宗教多元主義と人権
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145←ー『奈良法学会雑誌』第8巻3・4号 (1996年3月〉 ハーバード大学のサミュエル・?ハンチントンが一九九三年、 ﹁フォlリソ・アフェアlズ﹂誌に発表した論文﹁文 かっ、彼が同大学のジョン・オリ ( 中 央 公 論 、 明 の 衝 突 ﹂ 一九九三年八月号に訳文)は、その内容が刺激的であり、 ン戦略研究所のずィレクターを兼務していることもあっで、米国はじめわが国でも大きな反響を巻き起した。すでに ハンチントン批判の多くの論考もものされており、いささか季節はずれの感もあるが、各論的には、なお検討してお く必要のある問題もある。人権もそのひとつである。先行する諸論文と重復の感もないではないが、まず、順序とし て一応彼の論文の要約をしておこう。 冷戦の終結とともに、イデオロギー対決の時代は終り、世界政治は、宗教を歴史、民族、言語、伝統などを要素と する文明的区分によって規定されようとしている。国家群もどの文明的区分一応よって安とまりをみせている。その区 分とは、西欧文明、儒教文明、日本文明、イスラム文明、ヒンドヮl文明、スラブ支明、ラテン'許メリカ文明およ第8巻3・4号一一146 びアフリカ文明である。そして、 イデオロギー対立に代って今後の世界政治は、文明上の対立の様相となろう。なる ほど、国際社会では、西欧諸国が政治・安全保障機構、経済機構で圧倒的な影響力を保持しているし、西欧文明は世 界の他の領域に侵逐しているかも知れない。しかし、その基層においては西欧文明と他の文明は大きくかけはなれて しかも世界のボlダレス化に伴い、逆に自己の文明、とくに宗教の原理主義が台頭しつつある。したがって、 今後の文明上の対立は、西欧対その他すべて、なかんずくイスラム・儒教コネクション(軍事的な)の仮説を立てる い る 。 いずれにしても、非西欧文明諸国は、西欧化をともなわない形で近代化を進めるであろう。当面、普 遍的な文明は登場することなく、世界は多様な文明で規定されてゆこう。西欧文明諸国は、彼等との共存のすべを学 こ と が で き る 。 ぶ べ き で あ る 。 以上がハンチントン論文の概要であるが、これに対し多くの疑問と批判が提起された。文明概念のあいまいさ、文 明区分のおおまかさ、儒教・イスラムコネクションなどありうるのか等々である。それなのになぜこのような反響を 巻き起したのか、﹁粗雑で凡庸なハンチントンの提案は無視しがたい効果を発揮するであろう﹂との総括があるが、 彼がなぜいまこのような論文を書いたかの意図がしばしば問われてきた。筆者の手元にある限りにおいても﹁西欧文 明の危機を感じ取っているか
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﹁現代アメリカ人の抱く優位性の欠如段、﹁湾岸戦争を戦ったアメリカ、勝利者と しかし何か充されない、文明の壁につき当たった体験﹂など西欧ないしはアメリカの危機感、虚脱 ( 5 ﹀ ﹁西欧の人びとに、非西欧の考えや認識を伝えることにある﹂という鷹揚な受け止めもある。 し て の ア メ リ カ 、 感を見取っているが、 と こ ろ で 、 ハンチントンは、再び﹁フォリン・アフェア 1 ズ﹂誌でこれらの﹁文明衝突﹂批判に反論を試みている ( 中 央 公 論 、 一 九 九 三 年 二 一 月 号 に 訳 文 ) 。 ここでは、パラダイム論が持ち出される。ポスト冷戦を解読する有用なパラダイムは、文明である。世界各地で文明のパラダイムをめぐって論争が起きていること自体がその証左といえる。もちろん
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・ ク l ン も 指 摘 す る よ う に 、 パラダイムで説明し切れない﹁変則的事例﹂もある。たとえば(同じイスラム文明に所属する)イラクのクエ l ト 侵 攻である。しかし、前の論文発表以来、数か月しかたっていないのに文明パラダイムで説明できる数多くの事件が起 きている。その代表例として彼は、 一 九 九 三 年 六 月 、 ウィーンで開催された国連世界人権会議を取り上げる。この会 議において﹁文明相対主義﹂を批判する米国のクリストアァ l 国務長官率いる西欧諸国と﹁西欧の普遍主義﹂を拒絶 するイスラム・儒教国家との対立がみられたとする。そして、この上に立って彼は世界の人権状況を以下のように認 ユダヤ・キリスト教や自然法の伝統を必ず 識 す る 。 ﹁ い ま や 、 一九四八年に世界人権宣言が採択されて以来初めて、 しも受け入れていない諸国が、世界のトヅプレベルに位置するようになった。このかつてない状況によって、人権を めぐる国際政治の今後は規定されていくだろうし、それは今後の紛争の可能性を大きく高めることになろう。これま での彼の対立の図式は、いわば西欧対その他すべてであった。ところが、人権を論ずるに当つては、西欧 H ユ ダ ヤ ・ 147一一宗教多元主義と人権 つまり、彼は、人権はユダヤ・キジスト教を基礎として成立したものとみているといってよ い。そして彼は、さきの論文の結論部分で、西欧諸国は、自らの利益を確保するのに必要な経済、軍事力を今後とも 維持してゆくとともに﹁他の文明の宗教および哲学的基礎部分:::を、より深く理解してゆく必要もある。﹂ キリスト教と規定する。 と結ん で い る 。 ハ ン チ シ ト ン は 、 さきの論文で文明の対立の要因として宗教の原理主義の台頭を挙げていた。そして再批判の論文 で は 、 ウィーンにおける国連世界人権会議の事例を挙げ、 ユダヤ・キリスト教を基礎とする人権こそは譲れない最後 の一線として危機感をつのらせている。筆者は、大上段に振りかぶった文明論をものする資格も能力もないが、小稿 においてはハンチントンに触発されて、 ユダヤ・キリスト教と人権とのかかわり合いの一側面を検討するとともに人第8巻 3・4号一一148 権の普遍性の可能性をまさぐり出すことも何ほどか意図される。 ハ 6 ) この課題に接近するためにイエリネ y ク﹁人権宣言論﹂を迂回することはできないであろう。ここでは千尋
