親鸞と川
──日本人の河川観── 池 末 啓 一 目 次 Ⅰ. はじめに Ⅱ. 『改邪鈔』と親鸞 Ⅲ. 多様な葬制 1. 水葬と鴨川 2. 火葬 3. 林葬 4. 水葬・林葬と「利他行」 Ⅳ. 「葬る」の語源 Ⅴ. もう一つの河川観 Ⅵ. おわりに 要旨 親鸞は「それがし閉眼せば賀茂河にいれて魚に与うべし」という言葉を残し ている。浄土真宗では喪葬一大事を否定するような意味をもつ言葉とされてき た。親鸞は,自らを必ず水葬にするようにと言い残したのであろう。葬制には 水葬・林葬・土葬・火葬などがあるが,親鸞のこの言葉を通して,日本人の河 川観・葬制観などを考察した。わが国では古代・中世には水葬・林葬が,一般 庶民の間では行われてきた。これらの葬制を親鸞のみならず一遍らも望んでい た。この二つの葬制は大乗仏教的には,布施の最高形態の「利他行」の実践に 当たる。「利他行」が,古代(仏教伝来以後)・中世の日本人の河川観・葬制観 を形成していたと考えられる。水葬・林葬は今日的な表現をすれば,生態学的 循環と考えられる。さらに,わが国には別の河川観もある。それは「禊」,「祓 (「古賀河川図書館」幹事,水文学・自然地理学専攻,文学博士)い」と言われて罪や穢れを除き去るというものである。これは,「水に流す」 という言葉に象徴されるもので,日本人の人間関係や精神構造にも深くかかわ っているかもしれない。 キーワード:親鸞,鴨川,葬制,仏教,神道,日本人の河川観,日本人の人間 関係・精神構造 Ⅰ. はじめに 「親鸞と海」というと浄土真宗ではポピュラーなテーマである(森竜吉『親 鸞随想』三一書房など)。たとえば,門徒の朝夕の勤行(おつとめ)・法事・葬 儀などの際の読どく誦じゅに欠かさないものに,「正しょう信しん偈げ」がある。正信偈は正信念仏 偈ともいい,親鸞(1173-1262)の『教行信証』の行巻末尾にある七言百二十 句の偈げ文もんである。この中に「海」とつく言葉が多用されている。群生海,煩悩 海,大宝海,本願海,一乗海などとある。『教行信証』では海と云う言葉が100 回ほど使われている。親鸞は海を深くて広くて限りないもので,すべてのもの を包み込んでいくものと考えていたようである。これに対して,親鸞と川の関 係は一見深くないように思われる。しかし,川は海と繫がっており無関係では ないばかりか,水を海に導くものとして重要な意味があると考えられる。小論 では親鸞と川の関係を一つの軸として日本人の河川観に関連する問題について 考えてみたい。 Ⅱ. 『改邪鈔』と親鸞 「親鸞と川」といえばすぐに思い出すのは,次の文章である。『改がい邪じゃしょう鈔』(か いじゃしょう,とも読む)に「それがし閉へい眼がんせば賀茂河にいれて魚うをに与うべ し」(結城令聞監修『現代語訳 親鸞全集 第一集 語録』講談社)とある。 これは親鸞の言い伝えである。『改邪鈔』は親鸞没後76年の建武 4 年(1337), 親鸞の曾孫である覚如によって出されたものであり,『改邪鈔』のこの文は当 時の喪祭を一大事とする風潮に対する親鸞の批判的意見であると考えられてい る。また,『歎異抄』の第五条にも念仏は父母の追善供養のためにあるもので はない旨を述べている。これらの言葉は今日では「葬式仏教」に対する批判の
意味を持っていると解釈されることが多いが,葬制という観点から見れば,親 鸞のこの言葉は当時,鴨川(賀茂河)が「水葬の場」となっていたことを反映 しているものと考えられる。また,魚に遺骸を与えることは,大乗仏教におけ る布施の最高形態「利他行」にも関係している。 Ⅲ. 多様な葬制 1. 水葬と鴨川 『続日本後記』の承和 9 年(842)10月14日の条に「左さ右ゆうきょう京識しきおよび東西悲ひ 田 でん 院 いん に勅して,並びに必要経費を渡し,嶋しま田だおよび鴨かも河原か わ ら等の髑どく髏ろ総じて五千 五百余頭とうを焼き,埋葬した。」(森田悌『続日本後記』全現代語訳 下巻 講談 社学術文庫)とある。