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書評 山田秀 著『人間と社会──自然法研究』

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Academic year: 2021

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(1)■書評. 山田秀著『人間と社会──自然法研究』 永合位行(神戸大学). 本書は、『ヨハネス・メスナーの自然法思想』. 著者は、伝統的自然法論だけでなく、教育哲学、. (成文堂、2014 年)に続く、山田秀先生の長年に. 自然人類学、家族社会学の諸成果を取り入れなが. わたる自然法論の諸研究をまとめられた大著であ. ら議論を展開する。そのうえで、家族の根本的意. る。前著が、そのタイトルに示される通り、著者. 味、すなわち、家族が人間本性に根ざす自然法の. の自然法論研究の基盤ともなり、導きの糸とも. 諸原理を直接に体得する場であることが示される。. なった伝統的自然法論の代表的論者、ヨハネス・. 第 3 章「共同善、社会、国家――トミスムの観. メスナーの自然法思想をまとめたものであったの. 点から」では、日本の憲法学で軽視され続けてき. に対し、本書は、メスナーの伝統的自然法論に依. た共同善に焦点をあて、共同善を通してこそ、国. 拠しつつも、自然人類学、家族社会学、中国古典、. 家と社会の存在根拠およびその機能や地位が十全. 教育哲学等の膨大な研究成果を織り込みながら、. に明らかにされうることが示される。本章の結論. 多様な論題に関して、著者自身の考えを率直に披. では、国家の目的となる共同善へと導く能力が弱. 瀝されたものである。. 体化すれば、政治が本来の政治の力を発揮できず、. 本書は、第 1 章から第 7 章までの本論部分とド. せいぜい利害調整を行うにすぎなくなるとの危惧. イツ語で執筆された 4 篇の附録論文から成る。以. が表明されている(135-136 頁)が、近年の政治. 下では、各章の内容について評者なりに理解し得. 状況を省みるとき、この危惧はまさに現実のもの. たことを簡単にまとめておきたい。. となってきているということができよう。. 第 1 章「人間的実存における幸福衝動」では、. 第 4 章「共同善と補完性原理――伝統的自然法. 幸福を感覚的快楽と見る立場が批判的に検討され. 論の立場から」では、近年のヨーロッパ統合の動. たうえで、創造的自己充足を図ることこそが人間. きの中で注目されるようになった補完性原理に焦. 本性に適合した幸福であるとされる。この自己充. 点をあて、カトリック社会論における他の重要な. 足の過程では、人間が直面する苦難や失敗は、回. 社会編成の原理、すなわち共同善原理および補完. 避すべきものではなく、自己完成へと自らを高め. 性原理との関係がメスナーの自然法論に依拠しな. るために乗り越えなければならないものとして重. がら明らかにされる。とりわけそこでは、共同善. 要な意味をもつものとなる。そして、この苦難や. 原理と補完性原理が同一事態を二つの側面から捉. 失敗を乗り越えていくためには、それらに直面し. えたものであること、また、連帯性原理が共同善. ても希望を失わず、悔悛を通して過去の失敗を生. 原理へと逢着することが明らかにされる。. かしていくことが必要とされる。. 第 5 章「 『百周年回勅』の今日的意義――法哲. 第 2 章「家族と自然法――経験科学と自然法論. 学的観点から」は、第一部「 『百周年回勅』の概. の架橋の試み」では、自然法の基礎的考察がなさ. 要」と第二部「 『百周年回勅』の今日的意義」か. れたのち、人間にとって家族がいかに重要な意味. ら成る。第一部において、ヨハネ = パウロ 2 世. をもつものであるかが明らかにされる。その際、. の社会回勅『チェンテージムス・アンヌス』が概 山田秀著『人間と社会──自然法研究』 193.

