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智山學報 第61 - 018荒木 仁朗「智積院朱印地大鳳寺村をめぐって : 畿内近国を中心にした近世寺社領と寺社支配の論点」

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に し た

N工工一Eleotronlo  Llbrary  Servloe

 

 

 

智積院 朱地 大 鳳 寺 村 を め ぐっ て (荒 木)

  本

稿

は 、 智

印 地

鳳 寺

関 係

材 と し て 、

内 近 国 を 中 心 に し た 近 世 寺 社

お よ び 寺 社

配 に 関 す る

た な 研 究 課 題 の 提 示 を 目 的 と

る 。

山 文 庫 に は 朱 印 地 大 鳳

村 関 係

書 が

さ れ て い る 。 現

料 整 理 が

さ れ て い る が 、 ま だ 終 了 し て い な い 。 著

い に も 智 山

表 近 世 編 の 編 纂 に 際 し て 、 智 積 院

地 大 鳳 寺

文 書 を 閲

す る 機 会 を 得 た 。 近 世 に お け る

社 領 の 研 究 は 後 述 す る よ う に ほ と ん ど 存 在 し て い な い 。 こ の

村 関 係 文

は 、 こ の 点 に お い て

重 な 史

で あ る と 思 わ れ る 。 著 者 は 近 世 村

史 を 専 門 と し て い る た め 、 そ の

を 正 確 に 評 価 で き る と は 言 え な い が 、 近 世

寺 村 の 目

か ら 、 智 山 文 庫 の

料 的 な

し い 魅

し で も 提 示 で き れ ば と 考 え て い る 。 こ の よ

示 は 、 著

が 関 わ っ て い る 智 山 年

近 世 編 を 編

る 際 の 課 題 に も な る と 思 わ れ る 。   最 初 に 、 智

院 の 朱 印 地 で あ る 大 鳳

村 に つ い て 概 観 し て お き た い 。 元 々 智 積 院 は 幕 府 か ら 元

( = 登

(2)

智 山学報 第六十一輯 表 寛文元年大 鳳 寺村の階層構 成 『宇 治市 史』5東 部の生活と環 境の表43 大 鳳 寺 村 保 有 者 持 高 表を元に作 成 五 ) 七 月 山 城 国

野 郡 上 桂 村 ( 現 京 都 市 西 京 区 ) 五 〇 〇 石 を

し た が 元 和 五 年 九 月 に 山 城

郡 大

寺 村 ( 現 宇 治 市 ) 五 〇 〇 石 に

地 と し て 拝 領 し                            

T

) 明 治

新 ま で 、 同 村 の 領 主 で あ っ た 。 こ の 村 の 階 層

成 に つ い て は

元 年 段 階 で 表 の ご と く で あ る 。 三 〇 石

が 二

で あ り 、 土 地 集

は ま だ

ら れ な い 。 一 〇 一 軒 中 七 〇

く の 農 家 が 五 石 以 下 で あ り 、

め て い る 。 ま た 反 別 は 寛

元 年 段 階 三 九 町 入 反 三

そ の 内 上 田 が 一                                                         〔 旦 七 町 五 反 五 畝 七 歩 と 四 四 %

を 占 め る な ど 、 田 が

七 二 % に 達 し て い る 。 一

 

に よ る

  寺

が 土 地 を 幕

か ら 拝 領 す れ ば 、 当 然

社 は

主 と な る 。 で は こ の 領 主 で あ る

社 は 、 寺 社 領 を ど の よ う に 支 配 し て い た の で あ ろ

か 。 先 に 結 論 的 に 言 え ば 、

な 機 関 に よ る 支 配 を 受 け て お り 、

は 、 単 独 で は 自 分 の 領 地 を

配 し て い な か っ た 。   ま

は 、

都 町

行 に よ る 大 鳳 寺 村 へ の 関 与 を

て い き た い 。

都 町

行 の 職 掌 は 、

 

都 市 中 の 公

訴 訟 裁 決 、 検 断 な ど の 町 方

配 、   山 城 国 に お け る 諸 触 の 伝

、 犯 罪 取 締 な ど 、 年 貢 徴

務 を 除 く

方 支 配 、

 

