• 検索結果がありません。

智山學報 第51 - 022大八木 隆祥「Vimalamitra造『聖般若波羅蜜多心広疏』研究序説」

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "智山學報 第51 - 022大八木 隆祥「Vimalamitra造『聖般若波羅蜜多心広疏』研究序説」"

Copied!
23
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

vimalamitra

造 『

般 若 波

心 広

疏 』

       

真偽

問題

成 立

背 景

依 用

心 経

      

つ い

木 隆 祥

は じめ に

 

『般 若 心 経 (以 下、PPH )

は キ リス ト

の バ イ ブル に比 さ れ る程、 広 範な 地 域で流 行 し、 現

もなお

くの仏

教 徒

さ れ てい る。 その

PPH

に対 す る註 釈

もまた

られ、 そ れ は発 祥 国で ある イ ン ドにおい て も例

で は ない 。

 

現在、 イ ン ドの 言 語 に よっ て著 さ れ た

PPH

の註 釈 類の原 本や写 本 を 目に する こ とは出来ない が 、

言 語に翻 訳 され た もの と して い つ か見る こ とが 可

る。

 本稿

は、 チベ ッ ト

蔵 経 所 収の

PPH

註 釈 書

7

本1)の内、

9

世紀 初 頭の イン

僧 Vimalaminra

によっ て著さ れ た

Arya

prajfiEpdramitE

h

τ

daya

(『般 若

波 羅蜜多心広疏』) を取 り上 げ、 研 究した もの で あ る。

 

回は、 本 書の真

問題 ・背景依用

心 経

し、

今後

本書研 究

の基

く 「

序 説」

とい

う形

提示す

ること と した。

 

なお、

本書

著者

Vimalamitra2

)は空 海 と生

年代が重なっ てお り、 ま た、 両

と も

密教者

で 、 かつ 顕 教 につ い て の学 識 も極め て広い とい う似た特徴を もっ て い る。 そ して何 よ り、 空 海に も

PPH

に対 する註 釈 書 とし て

般 若 心 経 秘 鍵』 とい

著作がある。 地 理 的には遠 く離れて い るが、 同 じ時代の密 教 者 が

PPH

の註 釈 書 を著 してい る とい

偶然

過 し

ない 。 この

Vimalami

− traの註釈 書を研 究 する こ と は、 空海の 『秘鍵

を研 究 する 上 で も重要な意 味 を持つ と

者は

えてい る。 (

153

(2)

智山学報第五十 一輯

諸註釈

の 位

 PPH

釈書

としては、

漢訳

と して卍

続蔵経

提 婆

に よる

えら れ る もの が

録さ れてお り3) 、 チベ ッ ト大 蔵 経には 以 下 の

7

本 4)

収 録

さ れ い る5) 。

1

ヴィ マ ラ ミ トラ註

Vimalamitra

Arya

prajfiaparamita

h

τ

daya

− 

Vka

      

北 京 版 :

NQ5217

、 vol.

94

, デル ゲ版 :

NQ3818

197

6)

2

ジ ュ ニ トラ

註】Jfianamitra

Arya

prajfifiparamita

hrdaya

−vya  

y

      

京版

No5218

、 vol.

94

, デル ゲ

NQ3819

197帙

3

ヴ ァ ジュ ラパ ー 二 註

Vajrapfirpi

Bhagavati

prajfifipdramit

五一

h

τ

daya

ttka

              arthapradrpa −nEirna

      

北京 版 :

NQ5219

、 vol .

94

, デ ルゲ版 :

NQ3820

197

4

プラ シ ャ ース トラセ ーナ註

】PragAstrasena

Arya

prajfiapfiramita

h

τ

daya

     

tik

      

北京 版 :

NQ5220

、 vol .

94

, デル ゲ

NQ3821

197

5

カマ ラ シーラ註

KamalaSila

PrajfiaparamitE

hrdaya

−nfima −

tika

      

京版

NQ5221

、 vol .

94

, デル ゲ

:欠

6

. 【ア テ イー シ ャ註

Dipalpkara6

茄na :

Prajfia

hrdaya

−vyakhy 巨

      

北 京版 :

NQ5222

、 vol .

94

, デル ゲ版 :

NQ3823

197

7

シ ュ リー ・マ ハ ー ジ ナ註

Sn

− 

Mahaj

 ana :

Prajfiapai

 amita −

h

dayartha

−      

panJnana

      

京版

Na5223

、 vol .

94

, デル ゲ

NQ3822

197

 

以 上 の内、 漢 訳

提 婆 註

PPH

小 本

以 下、 

PPH

S

7)対 す 註 釈 あ り、 チベ ッ ト訳の

7

本 は

PPH

大 本

以下 、 

PPH

L )

8)に対 する註 釈 で ある。

 

1

7

につ い て の 総 合 的研

と して は

D

S

LopezJr

.氏の

2

つ の 著 作が あ り9) 、 すべ て英訳 さ れてい る 1°) 。 ヴィ マ ラミ トラ註の真

問 題

Vimalamitra

は後 世、 チベ ッ ト仏 教ニ ンマ 派の 開祖の

1

人に

数 え

られ る チ

(3)

Vimal 

itra

造 『聖般若 波羅蜜多心広疏』研 究序説 (大八木) ベ 仏 教 前

伝期

。 その た め、

代の 著作 物につ い て もそ の 作 者 として彼に仮託 さ れる もの が

く、 目録上で の著 者名はあまりアテ に ならない る。

 

た とえば、

タ ン トラ (

Mayajala

−tantra)』に は新 訳と旧訳 が あ

旧 訳 の 方の 訳

Vimalamitra

と」薀nakumara と さ れて い る。 しか し な が ら、

松 長 有 慶

に よれば、

容上、 この 旧 訳 より も

Rin

 chen  

bzang

 

po

に よ る新

訳の

い と され る11)。 つ ま り、旧訳 と

ばれ る方は新 しい テキス トの 翻 訳で ある に もか か わ らず、 チベ 仏 教 黎 明 時

僧 Vimalamitra

れ 、 旧訳 と呼ば れ る よ

に なっ た疑い が あるの である

 

そ こ で、 本 書 につ い て も、 こ れ が本 当に

Vimalamitra

による著 作 なの か 、

検討す

る必 要がある。 こ こで は以下の

4

つ に よ り本書が真 撰である こ と を

認し た。

 

デ ン カ ルマ

 

