市場統合と所得格差
―貿易理論の再考―ジャン・モネ・チェア
久 保 広 正
〈論文要旨〉 イギリス国民が EU 離脱を選択した背景には,市場統合によって所得格差が 拡大したからとされる。確かに,OECD あるいは IMF の分析によれば,所得 格差を示す代表的指標であるジニ係数をみると,概ね域内で上昇傾向にあり, 所得格差は拡大しつつある。それでは,所得格差の拡大をもたらせた要因は, 市場統合なのであろうか。 伝統的な貿易理論によれば,市場統合により域内で次のような生産再編が行 われる可能性が強い。すなわち,EU 域内で熟練労働力が相対的に豊富である 北欧・西側諸国は熟練労働力に集約的な財の生産に特化し,逆に中東欧諸国で は未熟練労働力が相対的に豊富であるため,未熟練労働力に集約的な財の生産 に特化する。さらに,市場統合を通じて,両財の交換を行うことになる。その 結果,北欧・西側諸国では,熟練労働者の賃金が上昇することにより,所得格 差が拡大する。また,最近,注目されつつある新々貿易理論によれば,労働生 産性の高い企業は域内においても多国籍化を図り,そのことにより,さらなる 生産性引き上げが実現する可能性がある。その結果,多国籍企業に雇用される 労働者と国内企業で雇用される労働者の間で所得格差が拡大することが推測さ れる。また,市場統合が不完全な税制分野についても,域内で多国籍展開を行って いる企業は節税の機会を利用する可能性がある点も,同様に所得格差の拡大を もたらしてるともいえる。所得格差の拡大は,いずれ経済成長にも影響するこ とが考えられ,従来以上に所得格差の是正策が必要になるとみられる。 〈本文〉 2016年6月,イギリス国民は EU からの離脱を決定し,一方,同年11月,ア メリカ国民はトランプ氏を大統領として選択した。しばしば指摘されるように, イギリスにおいては EU 域内からの移民に対する反感が,また,アメリカにお いてはラスト・ベルト(Rust Belt)と称される地域において雇用が喪失され, これに対する反感が同氏を選出させたとされる。また,これら動きの背景には, 中産階級を中心に所得が低下し,所得格差が拡大した点を指摘されることが多 い1)。本稿においては,果たして,加盟各国内で所得格差が拡大しているのか, さらには,その要因は市場統合によるのか,あるいは,他の要因,例えば,技 術進歩などにも影響されているのだろうかといった点について論じることにす る。なお,本稿では,市場統合を「域内における高度な貿易自由化」と定義す る。ここで「高度」とは,域内における関税の撤廃,様々な非関税障壁の除去 ないしは軽減,さらにはサービス市場における障壁の除去・削減がかなり進展 していることを意味する。
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.EU 加盟国における所得格差
ここでは,所得格差に関する OECD 及び IMF による分析について紹介した い。まず所得格差を示す代表的な指標であるジニ係数(Gini Coefficient)の国際 比較を OECD の計測によって概観してみよう2)。いうまでもなく,同係数は完 全な平等状態にある場合にはゼロとなり,逆に,完全な「独り占め」状態の場 合には1となるが,現実には不平等の状態に応じて0と1の間の値を示す。なお,このジニ係数は,税引き後と税引き前の係数があるが,OECD の計測値 は税引き後で計算されている。 図 ―1は,EU 加盟各国を含む OECD 諸国(ただし,長期の時系列データを入手 できる21か国を対象としている)の同係数を1980代半ばと2011/12年の両時点で比 較したものである3)。なお,80年代半ばは,市場統合に向けた動きが加速した時 期にあたる。 この図から,次の3点を読み取ることができよう。まず,第1は,ほとんど すべての国において同係数が上昇していることである。すなわち,本図が対象 とする OECD 加盟21か国中,16か国で上昇がみられるのである。 また, 現 EU 加盟国に限ってみると,計14か国中,13か国において同係数は上昇してい る。 すなわち,EU 及び OECD 主要国の所得格差は,80年代半ば以降, 拡大 しているのである。貿易自由化が所得格差の拡大をもたらせたと論じられるこ とが多い背景である。 第2点は,OECD 主要国のなかでアメリカとイギリスの係数が高いことで Norway Denmar k Czech Republic Finland Sweden Luxembourg Hungary German y Canad a OECD Ital y New Zealan d Japa n United Kingdo m Israel United States Mexic o Belgium Netherlands
