Title
「沖縄戦体験を語らう場」の実践的意義−「戦争に奪わ
れたもの」を取り戻していった80歳女性の物語を通して
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Author(s)
吉川, 麻衣子
Citation
沖縄大学人文学部紀要 = Journal of the Faculty of
Humanities and Social Sciences(15): 51-59
Issue Date
2013-03-15
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/11801
〈実践報告〉
「沖縄戦体験を語らう場」の実践的意義
―「戦争に奪われたもの」を取り戻していった 80 歳女性の物語を通して―
吉川 麻衣子
要 約 本稿は,沖縄県内 A 地域において実施されている「沖縄戦体験を語らう場」の実践 的意義について,一人の参加者の物語を通して考察することを目的としている。沖縄 戦体験を機に,人を信じることができなくなり独りで生きることを選択し,体験の記 憶を心奥に閉ざしてきた参加者が,徐々に人間関係を構築していき,感懐を語り亡く なっていくという経過であった。本実践は,体験を聴いてもらうことを望む方にとっ ての dying work の意味があり,感情や人間性の陰陽が表出できる場として醸成され てきたと考えられる。 キーワード(3 ~ 5):沖縄戦体験,語らい,物語,dying work,臨床心理学的地域援助 1. はじめに 筆者は,1997 年から沖縄戦体験者との「かかわり」を続けている。2000 年と 2003 年, 2009 年に実証的調査研究を実施した。沖縄県の戦争体験者は,関東近郊の高齢者に比して,戦 争体験の記憶による心理的影響に苛まれている可能性が示唆された(吉川・田中,2004;吉川, 2009 他)。それらの調査中に体験者たちから聴こえてきたニーズは,「沖縄戦の体験を安心して 語る場が欲しい」というものであった。聴いてくれる人,話せる場が少なくなってきたと感じ ている人びとや,これまで語らずにいたが高齢期を迎えて語り始める人びとからのニーズであっ た。そこで,2005 年に沖縄県内で「沖縄戦体験を語らう場」を立ち上げた。 本稿は,終戦から 60 余年経て感懐を語り始めた一人の参加者の物語を通して,「沖縄戦体験 を語らう場」の実践的意義を考察することを目的とする。 2.「沖縄戦体験を語らう場」の概要 2005 年の時点で 73 名(平均 77.7 歳)の参加者が集まった。沖縄県内 7 地域において,セッショ ン 1 回につき 3 時間,月 1 回の closed-group として実施されてきた。pre セッションで,メンバー とグループのニーズを基に構造と実施内容を決めた。 また,参加希望者に対して事前の個別面接を複数回行った。戦争体験といういわゆる「外傷 体験」の記憶を扱うため,語り聞くことでもたらされる心理的負担について説明し,家族の同 意が得られない方や主治医の了解が得られない方には,参加を遠慮してもらった。さらに,セッ ションごとにフォローアップ面接を行い,必要に応じて精神科医および臨床心理士よりスーパー ヴィジョンを受けながら実施してきた。 表 1 は,本稿で記す参加者が所属していたグループ(以下,A グループと表記)の概要である。 以下,個人の特定を避けるため,セッション開始年を X 年と表記する。沖縄大学人文学部紀要 第 15 号 2013 表 1 A グループの概要 メンバー 10 名(女性 4 名,男性 6 名)/平均 82.8 歳(2005 年時点) スタッフ ファシリテーター 2 名(筆者と地域の保健師) 時期・回数 X-1 年 5 月~ X+1 年 6 月 pre セッション 7 回+セッション 8 回+ post セッション 3 回=全 18 回(2012 年 11 月現在 121 回開催) 場 所 A 地域(沖縄本島)の公民館 グループの特徴等 ・毎回のテーマを設けず,その時々の感じを語り合いたい。 ・それぞれの生きてきた証を語り合いたい。 ・関係性が密なメンバーが多くグループ凝集性が高い。我先に話をしたがる 傾向あり。 3.事例の概要 本事例は,ハルさん(仮名),80 歳女性(X-3 年時点)である。沖縄戦で家族全員を亡くし, 間諜容疑をかけられ拷問を受けたことで,「もう二度と人は信じないと決めた」。戦後,親戚を 頼りに転々としながら生活をしていたが,「自分がいることで迷惑がかかる」と思い,独居生活 をするようになった。就職はしたが,親しい友人を持つことはなく,隣近所や親戚との交流も ほとんどなく,「盆も正月もいつもひとり。ずっと独りで生きてきた」。60 歳まで仕事をし,自 宅近くの小さな畑で自分が食べる分を作っている。「ひとり生きていくには十分の金はある」。「身 体だけは丈夫」が自慢で,同年齢者と比べて顔のツヤ良く,見当識,コミュニケーションは特 に問題ない。拷問での傷跡が全身に残り,左手薬指と小指は第 2 関節まで失っている。その身 体的な特徴については,「(周囲から)変な目で見られて嫌だった。消えるものなら消したかった」 と感じている。 「 」ハルさんの発言,〈 〉筆者の発言,《 》メンバーの発言 4.経過 第Ⅰ期【X-3 年 8 月~ X-1 年 9 月】 筆者との出会いからグループに参加することを決意するまで (1) 筆者との出会い X-3 年 8 月 ハルさんとのかかわりは,2003 年の質問紙による個別調査研究を断られたことから始まった。 A 地域での調査説明会に,「自分には協力できないさぁ,私には語れることは何もないさぁ」と わざわざ言いに来られた。その後,A 地域での調査研究実施中に,挨拶をし合うことが約 2 年 間続いた。初めの頃は,声はかけてもらえるが目を合わせることはなく,意識的に距離を取っ ている感じであったが,1 年後頃から,寄ってきて話しかけてきたり,お茶やアメ玉をくれたり するようになっていった。 X-1 年 4 月 調査研究の結果をフィードバックする会を A 地域で始めた頃にハルさんと再会した。畑作業 を一緒にやらせてもらった。その時に,A 地域で「戦争体験を語らう場」を開くことを伝えたが, ハルさんを誘いはしなかった。この時ハルさんは,「そういう人たち(戦争の話をしたい人たち) は,みんな喜ぶはずねぇ,自分は参加したくないけどねぇ」と言っていた。
(2) グループに興味を示す X-1 年 5 月(pre セッション開始) A 地域の pre プレセッション開始時にハルさんと再会した。この時期になると,食事に誘っ てくれるようになっていた。食事の際,家族や戦争体験については全く話されなかったが,「こ れまでいろんなことがあったさぁ」と何度も口にしていたのが印象的であった。そしてある日, 筆者は呼び止められて,「おはなし会には今からでも入れるのかねぇ?」と聞かれ驚いた。〈参 加されたいのですか?〉と尋ねると,「行ってみたいかね~って思ったんだけどさぁ~どうか ねぇ」と答えられたので,(途中からでも参加してみたい)ハルさんのことをスタッフとメンバー に話してみると伝えてその日は別れた。 その後,メンバー全員から了承が得られたことをハルさんに伝えると,「そうねぇ。でも,私 はまだ戦争の話はできないさぁ。辛すぎるから,ずっと誰にも言わないできたから」と心配そ うに言った。〈ハルさんにとって,今まで大切にしてきたものだろうからゆっくり時間をかけて 考えましょう。ハルさんの気持ちを大切にして考えていきましょう〉と伝えると,「じゃあもう 少し考えてみるさ」と言われた。その後,X-1 年 6 月には,「迷っている」という手紙が届いた。 (3) グループへの参加を決めるまで X-1 年 7 月 翌月に再会し,「自分の気持ちがわかった。参加してみたい。でも,できれば,自分のことはしゃ べらんで,他の人の話を聴いているだけにしたい」と言われた。〈それでいいと思う〉と伝えると, 躊躇した後,「でも,いや,恥ずかしい。まだやっぱり,もうちょっと待って」と言われた。 X-1 年 9 月 9 月に再会したが,ハルさんは痩せたように見え,杖を使って歩いていた。8 月に体調を崩し, 入院していたとのことだった。