デン カ ル マ 目 録』に は本 書が見 出せ る12) 。 芳 村 修 基 氏に よっ て振 ら れ た

番号

に よ れば、

529

番である ユ3) 。

 

同 目録の成立

年代

につ い て はい

、 先行 研 究 か ら

A

D

824

成立説14)が 妥 当

ら れ る 。 つ ま り、 少な くとも

824

まで に は本 書 は 成 立 し、 チベ ッ ト語に

訳さ れてい た わけで あるが、 本 書の 成立 を ヴィマ ラ ミ トラの

蔵期 間

A

D

797

810

とするロ ペ ス の説15>承 認 すれ ば年代 は一致 する。

 

『プ トゥ ン 目録

 

時代

は下るが 、 プ トゥ ン は訳 経 論 目録 を作 成 する に

して 『デ ン カル マ 目

録』

め と

る過 去の 目録類 を

照 した と され る。 この 『プ トゥ ン仏 教 史 』 第

4

章 「

経論

録」

に本 書が見 出せ る 16)。 す なわ ち、 プ トゥ ン は

 

の デ ン カル マ を承認、して い る。

 

『テプテ ル グ ンポ 情 冊)』

 

『テ プテ ル グン ポ

で は

先の ヴィ マ トラ

の ヴ ィマ ラ ミ トラ

との

2

き、 この ヴィ マ ラ ミトラ註 を

先の ヴ ィマ ラ ミ トラ」の著作 (

155

(4)

智 山学報 第五十 一輯 と してい る17)。

 

ただし、 ヴィマ ラ ミ トラ

2

人 説は ア メ リ カの

Flemming

 

Faber

に よ り

証 され、

否定

されて い る 18)

本書

こ こ で 問 題 に してい る

Vimalamitra

著作

として

題 ない

 

ア テ イ ーシ ャ註

 

ア テ ィ ーシ ャは ヴィ マ ラ ミ トラ註 を前 提 とし てお

復註

とも

ぶべ き 註釈 書で ある 19)。 この 立場はア テ ィ ー ャ 自身に よっ て認め ら れ明 言さ れて い る20) 。

 

こ の よ

に、

 

『デ ン カル マ 目録

におい て既に書

作者名

し て お り、

Vimalamitra

伝記

とあ わせて考 えて み て

も年代

的に矛

い こ と が

か っ た。 これは

 

プ トゥ ン 目

録』

 

テ プテル グン ポ 情 冊)

と い っ た

世の

威 ある 目録 ・歴史 書によっ て も承 認さ れ、 さ ら に

 

ア テ ィ ー シャ 註で も本 書が

Vimalamitra

の 作であるこ とは承 認さ れてい た 。

 

以 上 か ら、 ヴィ マ ラ ミ トラ註は

Vimalamitra

の真作 と考 えられ る。 ヴィ マ ラミ トラ註の成 立背 景

 

こ の ヴィマ ラ ミ トラ註 に対 し て は、 先 行 研 究の 中に

2

つ の 興 味 深い 評価が ある。

1

つ はコ ンゼ氏が プラシ ャ ー トラ註 を

し た

論文

序文

書い た

批 判 的」な評 価。 も

1

つ は ロ ペ ス 氏に よる

肯 定 的」な評

で 、 正

反対

とも

言 う

べ き両 極 端な評価であ る。

 

、 コ ン ゼ氏であるが、 氏は ヴィマ ラ ミ トラ註 を、 「全 く役に立 た ない 」、

詳細

ぎ、

懲 りす

ぎで

非体系

仏教 思想の 主流 を説 明しない

タン トラの素 人

奇妙

見解

伴 う」

と、 酷評 して い る 21) 。

 

一方、ロ ペ ス氏は、

Lopez1988 】

で、 ヴ ィマ ラ ミ トラ註 を

最 も学 識 豊か 22)

組織

的な文 体」 と評 し、

Vimalamitra

を 「チベ ッ トに訪れ た最 も有 力な イ ン ドの タ ン トラ ヨー ガ行 者の一 人23>」 「当時 中心 的想 家ga)

と評 価 て い る。

 

ま た、

Lopez1996

で も、 ヴィ マ ラ ミ トラ註 を

最 も

徹底 的

25)

大学 匠

(5)

              

Vimalamitra

造 『聖般若 波羅蜜多心 広 疏』研究序 説 (大八木) の仕

精 緻 な逐 語 釈

」 「

経 典 全

を組

的に進 む

細 部

水 準

釈 書 を凌駕 してい る26) 絶 賛

 

この照 的 な評価は何を意 味 するの か。

 

コ ンゼが言 う

タ ン トラ の 素人 」 とい う表現は問 題 が ある。

 Vimalamitra

は、 チベ ッ ト

密教

の ニ ンマ

に おい て、

の 祖 師の

1

人 に数 えられ る重 要 人物である。 ニ ン マ 派の 主 要教 義で あるゾ クチ ェ ン の 伝承 に

きな

置 を

め、 ツ ォ ク シ ン (血脈 画)に も必 ず その姿 を表 す。 し か も その 師は、 イ ン ドにおい て

大日経

金 剛頂 経

密 教 文献 の註釈 をな したこ とで知 られ る あの

Buddhaguhya

で ある。

 確

か に現在

わ る密 教 文 献の 中で

Vimala

血 traの 翻 訳

さ れて い る もの の 内に も、 後 世の 人 間 が著 者 ・訳 者不 明の もの を

Vimalamitra

に仮 託した可

能性

る もの は

ら れ る。 しか し、 彼

自身

の真作 と考 えられ るも の も

在 する。

 

また、 本 書は引用 文 献の

さが

1

つ の特徴 と なっ て い る が、 その中には密 教経 典であ る 『大 日経 』か らの引 用が

4

か所 見られる 27)。 こ うい っ た点か ら も、

Vimalamitra

はけっ して

タ ン トラ の 素 人 」な どで は な く、 む し ろ ロ ペ スが言 うように、 当 時有 数の タ ン トリス トであっ た可 能性の方が高い 。 ゆ えに、 この ような評価はあた ら ない 。 おそらく誤 解か ら生 じた もの と思わ れ、 問題と はな らない

 

こ こ で 問題 に な るの は、 こ の ヴ ィマ ラ ミ トラ註 ほ どの

きな

規模

に よ る

PPH

の註釈 を、 「煩 瑣 」と見るか、 「精 緻 」 と見るかで ある。

 