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コ・河島幸夫訳﹁人権の思想││法学的・哲学的・神学的考 察﹂﹀を下敷応、その位置づけを行いながら検討する。その前に、若干本書について紹介しておきたい。著者たちは、 いずれも神学者である。しかし、人権の総合的性格にかんがみ、法学、哲学および神学のそれぞれの観点からその検 討を行い、体系化を試みる。そしてそのスタンスは、 ζ う で あ る 。 探 求 し 、 ‘ 全 世 界 の 国 家 の 行 動 に 、 ﹁多くの入々はこうした試み(人権の真の意義を 一般的な規制原理なり、政治行動や人道的活動の基準を与えること﹀に反対して、 こう主張しでいます。人権はもっぱら欧米の伝統に由来するものだから、人権を全世界的な政治倫理の出発点や全世 界的な法形成の基礎にすることはできない、と。しかし、全世界の政治が相互依存関係にあるという事実を前にしま すと、この八一つの世界﹀における政治的共同生活の基盤について一つの了解に達する努力は、避けることができな いものであります。他方、人権は 1 1 多かれ少なかれ偶然に(傍点、柳原)まず最初││欧米の領域で形成されたも のですから、、そうした了解に達する試みのために、欧米の学者たちに特別の責任が課せられていると思います。﹂(日 本版、序説つまり、一九四五年、世界人権宣言が、さらに一九六六年、国際人権規約が、それぞれ国連で採択され ている現在、人権の国際化、人権の普遍性の検討が、その問題意識なのである。 、きて、イエリネ世クの﹁人権宣言論﹂であるが、周知のように、それは大きく次の四つのテ l マ 陪 倖 類 さ れ る 。フランスの︿人および市民の権利宣言﹀の直接の模範となったのは、 である。二 一七七六年以降のアメリカ諸州の︿権利章典﹀ ル ソ i の﹁社会契約論﹂はフランスの︿人および市民の権利宣言﹀の模範ではなかったと考えられる。 自然法理論は、それだけでは決して、人および市民の権利を法律的に宣明するという結果を導き出さなかったで あろう o 四 歴史的に見れば八人および市民の権利宣言﹀は、信教の自由のための斗争にその測源がある。 この提言は、有名なフランスのブトミーとの大論争を巻き起し、多大な反響を呼んだ。いま、当面ここで必要なの はこの提言の一一一および四であろう。それをイエリネ y クの叙述を追いながら、そして若干ブトミ!との論争にもふれ な が ら 要 約 す る 。 一 六 二
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年、ピグリム・ファl ザ 1 ズらのメイフラワー号の契約以来、各植民地では、信教の自 由を含む植民地契約が締結され始めたが、さらに一六六三年のロ 1 ド・アイルランドとプロヴィデンスを始め若干の 植民地において国王の特許状を受けるに至った。そして、 北 ア メ リ カ で は 、 一七七六年、独立宣言以降、 州の﹁権利章典﹂として、憲法として確定されていった。イエリネッグによれば ヴ ァ I ジ ニ 一 J を始めとする洛 ﹁(信教の自由の)原則はアメリカ の民主主義を産んだ宗教的1
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政治的大運動とも深く結びついており、:::市民に与えられた権利ではない生まれな 149一一宗教多元主義と人権 がらの権利があり、良心のなすこと、すなわち宗教意識の発現は、 より高次の権利として侵すことのできな か か る 、 いものであり、そのようなものとして国家に対峠している、という確信﹂であり、 また﹁この権利は八マグナ・カル タV
その他のイギリスの法律による権利・自由のように、祖先から踏襲されてきた︿相続財産﹀ ( 8 ) はない。この権利は国家によって告知されたものではなく、福音が告知したものなのである。﹂また、 ﹁個人のもつ譲り渡すことのできない、生来の神聖な諸権利を法律によって確定せんとする観念は、その淵源からし て、政治的なものでなく宗教的なものである。従来、革命の成せるわざであると考えられていたものは、宗教改革と ( 円 DF 巾 H -- r F E n o ) で こ ふ り も い う 。第8巻3・4号一一150 その闘いの結果なのである。﹂ イエリネックは、ブトミlの反論に答えた﹁人権宣言再論﹂において、法制史家としての立場を明確にす る。彼の意図するところは、あくまで八人権宣言﹀がヨーロッパ諸国の法制史に及ぼした影響であり、八権利宣言﹀ さ ら に 、 ということがいわれ出したのはアメリカ革命以後である。そして、その嘱矢は、 特許状からであり、それが一人世紀の各州の︿権利章典﹀に連っている、とする。そして、人権の歴史解釈において その哲学史より法制史を重要視するクワlレが、イエリネックとの論争においてブトミ!のいわんとするところを ﹁アメリカは︿単に﹀長恥骨をもっていたにすぎないが、フランスは世界に人権を贈ったの⋮引と。