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性同一性障害をめぐる日仏裁判所の判決・決定と欧州人権裁判所の判断を契機として: 沖縄地域学リポジトリ

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Title

性同一性障害をめぐる日仏裁判所の判決・決定と欧州人

権裁判所の判断を契機として

Author(s)

山口, 龍之

Citation

沖大法学 = Okidai Hōgaku(19-20): 193-218

Issue Date

1997-06-27

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/6614

(2)

'性同一I性障害をめぐる曰仏裁判所の判決・

決定と欧州人権裁判所の判断を契機として

沖大法学第十九

山口龍之

沖縄大学教授

序’性同一性障害

十合併号 (1)同』性愛・トラヴェスティ・'性転換症(`性同一性障害) 同`性愛の存在は人類の歴史の中では古くから知られたものであり、カリ ギュラ皇帝、アンリ3世、などが欧州の文献を賑わせている。米国の統計 では男性なら10万人に1人、女性でも40万人に1人が同性愛者であると言 われており、1953年以来形成外科手術がモロッコ、米国、スイス、英国、 ドイツ、ベルギー、南アフリカ、オランダ、スカンデイナヴイア諸国、か つての社会主義諸国などで行われるようになってきている(1)。 ロンドンでは1969年に最初のジエンダーアイデンティティー国際シン ポジウムが開かれるに至っているが、これに先立つ3年前、米国のジョン ホプキンス病院において、精神科医、泌尿器科医、婦人科医、形成外科医、

分泌学の専門家(endcrino1ogistes)らが集まって問題に取り組み、1000人あ

たり8から10人の患者に形成外科的手術を行っている(2)。 欧州議会も1989年9月23日性転換症患者に性転換の権利を認め、形成外 科的手術、法的処置などを保障するように求めた決議文を採択した(3)。 国際会議もアムステルダムで「性転換、医療と法」と題して1993年4月14 日から開催されている(4)。

同性愛者は、女装ないし男装嗜好から始まり、性器の除去手術を希望す

るようになり、ついには異性の性器を形成外科的に取得することを希望す るようになると言われている。こうした変化にともない、外科的手術の許 可からファーストネームの変更、さらには法的身分の変更、これに伴う雛 八 -1-

(3)

婚の可否、ひいては婚姻、養子縁組まで、同性愛にかかわる法律問題は多

い。しかし、形成外科的手術は、本人がもとの体に戻りたがっても戻れな

いため、慎重な判断が要求される。ところがこうした要望が満たされない とき、自殺する者も多い(5)。

ある精神分析医は、両親が、死んだ長女のことで悲しみが癒されていな

いため、その男の子の男性的な部分を無意識のうちに否定したために`性同 一性障害が表れたのではないかと、分析している。しかし、圧倒的多数の ケースでは、性同一性障害患者に自己の肉体の性を受容させる精神分析の 試みは成功していない(6)。 同`性愛については、それを生物学的差異とするのか、社会的要因による

もの(ジェンダー)と見るのかについては、学者の間でも見解が一致して

いない(7)。「性」といっても遺伝学上の性、ホルモンにおける性、解剖学

上の1性、社会心理学上の`性などがあり、同性愛といっても両`性具有、ホモ セツクス、女装あるいは男装趣味らは社会学的には区別された存在である。 同'性愛に生物学的な差異が見つかったとするルヴエーらは、その根拠を、

視床下部にあるINAH3という領域に男‘性異'性愛者と男`性同性愛者で違いが

見られると主張しているが、この研究は確認が得られていない。ルヴェー らの研究では男'性同性愛者のすべてがエイズで死亡した人であり、男`性異 性愛者で死亡した人は1例しかなかった。またINAH3の大きさの違いは、 エイズやその治療によるホルモン異常が原因であることも考えられるから である。同様に、へイマーたちが行った遺伝的研究にも疑問が呈されてい

る。同`性愛の兄弟がXq28領域のマーカーを共有する確率が、理論上より

509tも多いとはいえ、同`性愛者の異I性愛の兄弟については調べていない ため、異論の余地があるからである(8)。 ヒトの`性傾向の相違は生物学だけでは解けない部分がある。動物であれ ば同'性愛的傾向として交尾行動を挙げれば十分かもしれないが、ヒトの場 合は男'性による女装趣味、女性による男装趣味や同性者間における1性行為 性同一性障害をめぐる日仏裁判所の判決・決定と欧州人権裁判所の判断を契機として 七 -2-

(4)

類似行為だけではなく、自己のアイデンティティを求めるために身体的外 形の変更を希望する者(性転換希望者)も広い意味での同`性愛者として議 論されるからである。 ともあれ、`性転換症をはじめとする同'性愛の症状が医学的に解明されは じめると、それは治療の対象とこそなれ、個人的嗜好として社会の良俗に 対立する問題として扱われるべきではない、と解されるようになっていく のである。医学的異常は社会的・文学的な意味での倒錯ではなく、治療が なされ、法的救済の対象となることが社会に次第に認知されるようになっ ていくのである。しかし、同性愛の問題と言ってもそれはまだ、性転換症 (変性症)あるいは性同一性障害とよばれる領域のものに限られている。 そこで、本稿では性同一性障害に関する医学上の議論に焦点をおいて見 ていくこととしよう。 沖大法学第十九 十合併号 (2)生物学的性と心理.社会的性(9) 遺伝的な性は、性染色体によって決まる。XXであれば女性、XYであ れば男性となる。ただし、生物学的な性、すなわち身体的な性は、染色体 のみによって決定されるわけではないという。身体の成長にしたがって身 体的な性は、発達、決定されていくのだが、それは基本的には染色体の性 と多くの場合同じものとなるだけで、初めから同じわけではない。ヒトの からだは受精後7週間ころまでは「性」的には未分化で男女どちらにもな りうる可能`性のある「性的両能期」にあるという。後に精巣または卵巣に なる性腺は未分化、男性輸管系となる原基のウオルフ管、女性の輸管系原 基のミュラー管の双方が左右一対ずつ備わって、外性器、脳なども性的に 未分化だからである。性腺の男性分化は第8週からであり、精巣が作られ、 第9週位から輸管系の性分化(男性の場合はミュラー管の退化とウオルフ 管の発達)が起こり、第10週から外性器(陰茎、陰のう)の発生が見られ るようになる。女性の場合は、11週になって'性腺の分化がはじまる。卵巣 六 -3-

