売買され︑それを物財管理勘定ではなく︑損益計算構造を内包した商品勘定が計算把握する︒

勘定体系のなかに商品勘定が出現した︒私はここに複式簿記成立の一つの型を認める︒すなわち商企業の複式簿記

である﹁商業簿記﹂の成立︒黒津教授は記帳対象が人的勘定に加えて︑物的勘定に拡大する過程をみとめ︑そのなか

で︑上下連続的で紋述的形態をとる無形式の簿記記入のなかから左右対照式の勘定形式が成立してくるとする︒

ここ

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階で

は︑

一三

O

年のゼノアの﹁胡板勘定﹂︑が史料として知られている︒この段階の商品勘定の取扱につ

いて黒海教授は﹁ジェノアの元帳においては︑人的勘定は残高計算

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によって貸借平均

( F b )  

することができたが︑その記帳技術ば未だ商品勘定歩)貸借平均させるほどには発達していなかったのである﹂とされ

る︒黒淳教授はジlベキングによって行論されたのであって︑二十世紀初頭の考え方を代表的に表現したが︑︒へラガ

(7)

ロの研究が現われてきて︑損益勘定の存在を示している︒

おける重大な事実である名目勘定の存在を立証する﹂とベラガロはいう︒私ぽ︑この名目勘定の出現に注目したい︒ ﹁胡椴勘定は︑複式記入

2 2 Z

g

可己の生成・発展に

実在勘定と名目勘定の二系統の勘定体系によって︑複式簿記は完成する︒

里山津教授は﹁ジェノアの複式簿記は未だ必ずしも体系的複式簿記ということができない︒複式簿記は︑勘定体系の

成立によってはじめて可能となるのであり︑それがためには資本勘定が現われなければならないのである﹂とされ︑

その第三節において︑十五世紀初頭に複式簿記は完成したとされるのである︒

十四世紀のゼノアの一︑三四

O

年史料によって︑ここに起源をもっとする考え方はハアピオ・ベスタ(問問玄︒

g

g

﹀をはじめとするが︑わが国では小島男佐夫教授の所説に代表される︒実証的研究をしたベラガロは︑

一寸

中 世

商業の興隆まで︑複式簿記はあきらかに成立しなかったしとされ︑︿古代ロlマ説)に反対しているが︑﹁存在の知

られている最古の複式簿記の帳簿は一一一一四

O

年からの日付をもっゼノアのマッサリの帳簿である︒これらの帳簿は完

全な複式記入形式でかかれているが︑相当以前から一般的に使用されてきている制度に相違ない﹂とされ︑十四世紀

ゼノア起源説を支持する︒

ついで︑第亜節となるが︑ジlペキングによって分析されたドナlド・ソランツオ兄弟商会の帳簿(一四一

O

年か

ら一四一六年までのものと︑一四一六年から一四三四年までのもの二冊)とパルパリゴ商会の帳簿(これは三冊より

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一四

三年から一四四

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年度までのもの︑

O

一四

O

年から一四四九年までのもの一四五六年から一四八四

年までのもの)を史料とするが︑ソランツオの新帳で損益勘定と資本勘定が出現するとされ︑

してあらゆる勘定が完全に貸借平均し得るに至った﹂とし︑パルバリゴ帳簿では﹁碕高勘定﹂が設定されているとさ ﹁商品勘定をはじめと

会計史方法論の検討

(8)

会計

史方

法論

の検

i¥. 

れる

このような点から︑﹁商品勘定の貸借平均が成就し︑同時に資本勘定と損益勘定とり成立によって勘定体系の完成を ︒

見たのは︑十五世紀のヴエニスにおいてであった﹂とされる︒十五世紀ヴエニス起源説をとっておられる︒黒海教授は

ウエニス式簿記法の一記帳対象は︑人的勘定︑物的勘定︑損益勘定︑そして資木金勘定の四系統の勘定群であるとされる︒

黒調停教授の複式簿記観の底には勘定の計算組織における統一という点がある︒﹁単に現金や債権債務が断片的に勘

定の形式で記録されるだけでは複式簿記ということはできない﹂とされ︑

一三

O

年起源説には勘定体系がまだ成立

していないと批判される︒﹁ここに勘定体系と称するのは︑元帳における一つ一つの勘定が︑全部統一せられて一つ

の計算組織を'なしている場合をいう﹂のだとされて︑﹁一取引において︑二つ以上の勘定の借方と貸方が対立するば

かりでなく︑すべての勘定の残高は︑損益︑資本および残高の各勘定を通じて︑

る﹂といわれる︒勘定の組織的体系性が︑組織的簿記である複式簿記の本性であるが︑体系性はどの段階で完成され 一つの計算組織を作っているのであ

ると考えるかに問題があった︒

このように一つの複式簿記観に土って︑この規定に合致する複式簿記はいつ形成されるかを考察するのが﹁起源

であった︒起源論は今日までの複式簿記史の研究においては︑どのようにして複式記入関係が成立してくるかと

いう条件の究明︑発展の必然性分析というよりも︑複式簿記がどとで一番早く成立したかの分析であった︒

複式簿記史は︑黒海教授によってとりあげられた三段階を︑それに対応するそれぞれの史料によって体系化されて

きた︒このなかに起源論の問題が含まれていたのである︒

起源論は複式待記木質論と離れがたく結びついていた︒これは極めて現代的な規定に連なって︑ことから遡るζと

(9)