France Greece Turke
y 1985 2011 or latest 0.50 0.45 0.40 0.35 0.30 0.25 0.20 0.15
Increasing inequality Little change in inequality
Decreasing inequality
図 ―1 OECD 諸国におけるジニ係数の推移
ある。イギリスの EU 離脱,トランプ政権の成立を促した動きといえるかもし れない。第3点は,チェコ及びハンガリーという中東欧の2か国については, 当該期間中,同係数は上昇しているものの,その上昇幅は比較的小幅にとどま っていることである。その要因として考えられる点は後述する。 次に IMF 分析により, ジニ係数の推移について確認してみよう4)。IMF (2007)は,1981年から2003年という期間,また,51か国を対象にジニ係数を 計測し,その変化,及びパネル分析により変化をもたらした要因について,グ ローバリゼーション,技術進歩,教育などに分解して分析している。 まず図 ―2は,所得水準による国グループ別にみたジニ係数の推移を示した ものである。この図によれば,世界全体としてみると,同係数は上昇しつつあ ることを読み取ることができる。とりわけ所得水準の高い(high income)先進 国は明確に上昇しつつあるといえる。既述した OECD の計測と同様の傾向で ある。また,先進国を国別にみると(図 ―3参照),フランス以外,イギリス, ドイツ,イタリア,さらには日米も概ね上昇を続けている。 IMF は,その要因についても分析している(図 ―4参照)。これによれば,世 界全体でみると,ジニ係数の上昇は,主として技術進歩によってもたらされて 図 ―2 所得水準別ジニ係数の推移 出所) IMF, pp. 140 1985 90 95 2000 05 Global 50 40 30 20 Low income Upper middle income Lower middle income High income
おり,グローバリゼーションによる影響は限定的としている。ここでグローバ リゼーションとは,貿易自由化により,モノ・サービス・資本・ヒトの国境を 越えた移動が実現する動きと定義しよう。 図 ―3 主要先進国のジニ係数 出所) 図 ―1と同じ。 1980 85 90 95 2000 05 50 40 30 20 United States United Kingdom Italy Germany Japan France 図 ―4 ジニ係数の要因別分解 出所) IMF, pp. 153 −1.5 −0.5 0.5 1.5 All Countries −1.5 −0.5 0.5 1.5 Advanced Economies Change in Gini Contribution of globalization Contribution of technology Contribution of other factors
−1.5 −0.5 0.5 1.5 Developing Countries −1.5 −0.5 0.5 1.5 Developing Asia Change in Gini Contribution of globalization Contribution of technology Contribution of other factors
ただ,先進国については,グローバリゼーション要因による同係数の上昇は 大きく,技術革新によるものを上回っている。一方,アジア新興国及び発展途 上国については,技術進歩要因が大きいことがわかる。 こうした点から,先進国については,やはりグローバリゼーションの進展が 所得格差の拡大に対して,一定の影響を及ぼしているといえるであろう。逆に, 発展途上国においては,必ずしもグローバリゼーションの影響を受けていない。 こうした事実をどのように解釈すべきであろうか。この点について貿易理論を 再考することにより,考察してみたい。
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.貿易理論と所得格差
―伝統的貿易理論