(5)

ができはじめ、子宮、膣の形成が始まり、外性器の分化は20週ころとなる。

脳の性差もこのころからと言われている。

こうした性の分化には、Y染色体の遺伝子(SRX抗原)やそれにひき

つづく性ホルモン、特に男性ホルモンが方向づけのカギを握っており、適

切な時期にホルモンが作用しないと別な性へと転換できない臨界期があ

り、非可逆性があると言われている。

こうした生物学的性にあっても、男女の境界線がはっきりしないことが

ある。性分化の途中で過誤が生じ、遺伝的な性と異なる形態的な性が発生

してしまう場合である。たとえば精巣と卵巣をともに持つもの、性腺はひ

とつでも内・外性器が性腺尾の性と逆に分化した半陰陽、性の判定の困難

な場合(間性)などである。こうした現象は、遺伝的な原因、染色体の異

常、あるいは特別な病気のために発生の途中でホルモンの異常が発生した

ためであると説明されている。代表的な疾患として、副腎性器症候群、ク

ラインフェルター症候群('01、ターナー症候群などがある。

こうした生物学的性の分化に関する障害については、以前から医学的治

療の対象として、外科的治療が行われてきているが、性同一性障害とは別

のものである。 性同一性障害をめぐる日仏裁判所の判決・決定と欧州人権裁判所の判断を契機として (3)心理・社会的性

自分の性を認知することを「性の自己認知(genderidentity)」という。中

核的性の自己認知といって、「自分は女である」とか「自分は男である」

といったように自身の性について確固たる自己認知と基本的確信が生まれ

ることをいう。中核的性の自己認知は、発達の極めて早い時期、おおよそ

生後18ケ月頃には形成され、それが形成されると一生涯変化することはな

い、と考えられている。

中核的性の自己認知の形成に関与する因子としては、次のものが報告さ

れている。 五 -4-

(6)

①生物学的要因として胎児期からの脳の性差があげられる。性行動のパ ターンは脳が性分化するときに働く`性ホルモン、アンドロゲンの強さ によって決定されるとの考えがドイツのダーナー(Doener,G)によって 提唱されており、ラットの実験でも確認されているという。 ②出生時に医師や両親から認定される外性器の形態に対する認知が、そ の後の本人の`性の自己認知に影響を与えるという。 ③両親の態度もまた、影響を与える。

④乳児の扱い方が精神的側面のみならず、条件づけ、刷り込み、学習な

どにより脳そのものの性差に結びつき、性の自己認識に影響を与える

という。 ⑤性器をはじめとする身体からの感覚入力が自己認知の形成に影響する という。 ⑥精神内界の発達もまた自己の性認知の重要な要素であるという。 沖大法学第十九 十合併号

こうして形成された中核的性からさらに心理的・社会的な性の自己認知

へと形成がすすむわけであるが、後者は両親のしつけ、教育、友人、社会

関係、ライフサイクルに応じて変化していくが、なかでも性別役割gender

roleが重要である。

性別役割というのは、社会の中でその個人の年齢、地位、性別、職業な

どに応じて行動しなければならない「義務」や「期待」の中で、`性に関わ

るものをいう。この役割は日常生活における何げない言葉づかい、衣服の

選択、家庭内、社会的関係における儀式をはじめとする場で求められるも

ので、いわば文化的なものであって、後天的に学習されるものである。従

って文化・社会・歴史において変化する相対的なものということができ

る。 四 -5-

(7)

(4)性同一性障害

生物学的性(sex)と自己の有する心理・社会的性の自己認知(gender

iden[ity)’''1が一致しないとき、これを`性同一性障害(genderidentity

disorder)あるいは1性転換症(transsexualism)、性別違和症候群(gender

dysphoria)と呼んでいる。

性同一性障害は「生物学的には正常であり、しかも自分の肉体がどちら の`性に所属しているかについてもはっきり認識していながら、その反面で、 人格的には自分が別の’性に属していると確信している」ことをいう’'21。 女性の体を持ちながら自分は本来男性であると確信し、女性の体を持っ たのは何かの間違いであると確信し、男性の服を着て男性として暮らそう とし、さらには、本物の男性になりたいと変性願望や性転換願望を持ち、 ホルモン投与や』性転換手術までをも行おうとするのである(男性が女`性に なろうとするのも同じ)。 性同一性障害についてDSM-mという国際診断基準は、以下のABCを挙 げている。 A反対の性に対する強く、持続的な同一感。 たとえば反対の性の服を好んで着たがる。子どもなら友だちを欲し、 成人なら、反対の性になりたいという欲求を口にする。 B自分の性に対する持続的な不快感、またはその性の役割についての不 適切感。 男の子の場合、自分の性器を気持ち悪い、女の子の場合、座って排尿 するのを拒絶し青年になると第一次および第二次性徴から開放された いという考えにとらわれる。反対の性らしくなるために性的な特徴を 身体的に変化させるホルモン、手術、などを要求する。 Cその障害のために臨床的に強い苦痛または社会的、職業的、または他 の重要な場での機能に障害を起こしている。 性同一性障害をめぐる日仏裁判所の判決・決定と欧州人権裁判所の判断を契機として -6-

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(5)以上のような障害に対して、精神療法、ホルモン療法、外科的療 法(’性転換手術)が諸外国では行われており、特に外科的療法の成果には 目覚ましいものがあるといってよいであろう。 沖大法学第十九

第1章性同一性障害をめぐる法的問題

十合併号 手術の許可 形成外科手術は、1953年以来各国で行われているが、こうした手術に 法的許可を要求している国もある。たとえばスウェーデンでは、1972年4 月21日の立法で手術の許可と身分の変更の可能性を規定している('3)。 近年は医師も職業倫理上の義務を理由に手術を行うようになっている。 そこでこうした諸国では手術までには3つの段階を踏むことが要求された。 (1)まず、1ないし2年間の観察期間が科せられる。(2)次にホルモン治 療がおよそ1年間にわたって行われる。(3)最後に外科手術の前に医師 会の倫理委員会の許可が申請され、許可があってはじめて形成外科手術が 行われることになるのである。フランスでは性同一性障害患者に形成外科 手術を施すことを合法とする大審事件裁判所判決が1982年4月9曰に出て いる。 民事身分の変更 フランスでは、かつては手術が認められず、やむなく国外で手術を受け る者がいたが、こうして手術を受けてきた者もまた民事上の身分の変更を もとめて訴訟している('41。たとえば1975年12月16日の破段院民事1部判 決は、ホルモン治療を国内で、次に形成外科手術を国外で受け、外観は女 性となった申立人が出生証明書における民事身分(etatcivil)の変更(性を 男から女へ)を求めて争われたものである('51。 申立人は1943年4月10日男性器を持って生まれている。申立人を鑑定し -7-

