NII-Electronic Library Service
智
積
院
朱
印
地
大
鳳
寺
村
を
め
ぐ
って
1
畿
内
近
国
を
中心
に し た近
世
寺
社
領
と寺
社
支
配
の論
点
N工工一Eleotronlo Llbrary Servloe
荒
木
仁
朗
智積院 朱印地 大 鳳 寺 村 を め ぐっ て (荒 木)は
じ
め
に
本稿
は 、 智積
院朱
印 地大
鳳 寺村
関 係文
書
を素
材 と し て 、畿
内 近 国 を 中 心 に し た 近 世 寺 社領
お よ び 寺 社支
配 に 関 す る新
た な 研 究 課 題 の 提 示 を 目 的 とす
る 。智
山 文 庫 に は 朱 印 地 大 鳳寺
村 関 係文
書 が多
く残
さ れ て い る 。 現在
、史
料 整 理 が実
施
さ れ て い る が 、 ま だ 終 了 し て い な い 。 著者
は幸
い に も 智 山年
表 近 世 編 の 編 纂 に 際 し て 、 智 積 院朱
印
地 大 鳳 寺村
関係
文 書 を 閲覧
す る 機 会 を 得 た 。 近 世 に お け る寺
社 領 の 研 究 は、 後 述 す る よ う に ほ と ん ど 存 在 し て い な い 。 こ の大
鳳
寺
村 関 係 文書
は 、 こ の 点 に お い て貴
重 な 史料
で あ る と 思 わ れ る 。 著 者 は 近 世 村落
史 を 専 門 と し て い る た め 、 そ の価
値
を 正 確 に 評 価 で き る と は 言 え な い が 、 近 世智
積
院朱
印
地大
鳳
寺 村 の 目線
か ら 、 智 山 文 庫 の史
料 的 な新
し い 魅力
を少
し で も 提 示 で き れ ば と 考 え て い る 。 こ の よう
な提
示 は 、 著者
が 関 わ っ て い る 智 山 年表
近 世 編 を 編纂
す
る 際 の 課 題 に も な る と 思 わ れ る 。 最 初 に 、 智積
院 の 朱 印 地 で あ る 大 鳳寺
村 に つ い て 概 観 し て お き た い 。 元 々 智 積 院 は、 幕 府 か ら 元和
元年
( = 登智 山学報 第六十一輯 表 寛文元年大 鳳 寺村の階層構 成 『宇 治市 史』5東 部の生活と環 境の表43 大 鳳 寺 村 保 有 者 持 高 表を元に作 成 五 ) 七 月 山 城 国
葛
野 郡 上 桂 村 ( 現 京 都 市 西 京 区 ) 五 〇 〇 石 を拝
領
し た が、 元 和 五 年 九 月 に 山 城国
宇治
郡 大鳳
寺 村 ( 現 宇 治 市 ) 五 〇 〇 石 に替
地 と し て 拝 領 し、T
) 明 治維
新 ま で 、 同 村 の 領 主 で あ っ た 。 こ の 村 の 階 層構
成 に つ い て は、 寛文
元 年 段 階 で 表 の ご と く で あ る 。 三 〇 石台
が 二軒
で あ り 、 土 地 集積
は ま だ見
ら れ な い 。 一 〇 一 軒 中 七 〇軒
と多
く の 農 家 が 五 石 以 下 で あ り 、約
七割
を占
め て い る 。 ま た 反 別 は 寛文
元 年 段 階 三 九 町 入 反 三畝
余
で、 そ の 内 上 田 が 一 〔 旦 七 町 五 反 五 畝 七 歩 と 四 四 %弱
を 占 め る な ど 、 田 が約
七 二 % に 達 し て い る 。 一幕
府
出
先
機
関
に よ る大
鳳
寺
村
の支
配
寺社
が 土 地 を 幕府
か ら 拝 領 す れ ば 、 当 然寺
社 は領
主 と な る 。 で は こ の 領 主 で あ る寺
社 は 、 寺 社 領 を ど の よ う に 支 配 し て い た の で あ ろう
