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北海道大学国際連携機構 : 特任助教

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Academic year: 2022

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(1)

九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

歴史認識をめぐるロシアの国際的取り組み : 国連で の反ナチズム決議の採択

西山, 美久

北海道大学国際連携機構 : 特任助教

https://doi.org/10.15017/4774183

出版情報:政治研究. 69, pp.35-70, 2022-03-31. 九州大学法学部政治研究室 バージョン:

権利関係:

(2)

歴 史 認 識 を め ぐ る ロ シ ア の 国 際 的 取 り 組 み

︱︱ 国連 での 反ナ チズ ム決 議の 採択

︱︱

西 山 美 久

(3)

はじ めに 本稿 は︑ 近隣 諸国 と対 立し なが らも

︑大 祖国 戦争 での 勝利 を中 核と する 歴史 認識 の正 当性 を国 際的 に発 信す るプ ーチ ン政 権の 取り 組み を明 らか にす るこ とを 目的 にし てい る︒ 特に 本稿 では

︑国 際連 合︵ 以下

︑﹁ 国連

﹂と する

︶に おけ る反 ナチ ズム 決議 の採 択過 程に 着目 し︑ 自国 の歴 史認 識を 積極 的に 発信 する 同政 権の 活動 を検 討し てい く︒ ロシ アで は五 月九 日の 戦勝 記念 日に 首都 モス クワ のほ か各 地で 記念 式典 が開 催さ れ︑ それ に付 随す る形 で戦 没者 を偲 ぶ﹁ 不滅 の連 隊﹂ と呼 ばれ る大 規模 な行 進も 実施 され てい

(

)

︒近 年で は︑ 新た な戦 争記 念碑 やモ ニュ メン トの 建設 が地 方で も進 んで い(

)

︒ま た︑ プー チン 大統 領は 戦勝 七五 周年 にあ たる 二〇 二〇 年を

﹁記 憶と 栄光 の年

﹂に 位置 づけ

︑欧 州 をナ チス

・ド イツ から 解放 した ソ連 の功 績を 世界 にア ピー ルす るこ とに し(

)

︒こ の勝 利の 記憶 はロ シア のア イデ ンテ ィ ティ の基 底を なす もの であ り︑ 現代 ロシ アに おい て重 要な 役割 を果 たし てい

(

)

︒ もっ とも

︑プ ーチ ン政 権は 戦勝 を重 視す る大 祖国 戦争 史観 の是 非を 巡っ て欧 州や 旧ソ 連諸 国と 対立 して いる

︒例 えば

︑ 欧州 議会 や欧 州安 全保 障協 力機 構が ソ連 とナ チス

・ド イツ ある いは スタ ーリ ニズ ムと ナチ ズム を同 一視 する 決議 を採 択 して いる し︑ 旧共 産主 義諸 国も 自国 内に ある ソ連 兵士 を模 った 銅像 を占 領の 象徴 とし て撤 去し てき た︒ ロシ アで は大 祖 国戦 争史 観を 否定 する 言動 は﹁ 歴史 の歪 曲﹂ とさ れて おり

︑歴 史認 識の 正当 性を めぐ る﹁ 記憶 の戦 争﹂ が生 じて い(

)

︒ この よう に過 去の 記憶 は外 交関 係を も左 右し かね ない 重要 なイ シュ ーで あり

︑政 権と して もそ の対 応に 迫ら れて いる

︒ 諸外 国と の軋 轢が 増し つつ ある 中︑ プー チン 大統 領を 筆頭 に政 権閣 僚や 上下 両院 関係 者︑ さら には 有識 者等 が自 国の 歴史 認識 の正 当性 を声 高に 主張 して いる

︒例 えば

︑保 守論 客と して 知ら れる ナタ リア

・ナ ロチ ニツ カヤ は﹁ 歴史 が政 治 の道 具︑ 国民 意識 をコ ント ロー ルす る道 具に なっ た際 には

︑諸 資料 に基 づく 作業 のみ が歴 史の 真実 を守 り︑ 自国 の歴 史 を擁 護す る﹂ と指 摘し

(

)

︒最 近で は下 院議 長の ヴャ チェ スラ フ・ ヴォ ロジ ンが

﹁国 益の ため に歴 史の 書き 換え を試 みる こと は容 認で きな い﹂ と発 言し た(

)

︑プ ーチ ン大 統領 も﹁ 証拠 に裏 付け られ た真 実を もっ てし て︹ 歴史 歪曲

︺に 抗す る こと が重 要﹂ だと して 歴史 認識 問題 で一 歩も 引か ない 姿勢 を示 し(

)

(4)

外交 の基 本方 針を 定め た﹁ 外交 政策 の概 念﹂ や防 衛政 策に 関す る基 本方 針を まと めた

﹁国 家安 全保 障戦 略﹂ の中 でも 歴史 認識 の対 外発 信に つい て言 及さ れる に至 り︑ 積極 的な 広報 が重 要視 され てい る︒ この 点︑ ロシ アは 二〇 一〇 年頃 か らイ スラ エル や中 国と いっ た第 三国 と連 携し て大 祖国 戦争 史観 を発 信し てい

(

)

︒し かし

︑プ ーチ ン政 権は これ らの 国々 との 協力 だけ では なく

︑国 際機 関で の活 動に も力 を入 れて いる

︒数 ある 国際 機関 の中 でも

︑特 に国 連に おけ る決 議採 択 を通 じた 広報 活動 に注 力し てい る︒ プー チン 政権 誕生 後に 策定 され た﹁ 外交 政策 の概 念﹂ を確 認す ると

︑﹁ 国際 関係 にお ける 主要 な調 整の 場と して 国連 があ る﹂ と明 記さ れて おり

︑国 連重 視の 姿勢 が示 され てい

(10

)

︒ そこ で︑ プー チン 政権 は反 ナチ ズム を謳 った 決議 を国 連で 採択 する こと にし た︒ なぜ

︑反 ナチ ズム とい う特 定の テー マな のか

︒そ れは

︑歴 史認 識を めぐ るロ シア と近 隣諸 国の 対立 が大 きく 関係 して いる

︒詳 細は 本論 で言 及さ れる が︑ ラ トヴ ィア やエ スト ニア では ナチ ス・ ドイ ツが 設立 した 武装 親衛 隊の 元兵 士や その 支持 者等 が記 念集 会を 毎年 開催 して い る︒ 彼ら によ れば

︑武 装親 衛隊 はソ 連の 侵略 から 祖国 の自 由・ 独立 を守 るた めに 立ち 上が った 闘士 だと いう

︒こ れに 対 して

︑戦 勝を 絶対 視す るプ ーチ ン政 権の 見方 は全 く異 なっ てお り︑ 彼ら はナ チス

・ド イツ の協 力者 に他 なら ない

︒そ こ で同 政権 は︑ 大祖 国戦 争史 観の 正当 性を 訴え るた めに

︑二

〇〇 四年 から 反ナ チズ ムを 謳っ た決 議案 を国 連に 提出 して ラ トヴ ィア とエ スト ニア 両政 府を 牽制 して いる

︒と 同時 に︑ 欧州 をナ チズ ムの 脅威 から 解放 した ソ連 の功 績を 強調 する ほ か︑ 当該 決議 案に 反対 を表 明す る国 々を 非難 して いる

︒と すれ ば︑ 第三 国と の連 携以 外に も︑ 国連 をと おし て歴 史認 識 を発 信す る政 権の 取り 組み にも 注目 すべ きだ ろう

︒ 以上 に鑑 み先 行研 究を 見て いく と︑ その 多く がロ シア と欧 州諸 国の 対立 に焦 点を 当て てい

(11

)

︒そ うし た中

︑大 祖国 戦 争史 観を 重視 する プー チン 大統 領等 の方 針を 受け

︑歴 史認 識問 題が 外交 政策 の論 点の 一つ にな って いる と主 張す る研 究 も出 てき

(12

)

︒ま た︑ プー チン 大統 領も 参加 する ヴァ ルダ イ会 議で 司会 を務 める ヒョ ード ル・ ルキ ヤノ フが 編集 主幹 の外 交専 門誌

﹃グ ロー バル 政治 の中 のロ シア

﹄に は︑ 歴史 認識 を議 題に した 専門 家の 座談 会が 特集 とし て組 まれ

︑過 去の 記 憶が 外交 関係 を左 右す る要 因の 一つ だと 指摘 され てい

(13

)