になる︒複式簿記とは何かという意味のとり方︑考え方によって規定されるもので︑それによって成立時点がどうに

でもなる性格を含めている︒

起源論を以上のように考えているが︑それでは複式簿記の本質はどうか︒複式簿記とは勘定の組織的体系であって︑

企業の簿記と

L

℃現われるとき利潤日損益計算上の勘定がそのなかに含まれているものであるQすなわち複式簿記は

組織的簿記ともいわれるが︑勘定の組織化がなされている簿記であり︑組織化とは利潤計算が収支計算と有機的に関

連し︑簿記全体系において借方記入と貸方記入とが均衡H平均するように仕組まれていることである︒具体的にいえ

ば︑人名勘定︑物財勘定︑名目H損益勘定という三系統の勘定を内包した簿記法ということであり︑また実体勘定と

名目勘定の体系化された簿記法でもあって︑これによって企業資本の運動の軌跡と企業資本の現状が把握できるとす

るものである︒複式簿記を以上のように考えるとき︑前述の三つの段階においてどこに出現・成立したと考えられる

か︒筆者は黒海教授のいう四勘定系統のうち︑﹁起源論﹂上の問題とする時期においては︑必ずしも資本勘定系統の

独立した時点を考える必要はないと考えている︒とれは人名勘定による処理で充分である︒黒津教授のいわれるヴエ

ニス式簿記は複式簿記であることは当然であるが︑ゼノア式簿記法における商品勘定に注目し︑これは売買損益計算

の機構を内包している︒すなわち損益勘定の存在を予定しているの℃︑これも一つの複式簿記の形態と考える︒さら

に︑黒洋教授が人名勘定のみがある振替記帳の段階だとされる一一一一一年のフローレンス帳簿も︑これは複式簿記法

であると考えている︒前期的資本の貨幣取引資本の簿記としての勘定体系をもっている︒

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二一一一年帳簿を史料とし

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︑そとには人名勘定が存在する︒

一三

O

年帳

簿によって︑人名勘定とともに物財勘定が存在する︒この物財勘定が商品勘定に転化する点は注目すべきであるが︑

会計

史方

法論

の検

(10)

会計党方法論の検討

まだここには複式簿記はない︒十五世紀初頭のヴエニスの帳簿のうちに︑人名勘定︑物財勘定︑名目勘定︑そして資

本勘定が存在し︑ここで複式簿記は勘定体系として詫戒したとする︒複式簿記の十五世紀・北イタリア起源説である︒

会計史研究史をふりかえるとき︑これが通説であるともいえ︑この三段階の考察が︑複式簿記生成・発達史でもあっ

た︒ここでは前期的資本の商品取引資本の簿記が問題になっていたのであり︑いわゆる商業簿記の形成史が分析せら

れていた︒ここでは体系化の中心に位するものは資本勘定であるとされている︒たしかに︑勘定体系の平均の達成の

最終段階は資本勘定であるかもしれない︒しかし︑これは人名勘定的に取扱えないものであろうか︒

これに対して︑筆一者は企業資本の詳記として当然のことであるが︑勘定のなかに利潤計算を内包ずるものの存在・

出現時点に複式簿記の成立を考えたい︒商品取引資本においては(口別﹀商品名商品勘定が利潤計算機構を内包する

ものであった︒前期的資本のもう一つの形態である貨幣取引資本においてはどうであろうか︒二一一一年史料はとの

帳簿である︒乙こで形成される簿記は︑いうならば﹁銀行簿記﹂である︒とれは人名勘定と現金勘定によって体系化

がなされている︒二一一一年史料に直接にあらわれるものは人名勘定であるが︑現金出納は別帳簿で行われている場

合もあろうし︑単に在・一両の確認をもってたり︑帳簿の存在を必要としない場合もあるう︒人名勘定には貸付と回収が

記されているが︑回収記録のなかに名目勘定分がふくまれている︒銀行簿記は人名勘定︑現金勘定︑そして名目勘定

の三系統によって体系化が完成する︒

ここで三段階の発展を示すそれぞれの帳簿をどうみるかが問題であるが︑それぞれを完成した複式簿記の形態とい

うようには見られないであろうか︒従来は前二者︑すなわち︑

一一

一一

一年

史料

と一

一一

一四

O

年史料は十五世紀初頭の完

成にいたる経過的形態と考えられていた︒

一 一

ニ 四

O

年史料と十五世紀の史料で︑複式欝記の勘定体系論上の違いをど

(11)