か 。 先 に 結 論 的 に 言 え ば 、多
様
な 機 関 に よ る 支 配 を 受 け て お り 、寺
社
は 、 単 独 で は 自 分 の 領 地 を支
配 し て い な か っ た 。 まず
は 、京
都 町奉
行 に よ る 大 鳳 寺 村 へ の 関 与 を見
て い き た い 。京
都 町奉
行 の 職 掌 は 、京
都 市 中 の 公事
訴 訟 裁 決 、 検 断 な ど の 町 方支
配 、 山 城 国 に お け る 諸 触 の 伝達
、 犯 罪 取 締 な ど 、 年 貢 徴収
事
務 を 除 く村
方 支 配 、五 機 内 ・ 近 江 ・ 丹 波 ・
播
磨
八 ヶ 国 ( た だ し 享 保 七 年 以 降 は 山 城 ・ 大 和 ・ 近 江 ・ 丹 波 の 四 ヶ 国 と な り 、 他 の 四 ヶ 国 は 大 坂 町 奉 行 の 管 轄 と な { 3 ) る ) の 寺 社支
配、 公事
訴
訟 の 裁 許 な ど と 言 わ れ て い る 。 こ こ で は・
が
大
鳳 寺 村 に該
当 す る も の と考
え ら れ る 。 実 際 に 智 山 文庫
に は 、 「 御触
留 」 と 称 さ れ る京
都
町 奉行
か ら の 触 を 書 き 留 め て い る 帳 簿 が多
く残
さ れ て い る 。 「 御 触 τ 〕 留 」 で は な い が、 そ の 実 例 を 一 つ 挙 げ る と 以 下 の 通 り で あ る 。NII-Electronic Library Service 智積院朱 印地大鳳寺村を め ぐっ て (荒木) 来
月
四 日大
行
天 皇御
葬 送 二 付 来 月 二 日 よ り 同 四 日 迄牛
馬并
車留
申 付候
、但
一 般舟
院 門前
者 同 廿 五 日 迄 差留
候 間其
旨 可申
通 事 ( 弘 化 三 年 )午
二 月 十 九 日松
尾 左 兵 衛 こ の史
料
は 、松
尾左
兵 衛 が 弘化
三 年 ( 一 八 四 六 ) 正月
崩
御 し た仁
孝 天 皇 ( 「 大 行 天 皇 」 ) の 葬 送 が 三 月 四 日 に実
施 さ れ る た め 、 同 月 二 日 か ら 四 日 ま で 牛 馬 や 車 の 使 用 を 禁 止 す る 旨 の触
を伝
達 し て い る 。 宛 先 は 記 載 さ れ て い な い が 、 大 鳳 寺 村 で あ る と考
え ら れ る 。 こ の 松 尾 左兵
衛 と は 京 都 町奉
行 配 下 の 上 雑 色 四 人 の } 人 で あ る 。 す で に 指 摘 さ れ て い る こ と で あ る が、 こ の よう
な 触 が南
山 城 の 天 領 ・ 禁 裏 御領
・ 公家
寺社
領 に は 松尾
左 兵 衛 が 一 括 し て 伝 達 し て い る こ と 〔 互 が 確 認 で き る 。 こ の触
は 伝 達 ル ー ト か ら 寺 社 へ 伝 達 す る も の と 寺社
を介
さ な い で直
接寺
社
領 に伝
達 す る も の に 分 け ら れ る 。 後 者 は 前 出 の よう
な 史料
を 指 し て い る 。 前 者 の事
例 は ま だ 大 鳳 寺 村 関係
文 書 か ら 確 認 で き な い が、 元 禄 十 三 年 ( 一 七 〇 〇 ) 二 月 十 日 智 積 院役
者
海 春 他 二名
が 鉄 砲 三挺
に つ い て 、 大 鳳寺
村 百 姓 に よ る猪
鹿 威 し の た め そ の 所持
〔 6 ) を 京都
町奉
行役
人 へ 願 い 出 て い る 。 こ の 願 い か ら お お よ そ 村 に よ る 鉄 砲 所 持 の管
理 は 、京
都 町奉
行 が 行 っ て い て 、 寺 社 を 通 じ て 村 に伝