﹂評しているが、 一 七 世 紀 の ロ I ド・アイルランドの イエリネッグの主張の一側面をも簡潔にとらえている。 そ う で は あ る が 、 イエリネックの﹁福音、が告知したもの﹂をどのように解すべきであるうか。ここでフlパl/テ ートの神学と人権との関係認識を引合いに出しつつ検討する。 す で に 、 日本版の序文でもみたところであるが﹁人権のテ 1 7 を神学で取り扱う場合、そこでのねらいは、 キ リ ス ト教によって人権を独占することはありえないということである。そんなことをすれば、人権の歴史的発展にも、現 代における人権の機能にも矛盾をきたすであろう。むしろ、人権を理解し、また人権と有益に関わるために生産的な 貢献をすること、これが(神学)の課題である。それは、福音の普遍から出発して人権の普遍性を吟味することをも 意味している。﹂かかる観点に立って、フlパ 1 / テ 1 トは、類比性と相異性なるモデルを提供する。 まず、類比性であるが、人権の機能に構造的に対応する神学的思考様式は、義認論である。義(の
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色 。 の教によれば、神の恵みに基づく人間の自由は、無条件、無前提の、それゆえ勝手に処理しえない自由である。それ は、人間というタイトルそのものとともに与えられた自由である。そして、そこから国家の機能の基準が生じる。すなわち、国家は個人の自由を(法的に)保証する保証人となることが要請される。 つまり、神の創造された義と人間 が相互関係の中で享有し、認め合う法的地位としての権利(月号宮田印丹市
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との聞にひとつの対応関係が存在する に も か か わ ら ず 、 いっさいの人間的権利は、八地上のものとして﹀一時的であり、 ( 相 異 性 ) 。 相対的な性格をもっ したがって、類比性があるからといって権利金ぎをもたらす神の賜としての福音をひとつの政治原理に変えてまし い、福音を︿律法﹀に変えてしまうことは許されない。むしろ重要なのは、解放をもたらす神の義を解釈する際に、 ( ロ ) 人間の権利を発見し、実現するための基準としても、また妥当するような要求を定式化することにある。 この神学による人権解釈は、フ l パ l / テ l トに従えば、あくまで﹁もし、神学によって人権を解釈するとすれ ば﹂というカヅコ書きを付けなければならないのであるが、イエリネッグが、啓示ないしは宗教改革によって斉らさ れた人権を法律により確定することの意味を強調したとすると、宗教改革はとも角、啓示という超自然的な霊的作用 は、実定法としての基本権の基礎たりうるのであろうか。この場合の啓示は、﹁内的な、神の思寵による、特に良心 エンデレル社。)であろう。従って、啓示が基礎となりうるのは、宗教的 にあらわれる啓示﹂(キリスト教育科事典、 151一一ー宗教多元主義と人権 倫理としての良心の自由までである。もし、基本権にまでにそれを及ぼすとすれば、この類比性と相異性のモデルに あてはめるならば、むしろ相異性に分類されるのではなかろうか。そうであるとすればイエリネックは﹁福音の律法 化﹂という侵してはならない短を臨えたことになる。そのいずれであってもイエリネックは、ルソ l の ﹁ 社 会 契 約 論 ﹂ はフランスの八人および市民の権利宣一一一口﹀の模範ではなかったということと、﹁カルヴィニズム前の諸権利とカルヴ ( 日 ﹀ ィニズム後のそれとの間の画期的転換を強調したかったからでのでなかろうか。そして、このことは後にみるM
・ ウ ェ l パ l のイエリネックのテーゼの原則的命題への転回を促したひとつの要因とみることはできないであろうか。 と こ ろ で 、 イエリネックの﹁人権宣言論﹂は、 ヨーロッパの人権論史のなかでどう位置づけられるのであろうか。第8巻3・4号一一一152 フ I パ I / テ I トは、それをドイツ・プロテスタンテイズムの人権解放論の系譜に位置づける。+九世紀からこ
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世 紀前半にかけて、ドイツ・プロテスタシテイズムは、カトリ γ クほどではなかったが、人権に対し圧倒的な批判的距 フランス革命が、自由と平等の宣言にもかかわらず、人間否定のテロに変質したり、ドイツの自由 離 を お い て い た 。 を脅かすナポレオン支配に転換したりしたからである。ひとりカントが﹁永遠の平和のために﹂の中で λ 園内法と国 際法、それに世界市民法(人権)の関係を解き明し、人権賛歌を競ったが、その後継承され、発展させられるととは なかった。むしろ逆にへ 1 ゲルによって個人公権としての人権は、ドイツの法思想の中に深い敵意を植えつけた。入 権は、国家を越える妥当的根拠を持っていたからである。 ドイツの人権論議のこの閉塞状態に突破口を開いたのがイエリネ v クである。フ I バ I / テ I トによれば、彼のテ ーゼは部分的にのみ肯定されるが、それにもかかわらず次の二点はいかなる批判にも左右されない。従来の人権思想 がフランス革命との結びつきで意識されていたのに対し、北アメリカにおける人権発展が重視されるようになったこ と。プロテスタンテイズムと人権の関係が議論の正当に強く押し出されたこと、である。フI バl
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テ 1 トによると ﹁その後の研究は、人権を1!