五 機 内 ・ 近 江 ・ 丹 波 ・

八 ヶ 国 ( た だ し 享 保 七 年 以 降 は 山 城 ・ 大 和 ・ 近 江 ・ 丹 波 の 四 ヶ 国 と な り 、 他 の 四 ヶ 国 は 大 坂 町 奉 行 の 管 轄 と な                                           3 ) る ) の 寺 社

訟 の 裁 許 な ど と 言 わ れ て い る 。 こ こ で は

 

 

鳳 寺 村 に

当 す る も の と

え ら れ る 。 実 際 に 智 山 文

に は 、 「 御

留 」 と 称 さ れ る

町 奉

か ら の 触 を 書 き 留 め て い る 帳 簿 が

さ れ て い る 。 「 御 触                                                 τ 〕 留 」 で は な い が そ の 実 例 を 一 つ 挙 げ る と 以 下 の 通 り で あ る 。

(3)

NII-Electronic Library Service 智積院朱 印地大鳳寺村を め ぐっ て (荒木) 来

四 日

 

 

天 皇

葬 送 二 付 来 月 二 日 よ り 同 四 日 迄

申 付

、  

一 般

院 門

者 同 廿 五 日 迄 差

候 間

旨 可

通 事       ( 弘 化 三 年 )        

二 月 十 九 日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

尾 左 兵 衛   こ の

は 、

兵 衛 が 弘

三 年 ( 一 八 四 六 ) 正

御 し た

孝 天 皇 ( 「 大 行 天 皇 」 ) の 葬 送 が 三 月 四 日 に

施 さ れ る た め 、 同 月 二 日 か ら 四 日 ま で 牛 馬 や 車 の 使 用 を 禁 止 す る 旨 の

達 し て い る 。 宛 先 は 記 載 さ れ て い な い が 、 大 鳳 寺 村 で あ る と

え ら れ る 。 こ の 松 尾 左

衛 と は 京 都 町

行 配 下 の 上 雑 色 四 人 の } 人 で あ る 。 す で に 指 摘 さ れ て い る こ と で あ る が こ の よ

な 触 が

山 城 の 天 領 ・ 禁 裏 御

・ 公

領 に は 松

左 兵 衛 が 一 括 し て 伝 達 し て い る こ と           〔 互 が 確 認 で き る 。 こ の

は 伝 達 ル ー ト か ら 寺 社 へ 伝 達 す る も の と 寺

さ な い で

領 に

達 す る も の に 分 け ら れ る 。 後 者 は 前 出 の よ

な 史

を 指 し て い る 。 前 者 の

例 は ま だ 大 鳳 寺 村 関

文 書 か ら 確 認 で き な い が 元 禄 十 三 年 ( 一 七 〇 〇 ) 二 月 十 日 智 積 院

海 春 他 二

が 鉄 砲 三

に つ い て 、 大 鳳

村 百 姓 に よ る

鹿 威 し の た め そ の 所

                            〔 6 ) を 京

人 へ 願 い 出 て い る 。 こ の 願 い か ら お お よ そ 村 に よ る 鉄 砲 所 持 の

理 は 、

都 町

行 が 行 っ て い て 、 寺 社 を 通 じ て 村 に

達 が な さ れ て い る た め 、

が 寺 社 を 通 じ て 京 都 町

行 に 願 い 出 て い る の で は な い か と

え ら れ る 。   次 に

都 代 官 に よ る 大 鳳 寺 村 の

貢 徴 収 業

で あ る 。

都 代 官 の 職 掌 は 、

 

皇 室 領 の

配 、

貢 徴 収 ・

理 、 諸 作 事

 

二 条 城 御 用 と し て 城

の 営 繕 煤 掃 人 足 の 割

 

社 寺 関 係 と し て

社 の 神

整 備 、

園 ・ 今 宮 ・ 御 霊

な ど へ の 神

米 支

 

木 津 ・ 宇 治 ・ 桂 ・ 賀

・ 淀 の 山 城 国 大 川 筋

配 ま た 山 城 ・ 河 内 ・ 摂

・ 丹 波 な ど の 天

と 言 わ れ て い る 。 京 都 代 官 は 延 宝 八

( 一 六 八 〇 ) 小 堀 正 憲 が 任

さ れ た の ち 幕

ま で こ の

が 世 襲 し て   〔 ヱ い た 。 し か し 京 都 代

の 職 務 実 態 は 、 い ま だ 不 明 な 部 分 が

い 。 大 鳳

村 に お い て 天 明 四 年 ( 一 七 八 四 ) 、 京 都 代

295

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(4)