― ここでは,伝統的貿易理論,さらには新しい貿易理論が所得格差をどのよう に捉えているかについてレビューしたい5)。まず,貿易論において嚆矢となった のは, 周知のようにリカード,D による比較生産費理論である。 スミス,A を発展させたリカードは2国・2財モデルを前提に,ある国の生産費が他国よ りいずれの財も安価であったとしても,貿易の自由化により両国とも貿易の利 益を享受できることを示した。ただ,このモデルでは,生産のための投入物は 労働力だけであり,貿易の自由化は労働者の収入増につながるものの,所得格 差にどのような影響を及ぼすかについてインプリケーションはない。 この比較生産費説を拡張し,貿易と所得格差の関係を考察する議論の出発点 を提供したのは,新古典派経済学の貿易理論ともいうべきヘクシャー・オリー ン(Heckscher-Ohlin)・モデルである。このモデルにおいては,投入物は労働力 及び資本とされる。ここで,2国の間で労働賦存量と資本賦存量に差がある場 合,労働賦存量が豊富な国は労働集約的産業に,逆に資本賦存量が豊富な国は 資本集約的産業に比較優位を有することになり,貿易の自由化を行えば,両国 とも貿易のメリットを享受できるとされた。第二次大戦後,GATT が設立さ れ, 貿易の自由化が図られた理論的背景といえる。 また,EU(発足当時はEEC)において市場統合が図られるようになったのも,こうした分析に依拠し たともいえる。また,このモデルによると,生産された財・サービスのみなら ず,労働に対する賃金率と資本に対するレンタル率が両国において均等化する ことになるとも主張された。要素価格均等化の法則である。 このことを先進国と発展途上国の関係について簡単に考察すると,次のよう になる。一般に先進国では資本が蓄積されている一方,相対的にみると労働量 は希少となっている。逆に,発展途上国では労働量が豊富に存在する一方,資 本は希少である。このため,貿易の自由化が進むと,先進国では資本集約的な 財の生産の増加と労働集約的な財の生産の減少を引き起こす。発展途上国では, その逆である。このように両国において生産構造が変化する結果,労働集約的 な財が発展途上国から先進国へ輸出され,逆に,資本集約的な財が先進国から 発展途上国に輸出されることになる。 このように,外国貿易の自由化は,その国が比較優位をもつ財(先進国の場 合には資本集約的な財,発展途上国の場合には労働集約的な財)が交換される結果, その産業に集約的に投入される生産要素の価格(先進国の場合には資本レンタル 率,発展途上国の場合には賃金率)の上昇をもたらす。これをストルパー・サミ ュエルソンの定理という。 こうした議論は,生産要素が資本と労働から構成されることを前提としてい る。ただ,この議論を拡張し,EU 域内において,生産要素を専門性の高い業 務に従事する熟練労働と単純労働に従事する未熟練労働が存在するとしても, 同様の結論を導くことが可能である。 いま,かりに EU 内の北欧及び西側諸国においては相対的に熟練労働量が豊 富である一方,EU 内の中東欧諸国においては相対的に未熟練労働が豊富であ るとしよう。市場統合の進展により,北欧及び西側諸国では中東欧諸国に対し て熟練労働集約的な財を輸出する一方,中東欧諸国から未熟練労働集約的な財 を輸入することになる。この結果,中東欧諸国からの輸入により北欧及び西側 諸国内における未熟練労働の賃金が低下する一方で,熟練労働の賃金が上昇す
るため,熟練動労者と未熟練労働者の賃金格差が拡大し,所得格差の拡大につ ながる。逆に中東欧諸国では未熟練労働者の賃金は上昇する一方,熟練労働者 の賃金は下落するため,所得格差は縮小することになる。
かりに,ここで熟練労働と未熟練労働を ICT 能力によって区別するとしよ う。 図 ―5は, 欧州委員会(2017)により「デジタル経済・社会指数(Digital
Economy and Society Index)」に基づいて労働力に占めるデジタル・リタラシー を有する人材の比率を各国別にみたものである6)。これによれば,EU 内におい て,デジタル化に適応した人材には大きな差が存在することを読み取ることが できる。しかも,概ね北欧及び西側諸国ではデジタル人材が豊富である一方, 中東欧諸国においてはデジタル面で未熟練労働者が存在しているのである。 既に図 ―1でみたように,各国のジニ係数は概ね上昇を続けている。ただ, チェコとハンガリーという中東欧諸国では,同係数の上昇は相対的には小さな ものにとどまっている。このように対照的な現象は,既述したストルパー・サ ミュエルソン定理を応用することで説明できる。すなわち,北欧及び西側先進 国では,熟練労働者の賃金が上昇するため,所得格差が拡大する。逆に,中東 欧諸国では,未熟練労働者の賃金が上昇するため,所得格差は縮小する。なお,
図 ―5 EU 加盟別 DESI(The Digital Economy and Society Index)による 人的資本の構成 (出所) European Commission, pp. 42 FI LU UK SE DK NL AT DE FR EE BE IE EU28 CZ SI SK ES MT HU HR LT PL PT LV IT CY EL BG RO