「もうね,80 まで生きたから,(人生も)あと少しかね。だから,行っ てみようかねぇ,おはなし会。やっぱり行ってみようと思うさぁ。今度はいつかね?」と尋ねられ, スケジュールとグループの雰囲気などを筆者から伝えると,興味深そうに聴いていた。「大丈夫 かねぇ。みんなの輪に入れるかねぇ」と心配する言葉もあった。 第Ⅱ期【X-1 年 10 月~ X 年 2 月】 人と関わることへのチャレンジ ―メンバーとの関係性の萌芽― (1) はじめてグループに参加 X-1 年 10 月(pre-#5) pre セッション 5 回目,ハルさんは初めてグループに参加した。緊張のため数日前から眠りの 質が悪かったハルさんは,「郵便番号は・・・,住所は・・・,名前は・・・,よろしくお願い します」と硬い表情で自己紹介した。この日は,落ち着かない様子で周りを見渡し,自分から 何か話すことはなかった。セッションの終わりに筆者から〈何かありますか?〉と声をかけると, 「また来ます」とだけ伏し目がちで答えた。 (2) グループ参加を重ねていく中で X-1 年 11 月~ X 年 2 月 pre セッション参加を重ねる度に,メンバーの話に頷いたり,笑みを浮かべたりするように なった。また,会の前と終了後は筆者の傍を離れなかったハルさんだったが,pre セッション 7 回目から,その行動がなくなった。メンバーとの会話を楽しみながら,一緒に帰るようにもなっ た。そして X 年に入ると,「B さんとちょっと立ち話をした」「G さんからお米をもらった」な ど,近所に住んでいるメンバーとセッション外でも交流を持つようになっていった。「人が嫌い
沖縄大学人文学部紀要 第 15 号 2013 だ」,「人のことは信じられん(信じたくない)」,「人とつき合うのは面倒だ」と何度も言ってい たハルさんは,メンバーたちとの心理的距離を少しずつ縮めていっているように感じられた。 (3)「話さないでいる」ことへの想い X-1 年 11 月~ X 年 2 月 しかし,セッション中には相変わらず何も話さなかった。メンバーから指摘される場面はな かったが,ハルさんはそのことがずっと気になっていたようだった。「みんなに言った方がいい だろうか。やっぱりまだ(自分の体験は)話せないことを」〈言っておきたい,言いたいって気 持ちもあるようだし,言えるかなって感じもあるようですね。でも,どうしようって感じもある。 またゆっくり気持ちを確かめていこう。心の準備ができて,伝えられそうなときに,伝えてみ たらいいのでは?このグループは,みんながそれぞれのペースで,それぞれの参加の仕方を大 切にしようって会だから,そのままでも大丈夫〉というようなやりとりが,この頃何度もあった。 ここで,pre セッションの日程は終了し,その後,セッション 1 回目が開始する X 年 5 月まで, グループセッションは休みになった。 (4) グループに参加するようになってからの気持ちの変化 X 年 2 月(pre-#7 後) pre セッション 7 回目が終わり,これまでの感想を伺った。「同年代の知り合いができて良かっ た。これまでなるべく人と関わらないように,独りで生きてきたけど,なかなかいいもんだ。 最初は人と付き合うのは面倒だってやっぱり思ったこともあったけど,悪くないなぁって。でも, 慣れないから,ちょっと疲れる。あんたが言うように,自分のペース,自分のペースだ」と語っ た。そして,「最近つくづく思うのは,これからは独りでは生きていけない。もう年寄りだからね, いつ倒れるか分からないから,近くに自分が倒れた時に運んでくれそうな人がいると思うだけ で,ちょっと安心する」と語った。 第Ⅲ期【X 年 4 月~ X 年 6 月】 自分の戦争体験をグループで語るか語らずにいるかの迷い (1) 筆者にこれまでの人生を語る 個別面接にて 翌月からの本セッション開始前,スタッフはメンバー 1 人 1 人と個別面接を行った。その際, ハルさんから「やっぱり自分のこと(これまでのこと)を話したいさ~と思って。あんたにま ず話そうと思ってね。聴いてくれるかねぇ?」と言われた。筆者は,この時に初めて,ハルさ んのこれまでの人生を知った。