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ジャータカにおける辟支仏とその役割

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ところで、ジャータヵのなかの辞支仏物語は、︵1︶畔支仏になる物語、︵2︶辞支仏に対する布施とその果報、 ︵3︶辞支仏の入滅と舎利供養、︵4︶その他の眸支仏物語、の四種に分けることができる。﹁辞支仏になる物語﹂に ついてはすでにとりあげたので[長崎法潤、一九九四年]、本稿では︵2︶以下の辞支仏物語を論ずることが目的であ るが、その前に、辞支仏の覚りについて、整理しておきたい。 たのであろうか。 仏教思想の展開のうえで辞支仏︵縁覚、冒煙どの盲︲冒邑目も四・。①富︲盲屋言︶がどのような役割をはたしたであろ うか。それをさぐるための一つの方法として、ジャータカに登場する辞支仏に注目し若干の考察を試みたい。ジャー タヵには多くの辞支仏が登場するが、それを整理することによって、ジャータカ作者による辞支仏登場の意図、ある いはジャータヵにおける辞支仏の位置づけが明らかになるのではなかろうか。それは、おのずから仏教における辞支 仏の役割とも関係するはずである。畔支仏はいくつかの段階によって仏教思想のなかに位置づけられ、後に声聞・縁 覚・菩薩の三乗が形成された。その形成の段階において、ジャータカの辞支仏は、いったいどのような役割をはたし

ジャータカにおける辞支仏とその役割

潤 1,鴎. 1

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畔支仏の覚りとその内容とは如何なるものであろうか。辞支仏の覚りの対象、または所縁として、﹃ジャータヵ﹂2 四○八﹁陶師前生物語﹂では、マンゴーの樹、腕環、烏、牡牛、と伝えている。カリンガ国のカランドゥ王は、実を たわわにつけたマンゴーの樹は、その実をとられ、枝も折られるのに対し、もともと実をつけていない樹は宝石の裸 山のように美しく立っているのを見て、[諸行無常、一切皆苦、諸法無我の]三相︵司巳国房冨目日︶を観察し、観 を増大させて辞支菩提智を起こして︵ぐ信閉的目印曰く且農①弓倒冒COの雷宮島曰習画日日与昌の。割︶いる[冒煙冨冒も 函司]・ガンダーラ国のナッガジ王は、離れている二つの腕環は触れあわないが、片腕に移すと触れあって音をたてる。 人も互いに触れあうと争って議論をする、と接触する腕環を見て辞支菩提を起こした。ヴィデーハ国のミニ王は、烏 が互いに肉片を奪いあっているのを見て、五欲を棄てなければならないと思い、パンチャーラ国のドゥンムヵ王は、 一頭の牝牛を何頭かの牡牛が欲情によって追いかけ、嫉妬で互いに殺しあうのを見て、欲情を棄てなければならない と思い、畔支菩提を起こした。つまり、ここでは﹁マンゴーの樹﹂を対象にして富に対する執着、﹁腕環﹂によって 争いの議論の原因、﹁烏﹂によって五欲、﹁牡牛﹂を対象にして欲情、の恐れを知って、辞支菩提智を起こしている。 類似の畔支仏物語はジャイナ文献にも伝えられている。これらの辞支仏物語は仏教、ジャィナ教以外にその起源が あり、ジャータカに導入されたものであるが[長崎法潤一九九四年。六五’六六頁]、辞支仏が三相を観察することに ついては、仏教内において解釈され加えられたものである。それは、すでに﹃チュッラ・ニッデーサ﹄において辞支 仏智によって覚った真理として一切法の無常、苦、無我が記されているからである[長崎法潤、一九九二年、三’四頁]。 ﹃ジャータカ﹂三七八﹁ダリームカ辞支仏前生物語﹂と同五二九﹁ソーナヵ辞支仏前生物語﹂では、木の枝から枯 葉が落ちるのを対象にして辞支菩提を起こしている。さらに、同四五九﹁水前生物語﹂では、盗み、邪淫、妄語、殺 生、飲酒、すなわち仏教の五戒のそれぞれをおかして、それを対象にし、反省して辞支仏智を起こしている。これら の対象は、五戒と結びつけているけれども、必ずしも仏教的とは思われない。

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以上は対象によって無師独悟して辞支仏になっているが、﹃ジャータカ﹂四二一﹁理髪師ガンガマーラ前生物語﹂ と同四九一﹁大孔雀王前生物語﹂は、若干異質に思われる。前者では、ガンガマーラが、ブッダの前生である王の善 行を聞いて、善はなすべきものと思い、出家を決意して、ヒマラヤに行き、辞支仏になっている。後者では、猟師が とらえた孔雀︵ボーディサッタ︶から地獄の恐ろしさを教えてもらい、その法話を聞きながら畔支菩提智を証してい る。ボーディサッタの教えを聞いて覚ったというこれらの物語は、従来いわれている無師独悟という畔支仏とは全く 異質である。辞支仏の冒煙どの厩も画COの宮という語から﹁独り覚る﹂ということは言えるが、﹁師無く﹂という意味 はでてこない。したがって教えを聞いて辞支仏になることがあっても不思議ではない。 ﹁辞支仏に対する布施とその果報﹂に分類されるジャータカには次のものがある。 ﹃ジャータヵ﹂四一五﹁クンマーサピンダ前生物語﹂ ﹁ジャータカ﹂四二四﹁燃焼前生物語﹂ ﹃ジャータヵ﹂四九五﹁十種類バラモン前生物語﹂ ﹁ジャータヵ﹂二六四﹁マハーパナーダ前生物語﹂ ① ﹃ジャータカ﹄四八九﹁スルチ前生物語﹂ ﹁ジャータカ﹂四四二﹁サンカ・バラモン前生物語﹂ ﹁ジャータヵ﹄四○﹁カディラ樹炭火前生物語﹂ ﹃ジャータヵ﹄三九○﹁マイハカ烏前生物語﹂ ︵a︶ 二 3