この 問 題の

が か りと して 、

本書

の 成 立

景 を

え、 どうい う意図で

書 が述 作 されたの かを見て みる こ と にする。

 

、 本 書の 成立 につ い て ロ ペ ス 氏は、

Vimalamitra

が チベ ッ トの 僧

に おい て、

PPH

を媒 介 と して仏 教 思 想の 幅 広い 話 題 を提 供 し、 講

した もの と想

し28) 、 本 書はその 講 義メモ だ とした 29) 。

 

ロペ ス

摘 す る ように、 こ の こ とは本 書の colophon か ら

測で

る。

  Tshangs

 

pa

i

byung

 

gnas

 

gtsug

 

lag

 

khang

 

gnas

 

pa

il

(6)

智 山学報 第五十 一輯

   ノ

dge

 slong  

dge

dun

 rnams  

kyi

 zhal ngor  nil

   

lshes

 rab 

pha

 rol 

phyin

 

pa

i

 snying  

Po

 

yi

  

1rgya

 cher  

bshad

 

pa

 

dri

 ma  med  

pas

 

byasRo

  

訳 )

Tshangs

 

pa

i

byung

 

gnas

寺 に住 する

     諸

比 丘

に、

     Prajfiap

巨ramita −

hrdaya

       註釈をヴィマ ラ ミ トラが施 した もの である。

 

Vimalamitra

Khri

 srong  

lde

 

brtsan

王に

招聘

され チベ トに 入 っ て か ら、

い ま だ仏 教の本 格 的

入か ら日の浅い チベ ッ ト人僧 達の

に、 仏 教 思 想概 論 の よ うな講 義を行 っ た。 その た めの教本 と して用い ら れ たのが

PPH

で あっ た と

えられ る。 そこ で 、

Virnalamitra

PPH

の語

を説 明する 中で、 広 範 な仏 教 思想 を網

的に

紹介

して い っ たの で ある。

 

実際、

本文

に そ

い っ た

雰 囲気

し出して い る。

1

つ の

語句

か ら関 連 する仏教思想の 要語や概

を展 開 し、 そ れ ら を組 織 的 ・体

的に示 し、 時 に は語

に紙 幅を費や し、 ま た時に は他 説 との 比較 を試みて い る。   そして一々 に経 典 ・論 書か らの引 用を施 し証 拠 とする。 こ の 引用 文 献の 中 には

密教者

らしく

経』

を連 ねて い る。 全

般的

中観

唯識

心 と した

乗思 想に よ る解

が行わ れ る が、 時には説 一切 有 部 や経 量 部 っ た部派仏 教や 、 ま た ミ ーサ ー学 派 認識 論 も引 き合 れ る 入れ様で ある。  た しか に、 こ の よ うな ヴィ マ ラ ミ ト ラ註は、 た ん に

PPH

の 内 容 を理解 す る為 には煩 瑣 に過 ぎる感が無い で はない しか しな が ら、これ を「仏

論」

と とる と どうだろ うか ?

 

実に精 緻で 切 丁

印象

け る。

 

こ の よ

に、

Vimalamitra

を はじめ、 パ ー 王 朝 期 ド人

チベ トと関係の あっ た もの た ちが、

突然

々 に

PPH

に興

を示 し註

をあ らわ したの は、 チベ ッ ト とい う仏教の途上 国におい て仏 教 を講 義 する の に、 その テキス トと して

PPH

が極めて有 効だ っ た か らで ある とロ ペ ス氏 は

摘 する。 そ して 、 講

用テキス トと して の

PPH

の有 用 性 と して、氏 は

(7)

Vimalamitra

造 「聖般若 波羅蜜 多心 広疏 』研 究序説 (大八木) 次の

4

つ を挙 げる31) 。

   短

い の で

え易い 。

 

 

基礎 的な仏 教の 教 義 との 関連 を

ん でい る。

   簡潔

ゆえに

昧で あ るの で 、

学 匠が 自分の思想 傾 向に沿っ て解 釈で き    た。

 

 

マ ン トラを含ん でい る の で 、

教 に興

つ チベ ッ ト人 にアピ ール で

   き

た。

 

ヴ ィマ 註は

PPH

の まさにこ の よ

な特 性 を十 分生 か し て述 作 され た 註釈書 とい

ことがで き る。 ヴィ マ ラ ミ トラ註に対 するロ ペ ス氏の 好 意 的 評価は 以 上の ような成立背 景を踏 まえた もの で あ り、逆 に、 コ ンゼの 批 判 的 評価 は こ うい っ た背 景 を踏 まえた もの で はな く、 あ く まで

PPH

の 註 釈書 と しての

であっ た と

えられ る。

 結論

と して、 ヴ ィ マ ラ ミ トラ註は

Vimalamitra

が入 蔵 後にチベ ッ ト僧 達の

に、

PPH

をテ キ ス トと して仏 教 学の 概 論 を講

した もの であ る とい え、 その

内容

は、 こ の よ

な条件 を反映 した もの と なっ て い る。

 

この 為、成 立 年代 は

Vimalamitra

蔵 期 間、 すな わ ち

A

D

797

810

えられる。

用の

PPH

 

本 書は逐 語釈であるの で 、

本文

語句

一 々 し、 註

してい る。  その本 文の 語句をつ な ぎ合わ せ る こ とで

Vimalamitra

が本 書を述 作 する に あたっ て依 用 した

PPH

を再構 成 し再現 する こ とがある 程

で あ る。

 

そこ で、 この 方法を用い て

Vimalamitra

依用 の

PPH

を想定 し、 そ れ が現

する

PPH

の サ ン ス ク リッ ト キス トの 、 どの

統に属 する もの か、 ある い は

も近い の か を

考察す

る こと に

る。

 

な お、 本 書で は

他の 写 本 には」とい っ て 、

Vimalamitra

が直 接 註 釈 に依 用 した

PPH

とは別の テ キス トとの 相 違 点 を挙 げてい る個 所が幾つ あ り これ につ い て も

考察

すること に

る。 (159)

(8)

智 山学 報第五十 一輯

1

チ ベ 大蔵 経 所

収 PPH

  先 ずは チベ ッ ト語 訳の

PPH

Vimala

itra

依 用の

PPH

と を比 較 して み る こ とにする。

 