︒歴 史認 識に 関す る研 究成 果を 積極 的に 発表 して いる モス クワ 国際 関係 大学 講師 のコ ンス タン チン

・パ ハリ ュク は︑ プー チン の発 言や 各種 政策 文書 に目 を配 りつ つ︑ 本稿 の主 題で あ

(5)

るロ シア によ る反 ナチ ズム 決議 にも 触れ

︑歴 史認 識問 題が 外交 政策 でも 注目 され てい ると 指摘 して い(14

)

︒ これ らの 先行 研究 は︑ 歴史 認識 問題 をめ ぐる プー チン 政権 の立 場を 示し てお り重 要だ と言 えよ う︒ とは いえ

︑本 稿の 問題 意識 に鑑 みる と︑ 大祖 国戦 争史 観の 正当 性を 国際 舞台 で訴 える 同政 権の 取り 組み が明 らか にさ れた とは 言い 難い

︒ 確か にパ ハリ ュク はロ シア 外交 にお ける 歴史 認識 問題 の重 要性 を指 摘し

︑国 連決 議に も着 目し てい る︒ しか し︑ 彼は 反 ナチ ズム 決議 が採 択さ れた とい う事 実を 指摘 する にと どま り︑ 決議 採択 に向 けた 同政 権の 活動 を詳 細に 分析 して いる わ けで はな い︒ とす れば

︑ロ シア が自 らの 主張 をい かに 発信 し︑ 各国 から の支 持調 達に 努め てい るの かを

︑先 行研 究の 知 見を 踏ま えつ つ︑ 明ら かに する 作業 は必 要だ と思 われ る︒ 以上 を踏 まえ 本稿 では

︑自 国の 歴史 認識 の正 当性 を世 界に 発信 する ため に国 連で の決 議採 択を 進め るプ ーチ ン政 権の 取り 組み を明 らか にし たい

︒こ のよ うな 課題 に対 し︑ まず 第一 節で は︑ 同政 権が 国連 での 活動 に乗 り出 した 背景 を探 り たい

︒続 く第 二節 では

︑国 連人 権委 員会 で決 議採 択を 進め る政 権の 取り 組み

︑第 三節 では 大祖 国戦 争史 観の 普及 を目 指 して 他国 との 連帯 感を 創出 し︑ 国連 での 決議 採択 を図 る政 権の 動き を示 した い︒ 第四 節で は︑ 国際 情勢 の影 響を 受け 歴 史認 識問 題が 複雑 化す る中 でも

︑ロ シア が反 ナチ ズム 決議 の採 択を 進め る姿 を浮 き彫 りに した い︒ 以上 を踏 まえ

︑最 後 に本 稿全 体を まと める とと もに

︑今 後の 展望 を示 して 稿を 閉じ たい

︒ 第一 節 ナチ ズム の復 権? バル ト諸 国の ラト ヴィ アで は毎 年三 月一 六日 に︑ ナチ ス・ ドイ ツが 設立 した 武装 親衛 隊ラ トヴ ィア 人部 隊の 元兵 士や その 支持 者等 が首 都リ ガの 中心 地で 記念 集会 を行 って いる

︒大 祖国 戦争 史観 を重 視す るロ シア は当 然反 発し てお り︑ 両 国の 対立 が注 目さ れて いる

︒ まず は背 景を 確認 しよ う︒ 事の 発端 は一 九九 八年 六月

︑ラ トヴ ィア 議会 が三 月一 六日 を﹁ 武装 親衛 隊ラ トヴ ィア 人部 隊記 念の 日﹂ に制 定し たこ とに ある

︒こ の記 念日 は︑ 一九 四四 年に 同部 隊が ソ連 によ るラ トヴ ィア 侵攻 を阻 止し 祖国 の

(6)

自由 のた めに 戦っ たこ とを 記念 する 目的 で制 定さ れ(15

)

︒ま た同 議会 は︑ 一九 九八 年一

〇月 に﹁ 第二 次大 戦下 にお ける 武 装親 衛隊 ラト ヴィ ア人 部隊 に関 する 宣言

﹂を 採択 した

︒同 宣言 を確 認す ると

︑そ の目 的は

﹁武 装親 衛隊 ラト ヴィ ア人 部 隊に 関す る歴 史的 真実 及び その 記憶 を守 るこ と﹂ であ り︑ 国内 外に おけ る﹁ ラト ヴィ ア人 部隊 の名 誉と 威厳 を守 る義 務 があ る﹂ とし てい

(16

)

︒こ れを 受け

︑一 九九 九年 三月 一六 日の 記念 日に は︑ 首都 リガ の広 場に 軍服 姿の 元兵 士や 支持 者な ど約 二千 人が 集い

︑市 内を 行進 し(17

)

︒ 他方

︑ロ シア は元 兵士 等の 活動 をフ ァシ ズム に繋 がる 動き だと 非難 した

︒ロ シア 外務 省は

﹁当 該記 念日 は冒 涜に 他な らな い﹂ との コメ ント を出 した し︑ 下院 防衛 委員 会委 員長 も﹁ ラト ヴィ ア指 導部 の立 場は 戦後 制定 され た欧 州の 各憲 章 に反 する

﹂と 批判 し(18

)

︒ま た︑ 下院 は声 明も 採択 し︑

﹁︹ 記念 集会 は︺ ファ シズ ム闘 争で 犠牲 にな った 欧州 にお ける 何百 万も の人 々の 記憶 を踏 み躙 るも のだ

︒武 装親 衛隊 ラト ヴィ ア人 部隊 を記 念す る集 会は ファ シズ ムや ナチ スの 犯罪 を見 直 す試 みに 他な らな い﹂ と糾 弾し

(19

)

︒ロ シア は一 九九 八年 一〇 月採 択の

﹁宣 言﹂ につ いて も︑ ナチ スの 犯罪 が過 小評 価さ れて いる ばか りか

︑武 装親 衛隊 ラト ヴィ ア人 部隊 が英 雄視 され

︑犠 牲者 の記 憶を 踏み にじ る試 みだ と非 難し

(20

)

︒こ の種 の批 判が 国際 社会 から 寄せ られ たの か︑ 早く も二

〇〇

〇年 一月 に同 記念 日は 廃止 され るに 至っ

(21

)

︒ とこ ろが

︑二

〇〇

〇年 三月 一六 日に も記 念集 会は 開催 され

︑元 兵士 や支 持者 等が 二千 名以 上も 参加 した

︒あ る参 加者 は﹁ ドイ ツは 友人 では なか った が︑ 彼ら は我 々の 敵の 敵で あっ た﹂ とし 活動 を擁 護し

(22

)

︒同 年一 一月 には 元兵 士た ちを 慰霊 する

﹁ラ トヴ ィア の母 なる 祖国 像﹂ がレ ステ ネ村 に設 置さ れ︑ 除幕 式に は現 役の 国防 相等 も参 加し て執 り行 われ た︒ ロシ ア外 務省 は直 ちに 声明 を出 し︑

﹁フ ァシ ズム を擁 護す るた めに 武器 を手 にし た人 々の 記憶 を守 る記 念碑 が建 設さ れ 始め た﹂ と不 快感 を示 し(23

)

︒ 歴史 認識 をめ ぐる 両国 の対 立が 目立 ち始 めた とこ ろ︑ ロシ ア紙

﹃コ メル サン ト﹄ は当 時の ラト ヴィ アの イン ドリ ス・ ベル ジン シュ 外相 にイ ンタ ヴュ ーを 実施 し︑ 武装 親衛 隊元 兵士 等に よる 記念 集会 につ いて 尋ね た︒ 同外 相は

﹁我 が国 は 民主 国家 であ り︑

︹集 会参 加は

︺個 人の 選択 であ る︒ 民主 主義 に否 定的 な人 々で あっ ても

︑そ れを 表現 する 権利 を当 然有 して いる

﹂と 答え るに とど めた

︒他 方︑ 歴史 認識 につ いて は﹁ ナチ ズム を撃 破し た人 々は 今世 紀最 大の 功績 を残 した と

(7)