大正時代の沖縄の様子,幼少時の遊びや大好きだった父親のこと, 兄弟の話などに続いて,沖縄戦での体験を語った。「戦争のせいで,人生は変わってしまった。 自分も自分の周りも,何もかもね。」と呟き,傷跡残る自分の手をしばらく見ながら俯いた。 スパイを疑われた父親が目の前で殺害され,母親と妹たちは,地上戦を彷徨う中で亡くなっ た。ひとりになったハルさんは,生きる気力を失い,海に身投げしたところを米兵に助けられ た。しかしその直後,ハルさん自身がスパイ容疑をかけられて捕らえられた。「(その)拷問が 一番嫌だった。今でも,(そのときの)夢を見る」と(拷問で受けた)顔の傷をさすった。「こ の傷も,この指もその時のもの。なんでかね,なんで自分だったのかねぇ。何度も何度も自分 の運命を恨んだよ。何もしていないのに。なんでかねって。それから人は誰も信じられなくなっ てね。もうこれからは独りで生きていこうって決めた。私は戦争に家族と人を信じるこころを 奪われた」と時々言葉を詰まらせ,泣きながら語ってくれた。筆者はハルさんと一緒に涙を流し, 〈本当につらかっただろうなぁって,つらい思いをたくさんしてこられたのですね。…とてもた
まらない〉としか言えなかった。 その後,現在に至るまでの話をされた。ハルさんは落ち着いていた。「聴いてくれてありがとう。 なんだかね,なんだか分からないけど,重たいものがなんだか少し軽くなった気がする」と語っ たハルさんは,ホッとした表情だった。筆者は,あまりにも壮絶なハルさんの話に圧倒される とともに,ハルさんにとって,これまでの自分の話をすることがどれほど大きな決意を要する ことかを改めて感じた。〈とても大切な話をしてくれて,ありがとう。何も言葉が出てこないけど, (これまでのことを)話したいというハルさんの気持ちが伝わりました〉ということと,グルー プの中で話すも話さないもハルさんの自由だし,どこまで話をするかのかも自由だということ を伝えた。その日別れる時のハルさんの清々しい笑顔がとても印象に残っている。ハルさんの 悲しみ,やるせなさは筆舌に尽くしがたいほど深い。そして,意を決し筆者に話してくれたこ とに感服した。 (2) 自分の迷いをセッションで伝える X 年 5 月 本セッション開始。セッションが始まって間もなく,ハルさんが「自分はまだ,みんなの前 で自分の話ができるかどうか分からないけど,一緒にこの場にいてもいいですか?」と発言した。 《もちろん,いいに決まっているさ~》とメンバーがすぐに答えた。他のメンバーもその言葉に 頷いた。その様子を見て,ハルさんは,「ありがとうございます」と嬉しそうに言った。その日 の感想は,「みんなに言えて安心した。緊張はしなかった」,「この前,あんたに話を聴いてもらっ たけど,まだみんなの前で自分の話ができるかどうか迷っていたから,(迷っているということ を)みんなにも伝えた」と生き生きとした表情で語った。〈迷っていることを伝えられるってす ごいことですね。伝えてみてどう?〉「少しすっきりした感じかな。わからないけど,ここの人 は信じられる人たちかもしれない。もっとお付き合いしておけばよかったさぁ。でも,これか らよね」と語った。 (3) 慰霊式典への参列/大セッションでの出来事 #2:『沖縄県戦没者慰霊式典』への参加 #2 は,沖縄県戦没者慰霊式典に参加した。pre セッションの過程で,《これまで慰霊の日の式 典には参加したくなかったけど,みんなと一緒なら行けそうだ》という提案があり,希望者の み慰霊式典に参加することが決まった。また,そのような提案は他地域のグループからもあり, 式典終了後,他地域と合流し,総勢 50 名で会することになっていた。 ハルさんがグループ参加をする以前に決まったことであったため,参加の意思を前もって確 認をした。すると「実は,私も行ってみたいとずっと思っていた。家族たちの遺骨は見つかっ ていないから,あそこがお墓みたいなものだから。いつか手を合わせたいと思っていた。今の 自分なら行けると思う」とのことだった。 