うみるかの問題であった︒ここに複式簿記本質論が考慮されねぼならないが︑これらと一一一一一年更料の関連が新ら

しく間われてくる︒

複式簿記史という形をとる会計史においては︑複式簿記起源論が一つの大きな問題点柄︑あった︒これは昭和二十七

(一九五二)年頃のイタリアの実証分析が進むなかで改めて問題とされてきたのであり︑商品取引資本の複式簿記の

起源をたずねるととが中心であったが︑貨幣取引資本の﹁銀行簿記﹂を問題とすることが歴史論としては必要となる︒

ここに形成が時間的にはやめられることになるのであった︒

複式簿記の起源論︒小島教授は﹁起源論争の解決には︑残存ずる会計資料の吟味・検討に先立って︑何より先づ︑

複式簿記形成の本質的要件を何に求めるかということが重要である﹂といわれるが︑会計史の一つの重要な問題であ

る起源H生成史はこのような観点で問題とされてきた︒会計学的観点が前面に出ていることがわかる︒

起源論を整理した邦語文献は︑小島男佐夫著﹃複式簿記発生史の研究﹄(昭和三十六年・森山書庖)の第一章や︑泉

谷勝美著﹃中世イタリア簿記史論﹄(昭和三十九年・森山書届)の第二章﹁複式簿記の起源﹂がある︒泉谷教授も起源

論の方法について︑

﹁複

式簿

記の

起源

問題

は︑

一方では中世帳簿に関する資料の発見が重要な要素であると同時に︑

他面では当該資料解釈の基準が問題になる︒多くのばあい︑この起源問題は複式簿記をどのように理解するかによっ

て学者の見解はニ疋していない﹂といわれる︒ここにもまた小島教授と同様に複式簿記本質論が離れがたく問題とな

τ

いる

とと

を知

る︒

起源

論は

︑従

来︑

﹁古

代ロ

iマ説﹂と﹁中世イタリア説﹂に大別される︒後者は十三世紀から十五世紀の聞におい

て北イタリアで複式簿記が形成されたことを証明しようとするものである︒前者はどうであろうか︒これはあまり研

会計

史方

法論

の検

(12)

会計

史方

法論

の検

究が進んでいないようにおもう︒

﹁古代ロlマ説﹂は︑古代地中海周辺地域︑とくにロlマ地方において奴隷制社会のなかで複式簿記が形成された

とするものである︒﹁古典古代的形態Lの共同体の基礎の上における﹁奴隷制﹂が︑﹁オイコス経営﹂として現われ︑

奴隷所有者としての私的土地所者によって共同体が形成され︑また支配階級の組織という相貌を示した︒被支配階級

として︑共同体成員外に奴隷が存在するが︑共同体内分業の限界が︑手工業労働・商業労働を奴隷にゆだねることと

なっ

b T

奴隷所有者と奴隷との間で︑委任・解任関係の記録のうちに複式簿記が成立したとするものであり︑奴隷所

有者H市民の視点で奴隷が記帳をしたものでなく︑奴隷が奴隷の立場で簿記をした(経営の簿記)ところに︑ここで

の簿記の特色があって︑代理人簿記とよばれている︒古代ロlマというときは古典古代におけるポリスとしてのロl

(

およ

B

・C‑二世紀なかば)から︑西ロlマ帝国の滅亡(四七六年)頃までをさすが︑P‑カッツが問題とし

て起源を論ずる時期は四世紀初頭である︒

複式簿記は四・五世紀に形成されたものか︑十三・四世紀に形成されたものか︒約一

0 0

0

年のへだたりがあり︑

となってくるが︑ またそこには中世の﹁暗黒時代﹂といわれるものがよこたわっている︒四・五世紀説においては︑﹁連続性﹂が問題

クロイックスは古代における複式簿記の体系化を否定する見解を表明している︒

ただ︑古代ロlマ説における﹁代理人簿記﹂という考え方は︑起源の問題である以上に︑複式簿記の本質に関連す

るものであった︒古代ロlマ説で問題となる複式簿記は﹁代理人簿記﹂の性格をもつものであり︑中世イタリア説で

は﹁資本主簿記﹂が問題となっていたのである︒A・

c ‑

リトルトンは代理人簿記から資本主簿記へという発展図式

によって複式簿記生成史を問題としている︒この場合︑代理人簿記も複式簿記として完成する資質をもつかどうかは

(13)