智山学報 第六十一輯                                                                                           〔 8 〕 小 堀 数 馬 内 の 人 見 八

治 他 五

が 同 村

屋 ・

寄 ・ 百 姓 中 へ 年 貢 割 付

を 発

し て い る こ と が 確 認 で き る 。 村 の 年 貢 徴 収 額 を 決 定 す る に は 、 そ の

な ど 見 分 す る な ど そ の

の 実

を 把

す る 必

性 が 生 じ て く る 。 大 鳳 寺 村 ひ い て は 山 城 国 の

社 領 に お け る 年 貢

収 に 関 す る 在 地 の 把 握 は 京 都 代

っ て い た と い え る の で は な い か と 考 え ら れ る 。 逆 に 言 え ば 領 主 で

る 智

院 は 、

貢 徴 収 に 関 与 し て い な い の で あ る 。   い ま ま で の 検 討 を 踏 ま え る と 、 智

院 大 き く 言 え ば 山 城 国 の

配 に つ い て は 、

討 し た 京

行 が 京 都 代

に 中 核 で あ る 寺 社 領 の

を 任 せ 、 そ れ 以 外 の 寺 社 支 配 を

当 し て い た と

え ら れ よ

。                 二

 

  で は 智 積 院 は 、

鳳 寺 村 の 状 況 を

も 把 握 し て い な い の で あ ろ う か 。 こ の

に つ い て 少 し 検 討 し て み た い 。 智

院 は

院 は 宝 暦 三 年 ( 一 七 五 三 ) 十 一

、 寛 文 元 年 作 成 さ れ た 大 鳳

の 田 畑 名

を 同 村 か ら

き 写 し て                             〔

a

い る 。 そ の 理 由 は

の 通 り で

っ た 。     当 院 御 知 行 所 田 畑 水 帳 累

当 院

之 由 二

、 此 度 庄 屋 方 江

之 上

写 取 置 畢   つ ま り 領 主 で あ る 智 積 院 に は 、

で あ る

鳳 寺 村 の

地 帳 が な い の で あ る 。 大

主 の 場 合 複 数 の 村 を

地 に し て い る た め 、 こ の よ

な 事

が 生 じ る こ と が た ま に あ る が 、 一

し か な い 寺

地 帳 を 所 持 し て い な い 。 年 貢 徴 収 の 基 礎 と も い え る

地 帳 を 保 管 し て い な い の は 年 貢 徴 収 に 関 与 し な い た め で

ろ う か 。

院 は 、 大 鳳 寺 村 の 管 理 運 営 ( 在 地 把 握 ) を 京 都

や 京

に 完 全 に

任 し て い る と す ら 言 え る だ ろ

。   で は 智

院 ( 寺 社 領 主 ) が 大 鳳 寺 村 に

が 発

さ れ る こ と は な い の で あ ろ

か 。 現 在 の と こ ろ 、 そ の よ う な 触 は

認 で

て い な い 。 ま た 同 じ 山 城 国 門

寺 院

法 院 の

現 京 都 市 右 京 区 ) で は

主 で あ る 妙 法 院 か                                   ( 10 ) ら ほ と ん ど 触 が 来 な い こ と が 判 明 し て い る 。 お そ ら く 智

院 も 触 元 と し て 触 を 出 す こ と は 、 ほ と ん ど な か っ た の で

(5)