その日は,戦友との再会があったり,地域を越えた交流が多くあったり,グループのメンバー にとっては,いい経験ができたセッションだったようだが,ハルさんにとってはそうではなかっ た。他地域のメンバーから,《あんたはずっと人の話だけ聴いていたね。人の話ばかり聴いてい ないで,話してよ。どうしてあんたは話さないの?》と言われてしまったとのことだった。そ の言葉を投げかけた方に聞くと,口数の少ないハルさんに話す機会を作ってあげようと思って のことだったのだが,ハルさんにとっては,とても衝撃的な言葉であり,その言葉で傷ついて しまった。「びっくりした。何も話せなくなった。自分のことを話せないのは,他のメンバーに 失礼かね?(あの人が言うように)みんなそういうふうに思っているかね?」と心配そうに話 した。ハルさんにとってどれほどショックであったかを案じ,〈A グループの皆さんはきっと,
沖縄大学人文学部紀要 第 15 号 2013 ハルさんが自分の大切な話をしようかどうかを迷っているっていう想いを分かっているから, そのままのハルさんで〉と伝えた。 第Ⅳ期【X 年 7 月~ X+1 年 1 月】安心して自分自身のことを語れる体験と別れ (1) 余命告知 #3 ~ #4 欠席 ハルさんは,3 回目と 4 回目を欠席した。3 回目は,入院のための欠席だった。3 回目終了 後,ハルさんがガンの診断を受け,余命 6 ヶ月と告知を受けたことをスタッフから知らされた。 4 回目終了後,ハルさんの家を訪ねると,やせ細って明らかに弱っているのが分かった。筆者の 顔を見るなり,「もうグループには行けないかもしれない。寂しい,寂しい」と泣いた。メンバー 全員からの声のメッセージを聴いてもらった。《来られるようになったら,またおいで,待って いるよ》という言葉を聴き,泣き崩れた。「身体だけは丈夫」が自慢だったハルさんにとって, 病気とどう付き合っていかれるのかという面もサポートし続けていくことにした。 (2) いまの想いをグループで語る #5:3 ヶ月ぶりの参加 3 ヶ月ぶりにハルさんが参加した。セッション開始前,メンバーから体調を気遣う言葉がかけ られていた。「ただいま。久しぶりだから緊張する。よろしく」と穏やかな表情で答えた。5 回 目は,『残りの人生どう送っていきたいか』という話題が中心テーマになった。その中でハルさ んは,ガンの診断を受けて,余命が告知されたことを語った。セッション中にハルさんが発言 するのは二度目のことだった。 「自分が生きられるのは,あと半年ぐらいって言われた。ここに来る(グループに参加する) まではいつ終わっても自分の人生なんてどうでもいい,早く逝きたいって思っていた。自分に は家族もないからね,誰も悲しまないし。でも,こんなこと言うのは恥ずかしいけど,寂しい。 寂しい。別れがたい人がいると逝くのは寂しい・・・」と言って声を上げて泣いた。終了後,「人 の前で泣きながら話をしたのは生まれて初めて。聴いてもらえるって気持ちが楽になる」,「み んなに,自分の一番したい話,自分の一番つらかった体験のことを聴いてもらいたい」と語った。 何かを決意したかのように感じた。 (3) 戦争体験をグループで語る 6 回目,ハルさんは自らの戦争体験を語った。セッション中盤,「話をさせてもらってもいい?」 と言った後に,個別面接で筆者に語った内容(戦時中に家族全員を失ったこと,スパイ容疑で 拷問を受けたこと,親戚からいじめられたこと,戦後ひとりぼっちで生きてきたこと)につい て「私の人生は寂しいことばかりでした」と語った。そして,「(スパイ容疑をかけられた経験 があり)戦争に人を信じるこころを奪われた。人を信じないように生きてきた。信じられなかっ たのか,信じるのが怖かったのか,わからないけど。自分は何も悪いことをしていないのに, 人から疑われた体験。どうしようもなかったでは整理ができなかった。弱い人間だから。整理 もできなかったし,もう傷つきたくなかったから,自分から人を遠ざけた」と語った。涙声だっ たが,語る表情は凛として前を見据えていた。ハルさんの魂のこもった語りに,その場にいた 誰もが引き込まれ,心が揺さぶられた感覚だった。《あんたもほんとに大変な思いをしたんだね》, 《もう,ハルさんはひとりじゃないよ》などメンバーから声がかかった。「ありがとう,ありがとう。 聴いてくれて」と深々とお辞儀をした。 そしてセッション終盤,〈ハルさんにとって,自分のこれまでのことを話すってどういう意味 があるんだろう〉と尋ねてみた。「あんたは,難しいこと聞くな。どういう意味があるかは分か