鴨長明『方丈記』(建暦 2 年,1212年成立)には養和の 飢餓(1181-82)の際について,町中は死体だらけ「まして,賀茂の河原なん かでは,死体が多く捨てられ,馬や牛ぎっ車しゃの往来する道さえない。」(安良岡康作 『方丈記』全訳注 講談社学術文庫,第五章)とある。これらの史料は鴨川 (賀茂河)が水葬の場であったことを示している。さらに,大塚民俗学会編 『縮刷版 日本民俗事典』(弘文堂)の葬法の項に「水葬 北九州の古墳にみら れる舟の絵は水葬を推測させる。中世の熊野の補陀落渡海は水葬と考えられ, 日高川・吉野川の河原墓地の存在も水葬を暗示する。京都の賀茂川に経木をつ けて死人を多数流したと中世の史料にみえる。」とある。そして,『本朝世紀』 (平安後期の歴史書)には一条天皇正歴 5 年(994)疫えき癘れい流行による死者で鴨川 の流れを塞いだとある。 京都市内を流れる鴨川をはじめとした河川は,扇状地河川で洪水の際,土石 流を主体とした激しい流れを形成する。このタイプの河川は極めて大きな掃流 力(運搬力)を持っている。いわゆる,暴れ川である。このため,「水葬」に は極めて都合が良かったに違いない。天皇の力を以てしても,どうにもならな い象徴に,鴨川の洪水,双六の賽,山法師が挙げられた。これほど鴨川は洪水 を頻発し,治水は困難を極めた(中島暢太郎『気象と災害』新潮選書,植村義 博『京都の治水と昭和大水害』文理閣など)。西日本をはじめ本邦の平野・盆 地の山地から流れ出す河川はほとんど全て,扇状地を流れている。扇状地河川 は水葬には都合の良い河川である。古い主要都市は扇状地の扇頂・扇端に立地
し,扇央は古代・中世には未開発で河道が乱流しており,水葬・林葬の場であ ったに違いない。 近年の歴史民俗学の世界では,古代・中世の京都では水葬を中心に死体遺 棄,林葬,風葬が一般的であったことが明らかにされつつある(勝田至『死者 たちの中世』吉川弘文館,勝田至編『日本葬制史』吉川弘文館)。たとえば, 「平安京の庶民の手軽な葬地として使われたのは,京の近辺を流れる河川のか わらであった。」(『日本葬制史』)。 民俗学で代表的な葬制の記述のある柳田國男「葬制の沿革について」(『柳田 國男全集 12』ちくま文庫)や大林太良『葬制の起源』(中公文庫)には,葬 制としての水葬にはほとんど触れていない。従来の民俗学は,水葬には関心が 薄く,一般的ではなかったとしている(柳田國男監修『民俗学辞典』東京堂出 版)。他方,その他の葬制について,堀一郎は,「我が国の葬法は古來土葬(墳 丘式,埋葬式)と火葬が主流なものとせられ,土葬は古墳時代以前より,火葬 は少なくとも奈良時代以降現代まで多くの国民によって支持されて來た。水葬 も多少行われてきたらしいことは舟形石棺の出土や棺を⽛ノリフネ⽜,⽛フネ⽜ ということや葬儀の世話人のことを⽛フナウド⽜という風習や,補陀落渡海の 傳説等(後述)にうかがわれ,風葬は薩南群島の一部,奄美大島及び琉球諸島 に近年まで慣行され,その中には洗骨の風を伴って……(中略)……發展して いる所もある。」(『民間信仰』岩波全書)。棺のことを「ノリフネ」,「フネ」と いい,葬儀の世話人を「フナウド」ということは,重要なことである。その分 布が広く残っているわけではないが,柳田國男監修『綜合日本民俗語彙』(㚻 凡社)に三重県志摩町で「棺をノリフネという。」また,フナウドの項に「茨 城県の一部で葬儀の世話役を船人という。フネは棺の古稱の一つであったか ら,それを取扱う人の意。」とある。日本最大の国語辞書の『日本国語大辞典』 (小学館)では,船・舟のことを「棺桶・ひつぎ」としている。さらに,山中 襄太『国語語源辞典』(校倉書房)に「屍体の容器すなわち棺をフネともいい, 入棺を⽛フネ入り⽜という。」とある。これらから,かつて水葬が主流だった 地域や時代があり,葬制として広くそれが行われていたことを暗示している。 また,日本列島の周辺部にあたる沖縄の島々に「風葬」の習慣が残っているこ とは,生物で言うレリック(遺存種)と同じ現象で,社会的にみられるレリッ クに他ならない(『井尻正二選集 6 』大月書店)。