思っ てい る︒

︹ナ チズ ム撃 破に

︺ソ 連も 加わ って おり

︑こ の点 につ いて ラト ヴィ ア政 府も 自分 も疑 問を 抱い てい ない

︒し かし

︑こ れは ラト ヴィ ア史 では 第二 の占 領を 意味 する

︒解 放者

︹た るソ 連︺ はラ トヴ ィア を去 らず 居座 り続 けた

︒こ れ が問 題だ

﹂と 自国 の立 場を 強調 し(24

)

︒当 時の ヴァ イラ

・ヴ ィー チェ

・フ レイ ベル ガ大 統領 も﹁ ナチ ス・ ドイ ツは ラト ヴィ ア人 を強 制的 に徴 兵し た︒ ラト ヴィ ア人 に他 の選 択肢 はな かっ た︒ 多く のラ トヴ ィア 人は 共産 主義 者た ちと 戦っ てい る と信 じて いた

﹂と し︑

﹁武 装親 衛隊 ラト ヴィ ア人 部隊

=悪 者﹂ とい う図 式に 反論 し(25

)

︒ もっ とも

︑ラ トヴ ィア が北 大西 洋条 約機 構︵ NA TO

︶へ の早 期加 入を 目指 すと

︑政 権は 元兵 士等 に対 して 記念 集会 の延 期を 求め

(26

)

︒元 兵士 も会 員と なっ てい るラ トヴ ィア 軍人 協会 は﹁ NA TO 加盟 が最 善の 策﹂ と述 べ︑ 政権 の求 めに 応じ る姿 勢を 示し

(27

)

︒二

〇〇 三年 三月 一六 日に 元兵 士等 は大 規模 な集 会は 実施 せず

︑五

〇〇 名ほ どが 市内 中心 に集 まる 形で 対応 し(28

)

︒国 際機 関へ の加 入交 渉が 続く 中︑ 同年 九月 には 元兵 士が 眠る 記念 墓地 の除 幕式 が行 われ

︑生 存す る元 兵 士た ちは

﹁武 装親 衛隊 ラト ヴィ ア人 部隊 は英 雄と して 記憶 され

︑こ こに 眠る 元兵 士に 敬意 を表 すべ きだ

﹂と 主張 し(29

)

︒ これ に対 して

︑ロ シア 外務 省第 一次 官は

﹁武 装親 衛隊 ラト ヴィ ア人 部隊 の元 兵士 を英 雄や 自由 の闘 士と して 持ち 上げ た り︑ 第二 次世 界大 戦の 結果 を見 直し たり する こと は到 底容 認で きな い﹂ と語 気を 強め て批 判し

(30

)

︒ NA TO 加盟 がほ ぼ決 まっ てい るの か︑ 二〇

〇四 年三 月一 六日 の記 念日 には 約五

〇〇 人の 元兵 士等 がリ ガ市 内を 行進 した

︒そ して 三月 下旬 にラ トヴ ィア のN AT O加 盟が 正式 に決 まる

(31

)

︑首 都リ ガで の記 念式 典に 元兵 士も 参加 し︑ ラト ヴィ アの 自由

︑独 立及 び主 権の シン ボル とさ れる

﹁自 由の 記念 碑﹂ に献 花し

︑存 在感 を示 し(32

)

︒ロ シア 外務 省は

﹁ニ ュ ルン ベル ク裁 判の 結果 に基 づく と︑ 武装 親衛 隊の 活動 は犯 罪に 他な らな い﹂ と元 兵士 等の 活動 を痛 烈に 批判 し(33

)

︒ こう した 中︑ プー チン 大統 領は 二〇

〇〇 年か ら二

〇〇 三年 にか けて 特段 の発 言を して おら ず︑ 事態 を見 守っ てい たの かも しれ ない

︒と ころ が︑ 二〇

〇四 年の 戦勝 式典 では

﹁ハ ーケ ンク ロイ ツや ファ シズ ム思 想が 未だ に世 界で 看取 され て おり

︑我 々は この 現状 を無 視で きな

(34

)

﹂と 述べ るに 至り

︑名 指し はし なか った もの の︑ 活動 を続 ける 元兵 士等 に対 して 具体 策を 講じ ない ラト ヴィ アを 暗に 批判 した

︒こ の発 言に 触発 され たの か︑ ロシ アは 大祖 国戦 争史 観を 発信 する ため に 国連 での 活動 に活 路を 見出 した

(8)

第二 節 国際 連合 での 活動 開始 第一 項 人権 委員 会で の発 信 ロシ アは 二〇

〇四 年四 月︑ スイ ス西 部の ジュ ネー ブで 開催 され た第 六〇 回国 連人 権委 員会 で﹁ 現代 的形 態の 人種 主義

︑ 人種 差別

︑ゼ ノフ ォビ ア及 びそ れら に関 連す る不 寛容 を促 す活 動の 禁止

﹂と 題す る決 議案 を提 出し た︒ ラト ヴィ アを 意 識し てい るの か︑ 本決 議案 は反 ナチ ズム を謳 い各 国に 支持 を求 めた

︒本 決議 案に は当 初︑ ベラ ルー シが 共同 提案 国に なっ たが

︑後 にニ カラ グア も加 わっ た︒ 同委 員会 の加 盟国 は計 五三 ヶ国 であ り︑ その 内訳 は︑ アフ リカ から 一五 ヶ国

︑ア ジ アか ら一 二ヶ 国︑ ラテ ンア メリ カか ら一 一ヵ 国︑ 東欧 から 五ヵ 国︑ 西欧 その 他か ら一

〇ヶ 国と なっ てい

(35

)

︒採 決結 果を 見る と︑ 賛成 三六 ヶ国

︑反 対一 三ヵ 国︑ 棄権 四ヵ 国と 賛成 多数 をも って 採択 され た︒ なお

︑反 対票 を投 じた のは

︑ア メ リカ

︑ア イル ラン ド︑ フラ ンス

︑ド イツ

︑イ タリ ア及 び日 本等 であ

(36

)

︒ 決議 を確 認す ると

︑そ の冒 頭で

︑国 連憲 章︑ 世界 人権 宣言

︑自 由権 規約

︑人 種差 別撤 廃条 約及 び人 権に 係る その 他の 国際 条約 に従 うと し︑ その 上で

﹁﹃ 武装 親衛 隊﹄ を犯 罪者 とし

︑多 数の 戦争 犯罪 と人 道に 対す る罪 の責 任を 負わ せた ニュ ルン ベル ク裁 判の 決定 やニ ュル ンベ ルク 憲章

﹂の ほか

︑二

〇〇 一年 九月 の﹁ 人種 主義 に反 対す る世 界会 議﹂

︵以 下︑

﹁ダ ー バン 会議

﹂と する

︶で 採択 され たダ ーバ ン宣 言及 び行 動計 画︑ さら には

﹁人 種主 義︑ 民族 差別

︑ゼ ノフ ォビ ア及 びあ ら ゆる 形態 の差 別に 関す る報 告書

﹂が 引用 され てい る︒ そし て﹁ ネオ ナチ やス キン ヘッ ド集 団を 含む

︑様 々な 過激 政党

︑ 運動 およ び集 団が 世界 各地 域で 急増 して いる こと に警 鐘を 鳴ら す﹂ とし てい

(37

)

︒ 以上 を踏 まえ て︑ 決議 では 次の 八点 が指 摘さ れて いる

︒① ダー バン 宣言 の趣 旨を 改め て確 認す ると とも に︑

②銅 像や 記念 碑の 設置

︑ま た街 頭で の示 威活 動等 によ って ナチ ズム や武 装親 衛隊 を神 聖化 する 動き に懸 念を 表す

︒③ これ らの 活 動は

︑武 装親 衛隊 によ って 犠牲 とな った 人々 の記 憶を 冒涜 し︑ また 若者 の意 識に 影響 を与 えて いる だけ でな く︑ 国連 憲 章に 基づ く加 盟国 の義 務と は両 立せ ず有 害で ある

︒④ これ らの 試み は人 種主 義︑ 人種 差別

︑ゼ ノフ ォビ ア及 び関 連す る

(9)