Basic skills and usage Advanced skills and development 80% 70% 60% 50% 40% 30% 20% 10% 0%
図 ―1でチェコ・ハンガリーにおいてジニ係数が低下していないのは,技術革 新など,他の要因も同時に作影響したからであろう。
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.貿易理論と所得格差
―新貿易理論と新々貿易理論
― ここで,再び貿易理論の発展に戻りたい。1970年代から80年代に入ると,ク ルーグマン,P などによる新貿易理論が注目されるようになった7)。それまでの 議論が,先進国と発展途上国間の貿易を説明することが中心であった。ただ。 現実には先進国間での貿易が世界の貿易の大宗を占めるという事実を説明する には十分とはいえなかった。また,こうした貿易は,要素賦存の構造が近似し た先進国間で行われている。こうした現実を踏まえ,クルーグマンは,次のよ うなモデルを考察した8)。すなわち,生産要素としては労働のみが存在すると仮 定する。また,生産には規模に関する収穫逓増も仮定する。その結果,生産量 が増加すれば製品単価は下落することになる。また,このモデルは消費者が多 様な財から効用を得ることを前提としている。その結果,種々の財を生産する 企業数が多くなれば,より高い効用を得ることになる。従って,先進国間で独 自の製品を生産することができれば,貿易を通じて,より安価な財を生産でき るのである。ただ,こうした新貿易理論においては,所得格差が議論の中心に なっているとは言い難い。 今世紀に入ると,企業の異質性に注目した新々貿易理論が注目されるように なる。その背景には,ICT 化の進展により,世界の主要企業について財務デ ータが簡単に入手できるようになった点がある。その結果,同一産業内におい ても,生産性,グローバル化などの面で大きな差があることが判明した。この 点などに着目し,メリッツ,M(2003)は同一産業内における企業の異質性, 収穫逓増などを考慮したモデルを構築するようになり,現在に至っている9)。 このモデルにおいては,輸出あるいは直接投資を行うためには,企業は多額 の固定費を支出しなければならないことを前提としている。換言すれば,一定の生産性を下回った企業は,グローバル化に対応できず,もっぱら国内市場に 特化した活動をよぎなくされることになる。一方,こうした基準をクリアした 企業は,貿易の自由化により,その活動領域を国内外に展開できるはずである。 これらの企業においては,利益率が高く,その結果,そこで雇用されている労 働力に対する賃金率も高くなることが想定される。 self-selection と称される 主張である。図 ―6は,ベルギー企業について,専ら国内市場を対象とする国 内企業群,輸出に従事する企業群,さらには輸出も直接投資も行う輸出・直接 投資企業群に分類し,それぞれについて労働生産性を横軸にプロットし,それ らの密度を立軸にプロットしたものである。いわばグローバル化に応じて企業 を分類したともいえる。なお,ベルギー企業の場合,輸出・直接投資の対象と なる市場は,概ね他の EU 加盟国と推測される。 この図から読み取れるように,グローバル化と労働生産性の間に相関関係, すなわち,グローバル化が進んだ企業の労働生産性は高いという現象が存在す 図 ―6 ベルギー企業のグローバル化と労働生産性
出所) Mayer, T and Ottaviano, G. I. P,
BRUEGEL BLUEPRINT 3, BRUEGEL, 2007, pp. 21 Labour productivity 13 12 10 11 9 [a] 1.0 0.8 0.6 0.4 0.2 0 Density
ることを読み取れるであろう10)。また,重要な点は,上記した self-selection と は逆の因果関係も観察できることである。WTO によれば,企業がグローバル 化すれば,生産性に好影響を及ぼす可能性があるとのことである11)。その結果, 生産性・収益性に関する一定の基準を満たした企業がグローバル化を進め,そ のことによって, さらに生産性・収益性が向上するのである。 learning by export あるいは, learning by export and investment ともいえる現象であ る。その要因は,規模の経済性を享受できる可能性があること,さらには国外 においてベスト・プラクティスを学ぶことができることなどである。あるいは, 他国において未知の企業と競争することを通じて,自社の内部改革を進めざる をえなくなっているとも考えられる。逆にいえば,国内にとどまらざるをえな い企業は生産性及び利益率が低く,賃金率も同様に低くなる傾向がある。 