(9)

た医師らは、形成外科手術の結果にともない、いまや女`性の外観を呈する 申立人に女`性の民事身分を与えることが合理的であるとの鑑定意見を表明 した。しかし、破段院は原審の下した民事身分の不可処分'性の原則を支持 した。それゆえ申立人が女'性の身分を獲得するには、申立人が出生のとき から女性であったことを証明しなければならないところ、申立人はホルモ ン治療を国内で受け、続いて国外にて形成外科手術を受けたことで女性の 身分を獲得したというのであるから、かかる主張は民事身分の不可処分性 の原則と相入れないものである、としたのである。また、同時に上告され ていた同様の申し立て(ただし、こちらの事件では原審は、ファーストネ ームの変更を認容している)についても裁判所は判断をし、その中でファ ーストネームの変更の申し立ても認められないことを明らかにした。余談 ではあるが、同一の時期に起こされた同様の事件の申立人は、1940年か ら8年間結婚しており(48年には離婚している)、第二次世界大戦中ドイ ツ軍の捕虜となりナチの医師によって形成外科手術を受けた者である。こ の者は、ジョージという名で、その名はあまりにも男`性的であり自己の外 形と合わないとしてファーストネームの変更を求めたがやはり破段院によ って否定されている。 当時は、性転換手術そのものが公序良俗に反するとされていたため、国 内では性転換手術が受けられず、国外で自主的に手術を受けた者もいれば、 強制的に手術をされた者もいたのである。後者に対しては学者の中には同 '情的な者もいた('61。 ところが、この後も下級審の中には、民事身分の変更を認める判決、フ ァーストネームの変更を認める判決がいくつも存在する。1970年代後半 以降の多くの下級審裁判例は、一般に身分証書上の性別を変更し、それに 伴ってファーストネームを変更することも可能と考えていたし、学説にも、 `性転換に好意的なものがあったからであろう('71。 1979年7月11日サンテエチアン大審裁判所118)は、女`性から男」性へ性の 性同一性障害をめぐる日仏裁判所の判決・決定と欧州人権裁判所の判断を契機として -8-

(10)

変更を求めた訴えを認容した。大学講師で病院の医師、裁判所の鑑定人で

もある神経科医による所見によると、原告は物理的には女性であるが、心

理的には男性であるという。原告は、12ないし13歳ころから女性に強く

ひかれるようになり、18歳になると軍服を好んで着るようになった。モロ

ッコで1年間ホルモン治療を受け、1976年には米国で3回の形成外科手術

を受けている。社会的な性の範畷からすると男性であるというのが鑑定意

見であった。

これに対して国は、性は生来的、生物学的なものであり、客観的なもの

であって、社会的「性」なる概念を認めることはできないとの立場をとる。

社会的「性」なる概念は民事身分の不可処分性の原則に反する。

結局裁判所は、性概念なるものについて立法は何も規定しておらず、そ

れゆえ性はいかに決定されるかはあいまいであるとし、それゆえ社会にお

いては男性として生活している場合には、それを民事上の身分と一致させ

ようとすること、またファーストネームを変更することは、女性が男性と

して生きようとすることも、直ちに公序に反するとは言えないとした。ま

た、かかる民事身分の変更およびファーストネームの変更の請求は、それ によって同性どうしの婚姻を認めることになるわけではないから、かかる

請求は公序に反することはない、との判断を示した。

ところが同じサンテエチアン裁判所で1980年3月26日に一歩後退した判

決が出ている('91。もっとも性の定義は科学の進歩によって変化するし、

あるいは同じものとしてとどまる必要もないことを認めてはいるので紹介 しておこう。 原告は、11歳のとき虫垂炎にかかった際に医師から両性具有である旨、 母親を通じて告げられている。当時の友人らは原告のことを女の子として 扱っていた。16歳か17歳のころになると乳房もふくらんでくるようにな る。カサブランカ、そしてスイスで形成外科手術を受け、女装するように なる。鑑定によれば、原告は染色体からすれば男`性であるとのことである 沖大法学第十九 十合併号 ○ -9-

(11)

が、心理的には13歳から15歳の間あたりで女性になっている。17歳から 18歳になるとキャバレーでダンサーとして踊っている。裁判所は民事身分 の性の記載の変更は認められないがファーストネームの変更を認める、と 判示した。 1982年には、フランスの国会に大審院裁判所判事が心理学者の鑑定意 見を参考に性転換手術の許可を出すことができるとする法案が提出される が、通過しなかった120)。欧州議会は1989年12月12日性転換症患者を差別 から救済するために各国が性転換の権利を認め、形成外科的手術、法的処 置などを保障するように求めた決議文を採択した1211゜ しかし、フランスの国会は今度はなんらの措置もとらなかった。その後 も訴訟は続いた。1990年5月21日に出された4つの下級審判決は性の転換に 肯定的であった(221。 性同一性障害をめぐる日仏裁判所の判決・決定と欧州人権裁判所の判断を契機として

第2章フランス破穀院と欧州裁判所

判例 欧州人権裁判所の判決(1993年3月25日判決) 原告は1935年アルジェリアのシデイ・ベル・アベスでフランス人とし て生まれ、ファーストネームをノルベルト・アントワンという男性として 届けれられた。兄弟は原告のことを女性として扱ったが、学校では混乱し た。アルジェリアで兵役に服したとき、同性愛を経験している。1963年 パリに移り住み、キャバレーで働き出したとき偽名を使い始めている。自 己の女性らしさから、不安にかられ、1967年には1ケ月ほど入院している。 すでに女装をしていた原告人医師はホルモン治療と形成外科手術を勧め た。1972年にはモロッコで形成外科手術を受けている。原告は今は手術 の少し前に出会った男性と暮らしている。彼には出会った直後に自身のこ とを告白している。彼女は形成外科手術のおかげでもはや仕事を探すにも かつてのような不愉快な思いをせずにすんでいる。 ○九 -10-

