2020年の初夏,本はステイホームの象徴として,たびたびマスメディアにとり あげられた。集英社のコミック『鬼滅の刃』が社会現象になるいっぽうで,伝染 病を題材にしたカミュの『ペスト』や子供向けの絵本が注目を集めている,オン ライン書店の在庫が払底している,といった事象が禍々しいニュースの合間に伝 えられ,読書離れ―書物の復権という心地よい文脈で流通した。だがむろん,実 態はそれほどナイーブに進行したわけではない。情報環境のデジタル化によって 「出版」と称されるカテゴリーは複雑になっており,抱える問題はコロナ禍でむ しろ前景化したといえる。 本報告では,この間の動向をひととおり概観した上で,論点を提示することを 目的とし,特に外出が制限される中で,出版物に行きつく手段がどのような状況 にあったのか,オンライン書店や図書館を含む広義の流通を中心にみていくこと にしたい。
1.コロナ禍の市場動向
最初に市場動向を簡単に確認しておく。図1は,日本出版販売が契約している 約1,720店舗の POS データからまとめた数字を参考に,2020年3月から8月まで の出版販売状況をグラフ化したものである。実線は書籍,点線は雑誌とコミック スの推移をそれぞれ示しているが,書籍については対象範囲の異なる出版科学研 究所のデータを参考に加えている。いずれも情勢をみる目安として,実数ではな く前年比で統一した。柴 野 京 子
(上智大学)コロナ禍の「出版」が示す新たな地図
雑誌は全期を通じて90%を割っている。紙の雑誌はスマートフォンの登場以来, 市場が6割程度まで落ちており,単体での成立は構造的に難しくなっている。加 えて今年はコロナ流行による取材,撮影の自粛や,中国の業者に製造を委託して いる付録の納入の遅れなどで発売中止が相次いだ。 いっぽう書籍に関しては,緊急事態宣言が出た4月は,書店の休業や営業時間 短縮の影響を直接受けたものの,連休明けには一部で営業再開となり,5,6月 で前年比10%近くまで上昇した。売り上げが落ちた4月も,学校一斉休校の対策 用に児童書や学習参考書が好調で,在宅ニーズが反映された。ただし数字を押し 上げた背景には,委託取引で生じる返品が4月の休業で少なく抑えられたこと, 大学の授業オンライン化で教科書が堅調に動いたこと,前出『鬼滅の刃』20巻の 発売による波及効果など,複数の要素がある。 7月はオリンピック関連書の発売延期で点数が間に合わず,返品も増えて売上 に影響したが,8月には再び回復した。また電子出版物は,コミックを中心に30 %程度の伸長があったとみられている。 70% 80% 90% 100% 110% 120% 130% 140% 150% 160% 3月 4月 5月 6月 7月 8月 書籍(出) 書籍(日) 雑誌(日) コミックス(日) 図1 コロナ禍の出版市場(2020年3月-8月) 注: (出)は「出版月報」出版科学研究所,(日)は日本出版販売契約 POS 店(約 1,700店)による調査。 出典:日本出版販売ニュースリリース,https://www.nippan.co.jp/news/
2.出版物流通のトピック別状況
2−1 地域における書店 『文化通信』2020年5月15日号によれば,コロナで休業した書店は,日販・ト ーハン取引店で,のべ1,300店舗にのぼっている。東京都が4月22日付で公表し た「社会生活を維持する上で必要な施設」に「本屋」が含まれたことで,前述の ような営業再開の動きがみられたが,改めて明らかになったのは書店のチェーン 化である。 地方における書店のチェーン化は,1980年代後半,ストア・オートメーション を導入した中堅書店の新規戦略として広がり,ロードサイドを中心に急速に展開 された。長野の平安堂が60坪程度で FC 展開したブック・ボックスなどはその典 型であるが,2000年代にインターネット書店が普及しはじめると,郊外型チェー ン店は失速した(柴野 2019)。インターネット書店とは,顧客による注文をベー スにしたモデルであり,発注のための検索エンジンには,もれなく書誌データベ ースが組み込まれている。これがユーザーに開放されたことで,画一的で中途半 端な規模の店舗は,意味を喪失したのである。 しかしチェーン店の台頭で個人書店はすでに淘汰されていた。地域に残された のは,大型ショッピングセンターのテナントとして出店する余力をもつローカル チェーンと FC チェーン,中心地の大規模ナショナルチェーンであり,コロナの ような状況ではこれが弱みとなった。人の集まるショッピングセンターは,施設 自体が営業を自粛する傾向にあり,チェーン店の場合は本部の方針で統一の判断 がありうる。