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辞支仏に布施するこれらの物語のうち特徴的なことは、﹁ジャータカ﹂四一五、四二四、四四二にみられるように、 ブッダの前生としてのボーディサッタが辞支仏に布施を行ない、その果報によって善き生をうける物語である。この 場合、辞支仏は最も布施にふさわしい人であり、辞支仏に対する布施が最高であると考えられている。さらに、眸支 仏自身がボーディサッタに布施の機会を与え、善行をつませようとしている。すなわち、辞支仏の役割は、ボーディ サッタに布施という利他行をつませることである。以下、物語のなかでそれをみることにする。 ﹁ジャータカ﹂四一五﹁クンマーサピンダ前生物語﹂は、ベナレスで貧乏な家族に再生していたボーディサッタが 辞支仏に食事を布施し、その果報によってベナレスの王に生まれかわり、前生になしたその功徳を情念する物語であ ﹁ジャータカ﹄四二四﹁燃焼前生物語﹂と﹃ジャータカ﹄四九五﹁十種バラモン前生物語﹂とは、王が戒を具えた 布施に値する辞支仏を招き、七日間布施をする内容の物語である。前者の﹁燃焼前生物語﹂では、バラタ大王︵ポー ディサッタ︶が妃と相談のうえ、北方に帰命して、ヒマラヤ山の辞支仏を食事の供養に招待しようという願いをもっ て七つの花を撒いた。花はナンダムーラ洞窟にいる五○○人の辞支仏にとどいた。そこで七人の辞支仏が空中を通っ て王のところに降りた。王は、七日間食事の供養をして、黄金をちりばめたベッドと椅子、三衣をはじめ一切の沙門 用品を布施した。辞支仏の長老は︿喜びの意を表して、﹁大王よ、不放逸にあれ﹂と王をさとし、空中にとびあがっ て高殿の上を二つに分けて去り、ナンダムーラヵ洞窟に降りた。自匡日○目国営宮茸倒︾︾呂冨ョ昌○冒匡白呂剤国司ゞ壷 国割罰○○く倒旦四ヨ堅呉く倒劉丙削①屋もで里具く倒己蔚叫﹂四六印ロロ時四日・ぐ丘彦叫穴里ぐ四m山昌ぐ叫雪四国堅型ヨロ医岸名己号ず面倒のくのくい○国目﹀ ③ [両国百日︾己卜且︿説法・洞窟、PlGl8﹀・長老に布施された必要品もまた彼とともに[空中に]とびあがり、 洞窟に降りた。他の辞支仏も同様であるが、第七の畔支仏については、︿喜びの意を表しつつ、王に不死の大浬藥を 説き、王の不放逸をさとし、上述と同様にして自分の住所に帰った。四口巨日○烏忌冨国副○四日四国︲ョ幽厨邑号︲ つ '。(2 0 1

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ず劉冒回曰く印冒巨の弓山国両国四日四℃p四日凶旦①ロ四○く四9コ画く員国︲口座と①口四翼冨国○ぐ閉山ロ呉号凶ご山冒①ぐ四mgo・﹀[苛国冨胃員で、合と ︿説法、PlGl9﹀と記されている。 ﹁ジャータヵ﹂四九五﹁十種類バラモン前生物語﹂では、クル国のユーラヴャ王が、大布施を行なったが、布施の 食事を受けた者は皆五戒を守っていなかったので不満であった。王は大臣である賢者ヴィドゥーラ︵ボーディサッ タ︶のアドヴァイスによって、ヒマラヤ山のナンダムーラ洞窟にいる辞支仏を招いた。招く方法については、前述の ﹁燃焼前生物語﹂と同様であり、賢者と王が五○○人の辞支仏を招き、虚空に花を撒き、花が辞支仏のところに行っ て落ちている。それに対して、畔支仏は、賢者はブッダになるお方であるからと招待を承諾している。やって来た辞 支仏たちに七日間食事の布施をして、七日目に必要品を与えた。︿畔支仏たちは喜びの意を表して、空中を通ってそ こへ帰った。弓①目匡冒○目巨凹日冨弓四国訂の①ご四目島①ぐ煙盟国﹀冒国冨冒も〃器巴︿説法、PlGlm﹀・ 基本的には話の内容は﹁燃焼前生物語﹂と同じであるが、ここでは五○○人の辞支仏のうち何人が布施を受けに来 たのか明記されていない。布施を受けて洞窟に帰るときの記述はかなり簡略されている。また、ボーディサッタ自身 ではなく、彼のアドヴァイスによって王が布施をしている。 ﹁ジャータヵ﹂四四二﹁サンカ・バラモン前生物語﹂は、サンカ・バラモンが辞支仏に日傘と履物とを布施し、そ の果報によって、彼の船が海上で難破したが、救われた物語である。 大財産家のサンヵ・バラモン︵ボーディサッタ︶は乞食や旅人にたくさん布施をしていた。布施を続けるための財 産をえるために船で他国にでかけようとしているとき、ガンダマーダナ洞窟から来た一人の辞支仏に出会い、自分の 日傘と履物を布施した。︿彼︵辞支仏︶はバラモンを援けるためにそれらを受け取って、バラモンが清らかな信心を 増すために辞支仏を凝視しているあいだに、[空中に]飛び上がり、ガンダマーダナ洞窟へ去って行った。の○ 国め閏邑匡ぬい四冨呉弓画く煙国日頤凹冨の茸倒も勝倒﹂尉色ヨぐ四匹包毒回国鼻吾四ヨロ四閉口自国脇︶のく︶闇の四宮CO胃冒弓倒の画巨皇国日倒ユ四国回冒①くい︲ 5

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函画冒︺倒切]・﹀[]一 て救われた。 辞支仏に対する布施としては一般的に食事や沙門の資具であるが、ここでは日傘と履物であることが興味深い。バ ラモンが船に乗りこもうとしているときに、浜辺で辞支仏に出会ったからであろう、日傘と履物は浜辺を歩くために 必要な品であるからであろう。また、ここにおいて辞支仏はボーディサッタの布施行をたすけるための役割をはたし ︵トU︶ ﹃ジャータカ﹄四○﹁カディラ樹炭火前生物語﹂は、豪商︵ボーディサッタ︶が畔支仏に食事の布施をしようとし たところ悪魔が邪魔した物語であり、布施に対するボーディサッタの強い意志が表現されている。 昔、ベナレスで豪商としての生をうけていたボーディサッタは、六つの布施堂を建てて布施を行ない、戒めを守り、 ウポーサタの行事を行なっていた。ある日、朝食時に豪商のところに美味しい食事が運ばれていた。その時、一人の 辞支仏が七日間の瞑想からさめて、乞食の時刻であることに気づき、﹁ベナレスの豪商のところに行かねばならない﹂ と、︿ビンロウ樹の楊枝を噛み、アノータッタ湖で口を漱ぎ、マノーシラーの台地に立って下衣を着け、帯を締め、 上衣をまとい、神通力でつくられた土鉢を持って、空中を通って、ボーディサッタに食事が運ばれたちょうどその時、 その家の門口に立った。園彊富国鳥貝畏昌冨日匡倒号弓倒炉目○国5号扁日烏冨ョ監○己茸倒巨go⑭旨邑の言弓 冒ぐ割い①弓倒再画く四ヶ騨冒﹂ず四口四日ずゆロe三コ叫日く閨四日で四目官。割匙﹂宮白凹くいョ里弄時凶で臼国日国竺四宮回国宍削のロ四m四具ぐ四国○﹂宮め四︲ 弄国切闇g昌蔚巨冒昌冨日昌の鴨冨牙画﹃①昌冨めご[胃鼻昌もい路]︿托鉢、PlHl2﹀・ 豪商は辞支仏に食事の布施をしようとした。その時、悪魔マーラが、﹁辞支仏は七日間食事をとっていない。今日 とらなければ死ぬであろう。豪商の布施を妨げて、彼を死なせてやろう﹂と、屋敷内に八○ハッタの深さの炭火の炉 ているC 冒国冨弓も且︿洞窟、PlGlu﹀。バラモンの船が難破したとき、辞支仏になした布施の果報にょっ 6