らん…(沈黙)…でも,自分がこういうふうに生きてきた人間なんだということを知って欲し いと思う人にしか話したくないさぁ。私にとって,これまでの人生のこと,特に戦争での体験 を話すことはとても勇気のいることで,60 年もかかった。60 年必要だったんだね,話せるよ うになるまでは。言葉になるまでは。そして,人を信じられるようになるにも同じだけの時間 がかかったんだねぇ」と語った。セッション後,「一緒に帰ろう」と誘われ,久しぶりにハルさ んと一緒に畑作業をした。 その後,7 回目,8 回目にハルさんは参加した。日に日に体力が落ちていくのが見た目からも 分かるほど,病気と闘っていた。相変わらずセッション中の発言はなかったが,以前とは違い, 自分の居場所を見つけたかのようにとても穏やかな表情で,そこに居た。 (4) 逝去 post セッション 1 回目の前日,ハルさんが危篤になったという知らせを受けた。駆けつけると, ハルさんの親戚は誰もいなかったが,そばにはメンバー全員が見守っていた。《まるで,ハルさ んの家族みたいだね》という言葉を聞き,本当にそのように思えた。手を握ると,それまで意 識がなかったハルさんが少しだけ目を開け,そのまま静かに亡くなった。看取った後に,ハル さんから私に手紙が届いていた。日付をみると,亡くなる二日前に書かれた手紙だった。「この 会に参加できたことは,最後に仏様がくれたプレゼントだったんだと思う。仏ってものも,最 後に私に償いをしたのだろうか。そう思うと,あの時のことも少しだけ許せる気になる。もう, 過去のことだ。人は,一人一人違った歩で生きていく。それはそれでいい。でも,独りじゃない。 独りじゃないって経験が最後にできたことを幸せに思う」と書かれていた。 5.考察 (1)「戦争に奪われたもの」を取り戻していく過程 彼女と筆者との関わりは,「私はこの調査に協力できない」とわざわざ言いに調査説明会に来 られたところから始まった。「協力できない」と言いに来てくれたのは彼女だけだった。この行 動から,「何か」あるのかもしれないという感覚を持った。挨拶を交わし道端で立ち話をした り,畑仕事をしたりという関わりをただ純粋に楽しみながら,彼女との出会いで感じた「何か」 を気にかけていた。また,彼女の佇まいから,寂しさとどこか怯えているような感じを受けた。 最初はそのような雰囲気の背景を知る由もなかったが,いつか,そこはかとなく漂う安心感を 誰かと共有できることを願っていた。 筆者との出会いからの約 2 年は,「他人」の存在を受け入れられるようになるための準備期間 であり,彼女にとっての大きな challenge だったのではないだろうか。戦争以来,人を信じる ことができなくなった彼女の心情は,再び「人を信じてみようと思えるまでには,60 年の時間 が必要だった」という言葉から窺い知れる。筆者は,度々波のように押し寄せる彼女の迷いや 揺れに対して,「自分のペースでいい,そのままで大丈夫」と繰り返し伝え続けた。そして彼女は, より多くの人と関わろうとする新たな challenge を始めた。第Ⅱ期は,筆者との関係作りへの challenge よりもスムーズに進んでいったのではないだろうか。迷い,揺れながらも,少しずつ 人と関わることに慣れていき,筆者との時間よりもメンバーとより多くの時間を共にするよう になっていったことから推察される。 彼女の challenge を支えていたのはグループのメンバーたちであった。彼女のペースを理解し, 様々な場面において共感的態度で接していた。その背景として,彼女は,地域の中で孤立する 存在として周知されていたということもあったのではないだろうか。誰とも関わろうとしてこ なかったあの彼女が,グループに参加することを自ら選択し,自分たちと関わろうと歩み寄っ