議論のあるところで︑複式簿記概念の規定にかかってくるが︑リトルトンは資本主簿記において完成するとする︒反

対に︑代理人簿記と後世において規定されるもののなかにおいても完成するという考え方が古代ロl

マ説

であ

る︒

古代ロlマ説の主張は︑代理人簿記として複式簿記は完成するというものであった︒史実にてらしてどうかが中心

的に関わるべき点であるが︑これは史料的︑実証的には弱点をもつように考える︒

p

・カッツにより唱えられ︑わが

国では江村稔教授によって展開されている︒代理人説︑あるいはロlマ起源説については︑

﹁ ロ

lマ起源説を提唱す

る人達は奴隷と奴隷所有者との関係を代理人と主人という超歴史的な概念・関係に解消して︑複式簿記の合理性・超

歴史性を主張しているが︑このような方法論では簿記のもつ歴史性・階級性が軽視される危険を有している﹂という

批判が出てくる︒

起源論の主流は中世イタリア説である︒複式簿記は資本主簿記として十四・五世紀の北イタリアで形成されたとす

るものである︒会計史研究の発展は中世イタリア説を精密にし︑かつ十五世紀初頭のベニス説││これはジlベキン

グ︑

黒調

停清

説で

ある

111を遡らせることとなった︒これが十四世紀ゼノア説となり︑さらに十三世紀未トスカlナ

説となっている︒筆者は二二一年のフローレンス両替商帳簿のうちに複式簿記法の成立を認め︑十三世紀初頭トス

カlナ・フローレンス説を主張する︒このように考えてくるかぎり︑それぞれの論者が起源と認める時点には︑すで

に複式簿記は成立しており︑機能していたのである︒このようにある時点の︑ある地域で形成されたとする考え方に

対し

て︑

レイモンド・ド・ルlヴァlは﹁複式簿記は︑誤診を最少限にとどめ︑管理を容易にし︑さらに企業の財政

状態に包括的な見かたのできるような組織を求めていたイタリア諸都市の商人によって︑殆んど同時的に発展させら

れた﹂という主張をする︒同時形成説であるが︑社会経済的・企業経営的条件から誘導して形成を論ずるか︑ぎり妥当

会計

史方

法論

の検

(14)

会計史方法論の検討

な混方であると考える︒

このような起源論が展開される基礎には︑近年イタリアで実証的研究が進んだことによる︒とれらはメリス

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して知らされた︒すなわちアカンテング・レビュー誌の論文であり︑また叶﹃巾

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源論を整理したのであり︑また泉谷勝美教授が十三世紀末トスカlナ説を築くもととなった︒

起源論は︑完成された今日の複式簿記の本質観によって︑とのような複式簿記は︑どこで一番古︿存在したかとい

う考え方で存在していた︒とれば複式簿記があったか︑なかったかという議論であって︑複式簿記の生成・形成の必

然性は全く問題とされなかった︒本来的には起源論は必然性論によって展開すべきもので︑この必然性が具体化する

なかで本質が規定されるべきだと考える︒そこで︑問題は﹁そもそも複式記入は何んのため一に︑そして︑どのよろに

して

いかなる条件のなかで形成されてきたか﹂ということになる︒一つの取引を借方︑貸方に分解・総合記録する

二重記入関係はいかなる筋をたどって成立してくるか︒そして︑このような記入関係の存在意義は何んであったか︒

このなかに起源論が本当に問うべき問題があるように考えている︒

このように考えてくると︑起源論はどうして本質論に結びついて問題にされてきたかが問われねばならない︒本質

(15)

規定が先行して︑形成論が問題とされてきた︒歴史論として本来的には形成論が行われるなかで︑本質論が問題とさ

れねばならない︒これが起源論であると考えている︒なぜ形成さたかという問題の分析︒

起源論として︑中世イタリア説をとるとき一ニつの段階があった︒この場合︑それぞれに複式簿記が成立していると

とは認められるが︑フロlレ

γス

ゼノア︑またペニスという地域にそれぞれの時代に一般化H制度化されていたの

かどうかは別の問題として分析されねばならない︒この問題の意味は︑会計史は具体的︑個別的な経営における会計

状耐を分析するのである︒少くともここから出発するが︑今日までの会計史の発達段階では例として分析してきてい

るものの数は少ない︒これはそもそも多数に存在しているものではないであろう︒ジlヴェキγグは十五世紀のヴェ

ニスの例を二つあげて問題としているのである︒それらの経営において複式簿記が成立しているととを証明すること

はできるであろう︒しかしベニス地方の当時に活動した商業資本はすべて複式簿記をもっていたかどうか︒その例の

みで一般化することの問題であるが︑すべてであるかどうかは別として︑当時の商業資本には少くとも生みだす状況

があったととは事実であろう︒経験のなかから生みだされてくる商業技術であればなおさらである︒ド・ルlヴ

7 1

は一般化の方向を強く議論するのであった︒

会計史はたしかに個別経営の会計の発展段階を示すものとして︑その史料が分析されてきている︒個々の分析をも

って一般的会計史論は成立しうるかどうかということである︒これは経営史においてもいえるのである︒経営史はし

ばしば企業者史として展開されることがあるが︑制度化思考を成立させることの困難さを示すものであるかもしれな

ぃ︒しかし︑ある状況のなかで一つでもよい︑が︑その倒︑が出てきている︒ぞれが現在も機能しているということを考

える

とき

一つの経済闘の全社会経済的槻模にまで生成という問題を拡大しても危険はないと考える︒

会計

史方

法論

の検

一 五

(16)