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を作り、カディラ樹の炭火を満たした。それは、炎をあげ、アヴィーチ地獄のように見えた。悪魔は自ら空中に立っ ていた。それを見た召使たちはみな恐れて逃げだした。 豪商は悪魔マーラの仕業であることを知って、その用意された食事の鉢を持って炭火の炉の縁に立ち、悪魔マーラ に﹁自分の布施の邪魔も畔支仏の命に危害を加えることも、決しておまえにさせない﹂と言った。さらに畔支仏に ﹁わたしがこの炭火の炉にまっさかさまに落下しても引き返しません。あなただけはこの食事の布施をお受け取りく ださい﹂と堅い決意を述べて炉のうえに進み出た。 その時、炭火の炉の底から一本の蓮華が昇ってきて、豪商の足をささえた。豪商は蓮華のうえに立って、辞支仏の 鉢に食事を入れた。辞支仏はそれを受けると、感謝の言葉を述べ、鉢を空中に投げ、多数の人々の見ているあいだに、 空中に舞いあがり、種々様々な密雲を掻き分けるようにして、ヒマラヤ山に帰って行った。悪魔マーラは敗北し、落 胆して自分の住みかに去って行った。豪商は蓮華のうえに立ったままで人々に布施と戒めを讃えて教えを説いた。 本﹁ジャータヵ﹄では、ボーディサッタ︵豪商︶による食事布施を悪魔が邪魔し、布施の功徳を積ませないように しようとしている。しかし布施に対するボーディサッタの堅い決意に悪魔が敗北して去って行った。この物語は、仏 伝にしばしば登場する悪魔の物語に共通する内容が見られる。仏伝では成道、伝道その他、重要な場面に悪魔が登場 してブッダの行為を妨害しようとするが、ブッダの堅い決意に敗北して去っている。仏伝の作者は、悪魔の登場によ ってブヅダの堅い意志を強調しようとしている。本﹃ジャータカ﹄においても、同じように、布施に対するポーディ サッタの堅い決意が示されている。 同一の物語は﹃ジャータヵ・マーラー﹂第4﹁長者本生陣①淫言︲両国冨且にも伝えられている。そこでは悪魔は ﹁悪魔波旬面倒目閻切﹂になっている。さらに、﹁カディラ樹の炭火﹂ではなく、辞支仏と入り口の敷居とのあいだに、 ﹁ゆらめく火炎でその内部が恐ろしい、.⋮・・恐怖の叫び声を伴った地獄﹂を化作した、となっている。最後は、長者7

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︵ボーディサットヴァ︶が布施をしようと地獄の真ん中に進むと、彼の福徳の威力によって、蓮の花が一輪現われた。 長者は蓮の花の渡しを歩いて辞支仏に近づき、辞支仏の鉢に食物を捧げた、と記されている。辞支仏は空中に昇り、 ﹁稲妻をともなって輝く雲の吉祥相を伴って、雨と焔とを美しく顕現した。﹂地獄も悪魔もそこから消えた。 ところで﹃ジャータカ﹂四○﹁カディラ樹炭火前生物語﹂は他のジャータカにもその名が引用され、有名なジャー タカであったようである。﹁ジャータカ﹂二八四﹁幸運前生物語﹂の﹁序分﹂では﹁カディラ樹炭火前生物語﹂のな かに詳しく述べられている、と記され、それに関連して善行をたたえる物語が説かれている。また、﹃ジャータヵ﹄ 三四○﹁ヴィサイハ前生物語﹂の﹁序分﹂でも同じように記され、ブッダがアナータピンディヵに﹁昔の賢い家長た ちは、帝釈王天が空中に立って、﹃施しをしてはならない﹂と言って妨げるのをものともせず、施しをしたものであ る一と言って過去のことを話している。畔支仏に対する布施ではないが、布施の堅い決意をたたえる同類の物語であ ︵C︶ ﹃ジャータカ﹄三九○﹁マイハカ烏前生物語﹂は、布施を行なわなかった異国の豪商に関連して語られた物語であ るが、ここではポーディサッタが布施の主人公にはなっていない。 昔、人を信ずることなく、利己的で誰にもものを布施することのないベナレスの長者が乞食中のタガラシキン qP隠国切房巨冒︶辞支仏に出会った。召使に命じ、辞支仏を家につれて行き、長者の妻がおいしい食事を布施した。 長者は後になって、﹁この食事を自分の召使や奉公人に食べさせれば、困難な仕事をするであろう。損をしてしまっ た﹂と後悔した。彼は、眸支仏に布施をした果報によって、生まれかわってシュラーヴァスティーで異国の長者とし て多くの財宝を得た。けれども布施して後、それをくやみ、喜べなかった果報によって、異国の長者はその財宝を楽 しむことができなかった。これは、布施をする場合、施す前には気持ちよく、施す時には喜び、施して後くやまない、 フQO る﹂ 8