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宗教的な動機や淵源から直接(傍点、柳原﹀ 引き出すというイエリネックの所説が維持されないことを明かにしたにとして、当時のアメリカの状況が、宗教的 にイエリネ V グが認識した通りでなかったこと、また、植民地政府に対する権利要求には、政治、経済的な要求が大 きかったことなどを指摘する。しかし、それにしてもイエリネックの主張は、完全に否定されたわけではない。 ﹁ 血 病 教改革における信仰および良心の自由への原理的前進と、宗教抗争、宗教戦争におけるそれらの自由の具体化は、疑 いもなく間接的にハ傍点、柳原)近代人権への道を切り開いたからである。﹂ この記述に引き続いて、 フ l パ I / テ I ト は 、 フランス人権宣言と北アメリカの人権宣言との対比を行う。 フ ラ ジス人権宣言は、北アメリカの人権宣言に比べれば、 キリスト教的、宗教的源泉からはるかに大きくかけ離れている。 一七八九年の人権宣言の前文で、この宣言を﹁最高存在の現前で、その保護の下に﹂発するという宗教的表現がみら れる。しかし、これは、聖職者階級と篤信のカトリック教徒から成る人民大衆との戦術的妥協の産物である。 一ニ年の﹁人間および市民の権利宣言﹂では、前文で﹁最高存在の現臨﹂が語られているが、四年後には﹁最高存在の 祭儀﹂に改められる。これは、明らかにロベスピエ 1 ルがキリスト教と斗うためのあの理性宗教を示すことばであっ 一 七 九 た。そして革命の批判の高まる中で、憲法を構成する法制度としての人権の背後にある真の利害関係と哲学的思想と は、大きく見失われてゆくことになる。これは、啓蒙思想の衰退を意味するし、このことと人権との関係は、次節で 述 べ る 。 フ I バ l/テlトによれば﹁人権を法律によって確定する﹂との観念は、良心の自由の要求に由来する ハ 路 ) というイエリネックのテーゼを原則的な命題へと転回させたのは
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・ウェlパーである。ウェ 1 パーによると、良心 の自由は、歴史的には最初の人権でないかも知れない。しかし、良心の自由は、広範な領域をカヴァlし、倫理的に と こ ろ で 、 制約された行為の全体を包括する権力、とりわけイエリネッグの所説にいうように国家権力からの自由を保障する 153一一宗教多元主義と人権 ﹁人権﹂であるから、原理的には第一次的な﹁人権﹂である。ところで、信仰および良心の自由は、宗教改革に起源 を持ち、信仰のみによる義認というテーゼを基礎とする。だから、もしウェ i パ i が正しければ、信仰義認説と人権 との聞に密接な関連が生ずることになる。こう断定したうえで、 フ l バ i / テ l トは、自然法に立脚した﹁生れなが らの﹂権利としての人権の観念は、人間の無限の、すなわち不可侵の尊厳を有限の人間自体によって構成しなければ ならないという明白な理論上の欠陥を有するとして、信仰義認説に立って批判し、 ﹁人権のカタログは、信仰および 良心の自由に中心的な地位を子えることによって、この関連││人間と神との関係i
ーの認識を保持し続けてい砧ご第8巻3・4号一一154 と す る 。 た し か に 、 ウェlパーも、良心の自由以外の人権は、それに付随するものであるとして、良心の自由を人権の中心 に据えている。そして、個人所有の不可侵・契約の自由・職業選択の自由などの経済的自由権については﹁これらの 権利がその窮極的義認を見出すのは、個人の﹁理性﹂の支配は、 理性に自由な活動が許与されるときは
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神の摂理 によって、自己の利益は個々人が最もよく知っているが故に││少くとも相対的に最良の世の中を生み出すであろう ( 却 ) という、啓蒙時代の信仰の中においてである。﹂と義認説適用の限界を指摘している。そして、 ハンチントンが取り 上げたウィーンの国連世界人権会議における南北対立は、 まさにこの限界が国際経済に斉らされた結果であるという こ と が で き る 。 一九九三年六月一回目、テヘランで開催されて以来、二五年ぶりのウィーンでの第二回国連世界人権会議は、 一か国の政府代表一八OO
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代表が参加し、同二五日、宣言と行動計画を採択し 七 て閉幕した。それは、次のような印象をもっての閉幕であった。 ﹁この会議は失敗だったのか、それとも成功だった これへの答えは、この会議にかけた期待のいかんによる。ひとが心配した以上の成果を斉らしたし、 期待した以上の結果は得られなかった。﹂要するに、 ひ と が の か ワ いわゆる玉虫色の妥協に終ったといってよいであろう。会議に さ き 立 っ て 、 サン・ジョセ、バンコクおよび欧州会議としてストラスブルグで開催された四つの地域協議 チ ェ ニ ス 、 は、本会議での最終宣言の草案の合意に到達することはできなかった。本会議で対立が予想された論議は、未解決の ままであった。それにもかかわらず、本会議が決裂に終らず、とも角も宣言と行動綱領にこぎつけたことは、それ自体として成功だったといってよい。 会 議 は 、 一 一 一 九 項 目 の ﹁ 宜 善 一 口 ﹂ と 一
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項目に及ぶ﹁行動綱領﹂を採択した。宣言草案には二OO
に及ぶ修正が付せ られていたが、起草委員会の絶大な苦心と努力とによりまとめられた。宣言および行動綱領のうち論争点であった項 日を取り上げる(番号は原文のまま、見出しは便宜上付した。) (人権の普遍性・不可分性・相互依存性) 五 すべての人権は普遍的であり、不可分かつ相互依存的であって、相互に連関している。国際社会は、公平か つ平等な方法で、同じ基盤に基づき、同一の強調をもって、人権を全地球的に扱わなければならない。国家的およ び地域的独自性の意義、ならびに多様な歴史的、文化的および宗教的背景を考慮にいれなければならないが、すべ ての人権および基本的自由を助長し保護することは、政治的、経済的および文化的体制のいかんを問わず、国家の 義 務 で あ る 。 ( 発 展 の 権 利 ) 世界人権会議は﹁発展の権利に関する宣言﹂において確立された発展の権利は、普遍的かっ不可譲の権利 一 ー 一O