(2) 観されたのち、第二部において、その今日的意義. 来的意味での法(Rechtlichkeit)を強化する」に. が万民法と私的所有権に焦点をあてながら明らか. 関する報告原稿であり、ドイツ語の Rechtlichkeit. にされる。その考察を通じて、著者は、人間を. のもつ二つの意味に着目しながら、法が権力者の. 「外的事物の管理を任された『管理者』 」であり、. 恣意に委ねられるものであってはならないこと、. 「善良な管理者の注意義務」を負う者として解す. また、法を強化するための絶えざる努力の必要性. る(241 頁)ことによって、伝統的自然法論の立. が提起されている。附録論文Ⅳは、スイスで行わ. 場から近年の環境問題に接近する重要な視点を提. れた著者に対するインタビューを収録したもので. 起している。. あり、そこでは本書で示された著者自身の考えが. 以上の第 5 章までの論考は、伝統的自然法論か. インタビューに応答する形で率直に語られている。. らのある意味、オーソドックスな議論であったの. 以上のように、本書は、伝統的自然法論を基礎. に対し、第 6 章と第 7 章は、本書においてとりわ. に、多様な学問成果を取り入れながら、様々な論. け異彩を放った章となっている。まず第 6 章「孟. 点に関して著者自身の考えを明らかにしたもので. 子、共同善、洞見知」では、中国古典の孟子の思. ある。ただ、本書は、第 7 章を除き、原理的な考. 想に深く分け入り、孟子思想の根元には自然法論. 察を中心としたものであるため、評者が研究関心. と相通じるものがあることが明らかにされる。人. をもっている現代社会の抱える諸問題に関するよ. が人間本性に立ち返って思索を深めていく時、た. り具体的な考察にまで及んではいない。たしかに、. とえ自然法という用語は用いられていなくとも、. 著者は、たとえば第 5 章において、伝統的自然法. 古今東西の別を超え、なにか共通の認識にたどり. 論からの環境問題への接近可能性に言及している. 着きうることが示されたように思われる。. し、また、本書を読めば、具体的諸問題に関する. 最後の第 7 章「生命への畏敬と教育の根源――. 著者の立場をある程度うかがい知ることはできる。. 林竹二博士の人と教育哲学」では、教育学者の林. しかし、評者としては、第 7 章で示されたような. 竹二の人と思想に焦点をあて、本当の意味での教. 形で、現代社会の抱える諸問題に関する著者自身. 育とは何かが明らかにされる。本章の結論では、. の考えをお聞きしたいと思っている。. 「人間の子を人間らしい人間に育てる場」こそが. 評者は、かねてから現代社会は大転換の時代に. 学校であり、「生命への畏敬だけが教育を可能に. あると位置づけている。そうした大転換の時代に. する」ことが、林竹二の言葉を引用する形で述べ. あっては、既存の制度、それを支える価値や規範. られている(397-398 頁)が、これはまさに伝統. が動揺してきている以上、あらたな枠組みを展望. 的自然法論の立場に立つ著者の教育観そのものを. するためには、どうしても人間本性そのものに立. 表しているといえよう。. ち返る必要がある。いまという時代ほど、伝統的. 附録論文についても簡単に記しておきたい。附. 自然法論が求められている時代はない。その意味. 録論文Ⅰは、人間がいかなる存在であるかを人間. で、本書は、いまこそ読まれるべき必読の書であ. 本性に即して明らかにしたうえで、人権思想がた. ろう。. んなる歴史的産物ではなく、深く人間本性に根. 本書を読み終えた後、評者の恩師がご自身の恩. ざしたものであることを明らかにしたものである。. 師の教えとして残された言葉が思い出された。そ. 附録論文Ⅱは、本論第 2 章の内容とも関わるが、. の言葉、 「肝心なことは、仕事の完成よりも仕事. 人間が「家族の中で、また、家族を通してのみ自. をする人の完成である」を添えて、書評を終えた. らの人格性を発展させ、十全に展開しうる人格的. い。. であると同時に家族的存在」(421 頁)であるこ とを明らかにしたものである。附録論文Ⅲは、国 際会議で著者に与えられたテーマ、すなわち「本 194 . (成文堂,2019).

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