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という三つの思いを満足させることができる者にのみ果報があることを教えている。 この同じ説話が相応部の﹁サガータヴァッガ﹂[のz胃もで巴︲圏]にも伝えられている。そこでは、ンユラーヴァステ ィーの長者家主がタガラシキン辞支仏に食事を布施した業の果報によって、七回天界に生まれ、その業の残りによっ て七回シュラーヴァスティーの長者の位についたが、布施の後悔の果報によって善き食、善き衣など、善き五欲を楽 しむことができなかった、と記している。 この説話は散文で書かれ、﹁サガータヴァッガ﹂のなかでも新しい部分であるが、﹁マィハヵ烏前生物語﹂に比べる と、明らかに内容的に古い。﹁サガータヴァッガ﹂の内容は全体的に簡潔であるが、﹁マィハヵ烏前生物語﹂では﹁サ ガータヴァツガ﹂にない多くの言葉が挿入されていて、とくに畔支仏に対する布施の状況が具体的になっていること からそれが言える。また、﹁サガータヴァッガ﹂では長者家主はタガラシキン辞支仏を﹁沙門﹂と呼んでいる。なお、 タガラ、ンキン畔支仏は阿含ニカーャにたびたび登場し、﹁イシギリ・スッタ﹂︵ごz旨①︶の畔支仏のなかにもその名 この説話は雑阿含四六◆一二︵大二・三三七bC︶、別訳雑阿含三︵大二・三九四b︶、増一阿含一三︵大二・六一二C︶ などにも伝えられている[桜部建、昭和三一年、四五頁]。 が見られる。 タガラシキ、 次に﹁辞支仏の入滅と舎利供養﹂について記したジャータカをとりあげよう。それには次のものがある。 ﹃ジャータカ﹂四二○﹁スマンガラ前生物語﹂ ﹃ジャータカ﹂四一八﹁八声前生物語﹂ このうち﹁ジャータカ﹄四二○﹁スマンガラ前生物語﹂は、園番のスマンガラが鹿と間違って畔支仏を弓で射る物 三 C

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﹁ジャータヵ﹂四一八﹁八声前生物語﹂でも辞支仏の入滅と舎利供養について語られている。バラモンの家に生ま れたボーディサッタがヒマラヤに入り仙人の道に出家し、後にベナレスに来て、遊園のなかにとどまっていたときの ことである。そのころベナレスの王が真夜中に︵1︶鶴の声、︵2︶カラスの声、︵3︶木喰虫の声、︵4︶ホトトギ スの声、︵5︶鹿の声、︵6︶猿の声、︵7︶キンナラの声、︵8︶王宮の頂上を通って、遊園に行った辞支仏が感興詩 をとなえる声、の八種の声を次々と聞いた。王が恐れおののき、バラモンにたずねると、王に危難が認められるから バラモンが祭祀を行なうことになり、その準備にとりかかった。ところが一人のバラモン青年が、多くの生きものが 犠牲として殺されることを疑問に思い、遊園にいる修行者︵ボーディサッタ︶に相談した。青年の勧めで王が修行者 も且①昌○﹂冒四日日①己凹H皇両日宍副の巴・﹀[荷国冨[員もふち] 訂ロロで四口ぐ目の巨口、凹昌く画め里国犀四目め目司国も且四目斥呉く倒日勲犀画昌①ロ四3宍弄副の邑四旦彦四日と○四9割目四○里ご四目屍昌ぐ四国日 篤く敬意をはらって遺骨をひろい、廟を建立して、それを供養しながら、法にしたがって国を治めた。両国両日“冨邑︲ ラは恐れて、逃亡した。翌日、王が辞支仏の入滅を知って、︿大勢のお伴をつれて行って、七日間、舎利供養をした。 て、間違って辞支仏を矢で射ってしまった。スマンガラは矢を抜き取ったが、眸支仏はその場で入滅した。スマンガ きて、岩の上に腰をおろしていた。辞支仏が帰ってきたのを知らず、客をもてなす食事のために鹿を捕まえようとし 辞支仏に心をこめて仕えた。ある日、辞支仏が二、三日ほかの村に出かけ、夕刻、太陽が沈んでから王の園に帰って タ︶が王宮で食事の布施をし、園番のスマンガラを従者につけて、辞支仏を王の園の中に滞在させた。スマンガラは 語である。ある日、ナンダムーラ洞窟から一人の辞支仏がベナレスに乞食にやって来た。ベナレス王︵ボーディサッ これは、王︵ボーディサッタ︶の徳を説くための物語であり、スマンガラは三年目に罪をゆるされ、呼び寄せられ ている。ここで注目すべきことは、辞支仏は王にとって福田として尊敬され、廟︵・里冒︶を建てて最高の供養がなさている。ここで注目一 れていることである。 10

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から八種の声の原因と何の危難のないことを聞くことができた。 第八番目の感興詩の声について、修行者がこのように教えている。ナンダムーラ洞窟の一人の辞支仏が、自分の寿 命がつきるのを知り、﹁ベナレス王の遊園で般浬桑しよう。そこの人びとは私の遺骨を安置し、お祭りをし、遺骨供 養をしてくれて、私の天界への道を成就させてくれるであろう。国劉習四巴国ロロ○厘ご目①冨再目与ご尉困目︾国印協日の II B四口易の四囲司国口房穴写のも四日弄里ぐ国の“・面巨斥ユ時四日穴引匡弓割旦彦四目で日四目歸呉ぐ口めいぬい四℃四二m昌己日①の切四ロロ[両国蚕目員で お里一と、神通によって宮殿の頂上に着いたとき、肩の荷をおろしながら、浬藥の町︵昌与習四︲冒国︶に入ったこと臨望﹂と、神通によって宮殿︵ を知らせて感興詩をとなえた。 なぜならば、これはわれの最後の胎生である。 われには再び迷いの生存への輪廻は尽きている。﹂ シ、動日囲く四目旦副弄可口くいロ国巳閉臼 1 口四mmすすぎ口切①くぐいH巨口巨口四門四く四一扇の四凰国︾ 、鴫 ト t 四宮四目]一目︻己①餌ご骨員ご画、皿ラヴざ画切の昌旦P 斥宜引冒○口目①切四貝]の③H○口匡目四ゲラ犀画く凶く倒口画庁四戸回胃目︾や吟四一] 鮮支仏がこの感興詩をとなえて、遊園に来て、一本の花咲くサーラ樹の根もとで般浬葉した︵冒壗目与昌○︶。﹁行っ て畔支仏のために舎利供養︵“四.国︲匠○8︶をしてあげなさい﹂と、修行者は王を辞支仏が般浬梁したところに案内し ナー '下 王は軍隊をひきつれて、遺骸に香や花輪をささげて供養し、ボーディサッタの言葉によって祭祀をやめさせ、すべⅡ ﹁われに疑いもなく、[迷いの]生の滅尽なる終わりを見ている。 胎に再びもどることもない。