155一一宗教多元主義と人権 であって、基本的人権の不可分の一部をなすものであることを再確認する。 ﹁発展の権利に関する宣言﹂が述べるように、人間が発展の中心的な主体である。 発展はすべての人権の享受を促進するものであるが、発展の欠如を国際的に承認された人権の制約を正当化する ために援用してはならない。 国家は、発展を確保し発展への障害を除去するために相互に協力するべきである。国際社会は、発展の権利を実 現し発展への障害を除去するために、効果的な国際協力を助長するべきである。第8巻3・4号一-156 ( 以 下 、 省 略 ) 世界人権会議は、総会に対し、第四八回会期においてこの会議の報告を検討するにあたって、すべての入 門 沼 ﹀ 権の伸長と保障のための人権高等弁務官の設置の検討を優先課題として開始することを勧告する。 一 一
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一 入 会議は、南対北、なかんずく経済発展著しい中国、インドネシアを代表とするアジア諸国 と欧米諸国との対立であった。すでに世界人権宣言が一九四九年に、国際λ
権規約が一九六六年に採択され、人権の ( 日 本 、 韓 国 を 除 く 。 ) 普遍的価値については、形式上は了解済みであるのだが、 一九四九年当時は第三世界の諸国の式部分は先進国の植民 地下にあり、この宣言の採択に参加していなかった事情もあり欧米主導(ソ連など八か国は棄権)、との認識が強い。 その強硬な例として、この会議における中国代表の主張を紹介する。 ﹁中国は、国連憲章および世界人権宣言の原則を承認することを宣言する。人権の普遍性についても考慮( g
白 色 色 a ゆるはするが、各国は自らの政治的、経済的および社会的組織と、その国の民族的、文化的背景を持つということを たえず留意すべきであると確信する。また、中国は、国家は人権の助長と保護すべき役割を持つべきマあると考える が、その国際的助長は、対立や圧力を通じてではなく、協同と同意によって促進されるべきである。人権は政治的圧 力に使われではならない。 つまり、主権と内政不干渉の原則は尊重すべきである。人権は、内政事項である。﹂中国 は、人権の普遍性について原則的には承認しておきながら、それについての対話の基盤をすべて取り払ってしまう。 これでは、人権高等弁務官を設置しても活躍の場はないといってよい。次に中国の人権政策に対するもうひとつの厳 しい見解は、生存権である。発展途上国の後立てを得て、中国はインドネシアとともに﹁発展に関する権利﹂促進の リーダーとなった。中国によれば﹁貧困は、北と南のギ十 y プを拡げている。従って条件つきの援助は、強く反対すべきものである o ﹂この文肱において中国は、市民的、政治的権利より経済的、社会的権利の方を上位に置一活発展に 関する権利については、 るが、当面、次のようなコメントがあることだけをつけ加えておきたい。 ﹁人権と民主主義 および発展との結びつき(宣言一 l l 入 ﹀ に つ い て は 、 ウィーン会議の最終宣言において、さほど強調されなかった。 し か も 、 ﹁発展﹂という言葉の定義についても、またそれを実行する手段についてもウィーン宣言はふれていない。 人権と発展は、極端に入り組み、かつ対立し続けている。それは、単に発展に関する権利を宣言するだけでは十分と いうものではない。しかしながら、人権の完成のためには発展協力が犬きな目標であることは、今や広く合意されて いるところである。そうはいうものの、現在の発展の危機的な観点ハ開発独裁)から、発展協力がなお人権の完成を 円
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越えた正当な任務であるのかどうかの聞いに答えなければならない。﹂ そして、同様な危倶が、中国ーを代表とする発展途上国の主張に、よりあからさまに投げかけられる。 ﹁ 確 た る 人 権 Ui7~置弓宗教多~主義と人権 が非西欧社会に適用されないのは、それが家父長的思考の反映だからである。表現の自由は、われわれ西欧人には重 要である。しかじ、発展途上国の民衆は、まだその段階まで至っていない。発展途上国の民衆は、まず、食糧とか医 薬品とかが必要なのである。このような必要な手段が満されない限り、市民的、政治的権利はほとんど保障する必要 は な 納 ρ こと胞圧政的政府は、基本的な市民的、政治的権利の保障は必要でない。国民はむしろ栄養不良であり、国 家は経済的には未発達なのだと主張する。:::しかし、もしこのような主張が政府によって押し進められるならば、 厳然ぬる疑問を提せざるを得ない。市民的、政治的権利を抑圧ずれば、その国の経済的発展に貢献できるなどという 円 お ) ととほ、証明できない。ただ、客観的にいえるこん}は、それは抑圧的政府そのものに貢献十ることたのだ?﹂まさし マ寸これは A a シ歩ントンの主張そのものでもある。そして、抽象的、一般的には書かれているが、成長著しい中国を は広め、とするアジアの開発独裁に対する危倶を示しているともとれる。たしかに、 一九六六年の国際人権規約は、社第8巻 3・4号一一158 会的・経済的権利は漸次達成、市民的・政治的権利は即時実施のいわゆる人権二分論の原則をうち出している。そし て、国際人権規約がなぜこの原則をうち出したかについては、前節の考察により推測できる。ところが一九六八年の テ ヘ ラ ン 宣 言 で は 、 ﹁人権(社会権﹀および基本的自由︿自由権)は不可分であるので、市民的・政治的権利の完全 な実現は、経済的・社会的・文化的権利の享有なくしては不可能である。人権の実施についての永続的な進歩の達成 は、経済社会の発展についての健全かつ効果的な圏内および国際の政策にかかっている﹂と、むしろ社会権が前面に ウィーン宣言の︿不可分・相互依存性(一 a l -五)﹀の原則もこの趣旨と解釈してよいで 押し出されている。