図 ―7はノルウェー企業を例にとって,この関係を図示したものである。こ の図によれば,当初,国内企業と直接投資企業との間に確かに労働生産性に差 が存在する。ただ,投資開始後,4年が経過すると,その差は拡大しつつある 点を読み取ることができよう。その結果,グローバル企業は,グローバル化と 高い労働生産性に関して「好循環」に入ることもありえるのである。 労働生産性が高いことは,一般には収益性が高く,賃金も高いと想定できる。 すなわち,グローバル企業と国内企業の間に労働生産性面で格差があることは, これらの企業の労働者間で所得格差が拡大することが想定される。 ここで,現実の欧州企業の活動を具体的に観察してみると,次のような点が わかる。すなわち,多くの企業は,自国内さらには EU 域内の外国に生産拠点 を分散立地させることにより,生産ネットワークを国際展開していることであ る。生産フラグメンテーション(production fragmentation)と称される動きで ある12)。例えば,研究開発拠点及び高付加価値部門をドイツに置き,労働集約的 な部門はルーマニアに,また,バックオフィスはチェコに設置するといった展 開である。その結果,各拠点間で中間財の同一企業内取引が活発化する傾向が ある。ウィーン国際比較経済研究所によれば,EU27カ国の2008年の域内貿易
において,中間財貿易の比率は53.7%に達しており,ドイツ・オーストリア・ スロバキア・チェコ・ポーランドなどでは,さらに上昇する傾向がみられると されている13)。企業が域内で投資を活発化し,同時に生産フラグメンテーション を活発化されている結果であり,その背景には,市場統合の進展を指摘できる であろう。また,こうした生産フラグメンテーション戦略により,グローバル 企業は,外国に設置した各拠点の優位性を利用し,ますます生産性を引き上げ ることが可能となっている。 図 ―7 直接投資を行ったノルウェー企業と行わなかった ノルウェー企業の労働生産性比較 注) 左側は直接投資を行わなかった企業の労働生産性,右側な直接投資を 行った企業の労働生産性を示す。また,Switch year とは企業が直接投 資を行った年であり,最も左側の棒グラフは,投資後4年経過した時点 での労働生産性を示している。
出所) Mayer, T and Ottaviano, G. I. P,
BRUEGEL BLUEPRINT 3, BRUEGEL, 2007, pp. 26 Labour productivity Switch+4 Switch+3 Switch+1 Switch+2 Switch year Non-switchers Switchers 0.6 0.4 0.2 0
Value added per hour worked
[
1000 NOK
4
.不完全な市場統合と所得格差
このように,貿易理論により所得格差の拡大を説明することが可能であるが, EU においては,さらに不完全な市場統合によっても所得格差の拡大を説明す ることが可能である。EU では市場統合の完成によってモノ・サービス・資 本・ヒトの自由移動に関する障壁が大幅に削減された。また,経済通貨同盟の 創設で単一通貨ユーロが導入されたことに伴い,ユーロ導入国間の為替レート という不確実性が除去された。冒頭に述べたように,EU 域内では「高度な貿 易自由化」が進んだといえる背景である。ただ,間接税・直接税の調和につい ては,各国の課税主権の根幹にかかわるだけに,その進 状況ははかばかしく ない。こうした税制に関する不完全な統合は,所得格差にも影響を及ぼす可能 性がある。 まず法人税についてみてみよう。表 ―1は EU 主要国及びオランダ・ルクセ ンブルグの法人税率であるが,これら諸国の間でも大きく相違していることが わかる。 さらに問題となるのは,タックス・ベース(税務基準額)である。各国とも 様々な租税特別措置が講じられており,各国のタックス・ベースを比較するこ とは容易でない。このことも税制面で市場統合を困難にしている背景といえる。 表 ―1 EU 主要国の法人税率(%) (2017年1月現在) ドイツ 30.18 イタリア 27.81 フランス 34.43 イギリス 19.00 オランダ 25.00 ルクセンブルグ 27.08 出所) OECD Tax Databaseただ,こうした不完全な市場統合を是正すべく欧州委員会はいくつかの提案 を行っている。従って,ここでは重要とみられる動きを,若干,紹介しておき たい。2016年3月,欧州委員会は,タックス・ベースの算出方法,あるいは税 控除の基準の統一に向けた提案を行った14)。その目的は,域内で複雑化している 税制に起因する税務コストを軽減することにあるとされるが,加えて複雑な税 制を利用した域内に展開する多国籍企業の課税逃れを防止することも重要な目 的としている。