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ての生きものの命をたすけ、町中に殺生禁止のふれ太鼓をまわらせた。︿七日間、祭りを厳修し、あらゆる香を含む 薪を積み重ねたうえで、絶大な敬意をはらいつつ、畔支仏の遺骸を火葬して、四つ辻にストゥーパをつくらせた。 め旦団彦四日切幽堅彦匡穴剖旨ヨ弄倒の弓叫切四すず四m四目堅面四。﹄国澪①目四西口具①ご色の凹宍宍倒①目印己印○○①弄四ず巨竺﹂毎画閉ゆめ冑引国ヨ言叫での耳四○四言︲ 崗国四昏倒己口庁苛①庁写ロも囚閂画穴叫同のm﹄↑﹀[]叫弄四宍四目目︶で.吟四心] まず、本﹁ジャータヵ﹂で興味深いことは、その最後に、︿ボーディサッタが王に法を説いて、﹁不放逸にあれ﹂と さとしながらヒマラヤに入り、国&宮囲茸○冒国目○号四日目四目号の①言叫︶︶号冒日昌○g︽目︾︾○ぐ四目副四日いく四口国日 ①ぐ画冒く巨茸凶”﹀胃国富日も歯と梵住行を行じて不断に禅定を修して梵天界に生まれるものとなった、と記されて いることである。不放逸をさとすこの説法は、辞支仏が最後にヒマラヤに立ち去るときの説法のパターンと全く同じ であり、上述した﹁ジャータヵ﹄四二四﹁燃焼前生物語﹂︿説法・洞窟PlGl8﹀にも見られるとおりである。辞 支仏の最後の説法が、なぜここではポーディサッタの説法になっているのであろうか。考えられることは、本来なら ば畔支仏が最後になすべき説法が、入滅によってできなくなり、それにかわり、ヒマラヤで修行者になったポーデイ サッタが辞支仏と同じパターンの説法をしたことにして、このジャータカの結びとしたのであろう。 ところで、辞支仏の火葬と供養について、本ジャータヵでは﹁七日間、祭りを厳修し、あらゆる香を含む薪を積み 重ねたうえで、絶大な敬意をはらいつつ、辞支仏の遺骸を火葬して、四つ辻にストゥーパをつくらせた。﹂と伝えて いるが、これに関連してパーリの﹁大般浬藥経﹄日伺冒三訂冨巳の記述が想起される。そこでは、よく知られてい るように、ブッダがアーナンダに対して、転輪聖王の遺体を処理するようなしかたでブッダの遺体も処理すべきで ある、と語っている。さらに、次のように述べている。 ﹁アーナンダょ。転輪聖王の遺体を、新しい布で包む。新しい布で包んでから、打ってほどこされた綿で包む。打 ってほどこされた綿で包んでから、新しい布で包む。このようなしかたで、転輪聖王の遺体を五百重に包んで、そ 1 , 1乙

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ところで、転輪聖王の遺体処理、ブッダの遺体処理とジャータカの辞支仏に関するそれとを比較すれば、前者には、 新しい布などで五百重に包む、など詳しい記述があるが、辞支仏にはそれがない。ただ、﹁あらゆる香を含む薪を積 み重ねた上で︵m号冨隠且冨o冒庶︶﹂辞支仏の遺体を火葬に付している。この箇所は前者の﹁あらゆる香料を含む薪 の積み重ねをつくって︵切号冨唱且厨巨四日目四百ョ百日ぐ脚︶、転輪聖王の遺体を火葬に付する﹂とか、﹁あらゆる香を 含む薪の積み重ねをつくって︵切号言︲隠且厨口騨日o冒嚴ョ冨昌ぐ回︶、世尊の遺体を、薪の積み重ねの上にのせた﹂と 一致している。﹁大般浬藥経﹂には畔支仏の遺体処理についての記述がなされていないが、ジャータヵの作者は、転 している。 ところで の上にのせた︵切号富︲恩且厨︻国白日国富日冨昌ぐ倒国冨鴇ぐ曾○闇国&日日国百日四8胃切巨昌︶・﹂日冨目で岸馬]と、記 ブッダの遺体を上述のように処理して、﹁あらゆる香を含む薪の積み重ねをつくって、世尊の遺体を、薪の積み重ね そこで、ブッダが入滅されたとき、クシナガラの住民であるマッラ族の人びとが、アーナンダの指示にしたがって、 るべきである︵&日日日呂画冒吾の弓胃颪鴇国の笛三目○冨国go︶。・・⋮・ 転輪聖王の遺体を処理するのと同じように、如来の遺体を処理すべきである。四つ辻に、如来のスト・ウーパをつく 転輪聖王のストゥーパをつくる︵3日日昌四厨冒吾の国副○○鼻冨ぐゅ目朗色言ロ冒日百8口己。⋮⋮アーナンダょ。 体を火葬に付する︵切号冨阻且颪邑印日目鼻四日冨昌ぐ到国目○o鼻冨ぐ印言い困笛国国昌言目①口邑。そうして四つ辻に、 れから鉄の油槽の中に入れ、他の一つの鉄槽で覆い、あらゆる香料を含む薪の積み重ねをつくって、転輪聖王の遺 アーナンダよ・これらの四つの者は、ストゥーパをつくるに値する。その四つの者とは、何であるか。如来・阿 羅漢・等正覚者はストゥーパをつくるに値する。辞支仏はストゥーパをつくるに値する弓四8の厨︲宮屋言 昏口冨国冒︶。如来の声聞はストゥーパをつくるに値する。転輪聖王はストゥーパをつくるに値する。﹂日室戸で 一怪や一 トトー﹂ 13

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辞支仏のストゥーパの造立については、﹁大般浬梁経﹂の記述にしたがっている。﹁辞支仏の遺骸を火葬して、四つ 辻にストゥーパをつくらせた︵8日日四厨冒吾の︽言忌日訂同の色﹂というジャータカの記述は、﹁大般浬梁経﹂の﹁四 つ辻に、如来のストゥーパをつくるべきである︵○四言日日煙厨冒牙の月旦冨鴇国朋煙吾目○百国go︶﹂と符合している。 しかし、転輪聖王とブッダのストゥーパを﹁四つ辻﹂でつくることは﹃大般浬藥経﹂に明記されているが、辞支仏の ストゥーパを﹁四つ辻﹂につくることまでは言及されていない。畔支仏のストゥーパに関して、ジャータカの作者が 転輪聖王、ブッダと同じ造立方法を採用している。 以上によって、ジャータヵの作者が辞支仏の舎利供養に関して﹃大般浬藥経﹄にもとづいていることが明白である。