NII-Electronic Library Service 智積院朱印 地大鳳寺 村 をめ ぐっ て (荒木) は な い だ ろ

か 。   そ し て こ の 他 に 確 認 出 来 な い が 、 研 究 史 を 踏 ま え る と 、 幕

に 土 砂

山 管 理 を

じ ら れ た 大

や 今 日

し た 以                                                     〔 11 へ 外 の 幕

出 先 機 関 ( 伏 見 奉 行 な ど ) が 地 域

政 を 担 っ て い る た め

関 に よ る

に 対 す る 関 与 に よ っ て 大 鳳 寺 村 の 支 配 が 成 り 立 っ て い る と 考 え ら れ る 。   次 は 、 具

的 な 大 鳳

村 内 の

に つ い て 見 て い き た い 。 畿

近 国 に 限 ら ず 近 世 寺

領 の 統

機 構 に つ い て は 、 ほ と ん ど 研 究 が な い 。

の 限

で は 信 濃 の 善

寺 を

に し た 小 林 計 一 郎 氏 の 研

や 出 羽 国 宝

寺 を

に し た                               12 > 松 本 和 明

の 研

が あ る の み で

る 。 近 世 に お い て 比

規 模 な 寺

領 を 拝 領 し て い る

社 で は 、 領 主 と し て

貢 徴 収 や

領 民

配 を 行 っ て い た 。 実 際 の 担 い

は 、 領 内 百 姓 か ら 取 立 て た 「

」 や 寺 侍 ・

人 と

さ れ る 人 々 で あ っ た 。 大 鳳 寺 村 に も そ の よ う な 人 々 が 近 世 を 通 じ て 存 在 し て い た 。 そ の 点 は 、 明 治 四 年 ( 一 八 七 一 ) 二 月 二 十 日 智 積

が 寺 領

庄 屋

掛 り 伊 兵 衛 他 一 名 を

び 出 し 、 制 録 上 知 の 触 を 述 べ 、 そ れ に 伴

譜 代

廃 止 を

し 渡 し て い る

実 か ら も 窺 え る 。 先 に 見 た よ

の 年 貢 徴 収 は 、 京 都 代 官 が 行 い 、 京 都 町 奉

に よ る 広 域 支 配

け て い た 。 し か し 宝

正 月 に は 、 庄 屋

他 五 名 が

貢 減 免 を

役 人 で あ る 智 積 院 様

の 幡                                                                                 〔 13 〕 野 領 亮 他 二

に 願 い 出 て い る 。 ま た 同

十 二 月 拝 借

を 同

に 幡 野 領 亮 他 二 名 へ 願 い 出 て い る 。 こ の よ う に

鳳 寺 村 の 寺 役 人 は 、 年

や 拝 借

の 関

で は

願 先 に な っ て い る 。 こ の 点 を 踏 ま え る と

く な

と も 畿 内 近 国 の

社 領 に お い て そ の 統

機 構 の

格 は 、 他 の 地 域 と は 異

で あ る と

え ら れ る 。 大 鳳 寺 村 の 統 治 は

都 町

行 ・

代 官 ・ 智 積 院 ・ 寺 侍 な ど に 重 層 的 に

施 さ れ て お り 、 具 体 的 な

明 が 求 め ら れ る 。

297

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(6)

智 山学報 第六十一輯

  近 世 の

内 近 国 は 大

領 ・ 旗 本 領 ・ 幕 府

・ 公

領 ・

社 領 が 入 り 組 む 相 給 村

く 、

阪 町 奉 行 ・

都 町

                                                              〔 14 〕 行 な ど

上 方 支 配 機 構 が

在 し 、 領 主 権

な 非

国 地 域 で あ る 。 研 究 史 に お い て 大

領 ・ 旗 本

府 の 上 方 支 配

を め ぐ る

討 が な さ れ 、 畿

近 国 の

論 さ れ て き た 。 い わ ば 畿

近 国 に お け る 幕 府

力 と そ の

の 領 主

の 関 係 が 一 つ の 論 点 に な っ て い る 。 し か し

内 近 国 の 中 で 特 に 山 城 国 の 所 領 構 成 は

廷 関 係 ・ 公 家 ・                                                               〔 15 〕