(12)

そこで、原告は当初フランス国内において民事身分上の性の変更および ファーストネームの変更を申したてた。この事件はBotella事件とよばれ、 1987年3月31日フランス破殴院において民事身分の不可処分性を理由に性 の変更およびファーストネームの変更を認めないことが確定した。 原告は、さらにフランス国内の司法に対して申立てた民事身分の変更を 認められなかったのは欧州人権規約8条に反するとして欧州人権裁判所に 訴える。ちなみにフランスの破毅院は民事身分の不可処分性(自己の意志 による性の変更は認められない)を否定的取り扱いの理由にあげている。 これに対して原告は欧州人権条約8条1項は、「すべての人は、その住居 および居所にて私生活と家庭での生活を保障される権利を有する」と規定 しており、何人も個人として、家庭人としての生活を尊重されなければな らないと明示している点、および2項が、各国政府もこれを尊重しなけれ ばならない旨規定している点を理由に争っている。 そこで、欧州人権裁判所は原告が男性として生きることの不自由さ、は ずかしさから救うためには、性の変更も認められるべきだと、個人の利益 と公益を秤りにかけても、科学と新しい社会通念のもとでは法的な変更を 認めない理由はない、との判断を示し、フランス破段院の判決を破殴した のである。性転換は公序良俗に反しないばかりか、むしろ外観の性と法律 上の身分としての性が一致しないことのほうが社会にとって不都合と解 し、性転換症(性同一性障害)は、倒錯ではなく、むしろ疾病であり、社 会の偏見から法が保護しなければならない対象としたのである(231。判決 については次の三つの観点から学説が検討を加えているので以下に紹介し よう(型)。 1)私生活への侵害の存在:政府へ提出する書類などに性の記載を求め ているものは、それほど多くはない。それゆえ、私生活を快適に過 ごすための要望としてはファーストネームの変更が重大な要求とい うことになってくる。中性的なファーストネームならよいが、そう 沖大法学第十九 十合併号 ○八 -11-

(13)

でない場合、私生活に支障をきたすことは論をまたないであろう。 2)婚姻の自由について:原告は男性と同居しており、婚姻することを 希望している(訴訟上請求はしていない)。この点については、欧 州人権条約12条が伝統的な婚姻を生物学的に異なる性の間のものと しているので、原告は判決後も彼女が望む婚姻はできないであろう。 ただ、性の概念は遺伝学上のもののみでないことはこの判決も認め ているのであるし、遺伝学上からのみ婚姻を認めると、性転換手術 をし、外観上は同性どうしのように見える二人が婚姻すること、あ るいは婚姻当時は異性に見えたがその後同性のようになってしまっ た二人の婚姻が継続することも起こりうることとなってしまう。結 局、この点について予測をすることは容易でない。 3)民事身分の不可処分性の原則は破れたのか:そうであるとするなら ば、性転換症の患者は、性転換手術を政府に要求することもできる ことになろう。この点についても、今後のなりゆきを見守るしかな いのである。

この欧州人権裁判所の判決を受けて、同じ年の12月11曰、二つの著

名な破穀院判決がフランスで下されている。判決の要旨は以下のとお'〕・ 心理療法に続き形成外科手術までした性転換症の兆候を示していた上訴 人がもはやかつての性的特徴を失い、外形的にはもう一方の性に近づいて いるときで、かつ上訴人の社会的生活においてもその方が適合していると き、個人生活の尊重の原則から、上訴人の性をその外形に合わせることを 正当化する。民事身分の不可処分性の原則はかかる変更の障害とはならな い。 第1の事件は、欧州人権裁判所によってフランス破穀院の判決が覆され たものである。心理療法に続いて形成外科手術を受けた上告人は、1957 年3月3日に出生、ファーストネームをルネという男性と届けられているが、 子どものころより女の子であると思っており、20歳からホルモン治療を受 性同一性障害をめぐる日仏裁判所の判決・決定と欧州人権裁判所の判断を契機として ○七 -12-

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け、30歳で形成外科手術で男性性器を除去、膣を形成している。第一審で

は、民事上の`性の記載の変更は認めず、ファーストネームの変更のみ認め、

控訴審は性の変更も認めていたものである。欧州人権裁判所の判決を受け、

破段院は新民事訴訟法典第627条第2項により判決を変更したものである。

第2の事件は、1968年5月5日生まれのファーストネームをマークという

名の男性として届けられた上告人に関する判決である。子どものころより

自身を女性であると感じていた上告人は、ホルモン治療に続いて21歳のと

き形成外科手術を受け、男性性器を除去、膣を形成している。ファースト

ネームをクローデイア、民事身分を女性とする訴えは、第1審ではファー

ストネームの変更を認めるのみに留まった。エックス・アン・プロバンス

の控訴審はファーストネームの変更も認めなかった。そこで破段院は控訴

審の判決を破棄、モンペリエ控訴審裁判所へ事件を移送したというもので

ある。

これらの判決には、欧州人権裁判所の判決もさることながら以下の医師

アカデミーでの決議もおくればせながら影響している1251。

1982年6月26曰医師アカデミーにおいて全員一致で可決されたキユス教

授提唱の定義によると、性転換症(性同一性障害)とは「患者が、自身の

遺伝上、法律上の性ではなく、もう一方の性に属すると患者が深く確固た

る確信を抱いていること」をいう。そうして、この症候では、「患者は自

身を耐え難い自然の間違いの被害者であると感じ、常に物理的にも法律上

も性を転換することで社会的に自己の一貫性を獲得したい」と願うもので

ある。 沖大法学第十九 十合併号

第3章わが国での判例および倫理委員会の動向

判例 Ⅲ性的倒錯者に対して性転換手術を行った医師につき当時の優生保護法

(現行の母体保護法)28条(故なく生殖を不能とすることを目的として、

○ 六 -13-

(15)