そして、 あ ろ う 。 フランス革命後のロ I マ ・ カ ト リ v クと人権とのかかわり合いである。フラ ンス革命が反キリスト教的とくに反カトリ v ク的な啓蒙主義的な思想背景があったため、教会は人権に対して嫌悪感 このことに関連して想起されるのは、 を抱いていた。それが前世紀の終りから今世紀の始めにかけ、社会問題が派生するに及んで、人権問題に関心をょせ るようになった。そして一八九一年、教皇レオ一一一一世により回勅︿レ l ルム・ノヴァルム(労働者の境遇)﹀が発せ られた。そこでは、貧しい人びとへの配慮、労働者の権利等、社会権について言及して、自然権としての私有財産と ︿唱曲﹀ その権利の制限について述べられている。経済的自由権がそれだけで神に義とされる時代は終ったのである。ローマ ・カソリヅグは、その後、教皇ピオ一一世の回勅︿クアラゼシモ・アンノ(社会秩序の建設﹀﹀などを経て一九六五 年の第二バチカン公会議の﹁現代世界憲章﹂において人権問題にも体系的に取り組むことになる。 発展途上国における市民的、政治的権利の実態はどうであろうか。﹁世界人権ハンドブック﹂の人権指数をみても、 ( Z V 発展途上国は概して高くはない。しかし、ここでは次の事実をつけ加えておこう。ウィーン人権会議において、二重 基準の人権外交を行ったカ l タ l 元米国大統領の出席に対し、ラテン・アメリカの
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から激しい怒号がとびかっチベ?トのダライ・ラマの開会式出席に対する中国政府の猛反対が
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の 反 携 を 買 い 、 結 局 、N
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フロアへの入場を果したことなど、発展途上国の政府はとも角、民衆は、市民的・政治的権利に対しても決して無 た こ と 、 ま た 、 関心であるとはいえない。 さらに、文化相対主義についてはどうであろうか。これをアジアのNGO
についてみることにする。バンコクでの (政府間﹀地域協議にさき立って、同じバンコクでアジアNGO
人権会議が開催された。そのNGO
宣言における人 権の普遍性についての見解は、次のとおりである。 ﹁私たちは、多元的な視点に立って、 さまざまな文化から学び、 それらの文化の持つ人間性の観念を通じて人権を一層尊重することができる。アジア太平洋における諸文化の芳醇さ と英知を包含する新たな普遍主義観が生れつつある。普遍的な人権基準は多様な文化に根ざしている。:::文化の多 様性を肯定する一方で、文化的慣行が女性の権利を含め、普遍的に受け入れられている人権を逸脱することを容認し てはならない。人権は普遍的関心事項であり、価値において普遍であり、人権の唱道が国家主権の侵害であるとみな 門咽品﹀ されるべきでない。﹂宣言文の性質上、多少の美文調もあり、かっ、政治的意図からそういっているのかどうかはと も角として、人権は西欧の価値基準という固定観念を前提とした中国政府の文化の多様性の観念をここでは逆転させ 159一一宗教多元主義と人権 ている。同様の指摘は他にもある。 アジアは、仏教、カトリック、 ヒンズー、儒教など宗教的には多彩で イ ス ラ ム 、 ある。それらを踏まえて、それぞれの﹁伝統的価値は、人間の尊厳と権利を実現する新たな方法やアイディアに富ん ︹m
﹀ だ方策を発見するために創造的に利用することができる。﹂しかし、それはまだ具体的、理論的には示されていない。 したがって﹁社会の特徴、文化的、宗教的背景を無視して西欧に起源をもっ人権を一律に適用していくことが果して 妥当なのか、という意見はNGO
の聞からも聞かれます。この問題は、もっと理論的な面でも深めていくことが必要 円相却︾ ですよとその課題性が当のNGO
関係者からも指摘されている。しかし、生命、自由、安全を求める(アジアの)第百巻3
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4,号ー-160 人びとの熱望は普遍的で、いかなる道徳的・文化的・政治的拘束が加えられでも動揺することはないのである。結局 のところ、ウィーン人権会議は、次のように総括されてよいであろう。 ﹁ごの会議は、すべての会議がそうであるように、多くの言葉を生み出した。そして、その言葉が何をもたらすか は)今の段階では分らない。ウィーンで採択された宣言が、何らかの形で世界の人権の助長と保護とに貢献できるか どうかは、時間が解決するであろう。 一九六八年のテヘラン会議の参加者のひとりは、次のように回想する。 ﹁その当座は、この会議の成果について、 余け強い印象はなかった。 に も か か わ ら ず 、 いまでは、世界人権宣言促進のために、人間家族の全メンバーの不可分 の予そして不可侵の権利の共通理解として、そして国際社会の成員のための義務を形成するものとして記憶に残るも ウィーンも、テヘランがそうであったように、将来同じ成果を得るであろう。﹂ の で あ っ た 。 ﹂ 多 分 、四
( 刊 岨 ) ダ﹁一エル・ベルがハンチントンの﹁文明の衝突﹂を﹁文化と政治の取り違え﹂と評した。また、さきに﹁文明の衝 突﹂を取り扱った諸論文の多くが、ハンチントンがなぜこのような論文を書いたのか、とその意図を詮索されている ことを紹介したが、それらからニュアンスの差はあるが、彼のマヅカ I シズム的異文明観││人権については宗教倫 理観ーーを感じ取らざるを得ない。このような問題意識に立ちながら、ここでは、宗教理解のパラダイム変換といわ れるジョン・ヒ担グの宗教多元主義の理論を当面必要な限度において借用しながら検討を進め、この稿のむすびとし ハ 誕 ﹀ わ い 。 , ヒックによれば、さまざまな宗教は、それぞれ異なる歴史的伝統のなかで、異なる形態をとりながら形成され生成変化してきた。そこでは人聞は、究極的な神的な実在に応答する。この応答の仕方はさまざまであり、神的実在にう とい消極的な応答もあれば、逆に神的なものの呼びかけに聞かれた、積極的な応答の仕方もある。しかし、こうした さまざまな宗教的生において何らかの意識の変革が起きることは共通である。 ヒ V クは、この変革を八自我中心から 実在中心への人間存在の変革