チベ

大蔵

経 所

PPH

は大本の みで小 本は無い 32) の訳 者は

Vima

lamitra

で ある が、 こ れが実 際 に

Vimalamitra

に よ る もの か ど

か は

確 認

ない 。

デ ン カル マ

目録』

には

phags

 

pa

 shes rab snying 

pa33

とある

が、 訳 者名は無い 。 た だ、

28

シ ュ ロ

shlo 

ka

 nyi shu rtsa 

brgyad

あ るこ とか ら、 大 本で あっ た ことは確か である。

 

デ ル ゲ

チベ

Vimalamitra

と伝 え られ る

PPH

が般 若 部 と タン トラ部の

2

収録

されてい る34) 。

 

こ の両

PPH

数種

の チベ 語 訳

PPH

詳細

較検討

し た

が、 シ ル ク氏に よ っ て発 表さ れてい る 35)。

 

シル ク氏 は、 チベ ッ ト語 訳の

PPH

諸 本 を

Recension

 

A

B

とに

け、 

Re

− cension  

A

を タ ン トラ部

系統

PPH

、 

Recension

 

B

を般 若 部 系 統

PPH

と し た36) 。

 

こ の両

系統

PPH

を比 較 する と細 部に違い が見 ら れ る が、 そ の

を 見 たとき、 タ ン ラ部系 統の

PPH

が 必 ず し も内 容 的に密 教 的で ある とい

わけでは ない 。

 

ヴ ィ マ ラ ミ トラ註か ら

元 し た

PPH

が この

Recension

 

A

B

の い れ に 近い か とい え ば、 下表の通 りで ある 37)。

Paragraph

Recension A or B A (

Skt

Utle

) omits

B (Tib,title) omits

C lnvoca丘on om 三ts

D R  ension  A

E

R

  ension 

B

(9)

Vimalamitra

造 『聖般若波羅蜜多心 広 疏』研究序 説 (大八木)

G

Recension

 

B

H ?

1

Recension A

J

Recension

 A K △  北京版は B を とり、デ ルゲ 版は A をと る語 も。

L

R

  ension  

A

M

Recension

 

A

N ?

0

Recension

 

A

 た だ B の要素 も僅 かに含 む

P

Recension

 

B

Q

R  ension A

R

Recension

 B   両 者 し な ど ち ら か とい え ば。 S   ,onuts T ?

u

V

Recension

 

B

W ?

X

End

 tie) o血 ts Y

Colophon

)   ,omlts *Recension A … …タ ン ラ部系 PPH  

Recension

 

B

… …般若 部系

PPH

(?…語句不足のた め不 明。 △ …両 者の 要素を含む)

 

この 一

に よ りパ

Recension

 

A

相 当

もの

8

Recension

 

B

に相 当 する もの

5

、 ヴィ マ ラ ミ トラ註に 無い もの

6

、 語

不足の た め不 明の もの

4

、 両

要素

む もの

2

とい

う結果

となっ た。 つ ま り、 しい てい うな らば

Recension

 

A

に近い とい え る が、 実 質 的には ど ち ら と もい え ない とい のが結論であ る。   以上 か ら、

Vimalamitra

が註釈 に用い た

PPH

テ キス トは現行のチベ                     (

161

(10)

智 山学報第五十一輯 訳

PPH

諸本 と は異な るもの で ある こと が明らか となっ た。 そ こ で 、

に サ ン ス ク リッ ト諸

写本

によ り、

Vimalamitra

が依 用 した

PPH

を推 定 する。

2

サ ン ス ク リッ ト諸 写 本との 比

 

ヴィマ ラ ミ トラ註で は、 註釈の 中に

yi

 

ge

  a cig 

las

(あ る写 本か ら)」 と い っ て

Vimalamitra

が用い た

PPH

テ キス トと は別のテキ ス トとの相 違 点を 指 摘 してい る個 所が

3

る。 ま

は この

考察す

る。

 

evarp の

 

シ ル ク氏の パ ラ グ ラ フ で言え ば

E

の部 分、

ま た、 その時、 聖観 自在 菩 薩 摩 訶 薩は、 甚 深 なる般 若 波 羅 蜜の行 を照見 し て」の後に、

evarp (次の ように)」 とい

が 入 るテキス トもある とい

  

yi

 

ge

 

kha

 cig 

las

di

 

ltar

 zhes ’

byung

 

ba38

  

)あ

る写

では、 evam とい

 

チベ 語 訳

PPH

Recension

 

A

B

と もに、 こ の 「’

di

 

ltar

とい う語 は該 当個 所に存在 し ない 39)。  一方、 サ ン ス ク リ ッ ト写本に依れ ば該 当個 所は次の ようであ る 40) 。

 

1

慧 運本 (

1

2

)/

2

.慧 運 本 (

3

)/

3

.寛 喜 本 /

4

Feer

本 /

5

.支 那

本/

6

Nepal 本

 

1

pr

淞 一

P5ramit

盃珥 carya 甲

     

evarp  vyavalokayati  smal

 

2

pr

舩 一

pdramit

 

P

 caryfirp caramtipa  eva vyavalokayati  sma :

 

3

prajfia

pdramita

−caryalp  caramano

    

vyavalokayati  

yad

 uta 二

4

.跏 adh   a一

y

       

vyavalokayati  sma :

 

5

.natna  

dharma

paryfiyarp

        

vyavalokayati  sma :

 

6

pr

觚 一

pdramitatp

 cary 翫rp

        

avayavalokayati  sma

 こ れに よ れ ば、 evam があるの は

1

2

だけである か ら、 ヴ ィ マ ラ ミ トラ

註にい

る写本

はこ の

1

2

と同系 統の テ キス である可 能性 が ある。

(11)

        

Vimalamitra

造 『聖般 若波 羅 蜜多心広 疏』研 究 序説 (大八木 ) が、

4

5

らか

な る 、 残る

3

6

可能 性

こ とに なる。 しか し、

3

2

同様 に caramana とい う語が

1

い 。 こ れ は ヴィマ ラミ トラ註 に は見 られ ない の で、

果 的に

6

が最 も近い と言える。

 

tena の有無

 

Paragraph

 

G

の 「

深 なる般

若波

羅 蜜

ずる こ と を望む者は どの よ うに学ぶべ きか

とい う文つ い 、 ある写 本に は

望 む者

の 後に

彼は (

des

/tena>

が 入 っ てい る とい

  

yi

 

ge

 

kha

 cig 

las

 spyad  

par

 

byed

 

par

 ’

dod

 

pa

 

des

 zhes  ’

byung

 ste/41)