沖縄大学人文学部紀要 第 15 号 2013 てくれたことを目の前にして,その勇気を讃えたい,支えたいという想いが行動に表出されて いったと考えられる。それは,共に戦世を生きた者が持つ自然な感情なのかもしれない。 戦争で人を信じられなくなり,「ずっと独りで生きてきた」彼女の「人とは関わりたくない」 という言葉の奥には,「関わりたい」という想いがあったのではないだろうか。その想いが,筆 者が出会いで感じた「何か」だったのかもしれない。筆者との関わりを通して想いが賦活され, 共感的なメンバーとの出会いでより大きく膨らんだ。メンバーの「彼女を支えたい」という想 いがそれぞれ共鳴し合っていく経過そのものが,本事例の経過であり,筆者はそれらの想いを 紡ぎ繋いでいく過程に立ち会わせてもらっていたのではないだろうか。そしてその過程におい て,「もう二度と人と関わりたくない,独りで生きていく」と決めた彼女の心は,「独りじゃないっ て経験ができたことを幸せに思う」と変化していったのではないだろうか。 (2)「沖縄戦体験を語らう場」の実践的意義 「語り出すまでに,たくさんの勇気と 60 年の時間が必要だった」という言葉にはどのような 想いが込められていたのだろうか。彼女は,グループに参加するかどうかを迷い,時間をかけ て参加することを選んだ。同じく,戦争体験を語るか語らずにいるかの迷いに対しても,時間 をかけて語ることを選んだ。筆者は「急いで答えを出さなくていい」と伝え続けた。経過で示 したように,戦争が彼女にもたらした心理的・肉体的影響は想像を絶する。そのため,自らは 語らずとも,グループに参加しメンバーの語りを聴いているだけでも,相当な心理的負担がも たらされると予想された。筆者はそのような可能性を,彼女に真っ先に話し,十分に理解して もらった。そして,彼女は筆者に戦争体験を語り,グループでも語ることを選んだ。彼女にとっ ては,語ることでもたらされるかもしれない副作用は,語るか語らずにいるかを選ぶ際に,大 きな意味を持たなかったのかもしれない。それよりも,彼女にとっては自らの最期への「覚悟」 を伴う語りを選んだのではないだろうか。 彼女は,生きていくために,辛い戦争体験の記憶を心奥に凍らせてきた。様々な支えを得て, 迷いながらもそれを取り出すことができたのかもしれない。戦争体験に伴う怒りや失望,身寄 りがない彼女には,「誰かに自分のことを覚えていて欲しい,どうしても伝えておきたい」とい う想いもあった。それらの想いを語り終えた後,非常に穏やかな安堵の表情をしていた。彼女 にとっての大仕事を成し終えたかのような表情だった。そして間もなく,安らかに永眠された。 彼女のように病気を患わずとも,「戦争体験を語りたい」という想いが結実した後に,亡くなっ ていった参加者は 34 名いる。平均年齢 85 歳を超えた「沖縄戦体験を語らう場」において紡が れる物語は,筆舌に尽くしがたい dying work の意味合いを多く含んでいる。また,創始の頃 と比して場は成熟し,荒々しく生々しい悲しみや怒りの表出だけではなく,戦争を経験してな お生きてきた者の逞しさや強さが表出される場になっているのではないかと考えられる。 【付記】 本稿の記録内容については,2012 年 11 月 29 日付でハルさんの親戚より了承を得た。生前, ハルさんと研究記録公開の承諾書を交わしており,「沖縄の小さな町に,こんな人間が生きてい たことをいつか伝えて欲しい」という言葉が添えられていた。 ハルさん,そして沖縄戦で尊い命を落とされたすべての御霊のご冥福を心よりお祈り申し上げ ます。 【文献】 吉川麻衣子・田中寛二 沖縄県の高齢者を対象とした戦争体験の回想に関する基礎的研究,『心
理学研究』,第 75 巻 3 号,pp269-274,2004 年 吉川麻衣子 沖縄県における「戦争体験者中心の語り合いの場」の共創に関する研究:調査と 実践の臨床心理学的・社会的・歴史的意義,九州産業大学大学院博士学位論文(未刊行) 2008 年 吉川麻衣子 沖縄県の戦争体験者のサポートグループ,高松里(編),『サポートグループの実 践と展開』,金剛出版,pp178-189,2009 年