具体的には,「共通連結法人税課税ベース(Common Consolidat-ed Corporate Tax Base)」と称される仕組みに関する提案である。本提案には, 次のように述べた箇所がある。「一般的には,法人税は各国のレベルで課税さ れる。ただ,経済環境は一層グローバル化し,また,モバイル化あるいはデジ タル化している。その結果,会社構造はより複雑化しており,利益を移転する ことがより容易になりつつある」。また,課税当局は,「攻撃的な租税計画 (ag-gressive tax planning practices)」に対抗することが益々困難になっている。」 ただ,この提案についても,その後,進展がなかったため,欧州委員会は新 たな提案を行った。「パナマ文書」問題などにより明らかにされつつある課税 逃れへの批判を受けた動きである。その結果,2016年7月,域内市場に直接影 響を与える租税回避策の防止に向け,欧州理事会指令2016/1164(租税回避対策 指令,指令2017/952により改正)が採択された15)。同指令は,多国籍企業の過剰な 節税への批判の高まりを受け,EU の租税回避防止に向けた一連の施策をまと めた「租税回避対策パッケージ」の柱となるものである。ここで重要な点は, 市場統合によって域内で多国籍化した企業は,市場統合が不完全な税の分野に おいて様々な措置を講じることにより,税負担の軽減,あるいは節税を実現す ることが可能になっているということである。国内にとどまる企業では,こう した操作は困難といえるが,その結果,税負担についてもグローバル企業と国 内企業の間で差が生じる可能性が強い点である。これにより,域内のグローバ ル企業に従事する労働者と,国内にとどまる企業に従事する労働者の間で所得 格差が拡大する可能性が強い。
個人についても同様の点を指摘できる。各国とも様々な所得控除制度を設け ており,単純な所得税率の比較は容易でない。ただ,KPMG 社によれば,主 要国の個人所得税率は表 ―2のように要約することが可能とのことである。こ の表によれば,個人所得税率についても加盟国間で大きな相違が存在する。と りわけハンガリーなど中東欧諸国では同税率を低水準とすることにより,企業, とりわけ企業の中枢部門の誘致を図っているからである。さらに,域内で個人 所得に対する富裕税についても,各国でスタンスに差がある。EU においては 多くの国が1995∼2007年の間に富裕税を廃止し,残っているのは,フランス, ノルウェー,スペインのみである。富裕税徴税の実務的な複雑さはかなりのも のがあり,そのチェックに多数の人員と多額の徴税費用を要する。その結果, EU では金融資産の移動性と人の移動の自由が,個人に対する課税の困難さを もたらせている。 逆にいうと,富裕層は複雑な制度を利用することにより,節税が可能となる。 中間層・低所得層との相違点である。 表 ―2 EU 主要国の個人所得税 率(2017年時点,%) ドイツ 45.0 イタリア 43.0 フランス 22.5 オランダ 52.0 イギリス 45.0 ハンガリー 15.0 出所) KPMG, Individual income tax
rates table(https://home.kpmg. com/xx/en/home/services/tax/ tax-tools-and-resources/tax-rates- online/individual-income-tax-rates-table.html, 2017年10月14日 アクセス)。 なお, フランスにつ いては2016年時点での税率。
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.結 論
既に図 ―1でみたように,いくつかの例外国は別にして,EU 加盟国の多く でジニ係数は上昇しており,所得格差が拡大していることがわかる。ジニ係数 の上昇をもたらせた要因には,市場統合の進展以外にも,例えば,技術革新に 対応できる人材とそうでない人材の間で格差がもたらされる可能性もある。貿 易理論をレビューすることによる検証の結果,やはり市場統合により,これを うまく乗り切れる企業,そうした企業に雇用されている層と,乗り切れていな い企業に雇用されている層の間で所得格差が拡大していると推論できることが 分かった。さらに,税制について市場統合措置が十分でないことから,各国に おける税制の差を利用し節税策を講じることができる企業・人材の存在も所得 格差の拡大を促すということも明らかとなった。 重要な点は,果たして所得格差の拡大が経済,特に経済成長にいかなる影響 を及ぼすかということである。