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と 規 定 し 、 これこそがどの宗教的伝統においても、 さまざまな形態をとる宗教的意義の現われであり、 過程である。それでは一方の、神的なものに対する人間の応答としての信仰と他の宗教の信仰の応答の宗教的伝統と に差異があるが、その関係をどのように促えるのか。この間いは、 一 八l
一九世紀のキリスト教帝国に対するヒンズ l 教、仏教のルネッサンスといえる時代にキリスト教内部で議論されたが、ヒ y ク ス は 、 一 ニ つ の 選 択 岐 を 取 り あ げ る 。 その第一は救い・解放・悟り・見性を特定の宗教のみに限定する八排他主義V
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であり、第二はそれら のを特定の宗教的伝統に引き入れる八包括主義﹀吉己g
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で あ れ ノ 、 そ し て 第 一 ニ は 、 そ れ ら を い ず れ の 宗 教 的 伝 統 にも生じつつあると認める︿多元主義V
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ロ 回 目 で あ る 。 161一一宗教多元主義と人権 かつてのロ I マ・カトリックの﹁教会の外に救いなし﹂である。キリスト教思想は非キリスト 教的人間性を無視するばかりか、非キリスト教徒である人間には身分上全く救いがない。 第 一 の 排 他 主 義 は 、 第 二 の 包 括 主 義 は 、 キリストの購罪による受肉は人間すべてに及んでいる、だからキリスト教徒であろうと非キリ スト教徒であろうと神のあわれみは、すべてに及んでいる、とする。ヵ l ル ・ ラ i ナ l のいう﹁無名のキリスト教 徒﹂という概念である。しかし、これはよくみると、排他主義のすりかえともいえる。﹁この人による以外に救いは ない。この名(キリスト)を他にして天下の何ものにも救いは与えられない。﹂ということを隠かに述べただけの、ぃ わばソフトな宗教的排外主義にほかならない。第8巻3・4号一一162 そこで第三の多元主義であるが、排他主義、包括主義が﹁キリスト﹂中心のいわば独善主義であったとすれば、第 三の道は﹁神﹂あるいは﹁実在﹂中心の多元論でなければならない。八自我中心から実在中心への人間存在への変 革﹀こそが、すべての偉大な宗教的伝統のなかで、さまざまに異る仕方で生じつつあることを認めることである。こ の宗教的多元主義のキリスト教的受容は、とくに﹁受肉﹂の教理の再考という、困難な、 しかし重要な課題を担うこ と に な る 。 ヒックは、救い・解放を八自我中心から実在中心への人間存在の変革﹀として論じてきたが、この変革 の社会的・政治的次元についてはどうなるのか。こうした問題も宗教多元主義の哲学が答えなければならない重要問 こ う し て 、 題のひとつであることをつけ加える。 と こ ろ で 、 ヒッグは﹁宗教の等級づけ﹂を論じた別の箇所で、大宗教における基本的な宗教的経験とヴィジョンに ついての霊的・道徳的成果について言及している。それは、大宗教の創始者なり、その継承者たちの生ざまに体現さ れているように、自己中心を自発的に斥け、実在者に自己を与え、または投与している。そのことは、すべての人類、 否、生命すべてに受容・慈悲・愛をもたらすことを意味する。しかし、これらの倫理的理想は、小さな宗教的共同体 の内部ではとも角、大きな人間集団においては突発的に、またはまれにしか実現していない。宗教の現実の歴史は、 同胞の福利のために献身した聖人たちゃ正義の指導者たちを育んできたと同時に、同胞を残酷に搾取し抑圧した悪魔 的な人物や侵略と名誉欲にとりつかれた指導者たちも育んできた。したがって、もし西欧社会の内部で広くうのみに されているような、 イ ス ラ ム 教 文 明 、 ヒンズー教文明、仏教文明にまさるキリスト教文明の道徳的優越性の擁護論を 考察するならば、キリスト教徒たちが宗教史全体の他の流れのなかで指摘することができる悪に対して、キリスト教 自体の流れのなかにも、これに対応して同じく明白な悪が存在することや、また、そうしたしばしば共約不可能な諸
々の悪を相互に比較考量することも現実的には不可能であることなどを知らされる。 ﹁しかし、もしかすると﹂とヒックスは語気を強める。 ﹁キリスト教だけは、その伝統内で普遍的な人間の自由と 平等という近代的な考え方をもたらした伝統として、またその伝統に照らしてさまざまに異なる他伝統の諸悪が確認 観 念 は 、 され出してくる伝統として、 ユニークな歴史的地位にあるのではなかろうか。たしかに、これらの近代的な自由主義 まず西欧にあらわれたものであった。しかし、これらの観念は、本質的には世俗的な観念であって、キリス ト教内部では支持されると同じくらいに抑圧もされてきた。﹂この叙述は、爾来考察してきたところにかんがみると 少し物足りないリ。ヒックは、自由・平等などの人権はすべて啓蒙主義の所産としかみていないのであろうか。さらに ﹁しかし、これらの観念が宗教の中でもまず西欧のキリスト教に影響を及ぼしたという事実 こ れ は 誤 り で あ ろ う 。 ﹂ か ら 、 彼は次のように続ける。 キリスト教がこれらの観念に対して独占的な関心を抱いていると結論守つけるならば、 ここまで人権とキリスト教とのかかわりに気配りするのであるならば、彼は、人権の普遍性を容認するのであるから、 宗教多元主義の観点から宗教倫理としての人権の考察を進めるべきではなかろうか。ところで、 十 品 、 ハンチントンの提言 163一一宗教多元主義と人権 あ ろ う 。 れば﹁文明の衝突﹂という概念はでてきょうがない。また、ダニエル・ベルが﹁政治性﹂を嘆ぎ取ったのもその故で ヒックの三つの選択肢のどこに分類されるのであろうか。排他主義的色彩の濃い包括主義であろう。そうでなけ ( 1 ) ( 2 ) ( 3 ﹀ ( 4 ) 蓮 実 重 彦 ・ 山 内 目 田 之 編 ﹁ 文 明 の 衝 突 か 、 共 存 か ﹂ ( 東 京 大 学 出 版 会 、 一 九 九 五 年 ) 、 二 二 六 頁 。 野 田 宣 雄 ﹁ 文 明 衝 突 時 代 の 政 治 と 宗 教 ﹂ ( P H P 研 究 所 、 一 九 九 五 年 ) 、 二 四 七 頁 。 蓮 実 重 彦 ・ 山 内 昌 之 編 、 前 掲 書 、 二 頁 。 角山栄﹁アジア・ルネヅサンス﹂ ( P H 研 究 所 、 一 九 九 五 年 ) 、 二 八 頁 。