  

訳 ) ある写 本で は、

行を行 ずる こ と を望む者、 彼は (tena)」 と言 っ て、

 

ち なみ に チベ ッ ト語 訳で は

Recension

 

A

B

ともに

des

ん でい る 42> 。

 

サ ン ス ク リッ ト写 本の

当個 所は

の とお りである43)。

 

1

.慧運本 (

1

2

)/

2

.慧運本 (

3

)/

3

.寛

本 /

4

Feer

本 /

5

.支 那 本 /

6

Nepal

1

 galpbhif

y

pr

丘五一

pdramitayarp

2

 

ga

bhif

y

 

prajfi

巨一

pfi

]〔amit員

yarP

3

garpbhi

p p

箙 一

p

血amit 五一cary 互甲

4

 

garpbhif

y

praj

 

fiE

p

互ramit 盃

y2rp

5

 ga

Lbhlfaya 1 

prajfiti

p

翫amitay 査

calya cartu −

kamena

         

kathalp

 

Sik

§

itavya

り?

caryiliP cartu−

k

亘ma り

         

katha

Sik

itavya

り? carIu−

kamas

 tena

         

katha

叩 cartavya ? va並ta−

k

盃mas  tena

     

katha

p

 

Sik

§

itavyalp

? cartu−

k

豆mas  tena

         

katha

Sik

§

itavya

p

 

6

ga

耳1bh意 盃

y

p

 

pr

茄 一

pi

虻amit 盃

yi

cary醗 cartu−

k

巨mas  tena

                

katha

叩 蠢

ik

itavyaiP

? こ れに よれ ば、 tena が

まれ るテキス トは

3

4

5

6

である。

 

4

5

文脈特 異あ るの で

3

6

「あ

と同 一系 統

(12)

智 山学報 第五十一輯 ある可 能性がある。

 逆

Vimalamitra

が註

に用い た テキス トは

1

2

とい

こ とにな る が、 これで は

 

結果

と矛 盾 して しま

Vimalamitra

の テ キス トが

現存

PPH

サ ン ス ク リッ ト諸 写本 と は異な る未 知の 写 本で あ る と して も、 引 き合い に出 さ れ る

あ る写 本 」が、 やは り別

統の ある単 一 の写本で ある の か、 ある い は複 数の 写本に言 及 して い る のか は不 明で ある。

 

navidya (?)の

有無

 

Paragraph

 

O

の、 「苦も、 集 も、 滅 も、 道 も無 く、 智 慧 も無 く、 得 る こ とも 無 く、 得ない こ と も無い の で ある」とい う文の中、 「智 慧 も無 く」の後 に、 「無

知 も無い の で ある (mi shes 

pa

 med  do /navidyE 」とい う語が付 く写 本がある と

  

yi

 

ge

 

kha

 cig 

las

 m 量shes 

pa

 med  

do

 zhes  

kyang

byung

 ste44)

  

ある写 本では、

無 知 も無い の で ある

とも言 っ て   チベ ッ ト語 訳で は、

Recension

 

A

B

ともにこの 語 は入 っ て い ない45)。

 

サ ン ス ク リッ ト写本の

該 当

個所

の とお りであ る46) 。

  1

.慧 運 本 (

1

2

)/

2

.慧 運 本 (

3

)/

3

4

Feer

本/

5

.支 那

6

Nepal

 

1

. na 

dubkha

−samudaya −nirodha −mdrga ;, na 

jfiatlalp

 na 

prapti

 naprapti.

 

2

.na 

du

kha

− samudaya −nirodha −m …

irga

, na 

jfianaTp

 na 

praptir

 napraptih ,

 

3

.na・

dukha

samudayanirodhamhrga   na 

jfi

inam

 na 

praptir

 nabhisamayab

 

4

.na 

dubkharp

 na samudayo  na nirodho

 

na mdrgo  na 

jfidnam

 na 

pr

ptir

   napraptih .

 

5

.na  

dUbkha

−samudaya −nirodha −mdrgA  na  nUparp

 

na  

jfi

inaTll

  na 

praptir

   n蕊

praptih

 

6

.na 

dul

 

kkharp

 na samudayo  na nirodho

 

na

 

m

g

 

nm

gna

,  na

 

rUpa

  

jfiEnarp

 na 

prEptir

 napraptih .

(13)

Vimalamitra

造 『聖般若 波羅蜜 多心広 疏 』研 究 序説 (大八木)

とい

う句

出せ ない 。

Vimalamitra 当

時に

在 した未 知の写 本で あろ うか。

 

1

4

こ ろは無い 。

3

の最

na  

pr5ptir

 n五

bhisama

yalj

] と なっ てい る が 、 これ は玄 奘に よる

PPH

S

サ ン ス ク リッ トテキ ス トの

漢字音写本

にも見 られ る 47)。

藤田

1939A

の 註で は 、 nfibhisamaya をna 

pra

ptir

の註

語 と して い る。

4

は単 語の併 記を開い て 一 na

文脈

上の影 響は無V 

 

れ に ろ、

Vimalamitra

が用い た テキ ス トは 「無 知 も無い の で あ る」 の

を除い た もの で ある。

 

maha の有 無

 

ヴィマ ラ ミ トラ註 中に指摘 は無い が、

Vimalamitra

依 用の

PPH

テ キス トを

る 上で

用 な

徴 ある語がある。

にこの 語につ い て考 察 する。

 

Paragraph

 

R

4

つ の mantra を説 くとこ ろ におい て、 ヴ ィマ ラ ミ トラ註で は、

  

h

・ ・rab ・

kyi

ph

lt

phyi

p

・’

i

・ng・

g

・ch・n 

p

・48>

  

)般i若波

羅蜜の大 真言 と復 元で きる

がある。 こ の chen  

po

(maha )が問題 とな る。

 

当個 所 をサ ン ス ク リッ ト写本、 チ ベ ッ ト訳、 漢訳で 見て み れ ば次の とお りである。

 

、 サ ン ス ク リッ ト諸 写 本 49)

 

1

.慧運本 (

1

2

)/

2

.慧 運 本 (

3

)/

3

寛 喜本

4

Feer

本 /

5

.支 那 本/

6

Nepal

 

1

prajfiapai

 amita  mah …

imarPtro

 

2

prajfi

pa

珪amit 亘 maha  amtro

 