OECD(2014)によれば,中間・低所得者の所 得水準が低下することにより,教育の機会が減少,その結果,経済全体の成長 率を引き下げる方向に働くとされている。この分析が妥当だとすると,格差是 正のための政策発動が必要といえるかもしれない。累進課税,地域間の所得再 配分などの強化,失業保険の充実,教育・医療・社会保障などの分野への政府 の関与拡大などである。ただ,こうした政策がどの程度の有効性を持つのか, 果たして実現可能な政策なのかなど,論じるべき点は多く,本稿の範囲を超え た課題である。ここでは,市場統合にかかわる措置,また,逆に不十分な市場 統合が EU における所得拡大をもたらせたと推論できる点のみを指摘し,結論 としたい。 1) イギリスが EU 離脱を決定した背景について様々な分析がなされているが,経済的側面から論じたものとしては,高屋定美(2016)が詳しい。
2) 所得格差を計測する指標には,例えば,所得上位者のシェアを比較するという方法もある。 ただ,本稿で用いたジニ係数が最も代表的な指標といえる。
3) OECD, 2014 4) IMF,
5) 貿易理論の発展について論じた著書は多いが,例えば,Krugman, P, Obstfeld, M, Melitz, M, International Economics Theory and Policy(邦訳「クルーグマン国際経済学 理論と政 策 原書第10版」)丸善出版,2017が詳しい。
6) European Commission,
7) 田中鮎夢,「新々貿易理論とは何か」,ミネルヴァ書房,2015
8) Krugman, P, Amer-ican Economic Review, 70(5), 1980
9) Melitz, M.,
Econometrica, 71(6), 2003
10) 日本企業についても,グローバリゼーションと生産性の間の相関関係が同様に存在する。詳 しくは,若杉隆平・戸堂康之,「国際化する日本企業の実像―企業レベルデータに基づく分析
―」,RIETI Policy Discussion Paper Series 10-P-027(2010), pp. 23 を参照のこと。
11) WTO, pp 22―
23
12) Arndt, S. W., & Kierzkowski, H. (Eds.).
Oxford University Press, 2001
13) Robert Stehrer, Jyrki Ali-Yrkko, Doris Hanzl-Weiss, Neil Foster, Petri Rouvinen,Timo Seppala, Roman Stollinger and Pekka Yla-Anttila
Winer Institute für Internationale Wirtschaftsvergleibe Re-search Reports 369.2011
14) European Commission, Proposal for a COUNCIL DIRECTIVE on a Common Corporate Tax Base {SWD (2016) 341} {SWD (2016) 342}
15) Council Directive (EU) 2016/1164 of 12 July 2016 laying down rules against tax avoid-ance practices that directly affect the functioning of the internal market
参考文献
田中鮎夢,「新々貿易理論とは何か」,ミネルヴァ書房,2015
高屋定美,「英国離脱の背景と欧州統合へのインパクト」,ECO-FORUM Vol. 32 No. 1, 統計研究 会,2016,pp. 19―26
P. クルーグマン他,「クルーグマン国際経済学 理論と政策 原書第10版」)丸善出版,2017 Stolper, Wolfgang F. and Paul A. Samuelson. (1941) The Review
IMF,
Mayer, T and Ottaviano,G. I. P,
BRUEGEL BLUEPRINT 3, BRUEGEL, 2007 Robert Stehrer, Jyrki Ali-Yrkko, Doris Hanzl-Weiss, Neil Foster, Petri Rouvinen,Timo
Seppa-la, Roman Stollinger and Pekka Yla-Anttila
Winer Institute für Internationale Wirtschaftsvergleiche Re-search Reports 369.2011
OECD, 2014 WTO,