院 一 二 万

余 で あ り 、 山 城 国 全 体 二 二 万 石

五 五 % を 占 め て い て 、 他 の 国 と は か な り

格 が 異 な っ て い る と       〔 16 ) 思 わ れ る 。

都 町

行 ・ 京 都 代 官 な ど に よ る

配 に つ い て

討 す れ ば 、 あ た ら な 畿 内 近 国 の 特 質 が

え て く る の で は な い か 。 い わ ば 江 戸 幕 府 が 畿 内 近 国 に

代 以

の 寺 社 勢

を ど の よ う に

配 し よ

と し た か 、 近 世 畿 内 近 国 に お け る 寺 社 支 配 構 造 11 近 世 国 家 の 支 配 の 一

を 解

す る こ と に

与 す る と 考 え ら れ る 。 そ の 手 が か

が 智 山

庫 所

鳳 寺 村 関 係 文 書 に は

在 す る の で あ る 。

曾 ? 曾

7

注 一 兀 和 五 年 九 月 十 五 日 徳 川 秀 忠 朱 印 状 写 ( 『 宇 治 市 史 』

5

東 部 の 生 活 と 環 境 の 大 鳳 寺 三 ) 宝 暦 三 年 十 一 月 大 鳳 寺 村 田 畑 名 寄 帳 写 ( 『 宇 治 市 史 』

5

東 部 の 生 活 と 環 境 の 大 鳳 寺 八 ) 『 国 史 大 辞 典 』

4

の 京 都 町 奉 行 の 項 目 智 山 書 庫

M

棚 二 四 箱 = = 「 触 と 松 尾 左 兵 衛 」 ( 井 手 町 史 シ リ ー ズ 第 四 集 『 井 手 町 の 古 代 ・ 中 世 ・ 近 世 』 昭 和 五 七 年 ) 、 水 本 邦 彦 「 畿 内 ・ 近 国 社 会 と

(7)

NII-Electronic Library Service 智積 院朱 印地大鳳寺 村 をめ ぐっ て (荒 木)     近 世 的 国 制 」 ( 同 『 近 世 の 郷 村 自 治 と 行 政 』 東 京 大 学 出 版 会 、 一 九 九 三 年 ) (

6

) 元 禄 = 二 年 二 月 十 日 智 積 院 役 者 海 春 等 届 書 写 ( 『 宇 治 市 史 』

5

東 部 の 生 活 と 環 境 の 大 鳳 寺 一 二 ) (

7

)   『 国 史 大 辞 典 』

4

の 京 都 代 官 の 項 目 (

8

)   天 明 四 年 大 鳳 寺 村 免 状 写 し ( 『 宇 治 市 史 』

5

東 部 の 生 活 と 環 境 の 大 鳳 寺 三 一 ) (

9

) 前 掲 注 (

2

) (

10

)   山 田 洋 一 「 近 世 「 徳 川 領 国 」 に お け る 山 城 国 の 構 造 L ( 『 京 都 府 立 総 合 資 料 館 紀 要 』 三 六 二 〇 〇 八 年 ) (

11

)   前 掲 注 五 水 本 論 文 (

12

)   小 林 計 一 郎 『 長 野 市 史 考 』 ( 吉 川 弘 文 館 、 一 九 六 九 年 ) の 第 一 章 】 ・ 五 や 松 本 和 明 「 近 世 中 後 期 出 羽 国 宝 幢 寺 に お け る 寺     役 人 の 職 分 ・ 身 分 − 近 世 寺 院 領 主 の 統 治 機 構 と そ の 特 質

l

」 ( 『 人 文 論 究 』 五 七 号 の 四 関 西 学 院 大 学、 二 〇 〇 八 年 ) (

13

) 宝 暦 七 年 正 月 庄 屋 新 五 郎 等 救 米 願 状 / 同 年 一 二 月 庄 屋 新 五 郎 等 借 米 願 状 ( 『 宇 治 市 史 』

5

東 部 の 生 活 と 環 境 の 大 鳳 寺 二     〇 ・ 二 三 ) (

14

) 安 岡 重 明 「 近 畿 に お け る 封 建 支 配 の 性 格 」 ( 『 ヒ ス ト リ ア 』 二 二 】 九 五 八 年 ) を 参 照 (

15

)   前 掲 注 (

10

) (

16

)   こ の 点 に つ い て は 既 に 指 摘 さ れ て い る ( 藤 本 仁 文 「 書 評   岩 城 卓 二 『 近 世 畿 内 ・ 近 国 支 配 の 構 造 』 」 ( 『 ヒ ス ト リ ア 』 二 〇     九 二 〇 〇 入 年 ) 〈 キ ー ワ ー ド V 大 鳳 寺 村、 近 世 寺 社 領 、 寺 社 支 配 畿 内 近 国 、 朱 印 地

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