会計

史方

法論

の検

ーム‑

われわれの研究は︑具体的には個々の誕営の簿記実践の分析から研究を進めねばならない︒個々の簿記実践と制度︑

また一般の関連が会計史を体系化する際の問題となる︒これには社会経済史的背景を考慮しなければならない︒ここ

で複式記入関係の成立過程を﹁起源﹂の問題として研究方法を考えてゆきたい︒

複式簿記においては︑その本質的要素として貸借平均記入関係が存在しなければならない︒ただし︑これは勘定口

いわゆる勘定形式による

T

字型形式である必要はない︒

式といわれるものであるが︑とこにも勘定が存在している︒複記関係は︑体系性をもっ勘定口座の存在が前提である 座の成立がなければならないが︑一二一一年史料は上下連続

カミ

一つの取引の借方・貸方へ二回一記入する必要は必ずしもない︒表式簿記・行列簿記が問題となってくる段階では

この点が形式の問題としてクローズアップされる︒

複記の意味のとり方自体に歴史的発展があるわけであるが︑複記式記入とはどのような関係から問題とされてきた

か︒複記・対応関係は実在勘定ハ人名勘定・物財勘定)のなかでも成立するが︑複式簿記としての体系化は実在勘定

系統と名目勘定系統の対応関係の成立によって完成する︒

一一一一一年史料はフローレンス両替商の信用取引の記録で︑とこでは﹁振替記帳﹂を一不すといわれた︒人名勘定の

管理のみが行われたといわれる︒これは簿記の先史的史料との理解が一般的である︒近年︑フローレンスにおける十

一二位紀が起源論で問題となってきているが︑前期的資本の貨幣取引資本のうちで複式簿記が成立することが証明され

たからであって︑この観点で一一一一一年史料を吟味する必要があろう︒

当時

の︑

いわゆる中世銀行といわれる両替商H貨幣取扱業の機能のうちに複式簿記が体系化してくるのであるが︑

両替商の振替業務︑手形業務のなかからであろう︒﹁貨幣取扱業が媒介するのは貨幣流通の技術的操作であって︑と

(17)

れを貨幣取扱業は集積し︑短縮し︑簡単化す旬︒この基底には﹁貨幣の支払︑収納︑差額決済︑当座勘定の記帳︑

貨幣保管などは︑これらの技術的操作を必要とする行為から分離されるとき︑これらの機能に投下される資本﹂が

﹁貨幣取扱資本﹂として成立していることが必要であった︒

︿ お

このような業務における振替記帳は︑隔地問的ないし国際的な商品取引の展開を基盤として︑その決済のために両

替を通じて計算貨幣が形成されてくるなかで行われた︒商人聞の取引の決済をできるだけ﹁帳簿上の計算﹂ですまそ

うとする努力が︑振替銀行の立場において複記の形成のきっかけとなってくる︒出納業務のうちに一つの複記形成の

動機H要因がつかめるのではないかと考えられる︒もう一つの手形制度もまた複式記入をつくり出す︒これは地金輸

送の不便を超克するために機能するものであったが︑商品取引の決済に両替商が介入するものであって︑この両替商

の立場を中心として商人聞の決済を行うとき︑複記式入が成立してくる︒差額分の算出の努力は債権・債務の相殺計

算でもある︒今日の為替手形取引の簿記的処理法を考えてみると三人の登場人物の間の関係を︑それぞれが一個H一

度の記帳ですませうることの便益が複式記入法に具体化したことを知る︒この関係の歴史的考察は殆んど行われてい

いな︑が︑複式簿記発生史論の最大の盲点となっ

τ

いる︒これは技術史の﹁なぜに﹂と﹁いかに﹂の問題である︒

複記H対応計算が人名勘定において債権・債務の相殺・振替計算のうちに成立してくるが︑その背後には計算的・

現実的に現金収支が対応している︒現金収支計算は振替計算とは別体系であるが︑両者の結合によって複式簿記が成

立し︑具体的には前期的資本の貨幣取引資本︑高利貸資本の簿記として︑﹁銀行簿記﹂の原型をつくりあげた︒

量計算としての財貨の管理計算は︑そのはじめにおいては﹁計算﹂というよりは︑ 起源論の一つの考え方として︑収支計算をどう地位づけるかという問題を馬場克三教授が提起している︒教授は数

()むしろ﹁記録﹂にとどまっていた

会計史方法論の検討

(18)

会計史方法論の検討

とされるが︑それが価値計算へと発展H転化する過程が複式簿記の生成史であるとして問題を追究される︒そこで貨

幣収支計算と債権・債務計算の結合H体系化が問題となる︒すなわち﹁との財産管理計算はしだいに価値計算のなか

( )

に包摂されてゆくのであり︑その過程がとりもなおさず複式簿記の体系化されてゆく過程でもある﹂︒

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と考えられるものに二つのものがある︒一つは貨幣の収支計算であり︑もう一つは債権債務の記録計算である︒

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それ自体としては数量計算たるものであることはいうまでもない﹂もので︑価値計算日損益計算の体系へと展

閉するには﹁債権債務の記録が現金収支の記録と密接な関係をもっていた﹂からであるとされる︒

馬場教授は複式記入の成立は︑マスター・スレーブ関係(古代ロlマ説の論拠)によっているようであるが︑実際

的展開は十三一世紀からはじまるとされている︒この点で﹁代理人簿記から資本主簿記へ﹂という筋道がえがける︒

﹁十三世紀にいたって複式簿記が展開をみせる際︑その発端となったものは現金収支の記録ではなくして︑むしろ債

(

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権債務の記録であったのである﹂が︑﹁貨幣収支の記録は省略されてもよかったのである﹂とされる︒これは資本H