手術またはレントゲン照射を行ってはならない)1261違反が適用された例 (昭和44年2月15日東京地裁判決)(271。 性同一性障害をめぐる日仏裁判所の判決・決定と欧州人権裁判所の判断を契機として 事件の概要:昭和39年5月13日頃、`性転換手術を求められ、これを目的 としてY(当時22歳)に対してその睾丸全摘出手術をし、同年11月15曰頃 K(当時23歳)に対してその睾丸全摘出手術をし、同日H(当時21歳)に対 してその睾丸全摘出手術をしたことが、優生保護法28条違反となるか否か が、争われたものである。 判旨:…`性転向症者に対する,性転換手術は次第に医学的にも治療行為とし ての意義を認められつつあるが、こうした基準を逸脱している場合には現 段階においてはやはり治療行為としての正当性を持ち得ないと考える。 …少なくとも次のような条件が必要であると考える。 (イ)手術前には精神医学ないし心理学的な検査と一定期間にわたる観察 を行うべきである。 (ロ)当該患者の家族関係、生活史や将来の生活環境に関する調査が行わ れるべきである。 (ハ)手術の適応は、精神科医を交えた専門を異にする複数の医師により 検討されたうえで決定され、能力のある医師により実施されるべき である。 (二)診療録はもちろん調査、検査結果等の資料が作成され、保存される べきである。 (ホ)`性転換手術の限界と危険性を十分理解しうる能力のある患者に対し てのみ手術を行うべきであり、その際手術に関し本人の同意は勿論、 配偶者のある場合は配偶者の、未成年者については一定の保護者の 同意を得るべきである。 ○五 戸籍上の記載を次男から長女に変更を求めた事件(名古屋高裁昭和54年 -14-

(16)

11月8日決定)(281:本人は原審では半陰陽であると主張したが、原審は

鑑定結果として「染色体検査、骨盤エックス線検査、診断所見によれば本

来は正常な男性であって、造腔術等の一連の`性転換術や豊胸術によって外

見上女性型を示しているにすぎない。よって申立人は依然男と認める他な

く、本件申立は前提を欠くことになり、爾余の判断をするまでもない」と

した。

そこで即時抗告し、次のように主張した。「(申立人は)現代医学におい

て可能な限りの手術により'性転換を遂げたのであって、これ以上の性転換

手術は望み得ず、事実000(申立人.抗告人)は男性としての外形的特

徴のみならず、生理的特徴も喪失しており、それに伴い性格的にも女,性化

しているのであって、理想的な性転換を遂げたものと謂うべきであって、

000(申立人・抗告人)が依然男性であるとする原審認定が誤りである

こと明らかである。」

名古屋高裁は、この即時抗告に対して次のように述べてこれを棄却した。

「人間の」性別は、性染色体の如何によって決定されるべきものであるとこ

ろ、記録中の鑑定人XXX作成の鑑定書によれば、Coo(申立人.抗告

人)の性染色体は正常男性型であるというのであるから、同Coo(申立

人・抗告人)を女と認める余地は全くない。」 沖大法学第十九 十合併号 名の変更、戸籍訂正事件審判の取り下げ事件(291

事件の概要:本件は名の変更と戸籍の訂正を求めて申立てが行われ、審

判書の草稿が完成した後に申立て本人から取下書が提出されたことにより

事件は終了したものである。それゆえ、審判例としての価値のあるもので

はない。`性同一性障害につき当事者、裁判所、医師らに理解がなかったた めに、間』性(半陰陽)であるか否かに議論が集中してしまったのではない かと思われる例である。申立ては、戸籍の記載を二女から二男へ、また女 性的な名から男性的な名へと変更を求めたもので、その根拠として以下の ○四 -15-

(17)

事実が申立てられている。 申立人は年少の頃から戸籍上は女性であるが、本当は男’性であることに 苦しんできた。上京後、男`性として社会に出て、その後の交友関係では男 性で通っている。昭和59年9月、I医師の診断をうけたところ「外性器男 性として異常なく、女性としての二次的性徴は全く認められず、男性であ るものと認められる」と診断された。これに勇気づけられ申立人は同年10 月Y女と結婚式をあげた。Yは申立人の秘密を知ったうえで結婚した。二 人は現在は同居しているが、婚姻届は出されていない。 調査官は、事実調査をすすめ「声、態度、‘性格など全く男性として見ら れる」との報告などを手にしたが、医務技官と協議し審判官の承認を得た うえで、ある大学の性科学の研究者として業績のある医師の診断を受ける ように申立人に勧めた。 ところが、この診断書の内容は、次のようなものであった。「申立人本 人は外性器の異常を主訴に来院したが、診断の結果、外性器は女性タイプ で陰核の肥大も著明ではない。また触診上精巣は両側触知せず、乳房は両 側共に手術的に切除されており手術はん痕が認められる。…(諸検査成績 記載)…これらの成績より男性半陰陽は否定的である。」 この診断書の記載から、申立代理人は申立人に本件の取下げを勧告し、 家事審判官も申立てが退けられる可能性を示唆したようである。申立ては 取下げられる。 ちなみに性転換症を正面から主張して戸籍上の性別の記載の訂正を求め た名古屋での別の決定がある。昭和54年のその訴えは、「染色体検査、骨 盤エックス線検査、診断所見によっても本来正常な男』性であって、造腔術 等の一連の`性転換術や豊胸術によって外見上女性型を示しているにすぎな い。よって申立人Aは依然男と認めるほかなく、本件申立は前提を欠くこ とになり、その余の判断をするまでもない」と申立てを却下され、抗告も 棄却されている(301。 性同一性障害をめぐる日仏裁判所の判決・決定と欧州人権裁判所の判断を契機として ○ -16-

(18)

名の変更申立て事件

横浜家庭裁判所は平成元年2月13曰性同一性障害者からの「名の変更申

立て」を認める審判を下した。申立ての理由は、①「申立人は昭和X年X

月X曰、父000と母000の子として出生したが、思春期に至るも女性の特

徴がなく、今日まで男性として生活してきた。」②「昭和54年10月、…と

「結婚」したのを機会に名を00と称し、現在に至っている。③来年3月、

勤務先の…仕事上でも名を変更する必要が生じた。」というものであった。

この審判については特別理由が付されていないので①~③をそのまま認め

たものと解することができる。 沖大法学第十九 十合併号 戸籍上の性の記載の変更を求めた例

平成6年3月31曰横浜家庭裁判所審判(平成2年(家)第3666号戸籍訂正許

可申立て事件)