特定警戒地域においては,オフィス街や繁華街の大型店が苦戦を強 いられたが,そうした理由とは別に,ショッピングセンターやチェーン単位の編 成は,地域における本のタッチポイントとしての書店の地図が,オセロゲームの ようにブロックごと一斉に反転する可能性を示したといえるだろう。 2−2 オンラインによる販売 他方,オンラインでの販売は加速している。『文化通信』7月27日号は,光和 コンピューターが行ったオンライン書店4社への調査として,5,6月期に40% 程度の増加があったと報じている。占有率で他を圧倒するアマゾンは,売上の詳 細を公表していないのでここに含まれないとみられるが,販売の需要に物流が追い付かず,当初はアメリカで,続いて日本でも出荷調整が行われる事態となった。 おむつやペットフードなどの生活必需品を優先するため,出版物のハンドリング が一時的に止まると,傘下に丸善ジュンク堂をもつ大日本印刷グループの honto や, 出版取次のトーハンが取引書店向けに提供しているオンライン販売システム e-hon など,在庫対応できるハイブリッド型の書店が顧客を吸収した。e-e-hon は顧 客があらかじめリストの中から My 書店を登録しておくもので,ポータルサイト を通じて注文するとその店の売り上げになる。オンライン販売の道筋をつけると 同時に来店を促す目的から,店舗受け取りを無料としているが,自粛期間中は宅 配料金も無料のキャンペーンを行った。 コロナを契機にオンラインでの販売を開始した例もある。近年は新しいタイプ の本屋として,複数の商材をセレクトして販売する独立系書店が増えつつあるが, 多くはその収益源を雑貨や飲食の販売,トークショーなどのイベントに頼り,主 要商品である書籍の薄利を補っている。しかし「密」になりやすい狭スペースで 同様の営業はできないので,本の販売やイベントをオンラインで代替するケース が出てきた。ただし,直接的なコミュニケーションや,立地,内装を含む場所に 価値をおくこうした店舗の場合,没個性的な画面上のプラットフォームで存在を 維持するのは難しい。ミニシアター・エイドやライブハウス・エイドに倣って, クラウドファウンディングによるブックストア・エイドも書店側から立ち上げら れたが,目標6,000万円に対し,参加98店・47,548,000円にとどまっている。 2−3 図書館サービスとデジタル提供 図書館は公共図書館の8割が休館し,再開にあたってはサービスを図書の貸し 出しとレファレンスに限るなど,一定の制限が設けられた。図書の宅配を行った 館もあるが,需要の増えている電子図書の貸し出しに関しては,システム導入館 が2020年10月1日現在で114自治体111館となっており,同1月時点からの比較で 23館増えてはいるものの,全国3,303館のうち3%程度にすぎない(電子出版制作・ 流通協議会 2020)。 大学図書館の場合は,データベース,電子ジャーナルなどの電子資料に費やさ れる予算が紙資料を超えており,和書についても丸善雄松堂(Maruzen eBook Li-brary)や紀伊國屋書店(KinoDen)等のライブラリーシステムがほぼ導入ずみで ある(文部科学省「学術情報基盤実態調査」)。ただし出版社には偏りがみられ,点 数も冊子体には遠く及ばない。
出版物の電子化は,2010年に設置された「デジタル・ネットワーク社会におけ る出版物の利活用の推進に関する懇談会」(三省懇)において,技術,契約問題, 費用,流通が検討対象となり,組織的な対応や実証実験も行われたが,課題はい まだに解決していない。 2−4 デジタル資料送信をめぐる問題 和書の電子化対応の遅れは教材利用にも波及している。授業のオンライン化で, テキストの電子データへの要望が急増したにもかかわらず,大半の出版社は申し 出に消極的だった。法律書・社会学書の有斐閣が,早々に窓口を設けて個別相談 に応じる旨公表したが,同社は教科書レーベル「ストゥディア」をはじめ,問題 集や解説,授業用スライドなどのデジタル教材サポートを恒常的に行っており, かなり例外的といえるだろう。 学術出版社にとって,大学教科書は年間売り上げの半分を占める重要な商材で ある。取引先の大学生協や書店と協力しながら,過不足なく計画的に売り上げる ことが最優先で,コロナの急な感染で大学が閉鎖された今春は,各書店に投入さ れていた商品が店頭販売できないことが大きな不安材料だった。だが結果的には, オンライン授業への焦りから,学生が平時より教科書の確保に走ったことで売り 上げが増加,その反面,テキストのデジタル化という本質的な問題は先送りにさ れた。 