達 が な さ れ て い る た め 、村
が 寺 社 を 通 じ て 京 都 町奉
行 に 願 い 出 て い る の で は な い か と考
え ら れ る 。 次 に京
都 代 官 に よ る 大 鳳 寺 村 の年
貢 徴 収 業務
で あ る 。京
都 代 官 の 職 掌 は 、皇 室 領 の
支
配 、年
貢 徴 収 ・管
理 、 諸 作 事、二 条 城 御 用 と し て 城
内
の 営 繕、 煤 掃 人 足 の 割付
、社 寺 関 係 と し て
賀
茂
社 の 神幸
道筋
整 備 、祗
園 ・ 今 宮 ・ 御 霊社
な ど へ の 神事
料
米 支給
、木 津 ・ 宇 治 ・ 桂 ・ 賀
茂
・ 淀 の 山 城 国 大 川 筋支
配 ま た 山 城 ・ 河 内 ・ 摂津
・ 丹 波 な ど の 天領
支
配
と 言 わ れ て い る 。 京 都 代 官 は 延 宝 八年
( 一 六 八 〇 ) 小 堀 正 憲 が 任命
さ れ た の ち 幕末
ま で こ の家
が 世 襲 し て 〔 ヱ い た 。 し か し 京 都 代官
の 職 務 実 態 は 、 い ま だ 不 明 な 部 分 が多
い 。 大 鳳寺
村 に お い て 天 明 四 年 ( 一 七 八 四 ) 、 京 都 代官
295
N工工一Eleotronlo Llbrary智山学報 第六十一輯 〔 8 〕 小 堀 数 馬 内 の 人 見 八
郎
治 他 五名
が 同 村庄
屋 ・年
寄 ・ 百 姓 中 へ 年 貢 割 付状
を 発給
し て い る こ と が 確 認 で き る 。 村 の 年 貢 徴 収 額 を 決 定 す る に は 、 そ の年
の作
柄
な ど 見 分 す る な ど そ の村
の 実情
を 把握
す る 必要
性 が 生 じ て く る 。 大 鳳 寺 村 ひ い て は 山 城 国 の寺
社 領 に お け る 年 貢徴
収 に 関 す る 在 地 の 把 握 は 京 都 代官
が担
っ て い た と い え る の で は な い か と 考 え ら れ る 。 逆 に 言 え ば 領 主 であ
る 智積
院 は 、年
貢 徴 収 に 関 与 し て い な い の で あ る 。 い ま ま で の 検 討 を 踏 ま え る と 、 智積
院 大 き く 言 え ば 山 城 国 の寺
社支
配 に つ い て は 、先
に検
討 し た 京都
町奉
行 が 京 都 代官
に 中 核 で あ る 寺 社 領 の年
貢
徴収
を 任 せ 、 そ れ 以 外 の 寺 社 支 配 を担
当 し て い た と考
え ら れ よう
。 二大
鳳
寺
村
と智
積
院
で は 智 積 院 は 、大
鳳 寺 村 の 状 況 を何
も 把 握 し て い な い の で あ ろ う か 。 こ の点
に つ い て 少 し 検 討 し て み た い 。 智積
院 は、 智積
院 は 宝 暦 三 年 ( 一 七 五 三 ) 十 一月
、 寛 文 元 年 作 成 さ れ た 大 鳳寺
村
の 田 畑 名寄
帳
を 同 村 か ら借
用書
き 写 し て 〔a
い る 。 そ の 理 由 は次
の 通 り であ
っ た 。 当 院 御 知 行 所 田 畑 水 帳 累年
当 院無
之 由 二付
、 此 度 庄 屋 方 江申
付吟
味
之 上為
写 取 置 畢 つ ま り 領 主 で あ る 智 積 院 に は 、寺
領
で あ る大
鳳 寺 村 の検
地 帳 が な い の で あ る 。 大半
の領
主 の 場 合、 複 数 の 村 を領
地 に し て い る た め 、 こ の よう
な 事態
が 生 じ る こ と が た ま に あ る が 、 一村
し か な い 寺領
の検