不寛 容を 誘発 し︑ ネオ ナチ やス キン ヘッ ド集 団を 含む 過激 な政 党や 運動 の拡 大を 助長 して しま う︒

⑤そ のた め︑ これ ら の活 動を 阻止 すべ く必 要な 措置 を講 じる べき とこ ろ︑

⑥特 別専 門家 に対 して

︑本 件を 引き 続き 調査 し︑ 第六 一回 委員 会 にお いて 勧告 の策 定を 求め る︒ また

︑⑦ 各国 政府 や非 政府 組織 に対 して

︑国 連特 別報 告者 と協 力し なが ら本 件に 従事 す るこ とを 提案 した い︒ そし て︑

⑧第 六一 回国 連人 権員 会で も本 件を 取り 上げ

︑引 き続 き協 議す べき であ る︑ とし てい る︒ 決議 案が 採択 され ると

︑ロ シア 全国 紙﹃ コメ ルサ ント

﹄は

︑武 装親 衛隊 元兵 士に よる 活動 を意 識し てか

︑﹁ 国連 人権 委 員会 がラ トヴ ィア を糾 弾し た﹂ と報 じ(38

)

︒な お︑ 反対 票を 投じ た一 三ヵ 国の うち

︑ア イル ラン ド代 表は

﹁決 議案 は正 当 であ るも のの

︑採 択は 時期 尚早

﹂だ と述 べた

︒実 はこ の時 期︑ ラト ヴィ アを 含む バル ト諸 国は 欧州 連合

︵E U︶ 加盟 交 渉の 大詰 めを 迎え てい

(39

)

︒そ れを 知っ てか

︑同 紙は 同代 表の 右発 言を 取り 上げ て﹁ EU 加盟 を目 指す ラト ヴィ アを 救済 した

﹂と 指摘 し︑ 政治 的な 判断 との 可能 性を 示唆 し(40

)

︒ 他方

︑ロ シア は反 対票 を投 じた 国々 を非 難し た︒ ロシ ア外 務省 は声 明で

﹁欧 州諸 国や アメ リカ が︑ 人権 委員 会加 盟国 の多 数で 採択 され た決 議に 反対 票を 投じ たこ とは 遺憾 であ る﹂ と不 快感 を示 し(41

)

︒在 ジュ ネー ブ国 際機 関ロ シア 政府 代 表部 大使 は﹁ 欧州 諸国

︑ア メリ ア及 び日 本が 反対 票を 投じ た理 由は 見出 しが たく

︑彼 らの 投票 行動 は不 条理 とし か言 い よう がな い︒ 本決 議は 現代 のゼ ノフ ォビ アや 人種 主義

︑さ らに ナチ スの 過去 を支 持す る様 々な 言動 に抗 する ため の協 力 や対 話に 焦点 を当 てて いる

﹂と 決議 の意 義を 強調 した

︒大 統領 付属 人権 委員 会委 員長 のエ ッラ

・パ ンフ ィー ロヴ ァは

﹁欧 州諸 国が この 決議 に無 関心 でい るの は不 思議 でな らな い︒ これ こそ 二重 基準 の最 たる 例だ ろう

﹂と 非難 し(42

)

︒ パン フィ ーロ ヴァ の二 重基 準と いう 指摘 は興 味深 い︒ 欧州 では 一九 九三 年一

〇月 に﹁ 人種 主義 と不 寛容 に反 対す る欧 州委 員会

﹂が 設立 され

︑欧 州諸 国の 人権 状況 をウ ォッ チし て報 告書 を公 表し てい

(43

)

︒同 委員 会は 一九 九六 年に

﹁人 種主 義︑ ゼノ フォ ビア

︑反 ユダ ヤ主 義及 び不 寛容 との 闘争

﹂と 題す る勧 告を 採択 して EU 加盟 国に 対し て状 況改 善の ため の 積極 的な 取り 組み を求 め(44

)

︒ま た︑ 歴史 学を 専門 にす る元 ニュ ーヨ ーク 大学 教授 のト ニー

・ジ ャッ ドに よれ ば︑ ホロ コー スト に対 する 取り 組み は﹁ 欧州 への 入場 券﹂ に他 なら な(45

)

︒で ある から こそ

︑決 議案 に賛 成票 を投 じな かっ た欧 州の 態 度に ロシ アは 満足 しな かっ たの だろ う︒

(10)

第二 項 武装 親衛 隊元 兵士 等の 活動 決議 採択 後も 武装 親衛 隊元 兵士 等に よる 活動 が続 いた

︒そ れも ラト ヴィ アの みな らず

︑隣 国エ スト ニア でも 確認 され

︑ ロシ アを 刺激 し続 けた

︒ち ょう ど︑ これ らの 国々 はN AT Oや EU への 加盟 を果 たし

︑元 兵士 等は 気兼 ねな く活 動で き るよ うに なっ たの かも しれ ない

︒ それ を示 すよ うに

︑二

〇〇 四年 七月 に武 装親 衛隊 エス トニ ア人 部隊 の元 兵士 が会 員に 名を 連ね る﹁ 自由 の兵 士協 会﹂ がタ リン 市に 集会 許可 申請 を出 した とこ ろ︑ 同市 はそ の実 施を 許可 する に至 った

︒政 府機 関紙

﹃ロ シア 新聞

﹄は 国連 人 権委 員会 での 決議 採択 後に 集会 が開 催さ れる こと は﹁ 非常 に不 可解

﹂と 驚き を隠 さな かっ

(46

)

︒ 同年 八月 には

︑エ スト ニア 西部 の地 方都 市リ フラ で︑ ドイ ツの 軍服 に身 を包 んだ エス トニ ア人 兵士 のレ リー フが 刻ま れた 記念 碑が 設置 され た︒ この 記念 碑に は﹁ ボリ シェ ヴィ キに 抗し て︑ エス トニ アの 独立 回復 のた めに 一九 四〇 年か ら 一九 四五 年に 戦っ たエ スト ニア 人に 捧げ る﹂ との 献辞 が刻 まれ た︒ とこ ろが

︑エ スト ニア 政府 は当 該記 念碑 に難 色を 示 し︑ 同年 九月 に撤 去さ れる に至 った

︒実 は同 種の 石碑 は二

〇〇 二年 七月 の時 点で エス トニ ア西 部の 都市 パル ヌに 建設 さ れて いた

︒こ の石 碑に は︑

﹁一 九四

〇年 から 一九 四五 年に 欧州 の自 由と 祖国 のた めに 第二 次世 界大 戦で 犠牲 とな った 全 ての エス トニ ア人 兵士 に捧 げる

﹂と 書か れ︑ ドイ ツの 軍服 姿の エス トニ ア人 兵士 がレ リー フと して 刻ま れて いた

︒結 局︑ 地元 行政 府が 除幕 式直 前に 撤去 し(47

)

︒い ずれ の石 碑も 既に 撤去 され てい るが

︑ロ シア メデ ィア は﹁ 武装 親衛 隊︹ エス ト ニア 人部 隊︺ は歴 史に 名を 残そ うと して いる

﹂と 驚き をも って 報じ

(48

)

︒ ソ連 崩壊 後︑ エス トニ アで はE U加 盟を 目指 す中 で﹁ 欧州 への 入場 券﹂ であ るホ ロコ ース トに 注目 が集 まり

︑﹁ 歴史 教 育に おけ るホ ロコ ース トの 歴史 の扱 いに 変化 が現 れた

﹂に も拘 わら

(49

)

︑武 装親 衛隊 元兵 士に よる 集会 や彼 らを 顕彰 する 動き が見 られ

︑ロ シア とし ては 看過 でき なか った

︒ ラト ヴィ アで も同 様の 活動 が続 いた

︒二

〇〇 五年 二月 に政 治団 体﹁ 国民 の力 同盟

﹂が 三月 一六 日に 西部 の港 湾都 市リ アパ ーヤ で集 会を 実施 する ため に許 可申 請を 同市 に提 出し たと ころ

︑そ の実 施が 認め られ

(50

)

︒ま た︑ リガ 市で も三 月一 六日 の記 念集 会が 許可 され

(51

)