こうした温度差は,出版社の販売におけるフレームが教科書,新刊単品,特約 書店への既刊本在庫,大手書店外商を通じての図書館などと,紙ベースで維持さ れていることから生じている。同じくコロナ禍の事例からみてみよう。 周知のとおり,教育に関しては「授業目的公衆送信補償金制度」が,コロナ対 応として前倒し実施されることになった。オフラインの授業内で行っている著作 物の使用を,オンラインに適用するため,一定の補償金を支払うというもので, 2020年度は暫定措置として無償での運用が承認されている。そしてこれとほぼ同 時に,図書館資料のデジタル送信サービスへの検討が,内閣知財戦略本部の方針 を受けて短期間のうちに始められた(文化庁文化審議会著作権分科会・図書館関係 の権利制限規定の在り方に関するワーキングチーム 2020)。これらはいずれも,特定 の目的や状況において,著作物の部分的なデジタル化と送信を可能にしようとす るもので,実施には制度改正を必要とする。前者も各業界団体からの意見徴収の のちに設計がなされたが,こうした場面で常に浮上するのが,複製が容易な形で
著作物が出回れば,出版社の利益が損なわれるという主張なのである。 日本の出版ビジネスにおいては,出版社が著作権者に代わって実質的に著作物 の管理をするのが通例である。法的な根拠は著作権上で唯一 , 出版社に認められ ている出版権で,2014年の著作権法改正では,電子著作物が含まれることになっ た。この改正は,コミックスをはじめとするエンターテイメント系コンテンツの 海賊版対策を主目的にしており,上記のような教育・研究利用のアクセスを高め る趣旨とは必ずしも一致しない。しかし出版物を内容で区分することは不可能な ため,産業区分で統一スキームを適用せざるをえず,個別の最適化がされにくい。 前出ワーキングチームの議論においては,このような立場の異なるケースを丁 寧に検討したのち,デジタル送信の実施に向けてはひとまず市場に影響しない出 版物(アウト・オブコマース)を想定して,概念共有を進めつつある。一連の検討 案ではやはり補償金制度も考えられているようだが,社会的要請に応じて新たな 施策を進めようとするたびに同じ抵抗が繰り返されるのは,直接的な金銭利害と いうよりも,社会全体を公共的な資料空間(アーカイブ)とみる思想と,販売先 の組み合わせとみる思想との,フレーム的なギャップにこそ原因があるのではな いか。
3.アフター・コロナの地図に向けて
日本において,「出版」というワードは「出版業界」とほぼイコールにみなさ れてきた。そもそも出版という複製技術が資本主義と深く結びついてきたことは いうまでもないが,とりわけ日本の場合,出版産業は流通基盤を軸に形成され, そこに大きく依存してきた歴史がある。あらゆる出版物は,巨大で総合的な一元 的システムの上で流通が可能となり,社会においてもさしたるストレスなく出版 物が「ある」状況が,書店を拠点に築かれた。 しかしそのような構造は,各々がもつ生来的な性質や多様性を平板にし,外部 的な視点を不可視化する。たとえば出版動向が売上高を指標に判断されることや, 法改正の先頭にいつも大手出版社がいることは,体質が古いという以前の構造的 問題である(その意味では,本報告が述べてきた項目の立て方自体も批判されなけれ ばならない)。 すなわち,形式も受容される構図も異なる出版物が,同じルールで運用され, 独自の枠組みを構築することなく内部にとどまることで成立してきたのが「出版業界」であり,外側の視点を持たない限り,図書館もアマゾンも取次や書店の変 型としか認識されえない。もちろんこうした形でおよそ100年ものあいだ維持さ れてきたのには一定の合理性があり,良くも悪くも集団で共有しうるテーマは今 も存在するだろう。 だがコロナ禍で顕在化したいくつかの問題,とくにデジタルに関わる問題は, もはやそこにとどめておくことはできない。解決にはアクターやルールの再編成 が必須であり,家を文字通りのホームと定めた「読者」の視点から眺めれば,本 や資料にリーチする道筋は,空間のリアル・バーチャル,コンテンツのアナログ・ デジタルが妙な形で偏在する,不自然でちぐはぐなものに見えているに違いない からだ。 東日本大震災は,人々の関心を記録・記憶に向かわせた。デジタル技術はもの ごとを記録・記憶する道具として使われると同時に,さまざまな形でのアーカイ ブを編成する「つなぎ」の役割を果たしている。だからデジタルアーカイブは実 体であるとともに一つの思想体系なのだが,その一要素でもある「出版」もまた, みずからを思想としてもう一度編みなおしていかねばならないだろう。