地 帳 を 所 持 し て い な い 。 年 貢 徴 収 の 基 礎 と も い え る検
地 帳 を 保 管 し て い な い の は、 年 貢 徴 収 に 関 与 し な い た め であ
ろ う か 。智
積
院 は 、 大 鳳 寺 村 の 管 理 運 営 ( 在 地 把 握 ) を 京 都代
官
や 京都
町奉
行
に 完 全 に委
任 し て い る と す ら 言 え る だ ろう
。 で は 智積
院 ( 寺 社 領 主 ) が 大 鳳 寺 村 に対
す
る触
が 発給
さ れ る こ と は な い の で あ ろう
か 。 現 在 の と こ ろ 、 そ の よ う な 触 は確
認 でき
て い な い 。 ま た 同 じ 山 城 国 門跡
寺 院妙
法 院 の寺
領
牛
ヶ瀬
村
( 現 京 都 市 右 京 区 ) で は領
主 で あ る 妙 法 院 か ( 10 ) ら ほ と ん ど 触 が 来 な い こ と が 判 明 し て い る 。 お そ ら く 智積
院 も 触 元 と し て 触 を 出 す こ と は 、 ほ と ん ど な か っ た の でNII-Electronic Library Service 智積院朱印 地大鳳寺 村 をめ ぐっ て (荒木) は な い だ ろ
う
か 。 そ し て こ の 他 に 確 認 出 来 な い が 、 研 究 史 を 踏 ま え る と 、 幕府
に 土 砂留
山 管 理 を命
じ ら れ た 大名
や 今 日検
討
し た 以 〔 11 へ 外 の 幕府
出 先 機 関 ( 伏 見 奉 行 な ど ) が 地 域行
政 を 担 っ て い る た め、 多様
な機
関 に よ る大
鳳
寺村
に 対 す る 関 与 に よ っ て 大 鳳 寺 村 の 支 配 が 成 り 立 っ て い る と 考 え ら れ る 。 次 は 、 具体
的 な 大 鳳寺
村 内 の統
治
に つ い て 見 て い き た い 。 畿内
近 国 に 限 ら ず、 近 世 寺社
領 の 統治
機 構 に つ い て は 、 ほ と ん ど 研 究 が な い 。管
見
の 限り
で は 信 濃 の 善光
寺 を事
例
に し た 小 林 計 一 郎 氏 の 研究
や 出 羽 国 宝幢
寺 を事
例
に し た 冖 12 > 松 本 和 明氏
の 研究
が あ る の み であ
る 。 近 世 に お い て 比較
的
大
規 模 な 寺社
領 を 拝 領 し て い る寺
社 で は 、 領 主 と し て年
貢 徴 収 や寺
領 民支
配 を 行 っ て い た 。 実 際 の 担 い手
は 、 領 内 百 姓 か ら 取 立 て た 「代
官
」 や 寺 侍 ・寺
役
人 と称
さ れ る 人 々 で あ っ た 。 大 鳳 寺 村 に も そ の よ う な 人 々 が 近 世 を 通 じ て 存 在 し て い た 。 そ の 点 は 、 明 治 四 年 ( 一 八 七 一 ) 二 月 二 十 日 智 積院
が 寺 領大
鳳寺
村
庄 屋勧
農
掛 り 伊 兵 衛 他 一 名 を呼
び 出 し 、 制 録 上 知 の 触 を 述 べ 、 そ れ に 伴う
譜 代家
来
廃 止 を申
し 渡 し て い る事
実 か ら も 窺 え る 。 先 に 見 た よう
に大
鳳寺
村
の 年 貢 徴 収 は 、 京 都 代 官 が 行 い 、 京 都 町 奉行
に よ る 広 域 支 配も
受
け て い た 。 し か し 宝暦
七年
正 月 に は 、 庄 屋新
五郎
他 五 名 が年
貢 減 免 を寺
役 人 で あ る 智 積 院 様御
内
の 幡 〔 13 〕 野 領 亮 他 二名
に 願 い 出 て い る 。 ま た 同年
十 二 月 拝 借米
を 同様