事件の概要:申立人は、その戸籍中、父母との続柄「二女」とあるのを

「二男」と訂正することを許可することを求めたものである。その理由と

して①申立人は肉体的にも乳房の切除手術を受け外見上男性化している。

②20年以上の長きに渡って精神的にも、また家庭や職場その他の社会生活

全般において男性として生活してきているし、周囲も申立人を男性と思っ

ている。健康保険証の申立人の性別が女性となっているため、奇異な眼で

見られ、選挙権の行使も同様な理由で困難であり、旅券も取りづらい。同

棲中の女性と法律上の婚姻ができない、などの不自由が生じている。

③申立人にはもはや女性として生きることは不可能であり、かつ有り得な

い。しかし、それにもかかわらず申立人が戸籍上女性であることによって 蒙っている重大な不利益、苦痛、支障は、申立人の個人としての人格その ものを抹殺し否定するものである、と主張した。特に②については、一人 の女性と結婚し(いわゆる事実婚)、通常の男女と同様の家庭生活を送つ ○ -17-

(19)

てすでに11年間が経過している、という事実も挙げられた。 審判および審判理由:申立て却下。その理由は、①申立人が性転換症者

であることは、専門的研究者の見地からして間違いない。しかし、②わが

国の戸籍制度は、現在果たしている機能として人の身分関係を公に証明す る基本的文書であることが認められる。そうして、③「人は出生により存 在を取得するが、人は男か女のいずれかとして生まれるのであり、人の身 分関係について、個人を他人と区別して特定するにつき男女の別は最も根 源的なものというべきであろう。」④男女の別を何でするかは、もっとも

常識的に考えて、生物学的、生理学的な見地からである。⑤諸外国の立法

例、裁判例においても、後天的ないし作為的なものにせよ何らかの身体的、 外形的な異性化の徴愚の存在を一切条件とせずに、本来の性から異なる性 への変更を認めた例はないと理解した。(申立人は形成外科的な手術は、 乳房切除以外は受けていない。シンガポールでの手術を考えたが安全性へ の配慮から取りやめている。筆者記)⑥結局、申立人が外観上男性と同様 の社会生活を送っているにもかかわらず、否応なしに性別が明らかとなる 生活局面において、実は女性であることが知られてしまうことがあるとし ても、それは一般的にそう頻繁に起こることではないであろうし、一時の 苦痛と言えないこともない。また、婚姻についても、両性の結合を本質と する婚姻の性質上、たとえ本件申立てが認められても婚姻は無効と評価さ れる可能性がある、という理由で戸籍上の記載を錯誤を理由として訂正す ることを相当とする根拠は見いだせない、とした。 性同一性障害をめぐる日仏裁判所の判決・決定と欧州人権裁判所の判断を契機として 学説 石原明氏は、「性転換に関する西ドイツの法律」I3l1において、西ドイツ の立法を紹介しながら、わが国への立法の範とすべきか、という視点から わが国での立法の可能性について、次のように言及している。少々長いが、 引用しよう。 ○ -18-

(20)

この種の立法を考えるには、「まだまだ社会的素地が熟しておらず、事

態に対する認識が不足しているように思われる。…一般の人々の態度も、

…この病気に対する真の理解を欠き、むしろ一部は嫌悪の`情を持ち、また

-部は興味本位にしか対応していないのではなかろうか。しかし医学が進

歩し、また医学上の諸知識が情報として我々に伝えられる今日、その種類

を問わず病気に苦しむ人々の現状を正しく認識できるようになり、また、

それに対応した治療方法が施用されて救われる人が一人でも多くなること は、我々が生きる社会の共通の喜びである。要は現状を正しく認識し、そ

の認識にしたがって適切な対策をたてた上で、その対策が濫用されないよ

うに十分に配慮することである。」 ちなみに石原氏がここでいう「対策の濫用」とは次のような事態を想定 しているものと思われる。安易な`情緒的嗜好から性転換手術を受けた者に ついては、本人が「通称」として自らをどう表現しようとそれは自由であ

るが、戸籍上の名前や性別の変更まで配慮することはない。けだし、もし

それを認めるならば、刑法上、公序良俗に反する違法な侵襲行為を前提と

する事態を、戸籍上では承認することになり、それでは全体としての法秩 序の中に矛盾を来すことになるからである。」 大島俊之氏は、「(性転換手術がなされた場合には)性の訂正および名の 変更を認めるべきである」とし、性転換手術前に、医学上の`慎重な検査を なすべきだ、と主張する。そうして性転換手術をした者の婚姻についても 基本的には認める立場をとる(321。 沖大法学第十九 十合併号 埼玉医科大学倫理委員会の答申(331 少々長いが答申部分をそのまま紹介しよう。 l性同一性障害とよばれる疾患が存在し、'性別違和に悩むひとがいる限 り、その悩みを軽減するために医学が手助けすることは正当なことで ある。 ○○ -19-

(21)

2外科的`性転換手術も性同一性障害の治療の-手段と見なされるが、日

本の現状において、直ちに外科的I性転換治療を行うにはいまだ環境が

整っていないので、以下の手続きを経て環境の整備を行う必要がある。

1)関連する学会や専門家集団による診断基準の明確化と治療に関する

ガイドラインの策定。

2)形成外科、精神科、産婦人科、泌尿器科、小児科、内分泌学の医師

など性同一性障害の診断、治療に関係する各領域の専門家からなる

医療チームを結成し、適切な対象選定と治療選択、術前、術後のケ

アーのための体制の整備。

3)性同一性障害に対する理解を深め、外科的性転換治療に伴って生ず

る諸問題を解決するための働きかけ、例えば、法律家をまじえた有

識者による現実問題の解決への作業、当事者の参加のもとに、一般

のひとぴとの理解を得るための努力など。

3申請例については、上記の環境整備が行われ、個々の例について、専

門家からなる医療チームの判断がなされた後、改めて倫理委員会で審議

することとする。

性同一性障害をめぐる日仏裁判所の判決・決定と欧州人権裁判所の判断を契機として

第4章自己決定権と社会的身分:公序良俗とのかかわり方

フランスで性転換を希望する者は、社会的存在としての性や法律上の性

を否定するものではない。彼らはむしろ体制的である。婚姻すら希望する

者の少なくなってきた社会において、自身の身体と意識が性的に不一致で

あることに,悩み、体制的に希望しながら叶えられない者たちである。性転

換症は両‘性具有、ホモセツクス(性倒錯)、女装あるいは男装嗜好などと

は区別されるものである。

文明の中には性同一性障害(性転換症)を受け入れているところもある

し、むしろこうした症候を聖なるものとして扱うところもある。しかし、

ユダヤ.キリスト文明では、性転換症は教えに背く背徳行為である。申命

九九 -20-

(22)