ところで、ジャータヵにおいては、辞支仏は、ブッダが出る以前の世にあらわれて、畔支菩提智

︵周COの百9号ヨ習四︶を起こし、ブッダ誕生以前に般浬梁する、と言われている。したがってへ﹁八声前生物語﹂の なかの辞支仏の感興詩では、﹁これはわれの最後の胎生である。われには再び迷いの生存への輪廻は尽きている。﹂と うたわれている。ところが、同﹃ジャータヵ﹄では、ナンダムーラ洞窟の辞支仏が、自分の寿命の終わりを知って、 ﹁ベナレス王の遊園で般浬梁しよう。そこの人びとは私の遺骨を安置し、お祭りをし、遺骨供養をしてくれて、私の 天界への道を成就させてくれるであろう︵m侭鴨冒言四日目昂め閻邑巳﹂[盲冨百日︾ロム路]と、記されている。ここで 注目すべきことは、﹁私の天界への道を成就させてくれる﹂という言葉である。輪廻を超え、再び生まれかわること のない辞支仏が、天界に再び生まれることはありえないはずである。したがって、この言葉は辞支仏にしては明らか に矛盾である。この矛盾点をどのように考えるべきであろうか。 かる・ がない、と言われているが、辞支仏の遺体処理のしかたから考えると、ブッダと同等には考えていなかったことがわがない 輪聖王、ブッダの記述の一部を採用している。ジャータカでは、辞支仏は般浬梁して迷いの生存に再び生まれること 可 4 」坐

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もともと辞支仏の観念は、阿含ニカーヤの初期にはなく、中期頃はじめてあらわれている。すなわち辞支仏は仏教 以外の宗教から採用された外来の仏である。仏教に入ってから、仏教思想のなかに位置づけがなされ、ブッダ以前に 般浬桑し、再び迷いの生存を繰り返すことがない、とジャータヵにおいて言われるようになった、と考えられる。仏 教に入る以前の眸支仏は、民間の人びとに尊敬され、信仰されていた仙人と思われるが、入滅して天界に生まれると 信じられていたのではなかろうか。ジャータカにあらわれる辞支仏の信仰には、当時の民間で行なわれていた畔支仏 の観念がかなり反映されているのではなかろうか。﹁私の天界への道を成就させてくれる﹂という言葉も、仏教のな かの辞支仏としては矛盾であるが、辞支仏に対する民間の観念として理解できるのではなかろうか。 ﹃ジャータカ﹂四九六﹁次第供養前生物語﹂は、食事の布施が次第にふさわしい人にまわって行くことを教えてい る。正法により国を治めていたベナレス王が、自分の不徳をさがそうとして、変装して宮廷のバラモン司祭とともに カーシ国を遍歴し、ある町で地主から食事の布施をうけた。その場に、ヒマラヤに住む苦行者︵ポーディサッタ︶と ナンダムーラ洞窟の畔支仏が来て同席した。地主が王に食事を与えると、それを受け取ってバラモンに与えた。バラ モンはそれを苦行者に与えた。苦行者は辞支仏に与えた。辞支仏はその食事を食べた。地主は、その理由を一人一人 にたずねるが、詩でその対話がつづられている。辞支仏によれば、自分は料理もしなければ、人に料理もさせない、 切りもせず、切らせもせず、何も所有せず、すべての罪悪から離れている。地主は最後に、王たちは王国に負欲であ り、バラモンたちは種々の義務に、仙人たちは根と果実に負欲であり、比丘たちは解脱している、と結んでいる。詩 くつかの物語をとりあげたい。 ジャータカのなかの畔支仏物語を四種に分類して考察しているが、最後に、﹁その他の辞支仏物語﹂のなかからい 四 15

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のなかには、﹁辞支仏﹂ではなく、﹁比丘たち﹂という言葉を用いているが、本﹃ジャータカ﹂では、辞支仏は解脱し た尊い人であり、食事の布施を受けるに最もふさわしいことを教えている。 ﹃ジャータヵ﹂九六﹁油鉢前生物語﹂と﹁ジャータカ﹄一三二﹁五師前生物語﹂とは同じ物語である。ベナレス王 の百人中の一番末の王子︵ボーディサッタ︶が、食事の布施を受けに来た辞支仏に、どうすれば王位につけるか、と たずねた。辞支仏のアドバイスどおりガンダーラのタキシラーに行くが、辞支仏の訓戒をまもり、途中の夜叉女によ る誘惑をふりすててタキシラーに着き、王位につくことができた。この物語は、辞支仏の訓戒をまもったために、栄 光がえられたことを伝えている。 ﹃ジャータヵ﹄五一四﹁六色牙象前生物語﹂にも辞支仏が登場している。象王︵ボーディサッタ︶は八千頭の象の 頭であり、︿畔支仏たちを崇拝していた。冒○。①冨冒屋府目爾乙[両国ぽくも胃]・象王には、チュッラスバッダー とマハースバッダIという二頭の第一妃がいた。チュッラスバッダーは、嫉妬からくる嫉みを象王にいだいていた。 ある日、象王が果実や蓮の若芽などを五百人の畔支仏に供養していた。そのとき、チュッラスバッダーは、自分の手 に入れたあらゆる果物を辞支仏たちに施して、生まれかわって復讐できるように、︿辞支仏に願をたてた。 で臼忌勲ロロヨ吾四で①2.﹀[ご丘・で。﹄S 彼女は生まれかわり、ベナレス王妃になった。彼女は、象王を殺して一対の六色牙をとってこさすことができるよ うに、前生で、︿辞支仏に施しをして願をたてた冒8の冨盲&厨目煙ョ断口伽昌目弓倒冨昏目四日言砦のの目﹀[旨﹄も堂] ことを猟師に伝え、猟師に象王を殺して牙をもってくるよう命じた。猟師は深い山に入り、七年七ヵ月七日かけてよ うやく象王︵ポーディサッタ︶に近づき、毒矢で射って牙を切り取った。 象王の死を知った八千頭の象はみなそこで泣き叫び、象王︵ボーディサッタ︶の家にいつも食を乞いにくる辞支仏 たちのところに行き、﹁尊師、あなたがたに必要品をつねに施すものが、毒を塗った矢に射られてなくなりました。 16

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また、辞支仏に︿願をたてた、冒藍四巨四昌吾§①巴冒昼もさ]も豊富毎“ョ吾名①切目[ご匙も〃堂]﹀という言葉も注