3

Prajfiapilramita

−mahamalptro

 

4

prajfi

paramita

一皿 antro

 

5

prajfiapdramit5

−maiptro

 

6

prajfiapdramitE

−mantrab

(14)

智山学報第五十一輯

 

以上 か ら、

1

3

mah と、

4

6

maha

の との

2

つ の

系 統

る こ とが わ か る。 当 然 chen 

po

(maha )が

っ た

Vimalamitra 依用

PPH

はこ の

1

3

系統

に近かっ たこ とが

測 し得る。

 

に チベ 語 訳 て み る

Recension

 

A

B

と もに こ の chen  

po

が無 い こ とが わ かる。

   

shes rab  

kyi

 

pha

 rol 

tu

 

phyin

 

pa

isngags50

 

こ こ で 問 題 なの は 、 ヴ ィ マ ラ ミ トラ註の

PPH

に は chen  

po

が あ り、 チベ ッ ト語訳

PPH

L

にはこれが

い とい

う点

る。 なぜ な ら、 

PPH

L

をチベ ッ ト

したのは

な らぬ

Vimalamitra

だか らで あ る51) 。

 

次に、 漢訳 につ い て見て み れ ば、 漢訳

PPH

L

 

5

本の 内、 施護 訳の み 「大

を欠 く。 「

大」

だけで は な く、 こ こ で は 「是

廣大

明 ・是無上明 ・是無 等 等 明

3

つ の mantra しか説か れて い い 52)。 すな わ ち、

大 」が形 容 すべ きman − traの

1

つ が は じめか ら無い の である。 サ ン ス ク リッ ト諸

・チベ ッ ト語訳 諸 本 に は こ の よ

3

つ の Inantra を説 く もの は

られ

4

つ の mantra で mahE が

るか

い かの 問題で ある。

 

PPH

S

を見てみ る と、 

PPH

S

サ ン ス クリ ッ ト諸 写 本 には すべ て こ の maha があ り53) 、 また、 敦 煌出 土 のチベ ッ ト語 訳

PPH

S

に もchen  

po

があ る。 た だ し、 漢訳

2

の 内、 玄 奘 訳 に は 「大 (神呪)

が ある が M )、 鳩

摩 羅

什 訳 に は この 「

大」

が ない 。

大 」だけで は な く、 こ こ に は施 護 訳と同様 に

3

つ の mantra しか説か れて い ない55) 。

 

PPH

に は

3

つ の mantra を説 くテ キ ス トと

4

つ の mantra を説 くテ

キス トが あ り、

4

つ の mantra を説 くテ キス ト に は

第 1

の ma 皿traに maha を つ る テ キス トとつ い テキス トとが る こ と に な る。 こ の 内、

3

つ の mantra しか

か ない テキス トは鳩 摩 羅什 訳

PPH

S

と施 護 訳

PPH

L

2

つ だ けで 漢 訳だけとい う点 が興 味 深い 。

 

この

3

つ の mantra と

4

つ の mantra とい

か な

か に つ い ては 、

章悟

氏に よ り鳩

摩羅什

訳 を

心 とした

詳細

な研 究が発

され てい る56) 。 これ によ れ ば、

鳩摩

羅什 訳は玄奘 訳 よ りも

に成 立 し 漢訳

(15)

Vimalamitra 造 『聖般若波羅蜜多心広 疏』研 究序 説 (大八木) 品般 若

と玄 奘訳 を底 本に偽 作 さ れ た経典で ある と さ れる 57)。 渡辺氏に よれ ば 、

  「

般 若 心 経 」 と拡 大 般

諸 経 との

る と、 前 者がマ ン トラを説 く

  

に対 して

者はヴィデ ィヤー を説 くとい

う大

きな

い が ある。

しくい

  

えば、 拡

の 中で も玄奘 訳

大般 若 経 』の み が

般若

経」

  

含 ま れ る 「大神呪」maha −mantra を説 き、 その maha −mantra を欠い た 三

  

つ の 明呪vidya の

こそ が 、基 本 的には拡 大 般 若 諸 経の 型 的

現 と    い える の で あ る58) とあ

鳩摩 羅

什 訳はこ の拡 大 般

経である 『

品般

若』

を引い た為に

3

つ の mantra の

形式

となっ た と

え られる とい う。

 

した が っ て、 鳩 摩 羅 什訳は

撰であ

偽 未

確定

の 施 護訳 を 一応 真撰

える ならば、

3

つ の mantra し か説か ない

PPH

は 施 護 訳

PPH

L

こ と に な るQ  

Vimalamitra

につ い てい え ば、 

Vimalamitra

に よ る チ ベ ッ ト語 訳

PPH

L

4

つ の 皿 antra を

くテ キ ス ト の 内、 第

1

の mantra に maha をつ けない テキ

ス トで あ り、 ヴ ィマ ラ ミ トラ

で 依 用 さ れ た

PPH

L

maha る テ キ ス トであっ た。

 

以 上、

Vimalamitra

が 註釈 に際 して依 用 した

PPH

に つ い て、

彼 自身

が 示 す 他 本 との 比較を中心 に見て きた わ けで ある が 、 特に註 釈 に用い た

PPH

Vi

− mala 血 tra訳 と伝え ら れ る チベ ト語 訳

PPH

L

と を表に して比較 すれ ば次の 通 りである。   evam

    .

 

tena   navidya   mah 亘

Tib

. 

PPH

L

× ○ X × PPH (from Vimala ’s) × × X

 

これ で わ か る ように 、 両者は 「

 

tenaの 有

無」

・「

 

maha の 有 無 」 とい

2

つ の に おい て一

し ない これ を ど

考 えるべ きか。 い くつ か 可能 性を

えて み たい

167

(16)

智 山学報 第五十一輯

 

1

註釈

訳 とで用い た テキス トが異 なっ てい た可

能性

る。

作業

の内容か ら推して、 註 釈は

Vimalamitra 自

身が記憶 して い た

PPH

を もと に し

理 的なテキス トは用 意 し な かっ た可 能性が高 く、 一 方、 翻 訳の

らかの サ ン ス ク リッ ト写

を もとに行っ た可 能性が高い 。 その 場 合、 その サ ン ス ク リッ ト写

が既チベ ッ ト国内に

存在

してい た もの なのか、 それ とも

Vimalamitra

が 自ら

請来

し た ものか は わ か ら ない が、 

Vimalamitra

記憶

し日 常 的に暗 誦 して い 写本 差 異 可 能性

にある。

 