︒特 にリ ガ市 では 元兵 士等 が市 内を 行進 した り自 由の 記念 碑に 献花 した りし

︑こ れま でど

(11)

おり 存在 感を アピ ール した

︒も っと も︑ 地元 のロ シア 語系 住民 等が 抗議 して 一時 騒然 とし たほ か︑ 抗議 した 一部 市民 が 地元 警察 に拘 束さ れた

︒ロ シア 紙は

﹁︹ ロシ ア語 系住 民の よう な︺ 反フ ァシ スト が︹ 警察 によ って

︺解 散さ せら れる に至 っ た﹂ と地 元当 局の 対応 を批 判的 なト ーン で報 じ(52

)

︒ 武装 親衛 隊元 兵士 等の 活動 が続 く状 況を 目の 当た りに した ロシ ア外 務省 は︑

﹁元 兵士 等の 活動 は異 常で 許し 難い

︒武 装親 衛隊 の活 動を 犯罪 と認 定し たニ ュル ンベ ルク 裁判 や︑ 第二 次世 界大 戦の 結果 の見 直し を求 める 地元 当局 が︑ 今回 の 活動 を許 可し た︒ 皮肉 とし か言 いよ うが ない

︒元 兵士 等が リガ 市内 を行 進し たが

︑こ れは 倒錯 した 論理 でし か説 明で き ない

﹂と 改め て非 難し

(53

)

︒ま た︑ ロシ ア外 務省 付属 外交 アカ デミ ーの 学生 が週 刊誌

﹃コ メル サン ト・ ヴラ スチ

﹄に 小論 を寄 せ︑ 現状 を次 のよ うに 皮肉 った

︒﹁ ファ シズ ムが 奨励 され

︑フ ァシ スト が警 察に 守ら れて いる 国が 支持 され る理 由な どな い︒

⁝⁝ 二一 世紀 にお いて ヒト ラー は︹ 元兵 士等 の活 動を 明確 に非 難し ない

︺ラ トヴ ィア 大統 領と して 現れ

(54

)

﹂︒ この よう に︑ 二〇

〇四 年に 国連 人権 委員 会で 決議 が採 択さ れな がら も武 装親 衛隊 元兵 士等 によ る活 動が 続き

︑ま た国 民か らも 反発 の声 が上 がっ たこ とか ら︑ プー チン 政権 は歴 史認 識の 正当 性を 国際 舞台 で引 き続 き主 張す るこ とに した

︒ その 際︑ 大祖 国戦 争史 観が 他国 の歴 史認 識と 密接 に関 係し てい る点 を強 調し

︑他 国と の連 帯を 示す こと で決 議へ の支 持 を取 り付 ける こと にし た︒ 第三 項 人権 委員 会で の決 議再 採択 そこ で︑ プー チン 政権 が目 を付 けた のが アウ シュ ヴィ ッツ 強制 収容 所の 解放 であ る︒ 強制 収容 所の 解放 には ソ連 が大 きく 貢献 して おり

︑そ の点 を強 調し なが ら他 国と の連 帯を 訴え るこ とに した

︒ 二〇

〇五 年一 月二 四日 にナ チス

・ド イツ 強制 収容 所解 放六

〇周 年記 念特 別総 会が 国連 本部 で開 かれ た︒ 特別 会合 では アナ ン事 務総 長の ほか

︑イ スラ エル のシ ャロ ン首 相や ウォ ルフ ォウ ィッ ツ米 国防 副長 官等 が演 説し た︒ ロシ アを 代表 し て演 説し た人 権委 員会 委員 長ウ ラジ ーミ ル・ ルキ ンは その 冒頭

︑ソ 連が 強制 収容 所解 放に 尽力 した 点を 強調 しつ つ︑ 虐 殺の 記憶 を風 化さ せず 未来 に継 承し てい く必 要性 を指 摘し た︒ その 上で

︑﹁ ナチ スの 犯罪 によ って 甚大 な被 害を 受け た

(12)

欧州 諸国 の一 部で は︑ 第二 次世 界大 戦中 に武 装親 衛隊 の兵 士と して ナチ ス側 に立 った 人々 によ る集 会が 行わ れて いる

︒ かか る集 会に おけ る武 装親 衛隊 元兵 士の

﹃公 的承 認﹄ は︑ 彼ら を戦 争犯 罪者 とし たニ ュル ンベ ルク 裁判 の決 定を 見直 す こと に繋 がる

︒第 二次 世界 大戦 中の 彼ら の行 為を 正当 化す るこ とは

︑犠 牲者 の記 憶に 対す る侮 辱で ある

︒ナ チズ ム︑ 過 激な 人種 主義 や全 体主 義を 英雄 視し たり

︑名 誉回 復し たり する 試み に対 して 国際 社会 は団 結し なけ れば なら ない

︒そ の 意味 で︑ 二〇

〇四 年四 月一 六日 に国 連人 権委 員会 で採 択さ れた 決議 を履 行す べき であ る﹂ と説 い(55

)

︒ 一月 二七 日に はプ ーチ ン大 統領 が訪 問先 のポ ーラ ンド で行 われ たア ウシ ュヴ ィッ ツ・ ビル ケナ ウ絶 滅収 容所 解放 六〇 周年 記念 式典 に出 席し た︒ 式典 には シラ ク仏 大統 領︑ チェ イニ ー米 副大 統領

︑シ ュレ ーダ ー独 首相 とい った 世界 の首 脳 が参 加し た︒ 演説 でプ ーチ ンは

﹁歴 史を 書き 換え る試 み︑ 犠牲 者と 死刑 執行 人︑ 解放 者と 占領 者を 同等 にす る試 みは

︑ 不道 徳で あり

︑自 らを 欧州 人と 見な す人 々の 意識 と相 容れ ない

﹂と 名指 しこ そ避 けつ つ︑ ラト ヴィ アや エス トニ アを 意 識し た発 言を 行っ た︒ その 上で

︑﹁ 犠牲 者の 記憶 に思 いを 馳せ

︑フ ァシ ズム を打 破し た連 合国 の偉 業を 覚え てい る︒ 我々 は︑ ポー ラン ド解 放に 尽力 した 六〇 万の ソヴ ィエ ト兵 の勇 敢さ に敬 意を 表す る︒ そし て︑ 勝利 のた めに 二七

〇〇 万も の 人命 を犠 牲に した 点を 忘れ はし ない

﹂と 述べ

︑ソ 連の 功績 を称 えな がら 他国 との 連帯 も意 識し た︒ そし て演 説の 最後 に は︑

﹁︹ ナチ ス・ ドイ ツを 打ち 破っ た喜 びは

︺モ スク ワで の戦 勝記 念日 で最 高潮 に達 する

﹂と し(56

)

︒ 歴史 認識 での 共通 点を 強調 した プー チン やル キン の発 言を 受け

︑ロ シア は二

〇〇 四年 決議 に反 対し た国 々の 支持 を取 り付 ける ため か︑ 二〇

〇五 年四 月に ジュ ネー ブで 開催 され た第 六一 回国 連人 権委 員会 にお いて 昨年 と同 名の 決議 案﹁ 現 代的 形態 の人 種主 義︑ 人種 差別

︑ゼ ノフ ォビ ア及 びそ れら に関 連す る不 寛容 を促 す活 動の 禁止

﹂を 提出 した

︒当 初︑ 共 同提 案国 はロ シア

︑ベ ラル ーシ 及び キュ ーバ の三 ヵ国 であ った が︑ 後に ニカ ラグ アと カザ フス タン も加 わっ た︒ 審議 を 経て

︑最 終的 には 加盟 国五 三ヵ 国の うち 賛成 四六 ヶ国

︑反 対な し︑ 棄権 四ヶ 国で 採択 され た︒ その うち

︑二

〇〇 四年 決 議で 反対 票を 投じ たア イル ラン ド︑ フラ ンス

︑ド イツ

︑イ タリ ア等 は賛 成に 回っ た︒ 棄権 した 国は

︑ア メリ ア︑ オー ス トリ ア︑ カナ ダ及 び日 本で あっ

(57

)