書物のあ りかたは目的によってつくられ,経験を通して開かれる。コロナ禍が「出版」に もたらしたのは,おそらくすでにあるはずのものに行きつくための,新たな地図 への要請なのである。 引用・参考文献 本稿で参照した文献の多くは,コロナ禍において各団体や個人が収集したリスト等 の情報である。内容に重複もあるが,これらの活動自体を資料と考えて次のように記 すこととした。 《出版市場データ・書店等の状況》 ブックストア・エイド https://motion-gallery.net/projects/bookstoreaid 『文化通信』文化通信社 https://www.bunkanews.jp/(2020年10月1日閲覧) 日本出版販売ニュースリリース https://www.nippan.co.jp/news/(2020年10月1 日閲覧) 里山社(note)2020年4月以降,全国の通販で買える個人書店一覧(6/18更新) https://note.com/satoyamasha77/n/n351c10016b7e(2020年10月1日閲覧) 『新文化』新文化 https://www.shinbunka.co.jp/(2020年10月1日閲覧) 『出版月報』出版科学研究所 「新型コロナによる出版社の営業対応を公開 出版アナリスト・湯浅創氏が独自に
収集」ほんのひきだし https://hon-hikidashi.jp/more/106443/(2020年10月1日 閲覧) ライツ社(note) 街の書店がやってる通販サイトまとめ https://note.wrl.co.jp/n/n462a6180b968(2020年10月1日閲覧) 《図書館の状況》 株式会社カーリル COVID-19 : 多くの図書館が閉館しています(4/8-9) https://blog.calil.jp/2020/04/stay-at-home.html(2020年10月1日閲覧) 国立国会図書館 カレントアウェアネス・ポータル「新型コロナウイルス感染症に よる都道府県立図書館・政令指定都市立図書館・国立国会図書館への影響」 https://current.ndl.go.jp/node/41156(2020年10月1日閲覧) 国立国会図書館 リサーチ・ナビ 新型コロナウイルスに関する図書館等の取組 https://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/post-1168.php(2020年10月1日閲覧) 電子出版制作・流通協議会 電子図書館(電子書籍貸出サービス実施図書館) https://aebs.or.jp/Electronic_library_introduction_record.html(2020年10月 1 日 閲覧) 日本図書館協会 新型コロナウイルス感染症への図書館の対応事例 https://www.jla.or.jp/home/tabid/853/Default.aspx(2020年10月1日閲覧) saveMLAK COVID-19の影響による図書館の動向調査(2020/08/29)について https://savemlak.jp/wiki/saveMLAK:%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82% B9/20200830(2020年10月1日閲覧) 文部科学省「学術情報基盤実態調査」 https://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/chousa01/jouhoukiban/1266792.htm (2020年10月1日閲覧) 日本書籍出版協会「2015年版『出版契約書』(ヒナ型1)解説」 https://www.jbpa.or.jp/pdf/publication/hinagata1kaisetsu.pdf(2020 年 10 月1日 閲覧) 柴野京子(2019)「平成の出版流通―変容と転換の30年」『専門図書館』No.296 2-8 「図書館関係の権利制限規定の見直し(デジタル・ネットワーク対応)に関する報 告書(案)」文化庁文化審議会著作権分科会・図書館関係の権利制限規定の在り 方に関するワーキングチーム,2020/11/9 https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/chosakuken/toshokan_work-ing_team/r02_05/pdf/92630701_01.pdf(2020年10月1日閲覧)