庚申信仰の実証的研究
ーーイ忠島県を事例として」ー教科・領域教育専攻 社会系コース 佐 坂 恵 子
1.はじめに
庚申信仰とは「干支の庚申に当たる日に行わ れる信仰行事」である。中国の道教では、人間
さ ん し
の身体のなかには三戸という虫がいて、人間を 早死させようとし、庚申の日ごとに人の寝てい る間に天に上って、人間の犯した罪を天帝に告 げるといわれる。しかし、人びとが庚申の日に 徹夜をすれば、三戸は天に上ることができない としづO この三戸説が伝わり、かたちを変えた ものが日本の庚申信仰であるとされている。
日本の庚申信仰の始まりは平安時代であり、
庚申の行事は守庚申と呼ばれ、宮中の宴遊的行 事とされた。そして、室町時代に入り、民衆に も仏教が受け入れられるようになり、また仏教 化した庚申信仰の経典である「庚申縁起Jが作 成されるようになって以降、庚申の行事は、一 般の人びとの聞に浸透し、仏教的な要素をもっ た庚申待に変容した。このころ、庚申の板碑が 立てられるようになった。江戸時代には、庚申 信仰が全国に広まり、和りの対象である庚申塔 が建立され始める。そして、以後各地で庚申塔 が建立され続ける。
2.研究の目的と対象
以前、民間信仰石造物調査を行ったことがき っかけとなり、庚申信仰に興味を持った。そし て、調査対象地である一町内においてさえ庚申 信仰にみる地域差異がみられたため、より広範 囲な徳島県内の数市町村にわたった研究を行う
指 導 教 官 山 本 準
ことにより、庚申信仰にみる何らかの地域特性 をみることができるのではなし、かと考えた。
研究の目的は、庚申信仰が普及した当時から 現代にかけて庚申塔がどのように変貌したのか をみることによって、庚申信仰からみる徳島県 の特性を明らかにすることである。
研究対象は、徳島県内 21市町村が実施した 庚申塔全数調査報告に記載のある 1574基の庚 申塔である。今回対象とした諸地域の庚申信仰 をみることで、徳島県全体の庚申信仰にみる特 質の仮説をたてたい。また、庚申塔の造塔推移、
種別、塔形、施主といった塔の内容的観点から 徳島県庚申信仰の変貌を究明したい。
3.徳島県にみる庚申信仰 (1 )造塔数の推移
徳島県では、1670年代'""'‑'1690年代にかけて、
庚申塔造塔数のピークを迎える (1650年 代 1690年代、造塔隆盛期)。この時期が庚申信仰 普及時期であると考えられる。そしてその後、
1700年代以降は造塔数が減少し (1700年 代 1790年代、造塔減少期)、 1800年代以降には非 常に少ない造塔となり、変動が見られなくなる
(1800年代'""'‑'1890年代、造塔安定期)。
(2)塔形態の変遷
徳島県庚申塔の手重別は、文字塔、青面金剛塔、
猿田彦塔が中心である。その変遷は、まず造塔 隆盛期前半に文字塔が台頭し、その後青面金剛 塔が台頭する。猿田彦塔は全年代を通して、平
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均して造塔数が少ないが、1800年代以降若干増 加する。
塔形としては、笠塔と宝塔が大半を占める。
塔形の普及の変遷は造塔隆盛期前半に笠塔が普 及し、その後、宝塔が普及する。自然石は、造 塔安定期に若干増加する。
(3)塔施主の変化
施主については、「数名」、「講中」によって造 塔されたものが多く、「個人Jによる造塔は非常 に少ない。その変遷は、まず造塔隆盛期に「数 名」による造塔が、造塔減少期には「講中Jに よる造塔が普及する。一方、「個人」による造塔 は、全年代を通して少ない。
4.庚申信仰の分析 (1 )塔の形態的差異
文字塔は、人びとが庚申供養を一定期間行っ た記念として建立された塔で、供養塔としての 意味をもち、それに対し、青面金剛塔は、記り の対象として、信仰塔の意味を持って造塔され たと考えられる。そして、徳島県における庚申 信仰普及・浸透時期とされる、 1670年代'""1690 年代にかけて、塔が供養塔から信仰塔へと変質 する。供養塔の普及を契機に、造塔数が減少す るが、それは人びとによる塔の設置の意味が変 化したことを意味する。
種別と塔形の関係については、文字塔は笠塔 と結びつき、青面金岡JI塔は宝塔と結びついて建 立された場合が多いと考えられる。造塔隆盛期 における文字塔は銘文内容が複雑である。また この時期は宝塔の建立が多いことから、造塔隆 盛期には庚申塔が複雑化・高質化していたこと が予測でき、信仰の隆盛がうかがえる。しかし 造塔安定期には、自然石が増加し始める。また、
文字塔の銘文内容が単純になる。そのため、造 塔安定期になると庚申塔の簡略化が進行したと
考えられる。しかし、自然石の増加には、もう 一つの捉え方があり、それは猿田彦塔との結び つきという庚申塔の特殊化である。
(2)塔施主・種別の差異
施主について、造塔隆盛期には「数名人造塔 減少期には「講中」による造塔が主流となる。
未組織の信仰集団である「数名」から組織化され たものが「講中」であろう。一方、「個人」は全年 代を通して継続して存在した口
手重)3JIと施主の関係は、文字塔は「数名」で、
青面金剛塔は「講中」で建立された場合が多い。
その因果関係は定かではないが、双方は密接に 関連し合って建立されたことが推測される。
(3)地域的特徴の差異
徳島県において庚申信仰は、塔の形態的・内 容的差異、また造塔推移という観点からみて、
徳島県中心地域を基点として、そこから各地域 に庚申塔造塔が波及したことが予測される。そ の伝播経路の背景には各地域の社会的・人口的 要因があると考えられる。
5.おわりに
造塔隆盛期から安定期にかけて、庚申塔の内 容や外観に、さまざまな変容がみられた。徳島 県では 1670年代'""1690年代にかけて、庚申信 仰が普及・浸透したと考えられる。この時期は 庚申塔の形態が変容した時期でもある。その後 造塔数は減少の一途を辿り、1800年代以降には 非常に少ない造塔となる。さらにこの時期庚申 塔の簡略化がみられたことから、信仰そのもの の衰退が推測される。信仰と、信仰の表出と考 えられる塔は、密接に関連し合って変遷し、信 仰の隆盛や衰退が 塔の変貌をもたらしたので はないかと考える。
庚申塔の変貌をみることによって、徳島県に おける庚申信仰を究明できた。
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