︒ 決議 の冒 頭で は︑ 文言 に若 干の 変更 が加 えら れて いる もの の︑ 二〇

〇四 年決 議で 言及 され た国 際的 な条 約︑ 規約

︑宣

(13)

言等 を再 度引 用し てい る︒ これ を踏 まえ て︑ 次の 九点 が示 され てい る︒

①ダ ーバ ン宣 言の 趣旨 を改 めて 確認 する とと も に︑

②銅 像や 記念 碑を 設置 して ナチ ズム を神 聖化 する ほか

︑ナ チス の過 去や ネオ ナチ ズム を肯 定す るた めに 街頭 で示 威 活動 を行 うこ とに 深い 懸念 を表 する

︒③ 第二 次大 戦下 に武 装親 衛隊 の犯 罪行 為で 犠牲 とな った 多数 の人 々の 記憶 を侮 辱 する ほか

︑大 戦終 結と アウ シュ ヴィ ッツ 強制 収容 所解 放か ら六

〇周 年と いう 節目 の年 に若 者の 意識 を害 する 試み が見 ら れる

︒こ れら の試 みは

︑国 連憲 章に 基づ く加 盟国 の義 務と は両 立せ ず有 害で ある

︒④ これ らの 試み は人 種主 義︑ 人種 差 別︑ ゼノ フォ ビア 及び 関連 する 不寛 容を 誘発 し︑ ネオ ナチ やス キン ヘッ ド集 団を 含む 過激 な政 党や 運動 を拡 大さ せて し まう

︒⑤ いく つか の国 では スキ ンヘ ッド 集団 が既 に活 発化 して いる

︒⑥ これ らの 活動 を阻 止す べく 必要 な措 置を 講ず る 必要 があ るほ か︑ 民主 主義 的価 値へ の現 実的 脅威 を生 み出 す過 激主 義を 押さ える 効果 的な 取り 組み を各 国に 求め たい

⑦特 別専 門家 に対 して は︑ 本件 を引 き続 き調 査し

︑第 六二 回委 員会 にお ける 勧告 の策 定の ほか

︑各 国政 府や 非政 府組 織 への 意見 聴取 も求 めた い︒

⑧各 国政 府や 非政 府組 織に 対し ては

︑国 連特 別報 告者 との 協力 を求 める

︒そ して

︑⑨ 第六 二 回人 権委 員会 でも 本件 を取 り上 げ︑ 引き 続き 協議 すべ きで ある

︑と して い(58

)

︒ 今回 の決 議は 二〇

〇四 年決 議の 内容 を概 ね踏 襲し てい るが

︑若 干の 変更 も加 えら れて いる

︒以 上九 点の うち

︑例 えば

︑ 決議 の② では

︑再 三に わた る非 難が ある にも 拘ら ずラ トヴ ィア 政府 が対 応を しな いこ とを 念頭 に置 いて か︑

﹁ナ チス の過 去や ネオ ナチ ズム を肯 定す る目 的﹂ との 文言 が加 えら れた

︒ま た決 議の

③で は︑ 二〇

〇五 年が 戦勝 六〇 周年 記念 でロ シ アに とっ て記 念す べき 年と いう こと もあ り︑

﹁第 二次 世界 大戦 終結 とア ウシ ュヴ ィッ ツ強 制収 容所 等の 解放 から 六〇 周 年と いう 記念 の年

﹂と の一 文も 追加 され た︒ この 点︑ ロシ ア外 務省 は﹁ 今回 の決 議は

︑犯 罪集 団で ある 武装 親衛 隊を 含む ナチ スト の復 権や 英雄 化を 阻止 する もの であ る︒ 元兵 士等 の試 みは

︑第 二次 大戦 終結 及び アウ シュ ヴィ ッツ 強制 収容 所の 解放 から 六〇 年と いう 節目 の年 に深 い 懸念 を生 じさ せる

﹂と 武装 親衛 隊元 兵士 等の 活動 に釘 を刺 し(59

)

︒在 ジュ ネー ブ国 際機 関ロ シア 政府 代表 部大 使は

﹁欧 州 諸国 によ る決 議案 支持 を歓 迎し たい

︒本 決議 はE U加 盟国 の一 部で 見ら れる 諸問 題か ら目 を背 けず

︑解 決す べき とい う 明確 なシ グナ ルに 他な らな い﹂ と述 べた ほか

︑ア メリ カが 表現 の自 由を 理由 にし て棄 権に 回っ たこ とも 明か し(60

)

︒こ れ

(14)

らの 発言 から

︑ロ シア とし ては

︑数 ある 国の 中で も特 にナ チス

・ド イツ から 多大 な犠 牲を 被り

︑ま たそ の打 破に 尽力 し たア メリ カや 欧州 諸国 を念 頭に 決議 への 支持 を求 めて いた と言 えよ う︒ 第三 節 連帯 感の 創出 第一 項 戦勝 六〇 周年 とホ ロコ ース ト プー チン 政権 は歴 史認 識で の共 通点 を強 調す るこ とで 各国 との 連帯 感を 創出 し︑ 決議 への 支持 を取 り付 ける こと にし た︒ そこ でま ず目 を付 けた のが

︑大 祖国 戦争 での 勝利 であ る︒ 二〇

〇五 年は 戦勝 六〇 周年 にあ たり

︑各 国と の連 帯感 を 創出 する 格好 の舞 台装 置と なり 得た

︒ その 一環 とし て︑ 四月 一四 日か ら一 五日 にか けて

︑第 二次 世界 大戦 終結 六〇 周年 に関 する 国際 会議 がサ ンク トペ テル ブル クで 開催 され た︒ 会議 には

︑北 欧理 事会 や西 欧同 盟と いっ た欧 州国 際機 関の 関係 者の ほか

︑ベ ラル ーシ やカ ザフ ス タン とい った 旧ソ 連諸 国︑ さら には フラ ンス

︑チ ェコ

︑ノ ルウ ェー

︑ス イス

︑イ スラ エル 等の 議会 関係 者が 出席 した

︒ 会議 では ソ連 の功 績が 強調 され たほ か︑ ナチ ス・ ドイ ツ撃 破の ため に尽 力し た連 合国 の役 割も 指摘 され た︒ 例え ば︑ 冒頭 挨拶 でプ ーチ ン大 統領 は﹁ ナチ ス・ ドイ ツを 撃破 でき た要 因の 一つ は︑ 連合 国に よる 政治

・経 済・ 軍事 面で の協 力 であ る﹂ と語 っ(61

)

︒ま た︑ 下院 議長

︵当 時︶ のボ リス

・グ リズ ロフ は﹁ 六〇 年前

︑解 放さ れた 欧州 の人 々は

︑計 り知 れ ない 喜び と感 謝を もっ て解 放者 を称 えた

︒そ の解 放者 とは

︑ソ 米英 その 他の 連合 国︑ そし てフ ァシ ズム と戦 った 欧州 諸 国の 軍隊 だ﹂ とし て︑ プー チン 同様 に各 国の 団結 を強 調し た︒ 欧州 から の参 加者 は︑ 戦争 の参 加を 二度 と繰 り返 さな い 旨を 述べ たし

︑ノ ルウ ェー の議 会議 長は

﹁ソ 連軍 が一 九四 四年 にフ ィン ラン ドと ノル ウェ ーの 解放 に乗 り出 した

︒我 々 はこ の点 を記 憶し なけ れば なら ない

﹂と 訴え

(62

)

︒ 五月 にな ると

︑戦 勝記 念日 が控 えて いる こと もあ りロ シア 各紙 に様 々な 論評 が掲 載さ れた

︒外 務次 官ア レク サン ド ル・ ヤコ ヴェ ンコ は政 府機 関紙

﹃ロ シア 新聞

﹄に

﹁共 通の 勝利

:記 憶・ 教訓

・義 務﹂ と題 する 文章 を発 表し た︒ その 中

(15)

で彼 は︑ 連合 国が 協力 しナ チス

・ド イツ を撃 破し た点 を指 摘し なが ら﹁ 戦勝 記念 日を モス クワ で祝 う﹂ とし

︑ロ シア と 各国 の連 帯感 を強 調し た︒ その 上で

︑民 主的 価値 を尊 ぶ国 々で 武装 親衛 隊元 兵士 によ る行 進を 認め るの は不 道徳 かつ 不 自然 だと

(63

)