もう

1

つ の 可 能 性は チベ 語 訳

PPH

L

Vimalamitra

と に 対 する疑 問である。

 

ヴィマ ラ ミ トラ註につ い て は前述 した よ

に、

デ ンカ ルマ 目

録』

に Vima −

lamitra

と して

明記

されてい るこ と

か ら

撰 と

る。 しか し、  

PPH

は、 タ イ トル のみで訳 者 名 が記 されてい るわ けでは ない 。

28

シュ ロ ーカ とい

とこ ろか ら、

デ ン カル マ 目録』以前に

PPH

L

が チベ ッ トに

在 した の は間違い ない が、 訳

は不 明で ある。 colophon につ い て も、 

Recension

A

だ け に

ら れ るの で あっ て

Recension

 

B

には

られ ない 。 ま た、 前 述 し た通 りアテ ィーシャ 註に本 書の

大 な影 響が

ら れ ることか ら、 本 書は後 伝期 に なっ て も

影響力

をもっ て い た とい うこ と に な る

い っ た後 世へ

影響力

と、

述の

幻 化 網 タン トラ

旧訳の

訳者

の問題

をあわせて

える と、 こ の チベ 語 訳

PPH

L

訳 者

た し

Vimalamitra

っ たのか 疑問 である。 これ は後 世、

Vimalamitra

に仮 託 さ れ た もの で は ない の か。 そ の 可能性 も

1

提 示 て お きたい 。

 

さて、 結 論で ある が 、

Vimalamitra

が註 釈に際 し依 用 した PPH は

の サ ンス クリッ ト諸

写本

の い

れの

統に属 するか とい え ば

残念

なが ら一致 する もの は無か っ た。

 

で は、 強い て どれに近い か とい えば、

1

.慧運本 (

1

2

)と

2

.慧 運本 (

3

) に

傾 向

で は

る。 ただ し、

 

 

問の 矛 盾 等を考えれ ば、 お そ ら く

1

。 慧 運 本 (

1

2

)と

2

.慧運本 (

3

)の系 統 と近い もの で は あ る が 、 現 存の諸

(17)

Vimalamitra 造 『聖 般若波 羅 蜜多心広 疏研 究序 説 (大八木) 写

とは またの テ キス トが

存在

してい た と考 えるの が 自然であろ う。 ま  と  め

 今

回は ヴ ィマ ラ ミ トラ註の内容 を直接 考 察 する もの で は な く、 真 偽 問題 ・ 成立 問題 ・

用の

PPH

問題 とい っ た、 本 書の背

にある問 題 を

研 究

した。

 

真 偽 問題は、 比 較 的

代の

資料

い 中、

推定

さ れ る本 書の成立

か ら わ ずか

20

年 程たっ て成 立 した

デ ン カル マ

本書

タ イ ト

著者名

が 明

されてい ことか ら、 こ れ を

真撰

と した。

 

成 立問題 は 主 に colophon に よ り考 察 し た。 先 行 するロ ペ ス 氏の 研 究 もあ り、 結 果、 本 書は

Vimalamitra

が チベ ッ トに 入っ て か ら、 

PPH

をテ キス トに 用い て チベ ッ ト僧 達に仏 教 概 論 を講 義 した、 その 講

メ モ ・

の よ

な もの である こ とを

測 した 。

 依用

PPH

問題では、 ヴィ マ ラ ミ トラ註に引か れて い る

PPH

本 文 を再

成 する こ とで

Vimalamitra

が用い た

PPH

テ キス トを再 現 し、 これ が現

す る写 本 類の い れの 系統 に属 するか を

考察

した。

果、 ある

程度

似 た写本の

系統

指摘

で きる ものの 、

全に 一

する もの で は な く、

Vimalamitra

が依 用した

PPH

は未知の写 本で ある こ と を確 認 した。

 

以 上 は本 書の性 格を知る上 で重 要 な問 題で ある ばか りでな く、

8

か ら

9

世 紀にか けて の イン ド仏 教 黎 明期の チベ 仏教 を知 も重 要 な 題で ある。 今 回の研 究では十分

考察

で きなか っ た

部分

もあ

、 さ らに、 まだ 幾

の 未

の 問 題 を

して もい る。 これ ら につ い て は別の機 会にさ らに考

を進め たい Q

1

) チベ ッ ト大蔵経所収の

PPH

註釈書の 内、 

Kamalasila

の註釈書は北京版の 系統に は    収め られ てい る が、 デ ルゲ版の系 統に は未収で ある。 故に、 北 京版に は

7

本が 、 デ    ル ゲ版には

6

本が収録さ れて い る。 (169)

(18)

智 山学報第五十 一輯

2

本 稿で は、Vimalamitraの伝記は基本 的に deb ther sngon  

po

(青 冊)に依っ た。

 

【青冊 (英 )】George N . Roerich THE  BLUE  

ANIVALS

, (

Part

 

1

1949

, 

Part

 

2

 . 

1953

3

)  『註般 若波羅 蜜心経 』(卍 続蔵経新纂第

26

巻 、

720a

723a

)で 、タ イ トル の次に 「中 天 竺 國 沙 門 釈 提婆 註並序」 と あ る。 これ があの 中観 派の

Arya

deva

だ と した ら

4c

 

半 とい う 『心 経』の成立年 代 (cf.【渡 辺

1991

p .

80

 

lL

 

4

7

)との 関係上矛盾が 生 じ る。 ま た脚注に も 「中等十二字恐後人 所加」とい う (

720a

脚 注)。 この こ と か ら 同書は中国で成立 し た もの と も考 えら れ る が、 一 、 提婆の作で はな く ともイン ド  人の手によ るもの、との見 解 もある (cf.金 岡秀 友 『般 若 心経 』講 談社 文 庫/

1973

p

171)

。 筆者は同書に対 する考 察を ま だ十 分に行っ て い ない の で、 今は 一 イン ド 撰述の註釈 書と して挙 げてお くこ と にする。

4

)  こ れ ら

7

本の註釈 書各々 に対する先行研 究につ い て は、拙 稿を参 照さ れ たい

  

cf.【八 木

2001

】「

Vimalamitra

造 prajfiEpfiramita

hrdaya

訳研 究 1)」、『

  

山 教学 大会紀要』

29

pp

2

4

横 組   ちなみ にス タイン による敦煌 出土のチベ 語 文献

NQ122

126

経』 註釈 書で、 この 内の

NQ122

124

125

が プラ シャ ー ラ セ 

NQ123

126

が  ジュ ニ ャーナ ミ トラ註に そ れ ぞ れ 比定さ れてい る。    cf.東 洋文庫チベ ッ ト研究 委員 会編 『ス タイン蒐 集チベ 語文献 解題 目録 』vol

  2

、 東 洋文庫 (

1978

)、pp .