に 幡 野 領 亮 他 二 名 へ 願 い 出 て い る 。 こ の よ う に大
鳳 寺 村 の 寺 役 人 は 、 年貢
や 拝 借米
の 関係
で は、嘆
願 先 に な っ て い る 。 こ の 点 を 踏 ま え る とす
く なく
と も 畿 内 近 国 の寺
社 領 に お い て そ の 統治
機 構 の性
格 は 、 他 の 地 域 と は 異質
で あ る と考
え ら れ る 。 大 鳳 寺 村 の 統 治 は京
都 町奉
行 ・京
都
代 官 ・ 智 積 院 ・ 寺 侍 な ど に 重 層 的 に実
施 さ れ て お り 、 具 体 的 な解
明 が 求 め ら れ る 。297
N工工一Eleotronlo Llbrary智 山学報 第六十一輯
お
わ
り
に
近 世 の畿
内 近 国 は 大名
領 ・ 旗 本 領 ・ 幕 府領
・ 公家
領 ・寺
社 領 が 入 り 組 む 相 給 村落
が多
く 、大
阪 町 奉 行 ・京
都 町奉
〔 14 〕 行 な ど幕
府
上 方 支 配 機 構 が存
在 し 、 領 主 権力
が希
薄
な 非領
国 地 域 で あ る 。 研 究 史 に お い て 大名
領 ・ 旗 本領
と幕
府 の 上 方 支 配機
構
を め ぐ る検
討 が な さ れ 、 畿内
近 国 の特
質
が議
論 さ れ て き た 。 い わ ば 畿内
近 国 に お け る 幕 府権
力 と そ の他
の 領 主権
力
の 関 係 が 一 つ の 論 点 に な っ て い る 。 し か し畿
内 近 国 の 中 で 特 に 山 城 国 の 所 領 構 成 は朝
廷 関 係 ・ 公 家 ・ 〔 15 〕寺
院 一 二 万石
余 で あ り 、 山 城 国 全 体 二 二 万 石余
の約
五 五 % を 占 め て い て 、 他 の 国 と は か な り性
格 が 異 な っ て い る と 〔 16 ) 思 わ れ る 。京
都 町奉
行 ・ 京 都 代 官 な ど に よ る寺
領支
配 に つ い て検
討 す れ ば 、 あ た ら な 畿 内 近 国 の 特 質 が見
え て く る の で は な い か 。 い わ ば 江 戸 幕 府 が 畿 内 近 国 に多
い古
代 以来
の 寺 社 勢力
を ど の よ う に支
配 し よう
と し た か 、 近 世 畿 内 近 国 に お け る 寺 社 支 配 構 造 11 近 世 国 家 の 支 配 の 一端
を 解明
す る こ と に寄
与 す る と 考 え ら れ る 。 そ の 手 が かり
が 智 山文
庫 所蔵
の大
鳳 寺 村 関 係 文 書 に は存
在 す る の で あ る 。曾 ? 曾
7
丁
注 一 兀 和 五 年 九 月 十 五 日 徳 川 秀 忠 朱 印 状 写 ( 『 宇 治 市 史 』5
東 部 の 生 活 と 環 境 の 大 鳳 寺 三 ) 宝 暦 三 年 十 一 月 大 鳳 寺 村 田 畑 名 寄 帳 写 ( 『 宇 治 市 史 』5
東 部 の 生 活 と 環 境 の 大 鳳 寺 八 ) 『 国 史 大 辞 典 』4
の 京 都 町 奉 行 の 項 目 智 山 書 庫M
棚 二 四 箱 = = 「 触 と 松 尾 左 兵 衛 」 ( 井 手 町 史 シ リ ー ズ 第 四 集 『 井 手 町 の 古 代 ・ 中 世 ・ 近 世 』 昭 和 五 七 年 ) 、 水 本 邦 彦 「 畿 内 ・ 近 国 社 会 とNII-Electronic Library Service 智積 院朱 印地大鳳寺 村 をめ ぐっ て (荒 木) 近 世 的 国 制 」 ( 同 『 近 世 の 郷 村 自 治 と 行 政 』 東 京 大 学 出 版 会 、 一 九 九 三 年 ) (