目に値する。それぞれの言葉の前に、﹁自分の手に入れたあらゆる果物を畔支仏たちに施して、自国目

匿屋冨冒巴習冨医己息○。①冨言監厨巨煙日烏茸叫﹂[夢昼も圏]、﹁辞支仏たちに施しをして、gooの冨冒匙菌巨煙己 断口煙ョ烏弓劉﹂[吾匙も農]と言われている。これは、畔支仏に布施をして願をたてれば、布施の果報として願いが 実現される、という信仰が当時民間にあったことを物語っているようである。辞支仏に食事を施し、﹁この果報によ って貧乏な家に再生することがありませんように。一切智智に通暁するための縁となりますように﹂と願い、その果 報によってベナレス王になり、宿命智を得た物語ヨジャータこ四一五]についてすでにとりあげたが、これも、辞 支仏に対する布施の果報による願いの実現である。 本﹃ジャータカ﹂に見られる辞支仏信仰は仏教内で成立したものとは考えられない。仏教外の民間のなかにあった ものを﹁ジャータヵ﹄のなかに取り入れたと考えるべきであろう。 で︲、↑] ず匡匹・豆のく口唇・凶での弓叫9国斥四昌昌○℃①弓型菩叫己四壱目印屋も四Ooの宍四ず巨包﹂ず割の四ケケ四国言ヨ堅叫写回国①笛一言割く四目凹弄四日目・﹀[苦旦 は夜通し火葬場で読経していた。目閉白目客目の号の薗昌巨目幽鴇巨煙彊国ロロ○の貰貝目︺烏昌の言巨寡宮冒副冒8の暦︲ 王の身体を牙でうえにあげて、辞支仏たちに礼拝してもらってから、火葬堆のうえにあげて火をつけた。畔支仏たち かれを葬る席においでください﹂とお願いした。五百人の辞支仏が空からやって来た。︿ただちに二頭の若い象が象 ところで、本﹁ジャータカ﹂では辞支仏信仰の様子が具体的に描かれていて興味深い。象王は、つねに畔支仏に施 しをし、崇拝するものであったので、なくなったとき、五百人の畔支仏に来てもらい、礼拝してもらっている。さら ④ に、畔支仏が夜通し火葬場で読経している。辞支仏が火葬場で読経することは、筆者の知るかぎりでは、他の﹃ジ ヤータカ﹂には見られない。 17 上 『

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辞支仏︵冒COの冨宮一巨富︶は、①無師独悟、②独逝独住、③他のために説法しない︵不説法︶、④仏が世にあらわ れる以前の世にあらわれて、仏があらわれる以前に般浬梁する︵無仏世出世︶、といわれている。これらの観念が最 初からそろって成立していたわけではない。ここで、以上の考察をもとにして、仏教において辞支仏の観念が成立し た段階について整理し、本稿の﹁むすび﹂としたい。 まず、原始仏典の古層に属する﹃スッタニパータ﹄、﹃ダンマパダ﹂には辞支仏は全くあらわれない。’一カーャでは、 相応部に一例、中部に二例、長部に一例しか見られない。増支部では数回現われる。小部の比較的成立の遅いものに なるにつれて、現われる回数がふえている。つまり、辞支仏の観念は原始仏典の初期にはなく、中期以後に成立して いる。また、辞支仏についての記述の内容としては、最もまとまっているのは中部二六﹁イシギリ・スッタ﹂であ る。無師独悟については、中部二六、増一阿含巻二四︵大二、六一五C︶などに数回みられる。辞支仏の不説法につ いては、増一阿含巻二四︵大二、六七六C︶に一回しか記されていない。また、無仏世出世については、増一阿含巻三 二︵大二、七二三︶に説かれている程度である。辞支仏は、ストゥーパを建立するに値する四人︵如来・阿羅漢・等正覚 者、辞支仏、如来の声聞、転輪聖王︶のなかに加えられたり日z目壱]烏隆三目も隠巴、﹁これら二人は覚者なり、 :⋮・如来・阿羅漢・等正覚者と眸支仏なり﹂Fz胃も司]とか、十の無上の福田として如来の次に置かれたりFz くも闇]、十四の対人施として如来・阿羅漢・等正覚者、畔支仏、如来の声聞⋮..と配されていたり冒室白も囲卓、 している。これらは、いわゆる声聞、縁覚、菩薩の三乗の原型と考えられる[藤田宏達、昭和三十二年、九二頁a]・ 一方ジャイナ教聖典にも畔支仏︵冒号冨言屋冨︶が登場するが、古層聖典にはなく、それより成立の遅い﹃ナン ディー﹂三八に見られる[長崎法潤、’九九四年、六五頁b]。したがって辞支仏の起源は、仏教、ジャイナ教以外の宗 五 18

(19)

教思想のなかにあったが、仏教とジャイナ教にほぼ同じ頃にその観念が導入された、と推定される。ジャータカに描 写されている辞支仏信仰や辞支仏物語の多くは、仏教、ジャイナ教以外にあった辞支仏を表している、と考えられる。 そこで、原始仏典における辞支仏の成立には次のようないくつかの段階を想定することができる。 第一段階。辞支仏が仏教のなかに位置づけられていない段階。それは、中部二六﹁イシギリ・スッタ﹂における 辞支仏を過去にいた仙人とする観念にみられる。この経典によれば、かって五○○人の辞支仏が王舎城のイシギリ山 に住し、彼らはこの山に入るときは見られたが、入りおわってからは見られなかった。人びとは、﹁この山は仙人を 呑む︵回︲四巳﹂と言った。それによってイシギリという名称が生じた、と述べ、数多くの辞支仏の名をあげている。 ここにおける辞支仏は、仏教のなかに位置づけられてはおらず、仏教外の仙人としての畔支仏である。また、辞支仏 の覚りを、﹁独自に妙なる覚りを証得した、冒○oの百日のぐ︾且言侭四ョ匡目の号○昏目﹂盲三目も$]と、詩句のなか で説いている。相応部﹁サガータヴァツガ﹂宙z胃ゞ弓巴︲圏]に現われるタガラキシン畔支仏も、仏教のなかに位置 づけられていない段階に属している。 第二段階。仏教における辞支仏の位置づけ。後期の阿含ニカーャにみられる声聞、縁覚、菩薩という三乗の原型。 第三段階。汚れのない、自由で不動な境地に至り、犀の角のように独り歩む修行者︵独逝独住︶を辞支仏に結びつ ける。これは、紀元前三’二世紀ころ編蟇された初期アビダルマ文献にみられる解釈である。小部﹃チュッラ・ニッ デーサ﹂では、﹃スッタニパータ﹂の﹁犀角経﹂を畔支仏の詩と解釈された。また、小部﹃アパダーナ﹂第一章第二 ﹁辞支仏の譽嶮﹂のなかに﹁犀角経﹂四一詩が引用されている。大衆部系の説出世部に属する﹃マハーヴァスッ﹂に おいても﹁犀角経﹂と畔支仏との関連性がみられる。したがって、﹁犀角経﹂と辞支仏との関連性はかなり古くから あったものと考えられる[長崎法潤、一九九二年、二頁]。また、﹃チュッラ・ニッデーサ﹂では、辞支仏を原始仏教の 教義と結びつけて解釈している[同、四頁]・辞支仏の覚りに関して、独り無上の辞支菩提を現に正覚した、と﹃チュ 19