47

51

5

) この他に Vairocana に よ る註釈 書が チ ベ ッ ト大 蔵 経 中に収め られて い る。 た だし、

 

この註釈 書は中国の成就 者 舘silphaの に チベ

vairocana

解釈を加  えて テ ィソ ンデツェ ン王 に講義した もので、イン ドにお ける註釈やイ ン ド人に よ る註 釈 とは一線を画す必 要がある。 よっ て、 こ こ では取 り上げな かっ た。

  

Vairocana;sher snying  ’grel pa sngags  su ’grel pa (『般若心註真言註 』)

        大谷

NQ5840

、東北

NQ4353

(台北版

NQ4358

)  この Vairocana 註には和訳研 究が ある。    酒井 紫郎「西 蔵文般 若心経並 に註疏和訳 」、 『文 科』

4

5

仏 教文化 特輯 号

1939

6

)  デ ルゲ版には、高野 山大学 所蔵デ ル ゲ版か らこれ ら註 釈書の み を謄写 版 と して出 版 した、 榛 葉元水 『西蔵文 般若心経註 釈全集』相模 書房 (

1938

)が あ る。 同書は現在 入手困 難である が、 同 じ高野山大学所 蔵デルゲ版の

CD

ROM

や、 デル ゲ版の リプリ  ン トで ある台北版で軽に見る こ と が 可能である。

 

『デルゲ版 西蔵 大蔵 経

 

CD −ROM 小林 写真工 業 (

1999

)、論 疏部 DiskNQ13  「台北版 西蔵大 蔵経 』vol .

34

、 

NQ3823

NQ3828

7

)  序分 ・流 通 分 を付さ ない

PPH

で、漢訳の鳩摩訳 ・玄奘 訳に相 当する。

(19)

Vimalamitra 造 『聖般若 波羅蜜 多心 広疏 』研究 序説 (大八木)

8

) 序分 ・流 通分を付 す

PPH

で、 漢訳の法 月訳 ・般若訳 ・智 慧 輪訳 ・法成訳 ・施 護訳

 

に相 当する。 因に、 大本 ・小本につ い て 、 広 本 ・略本とい う呼び 方 が あ る が、広 略と

 

う語成 立 史上の 前後関係を想 定する と も考え られ る の で、PPH は小本を増広 し  て大本が編纂さ れ た とする筆者立場で は承認し得 ない よっ て、筆 者は大小 に 用 語   を統一 してい る。

9

 

【Lopezl988】

D

S

Lepez

Jr

.,

The

 

Hear

 Sutra Exptained

Indian

αnd  

Tibetan

             Cemmentaries , 

State

 

Unversity

 of New  York Press

  

【Lopez1996

D

S

Lopez

Jr

.,

Elaborations

 on  Emptiness ’

Uses

 of 

The

 

Heart

 

Sutra

             Princeton Unversity Press

lO

 

Lopez1996

11

) cf.松 長 有 慶 幻化 網タン トラ の性格 」、 『印仏研』

8

2

196Q

)、 p .

550

  

松 長有慶 『密教 経典 成立史論』(

1980

)、 『松長有 慶著作 集』第

1

巻 、法 蔵館 (1998

 

p

.240

12

 

北京版西蔵大蔵経

NQ5851

367a

1

4

13

 

【芳村

19501

 SHYUKI  YOSHIMURA THE  DEj>]CtlR− M4

, RYUKOKU  

UNIVERSITY

、  

P

5014

) 芳 村修 基氏 ・山口瑞 鳳氏の に よる。

 

cf.【芳村

1950】pp

9

14

  

山口瑞鳳 「『デ ンカルマ 八二 四年成立説」、 『成田山仏 教研 究 所紀要』

9

1985

15

 

【Lopez1988 】

 

P

13

 

ll.

19

21

16

) 西 岡祖秀 「『プ トゥ ン仏 教 史』目録 部索 引」

1

、「東京大学 文学 部文 化 交流 研 究施

 

設 研 究紀要』

6

1983

)、 p .

50

NQ533

17

 

【青冊 (英 )】Part 

1

, p .

192

18

He

 

ing

 FaberVimalamitra−

One

 or 

Two

Studies

 

in

 

Central

 and  East Asian Relig−

 

ions

2

1989

),

pp

19

20

。 た だ し、本 論文 執筆 時点で筆 者は同論文 未見であ り、【

Lopez

 

l996】

p

9

, 脚注

7

よっ た。

19

) cf.望 月海慧 「a百

6a

Prajfia

hrdaya

−vy5   ya につ い て」『印仏研 』

39

− 

2

’ (

1991

  

Lopez1996

】p.

8

20

  【アテ ィーシ ャ註】北京版

333b

L2

21

) “For that we  have to turn to the seven  lndian commentaries  preserved 

in

 

the

 

Tanjur

 though

 the 

first

 and  longest in the list the Tik互of Vimalamitra (ca800

, is none  too help−

 

fU1

. 

Laboured

, over−elaborate and unsystematic  

it

 

does

 not always  represent  the main

 stream  of Buddhist thinking. A lay Tantric, with  often strange views, 

Vimalamitra

 could not

参照

関連したドキュメント

全国の 研究者情報 各大学の.

シークエンシング技術の飛躍的な進歩により、全ゲノムシークエンスを決定す る研究が盛んに行われるようになったが、その研究から

 21世紀に推進すべき重要な研究教育を行う横断的組織「フ

   ︵大阪讐學會雑誌第十五巻第七號︶

 5月15日,「泌尿器疾患治療薬(尿もれ,頻尿)の正しい

Next, cluster analysis revealed 5 clusters: adolescents declining to have a steady romantic relationship; adolescents having no reason not to desire a steady romantic

〔追記〕  校正の段階で、山﨑俊恵「刑事訴訟法判例研究」

Council Directive (( /((( /EEC of (( July (((( on the approximation of the laws, regulations and administrative provisions of the Member States relating