︑各 国の 団結 で勝 利し 得た 共通 の記 憶に 横槍 を入 れる かの よう なラ トヴ ィア やエ スト ニア の動 きを 牽制 した

︒ 五月 九日 には モス クワ の赤 の広 場で 大祖 国戦 争六

〇周 年記 念式 典が 盛大 に執 り行 われ た︒ 式典 には

︑ブ ッシ ュ米 大統 領︑ シラ ク仏 大統 領︑ シュ レー ダー 独首 相︑ アナ ン国 連事 務総 長と いっ た世 界五

〇以 上の 国や 国際 機関 の首 脳・ 代表 等 が出 席し た︒ 各国 首脳 等が 見守 る中

︑プ ーチ ン大 統領 は演 説で

︑多 大な 犠牲 を出 しな がら も戦 勝に 貢献 した ソ連 の功 績 を称 えつ つ︑ 各国 が団 結し てナ チス

・ド イツ を撃 破し た点 を次 のよ うに 指摘 した

︒﹁ 私た ちは 勝利 を自 分た ちの もの

︑他 人の もの と分 けた こと は一 度も ない

︒⁝

⁝連 合国 の支 援に 感謝 した い︒ つま り︑ 米英 仏そ の他 の反 ファ シズ ム国 家に よ る支 援で ある

︒ナ チズ ムに 抵抗 した 欧州 の全 ての 人々 に感 謝し た(64

)

﹂︒ この 点︑ 各国 首脳 が式 典に 参列 する 中︑ エス トニ ア大 統領 は式 典を 欠席 した

︒ラ トヴ ィア 大統 領は 出席 した もの の︑ ロシ アの 大祖 国戦 争史 観を 肯定 する ため では なか った

︒同 大統 領は 式典 に先 立ち

︑﹁ ソ連 の占 領﹂ を盛 り込 んだ 歴史 教科 書の ロシ ア語 版を プー チン 大統 領に 手渡 した ほ(65

)

﹁武 装親 衛隊 は祖 国の 自由 のた めに 立ち 上が った

﹂等 と発 言し てい

(66

)

︒ プー チン は両 大統 領の 言動 を意 識し たの か︑ 式典 の演 説で は︑ 旧ソ 連共 和国 が多 大な 犠牲 を被 った とし つつ

︑﹁

︹戦 勝記 念日 であ る︺ 五月 九日 は独 立国 家共 同体 諸国

︹C IS 諸国

︺で 聖な る日 とな った

︒⁝

⁝我 々に は共 通の 悲し み︑ 共通 の 記憶 があ るほ か︑ 後世 に対 する 共通 の義 務を 負っ てい

(67

)

﹂と 述べ るに 至っ た︒ この 発言 で興 味深 いの は︑ 旧ソ 連諸 国の 中で もバ ルト 諸国 への 言及 を避 け︑ 歴史 認識 をめ ぐる 対立 を世 界に 暗に 示し たこ とで あ(68

)

︒い ずれ にせ よロ シア は︑ 各 国と の連 帯の 上で ナチ ス・ ドイ ツを 撃破 した 共通 の記 憶を 有し てい る点 を強 調し た︒ 戦勝 記念 日翌 日に EU 関係 者等 と記 者会 見を 行っ た際

︑プ ーチ ン大 統領 は﹁ ナチ ズム の英 雄化 は非 常に 有害 で危 険で ある

︒E Uに おけ る我 が国 のパ ート ナー は︑ 我々 の立 場を 完全 に理 解し てい る﹂ と述 べ(69

)

︒﹁ EU にお ける 我が 国の パー トナ ー﹂ とわ ざわ ざ述 べる こと で︑ ラト ヴィ アと エス トニ アを 排除 した 形と なっ た︒ プー チン 政権 は戦 勝記 念日 のほ か︑

﹁欧 州の 入場 券﹂ であ るホ ロコ ース トに も着 目し

︑歴 史認 識で の共 通点 を示 すこ と

(16)

にし た︒ プー チン 大統 領は イス ラエ ルの テレ ビ番 組の イン タヴ ュー に応 じて

﹁ユ ダヤ 人は ホロ コー スト とい う悲 劇を 経 験し

︑大 祖国 戦争 では

︹ソ 連の

︺約 三千 万人 が犠 牲と なっ た︒ その 意味 で︑ 旧ソ 連地 域に おい て武 装親 衛隊 の英 雄化 や ナチ ズム への 共感 が見 られ る中

︑最 初に 公然 と非 難し たの はユ ダヤ 人で あっ た﹂ とし

︑連 帯感 を強 調し てみ せ(70

)

︒ま た︑ 同大 統領 は二

〇〇 五年 一月 にイ スラ エル を訪 問し た際 に︑ 強制 収容 所解 放に ソ連 が貢 献し た点 を強 調し つつ

︑ホ ロコ ー スト 犠牲 者に 哀悼 の意 を捧 げる など 歴史 認識 での 共闘 を呼 び掛 けて い(71

)

︒ この よう な姿 勢は

︑ホ ロコ ース トに 関す る国 連決 議に も現 れて いる

︒二

〇〇 五年 一一 月一 日に 国連 総会 で﹁ ホロ コー スト の追 憶﹂ と題 する 決議 が無 投票 で採 択さ れた

︒全 国紙

﹃コ メル サン ト﹄ によ れば

︑当 該決 議は ロシ ア︑ イス ラエ ル︑ アメ リカ

︑カ ナダ 及び ウク ライ ナが 主導 して 決議 案の 作成 にあ たっ てお

(72

)

︑最 終的 には 一〇

〇ヶ 国以 上が 共同 提案 国に 名を 連ね

(73

)

︒こ の決 議の 冒頭 では

︑ナ チス

・ド イツ 撃破 から 六〇 年と いう 節目 の年 であ るこ とに 鑑み

︑強 制収 容所 解放 に尽 力し た兵 士を 称え ると とも に︑ ホロ コー スト が憎 悪︑ 人種 的偏 見︑ 人種 差別 を孕 んだ もの だっ たと 指摘

︒そ の上 で︑

①一 月二 七日 をホ ロコ ース ト記 念日 に制 定す るこ と︑

②ホ ロコ ース トの 教訓 を後 世に 伝え るこ と︑

③ホ ロコ ース トを 否 定す る試 みを 拒絶 する こと

︑④ 宗教 的な 不寛 容︑ 扇動

︑嫌 がら せま たは 暴力 のあ らゆ る表 現を 無条 件で 非難 する こと 等 が示 され

(74

)

︒今 回の ホロ コー スト 決議 では

︑ロ シア の決 議に 反対 票を 投じ たア メリ カの ほか

︑投 票そ のも のを 棄権 した ラト ヴィ アや エス トニ アと いっ た欧 州の 国々 が共 同提 案国 とし て名 を連 ねて お(75

)

︑ナ チズ ムの 経験 を各 国が 共有 すべ き だと 示さ れた

︒ この よう にプ ーチ ン政 権は

︑大 祖国 戦争 史観 の正 当性 を訴 える にあ たり

︑ナ チス

・ド イツ を打 破す るた めに 各国 が協 力し た点 を強 調す ると とも に︑ ホロ コー スト に関 する 決議 の共 同提 案国 にも なり 欧米 諸国 との 連帯 を示 した

︒そ して

︑ これ を梃 子に して 新た な決 議の 採択 を進 めて いく

︒ 第二 項 国連 総会 での 決議 採択 ロシ アは 二〇

〇五 年一 一月 から 人権 委員 会で はな く総 会で の決 議採 択に 乗り 出し た︒ 国連 総会 手続 規則 第九 八条 によ

(17)

ると

︑議 題の 別に より 専門 委員 会が 設立 され

︑具 体的 には 第一 委員 会︵ 軍縮

・国 際安 全保 障︶

︑第 二委 員会

︵経 済財 政︶

︑ 第三 委員 会︵ 社会 人道 文化

︶︑ 第四 委員 会︵ 特別 政治

・非 植民 地化

︶︑ 第五 委員 会︵ 行政 予算

︶及 び第 六委 員会

︵法 律︶ の六 つか らな

(76

)