主人みづからの管理の遂行︑財産管理としては最も簡単であるから︒また信用と振替の利用によって管理しうるもの

であるからという理由をあげておられる︒馬場教授のζの主張は注目さるべきである︒一二一一年史料においては︑

主として債権・債務の人名勘定記録であるが︑これは複式簿記であるかどうか││これは損益計算をなす仕組みであ

るかどうかであるが︑複式簿記であるとした場合には現金収支計算の体系化を聞はねばならない︒ここで教授は﹁債

( )

権債務の記録計算の背後には︑省略された貨幣収支計算が暗黙の前提をなしていたのではないかと憶測される﹂とい

馬場教授が提起された問題︑中世両替商の記録日計算実務の分析のうちに︑複記関係の展開過程のうちから複式簿 う

(19)

記生成史を問題としてゆくことが︑本来的な起源論の課題である︒

複記関係は信用取引の決済のなかで成立してくる︒ここを端緒として勘定の体系化過程を形式的手続の問題のうち

に︑北イタリアの十四・五世紀に焦点を求めたものが﹁簿記史﹂であった︒﹁形式的把握﹂については改めて問題を

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カミ

ド・ルl

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lは﹁ファピオ・ベスタや古い時代の著者達は形式や手続に大きな意義を求めて論じていた︒

すなわち記録方法論であった︒最近の著者達は経営管理を目的として会計組織や会計手段の問題に視点をかえてきて

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本節では会計史の問題が︑まず複式簿記生成・発達史として論ぜられてきたことをみてきたが︑体系化を問題とす

るとき複式簿記史にしぼることが︑容易であり︑便利でもあり︑唯一のものであった︒単式簿記の展開史はとうてい

まとめられるものではない︒単式簿記概念のあいまいさによるものであるが︑また概念規定をなしえないものと考え

られる︒これは利潤計算が単式簿記の帳簿体系のうちでは進行しえないもので︑帳簿外的な実地在高比較計算による

ものであるからである︒損益計算機構を欠くからであり︑これが勘定の関された完結体系を否定してきた︒組織的簿

記でなく︑自己検証性機構を欠いたが故に︑会計史の対象となるものではなかった︒

いままで︑北イタリアの十四・五世紀に複式簿記が体系化される過程をみて︑これが従来︑会計史の中心問題であ

ることを指摘してきた︒

﹁な

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ほかならぬ十四・五世紀の北イタリアで複式簿記が形成されたか﹂という問題が起

る︒イタリアの十四・五世紀にのみ形成され︑それが伝絡していったものと考えるか︑また十二・三世紀のハンザ同

盟の商業のなかからは形成されなかったか︒また日本では条件が満されるか︑ぎり前期資本の徳川中期頃はどうであっ

たかという問題が起る︒これは形式的体系化史という方法のみでは解決される問題ではない︒︿比較会計史学

V

会計史方法論の検討

(20)

会計

史方

法論

の検

とれは比較経済更の手法をとりいれて

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lの必要が感ぜられる︒

複式簿記史が︑今日の複式簿記概念を前提として︑それによって複式簿記があったか︑なかったかということを問

題とし︑暦年的に最も古い存在に﹁起源﹂を求める方法が多く︑そこに成立を認めて︑以後その展開を跡づけるとい

うものであった︒その場合︑北イタリア三都市の史料を形式的に連続させた行論であった︒もっとも︑台代ロl

マ説

に生成・確立を求めるか︑ぎり︑中世イタリア段階は発展の問題として把握されてくる︒

会計史はしばしば︑現代的概念を前提として︑それに適合するか︑しないかという議論がなされてきた︒ここにど

うしても通史的・超歴史︿全過程的﹀的把握法が要求され︑ある時点にまとをしぼった研究として︑中世イタリア簿

記史家とか︑近代イギリス会計史家というスペシャリストを生みださなかった︒これは︑社会H経済制度の発展段階

との対応関係を問題とするよりも︑技術それ自体の歴史的展開︑計算合理性の発展をのみ対象とするということも理

由になるのではないかとおもう︒そして︑これらの基底には現代から遡ってゆくという方法でもあった︒

これに対して︑十三世紀だら十三世記を︑そこにとび込んで︑そこにおける条件リ存在態様分析のなかで︑どの質

をもった記録計算が複式簿記に︑必然的に展開してゆくかを見定めてゆく方法がある︒多様に存在する記録・計算様

式のうちから何が複式簿記に体系化していったのであろうか︒多様性のそれぞれの存在意義と︑特殊的にはたした役

割は吟味する必要がある︒このような方法の提案は︑単に複式簿記起源論のみに適用されるものではなく︑後に問題

とする減価償却史目減価償却起源論についてもいえるのである︒方法論は把握の姿勢に関連してくる︒そして︑基本

的にはその技術が資本のいかなる要請によって生れ︑いかなる役割が与えられていたかを分析してゆく必要がある︒

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(2uこれについては︑井上清﹁一三四

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年の絹糸勘定を見て﹂﹃会計﹄第九十一巻第六号(昭和四十二年六月号)にくわしい︒