記にもあるとおり「女は男の服を着てはならず、男は女の服を着てはなら ない」。 ところが`性転換症の患者は、個人の嗜好として他方の`性を選択している のではない、ということが近年の医学的研究の中で次第に明らかになって

きた。性転換症の患者は自ら好んで反社会的な嗜好を保とうとしているの

ではなさそうだ、というのである。患者は自己の身体の中で起こっている 医学的異常に戸惑い悩む病人なのである。好んで社会の良俗に反旗を翻し ている謀反者ではないということである。

この点を考慮したのであろうか、石原氏は「安易な情緒的嗜好から性転

換手術を受けた者については、戸籍上の名前や性別の変更まで配慮するこ

とはない。」とし、「もしそれを認めるならば、刑法上、公序良俗に反する

違法な侵襲行為を前提とする事態を、戸籍上では承認することになり、そ れでは全体としての法秩序の中に矛盾を来すことになるからである。」と したのであろう。同様に大島氏も「医学上の`慎重な検査をなすべきだ、と

主張する」のもこうしたことを配慮したためであろう。埼玉医科大学倫理

委員会の答申も「適切な対象選定」であるとか、公序良俗に反するといっ

た批判を受けないように「一般のひとびとの理解を得るための努力など」

をあげるのであろう。

しかし、公序良俗(公の秩序、善良の風俗)とは何であろうか。公序と

は、社会秩序のことであり、良俗とは性風俗に関するものを言う、と言わ

れている。「安易な情緒的嗜好」が良俗に反していると考えられているこ

とは間違いないであろう。

それゆえ、優生保護法28条違反を問われた事件において判決は、その許

可を認めるには、「性転換手術は異常な精神的欲求に合わせるために正常

な肉体を外科的に変更しようとするものであるというその性格上それはあ

る一定の厳しい前提条件ないし適応基準が設定されていなければならな

い」としたのであろう。 沖大法学第十九 十合併号 九八 -21-

(23)

このような倫理的規範がなぜ生まれたかについては、ミッシェル・フー コーの著明な研究があるので紹介してこう(鋤)。フーコーは性に関する 「抑圧の仮説」というものの吟味からはじめる。抑圧の仮説というのは、 ヴィクトリア朝の体制以来、我々は性について語ることを抑圧されてきた、 というものである。性現象は、生殖の機能というまじめな側面にすべて吸 収されてしまい、夫婦関係が唯一の正当な性のモデルとして君臨し、それ 以外のものは、すべて消え去るしかないと、性的に不毛な(家族の再生産 という視点から)者のことは、語ることさえ無意味なものとして、言葉す ら与えられない、というものである。それゆえ、たとえば子供というもの はセックスのないものだというのは、周知のことであるとして、彼らが性 を口にすること、彼らが性を見せびらかす危険がある場合には、とにかく 見ざる聞かざるを決め込むのである、といった類の言説である。 ところが実際にはヴィクトリア朝ほど実は性について多く語られた時代 はなかった、とフーコーは主張する。ヴィクトリア朝では、`性について語 ることを抑圧したのではなく、’性について語らせること、「告白」させる ことが起こってきたというのである。そうすることで、権力(18世紀の国 家)は労働力の確保という視点から「人口」を政策的な課題とし、「大も との「性」を支配し、制御するためにも、「性」について詳しく知らなけ ればならなかった」という。だからこそ、「セックスについて、避妊につ

いて、告白し、書き記すことが望まれたのである」というわけである。'3

5) 権力(ことって性とは、「生殖へと定められ」たものであり、「生殖によっ

て価値あるものに変化させられていないようなものは、無宿・無法の輩で

あ」ろというわけである。フーコーは言う。「組織的に労働力を搾取して いる時代に、それが快楽の中で四散するなどということを人は許容できた

であろうか。勿論、快楽といっても、労働力に自らの再生産を許す、最小

性同一性障害をめぐる日仏裁判所の判決・決定と欧州人権裁判所の判断を契機として 九七 -22-

(24)

限度に留められた`快楽は別であるが。」(37)と。 ‘性は、語られることによって、望む方向へと導かれていったのである。 「我々の文明は、結局のところ、個人個人が己の`性について告白するのを 聞くことによって報酬を受けるというそういう、<係り>のいる唯一の文 明である」1381(精神分析医のこと-筆者記)。 沖大法学第十九 十合併号 しかし、我々の社会はヴィクトリア朝の素顔の社会であるとまではいえ まい。それではいかなる行為が禁じられ、いかなる行為は許されるのであ ろうか。「人は他人に迷惑がかからない限り何をしても自由である」との 視点からさえ、社会の大多数がそれを、他人のことであっても嫌えば禁ぜ られることがある。例えば「臓器の売買は、たとえ売主がそれを金銭と引 きかえに売ることを望んだとし、買主も自分の命のため、あるいは近親者 のために買うことに同意したとしても」かなわないのである。その理由は、 社会のその他の構成員がそれを許し難いことと感じるからである、という(詔)。 自己決定権とは、ジョン・スチュワートミルの自由論中の「人は他人 に迷惑がかからない限り自由である」との功利主義の思想からきている。 そうしてこの迷惑の中に性転換したり同性どうしで婚姻したりすることが 含まれるかが問われたわけである。欧州人権裁判所は、性転換を一定の要 件のもとに認めながら婚姻を認めなかったのは、前者は個人の問題である が、後者は社会制度として人倫にとって根幹に関わる問題であると考えた からであろう。婚姻は、社会がそれをもってして婚姻と定めたものが婚姻 であって、たとえ当事者らが、それに類似し、一見区別できないものを創 設したとしても、それをもって婚姻の範晴に属するものとするか否かは、 その社会が決定することがらであるが、自己の性については、たとえそれ が民事身分に関わるものであろうと、あるいは日本でなら戸籍上の記載に 関わるものであろうと、そこにおける性のこうした公的文書における記載 は、社会制度としての「性」(これをフランスのかつての判決は民事身分 九六 -23-