2. 火葬 「火葬」は古代・中世には天皇・僧侶・貴族などの一部の階層で行われてい たに過ぎなかった。『続日本記』に文武天皇 4 年(700)3 月,僧道照の物化 (死去)の際に,弟子らその遺教を奉じて師の遺骸を栗原(明日香村栗原)に 火葬したとある。これが文献上の初見である。これに続いて奈良時代には,天 皇,貴族,僧侶の間では火葬が次第に定着する。また,万葉集の中にも「火 葬」を歌ったものがある。 「火葬」はその燃料が薪である。それが高価であったため,庶民の間では 「火葬」は一般的ではなかった。 古代は大規模な都の造営が行われ,森林の略奪期にあたり,木材は不足して いた。中世は人口増加の速度が速まり,経済発展が多くの人々の生活水準を高 め,それと同時に農地拡大と農業技術の変化で肥料として取られる野草や柴が 大量に求められるようになっていた(C. タットマン『日本人はどのように森 林をつくってきたのか』築地書館)。地方でも,古代は国分寺・尼寺や国府の 造営などで同様の事情にあったと考えられる。 3. 林葬 一遍上人は,「わが門弟におきては,葬礼の儀式をととのうべからず。野に 捨てて獣に施すべし。」といった。その葬礼の方法については『一遍上人語録』 (岩波文庫)の百十の注に「林葬」とある。「林葬」は死骸を林中に捨てる葬法 で,中村元『佛教語大辞典』(東京書籍)には,森林や草原に死体を捨てて置 き,風雨にさらして鳥獣の食に供するものとあり,「野葬」とも呼ばれる。「風 葬」もほぼ同じものと考えてよい。筆者はこんもりとした丘の森に遺骸を放置 する状態を想像する。 筆者の母親の実家の墓地を通称「きつねべし」(福岡県大牟田市 A 町)とい う。きつねは動物の狐を,「べし」は福岡県筑後地方の方言で孟宗竹の林を意 味する。へしは「へーし(林)」の訛で林・竹藪のことである。べしは特に孟 宗竹の林を指す(松田康夫『筑後方言辞典』久留米郷土研究会)。「きつねべ し」は狐の棲む孟宗竹林という意味である。これはこんもりとした高まりの孟 宗竹を含む森で,地形的には洪積台地で崖端部にあたり,信仰・祭祀の場であ る端山とも解釈できるところでもある。その森は現在でも昼なお暗く,江戸時
代からの墓石のある墓地となっている。時代のはっきりしない無縁の墓石も多 く,荒れている。また,その一角に稲荷神社がある。ここを訪れると令和の時 代を忘れ,古い時代にタイムスリップする。狐は死肉を喰らい,狼とともに土 葬を暴く動物として知られ,忌み嫌われる側面を持っている(松山義雄『続々 狩りの語部』法政大学出版局,吉野裕子『狐』法政大学出版局)。古い時代 「きつねべし」では狐が墓を暴いていたかもしれない。さらにḪればこの森で は,林葬が行われていたのではないかと想像をたくましくする。何か理由がな ければ,普通の場所が古くから墓地になることはない。「きつねべし」は住宅 地化したら「○×ヒルズ」と名前が付きそうな場所であるが,古は林葬の場と して利用されたものと考えても不思議ではない。 埋葬地は「境を意味する⽛サイノカワラ⽜が,多く埋葬地の名称として使用 され,しかも,その名の如く,埋葬地は村境に設置されることが多く,埋葬地 が忘却された後も恠談(怪談,筆者注)として残り,村人たちが避けて近づか ぬところであった。」(田中久夫『祖先祭祀の研究』弘文堂)。「サイノカワラ」 は河原の一つで,境界地でもあることにも意味がある。 4. 水葬・林葬と「利他行」 『拾遺往生伝』巻下,第27話に善法という僧が死んだら必ず林野に置いて鳥 獣に施せと遺言し実行されたという(井上光貞・大曾根章介『往生伝 法華験 記』日本思想大系,岩波書店)。一遍も同様の言葉を残していることは前述し た。親鸞の自らの遺骸を「魚に与うべし」という言葉も同様で,「林葬」と場 所は異なるものの同じ生きているものに食べさせることに他ならない。 仏教には「捨身飼虎」の説話がある。