︒国 連総 会に は原 則と して 全加 盟国 が参 加し

︑加 盟国 は人 権委 員会 のそ れよ り遥 かに 多い

︒ロ シア とし ては

︑総 会で 多数 の国 から 支持 を得 て決 議を 採択 する こと で︑ 自ら の歴 史認 識を 正当 化す る狙 いが ある のだ ろう

︒ さて

︑ロ シア は一 一月 に国 連総 会第 三委 員会 にお いて

﹁現 代的 形態 の人 種主 義︑ 人種 差別

︑ゼ ノフ ォビ ア及 びそ れら に関 連す る不 寛容 を促 す活 動の 禁止

﹂と 題す る決 議案 を提 出し た︒ 同決 議案 には ロシ アの ほか

︑ベ ラル ーシ

︑キ ュー バ︑ タジ キス タン の計 四ヵ 国が 共同 提案 国と して 名を 連ね

(77

)

︒第 三委 員会 での 審議 でロ シア 側を 代表 して 発言 した グリ ゴ リー

・ル キヤ ンツ ェフ は︑ 決議 案の 内容 につ いて 議論 の余 地は なく

︑﹁ ナチ ズム の犯 罪に 関与 した 人々 や︑ ニュ ルン ベル ク裁 判で 犯罪 とさ れた 武装 親衛 隊を 英雄 化す る試 みは 容認 でき ない

︒現 代の 人種 主義 や人 種差 別︑ ゼノ フォ ビア 及び 関 連す る不 寛容 とい う﹃ 栄養 素﹄ は非 常に 厄介 であ る︒ 第二 次世 界大 戦終 結六

〇周 年と いう 記念 すべ き年 にこ そ特 に憂 慮 すべ きで ある

﹂と 語り

︑決 議案 を支 持す るよ う加 盟国 に求 め(78

)

︒ 決議 案を 確認 する と︑ 二〇

〇四 年及 び二

〇〇 五年 に人 権委 員会 で採 択さ れた 決議 の内 容を 概ね 踏襲 して おり

︑武 装親 衛隊 元兵 士の 活動 とい った ナチ ス・ ドイ ツを 賛美 する よう な言 動に 神経 を尖 らせ てい るこ とが 分か る︒ そし て︑ 本決 議 案は 以前 と異 なり 次の 点を 求め てい る︒ つま り︑ 人種 差別 撤廃 条約 締約 国は

︑① あら ゆる プロ パガ ンダ のほ か︑ 人種 的 優越 性の 理念 に基 づく

︑あ るい は人 種的 不寛 容や 差別 を助 長す る組 織を 非難 する こと

︑② 世界 人権 宣言 や人 種差 別撤 廃 条約 五条 に基 づき

︑差 別を 根絶 する 迅速 かつ 積極 的な 措置 を講 じる こと

︑③ 人種 的優 越性 ない し憎 悪に 基づ く理 念の 流 布︑ 人種 差別 の扇 動︑ 人種 差別 活動 に対 する あら ゆる 支援 を法 律で 犯罪 と宣 言す るこ と︑

④人 種差 別及 びそ れに 関連 す る扇 動を 助長 する 活動

︑ま たそ のよ うな 活動 に参 加す るこ とを 禁止 し違 法と 宣言 する こと

︑⑤ 国︑ 地方 自治 体︑ 政府 機 関に よる 人種 差別 又は それ に関 連す る扇 動を 禁止 する こと

︑の 計五 点で あ(79

)

︒ もっ とも

︑審 議で は決 議案 に疑 義が 唱え られ た︒ 例え ば︑ アメ リカ は決 議案 の趣 旨に 理解 を示 しつ つ︑

﹁表 現の 自由 は 保護 され るべ きで あり

︑本 決議 案は 言論 の自 由の 枠内 で行 われ る表 現活 動と 暴力 的扇 動を 目的 とす る表 現活 動を 区別 し

(18)

てい ない

﹂と 採択 に難 色を 示し た︒ EU を代 表し て発 言し たイ ギリ スは

︑﹁ ネオ ナチ ズム は人 種主 義や ゼノ フォ ビア を現 す最 も忌 み嫌 うべ きも ので ある

︒そ れら との 闘争 はあ らゆ る面 で 行わ れる べき だ︒ 本決 議案 は⁝

⁝集 会結 社の 自由 や表 現の 自由 を損 なっ てい る︒ 法律 によ る 各種 制限 は︑ いか なる 場合 であ れ基 本的 な人 権と 自由 を侵 して はな らな い︒ 本決 議案 はネ オ ナチ ズム や他 の人 種主 義に 抗す る方 法を 示し てい ない

﹂と して 棄権 を宣 言し

(80

)

︒ 右の よう な意 見が あり なが らも

︑本 決議 案に は︑ ベネ ズエ ラ︑ 北朝 鮮︑ ナイ ジェ リア

︑ス ー ダン

︑南 アフ リカ の計 四ヵ 国が 共同 提案 国と して 新た に加 わる 意思 を示 し(81

)

︒そ して

︑賛 成 九七 ヵ国

︑反 対四 ヵ国

︑棄 権六 三ヵ 国と なり

︑賛 成多 数で 採択 され

(82

)

︒ 一二 月一 六日 には

︑第 三委 員会 の勧 告に 基づ き︑ 本決 議が 国連 総会 本会 議で 改め て採 決に 付さ れた

︒採 決結 果を 見る と︑ 表① のと おり 賛成 多数 で採 択さ れた

︒と はい え︑ 第三 委員 会 と同 じよ うに アメ リカ は反 対︑ ラト ヴィ アや エス トニ アの ほか EU 諸国 は棄 権す るに 至っ

(83

)

︒ なお

︑決 議内 容に 変更 はな く︑ 第三 委員 会で 採択 され たも のが その まま の形 で残 っ(84

)

︒ さて

︑二

〇〇 六年 一一 月に 政府 機関 紙﹃ ロシ ア新 聞﹄ のイ ンタ ヴュ ーに 応じ たチ ュル キン 国連 大使 は︑ ロシ アの 立場 を改 めて 正当 化し た︒ 記者 から

﹁決 議の 提出 はバ ルト 諸国 の状 況と 関係 して いる のか

﹂と 問わ れる と︑ 同大 使は

﹁あ ら ゆる 出来 事は 特定 の国 々で 発展 して おり

︑適 切な 措置 を講 ずる 必要 があ る︒ 欧州 の一 部の 国で は︑ ホロ コー スト の否 定 は法 律で 訴追 の対 象と され てい る︒ とこ ろが

︑我 が国 が反 ファ シズ ムを 主張 する と︑ なぜ か欧 州諸 国は 我々 の決 議案 に 対し て︹ 投票 を︺ 棄権 して いる

︒そ れは

︑ラ トヴ ィア とエ スト ニア で生 じて いる こと と関 係し てい る︒ 我が 国と して は︑ 当局 関係 者も 参加 する 形で 行わ れて いる 武装 親衛 隊元 兵士 等の 記念 集会 につ いて 懸念 して いる

︒欧 米に よる と︑ これ は ロシ アと ラト ヴィ ア︑ エス トニ アと の︹ 個別 の︺ 問題 だと いう

︒か かる 発言 が減 るこ とを 望ん でい る﹂ と述 べ(85

)

︒ 二〇

〇七 年九 月に はロ シア 外務 次官 のヤ コヴ ェン コが

﹁ナ チズ ムの 英雄 化と いう 問題 は︑ 特に ラト ヴィ アと エス トニ アに おけ るネ オナ チズ ム的 動き を背 景に して 毎年 重要 にな って きて いる

﹂と 具体 的国 名を 出し て決 議案 提出 の背 景を 改

(表①)決議採択の詳細

(出典)UN Doc. A/60/PV.64, A/61/PV.81, A/

62/PV.76, A/63/PV.70, A/64/PV.65.

採択年月日 賛成 反対 棄権

2005 年 12 月 16 日 114 4 57 2006 年 12 月 19 日 121 4 60 2007 年 12 月 18 日 130 2 53 2008 年 12 月 18 日 129 2 54 2009 年 12 月 18 日 127 1 54

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