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ツラ・ニッデーサ﹂に記されているが、これは、無師独悟という辞支仏の観念である。 第四段階。ジャータカがはたした役割。ジャータカにおいて辞支仏の無仏世出世という観念が確立された。バール フットの欄楯にみられるジャータカの浮彫の大部分は紀元前二世紀中葉に造られているから、辞支仏の無仏世出世と いう観念もそのころ成立したものと考えられる。この観念については、すでに増一阿含巻三二︵大二、七二三︶に記 されているが、これは、この観念の成立後、加えられたものと考えられる。 第五段階。不説法の観念の成立。すでにとりあげたジャータカにみられるように、辞支仏は人びとに法を説いてい る。ブッダと区別するために、後の有部系統において畔支仏の不説法が議論され、やがてその観念が成立するが、そ の段階に至るまでに仏伝で強調するブッダの説法檮曙と梵天勧請の説話が介在しているのではなかろうか。 注 ①﹁ジャータカ﹄二六四﹁マハーパナーダ王前生物語﹂と﹁ジャータカ﹂四八九﹁スルチ前生物語﹂とは同じ物語である。後 者によれば、父子二人が七人の辞支仏に食事を供養し草庵をつくり、そこに三ヵ月住ませ、安居が終わったとき二人は三衣を 布施した。それによって後に善き生をうけた。この物語では辞支仏そのものは話の中心になっていない。 ②貧乏な家族に生まれ、豪商のもとで賃金をもらって仕事をしていたポーディサッタが、ある日、ベナレスの町に托鉢に来た 四人の辞支仏に酢味粥食︵クンマーサピンダ︶を布施し、﹁この果報によって貧乏な家に再生することがありませんように。 一切智智に通暁するための縁となりますように﹂と言った。︿辞支仏は食事をすまし、食事の終わりに感謝の言葉を述べて、 飛びあがって、ナンダムーラ洞窟へ行った。冠四8の匿言注冨冨号冒昌さ倒冒﹃ご言弼く尉習の目匡冒○:己四日冨さ幽居冒昌ぐ画 zg8白巳壱四g冨国日①ぐ四四彊白印ョ切巨・﹀[両国冨白も色ユ︿説法・洞窟、PlGl7﹀。彼はその果報によってベナレス国 王の王子として生まれ、父王の没後王位についた。彼は、前生における辞支仏への布施を宿命智によって知り、それを億念し て、その感動を感興の詩にして詠じていた。妃の求めによって、王は大群衆を前にして、その感興詩の意味を明らかにした。 四人の辞支仏について、同﹁ジャータカ﹄の第一詩では﹁最高知見のほとけ︵国且︵二四︶たち﹂、第六詩でも﹁ほとけ a匡屋富︶たち﹂、また第五詩では﹁四人の沙門︵の蝕日餌口四︶﹂と呼んでいる。 2

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でも.心CCI心牟延・ 国.,百○o臣﹄mmq醇匡め麺①湧戯匡一︵ 〆・詞.zop弓四口]や①片目弓①勺圖弓の弄四︲団匡旦堅弓四冒国匡旦ユ言切冒回国q﹃巴巳切昌.○2房gの巳も四己の目く○旨昌の胃︾弓写の冠巴︺目①鴬の○gのご﹀ 詞旨︻一○壱℃の己ケ○侭﹄④司分弓固のも印の。①云四豆巨旦旦ゴ画︶F①丘①口. 冠F・く凹匡く印①昌嵩@mP]騨回穴知日匙劇団匡竺堅言翼の凹巨め穴引耳目の×厨zp画岸口凹吾弓四口ぬい. 面目一○︸畠呂①昌吊門尼○”も四○○の斥号匡旦匹昏侭の切○亘。三のPpも凹困盲. 長崎法潤一九九四年、﹁ジャータカにあらわれる辞支仏﹂﹃仏教学セミナー﹄第六○号。 長崎法潤一九九二年、﹁犀角経と辞支仏﹂﹃仏教学セミナー﹄第五五号。 干潟龍祥・高原信一一九九○年、﹁ジャータカ・マーラー﹄、講談社。 村上真完・及川真介一九九○年、﹃仏と聖典の伝承﹄、春秋社、三三五11三四九頁。 藤田宏達昭和三二年、﹁三乗の成立についてl牌支仏起源論l﹂﹁印度学仏教学研究﹄五’二、九一’一○○頁。 櫻部建昭和三一年、﹁縁覚考﹂﹃大谷学報﹄三六’三、四○’五一頁。 参考文献 ③ジャータヵにおける畔支仏に関するストックフレーズを整理し、仮に通し番号をつけた。 ④︿読経した、“昌颪百日四百日2﹀を、タイ版、ビルマ版、スリランカ版では、号四目目““言ご幽冒四百B“匡となっている。 ﹃ジャータカ全集7﹄︵春秋社︶、二九○頁、訳註九七。 四人の畔支仏に関連して想起されるのは、﹁ジャータカ﹂四○八﹁陶師前生物語﹂に登場する四王の物語である。カリンガ 国のカランドゥ王、ガンダーラ国のナッガジ王、ヴィデーハ国のミ’一王、パンチャーラ国のドゥンムカ王が辞支仏になってヒ マラヤ山のナンダムーラ洞窟に行き、しばらくしてベナラスに托鉢に来て、ボーディサッタに会って教えを説いている。﹃ジ ャータカ﹂四一五の四人の辞支仏は、﹃ジャータカ﹄四○八の四人の辞支仏と同一であるかどうかは断定できないが、何らか の関係がありそうである。 いい⑭1画今の 両国鉾匡一目、①ロ旨戸畠山ゴ倒国切言。︾F①旨闇侭 踊’

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