これは釈尊の前身とされる薩さつ埵た太たい子しと いう王子がわが身を捨てて飢えた牝虎を救ったというものである。法隆寺玉虫 厨子の「捨身飼虎の図」がこのテーマである。この説話は『金光明最勝王経』 十「捨身品」に基づいている。この王子は「利他行」の実践者として知られて いる。「利他行」は大乗仏教の宗教倫理の中核をなし,その最高のものとされ ている。また菩薩(大乗仏教の求法者)の宗教的実践の最も重要な関心事であ り,菩薩行というときに利他の面が特に重視される。また,大乗仏教の第一の 実践倫理である布施は,最終的には究極の自己犠牲の精神が求められ,利他が その最高とされる。この説教を教訓にしたものが,「捨身飼虎」の説話に他な らない。浄土真宗では利他を阿弥陀如来の衆生救済のはたらきとする。ここで
衆生とは生命あるものを意味する。親鸞や一遍などの「遺骸を生き物に与え・ 施せ」といった旨は,上に述べた宗教的根拠に基づくものと考えられる。ま た,これは,わが国の輪廻の人生観や輪廻転生などにも影響を与えているかも しれない。さらに,これは今日風に考えると生態学的な循環ともいえる。 Ⅳ. 「葬る」の語源 日本語の「葬る」は語源的には「はぶる」,「ほうる」からきていると考えら れ(大塚文彦『新編 大言海』冨山房,山中襄太『国語語源辞典』校倉書房, 増井金典『増補版 日本語源広辞典』ミネルヴァ書房),遺骸を放置すること (水葬・林葬など)に基づいている。これは「水葬」・「林葬」などが,かつて 主な本邦の葬制だったことを暗示させる。「ハフリ」,「ハフル」などが葬式の 言葉として,いまだに使われている地域もある。 「土葬」は,長年にわたると広大な敷地を要し,都市問題となる。したがっ て,一千年も続く京都のような都市では,古代から「土葬」が支配的だったと は考えにくい。水文学の恩師の金子良博士(元北京大学農学院教授,元日本大 学教授)は大学院時代の筆者に戦前の中国・北京市の墓地事情を話されたこと がある。それは日中戦争勃発時点で北京では土葬の墓地が限界に達しており, 都市問題化していたとのことである。古代・中世を通して広大な墓地の面積を 必要としたであろう土葬が,土地の限られた京都で行われたとは考えにくい。 ましてや,小規模な西日本の古い各都市においては特にそうである。近世に入 って江戸・京都など大都市で「火葬」が定着するまで,庶民は,「水葬」・「林 葬」・「風葬」だったに違いない。 Ⅴ. もう一つの河川観 これまで親鸞と川の関係を基に水葬・林葬などの葬制とその宗教的意味を明 らかにするとともに,仏教に関わる日本人の河川観を検討してきた。このほか に,もう一つ川との関係と見られるものがある。 川で行う「人ひと形がた流し」や害虫退治の「虫送り」などはもう一つの日本人と河 川との関わりを示したものであろう。これらは古事記,万葉集,源氏物語など に見られる「禊」,「祓い」にさかのぼることが出来るし,さらに古い時代にさ
かのぼれば,葬儀の際に「澡そう浴よく」(水浴)したという記述は邪馬台国のことを 書いた『魏志倭人伝』に既にみることが出来る。澡浴は体の汚れや不潔を洗っ て,きれいにし,清めることで「禊」の原型である。これは主に水を使って川 などで行われていたと考えられる。そして,これらは修験道や神道などの宗教 儀式の基礎となるものでもある。これらの行事は,古くから日本人にとって, 汚物・汚辱・穢れなどを「禊」や「祓い」で除去して清浄なものにしてくれる ものであると考えられてきた。 これらのことに関係の深い「水に流す」という表現がある。これは,日本人 の人間関係や「禊」,「祓い」という日本人の深層の観念・意識に深くかかわっ てきたと考えられる。 Ⅵ. おわりに 古い民俗学の世界では,葬制は「土葬」・「火葬」・「風葬」が主な研究対象で あり,「水葬」・「林葬」はあまり注目されなかった。しかし,わが国の古代・ 中世の葬制は京都を中心として「水葬」・「林葬」などが主なものであった。 