本論文は井上清著﹃ヨーロッパ会計史﹄(昭和四十三年・森山書庖)に収録されている︒

(3

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・吋︼印・にくわしい︒また泉谷勝美教授が︑その著﹃中世イタリア簿

記史論﹄(昭和三十九年・森山書庖)の第一一一章﹁ゼノヴァ商業と市政庁簿記﹂で詳しくふれている︒

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﹃改 訂簿 記原 理﹄ (昭 和三 十一 年版 )一

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(5﹀里一'滋清前掲書三

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黒津清前掲書一一一一頁

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黒津清前掲書一一一一一一頁

( 叩 ) 黒 津 清 前 掲 書 三 二 頁 ( 日 ) 黒 津 清 前 掲 書 一 三 頁 に あ る 注 3 参 照

(ロ)拙著﹃近代会計成立史論﹄(昭和四十四年・米来社)の第二章﹁複式簿記の形成論理﹂参照

(日﹀小島男佐夫﹃複式簿記発生史の研究﹄ハ昭和三十六年・森山書広)第一章﹁複式簿記の起源に関する諸説﹂三

O

(は)泉谷勝美﹃中世イタリヤ簿一記史論﹄(昭和三十九年・森山蓄広)第二章﹁複式簿記の起源﹂六

O

(日﹀大塚久雄﹃共同体の基礎理論﹄(岩波書庖)第三章﹁共同体と土地占取の諸形態﹂八

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八一頁参照

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( げ ) 泉 谷 勝 美 前 掲 書 六

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九頁

(同)拙著﹃近代会計成立史論﹄第二章﹁複式簿記の形成論理﹂参照

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ま た 泉 谷 勝 美 前 掲 書

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頁参照

会計史方法論の検討

(22)

会計史方法論の検討

(却)拙什右前掲書第二章一複式簿記の形成論理ー一における第五節﹁勘定の杉成とその併記史的立山義一参照(幻)マルクス﹃資本論﹄長谷部文雄訳(青木書庖版)第三部上(第四巻)第四篇第十九本貨幣取扱資本

ハ幻)マルクス﹃資本論﹄前渇訳書四五

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︿は)馬場克二了内川菊義﹃基本興記概論﹄第一章簿記原理四頁

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・照史的にあとづけるべく試みた﹂とされる芳心の作である︒

(お)馬場・内川前掲書九頁

ハお)馬場・内川前掲室田一一一良

(幻)馬場・内川前掲書一一一貝

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参照

ついには複式簿記とたっ℃完成する経路を論理的

会計史にアプローチする姿勢

会計更の学問的性格をどうとらえるか︒これは本稿の結論であるかもしれない︒いままで﹁簿記史﹂の範囲内で議

論してきたが︑問題を﹁会計史﹂に推転し︑発展するところにきた︒この推転にあたって学問的性格を改めてとりあ

げねばならなくなった︒ここで︿簿記﹀と︿会計﹀との学問的範ちゅう規定をすることが必要となった︒そこからど

うしてこの問題が出てくるかは次節において行うが︑従来会計史が複式簿記史として多く論ぜられてきたなかで飛躍

の必要が出てきたのであり︑前節をうけるかたちで一応の行論をしてみたい︒

泉谷勝美教授はいう︒﹁簿記史に関する研究は大雑把にみて二つの方面からなされている︒その一つは︑複式簿記

はどのような経路を辿ってどのような形で生成し︑何時︑何処で成立したかという研究であり︑他は簿日記がその生成

(23)

またそのためにどのような会計実践がなされたか︑その生成要因は何に

求められるべきかとレった機能的発展についての研究である﹂とし︑ の過程でどのような機能を果たしてきたか︑

﹁前者は簿記の形式的発展り問題であり︑後者

は実質的な歴史研究の課題である﹂という︒

泉谷教授は後者の立場をとる︒

﹁複式簿記の歴史を簿記自体の発展史に解消したばあい︑簿記のもつ形式的合理性 の分析はなされえても︑その背後に隠されている実質的な歴史的課題の分析が徹底しない危険がある﹂とし︑

﹁簿

記 史研究の現代的意義という観点からみれば︑形式的発展論に意義があるのでなく︑簿記はどのような社会的・経済的

( 2)  

・経営的機能を果たしていたかといった点にある﹂という︒形式的展開史から簿記の機能の発展的分析へというド・

ルl71の見解でもある︒簿記︑が複式簿記として具体化するとき︑それが一ポす形式性・技術性を無視した簿記史研

究は無意義であろうが︑

この観点は一つの立場である︒機能的本質分析が中心となるべきであるとするが︑

﹁複

式簿

記の歴史を簿記それ自体の発展史として研究したばあい︑その基盤となった社会的・経済的・経営的特殊性が無視さ れてその研究が超歴史的・非現実的なものになる危険をはらんでいる﹂という︒

