1 9 3 0 年代から 40 年代における満洲北部の農業と日本人農業移民について
教 科 ・ 領 域 教 育 専 攻 社 会 系 コ ー ス 山 根 史 孝
1930年代後半から、日本は国策として「満洲 国J,こ移民を行っている。その総数は, 102,239 戸、 220,968人であった。この多くは国内の小 作貧農・農村雑業者、またはその子弟出身であ るといわれている。その満洲移民の内、日本の 敗戦に伴う死亡者は 78,500人であり、日本の 敗戦に伴う「満洲」での死者の45%といわれて し1るO
このように多くの犠牲者を出した満洲移民に 対して、浅田喬二は、移民が本当に「被害者」
かとしづ疑問をもち、移民が日本国内の農業問 題の侵略主義・排外主義的解消策で、あったこと を、満洲での土地の収奪状況の実態から明らか にした。また、日本人移民政策の政治的・軍事 的役割より、日本人移民は日本帝国主義が満洲 を植民地的に支配するための人的主軸で、あった ことと、移民の農業経営実態より、満洲におい て日本人農業移民は日本帝国主義に対する階級 的 被 支 配 者 的 側 面 と 在 満 中 国 人 に 対 す る 民 族 的・階級的支配者的側面を併せ持っていたこと を明らかにした。
玉真之介は、浅田が示した日本人農業移民の 日本帝国主義に対する階級的被支配者的側面に 対し、満洲農業移民が単なる国内農村の過剰人 口対策ではないことを示し、移民政策の目的が 生産力拡大に変化したことを明らかにした。そ して、政府が移民政策を行っても満洲移民に参 加せず、政府の政策通り動かない農民の姿を示
指 導 教 官 小 浜 正 子
し、浅田の示した日本帝国主義と日本人農民と の関係を見直すべきだとした。
そこで本研究では、浅田の示した満洲移民の もう一つの側面、日本人農業移民は在満中国人 に対して民族的・階級的支配者的側面をもって いたという点について、経済的な面からではど うで、あったか検討する。そのため、満洲に農業 移民として渡った農民の農業経営実態がどのよ うなもので、あったか、特に日本人移民の農業経 営は当時の中国人農家の経営と比較した場合、
どのような特徴を持二っていたか、その経営状態 から日本人農業移民が満洲の社会でどのような 存在であったかを考察した。
第1章では、日本と満洲の関係をみた。 1900 年代初頭から、日本と満洲は、大豆を中心にし て、経済的なつながりが強かった。その大立は 日本で農家の重要な購入肥料として使用されて いた。また、満洲は、日本の工業製品市場とし ての側面ももち、日本にとって輸出入の両面で 重要で、あった。これは 30年代に「満洲国」が 建国されても、変わることはなかった。
第2章では、満洲移民政策をみた。この政策 には、軍事的・政治的な側面と経済的な側面の 2つの面があった 当初は、満洲における治安 維持や対ソ連戦を考慮した防備など、前者の性 格が強かったが、移民政策が本格化した 1936 年頃には、日本内地の農村過剰労働力問題の解 消という後者の性格が強くなった。その背景に
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は、日本の農村から人口を減らし、農家が経営 する耕地を増加させることで、農村を救済する という「適正規模J論があった。しかし、日中 戦争が勃発すると、農村の過剰労働力問題は解 決し、満洲農業移民の経済的な目的は失われたD
かわって、 1939年頃から、戦争継続のための農 業生産物の確保と増産とし、う役割が移民に期待 されるようになり、政治的・軍事的な側面が再 び強くなった。
第3章では、満洲における日本人移民農家の 農業経営を、経営規模でほぼ同じ規模の地主兼 自作中国人農家と比較した。このため、次の 2 つの資料を使用した。日本人移民農家について は満洲拓殖公社が移民の実態を把握するために 行った調査を掲載した喜多一雄『満洲開拓論』
(明文堂、 1944年)を、中国人農家については
「満洲国」が農民の実態を把握するために行っ た調査の報告書である実業部臨時産業調査局
『農家経済収支一康徳元年農村実態調査報告書 一JJ(1937年)を使用した。調査された日本人 移民の農業経営規模は平均 16.3駒であり、経営 規模10日向以上40嗣以下の地主兼自作中国人農 家に相当し、その農業経営は、使用した労働力 量や役畜の数などより、経営形態では同じ経営 規模の中国人農家と同様で、あった。また、経営 収支面をみると、収入から経費と家計費を引し1
た余剰が、日本人移民農家は 462.8国であり、
この額は、日本人農家は翌年の経営資金として 十分で、あったが、同じ経営規模の中国人農家は 十分で、はなかった。また、耕地
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向あたりの収 益では、日本人移民農家は39.8圏、同じ経営規 模の中国人農家は44.2園だ、った。これらのこと から、日本人移民農家は、同じ経営規模の中国 人農家より効率の悪い農業経営をしていたが、全体の収益が高く、中国人農家より余裕があり、
安定した経営状況で、あったこと、がわかった。
また、日本人移民農家は、同じ経営規模の中 国人農家に比べ、全労働力に占める雇用労働力 が高いこと、雇用労働力量が多いことによって、
全経営支出中に占める労賃の割合と農産物の現 金化の割合が高いという違いがあった。これは 日本人農家の自家労力の少なさに起因していた。
この自家労力不足問題は、日本人農業移民農家 には年少の児童が平均で1.31人いることから、
自家労働力が増加すれば、解決する可能性が高 い。そうなれば、日本人移民農家は、同じ経営 規模の中国人農家と、同じような経営状況にな ると考えられる。
しかし、満州北部の中国人農家全体でみると、
中国人農家全体の平均経営規模は 17.8嗣であ り、本稿で日本人移民農家と比較した中国人農 家の経営規模は平均より小さい経営規模で、あっ た。また、調査された日本人移民農家の平均経 営規模から、日本人移民農家と中国人農家を相 対的にみると、日本人移民農家は、経済的な面 では中国人農家と比べ、決して支配的な地位に あったわけで、はなかったことがわかった。
最後に、本研究には2つの問題点があると考 える。一つめは、考察対象とした時期が太平洋 戦争開始以前であり、終戦直前の物資が不足し、
開拓団からも招集が行われ、労働力が減少した 時期を検討していないことである。二つめは、
使用した資料について、中国人農家に関しての 調査は調査戸数が全般的な特徴を表すのに十分 であるとされているが、日本人移民に関しての 調査は、調査戸数が少なく、開拓村の一般的な 傾向を表していない可能性があることである。
以上の 2つの点で、本研究には限界があると考 える。
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