第8巻 3・4号ーー164 ︿ 5 ) L ・ピヤン﹁諸文明の融合と政治的自由﹂(中央公論、一九九三年一一月号﹀。 ( 6 ) 初宿正典編訳﹁イエリネック対プトミ l 人 権 宣 言 論 争 ( み す ず 書 一 房 一 、 一 九 九 五 年 ﹀ に 所 収 。 ハ 7 ) W ・ フ l パ l/H ・ E ・ テ l ト、河島幸夫訳﹁人権の思想││法学的・哲学的・神学的考察﹂(新教出版社、 一 一 一
1
四 頁 。 ( 8 ) 初宿正典編訳、前掲書、九八頁。 ( 9 ) 問 書 、 九 九 頁 。 (印)同書、二二八頁。 ( 日 ) W ・ フ l パ /H-E ・ テ I ト 、 前 掲 書 、 八 二 頁 。 (ロ)同書、入二i
八 五 一 良 。 (同)上山安敏﹁ウエ 1 パーとその社会││知識社会と制球力﹂(ミネルグァ書房、一九七八年﹀、二九八頁。 ( U ) これに関して、次のような指摘がある。﹁プロテスタンテイズムの歴史において、十六世紀から十七世紀末までを古プロ テスタンテイズム、それ以後から現代までを新プロテスタンテイズムといって、区別する。ルタ l 派やカルヴァン派の古い 生粋のプロテスタンテイズムは、:::ある個所では中世の教会文化を踏襲した。国家と社会、経済と法律を、神の啓示つま り超自然的な規準にのっとって秩序づけようとした。 これに反して、近代プロテスタンテイズムは、新旧両教の平等権をみとめ、宗教に無関心な国家の地盤の上で発展した。 ここでは宗教はもう個人の内心の問題となっている。:::このように、新旧ふたつのプロテスタンテイズムを区別しないた めに、誤解がおこるのである。﹂(西村貞二﹁ルネッサンスと宗教改革﹂(講談社学術文庫、一九九三年)、一五四1
一 五 五 頁 。 ) フ l パ l / テ l トの類比性・相異性モデルは、後者を予想しているといってよいであろう。 (日)同書、一五四頁。 ( 日 山 ) 同 書 、 一 五 五 頁 。 (口)同書、一五六頁。 (凶)同書、二二六頁。 (四)同書、二二七1
二 二 九 頁 。 一 九 九 二 年 ) 、165 宗教多元主義と人権 (却)マックス・ウェ l パ l 、世良晃志郎訳﹁支配の社会学 E ﹂ ( 創 文 社 、 一 九 九 三 年 ) 、 六 五 五 頁 。 (幻)出口百出口担問伊丹曲目ロロ巾︿ m -o u 宮 町 内 リ o c 口 同 門 町 田 ・ 同 町 田 円 r o o -内 5 2 ・ m 門 回 目 同 向 島 げ 可 司 丘 町 円 切 m w h w F 門 田 口 門 H 0 5 刊 円 印 ( 関 - z d 司 町 門 戸 田 君 田 口 円 四 叶回同白 Z O 口同 Vロ σ -U F 巾 ♂ H U 由 民 仏 ) H Y H (詑﹀松井芳郎訳、国際人権:国際人権法学会年報、 Z 0 ・ A H 所 収 、 に よ っ た 。 (お)芯広 J M V H Y 呂 田 J50 (剖)目立品 J ℃ -M ( お ) 司 自 丹 市 門 戸 回 目 岳 F H , F m 河。︼冊。同国 E E 田 口 何 回 開 伊 丹 曲 目 白 司 C ﹃ 冊 目 間 口 可 。 ロ ロ 可 ( 呂 田 円 自 己 E D -由 企 ﹀ -H U -H
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( お ﹀ ︿ 旦 呂 田 ロ ロ 目 ロ a d -m -わ え F o -n U 5 ・ 巾 円 四 日 同 巾 向 日 ヴ 可 同 町 宮 口 H N ・開 σ 山 富 岡 FQK 戸 H H M 2 Z E n -5 2 ) U H ) ・ 目 印 由 J 叶 ・ お よ び M ・ シュタイルスら、イエズス会社会司牧センター訳﹁カトリッグ社会教説(ドン・ボコス社、一九八九年﹀。 (幻﹀チャールズ・マフナ編著、竹沢恵子訳﹁世界人権ハンドブック﹂(明石書底、一九九四年)。本書は、一九八三一年初版、一 九八六年再放、ソ連・東欧諸国の解体を待って発刊された一九九一年調査による第三版である。四0
項目の自由化指数を総 合して﹁人権指数としてまとめてある。その中からアジア諸国をピックアッ。フする。 インド五四%、インドネシア三四%、カンボジア一一一一一一%、シンガポール六OWA、スリランカ四七%、大韓民国五九克、中国 二一%、朝鮮民主主義人民共和国二O%、日本八三%、ピルマ(ミャンマー)一七%、フィリッピン七二%、呑港七九%、 ベトナム二七%、マレーシア六一%である。ちなみに G 7 についてみると、アメリカ合衆国九O%、イギリス九二一%、イタ リア九OZ、カナダ九四%、フランス九四%、ドイツ九八%である。 (お)阿部浩己監訳﹁人権に関するバンコク NGO 宣言、反差別国際運動日本委員会﹁国際人権基準と国際連帯﹂(解放出版社、 一 九 九 四 年 ) 、 所 収 。 (羽)ヒロ・ヤマネ﹁アジアと人権﹂・カ i ル・パサック編、﹁人権と国際社会﹂翻訳刊行委員会監訳﹁ユネスコ版人権と国際社 会・下﹂((財)庭野平和財団等、一九八四年﹀、九六回頁。 (初﹀武者小路公秀ほか﹁国連と人権 NGO ﹂ ( 部 落 解 放 研 究 所 、 (幻)ヒロ・ヤマネ、前掲書、九六四頁。 ハ 泣 ) -F E -同Y N -一 九 九 四 年 ) 、 四 回 頁 。第8巻3・4号一一166 (お﹀ダニエル・ベル、山崎正和ほか訳﹁知識社会の衝撃﹂ ( T B S ブ リ タ ュ ヵ 、 一 九 九 五 年 ) 、 二 六 四 一 長 。 ( 川 品 ﹀ ﹄ 。 吉 田