このような点を念頭において泉谷教授は一簿記史の研究を簿記それ自体の発展史として論ずるのでなく︑

した

がっ

て管理目的・財務目的一般から簿記の発展を追及するのでなく︑簿記発展の問題をイタリアの社会的・経済的構造の

(4

関連のなかで一定の機能を果たしたものとして取り扱って﹂著書をあらわした︒

これに対して︑江村稔教授の考え方が対極に位する︒教授は︑﹁会計史の研究は︑その一環として文献学的な資料

の解明をふくむ﹂とされるが︑

﹁会

計史

の研

究は

︑ かかる文献解明の域にとどまって︑過去の文明の遺産の単なる礼 讃におわることは許されない︒会計︑特に︑複式簿記を完成せしめるに至った根本的動機を︑社会経済的発達のなか

会計

史方

法論

の検

(24)

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に求めるとともに︑それによって生じた計算体系

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の制約をも明白にすることが必要である﹂とされる︒ム

会計

史方

法論

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またつぎのようにもいわれる︒すなわち︑﹁簿記会計の行われていた時代︑および︑その社会の経済的背景

を考えることなくしては︑簿記史・会計史は単なる歴史的事実の羅列たるにとどまり︑結局は現存する会計史料の歴

史的考証に終ることとなる︒会計史が真に答うべき問題は︑それらの会計的記録が当時の経済態勢のうちにあって如

何なる機能を呆し︑また如何なる目的に応えるために行われていたかということを︑史料の考証を通じて明らかにす

ることによって︑これを一定の発展的系譜の上に配置しその系譜を再構成することにこそ求められなければならない︒

二一守為︑ヂトムμかくの如き社会H経済的背景との対応関連の上に会計史を科学的に研究することに急なるの余り︑会計が担つ

ている諸制約を見失うに至るとき︑会計史研究は社会社経済発達史研究のうちに包摂せしめられ︑少くとも会計更の

研究としては非科学的なものに転化する危険を包蔵するものと言わなくてはならないであろう﹂と︒

江村教授もまた︑会計史が真に答うべき問題は泉谷教授のいう機能問題とその系譜の解明にあるとされる︒しかし︑

これのみでは会計の必然的にもつ技術性を充分に明らかにしえない︒技術の具体化︑すなわち一つの特殊な質をもっ

て︑歴史の一定の時点に具体化している技術の存在と機能の分析が問題である︒江村教授は﹁会計が担っている諸制

的﹂の解明に課題があるとされる︒

具体的に問題をたててみよう︒複式簿記生成発達更の解明において︑複式簿記は企業簿記が複記式簿記の一形式をと

って具体化しているのであるが︑企業簿記史の側面は究明されえでも︑複記式簿記史の側面が解明されなかったなら

ば︑非科学的な存在にしかすぎないという乙とになるοこの点︑か﹁批判会計学一批判の中心になる︒技術史でもある

会計史の社会科学的体系化を問題とするとき︑いかにあるべきかの模索でもあった︒

(25)

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・ゾンバルトは︑その著﹃近代資本主義﹄

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において簿記史に言及している︒﹁お

よそ資本主義というものは複式簿記をぬきにしては考えることできない﹂といい︑﹁複式簿記と資本主義とは形式

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といった相互関係にたっている︒資本主義がその力を働かすための道具を複式簿記のう

ちにつくりだしたのか︑それとも複式簿記がはじめてその精神のうちから資本主義を生み出したのかは︑

7判断しえないほどである﹂という有名な一文をものしている︒ いずれとも

ゾンバルトやマックス・ウェlバーのような︑会計学の素人である社会学者によってとりあげられるなかで複式簿

記論は社会科学化の方途が一不されてきたのであるが︑彼らにしてみれば複式簿記の技術的特殊性につレて深い研究を

したわけではなく︑計算技術論として︑また計算構造論として問題にしたわけではない︒ある簿記技術の資本・資本

主義の発達過程にはたす役割の大きさを強調したまでであろう︒この観点から問題を提起した意義は大きいものがあ

ゾンバルトの問題提起をめぐって︑昭和八・九年頃に︑黒調停清教授と木村和三郎教授によって暗黙の論争が﹃会 る

計﹄誌上でたたかわされ︑黒調停清著﹃簿記原理﹄となり︑木村和三郎﹃銀行簿記論﹄となった︒ここでは複式簿記と

資本主義は形式と内谷との関係のよう℃あるという文章の受けとり方の問題であった︒木村教授は文章のあやとして

うけとり︑黒樫教授は大きな意義を見出そうとされた︒江村稔教授は︑ゾムバルトの行論に︑会計史研究の科学性の

高揚を認められるが︑しかし︑複式簿記の計算技術的特性の究明

l

i

会計が担っている諸制約の解明ーーを抜きにし

ては︑会計史研究としては非科学的であるとされる︒たしかに︑会計史は経済史・経営史に接近することによって科

学性

を高

めた

が︑

ただちに会計史は経済史ではなかった︒また経済史である必要はないのである︒﹁技術﹂をどう地

会計史方法論の検討

二五

参照

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討することに意義があると思われる︒ 具体的措置を考えておく必要があると思う︒