(25)

の不可処分`性と呼んでいた)であっても、個人として「私生活と家庭での

生活を保障される権利」の一部をなすと解したということになる。

婚姻はともあれ、「`性」の戸籍上の記載の変更は曰本でも認められるべ

きである。 性同一性障害をめぐる日仏裁判所の判決・決定と欧州人権裁判所の判断を契機として

(1)JacquelinePETIT',L,Ambiguit6duDroitFaceauSyndrome

Transsexuel,,cit6H・Anlys,,,Lesprofbssionmedicalesetparam6dical

danslesMarch6Commun,,,Larcier,1971,p433.Firstlnternational

symposiumonGenderldentity,25-26-27Julyl969(London)この他、性

転換症に関する主たる文献としては、穴田秀男「性は変えられるか』メデ

ィカルトリビユーン社1976(本稿著者は参考できなかった)があり、ま

た石原明「性転換に関する西ドイツの法律」神戸学院法学13巻2号、同

「性転換の年令制限に対する違憲判決」神戸学院法学13巻3号、大島俊之

「スペイン法における性転換の取扱」神戸学院法学21巻4号125ページ以下、

大島俊之「性転換と法」判夕484p77以下、同「性転換と婚姻」大阪府大

経済研究28巻3号、35巻4号などがある。

(2)DPIioUet``QuepenserdesmGanssexuel?"PYislnintemational,d6cemb1℃

1969,no,l2p5

(3)SousladirectiondeC1aireNeirinck`Delebio6thiqUeaubiodroit',

LG・DJ1994

(4)拙稿「バイオエシツクスからバイオ法へ」沖大法学18号107ページ

(5)ibidPetit

(6)JacquelineRudeUm-Devichi"nnnssexualisme"Rev・tIim.。r・civ88(4)oct.‐

d6c,1989p/724

(7)Wパイン「明確でない生物学的差異」日経サイエンス1994年7月号

(8)WilliamByne“TheBiologicalEvidenceChallenged,,SientifIc

American,Mayl994

(9)埼玉医科大学倫理委員会「『性転換治療の臨床的研究』に関する審議経

九五 -24-

(26)

過と答申」埼玉医科大学雑誌第23巻第4号313ページ以下

('0)正常な男`性が思春期以降女`性化する異常で、この症候群の症状は、睾

丸が萎縮しているか、または極めて小さく、胸が自然に大きくなり、陰部

の体毛が女」性のような形をなし、顔面にはほとんどひげがない。この症例

では、多くの者は、染色体の構成がXXYである。 (11)genderidentityのことをここでは自己認知と表現してたが、それは前 出の埼玉医科大学倫理委員会の答申に従ったためである。 (12)前出埼玉医科大学答申317ページ (13)スウェーデンの法の要旨を紹介しておこう。

まず、立法は、公官所に届けられた性と少年期より一致してないことを

証明した者は、性の記載を変更することを求めることができる旨規定して いる。この請求は、その者の外形とは無関係であるが、かかる請求は'8歳 以上のものがなすことを原則として規定している。 次に手術の許可につき、2名以上の医師の診断が必要なこと、不許可の

決定に対しては裁判で争うことができることなどが規定されている。

(14)フランス民法99条は1958年8月23曰のオルドナンスによって身分証書

の更生は、裁判所の所長によって命じられる旨規定している。

(15)S6mainJuridiquellJurisprudence(1976)18503,RecueilDalloz Sireyl976julisprudencep397 (16)ibidRecueilDaUozSirey,noteRaymondLINDON U7)大村敦司「性転換・同性愛と民法(上)」ジユリスト1080号68ページ 特に注20から22 (18)11juilletl979et26marsl980TribunaldeGrandelnstancede 〆 SaintEtienne,RecueilDallozSireyl981p270 U9)注11参照 (20)拙稿「バイオエシツクスからバイオ法へ」沖大法学18号28ページ (21)拙稿(文献紹介)「バイオエシックスからバイオ法へ」沖大法学18号 104ページ 沖大法学第十九 十合併号 九四 -25-

(27)

(22)21mail990J、0P199011,21588,RapportdeMleConseiller MASSIP;M、Gobert,LeTranssexualismeoudeladifficult6 .,6xisteri',』.C・P1990.,1990,chr3475;JHAUSER,ChroniquePersonnes etdroitdelafnmille・Rev・trimdr・civ、1991,no2.p289 (23)拙稿「バイオエシツクスからバイオ法へ」沖大法学18号132ページ以 下、特に104ページ (24)Coureurop6ennedesdroitsderhomme25marsl992,eJC.P/1992. 21955noteThi6rryGare. (25)IbidjurisprudenceLaSemaineJuridique(JCP)EdG,no321991 (26)ちなみにこの規定は母体保護法でも優生保護法の28条をそのまま継承 し、以下のように規定している。「何人も、この法律の規定による場合の 外、故なく、生殖を不能にすることを目的として手術又はレントゲン照射 を行ってはならない。」 (27)判例時報551号26ページ以下 (28)判夕404号137ページ、判時955号77ページ、大島俊之「性転換と法一 戸籍訂正問題を中心として-」判夕484号77ページ以下 (29)柳澤千昭「ある名の変更、戸籍訂正事件の審判一性のさすらい人事 件の顛末」判例タイムズ477号44ページ以下 (30)大島俊之「性転換と戸籍訂正」法律時報55巻1号202ページ以下 (31)前出石原明 (32)大島俊之「性転換と婚姻」55ページ以下 (33)前出埼玉医科大学雑誌 (34)ミツシエル・フーコー箸渡辺守章訳「性の歴史I知への意志」新 潮社1986 (35)桜井哲夫「フーコー」講談社1996257ページ (36)前出フーコー10ページ (37)前出フーコー13ページ (38)前出フーコー15ページ (39)山口龍之「米国医療と快楽主義」信山社(1995)205ページ以下 性同一性障害をめぐる日仏裁判所の判決・決定と欧州人権裁判所の判断を契機として 九 -26-

参照

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