親鸞・一遍らの言葉の意味する「水葬」・「林葬」は,大乗仏教の第一の実践 倫理の布施である自己犠牲の最高形態の利他の思想に基づくものであると考え られる。「水葬」・「林葬」は今日的には生態学的循環と考えられる。 「葬る」の語源は遺骸を放置する「はぶる」,「ほうる」に由来する。大陸と は異なり,狭いわが国の古代・中世では,葬制の主体は「水葬」・「林葬」であ った。特に小規模の西日本の中心都市では,そうであったと考えられる。一般 に「火葬」が定着するのは,江戸時代以降であり,地方に普及するのは明治以 降である。 「水葬」は京都の鴨川をはじめとする西日本の平野・盆地の扇状地河川が雨 季に見せる強力な掃流力に基づいて行われていた。 最後に,もう一つの川との関わりについても触れた。日本人の河川観を考え るうえで重要なテーマとなるものである。 親鸞と川の関係を通してその周辺の問題について,古典文学,歴史民俗学, 民俗学,仏教思想,水文学などに基づきながら川と日本人の関係に踏み込んで みた。まだ,十分な議論・検討が尽くされているとは思えない。これは今後の 課題としたい。
この小論を水文学の恩師の金子良博士と山本荘毅博士の両先生に捧げる。 謝辞 これを作成するにあたり,多くの方々にお世話になりましたが,とくに義兄 の溝口龍一郎氏にはアドバイスを頂きました。皆様に感謝します。 引用・参考文献(引用・参考順) 森竜吉『親鸞随筆』三一書房,1972 真宗聖典編纂委員会『真宗聖典』東本願寺出版部,1978 親鸞述 石田瑞磨訳『歎異抄・執持鈔・口伝鈔・改邪鈔』㚻凡社,2003 結城令聞監修『現代語訳 親鸞全集 全10集』講談社,1974-75 真継信彦 現代語訳『親鸞全集 全 5 集』法蔵館,1982-84 大谷暢順『蓮如「御文」読本』講談社学術文庫,2001 金子大栄校注『歎異抄』岩波文庫,1993 森田悌『続日本後記』全現代語訳,下巻,講談社学術文庫,2010 鴨長明『新訂 方丈記』岩波文庫,1989 安良岡康作『方丈記』全訳注,講談社学術文庫,1990 大塚民俗学会編『縮刷版 日本民俗事典』弘文堂,1999 土井卓治・佐藤米司編『葬送墓制研究集成 第 1 巻 葬法』名著出版,1979 植村義博『京都の治水と昭和大水害』文理閣,2011 北村優季『平安京の災害史』吉川弘文館,2012 中島暢太郎『気象と災害』新潮選書,1986 邦光史郎『鴨川千年涙川』駸々堂,1970 勝田至『死者たちの中世』吉川弘文館,2004 勝田至編『日本葬制史』吉川弘文館,2012 柳田國男『柳田國男全集 12』ちくま文庫,1990 大林太良『葬制の起源』中公文庫,1997 柳田國男監修『民俗学辞典』東京堂出版,1988 堀一郎『民間信仰』岩波全書,1972 柳田國男監修『綜合日本民俗語彙』(全 5 巻)㚻凡社,1962 日本大辞典刊行会『日本国語大辞典』(全20巻)小学館,1971-76 山中襄太『国語語源辞典』校倉書房,1976 井尻正二『井尻正二選集 6 』大月書店,1982 C.タットマン『日本人はどのように森林を作ってきたか』築地書館,2004 宇治谷孟『続日本記(上)』全現代語訳,講談社学術文庫,1985
大橋俊雄校注『一遍上人語録』岩波文庫,2011 中村元『縮刷版 佛教語大辞典』東京書籍,1981 松田康夫『筑後方言辞典』久留米郷土研究会,1991 松山義雄『続々狩りの語部』法政大学出版局,1978 吉野裕子『狐』法政大学出版局,1985 田中久夫『祖先祭祀の研究』弘文堂,1978 井上光貞・大曾根章介『往生伝 法華験記』岩波書店,1974 岩本裕『日本佛教語辞典』平凡社,1988 岩本裕『世界の宗教 7 布施と救済 大乗仏教』淡交社,1969 大槻文彦『新編 大言海』冨山房,1988 増井金典『増補版 日本語源広辞典』ミネルヴァ書房,2012 石原道博編訳『新訂 魏志倭人伝・その他─中国正史日本伝 1 ─』岩波文庫,1985 (原稿受付2019年 2 月 4 日,原稿受理2019年 7 月24日)